ノルウェイの森
テンプレート:基礎情報 書籍 『ノルウェイの森』(ノルウェイのもり)は、日本の小説家・村上春樹の長編小説。また、それを原作とした映画作品。
概要
1987年9月、講談社から書き下ろし作品として上下二分冊で刊行された。1991年4月に講談社文庫として文庫化、2004年9月に文庫改訂版が出された(なお、単行本にはあとがきが付されているが、文庫版には掲載されていない)。
執筆はギリシャ、シチリア、ローマで行われた。そのため、引き続いてロンドンで執筆した『ダンス・ダンス・ダンス』と共に「異国の影のようなものが宿命的にしみついている」「結果として書かれるべくして書かれた小説」「もし日本で書zかれていたとしたら、(中略)これほど垂直的に「入って」いかなかったろう」と村上は『遠い太鼓』に書いている。1987年3月7日、早朝から17時間休みなしで第一稿を深夜に書き上げる。直後の日記に「すごく良い」とだけ書き記した。3月26日、第二稿完成。すべてボールペンで手書き。
学生運動の時代を背景として、主人公「僕」と、友人の恋人「直子」を軸に、様々な思春期の葛藤や人間模様、恋愛、喪失感などを巧みに描き、非常に広く読まれている。後述のように上巻は、片山恭一『世界の中心で、愛をさけぶ』に抜かれるまで、日本小説単行本の発行部数トップであった。
主人公の通っている「東京の私立大学」は村上の母校早稲田大学を、「主人公が入っていた寮」は入寮していた和敬塾をモデルにしている。なおこの作品は村上の実体験を基にした「自伝的小説」であるとも見られるが、本人はこれを否定している。
元となる作品として短編小説の「螢」(『中央公論』1983年1月号初出)がある。また、短編小説「めくらやなぎと眠る女」も本作にまとまっていく系統の作品だが、「螢」とは違って本作との間にストーリー上の直接の関連はないという[1]。
あらすじ
37歳の僕は、ハンブルク空港に到着した飛行機のBGMでビートルズの「ノルウェーの森」を聴き、激しい混乱を覚えた。そして18年前(1968年)の学生時代のことを回想した。
直子とはじめて会ったのは神戸にいた高校2年のときで、直子は僕の友人キズキの恋人だった。3人でよく遊んだが、キズキは高校3年の5月に自殺してしまった。その後、僕はある女の子と付き合ったが、彼女を置いて東京の私立大学に入学し、右翼的な団体が運営する学生寮に入った。僕のやるべきことは、あらゆる物事と自分の間にしかるべき距離を置くことだった。
(1968年)5月に偶然、直子と1年ぶりの再会をした。直子は武蔵野の女子大に通っており、国分寺のアパートでひとり暮らしをしていた。我々は休みの日に会うようになり、デートを重ねた。
10月、同じ寮の永沢と友だちになった。永沢は外務省入りを目指す2学年上の東大生だった。ハツミという恋人がいたが、ゲームのように女遊びを繰り返していた。僕も一緒に遊んで何人かの女の子と寝た。
翌年の4月、直子の20歳の誕生日に彼女と寝た。意外なことに彼女は初体験だったという。その直後、直子は部屋を引き払い、僕の前から姿を消した。7月になって直子からの手紙が届いた。今は京都にある(精神病の)療養所に入っているという。その月の末、同室の学生が僕に、庭でつかまえた蛍をくれた。
夏休みの間に、大学に機動隊が入り、バリケードが破壊された。僕は大学教育の無意味さを悟るが、退屈さに耐える訓練期間として大学に通い続けた。ある日、小さなレストランで同じ大学のミドリから声をかけられ、演劇史のノートを貸した。それからミドリとときどき会うようになった。
ミドリの家は書店だった。近所で火事騒ぎがあり、物干し場でビールを飲みながら火事見物をした。
直子から手紙が来て、僕は京都の山奥にある療養所まで彼女を訪ねた。同室のレイコさんに泊まっていくよう勧められ、3人で楽しく過ごした。直子のリクエストでレイコさんがギターで「ノルウェーの森」を弾いた。(以上、上巻)
ある日曜日、ミドリに連れられて大学病院に行った。そこには彼女の父親が脳腫瘍で入院していた。父親は数日後に亡くなった。
僕の20歳の誕生日の3日後、直子から手編みのセーターが届いた。冬休みになり、再び療養所を訪れ、直子、レイコさんと過ごした。年が明け(1970年)、学年末の試験が終わると、僕は学生寮を出て、吉祥寺郊外の一軒家を借りた。レイコさんからは、直子の病状を知らせる手紙が届いた。
