小右記
『小右記』(おうき / しょうゆうき)は、平安時代の公卿藤原実資の日記。「小右記」とは小野宮右大臣(実資のことを指す)の日記という意味。全61巻。全文は漢文で書かれている。『野府記』(やふき)ともいう。
概要
後世に残されたもののうち、三条西家所蔵本には『小右記』、伏見宮家所蔵本には『野府記』という書名が付けられており、近世以後の写本・刊本はそのいずれかの系統に依拠するところが大きかったために、両方の書名が並存した。更に祖父実頼の『水心記』(『清慎公記』)を継ぐという意味で『続水心記』という呼称も用いられるなど、異名が多い[1]。もっとも、これらは全て実資の没後の命名であり、実資自身は『暦記』と呼称していた。これは原本が具注暦の余白に書かれたことに由来すると考えられ、当時の貴族の日記に広く見られる呼び名である。なお、その原本は今日伝わっていない。
天元元年(978年)頃から書かれていたらしいが、現存するのは天元5年(982年)~長元5年(1032年)の部分のみである。
内容
藤原道長・頼通の全盛時代の社会や政治、宮廷の儀式、故実などを詳細に記録してあり、それらを知るうえで大変重要な史料である。
記述は全体的に辛口であり、実資達小野宮流と対立する九条流、特に実資と同時代の当主道長の政治および人物を痛烈に批判している、55年間の長期の記述であるため摂関時代の社会の状態や有職故実がよく理解できる。また『御堂関白記』に記載されていない出家後の道長の法成寺での生活ぶりが窺え趣き深いものとなっている。
藤原道長が詠んだという歌、「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることの なしと思へば」が世に知れたのは『小右記』に記されたためである(道長の日記『御堂関白記』には登場しない)。
食文化に関する記述もあり、当時の貴族の暮らしぶりもうかがえる。
などがある。
脚注
参考文献
- 桃裕行 「小右記諸本の研究」(初出:『東京大学史料編纂所報』第5号、東京大学史料編纂所、1971年)(再録:『桃裕行著作集 4』 思文閣出版、1988年。)