菊間千乃

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テンプレート:半保護 テンプレート:Infobox 人物 菊間 千乃(きくま ゆきの、1972年3月5日 - )は、日本の弁護士第二東京弁護士会所属)、フリーアナウンサー。弁護士法人松尾綜合法律事務所所属。元フジテレビアナウンサー。弁護士活動以外はノースプロダクションが窓口。法務博士(専門職)

来歴・人物

東京都生まれ。身長160cm、血液型AB型。父親は八王子実践高等学校女子バレーボール部監督である菊間崇祠

小学校時代から、早稲田大学入学とアナウンサーになることを目指す。

光塩女子学院中等科・高等科早稲田大学法学部卒業[1]。早大の同じゼミの同期に、テレビ朝日下平さやかアナウンサーがいる[2]

イギリスへ留学経験があり、国際連合公用語英語検定試験(国連英検)B級と、実用英語技能検定(英検)準1級を持つ[3]

1995年4月、アナウンサーとしてフジテレビに入社。同期入社には伊藤利尋森昭一郎高木広子2011年退社)。

入社後は『森田一義アワー 笑っていいとも!』のテレフォンアナに抜擢されたのを皮切りに、『発掘!あるある大事典』、『2時のホント』、『FNNスーパーニュース』(スポーツキャスター)などの番組を担当、また、父の縁で全国高等学校バレーボール選抜優勝大会(春高バレー)、バレーボールワールドカップバレーボール・ワールドグランプリといったバレーボール中継のMCを担当するなど、マルチに活躍していた。

1998年9月2日、当時リポーターを務めていた『めざましテレビ』の「それ行け!キクマ」のコーナーで、災害時に高所から脱出する避難器具の体験リポート中にマンション5階(地上約13m)の窓から落下、地上のマットに叩きつけられ、全治3カ月の重傷(腰椎圧迫骨折)を負い入院した。翌年には現場復帰したが、リハビリは1年に及んだ。

2005年4月、ロースクール大宮法科大学院大学(夜間主)に入学。同年7月16日、バレーボール中継後に会社の同僚とともに当時未成年でNEWSのメンバーだった内博貴[4]と飲酒していたとして無期限謹慎処分を受けた。しかし同年7月21日の日刊スポーツによれば、実際には内は菊間不在の飲食店の席で飲酒をしており、その後別の飲食店で菊間と合流時にはすでに酩酊状態であった。[5]

アナウンサーの仕事と並行し、大宮法科大学院大学にて法律の勉強も進めていたが、弁護士を目指して新司法試験の受験勉強に専念するため、2007年12月31日をもってフジテレビを退社[6]

2009年3月、大宮法科大学院大学修了。

2010年9月に新司法試験に合格[7]司法修習(新第64期)を経て弁護士となった。弁護士としては企業法務を多く扱う事務所に所属し、知的財産権、倒産、マスコミ関連など幅広く手がけフジテレビの顧問弁護士も務める。渉外案件も多いため、留学も予定されている[8]

livedoor blogにて、「菊間千乃オフィシャルブログ」を開設。

2014年2月4日、早稲田大学の同級生の会社員と結婚したことを公表した。[9]

著書

  • 『私がアナウンサー』 (文藝春秋社刊)[10]
  • 『キクマの元気 幸せの生き方レシピ』 (講談社刊)
  • 『私が弁護士になるまで』(文藝春秋社刊)[11]

出演番組

フジテレビアナウンサー時代

退社・弁護士合格後

脚注

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関連項目

外部リンク

  • 卒論は取締役の競業避止義務について
  • 聞きたい!面接試験前までの準備 テレビ朝日・アナウンサーズ
  • 明日の法律家講座 東京校193回『私が弁護士になるまで〜アナウンサーから転身して〜』 講師:菊間千乃氏 伊藤塾
  • この事件を受けて所属していたNEWSを脱退。復帰後は俳優として活動。
  • 『菊間アナ飲んでいたのはケツメイシだった』日刊スポーツ、2005年7月21日。
  • 菊間アナがフジ退社、司法試験に専念 『スポーツニッポン』 2007年12月7日
  • 2010年新司法試験合格者 『西日本新聞』 2010年9月9日
  • 菊間千乃独占告白<弁護士デビュー>フジ涙の退社を乗り越えた私
  • 菊間千乃元アナが早大同級生と弁護士婚 『日刊スポーツ』 2014年2月5日
  • 事故の2年半後に出版。2003年には文庫化された。
  • 『私がアナウンサー』の事実上続編で、フジテレビ退社後弁護士に転身するまでを綴った。