料理天国
テンプレート:出典の明記 テンプレート:基礎情報 テレビ番組 『料理天国』(りょうりてんごく)は、1975年10月4日から1992年9月26日までTBS系列で放送されていた料理バラエティ番組である。制作はTBSビジョン。TBSをはじめ10局以上の系列局では毎週土曜 18:00 - 18:30に放送されていた(放送時間は地域によって異なっていた)。また、CS放送のTBSチャンネルで再放送を行ったことがある。
目次
番組概要
新種の「料理バラエティー」としてスタート
当初関東ローカルの番組としてスタートし、その後全国ネット番組となる。当時歌番組の司会などで優れたセンスを誇った芳村真理を総合司会に、進行司会としてやすし・きよしの西川きよしを起用してスタート。初期レギュラーとして久米宏(当時TBSアナウンサー)、藤村俊二、松岡きっこらが出演。料理監修は大阪あべの辻調理師専門学校が全面協力する形となった。スポンサーはサントリー一社提供であり、この『料理天国』という番組名はサントリーのPR誌である『洋酒天国』に由来するものである[1]。番組放送中にサントリーからは同名の料理用ワインが発売された。
番組開始時、針すなおのイラストによる芳村・きよしの似顔絵が映されて、「(芳村)さぁ皆さん 、(きよし)料理天国の時間ですよ」とタイトルコール。次にTBS女性アナが提供読みの後、改めて番組オープニングが始まり、スタジオでの「おいしい料理とおいしいお酒があれば、この世は天国」という芳村の台詞が必ず最初に入った。
当時としては、まだ数の少なかった料理バラエティショーとして新しいジャンルを確立。翌年には試食係専門として、大相撲引退から間もなかった龍虎がレギュラーとなり、全国ネットの番組に昇格。1976年(昭和51年)度テレビ大賞を受賞するなど番組の人気が決定的となった。龍虎の「おいしいですね」以外ほとんど感想を言わないスタイルが人気を呼んだ[2]。
全盛期
その後も服部まこ、生島ヒロシ、マリ・クリスティーヌ、西川まり、新井春美、三波豊和らがコーナー別のレギュラーとして出演。この頃の内容は、ゲストのお気に入りの店をVTRで紹介する「味は道づれ」[3]、毎回3組のスタジオゲスト(主にタレントだが一般視聴者の参加もあった)を招き、テーマに沿った料理を作ってもらう「クッキンよーいドン!」(きよしが「クッキンよーいチーン!」の掛け声で調理開始の合図)、そして、その時折の話題をテーマとした各国料理を紹介し、食べ役専門の龍虎が試食するメインコーナーの3本立て。メインのコーナーの前にはきよしを中心にレギュラー陣が行う寸劇があり、必ず芳村(時には龍虎や講師の先生)を茶化すオチが付いていた(クロマキー合成で映し出されるもので1988年9月まで続いていた)。また、この頃には、定期的に番組の公式本[4]も出版されていた。
1986年3月、きよしが参院選出馬のため降板。代わって若手俳優の金田賢一が司会となり、翌年春にきよしが番組に復帰(参議院議員としての活動とタレント活動との両立が軌道に乗り始めたことから)して以降も金田はそのまま主要レギュラーとして残留し、根本律子と共に特別司会的役割を担っていた。
西川きよし降板
1988年秋に番組の小規模な刷新(「クッキンよーいドン!」の終了→「美食麗句」[5]の新設、オープニング・エンディングBGM[6]の変更等)からきよしは通算12年で司会を降板。新たな芳村のアシスタント役として、当時TBSの野球解説者だった野球評論家の小林繁が登場した。
リニューアル・番組の終了
1990年春、番組の大幅リニューアルに伴い(スポンサーはサントリー一社提供から複数社となる)、小林や龍虎など、芳村以外の司会者・レギュラー陣が全て降板。芳村と共に渡辺徹・田中律子(1991年4月より生稲晃子)が新たに司会陣に加わり、それまでの企画をすべて排除し、ゲストとのトークのみを主な内容とする番組に変化したが、1992年9月に足掛け17年、全881回の歴史に幕を閉じた。
出演者
歴代司会
芳村真理のもう一つの代表的な司会番組であった『夜のヒットスタジオ』同様、芳村を軸に男性司会者(終期は若手女性タレントを加え3人体制)が交代するパターンが採られた。
期間 | 総合司会 | アシスタントMC | ||
---|---|---|---|---|
1975.10 | 1986.3 | 芳村真理 | 西川きよし(第1期) | |
1986.4 | 1987.3 | 金田賢一 | ||
1987.4 | 1988.9 | 西川きよし(第2期) | ||
1988.10 | 1990.3 | 小林繁 | ||
1990.4 | 1991.3 | 渡辺徹、田中律子 | ||
1991.4 | 1992.9 | 渡辺徹、生稲晃子 |
レギュラー
コーナー担当
☆は、特別司会格の出演者。
- 龍虎(1976年1月 - 1990年3月、いわゆる「食べ役」専門。レギュラー出演開始当初は「放駒親方」[7])
- 藤村俊二(初期)
- 松岡きっこ(初期)
- 久米宏☆(1975年10月 - 1980年頃、「味は道づれ」コーナー担当)
- マリ・クリスティーヌ
- 九十九一
- 蟇目良(1980年 - 1982年頃、「味は道づれ」コーナー担当)
- 生島ヒロシ☆(1983年 - 1986年頃、「味は道づれ」コーナー担当)
- 金田賢一(1987年4月 - 1988年9月、西川きよしの復帰に伴い司会からレギュラー(☆)に移行)
- 三波豊和(1988年10月 - 1990年3月、「味は道づれ」コーナー担当)
