南日本放送
テンプレート:日本のラテ兼営局 テンプレート:Infobox 株式会社南日本放送(みなみにほんほうそう、Minaminihon Broadcasting Co., Ltd.)は、鹿児島県を放送対象地域として中波放送(AM放送)とテレビジョン放送をする特定地上基幹放送事業者である。 略称はMBC。
ラジオはJRN系列とNRN系列のクロスネット、 テレビはJNN系列の単独ネット。
目次
概要
1953年10月10日に鹿児島県初の民間放送局として開局。1959年4月に(アナログ)テレビ放送を開始し、2006年12月には地上デジタル放送を開始した。社屋(演奏所、MBC放送会館)は鹿児島市高麗町の甲突川右岸に位置しており、1993年の8.6水害の際には水没の危機に瀕している。
主な自社制作番組としてラジオでは1953年の開局から続く『城山スズメ』、テレビでは1976年10月から続く平日18時台(日本標準時、以下同様)の報道番組(現在は『MBCニューズナウ』)や1984年10月から続く情報番組『どーんと鹿児島』などがある。
鹿児島県の地方紙、南日本新聞社(こちらの社名の読み方は「みなみにっぽん」)が同率5位の大株主で、1953年の開局時からアナログテレビ放送の開始までは同紙の社屋(鹿児島市易居町、当時)を間借りするかたちで演奏所があった。ただし、南日本新聞との資本関係は鹿児島テレビ放送(KTS)ほど強くなく、毎日新聞ともテレビ開局時から関係を持つ。鹿児島放送(KKB)については『MBC50年の軌跡』において「兄弟会社」と表現しており、同局の開局時には喜田治男(『MBC6時こちら報道』初代キャスター)などの社員が出向しているほか、地上デジタル放送の親局をNHK鹿児島放送局とともに使用するなどの関係がみられる。
略称が同じMBCという理由で韓国の文化放送系列局、全州文化放送と姉妹交流を結んでいる。
社是・キャッチコピーは『ふるさとたっぷり MBC』。放送局全体のマスコットキャラクターは設定されていないが、過去にはラジオカー『ポニー』の擬人化キャラクター、および2008年の「ウミガメプロジェクト」におけるウミガメのキャラクターがそれぞれ設定されている。
送信所
親局(送信所)のチャンネル(周波数)はラジオが1107kHz、テレビが40ch(デジタル、リモコンキーID:1ch)。
テレビ送信所は鹿児島市紫原(むらさきばる)のKKBの施設からNHK鹿児島放送局とともに送信しており、MBCのFPU基地局も1980年代より紫原に置かれている。アナログ放送は城山からVHF帯の1chで送信していたが、デジタル放送はUHF帯で送信されるため、既存UHF局(KTS・KKB・KYT)が送信所を設けていた紫原へ移転するかたちとなった。城山送信所からはエフエム鹿児島の電波(79.8MHz)も送信されていたが、こちらも2011年8月1日に紫原にあるKKBの施設へ移転した[1]。城山送信所の解体作業は同年9月に開始し[2]、同年12月までに完了した[3]。
主なテレビ中継局
地上デジタル放送において「大規模」「重要」とされているものを記載する[4]。地上デジタル放送における開局順に並べた。
アナログ・デジタルの列はチャンネルを表記。所在地は自治体単位、離島については島名も付記している。中継局名からは中継局記事へリンクしている。
中継局名 | アナログ | デジタル | 所在地 | 特記事項 |
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鹿屋 | 6 | 43 | 鹿屋市 | 県内初のテレビ中継局 |
阿久根 | 10 | 25 | さつま町・出水市 | 開局時は紫尾山中継局 |
枕崎 | 6 | 20 | 枕崎市 | |
蒲生 | 50 | 20 | 姶良市 | |
串木野 | 62 | 16 | いちき串木野市 | |
大口 | 11 | 25 | 湧水町 | 開局時は栗野中継局 |
南種子 | 59 | 16 | 南種子町(種子島) | |
頴娃 | 10 | 16 | 南九州市 | |
名瀬 | 1 | 16 | 奄美市(奄美大島) | |
中之島 | 44 | 40 | 十島村 | |
志布志 | 61 | 20 | 志布志市 | |
財部 | 40 | 曽於市 | デジタル新局 | |
瀬戸内 | 12 | 21 | 瀬戸内町(奄美大島) | |
末吉 | 62 | 20 | 曽於市 | MBC初のUHF局 |
徳之島 | 60 | 16 | 徳之島町 | |
知名 | 1 | 21 | 知名町(沖永良部島) | |
種子島 | 60 | 25 | 西之表市 |
ラジオ
現在は薩摩地方に3か所、奄美市に1か所中継局が設置されている。かつて(1962-2003年)は鹿屋中継局(1062kHz、100W)が存在した。
鹿児島本局は開局当初、鹿児島市吉野町にあったが、1986年に霧島市隼人町に移転した。
- 周波数:1107kHz(1989年までは1557KHz)
- 空中線電力:1kW
開局当初はコールサイン:JOCLを保有。現在は千葉テレビ放送がJOCL-DTVとして使用している。
- 周波数:1107kHz(1990年代前半までは801KHz)
- 空中線電力:100W
- 周波数:1107kHz
- 空中線電力:1kW
- 周波数:1449kHz
- 空中線電力:300W
昼間の受信で最長距離の記録は、ラジオ無線関係の雑誌『ラジオマニア 2008』(三才ブックス)での屋外受信の実験企画で2008年春に和歌山県すさみ町で成功している。
2011年10月3日からはradikoを通じてインターネット配信を実施している。おおすみFMネットワークやあまみエフエム、FMきりしま(おおすみFMネットワーク・FMきりしまは独自、あまみエフエムはSimulRadio)とは異なり、エリア判定により鹿児島県と見做される環境下でのみで聴取できる[5]。無線放送ではAMステレオ放送を実施していないが、radikoにおいては一部の番組・CMがステレオ音声で配信される。
支社・支局
資本構成
海外提携放送局
沿革
開局まで
第二次世界大戦後日本でも民間放送局が相次いで開局したが、開局の形態としては「地元新聞社のラジオ事業進出」または「地元自治体の共同出資」が多かった。鹿児島県の場合は当時の南日本新聞社社長畠中季隆が「3kWで鹿児島県全域と宮崎・熊本県の南部、南西諸島全域をカバーするラジオ局」の設立構想を打ち出した。当初は鹿児島県知事は「ラジオ局はNHKで十分」とし、鹿児島銀行の頭取も「鹿児島では商業放送は成り立たない」と否定的であったが、1952年12月12日に南日本新聞紙面上で設立構想を掲載してからは、鹿児島県全体で協力体制が出来上がり、最終的には(当時日本復帰前の大島郡を除く)県内全市町村が出資した。
1952年12月10日に南日本新聞本社3階に創立事務所を設置。1953年1月31日に発起人総会が開かれ、送信所が鹿児島市吉野町に、演奏所は南日本新聞本社3階に第3スタジオまで設置することが報告された。2月11日に郵政省にラジオ局の開設申請を提出し、6月13日にラジオ南日本の創立総会が開催された。このときまでに略称がMBCと決定され、英称は現在と同じ"Minaminihon Broadcasting Co.,Ltd."であった。
送信所の出力は当時500Wまたは1kWが主流であり、3kWでの開局構想は異例のものであった。郵政省は異例の高出力と金沢の放送局(現在の北陸放送)との混信問題を懸念し、「アンテナ2基による指向性アンテナ」を条件に3kWでの送信を認められた。指向性アンテナは当時日本唯一のもので、指向性は南西諸島に向けられた。MBCは宮崎にも中継局を設置する予定であったが、こちらはラジオ宮崎(現在の宮崎放送)の設立をもって阻止された(詳細は宮崎放送#沿革を参照)。
創立総会の時点では開局日は1953年11月1日の予定であったが、番組改編期に合わせる営業上の都合から、同年10月10日に前倒しされた。このため電波監理局の検査合格(本免許交付)と同時に開局しなければならなかった(実際は本放送開始2日前に免許交付)。なお、実際に本免許交付と同日に開局した事例はかのやコミュニティ放送ときもつきコミュニティ放送(2006年8月4日)がある。
1953年10月10日に開局。同日には現在も続く番組『城山スズメ』『希望のリボン』『歌のない歌謡曲』が開始されている。ニュースは共同通信社と南日本新聞社からの提供であった。10月20日にMBCタレントの源流となるMBC放送劇団(南日本放送劇団)を創立。11月3日にはMBC開局祭が鹿児島市中央公民館で開催され、社歌となる「ラジオ南日本の歌」(現在は南日本放送の歌に改称)が発表された。「ラジオ南日本の歌」は2012年末まで一日のテレビ放送開始・終了時にインストゥルメンタルとして流されていた。
アナログテレビ放送開始
開局した1953年は東京でテレビ放送が開始された年でもあった。MBCがテレビ開局準備局を設けたのは1956年1月のことであり、1957年10月22日に仮免許が交付された。テレビの送信所は1958年6月から1959年1月にかけて城山に、演奏所は1958年11月から翌年1月にかけて鹿児島市高麗町に建設された。演奏所は4期に分けて建設され(MBCニューズナウなどで使用される第1スタジオは第1期、ラジオ兼用の第2スタジオは第2期)、最終的には1960年に完成した。1階は甲突川の氾濫対策で高床設計であり、これが1993年の8.6水害で水没の危機に瀕した社屋を救うこととなる。
