テレビ長崎

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テンプレート:日本のテレビ局 テンプレート:Infobox 株式会社テレビ長崎(テレビながさき、Television Nagasaki Co., Ltd.)は、長崎県放送対象地域としてテレビジョン放送をする特定地上基幹放送事業者である。 略称はKTNK.K. Television Nagasaki)。コールサインはJOWH-DTV。

フジテレビ系列FNNFNS)。 1969年昭和44年)4月1日開局。

沿革

・開局までの経緯

1967年9月、郵政省は長崎を含む全国17地区にUHFによる親局設置の方針を決定。長崎県で民放テレビ複数局の動きが始まったのは1962年4月に遡る。 当時、衆議院議員だった金子岩三によって設立された「株式会社テレビ長崎」が、VHF仕様で郵政省に開設申請書を提出している。その後、新たにUHF親局の認可の方針が見えはじめた、1963年から1965年までの間に6社が申請し競願となっていった。

  • 株式会社テレビ長崎(西日本新聞系)・申請者(金子岩三、野口義夫西日本新聞社長)
  • テレビ長崎株式会社(関西テレビ系)・申請者(松原与三松日立造船会長、肥塚喜久雄丁字屋釀造社長)
  • 西海テレビ株式会社(毎日系・地元有志)・申請者(小林知一毎日新聞出身で北松江迎製塩社長、木谷勝次県医師会会長)
  • 長崎讀賣テレビ放送株式会社(読売新聞系)・申請者(務台光雄読売新聞社長、小山晴彦弁護士)
  • 株式会社西海テレビ(農協系)・申請者(眞崎今一郎長崎県農協中央会長、才津新造五島商船会長)
  • 西九州テレビ放送株式会社(地元財界系)申請者(一ノ瀬秀人長崎県副知事、清島省三十八銀行頭取、坂田重保親和銀行頭取)

郵政省の勧告により競願6社は1967年11月、「株式会社テレビ長崎」に一本化したが、資本構成は西日本・関西テレビ系と読売新聞・長崎新聞・農協系に二分されていた。

  • 1967年(昭和42年)12月 初の発起人世話人会が開かられるが、役員問題で難航する。
  • 1968年(昭和43年)3月 発起人会を開き取締役12名、監査役2名を決定。
  • 1968年(昭和43年)3月12日 長崎法務局で会社設立の登記を完了し「株式会社テレビ長崎」が発足した。
  • 1969年(昭和44年)4月1日 - 本放送を開始する。この時点では、NNN・FNNのクロスネット局となっていた。
  • 1981年(昭和56年)3月21日 - テレビ音声多重放送を開始する。
  • 1986年(昭和61年)7月14日 - アナログマスターを更新する。
  • 1988年(昭和63年)3月12日 - CIを導入しロゴマークを変更する。
  • 1990年平成2年)10月1日 - NNNを離脱し、FNNの単独ネット局となる。
長崎国際テレビの開局予定が当初より半年ずれたため、長崎県は半年間NNN空白域となる。なお、その間のNNNの取材は福岡放送長崎支局を開設して行っていた。なお、『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』や『それいけ!アンパンマン』、『キユーピー3分クッキング』など一部の番組は1991年(平成3年)3月31日までネット受けにより放送を継続した。
  • 2006年(平成18年)9月4日 - 東芝製のデジタルマスターに更新する。
  • 2006年(平成18年)12月1日 - 地上デジタル放送を開始する。
  • 2009年(平成21年)1月5日 - 地上デジタル放送でウォーターマークの表示を開始(当初はワンセグでは非表示だった。なお、表示サイズはのちに縮小されている)。
  • 2009年(平成21年)2月? - 地上アナログ放送で「アナログ」のウォーターマークの随時表示を開始する(以前は番組冒頭のみ若干濃いめの表示だった)。
  • 2009年(平成21年)11月30日 - ワンセグでのウォーターマークの表示を開始する。
  • 2011年(平成23年)1月24日 - 対馬市内のアナログテレビ中継局のうち、厳原中継局を除くの4局(南厳原(みなみいづはら)、佐須奈(さすな)、対馬伊奈(つしまいな)、志多留(したる))が、NHK長崎・NBCとともに先行廃止される。

