萬屋錦之介
萬屋 錦之介(よろずや きんのすけ、1932年(昭和7年)11月20日 - 1997年(平成9年)3月10日)は、中村 錦之助(なかむら きんのすけ)として歌舞伎役者、屋号は萬屋、定紋は桐蝶。また映画・テレビの時代劇俳優。映画・舞台制作会社中村プロダクション社長。東映俳優労働組合委員長。
本名は小川 錦一(おがわ きんいち)。
概要
昭和時代劇を代表する大スター。歌舞伎俳優から映画・テレビの時代劇俳優に転じて成功。若い頃の芸名は歌舞伎名跡の中村錦之助。抜群の演技力を誇り、大映の市川雷蔵と共に、時代劇若手二大スターとして映画界に君臨した。1971年に小川家一門が播磨屋を抜けるかたちで「萬屋」の屋号を使いはじめてからは萬屋錦之介に改めた。
父は三代目中村時蔵、俳優の中村嘉葎雄は弟、五代目中村時蔵、二代目中村錦之助、二代目中村獅童はそれぞれ甥にあたる。妻はいずれも女優の有馬稲子(初婚)、淡路恵子(再婚)、甲にしき(再々婚)。長男で俳優の島英津夫と、芸能人ではない次男は淡路の連れ子。実子は淡路との間に三男の小川晃廣(元俳優、1990年にバイク事故死)と四男の萬屋吉之亮(元俳優、2004年に窃盗罪・家宅侵入罪で実刑判決、2010年に自殺)。
略歴
初名は中村 錦之助(なかむら きんのすけ)。吉右衛門劇団立女形を父に持つ歌舞伎役者の御曹司で、女形・立役(男役)ともに務めて歌舞伎界にて役者修業を積んでいた。特に女形として評価が高かったが、四男であり、歌舞伎界で主役級俳優を目指すのは困難な状況だった。そこへ当時美空ひばりを抱え、ひばりの相手役として若手男優を探していた新芸術プロが着目、錦之助を映画界にスカウトし、錦之助は転身を考え始める。しかしその状況を知った歌舞伎役者たちからは「映画転出は許さない」と抗議が殺到、当時の梨園では“役者たちに歌舞伎・映画両方での活動を許せば、映画で人気を得た若造たちに梨園の秩序をかき乱される”という危機感ともとれる見方が大勢であり、父時蔵は「中途半端はいけない。映画界に行くなら歌舞伎を辞めて行きなさい。もし映画で失敗しても歌舞伎に戻ることは許さない」と錦之助に決断を迫ったといわれる。
結局錦之助は歌舞伎を断念する道を選び、東京歌舞伎座早朝若手興行の「学生歌舞伎」『菊畑』の虎蔵実ハ牛若丸を歌舞伎卒業公演として梨園に別れを告げる。歌舞伎に残った兄達も、その後苦労をした。長兄の二代目中村歌昇は病気で役者を廃業、本名の小川貴智雄でテレビ脚本家に転じたが、48歳で死去。次兄の四代目中村時蔵は立女形としての才能に恵まれ将来を嘱望されたが、引っ張りだことなり睡眠薬への依存が増加、34歳のとき睡眠薬の過剰摂取事故で死去した。次々兄の初代中村獅童は錦之助と弟の中村賀津雄が東映入りすると、自らも梨園を去って東映のプロデューサーとなり弟たちを背後から支えることに徹した。
以上のように波紋を呼んだ錦之助の映画転身であったが、転身を勧めてきたのが、この当時にすでに大スタアだった役者歌手・美空ひばりだったことも事態に負の要素となったといわれる(その証左に、錦之助は映画で名を成してから父時蔵を映画界に呼び寄せ、数本の映画に出演させたが、その際に父は特に歌舞伎をやめる必要はなかったことがあげられる)。
映画俳優の道を選んだ錦之助は、美空ひばりとの共演作(新芸術プロ作品『ひよどり草紙』)で映画デビューの後、新東宝を経て東映に移籍。同社製作の映画『笛吹童子』に出演し、これの大ヒットにより一躍スターの座を手に入れた。以後、大川橋蔵や東千代之介らと共に東映時代劇映画の看板スターとなり、日本映画界の全盛期を支えた大スターの一員となった。『一心太助』シリーズと『宮本武蔵』シリーズは当たり役となり、特に武蔵役はライフワークとなった。その明るく気さくで豪快な性格から俳優仲間や裏方のスタッフなど、多くの人たちから「錦兄ィ」(きんにい)「錦ちゃん」と慕われ、親しまれた。
レコード歌手としてもデビューし、「やくざ若衆」「いろは小唄」などの曲をリリースしている。