1959年4月1日の午前8時45分にテストパターンを流して(アナログ)テレビ放送を開始。同年8月[6]にはJNNに加盟した(TBS東京放送とは1967年10月13日に編成・報道・営業の3協定を締結している)が、MBCは「ニュースはJNN、番組はフリーネット」の姿勢であった。番組編成はKTS・KKB・KYTが開局する(1969年4月・1982年10月・1994年4月)毎に大幅に変更され[7]、現在では番組もおおむねTBS系列のネットとなっている。
1961年10月に「ラ・テ兼営となった実態に即すため」として、社名をラジオ南日本から南日本放送へ変更した。
報道体制の強化・中継局の整備・KKBとの関係
1961年7月3日にローカルニュース番組の制作を開始。ラジオでも1967年10月からニュースの自主編集が開始された。1976年10月には夕方の30分ワイド番組『MBC6時こちら報道』が開始された(現在はMBCニューズナウとして放送)。取材拠点は1968年の鹿屋を始めに、1970年代にかけて県本土の各所と奄美大島に設置された。
テレビ中継局の整備は1960年の鹿屋中継局に始まる。ただし、鹿屋中継局は「宮崎放送の鰐塚山送信所からのスピルオーバーによる視聴者流出」への対策の意が強く、他の主要中継局は1963年から順次設置されていった。離島の中継局は1970年代に整備された。奄美大島へは1977年に放送を開始し、与論島にも1980年3月に中継局が設置された。同時に難視聴地域を対象とした微小局・ミニサテライト局の設置も進められた。
1982年のKKB開局の際には社員出向や中継局の共同使用などの協力を実施。MBCとKKBの関係はさながら「兄弟会社」のようなものであった。現在もMBCはKKBに出資しており、関係は現在でも続いている。
8.6水害・日本の放送局初の気象予報業務許可
1993年8月6日の「8.6水害」では鹿児島市が甚大な被害を受けた。MBCの社屋も水没の危機に瀕し、社内に残ったスタッフ・社員関係者一丸となって土嚢を積みバケツモップによる必死の排水作業を続けかろうじてテレビマスター室の防衛に成功したが、所有するラジオカー「ポニー号」3台が水没その他社用車の大多数を水没させた。テレビ中継車及び衛星中継車 ステージカーは、伊集院町(現在の日置市)でのゴルフ大会収録に出動していたため水没を免れた。
この日は細川内閣成立に関する報道特番がJNNでは編成されていたが、MBCではMBCニューズナウの終了後引き続いて8.6水害に関する報道を随時挿入し、21時台のドラマ『イエローカード』を途中打ち切り後は翌朝まで報道を続けた。この報道姿勢は高く評価され『20世紀放送史』(日本放送協会・編、2001年)にも掲載されるほどであったが、MBCとしては「自ら気象情報を提供することはできたのか?」という課題が残された。これに対する答えが1995年の気象予報業務許可であった。各番組でMBC独自の予報を提供し、1998年からはフィラーとして天気予報を放送している。
2001年以降
2002年からは現在のキャッチフレーズ「ふるさとたっぷりMBC」を使用(テレビのみ2004・2005年は「かごしまlife」)。同時期に開局50周年を迎えたことから、過去のドキュメンタリー番組を『アーカイブス50』として放送した。
2006年12月に地上デジタル放送とワンセグの本放送を開始。2008年の開局55周年記念事業「MBCウミガメプロジェクト」においてはウミガメ(男の子と女の子)のマスコットキャラクター「ユウ(遊海)」「ミウ(美海)」が設定された。名前は一般公募により選定された。2011年7月24日にはアナログテレビ放送が終了し、同年11月までに城山送信所が解体された。
2013年に開局60周年を迎えたことから、MBCではテーマ曲『見つめあうだけで』および「60」をあしらったムービングロゴを同年1月1日に制定した。『見つめあうだけで』は韓国のデュオ「HUE」が歌唱し、テレビで一日の放送開始・終了時などに放送されている[8]。
年表
- 1953年(昭和28年)
- 6月13日 - ラジオ南日本の創立総会を開催。
- 6月23日 - 「株式会社ラジオ南日本」会社設立。当時の局舎は南日本新聞の社屋を間借りする形でおかれた。
- 8月1日 - ラジオ予備免許交付。
- 8月20日 - 鹿児島市吉野のラジオ送信所が着工。
- 10月1日 - ラジオの試験放送開始。この時点では鹿児島市易居町(南日本新聞社社屋内)の演奏所が完成しておらず、吉野送信所から放送を行っていた。
- 10月8日 - ラジオ本免許交付 (760kc,3kW)
- 10月10日 - 午前5時30分に全国26番目にラジオ放送開始。現在も続く番組『城山スズメ』も開始。
- 10月20日 - MBCタレントの源流となる『南日本放送劇団』を創立。
- 11月1日 - 本来の開局予定日。鹿児島市易居町からの放送を開始。
- 11月3日 - 鹿児島市中央公民館で「ラジオ南日本の歌」を発表。
- 1956年(昭和31年)10月1日 - 鹿児島市吉野のラジオ送信所の出力を5kWに増力。
- 1957年(昭和32年)
- 1958年(昭和33年)
- 1959年(昭和34年)
- 1960年(昭和35年)
- 1961年(昭和36年)
- 1962年(昭和37年)
- 1963年(昭和38年)12月1日 - テレビ放送の紫尾山中継局[10]が開局。
- 1964年(昭和39年)10月1日 - テレビ放送の枕崎中継局が開局。
- 1965年(昭和40年) 5月2日(社史では4月20日) - TBSラジオをキーステーションとしたラジオネットワーク、Japan Radio Network(JRN)が発足、加盟。
- 1966年(昭和41年) 7月7日 - アナログテレビ放送においてカラー放送を開始(九州内の民放では福岡RKBに次いで2番目。)当初は1週間で2時間程度のみであり、年数をかけてカラー化を進めた。
- 1968年(昭和43年)10月 - ニッポン放送と文化放送をキーステーションとしたラジオネットワーク、全国ラジオネットワーク(NRN)に加盟。
- 1969年(昭和44年) 9月 - 北別館ならびに本館増築工事が完工。カラー放送対応の第1スタジオが完成。(当初はカラーカメラ未導入)
- 1971年(昭和46年) 9月 - 大型カラー中継車を導入。同年9月のロケット発射中継や翌年の太陽国体など幅広く活躍する。
- 1972年(昭和47年)
- 1976年(昭和51年)10月4日 - 鹿児島県の民放局として初めてのニュースワイド番組『MBC6時こちら報道』を開始。
- 1977年(昭和52年)1月28日 - 奄美大島でのアナログテレビ放送開始(放送技術の向上と奄美群島振興開発事業の非公共事業として国が整備を支援したことにより名瀬中継局完成)。
- 1978年(昭和53年)11月23日 - 吉野送信所の周波数を1110kHzから1107kHzに変更(9kHzステップの移行に伴うもの)。
- 1981年(昭和56年) 4月1日 - 吉野送信所の送信出力を5kWから20kW[11]に増力。
- 1982年(昭和57年)
- 4月1日 - アナログテレビ放送において音声多重放送を開始(南九州地区のテレビ局では初。当初は奄美群島地区は除く)。
- 7月7日 - ラジオ放送の音質向上を目的にプリエンファシス方式を導入。午前9時の生ワイド番組内より放送開始(当初は吉野送信所エリアのみ)
- 1983年(昭和58年)10月15日 - コーポレートアイデンティティ (CI) を実施。ロゴが現行のものに更新。
- 1986年(昭和61年)10月1日 - ラジオ放送の送信所を鹿児島市吉野から隼人町(現・霧島市)に移転。
- 1987年(昭和62年) 4月 - 南別館(報道センター棟)が完成。
- 10月 - ラジオ放送で『MBC50ニュース』を開始。
- 1988年 (昭和63年)ラジオ終夜放送開始。いすゞ歌うヘッドライト(TBSラジオ制作)、オールナイトニッポン第二部(ニッポン放送制作)を、ネット開始した。
- 10月6日 - テレビ ザ・ベストテン大移動・鹿児島編を、鹿児島港小川埠頭特設会場から全国ネットで放送。MBCから采野吉洋アナウンサーと、山崎典子アナウンサー(当時)が参加した。
- 1989年(平成元年)
- 1990年(平成 2年)2月18日 - 衆院選で鹿児島テレビ・鹿児島放送とともに誤当確[12]。『MBC6時こちら報道』が同年4月に『MBCニューズナウ』へ衣替えした一因となる。
- 1993年(平成 5年)8月6日 - 平成5年8月豪雨(8.6水害)により甲突川が氾濫、MBC放送会館が水没の危機に瀕した。テレビ・ラジオ双方で終夜放送を実施。
- 1995年(平成 7年)5月18日 - 放送局としては初めての気象予報業務許可を得る。
- 1998年(平成10年)4月 - フィラーとしてお天気情報を流すことによりテレビの終夜放送を開始(日曜日も実施)。ラジオも同様に日曜深夜を含めた終夜放送を開始(現在は日曜深夜=月曜未明は2時45分‐4時に休止枠がある)。
