11世紀
11世紀(じゅういちせいき、じゅういっせいき)とは、西暦1001年から西暦1100年までの100年間を指す。2千年紀における最初の世紀である。
目次
11世紀の歴史
イスラム圏
11世紀は、西アジアでトルコ系のイスラム王朝のガズニ朝やセルジューク朝の台頭が著しく、前者は北インドに侵入しインドのイスラム化の契機をつくり、後者は東ローマ帝国を打ち破って、小アジアにまで勢力を伸ばした。北アフリカのモロッコ近辺ではムラービト朝などベルベル人のイスラム王朝の台頭が始まって、レコンキスタを停滞させる一方、サハラ交易で繁栄したガーナ王国を滅ぼした。
ヨーロッパ
東ヨーロッパでは東ローマ帝国が第一次ブルガリア帝国を征服してバルカン半島全土を回復して最盛期を迎えるが、11世紀後半に入ると衰退に転じ、国内の反乱やセルジューク朝、ノルマン人などの外敵に悩まされることになる。西ヨーロッパでは教皇権が伸長する一方、東西教会の分裂が起こっている。また、東ローマ帝国皇帝アレクシオス1世コムネノスがローマ教皇ウルバヌス2世に救援を依頼したことが発端で、十字軍の遠征が開始された。
東アジア・東南アジア
東南アジア、南インドでは、1025年を境にシュリーヴィジャヤの衰退と、チョーラ朝、クディリ王国が全盛を極めた。東アジアでは、北宋の経済的繁栄は続くものの、遼や西夏への歳幣の負担と社会的格差の進行が重くのしかかり、王安石の改革が始まった。
日本では平安時代中期から後期の初めにあたる。院政の開始以降を中世に区分する場合がある。11世紀の前半から中葉にかけては、藤原北家による摂関政治が全盛を極めたが、地方では国司苛政上訴が行なわれ、小領主の有力武士が台頭していた。名目的な寄進荘園に課税するなど税の公平さを保つために荘園整理令が行なわれた。11世紀の後半になると藤原氏の力が及ばない後三条天皇の親政が契機となり、院政がはじまった(院政時代)。荘園公領制はこの院政期を通じて発展していくことになる。
できごと
- 東ローマ帝国の全盛期。
- セルジューク朝トルコの成立と拡張、東ローマ帝国の衰退始まる。
- 東西教会の分裂と西方でのローマ教皇権の全盛。
- 十字軍遠征の開始。
- ノルマン人の勢力拡大続く。
- 北インドにガズニ朝侵攻、以後北インドイスラム化へ。南インド、チョーラ朝の全盛。
- 北アフリカのムラービト朝台頭。
- 日本では院政の開始。荘園の新立を制止。
- 英語圏最古の大学であるオックスフォード大学創立。
- 1002年 - この頃、紫式部の『源氏物語』が成立。
- 1002年 - イングランド王エゼルレッド2世無思慮王が国内のデーン人を虐殺。
- 1004年 - 澶淵の盟。
- 1005年 - ファーティマ朝カリフのハーキムがカイロに「知恵の家(ダール・アル・イルム)」を設置。
- 1006年 - おおかみ座に超新星(SN1006)出現。明るさは太陽と月を除いて史上最高の-9等級と推定される。後世、藤原定家が『明月記』に記録。他各国で記録あり。
- 1008年 - 北宋皇帝真宗が泰山で封禅の儀を行う。
- 1009年 - ファーティマ朝カリフのハーキムの命令でエルサレムの聖墳墓教会が破壊される。
- 1011年 - 一条天皇が譲位し三条天皇が即位する。
- 1013年 - デンマーク王スヴェン1世双叉髭王がエゼルレッド2世に勝利してイングランド王になる。
- 1016年 - ジャワのクディリ王ダルマヴァンシャが殺害される。
- 1016年 - 三条天皇が譲位し後一条天皇が即位。外祖父の藤原道長が摂政となる。
- 1017年 - チョーラ朝のラージェンドラ1世がシュリーヴィジャヤ征討の艦隊を派遣。
- 1018年 - ダンカン1世がストラスクライド王国の王位を継承し、スコットランドのほぼ全域を支配。
