8時だョ!全員集合
テンプレート:Redirect テンプレート:基礎情報 テレビ番組 テンプレート:基礎情報 テレビ番組 テンプレート:TV 『8時だョ!全員集合』(はちじだよ!ぜんいんしゅうごう)は、1969年10月4日から1985年9月28日に、TBS系列で毎週土曜日20:00 - 20:54(JST)に放送されていた、ザ・ドリフターズ主演の国民的人気コント番組である。
常に日本のバラエティ番組を代表する存在であった事は勿論、記録にも記憶にも残る伝説の番組として現在も語り継がれている。
本項では、終了した後のつなぎの番組である『ドリフフェスティバル・全員集合ベスト100』についても記述する。
目次
概要
番組名は単に「全員集合」と省略されることもある。ザ・ドリフターズによるコントから成る前半部分、ゲストの歌のコーナーを挟んで体操や合唱団などのミニコントから成る後半部分から構成されていた。
毎週土曜日、20時(午後8時)から53分間の放送。年に数回は拡大放送もあった。番組終了後、通常は20時54分からスポットの『JNNフラッシュニュース』となる。
放送期間は1969年から1985年までの16年間。ただし、途中1971年4月から9月の半年間は、ドリフの先輩格であるハナ肇とクレージーキャッツがメインを務めた『8時だョ!出発進行』が放送された。
基本的には生放送だが、開始から1970年代前半までは日劇や浅草国際での舞台公演があったこと、ドリフの休暇やスケジュールの都合などで収録・録画での放送となった回もあった(開始当初の1か月分も録画放送だった。なお、極めて珍しい例として、1975年4月5日放送分はドリフがその日に同じ事務所の『ザ・ピーナッツ さよなら公演』の開催に顔出しするため録画[1]となったこともある。また近畿地区のネット局が朝日放送から毎日放送に変わって最初の放送だった)。
毎週各地の劇場・ホールで公開生放送あるいは公開録画を開催した。第1回は三鷹市公会堂からの録画放送。原則としてTBSエリア内の東京首都圏(渋谷公会堂や日本青年館、船橋ヘルスセンター大劇場→船橋ららぽーと劇場、大宮市民会館(現・さいたま市民会館おおみや)、入間市民会館、東京厚生年金会館、野田市民文化会館、市原市市民会館など。前期には文京公会堂もあり、同エリア内では取手市民会館まで遠征したこともあった)を中心とし、時には北海道札幌、宮城県仙台、福島[2]、新潟、静岡、愛知県名古屋、三重県桑名、石川県金沢、岡山県倉敷、広島、福岡、宮崎[3]でも開催した。番組末期の1984年10月以降では、TBS・Gスタジオ[4]、2005年10月2日の復活特番では、TBS・Bスタジオ[5]での公開生放送の割合が多くなった。
随時、回り舞台を活用する大掛かりな舞台装置(最後に回り舞台を使用したのは1985年6月8日の放送で、1985年ではこの回のみ)と、入念に練り込んだコントや、大仕掛けの屋台崩しに代表される豪快な落ちなど、出演者たちの身体を張った笑いが、小学生を中心とした老少男女を問わず幅広い層の視聴者に熱狂的に受け入れられた。また、生放送にこだわったため、停電やボヤ騒ぎ、ゲストの負傷等のアクシデントに見舞われた回もあった。
毎回のように三船敏郎、若山富三郎、菅原文太、加山雄三、田宮二郎などの大物俳優や、当時の売れっ子アイドルを呼び、しかも彼らが積極的にコントに参加するなど、かなりの予算と労力を要した。放送2日前からドリフメンバーやスタッフによる打ち合わせを行ったり(もちろんその間、メンバー全員がこの番組の準備に集中)、「番組がスランプに陥っている」と言う理由で、通常のレギュラー放送を一時休止して(その間は総集編を放送)、ドリフメンバーによる「合宿」までしたという。このように莫大な労力を費やして制作していた番組であった上、出演者のギャラの高騰などによる費用面の問題・出演者に掛ける保険の費用高騰・安全性の問題・その後の様々な表現規制・芸能事務所の生放送番組に対するスタンスの変化[6]などといった業界事情の変化により、現在ではこの様な規模の公開生放送番組を毎週1回のペースで作ることは極めて困難であり、かつてドリフのマネージャーを務め、現在ドリフメンバーが所属するイザワオフィス社長の井澤健も『週刊新潮』のインタビューで「時代が変わり過ぎて、現在ではもう再現不可能な要素が多過ぎる」と語っている。
番組全体の平均視聴率は27.3%で、最高視聴率は1973年4月7日放送の50.5%(ビデオリサーチ調べ、関東地区にての数値)であった。最盛期には40%〜50%の視聴率を稼ぎ、「お化け番組」「怪物番組」と呼ばれ、「土曜8時戦争」と呼ばれる視聴率競争でも無敵の番組として君臨する存在であった。又、この番組が全盛期を迎えていた頃は、TBSでは土曜夜のプロ野球中継が組まれることはほとんどなかった[7]。
1970年代後半から1980年代前半にかけては、19時台前半の『まんが日本昔ばなし』【第2期】(1976年1月~1994年3月、毎日放送制作)、19時台後半の『クイズダービー』(1976年1月~1990年3月)、21時台の『Gメン'75』(1975年5月~1982年4月)や『スクール☆ウォーズ』(1984年10月~1985年4月)などと共に、TBSの土曜夜の黄金期を象徴する番組であった。しかし、1981年春に幕を開けたフジテレビの裏番組『オレたちひょうきん族』の台頭により、1982年中頃から番組人気に陰りが見え始め、1982年10月2日の放送回で初めて『オレたちひょうきん族』に視聴率を抜かれた。これ以降は視聴率争いに苦戦し、1983年8月13日に視聴率で初の1桁(9.2%)を喫した。以降は視聴率が10%後半くらいが平均となり、『オレたちひょうきん族』と抜きつ抜かれつの視聴率争いを繰り広げるが、1985年に入ってからはほぼ後塵を拝した。そして遂に、土曜20時台枠の抜本的な見直しにより、1985年9月28日に16年の歴史に幕を閉じた。TBSは、1985年7月19日の打ち切り発表の中で、「生放送を公開形式でやっていくことには限界があった。ナンセンスギャグもやり尽くした」ことを理由に挙げていた[8]。
その後、1985年10月5日は約2時間枠で電話リクエスト形式で過去の名場面集を放送した後に、年内いっぱいは総集編番組『ドリフフェスティバル・全員集合ベスト100』でつなぎ、1986年1月から同じくドリフの加藤茶と志村けんをメインに据えた『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』が始まった。ドリフメンバーがメインの番組は1992年9月の『KATO&KENテレビバスターズ』の終了まで続いた[9]。
