探偵!ナイトスクープ
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『探偵!ナイトスクープ』(たんてい!ナイトスクープ、英称:Knight Scoop)は、朝日放送(ABCテレビ)にて1988年(昭和63年)3月5日に関西ローカルで放送を開始し、2010年(平成22年)8月時点では、全国35局(後述)で放送されている、視聴者参加型バラエティ番組。一部放送局では、字幕放送(後述)、ハイビジョン制作(2008年9月19日放送分から)を実施。2013年3月1日放送分で放送開始25年目を迎えた長寿番組。通称は『ナイトスクープ』または『スクープ』。
目次
概要
スタジオをひとつの探偵事務所(番組では“探偵局”と呼称)と想定し、視聴者から寄せられた依頼を、探偵局員が投稿した視聴者と共に調査し、その過程のVTRを流す。
関西人特有の明るい「ノリの良さ」が番組の人気を支える重要なポイントで、個性的な依頼者などがときに登場する。取材先のその場で出会った人が探偵よりも視聴者の目を奪う程の個性を発揮することもある。番組中では一般人への応対や扱いに一定の基準が存在し、これも視聴者の支持の要素である。過去に2度(1990年の「アホとバカの境界線を探せ」探偵:北野誠と、2001年の「素晴らしき車椅子の旅」探偵:北野誠)、日本民間放送連盟賞最優秀賞を受賞した。
「ナイトスクープ」における依頼内容は非常に多岐にわたる。人捜し、物捜し、場所捜しのような本格的な調査を伴うものをはじめ、街頭調査や現地リポート、実験を伴うものもある。単独では放送時間が稼げないようなちょっとした依頼は、「小ネタ」集としてまとめて放送される。
また、年に何度かは「総集編」や「プチアカデミー賞」と称して、過去の面白かった依頼や、もう一度見たい依頼を3、4本まとめて放送している。出演者は、1994年頃までは局長・秘書・顧問・探偵と通常版と同様であったが、後に局長・秘書・顧問は出演せずに探偵のみが出演する形になった。
長年におよぶ放送の中で3,000を超える依頼が扱われている。また、番組が全国で放送されていることもあって、全国各地から毎週ハガキ依頼が200から300通、メール依頼が約100通寄せられている。また、著名人や芸能人からの依頼は原則として採用されていない(後述のゲスト顧問であるビートたけしの項目も参照)。
VTR中では、本題の依頼と別の依頼とを組み合わせて放送することもある。
個々の話題についても、この『ナイトスクープ』で初めて取り上げられた題材を在京キー局が模倣するケースがしばしば見られる。
かつて関西地区での視聴率は20%前後のものを獲得していたが、2013年夏頃より下降傾向にある[1]。
出演者
局長
初代
- 上岡龍太郎(1988年3月 - 2000年4月)
- 上岡の番組では常にそうであるように、定型の口上から始まる。この番組においては「こんばんは、探偵!ナイトスクープの時間がやってまいりました。複雑に入り組んだ現代社会に鋭いメスを入れ、様々な謎や疑問を徹底的に究明する、探偵!ナイトスクープ」である。1991年頃までは、この通りではなく、毎回若干異なっていた。後に、テレビ朝日で昼間にネットするようになった頃から「こんばんは」を省略するようになった。なお、上岡引退後の局長(代理)もこの口上を引き継いでいる。その直後、「私が局長の上岡龍太郎です」と自己紹介する。
- 関西の芸人として探偵たちの大先輩であり、不人気番組から立ち上げた自負を持っていたため、VTRの内容について厳しい批判を述べることもあった。特に初期の頃には、探偵に対して「クビ」「もう探偵はやめろ!」「レベルが低すぎて話にならん!」などと探偵を罵倒する発言をしていた。[2]その一方で、スタジオでは探偵に対して鋭くツッコミを入れて弄る等、芸人としての一面も見られた。
- かつては探偵を紹介する際に、「そして北野誠、桂小枝」と北野誠の前で「そして」を入れていた(当時の座席順では最後の2人が北野誠と桂小枝だったため)。このことに対して北野が「小枝とコンビみたいで嫌や!」と何度も反抗していたが、間もなく北野誠は座席順で一番へ座ることとなった。
- 第8回放送の「大阪の路上駐車」のネタで自ら探偵として報告した。彼の最後の出演となった2000年4月の放送など、何度か依頼者になったこともある。番組がABC以外の局で順次ネットされるようになってからも、過去の話を引き合いに出す。2000年3月いっぱいで芸能界を引退したため降板した。
- 上岡局長の降板後、番組では翌週から新局長が登場するように予告していながら、結局は約8か月、探偵や顧問による「局長代行」で番組を継続した。
二代目
- 西田敏行(2001年1月26日 - )
- その後、視聴者を中心に「やはり局長を据えて欲しい」との意見が多く寄せられたことから、新局長を迎えることになった。新局長には、
- 『探偵!ナイトスクープ』のファンであり、かつ阪神タイガースのファンでもあることが望ましい
- 探偵局員より年長者であること
- 上岡クラスか、それ以上の大物
- といった条件を満たす人物を招聘することとした。
- そして、それらの条件を全て満たす人物として、かねてから同番組の大ファンであった西田に白羽の矢を立てた。スケジュール調整の難しい「大物芸能人」であったが、当時・総合演出兼プロデューサーだった矢澤克之が事務所に日参し、口説き落とすことに成功した。西田自身も前向きであったという。
- 元々番組のファンであった事から探偵たちに敬意を表しており、1件1件の依頼や報告に対して集中して感想を述べている。また、涙もろく、感動的な内容のVTR後には西田の泣き顔がアップで入る事が多い。依頼内容のタイトルが、感動的な内容を予感させるときには「これ(ハンカチ)いる?」と、ハンカチをあらかじめ取り出していたりする。依頼によっては秘書が依頼文を読んだ時点でもう涙ぐんでいたり、思いもかけないテーマで泣いていたりする。また、感動的なVTRの最後には探偵自ら「局長も今これを見て泣いていると思います」と予想する事もある。これらは、新しい定番として受け入れられている。自己紹介時には、「私が局長の西田敏行でございます」と、上岡の自己紹介を踏襲している。2003年4月から5月上旬にかけて病気で休業したが、その間は北野誠・桂小枝・長原成樹・石田靖・間寛平ら番組レギュラー陣が局長代行を交代で務めた。
秘書
番組視聴者からの調査依頼の手紙を読み上げる係。
- 初代 - 松原千明(1988年3月5日 - 1989年5月6日)
- 約1年間の勤務の後、松原が石田純一と結婚して「退職」。他の仕事の兼ね合いもあり、収録に欠席することが多く、欠席時には嘉門達夫探偵らをはじめとする探偵が順番に依頼を紹介していた。
- 出演交渉の際、「『ニュースステーション』に類似した番組で、社会派路線」ということで出演契約を結んだが、徐々にバラエティー色が濃くなり「報道を基軸とした番組として出演契約したが、番組内容が当初からの趣旨と違ってきている」という事由で契約更新を行わず、番組降板を申し入れた。
- 松原の出演最終回のエンディングでは、探偵一同が文部省歌の『海』(つまり、♪松原遠く消ゆるところ)を合唱した。
- 2代目 - 岡部まり(1989年7月1日 - 2010年4月9日)
- 岡部は本番で初めて依頼文を読むため、視聴者からの依頼文に性的な言葉が含まれていると、岡部がそこで詰まったり噛んでしまい、探偵達がわざと読み直させるというパターンが多い。依頼文を読んでいる途中で詰まってしまい、局長と北野誠が続きを読んだこともある。
- 2010年7月には第22回参議院議員通常選挙の大阪府選挙区へ民主党から立候補することになり、本番組への出演を急遽降板。公式サイトからも岡部の記載が削除された(なお、その選挙で岡部は落選した)。7月12日の朝日放送渡辺克信社長の定例会見では復帰に対して否定的な見解を述べており、後任の秘書を起用することを示唆していた[3][4]。7月29日には自身のブログで「番組への秘書役としてのレギュラー出演の復帰はない」と語っており、復帰を否定した。
- 現在はアカデミー賞や年末総集編などでゲストとして登場することがある。
- 3代目 - 松尾依里佳(2010年9月3日 - )
- 岡部の後任として3代目秘書に就任することが2010年7月30日にABCから発表され、9月3日放送分から出演中[5]。
秘書代行
- 松原降板後
- 岡部病欠時の代行 - 堀友理子(当時朝日放送アナウンサー、2008年6月6日放送分に出演)
- それまで岡部病欠時は、石田靖や桂小枝、清水圭など探偵が代役を務めていた。2008年2月15日放送分の「麺をすすれない女子アナ」(探偵:石田靖 / 依頼者:三代澤康司アナウンサー))で登場した「麺をすすれない女子アナ」とは堀のことであり、彼女の教育係だった三代澤は相当困り果てていた。また、2008年6月27日深夜・7月4日深夜・10月4日、同11日、同18日、同25日に関西ローカルで放送された20周年記念特番『探偵!ナイトスクープ リターンズ』でも三代澤とともにナビゲーターを務めた。
- 岡部降板後
- たむらけんじ(2010年4月16日、4月23日放送分)
- 田村裕(4月30日、5月7日放送分)
- 桂小枝(5月14日、5月21日放送分)
- 長原成樹(5月28日、6月4日放送分)
- 石田靖(6月11日、6月18日放送分)
- 松村邦洋(6月25日、7月2日放送分)
探偵局員
番組視聴者からの依頼に基づく調査を行い、解決する係。探偵局員の多くは主に関西圏で活動する男性タレントが務める。
現役探偵局員
レギュラー
- 石田靖
- 1995年11月3日入局
- 現役の探偵局員の中では最長のキャリアを持つ。
- 子供との接し方が上手く、子供の依頼を担当することが多い。2008年5月16日の放送分では体調不良のため番組を欠席した岡部の代理で秘書を務めた。
- 本人曰く「北野誠の代わりに入った」らしい[6]が、現在でも現役である。
- デビュー作「江戸の人体解面図」
- 間寛平
- 1996年5月24日入局(2009年1月23日一時降板、2011年2月25日復職)
- 芸能界を引退したジミー大西の後釜として入局。ひたすらボケ倒す調査手法は、視聴者によってかなり好き嫌いが分かれるところである。
- 時折、スタジオに顔を出さないことがある。出ていないときはオープニングでも紹介が省略される。
- 2008年12月17日 - 2011年1月21日の間はアースマラソン挑戦による芸能活動休止のため、当番組にも出演不能となったが、「退局ではなく休局である」と2008年12月19日放送分の「プチアカデミー大賞」の中で話していた。2011年2月25日の「アカデミー大賞2011」より当番組に復帰。
- デビュー作「キダ顧問に一言!」
- 竹山隆範
- 2005年9月23日入局(新探偵候補として2005年7月1日放送分で調査を行っている)
- キレキャラで売っていた時期に初登場したが、『ナイトスクープ』では本来の地である、人の良い部分を出している。関東弁と博多弁を状況に応じて使い分けているのも特徴の一つ。
- 他の番組では「カンニング竹山」名義で出演することが多いが、『ナイトスクープ』では本名で出演している(ただし一部のテレビ情報誌では「カンニング竹山」と書かれていることがある)。
- (探偵候補)デビュー作「幻のニッキ紙」
- たむらけんじ
- 2007年5月4日入局
- 獅子舞・ふんどし・サングラス姿の異色キャラを作らず、関西ローカルの番組で見られる普段着姿で出演している(スタジオ収録時はネクタイを締めていることが多い)。最近では感動系の依頼や人探しなどの依頼を担当することが多い。
- 局長からの紹介時や「エンド5秒」では、おなじみの一発ギャグ「ちゃ〜」を必ず披露する(ただし、ごく稀にやらないことがある)。
- デビュー作「心が書けない息子」
- 田村裕(麒麟)
- 2009年6月19日入局
- 北野誠に代わり、2009年6月19日放送分から登場。特別番組『探偵!ナイトスクープVSクイズ!紳助くん』で、田村は紳助くん側であったが「オレ、さっきから泣きっぱなし、笑いっぱなしや。これはスクープや!」と叫んだことが番組プロデューサーの目に留まったのが採用理由である。[7]
- 調査中、たむらけんじと間違えられたことがある。
- デビュー作「小学校のときの恩師に会いたい」
- 真栄田賢(スリムクラブ)
- 2013年10月4日入局。
- 2013年10月4日の放送から3週に渡る「新探偵登場週間」で、新探偵の一人として加入。
- デビュー作「爆笑!小ネタ集!!」
- 澤部佑(ハライチ)
- 2013年10月11日入局。
- 2013年10月4日の放送から3週に渡る「新探偵登場週間」で、新探偵の一人として加入。
- デビュー作「ウンコをする時に握力が増す?」
- 橋本直(銀シャリ)
- 2013年10月18日入局。
- 2013年10月4日の放送から3週に渡る「新探偵登場週間」で、新探偵の一人として加入。
- 真栄田、澤部探偵と同期の若手新人探偵の中で唯一の関西人。
- デビュー作「こそばされる快感よ もう一度!」
新探偵候補
立原啓裕探偵の退局を受けて、2005年に後任を選ぶオーディションとして新探偵を選ぶ企画がスタート。カンニング竹山、南海キャンディーズ山崎、シャンプーハットのほか、KABA.ちゃん(2005年6月17日)、安田大サーカス(2005年8月12日)が調査を行った。
- 小出水直樹(シャンプーハット)2005年10月14日 - (新探偵候補として2005年8月5日放送分で調査を行っている)
- 宮田てつじ(シャンプーハット)2005年11月4日 - (新探偵候補として2005年9月16日放送分で調査を行っている)また、2005年7月1日放送分の長原探偵による小ネタ集「シャンプーハットてつじにそっくりの外国人がいる」で調査される側として出演している。
- 山崎静代(南海キャンディーズ)2005年12月16日 - (新探偵候補として2005年9月2日放送分で調査を行っている)本名の「山崎静代」名義で活動。ただ番組内での通称は「しずちゃん」という方が多い。1989年9月以来、約16年ぶりの女性探偵(5人目)
過去の探偵局員
初代局員
- 嘉門達夫(在任期間:第1回放送-1990年3月31日)
- 初代「社会派ネタ探偵」。「悪徳不動産業者を追え!」(1988年6月4日放送)のネタでは、小型カメラを持って単身で不動産屋に突入するなど、体当たり調査を売りとした。小ネタ集の報告コンペで負け、ABCからNHKの裏番組『燃えてトライアル』に左遷された設定だが、実際は音楽活動に専念するために引退。彼の担当した調査では「浪花のモーツアルト、キダ・タロー」(1990年2月17日放送)が唯一DVDに収録されている。現在は、顧問として時々出演することがある。
- デビュー作「中国の毛生え薬・101は効くか?」(ナイトスクープ初の調査VTRである)
- 越前屋俵太(在任期間:第1回放送-1995年3月)
- 出演後半は牛など動物の着ぐるみ風のコートや合羽を着て出演。視聴率調査や、抽象的なテーマについて市井の人々から強烈な個性のある意見を引き出す「調べてください」シリーズの初代担当者。自身で降板を宣言。降板の少し前、「最近のナイトスクープがなぜつまらないか」という俵太がやったインタビュー調査で「俵太さんがつまらない」と答えた視聴者がいて俵太がショックをうけるという場面があったが、降板との因果関係は不明。番組開始から間もない頃に一度、調査内容に不満をもった上岡に怒鳴られたことがあったが、それに対して「こんなもん本気でできるかい!」と言い返したことがある。この出来事がきっかけで番組の放送方式であった「撮って出し方式」が見直され、現在の隔週2本撮りの方式になった。後の総集編で、「あの時は腹立ちましたわ。もし(上岡)局長が小学生やったら殴り殺してますよ」と発言した。
- デビュー作「JRの安売り切符は何故安いのか?」
- 生瀬勝久(在任期間:第1回放送-1990年4月14日)
- 出演当時は「槍魔栗三助」名義。第1回放送で1985年の阪神優勝で道頓堀川に投げ込まれたカーネルサンダース人形の捜索を担当。戦時において、大日本帝国陸軍大阪八連隊の敗走に次ぐ敗走が風刺や誇張、カリカチュアされた読み物の形で新聞記事になった、この連隊の取材を担当した槍魔栗三助探偵の調査結果に、局長の上岡が「徴兵されて無理やり戦争をさせられた一般市民が弱くて何故悪いのか」と指摘して収録を中止した。その後、『新・部長刑事 アーバンポリス21』などのドラマ活動に専念するために引退した。
- 上海太郎(在任期間:第2回放送-1988年6月)
- 「ホワイトデーには何を送るか?」というネタでデビュー。数回の依頼を担当した後にすぐ降板した。
- 田中康江(在任期間:第2回放送-1988年11月)
- キャスティング段階で、松本プロデューサーが劇場を訪れた際、たまたま目にとまったのが採用理由。「テレクラの実態を探る」というネタでデビュー。当初は第1回放送で出演する予定だったが、放送時間の都合上、初出演は第2回へ繰り越しとなった(企画段階では、1回の放送につき4本のネタを放送する予定であった)。また、マラソンのネタを扱った際に、上岡に怒鳴られたことがある。10本ほどの依頼を担当したのち降板。快活で軽妙な語り口で、探偵局初の女性探偵として活躍した。
後に加入した局員
- 北野誠(在任期間:1988年6月 - 1995年9月、1996年5月 - 2009年4月)
- 番組開始以前から、キャスティングには名前が挙がっていたものの、様々な事情により出演できなかったが、第9回放送の「国道1号線の三重駐車」より登場(登場経緯等は「トラブル」の項参照)。初代局長・上岡によると、当初は探偵ではなかったという。また、第41回放送(1989年1月21日)までは旧芸名である「MAKOTO」名義で登場。1989年10月28日放送の「河内風穴の謎を探れ!」のネタでは結論まで引き出すことができず上岡に再度の調査を命じられ、同年12月16日に「河内風穴第2弾!」が放送されたが、この調査でも結論を導き出せなかった。その日の顧問であったキダ・タローに「誠、お前は中途半端や!」と言われ、以降「中途半端」と呼ばれることとなってしまった。事実、他のネタにおいても結論を導き出せない、あるいは本来の趣旨とは全く異なった結論を導き出すことが多かった。(中にはあえてそういった演出としたものもある)そのキャラクターから、時々依頼人側から「北野探偵だけはやめてください」と逆指名されることがあったが、必ずその依頼は北野探偵が受け持つことがお約束となっていた。東京進出のため1995年9月に一度降板したものの、翌年顧問として登場、そのまま探偵として復業。最古参探偵として活躍し続けたものの、2009年4月に無期限謹慎処分により突如降板。ただし収録済み分は予定通り放送された。(北野自身はその後、2010年3月に処分解除され、芸能活動を再開した。)