- 1018年 - バシレイオス2世が第1次ブルガリア帝国を滅ぼし、東ローマ帝国がバルカン半島のほぼ全域を奪回。
- 1018年 - ガズニ朝のマフムードがインド遠征でプラティハーラ朝を滅ぼす。
- 1018年 - 藤原道長の娘威子が後一条天皇の后となり、祝宴にて「望月の歌」が詠まれる。
- 1019年 - 刀伊の入寇。
- 1020年 - 遼と高麗が和平を結び、高麗は遼の服属国となる。
- 1021年 - ファーティマ朝カリフのハーキムが消息不明となる。
- 1025年 - チョーラ朝のラージェンドラ1世が再びシュリーヴィジャヤ征討の艦隊を派遣。
- 1027年 - エルヌ教会会議(トゥールージュ会議)で「神の休戦(トレグア・デイ)」が布告される。
- 1028年 - イングランド王でデンマーク王でもあるクヌートがノルウェーの王位も兼任する(北海帝国の成立)。
- 1028年 - 平忠常の乱( - 1031年)。
- 1031年 - コルドバのカリフ、ヒシャーム3世が死亡し、後ウマイヤ朝滅亡。
- 1032年 - チベット系タングート族の西平王李徳明の死により李元昊が後を継ぐ。
- 1032年 - ブルグンド王家が断絶し、神聖ローマ皇帝コンラート2世がブルグンドを併合。
- 神聖ローマ皇帝はイタリア王・ドイツ王・ブルグンド王を兼任することになる。
- 1035年 - クヌート王の死により北海帝国が崩壊する。
- 1037年 - トルコ人トゥグリル・ベク、セルジューク朝を興す。
- 1037年 - クディリのアイルランガ王が東部ジャワ再統一を完成し、カマラギャンに遷都。
- 1038年 - チベット系タングート族による西夏が建国され、李元昊が帝号を名乗る。
- 1042年 - 東ローマ皇帝ミカエル5世が政変で廃位され、ゾエとテオドラの姉妹の皇女が共同女帝に立てられる。
- 1044年 - 慶暦の和約。
- 1046年 - スートリ教会会議で神聖ローマ皇帝ハインリヒ3世が三教皇の鼎立を終わらせる。
- 1047年 - 遼の章聖皇太后により内モンゴル自治区慶州の白塔(遼釈迦仏舎利塔)が建立される。
- 1051年 - 前九年の役( - 1062年)。
- 1052年 - 日本ではこの年(永承7年)が末法元年とされた。
- 1053年 - 藤原頼通により宇治の平等院鳳凰堂(阿弥陀堂)が建立される。
- 1054年 - 正教会のコンスタンディヌーポリ総主教とカトリック教会の教皇が相互破門。東西教会の分裂の目安となる事件(大シスマ)。
- 1054年 - 7月4日超新星爆発。後のおうし座の「かに星雲(M1)」。
- 1055年 - セルジューク朝軍が、バグダードに入城し、ブワイフ朝の勢力を追い払う。
- 1056年 - ムラービト朝のアブー・バクル・イブン・ウマルが指導者となる(王朝としての成立年代。宗教勢力としては1038年成立とされる)。
- 1056年 - 遼の章聖皇太后の弟蕭孝穆により山西省応県の仏宮寺釈迦塔(応県木塔)が建立される。
- 1058年 - トゥグリル・ベク、スルタンを称す。
- 1066年 - ノルマンディー公ギヨームがイングランドを制圧し、ウィリアム1世として即位(ノルマン・コンクエスト)。ハレー彗星接近。
- 1069年 - 北宋で王安石の改革が始まる(熙寧新法)。
- 1070年 - 東チャールキヤ王クロトゥンガがクロトゥンガ・チョーラ1世として即位、東チャールキヤ朝がチョーラ朝を継ぐ形で合併される。
- 1071年 - 東ローマ帝国のイタリア最後の拠点バーリがノルマン人に征服される。
- 1071年 - 東ローマ帝国、マンツィケルトの戦いでセルジューク朝に大敗、小アジアにトルコ人が侵入。
- 1071年 - ムラービト朝のユースフ・イブン・ターシュフィーンが新都マラケシュを建設。
- 1077年 - カノッサの屈辱。
