新幹線
新幹線(しんかんせん)は、JRグループの東日本旅客鉄道(JR東日本)、東海旅客鉄道(JR東海)、西日本旅客鉄道(JR西日本)、九州旅客鉄道(JR九州)が運営する[1]日本の高速鉄道である。
目次
定義
全国新幹線鉄道整備法では、新幹線鉄道を「その主たる区間を列車が200キロメートル毎時(以降km/hと記す)以上の高速度で走行できる幹線鉄道」(第2条)と定義している[2]。「その主たる区間」であるから、局所的に200km/h未満の速度でしか走行できない区間が存在しても新幹線鉄道である。
その他、ミニ新幹線と呼ばれている山形新幹線・秋田新幹線がある。これらも一般に新幹線と称されており、また、時刻表にもそのように記載されている。ただしこれらには踏切があり、最高速度も130km/h程度であることから、全国新幹線鉄道整備法の上では、新幹線鉄道ではなく、新幹線車両が走行できるよう軌間を改めた在来線として扱われる[3]。
列車の運行を妨げる行為に対しては、一般の鉄道でも鉄道営業法や刑法などに規定があるが[4]、それに加えて、新幹線鉄道における列車運行の安全を妨げる行為の処罰に関する特例法(新幹線特例法)などによって、より厳しい法的措置が定められている[4]。
建設
日本国有鉄道(国鉄)時代の1964年(昭和39年)10月1日に開業した東海道新幹線が初の路線である[5][6]。東海道新幹線のほか山陽新幹線と東北新幹線は国鉄が建設主体であった[7]が、上越新幹線は日本鉄道建設公団が建設を担当した[7]。国鉄分割民営化後の東北・上越新幹線東京延伸の際は、当時新幹線の地上設備を一括して所有していた[8]新幹線鉄道保有機構が、その建設主体であった[9]。さらにその後に建設された北陸新幹線や九州新幹線などのいわゆる整備新幹線については、日本鉄道建設公団及び新幹線鉄道保有機構の権利を継承した鉄道建設・運輸施設整備支援機構が建設主体となっている。一方で、整備新幹線には該当しない中央新幹線についてはJR東海が建設主体に指名された。
なお、全国新幹線鉄道整備法第4条には、新幹線建設計画は国土交通大臣[10]、すなわち国が決定するものと定められている[3]。
呼称
新幹線とは、元来、「新幹線鉄道」(従来の幹線鉄道に対する「新しい幹線鉄道」の意)という語の略称と考えられるが、この略称が普及・定着し、一般に固有名詞として用いられている。法律上、最初に「新幹線鉄道」の語が現れるのは、昭和39年6月22日法律第111号「東海道新幹線鉄道における列車運行の安全を妨げる行為の処罰に関する特例法」(現「新幹線鉄道における列車運行の安全を妨げる行為の処罰に関する特例法」)である。東海道新幹線は在来線である東海道本線の線増として建設されたために「東海道新幹線鉄道」とされた。
駅内の案内板等では、路線名としては Shinkansen を使用し、列車名を表す場合は、各駅停車も含め superexpress をつけて「NOZOMI superexpress」のように表示している。JRグループでは「特急」(特別急行)のことを limited express(リミテッド エクスプレス)と表現しており、それをさらに超える急行という意味の「超特急」(超特別急行)を英意訳したのがこの superexpress(スーパーエクスプレス)という語である。車内放送でも「Welcome to the Shinkansen. This is the Nozomi superexpress」などと放送されている。
日本以外の国々では主に、その伝統的な通称である bullet train(ブリット・トレイン、弾丸列車の意)、もしくはそのままの固有名詞で Shinkansen とも呼ばれている。
主要技術
新幹線鉄道は、その大部分の区間において200km/hを超える速度で運行するため、在来線鉄道とは異なったさまざまな技術が用いられている。速度のみならず、乗り心地や安全面でも世界的に見ても非常に高い水準が確保されている。
路線・軌道設備
- 路線は、在来線と別ルートで新規に建設した線路設備を用いる。設備の構造については省令の「新幹線鉄道構造規則」に規定されている。在来線を改良したミニ新幹線と区別するため、「フル規格」とも呼ばれる。
- 軌間は標準軌 (1,435mm) を用いる。ただし標準軌が「新幹線」の法的な条件というわけではなく[1]、軌間に狭軌 (1,067mm) を用いたものも新幹線であり[1]、それを新幹線鉄道規格新線(スーパー特急)と呼ぶ。九州新幹線長崎ルートの建設がこの方式で進められている。
- カーブにおける曲率半径を大きくし、できる限り直線を確保する。本線区間における最小曲率半径は東海道新幹線が2,500m[11][12]、山陽新幹線以降に建設された各線は4,000m[11][12]となっている。ただし、用地や地形の関係から急曲線とならざるを得ない区間では、その区間の列車速度により曲率半径400mまで許容されている。さらに推定脱線係数比が一定以上か、脱線防止ガードを設置することで200m以上の曲率半径をとることもできる。東海道新幹線の東京 - 新横浜間や東北新幹線の東京 - 大宮間のような都心部区間は、曲率半径が400mから2000m程度の急曲線が含まれている。
- 勾配は高速走行の妨げになることから最急勾配を15‰までとするが、延長2.5km以内に限り18‰・2.0km以内に限り20‰とする。用地や地形の関係から規定以上の勾配を必要とする区間では特別認可の形で設置されており、東北新幹線東京 - 大宮間では25‰、九州新幹線鹿児島ルートでは35‰の勾配が含まれている。
- 事故防止のため以下の設計を行う。
- 自動車との衝突事故を防ぐため、踏切を一切設けない。
- 線路内に一般の人が立ち入れないようにする。前項も含めた対策として全線立体交差とする。また、列車の運行妨害等に対しては法律面でも「新幹線特例法」によって在来線より厳しい罰則を定めている。
- 通過列車との接触など人身事故を防ぐため、プラットホームに可動ゲート付きの安全柵を設ける(例:新横浜駅や新神戸駅など)か、通過線と待避線を分ける(例:静岡駅、福島駅など)。ただし、大宮駅や軽井沢駅など通過列車の通過速度が低い駅には安全柵のみ設けられている。また、東海道新幹線・山陽新幹線の東京駅や名古屋駅、京都駅、新大阪駅、岡山駅、広島駅、小倉駅、博多駅など、全列車が停車する駅には当初柵などは設けられてはいなかったが、後に安全柵のみが設けられた。また、東海道新幹線では、静岡駅や浜松駅など、通過線と待避線が分かれていながら安全柵が設置されている駅もある。近年ではホームからの転落を防ぐことなどを目的として、東京駅や名古屋駅など全列車停車駅であってもゲート付きの安全柵を設置する動きもある。九州新幹線鹿児島ルートでは全列車が停車する熊本駅、鹿児島中央駅や通過列車が使用しない副本線のホームも含め、開業当初から全ての駅の全てのホームに可動ゲート付きの安全柵が設置されている。東北新幹線の新青森駅でも全てのホームに可動ゲート付き安全柵が設置されている
- 乗り心地や安全性の向上、騒音対策などから、レールや分岐器(ポイント)にもさまざまな工夫が施されている。
- 新幹線の駅間距離は、中距離・長距離輸送を主とすることから、原則として在来線より長く取られている(30 - 40km程度)。
信号システム
- 地上装置と車上装置からなる自動列車制御装置 (ATC) を備えている[13]。運転室内には運行指示(許容速度)が表示され[13]、必要であれば自動的にブレーキが作用する[13]。自動ブレーキが作動するのは営業最高速度やカーブなどの速度制限を超えようとした時、先行列車に接近した時、駅に停車するために減速する時などである。駅停車時は15-75km/h以下の低速時になると手動でブレーキ弁を操作して列車を停止目標に停止させるが、停止位置の少し先で停止するようなパターンが作成されるか(TASCではない)、または停止位置の先方50mが強制的に非常ブレーキが掛かる区間になっており、過走を防止している。これは地上の信号機を車上から目視確認して運転することは(気象状況によっては)困難となる[13]ほどの高速運転を行うためである。また故障を最小限とするため、同じ機能を持つシステムを3系統備えており、そのうち1系統が故障しても3者の多数決の原理で残った2系統で正常に作動し運転を続行できるようになっている[14]。
- 運転指令所の列車集中制御装置 (CTC) から、すべての列車の運行状況を一括管理している。現在では列車運行管理システム (PTC) も導入されており、通常のポイント操作や信号制御、駅自動放送から車両の管理整備、輸送障害時の復旧ダイヤの作成に至るまで、あらゆる業務がコンピュータによって高度にシステム化されている。
電源方式
- 単相交流25,000Vで電力を供給する。饋電(きでん)方式については、東海道新幹線開業当初はBT方式だったが、現在では他の新幹線と共にAT方式に統一された。電源周波数は以下の通り。
- 東海道新幹線では60Hzに統一して給電している。静岡県の富士川を境に50Hz(東側)と60Hz(西側)の電源周波数区分が異なるが、当初から山陽方面への延長を構想していたため全線で統一し、車両側の特高圧機器の簡素化を図っている。なお、電源周波数区分50Hzの地域では周波数変換所が設けられ、新幹線電源用に60Hzに変換している。
- 北陸新幹線(長野新幹線)は軽井沢駅 - 佐久平駅間に50/60Hzの切り替えセクションが存在し、車両側も50/60Hzの双方に対応している。
- 上記以外の山陽(東海道新幹線を延長した形で建設された)・東北・上越・九州(鹿児島ルート)の各新幹線はそれぞれの沿線地域と同じ電源周波数で、山陽・九州は60Hz、東北・上越は50Hz。
- いずれの電気方式においても、変電所間での位相(北陸新幹線においては周波数)の相違を解決する必要があるが、高速を維持するため連続力行運転を行うことから、変電所の饋電区間の境界は、在来線のようにデッドセクション(アーク発生防止のため惰行で通過する)ではなく、地上切替方式を採用している。切替区間はエアーセクションで区分され、その前後の変電所の双方から饋電でき、最初は進入側の変電所から饋電し、列車が切替区間に入ったことを検知すると進出側の変電所からの饋電に切り替える。この間はおよそ0.5秒程度であり、乗客が切替を感知することはほとんどない。
- 送電側の系統障害を避ける必要から[※ 1]、スコット結線変圧器や変形ウッドブリッジ結線変圧器、ルーフ・デルタ結線変圧器を用いて3相交流から90度位相の異なる2組の単相交流が作られ、それぞれ上り線と下り線に給電されている[15][16]。
車両技術
新幹線では、動力を編成各車両に分散させる「動力分散方式」が採用されている。動力分散方式を採用することにより、電車方式と同様の、加減速性能の向上・軽量化・軌道への負荷軽減といった利点が追求されている。 また、高速走行を行うため、列車編成内における電動車(動力車)の比率(MT比)が極力大きくされている。ブレーキは主電動機の発電抵抗を利用する電気ブレーキと、空気圧動作の摩擦による基礎ブレーキを併用するが、高速域からの減速には主に電気ブレーキが使用される。こうすることによって制輪子の磨耗を抑え、交換周期を延ばすことができる。
また、車両には気密構造が採用されている。高速運転時にトンネルに進入するなどの気圧変動による居住性の低下を防ぐためである。また、0系や100系など国鉄時代の東海道・山陽新幹線車両では車体の素材に普通鋼が使われていたためやや重かったが、東北・上越新幹線用の200系からは耐雪装備による重量増加を抑えるためアルミニウムが用いられて軽量化が図られた。国鉄民営化後に開発された新幹線車両はアルミニウム車体が一般化、さらにアルミ材の加工手法の発達により、製作費のコストダウンとさらなる軽量化の両立が図られた。この結果、国鉄時代に開発された初期新幹線車両より著しく軽量化されている。
一方で、JR発足以降積極的に行われた高速化に伴い、走行中のパンタグラフと架線の接触や風切り音による騒音の発生や、接触部の著しい消耗などが問題とされた。このため、0系では2両おきに付いていたパンタグラフが300系では8両毎に1つに減ったほか、500系では翼型と呼ばれるT字型の特殊な集電装置が設置されるなど改良され、騒音を抑えながら集電効率を向上させた。また、パンタグラフに流線型の突起物を取り付けるなどの改良も加えられた。その他、高速でのトンネルの突入時のトンネル内部の急激な気圧変化による騒音(トンネル微気圧波)の発生を抑えるための、走行時の空気の流動性やトンネル進入時の面積変化率を考えた先端車両の開発などが行われているため、初期の0系に比べ先頭車先端部が長く伸ばされるとともに、通常の電車とは著しく異なった形態(鋭い流線型やカモノハシのような形)を呈する傾向にある。
列車防護装置
高速走行を行うため、在来線と同じ信号炎管や軌道短絡器による列車防護(他の列車を停止させること)では他の列車が停止しきれない可能性が高まる。そのため、緊急時に他の列車を迅速に停止させられるように在来線とは異なる列車防護の方式が採られている。
- 車両側には保護接地スイッチ (EGS) が装備され、緊急時には乗務員が運転台の「保護接地入スイッチ」を押すことにより、他の列車を自動的に停止させることができる。
- 線路側には列車防護スイッチが、本線上には250m間隔、ホーム上には50m間隔で設置され、これを押すことでATC回路を停止信号にすることができる。
- 列車防護無線装置は車両には受信機のみが装備され、発信器は保線作業中に線路を支障させた場合、保安方式変更などでATCを使用していない列車を停止するため保線係員が携帯している。
他線区への直通
- ミニ新幹線と呼ばれる区間(山形新幹線の福島 - 新庄間、秋田新幹線の盛岡 - 秋田間)は、在来線の線路を新幹線のものと同じ標準軌に改軌改良し、在来線の車両限界に合わせて作られた車両で新幹線との直通運転を行っている。このような運行形態を「新在直通(運転)」「新幹線直行特急」と呼ぶ。これらの区間は、法律や設備などの上では新幹線ではなく在来線である。これらの路線を新幹線と呼ぶのは、営業戦略上と地元への誘致効果がその理由である[17]。