番組の構成
番組は下記の順番で行われていた。
- オープニング
- 生放送開始1分前、すなわち19時59分の時点ではステージ上にはいかりやとゲストのみが上がっており、ドリフの残りのメンバー(前期は手前から加藤・荒井・仲本・高木、後期は加藤・仲本・高木・志村の順で縦に並んでいる)は観客席の通路に待機している。20時ちょうど(正確には20時00分02秒、TBSは時報が鳴るため)になると、いかりやがカメラに向かって大きく指を差しだし「8時だョ!」と掛け声をかける。それと呼応するように、観客席から観客とドリフの残りのメンバー4人が片手を拳にして上げながら「全員集合!」と返し(連動して自動的にカメラの向きが変わる)、ゲイスターズの演奏と共に4人が客席後方から舞台上に登場する。この間、テレビの字幕ではタイトル文字が飛んでゆき、一旦集まって「全集員合」となり、再び集まって「全員集合」タイトルを構成していた(末期はメンバー全員が舞台に上がった状態でオープニングマーチが演奏されていた)。
- 4人は、この演奏が鳴り終わるまでに、素早くステージに上がらなければならない。その後、いかりやのちょっとしたトークを5~10秒程度挟み(「寒くないか?」「春休みでございますね」「いっていいか?」「さぁ元気良く(省略)」等。年内最後の放送に当たる場合は「本年最後の全員集合です」が挙げられる)、「行ってみよ〜!」もしくは「ゆけ〜!」「出発〜!」という掛け声にあわせてオープニングテーマ曲「ちょっとだけョ!全員集合」が流れ出す(ただし残り時間などの関係で演奏を省略する回や原曲より早送りで演奏される事も多かった)。このオープニングテーマは北海道の民謡である「北海盆唄」の替え歌で、使用は『8時だョ!出発進行』と入れ替わりで番組が再開した1971年10月2日の放送からで、番組開始当初は放送当時のドリフの新曲(ドリフのほんとにほんとにご苦労さんなどの替え歌)を使っていたが、「ズンドコ節」がオープニングで使われ大ヒットにつながった。また、同じ「北海盆唄」の替え歌で「ドリフ音頭」という曲があるが、このオープニングテーマとは別物である。振付は藤村俊二。もともと3コーラス(2コーラス目は今日のゲストが歌い、キーが低い)流していたが、1983年2月から2コーラスに短縮された。このオープニングテーマの演奏中にテレビの画面ではスタッフロールが流れる。そして最後はドリフの「よろしく〜!」の叫びと共に、全出演者がお辞儀をして終わる。なお稀に大物ゲストが出演する時は、「よろしく」の前にいかりやが大物ゲストを紹介し、その後「よろしく〜!」となって終わる。また加藤が「よろしく~!」の前にVTRで一言だけしゃべっていた時代もあった。
- 先番組『クイズダービー』が間もなく終わろうとする頃から、いかりやが観客に対し、何度も掛け声の練習を行わせる。2分前(19時58分)、「提供はロート製薬でございました。」の台詞で『クイズダービー』が終わる頃になると、いかりやは練習にあたって観客に対し、「ゲンコツを握って大きく上へ突き上げていただきます」と案内し、それと連動して残り4人のメンバーも観客とともに観客席通路上でシュプレヒコールの練習を行い、本番開始に備える。時報までの残り時間が少なくなり、残りあと10秒を切る段階になるといかりやは「N秒前」と口ずさむ。生放送である以上、オープニング終了後、出演者全員はそれぞれの出番に間に合うように、素早く着替えや化粧替えなどを短時間で済まさなければならない。ここでいったん幕が下り、観客に対しいかりやは「只今、コマーシャルに入りました。番組ではここが一番忙しいところであります」と案内する。
- 22分コント
- この番組のメイン。通称「前半」。時間にして20時04分頃。開始時に「○○(会場名)から生放送("生中継"の場合もあった)」のテロップが出る。代表的なコントは「8時だョ!全員集合のコント」の項の「前半コント」を参照されたい。
- 20時26分頃に「盆回り」が流れ始めたら、大勢のスタッフがステージに繰り出しゲストの歌1に間に合うように30秒にも満たないといわれる短時間で素早くコントのセットや小道具類をステージ脇に撤収してオープニング時と同様の状態に戻す。短時間での撤収を可能にするため、大きなセットは全て可動する仕掛けになっている(建物類ではキャスターが付けられていたため、その建物類と床面との間にわずかな隙間があった)。この時点で演奏席はスタンバイを完了している。約15分コントとなった週もあり、この場合20時19分~20分頃に「盆回り」を流す。
- 撤収作業が終わるのと前後して基本的にステージ脇から歌手が登場し、ほぼ同時に楽曲の演奏が開始され、ゲストの歌1に入る。
- ゲストの歌1
- アイドル歌手・アイドルグループ。「盆回り」が流れる3〜5分前には舞台袖方向でスタンバイしている。
- ゲストの歌2・3
- 若手から中堅の実力派歌手・シンガーソングライターなど(2組)。歌謡曲・ポップスが主体だが、若手・中堅の演歌歌手が入ることもある。またゲスト歌手が3組(普段より1組少ない)の時は、キャンディーズなどの女性レギュラーが歌う事が有った。
- なお、このゲストの歌1・2・3については、当日の出演者の顔ぶれや他コーナーの状況などによって順序が若干左右する。
- 少年少女合唱隊
- ゲストと共に歌うコーナー。階段様のステージが設置され、パイプオルガンが奏でるジャック・アルカデルトの「アヴェ・マリア」と共にスタートし、司会役のいかりやが神父のような格好、残りの出演者が白いスモックに白いベレー帽、すなわち少年聖歌隊の様式で登場する。
- この衣装に憧れたアイドル歌手も多かったという。いかりや以外のドリフのメンバーは半ズボンを穿いていた。基本型は童謡などをドリフとゲストで合唱。しかしコントでだんだん脱線していく。たいていトリは志村の定番ネタで、「東村山音頭」「ディスコ婆ちゃん」「早口言葉」「ワンダードッグ」「ナターシャとアヤコフ」はこのコーナーより誕生。末期(1983年2月19日)には消滅。1年7ヵ月後の1984年9月29日放送「15周年だヨ!全員集合」で1度限り復活した。
- このコーナー終了後、その流れでゲストの歌3の出番が待っているゲストは、素早く白いスモックを脱がなければならない上、またショートコントの出番も待っているゲスト(ドリフターズは全員)は、それに間に合うように短時間で衣装替え等を済まさなければならない。
- クリスマスの時期になると、実際の少年少女合唱団と競演した回もあった。
- のちに『ドリフ大爆笑』のコーナーとして復活。
- なお時期によっては、このコーナーの代わりに、出演者全員がスポーツを行う「今週のスポーツコーナー」や、いかりや扮する老婆の家で、女性歌手が花嫁修業を行うコント「今週の花嫁候補」などが行われていた。