- 1077年 - ルーム・セルジューク朝が成立。
- 1077年 - ムラービト朝がガーナ王国を滅ぼす。
- 1077年 - アルフォンソ6世によるサンチアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂建設が始まる( - 1211年)。
- 1078年 - 東ローマ皇帝ミカエル7世が政変で退位し、ニケフォロス3世が即位。
- 1080年 - 北宋の神宗による元豊の改革。
- 1081年 - 北宋に拂菻国王滅力伊霊改撒の使者が到着する。滅力伊霊改撒は東ローマ皇帝ミカエル7世かニケフォロス3世を指すと考えられる。
- 1081年 - 東ローマ帝国でアレクシオス・コムネノスが反乱を起こし、皇帝に即位(アレクシオス1世コムネノス)。コムネノス王朝の開始。
- 1082年 - 東ローマ皇帝アレクシオス1世が金印勅書でヴェネツィアへの免税特権を認める。
- 1083年 - 後三年の役( - 1087年)。
- 1084年 - 神聖ローマ皇帝のローマ包囲から脱出した教皇グレゴリウス7世が南イタリアのサレルノに亡命。翌1085年にその地で客死。
- 1085年 - カスティリア王アルフォンソ6世によるトレド征服。
- 1085年 - 北宋で神宗の死去により哲宗即位。宣仁太后が摂政となり旧法党が復権(元祐更化 - 1093年)。
- 1086年 - 白河天皇が第73代堀河天皇に譲位し、上皇として院政を開始。
- 1086年 - サグラハスの戦いでムラービト軍がカスティリア王アルフォンソ6世を破る。
- 1087年 - ジェノヴァとピサの艦隊がズィール朝の都マフディーヤを占領。
- 1092年 - セルジューク朝宰相ニザーム・アル・ムルクが暗殺される。セルジューク朝スルタンのマリク・シャーが病没。
- 1093年 - 北宋で宣仁太后の死去により哲宗の親政が始まり、新法党が復権(紹聖の紹述 - 1100年)。
- 1095年 - セルジューク朝の攻撃を受けていた東ローマ皇帝アレクシオス1世コムネノスの救援要請を受け、ローマ教皇ウルバヌス2世がクレルモン教会会議において対イスラム教徒戦への参加を呼びかける。
- 1096年 - 第1回十字軍出発。
- 1096年 - ドイツ・ラインラントでユダヤ人虐殺が発生。逃亡したユダヤ人の多くはポーランドのヴワディスワフ1世に庇護される。
- 1096年 - 永長の大田楽。
- 1099年 - エルサレム攻囲戦で十字軍が勝利。エルサレム王国成立。
- 1100年 - 北宋で哲宗の死去により徽宗即位。向太后が摂政となり新法・旧法両党から登用し融和を促す( - 1101年)。
人物
キリスト教世界
神聖ローマ帝国
- ベルンヴァルト(960年 - 1022年) - ヒルデスハイム司教・聖マリア大聖堂と聖ミカエル教会を造営・「聖ベルンヴァルトの青銅扉」でも有名
- ハインリヒ3世(黒王)(1017年 - 1056年) - ドイツ王で神聖ローマ皇帝(在位1039年 - 1056年)・スートリ教会会議で三教皇を罷免
- ハインリヒ4世(1050年 - 1106年) - ドイツ王で神聖ローマ皇帝(在位1056年 - 1105年)・カノッサの屈辱で教皇グレゴリウス7世に敗北
- ヘルマヌス・コントラクトゥス(1013年 - 1054年) - 音楽理論家・作曲家・天文学者・歴史家・肢体不自由だったがライヒェナウ修道院で活躍
イタリア
- レオ9世(1002年 - 1054年) - ローマ教皇(在位1049年 - 1054年)・フンベルトゥスを東ローマ帝国に特使として派遣
- グレゴリウス7世(1020年 - 1085年) - ローマ教皇(在位1073年 - 1085年)・グレゴリウス改革を推進しカノッサの屈辱に勝利