6月、久しぶりにミドリに会うと、付き合っていた恋人と別れたと言う。ミドリは僕のことを好きだというが、直子への思いから一線は越えなかった。僕はミドリと直子の双方を愛していることをレイコさんへの手紙に書いた。
8月26日に直子は自殺し、葬儀の後で僕は行くあてもない旅を続けた。1か月経って東京に戻ると、レイコさんから手紙が届いた。レイコさんは8年過ごした療養所を出ることにしたという。東京に着いたレイコさんを自宅に迎え、直子の自殺前の様子を聞いた。レイコさんは直子の遺品の服を着ており、「ノルウェーの森」を2回弾いた。
翌日、旭川に向かうレイコさんを上野駅まで送った。僕はミドリに電話をかけ、君以外に求めるものは何もないと伝えた。
登場人物
- 「僕」(ワタナベトオル)
- 主人公。神戸の高校を卒業後、東京の私立大学文学部に進学。大学1年-2年は寮で生活。卒業後は文筆業に従事している[2]。
- キズキ
- 「僕」の高校時代の同級生で唯一の親友。直子も交えて3人で遊ぶことが多かったが、17歳の時、自宅のガレージでN360の排気ガスで自殺する。
- 直子
- キズキの幼なじみで恋人。神戸にあるミッション系の女子高校卒業後、東京の武蔵野のはずれにある女子大学に進学。キズキの死後は「僕」と会わなくなっていたが、中央線の車内で偶然再会し、交流を持つようになる。
- 突撃隊
- 「僕」が住む学生寮の同室人。国立大学で地図学を専攻しており、国土地理院への就職を希望。生真面目で潔癖症ゆえの数々のエピソードで「僕」や直子たちの心を和ませるが、予告もなく退寮する。
- 永沢さん
- 「僕」が住む学生寮の上級生。学籍は東京大学法学部。実家は名古屋で病院を経営。のちに外務省に入省。独自の人生哲学を持っている。『グレート・ギャツビー』を「僕」が読んでいたことから親しくなる。
- 「僕」の印象を「出会った人の中で最もまともな人間」だと語っている。二人でガールハントして、共に女性と寝る。
- ハツミさん
- 永沢さんの恋人。学籍は「とびきりのお嬢様が通う」東京の女子大。はっと人目を引く美人ではないが、上品な装いに、理知的でユーモアがあり穏やかな人柄で、永沢さんをして「俺にはもったいない女」と言わしめる。ビリヤードが得意。
- 緑
- 「僕」と同じ大学で同じ授業(「演劇論 II」)を受講。フルネームは「小林緑」。実家は大塚で書店を経営。
- レイコさん
- 「阿美寮」における直子の同室人。フルネームは「石田玲子」。かつてピアニストを目指していたが挫折し、3回にわたって精神病院に入院。「阿美寮」には8年間入所しており、患者たちにピアノを教えている。ギターも得意である。横浜に別れた夫と長女がいる。
装幀
装幀を村上自身が手がけた。赤と緑のクリスマスカラーでまとめた鮮やかな装幀が、日頃小説を読まない若い女性層の支持を呼び込み、売上に貢献したとされる[3]。最も売れた版には金色の帯が付けられたが、この金色の帯は村上の意図したものではなく、発売後しばらく経ってから出版社の意向で変えられたものである。もともと初版の帯は上下巻ともそれぞれのカバーとまったく同じ色(赤と緑)であり、金色の帯に変わったとき村上は日本にはおらず、もし相談されていたら断っていただろうと書いている。
帯文も注目された。村上自身が書いた「100パーセントの恋愛小説」というキャッチコピーについて本人は、「僕はそのときほんとうは『これは100パーセントのリアリズム小説です』と書きたかったのだけれど(つまり『羊』や『世界の終り』とはラインが違いますということです)、そんなことを書くわけにもいかないので、洒落っけで『恋愛小説』というちょっとレトロっぽい『死語』を引っぱり出してきたわけです」と述懐している[4]。2003年に講談社から出版された『ノルウェイの森 村上春樹全作品1979〜1989』第6巻には『100パーセント・リアリズムへの挑戦「自作を語る」』という副書が添えられている。
発行部数