- ゲストの歌4
- 基本的には当日のゲスト出演歌手の中で最も実績のあるベテラン格の歌手が担当。演歌・歌謡曲が主体であるほか、デビューから長く(概ね10年前後)トップクラスの実績を積んでいるアイドル歌手が入ることもある。
- ショートコント
- 通称「後半」、正式名称は「ベスト100」。
- (初期の頃を除いて)いかりやは進行役。初めにいかりやの指揮によりゲイスターズが後半のテーマを演奏後、いかりやの「後半参りましょう、後半しゅっぱーつ」で始まる。コントの変わり目には「次参りましょう、次どうぞ」。コントは主にいかりや以外の4人とゲストによる。落ちの台詞は「コマーシャル(いってみよう)」。
- ショートコント終了後のセットの撤収もエンディングに間に合うように短時間で素早く行わなければならない。その為、多くの大道具類には前半コントと同様に素早く撤収できるための仕掛けが取り付けられている。
- 加藤茶の『ちょっとだけよ』や仲本工事の体操コーナー、ヒゲダンスはこのコーナーの一部。
- 番組末期は中CM1が終わった後に放送され、当コーナーの後にゲストの歌2~4が集中して放送された後エンディングという流れに変更されている。
- エンディング
- エンディングテーマは「ドリフのビバノン音頭」(ザ・ドリフターズの「いい湯だな」の替え歌)。中間部分にある「はぁビバノンノン」の部分は加藤がゲストの一人にマイクを振りそのゲストが歌う。生放送ゆえ番組の残り時間次第でペースが少なからず変化する。時間が押してるときはタイムキーパーの(巻け)サインがもの凄く速かったとのちに加藤が他の番組でエピソードを語っていた。高木は『ダウンタウンDX』の中でエンディングのペースは5パターンあった事を打ち明けている(ちなみにオープニングのペースも同様5パターン用意されていた。3コーラス時代:1分40秒、1分20秒 2コーラス時代:1分10秒、1分5秒 1コーラス時代:40秒など)。
- テレビの画面では2コーラス目の演奏中に翌週のゲストを紹介するテロップが出る。
- エンディング曲の終盤に加藤の「風邪ひくなよ」「お風呂入れよ」「宿題やれよ」「歯磨けよ」など、主に子供たちに向けた色々な掛け声が入り、最後は「また来週!!」で番組が終了した(年内最後の放送は「餅食い過ぎるなよ」「また来年!!」。最終回は「長い間ありがとう!!」)。特に「歯磨けよ」「お風呂入れよ」は、初回から最終回まで一貫した筆頭スポンサーであるライオン(1979年12月以前は、ライオン歯磨とライオン油脂の2社に分かれていた)にも配慮した内容だと思われる[10]。
- 「後半」の後のCM明けに放送されており、ほとんどの場合「後半」が押して途中からの放映になってしまったが、まれに最初から見ることができた。放送素材では、番組開始数十秒前から本番終了後数分程度までCM中であってもそのまま会場内の中継映像をノーカットで収録していたため、「後半」が押して途中からの放映の場合でも実際のステージ上では最初から流れている。なおその場合であっても、歌が中途半端な部分から始まることは滅多になく、CM明け〜加藤の掛け声まですべて時間内に収まるように指揮者が演奏時間を計算していた。
進行タイム
- オープニング:20:00:00 - 20:01:00
- 前CM1、前提供、前CM2:20:01:00 - 20:03:20
- 22分コント、ゲストの歌1:20:03:20 -
- 中CM1:1分30秒
- ゲストの歌2・3、少年少女合唱隊、ゲストの歌4
- 中CM2:1分30秒
- ショートコント
- 後CM:1分
- エンディング: - 20:52:35
- 後提供、後タイトル:20:52:35 - 20:53:00(終了)
- ステーションブレイク:20:53:00 - 20:54:00
- JNNフラッシュニュース:20:54:00 -
初期は56分番組であった。1972年10月7日から55分、1982年10月2日から54分に短縮。また、オープニングは1分40秒であったが、1983年2月からオープニングのテーマ曲を3コーラスから2コーラスにすることにより、1分に収めた(正確には1分5秒 - 1分10秒)。
番組史
コント・名物コーナー
テンプレート:Main いかりやが後にインタビューで「決して子供向けの番組にしたつもりはない」と述べている通り、加藤のストリップを題材にしたギャグや人形の首をちょん切るギャグ、小型のギロチンを使うシーン(実際に切ったものはスイカ)などがあり、他にもシュールなネタや下ネタが所々で含まれるなど、後世に言われるほど若年層向けの内容にはなっていない。
楽屋落ちは一切禁止されていた。加藤がアドリブで楽屋落ちをやった際にはなべおさみを通じて渡辺晋(当時の所属事務所の社長)直々に加藤が叱りを受けた。
これまでの会場
- 東京都
- 埼玉県
- 千葉県
- 神奈川県
- 茨城県
- 栃木県
- 群馬県
- 北海道
- 宮城県
- 福島県
- 新潟県
- 静岡県
- 愛知県
- 三重県
- 石川県
- 岡山県
- 広島県
- 福岡県
- 宮崎県
- TBS局内スタジオ
- 旧社屋Gスタジオ
- 旧社屋Hスタジオ
- 旧社屋Fスタジオ
- 新社屋Bスタジオ
番組発の流行
本番組からは、様々な流行語や、当時の小学生に影響を与えたギャグが誕生した。全ての項目を書き尽くすことは不可能であるため、幾つかの代表的なものを記す。
流行語(出演者別)
CMや、別番組からのコピーを除く。
- いかりや長介
- オィッスー!
- いってみよー!
- さあ後半まいりましょう、後半しゅっぱ〜つ!(番組後半のコント開始時の決まり文句で後半開始時には自ら指揮を執っていた。)
- 荒井注
- なんだバカヤロー
- This is a pen!
- 加藤茶
- 1、2、3、4、やったぜカトちゃん!!
- くるりと回ってうんこチンチン
- いっかりやに、怒られた(または、「いかりやさんに怒られた」)
- ちょっとだけよ〜。あんたも好きねぇ〜。(この言葉は当時PTAの槍玉に挙げられた。また伴奏曲の「タブー」(ペレス・プラード楽団風のアレンジ)は、当時はギャグを連想させる曲として広く知られていた。いかりや長介も病院のコントで1度だけ行ったことがあった。この時、1989年10月11日放送の『全員集合スペシャル2』で特別ゲストとして登場していたいかりやはある視聴者からの投書で「『いかりやよくやった!』じゃないんですよ。『いかりやドロボー!!』って言うんですよ』という発言をしている)
- どうもスンずれいしますた
- 風呂入れよ!