- ウルバヌス2世(1035年 - 1099年) - ローマ教皇(在位1088年 - 1099年)・クレルモン教会会議で十字軍を勧請する
- フンベルトゥス(1000年頃 - 1061年) - 枢機卿・ベネディクト会士・教皇特使として東ローマ帝国に派遣されて相互破門事件を起こす
- ペトルス・ダミアニ(1007年 - 1072年) - 枢機卿・ベネディクト会士・グレゴリウス改革の中心人物・著作に『ゴモラの書』『秘蹟論』がある
- グイード・ダレッツォ(991年/992年 - 1050年) - 修道士・音楽教師・現在につながる楽譜記譜法を発明する
- ロベルト・イル・グイスカルド(1015年 - 1085年) - ノルマン人傭兵で後に中世シチリア王国を建てるオートヴィル家の首領
- コンスタンティヌス・アフリカヌス(1017年 - 1087年) - 北アフリカ出身の修道士・アラビア医学を翻訳紹介しサレルノ大学を基礎づける
- マティルデ・ディ・カノッサ(1046年? - 1115年) - トスカーナ女伯・叙任権闘争では教皇派・「カノッサの屈辱」のカノッサ城の所有者
フランス
- アダルベロン(947年 - 1030年) - ラン司教・「ロベール王に捧げる歌」で中世社会の「祈る人」「戦う人」「働く人」の三身分を定式化
- ラウル・グラベール(985年 - 1047年) - ブルゴーニュ地方の修道士・年代記作者・著作『歴史』では紀元千年の社会が活写されている
- モレームのロベール(1029年頃 - 1111年) - シャンパーニュ地方出身の修道士・アルベリック、ステファン・ハーディングらとシトー会を設立
- ケルンのブルーノ(1030年頃 - 1101年) - ドイツ出身の修道士・ランス大聖堂付属学校校長・カルトジオ会の創設者・教皇ウルバヌス2世の助言者
- コンピエーニュのロスケリヌス(1050年頃 - 1125年頃) - フランスの哲学者・神学者・唯名論の創始者とされ弟子アベラルドゥスにも影響
イングランド・スコットランド
- クヌート(クヌーズ1世)(995年 - 1035年) - イングランド王・デンマーク王・ノルウェー王を兼ねた北海帝国の君主
- エドワード懺悔王(証聖王)(1004年頃 - 1066年) - イングランドのアングロ・サクソン系国王(在位1042年 - 1066年)
- ハロルド2世(1022年 - 1066年) - イングランド最後のアングロ・サクソン系国王(在位1066年)・ヘイスティングズの戦いで敗死
- ウィリアム1世 (1027年 - 1087年) - ノルマンディー公・イングランド王(在位1035年 - 1087年)・ノルマン朝の祖
- ダンカン1世(1001年 - 1040年) - スコットランド王(在位1031年 - 1040年)・王国の領土を拡大するがマクベスに殺害される
- マクベス(1005年 - 1057年) - スコットランド王(在位1040年 - 1057年)・ダンカン1世を殺害・シェークスピアの悲劇で有名
- アンセルムス(1033年 - 1109年) - カンタベリー大司教・神学者・哲学者であり「スコラ学の父」・著作に『モノロギオン』がある
北欧
東ローマ帝国
- バシレイオス2世(ブルガロクトノス)(958年 - 1025年) - 東ローマ帝国マケドニア朝最盛期の皇帝(在位976年 - 1025年)
- ゾエ(978年頃 - 1050年) - 東ローマ帝国マケドニア朝の女帝(在位1042年)・三代の皇帝の皇后ともなる(1028年 - 1050年)
- テオドラ(995年 - 1056年) - 東ローマ帝国マケドニア朝の女帝(在位1042年、1055年 - 1056年)・ゾエと一時共同統治
- コンスタンティノス9世モノマコス(1000年 - 1055年) - 東ローマ帝国マケドニア朝の皇帝(在位1042年 - 1055年)・ゾエの三人目の夫
