ルー大柴
テンプレート:Infobox お笑い芸人 ルー 大柴(ルー おおしば、1954年1月14日 - )は、日本の俳優、お笑いタレント、茶人。本名、大柴 亨(おおしば とおる)。茶人名としては大柴宗徹[1]。
東京都新宿区富久町出身。浅井企画(2008年1月末まで)→株式会社Carino所属。山野美容芸術短期大学客員教授[2]。遠州流茶道師範。身長174cm、体重65kg。立教高等学校(現・立教新座高等学校)卒業。
目次
略歴
第二次世界大戦後にシベリア抑留から引き揚げてきた父と日本で知り合った母との間に、東京で生まれた。父親は旧満州のハルビンで生まれ育ち、ロシア語・中国語・英語に堪能で、幼少のルーにハグや接吻をするような人物であったという。また、ルーの父方の祖父はロシアのウラジオストクで宝石商を営み、ロシア革命後に満州に移り、日本軍に飛行機を一機寄付してしまうほど富裕だったという。母親は再婚で、既に2女の親だった[3]。母親の実家は印刷所を営んでおり、父親は婿養子に入っていた。
両親が不仲になったこともあり、高校卒業を機に家を出て独立。欧米各地で、自作のアクセサリーを露天商売販売しながら数年間放浪。これを機に英会話が特技となる。
帰国したとき、両親は離婚しており、一旦は実家が経営する印刷会社に就職するものの即退職。三橋達也の付き人を経て、1977年にテレビドラマ『俺たちの朝』で俳優としてデビューする(ただし、一話限りの出演でそれも端役扱い)。1979年、勝新太郎が主宰した『勝アカデミー』に第一期生として参加。この時、同期だった小堺一機と知り合う。この間、俳優業は鳴かず飛ばずで、司会業やモデル業をして雌伏の時を過ごす。また、この時期に関根勤とも知り合う。
折り込みチラシなど、モデル時代の事務所のパンフレットに掲載されていた“カジュアルなスタイルにウエストポーチをつけた格好”が『スーパーギャング・コサキン無理矢理100%』で話題となり、番組内で“ポシェット・ルー”として人気に火がつく。後に番組内でレギュラーとしてポエムコーナー『ルー大柴のパックインミュージック』が出来るまでになった。
1989年、関根の主宰する劇団『カンコンキンシアター』の旗揚げに参加し、その独特のキャラクターが脚光を浴びる。「アデランス」のCM「トゥギャザーしようぜ!!」のフレーズが有名。だがこの時ルーは35歳で完全に遅咲きだった。1992年、第29回ゴールデン・アロー賞芸能新人賞受賞。
また『浅草橋ヤング洋品店』の司会、『笑っていいとも!』曜日レギュラー、NHK大河ドラマ『花の乱』や、舞台『ハムレット』などに出演。またタレントとしてのキャラクターとは裏腹な演技力を発揮する俳優としての側面も持ち、近年では舞台俳優としても多くの作品に参加している。
1990年代前半の短期間のブレイク後、しばらくはカンコンキンシアターをはじめとする舞台演劇に活動の重点を置いていたせいもあり、テレビでの出演機会が少なくなり世間の露出度としては「控えめ」の状態が続いた。しかし2007年初頭頃からはクド過ぎる本人のブログ、その本人の言葉が「ルー語」と言われ、以前ならば最も嫌われていた女子高生層の間で話題となり、再びブレイクした[4]。みんなのうたにも起用された自身のCDがきっかけで、ワンガリ・マータイが提唱したMOTTAINAIプロジェクトに賛同し、テレビ出演時にはそのTシャツを着ていることが多い。
2012年10月、「ルー語」の英語と日本語が混ざった独特の口調でナビゲートしてくれるAndroid™端末用カメラアプリ「ルー大柴のCameraでLet's TOGETHER」をリリース
芸名の由来
「ルー」は、本名の「亨(とおる)」から。家のなかで暴れる幼い大柴を、父親が「ルー台風」と呼んでいたのが由来だという[5]。役者活動を始めた22歳の頃は大柴允人(まさひと)、新劇に参加し始めた1983年からは大柴亨介と名乗っていた[6]。
人物
自称「職業は旅人」。 愛車は2代目トヨタ・プリウス。 1981年に結婚した妻の万規[7]との間に2人の息子がいる。
俳優を目指して研鑚を積み、数々の舞台・テレビでは一般庶民も含めた様々なキャラクターを演じ、ミュージカルのタイトル・ロールもこなして見せるなど、演技者としての力量は高い。完全に抑制した、地味な脇役もこなせる。しかしルーと言えば、くどくてアクと押しが強くやや空回りしたようなキャラクター、またうるさ過ぎるタレントとしての顔の方が有名である。本人は自分の芸風を「西川のりおをおしゃれにしたような芸風」と、テレビ番組で語っている。