- 桂小枝(在任期間:1988年7月23日 - 2013年9月27日)
- すぐに解決できそうな複数の依頼をまとめて調査する「小ネタ集」、ガイドブックに到底載せられない名所を紹介する「パラダイス」などの名物コーナーを持った他、「まじめ」ネタを「笑い」ネタにしてしまう傾向があった。「ミスターナイトスクープ」の異名をとっていた。上岡局長時代は「そして、こいつです」と紹介されていた。
- 自称「局次長」であった。以前は局長の座を狙っているような独占欲的な節があったが、これは「局長代行」という形でかなえられた。
- おなじみの言葉は自ら「よろしく(どうぞ)お願いします、桂小枝です。お願いします」と挨拶し、その後「しかしまー、なんですねー」。番組開始時の探偵紹介では最後に名乗ってから、この言葉に続けてコメントするが、近年のオンエアではカットされていた。この「しかしまー、なんですねー」は上岡局長時代、小枝が紹介された後に喋るのを阻止しようとする上岡に対抗して生み出された”技”である。なお、毎回出演しているイメージだが、娘の結婚式のため2回ほど出演しないときがあった。
- まだ土曜日に放送されていた時期には、裏番組『ねるとん紅鯨団』のとんねるずに対抗するため、北野誠と「どうくつず」(トンネル→洞窟)を組んで、「ねろとん紅鯨田」というパロディー企画をしていたことがあった。
- 25年間もの長きにわたって探偵役をこなしてきたが、出演者の若返りで番組の活性化を図ることになったため、2013年9月27日放送分を以って卒業。最終出演回には、探偵として「キダ・タロー恐怖症!?」を手掛けると共に、エンド5秒で一発ギャグを披露した。2014年8月1日放送から顧問として復帰している。
- デビュー作「子供美人はどこへ」
- 立原啓裕(在任期間:1989年6月3日 - 2005年4月15日)
- 自称・(二代目)社会派ネタ探偵。1989年6月3日に臨時探偵として初登場し、同年7月29日から正式な探偵として加入。病弱ネタを売り物にしており、幾度となく他の探偵にからかわれた。トミーズ雅が番組を降板するまでは、基本的にトミーズ雅と隔週で出演していた。新分野への挑戦(年齢)を理由に2005年4月16日放送分をもって探偵として16年間の出演を終了したが、2006年7月28日放送から顧問として復帰している。
- デビュー作「白いサツマイモの謎」
- トミーズ雅(在任期間:1988年12月24日 - 1994年1月)
- 女性探偵が消滅した直後の1989年秋に放送された総集編にて「女性探偵募集」と銘打った企画が放送された際に、女性探偵「北村雅子」名義で登場したことがある。自身が番組を降板するまでは、総集編や特番は除いて、立原と隔週で出演していた。
- デビュー作「ズワイガニ漁」
- 中村貴子(在任期間:1988年8月6日 - 1989年7月)
- 元ラブ・ポーション。「ホストの生態を暴く」のネタでデビュー。初めての総集編など、欠席した松原の代わりに秘書代行を4回務め、松原初代秘書が引退した後にも1週だけ臨時秘書を務めた。
- みやなおこ (在任期間:1988年11月19日 - 1989年9月)
- 槍魔栗三助(生瀬勝久)と同じ劇団「そとばこまち」出身で、当時読売テレビで放送されていた『テレビ広辞苑』で生瀬と共演しており、その楽しげな2人のやりとりを見たスタッフがみやなおこを採用した。女優活動に専念するため、すぐに降板した。
- 清水圭(在任期間:1990年5月 - 1996年4月)
- 上岡に「調査内容が甘い」と言われ降板したぜんじろうの後釜として加入。調査内容の充実度は、上岡から高く評価されていた。「感動ネタなら清水圭」。2010年9月24日の放送で、依頼人として再登場(最初は匿名で後ろ姿・ヘリウムガスを吸いながらの出演)。
- デビュー作「祖父は映画スター」
- 長原成樹(在任期間:1994年1月21日 - 2013年9月27日(2005年9月23日 - 12月2日の放送分は病気のため休業))
- 降板したトミーズ雅の代わりとして登場。出始めの頃は、ヤンキー出身でありながらビビリなところがあり、北野誠と同様に結論を導き出せず「中途半端」と呼ばれていた。しかし、依頼者に代わって貸した物を取り戻す「取り立て屋成樹」シリーズ以降、物事を強引に解決させる手法を確立させた。また、本当に必要かどうかという疑問にもかかわらず、沖縄県に調査に向かうことが多かったので「沖縄探偵」「リゾート探偵」の異名もとっていた。他にもいつまでたっても眠らない子ども達の前に現れる謎の怪人「ガオーさん」でもある。2008年8月22日放送分では、喉の調子が悪くガラガラ声で話す姿がみられた。また、2011年10月7日放送分ではヤンキーだった時分(18歳の頃)の写真が放送された。
- 番組出演者の若返りを図るに伴い、2013年9月27日放送分で卒業。最後の作品は「復活!取り立て屋成樹」だった。
- デビュー作「屋根を直撃した隕石の謎」
- ジミー大西(在任期間:1995年4月21日 - 1996年4月)
- デビュー作は「巨大シジミ発見!?」だった(DVD Vol.6 にも収録、林繁和の項も参照)。現在は基本的にタレント活動を休止している。
- 松村邦洋(在任期間:2000年4月7日 - 2013年9月27日)
- 局長代行制に入るにあたって、毎週1人の探偵が抜けることになるため2000年に入局。他探偵と比べると、自らの体を張ったロケを得意としていた。子供や老人絡みのネタやインタビューものの依頼も多い。西田局長、小枝探偵、準レギュラー顧問の掛布雅之などのものまねを披露することもあった(上岡前局長のものまねも入局前からしていたが、あまり浸透しなかった)。2009年4月、東京マラソンのレース中に発症した急性心筋梗塞の治療のため番組を欠席していた。
- 番組出演者の若返りを図るに伴い、2013年9月27日放送分で卒業。最後の作品である「帰宅部の魔球vs金本」には、松村がファンである阪神OBの金本知憲・下柳剛が登場した。
- デビュー作「デブネタ集」
臨時探偵として登場した局員
- 桂文福 - 番組開始初期の1988年6月から8月に数回登場。プロデューサーが番組立ち上げ時から正式な探偵として出演を依頼していたが、スケジュールの折り合いがつかなかった。「女性は何故右の胸が小さいのか?」の依頼などを担当した。
- 久本雅美 - 正式な探偵としての加入を視野に入れながらの登場だったが、上岡が嫌っていたカルト・超常現象の話題を取り上げたことが引き金となり初登場にしてそのまま降板。「下品さが許せん」「信用できん」などと上岡に叱られた模様は1989年3月に放送された総集編で再び放送された。
- 屋田容子 - 1988年12月に初登場。同年11月ごろに降板した田中の後釜として入局。久本と同じく、正式な探偵の加入を視野に入れながらの登場だったが、1989年2月18日放送分において上岡に「クビ」と怒鳴られ降板。
- 地獄じじい - 大阪・石切神社のそばで店を経営する素人のおじいさん。かつては「調査依頼」の他に「スタジオ出演希望」という募集もあり、スタジオ収録のみに出演。顔が非常に怖いのをネタにし、空前の出オチ(つまり、ドアから出てきたとたんにすべてのライトを消し、下から顔に向けて青白い光を当てられて、ジングルに入る)で笑いを取った。
- コント山口君と竹田君 - 第15回放送(1989年6月25日)にて登場。「カバの買い主を探せ!」のネタを担当した。
- ぜんじろう - 1990年3月から5月にかけて登場。千葉テレビの視聴率調査を担当した際に調査内容が甘いとして上岡に干された。
探偵見習いとして登場した局員
顧問
ゲストのこと。番組開始当初は弁護士でもあった中島健仁1人がレギュラー顧問として登場していたが、中島が退局後は関西に縁の有るタレントや文化人が準レギュラーとして出演する現在の形になった。 西田局長就任以降は出演映画等のプロモーションを兼ねて人気俳優・歌手等が顧問として登場することが増えており、タレントによってはゲスト出演がスポーツ新聞の芸能欄で報じられることもある。
現在の顧問
- キダ・タロー - 1989年「岸和田の音痴な信号機」のネタに"審査委員長"として初登場。その後、顧問に就任。番組では「最高顧問」と呼ばれる(当初は自称)現在は出演者のテロップも最高顧問と表示される。一時、とあるネタに絡んで「最高顧問を辞めて単なる顧問になる」と言っていたが、単なる一過性の発言で役を継続。上岡局長の引退後、一度だけ局長代行を務めた。毎出演時の紹介は「浪花のモーツァルト」。顧問ではあるものの、番組に携わった期間としては、どの現役探偵局員よりも長い。
- 桂ざこば - 西田局長と同じく涙もろい。
- ルー大柴 - 「まさか!?祖父がルー!?」という依頼で出演した事が縁でそのまま顧問就任。キャッチフレーズは「世界を股にかけるエンターティナー」。
- 山田五郎 - 「桂小枝にそっくりのキャラだったから顧問に呼ばれなかったのだ」と発言した。
- 林裕人 - 後述の元辻学園調理・製菓専門学校主任教授だった林繁和から改名。涙もろく、感動的な依頼の後には、西田局長とともに2人並んで涙する姿がたびたび映される。
過去に出演した主な顧問
上岡局長時代初期
- 中島健仁 - 初代顧問で、職業は弁護士。放送開始当初よりレギュラーの顧問として多く登場。番組開始当初は社会派ネタが多かった事もあってか、本物の弁護士が顧問を担当していた。自身の2年間アメリカ留学を機に番組を降板。帰国後数回だけ復帰するが、レギュラー顧問で戻ることはなかった。出演当時は小枝探偵のくだらないボケに、いつも辛口で鋭いツッコミを入れていた。2007年7月に他界。
- 福島正 - 1988年3月5日の第1回の放送で出演。上記の中島と同様、職業は弁護士である。当時のオープニングでの挨拶で、上岡局長(当時)について、「局長の事件に取り組む真摯な態度が私にも伝わってきますので、頑張りたいと思います」と語っていた。当時、彼が勤務していた事務所の都合で1回きりの出演だった。また、彼は松本修チーフプロデューサーがかつて手がけていた『ラブアタック!』にアタッカーとして出演したこともある。
- 香川登枝緒 - 番組黎明期に頻繁に登場した。
- 西村眞悟 - 出演当時は弁護士であった(のちに衆議院議員)。松本修チーフプロデューサーと大学時代の同級生という縁から出演していた。
- 難波利三 - 番組初期に登場していた。出演している映像は、DVDのvol.6に収録されている。
番組初期は、硬い社会派ネタを取り扱うことが多く、現在のようにゲストとして登場するような役割ではなく、専門的な知識を持つ人物がアドバイスを行うという役割で顧問が登場した。そのため、このころの顧問として登場した人物の大半が弁護士、大学教授、議員や文化人といった面々であった。また場合によっては1度の放送回に顧問が2人登場することもあった。
上岡局長時代中期以降
- 福井敏雄 - 元日本気象協会所属。独特の口調と俳諧のセンスで、関西で大人気だった「お天気おじさん」。番組冒頭で俳句を披露するのも恒例であった。横山ノック、キダ・タローなどが自称で「最高」「特別」などの冠をつけて対抗する中で、「私はそんな恐れ多いこと、できません。平の顧問です」と固辞。カルト・心霊ネタで上岡が退席したときの顧問でもあり、そのときは真剣に狼狽していた。すべての依頼にまじめに、探偵をけなすことなくコメントしていた。
- 横山ノック - 初代最高顧問。知事職に就いてからは「名誉顧問」という肩書きになった。初代局長上岡らと結成していた漫画トリオのメンバーの1人。元大阪府知事。
- オスマン・サンコン - 正装で出演。小ネタ集の中で「墓場に浮かぶ白い物体=暗闇の中、笑顔で歯をむき出した姿」として出演してもいる。
- 大島渚 - 探偵!ナイトスクープアカデミー賞審査委員長の肩書きもあった。
- 若林正人 - 『ニュースステーション』以外の番組で初めて迎えられた。初めは、「ニュースステーションで久米さんに嫌われた若林さん」というキャラクターだった。
- 円広志 - 番組主題歌『ハートスランプ二人ぼっち』を歌っている。テンプレート:要出典範囲(円広志#桂小枝との確執を参照)。1994年1月21日放送分に顧問として出演したときに、テーマ曲を2番も含めて歌ったことがある。ちなみにその時は、長原成樹探偵の初登場時であった。2010年7月2日放送分の「私は円広志が好きなのか?」の依頼ではVTRに出演、依頼者に会いに沖縄まで足を運んだ。
- 吉村作治
- 景山民夫
上岡局長時代中期以降のゲスト出演
- 小錦 - 番組に出演した際は、普通の椅子でなく丸太のような椅子に座っての出演だった。
- 舞の海
- 綾辻行人 - のちに『安楽椅子探偵』第1回で共演した際、そのコメントを聞くことが出来る(DVDでは未収録)
- 真弓明信 - 前阪神タイガース監督。元阪神タイガース選手、朝日放送野球解説者。2000年の大阪近鉄バファローズコーチ就任前、当時同局の解説者を務めている際に出演。近鉄コーチ就任前の最後の登場回では、この回の収録に不参加だった寛平以外の男性出演者全員に、近鉄の選手用ウインドブレーカーをプレゼントした。
- 中島らも - 調査してほしいことをリクエストする珍しい顧問だった。実際に「中島らもさんの素朴な疑問」として1990年1月13日に放送されている。
- 秋元康
- 浜村淳 - 番組初期にも数回登場。「『ありがとう浜村淳です』で自分の投稿作品が紹介されたのに聞き逃した」という依頼で、依頼者の自宅に行って番組を再現したことがある。
- ジャイアント馬場 - 初登場時はスペシャル顧問として迎えられたが、番組を気に入ったのか、その後も数回、出演している。
- 中島誠之助
西田局長時代以降のゲスト出演
- 黒木華 - 芸能界入り前の2003年1月17日に出演。「石田靖にしか解決できない!?」という題で依頼も送っていた。
- 大木こだま・ひびき - 2005年に大木こだまによる「チッチキチー」のギャグで人気が再浮上した。
- パパイヤ鈴木
- 泉谷しげる
- 田淵幸一 - 元・阪神タイガース選手。『がんばれ!!タブチくん!!』がアニメ映画化された際に局長の西田が主人公・タブチくんの声を演じた。
- 大塚晶則 - ナイトスクープに顧問として出演した唯一のメジャーリーガー。
- 矢井田瞳 - 大阪府出身。本人のファンクラブサイトにプロデューサーが出演依頼のメールを送ったことがきっかけで後に出演に至り、その際にこのエピソードを語っている。
- 水谷豊 - ワーナーの担当者が、番組のDVDを渡した事から、家族ぐるみで番組のファンに。2008年4月25日放送分に西田局長が出演した映画『相棒 - 劇場版- 絶体絶命! 42.195km 東京ビッグシティマラソン』のPRを兼ねて登場している。2010年12月24日にもやはり映画『相棒2』のPRを兼ねて登場。
- 大泉洋 - かねてから、番組の大ファンである事を公言していたが、2008年5月23日に映画『アフタースクール』のPRを兼ねて出演。収録時に探偵たちから、“顧問と言うより、こっち側(探偵)の人”と言われた。2011年9月9日には映画『探偵はBARにいる』のPRを兼ねて再出演。
- 三國連太郎 - 鈴木一之助(スーさん)役を演じている映画『釣りバカ日誌』最新作のPRを兼ねて登場している。
- 桧山進次郎 - 元・阪神タイガース外野手。過去に当番組へ登場した阪神タイガース関係者で唯一、現役時代に顧問として出演した人物。出演の際には、感動した西田局長が桧山を抱きしめるシーンも見られた。また、過去の依頼でVTRにも登場している。
- 竹内力 - 映画『釣りバカ日誌19 ようこそ!鈴木建設御一行様』のPRを兼ねて出演。
- 高橋克典
- 嘉田由紀子 - 滋賀県知事(当時)。西田局長が出演し、滋賀県内でロケが行われた映画『火天の城』のPRを兼ねて出演。琵琶湖博物館の研究員だった時代、VTRにも出演している。
- 米倉涼子 - 2010年2月5日放送分に映画『交渉人 THE MOVIE タイムリミット高度10,000mの頭脳戦』のPRを兼ねて出演。
- 中田宏 - 元横浜市長。
- 常盤貴子 - 映画『引き出しの中のラブレター』のPRを兼ねて出演。
- 市原隼人 - 2010年5月21日放送分に当番組の構成作家・百田尚樹原作の映画「ボックス!」のPRを兼ねて出演。
- ビートたけし - 2010年5月28日放送分と2012年10月5日放送分の2回に渡り出演。自身の監督作品『アウトレイジ』と『アウトレイジ ビヨンド』のPRを兼ねて出演。過去にナイトスクープに調査依頼を行っていた事と結局は採用されなかった(スタッフにより、有名人であるビートたけしからの依頼と承知の上での不採用だったらしい)事を告白。また、この番組の『素人からの依頼や、素人特有の面白さ』『編集の少なさ』『ライヴ感』による全体の面白さを評価していた。西田局長にとって明大の一年先輩にあたる。
- 五木ひろし - 2010年8月27日放送分に自身の新曲「おしろい花」のPRを兼ねて出演。
- 宮藤官九郎
- 中村七之助
- 佐々木蔵之介 - 2011年5月6日放送分に映画『岳-ガク-』のPRを兼ねて出演。
- 矢野燿大 - 元・阪神タイガース捕手で、朝日放送の野球解説者。自身の著書『阪神の女房』のPRを兼ねて出演。
- 田丸麻紀 - オスカープロモーション所属の女優・タレント。大阪出身と言う事もあってか、女性顧問の中では出演回数が多い。毎出演時に於ける西田局長の紹介は「浪花が生んだ“名花”」。
- 掛布雅之 - 元阪神タイガース選手。初代阪神タイガース枠顧問。『スポーツMAX』の終了に伴い、2006年11月17日放送分で8年ぶりに顧問に復帰した。
- 槇原敬之 - 大阪府出身の人気シンガーソングライター。関西在住時からナイトスクープファンだったと言い、初めて出演した時には、本人も感激した様子だった。2006年までに2回出演し、2013年1月18日に自身のツアー『Dawn Over the Clover Field』の宣伝を兼ねて約7年ぶりに出演した。
- 吹石一恵 - 小さいころから母親と見ていて、西田局長に少しいじられていた。
- 熊谷真実 - 顧問として出演する前に一度観覧席に座っていたことがあり、小枝探偵に紹介されたことがある。
- 金本知憲 - 元阪神タイガース外野手で、当番組が現役引退後初のバラエティ番組出演。2013年には、グランドアカデミー賞や、松村が担当した最後の依頼(前述)にも出演した。
- 下柳剛 - 元・阪神タイガース投手で、朝日放送の野球解説者。松村が担当した最後の依頼(前述)へ金本と登場した後に、2013年11月8日放送分で顧問として初出演。この出演によって、2000年代の阪神を支えた矢野・金本・下柳の「同級生トリオ」は全員、引退後に当番組で顧問を経験した。
- 柏木由紀 - AKB48・NMB48のメンバー。
