騎士

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騎士(きし)は、騎馬する戦士をいう。

  1. 西欧における騎士とは、主に中世において騎馬で戦う戦士に与えられる名誉的称号及びそこから派生した階級を指す。称号としての騎士を騎士号という(以下では主に1の騎士について概説する)。
  2. 日本においては江戸時代、馬に乗り「御目見」の資格を持つ武士の称として用いられ、主に徒士との比較語として用いられた。

各言語における名称

フランス語では テンプレート:ルビイタリア語では テンプレート:ルビスペイン語では テンプレート:ルビドイツ語では テンプレート:ルビオランダ語では テンプレート:ルビであり、いずれも「騎乗」を語源としている。英語では テンプレート:ルビといい、これは「従僕」を意味する cniht に由来する。なお、現代英語では騎兵を テンプレート:ルビ と呼称し、knight と区別する。

西洋

ローマ時代

テンプレート:Main 西欧における騎士の起源は、考え方によっては古代ギリシア・ローマの時代に遡ることができる。たとえば、古代ローマの兵役制度(ケントゥリア)では、騎兵として軍に加わる人間を指す「エクィテス」という階級が存在した。騎馬民族ではないラテン人(ローマ人)にとって、馬術はごく限られた富裕階級のみが学べる特殊技術であり、つまり彼らは騎兵として軍に加われる程度の財力を持つ富裕な市民であった。

とはいえ、ローマが版図を拡大し、騎馬民族の同盟国を傘下におさめるようになると、ローマは実戦力としての騎兵を同盟国からの援軍(アウクシリア)や、傭兵に依存する傾向を強めていった。そのため、エクィテスという言葉は「騎士」というよりは単に経済人や資産家を指すものとなっていった。

その後、元老院で議員資格に財産保持の制限を加えるクラウディウス法が可決されると、それまで貴族や資産家など、上流層全体を含んでいた元老院から財力を背景にする富豪達が分離して、「騎士」という称号だけを佩びるようになった。彼らは元老用の純白に赤十字のトーガではなく、緋色のトーガを身に纏う事が習慣付けられた。帝政期に元老院を牽制したいと考えた歴代皇帝が重用した事で権威は更に高まり、帝国の体制を支える職務となった。

中世

中世ヨーロッパにおいては、サルマタイ諸部族(ゲルマン人に対してはアラン人)によってもたらされた重装騎兵が戦闘の主役であり、そのためには優れた技量と精神的、肉体的な鍛錬が必要だとされ、その資格を有するものに騎士という称号を与えるようになった。騎士になるにはまず、7歳頃から小姓ペイジ)となり、主君の元に仕え、使い走りなどの仕事をする一方で、騎士として必要な初歩的技術を学んだ。14歳頃で従騎士(エスクワイア)となると、主人である先輩騎士について、身の回りの世話をはじめ、甲冑や武器の持ち運びや修理をも担当し、実際の戦闘にも参加するようになった。20歳前後で一人前の騎士と認められると、主君から叙任を受け、金もしくは金メッキの拍車をつけるようになった。

叙任の儀式は基本的には、主君の前に跪いて頭を垂れる騎士の肩を、主君が長剣の平で叩くというものだが、騎士の戦士としての重要性が薄れると、かえって叙任の儀式は複雑化して、宗教色や騎士道精神といったものが強調されるようになり、聖職者が式に絡むことも多くなった。また当初は騎士は叙任されるもので、生まれついての身分・階級ではなかったが、騎士としての装備を維持する必要から封建領地をもった階層に固定され、やがて男爵以上の貴族称号を持っていない者の称号となった(ナイト爵)。

こうした中世騎士の制度は封建制度の中核を成し、また「ベテラン兵の指導を受けて技術を学ぶ」という点は封建制自体と同じく従士制度というゲルマン系文化からの影響を受けている。ただし、儀礼的な部分に限って言えばむしろローマ(ラテン)的であり、またケルト的であった[1]。肩を剣で叩くという儀式は古代ローマの貴族階級で行われた儀式に起源を持ち、その際に両膝をついて跪く事で忠誠を示す様はケルト系の諸民族で見られた習慣だった。儀礼が異文化から取り入れられた経緯は詳しくは分かっていない。

騎士道

騎士道においては一般にキリスト教的観念に基づく、忠誠、公正、勇気、武勇、慈愛、寛容、礼節、奉仕などがとされてきた。ただし、それらの徳目が忠実に守られていたかといえばそうでもなく、(当時では一般的な現象であったが)攻城戦の末に落とした町の略奪、破壊、虐殺に騎士もまた加わった。

英国の騎士への敬称は Sir)という(但し、騎士は中国や日本の卿に比べてはるかに低い階級である。)。また、英国貴族の敬称 Lord も同じくと訳されるため誤訳・誤用を招くこともある。また、自らの力を試したり、ロマンチックな冒険を求めて方々を渡り歩く騎士を遍歴騎士と呼んだ。

