フジテレビジョン
テンプレート:告知 テンプレート:Infobox 株式会社フジテレビジョン(Fuji Television Network, Inc.)は、関東広域圏を放送対象地域とするテレビジョン放送の特定地上基幹放送事業者である。 また、フジテレビONE・フジテレビTWO・フジテレビNEXTの衛星一般放送を行う衛星一般放送事業者、台場二丁目を業務区域とするエリア放送の地上一般放送事業者でもある。略称はコールサイン(JOCX-DTV)から一般的にCXが用いられる(ただし、正式な略称として定められていない[1])。 通称はフジテレビ、フジ。FNNフジニュースネットワーク、FNSフジネットワーク(フジテレビ系列)のキー局である。
目次
概要
2008年(平成20年)9月まではフジサンケイグループの中核企業であり、資本関係上もグループの統括会社となっていたが、2008年10月1日に株式会社フジテレビジョン(旧会社)は、株式会社フジ・メディア・ホールディングスに商号変更、テレビジョン放送関連事業を同日設立した新会社たる「株式会社フジテレビジョン」(現行会社)に事業譲渡および放送免許を承継し、純粋持株会社また、認定放送持株会社となった。 本項目では2008年9月30日までの旧会社、および2008年10月1日以降の現行会社について述べる。
テンプレート:日本のテレビ局 テンプレート:日本の衛星放送チャンネル
各地域の系列局28社で、番組の供給・ネットを目的とするフジネットワーク (FNS:Fuji Network System) と、ニュース素材の供給・ネットを目的とするフジニュースネットワーク (FNN:Fuji News Network) を組織している。
地上波放送の他にスカパー!プレミアムサービス(東経124・128度CS放送)、および衛星基幹放送事業者であるサテライト・サービスを通じてスカパー!(旧・スカパー!e2)(東経110度CS放送)で、フジテレビONE・フジテレビTWO・フジテレビNEXTの3つのチャンネル(フジテレビワンツーネクスト)を放送していて、一部のケーブルテレビ事業者へもこれらのチャンネルの供給を行っている。
FNN(ニュース)の取材対象地域には、青森県・山梨県が含まれる。
なお、フジテレビジョンの略称は開局当初、「FTV」が用いられた。しかし、正式な略称として定めておらず、後に開局した福島テレビが「FTV」を正式な略称として使用するようになった。以後、フジテレビジョンは「CX」の略称が用いられている(ただし、これも正式な略称として定められたものではない)。なお、フジテレビジョンの略称として用いられているCXは、香港のワンワールド加盟航空会社であるキャセイパシフィック航空のIATA航空会社コードと同じであるが、両者とは無関係である。
社名の由来は諸説あるが、開局にあたり創業者の一人で当時専務取締役だった鹿内信隆が、「庶民に愛されなくてはならない。ポピュラーなものでなくてはならない。日本でポピュラーと言えば桜と富士だから仮に富士テレビでどうだろうか」と提案の上で社名を「富士テレビジョン」に改めた。しかし、漢字の「富士」は画数が多く、「フジテレビジョン」に変更された。
沿革
- 1957年(昭和32年)11月18日 - 文化放送とニッポン放送を主体とし、東宝、松竹、大映の映画会社各社が参加して、株式会社富士テレビジョン設立(「富士テレビ」に決定される前は「中央テレビジョン」で仮決定されていた)。
- 1958年(昭和33年)12月 - 商号を株式会社フジテレビジョンに変更。
- 1959年(昭和34年)
- 1960年(昭和35年)1月17日 - 本局の送信出力を映像50 kW、音声12.5 kWに増力する。
- 1964年(昭和39年)
- 1966年(昭和41年)8月 - フジニュースネットワーク(FNN)発足。
- 1967年(昭和42年)2月11日 - 自社制作に於いて初のカラーカメラ実写・カラーVTR使用による番組が放送される。第1弾は、クイズ番組『ズバリ!当てましょう』で、同番組カラー放送第1回にちなんで、『カラーで当てましょう』という題が付けられた。[2]
- 1969年(昭和44年)
- 1971年(昭和46年) - 制作局を廃止させ、系列子会社化(「フジポニー」「フジ制作」「ワイドプロ」など)。報道・スポーツ・生番組以外の番組の制作を委託する(1980年の機構改革で「制作局」を再発足、自社制作を復活させるまで系列子会社の再編をしながら続く)。
- 1973年(昭和48年)『キンカン素人民謡名人戦』を最後に、自主制作番組がすべてカラー放送になる。
- 1978年(昭和53年)10月2日 - 音声多重実用化試験放送開始。東京では日本テレビ、NHK(日本放送協会)に次いで3局目。第1弾は、同日午後5時からのアメリカテレビ映画『コンバット!』の2か国語放送。ステレオ第1弾は、同日午後7時から放送された神宮球場からのヤクルト対巨人戦のステレオ放送。
- 1984年(昭和59年) - フジサンケイグループ議長・鹿内春雄が将来の衛星放送事業(現在のBSフジやフジテレビワンツーネクストなど)参画による業務拡大に伴い、局舎面積拡大の必要性を訴え、当時はまだ更地であった台場への社屋移転構想を発表する。(#フジテレビお台場移転の経緯を参照。)
- 1985年(昭和60年)12月8日 - 文字多重放送本放送開始。
- 1986年(昭和61年) - フジサンケイグループ統一CI導入に伴い、現在の「目玉マーク」のロゴ・マークに変更。
- 1987年(昭和62年)8月 - 任天堂(株)と共同で、後の「スーパーマリオUSA」の元となるファミコンディスクシステムのソフト「夢工場ドキドキパニック」を発売。
- 1987年(昭和62年)10月 - 日本の地上波テレビ放送局で初めてとなる24時間放送(終夜放送。日曜未明〜月曜早朝及び保守点検時を除く)を開始[4]。
- 1988年(昭和63年) - 開局30周年を記念してオリエント急行を日本で走らせる((株)日立製作所・東日本旅客鉄道(株)(JR東日本)との共同企画。オリエント・エクスプレス '88)。
- 1989年(平成元年)8月 - 第一世代クリアビジョン放送開始。
- 1989年(平成元年)頃 - 民放では初めて、ソニー製の1インチ非圧縮デジタルハイビジョンVTR DVH-1000が導入される。
- 1990年(平成2年)11月 - ハイビジョン試験放送開始。
- 1993年(平成5年)
- 1994年(平成6年)
- 4月23日 - セガ・エンタープライゼス(株)と共同で、メガCDのソフト「ヘブンリーシンフォニー」を発売。
- 11月 - ハイビジョン実用化試験局免許取得。
- 1995年(平成7年)
- 4月 - 株式会社フジサンケイグループ本社を合併。
- 9月 - ワイドクリアビジョン (EDTV-II) 本放送開始。
- 1996年(平成8年) 8月 - 東京都港区台場のFCGビルが完成。河田町からの移転作業が部署別に順次開始される。
- 1997年(平成9年)
- 1998年(平成10年)
- 1999年(平成11年)4月 - CSチャンネル「フジテレビ739」(現フジテレビONE)放送を開始。
- 2000年(平成12年)12月1日 - 午前11時、系列のBSデジタル放送「BSフジ」(デジタルBS8Ch)開始。
- 2003年(平成15年)12月1日 - 午前11時、地上デジタルテレビジョン放送の本放送を開始(JOCX-DTV)。
- 2005年(平成17年)
- 1月17日 - 系列ラジオ局のニッポン放送株式の公開買付(TOB)を発表した。その結果、ニッポン放送発行済み株式の36.47%を取得した。
- 3月24日 - ソフトバンクグループの金融持株会社SBIホールディングスの子会社であるソフトバンク・インベストメントがフジテレビジョンの筆頭株主となる[5]。
- 5月23日 - ライブドア・パートナーズを買収し同社の商号を「LFホールディングス」に変更(7月12日に合併)。
- 6月13日 - 産業再生法に基づく事業再構築計画の認定を受ける。2008年(平成20年)5月まで。
- 7月15日 - 地上波キー局として初めてのブロードバンド動画配信サービス、「フジテレビ On Demand」のサービスを開始。
- 9月1日 - ニッポン放送と株式交換し、同社を完全子会社化。
- 2006年(平成18年)
- 1月22日 - ライブドアが証券取引法違反で1月18日に家宅捜索される。
- 3月15日 - ポッドキャスティング「フジポッド」の配信開始。
- 3月16日 - 日枝会長が記者会見を行いUSENの宇野康秀社長にフジテレビが所有するライブドア持ち株を95億円で全株譲渡しUSENとの業務提携を発表。同時にライブドアとの提携解消とライブドア・ショックにより受けたフジテレビの損害総額345億円の賠償請求を行うことを決定した。
- 4月1日
- 地上デジタルテレビジョンワンセグの本放送を開始。
- ニッポン放送からアナウンサーを含む47人がフジテレビに転籍。
- 4月3日 - 事業持株会社化し、フジサンケイグループの統括会社になる。これとともに株式会社ニッポン放送ホールディングス(旧ニッポン放送、これまでのラジオ放送事業・中波放送局免許は「株式会社ニッポン放送」を新設し、同社に承継)を吸収合併し、ニッポン放送保有のフジテレビ株式は吸収後消却され、ポニーキャニオン、ディノス等ニッポン放送傘下の企業がフジテレビ傘下に移動。
- 2007年(平成19年)
- 2008年(平成20年)
- 4月1日 - CSチャンネル「フジテレビCSHD」(現フジテレビNEXT)放送を開始。在京民放キー局主体で初のCS放送によるハイビジョン放送である。
- 9月4日 -総務大臣から、放送法に基づく認定放送持株会社の認定を取得し、また新設会社(2008年10月1日設立)へのテレビジョン放送免許の承継が許可された。
- 10月1日 - 株式会社フジテレビジョンが「株式会社フジ・メディア・ホールディングス」に商号変更、認定放送持株会社に移行、同時に地上波放送関連事業を分社新設分割方式による事業子会社「株式会社フジテレビジョン」(新設会社)に放送免許共々承継。社名ロゴマークは変更せず新設会社がそのまま承継した。
- 12月1日 - ファイル配信に対応した地上波(アナログ・デジタル)・BS波(BSフジ)・CS波(フジテレビワンツーネクスト)の統合型デジタルマスター設備(東芝製)が稼動[6]。同時に地上デジタルテレビジョン放送のサブチャンネル番号「083」の運用開始。3分割放送が物理上可能となる。マスター切換は3段階に分けて行われ、第1段階は地上波、第2段階は2009年4月にCS放送(フジテレビワンツーネクスト)、第3段階は2009年10月にBS放送(BSフジ)の順で切換を行った。
- 2010年(平成22年)
- 2011年(平成23年)
- 2013年(平成25年)
歴史
1950年代 - 1960年代
- 1957年6月に、文化放送、ニッポン放送、東宝、松竹、大映等が免許を申請し、翌7月に予備免許が交付された。その後、事業体として同年11月、東京都千代田区有楽町一丁目7番地(後の有楽町一丁目9番地)に資本金6億円で「株式会社富士テレビジョン」として設立(翌年12月に現在の商号に変更 ニッポン放送本社と同居)。
- 1959年1月に東京都新宿区市谷河田町7番地(後の新宿区河田町3-1)に本社ビルを完成させ(本社所在地の変更は1962年)、同年3月1日に東京で3番目(開局順としては4番目だが、総合局と教育局の区分による都合上、3番目とされている)のテレビ局として放送を開始した(放送開始当時は映像出力10 kW、音声出力2.5 kW。1960年1月17日に空中線電力を50 kWに増力した)。
- チャンネルは当初「1」を希望していたが、NHK教育テレビ→総合テレビが獲得[9]。日本テレビ放送網が「4」、ラジオ東京テレビ(現:TBSテレビ)が「6」を取得していたため、第8チャンネルとなった。開局から1986年3月31日までのシンボルマークはチャンネルナンバー「8」を図案化したもの。(関西テレビ放送や沖縄テレビ放送とは多少異なる)ロゴタイプ(ロゴ)は産経新聞(当時はサンケイ)やニッポン放送の旧書体に似た旧フジサンケイグループ標準書体(亀倉雄策の作)だった。
- 8チャンネルを取得したものの日本の黎明期のテレビ受像機は1956年頃までは6チャンネル・チューナーが一般的であったため、新たに開局した8チャンネルのフジテレビを視聴するためには12チャンネル・チューナのテレビ受像機に買い替えるかチューナの増設が必要であった。