- 上戸彩 - 私と上戸彩、どっちが可愛い?という内容の依頼の時に顧問として登場。
- 赤星憲広 - 元阪神タイガース選手。ホームページ・携帯サイト内の予告編や一部の新聞テレビ欄では「新顧問登場!!」と書かれていた。かつてVTR内にも出演している(DVDにも収録)。
番組構成
番組の流れ
朝日放送Aスタジオによる公開収録(基本的には隔週金曜日夕方より2本録り[8][9])。最初に西田局長が探偵たちをフルネームで紹介する(回によっては紹介しないこともある)。1回の放送の中で、約12分程度の依頼遂行VTRを3本流し、それぞれに局長や顧問、探偵らがコメントを付けるのが基本的なフォーマットである。
秘書が視聴者からの依頼文を読み上げ、局長・顧問が短いコメントをし、その依頼を担当した探偵がVTRを流す前に解説を加えてからVTRに入る。最初期はVTR中にも探偵のコメント・解説が入っていたが、現在は一切入れていない。小ネタ集やパラダイスなどでは、探偵自らが依頼文を読む場合もある。VTR終了後、出演者のコメントが入り、ジングルが流れ、CMに入る。以前は3本目の依頼の後にCMに入っていたが、現在はCMに入らずそのまま局長・顧問が、今週の総括のようなコメントをしつつ、エンドロールに入るという構成になっている[10]。
さらに「エンド5秒」と呼ばれる番組終了のテロップの裏に探偵のギャグが入ってその回の放送が終了する(この部分は放送される地域とされない地域がある)。元は放送終了時間まで視聴してもらい、それによる視聴率上昇を目的に始まったものであった。一時期『ナイトQ』と連動して出題されていたこともあった(詳しくは後述)。ちなみに初めてのエンド5秒は、桂小枝がジャイアント馬場の真似をする、といったものだった。
ほかの番組に見られない特徴に「ジングル後CMにすぐに入らない時がある」というものがある。通常、民放では番組とCMの境にジングルを流して視聴者に知らせている(もしくは、ジングルなどなしで突然CMに入る)。ジングルが入る場合、ジングルが終わるとすぐにCMがはじまるが、この番組ではジングル(声:円広志)終了後も少しの間、探偵と局長などのトークが(長いときは1分以上も)放送され続ける場合がある。このジングルからCMまでの極端に長い時間をとるという演出は、公開収録の段階で直接ジングルを挿入するため番組進行上、ジングルの後に大事な要点や本編より盛り上がるトークがなされた場合、それも含めて編集された上で放送に乗るという作りになっている。
後述する項目において、インターネットで検索するなり、専門家に問い合わせれば直ぐに解決できる依頼内容であっても、依頼者や第三者を巻き込んで探偵が直接足を使って調査するといった過程に重点が置かれている。しかし、困難と思われた依頼が予想より簡単に解決したり、逆に直ぐに解決できるような依頼が調査途中で迷走したり、調査途中や後になって別な疑問が派生したり、調査結果によっては新たな問題定義が浮き彫りになって大規模調査に発展する事もある。時に依頼内容の如何によっては探偵は地道で煩雑な調査に長時間を強いられる場合もあり、決められたVTRの時間内に調査をまとめなければならないがロケの途中で落とし所が曖昧になったり、いたずらに時間を費やしてしまう、対象が一般人なので当然取材側の思ったように動かない等の収録上の困難も抱えている。また、番組制作上時間もコストもかけられないために期日内に依頼(取材)を遂行する必要があるため、事故などの危険性の無い限りひたすら撮影し続け照明が切れてもハンドライトで、ハンドマイクが壊れてもガンマイクで、カメラマンが転倒しても撮り直しもカットもせず、物理的に撮影が不可能になるまで収録を続ける。など過酷なものとなる場合が多々あるが、それらも演出や番組制作上、構成や演出の一つとして組み入れられている。
ロケ収録において現場での大まかな進行はあるもののロケ台本は存在せず、番組収録におけるスタジオ構成台本も「OP、局長挨拶、秘書挨拶、探偵紹介、取材VTR、以下盛り上がる」といった細かい台詞もト書きも無い大雑把なものとなっている。探偵局発足当初は、取材ロケ撮影の定石通りスタッフがカメラに映り込む、探偵が言い間違える等の度に撮り直していたが、探偵らがその煩雑さに辟易しロケスタッフと交渉、ロケ取材のライブ感を出そうと(他局の)通常ロケならNGである所を許せる範囲内でそのまま取材、一発収録を続行させて取材時間の短縮と探偵、加えて依頼内容と取材対象の即興を活かす事に重点を置いており、他のバラエティロケ番組ではまず見られない機材スタッフが反射面(鏡等)に映り込んだまま撮影取材を続行、通常放送でもスタッフがカメラ映像に直接入り込んでもそのまま放送されている。
オープニング
オープニングでは、番組の趣旨が記された以下の文章(局の企画書に書かれていた「番組概要」をベースにしたもの - 「アホの遺伝子」より)が流れる。
上記の文章が白いテロップでスクロール式に下から上に流れ(「娯楽番組である。」の部分はこの番組があくまでもバラエティ番組であることを強調させるためにわざと改行されてある。一時、改行されていない時期もあった。上岡時代、「“上岡探偵局長”が」とダブルクオーテーション囲みで強調されている時期もあった)、CG調の番組タイトルのロゴが出る(初期はテロップで描かれていた)。その後、局長、秘書、その週の出演メンバーの探偵局員を紹介。その時、調査を担当した局員には映像の下にその週に依頼された内容のサブタイトルが流れる。
出演局員を紹介した後は、公開収録のスタジオからの拍手に包まれながら出演者が登場して提供ベース(スポンサーは地域によって異なる、ABCなどではスポンサーの表示がない)後にCM→本編開始、というのが現在の基本である。以前は、オープニングから1本目の依頼終了後まで、CMに入ることなく続いていた[10]。
プレゼント
依頼が番組に採用された視聴者にはもれなく番組特製の探偵手帳[11]、会場への観覧者には番組ロゴが描かれた白色と黒色のステッカーがプレゼントされる(それぞれ視聴者に見えるようにして見せている)が、現在は期間限定でナイトスクープ特製「クリアファイル」がプレゼントされる。過去の会場プレゼントには「アホ・バカ分布図」や、ノックすると探偵局員達の名前が出てくる「ボールペン」、ナイトスクープ特製「うちわ」「トランプ」「便利5点セット」などをプレゼントしていた時期があった。
番組名の由来
番組の企画段階では、「上岡龍太郎探偵局」や「それいけ!探偵局」という仮タイトルだった。その後、会議でスタッフ全員で議論が行われた。
会議では、取材に応じやすいタイトルがいいということで、「ナイト」を付けることになった。また「スクープ」は当時『ザ・スクープ』(ABCでも放送されていた)など、報道番組のタイトルに「スクープ」が使われることが多かったため、「電話口で『朝日放送のナイトスクープですが…』と言えば、報道番組と勘違いして取材を受けてくれるのではないか」と考えて「ナイトスクープ」に決まった。しかし、それでは娯楽番組とわかりづらいため、「探偵」がタイトルの頭に付けられた。なお、ネット局のほとんどが夜に放送することもあり誤解されやすいが、タイトルの「ナイト」は、夜(Night)ではなく、騎士(Knight)という意味である(Knight Scoop)。[12]2004年6月18日放送のオープニングでも西田局長が詳しく明言している(その際桂小枝がセットの棚にあるサーベルを取り出し、突き刺すフリをする仕草を見せている)。
現在の番組タイトルロゴには下に小さい文字の「knight scoop」があるが、初期のタイトルロゴには「knight scoop」がなかった。(「knight scoop」の表示がなかったのは、CM前に表示されるロゴのみ)
また、現在オープニングで出てくるロゴは青色で表示されているが、初期は白色で表示されていた。1995年頃からは銀色で表示されるようになった。スペシャル版の時や公式サイトなどでは金色で表示されることが多い。
テロップの使用
出演者の言葉にテロップを付けて強調する手法は現在日本のバラエティ番組で日常的に行われているが、これはこの『ナイトスクープ』が最初に行ったものとされる[12][13]。ただし、「ナイトスクープ」におけるテロップは、あくまで「ナレーションの代わり」として話題・状況の要約やツッコミを入れたり、聞き取りにくい部分を補ったりする目的で使われているものである。その基準は「入れた方が中身がわかりやすくなり、また面白くて笑いが取れる」とスタッフが判断した箇所に限られており、現在のお笑い番組のように出演者の発言を次から次へとなぞるようにテロップを挿入しているわけではない[12]。またテロップの使用は取材VTR内のみに限定されており、他の番組のようにスタジオ内でのトーク部分でテロップ類を使用することは一切行っていないことからもこのことが窺える。 また、依頼者や探偵などが意味不明な行動や言動をした場合は「?」[14]のテロップが使用されることもある。
番組内でテロップに使用される書体の多くはゴシック体などの簡素なもので、他のお笑い番組にありがちな文字を派手に装飾(文字の大きさを極端に変えたり、様々な書体を使用するなど)することはあまりない。
2007年1月26日放送分から、画面左上に依頼内容のタイトルスーパーが小さく表示されるようになった。
視聴率
以下、特記の無いものは全て関西地区、ビデオリサーチ調べによるもの。
- 初回視聴率:8.6%
- 最高視聴率
- 32.2%(1998年5月1日放送)[15]
- 31.2%(1998年3月6日放送)
- 31.0%(1994年3月25日放送)
- 30.7%(1997年6月20日放送)
- 30.5%(1993年12月24日放送)
- 最低視聴率:4.6%(1988年9月24日、過去の放送回の再放送時)
- ※再放送を除いた最低視聴率は5.5%(第3回放送)
2010年時点では30%を超えることはないものの、深夜11時台からの放送ながら毎週20%前後で安定している。関西地区では、週間視聴率ランキングでゴールデンタイムの番組らを抑えてトップとなることも稀にある。
『探偵!ナイトスクープ リターンズ』2008年7月4日放送分によると、年間平均視聴率・最高視聴率は
- 1988年 平均 8.7% 最高13.0%
- 1989年 平均 9.3% 最高13.7%
- 1990年 平均13.2% 最高18.9%
- 1991年 平均16.6% 最高23.5%
- 1992年 平均20.8% 最高28.0%
- 1993年 平均25.3% 最高30.5%
- 1994年 平均22.4% 最高31.0%
- 1995年 平均21.5% 最高25.5%
- 1996年 平均22.4% 最高29.2%
- 1997年 平均24.8% 最高30.7%
- 1998年 平均25.6% 最高32.2%
となっている。
その放送で北野誠が語るには、「3年目から急加速するが、1993年に『料理の鉄人』が始まり、視聴率が肉薄する。林先生を使い出したのは料理の鉄人に対抗するためだった。対抗する一つの『料理の変人』だった」。
2009年3月15日放送「探偵!ナイトスクープ ザ・ゴールデン」の説明にて『20年間の平均視聴率20.1%』(同局調べ)との数字が用いられ[16][17]、視聴率は21.4%(関東地区5.3%)であった[18]。
代表的な依頼
依頼においてはDVDのレジュメにおいてジャンル分けされている場合があるため、ある程度これに倣って依頼内容を以下のように分類する(依頼によっては、2以上のジャンルにまたがって分類される場合がある)。なお、放送日表記はABC(関西ローカル)での初回放送のもの。また、基本的に調査は全てアナログで聞き込み調査や街頭インタビューなど基本的に人が行動して行う。地名なども基本は地図で調べている。電話番号を調査する場合ですら電話番号案内104を使用したり、電話帳を引いたりといった具合である。よって、インターネット検索と言った手段は基本的に使用していない。これについてある顧問は「実際に専門家に尋ねれば1分もしないうちに解決する依頼もある」と断言していた。アナログ的な捜査(取材)の中、使用する電話が固定電話から携帯電話に変更した以外には、目新しい捜査及び情報技術の導入は殆ど無い。
体力勝負型調査
探偵が体力を使うか、依頼者が体力を使うかで大きく分類が分かれる。時々探偵と依頼者の両方が体を使う場合もある。
探偵が体を張った調査
- カーネル・サンダース像救出作戦
- 1988年3月5日第1回放送時の最後の依頼(DVD Vol.3に収録)で、シリーズ化されて同年4月2日・4月23日の計3回放送[19][20]された後、総集編でも複数回取り上げられ放送された[19]。探偵は槍魔栗三助(現・生瀬勝久)。依頼文として読まれた「阪神タイガース低迷の原因は、1985年優勝時の騒ぎの中で道頓堀川に投げ込まれたサンダース像の祟りに違いない」という当時広まりつつあった都市伝説をネタとして取り上げ、救出作戦[21]として道頓堀川で複数回詳細な調査を実施した[20][22]。3月5日放送では、探偵自ら潜水調査を行ったが発見できたのは自転車くらいで、当時最新式の魚群探知機や金属探知機を投入したものの結局カーネル・サンダース像は発見できなかった[22]。4月2日放送では「近くの川でカーネル人形の上半身を見つけた」と滝川高生徒より依頼を受け調査したが、別物であった[19]。4月23日放送では(初代)局長から徹底調査の厳命があり、ダイバーを5・6人投入して戎橋の下流約100mの範囲にて4日間費やし行ったが、最後まで発見には至らなかった。「祟り」自体は関西人好みのジョークであったが[23]、このネタが放送されたことで「カーネル・サンダース(像)の呪い」の都市伝説が定着した[20][24]。調査放送から21年後の2009年3月10日に上半身、翌3月11日に下半身と右手が水辺整備事業中の工事関係者により発見され、それに関連した映像が2009年3月15日放送『探偵!ナイトスクープ ザ・ゴールデン』の冒頭で流された(詳細はカーネル・サンダースの呪い#カーネル・サンダース像発見を参照)。
- 視聴率調査
- 「毎週ナイトスクープを見ております」と依頼文に書いてある視聴者が本当にナイトスクープの番組を見ているかどうかを確認すべく、放送している深夜の時間帯に視聴者の家を訪れチェックする。1989年10月にこの調査シリーズが始まって以降は「できるだけ見ております」や「見られるときは見ています」と書いてある依頼文が増えたという。後に、依頼者とは関係無しにナイトスクープの番組放送時間内にできるだけ多くの一般民家を訪問し、ナイトスクープを見ているかどうか確認する調査へと変化した。正式には俵太探偵→間探偵のお家芸であったが、他の探偵が指名されることもある。また、別の依頼の最中(何かしら結果までに時間がかかる等)に依頼人の近所で突発的に行うケースもある。系列局ではないがゴールデンでネットしていた局で実施したケース(テレビ高知)もある。
- おならで奏でる?「探偵!ナイトスクープ」
- 2008年5月30日放送。探偵はたむらけんじ。依頼者が勉強中にうっかりおならをしてしまい、それを聞いた友人が「今のはソ#の音」と言ったので、オナラを集めればドレミ音階ができ、さらにはナイトスクープのテーマソングも演奏できるのではないか、という趣旨の依頼。
- ロケ当日、依頼者は「高校の入学式があるので来られない」という理由で収録には来なかった。また、同じ部屋では三谷幸喜が出した依頼のロケも行われていた(探偵:桂小枝)が、小枝探偵に「そんなもんやめてまえ!」「三谷さんに失礼やないか」「お前アホやろ!?」と罵倒されていた。
- おならの音を集めることはできたが、高音域が足りないということで、「ヘリウムガスでおならの音は高くなるのか」という別の依頼の調査も兼ねて高音域を出そうとしたがうまく出せなかった。そして、おならの音で演奏されたテーマソングを、オープニングに乗せて流したところ、客席は大爆笑に包まれた。
依頼者が体を張った調査
- チチヤスヨーグルトのフタの謎
- 1993年5月21日放送。探偵は桂小枝。阪神高速空港線沿いにチチヤス(当時はチチヤス乳業、現在伊藤園の子会社)ヨーグルトの容器を模した巨大な看板(現在は撤去)がある。その看板の側面に「製造年月日は上蓋に記載」と書いてあるが、本当に書かれているかどうか調べて欲しいとの依頼。空港の間近ということで探偵と依頼者は上から確認するために飛行機に搭乗。しかしチチヤスとは反対側に離陸してしまい確認できず。「離陸が反対なら着陸時に確認できるはず」と東京から折り返し大阪に向かおうとするがGWのため満席。やむなく徳島空港まで行き、そこから大阪空港まで搭乗するも、はっきり確認できなかった。やむをえず、直接会社を訪れ確認すると蓋がないことが判明。看板に偽りがあってはダメということで小枝が手作りで蓋を作成し看板上部に設置した。なお、この設置作業は夜で高所で強風が吹きつけ、さらに直上を飛行機が爆音を立てて飛ぶため小枝の怖かった体験として後々の依頼でも「チチヤスより怖い」と比較されることがある。
- なお、この時の依頼人は漫画家の西炯子。DVD Vol.6に収録。
- 謎の爆発卵
- 1993年12月24日放送。探偵は桂小枝。「友人が電子レンジを使ってゆで卵を作ったが、食べようとした瞬間に爆発したらしい。そのゆで卵を作ってみたい」という趣旨の依頼。探偵ばかりでなく、依頼者、その友人も犠牲になった。また、この放送日はクリスマスイブや年末年始が要因で、在宅率が高かった事もあいまって、視聴率30.5%を記録した。ロケ取材は8月に収録が行われていたが、朝日放送社内で「危険な行為を紹介することに繋がりかねない」と問題視されお蔵入り寸前であったものの、この放送をきっかけとして関西地方では「電子レンジでゆで卵を作るのは危険である」と転じて啓発され、定着する結果となった。DVD Vol.1に収録。
- 依頼者は第3回探偵!ナイトスクープアカデミー大賞 主演男優賞作品に選出。この依頼は特番『20周年記念・ナイトスクープリターンズ』で再度放送された。
- 2013年12月31日、「年忘れファン感謝祭2013」において、桂小枝が選ぶベスト3VTRの1位として再度放送された。
- 泥舟は本当に浮くのか?
- 2008年7月11日放送。探偵は北野誠。大阪府の男性(34)から、2歳になる娘に嫁は毎晩、読み聞かせている童話の中に“カチカチ山”がある。悪さをしたタヌキが、仕返しに『泥の舟』に乗せられて沈んでしまう話だが、その泥舟のことで嫁と口論になった。泥舟は沈むのが当たり前と考える嫁は、作り方によっては浮くという私の主張を取り合わず、うそつき呼ばわりする。泥舟は浮くということを自分の体を張って証明したいというもの。
- ナイトスクープの物理担当である大阪市立高等学校教諭の山田善春の設計どおりに泥船を作った結果、約8分間浮くことが出来た。
- 声でグラスを割る男!?