ネットワークの移り変わり

  • 1969年(昭和44年)4月1日 - テレビ放送開始。ニュースはNNN・FNNのクロスネット。FNSに加盟(ただし1972年(昭和47年)4月1日に発足するNNSにはNNN脱退まで非加盟[1])。
1990年(平成2年)9月末までは、『NNNニュース』は朝・昼・夜、『FNNニュース』は午後の奥様ニュース枠・夕方をネット)

帯番組(17時台まで)

  • NNNとのクロスネット時代は、『ズームイン!!朝!』、『お昼のワイドショー』→『午後は○○おもいッきりテレビ』、『NNNきょうの出来事』などに代表されるよう、日本テレビ系列の番組と優先的にネットを結んでいた(開局から1990年9月までの放送時間総比率日テレ系6:フジ系4)。
  • また、『お昼のワイドショー』→『午後は○○おもいッきりテレビ』は、九州地区の日テレ・フジクロスネット局の中で、KTNのみが唯一同時ネットしていた。
  • 一方、フジ系列の番組では、開局当初から『小川宏ショー』からの朝のワイドショー(現在の『情報プレゼンター とくダネ!』の枠)や『3時のあなた』、それに『ライオン奥様劇場』をはじめとする昼13時台の番組を同時ネットしていた。
  • 朝の時間帯では、1979年(昭和54年)2月までの7時台後半は『ママとあそぼう!ピンポンパン』、1980年代前半までの8時台前半は『ひらけ!ポンキッキ』などフジ系列を同時ネットしていたが、先述の『ズームイン!!朝!』のネットに踏み切った影響でそれぞれ打ち切られた(『ママとあそぼう!ピンポンパン』は1982年(昭和57年)に放送終了)。その後『ひらけ!ポンキッキ』はNNN脱退後の1990年(平成2年)10月より放送を再開し、最終回まで同時ネットした。
  • 12時台では、日本テレビ系の『お昼のワイドショー』や『おもいッきりテレビ』等の昼番組同時ネットのため、事実上のクロスネット時代である1990年9月までは、フジ系列『笑っていいとも!』は、夕方(16時台→17時台)に時差ネットしていた。1990年10月1日からは同時ネットとなり、現在に至っている。なお、『笑っていいとも!』の放送を開始したのはキー局よりも半年遅い1983年4月4日から。
    • 笑ってる場合ですよ!』など、それ以前のフジ系平日12時台番組はKTNでの放送履歴が一度もない。
    • 『おもいッきりテレビ』については、1988年(昭和63年)9月30日まで、13時台の一部のコーナーを当時長崎県内もう一つの民放テレビ局でもある長崎放送(NBC)が約1時間遅れで時差ネットしていた。
    • 上記の『笑っていいとも!』を時差ネットしている編成上、当時フジテレビで17時台に生放送の『夕やけニャンニャン』は一度も放送された事がない。他の九州地区のクロスネット局を含めたフジ系列局は、番組開始の頃は放送されていない系列局もあったが、同番組放送開始1年後の1986年(昭和61年)春頃から順次ネット開始に踏み切った。その中で、KTNと秋田テレビ(AKT)が最後まで未放送(後者は地元商店街等の提供でアニメ再放送・遅れ放送やドラマ再放送などを編成)。この件に関して、NBCの村山仁志アナはNBCラジオの番組内で「金屋町にある某テレビ局が放送していないから、長崎でのおニャン子クラブの知名度は低かった」と発言した事がある。