単行本の発行部数は、2008年時点で上巻が238万部、下巻が211万部の計449万部、2009年8月5日時点で上下巻あわせて454万4400部。単行本・文庫本などを含めた日本における発行部数は2008年時点で計878万部[5]、2009年8月5日時点の増刷で1000万3400部[6]となり、1000万部越えを達成した。村上人気が高い中国でも100万部以上が出版されている[7]。上巻は、片山恭一の『世界の中心で、愛をさけぶ』に抜かれるまで、日本における小説単行本の発行部数歴代1位であった。『遠い太鼓』の中で、作品が売れ始めた頃は嬉しかったが、それが自分には想像不可能な人の数になるにつれて、むしろ自分は憎まれているような孤独を感じたと綴っている。
タイトルの由来
本書は、「雨の中の庭」というタイトル(ドビュッシーの『版画』より「雨の庭」(Jardins sous la pluie)から)で書き始められ、途中で「ノルウェイの森」というタイトルに変更された。題名に迷った村上が、妻に作品を読ませて意見を求めると、「ノルウェイの森でいいんじゃない?」という返答があったという。ビートルズの曲の題をそのまま本の題にするということで、本人は当初気が進まなかったというが、周りの「題はもう『ノルウェイの森』しかないない」という意見が多勢だったため今のタイトルとなった[8]。
また、村上自身は著書の中で、「ところでビートルズの”ノルウェイの森”というタイトルが誤訳かどうかという論争が以前からあって、これについて書き出すとかなり長くなります」とだけ述べている[9]。
翻訳
翻訳言語 | タイトル | 翻訳者 | 発行日 | 発行元 |
---|---|---|---|---|
英語 | Norwegian Wood | アルフレッド・バーンバウム | 1989年 | 講談社英語文庫 |
ジェイ・ルービン | 2000年5月18日 | Harvill Press(英国) | ||
2000年9月12日 | Vintage Books(米国) | |||
ドイツ語 | Naokos Lächeln | Ursula Gräfe | 2001年 | DuMont Buchverlag |
フランス語 | La Ballade de l'impossible | Rose-Marie Makino-Fayolle | 2007年 | Belfond |
イタリア語 | Tokyo Blues | ジョルジョ・アミトラーノ | 1993年 | Feltrinelli |
Norwegian Wood | ジョルジョ・アミトラーノ | 2006年5月6日 | Einaudi | |
スペイン語 | Tokio Blues, Norwegian Wood | Lourdes Porta | 2007年5月 | Tusquest Editores |
カタルーニャ語 | Tòquio Blues | Albert Nolla Cabellos | 2005年 | Edicions Empúries |
ポルトガル語 | Norwegian Wood | Alberto Gomes | 2004年 | Civilização Editora (ポルトガル) |
Norwegian Wood | Lica Hashimoto, Neide Hissae Nagae | 2005年 | Estação Liberdade (ブラジル) | |
オランダ語 | Norwegian Wood | Elbrich Fennema | 2008年9月 | Atlas |
デンマーク語 | Norwegian wood | Mette Holm | 2005年 | Klim |
ノルウェー語 | Norwegian wood | Ika Kaminka | 1998年 | Pax forlag |
スウェーデン語 | Norwegian Wood | Eiko Duke, Yukiko Duke | 2003年 | Norstedts |
フィンランド語 | Norwegian Wood | Aleksi Milonoff | 2012年 | Tammi |
アイスランド語 | Norwegian Wood | Uggi Jónsson | 2006年 | Bjartur |
ポーランド語 | Norwegian Wood | Dorota Marczewska, Anna Zielińska-Elliott | 2006年 | Wydawnictwo MUZA SA |
チェコ語 | Norské dřevo | Tomáš Jurkovič | 2005年 | Odeon |