- 2013年1月25日放送。探偵は石田靖。ヘビーメタルシンガーをしている男性(本業はボイストレーナー)がここ数年追い求めていた目標である「声でワイングラスを割る」事に成功したという。本人によると、日本人では初で世界でも5人目の快挙らしい。これは番組の依頼募集項目の最後に出ている「特ダネ」だと思うので、この瞬間を撮影して自分の偉業をアピールしてほしい、という依頼(ナイトスクープに依頼した理由は、依頼者本人が大ファンであったため)。依頼者のキャラもあって最初は半信半疑の石田探偵であったが、いざ実行すると依頼者の声でワイングラスが振動し、それによって中に入れたストローが落下する様を見て驚嘆。そして見事、声でグラスを割る事に成功し、「特ダネ」映像の撮影に成功した。なお、同様の肉声でグラスを割る映像は2005年にアメリカでディスカバリーチャンネルの番組『怪しい伝説』でも撮影に成功している。
人物来歴・歴史再発見型
- 「浪花のモーツァルト」の誕生
- 1990年放送。探偵は嘉門達夫。「キダ・タローが他のタレントから『キダ・タロー先生』と呼ばれるのは何故ですか?」という依頼をもとに、キダ・タローの生い立ちから現在(1990年)までの足跡をたどった。このときの取材を元に「浪花のモーツァルト、キダ・タロー」というフレーズが誕生し、さらにそこからCM、CDなどが企画された。
- なぜ浪花の「モーツァルト」なのであるかというと、かつてのABCの名番組『ラブアタック!』(上岡司会)での「早食い競争」のコーナー用のキダ・タロー作曲のBGMが、モーツァルトの代表曲の一つ「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」とモチーフが共通しているという松本プロデューサーの指摘が発端。「キダ先生が200年早くこの世に生まれていたならモーツァルトは「ウィーンのキダ・タロー」と呼ばれていただろう」という同氏による言葉で決定付けられたといっても過言ではない。[25]
- なお、「浪花のモーツァルト」の呼称はCD発売によって広く認知されている。ただ、本人は当のナイトスクープで一度「本当は難波のショパンと呼ばれたかった」と語っている。DVD Vol.3に収録。
調査・新発見型
- 日本全国アホ・バカ分布図
- 1990年1月放送の依頼「アホとバカの境界線を探せ」に始まる、全国地域の「馬鹿」に相当する方言を収集するプロジェクト。きっかけは「関西では『アホ』、関東では『バカ』と言うけれど、その『アホ』と『バカ』の境目はどこ?」という依頼。
- 全国の主要都市を調査し、「アホ」と「バカ」の境界に『たわけ』(名古屋周辺)が発見された、などが探偵・北野誠によってとりあえず報告された。しかし、上岡局長(当時)が「では、『たわけ』と『バカ』の境界線はどこなんですか。きっちり調べなさい」と言ったことから、再度、視聴者からの情報投稿や全国の市町村の教育委員会への方言のアンケート調査など、大規模で本格的な調査を行うこととなった。その結果が1991年5月放送の特別番組「全国アホ・バカ分布図の完成」にまとめられた。
- 実際に詳しく全国の地域を行脚、調査をしてみると、京都を中心とした、同心円状に離れた同じ距離の違う地方で同一の方言が使われていたことが判明するなど、方言周圏論の検証例として国語学上大変貴重な調査結果を出すことができた。この放送内容は後に日本方言研究会でも取り上げられるなど、大きな反響を呼んだ(「馬鹿」・「阿呆」の項目も参照)。
- 投稿から調査・研究がなされ、発表されるまでの過程は、その結果とともに、松本修プロデューサーによって『全国アホ・バカ分布考―はるかなる言葉の旅路』(太田出版、新潮文庫)に余すところなく収められ、後にビデオ化までされた(現在は廃盤)。
- 1991年日本民間放送連盟賞テレビ娯楽部門最優秀賞受賞・第29回ギャラクシー賞選奨・第9回ATP賞グランプリ受賞。
- 調べてくださいシリーズ
- 1991年頃から始まった。越前屋俵太探偵が、市井の人々から様々な意見を引き出すコーナーで、インタビューに終始するものである。始めの頃は、上岡に「ただインタビューしてるだけやないか!」と強烈な批判を浴びていたが、そのたびに俵太探偵が、「町の人の意見を引き出すことも重要」と説得し、次第に上岡も認めるようになった。テーマは依頼者が決め、過去には「雪」「こだわり」「東京の人々」「働く人」など様々なテーマで放送された。俵太探偵が降板したと同時に、このコーナーも消滅したと思われるが、インタビューに終始する似たような形式のVTRは現在でも放送されることがある。
- 枚方VS寝屋川 どっちが都会か?
- 1994年10月7日放送、探偵は北野誠。京都在住の依頼人が「京阪電車の中で、枚方市と寝屋川市のどちらが都会か?」という論争をしているのを聞いて、枚方市民と寝屋川市民は常にこのような論争をしているのか調べて欲しい、という依頼。寝屋川市民からは「(枚方市民は)クサい」という声があった一方で、枚方市民からは「(寝屋川市民は)ガラが悪い」という声が出るなど、市民間では大論争に発展した。しかし、ラストシーンではその論争を聞いていた高槻市民から「目くそ鼻くそ」と言われてしまった。大阪人のノリの良さが伺える依頼。なお、この日の顧問だったキダ・タローは「姉が住んでいる」という理由で寝屋川市を推していた。
- 林先生のお料理
- 依頼の中には「コレを料理したらどうなるのだろう」「新食材発見!」などの調理に関するものも多数あり、その場合には林繁和・辻学園日本調理師専門学校主任教授の出番となる。「母乳でお菓子を作る」という依頼で初登場。「いやだ、受けたくない」「できるわけがない」と言って断ろうとするが断らせてくれないのが常で、拒否する林に探偵が「出来ないから逃げているんだろう」「大した事ないな」といった類の挑発を仕掛け、なにくそとばかりに林が引き受けるという流れも一つのお約束になっている。ドブガイ料理(服部緑地産巨大シジミとして持ち込まれた、DVD Vol.6 〜巨大シジミ発見!?篇に収録)やウミウシ、ジャンボタニシの卵、異臭を放つオオマリコケムシ(数万個の個体がコロニーを成し、寒天質の分泌液をもつ)、果ては(チャップリンの「黄金狂時代」ばりに)フェラガモの革靴といった無茶苦茶な素材の依頼でも「これでメインがドブガイじゃなければ」といわれるほど見事な料理メニューに仕上げ、「マンホールの蓋でワッフル」(DVD Vol.13に収録)、玩具の「ママレンジで料理」(DVD Vol.13に収録)、「登り窯で巨大フランスパン」といった無茶苦茶な道具や施設を使っても「弘法筆を選ばず」、素晴らしい腕前を披露している。口も達者なため人気は高く、番組の顧問としてもしばしば出演するようになった。林はこの番組で認知度を爆発的に上げることにもなり、関西地方を中心に単独でレギュラー番組を持つことも増えた。なお、林の起用については2008年夏の特番で、初登場時に裏番組『料理の鉄人』が視聴率で当番組を追い上げており、それに同じ料理人で対抗する狙いがあったことが明かされた。
- 30代の女性はピンク・レディーを踊れる?
- 2001年2月9日放送。探偵は間寛平。2000年の大晦日に放送された『第51回NHK紅白歌合戦』に復活出演したピンク・レディーを見た依頼者から、「30代女性は、みんなピンク・レディーの曲に合わせて振りまねができるのか」という依頼が来た。間探偵が各地の商店街で調査したところ、最初は嫌がっていた女性たちが、ピンク・レディーの曲が流れ始めると自然に体が動き出し、完璧に踊れることが実証された。中には一度も一緒に踊ったことがない女性同士が、見事にミーとケイに分かれて踊ってしまうなど、この世代の女性たちが如何にピンク・レディーに熱中していたかを窺わせる場面もあった。DVD Vol.7に収録。なお、このとき同時に「30半ば - 40半ばの男性はヌンチャクが使える?」という依頼も放送された。
- 赤ちゃんが泣き止む
- 2001年11月30日放送。探偵は立原啓裕。「赤ちゃんがタケモトピアノのCMを見ると突然泣き止むので、他の赤ちゃんも泣き止むのか調べてほしい」という依頼があり、数十人の赤ちゃんに試した結果、大半の赤ちゃんが泣き止むことが立証された。なお、この後「何故泣き止むのか?」という追加の調査も行い、踊り、ピアノの音などさまざまな要素を試した結果、原因は財津一郎の歌う声質が、ちょうど赤ちゃんの好む領域の声質であるのと、音が鳴り出すタイミングと止むタイミングが最も赤ちゃんの注意をひくものである、ということである。DVD Vol.5 〜養老の星 幸ちゃん篇に収録。
- そして2006年4月28日放送分ではタケモトピアノに次ぐ赤ちゃんが泣きやむCMとして、キユーピーの「たらこパスタソース」のCMソングで泣き止むことも立証された。両方とも放送後、ネットや口コミで広がり、関東の全国区の番組で紹介された。その後、両方とも「タケモトピアノの歌」・「たらこ・たらこ・たらこ」という曲名でCD化されている。また「タケモトピアノの歌」を元にタカラトミーが鈴木松美(日本音響研究所会長)と共同制作したCDが、赤ちゃんがすぐに泣き止むものとして『がっちりマンデー!!』(2007年4月29日放送)で紹介された。なお、このように取り上げられた楽曲が後に大ブレイクというパターンの元祖は1998年放送の「おさかな天国」を取り上げた放送である。
- 携帯電話からエーアイアイ!?
- 2006年8月4日放送。探偵は竹山隆範。依頼者の主人が持つ携帯電話のカメラシャッター音の一つに、「撮ったのかよ!」と男性が叫ぶものがある。しかし、依頼者の2人の子供たちは「エーアイアイ」と聞こえると言い、最初はそう聞こえなかった依頼者も「エーアイアイ」と聞こえるようになった。なぜそう聞こえるのか、原因を調べて欲しいというもの。日本音響研究所所長の鈴木松美までもが登場する本格的な調査となった。ちなみにこの時の依頼に使われていた機種はNTTドコモのSH902iである。DVD Vol.12に収録。
- 関西人シリーズ
- 主に小ネタとして使われる一発ネタで、いわゆるあるあるネタの元祖とも言える。「関西人は鉄砲を撃つフリをするとノリで死んでくれる(刀で斬るフリをすると死んでくれる)」「関西人は大げさな表現を『ウソォ』と尋ねる」「関西人はテキトーに話をあわせる」「関西人は『関西電気保安協会』をCMの節なしでは読めない」など多数。この中で、関西人以外に同じようなもので「○○世代は」というものもあり、前述のように「30代女性はピンクレディーのUFOの振りが完璧」「同じく30代男性はヌンチャクが扱える」などといったものである(顔までそっくりな人も現れた)。
- 御堂筋全国都道府県調査
- 2008年7月11日放送。探偵は松村邦洋。依頼者が長崎県出身で、先日淀屋橋で道路交通量調査のアルバイトをしていたところ、ふと町を行く人の中に、自分と同じ長崎県の人がどれだけいるか気になり、さらに地方出身者がどれだけいるのか気になったので、一定の時間内で御堂筋を通る人々に調査を行うことになった。松村が御堂筋を約3往復して、47ある都道府県のうち39の都道府県の出身者を抽出することができた。しかし、局長の西田の出身地である福島県を含む東北地方の県出身者は一人も現れなかった。
- 北海道と沖縄では体重が変わる!?
- 2008年11月7日放送。探偵は石田靖。愛媛県に住む依頼者の妹は現在、静岡で下宿中。その妹が同じ日に計った体重が、愛媛と静岡で違うと言い出した。静岡から愛媛に帰ると体重が減り、静岡に戻ると体重が増えるらしい。南下すると体重が減り、北上すると体重が増えると考えているようである。そこで北海道の最北端の宗谷岬と沖縄本島最南端の喜屋武岬に行き、“としゆきくん”(人形)を用いて同じ条件で計量した。結果は沖縄で計量した結果のほうが約300グラム軽くなった。これは遠心力と重力の働きによるものである。
- 葉っぱに浮き出た謎の文字!?
- 2011年6月3日放送、探偵は長原成樹。ある女性からの依頼。5月のある日、部屋の観葉植物に謎の文字が浮き出ていることを発見した。その文字は2月のカレンダーに依頼者自身が記入した文字とそっくりであるが、依頼者自身も家族も覚えがないという。長原成樹探偵が専門家を招集。植物学的見地から植物館の館長、光学的見地からプロカメラマン、さらには超常現象的見地から大阪スポーツ新聞 超常現象担当記者を招集して意見を求めたところ、いったんは大スポ記者の「宇宙からのメッセージ説」に傾きかけた。しかし最後に細胞学的見地から博士号をもつ専門家(肩書は大阪大学大学院 工学研究科 生命先端工学専攻 細胞動態学領域研究員)に意見を求めたところ、「カレンダーに文字を書いた時に、観葉植物の葉がカレンダーの裏側に挟まっていることに気が付かず、ポールペンの筆圧で書いた文字の部分だけ、葉の細胞組織が死んで文字が浮き上がったのではないか?」と推測した。「宇宙からのメッセージ説」を強硬に唱える大スポ記者が抗議し、「これは大阪大学と大阪スポーツの対決だ」として徹底検証を主張。大阪大学大学院で検証を行うこととなった。2月のカレンダーの文字記入部分の裏側から葉の成分である葉緑素が検出され「大阪大学 対 大阪スポーツ」は大阪大学に軍配が上がった。
視聴者の疑問や悩みに答える(夢を叶える)
- 小ネタ集
- 解決が簡単すぎる(もしくは解決の必要は無いが面白すぎる、解決に至る手法が困難に過ぎるためギャグでお茶を濁すことしかできない)ため、単独ではレポートとして成立しそうにないネタを寄せ集めて連続で紹介する(大体5 - 6本程度)。主に「確かめてください」「見に来てください」などの依頼がこれにあたる。主に桂小枝探偵が担当するが、他の探偵もこれを担当する場合がある。初の小ネタは1989年1月21日に放送。秘書(岡部まり)が依頼文を読まない(探偵がいっしょうけんめい盛り上げながら読み上げる)コーナーでもある。素人時代のなかやまきんに君と、2008年に『ザ・マジックアワー』の宣伝も兼ねて三谷幸喜が投稿者として出演したこともある。
- 特に、小枝探偵が小ネタ集を担当した場合秘書が「小枝探偵による爆笑小ネタ集…」と言っただけで客席やレギュラー陣から拍手喝采が沸き起こり会場は大歓声に包まれる。また、1995年1月には、「爆笑!特ダネ発表会」と題して超小ネタ13連発を放送した。
- ラインバックは死んだのか
- 1990年9月1日放送、探偵は越前屋俵太。かつて、阪神タイガースに所属していたマイク・ラインバックが車ごと崖から転落して死亡した、という記事が日刊スポーツに掲載された。だが、その記事があまりにも小さく信憑性に欠けるものだったのでどうか真偽を調べてほしい、という依頼。
- 調査の結果、ラインバックは阪神を退団後、コンピュータ会社に就職するも妻との離婚や実父の死などの不幸に見舞われたことが明らかに。俵太と依頼者はアメリカへ飛び立ち、ラインバックの勤めていた会社を探し当てるが、そこで現地の社員から「彼は2年半前(1988年5月20日)に事故死した」と聞かされる。39歳であった。その後、依頼者の希望によりラインバックのお墓参りに向かう。依頼者が「ヘッドスライディングした1塁の土です。思い出しますか?」と涙を流しながら甲子園球場の1塁の土をラインバックの墓石にかけるシーンは多くの人の感動をよんだ。後に「涙を流した瞬間に体を逆さ吊りにすれば涙を反対の目に入れることができるか」という小ネタ(1993年4月9日放送)で、横山ノックに涙を流させるためにこのVTRを見せていた。
- これが本当のぶらり旅
- 1992年6月12日放送、探偵は越前屋俵太。「テレビで放送される旅番組はどれも観光案内かのようにありきたりで楽しくないため、ナイトスクープ的なウキウキする新しい旅番組を作ってほしい」という依頼に応えるため、悩んだ末に企画されたのが、用意した地図に向かってダーツを投げ、ダーツの刺さった地域を訪れるという旅番組「俵太のダーツにおまかせ!!ひとり旅」。いざ投げたダーツは紀伊水道の四国寄りの海の位置に刺さってしまうが、越前屋俵太はそれをものともせず、スーツ姿で海中から登場。和歌山県日ノ御埼へと向かい、上陸後は町の人々と交流をかさねながら数人のゲストとともに旅のリポートをしていく…という内容。ちなみに、このスーツ姿で海を泳ぐ映像は後にオープニングにも採用された。
- この企画においては近畿圏の地図が用いられたが、全国版の日本地図でも、世界地図でも、地球儀でも可能であるという企画の幅がきくところを上岡龍太郎は評価していた。これをうけて、越前屋俵太は「業界関係者の方、どんどんマネしてください」とのコメントを残している。DVD Vol.13に収録。
- なお、この放送から数年後の1996年に放送開始となった『1億人の大質問!?笑ってコラえて!』では、酷似した企画「日本列島 ダーツの旅」を放送。「俵太のダーツにおまかせ!!ひとり旅」が原型となっているとの噂があった。2008年10月18日の『探偵!ナイトスクープリターンズ』でこの回が再放送された際には、岡部まりと当時の回想を求めた三代澤康司(ABCアナウンサー)とのあいだで「この企画が他局の番組に採用された」という趣旨のやりとりがなされている。
- 日本一周旅行中の息子
- 1994年2月11日放送、探偵は立原啓裕。依頼者の息子は、大学受験に失敗して、もう一度自分を見つめ直すために、歩いて日本一周する旅に出た。ほぼ毎日電話が掛かってくるが、10ヶ月も息子の顔を見ていない母としては心配で仕方がないわけで、実際に顔を合わせてしまうとせっかく自立心が芽生えた息子に里心を芽生えさせることになってしまうので、何とか息子に気付かれないように、どんな生活をしているのかをこっそりと覗いてみたいという依頼。
- 黒柳徹子も絶賛した程の名作で、第3回探偵!ナイトスクープアカデミー大賞 主演女優賞作品にも選ばれている。DVD Vol.3に収録。
- 素晴らしき車椅子の旅
- 2001年4月6日放送、探偵は北野誠。車椅子生活を送っている中学生の娘が、生まれて初めての一人旅をしたいと言い出した。しかし娘を一人で送り出すのは不安なため、探偵に娘をフォローしてほしい、という依頼。
- 依頼者の住む大阪府羽曳野市から祖母の住む愛媛県四国中央市まで、電車と船を何度も乗り継ぐが、今回は依頼者の家族の同意を得て、北野も車椅子に乗り同行した(もちろん、周りに迷惑が掛からないように細心の注意が払われた)。普段なら気にも止めない街中の段差やスロープでかなり体力を消費してしまい、思わず「しんどい」と北野がこぼすと、娘に「くじけんなよ」と返されてしまう場面もあった。DVD Vol.2に収録。
- 日本民間放送連盟賞最優秀賞(エンタテイメント部門)受賞作品。
- 空手の母は強し
- 2002年6月21日放送、探偵は石田靖。息子を女手一つで育ててきた依頼者が、息子に強い母の姿を見せるため、そして息子に強くなってほしいがため、空手の30枚割(瓦ではなく板)に挑戦するエピソードである。依頼の導入部分では、偽の板を30枚割って見せればいいというような非常に中途半端な取り組み姿勢をみせる依頼者に対して、石田探偵がその姿勢をたしなめ、本物の板を使用しての30枚連続割りに挑戦することとなった。最初は板1枚すら割れないような非力さであったが、正道会館の子安慎悟の指導の下、見事に30枚連続割りを成し遂げた。その姿に子安は感極まり、息子に対して、「見てたよね? お母さんは30枚成功して、強いよ。でももっと強いのは、いつもご飯を作ってくれたり、ここまで大きく育ててくれたことだよ。それがいちばん凄いんだ。だから今度は君が空手を頑張って、お母さんを守っていけるように強くなろう」と語った。依頼者の母親としての強さと子安の言葉、そしてあふれる説明のつかない感情に不意に泣いてしまう依頼者の息子の姿は視聴者の大きな感動を呼んだ。VTR終了でスタジオの映像に戻るときには、お約束の西田局長のアップになり、あまりの感動に「ばかやろー」「ちくしょー」と叫び、会場の爆笑を誘った。「探偵!ナイトスクープ アカデミー大賞」の候補にも選ばれた。「DVD Vol.5 〜養老の星 幸ちゃん篇」に収録。
- まさか!?祖父がルー!?