- 1959年3月1日の開局では、9時20分に最初の番組『開局に際して』(初代社長水野成夫による挨拶)が放映。続いて、開局までの模様を映した記録映画『フジテレビの誕生』が放映された。この日の夜には『スター千一夜』が放映開始。当時の映画会社が締結した「五社協定」により、映画スターのテレビ出演が難しい時代であったが、“芸能番組への出演”という形でなく、時事に絡めた社会の話題として取り上げることにより出演を取り付けるという画期的な方法を採った。
- 1959年6月17日、渡辺プロダクションの制作指揮による音楽番組『ザ・ヒットパレード』が放映開始。
- 1963年1月1日には、日本初の国産テレビアニメ『鉄腕アトム』が放映開始。さらに1965年10月6日には、日本初のカラーテレビアニメ『ジャングル大帝』の放映を開始。
- 1964年1月1日、正月恒例の『新春かくし芸大会』が放映開始。翌1965年からは司会者に高橋圭三を迎えて規模も年々拡大、年末年始の風物詩的番組として2010年まで続いた。
- 1967年2月11日、『ズバリ!当てましょう』で自社制作の実写番組では初のカラー放送を実施[10]。
- 1969年、フジテレビ労組で女子社員の25歳定年制の撤廃が議論される。同制度に抗議して、全女子社員が赤いバラを胸に付けて抗議活動をした。同年、東京都地労委にあっせん申請。
1970年代 - 1980年代
- 1970年代は、アニメ・子供向け番組などでは注目されたものの、全般としては、特に現代ドラマにおいて、裏番組の影響により、視聴率が低迷し、迷走を極めていた。
- 1976年、『プロ野球ニュース』がキャスターに佐々木信也を迎えて放送再開される。
- 1981年にそれまでの「母と子のフジテレビ」を改め、「楽しくなければテレビじゃない」というキャッチフレーズを打ち出した。面白い番組・視聴者の笑いを取れる番組を生み出そうという意識改革のスローガンであった。そこから横澤彪がプロデュースした『THE MANZAI』『オレたちひょうきん族』『笑っていいとも!』など数々の人気番組が生まれていった。このような状況は当時のキャッチコピーから「軽チャー路線」(かるちゃーろせん)とも評された。バラエティ番組中心の編成は結果として視聴者の支持を集め、1982年に「年間視聴率三冠王」(ゴールデン・プライム・全日でトップ)を獲得。その後「三冠王」は1993年まで12年連続で達成した。1984年には年間売上高でもキー局トップとなり、名実ともに日本最大の民放テレビ局へと成長していった。
- 1983年にスタートした『オールナイトフジ』で生放送型深夜番組のブームを巻き起こした。
- 1980年代後半のバブル景気時には、「トレンディドラマ」が人気を博し、ゴールデン・プライム帯の視聴率を押し上げた。
- 1987年7月、同局開局以来の24時間編成の大型番組として『FNS27時間テレビ・第1回FNSスーパースペシャル1億人のテレビ夢列島』を放送(以後、『FNS27時間テレビ』として毎年夏に放送されるようになる)。
- 同年10月、日本の地上波テレビ局で初の完全24時間放送を開始(最初は平日の早朝で休止の時間帯があった)。深夜枠のソフト充実を目的に『JOCX-TV2』と銘打って実験的な内容の番組を多数開始した。以降、『やっぱり猫が好き』や『夢で逢えたら』など新感覚の番組が高い評価を受ける。
- この結果、1987年の全日視聴率1位を達成。関東地区における全日視聴率(ビデオリサーチ社の調査)は、1963年から1986年までの24年間、NHK総合テレビが各民放キー局を押しのけて、連続して1位を獲得しており[11][注 1]、民放史上初の単独での全日視聴率制覇を果たした。
1990年代
- 1990年代前半には、『カノッサの屈辱』など、深夜放送を中心とした人気番組が続々生まれた。しかし、1993年夏頃から視聴率三冠のうちのいくつかを巨人戦中継などのコンテンツを持ち、バラエティ番組も好調だった日本テレビに明け渡し、その勢いも次第に衰えていった。1994年には1982年から12年続いた三冠王を奪われ、その後2003年まで10年連続で「年間視聴率四冠王」(ゴールデン・プライム・全日にさらにノンプライムを加えての表現)を日本テレビが達成した。
- 1997年3月10日に、東京都新宿区河田町から港区台場のFCGビル(通称:フジテレビ本社ビル)に移転。新社屋の設計は『丹下健三都市・建築設計研究所』、施工は鹿島建設。敷地面積21102.220 m²、延べ床面積141825.438 m²、地下2階 地上25階 塔屋1階。直径32 mの球体展望室が印象的。収録に使用した道具や収録スタジオ(V4スタジオ)などが見られる見学者コースがあり、東京臨海副都心を代表する観光スポットの1つになっている。ビル全体の“見た目サイズ”はワイドクリアビジョンテレビの16:9をイメージしているとされる。
- 1999年にはイメージキャラクターの「ラフくん」が登場、2002年からは「きっかけは、フジテレビ。」のキャッチコピーで様々なキャンペーンを展開、毎年本社ビルで行われているイベントも名物となっている。不定期で社内を歩き回り、愛嬌を振りまいている。
2000年代
- 2002年6月9日放送の『2002 FIFAワールドカップ 日本-ロシア』が66.1%を記録、これを持って同局および民放史上初の年間視聴率1位獲得となった[12]。
- 2003年度(2003年4月-2004年3月)の調査ではプライムタイムの視聴率が日本テレビを上回り、この結果、2004年には1993年以来11年ぶりに「三冠」を日本テレビから奪還し民放トップの座に返り咲いた。その後2010年まで7年連続で三冠を達成した。
- 2005年1月、お台場社屋からの主要生番組(『めざましテレビ』『とくダネ!』『ニュース関係全般』など)が全てハイビジョン放送となる。
- 2008年5月15日、フジテレビは2008年4月に施行の改正放送法に基づく「認定放送持株会社」制への移行を取締役会で決定した[13]。その概要は、現在の株式会社フジテレビジョンを純粋持株会社「株式会社フジ・メディア・ホールディングス (FUJI MEDIA HOLDINGS,INC.)」に商号変更、地上波テレビ放送事業は放送免許も含め、分社型新設分割方式によって新設する「株式会社フジテレビジョン(新設会社)」への移管・免許承継する。
- 2008年6月27日、定時株主総会にて放送持株会社制への移行が承認された。その後主務大臣の認可・法的な処理を実施の上、2008年10月1日から新体制に移行した。
2010年代
- 2010年にはデジタルコンテンツ事業の強化に乗り出し、「キミフジ」や「イマつぶ」などのオンラインサービスを開始している。
- 2010年9月27日、フジテレビが報道及び関連番組で使用していたテロップ・CGシステム(同局では「ワープロシステム」と呼称)を1994年10月の機材更新以来およそ16年ぶりに更新した[14]。これにより同局のニューステロップは全てHD対応仕様となった。基本書体はJTCウインSから平成角ゴシックW7に変更されたが、わずか3週間でJTCウインSに戻った[15]。なお、2011年度上期には非報道系(制作・情報系)のワープロシステムも、報道系と同様のシステムへ更新されている(ただし、報道系と非報道系は基本的に全く別のシステムとして構築されている。)。
- 2011年3月11日、音声漏れによる不謹慎極まりない放送事故が発生、同年には「偏向」「韓流の偏重」を理由に、東京お台場フジテレビ本社周辺でデモが勃発した。
- 2011年4月頃から、地震・ニュース速報テロップ放出時のチャイムが「緊急地震速報とのチャイムが紛らわしい」という苦情があったことから音程を変更。
- 2011年7月1日から7月23日まで『産経テレニュースFNN』や『サザエさん』など一部番組において、地上アナログ放送で放送終了のカウントダウンを画面左下に表示したため、スポンサークレジット上部の「提供」の文字を削除、企業名のみの表示となった。なお、この表示方法は同系会社のBSフジがすでに行っているものである。
- 2011年10月31日、モノラル放送(モノステレオ放送)で放送されている全ての報道・情報番組がステレオ放送に切り替えられた[16]。なお、各局の全国ニュース枠における全日・全時間帯のステレオ音源化は初となる。また、ニュース映像に付けられるBGMもステレオ音源で送出される(他局ではモノラル音源で送出されることが多く、全国ニュースでは数少ない)。
- 2011年、年間視聴率三冠を2003年以来8年ぶりに日本テレビに再び奪われる。フジテレビは全日では日本テレビと同率1位でゴールデン、プライムは2位だったため一冠であった。2011年の年度視聴率においても、三冠を日本テレビに奪われた[17]。
- 2012年、年間視聴率ではゴールデン、プライム、全日の全ての時間帯で3位に後退[18]。2013年1月第4週(同月28日 - 2月3日)における全日帯の平均視聴率と2013年8月の平均視聴率では4位に後退[19][20]。さらには2013年10月24日に『ほこ×たて』における悪質なやらせも発覚するなど、テレビ局としての価値が損なわれるような事態が続いている[21][22]。2013年10月22日には、長年続いたバラエティ番組『笑っていいとも!』の終了が発表された[23]。
- 2014年3月31日、1980年代 - 2010年代前半のフジテレビ平日昼帯を支え続けたバラエティ番組『笑っていいとも!』が放送終了。放送期間32年間・放送回数8054回という大記録を打ちたて、ギネス世界記録として『生放送バラエティー番組単独司会最多記録』『生放送バラエティー番組放送回数最多記録』が認定された(前者は番組司会のタモリ、後者が番組としての記録)[24]。
- 同年5月15日の決算報告で、フジ・メディア・ホールディングスの連結最終利益が前年度比44.8%減の172億8200万円、フジテレビ単体でも同34.7%減とする大幅減益が発表される。2013年度の在京民放5社の減益はフジテレビのみ[25]。
歴代社長
- 水野成夫(1957年設立 - 1964年)
- 鹿内信隆(1964年 - 1968年)
- 浅野賢澄(1968年 - 1982年)
- 石田達郎(1982年 - 1985年)
- 羽佐間重彰(1985年 - 1988年)
- 日枝久(1988年 - 2001年)
- 村上光一(2001年 - 2007年)
- 豊田皓(2007年 - 2013年)
- 亀山千広(2013年 - )
フジテレビお台場移転の経緯
1980年(昭和55年)に掲げた「軽チャー路線」がようやく波に乗り出し、1984年(昭和59年)には年間売上高も開局以来初めて在京キー局でトップに躍り出た。局舎の台場移転構想が持ち上がったのはこの頃である。
当時のフジサンケイグループ議長であった鹿内春雄が、所用で当時はまだ更地だったお台場を訪れ「テレビ局を運営するならビルの林立した都心よりも、その都心を広々と見渡すことのできるお台場のような場所がいい」と考え、後のフジテレビ役員会議で提唱した。当時の東京都知事・鈴木俊一も「情報の集まる所に人は集まる」と考えており、「臨海副都心計画を成功させるためにはお台場エリアに一大エンターテインメントも必要」という方針を打ち出していた。そのようなこともあり、かねてから親交が深かった鹿内春雄にフジテレビの誘致を積極的に行っていたことが、この移転構想へつながったと見られている。FCGビルの設計には鈴木や鹿内と繋がりが深かった丹下健三が選ばれた[27]。台場は当時未開発の地であり、都心と比較しても地価が安く、用地も都から安価で提供してもらえたことも大きく影響した。提供とは賃貸のことを示す。
当時はレインボーブリッジやゆりかもめはおろか、臨海副都心線さえ開通していなかったことや、都心からも遠いこともあり、ほとんどの役員は台場移転案に消極的であった。前述のように将来における民放の衛星放送への参画や、それに伴うスタジオの増設、局内のデジタル回線への変更などで当時の河田町の局舎では限界があったため、新局舎の建設が必要であることは役員の誰もが理解していた。このため、再三にわたる議論の末、
の3つに絞られた。フジテレビの現場サイドも局舎そのものを観光名所にして、そこから新たな収益構造を作りたいという目的があったため、住宅地に囲まれた河田町では地理的に集客力に限界があり、この目的は達成できないとして1.の移転不要案は却下された。また、2.と3.を比べても、お台場は海沿いで眺めも良く、開発されつくした大崎エリアと比べても未開発で集客面でも将来性が大きかったことと、前述の地価の面でも大きく有利に動いた。これに加えて鈴木都知事の協力が得られたことにより、3.のお台場移転案が決定的になった。