ゴールデン・プライムタイムほか曜日別レギュラー番組

  • 1981年(昭和56年)9月のプライムタイムの番組表は下記のとおり
  • ★ → 時差ネット
  • ☆ → 30分前倒し
月曜日 火曜日 水曜日 木曜日 金曜日 土曜日 日曜日
19:00 日テレ
新・ど根性ガエル 
日テレ
世界のこれがNo'1
フジ☆
逆転クイズジャックスター千一夜
フジ
新竹取物語 1000年女王
日テレ
歌まね振りまね 新・スターに挑戦!!
フジ
ズバリ!当てましょう
日テレ
びっくり日本新記録
19:30 フジ
逆転クイズジャックスター千一夜
日テレ
ヨッちゃん・ぼんちのアイドル大集合!
フジ
逆転クイズジャックスター千一夜
フジ 日テレ
すばらしい世界旅行
20:00 フジ
うちの嫁さんあっちむいてプイ!
フジ
火曜ワイドスペシャル
日テレ
俺はおまわり君
フジ
愛のホットライン
フジ★
銭形平次
フジ
オレたちひょうきん族
日テレ
日曜お笑い劇場
21:00 フジ
欽ドン!良い子悪い子普通の子
日テレ
水曜ロードショー
フジ
江戸の用心棒
日テレ
金曜劇場
フジ
ゴールデン洋画劇場
日テレ
桃太郎侍
21:30 日テレ★
お笑いマンガ道場
22:00 フジ
夜のヒットスタジオ
日テレ
火曜劇場
フジ★
闇を斬れ
テレ朝★
プロポーズ大作戦
日テレ
知られざる世界
22:30 フジ★
花王名人劇場
  • クイズグランプリ』や『スター千一夜』を始め、1981年(昭和56年)9月まで放送されていたフジ系列の19時台後半の帯番組を全曜日ネットしていた[2]。このため、先述の期間まで月曜、火曜、水曜、金曜の19時台は「日テレ系列の30分番組+フジ系列の帯番組群」という組み合わせだった。『スター千一夜』が終了した1981年10月以降、フジ・日テレが編成するプロ野球及び特番枠の動向によって、KTNのゴールデン・プライムタイム編成は1990年9月まで、度々ネット改編が行われた。
  • フジ系の水曜19時後半枠を1974年4月から1981年9月まで『クイズグランプリ』→『漫才グランプリ』→『逆転クイズジャック』と『スター千一夜』、1981年10月から1988年3月までアニメ(『うる星やつら』 → 『めぞん一刻』 → 『F』)をそれぞれ30分前倒しして放送していた(当時の水曜19時30分からは日テレ系(東芝ファミリーホール特ダネ登場!?等)を同時ネットしていたため)。この編成内容は他にKTSが同様に放送していた。[3]
  • 1984年(昭和59年)春の改編までに、NBCがゴールデン番組をTBS系列(JNN)にほぼ一本化し、同局で放送されてきたいくつかの日テレ系列の番組(金曜日・土曜日のゴールデンタイムで同時ネットしていた番組(『カックラキン大放送』・『太陽にほえろ』・『土曜グランド劇場』等)が移行。NNNを脱退する1990年9月までは、帯番組を含めたネット比率もフジテレビ系列(FNN/FNS)よりも日テレ系列の方が上回る状況だった。
  • 1990年(平成2年)9月のNNN脱退直前のゴールデンタイムの編成は下記の通り。日テレ・フジ両系列とも、日替わりでバランスのいい編成を保っていた(土・日を除き、クロスネット時代中期以降のKTSも同様の編成)。
  • ★ → 時差ネット
月曜日 火曜日 水曜日 木曜日 金曜日 土曜日 日曜日
18:00 フジ
FNNスーパータイム
フジ
FNNスーパータイム
フジ★
世界名作劇場
私のあしながおじさん
18:30 フジ
平成天才バカボン
フジ
サザエさん
19:00 フジ★[4]
ひみつのアッコちゃん(第2作)
フジ
サザエさん (再放送版)
日テレ
追跡
フジ
今夜は好奇心!
日テレ
追跡
フジ
所さんのただものではない!
日テレ
丹波・山瀬のパニックTV
19:30 フジ★[4]
クイズ!早くイッてよ
フジ
火曜ワイドスペシャル
日テレ
どちら様も!!笑ってヨロシク
日テレ
面白スタジアム
フジ
ドラゴンクエスト
日テレ
すばらしい世界旅行
20:00 日テレ
世界まる見え!テレビ特捜部
日テレ
クイズ世界はSHOW by ショーバイ!! 
フジ
世にも奇妙な物語
日テレ
刑事貴族
フジ
ザ・ウォッチング!!
日テレ
天才!たけしの元気が出るテレビ