小堺や関根が指摘するように、常識がないというわけでもない所も特徴的である。実際、テレビに出演している時は絶えずモニターをチェックし、モニターチェックが終わった後にはスタッフに「今の良かっただろ?」と、確認するほどである。
タレントとしてはキャラクター作りとして「Togetherしようぜ!」「この間department storeで」「Januaryで50歳になるんだよ!」など、会話の中に簡単な英単語を入れるのが特徴(しかも我流当て嵌めで文法にも適っておらず正しくない)。その発端は、高校生時代に帰国子女の同学年生と交際していて、どうしても言葉の端々で英単語が出てしまうから、と述べている[8]。また、実父が満州生まれで日本語は無論露・中・英の3カ国語をも自由に話せるマルチリンガルであったという、幼少時の体験も少なからず影響していた。
一方でラジオで共演した伊集院光に対して、それまで英単語を混ぜてしゃべっていたにも関わらず、別れ際に「さらば!」と日本語であいさつしたことを、後で突っ込まれていた。また関根勤のことを「トム」、その娘の麻里のことを「メァ〜リ〜」と呼び、前述の伊集院光のラジオ番組内では、恩師・勝新太郎のことを「“ビクトリーNEW太郎”」と呼んでいた。
また俳優を目指していた経緯から演劇指向が強く、舞台に生きる自らの事を「板人(いたじん)」、また『カンコンキンシアター』では、後輩達に自身の事を「板長(いたちょう)」と呼ばせようとしている。業界でもそんな呼び名はないが、板=舞台の長として団員をまとめあげる、座長の直下のポストであるという自負から来た造語であると推測される。実際、『カンコンキンシアター』では、年齢的にもキャリアも座長の関根に次ぐ年長者でもあり、舞台公演時にカーテンコールで座長を紹介できる唯一の人物でもある。
小堺や関根らによれば、普段の素顔はテレビのキャラクターは必ずしも当てはまらず、実像はよく気がつく人柄のいい人物だという。
水辺の生き物が好きで、趣味の一つに“ローチ”の飼育があり、川などに出て採集したり、白変種などを観賞魚店で買い求めているという。現在まで続いている“ローチ”との出会いと付き合いは、1998年頃、ルーのテレビ出演が激減しスケジュール帳はいつも真っ白の時期に、息子が通う自然教室についていった際「どじょうってかわいい」と開眼したのがきっかけ。当時のルーは自ら「人生の“バッドタイム”」であったと思っていたが、今思えばそれは必要な時間であったかもしれないと語っている[9]。2006年11月に観賞魚雑誌の月刊アクアライフ2006年12月号で、インタビューを受け、飼育風景の一部が掲載され、その後同誌2007年5月号から連載を開始した。記事の内容は川や用水路での採集や、珍しい“ローチ”の紹介、時には大学の研究室(“ローチ”関係の研究を行っている研究室である)を取材することもあり、独特な文章と裏腹にかなり専門性が高い内容となっている。愛魚には10年以上飼育したヒドジョウのチャッピーなどがいる。2007年6月に『ゆうどきネットワーク』にゲスト出演し、密着取材でオフの日に多摩川で小魚採取に興じるルーを特集した。『どうぶつ奇想天外!』でも、魚部の子供たちと魚捕りをした。 自宅でくつろぐ方法の1つに、愛する“ローチ”たちを眺め、バッハのG線上のアリアを聴きながら“ポテト焼酎”をゆっくり飲むスタイルであると語っている。
横浜が好きで、コサキンではよく横浜好きをアピールしていた。
交友関係
ラッキィ池田・関根勤とは親友で、三人で『カンコンキンシアター』を結成。また勝アカデミーの同期である小堺一機も関根らと同様の盟友であり、『噂的達人(うわさのたつじん)』(小堺司会・関根ゲストの回でTVデビュー)・『コサキンルーの怒んないで聞いて!!』などの番組を、3人で担当。コサキンルーとしても活動した。その後もコサキンのラジオ番組には年に数回出演していたほか、小堺の家に遊びに行っては小堺の所有するブランド物の服を「小堺、これ(気に入った服)俺んだろ?」と、勝手に持って行ったりしている。
福山雅治とは新人でまったくの無名時代からの交友関係で当時無名だった彼に親身になって相談に乗ったりアドバイスしたり彼のアルバムの帯にタイトルバックして欲しいと頼まれ快諾し「僕のようにビッグになりなよ!」と書き込んだが大柴曰く「今じゃ福山君の方が遥かにビッグなってしまった。」と述べている。定期的に彼から携帯電話に掛って来るらしく一度、福山本人から「ルーさんの自宅にお邪魔して良いですか?」と言われたが大柴の妻が彼の大ファンで大柴の妻曰く「恐れ多い」との事で流れてしまった。