- 最高速度は130km/h程度に制限されているが、在来線の中では走行速度が高いグループに属する。
- 完全立体交差化は行わず、踏切数を削減すると共に保安設備を強化している。
- 電源方式については、改軌前より50Hz・20,000V交流電化された区間であったため、改軌後もこれをそのまま採用し、直通車両を複数電源対応とした。この場合の異電圧区間の接続はデッドセクションとなっている。
- 在来線を改軌せずに新幹線への乗り入れを可能にするフリーゲージトレインの開発が鉄道総合技術研究所(JR総研)により進められているが、実用化の時期は未定である。
新幹線の路線
まず1964年に東海道新幹線が開業し、次いで山陽新幹線の工事も始まった。そして1970年には全国新幹線鉄道整備法が定められた。これによりまず東北・上越・成田の各新幹線の整備計画が決定し、続いて北海道新幹線、東北新幹線(盛岡市 - 青森市)、北陸新幹線、九州新幹線鹿児島ルート、同長崎ルート(西九州ルート)の5線の整備計画も決定された(整備新幹線)。
整備新幹線以前に計画された路線は、計画が失効した成田新幹線をのぞき開業しており、整備新幹線の一部も開業している。しかしその一方で、基本計画が定められたまま着工の目処が全く立っていない路線も存在する。
営業中の路線
標準軌新線(フル規格)
以下の6路線が開業している。北陸新幹線は一部分のみの開業である。
名称 | 起点 | 終点 | 実キロ | 営業キロ | 開業年 | 運営会社 |
---|---|---|---|---|---|---|
東北新幹線 | 東京駅 | 新青森駅 | 674.9km | 713.7km | 1982年-2010年 | 25px東日本旅客鉄道(JR東日本) |
上越新幹線 | 大宮駅 | 新潟駅 | 269.5km | 303.6km | 1982年 | 25px東日本旅客鉄道(JR東日本) |
北陸新幹線[* 1] | 高崎駅 | 長野駅 | 117.4km | 117.4km | 1997年 | 25px東日本旅客鉄道(JR東日本) |
東海道新幹線 | 東京駅 | 新大阪駅 | 515.4km | 552.6km | 1964年 | 25px東海旅客鉄道(JR東海) |
山陽新幹線 | 新大阪駅 | 博多駅 | 553.7km | 644.0km[* 2] | 1972年-1975年 | 25px西日本旅客鉄道(JR西日本) |
九州新幹線 (鹿児島ルート)[* 3] |
博多駅 | 鹿児島中央駅 | 256.8km | 288.9km | 2004年-2011年 | 25px九州旅客鉄道(JR九州) |
東海道新幹線と山陽新幹線を合わせて「東海道・山陽新幹線」、山陽新幹線と九州新幹線を合わせて「山陽・九州新幹線」、東北新幹線と上越新幹線を合わせて「東北・上越新幹線」と呼ばれることがある。
他社の車両が乗り入れているのは、東海道新幹線(JR西日本の車両)、山陽新幹線(JR東海の車両・JR九州の車両)、九州新幹線鹿児島ルート(JR西日本の車両)である。JR東日本の新幹線は、以前は山形新幹線用・秋田新幹線用の車両の一部が保有会社からの貸出であったが、現在ではすべて自社車両で運行されている。
東京駅では東海道新幹線と東北新幹線の線路が接続されていないため、博多や新大阪から新青森まで(その逆も)直通列車で行くことはできず、必ず東京駅での乗り換えが必要となる。国鉄時代の調査では東京都内を通過する需要が非常に小さいということは判明していたが、当時博多・札幌開業の際には夜行列車の運転も計画されていたこともあり、単純に全列車東京駅での折り返しではホーム容量の大幅な不足が見込まれていたことから、両線を直通運転として東海道の列車は田端基地、東北・上越の列車は品川基地での折り返しとすることとして建設計画が立てられ(田端以北に異周波デッドセクションを計画した上で、直通運転の実験用に試験車両961形が製造された。また、東京駅の東海道新幹線14・15番線ホームは直通を想定して作られたため、ホームが東北新幹線側にカーブしている)、それでも東京駅のホーム容量が不足する状態となった場合は上越新幹線を大宮駅から新宿駅へ分岐させる構想としていた[18]。その後の計画の見直しから周波数の違い(東海道・山陽新幹線は60Hzで、東北・上越新幹線は50Hz)、それに東北・上越新幹線用のものには降雪対策が施されるなどといった車体設計の違いを理由として、実現には至らなかった。21世紀初頭では、東京都心を縦貫する湘南新宿ラインの利用が好調なことや東北縦貫線計画「上野東京ライン」が進められていることなどから、関東地方相互の近距離では東京を通過する需要(特に通勤需要)も想定しうる状況であるが、そういった需要は在来線で十分賄えている上に、新幹線については前述の理由に加え、国鉄時代と違い別会社の運行となっており、JR東海の意向で16両貫通の編成以外の車両による営業列車は同社の路線への乗り入れは不可となっていることからも、実現の可能性は低いと見られている。
新幹線直行特急(ミニ新幹線)
新幹線規格(フル規格)の線路を新規に建設することなく、既存の在来線を改軌した上で新幹線路線と直通運転(新在直通運転)できるようにした方式。以下の2路線が開業している。過去には東北新幹線の盛岡以北および長野新幹線の軽井沢以西もミニ新幹線として建設することが検討されたが、結局フル規格で建設された。
名称 | 正式路線名 | 起点 | 終点 | 営業キロ | 開業年 | 運営会社 |
---|---|---|---|---|---|---|
秋田新幹線 | 田沢湖線・奥羽本線 | 盛岡駅 | 秋田駅 | 127.3km | 1997年 | 25px東日本旅客鉄道(JR東日本) |
山形新幹線 | 奥羽本線 | 福島駅 | 新庄駅 | 148.6km | 1992年-1999年 | 25px東日本旅客鉄道(JR東日本) |
新幹線規格在来線
新幹線の回送線を旅客扱いするようにしたものであるが、距離が短く高速運転を行わないなどといった理由で在来線扱いになっている。しかし車両や設備は新幹線のものであるため、これらの路線を走る列車は一般の「特急列車」扱いとされ、乗車の際には乗車券のほかに特急券を要する。
名称 | 起点 | 終点 | 営業キロ | 開業年 | 運営会社 |
---|---|---|---|---|---|
上越線(支線)[* 4] | 越後湯沢駅 | ガーラ湯沢駅 | 1.8km | 1990年 | 25px東日本旅客鉄道(JR東日本) |
博多南線[* 5] | 博多駅 | 博多南駅 | 8.5km | 1990年 | 25px西日本旅客鉄道(JR西日本) |
新幹線では通常、東京駅 - 上野駅間や東京駅 - 品川駅間などの短距離区間であっても、自由席特定特急料金として840円が必要となる。しかし上記の区間は在来線特急扱いであるため、特定特急料金がJRの特急料金では最低の100円となる。
新幹線鉄道規格新線
新幹線鉄道規格新線とは、路盤・トンネルなどの構造物を新幹線規格で建設し、軌間1,067mmのレールを敷設して在来線の車両を走らせるもので、「スーパー特急方式」とも呼ばれる。以下のような例がある。
- 海峡線(津軽海峡線) 新中小国信号場 - 木古内駅間。線路間隔4.4m、ゲージ1,435mmに対応するスラブ軌道を採用。現在は1,067mmにボルトで固定してあるが、北海道新幹線の建設後は三線軌道となる予定。青函トンネル内は国鉄時代に製造された旧型特急車両(通常制限最高速度120km/h)でも140km/h現示まで出せ、新幹線のアナログATCと互換性のあるATC-L形を採用している(ただしJR各社はATCシステムのデジタル化を進めており、北海道新幹線建設後は置き換えられる可能性が高い)。なお、勾配は±15‰以内、カーブ半径もR=6,500程度と、新幹線規格の範囲で抑えている。架線電圧は現在は交流20kVであるが、新幹線開業時に25kVに昇圧予定で、貨物列車・夜行列車用には複電圧電気機関車(EH800形)が新規に投入される予定である。
- 本四備讃線(瀬戸大橋線) 茶屋町駅 - 宇多津駅間。ただし児島駅 - 宇多津駅間の鷲羽山トンネルと瀬戸大橋は新幹線と在来線の複々線にできる空間が確保されているだけで、新幹線用の線路は未敷設である。茶屋町駅 - 児島駅間は一部で勾配やカーブが新幹線規格に適合していない区間があるので、その区間は別途新幹線用の線路が敷設される。
北陸新幹線と九州新幹線鹿児島ルート・長崎ルートのそれぞれ一部は、スーパー特急方式で着工されたが、後にフル規格(標準軌新線)に変更された。
その他の路線については、「新幹線鉄道規格新線」を参照のこと。
計画路線
1970年に公布された全国新幹線鉄道整備法に基づき基本計画線が挙げられたが、オイルショックや国鉄の経営悪化などの影響を受けて、以下の新幹線の着工は見送られた。このうち整備新幹線は平成に入って着工したが、基本計画のまま着工の目処が全く立っていない路線も存在する。この区間については建設を望む声が根強く残っている区間や、フリーゲージトレインによる新幹線との直通運転が提案されている区間も存在する。
整備計画路線
1973年11月に整備計画が決定したいわゆる「整備新幹線」と、2011年5月に整備計画が決定した中央新幹線がある。
名称 | 起点 | 終点 | 線路延長 | 開業予定 | 状況 | 営業主体 |
---|---|---|---|---|---|---|
北海道新幹線[* 6] | 新青森駅 | 新函館北斗駅 | 148.8km | 2015年度 | 建設中 | 25px北海道旅客鉄道(JR北海道) |
新函館北斗駅 | 札幌駅 | 211.5km | 2035年度 | |||
北陸新幹線[* 7] | 長野駅 | 上越妙高駅 | 59.5km | 2014年度 | 建設中 | 25px東日本旅客鉄道(JR東日本)[* 8] |
上越妙高駅 | 金沢駅 | 168.5km | 25px西日本旅客鉄道(JR西日本) | |||
金沢駅 | 敦賀駅 | 125.2km | 2025年度 | |||
敦賀駅 | (大阪市) | 約127.7km | 未着工 | |||
九州新幹線 (長崎ルート)[* 9] |
新鳥栖駅 | 武雄温泉駅 | 約51.3km | 未着工 | ||
武雄温泉駅 | 長崎駅 | 66.0km | 2022年度 | 建設中 | 25px九州旅客鉄道(JR九州) |
起点 | 終点 | 線路延長 | 開業予定 | 状況 | 営業主体 |
---|---|---|---|---|---|
品川駅 | 名古屋駅 | 286km | 2027年 | 未着工 | 25px東海旅客鉄道(JR東海) |
名古屋駅 | 新大阪駅 | 152km | 2045年 |
基本計画路線
名称 | 起点 | 終点 | 線路延長 |
---|---|---|---|
北海道新幹線 | 札幌市 | 旭川市 | 約130km |
北海道南回り新幹線 | 長万部町 | 札幌市 | 約180km |
羽越新幹線 | 富山市 | 青森市 | 約560km |
奥羽新幹線 | 福島市 | 秋田市 | 約270km |
北陸・中京新幹線 | 敦賀市 | 名古屋市 | 約50km |
山陰新幹線 | 大阪市 | 下関市 | 約550km |
中国横断新幹線 | 岡山市 | 松江市 | 約150km |
四国新幹線 | 大阪市 | 大分市 | 約480km |
四国横断新幹線 | 岡山市 | 高知市 | 約150km |
東九州新幹線 | 福岡市 | 鹿児島市 | 約390km |
九州横断新幹線 | 大分市 | 熊本市 | 約120km |
未成線
- 成田新幹線(東京駅 - 成田空港駅間)
- 1974年(昭和49年)に着工したが、オイルショックの影響や、用地取得の困難、沿線自治体の建設反対運動が激しかったこともあり、1983年に工事は中止され、その後1987年の国鉄民営化に伴って基本計画が失効した。建設済みの施設は成田空港高速鉄道線(成田線空港支線)に転用され、新幹線の東京駅が建設される予定だったスペースには京葉線東京駅が後に建設された。なお、元神奈川県知事の松沢成文や、公約に「羽田・成田リニア新線構想」を掲げて当選した千葉県知事の森田健作がリニア検討委員会の発足を検討している[19]。
- 第二東海道新幹線
- リニアモーターカーで建設される計画だったが、前述した中央新幹線の計画(山梨リニア実験線の活用)と統合された。
- 上越新幹線(新宿駅 - 大宮駅間)
- 上越新幹線は新宿駅 - 大宮駅間の建設が中止となり東北新幹線に乗り入れとなったが、一部区間では用地買収が済んでおり、新宿駅地下にもスペースが確保されている(都営新宿線と京王新線、都営大江戸線の新宿駅は上越新幹線の駅空間を避けるために深い位置に作られている)。整備新幹線開業後の大宮 - 東京間および東京駅の容量逼迫に備えてこの区間の建設を再開すべきだという意見がある。ただし、埼京線高架沿いの空き地は「環境空間」と呼ばれる騒音問題を考慮して設けられた緩衝地帯であり、延伸のために確保された用地ではない。1987年の国鉄民営化に伴い、国鉄からJRに引き継がれた公文書でも「大宮側は二重高架とすること」が記されている。
新幹線の列車名
新幹線の列車名(列車愛称)は、東海道・山陽・九州新幹線では速度別につけられているが、JR東日本の路線では方向・目的地別につけられている。E1系・E4系「Max」を使用する場合は列車名の前に「Max」が付く。JR東日本の長野新幹線と山形・秋田の新在直通列車は列車名が単一である。JR九州の九州新幹線部分開業時も列車名が「つばめ」のみの単一であった。
現行の列車名
- 東海道・山陽新幹線
- 「のぞみ」:最速列車。N700系、700系が使用される。なお、定期列車は全てN700系が使用されており、700系は臨時列車の一部列車のみで使用される。過去には300系、500系も使用されていた。