これを受け、局内に当時取締役編成局長だった日枝久を初代室長とする総合開発室が設置された。将来の台場新局舎の建設計画や用地取得、および衛星放送開始に備え、10年越しでの大プロジェクトを敢行し、「お台場のフジテレビ」を築き上げた。また、これらのプロジェクトで費やした費用は10年間で実に数千億円に上ったという。
なお、お台場完全移転から2ヶ月後の1997年5月10日放送『めちゃ×2イケてるッ』(河田町からお台場への引越企画を放送)では、「台場移転に2tトラック約3千台分(体積換算で東京ドーム6個分)・費用約7億円」と放送されていた。[28]
特色
ニュースや情報番組で使用されているテロップのフォントは、フォント制作会社のニィスと共同開発したもので、これが先駆となって、他局や色々な印刷物にもこのフォントが使用されるようになった。
メインバンクはみずほ銀行(旧富士銀行→旧みずほコーポレート銀行)で、FNSチャリティーキャンペーンにおけるフジテレビの振込先もみずほ銀行東京中央支店(旧富士銀行本店)であり、以前には芙蓉グループ提供の番組『感動エクスプレス』『満足!迷い旅』を放送していた。さらに、フジサンケイグループ傘下の広告会社3社と合併した広告会社クオラスがある。また、三菱グループとも関係が深く、以前には三菱電機一社提供の『メントレG』を放送していたほか、FNS系列局で毎年5月に放送している『ダイヤモンドカップゴルフ』(関西テレビ制作)は三菱自動車工業などの三菱グループ数社が協賛している。現在フジテレビの常務取締役を務める飯島一暢は三菱商事の出身である。
1980年代に入ると、バラエティ番組を中心に同局の女性アナウンサーをタレント同然に扱う様子が見受けられるようになる。他の民放局でも同様の傾向は見られるが、フジテレビはそれが顕著で、入社以前に何らかの芸能活動を経験しているアナウンサーも多数在籍している(日本のアナウンサー#「女子アナ」とその背景も合わせて参照)さらには、『ラヴシーン』と題した同局アナウンサーによる朗読劇を企画するなど、いち早く「タレント化」とも言える事業展開を行ってきた。
『NONFIX』や『ザ・ノンフィクション』など質の高いドキュメンタリー番組を多く手掛け、放送関係の受賞歴も多い。
在京キー局中、労働組合の活動状況や対経営側への影響力は最も弱いとされている(民放労連会報・会員コメントより)。
渡辺プロダクションとその系列のイザワオフィスとの結びつきが非常に強く、『ザ・ヒットパレード』や『新春かくし芸大会』、『クイズ・ドレミファドン!』、『ドリフ大爆笑』など往年の看板番組や現在放送中の『ウチくる!?』『志村けんのバカ殿様』などの制作にはこの2事務所が深く関わっており、番組エンドロールの企画・制作元が「フジテレビ」ではなく、それぞれ「渡辺プロダクション」「イザワオフィス」となっている。
制作番組
フジテレビ制作の番組については、『フジテレビ番組一覧』や『ミニ番組#フジテレビ』などを参照のこと。
制作セクションは編成制作局にあり、第三制作部までに分かれていた。ドラマ制作センター(旧・第一制作部、英語ではdivision1→ディビジョン1)はドラマ、バラエティ制作センター(旧・第二制作部)はバラエティ・音楽番組、情報番組センター(旧・第三制作部)はドキュメンタリー・情報番組などを作っている(2002年7月に第三制作部は生活情報局に移行、2004年6月に情報番組センターに改称)。また、報道特番についてはFNN系報道特別番組を参照。
制作著作のクレジットについて
基本的に自社制作(ドラマ制作センター、バラエティー制作センター、情報番組センター)については「制作著作・フジテレビ」[29]でクレジットされている。
フジテレビ系のプロダクションである共同テレビジョン、フジ・メディア・テクノロジー(旧社名:八峯テレビ)、FCCを含む外部のプロダクションと共同制作する場合、2010年9月までは「制作・フジテレビ、(プロダクション会社名)」でクレジットされており、プロダクションとフジテレビが著作権を共有するような書き方であったが、同10月以後、フジテレビは「制作」のクレジットのみとなり、外部プロダクションが「制作著作」として表示されるようになった。[30]
ただし一部「制作著作:フジテレビ、制作協力:(外部プロダクション)」とする場合もあるほか、上記フジテレビ系プロダクション各社との共同制作(プロダクション側が制作協力扱いとなるもの含む)については目玉マーク1つを共有する形で2社を並列表記させる場合もある。
報道・情報番組
『FNNニュース』、『FNNスピーク』、『FNNスーパーニュース』、『ニュースJAPAN』などのニュース番組を報道局が制作。『めざましテレビ』、『情報プレゼンター とくダネ!』などの情報番組やワイドショー番組は、情報制作センター(旧・第三制作部)が制作している。
フジテレビ以外の系列局の映像には、当該系列局名のテロップが入ったが、2005年4月に廃止。現在は、画面左下に『FNN NEWS』と入り、その横にそのニュースの取材場所などが表示されるようになっている。これは、フジテレビ、それ以外の系列局の取材に関係なく表示される。『とくダネ!』など情報制作センターの番組は、系列局が取材した映像にクレジットが表示される。
1961年4月1日、プロ野球に特化したスポーツニュースのはしりである『きょうのプロ野球から』が放映開始。翌1962年に『プロ野球ニュース』に改題(この当時はいずれもプロ野球シーズン期間中のみ放送)。
1965年5月1日、NET(現:テレビ朝日)系列の朝のワイドショー、『モーニングショー』に対抗し、NHKの看板アナウンサーだった小川宏を招聘して、『小川宏ショー』をスタート。初代司会陣は小川宏と元TBSアナウンサーの木元教子、当時アナウンサーだった露木茂。1968年4月1日、不毛の時間帯とされた平日午後3時枠を開拓したワイドショー『3時のあなた』が放送開始。1984年10月に『FNNスーパータイム』を開始。夕方ニュース戦争の幕開けとなる。
1985年8月12日の日本航空123便墜落事故では現場が特定困難であった山中から、翌日にテレビで最も早く事故現場の映像を衛星中継上空のヘリコプター経由で中継して伝えた。2003年12月14日のサッダーム・フセイン拘束のニュース速報を、他局に先駆けて伝え、民放で唯一報道特番を組んだ。
スポーツ
『すぽると!』、中継番組全般をスポーツ局が制作。また、レーベル表記は「FUJI NETWORK SPORT」を2001年10月より使用(2005年4月より中継番組のみの使用)。
1987年以来、大きなスポーツイベントにおける放映権を獲得するようになり、モータースポーツの最高峰であるF1世界選手権の放送を開始。同年から10年ぶりの復活となった「日本グランプリ」の冠スポンサー(2009年まで)と、国際映像の制作(2011年まで)を務めた。その他、バレーボール・ワールドカップ、世界柔道選手権(2003年・大阪大会以後)、体操世界選手権(2009年-2016年まで)もフジテレビ系列の地上波独占中継となった。また2003-2004シーズンより全日本スピードスケート選手権、世界スピードスケート選手権、全日本フィギュアスケート選手権、世界フィギュアスケート選手権がフジテレビ系列の独占放送となった(2003年まではTBS系列の独占放送だった)。1992年から2004年まではツール・ド・フランスも放送していた。
FIFAコンフェデレーションズカップなど国際サッカー連盟 (FIFA) 公認のナショナルチーム同士による国際大会(W杯は除く)は、フジテレビ系列およびTBS系列が共同放送制作している(2004年アテネオリンピック以降のバレーボール最終予選もフジ・TBSの共同制作となった)。2007年以降の大会はフジテレビ系列独占放送となる。かつてはJリーグ中継は清水エスパルスや鹿島アントラーズなどの主催試合を中継していたが、2002年以降はヤマザキナビスコカップ決勝のみの中継となっている(ナビスコカップ予選リーグ - 準決勝まではフジテレビONE,NEXTで生中継もしくは録画中継している)。
開局の1959年以来、中央競馬の日曜東京・中山および夏季ローカル開催のメインレース中継を放送している。また、「フジテレビ賞スプリングステークス」の冠スポンサーにもなっている。なお、2005年の菊花賞では初めて関西テレビとの共同制作で中継された。(従来の京都・阪神の中継は関西テレビが担当している。)
格闘技は、前述の世界柔道選手権の独占中継をはじめ、日本大相撲トーナメントの主催・中継を行っている。ボクシング中継ではファイティング原田、輪島功一らの国民的スターを輩出し、現在では『ダイヤモンドグローブ』で月1回の放送に加え、2013年よりアマチュア7冠・井上尚弥やロンドンオリンピック金メダリスト・村田諒太の試合を『ダイヤモンドグローブスペシャル』としてゴールデンタイム中継を復活させた(窓口となるプロモーターは三迫プロモーション)。プロレスでは過去に全日本女子プロレスの中継や、WWEの日本語版放送を実施してきた。かつてはPRIDEやK-1も放送していたが、前者は2006年6月に主催側に契約違反があったとして、後者も2010年に主催側のファイトマネー未払い問題があったとして、放送が打ち切られている。
バラエティ
バラエティ制作センター(旧・第二制作部、港浩一取締役バラエティ制作センター担当局長がチーフとなり宮道治朗バラエティ制作センター室長(制作部長兼務)らが所属)が制作している。
主に『めちゃ²イケてるッ!』、『ホンマでっか!?TV』など。『ネプリーグ』等のクイズ番組や、『ライオンのごきげんよう』等のトーク番組もバラエティ制作センターで制作している。
バラエティ番組最大の特徴は、地域・事務所を問わず実力のある若手のお笑いタレントを5,6組集合させて番組を製作し、関東ローカルの深夜番組からゴールデンタイムの全国ネットへと番組を育ててゆく手法を取ることである。この手法をとった番組は1980年代に一世を風靡した『オレたちひょうきん族』に始まり、『夢で逢えたら』や『とぶくすり』、『とんねるずのみなさんのおかげです』、『笑う犬』シリーズ、『はねるのトびら』、『爆笑レッドシアター』等があり、いずれもフジテレビを代表する人気番組となった。異色の番組としては、若手芸人発掘のために8年周期で放送される『新しい波』シリーズがある。
スポンサー料の安い深夜・早朝枠は、逆に「視聴率を稼がなくても良い」と解釈され、実験的な番組が多数作られた。1987年10月改編で正式に「24時間放送」を開始、『プロ野球ニュース』終了後以降の深夜枠に「JOCX-TV2」という「ゾーンタイトル」を付加、社内組織的にも編成局内に「深夜の編成部」なる深夜編成担当チームが組まれた。これらの枠から人気を博した番組に『カノッサの屈辱』『ウゴウゴルーガ』『Flyer TV』があったが、編成方針の変更により「深夜の編成部」が廃止され、「ゾーンタイトル」など「深夜枠」という特定のカテゴリー自体もこれをもって廃止された。
音楽番組
バラエティ同様、バラエティ制作センターが担当。
『僕らの音楽-OUR MUSIC-』『新堂本兄弟』など、ほとんどの音楽番組をきくち伸プロデューサー率いる音組が担当している。また、40年以上の歴史を誇る長寿番組『ミュージックフェア』は、石田弘(現在はエグゼクティブプロデューサー役員待遇)が長く担当(2007年以降はきくちもチーフプロデューサーとして番組に関与)し、当初よりシオノギ製薬の一社提供番組で、現在も引き続き放送されている。
1968年11月4日、新感覚の歌謡番組と銘打ち『夜のヒットスタジオ』放送開始。幅広い出演者と歌手の素顔を映し出してゆくという番組構成が視聴者に浸透し、格上の音楽番組として後に評価されるようになる。1974年7月、第1回『FNS歌謡祭』放送。初代司会は小川宏と吉永小百合。当初は賞レース番組であったが、1991年の第20回からはコンサート形式の番組に変更されて継続している。
他のテレビ局に比べてジャニーズ・アイドルを番組で取り上げる事が最も多く、かつてジャニーズ事務所に所属していた郷ひろみを、フジテレビを象徴するタレントとして音楽番組においてメインで起用している。
ドラマ
ドラマ制作センター(旧・第一制作部)が制作している。
現在、ドラマを放送している時間帯(以下JST)は月曜午後9時、火曜午後9時、火曜午後10時、水曜午後10時、木曜午後10時、土曜午後11時の6枠。