- 根本律子☆(1987年 - 1988年9月)
- 服部真湖(1982年 - 1987年頃)
- 新井春美
- 友里千賀子
- 西川まり
- ほか
※「味は道づれ」のコーナーは一時期「THEれすとらん」というコーナー名称に変わっていた。
料理担当
※主に辻調理師専門学校の講師が料理を担当していたが、回によっては海外の有名レストランのシェフを招いたりすることもあった。
ネット局
系列は放送当時の系列。TBS系列において○は18:00 - 18:30に同時ネットで放送していた局。▲は17:00 - 17:30に、△は17:30 - 18:00にそれぞれ7日遅れで放送していた局。
放送対象地域 | 放送局 | 系列 | 備考 |
---|---|---|---|
関東広域圏 | 東京放送 (現・TBSテレビ) |
TBS系列 | ○制作局 |
北海道 | 北海道放送 | △(1979年12月まで)→○(1980年1月以降) | |
青森県 | 青森テレビ | △ | |
岩手県 | 岩手放送 (現・IBC岩手放送) |
○1979年4月から | |
宮城県 | 東北放送 | ○ | |
秋田県 | 秋田放送 | 日本テレビ系列 | |
山形県 | 山形放送 | 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 |
1989年9月まで |
テレビユー山形 | TBS系列 | ○1989年10月開局から | |
福島県 | 福島テレビ | フジテレビ系列 | △[8]1983年9月まで 1983年3月まではTBS系列とのクロスネット局。 |
テレビユー福島 | TBS系列 | ○1983年12月開局から 11月26日・12月3日放送分は試験放送扱い。 | |
山梨県 | テレビ山梨 | ○ | |
長野県 | 信越放送 | ○1980年10月から | |
新潟県 | 新潟放送 | ○ | |
静岡県 | 静岡放送 | △[9] | |
富山県 | 富山テレビ | フジテレビ系列 | 1981年4月から1990年9月まで |
チューリップテレビ | TBS系列 | ○1990年10月開局から | |
石川県 | 北陸放送 | ○1980年10月から | |
福井県 | 福井放送 | 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 |
|
中京広域圏 | 中部日本放送 (現・CBCテレビ) |
TBS系列 | ▲1976年10月から 当初は土曜12:30-13:00枠で放送 |
近畿広域圏 | 毎日放送 | ○ | |
島根県 鳥取県 |
山陰放送 | ||
岡山県 →岡山県 香川県 |
山陽放送 | ○1983年3月までの放送エリアは岡山県のみ 1983年4月から相互乗り入れに伴い香川県でも放送 | |
広島県 | 中国放送 | ○ | |
徳島県 | 四国放送 | 日本テレビ系列 | |
愛媛県 | 南海放送 | ||
高知県 | テレビ高知 | TBS系列 | ○ |
福岡県 | RKB毎日放送 | △[10] | |
長崎県 | 長崎放送 | ○ | |
熊本県 | 熊本放送 | ||
大分県 | 大分放送 | ||
宮崎県 | 宮崎放送 | ||
鹿児島県 | 南日本放送 | ○(1982年9月まで)→△ (1982年10月以降)[11] | |
沖縄県 | 琉球放送 | ○ |
TBS系列以外でもネットした局があった一方で、テレビ山口はクロスネット局だった関係もあって一貫してネットしなかった[12]。秋田放送、南海放送は日本テレビ系列ながら同時ネットで放送されていた。
- また、信越放送と北陸放送は、1980年9月に終了した『シャープ・スターアクション![13]』の次番組というかたちでネットを開始した。
脚注
テンプレート:横山やすし・西川きよし- ↑ なお、1990年に花王や丸美屋食品工業などがスポンサーに加わり、複数社提供となった(なお、サントリー提供枠は『金曜ドラマ』、『極楽自由区』を経て1994年より現在も放送中の『チューボーですよ!』の1社提供となっている)。
- ↑ 芳村はその様子をよく「ただ食べてるだけの龍虎さん」などと放送内で表現していた。
- ↑ CSの再放送でも放送当時の内容をそのまま放送しているがすでに閉店、または移転となった店や現在営業中の店でもサービス内容が異なっている場合があるため、店の場所案内にはその旨の断りテロップが挿入されていた。
- ↑ ゲストが番組内で腕を振るった料理、あるいはメインコーナーで講師陣が調理した料理を特集した書籍。
- ↑ 毎回一組のゲストを招き、テーマを設定して料理を作ったり、講師がそのテーマに沿って調理した料理を芳村ら司会者とゲストが共に食するという内容のコーナー。1990年の大幅改編のベースとなった。
- ↑ この時は服部克久の作曲による「音楽畑」を使用。
- ↑ 1977年2月に日本相撲協会の年寄を廃業し、タレントに転身。
- ↑ 1983年4月から9月までは土曜18:30-19:00に時差ネット
- ↑ キー局同時ネット18:00 - 18:30の時期もあり。
- ↑ 17:00 - 17:30の時期もあり。
- ↑ 『MBC6時こちら報道・土曜版』開始に伴う措置
- ↑ なお山口県では地域によって近隣の放送局(RCC、BSS、RNB、OBS、RKB)を受信して見る事ができた。
- ↑ SBC・MROともに、土曜18時台前半枠で遅れネットしていた