ハナ肇とクレージーキャッツ
テンプレート:Infobox Musician ハナ肇とクレージーキャッツ(ハナはじめとクレージーキャッツ)は、日本のジャズ・バンド、お笑いタレント、歌手グループ。クレイジーキャッツと表記される場合もある。
元々は「キューバン・キャッツ」の名で活動を開始したが、進駐軍のキャンプ回りをしていた際、演奏中に洗面器で頭を叩くギャグが大受けし、“You, crazy!”と言われたことから「クレージーキャッツ」に改名したとされている。渡辺プロダクション所属。数多くのバラエティ番組に出演し、コントを演じるようになってからコントグループと見られるようになってしまった。しかしながら、下記の通り各人は音楽の経験やテクニックという点で卓越した点を持っており、単なるコントグループ、コミックバンドとは全く違う、「音楽の質の高さ」を兼ね備えた異色のバンドともいえる。略称「クレージー」。音楽+コメディという芸能活動を広めた第一人者である。
目次
概要
1960年代に一世を風靡したコミックバンド。バンド結成時にその資金を出したのが渡辺晋であり、そのため、結成当初から渡辺プロダクションに所属した。
1955年の結成後、ジャズ喫茶での音楽ギャグで人気を博し、『おとなの漫画』(フジテレビ)、『シャボン玉ホリデー』(日本テレビ)などのテレビ出演をきっかけに人気が爆発した。映画でもクレージーの出演作は東宝のドル箱シリーズとなり(東宝クレージー映画)、挿入歌として発表されたシングル『スーダラ節』『ハイそれまでョ』『ドント節』なども軒並み大ヒットを記録する。
しかし、1965年を過ぎた頃から、植木・ハナ・谷・犬塚ら主要メンバーの個人活動が多くなっていく。1971年1月に石橋エータローが脱退後、4月 - 9月末に諸事情から『8時だョ!全員集合』のつなぎとして企画された『8時だョ!出発進行』(TBS)へのレギュラー出演を最後に、グループとしての活動機会は目に見えて激減した。1980年代以降は、コメディアンというよりは各メンバーとも俳優としての性格が濃くなり、グループとしては実質的な解散状態を迎えていた。
その後、1993年9月にリーダーのハナ肇が死去し、以後他のメンバーも順次鬼籍に入り始める。それでも、1997年から2006年にかけてはメンバーの半分以上は存命で、2006年には新曲も発表しているが、2007年以降メンバーの他界が相次ぎ、現在存命のメンバーは犬塚弘ただ一人となっている[1]。このため、グループとしての活動は前述の新曲発表を最後に行われていない。幾つかの文献で「既に解散したグループ」として扱われているが、正式な解散をしているわけではない。
所属事務所、渡辺プロダクションの後輩にはザ・ドリフターズやザ・ピーナッツ(クレージーを含めたこの3グループで「ナベプロ3大タレント」と言われることもある)がいる。ザ・ドリフターズが1964年に再結成した際に、メンバー全員の名付け親となったのはハナ肇である。また、ザ・ピーナッツとは映画や番組での共演が多数あった。なお、渡辺プロダクションは、1960年代に数多くの人気タレントを抱えていたことで、反発を買うケースも多かったようだが、事務所の黎明期から在籍し、才人ぞろいのクレージーキャッツとザ・ピーナッツが同プロダクションの看板タレントであったことが、その反感をやわらげる上で大きく役立った面もあったようである。
クレージーは多数のコミックソングを世に送り出している。グループ名義の楽曲は、大半は植木の独唱であるが、サビの部分のみメンバー全員で合唱する場合もある。デビューシングルの「こりゃシャクだった」にはメンバーによる寸劇が挿入されている。「五万節」「ホンダラ行進曲」」「悲しきわがこころ」「新五万節」は植木を含む全メンバーが1コーラスずつ歌っている。また「実年行進曲」は全員の合唱・谷・ハナ・植木の順で1コーラスを4小節ずつ歌い継ぐ構成になっている。
なお、無名時代からクレージーファンで、一時期はクレージーのブレーン役でもあった小林信彦は、「クレージーで一番面白いのは『生』、次が『テレビ』、一番面白くないのが『映画』」と語っている。
「この際カアちゃんと別れよう」というオリジナル曲もあるが、実際のメンバーは全員良き家庭人であり、スキャンダルや人格批判にはほとんど無縁というグループでもあった。