1981年10月、後にスペシャル番組としてシリーズ化される『北の国から』がスタート。脚本は倉本聡、主演は田中邦衛。1987年4月、1981年4月より続いた萩本欽一による『欽ドン!』シリーズに代わって、新たにドラマ枠(通称:"月9")を新設。『アナウンサーぷっつん物語』を最初に、『ラジオびんびん物語』、『東京ラブストーリー』、『101回目のプロポーズ』、『ロングバケーション』などの大ヒット作を生み出し、業界ドラマやトレンディードラマブームの火付け役となる。2003年10月、フジテレビ開局45周年記念番組として、1978年に田宮二郎と山本學の主演で放送された社会派ドラマ『白い巨塔』のリメイク版を半年間(2クール)にわたり放送。
アニメーション
テンプレート:See also 日本初のテレビアニメ『鉄腕アトム』を放送し、『ゲゲゲの鬼太郎』、『フランダースの犬』に代表される『世界名作劇場』、『科学忍者隊ガッチャマン』や『タイムボカンシリーズ』に代表されるタツノコプロ製作の作品、『ドラゴンボール』シリーズを初めとする週刊少年ジャンプの漫画原作作品などの人気アニメ番組を数多く放送するなど、かつてフジテレビは民放一のアニメ局であった。現在でもアニメ番組では視聴率トップクラスの『サザエさん』を、日曜午前9時台には「ワンピース」や「トリコ」など数多くの人気作品を放送している。
しかし1997年以降、同局の看板作品である『世界名作劇場』の終了や、テレビ東京や独立U局(UHFアニメ)でのアニメ本数の増加、ポケモンショック、少子化、裏番組などで次第に地位が低下し、2001年には平日枠(深夜枠以外)のアニメ番組が消滅した。また、民放一のアニメ局の地位をテレビ東京(TXN)に奪われた。このはるか前、1980年代まではタツノコプロ(現在は日本テレビとタカラトミーの子会社)との関係が深かったが1983年の『イタダキマン』の不振がきっかけとなって関係が縮小していき、1985年の『炎のアルペンローゼ ジュディ&ランディ』を最後に約25年間タツノコ作品の放送が途絶えていた。2004年には『こちら葛飾区亀有公園前派出所』が終了、『ONE PIECE』も2006年10月より日曜日午前9時半(ローカルセールス枠)からの放送になった事により、ゴールデンタイム枠のアニメ番組は消滅した。
また、アナログ放送では2008年12月以降の放送中のアニメ放送を全てレターボックス形式に変更した(ただし『サザエさん』のみ2009年1月から)。また、バラエティ枠も深夜帯はレターボックス放送になっている。プライムタイム枠では16:9で放送されている番組が増えてきた。
フジテレビ制作のアニメは、東映アニメーション・日本アニメーション・ぴえろとの関係や縁が深い。
2002年 - 2003年にかけて番組数が比較的多かったが、当時地上デジタルテレビ放送の準備による放送機器メンテナンスが相次ぎ放送スケジュールが不安定になり、それに伴う地上波放送の打ち切り・枠廃止も相次いだことから視聴者や制作会社から不満の声が高まり、その影響で関東地区では独立U局でのネットに切り替える作品が相次ぎ(その名残でしばらくの間、関西・中京圏では従来通り、系列局の関西テレビおよび東海テレビでの放送作品枠が1本存在した)、2004年10月に全ての枠が一旦廃止となった。
2005年4月14日から『ノイタミナ』枠でスタートした『ハチミツとクローバー』(木曜深夜0:35 - 1:05)で復活する事になり、2013年5月現在は『ノイタミナ』枠2本を放送している。
尚、同局の連動データ放送は2013年6月より海外制作アニメ『チャギントン』で初めて実施(フジテレビのみ)。2014年8月より国内制作アニメ『ちびまる子ちゃん』で初めて実施。これにより関東キー局全てで連動データ放送実施の実績を持つこととなった。
子供向け番組
かつて「母と子のフジテレビ」をキャッチフレーズとしていた通り、子供向け番組には黎明期から力を入れていた。主に、『ママとあそぼう!ピンポンパン』や『ひらけ!ポンキッキ』→『ポンキッキーズ』などを制作し、両番組とも長年に渡り高い支持を得てきた。
1966年10月3日、子供向けバラエティ番組『ママとあそぼう!ピンポンパン』放送開始。初代お姉さん役は渡辺直子アナウンサー。以来、若手の女子アナがお姉さん役を務め、アイドルアナウンサーの登竜門でもあった。1973年4月2日、子供向け幼児教育番組『ひらけ!ポンキッキ』放送開始。
しかし、少子化や裏番組などの影響から視聴率が低迷するようになり、2007年3月の『ポンキッキ』終了とともに、地上波でのレギュラー子供向け番組は消滅している。現在、関連会社のフジテレビKIDSがBSフジでポンキッキシリーズ(現在は『beポンキッキーズ』)や『We Can☆47』などを制作している。
現在のゴールデンタイム・プライムタイム編成
※2014年7月現在
\ | 月曜日 | 火曜日 | 水曜日 | 木曜日 | 金曜日 | 土曜日 | 日曜日 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
19 時 台 |
ネプリーグ | カスペ! | おじゃマップ | VS嵐 | ペケ×ポン | 超潜入! リアルスコープ ハイパー |
日本語探Qバラエティ クイズ! それマジ!?ニッポン |
20 時 台 |
ジャネーノ!? | 世界行ってみたら ホントは こんなトコだった!? |
奇跡体験! アンビリバボー |
してみるテレビ! 教訓のススメ |
めちゃ²イケてるッ! | クイズ30 〜団結せよ!〜 | |
21 時 台 |
【フジテレビ月曜 9時枠の連続ドラマ】 HERO(第2期) |
【フジテレビ火曜 9時枠の連続ドラマ】 あすなろ三三七拍子 |
ホンマでっか!?TV | とんねるずの みなさんのおかげでした |
金曜プレステージ | 土曜プレミアム | ワンダフルライフ |
22 時 台 |
SMAP×SMAP | 【関西テレビ制作 火曜夜10時枠の 連続ドラマ】 GTO (リメイク版第2期) |
【フジテレビ 水曜10時枠の 連続ドラマ】 若者たち2014 |
【木曜劇場】 昼顔 平日午後3時の 恋人たち |
Mr.サンデー |
スタジオ
臨海副都心
台場・FCGビル(フジテレビ本社ビル)
テンプレート:See also 竣工当初は自社所有のビルであったが、2008年10月1日以降は、フジ・メディア・ホールディングスがビルを所有し、それに入居している形となっている。土地は東京都からの賃貸である。
- V1スタジオ(3階 100坪)
- V2スタジオ(3階 150坪)
- V3スタジオ(3階 120坪)
- V4スタジオ(3階 300坪) - 毎年7月の『FNS27時間テレビ』のメインスタジオ
- V5スタジオ(3階 210坪)
- V6スタジオ(6階 100坪)
- V7スタジオ(6階 70坪)
- V8スタジオ(メディアタワー9階 90坪)
- V9スタジオ(メディアタワー12階 100坪)
- V10スタジオ(メディアタワー14階 17坪)
- VGスタジオ(メディアタワー18階)
スタジオ内にあるテレビカメラは、全てハイビジョン対応(1997年3月10日の運用開始当初から)。しかし、サブ周りの機器は一部河田町からの移設やSD対応機材だったため、その「HD非対応」スタジオについては段階的にHD対応に移行。
建物は、低層部については公開スペースを1階に設け、スタジオを3階に設置するという珍しい構造で、高層部については「オフィスタワー」と「メディアタワー」の2棟を中央3フロアに合計6本ある渡り廊下(コリドール)が繋ぐ構造となっている。
かつてはメディアタワー棟22階〜24階に、系列ラジオ局であるニッポン放送の本社が入居しており、ラジオスタジオを構えていた。その後、2004年9月6日にかつて本社があった千代田区有楽町に再移転し、9月13日より全業務を開始した。
青海・フジテレビ湾岸スタジオ
- M1スタジオ(313坪)
- M2スタジオ(313坪)
- M3スタジオ(201坪)
- M4スタジオ(201坪)
- D1スタジオ(318坪)
- D2スタジオ(319坪)
- D3スタジオ(204坪)
- D4スタジオ(204坪)
都内に分散する番組収録スタジオ(渋谷ビデオスタジオ、フジテレビ砧スタジオ〔TMC〕等)を統合・集約する事により、作業効率・費用効率の向上、企画から収録・編集・放送までの一貫したコンテンツ制作体勢の構築を目的として建設された。
テレビスタジオは8つあり、総床面積は5459 m²。HDフルデジタルシステムを導入し、台場本社とは光ケーブル等で大容量の双方向回線で結ばれている。また台場本社と異なり、展示ギャラリー・ショップ等がある1階と屋上の公開エリア以外の建物内は一般人の立ち入りが完全に規制できる。屋上緑化や壁面を二重構造にするなどして従来のスタジオよりもエネルギー消費量を約2割削減して省エネルギー化をはかり、また敷地内に1万本以上の樹木を植樹するなどして環境に配慮した設計になっている。
『2007年のFNS27時間テレビ』で行われた『クイズ!ヘキサゴンII』スペシャルで、生放送としては初めて使用された。また、施設名が正式決定していなかったため「フジテレビ新スタジオ」として紹介した。
その他
- スタジオアルタ(新宿区)
- ダイビル所有の貸スタジオ。フジテレビは『森田一義アワー 笑っていいとも!』(『笑っていいとも!増刊号』)収録のために借りていた。
- 大手町取材センター(千代田区大手町)
- 国会記者会館(千代田区永田町)
- 政治ニュースの取材拠点であり、会館の周辺には首相官邸などの重要施設が集中している。オフィス内に中継用の簡易スタジオがある。
- 東証アローズ(中央区日本橋兜町東京証券取引所 東証アローズ・メディアセンター内)
- 東証アローズの一角にあるメディアセンター内に設けられたミニスタジオで、フジテレビ専用ブースから中継ができる。市場を管理しているマーケットセンターのグラスシリンダー部全体が見渡せるようになっている。
かつて存在したスタジオ
- 新宿支局(フジテレビ第一別館)(新宿区市谷仲之町)
- 本社が台場という埋立地にあることによるアクセスの特殊性を考慮し、旧本社敷地付近にある第一別館に報道の取材拠点を設置し、簡易スタジオの常設他、中継車も常駐していた。建物は河田町本社時代のものをそのまま使用しており、通り沿いにある看板も「フジテレビ第一別館」のままであった。2009年、同支局の廃止に伴い建物は解体され、跡地はマンションになる。同支局の閉鎖で、フジテレビを含むフジサンケイグループの企業は河田町エリアから完全撤退となった。
- 新宿・河田町本社(フジテレビ旧本社ビル)(新宿区河田町)
- 1959年3月1日の開局時から1997年3月9日までフジテレビの本社であった。局舎はメインビル、タワービル、グランドスタジオの3つの建物があり、メインビルとグランドスタジオは地下1階地上4階建て、タワービル棟は地下2階地上13階建てで、敷地入口には各々へのルートを示す看板が設置されていた。南側玄関口に設置された電波をイメージするモニュメントは野外ロケや情報番組のオープニングや天気予報中継などで見られ、東京女子医大病院側の通りには通称凱旋門と称される正門があり、本社側位置に多数の8マークロゴのオブジェ、メインビル入口に大きな壁画などが装飾されていた。
- 1959年開局時点はメインビル棟を含む第1〜第5スタジオが、1968年2月にはグランドスタジオ棟を含む第6スタジオとメインビル棟の第7・第10スタジオが、開局10周年の1969年には第9スタジオを含むタワービルが完成した。
- メインビル前に社員向用有料駐車場や車庫があり、これを「満車」表示にして『FNS27時間テレビ』にビッグ3が車庫入れする放送がなされた。また、メインビル棟、グランドスタジオ棟の裏側からは商店街へとつながる階段があった。(現在でも残っている。)
スタジオ一覧
- 第1スタジオ - メインビル棟1Fに設置(120坪)
- 第2スタジオ - メインビル棟1Fに設置(120坪)
- 第3スタジオ - メインビル棟1Fに設置(120坪)
- 第4スタジオ - メインビル棟1Fに設置(120坪)
- 第5スタジオ - メインビル棟1Fに設置(120坪)
- 第6スタジオ - グランドスタジオ棟1Fに設置(250坪)
- 第7スタジオ - メインビル棟1Fに設置(120坪)
- 第9スタジオ - タワービル棟1Fに設置(76坪)- 1984年までは報道用スタジオ、1988年からはプロ野球ニュースのスタジオ。
- 第10スタジオ - メインビル棟1Fに設置(120坪)
- スタジオは各フロアとも低層部に設置され、その上に副調整室というスタイルとなっていた。
- 1984年以降、『FNNスーパータイム』の放送開始に伴い第7スタジオと第9スタジオで機能を交代し、1997年の台場移転まで続けられた。
送信所
主な中継局
アナログ放送概要
2011年7月24日廃局。