- 2003年(平成15年)3月31日 - ラジオ放送の鹿屋中継局を廃止。
- 2006年(平成18年)
- 8月1日 - 地上デジタル放送に対応したマスターへ更新。
- 10月2日 - 地上デジタル放送の試験放送開始(11月4日まで)。
- 11月5日 - 地上デジタル放送のサービス(サイマル)放送開始。
- 12月1日 - 地上デジタル放送とワンセグの本放送を開始。
- 2007年(平成19年)10月1日 - MBC初の地上デジタル放送の中継局となる鹿屋・枕崎・阿久根・蒲生中継局が開局。
- 2008年(平成20年)8月1日 - 地上デジタル放送の名瀬中継局(奄美大島)が開局。
- 2010年(平成22年)5月21日 - Ustreamを使いラジオ生放送中のスタジオの模様をライブ動画で配信するサービスが一部の番組でスタートする[13]。
- 2011年(平成23年)
テレビネットワークの移り変わり
- 1959年(昭和34年) 4月1日 - テレビ放送開始。日本テレビ・ラジオ東京テレビ(現・TBSテレビ)・フジテレビ・日本教育テレビ(NET、現・テレビ朝日)とネットを組む。
- 8月 - ニュースネットワークのJNNに加盟。以降TBS主体編成のフリーネットとした。
- 1967年(昭和42年) 6月 - 民間放送教育協会に加盟。
- 1969年(昭和44年) 4月1日 - 鹿児島テレビ開局。同局と日本テレビ・フジテレビ・NETテレビの番組を共有する事となった。
- 1975年(昭和50年)3月31日 - JNNの準キー局が腸捻転解消により朝日放送から毎日放送に変更。関西発全国ネット番組を鹿児島テレビと交換。
- 1982年(昭和57年)10月1日 - 鹿児島放送の開局により民教協制作分を除いたテレビ朝日の番組が姿を消す。日本テレビ・フジテレビの番組が鹿児島テレビとの共有から編成にあふれた分のみネット放送に格下げとなる(これにより2割ほどが鹿児島テレビへ移行)。これまでMBCでネットされていなかったTBS制作の生番組『モーニングジャンボ奥さま8時半です』や『3時にあいましょう』が新たにネット開始。
- 1994年(平成 6年) 4月1日 - 鹿児島読売テレビ開局。最後まで残っていた日本テレビの番組(『MBCサスペンス劇場』・『全日本プロレス中継』)が鹿児島読売テレビへ、フジテレビの番組(『サザエさん』)が鹿児島テレビへ移行されて姿を消す。
- 1995年(平成 7年)3月31日 - 『健康増進時代』が終了。これにより日本テレビのネット関係が完全に途絶える。
社史・記念誌
- 南日本放送十年史(南日本放送・編) 1963年10月10日発行、301ページ。
- MBC十五年の歩み(南日本放送・編) 1968年6月23日発行、52ページ。
- MBC二十年の歩み(南日本放送・編) 1973年9月30日発行、64ページ。
- 生き生き25年 南日本放送のあゆみ(南日本放送25周年記念出版委員会・企画) 1978年10月10日発行、143ページ。
- 未来を拓く MBC35年のあゆみ(南日本放送35周年記念出版委員会・企画) 1988年10月発行、177ページ。
- MBC50年の軌跡(南日本放送・編) 2004年発行、277ページ。
スタジオ・関連設備等
本社
本社は3つの建物に分かれており、此処では説明上「本館」「北別館」「南別館」とする。
- 第1スタジオ
- テレビ制作用のスタジオ。本館内にある。放送会館の増築工事により、1969年にカラー放送対応のスタジオとして完成。以後、半世紀近くに渡ってMBCの歴史を見守ってきた。現在は「MBCニューズナウ」・「ズバッと!鹿児島」・「TEGE2」等、定時ニュース以外の殆どの番組が此処で制作されている。また、選挙や記念特番も基本的に此処から(生)放送される。
- ニューススタジオ
- 南別館(1987年春に竣工)にあるスタジオで、報道センター内に設置されている。「MBCニューズナウ」も2006年11月30日まではこのスタジオから生放送されていた。現在も「かごしま24」や「MBCニュース」、気象情報は此処から放送されている。
- 第2スタジオ
- ラジオ制作用のスタジオで、「スマイリー園田のLive Alive」等の公開生放送の他、大人数での音声収録などに使用されている。本館にあり、こちらも1961年から使用されている。
- 展望スタジオ
- 「城山スズメ」、「えっちゃんのたんぽぽ倶楽部」、「田辺令吉のおはよう!発車オーライ」、「ズバッ@RADIO〜青だよ!たくちゃん!〜」等の生番組の放送を行うラジオスタジオ。本館2Fにあり、近年設備が改装された。2010年からはUSTREAMを使用したネット上の生放送も一部番組で行われている。
- この他にもラジオスタジオが存在し、テレビのナレーション録音・ラジオ番組収録に使われている。
- MBCホール
- 北別館7F(最上階)に設置された、中規模なホール。主にMBCユースオーケストラや、年末の県民第九の練習会場等として使用されている。
- 社員食堂「すずめ」
- 多くの社員が利用している。MBCの番組やHPでは何故か存在に触れられる事はあまりないが、元UMKの首藤真吾が休暇で同期生の古山かおりを尋ねた際、同社のHP上で公開された(UMK首藤真吾アナウンサー日記より)。
- 玄関ロビー
- 地上デジタル放送開始に合わせ、2006年頃に改装された。一時期はスタジオ改装等の事情で、各番組の生放送・収録にも使われていた。なお、平成5年8月豪雨では甲突川の氾濫で冠水し、その様子がMBCのカメラを通して全国へ伝えられた。
本社以外
- 鹿屋支社・奄美支局には中継用の簡易スタジオがある。また、南日本新聞編集局にも中継用のデスクが置かれている。
- 奄美地方にはラジオ名瀬中継局が存在し、同局にコールサインは割り当てられていないものの災害発生時など独自放送を行うことがある[14]。この場合は基本的に鹿児島本社のスタジオから放送が行われている模様。
- MBCメディアホール - 本社近くの「MBC開発ビル」4Fにあるホール。各種イベントに使用されているが、近年は此処でラジオ特番の生放送・収録を行う事も多い。
主なテレビ番組
自社製作番組
- MBCニュース
- ズバッと!鹿児島(月曜 - 金曜 10:00 - 10:25、土曜 9:30 - 10:15)
- MBCニューズナウ(月曜 - 金曜 18:15 - 19:00)
- TEGE2(月曜 19:00 - 19:54)
- かごしま24(月曜 - 金曜 24:00 - 24:20)
- さつま狂句(火曜 10:25 - 10:35)
- ときめきワイド(水曜 14:55 - 15:25)
- どーんと鹿児島(水曜 19:00 - 19:54、再放送・金曜 24:20 - 25:15)
- MBC経済フラッシュ(金曜 10:25 - 10:35)
- さたでー925(土曜 9:25 - 9:30)
- ふるさとかごしま(土曜 11:15 - 11:30、再放送・火曜 24:50 - 25:05)
- SunSunクッキング(土曜 11:30 - 11:45)
- 素敵にクッキング(日曜 11:40 - 11:45)
- MBCテレビ50 かごしま今昔(月曜 - 金曜 5:40 - 5:55、過去に『奥様ワイド・MBCですこんにちは!』内にて放送されたコーナー「かごしま今昔」の再編集版)
- 大隅あれこれ(日曜 13:54 - 14:00) - 大隅半島の話題を伝える番組。スポンサーも大隅半島がらみで、一部スポンサーは10秒枠となっている。
過去の番組
- mixx(木曜 24:20 - 24:50、再放送・土曜 25:43 - 26:13)
- MBCテレビ50 あの頃のふるさと(月曜 - 金曜 23:55 - 24:00) - 2009年度。
- おはよう!グッデイかごしま - 2002年度に朝の情報番組『おはよう!グッデイ』のローカル枠として放送。
- ヒルタク - 2003年度。おはよう!グッデイの後番組の『ウォッチ!』が当初ローカル枠を設けなかったために午前11時台に番組枠を移動。司会はMBCタレントの野口たくお(当時は野口拓男)。冠番組であり、タイトルは「お昼の拓ちゃん」を略したもの。毎日ゲストを呼びトークを繰り広げる内容であった。
- ウォッチ!かごしま - 2004年度に『ウォッチ!』が再びローカル枠を設け、MBCは当枠を『ウォッチ!かごしま』として差し替えた。司会は前年度に引き続き野口たくおが担当。
- 旬感テレビ(月曜・火曜・木曜 9:55 - 10:05、水曜 9:55 - 10:10) - 2005年 - 2006年度。ウォッチ!の後番組『みのもんたの朝ズバッ!』がローカル枠を設けなかったため、番組枠を午前10時台に移動。土曜日は『ズバッと!鹿児島』として放送されており、2007年度に同番組に統合されるかたちで終了。
- 旬感テレビ金曜版(金曜 9:55 - 10:25)
- MBC6時こちら報道 - 1976年10月に開始した夕方の報道番組。『MBCニューズナウ』の前番組となる。
- 陶山賢治の時の風 - 1997年から9年間土曜日18時に放送されていた報道番組。ミニドキュメンタリーを放送するコーナーが設けられ、複数の賞を受賞する原動力となった。
- 奥様ワイド・MBCですこんにちは!