著名なファンに「実年行進曲」を作曲した大瀧詠一とメンバーの植木等とドラマで共演したこともある所ジョージがいる。声優の関智一、シンガーソングライターの星野源(SAKEROCK)も好きな音楽にクレージーキャッツを挙げている。
略歴
- 1955年4月1日 - クレージーキャッツの前身となる「キューバン・キャッツ」が結成される。結成当初のメンバーはハナ肇、犬塚弘、萩原哲晶、橋本光雄、柴田昌彦、南晴子、筑波礼子。同年1月に設立された渡辺プロダクションに所属する。
- 1961年6月4日 - 『シャボン玉ホリデー』(日本テレビ)が放送開始。
- 1961年8月20日 - 「スーダラ節」発売。これにより爆発的な人気を得る。また同月、石橋エータローが復帰するが、代役であった桜井センリもそのまま残り、以降7人のメンバーによる活動となる。
- 1962年7月29日 - 東宝クレージー映画第1作『ニッポン無責任時代』公開。主題歌として発売された「無責任一代男」も大ヒットを記録。以降、1960年代後半まで、映画、テレビ、舞台、レコードなど、全ての面で高い人気を誇る時代を迎えることになる。
- 1962年12月31日 - 第13回NHK紅白歌合戦に初出場。歌は植木等のみだったが、他のメンバーも応援で登場。以降、クレージーは1970年まで(応援団としても含め)連続出場する。
- 1964年12月31日 - 『おとなの漫画』放送終了(全1835回)。
- 1973年10月1日 - 最後のレギュラー番組となった『クレージーの奥さ〜ん!』(フジテレビ)放送開始(~1976年3月31日)。
- 1979年 - 5月、結成25周年記念の舞台『ハナ肇とクレージーキャッツ結成25周年記念公演~これで日本も安心だ!!』を公演。
- 1988年11月26日 - ハナ肇主演『会社物語 MEMORIES OF YOU』が公開。この映画には石橋エータローも含めたメンバー7人が出演し、ジャズ演奏を披露する。
- 2006年4月12日 - 渡辺プロダクション50周年記念テーマソングとして約20年ぶりに新曲「Still Crazy For You」を発売。
メンバー
ハナ肇
- 詳細は本人の項目を参照
- 東京府北豊島郡長崎町(現:東京都豊島区)生まれ。本名、野々山定夫(ののやま・さだお)。山手通り沿い要町交差点付近の実家(水道屋)で育った。工学院大学卒。芸名は、姓=興奮すると鼻の穴が大きく開くクセから、名=ハナが敬愛したジャズ・ピアニスト和田肇(俳優和田浩治の実父、歌手淡谷のり子の前夫)に由来する。最初はギタリストを志していたが、途中でドラマーに転向し、1946年に「内藤タンゴ・アンサンブル」、1947年に「伊沢一郎カルテット」、1948年に「南里文雄とホットペッパーズ」、1949年に「萩原哲晶とデューク・オクテット」、1952年に「アフロ・クパーノ・ジュニア」などのバンド遍歴を経る。そして、犬塚弘、萩原哲晶らと、クレージーキャッツの前身となる「キューバン・キャッツ」を1955年に結成。その後、1956年に「ハナ肇とクレージーキャッツ」にバンド名を改め、バンドマスターとなる。『巨泉・前武のゲバゲバ90分!!』でのヒッピー姿で叫ぶ「アッと驚く為五郎」と言うギャグや『新春かくし芸大会』での銅像役はよく知られている。俳優やナレーターとしての評価も高かったが、音楽への情熱は捨てがたく、1985年に谷啓や「キューバン・キャッツ」時代のメンバーであった稲垣次郎らなどと「ハナ肇とオーバー・ザ・レインボー」を結成し、ジャズクラブでの演奏活動も行っていた。1993年肝臓ガンのため死去。
植木等
- 詳細は本人の項目を参照