関根勤の娘・関根麻里とも長い付き合いである。クリスマスの日にルーがサンタクロースに変装し、関根家に来たことがある[10]。なお、「お父さんが勤からルー大柴に変わると言われてもタダ(0円)で受け入れることができる」と麻里が発言したことがあり[11]、周囲を驚愕させたが、実際にルーは勤の友人であり、幼い頃からの長い付き合いである為さほど違和感はない。
石田純一とは生年月日・血液型が全く同じで、よくネタにしており、これまでに二人は『快傑!ドクターランド』や『ダウンタウンDX』等で顔合わせをしており、後者によるところでは生年月日も血液型も同じなのに生き方が違っていることを羨ましく思っているが(例えば石田に離婚歴と再婚歴があっても自身にはない)、実際には以前から仲がよいことを自身のブログで語っている。
また、ゆずの二人とも親交があり、ゆずがコンサートに招待したり、ルーが舞台の案内を送ったりするなど、よい付き合いをしている。
オンエアとは対照的に細やかな神経を持つSHEILAは「番組収録の時、言い過ぎちゃったかな」と反省し、共演者に「ごめんなさい」と言うタイプ。ルーは毒舌こそ口にしないものの、「小心者」という共通の事柄でよくルーが相談を受けたり、1〜2ヶ月に1回の割りで食事に行くという仲である。
2007年5月18日に『笑っていいとも!』の「テレフォンショッキング」に登場した際には、福山雅治から花が届いた。ルーは次の回お友達として、谷原章介を紹介している。また、ブレイク前の福山とラジオ番組で共演した際には、福山に色々とアドバイスをしていた[12]。
2008年、所属する浅井企画をマネージャーと共に退社し独立。しかし浅井企画は事務所の方針として独立を許していない為、この独立以降事務所方針から関根・小堺とはテレビ等で共演NGとなり「カンコンキンシアター」も2007年限りで脱退したことにされている。この件に関してルーの親友であるラッキィ池田が激怒したというエピソードがある。
エピソード
- ルーが浅井企画に入ってすぐ、スタッフが事務所の重鎮であり芸には厳しい萩本欽一にルーが入ったことを報告しようとした時に、たまたま萩本はルーが出ている番組を楽屋で見ていて「もう見たくない」という態度でテレビのスイッチを足で切ってしまった。そこでスタッフはコサキンの二人が間に入る形でルーを萩本に紹介したところ、ルーは「よお、欽ちゃーん」と抱きつき、萩本も周囲も唖然とさせた。
- 一方、萩本の相方・坂上二郎には好かれている。ゴルフコンペでルーと坂上がペアになったとき、萩本の件もあり心配した関根は、坂上に「ルーに気をつけて下さい」と予め伝えた。しかし、コンペ終了後に「ルーはどうでした?」と尋ねたところ「いいね、好きになっちゃったよ」と、坂上は上機嫌だったという。この話を披露した後、関根は「俺が坂上さんに心を開いてもらえるまでは30年かかった」と述べている。[13]
- 本格的に演劇の世界へ足を踏み入れた頃は「大柴亭」「大紫亭」などのように、落語家の様な名前で誤表記される事が多く、インパクトのある名前を。と言う事で、「ルー大柴」という芸名にした。が、テレビに出始めたころは、新聞見出しに「ノレー大柴」や「ルール大柴」「ルー大紫」「ルー太柴」「ルー芝浦」「ルー犬柴」と誤表記されたことがあった。また、初めて書いたサインに対しては、「ノレー大紫(のれーおおむらさき)さんですか?」と聞かれたという逸話もある。
『クイズ!ヘキサゴンII』内の「日本列島クイズの旅」コーナーにおいて、町人から「ルーキー大島」「ルーキー柴」「ルー大島」「大ルー柴」「ウー大柴」と答えられるなど、一般に芸名が浸透していないことをうかがわせている。
しかし、2008年春に放映の『島田紳助がオールスターの皆様に芸能界の厳しさ教えますスペシャル!』内において、一般人へのアンケートの結果、知名度が出演者の中で最も高い97%であった事に、本人も島田紳助も驚嘆すると共に喜んだシーンがOAされた。 - 和田アキ子は、名前が思い出せずに、「ヘイ大久保」と言っていたことをテレビ番組『アッコとマチャミの新型テレビ』ならびに『アッコのいいかげんに1000回』で告白している。