21:00 フジ
(フジテレビ制作月9ドラマ)
キモチいい恋したい!
フジ
なるほど!ザ・ワールド
日テレ
水曜グランドロマン
フジ
ウッチャンナンチャンの誰かがやらねば!
日テレ
金曜ロードショー
フジ
ゴールデン洋画劇場
日テレ
知ってるつもり?!
22:00 フジ
関西テレビ制作月10ドラマ
フジ
三枝の愛ラブ!爆笑クリニック
フジ
(木曜劇場)
パパ!かっこつかないゼ
日テレ
オシャレ30・30
22:30 フジ★
花王ファミリースペシャル
23:00 日テレ
NNNきょうの出来事
日テレ
TVムック・謎学の旅
フジ★
たけしのここだけの話
23:30 日テレ
NNNきょうの出来事
24:00 フジ
プロ野球ニュース (23:55~)
フジ
プロ野球ニュース
24:30
  • 欽ドン!良い子悪い子普通の子』→『月9ドラマ』や『なるほど!ザ・ワールド』、『とんねるずのみなさんのおかげです』→『ウッチャンナンチャンの誰かがやらねば!』など、フジ系列月曜・火曜・木曜21時台の番組は、クロスネット時代から同時ネットされている。
  • その一方で、NNN系列脱退後(1990年10月から1991年3月までの半年間)の長崎県での日テレ系列空白期間も、ドラマ『刑事貴族』、『元気が出るテレビ!!』、『オシャレ30・30』など一部の番組を土曜・日曜の昼間に異時ネットしていた。
  • クロスネット時、日本テレビ系列のナイター中継は週4日(月曜開催時を含む水・金・日)と、当時九州地区の日テレ・フジクロスネット局(KTN・TOS・UMK・KTS)の中では、KTS(週5日)の次に多く、KTS同様に20時台はかなり日テレ色の濃さを強調していた局でもある(但し、月曜日は21時以降がフジ系列同時ネット枠のため、20時54分で飛び降り終了。また日曜日も20時54分で飛び降り終了していた)。
  • 月曜のナイター中継飛び降り終了時も、放送が遅れる『NNNきょうの出来事』は同時ネットしなければならないため、番組開始までの時間を『巨人戦ハイライト』で穴埋めしていた。
  • フジテレビ系列のナイター中継を行う火曜・木曜・土曜も、23時(土曜は23時30分)が『NNNきょうの出来事』同時ネット枠のため、20時54分で飛び降り終了。この際、21時以降のフジテレビ系同時ネット番組はキー局よりも先行放送を行っていた。
  • このため、ナイター中継飛び降り終了時のみ、20時54分のニュースは通常の『NNNニューススポット』(月)・『FNNニュース』(火・木・土)から、自社制作版のモノに差し替えて放送されていた(この自社制作版差し替え編成はクロスネット時代のKTSも同様)。
  • 日テレ系列『火曜サスペンス劇場』(NNN系で火曜日21:00~22:54放送)は、放送開始当時は火曜日と日曜日にそれぞれ前・後編を2週に分けて放送していた。例を挙げると第1週放送分は火曜日に22:00から1時間で前・後編を、第2週放送分は日曜日に14:00位から1時間で前・後編をそれぞれ放送していた(当時火曜日21時台はフジ系列の『なるほど!ザ・ワールド』を同時ネットで放送していたため)。1983年(昭和58年)4月から1991年(平成3年)3月までは土曜日の昼の2時間枠に移行し、『土曜サスペンス劇場』として時差ネットで放送された。なお、1991年4月に長崎国際テレビ(NIB)が開局してからは、最終回までNIBで同時ネットで放送された。
  • KTNがANNには加盟しなかったため、1970年・80年代前半までテレ朝系列水曜日の21時台の『欽ちゃんのどこまでやるの!?』や22時台の『特捜最前線』や、木曜日19時台の『クイズタイムショック』はTOS・UMK・KTSではそれぞれ同時ネットされていたが、KTNにおいては全く放送されず、長崎県での放送はいずれの番組ともNBCが異時ネット(『タイムショック』は1984年9月まで同時ネット、それ以降は最終回まで異時ネット)で放送していた。[5]
  • 1989年(昭和64年)1月7日昭和天皇崩御関連の放送は、昭和最後の日をフジ系列で全日ネットし、翌1月8日の平成最初の日は日テレ系列で全日ネットを行った。これは、当時の夜間のクロスネット編成の都合もあった。[6]

