ハノイ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:Pathnav テンプレート:特殊文字 テンプレート:基礎情報 ベトナムの省 ハノイテンプレート:Lang-vi, 漢字:河內)とは、ベトナム社会主義共和国北部に位置する同国の首都ホーチミン市に次ぐ同国第2の都市であり、政治文化の都である。地名の「河内」は当時の街(現在のホアンキエム・バーディン・ドンダー・ハイバーチュンの4区にほぼ相当)が紅河とトーリック川(蘇瀝江)とに囲まれていたことに由来する。2009年の人口は650万人。紅河の右岸にあり、国内の工業の中心地で、農産物の集散地ともなっている。また、一柱寺など史跡も多い。東南アジア有数の世界都市であり、ホーチミン市がベトナム経済の中心地である反面、ハノイはベトナムの政治・文化の中心地であるため、世界都市との評価を受けた。

歴史

テンプレート:Main

ハノイがベトナムの中心都市となったのは、7世紀頃のことである。代には雲南南シナ海を結ぶ交易路上にあったこともあり、安南都護府がおかれ唐による南方支配の拠点となった。唐末に安南都護府の支配は形骸化し、さらに紅河が当時の海上交易網から外れていったため、その重要性は一時低下した。しかし、11世紀李朝はこの地を都と定め、農業地帯を統治する拠点とした。李朝の成立以降、1802年阮朝フエに都を移すまで王都として繁栄。その間は昇竜(タンロン)、東京(トンキン)など様々な名で呼ばれてきたが、1831年に現在の名称になった。1873年にはフランスに占領され、1887年以降はフランス領インドシナの中心地となった。

1940年、日本軍の仏印進駐により、日本の事実上の占領下となるが、1945年8月にその占領状態は終了し、9月2日にハノイでベトナム民主共和国(北ベトナム)の独立が宣言された。その後、1946年から1954年の第一次インドシナ戦争においては、ハノイも戦場となり、一時フランス軍が占領した。しかし、ベトナム側が戦争に勝利したことにより、ハノイはベトナム民主共和国の首都となった。

ベトナム戦争中は、橋などの交通施設を中心にアメリカ軍爆撃を受けた。1976年には南北ベトナムの統一に伴い、ベトナム社会主義共和国の首都となった。

2010年は、1010年李太祖がハノイに遷都して1000年目にあたることから様々な記念行事が行なわれた。同年10月10日には軍事パレードも行なわれている[1]

2019年アジア競技大会の開催地になっていたが、経済的理由で開催を辞退した。

行政

2008年5月29日、ハタイ省全域とヴィンフック省メリン県、ホアビン省ルオンソン県の4村 (Đông Xuân, Tiến Xuân, Yên Bình, Yên Trung) がハノイ市に合併されることが決定し、2008年8月1日に合併した。この合併により面積は約3.6倍、人口は約2倍となった[2]。同年12月11日、ハドン市を区(Quận, 郡)とし、ソンタイ省直轄市(thành phố)から「市」(thị xã, 市社)とすることが決定された[3]

ハノイは10区、18県 (Huyện, 縣)、1市 (市社) の計29の行政区から構成されている。

行政区画
行政区名 下位行政区 面積 (km2) 人口 (人)
1 市
ソンタイ市Thị xã Sơn Tây, 市社山西) 9 坊 6 村 113.474 181,831
10 区
バディン区Quận Ba Đình, 郡巴亭) 14 坊 9.224 228,352
カウザイ区Quận Cầu Giấy, 郡橋紙) 8 坊 12.04 147,000
テンプレート:仮リンクQuận Đống Đa, 郡棟多) 21 坊 9.96 352,000
ハイバーチュン区Quận Hai Bà Trưng, 郡𠄩婆徵) 20 坊 14.6 378,000
ハドン区Quận Hà Đông, 郡河東) 17 坊 47.9174 198,687
ホアンキエム区Quận Hoàn Kiếm, 郡還劍) 18 坊 5.29 178,073
ホアンマイ区Quận Hoàng Mai, 郡黃梅) 14 坊 41.04 216,277
ロンビエン区Quận Long Biên, 郡龍邊) 14 坊 60.38 170,706
タイホ区Quận Tây Hồ, 郡西湖) 8 坊 24 115,163
タインスアン区Quận Thanh Xuân, 郡靑春) 11 坊 9.11 185,000
各区合計 145 坊 233.56 2,178,258
18 県
ドンアイン県Huyện Đông Anh, 縣東英) 23 村 1 町 182.3 276,750
テンプレート:仮リンクHuyện Gia Lâm, 縣嘉林) 20 村 2 町 114 205,275
ソクソン県Huyện Sóc Sơn, 縣朔山) 25 村 1 町 306.51 254,000
テンプレート:仮リンクHuyện Thanh Trì, 縣靑池) 15 村 1 町 98.22 241,000
トゥリエム県Huyện Từ Liêm, 縣慈廉) 15 村 1 町 75.32 240,000
メリン県Huyện Mê Linh, 縣麊泠) 16 村 2 町 141.26 187,536 (2008)
バヴィ県Huyện Ba Vì, 縣𠀧位) 30 村 1 町 428.0 242,600 (1999)
チュンミー県Huyện Chương Mỹ, 縣彰美) 30 村 2 町 232.9 261,000 (1999)
ダンフォン県Huyện Đan Phượng, 縣丹鳳) 15 村 1 町 76,8 124,900
ホアイドク県Huyện Hoài Đức, 縣懷德) 19 村 1 町 95.3 188,800
ミードク県Huyện Mỹ Đức, 縣美德) 21 村 1 町 230.0 167,700 (1999)
フースエン県Huyện Phú Xuyên, 縣富川) 26 村 2 町 171.1 181,500
フックトー県Huyện Phúc Thọ, 縣福壽) 25 村 1 町 113.2 154,800 (2001)
クオックオアイ県Huyện Quốc Oai, 縣國威) 20 村 1 町 136.0 (2001) 146,700 (2001)
タックタット県Huyện Thạch Thất, 縣石室) 22 村 1 町 128,1 149,000 (2003)
タインオアイ県Huyện Thanh Oai, 縣靑威) 20 村 1 町 129.6 142,600 (1999)
トンティン県Huyện Thường Tín, 縣常信) 28 村 1 町 127.7 208,000
ウンホア県Huyện Ứng Hoà, 縣應和) 28 村 1 町 183.72 193,731 (2005)
各県合計 398 村 22 町 3,266.186 3,872,851
都市合計 154 坊, 404 村 22 町 3,344,47 6,232,940

