五社英雄

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テンプレート:参照方法 テンプレート:ActorActress 五社 英雄(ごしゃ ひでお、1929年2月26日 - 1992年8月30日)は、東京都出身の映画監督脚本家。本名は読みを (ごしゃ えいゆう)。明治大学商学部卒業。ニッポン放送プロデューサー、フジテレビ映画部長、五社プロダクション社長を務めた。

人物・来歴

テレビドラマ『刑事』や『ジキルとハイド』ではプロデュースも担当。原作・脚本・監督とこなす映画監督でもあった。『ひらけ!ポンキッキ』の企画にも携わり、企画書を提出した人物でもある。テレビ時代劇三匹の侍』は放送後に映画化され、続編も作られた。

テレビ出身の映画監督の先駆けとして活動していくが[1]夏八木勲主演に据えた西部劇タッチのアクション時代劇映画牙狼之介』と『牙狼之介 地獄斬り』では[2]、斬られた時の効果音の開発や鉄身を使って刃引きはしてあるものの重量は真剣と同じものを使用[1]。夏八木は「鉄身は『パシャーン』といい音がして、火花が散ることもあった」と証言しており、それまでの様式美的な殺陣とは対極的なリアル感を表現していく[1]

1980年に銃刀法違反の容疑で逮捕され、フジテレビを依願退職。オファーされていた映画『魔界転生』の監督もなくなり[3]、妻にも逃げられた[4]。生活していくため「五社亭」という店名の飲み屋の開店の準備をしていたが、それを見かねた岡田茂佐藤正之の尽力により映画界に復帰した[5][6][7]。活動再開第1作が『鬼龍院花子の生涯』である。『鬼龍院花子の生涯』『陽暉楼』『』は、宮尾登美子とのコンビ作品で「高知三部作」とも呼ばれた。

1985年には五社プロダクションを設立。映画『世界最強のカラテ キョクシン』(1985年、極真映画製作委員会)の総監修や、映画『陽炎II KAGERO』(1996年、松竹・バンダイビジュアル)の脚本監修も手がけていた。後年、二代目彫芳の手により刺青を全身に彫ったことを娘に明かした。安藤昇とは親友。『新三匹の侍』の企画段階で、五社自ら安藤をレギュラーに推薦して起用した。

作品

テレビドラマ

※記述がないものはフジテレビで放送。

映画

監督

※は脚本を兼務

原案・脚本
  • 暴力街(1974年、東映)
  • 十手舞(1986年、松竹 / 五社プロダクション / 映像京都)
  • 陽炎2(1996年、バンダイ / 松竹) ☆脚本監修

参考文献

脚注

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関連項目

外部リンク

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  1. 1.0 1.1 1.2 テンプレート:Cite journal
  2. テンプレート:Cite episode
  3. テンプレート:Cite journal
  4. テンプレート:Cite episode
  5. キネマ旬報』2011年7月上旬号、p62-63
  6. 山口猛(編)『映画美術とは何か:美術監督・西岡善信と巨匠たちとの仕事』平凡社、2000年、p221
  7. 『映画界のドン 岡田茂の活動屋人生』 文化通信社、2012年、p172-181