- ロマノス4世ディオゲネス(? - 1072年) - 東ローマ帝国ドゥーカス朝の皇帝(在位1068年 - 1071年)・マンツィケルトの戦いで敗北
- アレクシオス1世(1048年 - 1118年) - 東ローマ皇帝(在位1081年 - 1118年)・コムネノス朝の祖・十字軍対策に苦慮しつつ帝国を再建
- 新神学者シメオン(949年 - 1022年) - 聖ママス修道院長・神学者・二度の追放を受けながら復権・『神の愛への讃歌』ほかの著作がある
- ミカエル1世 (1000年頃 - 1059年) - コンスタンティノポリス総主教(在位1043年 - 1059年)・教皇特使と対立し相互破門事件起こす
- ミカエル・プセルロス(1018年頃 - 1078年頃) - 東ローマ帝国マケドニア朝の政治家・哲学者・歴史家として『年代記』を記録
東欧
- サムイル(958年 - 1014年) - 第一次ブルガリア帝国の皇帝(在位997年 - 1014年)・クリディオン峠の戦いで東ローマ軍に敗北
- ボレスワフ1世(勇敢王)(966年/967年 - 1025年) - ピャスト朝のポーランド国王(在位992年 - 1025年)・ベーメンやマイセンに領土拡大
- イシュトヴァーン1世(975年 - 1038年) - ハンガリーの建国者(在位997年 - 1038年)・ハンガリーのキリスト教化を進める
- ヤロスラフ1世(賢公)(978年頃 - 1054年) - キエフ大公(在位1016年 - 1054年)・『ルースカヤ・プラウダ』(ルーシ法典)を整備
十字軍国家
- 隠者ピエール(? - 1115年) - フランス出身の聖職者・十字軍本隊に先立ち民衆十字軍を率いてエルサレムを目指すが失敗する
- ゴドフロワ・ド・ブイヨン(1060年頃 - 1100年) - 第1回十字軍の指導者の一人でエルサレムの初代聖墓守護者
イベリア半島
- サンチョ3世ガルセス(大王)(10世紀 - 1035年) - ナバラ国王(在位1004年 - 1035年)・婚姻政策でイベリア半島北部の諸国の祖となる
- アルフォンソ6世(1040年以前 - 1109年) - レオン国王(在位1065年 - 1109年)・カスティーリャ国王(在位1072年 - 1109年)
- エル・シッド(ロドリゴ・ディアス・デ・ビバール)(1045年? - 1099年) - レコンキスタで活躍したカスティーリャの騎士
イスラム世界
- フェルドウスィー(934年 - 1025年) - サーマーン朝・ガズナ朝時代に活躍したペルシャ語詩人・『シャー・ナーメ』を書く
- アル・ビールーニー(973年 - 1048年) - ホラズム出身の著述家・天文書『マスウード宝典』や地理書『インド誌』など多方面で活躍
- イブン・アル・ハイサム(965年 - 1040年) - バスラ出身の数学者・天文学者・物理学者・『光学の書』を著し「光学の父」と呼ばれる
- アル・ハマザーニー(969年 - 1007年) - ハマダーン出身の詩人・著作家・マカーマ(語り物)の創始者・「時代の驚異」と呼ばれる
- マフムード(971年 - 1030年) - ガズナ朝のスルタン(在位997年 - 1030年)・インド遠征でプラティハーラ朝を滅ぼす
- イブン・スィーナー(980年 - 1037年) - ブハラ出身の学者・哲学者としては『治癒の書』、医師としては『医学典範』がある
- ハーキム(985年 - 1021年) - ファーティマ朝第6代カリフ(在位996年 - 1021年)・残酷さと奇矯さで有名・ドゥルーズ派では救世主
- トゥグリル・ベク(993年 - 1063年) - セルジューク朝初代スルタン(在位1038年 - 1063年)・ニーシャプールを都とする