- 三重県多気郡宮川村大字栗谷(現:多気郡大台町)、浄土真宗・常念寺住職の三男として生まれる。本名同じ。東洋大学卒業。いくつかのバンドを経て、1957年3月に渡辺晋とハナ肇によってシティ・スリッカーズからクレージーキャッツに引き抜かれた。1962年に公開された映画『ニッポン無責任時代』以降は、「無責任男」が植木のキャッチフレーズとなり、以降数多くの映画に主演する。ボーカルとして数々のコミックソングがヒットし、テレビでも「お呼びでない?」など、後世に残るギャグで爆発的な人気を得る。1970年代以降は俳優としての活動の場が多くなったが、演技に対する評価は高く、多くの賞を獲得している。1990年には自身のヒット曲メドレー「スーダラ伝説」で人気が再燃し、23年ぶりに第41回NHK紅白歌合戦にも出場(この年の歌手別最高視聴率を獲得)した。翌年の1991年には、自身初となる全国ソロコンサートツアーも行っている。晩年は前立腺癌、肺気腫と闘病しながら活動を継続していたが、2007年、肺気腫による呼吸不全で死去。
谷啓
- 詳細は本人の項目を参照
- 東京府荏原郡東調布町(現:東京都大田区田園調布)生まれ。広島と横浜で育つ。本名、渡部泰雄(わたべ・やすお)。芸名の由来は、アメリカの名コメディアン、ダニー・ケイに敬意を表し、その名前をもじったもの。中央大学中退。大学在学中からトロンボーン奏者として名を馳せ、1952年に原信夫とシャープスアンドフラッツ、1953年にシティ・スリッカーズ、1956年2月からクレージーキャッツへ参加している。「ガチョン」(現在は「ガチョーン」)や「ビローン」、「あんた誰?」、「谷ダァー」といったギャグが流行を博したが、「譜面にギャグを書き込む」スタイルで数多くの音楽ギャグを作り、その才能を活かして『シャボン玉ホリデー』では自身が番組構成を行った回(1966年1月9日放送、「タニー・ケイだよピーナッツ」)もある。トロンボーン奏者としても、「スイングジャーナル」紙の人気投票では、1959年から1965年まで連続してトロンボーン部門のベスト5に入っていたほどの実力者である。ナレーターや俳優としても活躍し、映画『釣りバカ日誌』シリーズの佐々木課長役は当たり役である。クレイジーのメンバーとしてはメディアへの露出が多く、若年層にも知名度が高かった。また、「谷啓とスーパー・マーケット」というバンドを率いており、不定期ながらも音楽活動を行っていた。その後も『美の壺』(NHK教育テレビジョン)の主人などで飄々としたところを見せていたが、晩年は認知症状が顕著になっていたと言う。2010年9月11日、私邸の階段からの転落による脳挫傷のため急死。
犬塚弘
- 詳細は本人の項目を参照
- 東京府荏原郡(現:東京都大田区大森)の生まれ。本名、犬塚弘(いぬづか・ひろむ)。1949年文化学院社会学部卒。同校卒業後、日本ワットソン統計会計機械(現日本アイ・ビー・エム)に入社したが、1951年に退職。実兄が組んだハワイアン・バンド(グリーン・グラス・キャップ・ボーイズ)に入り、ベースを担当したのが演奏活動を開始するきっかけとなる。その後、1952年に「萩原哲晶とデューク・セプテット」に参加し、1955年に「キューバン・キャッツ」の創立メンバーとして参加。なお、グループ初期にうけた「クレージーののど自慢」というコントは、犬塚と谷啓の作である。クレージーの一員としては「ワンちゃん」の愛称で親しまれ、1964年12月公開のハナ肇主演映画『馬鹿が戦車でやって来る』での演技により、植木等、ハナ肇、谷啓に次ぐクレージー『第4の男』として評価され、1965年7月に公開された『素敵な今晩わ』では初の主演を獲得している。1970年代からは性格俳優として映画、テレビドラマ、舞台などで脇を固めることも多く、最近でも『春よこい』、『少年メリケンサック』などの映画に出演し、精力的な活動を続けている。
安田伸
- 詳細は本人の項目を参照
- 東京府豊多摩郡(現:東京都中野区)生まれ。本名、安田秀峰(やすだ・ひでみ)。1953年東京芸術大学卒。同年「フォー・デパーズ」に参加以降、1954年には石橋エータローらと「ザ・ファイブ」を結成し、1955年には「ハッピー・フーリナンス」に参加。その後、1957年9月に石橋エータローの紹介でクレージーに参加する。ブリッジしながらサックスを吹く芸が有名であった。1966年に体操家の竹腰美代子と結婚。愛妻家で知られ、そこから「ミヨコー!」というギャグが生まれた。『シャボン玉ホリデー』後期のコント「キントト映画」では、なべおさみ扮する監督に、安田扮する助監督が「ヤスダーッ!」と怒鳴られ、なべにメガホンで頭を連打されるギャグも有名となった。俳優として映画や舞台などで活躍したが、晩年はガンとの闘病が続いた。1996年に急性心筋梗塞で死去。