2010年6月までは放送区域は、本来は沖縄県の放送対象地域である大東諸島が含まれたが、セーフティネット導入に伴いそちらへ移行した。これは系列局の沖縄テレビが、大東諸島に中継局を設けていなかったため。沖縄県内他局も同様。
- コールサイン:JOCX-TV
- チャンネル:8ch(東京) なお、フジテレビの送信chといえば8チャンネルのイメージが強いが、日本国内で最初にアナログ放送の送信chに8chを使用したのは同局(フジテレビ)ではなく、福岡のRKB毎日放送(関門局・JOFO-TV)である。
- 日本のテレビ放送局で親局に8チャンネルを使うのはフジテレビ系列では本局と関西テレビ放送・沖縄テレビ放送が、NHK総合テレビでは山形・新潟・宮崎の各放送局が、NHK教育テレビでは盛岡・金沢の各放送局が、日本テレビ系列では高知放送が、TBS系列では先述のRKB毎日放送(関門局)がそれぞれ使用していた。
- 映像出力:50 kW
- 音声出力:12.5 kW
- 主な中継局
- 東京都
- 八王子※ - 31ch
- 多摩※ - 55ch
- 新島 - 58ch
- 父島 - 57ch
- 母島 - 58ch
- 大井町※ - 74ch
- 茨城県
- 水戸 - 38ch
- 日立 - 58ch
- 常陸鹿嶋 - 41ch
- 栃木県
- 宇都宮 - 57ch
- 群馬県
- 前橋 - 58ch
- 桐生 - 35ch
- 利根 - 57ch
- 埼玉県
- 秩父 - 29ch
- 児玉 - 57ch
- 千葉県
- 銚子 - 57ch
- 成田 - 57ch
- 館山 - 58ch
- 神奈川県
- 横浜みなと※ - 58ch
- 横須賀久里浜 - 37ch
- 平塚 - 39ch
- 小田原 - 58ch
- 山下町※ - 75ch
- 沖縄県
- 北大東 - 46ch
- 南大東 - 58ch
全96中継局
※はその中継局周辺でも東京(VHF)8chを視聴する場合が多かった、受信感度により視聴される。他局の同位置にある中継局も同様。
中継局から受信する場合でも8にプリセットされていた。
区域外再放送
山梨県
- 上野原ブロードバンドコミュニケーションズ
- 河口湖有線テレビ放送(ケーブルテレビ河口湖)
- 北富士有線テレビ放送
- 峡西シーエーテーブイ
- 峡東ケーブルネット(峡東CATV)
- ケーブルネットワーク大月
- 白根ケーブルネットワーク(白根CATV)
- 日本ネットワークサービス(NNS)
- 笛吹きらめきテレビ
- 富士川シーエーティーヴィ
- CATV富士五湖
- 北杜市有線テレビ放送施設(北杜市ケーブルテレビ)
- 山梨CATV
長野県・静岡県の各一部地域のCATV事業者は各県に系列局はあるものの激変緩和措置として、区域外再放送をアナログ放送終了後3年間(2014年7月24日まで)を限度として実施していた。 緩和措置の期間満了後は個別協議により次の通り継続実施する。
静岡県
- 伊豆急ケーブルネットワーク
- 東伊豆地区は2014年9月30日まで
- 熱海、伊東地区は2015年3月31日まで
キャッチフレーズ
コーポレート・スローガン
- 母と子のフジテレビ( - 1980年)
- 楽しくなければテレビじゃない(1981年 - )
- 夢・を・つ・く・る(1986年 - )
テレビの天気ループ
現在
番組
- めざましテレビ アクア
- めざましテレビ
- 情報プレゼンター とくダネ!
- ノンストップ!
- FNNスピーク
- スーパーニュース
- FNNスーパーニュース
- めざましどようび
テレビ放送以外
映画事業局
フジテレビは、テレビ局であると同時に日本最大級の映画製作集団であり、映画事業局(2004年2月19日時点のアーカイブ)が映画製作とテレビでの映画放送を行っている。
映画事業局は、劇場用映画を製作する「映画制作部」と、『土曜プレミアム』などテレビ等で放送する映画放映権の獲得交渉・宣伝を行う「映画調整部」の2セクションに分かれる。規模で言えば、既存の映画製作会社を凌ぎ日本でも最大級である。製作する映画のほとんどは映画制作部が主体となる。映画事業局は、同局々長である石原隆を中心に、関口大輔や臼井裕詞などの映画プロデューサーが所属。彼らが中心となり、企画から制作・配給契約・宣伝・DVD化・テレビ放送・海外セールスまでを同局が一括して管理している。配給は東宝系列で行われることが多い。
『踊る大捜査線』をはじめとして高い興行収入が見込める作品は、通常の番組への映画キャストの出演や関連特集番組の放送など、通常の番組を徹底して映画の宣伝に利用し、ドラマの視聴者を映画館に誘導して高い興行収入に結びつけるビジネスモデルを開拓。2000年代に多くのテレビ局映画を産む契機ともなった。
現在、フジテレビは同局が中心となり、株式会社GDH(アニメーション制作会社であるGONZOの持株会社)の株を第三者割当により10%取得して資本関係を結び、アニメ映画の共同製作(第一作は宮部みゆき原作、2006年夏公開の『ブレイブ・ストーリー』)を行っている。その一方で、『攻殻機動隊』シリーズで名高いアニメーションおよびCG制作スタジオProduction I.Gと共同で、有限責任事業組合フジ・IG・ラボ・フォー・ムービーズ(FILM。現 FILM有限責任事業組合)を設立。同組合専用のデジタルスタジオ「FIX STUDIO」を立ち上げ、同スタジオと米国の音楽制作プロダクションスカイウォーカー・サウンドのスタジオ間に専用の大容量ネットワーク回線「スカイ・リンク」を敷設し、日米で同時並行作業が可能な体制を整えるなど、劇場用実写・アニメーション映画の製作力向上に対して積極的な姿勢を取っている。
なお、2008年4月よりフジテレビ製作の映画はWOWOWが先行放映している。
フジテレビ製作映画
- 1969年
- 1971年
- 1982年
- 1983年
- フジサンケイグループの総力を挙げた宣伝とメディアミックスが行われた。フジテレビの番組に俳優や犬が次々と出演、バラエティ番組で連日取り上げるなど、フジテレビとニッポン放送で大々的なキャンペーンが行われ、公共の電波の私物化であるとの批判も起こった[32]。
- 1984年
- 1985年
- 1986年
- 1987年
- 1988年
- 1989年
- 1990年
- 1991年
- 1992年
- 1993年
- 1994年
- 1995年
- 1996年
- 1997年
- 1998年
- 1999年
- 2000年
- 2001年
- 2002年
- 2003年
- 2004年
- 2005年
- 2006年
- 2007年
- 2008年
- 2009年
- 誰も守ってくれない
- ヘブンズ・ドア
- ホノカアボーイ
- BABY BABY BABY! -ベイビィ ベイビィ ベイビィ-
- 劒岳 点の記
- アマルフィ 女神の報酬
- ホッタラケの島 〜遥と魔法の鏡〜
- TAJOMARU
- ヴィヨンの妻 〜桜桃とタンポポ〜
- サイドウェイズ
- 曲がれ!スプーン
- のだめカンタービレ 最終楽章 前編
- 東のエデン 劇場版I The King of Eden
- 2010年
- 踊る大捜査線 THE MOVIE3 ヤツらを解放せよ!
- THE LAST MESSAGE 海猿
- 座頭市 THE LAST
- サヨナライツカ
- シュアリー・サムデイ
- 東のエデン 劇場版II Paradise Lost
- LIAR GAME ザ・ファイナルステージ
- のだめカンタービレ 最終楽章 後編
- SP THE MOTION PICTURE
- ノルウェイの森
- 2011年
- 2012年
- 2013年
- 2014年
- シリーズ物(2001年 - )
事業部
イベント
イベントは事業部が主催している。
総合イベント
- 国際スポーツフェア(1984年 - 1992年、毎年4月29日 - 5月5日、国立代々木競技場)
- 夢工場(1987年 - 1988年、東京国際見本市会場・河田町駐車場ほか)
- LIVE UFO(1993年-1995年、毎年4月 - 5月、国立代々木競技場とその周辺)
- LIVE WORKS(1996年4月27日 - 5月6日、国立代々木競技場、渋谷ほか)
- お台場Do Donpa!(1997年7月19日 - 8月8日、お台場フジテレビ本社、ホテル日航東京など)
- KISS ME ODAIBA(1997年 - 2003年、12月 - 1月、お台場フジテレビ本社、ホテル日航東京など)
- フランスまつり(1998年4月29日 - 5月6日、お台場フジテレビ本社、ホテル日航東京など)
- P-kiesワンダーランド(1998年7月18日 - 8月31日、青海Q区画(現:ダイバーシティ東京所在地)、お台場フジテレビ本社)
- BANG×PARK(1999年7月20日 - 8月29日、お台場フジテレビ本社、ホテルグランパシフィック・メリディアン)
- お台場どっと混む! 〜o-daiba.com〜(2000年 - 2002年、7月中旬 - 9月初旬、お台場フジテレビ本社、ホテル日航東京など)
- お台場冒険王(2003年 - 2008年、毎年7月-8月、青海Q区画、お台場フジテレビ本社、ホテル日航東京など)
- 東京国際コメディフェスティバル(2003年4月 - 5月、2004年4月 - 5月)
- HOT☆FANTASY ODAIBA(2004年 - 2008年、毎年12月中旬 - 1月上旬、お台場フジテレビ本社)
- お台場学園〜文化祭〜(2005年 - 2008年、毎年4月末 - 5月上旬、お台場フジテレビ本社)
- お台場オトナPARK 〜素敵なオトナの3DAYS〜(2007年 - 、毎年11月連休、お台場フジテレビ本社)
- お台場合衆国 〜フジがやらねば誰がやる〜(2009年 - 、7月 - 8月、青海P区画、お台場フジテレビ本社など)
- お台場ラーメンPARK(2009年12月12日 - 2010年4月18日、お台場フジテレビ本社1階広場)
- このほか、河田町時代には毎年8月8日"フジテレビの日"に河田町本社の一部と駐車場を会場に『フジテレビまつり』が開催されていた。内容は本社内部見学ツアーや、駐車場に当時の番組のブースが設けられ物販が販売されたり、駐車場の仮設ステージ上で所属アナウンサー進行によるクイズ大会や、若手芸人・タレントが参加してのステージなど。なおこの日は、本社地下のレストランで一般の人でも食事をすることができた。
シルク・ドゥ・ソレイユ日本公演
テンプレート:See also 1992年より、FNS系列局との共催によって行われている。東京・原宿のビッグトップをはじめ、全国の各都市で開催されている。
- ファシナシオン(1992年)
- サルティンバンコ(1994年)
- サルティンバンコ2000(2000年 - 2001年)
- アレグリア(1996年)
- アレグリア2(2004年 - 2005年)
- キダム(2003年)
- コルテオ(2009年 - 2010年)
- クーザ(2011年 - 2012年)
- マイケル・ジャクソン:ザ・イモータル・ワールドツアー(2013年)
- オーヴォ(2014年 - 2015年予定)
なお、2008年 - 2011年に東京ディズニーリゾート(千葉県浦安市)内にあった常設劇場「シルク・ドゥ・ソレイユ シアター東京」および同劇場で開催されていた常設公演「ZED」は、オリエンタルランド (OLC) がシルク・ドゥ・ソレイユ社、ディズニー社との業務提携により主催するものであり、フジテレビは直接関わっていない。
主な役員・社員
社員
- 現在
- 過去
- 釜萢太郎(在職時から“TAROかまやつ”の名シンガーソングライターとしても活動。2011年に退職後し、音楽活動に専念)
- 五社英雄(元映画部長。退社後は映画監督へ転身。1992年逝去)
- 坂井義則(元陸上選手で、1964年東京オリンピック聖火リレー最終ランナー。2005年に定年退職)
- 澤雄二(報道局政治部、社会部、外信部記者などを歴任。元公明党参議院議員)
- すぎやまこういち(元ディレクター。退社後は作曲家へ転身)
- 妹尾河童(元美術スタッフ。退社後は舞台美術家へ転身)
- 俵孝太郎(元同局ニュースキャスター。退社後は政治評論家へ転身)
- 長島一由(報道センター政経部記者などを歴任。前逗子市長、元民主党衆議院議員)
- 三宅雪子(元衆議院議員)
- 横澤彪(プロデューサーとして『森田一義アワー 笑っていいとも!』や『オレたちひょうきん族』などを手掛けた。退社後は吉本興業東京支社長、同社相談役などを歴任。2011年逝去)
