クイズグランプリ

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テンプレート:基礎情報 テレビ番組クイズグランプリ』(タイトルの英語に音訳:Quiz Grand Prix)は1970年から1980年にかけてフジテレビ系列で放送された帯のクイズ番組。放送は日曜日(後期は土曜日も)を除き毎日15分放送されていた。毎週最終日→5回置きにチャンピオン大会となっていた。『アップダウンクイズ』(毎日放送)、『クイズタイムショック』(テレビ朝日)、『ベルトクイズQ&Q』(TBS)と共に、1970年代を代表する視聴者参加型クイズ番組のひとつ。

放送概要

基本ルール

番組自体はアメリカのテレビ番組「ジェパディ!」を下地にしている。

毎日、5人から6人程度の解答者が出演してジャンル別(「スポーツ」「芸能・音楽」「文学・歴史」「社会」「科学」、そして「スペシャル」問題(=上記5項目以外から日替わり。ただし、1979年頃からは、ノンセクションになる))の6つの項目を選び、10点から50点のカードの中から点数の低い順番に問題を選んでもらう(10点につき1000円の賞金が獲得できる)。原則として、点数が低めの問題では一般常識に近いレベルの問題が出題されやすいが、点数が高めの問題では深い知識が問われる問題が出題されやすかった。最初の問題だけは司会者が無作為(通常はスペシャル問題の10)で選び、第2問からは原則として正解した解答者が問題を選べる。問題は全て早押し形式で、正解すればその表示得点が加算されていく。不正解ならばその点数が減点。また、チャンスカードが2枚隠されており、これはそれを引いた解答者だけに解答権がある。解答者は得点の範囲で点数を賭けることが出来る。ただし、得点が50点以下の場合50点まで賭けられる。正解すれば賭け点が得点として加算、誤答した場合は賭け点分減点。全てのカード問題が消化した時点でクイズは終了。最高得点者一人がチャンピオンとなり、チャンピオン大会への出場権が与えられる。

</table> </center> なおチャンピオン大会等では、(スペシャル問題)が(ノンセクション)というジャンルに変わる。又点数も20点単位となり、20~100点となった。チャンスカードはなし。チャンピオン大会に出場した回答者席には全員にチャンピオントロフィーが左側に添えられている。

ジャンルボード
スポーツ芸能・音楽文学・歴史 社 会 科 学 テンプレート:Smaller
101010101010
202020202020
303030303030
404040404040
505050505050</font></big>

</table> </center> 当初は月曜から金曜まで予選とし、各曜日のチャンピオンが土曜日のチャンピオン大会に出場、そこでチャンピオンとなった人がヨーロッパ旅行を獲得した。ただし野球などで休んだ場合は一日分ずれこむ形をとった。(例:土曜日休みの場合、翌週月曜にチャンピオン大会を実施。)

土曜放送が廃止された1974年10月からは、月曜から木曜のチャンピオンと、2位の最高得点者が金曜日のチャンピオン大会に出場する様になった。

その後ルールを元に戻してから、後に同じ解答者が3日間連続でトップ賞になった場合にヨーロッパ旅行獲得のチャンスが与えられるというルールに改定された。これはプロ野球中継が午後7時台から開始となったために、シーズン中は放送が飛び飛び[1]となったためといわれている。

このチャンスは2問あり、1問目は判じ絵を見て答えるクイズ(不正解はここで失格。2問目に進めない)。2問目は1問多答の問題に対し、制限時間内に5問答える。全部正解すればヨーロッパ旅行獲得。なおこの時期だけ、第2問目はアニメテロップがあった。正解するたびにキャラが5段のタラップを1段ずつ上がり、全部正解するとキャラが乗った飛行機が飛んで、飛行機の煙が「おめでとう!ヨーロッパ旅行獲得」の文字に変わる構成であった。逆にタイムアップだと、キャラがタラップから落っこちて、飛行機が飛んでしまうという構成だった。

スペシャル大会

1・2回だけ、賞金100万円を賭けたスペシャル大会が行われた事があった。出場者はペア8組。

ジャンルは普段と同じ(「スペシャル」は「ノンセクション」)だが、点数は無し。解答者は上から1枚ずつ指定し、出された問題に答える。1問正解で1000円獲得。以後正解のたびに賞金が倍々になり(1000円→2000円→4000円…)、計11問正解で100万円(厳密には102万4000円だが、当時の公正取引委員会の規定上100万円まで、ただし所得税分は差し引き)獲得。但し間違えると賞金は没収。そして2問不正解で失格&退場となる。

以降のルール変更

番組末期には、ペア4組による対戦となった。

ジャンルボード
スポーツ芸能・音楽文学・歴史 社 会 科 学 テンプレート:Smaller
202020202020
404040404040
606060606060
808080808080
100100100100100100</font></big>

</table> ルール変更の際、右端のジャンルはノンセクションに固定され、チャンスカードは廃止された模様。
(JP)はジャックポットチャンスのカード。 </center> 最初に解答者の紹介を兼ね、10点の問題を各組に1問ずつ出題する。出題が一巡すると、問題が2問余るので、余った問題は後述する「ヨーロッパクイズ」とされた。その後は、30点の最初の問題を司会者の小泉が選び、その後は原則として正解した解答者が問題を選べる。30点の問題が6問全て終わると、同様に50点の問題を6問出題する。50点の問題が全て終わると、後述するジャックポットチャンスを行い、その後クイズに戻り、100点の問題を出題する。100点の問題は、得点のキャリーオーバー制が採られ、正解が出なかった問題については、得点が次の問題に加算される。全ての問題が終了した時点で、合計得点の上位2組が勝ち抜きとなり、3日連続で勝ち抜くと、ヨーロッパ旅行を賭けたヨーロッパクイズに挑戦する。