石橋エータロー
- 詳細は本人の項目を参照
- 東京府東京市芝区新橋(現:東京都港区)の生まれ。本名、石橋英市(いしばし・えいいち)。父親は、作曲家で尺八奏者の福田蘭童。祖父は洋画家の青木繁。東洋音楽大学(現東京音楽大学)卒。安田伸らとバンド活動後、1956年に世良譲の紹介でクレージーに参加する。1960年に結核で一時離脱。代わりに、ピアノ奏者として桜井センリが加わる。その後、クレージーに復帰するも、1971年に引退。料理研究家に転身、渋谷で「三漁洞」という小料理屋を経営していた。かつて声楽を専攻していたこともあり、メンバーの中では植木と並ぶ美声である。1994年に胃ガンのため死去。
桜井センリ
- 詳細は本人の項目を参照
- 1926年(公称は1930年)ロンドンの生まれ。本名、桜井千里(さくらい・せんり)。早稲田大学第一政治経済学部に学ぶ。植木等らとバンドのピアノ奏者として活躍。石橋エータローの結核療養による活動休止を受けてクレージーに参加。早くからピアノの実力と共に編曲者としての才を発揮、様々なバンドで活動した。クレージー加入前、通常のバンドマンが月給4万円のところ、桜井は18万円を支給される高給取りだった。そのため、石橋の代役選びが難航する中、ハナは植木と谷に「元・シティ・スリッカーズのよしみで桜井はどうか」と尋ねたところ、植木らは即座に「桜井千里は絶対無理!」と答えたという。それでも懇願するハナに根負けし、植木は殆ど諦めながらも念のため自宅へ交渉に行ったところ、「実はああいうことを一度やってみたかったんですよ。よろしくお願いします。」と快諾を受け、拍子抜けしたという。石橋エータロー復帰後もメンバーとして活躍。ピアノの連弾はクレージーのステージの名物となった。金鳥の殺虫剤「キンチョール」のCMに出演した際、「ルーチョンキ」のギャグを披露。コントでは石橋に替わり「女性役」などを起用にこなし、CMで披露した「センリばあさん」役は当時一世を風靡した。2012年11月、自宅で倒れているのを発見されたが、既に死亡していた。『孤独死』とされる。
旧メンバー
- 萩原哲晶(1925年 - 1984年、クラリネット)脱退後は、作曲家に転身。クレージーキャッツのヒット曲をてがける。萩原と入れ替わる形で、谷啓が参加。
- 柴田昌彦(初代テナーサックス)
- 稲垣次郎(1933年 - 、二代目テナーサックス)
- 石田正弘(三代目テナーサックス)
- 橋本光雄(初代ピアノ)
- 河原義和(二代目ピアノ)
- 南晴子(ボーカル)
- 筑波礼子(ボーカル)ミュージカル女優島田歌穂の母
出演作品
クレージーキャッツ全員レギュラー番組
- ミュージック・パラダイス(1958年/NTV)
- 魅惑の宵(1958年/NTV)
- ペトリバラエティー(1958年/NTV)
- 光子の窓(1958年/NTV)
- おとなの漫画(1959年-1964年/フジテレビ)
- クレージーキャッツショー(1959年7月/フジテレビ)
- シャボン玉ホリデー(1961年-1972年/NTV)
- ザ・ヒットパレード(1961年-1970年/フジテレビ)
- 歌まねXさん(1961年7月7日/TBS)- ハナ肇を除く6人が司会
- 歌まねチャンピオン(1962年2月2日/TBS)
- 7時半だよクレージー(1963年4月8日/フジテレビ)
- リズム歌合戦(1965年/フジテレビ)- 桜井センリ、石橋エータローによるコンビ司会
- ハイやりました!(1970年10月1日/NET)
- スターはまかせろ!(1971年1月14日/TBS)- 植木等、谷啓司会
- 8時だョ!出発進行(1971年/TBS)
- クイズの王様(1972年2月19日〜1974年2月9日/フジテレビ)
- クレージーの待ッテマシタ!(1965年3月9日〜1973年9月29日/フジテレビ)
- クレージーの奥さ〜ん!(1973年〜1976年3月/フジテレビ)
- クレージーキャッツ1965年重大ニュース(1965年12月25日/日本テレビ)
- クレージーキャッツ1966年重大ニュース(1966年12月24日/日本テレビ)
- クレージーと遊ぼう(1966年1月2日/TBS)