- ふれあいタウン・きゅーと55
- みんなの学校元気な学校 - 特定の小学校を紹介する。
- ふるさとワンダフル
- 椋鳩十〜動く絵本〜
- 今日感テレビ(月曜 - 金曜 15:00 - 15:50、RKB毎日放送、長崎放送、大分放送と共同制作していたが、2006年9月に大分放送と共に番組制作とネットを終了した)
- 生deココ(土曜 9:45 - 11:15、月1回)
- 5時からテレビ(月曜 - 金曜 17:00 - 18:00) - 1989年。
JNN系列局制作番組のネット
※全国ネットの番組は除く。
- 列車に乗って(RKB毎日放送制作、日曜 10:00〜10:15)
- 世界一の九州が始まる!(e-JNN加盟局制作、日曜 10:15〜10:30)
- 噂の!東京マガジン(日曜 13:00〜13:54、同時ネット)
- JNN九州沖縄ドキュメント ムーブ(RKB毎日放送制作、月曜 25:50〜26:20)
- 有吉ジャポン(火曜 24:05 - 24:35)
- 噂の現場直行ドキュメン ガンミ!!(火曜 24:40 - 25:10)
- 有吉AKB共和国(水曜 24:40 - 25:10)
- HKT48のおでかけ!(水曜 25:05 - 25:35)
- キャプテン・アース(毎日放送制作、水曜 25:35 - 26:05)
- おーくぼんぼん (木曜 24:05 - 24:35)
- よしもと新喜劇(毎日放送制作、土曜 12:00〜12:54。但し不定期に、同じMBS制作の「痛快!明石家電視台」に差し替えることもある)
系列外の番組
- 放送時間がないものは、かつての番組(※は継続中のもの)。
テレビ東京(TX)系列
- L4 YOU!(同時ネット生放送・月曜〜金曜 16:00〜16:52)
- NARUTO -ナルト- 疾風伝 (土曜 5:15〜5:45)
- 和風総本家(土曜 10:15〜11:09)
- 所さんの学校では教えてくれないそこんトコロ!(土曜 13:00〜13:54)
- 日経スペシャル ガイアの夜明け(日曜 14:00〜14:54)
- 男子ごはん(土曜 17:00〜17:30)
- キンコンヒルズ
- みゅーじん
- ガレッジ×ビレッジ
- TVチャンピオン2
- ハロー!モーニング。
- 「モーニング娘。Happy8期オーディション」の鹿児島選考は2006年9月2日に当局ではなく、鹿児島讀賣テレビで行われた。
- 福留の22の21
- まいっちんぐマチコ先生
- キャプテン翼
- 伝説巨神イデオン
- 愛天使伝説ウェディングピーチ
- ASAYAN
- 徳光和夫の情報スピリッツ
- 音楽空間アンモナイト
- デュエル・マスターズ
- ジャングル大帝
- JAPAN COUNTDOWN
- 魔法のプリンセスミンキーモモ(第一作)
- 爆走兄弟レッツ&ゴー!!(無印のみ放映、1996年10月にKYTに移行)
- 金曜スペシャル(木曜23:35〜24:30、JNNスポーツデスクの後)
- プロ野球オープン戦の中継「ハロー球春」
- 毎年鹿児島県立鴨池野球場で行われていたロッテ対巨人のオープン戦の中継を当時の東京12チャンネルとMBCが共同制作(TX主管製作)で生中継(TXは録画再放映も)されていた。
- 光速電神アルベガス
- 新みつばちマーヤの冒険
民教協加盟局共同制作番組
その他
- 演歌百撰(サンテレビ)
- ネコナデ(tvk)
- MU-GEN(チバテレビ)
- みうらじゅん&安齋肇の勝手に観光協会
- saku saku(tvk)
- CD NEWS
- 三船美佳のずぼらぼ ズボラ生活研究所
- 恋する日曜日(BS-i)
- 林マヤが行く!
- 内村さまぁ~ず(月曜 24:40 - 25:10)
- うたなび!(火曜 25:10 - 25:40)
過去に放送されていた番組
日本テレビ系
- あなたのワイドショー→ミセス&ミセス→ルックルックこんにちは(1982年9月30日、KKB開局に伴う改編で打ち切り)
- 黄金バット→巨人の星(よみうりテレビ制作)
- あしたのジョー2
- 全日本歌謡選手権(よみうりテレビ制作、火曜19:30。ところで、本来の枠だった『ぴったしカン・カン』は、1983年3月26日まで土曜13:30〜14:00の放送だった。)
- 日立ドキュメンタリー すばらしい世界旅行(1969年4月6日、KTS開局と共に同局に移動)
- スター誕生!(1982年10月3日からKTSへ同時ネットで移動。1977年3月までは同時ネット、1977年4月から日曜10:30〜11:25で1週遅れの放送)
- カックラキン大放送(1982年10月8日からKTSに移動)
- 太陽にほえろ!(1981年4月3日からKTSに移動。番組移動後、MBCが過去に放送した作品の一部もKTSが再放送)
- ごちそうさま+おしゃれ(セットで1982年10月1日からKTSに移動)
- 東芝ファミリーホール特ダネ登場!?