- 「ひかり」:「のぞみ」の補完列車。当初は大都市駅のみに停車し、各駅停車の「こだま」に対して超特急の代名詞であった。しかし利便性から徐々に乗降客数の少ない駅の停車が増やされ、「のぞみ」が加わった以降では「のぞみ」でも「こだま」(各駅停車)でもない列車という定義になる。山陽新幹線では"ひかりレールスター"と呼ばれる、顧客ニーズに応える形で登場した列車も運行されている。過去には"ウエストひかり"や"グランドひかり"などもあった。「のぞみ」と違い、一部区間が各駅停車となる列車もある。主として700系、一部でN700系、500系が使用される。過去には0系、100系、300系も使用されていた。
- 「こだま」:各駅停車の列車。早朝、深夜のものには、時刻表に「普通車全車自由席」や「全車自由席」と表記されるものがある。東海道区間と山陽区間(新大阪駅)をまたがる「こだま」は存在しない。N700系、700系が使われるほか、山陽新幹線では500系(8両編成)、700系7000番台、N700系7000番台・8000番台を使用する列車がある。N700系も東海道新幹線では浜松駅・三島駅 - 東京駅間に日に2本、山陽新幹線では新下関駅 - 博多駅および小倉駅 - 博多駅でそれぞれ1往復ずつ、博多駅→岡山駅および広島駅→博多駅でそれぞれ1本ずつ使用される。2008年11月30日までは0系、2012年3月までは100系・300系も使用されていた。車内販売は2012年3月17日のダイヤ改正で全廃された。[20]
- 山陽・九州新幹線
- 「みずほ」:新大阪駅 - 鹿児島中央駅を結ぶ最速達列車。朝夕を中心に運転される。新大阪駅 - 鹿児島中央駅間を最速3時間42分で結ぶ。N700系7000番台・8000番台を使用。
- 「さくら」:山陽・九州新幹線の直通列車と、九州新幹線内の速達型列車がある。N700系7000番台・8000番台と800系を使用する。なお、800系は九州新幹線内のみを運転する一部列車で使用される。
- 「つばめ」:博多駅 - 熊本駅・鹿児島中央駅間など九州新幹線内の各駅停車。主に800系を使用する。山陽新幹線に乗り入れる列車など、一部列車はN700系7000番台・8000番台も使用する。車内販売の営業は行われない。[21]
- 東北新幹線
- 「はやぶさ」:2011年3月、E5系を使用して東京駅 - 新青森駅を最速で結ぶ列車として登場。
- 「はやて」:東京駅 - 新青森駅を結ぶ列車(仙台駅・盛岡駅止まりや仙台駅 - 新青森駅の区間運転もある)。E5系、E2系、E3系(こまち編成、増結用)が使用されている。これらのうち、E5系以外の車両は東北新幹線から撤退予定で、撤退完了後は前記の「はやぶさ」に統一され、消滅する予定。
- 「やまびこ」:盛岡駅以南を走る列車で、下記の「なすの」をのぞくもの。仙台以南では200系・E1系・E4系以外のJR東日本のすべての形式が使用され、仙台以北はE5系、E2系、E3系(こまち編成、増結用)を使用。
- 「なすの」:東京駅 - 那須塩原駅・郡山駅間を走る各駅停車の列車。200系・E1系・E4系以外のJR東日本のすべての形式が使用される。2010年までは増結用として400系も使用された。E5系を使用する列車のグランクラスはシートのみの営業となる。
- 山形新幹線
- 秋田新幹線
- 上越新幹線
- 長野新幹線(2015年3月から北陸新幹線に呼称変更)
かつて使用されていた列車名
- 東北新幹線
- 上越新幹線
- 「あさひ」:速達型列車として設定されたが、長野新幹線開業後は越後湯沢駅以北の区間を走行する列車の統一名称となった。「あさま」と名称が紛らわしいため、2002年12月1日のダイヤ改正で「とき」と改称された。ただし、前述の「たにがわ」に該当する列車は、それ以前から改称されていた。
使用予定の列車名
- 北陸新幹線(長野駅 - 金沢駅間、2015年3月開業予定)[22]
新幹線の歴史
新幹線の実現まで
戦前における高速鉄道
日本の鉄道は明治時代の草創期にコストの面から狭軌を採用したため、その規格の低さに制約を受け、欧米の鉄道のような高速運転とは無縁であった。最高速度は1910年代から1950年代まで100km/h以下に留まっていた。
そこで標準軌に改軌する提案も、明治から大正にかけて何度か出されていたが、政争や予算問題などから結局実現しなかった(日本の改軌論争も参照)。
また1910年代には、東京 - 大阪間に電車による高速新路線「日本電気鉄道」を敷設する計画が民間から出されたが、国の許可するところとならず、実現には至っていない。
日本における現実的な高速列車開発は、日本の勢力下にあった満州(現在の中国東北部)を縦断する南満州鉄道(満鉄)に始まる。同社は日本の資本と技術により運営されており、ほとんどの幹部・技術者が日本人で、実質的に日本の鉄道と言っても過言ではない。
当時の満鉄は電化以前の鉄道で蒸気機関車牽引であったが、1,435mmの国際標準軌(日本では広軌と称した)を用いた高規格路線であり、保守的な日本内地の鉄道省とは一線を画した先進的な試みを早くから行っていた。
1934年(昭和9年)、満鉄は自社設計によって当時の欧米の潮流に互した流線形蒸気機関車「パシナ形」を開発、これに新開発の流線形客車編成を組み合わせ、大連 - 新京(現・長春)間701kmに特急「あじあ」号を運転開始した。この列車は最高速度120km/h以上を誇り、最高95km/hに留まる鉄道省の列車をはるかに凌駕した。所要8時間30分、表定速度は82km/hに達した。
とはいえ、当時の欧米の鉄道はさらに上を行っていた。例えばイギリスの ロンドン・アンド・ノース・イースタン鉄道(LNER)がロンドン - エディンバラ間に運転していた特急列車「フライング・スコッツマン」は、蒸気機関車牽引で最高速度160km/h以上での営業運転を行っており、ドイツ国鉄では気動車列車「フリーゲンダー・ハンブルガー」が150km/h以上の高速で営業運転していた。さらにアメリカの私鉄各社には、定期運転列車を牽引して、最高速度は優に180km/hに達する蒸気機関車さえ存在していたのである。
「あじあ」号は全客車冷暖房完備など世界の最先端を行っていた部分もあったが、120km/h運転そのものは、当時の欧米の主要幹線での標準的な水準に達したものでしかなかった。
この技術が、日本本土の鉄道に直接生かされることはなかった。しかし満鉄関係者には鉄道技術者の島安次郎がおり、その長男の島秀雄と共に後述する「弾丸列車計画」を推し進めることになる。
なお、前述した日本電気鉄道のように、民間による大規模な都市間電車は実現しなかったが、中近距離の都市間電車に関しては、新京阪鉄道[※ 2]や阪神急行電鉄、参宮急行電鉄、阪和電気鉄道のように、アメリカのインターアーバンの技術を取り入れるなどして実現させた所もあった。これら路線の多くは、既存の鉄道線と競合する形で敷設されたものとなっており、「(既存の並行線よりも)高規格な路線において、高速運転を行うこと」がその建設目的となっていた。「新しい高規格線を敷く」という意味では、新幹線に通じる所もある。
その中でも、参宮急行電鉄が転じた関西急行鉄道は途中に伊勢中川駅での乗り換えこそあるものの、大阪と名古屋という中距離の2大都市間(当時の営業キロで189.5km)を電車で結ぶことに成功しており、また阪和電気鉄道は「あじあ」号の水準に匹敵する、表定速度81.6km/hの「超特急」を狭軌路線で運転していた。
これらの私鉄で用いられた電車はハイレベルな仕様の車両が多く(新京阪デイ100形、参急2200系、阪和モヨ100形など)、後述する国鉄における動力分散方式の開発にも、いくらか影響を与えている。
弾丸列車計画
1930年代に入ると、満州事変や日中戦争の激化などにより、日本から中国や満州国へ向かう各種物資輸送需要の激増で、東海道・山陽本線の輸送量も増大した。
このころ鉄道省内部に「鉄道幹線調査会」が設立され、主要幹線の輸送力強化についての検討が行われた。ここから抜本的な輸送力増強手段として1939年に発案されたのが「弾丸列車計画」であった。
これは、東京から下関まで在来の東海道・山陽本線とは別に広軌(1,435mm・標準軌)の新路線を建設し、最高速度200km/hと満鉄「あじあ」号を超える高速運転を行い、東京 - 大阪間を4時間、東京 - 下関間を9時間で結ぶことを計画したものであった。この計画は翌1940年(昭和15年)9月に承認され、建設工事が始められることになった。
すでにこの時点で、新しい幹線を敷設するということから「新幹線」や「広軌新線」という呼称を内部関係者は用いていた。「新幹線」の語はここが起源であるとされている。
また将来的には対馬海峡に海底トンネルを建設して、植民地である朝鮮半島へ直通、釜山から奉天(現:瀋陽)を通り満州国の首都新京(現:長春)、さらには北京・昭南(現:シンガポール)に至る、という構想も一部では描かれていた。
当時の鉄道では、日本においてもまだ機関車が客車を牽引する方式が一般的であったうえ、完全電化したものの、発電所が敵国からの攻撃を受けた場合の対処について軍からクレームを受けたために、「弾丸列車」も電気機関車と蒸気機関車を併用する方式で計画された。
1941年12月の太平洋戦争勃発後も工事は続けられ、日本坂トンネルや新丹那トンネルが、1942年には東山トンネルの工事が着工したが、最終的には戦況の悪化で中断した(その後再開され新幹線に利用)。しかし、そのルートの相当部分が後の東海道新幹線建設で役立てられた。特に、土地買収が戦時中の時点で半ば強制的な形で相当な区間において終わっていたことは、新幹線建設をスムーズにした。
この弾丸列車計画の技師たちが居住した地として、静岡県田方郡函南町には「新幹線」という地名が、東海道新幹線の開業前から存在した。
動力分散化への流れ
太平洋戦争終結後数年間、鉄道をも含めて混乱の極みにあった日本も、1950年(昭和25年)の朝鮮戦争以降本格的に復興し、鉄道の都市間輸送需要も急激に伸張していった。
旧日本軍の研究部門や軍需企業に所属し、戦後その職を失ったり技術を持て余していた優秀な人材を、昭和20年代の国鉄が多数獲得したことは見逃せない事実である。高速走行中の車両の振動や、空力特性の研究は、旧軍出身技術者の存在によって大きく進展した。
1955年(昭和30年)に国鉄総裁に就任した十河信二は、国鉄出身の卓越した技術者であるが一時民間にあった島秀雄を再度招聘し、国鉄技師長に就任させた。彼らを中心とする人々が、その後新幹線計画を推進することになる。
地盤が悪く山がちな日本において列車を高速運転するには、機関車が客車を牽引する「動力集中方式」よりも、電車・気動車のように編成の各車両に動力を持たせる「動力分散方式」の方が適している。カーブや勾配の多い条件でも加減速能力に優れ、また線路への負担が小さいため、脆弱な地盤に敷かれた線路でも高速を出せるからである。当時は蒸気機関車主流の時代であり、また国際的に見ても主流であることから、国鉄部内でも動力集中式に固執する者が多かったが、島秀雄は例外的に戦前から動力分散方式の特性を理解し、研究していた。
島は1951年(昭和26年)に事情によって国鉄を離れていたが、彼の指揮の下で1950年(昭和25年)に開発された東海道線普通列車用の80系電車は、短距離向けと見られていた電車が、長距離運転にも優れた特性を発揮するという事実を実証し、その後国鉄の在来線に電車・気動車の普及を進める原動力となった。島の復帰以降、国鉄の動力分散化の流れはさらに加速する。
高性能電車の出現
日本では1953年(昭和28年)以降、欧米からの新技術移入や国内メーカーの技術開発に伴い、電車の高性能化の動きが始まった。
この過程で、振動を抑制し、乗り心地改善と高速運転に資する「カルダン駆動方式」と高速対応の新型台車、床面シャーシだけでなく側板や天井にも応力を分散させた「全金属製軽量車体」、全車両にモーターを搭載して加速力を高める「全電動車方式」、反応速度が速い上に取り扱いが容易な「電磁直通ブレーキ機構」、制御装置1台を2両の電動車で共用して軽量化やコストダウンを実現する「1C8M方式(MM'ユニット方式)」など、それ以前の電車とは一線を画する重要な革新的技術が、1953年(昭和28年)からわずか数年の間に実用化されて普及した。
この結果、高速性能・加減速性能に優れ、しかも居住性の良い「新性能電車」が、1954年(昭和29年)以降大手私鉄を中心に続々と出現して、大きな技術的成功を収めた。国鉄もこの潮流に乗って高性能電車の開発に取り組み、1957年(昭和32年)に新型通勤電車モハ90系(後の101系)を完成させる。
同年に小田急電鉄が完成させた低重心・連接構造の流線型特急電車3000形「SE車」は、鉄道技術研究所の技術指導を受けて設計された[23]車両で、最高速度145km/hを目指した野心作であった。しかし、曲線の多い小田急の路線ではその高速性能は十分に発揮できなかった[24]ため、小田急から国鉄に対して、試験で収集されたデータを小田急と国鉄の双方で利用することを条件として[24]、軌道条件の優れている国鉄の路線上での走行試験について申し入れがあった[25]。
国鉄はこの申し入れに対して快諾[26]、小田急からSE車を借り入れ、1957年(昭和32年)9月に東海道本線で速度試験を行った。結果SE車は計画通りの145km/hに到達し[27]、当時の狭軌鉄道における世界速度記録を達成した。続いて国鉄はモハ90系通勤電車をギア比変更などで高速化改造、空気抵抗の面で不利な形態ながら135km/hの好記録を達成した。
これらの実績を踏まえて、1958年(昭和33年)にはモハ90系の技術を応用し、東海道本線特急「こだま号」用に国鉄初の特急形電車モハ20系(後の151系)が開発された。流線型の軽量・低重心な車体は冷暖房完備で、空気バネ台車も装備し、スピードと快適な乗り心地を両立させて、動力集中方式の客車列車を完全に凌駕した。翌1959年7月には、東海道本線での速度試験で通常編成(4M4Tの8両編成)からデッドウェイトとなる付随車2両を抜いた6両編成で最高速度163km/hに達し、小田急SE車の速度記録を更新した。
これらの電車における顕著な成績は、動力分散方式の資質を実証し、ひいては新幹線車両に電車を用いることへの強力な裏付けとなった。