これは、和田がTBSの楽屋でテレビを見ていたとき、『大江戸を駈ける!』に出演していたルーを見て、名前の前がカタカナで後ろが漢字のところまで思い出したものの、該当の名前がデーブ大久保以外思いつかず、でも「こいつそんなに太ってないもんなぁ」と思い直し、それで出た言葉が「ヘイ大久保」だったとのこと。 - ラッキィ池田が離婚問題で悩んでいたときに心配し、『浅草橋ヤング洋品店』に出演させ「男の涙は屋台で泣け!」と言うコーナーを設け、未練を断ち切らせた。
- 勝アカデミー時代に講師をしていた岸田森には、かなり目をかけてもらったという。当時小堺は既にテレビに出始めて人気も徐々に得ていたこともあったが、小堺とルーによれば、単に岸田がお笑い指向の小堺よりも、俳優を目指していたルーを評価していたからではないかという。
- かつて『笑っていいとも!』では、ダウンタウン・関根勤と共に月曜レギュラーとして出演。タモリ・ダウンタウンからかなり鬱陶しがられていたが、近年『ダウンタウンDX』などで再び共演し、ダウンタウンの二人から「久しぶりに絡むと面白い」と再評価された。
- 『笑っていいとも!』のワンコーナーで、ルーに関する情報やネタが寄せられた際、ピザ・パスタチェーン店『るーぱん』に掛けた「ルーパン」と言う、ルーの顔に似せた自家製パンにほくろ部分を正露丸を使用したパンが、視聴者から送られた事があった。
- 近年は舞台活動をメインにしていて「ルーさん最近テレビに出てないね」と“風のボイス”を耳にしたルーと、ルーのマネージャーとの話の中から「50歳になって、今までの自分にないことをしよう」というきっかけで、自らのブログを開設する事にした。そのブログに関しての話題が「2006年の“ノーベンバー”頃から、2ちゃんねる経由で火がつき」、世間の人々が注目するようになったという[14]。英単語・絵文字・色を駆使した文章は相当アクの強く、いわゆる「クドい」ものだが、逆に支持を集めて新たな読者層を開拓しており、読者のトラックバックも英単語を併用した「クドい」文書が多数を占めている。
- ルー大柴のファンのことを“ルーマニア”と言う。若い世代のファンは“ニュー・ルーマニア”。ルーが弟分と称している福山雅治は、ルーマニアを公言している。
- 2003年放映の『探偵!ナイトスクープ』にて、「まさか!?祖父がルー!?」の依頼VTRに出演した際、完璧と言えるほど自然に依頼者の家の亡くなったおじいちゃん役を務め、依頼者だけでなくルー自身も涙を流し、スタジオ中を感動の渦に巻き込んだ。この時探偵を務めていた普段“お涙モノ”に無縁の桂小枝ですら、依頼者と共に涙ぐみ、進行役である局長の西田敏行も感動していた。それ以来、関西においてルーは好感度を大幅にアップさせ、この依頼を機に顧問として『ナイトスクープ』に出演するようになった。ルー自身も「今まで出たテレビの中で、こんなに素晴らしい番組に出たのは初めて」と語ったほど。現在も『ナイトスクープ』出演時には、本番収録前後にABCホールの客席を隅々まで回ってパフォーマンスを行うことが恒例となっており、観客からも大いに受け入れられている。また依頼に対しても、真面目にコメントしている。
2007年5月18日、『笑っていいとも!』の「テレフォンショッキング」に出演した際、この時の孫の女の子から電報が届き、ルーはこの時の『ナイトスクープ』の事を話した。また、2007年12月14日放送の『ナイトスクープ』において、「(再ブレイクの)はじまりは、この番組からでした」と語るなど、ルー本人にとっても再ブレイクのきっかけは『ナイトスクープ』視聴者によるイメージアップからと認識していたことがうかがえる。 - 俳優志望時代に『太陽にほえろ!』(日本テレビ)の出演者オーディションを受験した事がある。その時に、彼は自ら考案したキャラクター「アムステルダム帰りの“アムス刑事”」を選考で提案したが、合格には到らなかった。「アムス刑事」の選考時の提案方法は「ボス、俺を“アムス”と呼んで下さい! アムステルダム帰りの“アムス”です!」。なお、この時の合格者が勝野洋(テキサス刑事)。ルーはその勝野が『太陽にほえろ!』降板後に主演した『俺たちの朝』に一話だけゲスト出演(ただし、メインではなく端役)して共演。役柄は、勝野演じるうだつの上がらない水泳コーチの職を奪ってしまうエリートの元オリンピック選手。当時の俳優としてキャリアにおいては勝野は超人気者で、一方のルーは芽が出ない時代で、まさに劇中の境遇はあべこべだった。また、勝野とは大河ドラマ『花の乱』でも共演している。