近世

騎士が軍事的価値を喪失しはじめたのは1400年ごろからだと言われている。傭兵部隊が軍事の主力となると騎士は自分の連隊を率いて傭兵隊長となるなどの転身をしなければ軍人としては生き残れなくなっていった。多くの騎士は強盗騎士と呼ばれるようになりフェーデを悪用した合法ギリギリの強盗、恐喝、身代金誘拐などで生計を立てるようになったが、フェーデの全面禁止に伴い生活基盤を失って単なる傭兵となるなどして没落していった。16世紀以降、火器の使用により槍騎兵の意義が薄れ、また、馬や鎧、武器の調達に莫大な費用がかかることから、軍役を実際に出陣せずに金銭(軍役代納金)の支払いによって済ませることが多くなり、騎士は戦士としての役割を終えて、純粋な社会的階級となった。現在でもイギリスなどでは、男爵、準男爵に次ぐ爵位として、ナイト爵が勲章システムと結びついて存在している。別称は勲功爵、勲爵士ともいう。

中世ドイツでは国王と騎士による国家再建を目指して騎士戦争を起こしたが、結果として騎士が滅亡することになった。中には自身の軍事的価値を放棄して土地を所有して荘園領主として自活する道へと進んでいった者たちもいる、現代まで存続している騎士の家系の多くはこの系統である。

現代

上記の通り、英王室における爵位として、今日でもイギリス内外の功労者への称号として授与されるケースは多い(映画『パトリオット・ゲーム』でジャック・ライアンが、王族の1人を暗殺から救った功でナイト位を受けた例がこれに該当)。論文等の中で学者の名称が「~卿」となっている場合は、こうしたナイト爵を得ている人がほとんどである。その他、ヨーロッパにおいては、中世以来今日に至るまで騎士団の伝統を受け継いでいる人々が多くおり、中でもワインやチーズなど食文化の伝道者としての団体として続いているものも多い。また、君主制の国家ではないものの、政府として騎士号を授与する国もある。

食文化を守る騎士団としてはフランスボルドーワインの伝統を守るボンタン騎士団なとが有名であるが、その他、フランス、ドイツを中心にワイン騎士、ベルギービールの騎士号やフランスチーズ鑑評騎士などの称号があり、それぞれの食文化において活躍する人材に対してこれらの騎士号が授与されている[2]。日本でも、とりわけ国内の著名人などが授与されるケースも多い。またマルタ騎士団は現在、独立国家として国際医療に従事しており、これも今日の騎士のあり方の一つと言える。

日本

独特の美学を有する戦士階級と言う意味では、武士が騎士に類似した存在である。また、騎士(テンプレート:ルビ)が「従僕」を意味する cniht に由来するのと同様、武士も「従う」という意味を持つ「さぶらう」という古語を語源とすると呼ばれた点でも類似する。また、士分にあるもののうち、上士の身分にある者は騎乗が許されたことから、徒士に対して「騎士」と称されることもあった。ただし、西欧から導入した爵位の制度はかつて存在したが、これらは騎士または騎士団の制度とは根本的に違うものである。

現代の日本では、欧州の騎士の称号に因み、地方公共団体や業界団体が騎士号を贈る例がある。 具体的には青森県商工会議所雪かきの功績者に対して「スノーナイト」という騎士号を授与する例や[3]日本吟醸酒協会が開催する吟醸酒大学校の受講生の中で一定の要件を満たした人に「吟の騎士」の称号を授与しているのが、その例(さらにその上級課程を修了すると「吟の衛士」の称号が授与される)である[4]

2008年以降、和歌山県は県内で功績のあった人物・動物などに対し、「和歌山県勲功爵(わかやま で ナイト)」を送るとしている。第1号は、猫の駅長であるたま

なお、これらの場合、称号と言うよりも、愛称に近いものである。

中国

中国では古代から、騎乗して戦う兵士のことを「騎士」と書くことがある。

創作物としての騎士

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現在でも騎士及び騎士道を扱った作品は様々な形で数多くある。作品によって騎士としての在り方、捉え方も多岐に渡る。

脚注

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参照文献

  • 『毎日新聞』1998年3月3日東京夕刊
  • 『読売新聞』2002年12月19日東京朝刊青森版
  • 『読売新聞』2007年9月1日東京夕刊

関連項目

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歴史
社会・文化・経済
文学・ファンタジー
ミュージカル
  • 新版世界各国史12 フランス史」福井憲彦
  • ベルギービールについては、「ベルギービール普及貢献 日本人に名誉騎士章」『読売新聞』2007年9月1日東京夕刊夕二面参照。
  • 「青森、「スノーナイト」に5人認定 高齢、障害者のために雪かき=青森」『読売新聞』2002年12月19日東京朝刊青森版2頁参照。
  • 「[憂楽帳"吟の騎士"]」『毎日新聞』1998年3月3日東京夕刊3頁参照。