- 2003年11月21日放送、探偵は桂小枝。依頼者の娘である中学生が大のおじいちゃん子であり、そのおじいちゃんはルー大柴にそっくりという。しかし、おじいちゃんが他界した後、娘に元気がないため、ぜひルーさんを娘に会わせてほしいという依頼。
- 実際にルーと対面した依頼者の娘は一緒に話をしたり、夕食を作るなどごく自然に過ごし、またルーも普段のキャラを封印し、祖父として接した。その結果、娘がルーに対し「おじいちゃん」と無意識に呼びかけるシーンや、「夢を見ているみたい」とつぶやく場面もあった。この様子をモニターで見ていた依頼者とその母はたまらず落涙。横にいた桂小枝も涙を流すという、異例の事態となった。家族と別れるときにはルー自身もたまらず涙した。VTRを見た西田局長が最後につぶやいた「ルーさんって、ホンマはエエ人なんやねえ…」という言葉どおり、関西においてルーの好感度は目に見えて上昇したという。また、ルー自身ものちにこのときのことを振り返って「今までいろんな仕事してきたけど、この番組は本当にすばらしい番組ですよ」と語っている。近年の大感動ネタにあげられるひとつ。
- 後に2007年5月18日放送の『笑っていいとも!』のテレフォンショッキングのコーナーにルーが出演した際、依頼者の娘から電報が届き、この時のエピソードを語っている。2007年12月14日放送分でルー自身が「(再ブレイクの)始まりはこの番組からでした」と語っており、ルー自身も『ナイトスクープ』が再ブレイクのきっかけと認識している。
- 恋するハナカミ
- 探偵と視聴者が1日限りのデートをする企画。2008年11月14日放送にて桂小枝とバツイチ女性が行っていた。当時裏番組だったTBSの『恋するハニカミ!』のパロディ企画。
- ゾンビと戦いたい三姉弟
- 2008年3月7日放送。探偵はたむらけんじ。ホラー映画、特にゾンビが出てくる映画が大好きで、もしゾンビが襲ってきたときのシミュレーションをしているという三姉弟の母親からの依頼。ゾンビ役の俳優から逃げ惑うエキストラとして近所の住人達が協力し、姉弟が家の中に仕掛けた、水を含ませたスポンジや血に似せたタバスコなどのゾンビ撃退トラップに俳優が全て付き合い、泣きわめきしながらもかろうじてゾンビを撃退するという内容。DVD Vol.14に収録。
- 後日に放送された「探偵ナイトスクープザゴールデン」では、「関西人が全国の視聴者にお見せしたい依頼」として再放送された。その中で、姉の学校で協力することの大切さを教える目的で道徳の授業で流された事や、ダウンタウンの松本人志が絶賛したという後日談が紹介された。また『笑っていいとも!』のテレフォンショッキングに出演した百田尚樹も思い出の依頼だったと語っていた。
- ガオ〜さんが来るぞ
- レイテ島からのハガキ
- 2011年1月7日放送、探偵は田村裕。大阪府在住の65歳の男性からの依頼。亡母の遺品の中から、太平洋戦争中に戦死した依頼者の父親が戦地から送ってきた手紙が発見された。結婚後すぐに出兵し、依頼者が生まれる前に死んだ父の手紙の文面に「身重であるお前」と読めそうな部分があるが、父は母が自分を身篭っていたことを知っていたのかどうか調べてほしいという内容。ハガキは劣化した上に文字が擦れて潰れ判読は難しかったが、奈良文化財研究所で分析・解読をしたところ、判読がしやすい鉛筆で書かれていたことが幸いし、ほぼ全文の判読に成功した。その結果該当部分は「身重であるお前」に間違いないと結論付けられた。根拠として、手紙の最後に辞世の和歌が詠まれており、その中に「妊娠の妻」という言葉が判読できた事が挙げられ、妊娠中の妻を気遣った内容であるという結果が出た。スタジオ中が感動に包まれ、西田局長に至っては依頼文の時点で既に涙を流していた。第48回ギャラクシー賞テレビ部門受賞。
- 10年以上口をきいていない父と母
- 2013年4月5日放送、探偵は竹山隆範。奈良県在住の18歳の少年からの依頼。依頼者は、物心付いた頃から両親の会話を聞いたことがなく、母親が話しかけても父親が無視してしまうのだと言う。子供に対しては普通に話しかけてくれるのに、なぜ母親とは口をきこうとしないのか、理由を解明してほしいという内容。依頼者の姉からも話を聞いた所、実に23年間会話をしていないことが判明。理由を父親に聞いた所、「子供が生まれてから妻が子供中心の生活をするようになり、自分の相手をしてくれなくなった」、要するに「拗ねていた」という理由で、それから引っ込みがつかなくなってしまった、と告白。父親、母親ともにお互いに話がしたいという事から、2人の思い出の場所である奈良公園で夫婦2人きりにして、父親が今まで無視していたことを謝った後、お互いに日頃の感謝と、これからは夫婦で話をしてゆくという会話を交わした。父親は「子供たちがこんなに心配しているとは思わなかった」と、母親は「(会話できて)幸せでした」と語った。会話の様子を遠目で見ていた依頼者を含む3姉弟、さらに竹山探偵も涙し、スタジオ中が感動に包まれた。放送後、ネット上では番組への絶賛の声が殺到した[26]。
- 放送直後に、『週刊ポスト』でも特集記事として取り上げられた。
面白スポット・人物発見
- パラダイス
- 定番企画。秘宝館や零細経営の遊園地[27]や手作りのレクリエーション・パークなど、集客のなさそうなアミューズメントスポットを調査し面白く紹介するもので、記念すべき第1回は「淡路島ナゾのパラダイス」(当時の名称は『立川水仙郷』)。番組では、高齢の男性が一人で築き上げたり収集した建造物や物品を無秩序に陳列しているケースが多いが、それらは多くの場合、他者から見たらガラクタか粗大ゴミにしか見えないのに比して本人の思い入れは深く、その視点のギャップがユーモアを誘うといった趣向となっている。「パラダイスを発見しました」という参加者のフリもお約束となっている。
- 同番組では長く続く人気シリーズとなっており、原則として桂小枝が担当し、パラダイスを面白おかしく紹介する。「あんなつまらなそうなところでどうして小枝さんはあんなに楽しそうにできるのか」と言われることもあるほど微妙なスポットばかりが紹介されるが、「城山オレンヂ園」の場合には、小枝が取材したときには客はがらがらだったのに某在京キー局の特番が二番煎じで取材したときには人でいっぱいだったということもある[28]。最初にパラダイスとして紹介された「立川水仙郷」のように現在ではナイトスクープで紹介されたことを入り口に大書しているところもある[29]。今では、パラダイスの依頼の場合、はがきに「パラダイスを見つけました。小枝探偵行ってらっしゃい」とまで書かれるに至っている。
- マネキンと結婚したい!
- 間寛平探偵が担当。1997年1月31日放送。以前訪れた亀岡市の造り酒屋(大石酒造)で出会ったイケメンのマネキン人形に「フォーマルハウト」と勝手に名付けて恋をしてしまった女性が「彼と結婚したい」と依頼。そのマネキンが保管されているという倉庫で何千体もあるマネキンのなかから見事に対面を果たし、茨木市内のホテルのチャペルで両家(?)の親族が集まり式が挙げられた。DVD Vol.2に収録。その後、2005年のアカデミー大賞(後述)でその女性がプレゼンターとして登場。フォーマルハウトと半年で破局したこと、その後人間の男性と再婚(無論戸籍上は初婚である)し、子供もいるという事が明らかとなった。
- 爆笑!のど自慢!?
- 2006年4月28日放送。北野誠探偵が担当。「依頼者がたまたま見ていた『NHKのど自慢』に出ていた、シャ乱Qの『いいわけ』を特徴的に歌うも途中で鐘二つで失格した男性に曲の最後まで歌わせてあげてほしい」との依頼を元に、北野、依頼者共々養老町まで赴いた。観客席で応援していた人が掲げていた「養老町の星・幸ちゃん」という横断幕を手がかりに本人を探すが、その過程で町民達にビデオを見せたところ皆大ウケであり、町長に至っては「特別賞モノだ」と絶賛。無事に発見された「幸ちゃん」は町民数十名が観客席に入った養老町のホールでのど自慢で演奏していたバックバンドの演奏で最後まで熱唱した。その後幸ちゃんは7月14日放送のナイトスクープアカデミー大賞2006(後述)に於いて最優秀音楽賞を受賞し、大勢の観客のいるスタジオにて再び熱唱を披露した。DVD Vol.5に収録となり、BOXの名前も「養老の星 幸ちゃん篇」とされた。
- ナイトスクープでの出演をきっかけにネットを中心に話題となった幸ちゃんは、同年9月9日にゴールデンタイムの全国ネット番組『めちゃ2イケてるッ!』(フジテレビ)にも登場し、つんく♂をはじめとするシャ乱Qとの共演を果たした。また、12月26日放送のNHKのど自慢の総集編で、幸ちゃんのコーナーが設けられフジテレビ出演時の映像が紹介されるなど、ただの素人の域を超えて反応が広がった。
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- 奇跡のお母さん「能勢の昔の恋愛」
- そもそもは「戦前・戦中の女性のキスに対する感覚」を街角で間寛平探偵がインタビューして放送する、という単純なものであった。ところが、とある田舎の婦人にインタビューしたところ、「そんなこと、したことありません」「できるわけがありません」と大まじめで否定。これが間探偵の琴線に触れ、いろいろなパターンを引き出し、大爆笑のVTRに仕上がってしまう。しばらくして、別件(人探し)で、捜索地の近所の女性に声をかけたところ、偶然にもその婦人が登場、またしても大爆笑を取ってしまう(実は取材地がいずれも大阪府能勢町だった)。
- この様子が、ナイトスクープアカデミー大賞に選ばれ、その婦人が受賞。「生まれて初めて人にほめられました」と涕泣した。
トラブル・アクシデント
放送内容に関するトラブル
- 大阪府警クレーム事件
- 放送初期は番組の方向性を模索していた時期で、第9回の放送で局長である上岡自らが探偵となり調査を行った。調査依頼は当時問題となっていた国道一号線の迷惑駐車で、駐車禁止の区域に違法駐車されている現状を調査した。上岡は「警察は違法駐車を(事実上)放任しており職務怠慢だ」と断定し、マイクを持ったまま最寄の交番に突入。中に居た警官らに物凄い剣幕で一方的に怒鳴り散らして取材を終え、それが放送された。直後に取材内容に対して府警から朝日放送に苦情が寄せられ、今後、上岡がロケ取材を行わないとの確約で決着した。上岡のロケ取材更迭の空いた枠は、企画段階で起用がボツとなっていたMAKOTO(北野誠)が嘉門達夫の推薦もあり正式な探偵として加入した。その後、「警察は指紋を集めているか?」(1989年1月14日放送)の調査で再び警察を挑発してしまい、ナイトスクープと府警の関係は絶望的なものとなってしまったが、「カギはどこまで信用できるか?」(1989年6月24日放送)の調査で府警と和解した。この時、松本プロデューサー(当時)は収録台本に「くれぐれも大阪府警をおちょくったりしないように!」といった旨の文章を出演者に向けて記述した。
- 桂小枝激怒事件
- 1990年、視聴率20%キャンペーンの一環として、エンド5秒が開始された。その第1回目の収録で桂小枝がジャイアント馬場の真似をしたが、カメラが回っていなかったためスタッフが「もう一度やってくれ」と桂小枝に頼んだが、桂小枝は、「お客はネタをわかってんのに、もう一回やってウケるわけないやろ!」と激怒し、「もう帰る!」といってスタジオを去ろうとした。しかし、その場にいた松本プロデューサー(当時)が「この番組は小枝さんがいないと成り立たないんですよ!」と他の共演者がいるにもかかわらず、小枝よりも大きな声で叫んだ。たまたま、別のカメラが回っていたため再び収録することはなく、画質は劣ったがそのネタがそのまま放送された。
- 謎のビニールヒモ事件
- 1992年3月20日放送。探偵はトミーズ雅が担当。1992年2月 - 3月頃にかけて大阪府東大阪市の鴻池新田界隈のガードレールや電信柱に、梱包用のビニール製の紐が大量に結びつけてあるのが見つかった。しかし、誰がどのような意図を持ってやっているのかまったく不明であり、その人物を目撃したという話も聞かないので調べてほしいという依頼であった。
- 現地では確かに青・黄色等のビニール製のヒモが電信柱や交通標識等、建築設置物の様々な場所に複数本結ばれており、近所の文具店に何店か聞いてみると、同種のビニール製の紐が売り切れていた。その紐が結んである場所を調べてみるとおよそ2 - 3kmの範囲に渡っており、最後にはとあるガソリンスタンドの洗車機用のホースなどからその敷地の裏手にまで続いて、たくさんの紐が結わえ付けられているのが見つかり、スタジオからは悲鳴が上がった。最終的には(演出の一環かどうかは不明だが)探偵が半ば調査を放棄する形で「調査打ち切り」を宣告。さらには「本件に関する情報は今後一切、取り扱いません ご諒承下さい。(原文ママ)」というテロップが出される事態となった。本件が番組史上初にして、現在に至るまで唯一の調査打ち切り事例となっている。
- 放送から数年後テンプレート:いつ、ネット掲示板等で「犯人が捕まり、理由を聞かれてその犯人は『わからへん…わからへんけど結ばなあかんねん…』などと答えていた」といった噂や、「取材中、10分前には何も無かった場所へと戻ってくると、そこに異常な量の紐が結び付けられていた」「地域の付近で翌朝まで張り込み調査したものの、紐は一晩中増殖し続けた」など放送内容とは異なる内容が紹介されることによってネットロア(都市伝説)化した。なお、本件の放送以後情報を受け付けなかった理由は現在に至るまで公表されておらず、不明となっている。
- なお、この依頼は2010年3月発売のDVD vol.13に収録されたが、依頼人の顔と名前は編集と映像加工で伏せられている。
- 上岡局長激怒事件
- 1994年4月29日放送の「恐怖の幽霊下宿」という桂小枝が担当した依頼のVTR後に、局長の上岡が、幽霊がいる・いないというはっきりした実証や結論を出さずに、ただ単にふざけたVTRを流したと激怒して収録会場から退場した事件。
- VTRの内容は、霊媒師を呼んで幽霊がいるかを聞いてみたり、桂きん枝や桂小枝が除霊師や霊媒師に扮して遊んでいるネタ的な報告であり、幽霊がいるかいないかは不明なまま終わらせた内容に、生来オカルトや心霊の類を蛇蝎の如く嫌って[12]いた上岡は「テレビとして非常に危険な行為」と怒り口調でコメント。桂小枝が「そんなのどうでもええと思うんですけど。ただ面白かったらええという・・・」と、不穏な空気になりつつあった場を納めようと発言したところ、これが逆に火に油となってしまい上岡は更に激怒する。松本プロデューサーが慌てて出て場を取り繕うとするも、「こんなこと絶対に許せません。それやったら幽霊がいることをハッキリと実証してください」「いるかいないか(幽霊が)わからんまま終わらさんといてください。いないと断定して終わるのがテレビです」と言い、収録途中にも拘わらず上岡は会場から退場してしまう。
- 番組の収録途中で退場という唐突なアクシデントに場内はざわつき、岡部まりも「確かに(局長の)仰る通りなんでね…」と呟き、北野誠と桂小枝と清水圭が「落ち着いて落ち着いて。もし上岡さん戻ってこなかったら小枝さんが上岡さんに代わってやりますから」「この間キレたのは4年前やないか。オリンピックのようなもん」と事態の収束を図るも観客の動揺は収まらず、やむなく観客をスタジオから帰した後、他の出演者たちも帰宅したが、番組スタッフの考えが変わり、小枝と北野はスタジオに呼び戻され、深夜の暗いスタジオの中で続きを2人で続行した。
- 放送に乗らなかった部分は、ざわつく観客に探偵らが野球の途中経過を報告したり、スタジオで起こった事を一人につき最低5人に教える事といった指示を出し、桂小枝が座布団回しを披露するなどして30分間盛り上がった。放送日のエンディングで北野が「離さないー」と曲に合わせて歌い、「ホンマに(上岡に)離されるで」と桂小枝がツッコミを入れ番組終了。
- ただ、オンエア前の時点で上岡はすでに怒りの矛を納めており、その上での放送だったのだが、編集内容が「単なる頭のおかしいおっさんのわがままに見られるではないか」ということを感じた上岡は番組降板の意思を見せるという事態にこじれる。水面下での説得が続いたが、結局、「降板」の含みを持たせたまま、フジテレビ『上岡龍太郎にはダマされないぞ!』(関東ローカル)にて意思表明をするということになった。松本プロデューサーが直接フジテレビにまで乗り込んで上岡を説得。最終的に「翌週の放送でこの事件の真相を上岡本人が説明し、それを正確に放送する」という条件で続投が確定した。予告どおり、『上岡龍太郎にはダマされないぞ!』で意思表明があり、上岡は「実は2人で仕組んだ悪戯ですよ」と語り、松本プロデューサーの安堵の表情も放送された。
- スタッフによる暴行事件
- 1999年4月に長野市内で行われた収録の際、山本大介(四次元ナイフ)が制作会社のスタッフから暴行を受け、眼球の下の頭蓋骨を折る重傷を負った。この制作会社は、この事件と同時期に『クイズ!紳助くん』でも収録時にタレントを負傷させる事件を起こしており、スタッフらが処分され、朝日放送はこの制作会社との契約を解除した。
- 放送中止
- 「キャラメルで便秘が治る?」(ABC2010年5月14日放送分)の内容は、キャラメルを肛門から入れて便秘が治るというもの(詳細は後述)であったが、東日本放送と山形テレビでの放送が中止され、別の番組に差し替えられた。両局とも昼12時台に放送されるため、昼食時の視聴としては内容が不適切だと判断されたと思われる(前述の2局と同じ、昼12時台放送枠で放送されていた時期の長崎文化放送では、予定通り放送)。なお、深夜放送の他局では予定通り放送された。
- ちなみに大まかな内容は、依頼者が祖母から聞いていたキャラメルを使った浣腸の信憑性を確めるべく、石田探偵と依頼者が実践するものであったが、事実確認のために石田探偵による質問を受けた谷均史(ナイトスクープ医学担当)の監修と解説によりキャラメルを坐薬状にして行う浣腸の有効性と対象となる子供(基本的に幼児)に対して、通常の浣腸を行うよりも安全性がある事がきちんと実証されている。
その他トラブル
- 依頼辞退
- 2014年6月20日放送の「爆笑!小ネタ集」の一つとして放送された「とある依頼?」で、依頼者の20代の女性が石田靖の前で依頼文を読み上げようとしたが、西田局長を「西川」、 秘書の松尾依里佳の「えりか」の部分を「みどり」と間違えてしまい、最後には「局長と秘書の名前を間違えてまで依頼はできない」として依頼を辞退した。
- 依頼の辞退は番組開始以来初。
特別番組
- ナイトスクープアカデミー大賞
- 本家アカデミー賞に倣って、過去に出演した依頼者、または依頼に係わった人物などを会場に招き、最優秀主演男優賞、同女優賞、最優秀助演賞などを表彰しようというもの。強烈な個性を発揮した依頼者などがノミネートされ、会場で実際に表彰される。過去上岡局長時代に5回(1992年・1993年・1995年・1997年・1999年)行われた。1995年・1997年・1999年は正月特番として放送された。