チャンネル

リモコンキーIDは「8」

  • 長崎 20ch 1kw
  • 佐世保 34ch 1kw
  • 諫早 20ch 10w
  • 南串山 20ch 3w
  • 島原 20ch 3w
  • 南有馬 20ch 3w
  • 福江 34ch 10w
  • 平戸 20ch 3w
  • 松浦 35ch 3w ※2012年10月2日から12月18日の間に34chから変更された。
  • 有川 29ch 1w
  • 大瀬戸 20ch 3w
  • 東長崎 47ch 1w
  • 飯盛 47ch 0.3w
  • 矢上 47ch 0.3w
  • 厳原 20ch 30w
  • 郷ノ浦 20ch 30w
  • 長与 20ch 1w
  • 畝刈 33ch 0.3w
  • 吉井 26ch 0.3w
  • 佐々 34ch 0.1w
  • 雲仙 47ch 0.05w
  • 相浦 34ch 0.3w
  • 世知原 34ch 0.3w
  • 江迎鹿町 26ch 0.3w
  • 長崎滑石 20ch 0.3w
  • 波佐見 41ch 0.3w
  • 松浦南 26ch 0.3w
  • 平戸中 48ch 1w
  • 平戸南 39ch 0.3w
  • 野母崎 32ch 0.1w
  • 奈摩 29ch 0.3w
  • 松浦福島 38ch 0.3w
  • 宇久 35ch 0.3w ※2013年1月25日から2月28日の間に24chから変更された。
  • 三井楽 23ch 0.3w
  • 早岐 34ch 0.3w
  • 長崎北 20ch 0.5w
  • 長崎西山 20ch 0.3w
  • 佐世保日野 34ch 0.1w
  • 佐世保大野 32ch 1w
  • 佐世保赤崎 34ch 1w
  • 為石 45ch 0.05w
  • 長崎南 20ch 0.3w
  • 戸町 20ch 0.3w
  • 蚊焼 28ch 0.3w
  • 阿翁 27ch 0.01w
  • 西彼大島 33ch 0.01w
  • 野母高浜 47ch 0.01w
  • 長崎平山 34ch 0.05w
  • 富江 36ch 0.3w
  • 島原北 20ch 0.3w
  • 松浦鷹島 38ch 0.3w
  • 北有馬東 37ch 0.1w
  • 北有馬南 37ch 0.1w
  • 崎戸東 29ch 0.01w
  • 崎戸西 29ch 0.01w
  • 大島徳万 29ch 0.01w
  • 奈良尾 36ch 0.1w
  • 佐世保日宇 33ch 0.3w
  • 南鹿町 25ch 0.01w
  • 有川北 20ch 0.05w
  • 御館山 29ch 0.05w
  • 長崎茂木 26ch 0.01w
  • 松浦東 47ch 0.3w
  • 小値賀 35ch 0.3w ※2013年1月25日から2月28日の間に24chから変更された。
  • 小佐々楠泊 20ch 0.01w
  • 鬼木中尾 20ch 0.05w
  • 崎山 32ch 0.1w
  • 佐世保柚木 26ch 0.1w