- 痛いの痛いの飛んでけ〜
- いや〜まいった!まいった!(仲本とのペア。志村時代にはほとんど使われなかった)
- 母ちゃん、いっぽんつけろや(「母ちゃんコント」の最中、子供の役で登場しつつこれを言う)
- タバコ シル!(といいながら、シャツをまくる)
- 平賀整形外科!(いかりやを指して)
- やはり人形は顔が命です。吉徳大光作ブス人形!!(いかりやを指して)
- 5秒前、4、3、2、1、デーン(変な顔をする。ノミ行為で志村・仲本が謹慎となったいわゆる「三人ドリフ」時に、いかりやが苦し紛れに編み出したもの。舞台の左端でやったら再度右端で、といった感じに使用された)
- 志村けん
- あ、おまえ、それはないだろ!(上の立場にいて横暴の限りを尽くすいかりやに対して、報復手段として小馬鹿にした態度で「ため口」を叩く、というのが基本パターンだった。ちょうど「東村山音頭」のブレイクと時期的にリンクしており、言い回しはモノマネで登場する橋幸夫のようであった)
- ちょっとちょっと!いかりやさん! おい!いかりや! おじさん!! マラリヤさん!! ギモール!!(上記と同じパターン。最後のギモールは、おそらく当時、いかりやが実際に使用していた、ふりかけタイプの頭髪用化粧品。さすがのいかりやも苦笑していた)
- カラスなぜ泣くの カラスの勝手でしょ(童謡「七つの子」の替え歌フレーズ。このフレーズは当時PTAの槍玉に上がった)
- おこっちゃヤーヨ!(相手(特にいかりや)を怒らせた時にとる、肘を前にして腕を突き出すポーズ。所謂「アイーン!(実際にそうしたギャグは存在しなかった)」の原型はこれと下記である)
- なんだ!(あんだ!)バカヤロー!!(荒井注のギャグにアントニオ猪木のフレーズを織り交ぜて、志村なりにアレンジしたもの。下あごを突き出すのもここから派生した。上記とともに「アイーン!」の原型)
- 最初はグー(仲本とのじゃんけん決闘。「最初はグー、いかりや長介(チョキ)、頭はパー」などと発展。これ以後じゃんけんの掛け声の前に「最初はグー」が付くようになった。志村が大人数で酒を飲んでいた際、酔ってなかなか手が揃わないことから思いついたという。このギャグがきっかけで現在では日本中に認知され、一般的に用いられている)
- ア〜ミ〜マ〜、ユ〜ヤ〜ユ〜、シ〜ホ〜ヒ〜、シ〜ハッハ〜(「I, my, me」のデタラメな用法。学校コントより発生。この言葉は、子供がデタラメな英語の用法を覚えるということで、当時PTAの槍玉に挙げられた。また後に『飛べ!孫悟空』でも使用された)
- 仲本工事
- はいポーズ!
- 観客(公開生放送が売りのこの番組にとって観客もある意味では重要な「出演者」の一人である)
- 志村!後ろ!後ろ〜!!(志村が一人になったときに後ろからお化けなどが出てきて志村が気づいていない時に観客が叫ぶ。このネタは現在でも主にインターネットコミュニティ上で「志村〜、○○、○○」と言う具合に、相手の間違いに対するツッコミで多用されている。この「後ろ〜!後ろ〜!」は、実際のギャグの間の取り方にもつかわれており、観客と演者との一体感をあらわす言葉とも言える。このことは、いかりや自身の著作である「だめだこりゃ」に書かれている)
いかりやの「だめだこりゃ」、「次いってみよう」はフジテレビ『ドリフ大爆笑』から、加藤の「加トちゃんペッ!」は日本テレビ『ホイホイミュージックスクール』から、仲本の「コ・マ・オ・ク・リ・モ・デ・キ・マ・ス・ヨ」は松下電器産業のホームビデオ「マックロード」のCMから、志村の「キントキント〜」はドリフターズ出演の人形劇であるTBS系の『飛べ!孫悟空』からそれぞれ生まれた流行語である。加藤と志村の「もう酒」「やめますか?やめられない?」はロート製薬の「パンシロン液」(正式にはパンシロン胃腸内服液)のCMでのギャグだが、『全員集合』のコントでも披露されたことがあり、このときには加藤が「パンシロン液とは駅の名前ではありません」と言っていかりやにつっこまれるというおまけもあった。
流行ギャグ(出演者別)
- いかりや長介
- メガホンどつき
- ダメだこりゃ
- 荒井注
- いじわるじいさん
- 先生と同級生の落第し続けた小学生
- 加藤茶
- 志村けん
- 仲本工事
- 体操(ハイポーズ)
- ジャンケン決闘(志村とのペア)
- 高木ブー
- ピップエレキバン(当時流行したCMのコピー)
- すわしんじ(現:すわ親治)
- ブルースリー
- 鏡に映った志村けん
- 奇声
- 桜田淳子
- 夫婦コント
- 小柳ルミ子
- 浮気コント(志村との二人羽織)
名物キャラクター
- ジャンボマックス
- 仮面ライダーストロンガー
- カラス
- 舞台を走って横切る全裸の男の子、バスタオルを巻いた若い女性
- 猫やポニーやラクダ(仲間外れにされた志村が一人で歌を歌うとそれにちなんだ本物の動物が舞台を横切る)
- エリマキトカゲ(三菱自動車のミラージュCMアニマル)
名物小道具
- 金ダライ
- 金ダライといえばドリフとも言うべき定番小道具である。まず最初にヤカンやボウルが落下してきて、その後に金ダライ、というのがパターン。多くは仕掛けやスタッフによる落下が常だが、ドリフメンバーが他のメンバー(主にいかりや)にめがけて落下させることもある。金ダライは他のコメディ系バラエティ番組にも波及し、ドリフメンバーによる『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』や『志村けんのバカ殿様』はもとより、他のコントグループ、番組でも「ネタに困ったら金ダライ」というような使われ方が、現在もなおしばしば見受けられる。
- 『TBSテレビ55周年記念版! 「8時だヨ! 全員集合」第4弾DVD-BOX!!』の初回特典となった。
- 天板が外れる机
- 学校コントや会社コントでズッコケの時の効果が出るように、いかりやの机の片側が軸になり、天板の手前側を強く押すと反対側が跳ね上がるようになっていた。いかりやがずっこけると顔面を机の天板が直撃する。なお、顔面直撃の際にいい音が出るように材質はトタンを用い、また、リハーサルで用いたものはそのまま使わずに本番前に新しいものに付け替えていた。
- メガホン
- いかりやがツッコミに使う小道具。忍者やコンバットコントなどでツッコミを入れる時にメガホンで相手の頭を叩く。本来の拡声器として使われることは少ないが、その場合は遠く広く声を飛ばすのではなく、メンバーの耳元で怒鳴る事が多い。また、それをやる・やられるのは加藤・志村が多い。
- 鈍器
- 鈍器ではあるがハンマーやバールの類ではない(ただし、金槌は使われたこともあった)。一斗缶や海苔缶のフタ等、視覚的、聴覚的に派手なものが使われる。志村や加藤のオーバーリアクションが特に一般に受けた。一方、いかりやは(特に志村に)全力で殴られるため、本番中に痛がっていたこともある。変形し衝撃を吸収しやすい素材であるため、打撃力はそれほど大きくないが、「子供が真似をしたらどうするのか」と前述の金ダライ共々槍玉に挙げられた。なお、一斗缶は叩かれた際、痛くないようにするためと音が強く響くようにするために上蓋を1枚まるごとくり抜いて外してある。しかし、志村はあえて一斗缶の角でいかりやに殴りかかることもあった。