1955年(昭和30年)から国鉄は交流電化方式の実用化に独自に取り組む。同年国鉄代表団はフランスパリで、狭軌用交流機関車を買いつける算段をするが、日本側は技術研究のための5両程度の買い付け意欲しかみせず、交渉は決裂[28]。日本では同年中に独自開発による商用周波数の単相交流(20kV 50Hz)を使用する電気機関車2両(ED44 1(日立製作所製)・ED45 1(三菱電機・新三菱重工業製))の試作に成功する。
これらの試作車による研究成果を受けて、国鉄は1957年の北陸本線を皮切りに、地方線区での交流電化を開始した。これ自体は従来の直流電化に比べ、変電所間隔を長くできることから地上設備コストが低いと考えられたことによるものであったが、後に新幹線の電化システムに応用されることになる。超高速の電気鉄道においては大量の電力消費が生じ、これに伴って架線から効率よく集電するには、従来から用いられて来た1,500Vの直流電源より、大電力を長距離送電できる高圧交流電源を用いる方が適していたのである(日本の鉄道の交流電化方式は在来線20kV、新幹線25kVで、電圧だけでも直流電化路線の10倍以上のレベルである)。
新幹線建設へ
これに先立ち、戦後の復興と共に鉄道および道路輸送の需要が増大すると、当時の日本における最重要幹線であった東海道本線の貨客輸送能力は、ほぼ限界に達していた。1956年に東海道本線の全線電化が完成するが、需要の増加には焼け石に水であった。
1957年(昭和32年)、国鉄内部の「幹線調査会」は、東海道本線の輸送力飽和は早晩必至とし、現在線以外の線路増設が必要であると答申した。実際の手法としてさまざまな案が出されたが、基本的に以下の3案のいずれかが選択されることになった。
- 現在線に沿って線路を増設、複々線とする。
- 別ルートで狭軌新線を建設する。
- 別ルートで広軌新線を建設する。
東海道の線増計画は、従来の常道であれば複々線案が採られたところであった。しかし、十河ら国鉄幹部は将来の発展性を視野に入れ、あえて困難の多い広軌新線建設を決定したのである。それは戦前の弾丸列車計画を、戦後の技術革新の下で、改めて実現しようとする超高速列車計画であった。
同年5月30日には鉄道技術研究所(現:鉄道総合技術研究所)の篠原武司所長らが、鉄道技術研究所創立50周年記念講演「東京 - 大阪間3時間への可能性」で、広軌新線ならば東京 - 大阪間の3時間運転は技術的に可能であるという報告を行った。十河はその話を聞くや強い関心を示し、国鉄幹部を集めて技術研究所員に詳細を話させたという。
当時欧米では、将来の大量輸送手段として航空機と高速道路網による高速輸送が有望視され、鉄道はそれらに取って代わられる時代遅れのものだという見解が広まっていた。日本でもこれを範としようとする向きが一般的であり、在来線とは別規格の高速新線を建設するという計画は、国鉄内部でさえも疑問視する者が多かった。
鉄道ファンでもある作家の阿川弘之ですら、戦艦大和(大和型戦艦)・万里の長城・ピラミッドが「世界三大馬鹿」であり、この時期に莫大な投資をして新幹線を造れば「第2の戦艦大和」となって世界の物笑いの種になると批判した(後に阿川は新幹線が世界の鉄道斜陽論を覆すに至るまでの成功を収めたのを見て、十河の後を継いで国鉄総裁を務めた石田禮助との対談において、自らの不明を悔やむ発言をしている)。
そのような厳しい状況下で、十河と島は東海道に新たな大規模高速輸送用の鉄道路線(新幹線)を実現すべく政治的活動(十河が担当)と、技術的プロジェクト(島らが担当)を続けた。
技術的裏付けの下、1958年(昭和33年)に建設計画が承認され、翌1959年(昭和34年)4月20日に起工式が行われた。総工費は当初予定から修正され、3800億円にまで膨らんだ。元々十河などが国会内での承認を得るために安く見積もっていたこと、地価高騰のあおり、さらには新幹線建設に集中するために地方路線建設の陳情を蹴り国会議員の不興を買っていたこともあって、後には国会で責任問題に発展した。新幹線開業前に責任を取る形で十河は国鉄総裁を退任し、島も十河に殉じて国鉄を退職する。
1961年(昭和36年)5月1日に国鉄はこのプロジェクトに対し、世界銀行から8000万ドル(当時は1ドル=360円の固定相場制)の融資を受けた(この融資は1981年(昭和56年)に返済が完了した)。この融資を受けたことで、新幹線プロジェクトは日本の国家的プロジェクトとなり、国内事情によって中断することは許されなくなった。
その建設に関しては前述の通り、戦前の「弾丸列車計画」の際に開削されたトンネルや、買収された用地の多くが活用された。5年という短期間で完成したのは、この時の用地買収および工事があったからだともいわれている。また大阪府・京都府内では、完成した新幹線の線路を高架工事中の仮線として用いて、暫定的に阪急京都本線の電車を走らせていたこともあった(→新幹線の線路を先に走った阪急電車)。
モデル線鴨宮基地
1962年(昭和37年)には神奈川県綾瀬付近 - 小田原付近の区間がモデル線として先行整備され、小田原市鴨宮(かものみや)に鴨宮基地とそれを統括するモデル線管理区が置かれた。小田原 - 綾瀬間が試験路線に選ばれた理由は以下の通りである。
- 戦前の弾丸列車構想に際してすでに用地を取得しており、早い時期に着工する事が可能である。
- 直線・カーブ・トンネル・鉄橋と、線形や地上設備のシチュエーションが一通り揃っており、データ収集が容易である。
- 鴨宮付近では東海道本線と隣接しており、車両・資材などの搬入に便利である。
- 国立にある鉄道技術研究所からも近く、問題が発生した時も対処が容易である。
ここで2編成の試作電車「1000形」を用いて車両と設備のテストを繰り返し、問題点をあぶり出しては改良を重ねていった。1963年(昭和38年)3月30日の速度向上試験では、1000形B編成が256km/hの国内速度記録を達成している。モデル線での研究は、初代量産形新幹線電車となる0系や、線路設備の開発に生かされることになった。また、ここに中央鉄道学園小田原分所を設けて、新幹線のための乗務員と保線要員の養成も同時に行った。
しかし、このモデル線にはある欠点があった。相模湾に近く、冬でも比較的温暖な鴨宮では、降雪時の高速運転を想定した試験データは十分に得られなかったのである。東海道新幹線の名古屋 - 新大阪間経路は、当初計画した鈴鹿山脈経由ルートが費用や技術・工期の制約から断念され、東海道本線同様に関ヶ原を経由するルートに変更されていた。関ヶ原周辺は谷間で標高も高く、さらに日本海側気候の影響で冬期には激しい降雪のある地域でもある。このような区間を冬期に高速列車で通過する状況の研究が、開業前には十分に行えなかった。このことは、1964年(昭和39年)の開業後初めての冬期に関ヶ原での着雪による車両故障を頻発させる原因となった。
このモデル線区は、設備が無駄にならないよう、建設中の路線の一部を先行完成させて利用する手法が採られ、東海道新幹線開業後は新横浜 - 小田原間の一部に組み込まれている。この手法は後続の東北新幹線の小山実験線や、リニア山梨実験線にも踏襲されている。小山実験線には実際に駅施設も設けられ、後に小山駅となった。現在、鴨宮基地のあった場所は保線車輌の基地となっており、その一角には新幹線モデル線を示すモニュメントが設置されている。2009年(平成21年)5月には市民の手によって、0系新幹線の前頭部をモチーフとした「新幹線発祥の地」のモニュメントが建てられた。
またテストに使われた試作電車は、東海道新幹線開業後に改造を受けた。A編成は救援車941形に、B編成は電気軌道総合試験車922-0形となり、それぞれ役立てられることになる。941形はまったく活躍することなく廃車となったが、922-0はその後0系を元とした「ドクターイエロー」が登場するまで生き永らえた。
夜行新幹線計画
山陽新幹線開通前に「夜行新幹線」も計画され、山陽新幹線技術基準調査委員会報告(1966年)では、東京から博多の間を一晩に計24本で運行した場合、片道平均5,000から7,000人の需要があると見込んでいた。新幹線の夜間運行は片側1路線を運用し、もう片側の路線は保守点検して運行するという計画だった。また当時は四国新幹線や中国横断新幹線の計画も含め衝突を避けて夜間運行を実現させるために姫路駅の新幹線13番ホームを待避線に、待避駅として西明石駅・相生駅が建設された[29]。しかし名古屋新幹線訴訟などの新幹線の騒音問題が浮き彫りになったことや国鉄分割民営化で夜行新幹線の計画は実現しなかった。
大阪産業大学工学部の波床正敏・井上喜裕らのように、新幹線の夜行運行の適用可能性を環境負荷と発着時間帯の観点から検討し、発着時間帯の設定自由度が従来の夜行列車より高く有望であるとする考えもある[30]。
開業以後
国鉄分割・民営化まで
1964年(昭和39年)10月1日に、東京オリンピックの開催に合わせて東海道新幹線が開業した。併せて専用の0系が開発され、営業に投入された(→1964年10月1日国鉄ダイヤ改正も参照)。なお、開通に先立つ同年4月22日からアメリカのニューヨーク市で開催されたニューヨーク万国博覧会の日本館に実物大モックアップが展示され、日本の技術力を誇示した。
10月1日の東京発の一番列車(ひかり1号、運転士・山本幸一、伊月正司の2名)は定員987名のところ乗客は730名ほどであり満席ではなかった。
開業当初の営業最高速度は200km/h(東京 - 新大阪間「ひかり」4時間、「こだま」5時間)。路盤の安定を待って翌年に210km/h運転(同「ひかり」3時間10分、「こだま」4時間)を開始した(→1965年10月1日・11月1日国鉄ダイヤ改正も参照)。
日本の二大都市である東京 - 大阪間は、1958年(昭和33年)から在来線の特急で日帰り可能になっていたものの、滞在時間がわずか2時間あまりしか取れなかった。しかし新幹線の開通により、日帰りでも滞在時間を充分取れるようになり、社会構造に著しい変化を及ぼした。ビジネスやレジャーの新しい需要を喚起し、東海道新幹線においては当初の12両編成が、1970年(昭和45年)の大阪万博の開幕を機に16両編成まで拡大され、高速大量輸送機関としての確固たる地位を確立した。
その一方で、新幹線の建設や特急・急行列車の増発、さらには都市部における通勤輸送増強(通勤五方面作戦など)などの設備投資に追われたことから、新幹線の開業した1964年(昭和39年)度から国鉄収支は赤字に転落し、以後それは拡大する一方となり、結果的に新幹線建設は国鉄破綻の1つの原因となったと言われる。これに対し、JR東海の葛西敬之会長は著書の中で「東海道新幹線はあくまで内部留保された資金と借金で建設資金をまかない、それらを運賃・料金収入のみですべて回収したものであり、新幹線建設が国鉄破綻の引き金を引いたという認識は誤りだ」と指摘している。いずれにせよ、以後の国鉄において、新幹線は重要な収入源ともなっていく。
その後、東海道新幹線に続いて、同じように需要の増加していた山陽本線の抜本的輸送力改善と高速化を目的として、1967年(昭和42年)に東海道新幹線を延伸する形で山陽新幹線が着工され、1972年(昭和47年)3月15日に岡山まで、1975年(昭和50年)3月10日には博多まで開業した(→1972年3月15日国鉄ダイヤ改正・1975年3月10日国鉄ダイヤ改正も参照)。「ひかりは西へ」がそのキャッチコピーであった。
さらに東北方面への延伸も計画された。1971年(昭和46年)には東北新幹線と上越新幹線が着工され、キャッチコピーには「ひかりは北へ」が使用された(実際の開業にあたっては、「やまびこ」「あおば」「とき」「あさひ」等、東北・上越在来線特急のかつての名称を継承している)。1974年(昭和49年)には建設中の成田空港へのアクセス路線として成田新幹線も工事に入った。折しも田中角栄内閣総理大臣によって、国土開発を促進する「日本列島改造論」が提唱され、整備は順調に進むかに見えた。
だが、実際には反対運動による用地買収の難航やトンネル工事での異常出水などがあり、前者2つの新幹線は予定より工事が5年も遅れ、成田新幹線に至っては工事中止となってしまった(ただし、後にJR東日本と京成電鉄の成田空港乗り入れの際にこの新幹線建設で作られた設備が生かされることになる)。また、名古屋新幹線訴訟など、新幹線沿線での騒音・振動による公害問題がこの頃深刻化した。さらに国鉄財政の悪化に伴う運賃・料金値上げの繰り返し、労働紛争によるストライキの頻発化などから、既存新幹線の乗客が減少傾向に陥った。そして経営問題と労働紛争の影響から技術革新も見られなくなり、新幹線の発展・発達は一時停滞した。
東北新幹線と上越新幹線は1982年(昭和57年)に大宮発着という暫定的な形で開業し(→1982年11月15日国鉄ダイヤ改正・新幹線リレー号も参照)、1985年(昭和60年)には用地買収の関係で遅れていた都心(上野)乗り入れを果たした(→1985年3月14日国鉄ダイヤ改正も参照)。これにより東北・上越地方における鉄道シェアは大幅に拡大した。だが、それら新幹線の建設費負担も重なって、国鉄財政はついに破局的状態となり、中曽根内閣の下で断行された1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化に至るのである。
JR発足から現在までの流れ
国鉄の分割・民営化後、東北・上越新幹線はJR東日本、東海道新幹線はJR東海、山陽新幹線はJR西日本の運営とされたが、当初設備は第3種鉄道事業者の「新幹線保有機構」が保有し、各会社が第2種鉄道事業者として路線を借り受けて運営する形とした。新幹線の保守費用は各社が負担し、新幹線保有機構は設備の貸し代だけを受け取るもので、利益の出る新幹線事業によって赤字となる他地域JR会社への補填を行うのが目的であった。
しかし、前記JR3社の経営が安定化して、東京証券取引所などへの上場が視野に入ると、輸送量に応じて貸し賃が変わるこの制度のままでは会社の営業努力が反映されないことや、各社の資産・債務の額が確定できないことなどが問題視され、結局1991年(平成3年)に制度を変更し、各鉄道会社が新幹線資産を新幹線保有機構を改編した鉄道整備基金から60年賦で買い取ることにした。
分割・民営化後、技術・営業面で停滞していた新幹線も新型車両の登場、新形態など積極的な流れが見られるようになった。