オープニング・クロージング

1988年(昭和63年)3月以前(OPは古くとも1981年(昭和56年)頃は使用していた)
  • CI導入前の1980年代前半制作のクロージングは、ブルーバックに火の元、戸締りをお確め下さいの文字と三日月を顔になぞらえたイラストが右下に向かって小さくフェードアウトし、その間、モザイクの特殊効果が掛かる。そして、一枚画像に手書きでおやすみなさいの文字と局名・コールサインが表示されて番組終了となっていた。音声多重開始後は「JOWH-TAM」の表示も追加された。また、CI導入前のオープニングは眼鏡橋の静止画に→JOWH-TV(音声多重放送開始後は「JOWH-TAM」も表示)に周波数・出力表示→中継局表示 だった。音楽は初代OPの使い回し(ステレオ化している)アナウンスも初代OPからの使い回しだった。
1988年(昭和63年)3月のCIロゴマーク変更~2011年(平成23年)7月24日のアナログ放送
  • オープニングは、高台から長崎市内をバックに様々な県内各所の建物・行事などを写した映像が反転しながら周り、最後の長崎バイパスらしきICの空撮からその反転が納まり、それから県内の風景や長崎くんちの様子が時折映され、最後には3つフラッシュバックされ、その最後の夕日、若しくは朝日からロゴが丁寧に形成され、その後ロゴが左上に縮み、タイプ打ちのようにじゅん書体で「おはようございます」の文字が現れるもの。
    • オープニングの反転の中の一部の映像とBGMは、地上デジタル開始時に差し替えられた。
  • クロージングは、夜の長崎市内の空撮が映され、それからオープニングとは短くロゴが形成され右下に縮み、オープニング同様じゅん書体で「おやすみなさい」の文字が青く飛び出すように現れるもの。
地上デジタル放送のオープニング・クロージング
アナログ放送終了日の最終クロージング
  • テレビ長崎のアナログ放送では、放送が終了する2011年(平成23年)7月24日の停波前、開局時に使用されていた[7]というオープニング映像が放送された。映像は白黒で、様々な折り鶴(通常のものの他、複数の折り鶴が一続きになって折られたものもあった)を光と組み合わせてアーティスティックに撮影したものだった。映像の最後に「JOWH-TV KTN テレビ長崎」のテロップ(旧ロゴ)が表示されると共に、同内容の女声アナウンスが流れた。BGMはフルートをメインとしたボサノヴァ調の音楽だった。

放送開始時間

  • 2012年(平成24年)4月現在、平日(月曜から金曜)は午前4時50分、土曜と日曜は午前5時00分である。
    • ただし、日曜のみ月1回自社制作番組の「KTNリポート」が放送される為、午前4時45分開始の日がある。
    • FNSの日」の放送やサッカー中継(主にUEFAチャンピオンズリーグ)などで終夜放送を行う日もある。

主な番組

自社制作番組

フジテレビ系列番組(全国ネット分除く)

テレビ東京系列番組

(司会者だった)島田紳助が芸能界を引退してしばらくは通常放送枠・再放送枠共にKTNでの放送を休止していたが、通常放送枠は2011年10月15日より再開。2012年に入り、日曜日の再放送枠も再開している。

その他

終了した番組

過去にネットしていた番組

日本テレビ系

☆=クロスネット[8]から外れた後も半年間放送(1991年3月までのNIB開局直前まで)

テレビ東京系

テレビ朝日系

その他

特徴

会社全般

  • 国道34号線と国道202号線を結ぶ道路の沿線に社屋がある。かつて後藤象二郎の邸宅があった場所に建てられており、邸宅跡を示す石碑が建っている。
  • 開局当時は社屋が2階建てで、スタジオがなかった。後に3階以上の部分が増築され、2つのスタジオが設置された。
  • 開局当時のロゴマークは大文字で、一般公募で寄せられた優秀作に当時の美術担当者が手を加えたものであった。佐世保中継局の看板はロゴマーク変更後も旧ロゴのままであったが、現在は現行のロゴマークになっている。
  • 西日本新聞グループ (TKUTNC) とはもとより、クロスネット時代の名残から読売新聞グループ (FBS) とも依然として親密である。(総務省・電波利用ホームページ/地上系放送事業者より。平成21年9月1日現在)。
    • 読売新聞長崎県版(西部本社発行)のテレビ欄では、民放の2番目(NIBの次)に配列されている。なお、長崎と同じ理由で読売新聞鹿児島県版のKTSKYTの次に配列している。
  • 1991年6月3日雲仙普賢岳大火砕流災害があり、その災害を取材したカメラマンら3人の社員が殉職する惨事があった。テレビ長崎ではこの普賢岳火砕流被災の経験を風化させず、後世に伝えるという目的で、それ以後毎年6月3日にこの普賢岳に新入社員(契約アナを含む)を招いての研修会を行っている。[10]
  • 関連会社に「KTNソサエティ」があり、ヨジマル!班の女性アナウンサーを中心とした契約アナウンサーの派遣業務や放送業務(番組制作、自治体や企業広報ビデオ制作他)、ビルメンテナンス、一般企業への社員派遣などの業務を行う。

