やす
テンプレート:Infobox お笑い芸人 やす(1969年11月18日 - )は、日本のお笑い芸人。コンビ・ずんのツッコミ担当。本名、藍木 靖英(あいき やすひで)。
来歴・人物
元々は「ヘーシンク」というコンビで活動していたが解散。その後2000年に飯尾和樹と「ずん」を結成、その地味さからその年のカンコンキンシアターのサブタイトルが「飯尾より地味なヤツ入りました」にされた。現在に至る。
当初は飯尾の単独活動が多かったためテレビ出演がほとんどなかったが、2004年元日放送の「平成あっぱれテレビ」(日本テレビ系)の芸人柔道王決定戦にて柔道二段の腕を披露して見事優勝し、そのとき同番組に出演していたさまぁ〜ずの三村マサカズが「ずんのやす!」と変な掛け声で煽ったことがきっかけで人気が出る。その後「内村プロデュース」(テレビ朝日系)に出演するたびにつかみネタにされている。ちなみに柔道は学生時代に九州大会で1位になる実績を残しており、大学にも柔道による特待生として入学している。
番組出演時に着用している柔道着には「ずんのやす トークライブ」と刺繍されている。店頭で「ずん」とネーム入れを頼む際に、ずんのトークライブのチラシを見ながら説明したため、店員が間違って「トークライブ」の部分まで刺繍してしまったとか。しかし結構高価な柔道着であるため泣く泣く着用している。
最近では爆笑レッドカーペット出演時の高橋克実のモノマネを行うこともある。
正月特番での芸人柔道大会で優勝して得たお年玉100万円を出演者に「縁起物ですから」と配ってまわり、先輩芸人には「奥様へ」と言ってやはり配ってまわったという逸話がある。[1]
2012年2月2日、フジテレビ『とんねるずのみなさんのおかげでした』の企画で新潟県内のスキー場での収録中にゲレンデを水上スキー用のゴムボートで走行、スピードが出過ぎていたため雪で作った停止点で止まることができず、その先のトタンに腰を強打、腰の骨を折るケガをした[2]。
全身麻痺で体は殆ど動かせず、一時は復帰も絶望視されていたが、その後、順調な回復を見せ2012年8月3日公演の舞台カンコンキンシアタークドい!にて仕事復帰することが所属事務所ホームページで告知された。2012年12月6日放送の『とんねるずのみなさんのおかげでした』のコーナー「とんねるずを泊めよう!」でテレビ出演の復活を果たした。以降は石橋貴明がやすを見て「誰だっけ?」ととぼけると、やすが「一番忘れちゃいけない人でしょ」と突っ込む流れが出来た。
柔道関連
フジテレビ『とんねるずのみなさんのおかげでした』内の「細かすぎて伝わらないモノマネ選手権」で、「空手技を試みるも失敗し、無理やりやろうとする師範代シリーズ」を演じ、好評を博している。第4回大会優勝者(選考理由は上記の刺繍のいきさつとの噂も)でもある。
テレビ朝日『虎の門』の柔道シリーズでは「サンタ柔道チャンピオン」「フレッシュマン柔道大会」「ケンカ柔道王」のいずれも優勝し、3連覇を成し遂げる。これは大会名に関したオリジナルの柔道着(例えばケンカ柔道王では特攻服を模したもの)を着用して柔道を行うというもの。ケンカ柔道王では他の出場者(つぶやきシロー・元猿岩石の有吉弘行・バッドボーイズの佐田正樹)はヤンキーのようなメイクをし、メンチ切りをしていたのだが、やすだけは「ケガのないようにしたいと思います」とにこやかに抱負を述べた。しかし、シリーズ第4弾となった「おばけ柔道大会」では、準決勝にてガリットチュウ福島に破れ、4連覇とはならなかった。
最近ではテレビ東京『やりすぎコージー』の「やりすぎ格闘王決定戦」で同大会2連覇の前歴を持ち、格闘家芸人の異名を持つバイキングのアキから勝利をおさめ、決勝戦で有酸素運動マンと対戦し勝利、同大会初制覇を果たしている。
たまに篠原信一のモノマネを行うことがある。テレビ朝日『お試しかっ!』で披露した際はタカアンドトシと関根勤にはウケたが、マイナーなせいか一般審査員の反応はイマイチだった。
主な出演番組
- 内村プロデュース(テレビ朝日系)
- 踊る!さんま御殿(日本テレビ系)
- とんねるずのみなさんのおかげでした(フジテレビ系)
- やりすぎコージー(テレビ東京系)
- コサキンDEワァオ!(TBSラジオ)
- ごきげんよう(フジテレビ系) - 当初は2014年2月13・14・17日の3日間、相方の飯尾のみゲスト出演予定だったが、飯尾がインフルエンザ感染で17日分放送分のみ欠席したため、代理出演。
- からみ!(ニコジョッキー)月1レギュラー
脚注
- ↑ 木曜Junk さまぁ〜ずの逆にアレだろ!?より
- ↑ 「ずん」のやす 番組収録中に腰椎骨折の大ケガ 2012年2月3日スポーツニッポン