- クレージーキャッツ1967年重大ニュース(1967年12月/日本テレビ)
- クレージーキャッツ1968年重大ニュース(1968年12月29日/日本テレビ)
- クレージーキャッツのさる年めでたや7人男(1968年1月1日/NET)
- 新春クレージー読本(1968年1月1日/TBS)
- クレージーのタメゴロー大行進(1970年3月19日/フジテレビ)
- 待ッテマシタ!!全員集合 布施とドリフとクレージー(1972年7月27日/フジテレビ)
- クレージーキャッツわれらの音楽会(1977年3月13日/NHK)
- 全員集合!!久びさ笑いのクレージー(1979年4月20日/フジテレビ)
- 輝く25周年クレージーキャッツ(1979年4月25日/TBS)
- すばらしき仲間〜爆笑クレージー30年(1985年9月8日/TBS)
- クレージーキャッツ結成30周年記念特別企画 アッと驚く!無責任(1985年10月22日/フジテレビ)
- シャボン玉ホリデー(1986年3月6日/NTV)
- 第3回日本レコード大賞(1961年12月31日/TBS)- 『スーダラ節』で企画賞受賞
- 第13回NHK紅白歌合戦(1962年12月31日/NHK)- 『ハイ それまでョ』で初出場 ※出場歌手の植木等を、他のメンバーが応援する形で全員出演(第16回まで)。
- 第14回NHK紅白歌合戦(1963年12月31日/NHK)- 『どうしてこんなにモテるんだろう』『ホンダラ行進曲』で出場
- 勢揃いだミュージック・フェスティバル(1964年1月1日/NTV)
- 月も朧悪童合戦(1964年1月1日/NHK)
- 新春ポピュラー歌手かくし芸大会(1964年〜1993年1月1日・1月2日/フジテレビ)
- 第15回NHK紅白歌合戦(1964年12月31日/NHK)- 『だまって俺について来い』で出場
- 第16回NHK紅白歌合戦(1965年12月31日/NHK)- 『遺憾に存じます』で出場
- 第17回NHK紅白歌合戦(1966年12月31日/NHK)- 『チョット一言多すぎる』で出場 ※ハナ肇とクレージーキャッツとして初出場
- 第18回NHK紅白歌合戦(1967年12月31日/NHK)- 『花は花でも何の花』で出場 ※ハナ肇とクレージーキャッツとして出場
- 第19回NHK紅白歌合戦(1968年12月31日/NHK)- 白組応援団として
- 第20回NHK紅白歌合戦(1969年12月31日/NHK)- 白組応援団として
- 8時だョ!全員集合(1970年1月10日/TBS)
- 第21回NHK紅白歌合戦(1970年12月31日/NHK)- 白組応援団として
- 8時だョ!全員集合(1971年3月27日/TBS)
- モーニングジャンボ(1971年5月13日/TBS)
- 第22回NHK紅白歌合戦(1971年12月31日/NHK)- 白組応援団として
- 勢ぞろい!スターお年玉大会(1972年1月1日/NTV)
- 歌謡・グランドショー(1972年11月28日/NHK)
- おかしなおかしな60分!〜1972年重大ニュース(1972年12月17日/NTV)
- 第23回NHK紅白歌合戦(1972年12月31日/NHK)- 白組応援団として
- 新春思い出の歌ヒットパレード(1973年1月2日/NTV)
- 初春のライバル司会者大競争(1973年1月3日/TBS)
- クレージーの探偵博物館(1973年1月29日〜2月2日/NHK)
- 歌のゴールデンステージ(1975年8月5日/NHK)
- ドリフの昭和大爆進!笑いと唄の50年(1975年10月7日/フジテレビ)
- 1978年度日本アカデミー大賞(1978年4月6日/NTV)
※太字は主演 クレージーキャッツ主演・出演
- クレイジー作戦(1962年10月3日/NTV)
- 男嫌い(1963年4月6日/NTV)- 植木等、ハナ肇、谷啓出演
- おれの番だ!(1964年8月3日/TBS)- 植木等、ハナ肇、谷啓、藤田まこと主演
- 日産スター劇場 クレイジーのアメリカ珍道中 ニセ者は奴だ!(1966年7月16日/NTV)
- 日産スター劇場 亭主貸します(1966年10月15日/NTV)- 犬塚弘、桜井センリ主演