- 吉田正樹(ディレクター・プロデューサー、3代目いいとも青年隊(スタッフ隊)。現在はワタナベエンターテインメント代表取締役会長、妻は同社代表取締役社長の渡辺ミキ)
役員
- 現在の役員及び主要幹部については編制上層部一覧#フジテレビジョンを参照。
- 過去
主なスタジオ技術系協力会社
系列局
系列放送局各社に関しては「FNN」および「FNS」の項目を参照。
関連衛星放送
- フジテレビ直営
- フジ・メディア・ホールディングスの子会社・関連会社
- BSフジ - 完全子会社
- サテライト・サービス - 非連結子会社
- 日本映画衛星放送(日本映画専門チャンネル・時代劇専門チャンネル) - フジテレビジョンが30%保有、持分法適用関連会社
- その他
マルチメディア放送
エリア放送
地上一般放送局の免許を受けワンセグエリア放送を実施している。主に『お台場合衆国』等のフジテレビ本社内で開催されるイベントに関する案内や、イベント以外ではお台場の観光情報(ショッピング、飲食、土産物)や番組情報を放送する。災害発生時には情報伝達手段としても利用される予定である[33][34]。
免許人 | 局名 | 識別信号 | 物理チャンネル | 周波数 | 空中線電力 | ERP | 業務区域 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
株式会社フジテレビジョン | フジテレビお台場エリア放送 | JOXZ3AT-AREA | 38 ch | 623.142857 MHz | 10 mW | 10 mW | 台場二丁目 フジテレビ本社周辺 |
番組制作姿勢に対する批判
テンプレート:出典の明記 並びは発生順。所属・役職については特記の無い限り、発生当時のものである。
報道
- 1998年11月29日 - 『スーパーナイト』で取り上げた隣人トラブルについて、片方の言い分だけを鵜呑みにし、相手方を一方的に非難した内容で放映した。それにより、非難された側の経営する会社が倒産に追い込まれ、娘の婚約が破談になるなどの報道被害を受け、BRC(放送と人権等権利に関する委員会)へ救済を訴えた。BRCはフジテレビの報道姿勢に対し、「人権への配慮が不十分で、放送倫理上問題があった」と認定した。
- 2002年10月25日 - 『FNN報道特別番組』として北朝鮮拉致被害者横田めぐみの娘とされているキム・ヘギョンの独占インタビューなどを放送した。放送途中からフジテレビやその系列局に「北朝鮮のプロパガンダに乗せられたのでは」などの抗議があったほか、救う会や家族会などが会見し批判した。
- 2003年8月13日 - 民放連の規定で取り扱わないとしている結婚相談所のコマーシャルを放送していることが判明[35]。フジテレビ広報部は「時代のすう勢に伴う判断だ」とコメントした[36]。
- 2004年6月 - 新潟県長岡市にある田中直紀参議院議員の選挙事務所前の民家を借り、事務所の様子を密かに撮影していたことが発覚し、田中議員と後援会が選挙妨害と盗撮だとしてフジテレビに損害賠償と謝罪を求めて新潟地方裁判所に訴状を提出した。2007年2月7日、新潟地裁で判決が下り、「撮影の目的自体は不当ではないが、正当な取材範囲を逸脱する違法なもの」としてフジテレビ側に36万円の賠償を命じた。
- 2006年5月4日 - 『FNNスーパーニュース』内で、中華民国(台湾)の国旗として五星紅旗(中華人民共和国の国旗)を掲載。中華民国政府の駐日代表処を含む、中華民国関係者の抗議を受けた。
- 2009年7月17日 - 『FNNスーパーニュース』にて、旅館の女将たちが不況下で奮闘する様子を紹介したが、宮城県の温泉旅館の女将が「売り上げが伸びない旅館という負のイメージを視聴者に与え、温泉街も暗いシーンばかりが編集されるなど事実に反する」として、謝罪などを求めた。これに対し、フジテレビは「取材に基く事実を伝えた」と主張したが、放送人権委員会による和解斡旋の末、「誤解を与えかねない表現を詫び、今後取材先との信頼関係を大切にして報道に取り組む」という内容の書面を女将に手渡し、和解が成立した。[37]
- 2009年9月26日 - CS放送の『フジアナスタジオ まる生2009』において、アナウンサーの長谷川豊が、『ニュースJAPAN』で交代した新キャスターについて「この間までやってた外人(滝川クリステルのこと)より、ずっと上手い」と発言した。これに対して、「外国人に対し差別意識を持っている」といった批判が寄せられた。番組責任者は「外人は不適切な発言であり、この発言が出たときにすぐに訂正すべきでした。番組の制作サイドも反省しておりまして、番組の視聴者や不快になられた方に本当に申し訳ない」とコメントを出した。
- 2011年3月12日 - 東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)に関する首相会見の中継の際に「ふざけんなよ。また原発の話なんだろ、どうせ」「笑えてきた」「くそだよ」という音声が流れた。放送から9日後の3月21日に、「音声機器のトラブルによるもの」で、「誤解を招くような発言が外に出たのは反省している」と広報部はコメントした[38]。発言者の公表はしなかった。
- 2011年8月24日 - 『情報プレゼンター とくダネ!』において、出演者の小倉智昭が島田紳助引退報道に関係するコメントで、暴力団による民事介入暴力を肯定する発言を行い、視聴者やインターネット上で批判の声が上がった。[39]
- 2012年9月27日 - 『情報プレゼンター とくダネ!』において、司会者の小倉智昭とコメンテーターの田中雅子が、安倍晋三の自民党新総裁選出に関するコメントで、安倍が2007年に潰瘍性大腸炎(厚生労働省指定の難病である)の悪化により首相を辞職した事を取り上げ、「子供みたいだ」などと揶揄し、当病患者を差別し茶化したとして、潰瘍性大腸炎患者をはじめ視聴者やインターネット上で批判の声が上がり、4日後の10月1日に小倉が番組内で謝罪する事態となった。なお、田中サイドはブログや公式サイトのトップページで不快な発言への陳謝を行ったものの、安倍本人に対する謝罪などは行っていない[40]。
- 2012年10月21日 - 『黒子のバスケ』のイベントに脅迫文が届いた事件を報道した際、イベント会場内を取材許可を得ずに無断撮影した映像を使用した。イベント主催者の「スタジオYOU」からの抗議に対し、フジテレビは会場敷地外からの撮影なので問題は無く、「報道のステップを踏んでいる」との見解から、フジテレビのウェブサイト上からの画像削除の要求も拒否した。これらの問題から、主催者側は弁護士に相談する運びとなった。また「スタジオYOU」は、問題なく終了したイベントを脅迫文に関連付ける形で報じる必要性ならびに、フジテレビがイベント参加者の画像をウェブサイト上から削除せず、理由も明かさないことから、無断撮影とともにプライバシー保護の観点からも問題視しており、弁護士に相談した。「スタジオYOU」は、今後、取材のあり方とプライバシーに対する報道のあり方に論点の比重を置き、フジ側に質していくとした。[41][42]
- 2013年2月 - 2012年のロンドンオリンピック柔道日本代表選考会後の代表発表会見において、補欠の選手が代表に選ばれた選手と同席するのは敗者への敬意と尊厳にかかわると問題視されていた。しかし、その後の吉村強化担当理事の話で「代表になった選手はいいが、補欠は嫌だろう」と交渉したものの、フジテレビ側が「どうしても」ということで決まったという経緯が明らかとなった[43]。
- 2013年7月5日 - 『情報プレゼンター とくダネ!』にて、大阪市の住宅設備機器販売会社『エステート24ホールディングス』社長が、インターネットで「詐欺師」や「逮捕」といった「事実無根」の中傷をされたとして恐怖体験を語った。しかし、10月18日にみずほ銀行から融資金をだまし取ったとして詐欺容疑で実際に逮捕されたため、本当に「事実無根」だったのか疑わしい事例となった[44]。
ドラマ
- 2006年5月 - 『トップキャスター』の第3話の内容に関して、細木数子から「ドラマに登場した『女性占い師』は明らかに自分をモデルにしており、名誉毀損に当たる」として抗議を受けた。その結果、11月に発売したDVDでは第3話がカットされた。
- 2011年8月7日 - 『花ざかりの君たちへ〜イケメン☆パラダイス〜2011』第5話において、前田敦子演じる主人公が、「LITTLE BOY」という文字の入った黄色のTシャツを着用していた。これに対して、「LITTLE BOY」が第二次世界大戦中にアメリカ軍が広島市に投下した原子爆弾のコードネームに、黄色がウラン精鉱(広島型原爆や核燃料の原料)を意味する「イエローケーキ」に通じること、さらに、放送日が広島原爆忌(8月6日)の翌日であったことから、配慮が足りないと指摘された。読売新聞の報道によると「不謹慎だ」とするメールや電話などが、広島県に約130件、広島市に約150件あり、広島県がフジテレビに対して配慮の申し入れを行った[45]。
- 2011年9月8日 - 『それでも、生きてゆく』にて、「JAP18」という表記のある架空の雑誌が画面に映りこんでいたが、JAPが日本人を差別する言葉であり、『18』の韓国語での発音が同言語での卑語の発音に似ていることから、批判の声がネットに上がった[46]。
- 2012年2月 - 同年4月期放送予定の連続ドラマ『家族のうた』が、1987年にTBSで放送された『パパはニュースキャスター』と設定が似ていると一部報道で指摘された。フジテレビ社長・豊田皓は同月24日の定例会見にて、フジテレビ編成制作局のドラマ担当責任者とプロデューサーが、2月20日に『パパはニュースキャスター』の脚本・伴一彦とプロデューサー・八木康夫と直接会い話し合いをもったことを明かし、「模倣や盗作といわれるのは本意ではない。ご指摘の部分にはアレンジをする、直すなど現在、検討している。」とした。同作は予定通り同年4月期に放送された。
- 2012年10月26日 - 『海猿』の原作者の佐藤秀峰が、フジテレビ制作で映画・ドラマ化された同作に関係して、「関連書籍が著作権者(すなわち佐藤)との契約書なしでフジテレビにより無断販売された」とTwitter上で暴露した。また、以前に、フジテレビが佐藤の事務所へアポ無し取材をして傍若無人な振る舞いを行ったが、謝罪を受けたため穏便に済ませた一件があったことも明らかにした。フジテレビは佐藤に直接会って謝罪したいとしていたが、佐藤は「フジテレビは信頼できない企業であることから、もう会う気は無い、関わることも無い」とした[47]。
- 2013年3月14日 - 東日本大震災をテーマとした『最高の離婚』で、小道具の名刺に書かれているメールアドレスが「tsunami-lucky」となっており、この名詞の所持者の「都並達也」の名前部分を逆読みすると「津波やった」と読めること、また、放送日が震災発生日に近い日付であったことから不謹慎であるとの声があがった。なお、「都並達也」はいわゆる「チョイ役」であり、この名前やメールアドレスをあえて設定する意味はない[48]。
バラエティ
- 1991年10月31日 - 『とんねるずのみなさんのおかげです』において、盲腸で入院していた木梨憲武が亡くなったような演出を行い、抗議の電話が殺到した。
- 2003年 - 『ネプリーグ』(深夜時代)において、通行人の持ち物をひったくってその被害者と競争するといった企画があり、番組内でラグビーの日本代表ユニフォームを着ていたことから、ラグビー協会が抗議、フジテレビ側が謝罪した。
- 2003年8月13日 - 『ワンナイR&R』内のコント「ジャパネットはかた」において、福岡ダイエーホークス監督・王貞治の顔を模した便器「王シュレット」を販売するという内容を放送した。これに対して同球団と王貞治本人が激怒し、地元局であるテレビ西日本(TNC)を含め、フジテレビ系列の取材を一切拒否した。後日、フジテレビは放送上などで謝罪するが、同年の日本シリーズでの放送権を剥奪され、またコーナー名、商品名のパロディ元と思われる通信販売業のジャパネットたかた、ウォシュレットを製造しているTOTOからも「あまりに良識の範囲を超えている」と抗議された。またこの日の放送では、和光堂の粉ミルク「ぐんぐん」を妊婦に扮した出演者にかけるというコントも放送しており、これに対しても視聴者から「育児に不可欠な粉ミルクを軽率に扱うとは何事か」などの苦情が殺到し、和光堂からも「企業イメージを損ねた」として抗議された。
- 2005年11月 - 『幸せって何だっけ』内で、細木数子が養鶏場で生産される鶏卵について「薬漬けのニワトリが24時間照明を点けられて一日2,3個の卵を産まされている」と発言し、養鶏業者団体から猛抗議を受けた。これを受けフジテレビは後日養鶏業者団体に謝罪し、番組内で細木自らが養鶏業者に出向いた。