ハンガリー語 | Norvég erdő | Nagy Mónika, Erdős György | 2008年 | Geopen Könyvkiadó Kft. |
ルーマニア語 | Pădurea norvegiană | Angela Hondru | 2002年 | Polirom |
スロベニア語 | Norveški gozd | Nika Cejan | 2005年 | Založba Sanje |
クロアチア語 | Norveška šuma | Maja Tančik | 2004年 | Vuković & Runjić, Zagreb |
セルビア語 | Норвешка шума | Nataša Tomić | 2007年 | Geopoetika |
ブルガリア語 | Норвежка гора | Людмил Люцканов | 2005年 | Colibri |
ギリシア語 | Νορβηγικό Δάσος | Μαρία Αγγελίδου | 2005年 | Ωκεανίδα |
ロシア語 | Норвежский лес | Андрея Замилова | 2003年 | Eksmo |
エストニア語 | Norra mets | Kati Lindström | 2006年3月 | Varrak |
リトアニア語 | Norvegų giria | Jūratė Nauronaitė | 2005年 | Baltos lankos |
トルコ語 | İmkansızın Şarkısı | Nihal Önol | 2004年 | Doğan Kitap |
ヘブライ語 | יער נורווגי | Doron B. Cohen | 2000年 | Keter Publishing House |
韓国語 | 상실의 시대 | ユ・ユジョン | 1989年 | 文学思想社 |
노르웨이의 숲 | 金蘭周(キム・ナンジュ) | 1997年 | 漢陽出版 | |
노르웨이의 숲 | 任洪彬(イム・ホンビン) | 2008年4月10日 | 文士メディア | |
노르웨이의 숲 | 梁億寬(ヤン・オクグァン) | 2013年9月2日 | 民音社 | |
中国語 (繁体字) | 挪威的森林 | 劉惠禎、黃琪玟、傅伯寧、黃翠娥、黃鈞浩 | 1989年 | 故郷出版社 |
挪威的森林 | 頼明珠 | 1997年6月10日 | 時報文化 | |
挪威的森林 | 葉蕙[10] | 1991年 | 博益出版(香港) | |
中国語 (簡体字) | 挪威的森林 | 林少華 | 1996年 | |
タイ語 | ด้วยรัก ความตาย และหัวใจสลาย | นพดล เวชสวัสดิ์ | 2008年8月 | สำนักพิมพ์กำมะหยี่ |
ベトナム語 | Rừng Na Uy | Bùi Phụng | 1997年 | |
Rừng Na Uy | Trịnh Lữ | 2006年 | Nhã Nam | |
インドネシア語 | Norwegian Wood | Jonjon Johana | 2005年7月 | KPG |
映画
テンプレート:Infobox Film トラン・アン・ユン脚本・監督で製作。日本では2010年12月11日に公開された。映倫PG12指定。主演は松山ケンイチ、菊地凛子、水原希子。キャッチコピーは「深く愛すること。強く生きること。」。
日本を舞台としてロケーション・ハンティングし、2009年2月に撮影開始、早稲田大学、兵庫県神河町の砥峰高原・峰山高原、香住町の香住海岸(今子浦)、上野桜木の東叡山浄名院などで撮影された。フジテレビが製作に協力している[11]。また2010年7月29日、ヴェネツィア国際映画祭最高賞である金獅子賞などの対象となるコンペティション部門に出品。ウクライナ、ロシア、ノルウェーなど世界50カ国地域での配給も決定している。
公式サイトでは『ノルウェイの森 Scenes from Norwegian wood』と題した、台詞と場面写真で展開する原作世界観を表現したスペシャルコンテンツが掲載された。また映画の16のセリフと映像を再現したiPhone/iPod touch対応アプリ『てのひらノルウェイの森』も無料配信。監督とプロデューサーは原作の村上春樹から映画化の許可を得るまで4年かけた。