- イブン・ハズム(994年 - 1064年) - 後ウマイヤ朝時代の法学者・文学者・『諸宗派に関する書』『鳩の頚飾り』の著作がある
- イブン・ザイドゥーン(1003年 - 1071年) - 後ウマイヤ朝の政治家・詩人としてザジャル形式をまとめる・王女ワッラーダとの相聞歌も有名
- マフムード・カーシュガリー(1005年? - 1102年?) - カラハン朝の王族・アッバース朝に逃れ『テュルク語辞典』をカリフに献呈する
- アブー・バクル・イブン・ウマル(? - 1087年) - ムラービト朝第4代アミール(在位1056年 - 1087年)・ガーナ王国征服
- ユースフ・イブン・ターシュフィーン(1009年? - 1106年) - ムラービト朝第5代アミール(在位1061年 - 1106年)・イベリア半島制圧
- ニザーム・アル・ムルク(1017年 - 1092年) - セルジューク朝全盛期の宰相・マリク・シャーを補佐しニザーミーヤ学院を創設
- ユースフ・ハーッス・ハージブ(1018年/1019年頃 - 1092年) - カラハン朝の大侍従・『クタドゥグ・ビリグ(幸福に関する知恵)』を著す
- ソロモン・イブン・ガビーロール(1021年/1022年頃 - 1058年/1070年頃) - スペインのユダヤ教徒の哲学者・主著は『生命の源』
- アルプ・アルスラーン(1029年 - 1072年) - セルジューク朝第2代スルタン(在位1064年 - 1072年)・マンツィケルトの戦いで勝利
- スライマーン・イブン・クタルミシュ(? - 1086年) - ルーム・セルジューク朝の始祖(在位1077年 - 1086年)・小アジア各地を占領
- ウマル・ハイヤーム (1048年? - 1131年?) - セルジューク朝時代のペルシアの天文学者・『ルバイヤート』の詩人
- マリク・シャー(1055年 - 1092年) - セルジューク朝第3代スルタン(在位1072年 - 1092年)・王朝の全盛期を現出
- クルチ・アルスラーン1世(? - 1107年) - ルーム・セルジューク朝の第2代スルタン(在位1092年 - 1107年)・第1回十字軍の急襲に苦慮する
- ハサン・サッバーフ(? - 1124年) - イスマーイール派・ニザール派開祖でいわゆる暗殺教団の最初の指導者
南アジア・チベット
- ダンガ(? - 1008年頃) - インドのチャンデーラ朝の君主(在位950年頃 - 1008年頃)・カジュラーホー寺院を建立
- ラージェンドラ1世(? - 1044年) - 南インドのチョーラ朝の王(在位1016年 - 1044年)・マレー半島やスマトラ島を征服
- アティーシャ(982年 - 1054年) - インドのヴィクラマシーラ寺院の学頭・チベットに招かれチベット仏教中興の祖となる
- ドルジェタク(11世紀) - チベットの僧侶・インドのナーランダ寺院で学び仏典のチベット語訳を行う・呪術に長けた異能の人物とされる
- ソーマデーヴァ(11世紀) - カシミール出身の詩人・『屍鬼二十五話』を含む説話集『カター・サリット・サーガラ』を編纂
- ビルハナ(11世紀) - カシミール出身でチャールキヤ朝に仕えた詩人・戯曲『カルナスンダリー』や詩集 『チャウラ・パンチャーシカ』がある
- クリシュナ・ミシュラ(11世紀) - チャンデーラ朝の詩人・サンスクリット語劇『プラボーダチャンドローダヤ(悟りの月の出)』で知られる
東南アジア
- ダルマヴァンシャ(? - 1016年) - ジャワ・クディリ朝の王(在位991年 - 1016年)・領土拡大するが反乱で殺される・アイルランガは娘婿
- アイルランガ(? - 1052年?) - ジャワ・クディリ朝の王(在位1019年 - 1052年?)・東部ジャワを統一し王国を再建