- 2006年10月4日 - 『VivaVivaV6』内の罰ゲーム「浜辺の清掃」の撮影準備と称して、フジテレビスタッフが神奈川県鎌倉市腰越海岸に持参したゴミをまき散らした。住民に見咎められトラブルとなった。
- 2007年1月10日 - 同月6日に放送された『めちゃ×2イケてるッ!中居&ナイナイ日本一周健康の旅スペシャル』の内容に日本高等学校野球連盟が抗議文を送付。また、番組制作に協力した兵庫県西宮市の旅館を、甲子園大会時の指定宿舎から外す方針(後に復帰している)も決めた。
- 2011年7月 - 『FNS27時間テレビ』の番組内企画「復興スマイルライブ」の開催にあたり、東日本大震災からの復興のために自費で被災地を訪れたボランティアが、フジテレビスタッフの指示により、会場設営に動員させられた[49]。参加者からは「何でテレビ局の仕事を手伝わされるんだろうね」との声があがった[49]。フジテレビは、番組のためではなく、同場所で行われた地元主催の「復興市」の一環だと主張している。
- 2013年2月25日 - 『森田一義アワー 笑っていいとも! 』の「曜日対抗いいともCUP」において、雛人形をかたどったパネルを的にして扇子で当てて倒すというゲームが行われたが、「日本の伝統工芸を侮辱しており、不謹慎だ」という意見や「天皇・皇后両陛下を表す『お内裏様』・『お雛様』を倒すのは天皇家への侮辱だ」などの非難・抗議が殺到した。抗議の様子を動画配信している放送事業者もある[50]。これを受け28日からは点数パネルに変更した。3月1日のコーナー終了後にアナウンサーの生田竜聖が、「皆様が大切にされている雛人形を的にするという演出は配慮が欠けていました」と謝罪した[51]。
- 2013年7月3日 - 『ドラゴンレイディ』の放送について、VTR出演した俳優の藤岡弘、が、オフィシャルブログにて「名誉棄損ともとれる、事実と異なった放送がありました」と表明した。この表明に対して、フジテレビは、オフィシャルサイトにて「バラエティ番組『ドラゴンレイディ』藤岡弘、氏ご出演VTRに関する訂正とお詫び」と題した謝罪文を8月23日に掲載した[52]。
韓国偏向
- 2008年12月15日 - 『情報プレゼンター とくダネ!』にて「浅田真央逆転Vも… キム・ヨナ“実力”に差」という題で、視聴者に「浅田真央よりもキム・ヨナのほうが実力が上」と感じさせる内容を放送。大きな反発を招いたため、18日に同番組内で情報に誤りがあったとして訂正及び謝罪を行った[53]。
- 2010年10月4日・5日 - 『すぽると!』において、同月12日に韓国のソウルで行われたサッカー親善試合・日本代表対韓国代表戦について、2日連続で「韓日戦」と放送。視聴者やネットで批判を受けた。広報部によると、FIFAの公式表記をもとにホームとアウェーを明確にするため以前からホームチームを先に表記していたとのこと[54][55]。6日からは「韓国戦」に修正し、以降はどちらがホームでも韓国戦としており、2011年8月の日本がホームの対韓国代表戦でも韓国戦であった。
- 2011年8月 - 上記の放送等により、報道姿勢が韓国偏向ではないかと言われることもあったが、同年7月23日に俳優高岡蒼佑がTwitterで「8は今マジで見ない。韓国のTV局かと思う事もしばしば。」といった発言をしたことをきっかけに、8月7日と21日の2度にわたりフジテレビ本社周辺でデモが行われる事態となった(ただし、高岡はデモには関与せず。また、7日は警察のデモ許可を取ってなかった為『散歩』『21日に向けたミーティング』と称している。)。7日は主催者発表で2500人[56]、週刊新潮によれば600人[57]、21日は主催者発表で約4000人[58]から6000人[59]、8000人と伝えるメディアもあった[60][61])、警察発表で3500人[62]の抗議デモが行われた。警察集計では、2回あったデモの合計人数は延べ5300人[63]。このデモは韓国など日本国外メディアでも報じられたが、フジテレビは報道しなかった[61]。
やらせ・捏造
- 1999年 - 『愛する二人別れる二人』の出演者が遺書でやらせを告白し、自殺した。スポンサーが降板を申し出たために番組は打ち切られた。
- 2005年9月 - 『めざましテレビ』内のコーナー「めざまし調査隊」で、やらせがあったことが発覚。やらせを行ったフリーのディレクターとの契約は打ち切られ、コーナーも打ち切られた。また、管理責任を問われ情報制作局長を減俸、情報制作センター室長を減給処分とした。
- 2008年1月21日 - 2007年に放送された『FNS27時間テレビ』内の企画において、霊能者江原啓之の霊視の結果と編集された放送内容に対し、霊視を受けた人物から抗議を受け、BPOから「非科学的」「出演者への配慮を欠く」と改善意見を受ける。フジテレビは出演者に謝罪し、後日フォローする番組を放送する。また同時に、番組で取り上げるきっかけとなった投稿の手紙がやらせであり、霊視会場にいた観客の過半数がサクラであることも発覚した。
- 2010年1月 - 2007年6月19日放送の『世界びっくり人間!ニッポン(珍)滞在記』でやらせがあったと、出演した大家族の母親がブログ上で告発した。フジテレビは「取材や内容に問題はなかった(中略)結果として配慮が十分でなかった」と事実上謝罪した。
- 2010年3月12日 - 金曜プレステージ『熱血教師スペシャル第1夜「居場所をください 〜愛と涙の密着1000日〜」』で、15歳の少年を紹介する映像に対し時系列上の矛盾が指摘され、被取材者である教員・天宮一大の個人ブログに『やらせではないか』とのコメントが書き込まれた[64] 。19日、天宮はフジテレビに対し抗議・問い合わせをしたことを同ブログで明らかにし、『新・週刊フジテレビ批評』(2010年3月20日放送)にて、この件が扱われると発表した[65]。
- 2013年2月5日放送の『全日本温泉宿アワード2013』において、生放送中の視聴者の電話投票による温泉宿のナンバー1がやらせであることが発覚している。[66]
- 2013年10月20日に放送された『ほこ×たて 2時間スペシャル』における「スナイパー軍団vsラジコン軍団」が、スナイパーが銃弾を命中させて勝利したという番組の内容であったが、対決の順番を変更されるなど意図的に編集側が内容に手を加えたとする「捏造」があったことが、出演したラジコン操縦者による抗議文の掲載により発覚した。フジテレビは不適切な演出があったことを認め、全放送回の内容を確認するとして当面の放送自粛を発表した[67]。さらに、2012年10月21日に放送された『絶対に捕まえられないラジコンカーvsどんな物でも捕まえる猿軍団』においても、猿を糸で結ぶことによってあたかも猿がラジコンカーを追いかけているように見せる細工をするようスタッフに強要されたことも出演者の指摘で発覚した[68]。その後、11月1日に番組打ち切りが発表された。フジテレビ社長の亀山千広は同年11月29日の定例記者会見において「過剰な『演出』で、あってはいけない行為だった」と謝罪したが、「撮影前から勝敗が決まっていたわけではないので『やらせ』には当たらない」とコメントした[69]。
- 上記の問題で放送見送りとなった『ほこ×たて』の代替として2013年10月27日に放送された『美川・はるな愛のぶらり旅 長瀞へSL列車で行っちゃいました。松茸もあるヨSP』においても、画面が左右反転して日本国内なのに道路を車が右側走行をしている映像が使用されており、「制作側が『こういう画がないとダメ』とゴールを決めて融通が利かなくなっている」点が『ほこ×たて』と同様であると指摘する匿名テレビ業界関係者のコメントがマスコミで紹介された[70]。
利益相反・電波の私物化
- タイムCM・スポットCMとは別に、番組内で自社製作の映画[32]や自社のイベント・商品、関連会社が権利を有する楽曲[注 2]などを大々的に取り上げることや、番組内で頻繁に他の番組の宣伝を行うことには、公共の電波の私物化であるとの批判もある[71]。
放送事故・不祥事
テンプレート:出典の明記 発生順。所属については特記のない限り、発生当時のものである
番組出演中の事故
- 1993年6月24日 - バラエティ番組『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』の収録中に香港のロックバンドBEYONDの黄家駒がセットから転落、頭部を強打して重体(急性硬膜下出血、頭蓋骨骨折、脳挫傷)となり、6日後に死亡した。なお、この事故では内村光良も転落して全治2週間の打撲傷を負っている。黄家駒の死亡を受けて、番組は打ち切られた。
- 1998年9月2日 - 『めざましテレビ』の生放送中、災害時に高所から脱出する避難器具の体験リポートを行っていたフジテレビアナウンサー菊間千乃がマンション5階(地上約13m)の窓から落下、全治3か月の重傷(腰椎圧迫骨折)を負った。
- 2003年 - 深夜番組『退屈貴族』に出演した高齢男性に「火渡りに挑む日本のランボー」と銘打って、灯油を振りかけた藁に火を付け、パンツ1枚の格好で火渡りをさせ、下半身の3割にも及ぶ大火傷を負わせた。数年後、男性は火傷が原因の腎不全により死亡した。なお、この男性が認知症であった可能性も指摘されている[72]。
- 2010年7月26日 - バラエティ番組『オレワン』の企画でソリを使ってプール上の発泡スチロールに着地する競技の収録中、お笑いトリオ我が家の杉山裕之が左肩関節を脱臼骨折するけが、さらにお笑いコンビハイキングウォーキングの松田洋昌が左肋骨を骨折するけがを負う[73]。その5日後、同番組の企画で全身にローションを塗って滑る競技の収録中、お笑い芸人の陣内智則が肋骨にひびが入るけがを負う[74]。これらを受け、同年8月22日に予定されていた『オレワンSP』の放送は中止された。
- 2012年2月2日 - バラエティ番組『とんねるずのみなさんのおかげでした』の収録中、お笑いコンビずんのやすが新潟県内のスキー場のゲレンデを水上スキー用のゴムボートで走行、スピードが出過ぎていたため雪で作った停止点で止まることができず、その先のトタンに腰を強打、腰の骨を折るけがを負う[75]。
- 2014年5月20日 - バラエティ番組『めちゃ×2イケてるッ!』のリハーサル中、アイドルグループAKB48のメンバー・木崎ゆりあが左手首を骨折するけがを負う[76]。
関係者の不祥事
- 1999年 - 美容師の腕を競わせる番組『シザーズリーグ』に出演していた「カリスマ美容師」が、無免許であることが発覚した。同番組のプロデューサーは、制作会社からの制作費のキックバックを受けていたことなどが発覚し退社。その後、金融業者・無免許美容師・美容院を恐喝し逮捕された。
- 2005年11月14日 - ジャニーズ事務所所属のアイドルグループNEWSの未成年メンバーが仙台市内で泥酔し、トラブルを起こし補導された。その後、フジテレビアナウンサーの菊間千乃が、補導された同メンバーが未成年であることを承知で酒席に呼び出していたことが発覚。ジャニーズ事務所は同メンバーを無期限謹慎処分としてNEWSメンバーから外し、研修生に降格とした。一方、フジテレビは同アナに1週間の謹慎処分を下し、同アナの他、酒席に参加していた同局常務など10名の社員に減給減俸処分を下した。
- 2011年8月 - 「湾岸のテレビ局」勤務を名乗る人物が、「tss3116」のアカウント名にて、F1関連の非売品をヤフーオークションにて大量に出品していたことが明らかになり、横領疑惑が浮上した。『湾岸のテレビ局』がフジテレビを指すことは当該アカウントのブログから明らかであるが、フジテレビはコメントを一切出していない[61]。
- 2012年は伊藤利尋[77]らの交通事故やドラマプロデューサーの酒気帯び運転[78]、社員のタクシー運転手への暴行[79]、フジテレビ『スーパーニュース』の信号無視[80]など、交通関係のトラブルが多発した。
- 2012年6月 - 米・ニューヨーク支局勤務の長谷川豊が、滞在関連費用を不正使用していたことが発覚した。フジテレビは業務規定違反を理由に長谷川を降格処分としたが、すでに全額を返還していることから、刑事告訴はしないとしている。ただし、長谷川が自身のブログの中で、中傷メッセージをフジテレビが大量に送りつけてきたといった苦情を述べており[81]、解決はおろか関連報道[82]が継続している状態である。フジテレビ側はこれについて豊田社長自身が「とやかくいうことはない」[83]と関知せずの方針を示した。