- 本人のコメントなどから、西川のりおと芸風が似ているという理由だけで『関口宏の東京フレンドパークII』では「友達同士」としてブッキングされ出演している。ただし両者にあまり面識はない。
- 『ダウンタウンDX』などのフリートーク番組などで、しばしば過去の話として勝新太郎のエピソードを話す。中でも『警視-K』の、主人公の勝に商品を薦める紳士服店員の役の話は、概ね当時の映像と共に、よく出ている。この場面のセリフは、アドリブであったという。
- 「音痴」なことでも有名で、「ルー節」とも呼ばれる歌い方はコサキンのラジオ番組では度々ネタにされている。『YOKOHAMA』という曲では、気持ち悪い歌い方でコサキンの2人の失笑を買う。
- 夢はアカデミー主演男優賞受賞だが、『MOTTAINAI 〜もったいない〜』で“レッド・ホワイト歌合戦”出場も夢だと『徹子の部屋』において黒柳徹子に語った。
- 森喜朗が会長を務める『ユーモア大賞会』において、2007年の「ユーモア賞」を受賞・表彰された。表彰式では森が表彰状の文面を何回か噛みながら読み、特に「〜ファンから『ルーマニア』と呼ばれ…ん? ルーマニアは、国名だろう」と言った際には、MCやルー本人からフォローを入れられていた。同時に表彰された太田光は受賞後のスピーチで「〜“サドゥンリー”、僕がユーモア賞を表彰されると“藪からスティック”に聞かされて…」等と発言し、その都度ルーは「おいそれ俺のネタだからさ」と突っ込んでいた。
- アクの強いキャラクターが災いして、再ブレイク前は出川哲朗や江頭2:50とともに「女性が嫌いなタレント」(フライデー調べ)の常連であった。
- 1996年11月6日の笑っていいとも!「テレフォンショッキング」では登場した際に観客に「いえ~い!元気かぁ!」と発言し、観客も「いえ~い!」と応えていた。
- 若い頃はイタリア人やアラブ人に顔が似ていたと発言しており、地中海の顔と認めている。
出演
テレビ番組
- 噂的達人(TBS、1989年1月6日) - ゲスト。「ルー大柴」としてのTVデビューの番組
- パオパオチャンネル(テレビ朝日系、1989年) 「関根大使」のルー元帥役
- EXテレビ(日本テレビ・読売テレビ、1990年4月2日 - 1994年4月1日)
- クイズ&ゲーム太郎と花子(フジテレビ、1990年10月24日 - 1992年3月25日)
- ライオンのいただきます(フジテレビ)
- 森田一義アワー 笑っていいとも!(フジテレビ、1991年 - 1992年) - 月曜レギュラー
- 邦ちゃんのやまだかつてないテレビ(フジテレビ)番組初期に準レギュラーとして出演
- ますこっとたわー(TBS、1991年4月 - 1992年3月) - 司会
- 痛快!いたずらジャジャンボ(テレビ朝日、1992年1月 - 1992年3月) - 司会
- ルーキーショー・愛はかげろう(TBS、1992年4月4日 - 9月26日) - 司会
- 浅草橋ヤング洋品店(テレビ東京、1992年4月14日 - 1995年9月24日) - 司会
- CLUB TO-LON(TBS)
- ファイト!(NHK教育、1992年 - 1993年) - ちはると共に司会
- 快傑!ドクターランド(TBS、1992年10月 - 1993年3月) - 石田純一、蓮舫と共に司会
- ついておいでよ男たち(テレビ朝日、1992年10月 - 1993年1月) - 蓮舫と共に司会
- M10(テレビ朝日)※火曜
- 特選!美味しいTV(テレビ朝日) - 司会
- コサキンルーの怒んないで聞いて!!(TBS、1993年10月 - 1994年3月)
- 関根&ルーの!クイズサクセス(フジテレビ)
- 小堺&ルーの極上!とびっきリスト(東海テレビ)
- 探偵!ナイトスクープ(朝日放送) - 顧問(不定期出演)
- ドクター・フーでトゥギャザーしようぜ!(NHK教育) - 司会
- 5時に夢中!(TOKYO MX、2005年- ) - 司会代理。ゲストとしても最多出場
- コミュニTV 熱情放送(CATV) - 常連
- 月刊岡山トラのアナ(NHK岡山総合テレビ・岡山ローカル) - ナレーション(毎回、ルーがNHK岡山放送局まで出向いて収録を行っている)
- クイズ!ヘキサゴンII(フジテレビ) - 準レギュラー(月1回程度)
- スパイスTV どーも☆キニナル!(フジテレビ) - 準レギュラー
- 科学大好き土よう塾(NHK教育、2008年4月5日 -2009年3月21日 )
- 趣味悠々