- 2008年には放送開始20周年を記念して、20年間のVTRから各賞(最優秀主演男優賞、同女優賞、最優秀助演賞はなかった)を決定する「グランドアカデミー大賞」が行われた。会場はABCホールではなく、大阪国際会議場(グランキューブ大阪)。放送当日の『ムーブ!』には西田局長が宣伝のために出演した(ちなみに、『ムーブ!』はこの日がABCセンターからの最後の生放送だった)。
- 2011年にはABC開局60周年記念特番として放送され、この時は上岡局長時代のアカデミー大賞に近い形式で行われた(最優秀主演男優賞、同女優賞、こども賞、生き物賞)。また、この時はアナログ・デジタルともにステレオ放送が実施された。
- クイズ!紳助くんVS探偵!ナイトスクープ
- 1999年以降、大晦日には『ナイトinナイト』月曜枠の『クイズ!紳助くん』との共同ワイド特番が放送され[30]、ステレオ放送が実施された。キダ・タローが『クイズ!紳助くん』と『ナイトスクープ』のVTRを見てどちらがいいか判定するという内容だが、『紳助くん』が感動的なVTRを流すのに対して『ナイトスクープ』はバカバカしい依頼を放送するので、基本的に『紳助くん』が勝つようになっている。2006年放送分で『ナイトスクープ』が初勝利を収めた。2007年からキダに加え、複数の審査員が出演するようになった。2008年までの対戦成績は1勝6敗3引き分け。
- 2011年に『紳助くん』が島田紳助の引退に伴い終了したため、同年以降の大晦日の放送は「探偵!ナイトスクープ 年末感謝祭」となった(後述)。
- 探偵!ナイトスクープ リターンズ
- 番組開始20周年記念の特別番組として、ABC(関西地区)では2008年6月27日と7月4日の2週にわたってレギュラー放送の後の時間帯に上岡局長時代の1993年12月24日放送分(番組史上初視聴率30%突破の回で、DVDにも収録されている「爆発卵」の依頼が3本目で登場)と1998年5月1日放送分(番組史上最高視聴率32.2%の回)の2回分を『探偵!ナイトスクープ リターンズ』と題して再放送した。基本としては当時のまま完全ノーカットだが、番組の初めと終わりに6月27日放送分には桂小枝探偵(「探偵局次長」の肩書き)、7月4日放送分には北野誠探偵が、それぞれ同局所属アナウンサーの三代澤康司(過去に依頼者として出演したことがある)・堀友理子と共に登場した。
- 上記2本分の『探偵!ナイトスクープ リターンズ』は、広島ホームテレビ、山陰中央テレビ(※1998年5月1日放送分のみ)、鹿児島放送、名古屋テレビ、九州朝日放送、琉球朝日放送(※1998年5月1日放送分のみ)、東日本放送、テレビ山梨、テレ玉(2週連続で放送)、チューリップテレビ(1993年12月24日放送分)、TOKYO MX(2週連続でABC休止分の穴埋めとして放送)、テレビ神奈川が2009年1月15日(1993年12月24日放送分)と2月12日(1998年5月1日放送分)に(2本ともABC休止分の穴埋めとして放送)、瀬戸内海放送が2週分を2時間枠(正月特別編成の一環として)として、北海道テレビ放送(※1993年12月24日放送分のみ)が放送した。
- この回が好評だったこともあり、ABCでは同年10月4日から10月25日の4週にわたって土曜の午後に『探偵!ナイトスクープ リターンズ』を放送した。前回とは違い、毎週過去の放送分を2本ずつ流す形式。
- 1週目には1991年12月27日と1992年3月6日放送分が、2週目には1992年3月13日と1994年2月11日放送分が、3週目には1992年6月12日と1993年2月26日放送分が、4週目には1992年1月10日と1992年10月23日放送分がそれぞれ再放送された。1週目と3週目のゲストは岡部まり、2週目のゲストは桂小枝、4週目のゲストは北野誠。なお、地方局では1作ずつ放送されるケースがあり、その場合ゲストとアナウンサーの説明トーク部分は省略される。
- 2009年・2010年には高校野球期間中に放送(この2週間は『ナイトinナイト』の各参加番組もレギュラー放送を休止し特番が組まれた)。
- 2009年8月14日にはABCで、1997年10月24日放送分が、2009年8月21日には1997年1月31日分が再放送された。進行役は桂小枝で、依頼の担当ディレクターと構成作家がそれぞれ当時を振り返るコメントを寄せた(ただし内容は冗談)が、北野誠が映っている部分はすべてカットされた。
- 2010年度の放送では8月13日に1995年6月16日の回を、8月20日には1998年6月5日の回をアンコール放送。この時も案内役は桂小枝。
- 2011年度には8月12日に2005年9月23日の竹山の初登場の回を、8月19日には2009年6月19日の田村の初登場の回を放送した。いずれも初登場の探偵自身が案内役をした。
- 探偵!ナイトスクープ ザ・ゴールデン
- 放送開始21周年を記念した2時間特番として、2009年3月15日19時から放送された[16][17]。番組開始以来初となるゴールデンタイム特番であり、キー局のテレビ朝日での放送は2005年3月に打ち切られて以来4年ぶりとなる(番組史上初となるANN系列24局同時ネットと報道されていたが、実際は『素敵にドキュメント』のやらせ発覚による打ち切りのため、急遽つなぎ番組として設けられた『金曜ファミリープレゼント』(1992年10月 - 12月)枠内にてスペシャル版が放送されたことがある。ただし当時は岩手・山形[31]・山口・愛媛・大分・沖縄ではANN単独局が無かった)。また、この時はアナログ・デジタルともにステレオ放送が実施された。
- 収録会場は大阪国際会議場(グランキューブ大阪)で、翌週放送分も収録された。また、ゴールデン特番の告知を兼ねて同年3月11日にテレビ朝日制作の『シルシルミシル』で第1回のオープニングやお宝映像が流れた。基本的な構成は通常版と同様であるが、オープニングが淡々としてはいなかったこと、ひな壇ゲストが存在した、CM前に次の依頼の予告が文字で出された、依頼と依頼の間以外にCMが入る場合があった、VTR中にワイプで出演者の顔が挿入される場合がある、エンド5秒がなかった、CM明けのカメラワークがやや過剰演出だった、そして枠の制約上スポンサークレジットが発局を含めて存在した、など異なる部分が多かった。関西地区の視聴率は21.4%の高視聴率だったのに対し、関東地区では時間帯最下位の5.3%と一桁に留まった[18]。実質、テレビ朝日での再ネット化を視野に入れた放送であったが、この結果によりテレビ朝日では時期尚早と捉えられ、再ネット化を行っていない。
- 探偵!ナイトスクープ 年忘れファン感謝祭
- 2011から大晦日に放送されている特別番組でこの1年間に放送されたVTRの中から番組ファンの視聴者が選んだ爆笑VTRを各探偵別のベスト3として発表するというものである。また探偵と顧問のペアで組み、これまで放送されたVTRの中からクイズ形式で行われる。[32]
- 探偵!ナイトスクープ 25周年記念!グランドアカデミー大賞
- 2013年3月1日に放送。グランキューブ大阪での収録で、90分の拡大放送だった。過去25年のVTRを「料理」「科学」など部門別にダイジェストで紹介する。これまでのアカデミー大賞とは異なり、特に順位や表彰などはなかった。岡部まりが秘書を降板して以来の出演となった。
スタッフ
2012年9月7日以降
- SW(スイッチャー):富房尚子(関西東通)
- CAM(カメラマン):中西哲夫(関西東通)
- MIX(ミキサー音声):薮田美毅(関西東通)
- LD(ライティングディレクター):岡崎麻依(ライズ・アップ[33])
- VTR:井上隆也(ABC)
- EED(ビデオ編集):川中順子(東通インフィニティー[34])
- CG:伊藤範之(2008年9月17日 - )
- MA(マルチオーディオ編集):武田寛(東通インフィニティー)
- SE:稲山祐貴(東通インフィニティー)
- ENG:岡田秀徳(CAMIX)
- 庶務:楠本芳子(ABC)
- 番組宣伝:野嵜喜美子(ABC)
- 美術:東要(ABC)
- スタイリスト:小林万利子、有吉麻美(オフィスアンテナ)、浜野あゆみ(アトリエ色えんぴつ)、三宅寿恵(シャンティ)、東津裕子、大西千鶴、菊岡千鶴子(桐原事務所)
- ヘアメイク:ビーム
- 構成:百田尚樹 / 山口牧生、平野秀朗、沢野緑、鍋谷直輝、岡本法子、武輪真人、東雲信介、青木陽幸、くらやん
- AD(アシスタントディレクター):山田健太郎(ABC) / 松尾康高(FUNS)、鍋島雅郎(JAWS)
- ディレクター:堀英一・鈴木洋平(ABC) / 石田ひろき[35]・湯浅耕二・西岡孝之[36]・藤川明・高田真吾・津野允・金津巧(以上JAWS)、北川文彦[37]・三田修司・西谷公太(FUNS)、能嶋幸一[38](バックドロップ)
- 企画:松本修(ABC[39])
- プロデューサー:奈良井正巳(ABC[40])
- 輸入建材:HDC神戸
- 協力:関西東通[41]、JAWS[42]、ファンズプロダクション、バックドロップ、JET PRODUCTION、AZITO、グリーン・アート、クラフト、思巧堂、まいど、高津商会、蘭光園、インターナショナルクリエイティブ、アンティーク倫敦商会、ソニ企画
- 制作・著作:ABC
過去のスタッフ
- チーフプロデューサー:西村嘉郎(ABC[43])
- プロデューサー:松本修(番組開始 - 1996年[44]→岩田潤(1996年 - 1999年2月、 - 2008年11月)[45]→石原康男(1999年3月 - 2000年4月)→矢澤克之(2000年4月 - 2005年4月)→鳥海久慎→栗田正和(栗田→2012年9月7日 - 2014年7月4日)
- 総合演出:矢澤克之
- チーフディレクター:近藤真広・堀英一(ABC)
- ディレクター:石原康男・矢澤克之・北中彰・佐々木匡哉・石川綾一・鈴木洋平(以上ABC ※但し、石川は現在フジテレビ勤務)、阿部淳・小山青志・佐々木進・北野弘[46]・高岸丈朗・西岡孝之・堀弘明(以上JAWS ※但し、小山は当初各務プロダクション{現:カガミ}に所属していたが、その後JAWS)、相原康司(当時ビデオワーク、現:BOY'S)、木部勇一(東通企画 → きべ事務所{現:宝塚インターネットテレビ})、池田成男(東通企画 → 創太 → SSSystem)、四宮孝史・山口耕平(FUNS)、松山源一(BOY'S)、中地浩之(オフィスりぷる)
- AD(アシスタントディレクター):森裕喜・河村成仁・朝日源(ABC)、加藤翔一・木下舞・円丁裕一郎・前川亮・竹本啓之(JAWS)、浜野信弥・金定奈美子(FUNS)
- ディレクター → ブレーン:砂野信(JAWS → AZITO)
- 構成:元生茂樹、日沢伸哉、増山実、鹿児島俊光[47]、桑原尚志
- ブレーン:坪内美樹、有宗久美子、池田朋恵(クリエイティブスタジオ)、高原正浩、本田純一、北村京子
- 番組宣伝:小倉義明 → 上来均 → 西村美智子(ABC)
- SW(スイッチャー):玉木雅之(ABC)、中谷敏和・中西哲夫・世古章次(関西東通)
- CAM(カメラマン):田中康彦・河村成仁(ABC)、西澤敏夫・浦崎学・亀井稔・堀江則安・西良美和・世古章次・杉本康弘(関西東通)
- MIX(ミキサー音声):嶽下学・黒川将(関西東通)、和三晃章・山中康男・西森大記・清水俊孝(ABC)、滝川殻(アイネックス)
- LD(ライティングディレクター):山田修・松井清・高原大裕(東通ライティング)、兼岩克(ABC)
- ENG:広江健志・西川真・藤原祐司・井上勇人・伊藤優二(関西東通)、水谷奨・西川真(CAMIX)、細田勝(アルチザン)、金谷一彦・坂本泰司(テクニカルアート)、松岡周錫(エムズプロ)、竹田則彦、北林一博、久野仁
- VTR:石黒正・北田幹雄・箕輪憲二(関西東通)、木村友彦(東通AVセンター)
- EED(ビデオ編集):宮下全弘・西本武史(東通AVセンター)
- CG:山本正樹(東通AVセンター)
- オープニングタイトル:藤田孝浩(東通AVセンター)
- 美術進行:高岡慎治(ABC)
- スタイリスト:上田実穂(ビーム)、今井聖子(スタジオセルズ)、清家名美
- ヘアメイク:鈴木健資
- TK(タイムキーパー):鹿嶋さちこ
- 協力:ブリッジ、クリエイティブプロダクション
主題歌
- 「ハートスランプ二人ぼっち」(円広志)
- 1988年の番組開始時から使用。93年に1度新バージョンを収録、翌94年に再度録り直したものが最新で、2013年現在もオープニングで流れている。
- 88年版は伴奏・歌い方ともに軽め。93年版は伴奏に低音を利かせ、円の歌い方にも力が入っている。94年版はより華やかなアレンジとなっている。93年に編曲を変えたのはスタッフが提案したもので、変えてみたところ、不評であったという。
- この曲は、1994年に発売のシングル「夢のプロポーズ」(オリコン最高位78位を記録)の3曲目に収録されているほか、一部のベスト盤にも収録されている。シングル発売枚数から見ればレアな曲であるが、番組の人気に押されるうち、通信カラオケのレパートリーに加えられるほどになった。なお、島田紳助は『行列のできる法律相談所』で「円は『夢想花』しかヒット曲がない」と円をよくからかっていたが、「ハートスランプ二人ぼっち」も西日本では超メジャーといえる。
- DVDでは、オープニングのBGMとしてワンコーラス全体を聞くことができる。
- 「僕らの作った歌をテーマソングにしてほしい」という中学生(当時)からの依頼が舞い込んだ際には、変更こそされなかったが実際その歌が披露されたこともあった。
DVD
- 探偵!ナイトスクープ Vol.1&2 / 2006年6月2日発売
- 探偵!ナイトスクープ Vol.3&4 / 2006年7月14日発売
- 探偵!ナイトスクープ Vol.5&6 / 2007年12月19日発売
- 探偵!ナイトスクープ Vol.7&8 / 2007年12月19日発売
- 探偵!ナイトスクープ Vol.9&10 桂小枝の爆笑パラダイス / 2009年3月5日発売
- 探偵!ナイトスクープ Vol.11&12 西田敏行局長 大笑い!大涙! / 2010年2月10日発売
- 探偵!ナイトスクープ Vol.13&14 新しい笑いの実験室・上岡龍太郎探偵局 VS 進化する笑いの最前線・西田敏行探偵局 / 2010年3月10日発売
- 探偵!ナイトスクープ25周年記念DVD 百田尚樹セレクション&キダ・タローセレクション / 2014年3月26日発売
Vol.1&2からVol.7&8まではワーナー・ホーム・ビデオ、Vol.9&10以降はよしもとアール・アンド・シーより発売。
DVD化の際には各権利者のプライバシーや肖像権問題のためにその全員に許可を取る必要があり、連絡が取れない通りすがりの人へのインタビューシーン等は相手の顔をぼかしやモザイクなどの映像処理で隠している。隠しきれない場合はカットされており、BGMも著作権者からの許可が出なかったものについては、放送時とは違う曲に差し替えられている。なお、DVD Vol.1・2の制作時には当時の本放送内で「以下の作品の関係者の連絡先を探しています」という告知テロップを表示した。その後も新作の発売が決まるたびに、『名乗り出てください』のサブタイトルで収録予定のVTRが告知と併せて放送されている。
放送局・放送時間
放送状況
テレビ朝日系列を中心に全国で放送されている。ただし、2011年1月現在テレビ朝日では放送されておらず(後述)、関東地方では一部地域を除いて独立UHF局のゴールデンタイム・プライムタイム枠で放送されている。また、CSスカパー!のスカイ・Aでも放送されている。
テレビ朝日系列局では、かつてはテレビ朝日製作の『金曜ナイトドラマ』を『ナイトスクープ』の前に放送していることが多かった(『タモリ倶楽部』を差し替えまたは別の時間帯に放送している局もあり)。当時、『金曜ナイトドラマ』がローカルセールス枠であり、『ナイトスクープ』をABCと同様金曜23時台に放送していた系列局も西日本を中心に多数存在した。しかし、2009年10月の改編で『金曜ナイトドラマ』がネットワークセールス枠に移行することになり、多くの同時ネット局では時差ネットへの格下げと金曜ナイトドラマ終了後や土曜深夜などへの枠移動を余儀なくされる。また、金曜深夜(25時以降)に放送している地域では毎月最終週のみ『朝まで生テレビ!』が放送されるため休止となる。なお遅れ地域の一部では、過去の未放送回分や『探偵!ナイトスクープリターンズ』を放送して遅れ日数を維持することがある。
また、『速報!甲子園への道』放送期間中、一部の地域では20 - 25分程度放送時間を繰り下げる(ABCも時間を繰り下げるため、2009年までは局によってはABCより20 - 25分程度先行して放送されていた。テレビ朝日系では『リコー全英女子オープン』がここ数年4日間連続生放送されており、その2日目に当たる7月最終金曜(年度により8月第1金曜)はゴルフを優先するために『速報!甲子園への道』はゴルフ放送後の日付上翌日未明に移動する。その関係でこの場合に限り、ABCも『金曜ナイトドラマ』を同時ネットするため『ナイトスクープ』は休止する)。また「世界水泳選手権大会」(奇数年)が行われる場合も、アジア・オセアニア以外で行う場合、時差の関係でそれの生中継を優先する兼ね合いで、当番組が休止(金曜ナイトドラマの同時放送、あるいは世界水泳の競技そのものの中継)になる場合もある。
なお、ABCではローカルセールス扱いの時間となっているが、特番を除いたレギュラー放送の時間帯ではスポットのみで番組をメインに提供する協賛スポンサーは無かったが、2010年8月13日(高校野球特番の関係もあり、この日はアンコール版『ナイトスクープ・リターンズ』であった)に日清食品・ヨドバシカメラの協賛が付いていた。
テレビ朝日系列の放送局がない地域でも放送されている。例として、富山県では、1993年以降、TBS系列のチューリップテレビ(TUT)が土曜日の17時台に放送していた(17:00もしくは17:05 - )が、2007年の秋にフジテレビ系列の富山テレビ(BBT)が裏(土曜16:55 - )に『ナイトスクープ』と同じABC制作の『パネルクイズ アタック25』を開始した。3カ月後の2008年1月より『ナイトスクープ』は日曜深夜24:30に移動し(『アタック25』もその後木曜昼へ再移動したが、2009年3月をもって『アタック25』の放送は打ち切られた)、2009年4月の改編期以降月曜深夜→金曜午前→月曜昼の順に移動し、2013年以降現在の放送時間となった。なおテレビ山梨のネット開始を以て、一旦佐賀県以外の全国完全ネットを達成しているが、その後テレビ朝日の離脱などで現在では完全ではなくなっている。