スタッフ
- 作・構成:田村隆、塚田茂、前川宏司、奥山侊伸、佐々木史朗、大倉徹也、福地美穂子、松原雅彦、堀英伸、宮田和実、松岡孝、宮本泰、かとうまなぶ、石川雄一郎、下山啓、鈴木哲、栽松美晴、原すすむ、前田昌平、前岡晋、小川美篤、柊達雄、高田文夫ほか
- 音楽:たかしまあきひこ/山本直純、青山勇
- 振付:一の宮はじめ
- 演奏:高橋達也と東京ユニオン(第1回)、ニューシャープオーケストラ(第2〜4回)、森剛康とゲイスターズ(第5回〜1973年)、岡本章生とゲイスターズ(1973年〜最終回)
- コーラス:コールアカシア、ライトエコーズ他
- 美術デザイン:山田満郎(第1〜765回)、浦上憲司(第766回~最終回)
- 美術製作:西川光三
- 殺陣:車邦秀、國井正廣、若駒冒険グループ他
- 演出→プロデューサー:古谷昭綱、森本仁郎、塩川和則、遠山良正、高橋利明(1982年8月~1985年9月)
- 演出:中村寿雄、井原利一、副島恒次、峰岸進、西川章、服部晴治、豊原隆太郎、平山賢一、中畑義昭、保坂奉正、東修、荒岡芳光、高柳等、久世光彦、西内綱一、赤地偉史、深尾隆一、水留章、加藤嘉一、難波一弘、竹内善隆
- 高橋は番組初期の頃にADとしてスタッフに加わり、後にディレクター→プロデューサーと昇格。後番組『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』のプロデューサーも務めた。
- プロデューサー:居作昌果(後期にテロップでは"制作"表記に)
- 企画・制作協力:渡辺プロダクション[11]
- 製作著作:TBS
演奏台の背景デザイン
岡本章生とゲイスターズのいる演奏台(バンドステージ)と背景のデザイン(市松模様・格子模様)は年代により変わっている。
- 初代デザイン:ひげ柄をモチーフにしたデザイン。背景の頭上に当時のスポンサーである『日立』、『ライオン歯磨、油脂』の看板が掲げられていた。1969年 - 1971年前半。
- 2代目デザイン:丸の形をいくつか重ねたような七宝文のデザイン。9代目と同じデザインだが、2代目が七宝文のサイズが大きく、円弧部分に色が付いている。1971年後半 - 1972年前半。
- 3代目デザイン:左右対称の三角形の斜辺部分を湾曲のようなデザイン。1972年前半 - 1972年後半。
- 4代目デザイン:丸や楕円形をモチーフにしたもの。1972年後半 - 1973年前半。
- 5代目デザイン:枠の中に丸をモチーフにしたもの。1972年後半 - 1975年7月(廻り舞台のない週に設置されていたが、廻り舞台のある週でも設置されていたことがある)。
- 6代目デザイン:三角をモチーフにしたもの。1973前半 - 1975年7月(廻り舞台のない週に設置されていた。また週によっては、前代の5代目のデザインと併用して使われることも多かった)。
- 初代から6代目デザインの演奏台は基本は橙色だが、6代目デザインの演奏台や7台目デザインの演奏台もあった。
- 7代目デザイン:三角をダイヤモンドの様にモチーフにしたデザイン。1973年後半 - 1975年7月(廻り舞台のある週、演奏台は常時同じデザインに固定されている)。
- 8代目デザイン:左右対称の三角をモチーフにしたデザイン。1974年前半-1975年7月(廻り舞台のない週に設置されていたが、廻り舞台のある週でも設置されたことがある。演奏台は7代目デザイン)。
- 9代目デザイン:丸の形をいくつか重ねたような、"七宝文"をモチーフにしたデザイン。廻り舞台のある週とない週とでは、配色が異なる。1975年8月の「夏休み傑作特集」期間明けとなる1975年9月 - 1985年の最終回まで(常時、同じデザインに固定。1回だけ正月の絵画が掲げられていた)。
- 10代目デザイン:2005年10月2日復活スペシャル。
- 番組の背景デザインとしては最も長い10年間も使用され、番組の象徴を表す最も知られているデザインである。番組DVDのディスク表面、ジャケットおよびあらすじが書かれている「コントファイル」も一部この背景デザインが使われている。なお、初期のバンド席(ボックス)には「TBS」(旧ロゴ<1991年9月までのもの>)が入っていた(これは『TBS歌のグランプリ』でも同様である)。のちにゲイスターズオリジナルのものを使用するようになった。
- 1976年3月6日の新潟県民会館からの生放送でバンド席(ボックス)ではゲイスターズオリジナルのものでなく、新潟放送の略称である「BSN」ロゴ(1992年3月まで使われていた1世代前ロゴ)が入っていたものを使用していた。
- 廻り舞台のある週では背景デザインは2分割になっているか、アクリル板の後に白い幕で覆っていた。
- 舞台の回転によってバンド席が現れた後に上半分のデザインが会場の美術バトンにより降ろされ上下一体化するようになっている。
- 尚、バンド席の配置も会場により異なり、横1列(ほとんどが9代目デザイン以降)の場合や上下2段、TBS・Gスタジオでの収録では3段配置となっている。
出演者
レギュラー
- ザ・ドリフターズ
- ゴールデンハーフ
- エバ
- マリア(森マリア)
- ルナ
- ユミ
- キャンディーズ
- アパッチ
- トライアングル(当初は「キャンディーズJr」)
- 藤本あき(トライアングル時代は「加藤アキ」名義)
- 福原緑
- ベリーズ
ゲスト出演者
16年間の最多ゲスト出演は小柳ルミ子だった。
『サインはV』の立木大和バレー部メンバー、三船敏郎、若山富三郎、菅原文太、加山雄三、田宮二郎といった特別ゲストもしばしば登場した。[12]
男性
- 西城秀樹(73回出演)
- 沢田研二(66回出演)
- 郷ひろみ(56回出演)
- 布施明(55回出演)
- 細川たかし(45回出演)
- 五木ひろし
- 森進一
- 内山田洋とクール・ファイブ
- 前川清
- 田原俊彦
- 近藤真彦
- 伊東四朗
- あいざき進也
- サザンオールスターズ
- フォーリーブス(北公次・青山孝・江木俊夫・おりも政夫)
- シブがき隊(本木雅弘・布川敏和・薬丸裕英)
- The Good-Bye
- 北島三郎
- 角川博
- 草川祐馬
- 松崎しげる
- ダウン・タウン・ブギウギ・バンド
- 狩人
- 山川豊
- 加山雄三
- 西郷輝彦
- 橋幸夫
- 森田健作
- 城みちる
- 湯原昌幸
- 三船敏郎
- 若山富三郎
- 菅原文太
- 田宮二郎
- 坂本九
- 桂三枝
- 天本英世
- ハナ肇とクレージーキャッツ
- 植木等
- 谷啓
- せんだみつお
- 伊東四朗
- 堺正章