- ドカンと一発!(1968年10月28日/TBS)- ザ・ドリフターズ、藤田まこと共演
- 天下の一大事(1969年1月2日/NTV)- 植木等を除くクレージーキャッツ出演
- でっかくいこう'73(1973年1月1日/NET)- 犬塚弘、桜井センリ出演
- クレージー・ジョッキー(1960年)
- 1966年
- 1986年(BGM「実年行進曲」)。
- 出演依頼はメンバー全員に対して行われたが、植木等は不参加(スケジュールの都合で遅れて撮影に間に合わなかったとも、「無責任男の植木」というイメージに嫌気が差していたためのもの、とも諸説あるが谷啓は「もうこういう形では出ないようですよ」と植木自身の意思による不参加であることを示唆した発言を行っている)、また石橋エータローは既に脱退したことから、最終的に5人での出演となった。
- 詳細はクレージー映画を参照
※ 太字は7人全員出演
- 裸の大将(1958年10月23日、東宝) - クレージーの映画初出演
- 足にさわった女(1960年8月24日、大映)
- 竜巻小僧(1960年11月1日、日活)
- 腰抜け女兵騒動(1961年1月26日、東京映画・東宝)
- 銭形平次捕物控 夜のえんま帖(1961年3月15日、大映)
- 黒い十人の女(1961年5月3日、大映)
- スーダラ節 わかっちゃいるけどやめられねェ(1962年3月15日、大映)
- クレージーの花嫁と七人の仲間 (1962年4月15日、松竹) - グループ初主演
- サラリーマンどんと節 気楽な稼業ときたもんだ(1962年5月12日、大映)
- ニッポン無責任時代(1962年7月29日、東宝)
- 私と私(1962年8月11日、東宝)
- 夢で逢いましょ(1962年9月15日、東京映画・東宝)
- 若い季節(1962年10月20日、東宝)
- ニッポン無責任野郎(1962年12月23日、東宝)
- ハイハイ3人娘(1963年1月29日、宝塚映画・東宝)
- クレージー作戦 先手必勝(1963年3月24日、東宝)
- 日本一の色男(1963年7月13日、東宝)
- クレージー作戦 くたばれ!無責任(1963年10月26日、東宝)
- 香港クレージー作戦(1963年12月22日、東宝)
- 運が良けりゃ(1964年3月19日/松竹)
- 日本一のホラ吹き男 (1964年6月11日、東宝)
- 無責任遊侠伝(1964年7月11日、東宝)
- ホラ吹き太閤記(1964年10月31日、東宝)
- 花のお江戸の無責任(1964年12月20日、東宝)
- 日本一のゴマすり男(1965年5月29日、東宝)
- 大冒険(1965年10月31日、東宝)
- 無責任清水港(1966年1月3日、東宝)
- 日本一のゴリガン男(1966年3月16日、東宝)
- クレージーだよ奇想天外(1966年5月28日、東宝)
- クレージー大作戦(1966年10月29日、東宝)
- クレージーだよ天下無敵(1967年1月14日、東宝)
- クレージー黄金作戦(1967年4月29日、東宝)
- クレージーの怪盗ジバコ(1967年10月28日、東宝)
- 日本一の男の中の男(1967年12月31日、東宝)
- クレージーメキシコ大作戦(1968年4月27日、東宝)
- 空想天国(1968年8月14日、東宝)
- 日本一の裏切り男(1968年11月2日、東宝)
- クレージーのぶちゃむくれ大発見(1969年1月1日、東宝)
- クレージーの大爆発(1969年4月27日、東宝)
- 奇々怪々 俺は誰だ?!(1969年9月27日、東宝)
- 日本一の断絶男(1969年11月1日、東宝)
- クレージーの殴り込み清水港(1970年1月15日、東宝)
- 日本一のヤクザ男(1970年6月13日、東宝)
- 喜劇 負けてたまるか!(1970年6月13日、東宝)
- 日本一のワルノリ男(1970年12月31日、東宝)
- だまされて貰います(1971年4月29日、東宝)
- 日本一のショック男(1971年12月31日、東宝)
- 喜劇 泥棒大家族 天下を盗る(1972年10月28日、東宝)
- 喜劇 ここから始まる物語(1973年、松竹)
- 喜劇 だましの仁義(1974年、東宝)