- アノーヤター(1015年 - 1078年) - パガン朝の初代の王(在位1044年 - 1078年)・モン族を押さえビルマ族を統一・上座部仏教を導入
東アジア
北宋
- 寇準(961年 - 1023年) - 北宋の宰相・南遷を拒絶して真宗皇帝の契丹親征を主張し澶淵の盟にもちこむ
- 王欽若(962年 - 1025年) - 北宋の宰相・遼の南進に際しては南遷を主張・真宗に封禅を勧め『冊府元亀』の編纂も行う
- 林逋(967年 - 1028年) - 北宋の詩人・西湖中の孤山に隠棲し詩作した・『林和靖先生詩集』がある
- 真宗(968年 - 1022年) - 北宋の第3代皇帝(在位997年 - 1022年)・遼と澶淵の盟を結ぶ
- 范寬(活躍時期11世紀前半) - 北宋の山水画家・代表作に「谿山行旅図」がある
- 畢昇(? - 1052年頃) - 北宋の技術者で膠泥活字を用いて印刷を行ったとされる
- 欧陽脩(1007年 - 1072年) - 北宋の政治家・詩人・文学者・歴史学者・唐宋八大家の一人・『新五代史』『新唐書』を編纂
- 蘇洵(1009年 - 1066年) - 北宋の文人で唐宋八大家の一人・蘇軾と蘇轍兄弟の父・著作に『蘇老泉全集』がある
- 周敦頤(1017年 - 1073年) - 北宋の儒学者・宋学の祖とされる・『太極図説』の著者
- 曾鞏(1019年 - 1083年) - 北宋の政治家・散文家・唐宋八大家の一人・著作に『元豊類藁』がある・曾布は異母弟
- 司馬光(1019年 - 1086年) - 北宋の政治家(旧法党)・元祐更化で新法を廃止・歴史学者として『資治通鑑』がある
- 張載(1020年 - 1077年) - 北宋の儒学者・宋学の「周程張朱」の一人として名を成す
- 王安石(1021年 - 1086年) - 北宋の政治家(新法党)・神宗のもとで熙寧新法を実施・唐宋八大家の一人
- 郭煕(1023年頃 - 1085年頃) - 北宋の山水画家・李成と並んで「李郭」と呼ばれる・代表作に「早春図」がある
- 沈括(1030年 - 1094年) - 北宋の政治家・学者・『夢渓筆談』は中国の科学技術史の記録として重要
- 呂恵卿(1032年 - 1111年) - 北宋の政治家・司農寺長官として王安石の改革を支えるがのちに反目する
- 宣仁太后(1032年 - 1093年) - 北宋の英宗の皇后・息子神宗の死後に孫哲宗の摂政となり旧法党の元祐更化を支持
- 程顥(1032年 - 1085年) - 北宋の政治家・儒学者・弟の程頤とともに「二程子」と称される
- 程頤(1033年 - 1107年) - 北宋の政治家・儒学者・兄の程顥とともに「二程子」と称される
- 章惇(1035年 - 1105年) - 北宋の政治家・哲宗の親政(紹聖の紹述)とともに新法を復活し旧法党を弾圧する
- 曾布(1036年 - 1107年) - 北宋の政治家・曾鞏の異母弟・章惇失脚後の新法党の中心となり向太后政権を支える
- 蘇軾(1036年 - 1101年) - 北宋の政治家・文人として唐宋八大家の一人・書家として宋の四大家の一人・代表作に「赤壁賦」がある
- 蘇轍(1039年 - 1112年) - 北宋の政治家・文人として唐宋八大家の一人・蘇軾の弟・『欒城集』ほかの著作がある
- 黄庭堅(1045年 - 1105年) - 北宋の文学者・書家・画家・書家・宋の四大家の一人・代表作に「伏波神祠詩巻」がある
- 神宗(1048年 - 1085年) - 北宋の第6代皇帝(在位1067年 - 1085年) ・王安石の新法を支持し元豊の改革を推進
- 米芾(1051年 - 1107年) - 北宋の文学者・書家・画家・収蔵家・宋の四大家の一人・代表作に「蜀素帖」がある
遼
西夏
大越
日本
- 赤染衛門(956年頃? - 1041年以後) - 一条天皇の中宮彰子の女房・歌人・『栄花物語』の作者か?