- 土曜ロードショー(『水曜ロードショー』の遅れネット。最初は22:30から、『JNN報道特集』開始後は深夜にそれぞれ原則として10日遅れで放送。1982年10月6日からKTSに移動)
- 全国高等学校サッカー選手権大会(KYT開局後もしばらくは県予選のみ並列して放送した[15])
- 知ってるつもり?!(MBCでは度々休止期間が入っての部分放送。1992年3月打ち切り)
- 健康増進時代(日本医師会提供、KYT開局後も最終回まで放送)
- 日産スター劇場
- 土曜グランド劇場(土曜22:30→火曜22:00。1981年4月4日からKTSに移動。番組移動後、MBCが過去に放送した一部の作品もKTSが再放送)
- 木曜スペシャル(番販扱いで金曜深夜に遅れネット。ただし、アメリカ横断ウルトラクイズなど一部はKTSが放送)
- 月曜スター劇場(月曜22:00に1週間遅れで放送。KKB開局後もKTSへの番組移動は行われず、MBCが引き続き日曜23:00〜23:54に放送)
- それは秘密です(番組の開始当初は土曜12:55〜13:25、後に日曜15:00~15:30へ。KKB開局後もKTSへの番組移動は行われず、MBCが引き続き最終回まで日曜10:30〜11:00に放送。何れも数週の遅れネットだった。)
- レ・ガールズ
- 出没!玉突き
- タイガーマスク(よみうりテレビ制作)
ほか
フジテレビ系
- スター千一夜(1970年代にKTSに移動)
- ゲゲゲの鬼太郎(1960年代と1970年代)
- キンカン素人民謡名人戦(フジテレビ系番販放送枠廃止に伴い、1992年9月26日放送打ち切り。1992年10月3日〜1993年5月29日の放送休止後、継続番組からKTSへ移動)
- サザエさん(本放送、再放送ともにネット。再放送版は土曜17:00〜17:30。放送は1988年10月1日〜1992年9月26日の4年間のみ。フジテレビ系番販放送枠廃止に伴い打ち切り。1992年10月3日〜1994年3月26日の放送休止後、1994年4月5日から火曜19:00〜19:30の同時ネットにてKTSへ移動)
- ズバリ!当てましょう(金曜19:00〜19:30。放送期間途中からKTSへ移動)
- キテレツ大百科(1988年10月にKTSへ移動)
- Dr.スランプ アラレちゃん(ズバリ!当てましょうのKTS移動後に金曜19時の枠へ。1985年4月にKTSへ移動)
- タッチ
- 銭形平次(木曜23:00→金曜16:00→火曜22:00。1985年4月以降の一部作品再放送並びに北大路欣也主演シリーズ全作品はKTSが放送)
- ライオン奥様劇場→ライオンのいただきます(14:30から時差ネット。フジテレビ系平日午後の帯番組放送枠廃止に伴い、1987年10月5日よりKTSに移動。番組移動後、ライオン奥様劇場の一部作品もKTSが再放送)
- 三匹の侍
- スターご勝手対談→たけしのここだけの話→新伍&紳助のあぶない話(関西テレビ制作、木曜深夜→土曜12:30に時差ネット。1992年10月4日よりKTSへ同時ネットにて移動。この番組移動と同時に、フジテレビ系番販放送枠を廃止)
- ドカベン(1985年4月以降の再放送時はKTSへ移動)
- シンドバッドの冒険
- コートにかける青春
- 鉄人28号(第1作)
- 日清ちびっこのどじまん
- 花の新婚!カンピューター作戦(関西テレビ制作、KTSから移動。1982年10月〜1985年3月まで放送後KTSへ再移動)
- 赤白パネルマッチ
ほか
テレビ朝日系
- 木曜22時枠ドラマ(日曜23時に3日遅れで放送)
- 素浪人 月影兵庫(近衛十四郎主演)
- 素浪人 花山大吉
- 旅がらすくれないお仙
- 緋剣流れ星お蘭
- 遠山の金さん捕物帳
- 世なおし奉行
- 地獄の辰捕物控
- 特別機動捜査隊(白黒時代のみ。1969年4月からKTSへ移動)
- 昭和仮面ライダーシリーズ(毎日放送制作、腸捻転解消後も放送【ここではNETテレビ系列でやっていた時代の作品を述べる】)
- 人造人間キカイダー→キカイダー01
- はじめ人間ギャートルズ(ABC制作、腸捻転解消前から)
- おはよう!スパンク(ABC制作)
- 一休さん(1981年4月からKTSに移動)
- 月曜19時台前半アニメ(1969年4月からKTSに移動)
- 狼少年ケン
- 透明ドリちゃん
ほか KKB開局まで放送されていたテレビ朝日系の番組
- モーニングショー
- アフタヌーンショー(3時間後の15:00から放送。参考までに、同じTBS・JNN系列の石川MRO、長野SBC、長崎NBC等も同時間にネットされていた。)
- 象印クイズ ヒントでピント(象印スターものまね歌合戦の頃から、日曜10:00〜10:30。遅れネット)
- 八木治郎ショー(毎日放送制作、腸捻転解消前。TBS系移動後は、『土曜の朝に』がKKBへ移動した際、後番組の『いい朝8時』からネット再開)
- おはようワイド・土曜の朝に(ABC制作)
- 新婚さんいらっしゃい!(ABC制作、腸捻転解消前から。腸捻転解消後は土曜22時へ、更にJNN報道特集の開始後は同23時へ移動。提供スポンサーの差し替えはなし。)
- パネルクイズ アタック25(ABC制作、土曜17:00〜17:30)
- 霊感ヤマカン第六感(ABC制作、土曜14:30〜15:00。TBS系金曜19時半の時代は、翌週金曜の18時から。腸捻転解消及び番組の全国ネット復帰後は、左記の時間帯で約数週の遅れネット。)
- ラブアタック!(ABC制作、土曜正午→土曜12:30→土曜13:00。遅れネット)
- 三枝の国盗りゲーム(ABC制作、土曜11:00〜11:30)
- 暴れん坊将軍(第1シリーズのみ)
- 火曜21時枠時代劇(月曜21時に6日遅れで放送、KKB開局直前は火曜22時の枠)
- 必殺シリーズ(ABC制作、腸捻転解消前から。TBS系時代は水曜23時で、旧NET及びテレ朝へネット移行後は火曜深夜へ。何れも数ヶ月程度の時差ネット)
KYT開局まで放送されていた日本テレビ系の番組
- サスペンス劇場(1992年4月2日〜1992年9月24日は『木曜サスペンス劇場』、1992年10月2日〜1994年3月25日は『MBCサスペンス劇場』のタイトルで深夜番組として時差ネット)
- 全日本プロレス中継(放送日が土曜日に移った際にKTSに移動。その後、1992年4月5日〜1994年3月27日は、再びMBCで日曜深夜(月曜未明)に放送)
KYT開局まで放送されていたフジテレビ系の番組
- サザエさん(1992年9月のフジテレビ系番販放送枠廃止後も、この番組のみ、一社提供(複数者提供移行後は筆頭)スポンサーだった東芝からの要請により、1992年10月4日〜1994年3月27日は引き続き放送。鹿児島讀賣テレビの開局に伴い、1994年4月3日からKTSに移行。それまでは『FNSの日』内包時のみKTSで放送)
TBS系の遅れネット
- 徳光和夫の感動再会"逢いたい"
- まんが日本昔ばなし(毎日放送制作、NET系列番組時代はKTSで放送。2005年10月同時ネットで放送再開)
- 料理天国→新伍のワガママ大百科→MBSアニメ・実写枠(ムカムカパラダイス、ウルトラマンコスモス、機動戦士ガンダムSEEDなど。2006年4月から同時ネット開始)ほか多数
- 緋弾のアリア (2011年4月から、MBS以西で唯一ネット。)
- ビビッドレッド・オペレーション(毎日放送製作、2013年3月と4月に週2回で集中放送された。)
- フォトカノ
- 進撃の巨人(毎日放送制作)
主なラジオ番組
- かつては午前5時開始〜翌朝3時(日曜深夜=月曜未明だけ2時)終了の22時間(同21時間)放送だったり、日曜深夜を含めた完全24時間放送だった時代もあったが、現在は毎週日曜の深夜=月曜2時45分〜4時のみに休止する時間があるが、他は終日放送(月曜日のみ4時開始、他は5時基点)である。
自主制作番組
- MBC50ニュース(毎時50分)
- 古山かおりのモーニングスマイル(月曜〜金曜 6:30〜9:40)
- えっちゃんのたんぽぽ倶楽部(月曜〜金曜 10:00〜12:50)
- 城山スズメ(月曜〜金曜 14:00〜16:50)
- 希望のリボン(月曜〜日曜 7:30〜7:40)
- ぽてとタイム(月曜〜金曜 18:00〜18:05)
- わたしたちの作文(日曜 9:00〜9:20)
- MBCエキサイトナイター(火曜〜金曜 19:00〜21:42)
- Precious Music(月曜 22:00〜24:00、火曜〜金曜 21:30〜24:00)
- 二見いすずの土曜の朝は(土曜 7:00〜9:50)
- ズバッ@RADIO〜青だよ!たくちゃん!〜(土曜 11:00〜16:35)
- さつまお笑い劇場(日曜 9:30〜10:00)
- たけまる商店・営業中(日曜 10:30〜12:50)