後者の代表として、JR東日本は新幹線規格(フル規格)の線路を新規に建設することなく、既存の在来線を改良し、専用の車両を新造したうえで、新幹線と在来線が直通運転できるようにしたミニ新幹線を整備した。
1992年(平成4年)に400系を新造し、山形新幹線として奥羽本線の福島駅 - 山形駅が、1997年(平成9年)にE3系を新造し、秋田新幹線として田沢湖線・奥羽本線の盛岡駅 - 秋田駅が、1999年(平成11年)にE3系1000番台を増備し、山形新幹線の延伸として奥羽本線の山形駅 - 新庄駅が、それぞれ順次営業運転を開始した。
JR西日本は山陽新幹線博多総合車両所への車庫線を旅客線化し、1990年(平成2年)に博多南線として博多駅 - 博多南駅を、こだま号に使用される車両を用いる在来線特急という形態で営業運転を開始した。
また最高速度は210km/hの時代が長く続いたが、国鉄末期頃(→1985年3月14日国鉄ダイヤ改正・1986年11月1日国鉄ダイヤ改正も参照)から次第に向上されるようになり、21世紀初頭では東海道新幹線で270km/h、山陽新幹線区間で300km/h、東北新幹線区間で320km/hに至っている。また時速アップ以外にも、停車駅での停車時間の短縮や、停車駅間の速度をできるだけ高速度で維持するなどして、わずかな分単位ながら、主要駅間の時間短縮を図る工夫もされている。
国鉄末期に建設が凍結されていた整備新幹線は工事が再開され、東北新幹線(盛岡 - 八戸・2002年、八戸 - 新青森・2010年)・九州新幹線鹿児島ルート(新八代 - 鹿児島中央・2004年、博多 - 新八代・2011年)が全線開業、北陸新幹線(長野新幹線・1997年)が部分開業し、残った区間や未開業の北海道新幹線なども工事が次第に進みつつある。
また20世紀末以降、新幹線による通勤・通学が増加しつつある(「新幹線通勤」も参照)。これは、いわゆるバブル以降の大都市における地価の高騰で、新幹線で通勤・通学が可能な郊外(主に東京への通勤・通学を目的に栃木県、群馬県、静岡県東部が多い)の住宅に住む人が増えたためである。1983年(昭和58年)2月の新幹線定期乗車券販売開始をきっかけに、新幹線通勤定期券を支給する企業の増加、さらに企業が支給する通勤定期券代の所得税非課税限度額の引き上げがそれに輪をかけた。朝・夕の新幹線においては通勤客で混雑が激しくなり、通勤客向けのダイヤも設定されるようになった。これに対応してJR東日本ではMaxという多座席型の2階建車両を投入し、1列車あたりの定員を大幅に増やした。首都圏以外でも、山陽新幹線の小倉 - 博多間などで通勤・通学に新幹線を利用している者は多い。
新幹線の安全性
1964年(昭和39年)10月1日に最初の新幹線である東海道新幹線が開業して以来、50年近くの長期にわたって列車に乗車中の乗客が死亡する事故は発生していない。旅客が死亡する事故も1995年(平成7年)に駆け込み乗車の乗客の手をドアに挟んで引きずり死亡させた三島駅乗客転落事故の1件、1人だけである。投身自殺による死亡例は多数発生しているものの、鉄道事業者側の責任事故ではなく、またこれらは新幹線システムそのものの根本的欠陥に起因する事故ではないため、新幹線の安全性に関しては非常に高いものと捉えられている。
新幹線の安全を確保するシステムが的確に運用され、恒常的に維持されてきていることは、日本の鉄道技術の水準を端的に示す要素であるとも言える。この事実は新幹線の安全神話などと称される。しかし死者こそ生じなかったものの、重大な事故に至る一歩手前の事態は過去に何度か発生している。
新幹線における事故の事例
以下の各事例は、新幹線の安全を脅かす事故例と考えられ、重大視されてきた。
- 1973年(昭和48年)に東海道新幹線の大阪運転所(鳥飼基地)からの回送列車が脱線した事故
- 1974年(昭和49年)に東京運転所(品川基地)分岐線と新大阪駅構内で相次いで発生したATC異常信号事故
- 1991年(平成3年)9月30日、ひかり291号(100系X編成)が、三島駅まで車輪を固着させたまま走行した事例。最高速度はATC頭打ち速度の225km/hにまで到達していた。
- 1997年(平成9年)、山陽新幹線の岡山新幹線運転所内で過走して脱線した事故
- 1999年(平成11年)、山陽新幹線福岡トンネルにおいて、通過中の列車に対しコンクリート片が落下し屋根が破損した事故
特に1990年代末期から多発したトンネルのコンクリート剥落事故に対しては、JR各社には設備保全を徹底させる対策が求められている。これらの事故は、山陽新幹線が建設された昭和40年代以降、高度成長期の建設ブームのもと、促成による手抜き施工が新幹線工事でも随所で行われていたことを露呈させたものといえる。
また在来線と直通運転する山形新幹線では、つばさ号にも踏切事故がしばしば発生している。それまでの新幹線とは異なり、自動車との直接的な接触は、新幹線の事故というよりも在来線にとって日常的な範疇の事故といえるものである。しかし、在来線直通運転における新幹線の高速運転に伴う課題として、常に想起される事例でもある。
地震にともなう安全への脅威
地震に伴う障害は、高速鉄道の安全性にとって脅威となりうる。このため、地震が多発する日本において運営される新幹線にとっても課題となっている。1990年代以降、日本国内における大きな地震災害の多発により、高速鉄道の地震に対する脆弱性が指摘されるようになった。
大井川河口を震源とする地震の事例
1965年(昭和40年)4月20日、静岡県の大井川河口を震源とするマグニチュード6.1の地震が発生し、開業後約半年経過していた東海道新幹線にも静岡市周辺の盛り土が崩れる被害が生じた。当時はまだ運転本数が1時間に片道2本しかなく、発生直後にすべての列車の運行が停止されたこともあり、走行中の車両や旅客には大きな被害は発生しなかった。しかし、当時の運行責任者であった斎藤雅男(元国鉄新幹線支社運転車両部長-新幹線支社次長、鉄道工学の専門家)によると、「当時は雨の影響で地盤が弱くなっており、大きく陥没していたところもあった。仮に崩れた路盤上に列車が来ていたら間違いなく脱線して大惨事になっていた」という。なお、山陽新幹線の一部区間と東北新幹線以後の新幹線にはスラブ軌道が採用されている[31]。
阪神・淡路大震災の事例
1995年(平成7年)1月17日の阪神・淡路大震災では、被災地域において山陽新幹線の高架橋が破損・一部落下し、新大阪 - 姫路間が81日間にわたり不通となった。地震発生は午前5時46分で、始発列車は新大阪駅に停車していたがこの日の営業運転が始まる前であったため、落下した高架橋に列車が突っ込むなどの最悪の事態は免れた。これを機に高架橋の補強などの耐震対策が進められた。また比較的被害の少なかった新大阪 - 京都間、姫路 - 岡山間は1週間程度で復旧した。
新潟県中越地震の事例
テンプレート:Main さらに、2004年(平成16年)10月23日の新潟県中越地震においては、上越新幹線が甚大な被害を受けた。高架やトンネルなどの構造物に損傷が発生したほか、上越新幹線列車の「とき325号」(10両編成、200系=K25編成)が長岡駅の手前付近を約200km/hで走行中に脱線した。これはまた新幹線史上初の営業運転中、しかも高速走行中の脱線事故となった。この脱線の衝撃で、レールの道床の締定が多数外れ、一部のレールはねじ曲がるなどの大きな被害を受けた。
通常、列車がこの規模の地震に震源地付近で直撃された場合、たとえ停車していたとしても脱線は免れ得ないと考えられる。「とき325号」の事例では約200km/hで脱線したとはいえ、奇跡的に、死者・重傷者などは生じなかった。これは、編成全体の横転などには至らなかったこと、および、数分の差で対向列車との衝突も免れるという幸運も重なったことによる。なお、横転が生じなかった理由には、事故現場が積雪の多い地帯であるため、レール脇に雪を融かして流すための溝があり、そこに脱線後の車体の一部がはまり込んだことも関係していたとされる。
なお、地震に対する脅威に対し、上越新幹線にも地震感知システム「ユレダス」をカスタマイズした「コンパクトユレダス」が採用されている。実際、この「とき325号」のケースにおいても初期微動(P波)の検知後にブレーキが動作した。しかし、このケースでは、「とき325号」の通過地点からみて直下型の地震であったため、「とき325号」の停止前に地震が到達したことにより被害が生じてしまった。
この事故により、新幹線を運営するJR各社は、新幹線における地震対策の重要性を強く認識することとなった。
東日本大震災での事例
2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)では、東北新幹線が甚大な被害を受けた。運転中だった列車はすべて強制停止したが、大宮駅 - いわて沼宮内駅間の広範囲にわたって、高架橋の損傷や架線柱の倒壊などが発生した。仙台駅では試運転中だったE2系の一部車両が脱線したほか、ホームの天井板が剥がれ落ちるなど前記の中越地震以上の被害を受け、全線復旧まで約1か月半を要した。
災害・テロへの対策不足
新幹線では、航空機や船舶と異なり、通常の運行では乗客名簿などは整備されない。万一、転覆事故などで多数の死傷者が生じた時には、死傷者の身元特定に支障をきたすのではないか、との指摘もある。もしそうなった場合、家族への連絡や事故の補償などで大きな問題となることが予想されるが、新幹線を運営する各鉄道会社はこの課題について踏み込んだ対策を採るまでには至っていない。
20世紀末から世界的に増加しているテロリズムに対しても新幹線は脆弱ではないかとの指摘もされている。現状では航空機のような搭乗時の手荷物検査がなく、その気になれば車内やプラットホームに、爆発物や刃物を容易に持ち込むことができるのも事実[※ 3]である。また高架橋などの軌道設備には周囲から容易に接近できる箇所が多く、この面でもたやすくテロの対象となりうる。
なお、東海道・山陽新幹線の最新式車両N700系はデッキに防犯カメラを取り付けている。しかし、ロンドン同時爆破事件の事例のごとく、防犯カメラを取り付けてもテロに対する抜本的な予防策にはならない。また、防犯カメラの設置が「プライバシーの侵害につながらないか」と危惧する声もある。
JR東日本の各新幹線では、テロ対策のため、車内のゴミ箱を一切利用停止にしていた時期があったが、乗客からの不便という声が高まり、現在は利用を再開している。また、JR東海ではアメリカ同時多発テロ事件以降、系列の警備会社と連携し、沿線を24時間体制で巡察しているほか、列車によっては警備員を警乗させている。
救命対策
2008年(平成20年)7月28日に東海道・山陽新幹線では、2008年12月より全編成において自動体外式除細動器 (AED) を配備すると発表した[32]。
新幹線の世界への影響
世界の高速鉄道の最高速度
世界初の210km/h運転を達成した新幹線の成功は、欧米各国に影響を及ぼした。鉄道先進国を自負していたフランスは、1967年5月28日よりパリ - トゥールーズ間の列車「ル・キャピトール」を欧州において初めて[※ 4]一部区間で200km/hで運転し、その後も複数の列車を200km/hで運行していた。新幹線の開業後、1981年に本格的な超高速列車TGVを開発し、営業最高速度260km/hというスピード世界一を達成し、新幹線の記録を凌駕した。
その他、ドイツ (ICE) やイタリア(ディレッティシマ)でも高速列車が計画され、実現に移された。イタリアのディレッティシマは欧州初の高速新線であり、1970年に工事が始まり、1978年に部分開業を迎え、1983年に250km/h運転を開始したものの、その後の整備で仏独に遅れを取り、全線が開業したのは1992年である。
スペインは、高速新線の導入を検討していたが、TGV方式の高速列車を採用、その他にもフランスからTGVを導入する国が増えている。
ロシアの高速列車ソコルは1997年、ドイツ鉄道の技術支援を受け、モスクワ - サンクトペテルブルク間654kmを営業時の最高速度250km/hで結んだことにより、それまで4時間20分掛かっていたものが、2時間30分に短縮された。
なお、すでに標準軌の鉄道網が整備されているこれらの国では、駅周辺は従来の路線をそのまま使用し、郊外区間では諸条件によって高速新線建設と在来線改良を使い分けることが多く、システム的には全線を新線として建設する新幹線とは別物といえる。
走行試験を除く営業運転速度は、2013年3月現在、新幹線E5系やフランスTGVの320km/hが世界最高である。日本の新幹線500系およびN700系 (300km/h)、ドイツのICE (300km/h) 等がそれに続く。大韓民国(韓国)では2004年にフランスのTGV方式の韓国高速鉄道 (KTX) が300km/hで開業し、台湾では2007年に日本の新幹線方式(一部仏独の技術を導入)の台湾高速鉄道が300km/hで開業した。なお、一時、ドイツのICE3の技術を導入した中国京津都市間鉄道および武広旅客専用線で350km/h運転を行っていたが、2013年3月時点では300km/hで運行している。
TGVは360km/hへの速度向上を計画している。2007年後半からフランスのTGV方式を採用したスペインのAVEは、マドリード - バルセロナ間630kmの新線で、ドイツのICEの技術に使われているシーメンス製の Velaro E という列車を使い350km/hで運転する計画がある。それが実現すれば、マドリード - バルセロナ間は2時間30分に短縮される。 さらにロシアやベトナムでも新幹線をモデルにした最高速度350km/hの高速鉄道建設が計画されている。
浮上式鉄道を含めた2013年3月時点における世界最速の旅客営業鉄道路線は、2003年にドイツの技術によって開業した中国・上海浦東国際空港へのアクセス用に建設された上海トランスラピッドで、最高速度は430km/hである。 走行試験も含めた鉄道における最高速度の世界一は、日本のMLX01が山梨リニア実験線で記録した581km/h。浮上式鉄道を除くとフランスTGVの高速試験車V150編成が記録した574.8km/hである(日本の非浮上式鉄道の最高記録はJR東海の300Xによって達成された443km/hで世界第3位)。