- 井上順
- 野口五郎
- 平尾昌晃
- 錦野旦
- 少年隊
- 吉幾三
- 倉田保昭
- 輪島功一
- ヤン・スエ
- BORO
- 皆川おさむ
- ピーター(盆が故障した回に、故障した盆の前で歌った)
- 中居正広(SMAP)
- えなりかずき
- 遠藤章造(ココリコ)
女性
- 小柳ルミ子(89回出演)
- 由紀さおり(53回出演)
- 和田アキ子(48回出演)
- いしだあゆみ(47回出演)
- 高田みづえ(44回出演)
- ちあきなおみ
- 桜田淳子
- 浅野ゆう子
- 小林幸子
- 小林麻美
- アグネス・チャン
- ピンク・レディー(未唯mie・増田恵子)
- 松田聖子
- 石野真子
- 石野陽子
- 河合奈保子
- 大場久美子
- 早見優
- 松本伊代
- 堀ちえみ
- 岡田有希子
- 大西結花
- 菊池桃子
- 柏原芳恵
- パティ
- 宮崎美子
- 浅田美代子
- 天地真理
- 林紀恵
- 榊原郁恵
- 南沙織
- 研ナオコ
- 夏木マリ
- 森山良子
- 野際陽子
- 八代亜紀
- 藤圭子
- 石川さゆり
- 日野美歌
- 藍美代子
- ミミ
- ザ・ピーナッツ(伊藤エミ・ユミ)
- ザ・リリーズ(燕奈緒美・真由美)
- 祐子と弥生
- アグネス・ラム
- アン・ルイス
- テレサ・テン
- マギーミネンコ
- 石川ひとみ
- 倉田まり子
- 岩崎宏美
- 岩崎良美
- 森昌子
- 太田裕美
- 麻丘めぐみ
- 山口百恵
- 山本リンダ
- 新藤恵美
- 川中美幸
- 都はるみ
- 黛ジュン
- 樹木希林
- 中森明菜
- 小泉今日子
- 石川秀美
- 佐野量子
- 本田美奈子
- 中山美穂
- 竹下景子
- 小川知子
- 畑中葉子
- 中尾ミエ
- 梓みちよ
- サーカス
- セイントフォー
- 高橋美枝
- 友近
- ベッキー
- 優香
- 華原朋美
- ほしのあき
- 井上和香
- 矢吹春奈
- 八田亜矢子
- 熊田曜子
- 福田沙紀
- 菊川怜
- 小林恵美
- 上原美優
進行役
- 中居正広
- 小倉弘子
- 安東弘樹
- 小林麻耶
- 久保田智子
- 岡村仁美
歴代ナレーター
番組にまつわるエピソード
- 当初企画段階で、TBS社内外から「ドリフよりも世間に名の知れているクレージー(ハナ肇とクレージーキャッツ)を使った方がいいのでは」という声があった。
- 通常は後半コントに出演しないいかりやが、1度だけ、誤って後半コントの大オチを行う前に舞台に出て来てしまい、罰としてそのコントの大オチをいかりや自身が行うはめになった、というハプニングがある。
- 番組初期には、ミゼットレスラーのコーナーもあったが、すぐに消滅した。理由は不明だが、ミゼットレスラーを笑いのネタにすることによって差別やいじめを助長するという批判により、打ち切られたという記述の文献テンプレート:要出典がある[13]。
- セットの家の中でコントを行い、最終的に外に出て、家自体を壊してしまうという内容のコントを行うはずが、演じていた加藤と志村が、勢い余って中に入る前に家を壊してしまい、結局コントが全く出来なかったことがある。これは、出演者のミスとしては番組史上最大のハプニングとされる。
- 撮影コントで志村が松居直美に突っ込みをいれた際に松居の歯が瓶に当たって前歯が欠けるというハプニングがあったが、このハプニングの後、志村と番組のスタッフが松居に謝罪したことを松居本人が語っている。
- この番組が放送されている時期のTBSの4月や10月の番組再編成の時期に放送される特別番組は『4(10)月だョ!全員集合』(2時間番組で火曜日夜に放送、土曜日昼にも再放送された局もある)と題され、ザ・ドリフターズが進行役として出演していた。番組後半の「少年少女合唱隊」は出演者全員が参加し、非常に好評だった(早口言葉もやったことがあった)。また、特番(末期)の中で史上最大のドミノ倒しが行われる時は、ドミノの最初の牌を倒すのは必ずいかりやだった。
- そのドミノ倒しだが、初めて行った時、ドリフ達が作ったドミノコースを、レポートに来た松宮一彦(当時TBSアナウンサー)がうっかり壊してしまい、大騒ぎになったことがあった。
- 1980年代の1インチVTRが登場するまで、生放送の同時録画は2インチVTRが使われていたが、当時はテープが高価(60分あたりの当時の単価は10万円)だったために他の番組ではほとんどが消去される中、この番組は第2期開始の1971年10月放送分以降1985年9月の最終回までほぼすべての回がVTRテープに記録され保存されている(TBSのバラエティー番組の中では2インチVTRで最も多く残されているとされている)。これが後のリクエスト特集などの特別番組やDVD化に活用された。ただしDVD版の収録に選ばれたコントは、ステレオ放送化された1982年以降のものが比較的多く選ばれている。横浜市の放送ライブラリーには、1978年3月4日放送の第412回と1984年9月29日放送のスペシャル版「15周年だョ!全員集合」が保存されている。
ネット局
※系列はネット終了時(打ち切り時はネット打ち切り時)のもの
放送対象地域 | 放送局 | 系列 | 備考 |
---|---|---|---|
関東広域圏 | 東京放送 | TBS系列 | 制作局 現:TBSテレビ |
北海道 | 北海道放送 | ||
青森県 | 青森テレビ | 1974年10月5日よりネット開始 1975年3月まではNETテレビ系列とのクロスネット局[14] | |
岩手県 | 岩手放送 | 現:IBC岩手放送 | |
宮城県 | 東北放送 | ||
福島県 | 福島テレビ | フジテレビ系列 | 1972年4月1日よりネット開始、1983年9月24日打ち切り 1983年3月まではTBS系列とののクロスネット局[15] |
テレビユー福島 | TBS系列 | 1983年11月26日よりネット開始 (ただし、試験放送期間中。正式には開局後の1983年12月10日より)。 | |
山梨県 | テレビ山梨 | 1970年4月の開局から | |
長野県 | 信越放送 | ||
新潟県 | 新潟放送 | ||
静岡県 | 静岡放送 | ||
中京広域圏 | 中部日本放送 | 現:CBCテレビ | |
石川県 | 北陸放送 | ||
近畿広域圏 | 朝日放送 | 1975年3月29日まで | |
毎日放送 | 1975年4月5日よりネット開始 1975年3月31日の腸捻転解消に伴う移行 | ||
岡山県 →岡山県 香川県 |
山陽放送 | 1983年3月26日までの放送エリアは岡山県のみ 1983年4月2日より相互乗り入れに伴い香川県でも放送[16] | |
島根県 →鳥取県 島根県 |
山陰放送 | 1972年9月16日までの放送エリアは島根県のみ 1972年9月23日より相互乗り入れに伴い鳥取県でも放送[17] | |
広島県 | 中国放送 | ||