- 「万華鏡」(NHK教育、2008年12月)
- 「山で元気に!田部井淳子の登山入門」 (NHK教育、2009年7月29日 - 9月30日)
- ルー大柴のソウル探訪 カジノを愉しむ旅(旅チャンネル・MONDO21)
- ワケありバンジー(2010年、u局)バンジーマイスター
- あなたもアーティスト「王子江と描く 水墨画を楽しもう」(NHK教育、2010年10月 - 12月)
- デジタルQ(2011年4月 - 、NHK)
- The MONDO Times(2012年7月11日 - 、MONDO TV)
ラジオ番組
- コサキンDEワァオ!(TBS) - かつてのレギュラーで、世に名前が知られるきっかけとなった番組。レギュラー降板後も年に数回出演。小堺が2004年8月に病気で休業した際は、代役を務めた。
- キャンパスラジオ「Hey!Say!」(ラジオたんぱ)
- ルー大柴のジンセー改造計画(ラジオたんぱ)
- ルー大柴のミュージックイズ危機一髪! - ジャパンエフエムネットワークの一部の局で放送されていたミニ番組)
- ルー大柴のがんばルー博覧会 - 地方AM局で放送されていた。
- ルー&ラッキィの東京アミーゴ(TBS) - 土曜日深夜、浅草キッドの『すっぽんぽん』内でのミニ番組
- ルー&ラッキィの10分天国 略して東京アミーゴ(TBS) - 岸谷五朗の東京RADIO CLUB内の帯番組。
- ルー&ラッキィのパックインミュージック21(TBS、1992年4月 - 9月)ラッキィ池田と共に出演。
- ルー大柴のサンデービッグテン(TBS)
- ウイークエンド・ルー(TBS)
- SCHOOL NINE(JFNC、火曜担当)
- 大沢悠里のゆうゆうワイド(TBSラジオ、2007年7月27日) - ゲスト
- NISSAN あ、安部礼司〜BEYOND THE AVERAGE(TOKYO FM、第27、28、75回)
テレビドラマ
- 俺たちの朝(日本テレビ、1977年) - 水泳コーチ役
- 明日の刑事(TBS、1977年)
- あかんたれ(東海テレビ)
- 警視-K(日本テレビ、1980年)
- セーラー服通り(TBS、1986年)
- 世にも奇妙な物語『死体くさい』(フジテレビ、1990年)
- ダブル・キッチン(TBS、1993年)
- 大河ドラマ『花の乱』(NHK総合、1994年4月3日 - 12月25日) - 骨皮道賢役
- 花王 愛の劇場『パパは保母さん』(TBS、1995年4月17日 - 6月2日) - 主役、本名の「大柴亨」として出演
- 万引きGメン・二階堂雪 シリーズ(TBS、1998年4月27日- ) - 和田店長役
- フォトグラファー桜井美由紀3(TBS、1998年8月24日) - 神山徹役
- 南町奉行事件帖 怒れ!求馬II(TBS・C.A.L、1999年) - 第3話「おれは用心棒」 荒尾軍十郎役
- 水戸黄門 第28部(TBS・C.A.L、2000年) - 第13話「哀しきゴマスリ出世道-桑名-」 雨宮慎之介役
- 大江戸を駈ける!(TBS、2000年 - 2001年) - 青木竜四郎役
- 松本清張特別企画・わるいやつら(テレビ東京、2001年4月18日) - 種田 役
- 天才てれびくんMAX『アイドルはやめられない!?』(NHK教育) - 主人公のおじ(科学者)役
- 不倫調査員・片山由美6(テレビ東京、2004年12月8日)- 立田進一役
- 笑う三人姉妹(NHK総合、2005年) - バズーカ山本役
- 鉄板少女アカネ!!(TBS、2006年10月15日 - 12月10日) - 第1話「料理は焼きが命だ!!父の味を取り戻せ!!」 ゲスト出演
- 東京少女真野恵里菜(BS-i、2009年2月14日) - 第2話「さよならお父さん」 二ノ宮俊章役
- ドラマ10『離婚同居』(NHK総合、2010年6月8日) - 第4話 不動産屋の男役
- 都市伝説の女(テレビ朝日、2012年5月25日) - 第7話「座敷わらしは見た!?離婚夫婦の密室殺人」 石橋学役
映画
- 湾岸バッド・ボーイ・ブルー(1992年)
- もうDEBUなんて言わせない!(1997年)
- CUTE(1997年)
- 銀の男六本木伝説(2001年)
- Summer Nude(2003年)
- デコトラの鷲 祭りばやし(2003年10月)
- いかレスラー(2004年)
- 花とアリス(2004年)
- ひいろ(2006年)