東海道新幹線は建設時期が古く、カーブなどの線路状況が200km/h台の設計になっている。より新しい山陽新幹線・東北新幹線などもフランスやドイツなどと比較すると山岳区間が多く、路線の起伏やカーブの設計などにおいて高速化を妨げる点が多い。特に後者は上越新幹線共々寒冷地の耐寒・耐雪装備が不可欠であり、重量的に不利である。また沿線に住宅地が多いため、騒音への対策も必要となるなど、300km/h以上の運転には解決すべき課題が多い。
しかしJR東海・西日本では2007年より山陽新幹線で500系と同じ最高速度300km/h、東海道新幹線でも従来の車両では255km/hまで減速する必要のあった半径2,500mのカーブを、車体傾斜装置を搭載することで270km/hで通過できるN700系の導入を開始した。また、JR東日本は2004年から360km/h走行を前提とした試験車両(E954・E955形)を開発し、2009年からはE954形をベースとして320km/hでの走行を前提にしたE5系を製造、新青森延伸後の2011年3月5日に300km/hで営業を開始し、2013年3月16日より320km/hでの営業運転を開始した。
JR東海は東海道新幹線の一部区間で、営業時の最高速度を270km/hから330km/hに引き上げることを検討している。330km/h走行は京都 - 米原間の直線が長い一部区間を対象に「のぞみ」の始発や終発に限った運行を想定。最先端の車両であるN700系を使い、前方に待機列車がなく、性能を存分に発揮できる時間帯に導入される。 しかし、現在でも営業時の最高速度は引き上げられておらず、270km/hのままで運転されている。
浮上式鉄道を除く、営業運転での最高速度記録
各路線での記録である。
- 1964年 - 東海道新幹線開業。210km/h。軌道の安定を図るため一部区間で160km/h運転
- 1965年 - 東海道新幹線の徐行運転が解除され、全線で210km/h
- 1972年 - 山陽新幹線開業。210km/h
- 1981年 - フランスでTGV・LGV南東線が開業。260km/h
- 1982年 - 東北新幹線・上越新幹線開業。210km/h
- 1983年 - フランスでTGVが270km/h
- 1985年 - 東北新幹線で240km/h
- 1986年 - 東海道・山陽新幹線で220km/h
- 1988年 - 上越新幹線で240km/h
- 1989年 - 山陽新幹線で230km/h
- 1989年 - フランスでTGV・LGV大西洋線が開業。300km/h
- 1990年 - 上越新幹線で275km/h(大清水トンネル下り坂利用)
- 1992年 - 東海道新幹線で270km/h
- 1993年 - 山陽新幹線で270km/h
- 1997年 - 東北新幹線で275km/h
- 1997年 - 山陽新幹線で300km/h(500系電車による)
- 1997年 - 長野新幹線開業。260km/h
- 2002年 - ドイツでケルン-ライン=マイン高速線が開業。ICE 3で300km/h
- 2004年 - 九州新幹線鹿児島ルート開業。260km/h
- 2004年 - 韓国で韓国高速鉄道 (KTX) が開業。300km/h
- 2007年 - フランスでTGV・LGV東ヨーロッパ線が開業。320km/h
- 2007年 - 台湾高速鉄道が開業。300km/h
- 2008年 - 中国で京津都市間鉄道が開業。350km/h(2011年7月1日から300km/hに変更)
- 2010年 - 中国で滬杭旅客専用線が開業。350km/h(2011年7月1日から300km/hに変更)
- 2011年 - 東北新幹線で300km/h
- 2013年 - 東北新幹線で320km/h (E5系電車による)
以下は予定。
新幹線の輸出
台湾
テンプレート:Main 台湾の南港 - 高雄間のうち、台北 - 左営の約340kmで運行中の高速鉄道路線(台湾高速鉄道)は、独仏連合との熾烈な受注競争の末、日本連合が最終的に逆転、受注に成功した。この高速鉄道は新幹線のシステムを導入して建設されており、車両には700系をベースとした700T型が用いられている。日本が受注した背景には、技術や安全性もさることながら、台湾は歴史的にも日本に対し親近感を持っていること、地理的に日本と類似した条件にあること、地震に備えるシステムが構築されていることなどが挙げられるが、最終的には日本側が提示した資金面での優遇措置を加えたことが契約締結の決め手となった。
当初は2005年10月の開業を目指して建設が進められたが、台湾高速鉄道のコンサルタント業務を欧州連合が先に受注していたため、施工方法やスケジュールの調整が難航。また建設工事の一部区間を受注していた韓国の現代建設による路盤の手抜き工事が発覚するなど、各国企業の思惑が入り乱れたため、開業時期が徐々に遅れ、結局2007年1月5日に板橋 - 左営間で仮開業し、全線は2007年3月に正式開業した。
現在、台北 - 南港間が建設中であり、左営 - 高雄間の着工は未定である。
なお、台湾高速鉄道の顧問には、日本における新幹線計画の実現に大きく貢献した島秀雄の次男である島隆が就いている。
イギリス
日立製作所は、2009年からロンドン - ケント州間の高速新線「High Speed 1(HS1、旧名CTRL: Channel Tunnel Rail Link)」で運行される高速列車サービス「オリンピックジャベリン」の専用車両「クラス395」29編成計174両を受注し、2007年8月から引き渡しが始まった。車両はHSBC Rail UKが保有し、サウスイースタンが列車の運行を担当する。UIC規格路線を走る初めての日本製高速鉄道車両であり、HS1上においてTGVベースのユーロスターと混在して運行されることとなる。営業最高速度は、HS1上で140mph (225km/h)、在来線では70mph (112km/h) で、将来的には時速170mph (275km/h) を目指す。
日立はさらなる高速鉄道事業の受注を目指して、インターシティ・エクスプレス・プログラムにおける受注も目指して活動を展開し、2009年2月に、イースト・コースト本線(ロンドン - エディンバラ間、距離700km)やグレート・ウェスタン本線(距離300km)を走行する高速鉄道車両の製造の優先交渉権を得た。そしてキャメロン政権の歳出削減政策による一時の交渉凍結を経て、2012年7月にシーメンス、アルストム、ボンバルディアの鉄道ビック3との受注競争に打ち勝って、596両の高速鉄道車両の製造と2017年から27年間にわたる車両のリースと保守事業を、45億ポンド(受注時の為替レートで約5,500億円)で一括受注した。さらに2013年7月には、追加で「クラス800」270両の製造と27年間にわたる車両のリースと保守事業を12億ポンド(受注時の為替レートで約1,800億円)で一括受注した[33][34]。受注した車両は最高時速200km/hで、5両編成(定員約300人)と9両編成(定員約600人)で運行される。これを受けて日立は8000万ポンド(96億円)を投じて英北部ダラム州のニュートン・エイクリフに車両生産工場を建設し、2016年から月産35両のペースで車両を生産する。車両のリース事業は日立の子会社などが出資する特別目的会社アジリティトレインズによって行われる。
中国
テンプレート:Main 中華人民共和国は京滬高速鉄道など8路線、計7,000kmの旅客専用線(最高速度350km/h)のほか、中国全土に高速鉄道網の建設(最高速度200 - 350km/h)を進めているが、国産高速車両「中華之星」の開発で多くのトラブルに見舞われたこともあって、日本の新幹線の技術導入と同時にフランス・ドイツ・カナダなどからも技術導入を図っている。
2007年には、主要都市間の在来線高速化 (200 - 250km/h) に向け、JR東日本のE2系(川崎重工業製)をベースにしたCRH2型「子弾頭」を導入している。日本以外ではスウェーデンのRegina(カナダ・ボンバルディア製)をベースにしたCRH1型(CRHは“China Railway High-Speed”の略)、イタリアのペンドリーノETR600(フランス・アルストム製)をベースにしたCRH5型も導入された。
2008年の夏季オリンピックに合わせて開業した北京 - 天津間の京津都市間鉄道にはCRH2型の旅客専用線仕様も導入されたが、設計速度を超過し運転していたため、日本側からの抗議を受けて他線区に転配し、武広線では250km/hで運転している。同年12月からは、北京 - 上海・杭州間にCRH2E型の16両編成中13両を寝台車「軟臥車(B寝台相当)」とした夜行列車が運転されている。「夜行新幹線」はかつて日本でも試作車両が作られたが、営業運転は実現していない。
2009年に開業した武漢 - 広州間の武広旅客専用線 (350km/h) にはドイツのICE3(シーメンス製)をベースにしたCRH3型が導入されている。
どの国からも、一部は完成車で納入され、残りは現地組み立てまたは技術供与による現地生産となっている。
なおJR各社では、JR東日本が受注に積極的なのに対し、台湾への技術供与を行ったJR東海会長の葛西敬之は、法整備が不十分な中国においてトラブルが発生した場合の責任問題や、中華人民共和国側の車両購入条件である「中華人民共和国へのブラックボックスのない完全な技術供与」では技術流出の危惧から反対の意見を表明している。また、2010年4月に葛西が「中国の高速鉄道は安全性を軽視することで、限界まで速度を出している。技術も『外国企業から盗用』」と主張したことに対し、中国の何総工程師は「我々が求めている技術は、日本のような島国向けの技術とは異なる」と主張し、「安全性が保証されている中国の高速鉄道技術は既に世界をリードする地位を獲得した」などと反論した[35]。
しかし、中国鉄道部科学技術局長などを務めた周翊民は、中国紙『21世紀経済報道』に対し「世界一にこだわり、設計上の安全速度を無視し、日独が試験走行で達成していた速度に近い速度での営業を命じただけで、中国独自の技術によるものではない」と暴露し、「自分の技術でないので問題が起きても解決できない。結果の甚大さは想像もできない」と指摘した[36]。またアメリカ議会の超党派諮問機関である「米中経済安保調査委員会」は2011年10月26日、日本の新幹線技術の中国側の取得について「中国企業が外国技術を盗用した最もひどい実例」と明記し、中国の政府や国家の意思によるものだと結論付けた[37]。なお、2011年7月23日に浙江省温州市で、死者43人・負傷者190人以上を出す追突脱線事故が発生し、鉄道局長ら幹部3人が更迭されている[38]。
韓国
大韓民国の高速鉄道である「KTX」計画においては、日本の新幹線方式も入札に参加していたが、最終的にはフランスのTGV方式となった。
輸出候補地
- ベトナム
- ハノイ - ホーチミン間 (1,630km) を最高速度350km/hで結ぶベトナム高速鉄道計画があり、完成すれば現在30時間以上かかっている所要時間が10時間弱に短縮されると期待されている。資金は日本の政府開発援助(円借款)を充てる予定で、新幹線方式の導入が検討されていたが、2010年6月19日のベトナム国会でこれらの政府案は否決され、暗礁に乗り上げた格好となった。
- インド
- アメリカ・カリフォルニア州
- ロサンゼルス - サンフランシスコ間などを結ぶカリフォルニア高速鉄道の建設計画がある。州の予算や採算性の問題もあり、建設時期は未定のままだが、オバマ大統領がマニフェストに掲げたグリーン・ニューディール政策によって、具体的に進行し始めている。JR東海が積極的に新幹線を売り込んでいる。アメリカ西部は地震も多く、開業以来地震に対する対策を採ってきた新幹線はその点で各国の高速鉄道よりもアドバンテージがあるのでは、とする声もある。建設プロジェクトを紹介するインターネットのウェブサイトには、700系新幹線をイエローとブルーのツートンカラーにした車両のCG動画が公開されている。また、JR東日本も新幹線を売り込んでいる見込みである。
- ブラジル
- リオデジャネイロ - サンパウロ - カンピーナス間に高速鉄道計画(路線距離550km、最高速度320km/h)がある(ブラジル高速鉄道)。当初は2014年にブラジルで開催されるワールドカップに合わせて開通させたい意向で、日本は国土交通省と三井物産、三菱重工業、川崎重工業、東芝が官民共同で売り込んでいたが[40][41]、提示条件の厳しさなどから入札の不調や延期を繰り返している。リオデジャネイロ - カンピーナス間は標高差が700メートル近くあり、長野新幹線の高崎駅 - 軽井沢駅間などの大きい標高差における建設、運行のノウハウを蓄積している新幹線は、その点で各国の高速鉄道よりも優位ではないかと評価する声もある。
- ロシア
他国との競合点
- 2009年現在、世界における高速鉄道の技術入札においては、事実上、日本の新幹線技術とフランスのTGV技術の二大勢力が競合している[42]。
- 世界的に見ると、高速鉄道を必要とする国には、日本のように地理的条件や騒音対策・輸送量の面で過酷な条件に置かれているケースはさほど多くはないため、新幹線方式よりもコスト面でより有利な、TGVに代表される半動力集中式を採用するケースが多い。
- 競合点のひとつである輸送量については、新幹線は同じ標準軌のTGVなどより車両の幅が広く高頻度運行が可能であるため、単位時間あたりの最大輸送量も大きい。
- アメリカにおける高速鉄道入札でのプレゼンテーションにおいては、日本側は安全性その他の優位性を主張しつつ、線路・システムなどとの一括での契約を要求したのに対し、フランスのTGVは車体のみでの契約も可能とするなどより柔軟な交渉をしている[42]。
新幹線による貨物輸送
新幹線による貨物輸送は、最高速度や制動距離などの違いからダイヤグラム上で旅客列車と混在させることは現状では困難である。また、高速で走ったとしても積み替え等の時間が必要なことから、時間短縮効果が旅客ほど出てこないともされる。なお、約40年の時を経て同様のコンセプトを持つ列車が在来線で「JR貨物M250系電車(スーパーレールカーゴ)」として登場した[43]。