山口県 | テレビ山口 | TBS系列 フジテレビ系列 |
1975年4月5日よりネット開始 1978年9月まではテレビ朝日系列とのトリプルネット局[18] |
高知県 | テレビ高知 | TBS系列 | 1970年4月の開局から |
福岡県 | RKB毎日放送 | ||
長崎県 | 長崎放送 | 1984年4月7日よりネット開始[19] | |
熊本県 | 熊本放送 | ||
大分県 | 大分放送 | ||
宮崎県 | 宮崎放送 | ||
鹿児島県 | 南日本放送 | ||
沖縄県 | 琉球放送 |
ネットに関する備考
- 当時国民的お化け番組といわれ人気を誇っていたものの意外なことに系列外局への遅れネットはなく、原則同時ネットであった。
- 当時クロスネット局だった青森テレビ・福島テレビ・テレビ山口の3局は以下の対応が取られていた。
- 青森テレビはNETテレビ系メインのクロスネットとして開局したため、1974年9月までNETテレビ系番組の同時ネットを放送していたが、JNN正式加盟の半年前の1974年10月5日からネットを開始した。
- テレビ山口はフジテレビ系・NETテレビ系とのトリプルネット局として開局したため、1975年3月までフジテレビ系番組の同時ネットを放送していたが、1975年4月5日からネットを開始した。
- 福島テレビは1971年10月に実施した福島中央テレビ(現在は日本テレビ系列)とのネット交換(福島テレビはNNN脱退並びにJNN・FNS加盟)の半年後の1972年4月1日からネットを開始し、1983年4月1日にTBS系列メインのクロスネット局からフジテレビ系フルネット局に再ネットチェンジ(JNN脱退・FNN加盟)したが、同年4月2日から9月24日までは視聴者保護も兼ねてスポンサードネットにより放送された。福島テレビは1983年10月1日にフジテレビマストバイに完全移行したため1983年10月から11月までは未放送だったが(打ち切り後は『オレたちひょうきん族』を遅れネットから同時ネットに変更)[15]、同年12月にテレビユー福島開局に伴い福島県における放送を再開している。
- 長崎放送は1984年3月まで日本テレビ系番組の同時ネットを放送していたが、1984年4月7日からネットを開始した。
- なお、未ネット地域の内、山形県ではテレビユー山形開局と同時に、富山県ではチューリップテレビ開局と同時に後継番組『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』からネットを開始した。
備考
- TBS土曜夜8時台の番組としては長期放送(16年)であり、この記録は2011年現在でも破られていない(後番組の『ごきげんテレビ』は6年3ヵ月、土曜日時代の『どうぶつ奇想天外!』は6年半の放送だった)。
- 番組のタイトルロゴデザインは第1期と第2期で異なっている。ちなみに第2期のタイトルロゴデザインは『8時だョ!出発進行』のタイトルロゴをそのまま踏襲したものとなっている。
- この番組のオープニングテーマ(作曲・山本直純)のアレンジ版が「キリン淡麗グリーンラベル」のCMに使用されている。このCMには志村けんのほか、公募で選ばれた、ザ・ドリフターズのメンバーに容姿がよく似た外国人5人が出演している。彼らは役づくりの必要上『全員集合』のVTRを見ている。さらに、2007年秋からは志村のひげダンス(衣装もひげダンスの衣装)とひげダンスミュージックも流れている。エンディングに歌われたテーマ曲は、2007年4月時点でグリコ・ポスカムのCMに使用されている(こちらもアレンジ版)。
- 本番組のコント「志村けんのバカ殿様」のために番組スポンサーであるコナミがファミコンソフト『ハイパーオリンピック』のプレイヤーの片方が殿様となっている特別バージョンを作成した。コント内で志村がプレイする姿が好評だったため、急遽、完全限定版として1986年1月4日に市販された[20]。同ソフトは、現在、一部のレトロゲーム店でプレミアム価格で取引されている。
- 後年、NTV系『踊る!さんま御殿!!』で明石家さんまが「俺たち(『オレたちひょうきん族』の主な出演者たち)は、『全員集合』は俺たちの先をトップで走っていてほしかったんですよ」と、必ずしも「打倒・全員集合」ではなかった旨を発言している。
- 2012年4月22日からSUNTORYとのコラボキャンペーンを実施(2011年春予定であったが東日本大震災により延期)。
- ももいろクローバーの楽曲Chai Maxxのプロモーションビデオに、オープニング・エンディングの動作のパロディがある。
関連書籍
番組関係者による回顧録として、以下の書籍がある。
- 『8時だョ!全員集合の作り方』(双葉社、2001年5月15日刊 ISBN 4-575-29204-4)
- 『8時だョ!全員集合伝説』(双葉文庫、2001年7月10日刊 ISBN 4-575-71195-0)
- いかりや長介著『だめだこりゃ』(新潮文庫、2003年6月刊 ISBN 4-10-443001-3)
関連ソフト
番組の映像ソフトはいずれもDVDとして、
- ザ・ドリフターズ結成40周年記念盤 8時だョ!全員集合(2004年1月7日発売)
- TBSテレビ放送50周年記念盤 8時だョ!全員集合 2005(2005年6月25日発売)
- 番組誕生40周年記念盤 8時だョ!全員集合 2008(2008年7月16日発売)
- 8時だョ!全員集合 最終盤(2010年3月17日発売)
- 8時だョ!全員集合 ゴールデンコレクション(2012年2月15日発売)[21]
の5タイトルがポニーキャニオンより発売されている。なお、最初のDVDでは肖像権の関係からゲスト出演者のシーンがオープニングとエンディングでごくわずかに入っている程度を除けば一切なく、かつ荒井が在籍した時代の作品は収録されていないが、後2集ではキャンディーズをはじめとしたアシスタントや、ゲスト出演者によるコント、さらに「2005」、「最終盤」では荒井時代のコントも収録されている。ゴールデンコレクションでは、特典映像として見習い中の志村が前振りで出演している6人ドリフのコントが収録されている。
DVD-BOX発売時、初回プレス版の特典として番組のオープニングで着用していた法被が復刻されて同梱されていた(ドリフターズ40周年記念盤はドリフターズ用の白黒のもの、TBS50周年記念盤はゲスト用の青〈男性用〉またはピンク〈女性用〉)。番組誕生40周年記念盤は初回プレス版の特典という括りではなく、ドリフの法被(メンバー5人5色の中からランダムで1着分)とコーナー台本の復刻版を同梱した“豪華版”と銘打ち、DVD3枚組のみの通常版とは別に、5万セット限定で販売された。
ジャケットのTBSロゴは放映期間中は全期間筆記体ロゴであったが1994年以降使用している現在のローマン体ロゴである。
第1集は33万本を超える大ヒットを記録[22]。第4弾までは累計約74万本を出荷[22]。