主要株主

番組編成

  • KTNスーパーニュース』では、長年に渡り、在日朝鮮人・中国人に向けた放送と位置付け、火曜日に韓国語、水曜日に中国語の同時通訳が放送されている。
  • 長崎県の民放全局で放送していたアサヒ緑健のインフォマーシャル番組『二重マル健康テレビ』は、その中でKTNが特に放送本数が多かった。
  • 2002年にフジテレビなどで放送されていたクイズ番組『ウィーケストリンク☆一人勝ちの法則』(月曜日19:00-19:54)の同時ネットを、2回程生放送のテレショップに差替えた。その後、『ウィーケストリンク』は別時間帯(日曜日12:00-12:55)へ移動され、最終回まで遅れネットになった。
  • ネプリーグ』の放送については、正規の放送時間の月曜日19:00-20:00がローカル編成となっていたため約5ヶ月遅れてネットしており、全く放送されないこともしばしばあったが、2009年4月から同時ネットに移行。ローカル編成の時間帯が金曜日の19:00-19:54に移行した。ただし、現在のローカル編成枠は内容によっては以前の月曜日の『ネプリーグ』枠にも放送されている場合があり、不定期である。
  • 2010年10月から半年間放送されていた『ヤマサキパン』は九州のFNN系列では唯一同時ネットしていた。番組自体は『ショーパン』以降、FNN系列でも東日本の一部の地域では同時ネットで放送されていたが(岩手めんこいテレビ〔mit〕、仙台放送〔OX〕など)、西日本のFNN系列では『ミオパン』までは一切放送された事はなかった。『ヤマサキパン』にて岡山放送(水曜日・木曜日のみ)とともに初めて同時ネットで放送している。ちなみに長野放送も今回の『ヤマサキパン』から初めて同時ネットしていた。
  • また、長崎特有のお盆に精霊船が練り歩く精霊流しの特別番組を組む場合がある(ただし、録画放送で深夜帯に放送)。
『めざましテレビ』の放送時間について
  • めざましテレビ』の放送開始時間が2012年3月30日まで5:55からの飛び乗り放送であった。ちなみに、5:25 - 5:55はテレビショッピングを放送していた。しかし、2012年4月2日からフルネットに移行した[11]。飛び乗り編成当時、KTNでの放送開始前の時間帯に、台風接近時の長崎からの中継が行われ、当のKTNでは放映されていない(裏送り)という状況が発生したこともあった。ただし、緊急でフルネットをしたこともある[12]。なお、第1部の5:25 - 5:55は2013年9月までローカルセールス枠(任意ネット枠)となっていた。
  • 長崎くんち放送時は臨時で飛び降りを行う。

アナウンサー・リポーター

テレビ長崎においては専門的な「アナウンス部」という形とはせず、報道部在籍者はニュース班、制作部在籍者はヨジマル![13]と称されている。なお前者はアナウンスと記者・ニュースデスク活動を兼業。後者には契約アナウンサー(系列子会社「KTNソサエティ」からの派遣出向)も含まれる(制作班スタッフもまれにニュースの担当をする場合がある)。

ニュース班(報道部)