- 会社物語 MEMORIES OF YOU(1988年11月26日、松竹・日本テレビ・SEDIC・坂本事務所)
太字は主演舞台
- ジャズは廻る(1958年6月18日 - 7月1日)- 新宿コマ劇場
- クレージーキャッツまつり(1962年9月8日 - 9月14日)- 日本劇場
- 無責任だよ! ピーナッツ (1963年1月6日 - 1月13日)- 日本劇場
- ハトヤ友の会招待会(1964年11月21日 - 11月23日)- 福岡電気ホール
- クレージーの太閤記(1965年1月5日)- 梅田コマ劇場※1ヶ月公演
- クレージー太閤記(1965年7月1日 - 7月4日)- 東京宝塚劇場
- 10年だよ!!クレージーキャッツ(1965年7月1日 - 7月4日)- 東京宝塚劇場
- 今年もクレージーだよ ピーナッツ!(1966年1月7日 - 1月14日)- 日本劇場
- 初笑いクレージーだよ ピーナッツ!(1967年1月7日 - 1月14日)- 日本劇場
- クレージーどろぼう天国(1968年5月4日 - 5月28日)- 梅田コマ劇場
- クレージーキャッツショー(1970年9月8日 - 9月12日)- 日本武道館
- クレージーキャッツライブ(1971年2月20日 - 2月27日)- アメリカ・スポットライト
- 年忘れクレージー爆笑公演 浪曲為五郎一座(1971年12月2日 - 12月27日)- 東京宝塚劇場
- クレージースペシャル〜暑さなんかぶっとばせ!(1972年9月9日 - 9月16日)- 新日鉄体育館
- クレージーキャッツ秋の特別公演 クレージーの大昭和史(1973年9月1日 - 9月28日)- 新宿コマ劇場
- クレージーキャッツライブ(1974年3月26日)- 新宿ムーランドール
- さよならザ・ピーナッツ最終公演(1975年)- NHKホール
- 秋だ!祭りだ!クレージー!!(1976年10月2日 - 10月9日)- 新日鉄体育館
- ハナ肇とクレージーキャッツ結成25周年記念公演 これで日本も安心だ!(1979年5月2日 - 5月8日)- 日本劇場
発売日 | タイトル | 備考 | |
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1 | 1961年8月20日 | スーダラ節/こりゃシャクだった | 売り上げ50万枚以上の大ヒット。「スーダラ節」は第4回日本レコード大賞企画賞受賞。「こりゃシャクだった」は『おとなの漫画』のヒットフレーズ。当初はこちらがA面であった。 |
2 | 1962年1月20日 | 五万節/ドント節 | 「五万節」のオリジナルヴァージョンは植木のソロパート(3番と6番)の歌詞が問題視され発売禁止になった。その直後に問題の部分の歌詞が変えられて発売。1995年にオリジナルヴァージョンもCD化され発売された。 |
3 | 1962年7月20日 | 無責任一代男/ハイそれまでョ | |
4 | 1962年12月20日 | これが男の生きる道/ショボクレ人生 | |
5 | 1963年4月20日 | いろいろ節/ホンダラ行進曲 | |
6 | 1963年7月20日 | どうしてこんなにもてるんだろう/ギターは恋人 | |
7 | 1963年8月20日 | 図々しい奴/愛してタムレ | 谷啓のメインボーカル。「愛してタムレ」では最後に谷のギャグ「ガチョン」が入っている。 |
8 | 1963年12月20日 | 学生節/めんどうみたョ | |
9 | 1964年6月20日 | 馬鹿は死んでも直らない/ホラ吹き節 | 「ホラ吹き節」では前奏、間奏、後奏に疑似ステレオ処理が施してある。 |
10 | 1964年8月20日 | あんた誰?/天下の若者 | |
11 | 1964年11月15日 | だまって俺について来い/無責任数え唄 | 「だまって俺について来い」は2001年に天童よしみによってカヴァーされたものが、『こちら葛飾区亀有公園前派出所』のテーマソングとして使われた。 |
12 | 1965年4月5日 | ゴマスリ行進曲/悲しきわがこころ | |
13 | 1965年10月1日 | ヘンチョコチンなヘンテコリンな娘/小指ちゃん | |