ゲストの歌唱シーンが収録されているソフトとしては以下のものがある。
- 『Premium BOX 〜オリジナル・アルバム・コレクション〜』(2009年3月25日発売)麻丘めぐみののCD-BOX+DVD。付属DVDに「全員集合」出演時の映像を収録。
- 『Live&Rarities CD+DVD BOX』(2010年7月21日発売)柏原芳恵のCD-BOX+DVD。付属DVDに「全員集合」出演時の映像を収録[23]。
- 『植木等スーダラBOX』(2010年11月3日発売)ディスク2に1979年4月28日放送分の一部映像(植木が『これで日本も安心だ』を歌う)を収録。
- 『GOLDEN DAYS』(2011年10月26日発売)本田美奈子.のCD-BOX+DVD。付属DVDに「全員集合」出演時の映像を収録。
- 『Thanks 40 ~青い鳥たちへ』(2013年10月23日発売)桜田淳子のベストアルバム+DVD。付属DVDに「全員集合」出演時の映像を収録。
オンデマンド配信
2013年6月15日からスマートフォン向け動画配信サービス「dビデオpowered by BeeTV」と「BeeTV」で、23回分のオープニングからエンディングまでノーカットでの配信が開始された[24]。2014年2月時点ではさらに17回分の映像が追加されている[25]。
参考文献
- 居作昌果『8時だョ!全員集合伝説』(双葉社、1999年9月) ISBN 4-575-29016-5
- 山田満郎 著/加藤義彦 取材・構成『8時だョ!全員集合の作り方 笑いを生み出すテレビ美術』(双葉社、2001年5月15日) ISBN 4-575-29204-4
脚注
関連項目
- ドリフ大爆笑 - 『火曜ワイドスペシャル』(フジテレビ)で放送された、ドリフのもう一つの代表番組。全員集合とは違ってスタジオコントがメインだが、1990年代には『全員集合』を模した公開コントや少年少女合唱団が登場した。
- 日本お笑い史
- パイ投げ - 日本のバラエティ番組で初めてパイ投げを行った番組として知られる。
- 盆回り - コント終了のBGM。現在でも『オールスター感謝祭』の一部コーナーで使用中。
- ライオン (企業) - 筆頭スポンサー。
- もリフだョ!全員集合 - 『ももいろクローバーZ』が『もリフ』の変名で発表したパロディソング。「ちょっとだけョ!全員集合」がベースだが「ズンドコ節」、「誰かさんと誰かさん」も内包されストリップ嬢コントを思わせる部分や「いけ~」、「リーダーに、怒られた」、「よろしく~!」といったセリフもある。2012年10月16日に放送された「志村けんのバカ殿様」では志村の前で披露された。
- ↑ 1975年3月26日に録画。
- ↑ 加藤の出身地
- ↑ おおむね、地方局の開局○○周年記念の一環
- ↑ 旧社屋で1994年10月2日まで運用していた
- ↑ 新社屋で1994年10月3日から運用している。
- ↑ 現在では、出演芸能人の生放送での不用意な問題発言によるイメージの瑕疵の発生を、芸能事務所が警戒するようになっている。
- ↑ 例外は、TBSが土曜日に開催されるオールスターゲームの放映権を獲得した場合だが、このケースも1977年までは一度も無かった。
- ↑ 『朝日年鑑1986』p.331。
- ↑ バラエティ枠としては2008年2月9日の『地球!ジオグラTV』終了まで約38年半続き、同年4月からはドラマ枠になったものの、2010年11月開始の『奇跡ゲッター ブットバース!!』からは再度バラエティ枠になった。
- ↑ TBS 『がっちりマンデー』2012年2月5日放送 ライオンの広告宣伝
- ↑ 2000年の持株会社化に伴い、芸能プロダクション事業などは新設子会社のワタナベエンターテインメントに移行した。
- ↑ 各回のゲストは、『8時だョ!全員集合の作り方』(双葉社、2001年5月15日刊)に詳しく掲載されている。
- ↑ 現在ではむしろ障害者の門戸を狭くするという理由で逆に出演者側や団体からのクレームが来る場合もあるが、当時はこの件についてはあまり問題にされなかった。
- ↑ クロスネット当時の青森テレビはJNNには番販で参加していた(1975年3月31日にANN脱退・JNN正式加盟)。青森テレビでの『全員集合』のネット開始までは、北海道放送・岩手放送で『全員集合』が視聴可能だった。
- ↑ 15.0 15.1 ただし、1983年4月に福島テレビがフジテレビ系列にネットチェンジ(JNN脱退・FNN加盟)した後も1983年4月~9月の間は視聴者保護のため放送された。また、10月1日から11月19日放送分は福島県では『全員集合』は未放送。未放送期間中は、TBS・東北放送・新潟放送で『全員集合』が視聴可能な地域もあった。なお、福島テレビは『全員集合』の番販ネット終了後、『オレたちひょうきん族』の同時ネットに切り替えている。
- ↑ ただし、香川県では相互乗り入れ前から山陽放送・毎日放送(1975年3月までは朝日放送)で『全員集合』が視聴可能だった。
- ↑ ただし、鳥取県では相互乗り入れ前から山陰放送・朝日放送で『全員集合』が視聴可能だった。
- ↑ テレビ山口での『全員集合』のネット開始までは、中国放送・山陰放送・RKB毎日放送・大分放送で『全員集合』が視聴可能だった。なお本番組放送期間中、直前の土曜19時が「オレたちひょうきん族」の遅れネット枠にあてられた時期がある。
- ↑ 長崎放送がTBS系ではあるものの、当時はニュース以外事実上日本テレビ系列・テレビ朝日系列とのトリプルネット状態だった。1984年4月からの長崎放送での『全員集合』のネット開始までは、RKB毎日放送、熊本放送で『全員集合』が視聴可能だった。
- ↑ 2006年3月31日付で持株会社化したことに伴い、版権は新設子会社のコナミデジタルエンタテインメントに移行した。
- ↑ 当初は2011年12月21日発売の予定だった。
- ↑ 22.0 22.1 ポニーキャニオン半世紀へ 日本の音楽史と重なる歩み、産経新聞、2012年7月31日。
- ↑ http://www.amazon.co.jp/%E3%83%87%E3%83%93%E3%83%A5%E3%83%BC30%E5%91%A8%E5%B9%B4%E8%A8%98%E5%BF%B5%E4%BC%81%E7%94%BB%E7%AC%AC2%E5%BC%BE%E3%80%8CLive-Rarities-BOX%E3%80%8D-DVD%E4%BB%98-%E5%88%9D%E5%9B%9E%E9%99%90%E5%AE%9A%E7%94%9F%E7%94%A3/dp/B003EW4JUS
- ↑ ザ・ドリフターズ : 「8時だョ!全員集合」が初のノーカット配信まんたんウェブ 2013年6月15日
- ↑ http://tod.tbs.co.jp/zeninshugou/index.html