男性

  • 磯部翔 - 2009年10月~2011年3月までは制作部に所属していたが、2011年4月からニュース班に再異動。
  • 平仙浩教 - 2014年入社

女性

  • 槌田禎子 - 当初はアナウンス部→後に事業部→佐世保支局報道記者→現報道部長(アナウンサーブログには掲載なし)
  • 川波美幸
  • 本田舞 - 2010年入社。2011年10月~2012年9月までは制作部に所属していたが、2012年10月からニュース班に再異動。
  • 琴丘美紅 - 2012年入社、当初は報道記者、2013年よりアナウンスを兼務
  • 大村咲子 - 2009年入社(契約社員)。2007年度ミス日本準グランプリ。それ以前からもローカルタレントとして活動していた。2014年3月までは制作部に所属していたが、同4月にニュース班に異動。

ヨジマル!班(制作部)

男性

  • 松本祐明 - 1991年入社。
  • 吉井誠 - 2001年入社(入社時から1年間と、2008年10月~2011年3月、2011年10月~2013年3月までニュース班、2002年4月~2008年9月、2011年4月~9月まで制作部所属)。

女性

  • 長岡千夏(旧姓・森) - 1997年入社。2011年4月-2012年9月までニュース班にいたが、2012年10月よりディレクターとして制作部に復帰
  • 小田久美子 - 2011年入社(契約社員)。2010年度ロマン長崎(長崎観光親善大使
  • 中村愛 - 2012年入社(契約社員)
  • 榎由里絵 - 2014年入社(契約社員)

専属タレント

  • 河内隆太郎 - 長崎県内を中心に活動しているチンドン屋かわち家の代表。菊乃家〆丸の弟子。KTN社員では無いが、長年『Gopan』に出演していることから、テレビ長崎のアナウンサー扱いで登場しており、一時期制作部のプロフィルページにも掲載されていた。

マスコットキャラクター

在籍したアナウンサー

退社したアナウンサーも含む。

男性

女性

イベント主催・後援、その他

イベント
以前は同じ場所で毎年5月中旬に「KTNの日」が行われていた。
その他

脚注

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  1. なおトリプルクロスネット時代にNNSに加盟していたテレビ熊本よりも非加盟だったKTNの方が同時ネットしていた日本テレビ系番組が多かった。
  2. 但し、毎週水曜日のみ『クイズグランプリ』・『スター千一夜』ともに、30分前倒しネット。九州地区のクロスネット局では、鹿児島テレビ(KTS)も同様の編成を組んでいた。
  3. ちなみに当時のTOSは上記のアニメ番組は時差ネット(当時はテレ朝系列の『水曜スペシャル』を同時ネット)TKU、UMKはフジテレビ系列で同時ネット。
  4. 4.0 4.1 プロ野球シーズン中、月曜19時台のフジ系時差ネット枠はナイター中継時のみ、日テレ系同時ネット枠に差し替えられていた。
  5. ちなみにKTSは1982年9月まで、翌10月からは新規に開局した鹿児島放送(KKB)に移行。また熊本県の「欽どこ」は熊本放送(RKK)が異時ネット。『タイムショック』はTKUが一時期、同時ネットだったがフジテレビの番組を同時ネットに移行したため末期は異時ネットしていた。またUMKも一時期異時ネットしていたが、初期と末期は同時ネットしていた。
  6. 土曜日は主としてフジ系列、日曜日は主として日テレ系列編成だった。
  7. 1981年の音声多重放送開始まで使用され、本フィルムはカラーだった。
  8. 正式にはニュース系列のみ。
  9. なお、KTNでの初回となった1981年10月5日放送分では、当日この番組に出演する予定だった河合奈保子が、オンエアの数時間前に第一腰椎圧迫骨折の重傷を負った(当日の番組内で、当該事故の第一報が伝えられた)影響で出演をキャンセルするというハプニングが発生した
  10. マイナビ2013(槌田禎子報道部長のインタビューあり)
  11. 同日は三宅正治(フジテレビアナウンサー)らの番組初登板日であった。
  12. 2011年3月14日からしばらくの間は東北地方太平洋沖地震東日本大震災)の報道特別番組扱いで『めざましテレビ』を臨時で5:25開始としていた。
  13. 夕方の情報番組の題名にちなむ。2013年度までは「Gopan班」

外部リンク

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