- スマイリー園田のLive Alive(日曜 14:00〜15:00)
- Hello!みちようび(日曜:15:00〜18:00)
ネット番組
TBSラジオ制作
- ラジオパープル(月曜〜金曜 4:00〜5:00)
- 生島ヒロシのおはよう一直線(月曜〜金曜 5:30〜6:30)
- 話題のアンテナ 日本全国8時です(月曜〜土曜 8:00〜8:15)
- ドライバーズリクエスト(月曜〜金曜 13:00〜13:10)
- マイフェイバリッと(月曜〜金曜 17:15〜17:25)
- ネットワークTODAY(月曜〜金曜 17:30〜17:45)
- ミュージックナビ〜昨日と今日との交差点〜(月曜〜金曜 27:00〜28:00)
- 東京ポッド許可局(土曜 4:00〜5:00)
- ウィークエンドネットワーク(土曜 17:45〜17:50)
- 明日へのエール〜ことばにのせて〜(土曜 22:00〜23:00)
- オトナのためのリクエストプログラム〜オト☆リク(日曜 19:00〜20:00)
- 今晩は 吉永小百合です(日曜 24:00〜24:30)
- 高見沢俊彦のロックばん(日曜 24:30〜25:00)
文化放送制作
- ラジオライブラリー「新・人間革命」(月曜〜金曜 5:00〜5:10)
- 武田鉄矢・今朝の三枚おろし(月曜〜金曜 8:23〜8:33 「古山かおりのモーニングスマイル」内)
- 氷川きよし節(月曜〜金曜 13:20〜13:30)
- ニュースパレード(月曜〜金曜 17:00〜17:15)
- ココロのオンガク 〜music for you〜(月曜〜金曜 21:00〜21:30、ナイターオフ期のみ)
- 高田純次 毎日がパラダイス(月曜〜金曜 21:42〜21:52)
- レコメン!(月曜〜木曜 24:00〜25:00)
- 嵐・相葉雅紀のレコメン!アラシリミックス(金曜 24:00〜25:00)
ニッポン放送制作
- やじうまニュースネットワーク(月曜〜金曜 7:10〜7:25 「古山かおりのモーニングスマイル」内)
- SUZUKIハッピーモーニング・鈴木杏樹のいってらっしゃい(月曜〜金曜 8:35〜8:40 「古山かおりのモーニングスマイル」内)
- ENEOSプレゼンツ あさナビ(月曜〜金曜 9:43〜9:50
- テレフォン人生相談(月曜〜金曜 11:07〜11:27 「えっちゃんのたんぽぽ倶楽部」内)
- ミュージックスクランブル(月曜〜金曜 13:10〜13:20)
- どうですか歌謡曲(月曜〜金曜 16:40〜16:50)
- 〜今日も一日〜 Good Job ニッポン(火曜〜金曜 19:00〜20:00、ナイターオフ期のみ)
- ネットワーク探偵団(月曜 21:30〜21:42)
- オールナイトニッポン(月曜〜土曜 25:00〜27:00)
- 福山雅治のオールナイトニッポンサタデースペシャル・魂のラジオ(土曜 23:30〜25:00)
- オールナイトニッポンR(土曜 27:00〜28:00)
- おはよう!ニッポン全国消防団(土曜 7:20〜7:30 「二見いすずの土曜の朝は」内)
- ももいろクローバーZ ももクロくらぶxoxo(日曜 22:00〜22:30)
その他
- 録音風物誌(日曜 20:50〜21:00 火曜会制作)
- 松山千春 ON THE RADIO(月曜 20:00〜21:00 FM NACK5制作)
- 昭和歌謡セレクション(不定期で放送)
- HKT48 ラジオ聴かナイト!(月曜 21:00〜21:30 KBCラジオ制作)
- 長野祐也の政界キーパーソンに聞く(日曜 8:00〜8:30 RFラジオ日本制作)
- 長野祐也の医療界キーパーソンに聞く(日曜18:30〜19:00 ラジオ日本制作 上記番組のスピンオフシリーズ)
- J-Hits COUNTDOWN(日曜 22:30〜23:00 火曜会制作)
そのほかの自主制作番組やネット番組は番組表を参照。
鹿児島県内他民放ラジオ局と同時編成
2007年2月12日の15時から55分間、MBCラジオ・県域FM局のエフエム鹿児島 (μFM) ・コミュニティFM局の鹿児島シティエフエム(フレンズFM)と「鹿児島の民放ラジオ3局」として初めて合同で番組を編成した。2008年、2009年も同時期に実施。
タイトルは「3WAVEパワーステーション ラジオだぜ! 男3人トークバトル」。MBCラジオからは野口たくおが、μFMからはDJ POCKYが、フレンズFMからは柳田弘志が出演[16]。スタジオはμFMを使用し、メールアドレスのドメイン名もμFMのものだったが、公式サイトはMBCのサーバーに置かれてあった。12日の放送時には各パーソナリティが自己の担当する番組の企画を持ち込み(野口は「城山スズメ」、DJ POCKYは"MUSIC POWER STATION feel the μzic DA!!"、柳田は「いいよね本舗」)、各放送局のジングル(フレンズFMのみ「いいよね本舗」のジングル)もそれぞれ放送された。また、これに先駆けて2月5日から9日までの12:12 - 12:17に情報番組を3局同時に放送した。
なお、MBCラジオとフレンズFMは2003年8月6日にNHKラジオ第1放送(鹿児島局)と同時編成を行ったことがある。また、NHKは公共放送であり、鹿児島県に残り3つある(当時)コミュニティFM局(FMかのや、FMきもつき、FM志布志)はNPO団体(非営利団体)であるため、民放ではない。
MBCパーソナリティ
独自にポイント気象予報を出す認可を受けており、MBCのアナウンサー・ニュースキャスター・気象予報士・タレント・ポニーメイツは「MBCパーソナリティ」と総称されている。
アナウンサー
- 1967年 小澤達雄(1967年、元アナウンス部長)
- 1974年 植田美千代[17]
- 1979年 田辺令吉(気象予報士兼任)
- 1982年 上野知子、采野吉洋(アナウンス部長)
- 1999年 岡田祐介
- 2001年 松木圭介
- 2002年 豊平有香(報道記者を経て、2006-)
- 2005年 美坂理恵
- 2006年 吉田智大
- 2009年 岩﨑弘志
- 2013年 岩崎全智(元高知さんさんテレビ)、樺島彩
- 2014年 重盛赳男、藤本真未、増田優香子(元岩手めんこいテレビ)
元アナウンサー
○はフリー。
異動
移籍
- 小林完吾(1960.2.6-1963.5、→日本テレビに定年まで)
- 太田祐輔(1992-2000、→KBCアナウンス部→KBC報道部)
- 丸山隆之(1995-1998.12、→SBC)
- 下山英哉(1995-2003.8.31。フリー→日本海テレビ)
- 高橋重憲(1998-2001.5、→中京テレビ放送)
- 退社(MBCタレント移行者は除く)
男性
- 岩橋健正(1953.10.8-1956.11.13、元NHK→フリー、初代アナウンサー主任。「名作集朗読」、奄美復帰時の生中継などを担当)
- 桐原久(1953.9-1987.1.1。青年団座談会、郷土あれこれ、私の好きな言葉、南国太平記などを担当。1976.6.23より取締役、80.6.17より常務、84.6.28より専務、1986.6.27-1987.1.1の死去まで代表取締役社長)
- 田口晶(1953.9-1982.9。スポーツ実況、城山スズメ「花言葉の唄」選曲・第1回、薩摩琵琶などを担当)
- 平山武光(1953.9-1987)
- 時末芳一(1954.6.15-1979.5.14、1958.3より新設の報道部兼務を数年)
- 三浦雅夫(1956.1.10-1982.4、「奥様ワイドMBCですこんにちは」などを担当)
- 安田勝英(1964-、1996.6.28より取締役、2001.6.27より常務)
- 中松禎夫(1965-2002):定年後も数年間はMBCニュースを担当。
- 浜平賢二(1973-1976、その後は記者、1991.9.15に42歳で死去)
- 桐山隆(1986-1997.6)
- 山田修作(2002-2005、気象予報士)○
女性
- 今村瑞穂(1953.9-1962.2)
- 竹内陽子(1953.9-1959.9.5、元NHK鹿児島放送劇団。「療養の友」、「明るい家庭」などを担当)
- 城鈴子(1953.9-1958.11.10、元NHK鹿児島放送劇団。「療養の友」、「婦人の知識」、「私の好きな言葉」などを担当)
- 慶田悦子(1953.10.11-1955.11.5、MBCの女性アナで初めてニュースを担当、現姓は柳田)
- 志摩れい子(1964-、退社後も1995年までMBCタレント)
- 山野真理(1973-1981.4.28):現在は鹿児島市でアナウンス・マナー講師などを担当[18]。
- 後藤純子(1981.4-1983.10.5)
- 内田詠子(1997-2001.5)○
- 大村絵美(2004-2007(契約))○
- 徳永恭子(1985-1988.1.26)