- あなたを忘れない(2007年)
- 富士とドーナツ 短編映画集『男たちの詩』より(2008年)
- 252 生存者あり(2008年)
- 銀色の雨(2009年) - 部活動の顧問役
- WAYA! 宇宙一のおせっかい大作戦(2011年)
オリジナルビデオ
- 2人のマジカル・ナイト(1991年)
ゲーム
- グラナド・エスパダ(日本版) - 「アンドレ・デ・ルー大柴」役:2009年10月6日から12月1日、「大柴DEヴェンデッタ」役:2013年3月27日から6月19日 期間限定イベントNPCとして登場。イベント期間の間は編入してプレーヤーキャラクターとして操作可能。
声の出演
- ビデオゲーム 3DO メガレース MegaRace に登場するゲーム進行役 Lance Boyle(ランス・ボイル)の日本語吹き替え
- 超劇場版ケロロ軍曹3 ケロロ対ケロロ天空大決戦であります!(2008年) - ドルル役
- ヤッターマン(読売テレビ、2008年7月28日) - トールー役
CM
- アデランス
- サンヨー食品/ごくらく麺、ごくらく焼きそば
- 三菱重工/ビーバーエアコン -細川ふみえと共演
- キリンビバレッジ/午後の紅茶『ダブ・ルー』篇他 - 松浦亜弥と共演
- ミスタードーナツ/ミスター飲茶涼風麺『いけル〜?』篇(2008年4月)
- 月桂冠『つき』(2008年8月30日〜) - 藤原紀香、モト冬樹と共演
- アットホーム『声だけルー』篇(画面出演は相武紗季、2008年10月〜)
- 江崎グリコ/2段熟カレー『2段ルウ』篇 - 室井滋、石井萌々果と共演
- グラナド・エスパダ(日本版)(2013年4月)
その他
- 倖田來未/Black Cherry DISC3 DVD DVD MOVIE『Cherry Girl』
- 富士通「ScanSnap 冬のキャンペーン」キャラクター(2007年、2008年)
- 日立製作所「環境への取り組み」インタビュー (2010年)
- fripSide/Decade DISC2 Blu-ray・DVD『Decade』(2012年)
- 音遊人(ヤマハ・フィーリング・クラブの会員誌)(2013年12月号)
舞台
- カンコンキンシアター(1989年 -2007年 ) - 新宿シアターアプル
- ハムレット
- 恋と結婚(1998年 三越劇場/1999年) - 博品館劇場
- 29歳の女たち3 〜風の通り道〜(1998年) - 博品館劇場
- ルパン三世 I'm LUPIN(1998年) - サンシャイン劇場・ルパン三世役
- 一人芝居『ライスカレー』(1998年 - 1999年) - シアタートップスなど全国13カ所で公演。劇場の舞台で演技をしながら実際にライスカレーを作り試食するという珍しい舞台。[15]
- 向田邦子名作劇場「阿修羅のごとく」(1999年) - 全国公演
- ハウ・トゥー・サクシード(2000年) - 梅田コマ劇場
- Fool's(2001年) - 新宿シアターモリエール
- 西遊記GOCOO(2001年、2002年) - 新宿コマ劇場(01年)、梅田コマ劇場(02年)
- ランフォーユアワイフ『走れ!!スミス』(2001年、03年) - 新宿シアターアプル、地方公演。
- 天国の本屋(2002年、03年)博品館劇場、地方公演
- 向田邦子小劇場(2002年) - 三越劇場/地方公演
- おもろい幽霊(2002年) - 新宿コマ劇場
- わだばゴッホになる 棟方志功物語(2003年) - 梅田コマ劇場・新宿コマ劇場
- クリオネ(2005年) - 下北沢ザ・スズナリ
- 帰ってきたHey!Say!ルー(2005年) - 恵比寿エコー劇場
- 笑われたかった男 〜林家三平物語〜(2005年) - 新宿コマ劇場
著書
- ルー大柴のLIFE IS ONCE(1990年、シンコーミュージック、ISBN 4-401-61320-1)
- ひとりよがり(1992年、学習研究社) - GAKKEN MOOK・BOMB!特別編
- はずかしい話(1993年、集英社、ルー大柴とはずかしい話採集研究会編、ISBN 4-08-781083-6)
- 観覧車からトーキングブルース(1994年、ぶんか社、ISBN 4-8211-0496-2)
- ルー炎上! 恥かけ、汗かけ、涙しろ!(2007年、マガジンハウス)
- ルー語大変換(2007年、扶桑社、ISBN 978-4594054090)