- 藤原実資(957年 - 1046年) - 公卿・右大臣(賢人右府)・日記『小右記』はこの時代の重要資料
- 寂照(962年頃? - 1034年) - 天台宗の僧・円通大師・渡宋してその地で客死・能「石橋」でも知られる
- 藤原道長(966年 - 1027年) - 公卿・摂政・内覧・通称は御堂関白・摂関政治の最盛期
- 藤原公任(966年 - 1041年) - 公卿・寛弘の四納言の一人・『和漢朗詠集』の選者
- 平忠常(967年?/975年? - 1031年) - 武将・房総平氏の祖・受領との対立から反乱を起こす(平忠常の乱)
- 藤原行成(972年 - 1027年) - 公卿・寛弘の四納言の一人・書家で「三蹟」の一人・「白氏詩巻」などが残る
- 紫式部(973年? - 1016年) - 一条天皇の中宮彰子の女房・『源氏物語』作者・『紫式部日記』がある
- 藤原伊周(974年 - 1010年) - 公卿・内大臣・長徳の変を起こす・定子や隆家の同母兄
- 和泉式部(978年頃 - ?) - 一条天皇の中宮彰子の女房・家集『和泉式部正集』『和泉式部続集』がある
- 藤原隆家(979年 - 1044年) - 公卿・中納言・大宰権帥となり刀伊の入寇を撃退
- 定朝(? - 1057年) - 仏師・宇治の平等院鳳凰堂阿弥陀如来像を造る・寄木造技法の完成者とされる
- 源頼義(988年 - 1075年) - 武将・河内源氏棟梁・長元の乱や前九年の役を平定
- 藤原明衡(989年? - 1066年) - 儒学者・文人・詩文では『本朝文粋』『本朝秀句』を編修・『新猿楽記』などもある
- 藤原頼通(992年 - 1074年) - 公卿・摂政・関白・藤原道長の長男・宇治の平等院鳳凰堂を建立
- 源隆国(1004年 - 1077年) - 公卿・大納言(宇治大納言)・『今昔物語集』などの編纂に関与?
- 菅原孝標女(1008年 - 1059年以降?) - 受領の娘・宮中の女房・『更級日記』の作者・『浜松中納言物語』の作者か?
- 成尋(1011年 - 1081年) - 天台宗の僧・善慧大師・阿闍梨・渡宋してその地で客死・『参天台五台山記』を残す・その母も歌人で有名
- 安倍貞任(1019年? - 1062年) - 武将・陸奥国安倍氏の棟梁・前九年の役を起こす
- 藤原経清(? - 1062年) - 豪族・陸奥国亘理郡の在庁官人(亘理権大夫)・藤原清衡の父
- 永観(1033年 - 1111年) - 三論宗の僧・東大寺別当・京都禅林寺中興の祖となり専修念仏の先駆者となる
- 後三条天皇(1034年 - 1073年) - 第71代天皇(在位1068年 - 1072年)・摂関家を押さえ「延久の善政」を行う
- 源義家(1039年 - 1106年) - 武将・河内源氏棟梁・源頼義の長男・後三年の役を平定
- 大江匡房(1041年 - 1111年)- 公卿・儒学者・『江家次第』『遊女記』『傀儡子記』『洛陽田楽記』の著者
- 白河天皇(1053年 - 1129年) - 第72代天皇(在位1072年 - 1086年)・上皇(法皇)として院政を開始
- 戒覚(生没年不詳)- 天台宗の僧・渡宋してその地で客死か・宋の神宗皇帝に謁見しその旅程を『渡宋記』に書き残す
- 清原家衡(? - 1106年) - 武将・出羽国清原氏の棟梁・後三年の役を起こし源義家に討たれる
- 藤原清衡(1056年 - 1128年) - 武将・奥州藤原氏の祖・清原家衡は異父弟・平泉に居を構え中尊寺を建立