- 井川千也(1986-1992)
- 宇土美子(1989.4-1991.12)
- 川畑千華(1991-1995。結婚後上京)
- 平原悦子(1991-1997.9)
- 菅谷朋代(1992-2008。退社or異動の模様(HP削除より))
- 重富真美(1994-2003)
- 山崎典子(1985-1991.3)
- 松本尚子(1996-2001.7、後にTVK)○
- 田中美穂(1999-2004、フリー)
- 豊田瑠衣(2002-2006、日テレG+「おとな館」リポーター→NHK福岡放送局キャスター)
- 山西康子(2003-2004にMBCで活動。1年間のみ出演)プロフィール
- 竹下裕理(2006-2009(クリエイティブ・メディア・エージェンシー)の派遣))○
- 谷口智子(2005-2006(契約))○
- 末永安佳梨(2006-2014)
- 古山かおり(2007-2014)
- 清川真衣(2008-2011)
ニュースキャスター
アナウンス部所属ながら、アナウンサーとは別に振り分けられている。
元ニュースキャスター
他局へ移籍・出向
- 喜田治男(1957.3.7-1995。1973.4-9にTBS解説室(JNNニュースデスクの司会進行を担当するため)、1982-1994KKB(アナウンス部長)、1994年度KYTへそれぞれ出向。KKB出向前は関西支社営業部長。現在はBTVケーブルテレビ顧問)
- 竹村志麻(1995-2004.9、→テレビ高知)
- 執行真希(2005年入社、2008-2011、報道部出身)
- 竹内梢(2006年入社、2011-2013.11.1)
異動
- 城光寺剛(1983.4-、東京支社記者→報道部。1989に「鹿児島がオレに惚れてるぜ」(山崎兼敏作詞、坂元政則作曲)でジョー・フラメンコとして歌手デビュー。1960.7.24生)
- 福山喬子(2001.4-2008.2、東京支社記者)
退社
気象予報士
ウェザーキャスターとして活躍
ウェザーキャスター以外の分野で活躍
- 住吉大輔(1991-、ラジオ制作部長兼任)
MBCタレント
社員ではないパーソナリティ(元同局関係者も多数いる。)のことを放送局としては珍しく愛称があり、MBCタレントと呼んでいる(一部は県内他局の番組に出演している場合もある)。当該項目では出演している番組、CMを紹介。
- 男性
- 女性
元MBCアナウンサー
それ以外
元MBCタレント
- 瀬川洋一郎(初代MBCタレント。旧制第一鹿児島中を出て、元NHK鹿児島放送劇団幹部・県教育庁職員。1960年代から2005年に亡くなるまで活動)
- ダミアン・ヒル(2004-2009年3月。在籍中はKYTの「県ナビ」のナビゲーターも兼務)
- はた真弥(-2010.1.28)
ゲストタレント
過去には女性もいた。
ポニーメイツ
リポーター
台湾特派員
放送開始・終了および終夜放送実施
局名告知(オープニング・クロージング)のこと。
ラジオ
2009年ごろまでは放送開始・終了時(完全終夜放送時は不定期に生じるメンテナンス時に限る)ともに同一曲を使用しているが、それぞれ独自の編曲が施されている(なお、終了時のバージョンは、1980年代後半にはテレビのクロージングでも使用されていた)。これは1981年に開局30周年記念として作られたもの(この曲は歌入りで、下成佐登子が歌っていた。)であり、ラジオでは30年近く、テレビでも15年近く使用された。 現在は簡素なものに変更され、かつ放送休止中はフィラー音楽を流している。
- アナウンス例
- (オープニング時・現行)
- おはようございます。JOCF MBCラジオです。ただいまから本日の放送を開始します。今日も一日MBCラジオとご一緒にお過ごしください。
- (一世代前オープニング・メンテナンス明け)
- JOCF 南日本放送です。ただいまからMBCラジオの放送を開始します。鹿児島・阿久根・大口・川内からは1107kHz、鹿屋からは1062kHz、名瀬からは1449kHzでお送りします。どうぞきょうも一日MBCラジオでお楽しみください。間もなく5時(4時)になります。JOCF
- (クロージング時・現行)
- JOCF MBCラジオです。今日も一日MBCラジオをお聞きいただきありがとうございました。これで本日の放送を終了します。火の元、戸締りをお確かめの上ごゆっくりお休みください。
- (一世代前クロージング・メンテナンス直前)
- JOCF 南日本放送です。お楽しみのところ誠に申し訳ございませんが、放送機器の保守・整備のためこれをもちまして本日の放送を終わらせていただきます。鹿児島・阿久根・大口・川内からは1107kHz、鹿屋からは1062kHz、名瀬からは1449kHzでお送りしました。明日もMBCラジオでお楽しみください。JOCF
デジタルテレビ放送
放送開始・終了時共通(アナウンスは各々違う)。
- 現行
鹿児島市内の空撮、おはら祭、武者行列および奄美の環境映像を使用。BGMはスイート・キャロライン(同局開局以来かつ在鹿局では初めて洋楽を使用)。天気予報は内包しておらず、本編終了後直ちにお天気フィラーとなる。
- 1枚目共通…JOCF-DTV①MBC(JOCF-DTV、MBCテレビです。)
- 2枚目オープニング…おはようございます。(改行)今日もMBCの放送でお楽しみ下さい。
- 2枚目クロージング…これで今日の放送を終わります。(改行)おやすみなさい。
- 2枚目のアナウンスはテロップのとおりに読まれる。
- 2013年1月1日~12月31日
開局60周年テーマ曲「見つめあうだけで」を使用している(公式サイトで公開されている映像(開局当時の鹿児島市内、学生運動、おはら祭、鹿児島中央駅(集団就職列車(当時の西鹿児島駅)、九州新幹線出発セレモニー(2004年3月13日)、800系新幹線)のようす、ロケット基地、縄文杉、皆既日食、ナベヅルほか)の最後に本社社屋空撮をバックに、コールサインとアナウンサーによる読み上げ(JOCF-DTV、MBCテレビジョンです。)が追加されたもの)。尚、クロージングで『おやすみなさい』という表現を行ったのは開局以来初めてである。天気予報は内包していないが本編終了後直ちにお天気フィラーとなる。日によってはオープニング・クロージング共にカットされ、直接お天気フィラーに入る場合もあった。なお、この映像の放映は2013年12月30日の深夜(クロージング)および12月31日早朝(オープニング)に終了した。
- 1枚目共通…JOCF-DTV①MBC
- 2枚目オープニング…おはようございます(改行)きょうもMBCの番組でお楽しみ下さい。
- 2枚目クロージング…これで本日の放送を終了します。(改行)おやすみなさい。
- 2枚目のアナウンスはテロップのとおりに読まれる。
- デジタル放送開始当初より2012年末
県内各地の春夏秋冬を収め、最後に2枚の静止画で挨拶する映像を使用していた。(アナウンスなし)
- 1枚目開始・終了共通:コールサイン「JOCF-DTV ① MBC」表示
- 2枚目開始「おはようございます(改行)きょうもMBCの番組でお楽しみください。」
- 2枚目終了「これでMBCの放送を終わります。」
社名は基本表示しない(アナログの場合、「JOCF-TV 南日本放送」と表示)。BGMは社歌のインストゥルメンタル(器楽曲)となっている。
アナログのものから新たに作り直されており、アナウンサーによるコールサイン読み上げがないことなどの細部に及ぶ変更点がある。ちなみに2006年11月5日のサービス放送開始時は、2枚の静止画で挨拶するのみであった。
クロージングは九州南部地方(熊本県南部(天草市牛深地区および水俣市周辺に限る)を含む)の天気予報を内包しており、一番組として扱われ、電子番組表(EPG)では「天気予報放送終了前」と表記されていた。
- 2011年(アナログも同様)、クロージング直前にドリーミュージック所属アーティストのPV(ミュージック・ビデオ)がフルで放送されていた時期が複数存在する。EPG上は「天気予報放送終了前」として扱われているが、1990〜2000年代のものとは異なり天気予報・クロージングは別に放送されていた。
- また、終了から開始までの休止時間が短い場合はクロージング(および天気予報)がカットされ、最終番組からオープニングまで番宣CMやフィラーで埋められることとなる。
アナログテレビ放送
ともに2011年の停波までの数年間に変化はみられなかった。県内他局とは異なり、親局の周波数・出力の案内が特に行われていなかったのが特徴。
- 放送開始(オープニング)
- 1996年頃からは「錦江湾の朝日をバックに県内各地の著名な風景が流れ、やがて桜島の航空写真に切り替わっていく」映像に、BGMとして社歌を編曲したものが使用されていた(デジタルとは異なる)。コールサインの音声は上野知子アナウンサー。