東海道新幹線建設時における「貨物新幹線」計画
「貨物新幹線」は、東海道新幹線の建設時から、東京-大阪間を5時間半で結ぶ夜行貨物列車の運行構想があった[44][※ 5]。1958年(昭和33年)に国鉄幹線調査会が答申し、国鉄の新幹線総局計画審議室などが検討をおこなった[45]。
計画を担当していた石井幸孝によると、国鉄では貨物取扱駅の用地買収をおこない、工事を開始した(石井によると、国鉄が使用するコンテナの規格も計画に沿って決めたという[45])が、東海道新幹線の建設費がインフレの影響で当初の計画より二倍近くに膨れ上がったため計画を断念した[45]。その後、貨物新幹線用地は東京貨物ターミナル駅や車両基地などに転用された。大阪貨物ターミナル駅の近くには未完成の高架施設が残っていたが[45]、2013年から順次撤去工事が進められている[46]。
東海道新幹線建設時の計画については、世界銀行から新幹線建設の資金を調達する際、貨物が鉄道輸送の主力となっていたアメリカの理解を得るためのダミー構想だったとの見方があるが、石井はこれを否定している[45]。
JTBキャンブックス『幻の国鉄車両』 pp.46 - 52 には、コンテナ電車他各種車両のメトリクスや編成図が掲載されている。
東北・上越新幹線における検討
東北・上越新幹線建設の際にも貨物輸送の可能性が検討されたが、迅速性を優先されるという物資の輸送では航空貨物との競合が避けられずしかも貨物シェア自体が小さいこともあって、基本規格は東海道・山陽新幹線に準じることとして将来の可能性を残す形で見送られた[※ 6][47]。
レールゴーサービスの拡大案
1981年から、東海道新幹線で「レールゴーサービス」という小荷物などの運送がおこなわれていた。1982年には郵政省からの提案で、1985年頃には国鉄内から、これを拡大した郵便・貨物輸送が計画されたことがあったが、いずれも実現しなかった。[48]
北海道新幹線における検討
2005年(平成17年)から建設が始まった北海道新幹線は、青函トンネルとその前後の区間を在来線の貨物列車と共用するため、同区間では片道あたり新幹線・貨物それぞれ2本/時しか走らせることができないと予想されている。JR北海道ではこのボトルネックを緩和する方法の一つとして、在来線の貨車をそのまま搭載する専用列車(トレイン・オン・トレイン)の研究が進められている[49][50]。
運賃・特急料金
運賃
新幹線の運賃は、並行在来線の営業キロを元に決められる。これは元来新幹線が並行在来線の別線増設として建設されたという歴史的経緯や、運賃計算の繁雑化を避けたことによるものである。詳しくは以下の通り。
注:「並行在来線」とは、東海道新幹線では東海道本線、山陽新幹線では東海道本線・山陽本線・鹿児島本線、東北新幹線の東京駅 - 盛岡駅間では東北本線、上越新幹線では(東北本線)・高崎線・上越線・信越本線、九州新幹線の博多駅 - 新八代駅間、川内駅 - 鹿児島中央駅間では鹿児島本線のこと。
- 新幹線と並行在来線は原則として同一路線とみなされる(「幹在同一視」)。そのため、新幹線を利用した場合と在来線を利用した場合とで基本的に運賃は変わらない(後述するように例外もある)。
- 並行在来線と接しない新幹線駅については、それに最も近い(もしくは対応する)並行在来線の駅に相当するものとして営業キロを定める(例:新花巻駅は花巻駅の営業キロを用いる)。
- 並行在来線(の一部)が廃止されたり第三セクター鉄道に転換されたりして「並行するJR線」が消滅した区間(長野新幹線の高崎駅 - 軽井沢駅 - 長野駅間・東北新幹線の盛岡駅 - 新青森駅間・九州新幹線の新八代駅 - 川内駅間)については、実際のキロ数を営業キロとする。
- 幹在同一視の原則により、片道乗車券の経路に新幹線とそれに対応する区間の並行在来線の両方を含むことはできない。
一方、新幹線と並行在来線とを完全に同一視すると旅客にとって不利になる場合を考慮して、以下のような例外がある。
- 並行在来線と接しない新幹線駅を含む区間(例:品川 - 新横浜 - 小田原)については別の路線として扱う。
また山陽新幹線の新下関駅 - 小倉駅 - 博多駅間については、新幹線(JR西日本)と在来線(JR九州)とで管理する会社が異なることから、他の区間とは扱いが異なっている。
- 基本的には同一の路線として扱うにもかかわらず、運賃が異なる。
- JR九州管内となる下関以西の在来線では乗車距離に応じた加算額が課されるのに対し、JR西日本管轄の新幹線ではそれがないため。
- 運賃が異なることに起因して、片道乗車券の発売条件の判定がかなり煩雑である。規則を厳密に解釈すると、条件によっては片道乗車券でも連続乗車券でも発売できない経路が存在する。
詳しくは、旅客営業規則第16条の2、第16条の3および第16条の4を参照。
- JRグループ旅客営業規則 - JR東日本
特急料金
新幹線(山形・秋田新幹線を除く)の特急料金は、乗車券や在来線の特急列車のような対キロ制ではなく、各駅の区間ごとに決められた、いわゆる三角表方式となっている。
新幹線と在来線の乗り継ぎについては、一定の条件で在来線の特急・急行料金を半額に割り引く制度がある(乗継割引)。これは、新幹線が開業する前は1本の(特急等の)列車で済んでいたものが、開業したことによって複数の(新幹線と特急等の)列車に分割されることによる合計後の特急料金等の負担増を軽減することをそもそもの目的として設けられたものである。
なお、制度上在来線である山形新幹線と秋田新幹線については、新在直通運転を行うという特殊性から、以下のような取扱いになっている。
- 福島駅 - 新庄駅の区間内相互間、および盛岡駅 - 秋田駅の区間内相互間での利用の場合
- 在来線として扱い、A特急料金を適用する。
- 東北新幹線と福島・盛岡で乗り継ぎまたは直通する場合
- 東北新幹線区間の特急料金に、在来線区間の乗車距離に応じた特定の特急料金を加算する。この在来線区間の料金は、通常のA特急料金とそれに乗継割引を適用した金額との中間的な額になっている。
営業上の競合など
航空便との競合
長距離移動においては、従来から国内航空便との競合が続いていたが、航空会社の規制緩和による各種割引運賃の導入(早割、特割、激割など)や旅行業者とタイアップしての宿泊料金込みの格安プランの販売、および格安航空会社の国内線参入等により、競争は一層激化している。
また、航空会社によるマイレージサービスの存在も大きく影響している。これは高頻度の利用客に対し通常より多いボーナスマイルや専用ラウンジの用意、渡航先宿泊の割引など高いサービスを与えて優遇する制度であり、利用者の大きな支持を得ている。鉄道側でも、例えばエクスプレスカードの場合、会員に対しポイントシステムを開始しているが、そのサービス内容や、高頻度利用客への優遇サービスは格段の違いがある。さらに新幹線には飛行機のような手荷物検査が一切ないので、セキュリティの面でやや不安感があるともいえる。
航空会社との対抗については、航空路線と競合する区間を中心に割引率の大きい特別企画乗車券の発売や、ビジネス客の多い東海道・山陽新幹線ではJR東海エクスプレス・カードとJ-WESTカード(エクスプレス)による「エクスプレス予約」、東北・山形・秋田・上越・長野新幹線では「えきねっと」といった、運行会社自身の会員制インターネット予約による割引特急券の発売が行われている。とりわけ2006年(平成18年)の神戸空港や北九州空港の開港は、競合する東海道・山陽新幹線への影響が大きく、「エクスプレス予約」の山陽新幹線への拡大、300km/hの高速性能と700系車両を上回る居住性の両立を目指した次世代車両であるN700系車両の共同開発など、それまで対立の多かったJR東海とJR西日本両社は連携を強化する体制に転換しつつある。一方、航空会社も東京 - 大阪間でのみ使える予約変更自由、航空会社選択自由のシャトル便往復割引を導入して迎え撃っているほか、羽田空港の滑走路増設による発着能力増強や、横田空域の一部返還により、更なる所要時間短縮による競争力強化が見込まれている。また、京浜急行電鉄や名古屋鉄道といった空港連絡鉄道路線を持つ鉄道各社とのタイアップも行っている。これらの鉄道会社が保有する路線の多くは、JRの在来線と競合しているため、その影響もあると見られている。 なお、JR各社がインターネット予約サービスを設けているが、主にビジネス客向けの会員カード制である点や、それぞれ各社が独立して運営しているので、JR同士であっても会社が異なると発券や割引が受けられないといった問題もあり、航空会社のそれに比べると劣っているともいえる。
なお山陽新幹線においては、終点である博多駅と福岡空港がほぼ隣接している(地下鉄で2駅、5分前後)という他の地域にはない特徴もあり、福岡 - 名古屋間では新幹線と航空会社との競争が非常に激化している。福岡 - 大阪間は従来競争が激しかったが、「ひかりレールスター」の登場などにより、鉄道側が優位に立っている。さらに2011年の山陽新幹線と九州新幹線の直通運転開始により、従来は航空側が優位であった大阪 - 熊本・鹿児島間でも競合が始まっており、新幹線と航空会社との競争が激化し始めている。
そのほか、2015年に予定されている北陸新幹線延伸や2016年に予定されている北海道新幹線の開業によって、現時点では航空側が優位に立っている東京 - 金沢間や東京 - 函館間においても競争が激化することが予想されている。
ただ、新幹線が災害や事故などで運転を見合わせた場合などには、航空路は新幹線の代替交通機関としての機能も果たしている。
他の鉄道との競合
私鉄特急との競合
東海道新幹線の開業以来、新幹線と競合した私鉄特急としては、近畿日本鉄道(近鉄)、小田急電鉄、名古屋鉄道(名鉄)の特急があった。
私鉄特急はいずれの場合も、到達時間では新幹線に太刀打ちできないので、運賃・料金の割安さ、駅の立地、車両の居住性などで対抗することになった。
- 近鉄特急との競合
- 直接の競合は、名古屋 - 大阪間で見られる。大阪側では、特に新幹線ターミナルの新大阪から離れたミナミに対しては、乗換を必要としないエリア(なんばなど)があることなどの意味で、近鉄特急にも優位性がある。
- 競合は1964年(昭和39年)の東海道新幹線開業時に始まる。当初は運賃・料金でも差が小さかったことや、到達時間の差などから客を新幹線に次々と奪われ、大阪万博のあった1970年(昭和45年)を除き、1970年代前半までは低迷が続き、近鉄の名阪ノンストップ特急(甲特急)は汎用車両の2両編成による運行を余儀なくされた。一時は単行車両の導入も検討されたといわれている[※ 7]。
- しかし、1970年代後半には、国鉄の頻発する運賃・料金の値上げとストライキに対する嫌気から、名古屋 - 大阪間においては、特に急がない個人客を中心に、新幹線から近鉄特急への乗客移行が多く見られた。このことにより、1980年代に入ると同区間の近鉄特急も3両編成、後には6両編成にまで復調したが、運用される車両は汎用車両のままであった。
- その後、100系車両の投入(1985年)とJR東海の発足(1987年)による東海道新幹線の競争力強化を受けて、1988年(昭和63年)に近鉄特急も新型車両「アーバンライナー」を投入し、2000年代には更なる新型車両「アーバンライナーnext」投入や「アーバンライナー」の「アーバンライナーplus」へのリニューアルを実施、運賃面でも割引乗車券の名阪まる得きっぷを導入するなどして、主に運賃面と快適性をアピールする形になった。
- 一方では、伊勢志摩・奈良方面など、新幹線と競合しない区間では、むしろ東海道新幹線と近鉄特急は補完関係ですらある。1964年(昭和39年)の東海道新幹線開業で、近鉄は自社特急網を新幹線の培養ルートとして育成し、新幹線で大阪・京都・名古屋に到達した旅客を自社沿線の観光地へ誘致する戦略を採った。伊勢志摩方面ではまだ在来線列車「みえ」との競合も見られるが、JR東海の特別企画乗車券の中には、新幹線と接続する京都駅から奈良方面への移動にJR西日本の奈良線ではなく、近鉄線を指定しているものも存在する。
- もっとも、名古屋 - 大阪間については、新幹線が災害などで運転を見合わせた場合の代替路線の機能を果たしている。
- なお、上述した歴史的経緯の詳細は、近鉄特急史に詳しい。
- 小田急特急との競合
- 東京 - 小田原において、「はこね」などとの競合が見られる。
- ただ、運賃格差の大きさと箱根方面への輸送を含むというその性質の差、それに東京側ターミナルの違い(新幹線・東京駅、小田急・新宿駅)などが作用して、新幹線の開業によって大きな影響があるとは言い難く、棲み分けがなされているともいえる。むしろ新幹線よりもJR東日本の湘南新宿ラインが直接の競合相手といえる。
- また東海道新幹線を運営するJR東海とは、国鉄時代から継続して小田急から御殿場線に乗り入れて新宿 - 御殿場間を運行する「あさぎり」(一時は運行区間を新宿 - 沼津間に拡大し、専用車両として371系・20000形RSEを開発して共同運行を行っていた)を設定するなどしており、対立関係は見られない。
- 名鉄特急との競合
- 愛知県の名古屋 - 豊橋について、競合が見られる。しかし、豊橋駅に停車する新幹線は毎時2本の「こだま」と2時間に1本の「ひかり」だけであり、時間帯を選んで乗らない限り速達性を存分に発揮できない上に、別途特急料金もかかる。したがって、名鉄特急と本格的に競合しているのは、むしろ同区間の在来線を走行するJR東海の追加料金不要の快速電車(新快速・特別快速を含む)であるといえる。
一方で、この区間の利用を促進するために、在来線用の「名古屋-豊橋カルテットきっぷ」と併せて使うと新幹線に乗れる「カルテットきっぷ専用新幹線変更券」が用意されている。
JR(国鉄)同士 の競合
国鉄時代、新幹線に並行する在来線特急と競合したものの、同一事業者よる運用として一般的には「競合」とはみなされていなかった。しかしながら、国鉄民営化後は新幹線と在来線特急が別会社によって運用されるケースが発生し、営業的にも競合関係となった。具体的な例は以下の通りである。