昭和30年代後半、テレビに人気を奪われ、映画産業が徐々に斜陽化の様相を呈するようになった頃から、時代を読むのに長けていた錦之助はテレビドラマへの進出を図り、1966年には東映内部の労働争議に巻き込まれた(東映俳優労働組合の委員長に就任したが、収められなかった)こともあって東映を退社。1968年に「中村プロダクション」を設立し、本格的にテレビ時代劇の世界に進出し、高い評価を得る。この頃の出演ドラマとして、『子連れ狼』や『破れ傘刀舟悪人狩り』、『破れ奉行』、『長崎犯科帳』、『破れ新九郎』等がある。
1956年の小川家による地方巡業『お祭』『仮名手本忠臣蔵 八段目道行旅路の嫁入』で舞台にも復帰。毎年6月に東京・歌舞伎座で定期興行を打っていた。なお歌舞伎座での興行でありながら、錦之助の演目はほとんどが歌舞伎ではない新作時代劇であった。そして、歌舞伎であっても全てが明治以降に作られたいわゆる「新歌舞伎」であった。本人も古典・伝統歌舞伎をやるつもりはなく、「(重の井)子別れなんてできねェよ」と言っていた。
映画界入り後に舞台をつとめた歌舞伎の演目は次のとおり。
- 『紅葉狩』(1971)
- 真山青果『元禄忠臣蔵 御浜御殿綱豊卿』(1972)
- 真山青果『頼朝の死』(1973、1982)
- 真山青果『新門辰五郎』(1976)
- 岡本綺堂『番町皿屋敷』(1974)
- 河竹黙阿弥『極付幡随長兵衛』(1980、1994)
- 『お祭』(1956年地方巡業)
- 『仮名手本忠臣蔵 八段目道行旅路の嫁入』(1956年地方巡業、1994)。
復帰狂言『お祭』は、大向うの「待ってました!」掛け声の後に役者が「待っていたとはありがてえ」という、復帰にからめたお馴染みのもの。『道行旅路の嫁入』は本人は「ごちそう」(特別出演)として一瞬登場するだけである。最晩年の1994年に演じた『極付幡随長兵衛』の長兵衛役は二代目吉右衛門のを忠実に演じたが、水野役の十五代目仁左衛門(当時は片岡孝夫)とは子役時代からの友人である関係から、錦之介は「孝夫ちゃんと一緒にできる。」と久々の共演を楽しんでいた。
なお、歌手として「錦ちゃん祭り」というライブ・イベントを各地で開催している。
1971年10月、歌舞伎座の三代目中村時蔵十三回忌追善興行で「小川家」で一門をなすことを宣言し、屋号を萬屋に、定紋を桐蝶に改めた。
翌1972年に自身の芸名も中村錦之助から「萬屋錦之介」と改めた。この際、名を占い(姓名判断)により「錦之助」を「錦之介」と変えている。この年前後から、舞台公演とテレビ時代劇が主な活動となった。
1982年、牧野省三賞受賞。
1982年、中村プロダクションが倒産し、莫大な借金を抱え、さらに、歌舞伎公演の最中に倒れ、入院し、重症筋無力症と診断され、さらに同年8月には胸腺腫摘出手術をし、同年11月退院。翌1983年に重症筋無力症を克服した。
1990年、三男の晃廣が事故死。右目角膜剥離を発病。
1996年、長年の芸能活動を文化庁から表彰される。同年咽頭癌を発症し、NHK大河ドラマ毛利元就の尼子経久役を降板した。
1997年3月10日午後2時41分、入院先の千葉県柏市の国立がんセンター東病院で肺炎のため死去。テンプレート:没年齢。
人物
錦之介は、生前の彼を知る人の話を総合すると、相当な凝り性だったようである。
『子連れ狼』で拝一刀を演じたときには、胴太貫の使い手である一刀に影響されてか、同田貫一門の刀コレクションを始め、多い時にはその数が数百本に達したという。また、占いにも凝っていたらしく、『ウルトラセブン』のモロボシ・ダン役で知られる森次浩司が森次晃嗣に改名したのも、占い好きの彼の助言によるという。
また、自身も方位学に凝り、ひどい時には、方角が悪いといって、方違えのために家に帰らず、ホテルに泊まることもしばしばであったという。その結果、宝塚歌劇団出身で退団後女優活動をしていた甲にしきと不倫関係となり、当時の妻淡路恵子と離婚。甲と再々婚することとなった。
歌舞伎界と別れたが、その後も関わりを持つこととなる。甥の二代目中村獅童が襲名披露をする際は、自ら後見人を買って出て口上を述べ、歌舞伎界で後ろ盾のない獅童の力になろうとした。また、有馬稲子の話によると、梨園の妻であった母親の存在が大きく、錦之介だけでなく、姑である母親の顔色もうかがわねばならなかったという。また、屋号を萬屋にしたのは、母親の意向が強かったためとも言われている。