2009年までの字幕放送はすべての出演者は白色でのみ統一されていたが、2010年から字幕放送は依頼を調査する探偵の声は黄色、西田の声は水色になった。
前述の岡部の参院選出馬により、遅れ地域では、岡部出演分は番組を差し替えたり、岡部が出演する場面をカットして放送した所がほとんどだったが、一部地域はそのまま放送した所があった。
2010年7月9日放送(近畿広域圏)から、放送画面サイズがこれまでの4:3から16:9に変更になった。これにより、ワイド画面で見ていた時に画面左右のサイドパネル(探偵!ナイトスクープの文字入り)は、なくなった。
ネット局
太字は2009年9月まで金曜23時台に放送していた局。
放送対象地域 | 放送局 | 系列 | 放送曜日と時間 | 遅れ | エンド 5秒 |
備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
近畿広域圏 | 制作局 朝日放送(ABC) |
テレビ朝日系列 | 金曜 23時17分 - 24時12分 | - | 有 | [A 1] |
北海道 | 北海道テレビ放送(HTB) | 金曜 24時50分 - 25時50分 | 77日遅れ | [A 2] | ||
青森県 | 青森朝日放送(ABA) | 土曜 24時45分 - 25時40分 | 29日遅れ | [A 3] | ||
岩手県 | 岩手朝日テレビ(IAT) | 土曜 24時35分 - 25時30分 | 29日遅れ | |||
宮城県 | 東日本放送(KHB) | 金曜 24時25分 - 25時20分 | 7日遅れ | [A 1][A 4] | ||
秋田県 | 秋田朝日放送(AAB) | 土曜 24時45分 - 25時40分 | 8日遅れ | 無 | ||
山形県 | 山形テレビ(YTS) | 木曜 24時20分 - 25時15分 | 6日遅れ | 有 | [A 1][A 5][A 6][A 7][A 8] | |
福島県 | 福島放送(KFB) | 金曜 24時25分 - 25時20分 | 7日遅れ | |||
新潟県 | 新潟テレビ21(UX) | 金曜 24時20分 - 25時20分 | 63分遅れ | [A 9] | ||
長野県 | 長野朝日放送(abn) | 金曜 24時15分 - 25時10分 | 58分遅れ | |||
静岡県 | 静岡朝日テレビ(SATV) | 水曜 24時50分 - 25時50分 | 68日遅れ | |||
石川県 | 北陸朝日放送(HAB) | 金曜 24時20分 - 25時30分 | 63分遅れ | [A 10] | ||
中京広域圏 | 名古屋テレビ放送(NBN) | 金曜 24時26分 - 25時26分 | 14日遅れ | [A 1] | ||
広島県 | 広島ホームテレビ(HOME) | 金曜 24時20分 - 25時20分 | 63分遅れ | [A 11][A 8] | ||
山口県 | 山口朝日放送(yab) | 金曜 24時20分 - 25時15分 | 7日遅れ | |||
香川県・岡山県 | 瀬戸内海放送(KSB) | 金曜 24時20分 - 25時20分 | 63分遅れ | [A 12][A 8] | ||
愛媛県 | 愛媛朝日テレビ(eat) | 金曜 24時20分 - 25時20分 | 63分遅れ | [A 1] | ||
福岡県[48] | 九州朝日放送(KBC) | 土曜 24時30分 - 25時27分 | 23日遅れ | [A 13] | ||
長崎県 | 長崎文化放送(NCC) | 金曜 24時20分 - 25時20分 | 14日遅れ | [A 14] | ||
熊本県 | 熊本朝日放送(KAB) | |||||
大分県 | 大分朝日放送(OAB) | 土曜 24時30分 - 25時30分 | 15日遅れ | [A 15] | ||
鹿児島県 | 鹿児島放送(KKB) | 日曜 16時25分 - 17時20分 | 2日遅れ | |||
沖縄県 | 琉球朝日放送(QAB) | 水曜 24時50分 - 25時45分[49] | 約半年遅れ | |||
福井県 | 福井放送(FBC) | 日本テレビ・テレビ朝日系 クロスネット局 |
月曜 24時59分 - 25時54分 | 17日遅れ | 無 | |
徳島県 | 四国放送(JRT) | 日本テレビ系列 | 土曜 24時50分 - 25時45分 | 85日遅れ | [A 16] | |
山梨県 | テレビ山梨(UTY) | TBS系列 | 水曜 24時30分 - 25時25分 | 12日遅れ | ||
富山県 | チューリップテレビ(TUT) | 月曜 25時03分 - 25時58分 | 59日遅れ | [A 17] | ||
高知県 | テレビ高知(KUTV) | 木曜 24時56分 - 25時50分< | 20日遅れ | 有 | [A 18] | |
宮崎県 | 宮崎放送(MRT) | 水曜 19時00分 - 19時56分 | 12日遅れ | [A 19][A 20] | ||
島根県・鳥取県 | 山陰中央テレビジョン放送(TSK) | フジテレビ系列 | 木曜 24時40分 - 25時35分 | 13日遅れ | 無 | |
東京都 | 東京メトロポリタンテレビジョン(MX) | 独立UHF局 | 日曜 17時00分 - 17時55分 | 9日遅れ | 有 | [A 21] |
埼玉県 | テレビ埼玉(TVS) | 月曜 20時00分 - 20時55分 | 31日遅れ | |||
神奈川県 | テレビ神奈川(tvk) | 木曜 20時00分 - 20時55分 | 13日遅れ | [A 22] | ||
栃木県 | とちぎテレビ(GYT) | 金曜 19時00分 - 19時55分 | 14日遅れ | |||
CS放送 | スカイ・A sports + | - | 平日 11時00分 - 12時00分他 | 不定(概ね1~3か月遅れ) | 有 | [A 1][A 23] |
ネット局による脚注
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 字幕放送(スカイ・A sports +はHD放送のみ実施)
- ↑ 2014年3月まで土曜24:45 - 25:45に放送
- ↑ 2009年10月2日まで金曜25:15に放送
- ↑ 2010年3月26日までは金曜 24:25 - 25:20
- ↑ 2013年3月22日までは土曜 24:45 - 25:40
- ↑ 2010年3月27日までは土曜 24:30 - 25:25
- ↑ 2010年12月18日までは土曜 12:00 - 12:55
- ↑ 8.0 8.1 8.2 アナログ放送かつモノラル制作時代からステレオ放送を実施。
- ↑ 2009年3月まで土曜24:30に放送
- ↑ CMの時間が増えているため、放送時間が他より長い。
- ↑ 2014年1月31日までは7日遅れの放送だったが2月7日よりABC2月7日分の内容を放送したため63分遅れに戻った。そのためABC1月31日放送分が欠落している。
- ↑ 2009年10月2日までは金曜 23:15 - 24:15、2009年10月9日から2011年4月1日までは現在と同じ時間での放送だった。しかし、テレビ朝日の番組(タモリ倶楽部・おねがいランキング)を同時ネットする関係で同年4月10日から2012年4月1日までは日曜12:00 - 12:55の放送だったが、4月8日以降再び現在の放送時間に復帰。
- ↑ 2010年4月3日放送分からアナログ放送はレターボックスで放送。1994年9月までは日曜の深夜に放送されていた。その後2009年9月まで金曜23時台で放送された。
- ↑ 2009年10月から2010年9月までは土曜12:00-13:00で放送されて2010年10月から現在の時間帯。
- ↑ 2011年3月25日までは14日遅れで金曜 24時20分 - 25時20分に放送。
- ↑ 最初は深夜に放送。2010年9月までは土・日曜の日中に放送。ただし、編成の都合で休止が多かった。エンド5秒は現在の時間になってから放送されるようになった。
- ↑ 2010年9月まではエンド5秒は無く、エンドカードのみ表示されていた。
- ↑ 1999年10月頃は土曜19:00-19:54で放送していた。
- ↑ 2010年6月26日まで土曜13時00分-13時54分、2010年7月から2013年3月まで水曜 23時55分 - 24時50分、2013年4月から2014年3月までは水曜 24時05分 - 25時00分。
- ↑ 独立局を除く地上波局で唯一、プライムタイムにて放送している。
- ↑ かつて金曜夜放送時代は2008年11月から当該時間帯にマルチ編成を行っていたためデジタルはSD16:9での放送(2009年2・3月を除く、2009年9月まで)、土曜夕方放送時代は東京シティ競馬中継、野球シーズン中の場合はSTRONG!ホークス野球中継が行われた場合マルチ編成になるためデジタルはSD16:9での放送を行う。マルチ編成時には差し替えで放送されない場合あり。ABC制作の別番組に差し替えの場合もある(2012年8月4日の『雨上がりのやまとナゼ?しこ』への差し替えなど)。日曜夕方放送になった2013年4月以降もマルチ編成時は中止になる場合がある(夢・応援!女子プロ野球中継や東京シティ競馬中継などに差し替えられる)。
- ↑ 2012年3月29日まで19:00~19:55に放送。4月12日から20時に変更。野球中継やラグビー中継、神奈川県議会中継などで休止の場合あり(その場合の休止回のフォローなし)。
- ↑ 回によっては編成や権利上の都合などで放送されない場合がある。
過去に放送していた局
- テレビ朝日 (1992年11月 - 2005年3月)
- IBC岩手放送(TBS系、岩手朝日テレビの開局により1996年9月終了)
- 群馬テレビ(独立UHF局)
- 山口放送(日本テレビ系列とのクロスネット局(当時)、放送開始は1988年と比較的早かったが、山口朝日放送の開局により1993年9月終了)
- 青森放送(日本テレビ系列とのクロスネット局(当時)、ABA開局により1991年9月終了)
- テレビ愛媛(フジテレビ系、愛媛朝日テレビの開局により1995年3月終了)
- 千葉テレビ放送(独立UHF局、1989年 - 1993年頃・2005年10月 - 2008年3月27日 詳細は後述)
関東地方での放送の経過
テンプレート:独自研究 当初は千葉テレビ放送(チバテレビ・CTC)や群馬テレビ(GTV)といった独立U局でのネットでスタート。関西出身者ばかりでなく、タモリや後に局長となる西田敏行も見ていた人気ぶりだったが、なかなかABCのキー局であるテレビ朝日では放送されなかった。1991年の「アホ・バカ分布図」(前述)が民放連賞を受賞したが、受賞番組は全国ネットでの放送が事実上義務付けられるとして、総集編だけテレ朝で放送した。結果的にこれがテレ朝での初放送となった。テンプレート:Mainテンプレート:See also
転機は1992年6月5日放送(ABCなど)での「斬られ役の福本清三さんを『徹子の部屋』に出してあげたい!」という依頼者の要望で、本物の『徹子の部屋』のスタジオセットを借りて黒柳徹子に扮装した小枝が番組収録をした。[50]この収録直後に本物の黒柳徹子が現れ、小枝と福本の話を聞くうちに黒柳が福本に興味を持ち、福本が本当に『徹子の部屋』へ出演することとなった(1992年11月放送)。テンプレート:Main
地方局制作番組を関東広域圏で放送する場合、広域放送を担当する在京キー局と県域をベースにした独立U局へ同時に番組販売を行うことができない協定があるため、既にあった独立U局での番販ネットは打ち切り、同年、テレ朝での遅れネットに移行した。テレ朝では当初放送枠がなかったこともあり、金曜日深夜2時40分から放送(ただし、毎月末は『朝まで生テレビ!』のために休止)され、1年後の1993年10月に、火曜深夜1時40分に移動(月末休止はなくなった)。 その後、土曜日15:00 - 15:55に移動、日曜日12:00 - 12:55へ移動させた。テレ朝で日曜正午からの放送だった時代の1998年5月3日に、東京でウケそうなネタだけを集めた(マネキンと結婚したい、日本一周の息子、ドミノピザのバイクが通ると開く自動ドア、「ピアノレッスン」で「あんなとこ、生きて通れねえ」と言っている、『忍者戦隊カクレンジャー』にブロッコリー嫌いを直してもらいたい)特別総集編がテレビ朝日のみで放送された(ナレーター: 川下大洋)。この番組のためだけのCGも作られていた。 その後、日曜16:30 - 17:25⇒再び土曜日15:00 - 15:55⇒そして、元の金曜深夜2時頃⇒最終的に、水曜日深夜3:12 - 4:07と再び深夜枠に移されたものの、2005年3月9日にてテレ朝でのネットは打ち切りとなった。この時期の間、テレ朝の番組のNG特集でも何度か取り上げられたが、その際にスタジオ出演は決まって小枝のみであった。
テレ朝での放送打ち切り後は、ほぼ内容を続行する形で2005年4月7日からテレビ神奈川(tvk、同局では初)で、半年後の同年10月7日からは千葉テレビ放送(チバテレビ・CTC)での放送が再開され、関東地方では12年ぶりに独立U局でのネットが復活した(チバテレビでの放送は2008年3月27日で終了)。2007年4月2日からはテレビ埼玉(テレ玉)で、2007年10月12日からは東京メトロポリタンテレビジョン(TOKYO MX)で放送が開始され、さらに2008年10月7日からはとちぎテレビ(GYT)でも放送が開始された。
2009年9月までの放送時間について
制作のABCでは、番組開始当初は土曜日23:30 - 24:25の放送であったが、1991年4月から当時放送されていた『合コン!合宿!解放区!』と入れ替わり、金曜日23:17 - 24:12となった。
関西・西日本地方では深夜枠にもかかわらず、視聴率が常に20%前後(1990年代には30%を超えていたこともあった)ととび抜けて高い記録が出ていることから、「関西(もしくは西日本)のお化け番組」と呼ばれている(→#視聴率を参照のこと)。関西地区の週間視聴率ランキングではゴールデンタイムの番組をも抑え、関西1位をたびたび達成している。また、北部九州地区においても視聴率ベストテンに入ることもある。
中国・四国地方では原則として同時ネットとなっている( - 2009年9月まで)。しかし、九州地方(鹿児島放送を除く2009年9月まで)、東海地方では遅れネット(約1週遅れ)になっている。また、表面上同時ネットでも、実際は事前に番組素材をABCから受け取り、自社で送り出しを行っている局もある(例:広島ホームテレビ【2008年9月まで】。同局ではマスターの関係上アナログ放送かつモノラル制作時代からステレオ放送が実施され、字幕放送を実施していない)。
テレビ朝日が2000年から編成の見直しに伴って連続ドラマを金曜・土曜の23時台に移動してスタートさせた『ナイトドラマ』(現在は金曜のみ放送)を当初は全国ANN系列同時ネットで編成する方針だったが、『探偵!ナイトスクープ』の人気と視聴率が絶大で時間枠を動かしたくないというABC側の意向もあり、結局同時ネットを見送ったという経緯がある(2009年9月現在は1時間遅れで放送)。しかし『トリック』などで『金曜ナイトドラマ』がヒットし出すと、地方局(主に東日本のテレビ朝日系列局)では『ナイトスクープ』自体の視聴率低迷(といっても平日深夜としては依然として高い)で放送時間が後回しになる傾向が強まっていた。
- テレビ朝日の『ナイトスクープ』打ち切りの影響で、長野朝日放送などが同時ネットを取りやめ、ナイトドラマ同時ネットに切り替えたところも多数存在した(長野朝日放送では、現在の『ナイトスクープ』の放送はナイトドラマ終了後の枠に放送。よって同時ネット局に比べ、放送の遅れは約1時間ある)。
- 司会者の西田敏行の出身地(福島県郡山市)に本社を構える福島放送では、関東地方に隣接する福島県の土地柄のためか、同時ネットを取りやめてナイトドラマ同時ネットに切り替え、『ナイトスクープ』は同日時差ネットで放送している。
- 琉球朝日放送(沖縄県)では、以前はABCと同時刻の23:15スタート(開局から数年間はABCと同時放送、そのうち放送日時が何度か移動し数週間遅れに)だったが、西日本では唯一、ナイトドラマ同時ネットに切り替えている。
- 一方、東日本放送(KHB、宮城県)は、近畿地方でしか放送されていなかった頃より同時ネット(2009年9月まで)をしていたためか、同地域における『ナイトスクープ』の人気は非常に高く、宮城県民のハガキがよく送られ、紹介されることも多い。逆に、1時間遅れで放送されているナイトドラマは他地域よりも日常の話題にあがらないことが多い。山形テレビ(山形県)でもKHBと同様『ナイトスクープ』を同時ネットをしており、ナイトドラマは毎週土曜深夜に1日遅れで放送していた。それでもなお宮城県、山形県および東海地方以西(沖縄県を除く)のテレビ朝日系フルネット局は金曜23時台に『探偵!ナイトスクープ』をネットしていたが、2009年10月の改編で『金曜ナイトドラマ』がネットワークセールス枠となることから、『探偵!ナイトスクープ』を金曜23時台にネットしている全ての局が『金曜ナイトドラマ』に移行することとなった。そのため朝日放送との同時ネット局は無くなり、最も時差が少ないネット局でも1時間遅れとなる。
- ここ数年はリコー全英女子オープンゴルフの完全生中継が行われるため、ABC大阪ローカルでは7月最終、または8月第1金曜日はこのゴルフを優先する特殊編成のため、『甲子園の道』はゴルフ終了後の翌日未明か早朝に移動させ、『甲子園の道』を本来送る23:15からは『金曜ナイトドラマ』の同時ネットになったりする。
イベント
- ナイトスクープ展
- 大阪梅田のHEP HALLにて番組20周年を記念したナイトスクープの展示会が2008年7月26日から8月17日まで開催された。その後、2009年2月6日から3月1日までは名古屋パルコのパルコギャラリー、2009年9月18日から10月12日まで鹿児島県鹿児島市天文館のタカプラでも開かれ、計3回開催された。
ここでは第1回からのすべての放送リストがパネルになっていたほか、第1回の台本や爆発卵に使われた現役の電子レンジ、林の料理レプリカ、「マネキンと結婚したい!」に登場したマネキン人形「フォーマルハウト」、「大和川をボート通勤」で大和川を出勤するのに使ったゴムボート、各パラダイスに置かれていた謎の看板など多彩な展示物が公開された。また、ここでナイトスクープに過去3回登場した人間パラダイス通称「マジックじいさん」こと入江光雄が2005年に99歳で亡くなっていたことも明かされていた。