- 福岡県内(北部九州)
- 山陽新幹線の小倉 - 博多間がそのひとつである。JR西日本(新幹線)は小倉 - 博多間のみの「こだま」を朝晩の通勤時間帯中心に増発している。一方JR九州(在来線・鹿児島本線)では特急「ソニック」「きらめき」を運行し、特急料金の値下げや高頻度の運行で対抗している。車両でも885系・883系・787系を使用している。この区間には西鉄バスによる低廉(片道1,100円)な予約不要の高速都市間バス「ひきの号」「なかたに号」「いとうづ号」も多数運行されており、三つ巴の様相を呈している。
- 南関東(神奈川・伊豆方面)
- 東京・品川 - 小田原において、JR東日本・東海道線との競合が見られる。平日早朝に上り「湘南ライナー」、平日夜間には下り「湘南ライナー」、「通勤快速」を運行し、特に東京発 19 - 21時台では湘南ライナーが 00分 ・ 30分 発、通勤快速が 50分 発と3本体制になっている。ただ、平日かつ早朝・夜間帯のみの運行であるため、競合の主な対象が通勤者に置かれており、日中の時間帯や休日では“棲み分け”がなされている。また、通勤快速をはじめ、ほとんどの快速・普通列車には2階建てグリーン車も連結されていて、小田原・熱海方面からの在来線利用の遠距離通勤者に配慮している。
- 他には、東京方面からの富士箱根伊豆国立公園方面へのアクセスにおける、東京・品川 - 熱海間(JR東海・東海道新幹線とJR東日本・東海道本線)の競合があげられる。“棲み分け”がなされているとも見ることもできるが、両社はこの区間において在来線同士の直通運転を除き、新幹線と在来線の相互連携は特に見られず(国鉄時代から発売されている特別企画乗車券「伊豆フリーQきっぷ」で、東京 - 熱海 - 三島間で東海道新幹線あるいは在来線特急(踊り子号)自由席の利用が可能である程度)、JR東日本側では在来線特急を伊豆急行や伊豆箱根鉄道駿豆線と東京を直通させている。
- なおJR東海は熱海駅、小田原駅から東京都区内までは新幹線を利用し、東京都区内JR在来線・りんかい線が乗り降り自由となる「こだま都区内・りんかいフリーきっぷ」を2013年7月31日まで発売していた[51]。
- 近畿圏
- 米原 - 大阪間についてJR東海の新幹線とJR西日本の琵琶湖線・JR京都線で競合が見られるが、棲み分けがなされているといえる。
- JR京都線および神戸以東のJR神戸線の各駅から岡山・広島方面へ向かう場合は、新大阪または新神戸で山陽新幹線に乗り換えるよりも、大阪・三ノ宮で特急「スーパーはくと」や新快速に乗車して姫路で山陽新幹線に乗り換える方が料金的に有利であるケースが多く、加えて神戸駅以東のJR神戸線各駅からは時間的にも有利であるケースが多い。
高速バスとの競合
高速バスとの関係では、昼行の長距離においては、たとえ格安であっても新幹線の速度と定時性にはかなわないものがあるが、既出の例を含む中距離区間や、新幹線が中心とされた東京・大阪間を初めとする区間を夜行バスで寝ている間に格安で移動できるということで、1980年代ごろから人気が出ており、国鉄の名残からJR新幹線沿線をJRの子会社が運行する路線もあるが(東京-名古屋・京阪神間が中心)[※ 8]、JRグループ以外の競合会社(私鉄・専業系路線バスのほか、貸切バスによる会員制ツアーバスもある)の進出も急増し、各JR新幹線と実質競合している。高速バスは、バスの特性を生かして都市の市街地(東京の新宿や渋谷、名古屋の栄、大阪の梅田や難波、広島の紙屋町、福岡の天神など)やテーマパーク(TDRやUSJなど)にきめ細かく直接乗り入れるなどしているため、新幹線の駅を結ぶ競合でなくても新幹線の客を奪っている(ただ、運賃と所要時間が違いすぎるため、直接的な新幹線との競合というよりは、利用客のニーズの違いで使い分けられている感が大きい)。なお、JR新幹線は協定により深夜・早朝の運転を行わない。
その他
政治の影響
テンプレート:Main 新幹線の建設に関しては、その開業効果が大きいことから、沿線の利害に関係することとして建設時よりさまざまな政治介入がなされてきたといわれる。
最も古い話では、東海道新幹線の建設時に起こった京都駅の設置是非をめぐる問題や、大野伴睦の介入による岐阜羽島駅の設置騒動がある。ただし岐阜羽島駅の設置には、関ヶ原の降雪対策という政治的な影響力とは別の理由もあり、政治力のみで設置されたわけではないと言われている。
また逆に、一度は着工された駅新設が、その新設を争点とした選挙での県知事交代によって凍結に追い込まれた、滋賀県の南びわ湖駅の例もある。
世界の高速鉄道の呼称
日本では、新幹線という単語がすでに高速鉄道そのものを意味する普通名詞と化しているため、報道などでは日本国外の高速鉄道についても国名を付けて「○○新幹線」「○○版新幹線」「○○の新幹線」と広く呼ばれている(例:TGVはフランス新幹線、ICEはドイツ新幹線、KTXは韓国新幹線、ER200はロシア新幹線、HSRは台湾新幹線など)。
しかし、日本の新幹線は車両・軌道・架線・信号 (ATC) などを総合した独自のシステムであり、ミニ新幹線を除けばヨーロッパのように在来線と相互乗り入れしているわけではなく、他の高速鉄道システムとは区別することがある。英語では、日本の新幹線は Shinkansen と表記されるように、新幹線とは日本の高速鉄道システムの固有の名称として取り扱っている。技術的には、他国の高速鉄道と異なり在来線とは独立したシステムとなっているのが特徴で、動力分散方式など独自性が強いのも特徴である。
駅での新幹線案内表示
- 新幹線が乗り入れる駅において、駅構内の表示では、ピクトグラムとして国鉄時代は0系・200系を元にした絵(丸型の先頭車両)が描かれていた。JR東日本の東北・上越新幹線の駅、および東京駅での東海道新幹線乗り場案内サイン(JR東日本構内)は現在もこれを踏襲している。しかし、JR東海と西日本では、その後登場した車両の絵を用いている。
- 地下鉄など国鉄・JR以外の駅では、乗り換え表示に「JR線」と表示するのではなく「JR線・新幹線」と新幹線を在来線と分けて記載する例がみられる。
- 新幹線の英語表記の案内表示では、表記が統一されていないものがある。たとえば、「新横浜」をShin-Yokohamaと表記しているところもあれば、Shin-yokohamaと表記しているところもある。この点は専門家の間でもまとまった意見は出ていないのが現状である。
警笛・走行音など
- 新幹線の「音」は「ビュワーン」という擬音表現が古くからよく知られ、メディアなどでも取り上げられることが多かった。新幹線を用いた旅行という設定のCM、後述する『はしれちょうとっきゅう』の歌詞などである。これを新幹線の走行音と思う人も多かったが、実際は走行中の主に高速走行時の警笛音である。なお、この音で新幹線がイメージされることは、1980年代以降薄れた。また、100系以降の東海道・山陽新幹線車両や東海道・山陽新幹線以外の新幹線については、この音をメディアなどで取り上げられることはなかった。
- 実際の新幹線の走行音は、低速運転時(少なくとも110km/h以下)の場合は在来線の走行音より静かである。これはロングレールの多用によりレールの継ぎ目が少ないことや、在来線車両よりも歯数比が低く、同じ速度であれば電動機がより低速で回転することなどに起因している。[※ 9]
- 走行音の発生源としては車輪や架線、車体前面や側面・上面の突起物による風切り音(空力音)がある(初期の0系時代にはパンタグラフの摺動音と電気火花による音もした)が、300km/h近くなると空力音がその大半を占めるようになる。そのため高速走行には「新幹線車両」で述べたような空力音対策が必要とされる。
- トンネル突入の際、圧縮された空気により、退出側の坑口周辺ですさまじい騒音が発生する。トンネル微気圧波による騒音であり、圧縮波とも呼ばれている。上記に同じく、対策が必要とされる。
運営主体の根拠
法律面では新幹線の運営を特定していないが、運営がJRグループに継承されている理由としては、
- 新幹線の経営には莫大な費用がかかり、それを負担できる資本力があるのは旧国鉄の業務を継承したJR各社しか存在しない。
- 旧国鉄には、東海道新幹線、山陽新幹線、東北新幹線、上越新幹線を経営してきた実績があり、それがJR各社に分割民営化されたことで、運営を知る人材を持つJR各社に引き継がれた。
ということが挙げられる。
地名における「新幹線」
静岡県田方郡函南町には「新幹線」という地名が存在する。これは昭和30年代の新幹線計画にちなむものではなく、戦前の弾丸列車計画時代のものである。弾丸列車計画時代に新丹那トンネルの工事を行うための従業員宿舎が置かれた場所で、工事終了後に宿舎は撤去されたが、その後同地に住宅団地が建てられ「新幹線」という地区が生まれることとなった。この地区には新幹線公民館や「幹線下」という名のバス停も存在している。
東京都国分寺市の鉄道総合技術研究所のある場所の地名は「光町」である。国分寺市が1966年に町名整理を行った際、同研究所での新幹線開発と1964年の東海道新幹線開業を記念し、列車愛称「ひかり」にちなんで旧地名の平兵衛新田から改称したものである。由緒ある旧地名のため研究所は地元市民との交流の機会にもなっている一般公開を「平兵衛まつり」と名付けている。
送電線名における「新幹線」
鉄道路線ではなく、送電線の名称に「新幹線」と付けられたものがある。例として、猪苗代新幹線・飛騨新幹線等があり、いずれも東海道新幹線が開通する1964年(昭和39年)よりはるか以前の大正末期から昭和初期に開通しており、「新幹線」の語を最初に使ったのは旧国鉄ではなく電力会社である。
イベント列車
新幹線が走っていない四国旅客鉄道(JR四国)では、2014年よりキハ32形気動車を改造した“新幹線風の”車両「鉄道ホビートレイン」が走ることが決定している。非電化区間を走行するために、モーターではなく、ディーゼルエンジンを動力にしている。車内には0系風の座席や鉄道模型が展示される。また、汽笛は新幹線のものと同じ音が鳴る。
キャンペーン
東北新幹線の八戸駅 - 新青森駅間開通(2010年12月4日)、および九州新幹線の博多駅 - 新八代駅間開通(2011年3月12日)に合わせて、北海道旅客鉄道(JR北海道)・四国旅客鉄道(JR四国)も含むJRグループ旅客6社共同企画として、2010年12月15日より2011年3月31日まで『THE 新幹線』キャンペーンが行われた。キャッチフレーズは「日本とともに、走り続ける夢がある」。期間中は、新幹線の駅などをチェックポイントとし、携帯電話のGPS機能を活用したモバイルラリー「“THE 新幹線”ポイントラリー『日本列島縦断 チャレンジ新幹線!』」や、JRグループの鉄道・旅行情報サイト「トレたび」でのスペシャルサイトの開設などが行われた。
脚注
出典
参考文献
(著者・編者等の五十音・アルファベット順)
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関連文献
外部リンク
- JR東日本
- JR東海
- JR西日本
- JR九州
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- ↑ 全国新幹線鉄道整備法(昭和45年5月18日法律第71号)第2条 - 総務省 e-Gov(イーガブ) 法令データ提供システム
- ↑ 3.0 3.1 『読む・知る・愉しむ 新幹線がわかる事典』、p.19 - p.20。
- ↑ 4.0 4.1 『読む・知る・愉しむ 新幹線がわかる事典』、p.25 - p.26。
- ↑ 『読む・知る・愉しむ 新幹線がわかる事典』、p.28。
- ↑ 『図解雑学 くわしくわかる新幹線のしくみ』、p.10。
- ↑ 7.0 7.1 『読む・知る・愉しむ 新幹線がわかる事典』、p.53。
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- ↑ 11.0 11.1 『新幹線 高速鉄道技術のすべて』、p.59。
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- ↑ 廣田幸嗣著、『電気自動車の本』、日刊工業新聞社、2009年11月25日初版1刷発行、ISBN 9784526063572、152頁
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- ↑ 【熱血知事ダイアリー】神奈川県とリニア検討委発足へ アクア値下げも合意(インターネット・アーカイブ) 産経新聞、2009年4月7日
- ↑ なお、車内販売全廃後、「こだま」の車内での飲料購入は、16両編成の「こだま」では、2012年3月17日から2014年3月14日までは自動販売機のみで飲料の購入ができた(現在は700系・N700系16両編成の車内の自動販売機全廃により、N700系8両編成以外の「こだま」の車内では飲料の購入もできない)。また、N700系8両編成の「こだま」の車内では、現在でも自動販売機で飲料の購入はできる。
- ↑ なお、車内には飲料の自動販売機が設置されていて、飲料のみの購入はできる。
- ↑ テンプレート:Cite news
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- ↑ 「東北・上越両新幹線について」大塚滋 「鉄道ファン」No.132 (1972年4月号)
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- ↑ トレイン・オン・トレイン始動。(上) - ネコ・パブリッシング『鉄道ホビダス』 編集長敬白 2010年2月26日
- ↑ トレイン・オン・トレイン始動。(下) - ネコ・パブリッシング『鉄道ホビダス』 編集長敬白 2010年2月27日
- ↑ 「お得なきっぷ」の一部見直しについて - 東海旅客鉄道ニュースリリース 2013年6月28日
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