世界的スターである三船敏郎が取締役の三船プロダクションが製作する映画の常連であり、三船との共演も多かった。
また、溺愛する息子達が子供だったころ『仮面ライダー』の大ファンであり、「父ちゃんは偉い役者だって言うけど、仮面ライダーに出てないじゃないか!」と言われ、『仮面ライダー』出演を本気で東映にオファーしたことがある。東映のスタッフ達はさすがに絶句。当時はこういった大御所の俳優が特撮番組に出演することはあまり前例がなかったため、出演は叶わなかったが、息子達のために、地獄大使を演じていた友人の俳優・潮健児に頼んで、その衣装で潮に家に来てもらったことがあるという。
元プロ野球選手の王貞治(現・福岡ソフトバンクホークス会長)とは自宅が近所ということから、家族ぐるみの付き合いをしていた。一方ではプロ野球阪神タイガースのファンでもあり、阪神の選手とも家族ぐるみの付き合いをしていた。
また、日本中央競馬会にも馬主登録をしており、中山金杯に優勝したヨロズハピネスなどを所有していたことでも知られる。
中村玉緒が後に語っていたところによると、錦之介が亡くなったことを知った勝新太郎が「俺の兄弟の一人がいなくなってしまった」と語り、癌で闘病中だった自らの体調の悪化で葬儀への参列を果たせずに残念がっていたという(錦之介が死去してわずか3か月後に勝自身も他界している)。
屋号「萬屋」
萬屋は1971年に新しく制定した小川家の屋号である。もともとは、小川かめ(嘉女)の生家「小川吉右衛門」家(屋号「萬屋」)にちなんだものである。小川吉右衛門家は、「萬屋」という屋号で代々市村座の芝居茶屋をしていた。つまり歌舞伎の関係者であった。
小川吉右衛門の娘であるかめは、三代目中村歌六の妻であり、初代中村吉右衛門(波野家を継ぐ)、三代目時蔵(小川家を継ぐ)の母であり、錦之介ら小川家5兄弟の祖母である。次男三代目時蔵のみあえて母の実家の姓を名乗った。三代目時蔵はそればかりでなく、小川家ごと「播磨屋」を脱して単独で屋号「萬屋」を名乗りたい意向を持っていたが、自身は果たせなかった。錦之介ら遺児たちが1971年に「萬屋」を名乗ったのは、両家がもはや一門をなさないという主張であり、吉右衛門家への対抗意識による。
「萬屋」はそもそも中村吉右衛門家・小川家共通のルーツである。このことは中村吉右衛門家も強く意識していた。二代目中村吉右衛門は初名を中村萬之助と名乗った。また吉右衛門の弟子筋にも「萬(万)」の字をつけさせた(中村万之丞など)。しかし、小川家が「萬屋」となった後は、中村吉右衛門家は「萬」の字を使わないようになったのである(例:中村万之丞は中村吉之丞と改めた)。
しかし2010年9月、前年に二代目中村又五郎が他界したため、本家ともいえる播磨屋が二代目吉右衛門とその門弟だけになるという状況となり、播磨屋の衰退を危惧した五代目中村歌六と三代目中村又五郎の兄弟一門は、ふたたび屋号を播磨屋に戻している。
名跡「中村錦之助」
錦之助は生前、母・小川ひなから、父や早世した兄の名跡である「中村時蔵」を襲名してその五代目となるように再三懇願されたが、本人は拒否を貫いた。錦之助の名は本名の「錦一」に由来するもので、過去での歌舞伎に由来を持たない、まったく本人独自のものである。もちろん初代である。この名を歌舞伎・映画俳優時代を通じて名乗り続け、1972年に萬屋錦之介と改名した。
彼の息子は歌舞伎界には入らず、映画界に入ったものの大成せず、三男は交通事故死、四男が不祥事の末に自殺という結末だった。 そうとなれば、「中村錦之助」を名跡として復活させるには他人が名乗るしかない。しかし、この名は歌舞伎・松竹から離れ映画界に転じてから、しかも映画・舞台の興行会社として松竹とは競合関係にある東映で大成した名である。それゆえに、歌舞伎を仕切る松竹がタッチしたがらない名前、いわば永久欠番的な存在である、と長らく言われ続けていた。歌舞伎における軽い位置づけと裏腹に、映画界ではこの名の存在感があまりに重過ぎるため、このこともまた名跡復活にあたって壁になるかもしれないという懸念も長らく囁かれていた。