ジャックポットチャンス

時期によってルールが異なる。

前期
50点の最後の問題に正解した組が、ジャックポットチャンスに挑戦する。それぞれのパネルには50点が4枚、100点が2枚隠されており、挑戦する組が直前に正解した問題のすぐ下のパネルをまず開き、挑戦する組は、隣のパネルから順に、そのパネルが50点か100点かを言い当てる。全て的中すれば合計400点を獲得。途中で失敗しても、それまでに開けたパネルの得点の合計が獲得できた。
後期
後期は他の問題と同じ方式のクイズとなり、得点がシークレットとなっているのが異なるだけであった。それぞれのパネルには10点、30点、50点、70点が各1枚ずつ、100点が2枚隠されており、正解すればその得点が加算、不正解ならば減点された。

ヨーロッパクイズ

3日連続で勝ち抜いた組は、ヨーロッパクイズに挑戦することができる。問題は2人がそれぞれ解答する書き問題で、出題の前に衝立が設けられた。挑戦する組は、残っていた10点の問題からいずれか1つを選び、2人がそれぞれフリップに答えを書く。2人とも正解ならばペアでヨーロッパ旅行を獲得、どちらか1人だけ正解の場合は、正解した人だけが旅行を獲得できた。

なおヨーロッパ旅行は、獲得者本人が仕事や病気、身内の不幸等で参加不可能な場合は、代理参加(配偶者及び兄弟姉妹、父母に限定。費用の割り増しあり)が可能だった。また旅行は東急観光(現:トップツアー)が担当していた。

その他の副賞

出場者には全員に賞金のほか、提供スポンサー各社からの商品が「参加賞」として贈呈された他、チャンピオン大会に進出した優勝者以外の人にはヨーロッパ名勝地の絵画が贈呈されていた。

関連グッズ

  • 「クイズグランプリゲーム」
    タカラ(現:タカラトミー)発売のボードゲーム「スクールパンチ」の新シリーズで、人気テレビ番組をゲーム化した「TVシリーズ」の一つ。
    ジャンルは通常と同じだが、「スペシャル」は「ノンセクション」となるも、「チャンス」は挿入されている。描かれている解答者は4名(番組では5名)で、「山本浩一」「西条ひろみ」などと著名人をもじっている。

備考

  • クイズの問題は板に印刷されていた(それゆえ問題を読み上げ始めた直後に早押しボタンが押されることが多かった)。問題替えは人力で行った(アルバイト学生などが動かしたという)。
  • 問題のパネルが出る前に、小泉は決まって「大いに好ゲームを期待いたしましょう!!」と述べていた。
  • 問題の読み上げは問題文がパネルに全て書かれているため、たとえ途中で早押しボタンが押されても最後まで読み上げられるのも大きな特徴のひとつであった。ただし放送時間の関係上、問題読み上げ後のシンキングタイムは2秒程度と非常に短い。また、正解者の出なかった場合は出題ナレーションが正解をアナウンスした。
  • アシスタントは、女子大学生によって行なわれた[2]
  • 子供大会や高校生大会もあった。(高校生大会では、高校生なら知るべき一般常識が多く出題された。解答者は一流進学校の生徒が多かったことは後年の同種の番組と大差はなかったが、真面目に解答し、優勝しても大喜びなどしなかった。また1979年5月放送の高校生大会では、後にテレビクイズ14冠王となった道蔦岳史が初めて優勝した)
  • 出場者には参加賞として提供スポンサー各社からの賞品が贈呈された。
  • 番組で出された、クイズ問題やエピソードが書かれた本が、1974年から1979年にかけてサンケイ出版によって出版化もされた(全5集)。
  • この番組が放送された1970年代は、放送用VTRが2インチ規格で機器・テープとも高価な上に操作・編集も煩雑だったことや、著作権法上、番組の資料保存が安易に行えなかったこと、加えて1回当たりの放送時間も約15分と短かったことから、放送の都度、映像は原則として上書き消去され、現存している映像は数えられるほどといわれる(ただし、1979年5月の高校生大会決勝は横浜市放送ライブラリーで再視聴可能)。
  • 往年の人気クイズ番組だったこともあり、『とんねるずのみなさんのおかげでした』などのバラエティ番組パロディ化された。『とんねるず…』では回答席が同時期に放送された『ダイビングクイズ』(毎日放送制作)の滑り台となっており、解答者がお手付きをするごとに滑り台が傾き(しかも高得点の問題ではより速く傾いた)、滑り落ちた時点で失格という企画が行われた。テンプレート:Main
  • 1989年12月31日19:00-22:44に放送された年末特番『タケちゃんの笑って逃げ切る大晦日』(出演:ビートたけし他)の中で番組の1コーナーとしてクイズグランプリの復刻版が行われている。そのときのコーナー司会は島田紳助逸見政孝だった。
  • 2006年5月28日(日曜日)22:00-22:55にBSフジTV☆Lab」枠で、クイズグランプリの復活版『クイズグランプリ2006』[3]が放送された。司会は石原良純高島彩フジテレビアナウンサー(当時)で、フジテレビ若手アナウンサー陣による大会だった。

脚注

  1. プロ野球中継編成時の雨傘番組は、当番組と『スター千一夜』、そして20時台の番組は編成されず、映画番組を編成していた。なお開始時刻が19:00に変更された1976年頃からは、19:00番組(主にアニメ)は通常通り編成された。この体制は、19:30台帯番組が廃止される1981年まで続いた。
  2. 1977年朝日新聞番組欄
  3. クイズ - TV☆Lab

関連項目

テンプレート:前後番組

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スポーツ芸能・音楽文学・歴史 社 会 科 学 テンプレート:Smaller
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