気候

亜熱帯性の温帯夏雨気候にあたる。冬でも温暖であるが、大陸からの寒気の影響で曇りがちの日々が続く為、日照時間は多くない。

テンプレート:Weather box

経済

2009年のハノイの平均年収は3180万ドン(約13万円)であり、ベトナムの平均年収の1930万ドン(約8万円)より65%程水準が高い[4]

交通

ファイル:Bat Trang Terminus.jpg
ハノイの市内路線バス
ファイル:Hanoi panorama.jpg
再開発地域を走る路線バス
  • ノイバイ国際空港
  • ハノイ駅(鉄道)…ベトナム第一の商業都市であるホーチミン市へと向かう統一鉄道の他、中華人民共和国昆明市南寧市方面)へと向かう国際列車も運行されている。
  • 市民はカブスクーターを生活の足としている。
  • バス
    • 市内の公共交通機関としては、フランス統治時代より路面電車が主力であったが、1989年までに全廃となった。代わって変電所等のインフラや車両部品を活用したトロリーバスが運行されるようになったが、1990年代前半にこれも廃止され、バスのみが公共交通機関となり、現在に至っている。
    • 1990年代後半頃には、国営企業二社により13路線が運行されていた(ハノイバス:13路線・車両220台、ハノイ電気軌道:1路線(ハノイバスと共同運行)・車両17台)[5]。2002年頃よりバス路線網の整備を充実させ、2004年には41路線687台を整備したが、まだ需要に追い付いていないのが現状である。
  • 近年市街南西部にオフィスビル・高層住宅が、市街北部に工業団地が整備されたこともあり、従来の古都とは異なる新しい街が出来始めている。それにより人々の流れも変わりつつある。

観光

市内

  • 水上人形劇…元は農閑期の農民の娯楽が芸術にまで昇華したもの。伝統音楽に合わせ、多くの人形達が水上で劇を披露する。
  • 旧市街…11世紀、ハノイに都が置かれて以来栄え続けた、ホアンキエム湖北側の地域。細い路地が入り組み、古い街並みが続く。「ハノイ36通り」と親しみを込めて呼ばれ、それぞれの通りには「銀通り」「綿通り」「漢方薬通り」など、かつてそこで盛んに商われた品物の名が付いている。ただし現在では通りの名と実際の商店の並びは必ずしも一致しない。
  • ホアンキエム湖(還剣湖)…市の中心に位置する湖。公園として整備され、市民の憩いの場となっている。湖の真ん中には玉山祠がある。
  • ホー・チ・ミン廟ホー・チ・ミンの遺体が納められた廟。
  • 一柱寺
  • オペラハウス
  • 聖ジョセフ教会
  • ホアロー収容所…1896年にフランス政府が設置した監獄。ベトナム戦争時にはアメリカ兵の捕虜収容所としても使用された。現在は一部が博物館となっている。
  • ロンビエン橋…フランス植民地時代に建設された、紅河に掛かるハノイ市街と東部を結ぶ橋。ベトナム戦争時は補給路を断つため、何度も爆撃されたがその度に補修されてきた。現在でも現役の橋として使われている歴史の証人。
  • 黄色の建造物は、仏領時代のフランス人嗜好の名残である。
  • 昇龍(タンロン)遺跡2002年に国会議事堂建設工事の際に発見された歴代の王宮の遺跡群で、現在も発掘が続いている。ユネスコ世界遺産に登録されている。

近郊

周辺

スポーツ

姉妹都市

ハノイを舞台にした作品

映画

テレビ番組

小説

出典

テンプレート:脚注ヘルプテンプレート:Reflist

外部リンク

テンプレート:Commons&cat

ベトナム社会主義共和国政府
現地日本語メディア

テンプレート:ベトナムの地方行政区画 テンプレート:アジアの首都

  1. ベトナムで軍事パレード、ハノイ遷都1000年の記念行事(AFP.BB.NEWS)2010年10月10日
  2. ハノイの面積3・6倍に 合併で人口は620万 - MSN産経ニュース
  3. VIETJO ベトナムニュース - ハノイ:「ハドン区」と「ソンタイ町」が誕生へでは、「ソンタイ町」と訳しているが、「市社」は(財)自治体国際化協会(編)『ASEAN 諸国の地方行政(改訂版)〜ベトナム社会主義共和国』(PDF版)、2007年で、「」と訳されている(詳細は「ソンタイ市」、「ベトナムの地方行政区画」を参照)。
  4. Hanoi: Average income in 2010 rises by 10 to 13 pct compared to 2009
  5. バスラマ・インターナショナル48号 p72-73
  6. ベトナム、アジア大会開催を辞退…経済的理由で 読売新聞 2014年4月19日閲覧