- 1990年代前半までは地球が出てきて、日本→鹿児島にズームインし、鶴が出てくる。その後桜島が出てきて、一旦終了、最後にアナウンサーがコールサイン告知で終了。BGMは社歌。鶴のアニメはフィルム。桜島の映像は当初は鶴同様フィルムであったが、CIが導入されて以後はVTR収録となり、「MBCテレビ」→いったん消えた後MBCのCIロゴ→「南日本放送」→「JOCF-TV」の順番で縦方向にロールテロップ形式で表示し、それが終ってからブルーバックで改めて「JOCF-TV(改行)南日本放送」と表示していた。
- 「きょうも一日、MBCテレビとともにお過ごしください」という独特なフレーズが代々使われていた(デジタルでは「今日もMBCの番組でお楽しみください」の表示のみ)。昭和末期には日替わりでの挨拶がなされていた時期も存在する。
- 放送終了(クロージング)
- 鹿児島県内の季節の風景をハイビジョン撮影したものを映像とし、全中継所表示(周波数別に)も行っていた。最終版は2006年8月から約5年間使用された。デジタルと同様、1980年代後半ごろより長らく天気予報が内包されていたが、翌日の放送開始までの間隔が短い場合は天気予報がカットされることがあった。
- オープニング同様、「あすもまたMBCテレビとともにどうぞ」という文言が一時期存在していたものの、こちらは1990年代の時点で(より一般的に使われる)「あすもまたMBCテレビをごらんください」といったものに変更されている。
- 1980年代前半は、南洲神社の縁日の様子(夜店、ミニライブ、線香花火など)を映し、3枚の静止画(うち1枚はコールサイン表示)で挨拶していた。
- 1990年代前半までは鹿児島市交通局の路面電車を映していた(映像は数か月毎に差し替え)。また、同年代半ばは桜島の1日を、同年代後半まではミュージック・ビデオにテロップを載せたものであった。2004年3月のみこの形式に戻されたことがある。
- コールサイン表示においてデジタル放送とは違い、社名を表示していた。(JOCF-TV(改行)南日本放送)
- 地上アナログ放送完全終了(2011年7月24日午後11時58分)
- ブルーバックに「JOCF-TV MBC TELEVISION」と書かれた静止画が1枚表示され、簡素なナレーション(アナログ視聴への感謝、移行の呼びかけ、コールサイン読み上げ)が流れて終了した。
お天気フィラー(終夜放送)
前述のとおり、1998年ごろよりフィラーとして鹿児島県内(熊本県南部(天草市牛深地区・水俣市周辺)および宮崎県南・西部(えびの市・都城市など)を含む)のお天気情報やお天気カメラを流しており、行楽や運動会シーズンに重宝されている。また、KTS・KKBも現在、天気フィラーを流しており、KYTは日テレニュース24をサイマル放送している。設備点検による休止(同局では大規模工事でない限り滅多に行われない)を除いて在鹿全民放局で終夜放送が実施されている。以前は、2段式カラーバー(無音もしくは1kHz信号音付き)か砂嵐だったが、台風が来そうなときや豪雨発生時には予報図やレーダー観測図を出して情報を提供していた(かつてはオリジナルのフォーマットを使用していたが、現在はTBS系列共通のものを使用)。 開始当時は放送終了後および放送開始前5~10分程度はカラーバーを流していたが、2000年ごろからは放送終了後直ちにお天気フィラーを放映し、放送開始前ぎりぎりまで放映するようになった。
その他
- MBCラジオのラジオカーの愛称は「ポニー」
- 上述のとおり現在FNN系列のKTSがクロスネット局(FNN、NNNとANN)であった時代(いわば2局体制)、同局でネットしきれないフジテレビなどの番組を購入して放送していた。
- ラジオでは1992年10月のエフエム鹿児島(μFM)開局まで、TOKYO FMの一部番組を放送していた。
- 南日本放送開局50周年(2003年)記念として吉俣良 作曲、熊木杏里作詞・唄で愛唱歌「きみ!」(CDは非売品)がつくられた。2008年度のウミガメキャンペーンのラジオCMなどや終夜放送のBGMなどでもよく使われる。なお吉俣の実弟は同局と契約している放送タレントである。
- 1960年代の一時期、丸屋(のちの三越鹿児島店、現在のマルヤガーデンズ)にあった電車通り側のショーウインド内にラジオのサテライトスタジオが設けられたことがあった。これは当時九州初の試みだったとのことである[19]。この流れがあって2007年秋まで、丸屋⇒鹿児島三越⇒三越一社提供の冠番組が放送されていた。また1980年代から1990年代にかけて午前10時前に一時期「鹿児島三越の開店時間です」との時報CMを流すこともあった。
- 鹿児島県で販売される新聞のうち、産経新聞九州・山口特別版のラジオは九州・山口県8県共通内容の「広域版」となっているため、スペースの都合上載せていない。
- ラジオ南日本時代から放送以外の事業にも積極的で、嘗ては家電販売店を営む「MBCサービス」やシンクタンク事業を行う「MBC総研」なども関連会社として存在した[20]。
- 番組表(タイムテーブル)は、2009年度までラジオとテレビで別々に作成されていたが、2010年度以降は、ラジオとテレビの番組表を一緒にした『ふるぷり』として発行している。
脚注
参考文献
- 『MBC50年の軌跡』 南日本放送、2004年。
外部リンク
- MBC南日本放送公式サイト
- MBC南日本放送Ustream公式チャンネル
- MBC南日本放送公式Twitter - 番組情報
- MBC南日本放送公式Twitter(2) - MBCのブログ更新情報
- MBC南日本放送YouTube公式チャンネル
テンプレート:Navbox テンプレート:Navbox テンプレート:Navbox テンプレート:火曜会 テンプレート:民間放送教育協会 テンプレート:Tv-kyushuoki テンプレート:Radio-Kyusyuoki
テンプレート:Radiko- ↑ 鹿児島本局の移転について エフエム鹿児島、2011年7月1日。
- ↑ 『南日本新聞』2011年9月2日、25面。
- ↑ 『南日本新聞』2011年12月27日、17面。記事中に「テレビのアンテナ塔が設置されていた場所」とあり、解体が完了したことがわかる。
- ↑ 地上デジタルテレビ放送中継局ロードマップ(最終更新2011.1.21) - 総務省。
- ↑ 5.0 5.1 テンプレート:PDFlink radiko公式ウェブサイト、2011年9月15日。翌16日の南日本新聞紙面にも掲載。
- ↑ 『MBC50年の軌跡』では1959年8月17日とされている。
- ↑ 1982年10月期は36%が新番組(『南日本新聞』1982年9月28日朝刊14頁)で、1994年4月は全日で16.9%、ゴールデンタイムで40%の改編率(『南日本新聞』1994年4月3日朝刊12頁)であった。この他にも1975年には大阪の朝日放送 (ABC)と毎日放送 (MBS) のネットチェンジ(腸捻転)でいくらかの番組をKTSと交換している。
- ↑ MBCは2013年10月10日で、開局60周年(公式ウェブサイト)。2012年12月23日付の南日本新聞にも「MBC60年・KTS45年 記念番組や催し続々」として掲載。
- ↑ 同年10月に宮崎放送(当時はラジオ宮崎テレビ)がテレビ放送を開始したことに対する開局(宮崎放送は当時大隅半島全域をカバーエリアとしていた)。
- ↑ 他局及び現在の呼称は「阿久根中継局」。
- ↑ MBC側は100kWの増力を求めていたが20kWに落ち着く。100kWの場合、民放局においては関東広域圏の3局のみで、NHKを含めても九州では2番目の大出力であった。20kWの場合も政令指定都市を抱えない県の民放局では唯一である。
- ↑ 『テレビ宮崎の20年』(テレビ宮崎、1991年5月)の年表による。
- ↑ 2010年5月時点では「precious music 金曜日」の生放送のみ実施、ちなみに5月21日はライブ動画のみで無音での配信だったが、翌週の5月28日より音楽やCM部分を除く音声とライブ動画の同時配信となった。
- ↑ 例としては平成23年台風第2号発生時、夜間を中心に定時的に臨時ニュースを挿入している
- ↑ その一方で、1994年3月までNNSに参加していたKTSは当大会に参加していない。
- ↑ この3人は2006年12月から3局合同の飲酒運転撲滅キャンペーンCMに出演していた。
- ↑ 3月入社。
- ↑ カルチャーコネクションの自己紹介ページ
- ↑ 『生き生き25年 南日本放送のあゆみ 昭和53年版』より。
- ↑ [ http://wedge.ismedia.jp/articles/-/2209 踊る大捜査線よりある意味凄い 鹿児島・南日本放送の関連ビジネス]WEDGE Infinity 「故郷のメディアはいま」2012年9月19日付記事より。