全国312スクリーンで公開され、2010年12月11,12日初日2日間で興収1億8,371万4,500円、動員は13万2,220人になり映画観客動員ランキング(興行通信社調べ)で初登場第3位となった[12]。40代前後の世代を中心に幅広い世代から支持を受け、ぴあ初日満足度ランキング(ぴあ映画生活調べ)でも第4位となった。興行収入14億円。
キャスト
- ワタナベ - 松山ケンイチ
- 直子 - 菊地凛子
- 緑 - 水原希子
- 永沢 - 玉山鉄二
- キズキ - 高良健吾
- レイコ - 霧島れいか
- ハツミ - 初音映莉子
- 突撃隊 - 柄本時生
- 大学教授 - 糸井重里
- レコード店店長 - 細野晴臣
- 阿美寮門番 - 高橋幸宏
- 緑の父 - 飯田孝男
- セクト学生 - 伊藤祐輝、田村健太郎、杉澤純、吉野耕平
- クラスメイト - 大熊佐和子、増田遥、東山結衣
- 緑の友達 - 平沢いずみ
- 緑の姉の声 - 山中真理子
- 学生寮寮生 - 原慎一、大重わたる、三宅知明、小堀正博
スタッフ
- 監督・脚本 - トラン・アン・ユン
- 音楽 - ジョニー・グリーンウッド
- 撮影 - 李屏賓(リー・ピンビン)
- 美術 - イェンケ・リュゲルヌ、安宅紀史
- 照明 - 中村裕樹
- 録音 - 浦田和治
- 編集 - マリオ・バティステル
- キャスティング - 杉野剛
- 助監督 - 片岡章三
- 制作担当 - 田口雄介
- 音楽プロデューサー - 安井輝
- フォーリー - Malakoff Studios、アルカブース
- 特殊メイク - 松井祐一
- 水中撮影 - さのてつろう
- 視覚効果 - ビッグエックス、マリンポスト、Motor/lieZ、日本エフェクトセンター
- スタジオ - 東宝スタジオ
- 現像 - IMAGICA
- エグゼクティブ・プロデューサー - 豊島雅郎、亀山千広
- プロデューサー - 小川真司
- アソシエイト・プロデューサー - 松崎薫、池田穣
- コー・エグゼクティブ・プロデューサー - マイケル・J・ワーナー、パウター・パウントレクト
- 共同プロデューサー - 福島聡司
- ライン・プロデューサー - 宿崎惠造
- アシスタントプロデューサー - 小川未央子
- 製作事業統括 - 寺嶋博礼、石原隆
- 製作会社 - アスミック・エース、フジテレビジョン
- 製作プロダクション - アスミック・エース
- 製作 - 「ノルウェイの森」パートナーズ(アスミック・エース、フジテレビジョン、講談社、産経新聞社、WOWOW、電通、住友商事)
- 配給 - 東宝
使用曲
脚注
外部リンク
テンプレート:Asboxテンプレート:Asbox- ↑ 『レキシントンの幽霊』「めくらやなぎと、眠る女」〈めくらやなぎのためのイントロダクション〉、文藝春秋、1996年
- ↑ 文庫版(1991年発行)の下巻119頁に次の記述がある。「僕はある画家をインタヴューするためにニュー・メキシコ州サンタ・フェの町に来ていて(以下略)」
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ 『夢のサーフシティー』朝日新聞社、1998年7月、読者&村上春樹フォーラム93(1997年10月27日~10月30日)。
- ↑ テンプレート:Wayback - 読売新聞(2008年7月31日)
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Wayback - 読売新聞(2004年11月22日)
- ↑ 村上朝日堂ホームページ、読者&村上春樹フォーラム9(2006年3月24日~25日)。
- ↑ 村上春樹『「そうだ、村上さんに聞いてみよう」と世間の人々が村上春樹にとりあえずぶっつける282の大疑問に果たして村上さんはちゃんと答えられるのか?』朝日新聞社、2000年8月。
- ↑ 藤井省三「村上春樹と東アジア ―都市現代化のメルクマールとしての文学―」
- ↑ テンプレート:Wayback - バラエティ・ジャパン(2008年7月31日)
- ↑ 『ハリポタ』首位奪還!『ノルウェイの森』は初登場3位にランクイン!!シネマトゥディ 2010年12月15日