- 2014年3月26日 - 当時フジテレビ社員だった杉尾敦弘(元ドラマプロデューサー)が、出向先の関連会社「ストーリア」で2011年秋頃から数度に亘って同社の運転資金約1億円を横領していた事が発覚。同社の資金管理は社長の杉尾が1人で担っており、当初は期末毎に穴埋めを行っていたため発覚されなかったが、最後は穴埋めする資金も底を突いたため、杉尾本人が同社の監査役に自白して発覚した。杉尾は2014年3月20日付で同社への出向を解かれ、事情聴取を経て3月26日付でフジテレビを懲戒解雇となった。ストーリアは杉尾の刑事告訴を検討している[84][85]。
脚注・出典
注釈
- ↑ 1978年の年間の全日視聴率は、総合テレビとTBSとが10.1%で同率1位であった。なお、この年(1978年)にはTBSが年間視聴率で3冠王を獲得している。
- ↑ フジ・メディア・ホールディングスの第73期有価証券報告書[1]には、映像・音楽事業について、ポニーキャニオンは「フジテレビジョンとの連携を強化する」と書かれているが、連携の形については具体的には述べられていない。
出典
参考文献
関連項目
- 目玉マーク
- BSフジ
- スタジオドリームメーカー
- フジテレビ青森支局(青森県内の報道取材のために設置)
- フジテレビ山形支局(山形テレビのネットチェンジにより、さくらんぼテレビジョン開局までのつなぎとして開設)
- フジテレビ甲府支局(山梨県内の報道取材のために設置)
- フジテレビ高知支局(高知県内の報道取材のため設置していたが、高知さんさんテレビの開局に伴い閉鎖)
- 愛のメッセージ(かつてのイメージソング)
- POP STOCK(江東区有明・東京ビッグサイト内のライブスペース。1996年のみ運営)
- リアリー?マドリッド(アナウンサーによるフットサルチーム)
- ガジェットちゃんねる
- ニッポン放送の経営権問題
- 芙蓉グループ
- ラヂオプレス(河田町時代の局内に事務所を構えていた)
- 放送持株会社
- フジテレビ関連ラジオ番組
- フジテレビサンデードラマチックモーニング(文化放送、一社提供スポンサー、2004年10月 - 2005年4月 毎週日曜日、現在は終了)
- とことん笑顔!きっかけ先生(ニッポン放送、一社提供スポンサー、2004年4月 - 2004年10月 毎週金曜日、現在は終了)
- 着ラジ(ニッポン放送、「着フジテレビ」スポンサー、現在は終了)
- フジテレビ20ミニッツ(ニッポン放送、冠スポンサー、現在は終了)
- ミューコミ(ニッポン放送、「サポーターズパーティ」月曜スポンサー、現在は終了)
- メダマ!?ラジオ(ニッポン放送、現在は終了)
- 開局!フジテレビラジオ→ザ・フジテレビラジオ(ニッポン放送)
外部リンク
- フジテレビ
- FNN-NEWS.COM
- テンプレート:Facebook
- テンプレート:Twitter
- フジテレビ番組動画 - YouTube
- フジテレビアラカルト - YouTube
- FNN NEWS - YouTube
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テンプレート:Odaiba area sights- ↑ フジネットワークの加盟局一覧にも、略称の表記がない。放送業界ではコールサインから略称を取ることはある。テレビ朝日のEX(「全国朝日放送」時代はANB)やテレビ東京のTXなど。日本テレビ放送網ではNTVが公に使われるが、AXを使うこともある
- ↑ 当時の朝日新聞縮刷版、フジ・メディア・ホールディングスの株主用決算報告書に記載。この年には、『ザ・ヒットパレード』が4月4日に、『ミュージックフェア』が5月1日にカラー化され、又テスト運用的ではあるが、『スター千一夜』も4月3日 - 5月8日の毎週月曜日の放送のみカラーとなった(同番組は翌年元旦から、一部例外を除きカラー放送となる)。
- ↑ フジ・メディア・ホールディングス 第68期報告書
- ↑ 東京放送(TBSテレビ)と同時。ただし、フジは芝送信所(東京タワー)内にある送信機器の都合上(送信機が当時、真空管式であったためにメンテナンスの時間を要したとされている)、完全な24時間放送ではなく、毎日30分から最大1時間程度の放送休止時間が設けられていた。しかし完全な停波ではなく、電波の送出は維持されていた(休止時間帯はカラーバーが放送されていた)。なお、芝送信所の送信機を更新した後は休止なしの完全24時間放送(終夜放送)に移行している。
- ↑ 「ソフトバンク・インベストメントがフジテレビ筆頭株主に」ITmediaニュース2005年03月24日 17時25分
- ↑ 東芝・日本SGI 「フジテレビジョンへの送出系放送基幹システムを順次納入」 東芝公式サイト内ニュースリリース、2008年12月25日。
- ↑ この番組&CM制作にあたり、スポンサーのパナソニックが3D関係の撮影、編集機材等を提供した
- ↑ 2010年9月5日までは、関東のテレビ局では唯一、冒頭に表示するアナログ放送終了のお知らせのテロップ表記や表示形態が、開始から一度も変更されていなかったが、常時表示開始に伴い変更された
- ↑ ほぼ同時期(1958年12月)に名古屋地区で放送を開始した東海テレビ放送は、名古屋放送局総合テレビが「3」で、名古屋放送局教育テレビの開局は遅かった(1962年開始)ため「1」を獲得できた
- ↑ フジメディアホールディングス 第68期レポート
- ↑ 『全記録 テレビ視聴率50年戦争―そのとき一億人が感動した』(引田惣弥・著、講談社、2004年、ISBN 4062122227、116頁)
- ↑ 同年のNHK総合テレビ『第53回NHK紅白歌合戦』が叩き出した47.3%を上回り、民放で初めて『NHK紅白歌合戦』の視聴率越えも果たした。
- ↑ 認定放送持株会社体制への移行に伴う会社分割及び商号変更について(フジテレビ公式リリース)
- ↑ これは、報道局の映像系システム全般の更新計画に伴うもので、これまでSDとHDが混在していたものをHDに統一することが主目的であるが、河田町時代から更新されずに来たワープロシステムも、この更新計画に沿ってHD対応の機材群へと更新されたものである(雑誌「放送技術」2011年1月号及び2月号より)。
- ↑ 更新後の機材にフォントが一通りセッティングされていなかったことが理由の一つと言われている。ただし、一部番組においては番組側の都合から、平成角ゴシック体が維持されている。
- ↑ ただし、関西テレビ制作の『にじいろジーン』は対象外で、2011年11月5日以降もモノラル音源で放送されている。
- ↑ 日テレをミタ!8年ぶり年間視聴率3冠 2012年1月3日 朝日新聞
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- ↑ 泣きっ面にハチのフジテレビ またもやBPO問題勃発 日刊ゲンダイ(2013年3月4日)
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- ↑ 「ほこ×たて」対決捏造で放送中止 出演者が暴露 中日スポーツ 2013年10月25日
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- ↑ フジテレビ、来月の株主総会が怖い! 不振の責任追及、「ドン」にも及ぶのか? - J-CASTニュース(2014年5月20日 19:11版)
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- ↑ 中川一徳『メディアの支配者』314~316頁
- ↑ この日の放送では、初代総合開発室長であり、台場移転時の社長である日枝久も出演していた。
- ↑ 報道番組とすぽると!では制作クレジット表示はなし。スポーツ中継などで系列局との共同制作となる場合「制作・フジテレビ、(地元系列局名)」、ないしは「制作著作・フジテレビ、制作協力・(系列局名)」とする場合もある
- ↑ フジテレビ以外の系列局が制作する番組(共同テレビが関与するものや東海テレビ制作の昼ドラマの一部など)でも、同様に放送局は「制作」のクレジットのみで、プロダクションが「制作著作」と表示されるものもある。
- ↑ 引用エラー: 無効な
<ref>
タグです。 「channel
」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません - ↑ 32.0 32.1 ザテレビジョン編『2000年のテレビジョン 放送メディア大激変のシナリオ』角川書店、1993年、p.20
- ↑ 『フジテレビお台場エリア放送』開局 - とれたてフジテレビ
- ↑ エリア放送を行う地上一般放送局の免許状況(詳細)関東総合通信局
- ↑ 民放連が定めた放送基準の第109条に「私的な秘密事項の調査を業とするものは取り扱わない」という規定があり、結婚相談所はこれに該当する(民放連「放送基準解説書」各年版による)。
- ↑ フジTV、民放連自粛の結婚相談所CMを放送 読売新聞 2003年8月13日
- ↑ 放送人権委員会 2009年度仲介・斡旋解決事案
- ↑ フジTVスタッフ、首相会見で 読売新聞(2011年3月21日)
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- ↑ 「フジテレビジョン無断撮影報道について」 - スタジオYOU
- ↑ フジテレビが無断撮影を開き直る?「黒子のバスケ」イベントに脅迫文が届いた報道で思わぬ余波 - livedoornews 2012年10月25日
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- ↑ ドラマのTシャツに原爆通称名、配慮申し入れ 読売新聞(2011年8月1日)
- ↑ フジテレビ「JAP18」表記の犯人捜し始まり特定される「セシウムさん」レベルの不祥事か? ガジェット通信(2011年11月11日)
- ↑ 「海猿」佐藤秀峰氏がフジテレビに怒りの絶縁宣言! 「信頼に値しない企業」 RBB TODAY 10月26日
- ↑ フジテレビが震災ドラマの小道具に「tsunami-lucky」と記載し物議にガジェット通信 2014年1月11日
- ↑ 49.0 49.1 被災地ボランティアのつもりが 「27時間テレビ」設営作業の怪 週刊朝日 2011年8月19日号
- ↑ 【電凸】「ひな人形を倒センス〜!」フジテレビの対応[桜H25/3/1 ]
- ↑ 「笑っていいとも!」が謝罪…ひな人形を的にする演出に「不適切」との声 シネマトゥデイ(2013年3月1日)
- ↑ フジテレビが藤岡弘、に謝罪…事実と異なる内容に藤岡側は「名誉棄損ともとれる」 シネマトゥデイ(2013年8月23日)
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- ↑ フジテレビやらせ?最初から仕組まれてた「全日本温泉宿アワード」1位旅館j-cast 2013年2月22日
- ↑ フジ「ほこ×たて」当面自粛…不適切な演出確認 読売新聞 2013年10月24日
- ↑ ほこ×たて、昨年も過剰演出…車と猿を糸で結ぶ 読売新聞 2013年10月26日
- ↑ フジ社長「ほこ×たて」打ち切りで謝罪「やらせでなく過度な演出」 スポニチアネックス、2013年11月29日
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- ↑ 陣内智則の肋骨にヒビ 我が家・杉山に続き『オレワン』収録中に負傷 ORICON STYLE、2010年8月10日。
- ↑ 「ずん」のやす 番組収録中に腰椎骨折の大ケガ スポーツニッポン、2012年2月3日。
- ↑ 木崎ゆりあ「めちゃイケ」で左手首骨折…全治3~4週間 スポーツニッポン、2014年5月22日
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- ↑ 「いっちゃおいっちゃお」と音声確認ガジェット通信 2011年8月23日
- ↑ いつの日か光照らせるときに僕に起きたことの全て 2013年04月18日
- ↑ 長谷川元アナ25日までに「真実」明かす日刊スポーツ 2013年4月9日
- ↑ フジテレビ豊田社長 : 長谷川豊元アナのブログ騒動に「とやかくいうことはない」まんたん 2013年04月26日
- ↑ フジテレビ関連会社元社長1億円着服 NHK NEWS WEB
- ↑ フジ元社員、出向先の会社資金1億円私的流用 懲戒解雇にスポニチアネックス 2014年3月27日