その他
放送開始初期に関するもの
- 現在でもオープニングなどに使われる「探偵!ナイトスクープ」のロゴだが、元々このロゴは手書きで制作されたものである。
- 初期には「ニュースステーション」のような社会派ものを標榜していただけあって、実際に「ベトナム戦争の歴史について教えてください」(探偵:桂小枝)とか「リクルートの江副浩正会長が何をしたか知りたい」(探偵:嘉門達夫)といった依頼に対してニュース映像をつなぐだけのようなVTRもあった。このようなネタは「社会派ネタ」と呼ばれ、主に嘉門達夫や立原啓裕が担当していたが、調査ロケが長期間に亘ること、抗議・苦情への対応、予算が不足すること等が原因で、「社会派ネタ」は徐々に姿を消していった。加えて1991年に唯一社会派探偵(自称)として活躍していた立原が病気で倒れ、それ以降は完全に消滅した。リクルートのときは顧問の若林正人が「彼は東大といったって教育学部だから大したことない」という発言をしていた。
- 最初期のスタジオセットは現在のものと机などの配置が少し異なり、現在探偵達の席がある位置に局長と秘書の席があった。その隣(向かって右隣)に独立して顧問専用の机があった。現在、局長・秘書・顧問の席がある位置にはソファーと小さな机からなる応接間が設置されていた。この頃、探偵は局長に名前を呼ばれた後ドアから登場し、調査結果を報告するという形をとっていた。また、天井からは小さいながらもシャンデリアが吊るされていた。
- 第1回放送から公開収録だが、かつては50人しか収容できないスタジオでの収録だった。笑い声を入れるのを理由に公開収録にしたのだったが、後に観覧希望が殺到するようになり、1990年に600人が収容できるABCホールへ収録場所を移動した。そのため、番組開始初期のVTRには、少ない人数の笑い声がする。
- 初期には依頼調査の他に「探偵会議」という企画が存在し、局長をはじめとする探偵局員一同が、依頼の検討や調査方針の議論を行った。
- 依頼募集以外に「スタジオ出場希望」という募集がかかっていたことがあり、実際に素人がスタジオで悩み相談をする「直訴のコーナー」(1989年2月11日、18日放送ほか)として放送されたことがあった。
- 初期に数回、生放送で放送されたことがある。
- 現在、顧問は1週につき1人のみ登場するが、黎明期には場合によって2名登場することもあった。また1つの依頼に対して2人の探偵が調査を担当するということもあった。
- 1988年9月24日放送分は、昭和天皇の重体報道の直後だったため、顧問の村西とおるが下ネタを連発するのがふさわしくないということで「自粛」し、お蔵入りとなった。この日は過去の回を再放送した。
- 1990年3月17日放送分は、3本とも小ネタ集(当時は、小ネタ集は「素朴な疑問シリーズ」として放送)であった。2本目の小ネタ集では北野誠とその母である北野タキノの2人が探偵として依頼を解決した。
番組放送に関するもの
- 阪神・淡路大震災の発生からわずか3日後の1995年1月20日に、「苦しい時だからこそ、このような番組で少しでも気持ちを明るくしてほしい」という番組スタッフの強い信念により、震災報道一色の中「ナイトスクープ」が放送されたことがあった。その際、被災地から「避難所で苦しんでいる人がいるのに、お笑い番組を流すとは不謹慎だ」というクレームがあった一方、感謝の手紙も来たという。[12]
- 制作局である朝日放送での放送中止が過去2回あった。1回目は1989年1月7日放送予定分で昭和天皇崩御の臨時特番放送のため、2回目は2011年3月11日放送予定分が東日本大震災の臨時報道番組放送のためである。なお、2011年3月11日放送予定分は4月1日に放送された。
- 土曜19時枠のTBSの番組を同時ネットしていなかった当時のテレビ高知では、一時その土曜19時からのゴールデンタイムで『ナイトスクープ』をレギュラー放送していた。この時代、立原啓裕探偵が同局の編成部部員と走って「視聴率調査」の依頼が採用され放送されたことがある。これと、かつての千葉テレビ放送での水曜19時や金曜20時からの放送は地域限定とはいえ、日本中でも非常に珍しい同番組のゴールデン枠進出となった(なお、現在テレビ高知の土曜19時枠はTBSの番組の同時ネットに転換。また、千葉テレビは放送時間を変更して放送したが、2008年3月いっぱいで放送打ち切り)。関西視聴者の間ではゴールデン進出待望論も根強いが、今のところ実現していない。なお、関東地方の独立UHF局の一部ではゴールデンタイムに放送している(前述)。また、テレビ高知は2010年4月改編で、水曜19時に『シルシルミシル』(テレビ朝日制作)をレギュラー放送するようになり、本番組以来の「深夜番組を独自でゴールデンに放送」のケースとなっている。
- 新聞のラテ欄の放送内容部分では内容が未定の場合「探偵が視聴者の疑問を解決!!」となっている。
- かつてABCローカルで『ナイトQ』という直前番組も存在していた[51]。金曜日は『ナイトスクープ』収録スタジオの客席、あるいは楽屋からの放送で、2名の探偵が進行を担当していた(楽屋からの放送の時は、他の出演者も画面に登場していた)。この金曜の放送を含め、月-金曜の5日分連続出題されるクイズの正解者の中から抽選で賞金が贈られていた。金曜日の出題内容は前述の「エンド5秒」の時間にギャグを披露する探偵の氏名を答えるものであった。
- 当番組は、公開収録先であるABCホール(2代目)がHD未対応であることと、収録機材も非HDであることから、地上デジタル放送においては頭角4:3SDだったが、ABC本社Aスタジオでの収録となった2008年9月19日放送分からよりHD化された。ただ、取材VTRは4:3SD(地上デジタル放送では「探偵!ナイトスクープ」のロゴ入りのサイドパネルを映像の両側に表示)のままである。また、HD化に合わせてオープニングもHD対応のものに作りなおされた。
- ABCラジオ『誠のサイキック青年団』での北野誠の発言によると、2代目ABCホールでの収録は2008年8月1日収録分(9月5日・9月12日放送分。ナイトスクープは隔週金曜日に2本撮りである)が最後である。その後は新社屋にて収録するが、公開放送等で使用中のキュキュホール(3代目ABCホール)はキャパシティが小さいため、新社屋Aスタジオに観客席付きのセットを組んで使用する。
- ABCホールでの収録だった時代は、出演者は客席から見て左側から登場していたが、新社屋での収録に移行したあとは右側から登場している。また、エンディングで客席の後ろから会場全体を見渡すカメラの位置もABCホール時代とは逆になっている。
- 2013年3月8日、朝日放送は通常通りのレギュラー放送を行う予定だったが『2013 ワールド・ベースボール・クラシック2次ラウンド・日本×台湾』の中継が大幅に伸び(次番組の報道ステーションに内包)、さらに報道ステーションの報道部分を 23:45 - 0:15 まで放送した為、その週の放送分は休止・翌週に変更になった(テレビ朝日系列の「信長のシェフ」最終回がこの日だったが、翌週に変更になった。ちなみにこの時間帯は特命係長・只野仁の3rdシーズン第1回を再放送)。しかし、約1時間遅れで放送している新潟(UX)・長野(abn)・石川(HAB)・岡山香川(KSB)・広島(HOME)・愛媛(eat)の6地域の放送局はそのまま予定通りの放送が行われたため、通常では遅れネットとなる放送局が先行して放送を行ったこととなる。
番組内容に関するもの
- 現在では探偵がショートギャグを行うことが当たり前となっているエンド5秒であるが、過去上岡時代に一度だけ局長が登場したことがある。これは、2001年1月3日に放送されたスペシャル番組の20世紀リクエスト傑作選の中でもリクエストの一つに数えられ、この時限りの再登場を果たしている。なお、そのときのギャグはライトを当てられた上岡が「スイッチョン、スイッチョン」と飛び跳ねるものであった。
- VTR(特に小ネタ)の最後に流れる「ちゃっちゃっちゃっ」は、カシオペアのアルバム『DOWN UPBEAT』の4曲目「Road Rhythm」のエンディング部分である。
- 上岡局長降板後、まだ局長代行制だった頃は、局長席の後ろの鏡台の上に、上岡局長の写真が額縁入りで飾られていた時期があった。
- 1995年1月20日に放送された、「謎のハンガーパワー」(探偵:北野誠)の「針金でできたハンガーに頭をはさむと自然に首が回る」というVTRを見た電気通信大学の学生が、その原因を医学的に研究して2007年に論文を発表し、その成果が裏番組の『解体新ショー』(NHK)で放送された。また、2009年3月8日の『熱血!平成教育学院』(フジテレビ)でも取り上げられた。また、1992年1月17日に放送された、禿げた人が頭を牛になめてもらうと毛が生える(探偵:桂小枝)というVTRを見た名古屋市立大学の教授が研究し、唾液に含まれるシアル酸に発毛効果があることを発見した。これは2009年9月5日の『世界一受けたい授業』(日本テレビ系)で、ナイトスクープの映像をそのまま使って紹介され、画面にはナイトスクープのロゴが大きく表示されていた。
他の場面で当番組が関連するもの
- 宮根誠司が過去に『おはよう朝日です』の番組内で、この番組の話をすることがあった。
例) 不思議な施設について調べてきたレポーターに対して、「それは探偵ナイトスクープで小枝さんが調べるヤツやろ〜」と発言 - 2010年頃より、当番組とグリコとのコラボCMが作られ、当番組内で放送されるようになった。桂小枝をはじめとする探偵が出演し、番組で使われる締めの効果音が流れてロケ部分が終わり、グリコのサウンドロゴに接続している。
- 2011年公開の映画『FLY!〜平凡なキセキ〜』の中で家族が番組を団らんで見るシーンが登場する。
- 2013年発売のチームしゃちほこの4thシングル「首都移転計画」中に「探偵ナイトスクープ」という歌詞が出てくる。
脚注・出典
参考文献
- 『全国アホ・バカ分布考 はるかなる言葉の旅路』 松本修(「アホ・バカ分布図」当時のプロデューサー、現在は制作担当)(太田出版・新潮文庫 ISBN 4101441219)
- 『探偵!ナイトスクープ アホの遺伝子』松本修(ポプラ社) ISBN 4591085511
関連項目
- 仮面ライダー電王 - 2007年4月13日放送分で、「サボテンを怖がる3歳児」(探偵は石田靖が担当)にて仮面ライダー電王(ソードフォーム)が登場。依頼者の3歳になる息子が電王のファンであるため、石田はサボテン嫌いを直そうと電王を呼んだ。ただし電王は一言も喋らなかった。
- ロードオブメジャー - さらば碧き面影のPVに、桂小枝が特別出演。冒頭と最後の内容は、なぜかナイトスクープのようになっていた。
- ローカルCM - しばしば番組の中で、調査対象となる。関西地域のローカルCMが主な対象。
- ラジオフォーラム - 2014年2月15日(ラヂオきしわだ基準)更新の番組で元探偵・立原が「ナイトスクープは何がおもしろかったのか?」と題してゲストコーナーに出演した。
外部リンク
- 探偵!ナイトスクープ
- 探偵!ナイトスクープ情報放送局
- 制作者と視聴者の架け橋テレビコ 探偵!ナイトスクープ 制作者インタビュー
- けったいな番組25年笑史 松本修(2013年3月15日日本経済新聞朝刊)
テンプレート:探偵!ナイトスクープ テンプレート:ネオバラエティ テンプレート:上岡龍太郎 テンプレート:カンニング竹山
テンプレート:Asbox- ↑ 『産経新聞』2014年6月21日配信
- ↑ 別途に制作スタッフらは公衆の面前で上岡を落涙させるべく感動取材VTRを投入するが尽く冷静で的確なコメントで切り返され、その度に地団駄を踏んでいた。
- ↑ 岡部さんの「秘書」復帰、朝日放送社長「ない」と思うasahi.com(朝日新聞)2010年7月12日
- ↑ 朝日放送渡辺社長明言!"スクープ"復帰「ない」スポーツ報知 2010年7月13日
- ↑ 岡部まり後任は京大卒バイオリニスト・松尾依里佳…「探偵!―」スポーツ報知 2010年7月31日
- ↑ 初登場時のロケでの発言。この時期はちょうど北野が東京でラジオ番組を担当するため一時降板していた。ちなみに、この依頼はDVD Vol.8に収録されている。
- ↑ 麒麟・田村裕“やる気”ナイトスクープ探偵に抜テキ ― スポニチ Sponichi Annex 大阪(2009年5月22日閲覧)
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 『ラジオビバリー昼ズ』2013年5月24日オープニングトークで、17日に収録があったと松村が発言。
- ↑ 10.0 10.1 2005年ごろからオープニングタイトルの直後にCMが入り、3本目とエンディングの間にCMが入らない構成になった。2012年2月24日放送分のみ、かつての構成に戻った。
- ↑ 過去に岡部秘書が、「…探偵手帳を差し上げます」と言った後、探偵手帳の中身を見せていた時期があったが、現在はお楽しみということになっている。
- ↑ 12.0 12.1 12.2 12.3 12.4 『探偵!ナイトスクープ アホの遺伝子』
- ↑ 実際に同番組でテロップが初めて付いたのは、1988年6月18日放送の「宝くじはどうすれば当たるか?」という依頼(探偵は嘉門達夫)。
- ↑ まれに(例えば、相手が泥酔時)記号の羅列になることもある。
- ↑ 放送内容は「うちの駄犬を教育して」長原成樹、「チャルメラの音が嫌いな母」桂小枝、「幻のボクシング部主将」北野誠の3本、顧問はキダ・タローであった。
- ↑ 16.0 16.1 「人気番組『探偵!ナイトスクープ』、放送21年目で初のゴールデン特番決定!」ORICON STYLE、2009年1月29日
- ↑ 17.0 17.1 探偵!ナイトスクープ ザ・ゴールデン 朝日放送公式
- ↑ 18.0 18.1 アメーバニュース 「探偵!ナイトスクープ」全国デビューも視聴率苦戦 2009年3月17日
- ↑ 19.0 19.1 19.2 探偵!ナイトスクープにカーネル人形が“出演 スポーツ報知 2009年3月12日
- ↑ 20.0 20.1 20.2 「呪い」火付け役、救出喜ぶ 探偵!ナイトスクープ asahi.com(朝日新聞)2009年3月11日
- ↑ 当時、プロデューサーの松本修と局長の上岡龍太郎が梅原猛の評論「水底の歌」から発案したテンプレート:Cite news
- ↑ 22.0 22.1 FLASH 2009年3月24日 第1044号『すべては「探偵!ナイトスクープ」から始まった!』より。
- ↑ 『全国アホ・バカ分布考 はるかなる言葉の旅路』
- ↑ カーネルおじさん救出3度も失敗した…アノ番組に直撃 ZAKZAK 2009年3月12日
- ↑ ちなみにモーツァルトはウィーン出身ではなくザルツブルク出身である。
- ↑ 23年間会話ない夫婦に大反響、「ナイトスクープ」“神回”の声も。-ナリナリドットコム
- ↑ 近鉄グループが運営していた近鉄玉手山遊園地のような大企業系列でありながら取材対象になったものもある。
- ↑ 現在も手軽なお出かけスポットとして人気が高く、ウェブページも持っているほどである。
- ↑ もっとも、立川水仙郷は水仙の名所としても有名であり、近郷の灘黒岩水仙郷と並んで旅行雑誌や写真集を始め出版物への記載は多い。シーズン時には多くの観光客や写真愛好家で賑わいを見せており、おおよそ期待通りのパラダイスの雰囲気を醸し出すのはオフシーズン時である。
- ↑ 2007年度には青森朝日放送・秋田朝日放送・山形テレビ・福島放送・長野朝日放送・北陸朝日放送・瀬戸内海放送・広島ホームテレビ・山口朝日放送・愛媛朝日テレビ・長崎文化放送・大分朝日放送・熊本朝日放送・鹿児島放送が同時ネット、12:00 - 15:25。九州朝日放送・琉球朝日放送は2008年1月12日の同時刻に時差ネット。名古屋テレビも時差ネットした。
- ↑ ただし、『金曜ファミリープレゼント』枠内での放送は当時日本テレビ系列・テレビ朝日系列とのクロスネット局だった山形放送で同時ネットで放送された。
- ↑ 2012年12月31日の放送は12:00 - 15:25で、別番組が放送される岩手朝日テレビ、東日本放送、新潟テレビ21および本番組未ネット局のテレビ朝日を除く系列局で同時ネット放送された
- ↑ 旧・東通ライティング
- ↑ 2012年3月まで東通AVセンターと表記
- ↑ 番組当初は「大阪東通」に所属していたが、後に制作会社「JAWS」を立ち上げ、現社長と兼務
- ↑ 番組当初は「ブリッジ」に所属していたが、後に「JAWS」
- ↑ 番組当初は「ビデオワーク」に所属していたが、後の「FUNS PURODUCTION」に会社を立ち上げ、現社長と兼務
- ↑ 番組当初は「SSSystem」に所属していたが、後に「バックドロップ」
- ↑ 2010年4月30日 - 、番組開始 - 1996年までは、初代プロデューサー、1996年 - 2010年4月23日までは、チーフプロデューサー
- ↑ 2014年7月11日 - 以前は、ディレクター→一時離脱
- ↑ 2001年11月まで大阪東通、2001年12月 - 2010年3月まで東通と表示
- ↑ 番組当初から表示されたが、現在は表示無し
- ↑ 制作、番組初期のみ。朝日放送の代表取締役社長、現在は取締役相談役。
- ↑ 番組黎明期には初代プロデューサーの松本が自らロケディレクターを担当する回もあった。
- ↑ 岩田は1993年にナイトスクープのスタッフに加入、1996年に2代目プロデューサーに昇格するまでの期間はディレクターを担当していた。
- ↑ 当時JAWS、現:毎日放送
- ↑ 苗字が「鹿児島」である鹿児島俊光は鹿児島出身か? ということで、自身が調査対象となり番組に出演した経験がある。ちなみに鹿児島俊光は生まれも育ちも神戸であり、鹿児島県とは無関係。そのことを確認するためだけに、はるばる鹿児島空港に来させられていた
- ↑ KBCの放送区域は福岡県のみ。
- ↑ 2014年4月より時間変更。それ以前は土曜 15時00分 - 15時55分
- ↑ 福本清三が『徹子の部屋』に初めて登場した1992年11月の放送では、冒頭で黒柳徹子が(当時無名に近かった)ゲストの福本がどういう人物なのかを口頭で説明した後、なぜ福本を呼んだのか、という理由を述べる際に「実は、大阪の朝日放送で放送されております、『探偵!ナイトスクープ』という番組の収録で…」と紹介したあと、朝日放送から映像提供を受けてナイトスクープでの放送シーンの一部(黒柳に扮した桂小枝と福本がセットのソファーに座っている時に黒柳が登場した瞬間など)を放送した。
- ↑ 本来は月曜 - 木曜の同時間帯に放送される『ナイトinナイト』の直前番組だが、金曜日には同枠がないため『ナイトスクープ』の直前番組として放送。