14 | 1965年11月15日 | 遺憾に存じます/大冒険マーチ | 「遺憾に存じます」の前奏は「抱きしめたい」風、演奏は寺内タケシとブルージーンズが担当し、紅白歌合戦でも一緒に出場している。 |
15 | 1966年3月15日 | 何が何だかわからないのよ/シビレ節 | 「シビレ節」の3番の歌詞の一部に問題があり放送禁止(局によっては要注意曲)になった。長らくベスト盤等には問題箇所を編集したものを収録されてきたが、現在発売されているベスト盤ではオリジナル音源が収録されている。 |
16 | 1966年6月15日 | プンプン野郎/虹を渡ってきた男 | |
17 | 1966年12月5日 | それはないでショ/笑えピエロ | 「笑えピエロ」は植木得意のバラードで、1990年にもリバイバル。 |
18 | 1967年6月15日 | 花は花でも何の花/余裕がありゃこそ | |
19 | 1967年10月5日 | 万葉集/たそがれ忠治 | |
20 | 1969年7月10日 | あんた/ウンジャラゲ | 1988年に志村けんによってリメイクされたのも有名。 |
21 | 1969年12月20日 | アッと驚く為五郎/酒のめば | 『巨泉・前武のゲバゲバ90分!!』においてハナ肇がはなったギャグのヒットを受けて作られた。また、未採用の「萩原哲晶ヴァージョン」も存在する。 |
22 | 1970年7月5日 | 全国縦断追っかけのブルース/おとこ節 | |
23 | 1971年8月5日 | この際カアちゃんと別れよう/こんな女に俺がした | |
24 | 1972年1月7日 | 男の憲法/かあちゃん | |
25 | 1973年7月5日 | 僕はしゃべれるんだ/ゲップゲップの歌 | アニメミュージカル『シャーロットのおくりもの』より。 |
26 | 1979年4月20日 | これで日本も安心だ!/スーダラ節'79 | クレージー結成25周年記念アルバムからのシングルカット。スーダラ節'79では「スイスイスーダララッタ~」の部分をクレージー全員で歌っている。 |
27 | 1983年11月21日 | 毎度毎度のおさそいに | |
28 | 1983年8月5日 | オムライスチョンボNo.5/ピーマンキッス | フジテレビ『ひらけ!ポンキッキ』より。 |
29 | 1986年3月6日 | 実年行進曲/新五万節 | クレージー結成30周年記念曲。「新五万節」は「五万節」のニューバージョン。 |
30 | 2006年4月12日 | Still Crazy For You | 渡辺プロ50周年記念曲。松任谷由実とのコラボレーション曲。亡きメンバーたちのパートは、それぞれのサンプル音源を使用した。フジテレビ系『ウチくる!?』エンディング・テーマ。 |
その他
タイトル | 備考 | |
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1 | そうだそうですその通り/なせばなる | 日本一の男の中の男の主題歌。発売予定だったが中止となった。 |
2 | 笑って笑って幸せに/俺は売り出し中 | クレージーのぶちゃむくれ大発見の主題歌。発売予定でレコーディングされたが中止となった。 |
参考文献
- テレビの黄金時代(小林信彦(編) キネマ旬報社)
- テレビの黄金時代(小林信彦著 文藝春秋)
- ハナ肇とクレージーキャッツ物語(著:山下勝利、朝日新聞社)
- あっと驚くリーダー論(著:ハナ肇、主婦と生活社)
- ジ・オフィシャル・クレージーキャッツ・グラフィティ(トレヴィル)
- クレージー映画大全―無責任グラフィティ(佐藤利明、鈴木啓之、町田心乱(編) フィルムアート社)
- シャボン玉ホリデー スターダストをもう一度(著:五歩一勇、日本テレビ)
脚注
関連項目
テンプレート:ハナ肇とクレージーキャッツ- ↑ 旧メンバーの殆どは現在の動向が不明であるため。
- ↑ NHKアーカイブスの番組表検索によると、NHKテレビには、1956年2月7日の「ボンゴのひびき」に「ハナ・ハジメとキューバンキャッツ」、翌1957年7月5日の「花の星座」に「ハナ・肇とクレージー・キャッツ」として出演している。
- ↑ テンプレート:Cite news