- ルー語でかるた(2007年、シンコーミュージック、ISBN 440-1622669)本人が読み上げるCDつき
雑誌連載
- 月刊アクアライフ(毎月11日発売 株式会社エムピージェー )「ルー大柴PRESENTS リバーとトゥギャザーキャッチキャッチキャッチ!」
音楽
- PSYCHEDELIC SOUND PARADISE(1991年、テイチク) - 関根勤、ラッキィ池田と共に「オラセラル」として
- オレ達、ルーキーショー(1991年、キングレコード) - きたろう、翔と共に「ルーキーショー」として
- YOKOHAMA/あまい囁き(1992年、テイチク) - ルー大柴 with 国分友里恵として
- 覚えてないんです(1992年、ポリドール) - 大鵬薬品ソルマックCMソング。佐野啓子と共に。作詞・作曲水野有平
- 抱腹絶倒目覚ましCD(1994年、サンリオ) - 松尾貴史と共に
- ファイティング目覚ましCD(1994年、サンリオ) - 松尾貴史と共に
- ルパン三世 〜アニメカル愛・夢・ルパン〜(1998年、日本コロムビア) - ルパン三世誕生30周年記念ミュージカル。アニメカルルパン三世オリジナルサウンドトラック
- MOTTAINAI 〜もったいない〜(2007年、NHK「みんなのうた」) - 仁井山征弘と共に。振付けはラッキィ池田
- パーティー野郎Aチーム feat.ルー大柴 アルファ(2008年 EMIミュージック・ジャパン アルファのアルバム「パーティー野郎Aチーム」に収録)
DVD
- 楽しい夜遊び STEPPER'S PARADICE with ルー大柴 2007年5月30日発売
- ルー大柴革命 〜ルー語でトゥギャザーしようぜ!〜 2007年8月24日発売
- 爆笑アニメ版!問題な日本語 2008年5月15日発売
- ルー語で覚えるお手軽クッキング 2008年5月21日発売
- ルー大柴のイングリッシュTOGETHER!!~ハワイ篇~ 2009年2月11日発売
脚注
関連項目
外部リンク
- carino - 所属事務所プロフィール
- ルー大柴 公式ブログ
- ルー大柴オフィシャルブログ『TOGETHER』 - 本人とそのマネージャーによるブログ
- ルー語変換 - 本人公認
- ルー大柴インタビュ-(スピーカーズjp)
- ルー大柴インタビュ-(VeeSCHOOL)
- ルー大柴インタビュー(日立製作所「環境への取り組み」)
- ルー大柴のThe MONDO Times - MONDO TV
メールマガジン
- Alla moda!(ビジスパ)
Androidカメラアプリ
新作英語アプリ
テンプレート:コサキン- ↑ ルー大柴公式ブログ2010年4月13日「頂きました!」
- ↑ ルー先生からひとこと 山野美容芸術短期大学
- ↑ 『文藝春秋』2007年10月)
- ↑ ルー大柴ブログが人気 「トゥギャザーしようぜ!!」J-CASTニュース 2006年12月25日 11時42分
- ↑ 『文藝春秋』2007年10月
- ↑ シンコー・ミュージック 『ルー大柴のLIFE IS ONCE』より
- ↑ シンコー・ミュージック 『ルー大柴のLIFE IS ONCE』P69より
- ↑ 『ろみひー』『英語でしゃべらナイト』で本人談
- ↑ 2008年6月、株式会社ユートシャルム発行「からころ」内のコーナー『わたしの気分転換』インタビューによる。その際、テレビから遠ざかっていた頃を支えてくれた“ワイフ”と、その後「ブログを始めてみては?」と勧めてくれたマネージャー・増田に感謝していると語っている
- ↑ 『コサキン無理矢理100%』にて勤が言及
- ↑ 『クイズ!ヘキサゴンII』2006年10月25日放送にて
- ↑ 『サンデージャポン』SONYの近藤プロデューサーのWEBラジオのゲストとして登場。その後夕食を、近藤プロデューサーと彼が手がけている歌手YUIも誘って行った。その際、ルーの息子がファンで息子にサインをお願いされたため、YUIにサインをお願いした。YUIには人間性に共感し、その場でファンになった。家ではそのときもらったCD「YUI CAN'T BUY MY LOVE」を聴いて感動して泣いた、と自身のブログで綴った。その後、ルーのブログはYUI効果でコメントが殺到した。
- ↑ 『雨上がり決死隊のトーク番組アメトーーク!』にて、関根談
- ↑ 『読売新聞』2007年12月26日
- ↑ ルー大柴一人芝居 『ライスカレー』