結局「中村錦之助」の名は、死後10年経った2007年4月2日、東京歌舞伎座の大歌舞伎興行で、兄・四代目中村時蔵の次男で、自身の甥である中村信二郎が、『鬼一法眼三略巻・菊畑』の虎蔵実は牛若丸と『双蝶々曲輪日記・角力場(すもうば)』の長吉、与五郎で二代目錦之助を襲名した。「菊畑」の虎蔵実は牛若丸は初代が歌舞伎役者時代に最後につとめたゆかりある役どころである。
二代目錦之助はこの「錦之助」の名跡を「歌舞伎では大したことのない名前」と語る。「中村錦之助」という名は前述の通り映画界では威厳ある名前であるが、歌舞伎界においては全く軽いものである。しかし二代目は「(映画界において大成した)中村錦之助という名を歌舞伎に戻すのが私の役割」と語る。まさに前例がない試みであり、二代目にとってみても生涯挑むべき目標とも言える。萬屋は新興の一門であるにもかかわらず、男子に恵まれており、歌舞伎俳優となった者も多かったことから、「錦之助」以外のゆかりある名跡や名前は現在も全て使われている。
出演作品
映画
- 1954.02.10 ひよどり草紙 / 制作:新芸術プロ
- 1954.03.24 花吹雪御存じ七人男 / 制作:新東宝
- 1954.04.27 新諸国物語 笛吹童子 第一部どくろの旗 / 制作:東映京都 役名:菊丸
- 1954.05.03 唄しぐれ おしどり若衆 / 制作:東映京都
- 1954.05.03 新諸国物語 笛吹童子 第二部幼術の闘争 / 制作:東映京都 役名:菊丸
- 1954.05.10 新諸国物語 笛吹童子 第三部満月城の凱歌 / 制作:東映京都 役名:菊丸
- 1954.05.31 里見八犬伝 第一部 妖刀村雨丸 / 制作:東映京都
- 1954.06.08 里見八犬伝 第二部 芳流閣の龍虎 / 制作:東映京都
- 1954.06.15 里見八犬伝 第三部 怪猫乱舞 / 制作:東映京都
- 1954.06.22 里見八犬伝 第四部 血盟八剣士 / 制作:東映京都
- 1954.06.29 里見八犬伝 完結篇 暁の勝鬨 / 制作:東映京都
- 1954.08.01 唄ごよみいろは若衆 / 制作:東映京都 役名:稲葉弥之助
- 1954.09.07 八百屋お七 ふり袖月夜 / 制作:東映京都
- 1954.09.21 お坊主天狗 前篇 / 制作:東映京都
- 1954.10.12 お坊主天狗 後篇 / 制作:東映京都
- 1954.11.08 満月狸ばやし / 制作:東映京都 役名:豆太郎、絃之介
- 1954.11.22 新選組鬼隊長 / 制作:東映京都
- 1954.12.27 新諸国物語 紅孔雀 第一篇 / 制作:東映京都
- 1955.01.03 新諸国物語 紅孔雀 第二篇 呪いの魔笛 / 制作:東映京都
- 1955.01.09 新諸国物語 紅孔雀 第三篇 月の白骨城 / 制作:東映京都
- 1955.01.15 勢ぞろい喧嘩若衆 / 制作:東映京都
- 1955.01.15 新諸国物語 紅孔雀 第四篇 剣盲浮寝丸 / 制作:東映京都
- 1955.01.21 新諸国物語 紅孔雀 完結篇 廃墟の秘宝 / 制作:東映京都
- 1955.02.13 越後獅子祭 やくざ若衆 / 制作:東映京都
- 1955.04.19 青春航路 海の若人 / 制作:東映東京 役名:山里英一郎
- 1955.05.24 あばれ纏千両肌 / 制作:東映京都
- 1955.07.30 源義経 / 制作:東映京都
- 1955.09.20 紅顔の若武者 織田信長 / 制作:東映京都
- 1955.10.09 獅子丸一平 / 制作:東映京都
- 1955.10.17 続獅子丸一平 / 制作:東映京都
- 1955.11.22 あばれ振袖 / 制作:東映京都
- 1956.01.03 羅生門の妖鬼 / 制作:東映京都 役名:平三郎敦時、小百合、茨木、僧智籌
- 1956.01.15 晴姿一番纏 / 制作:東映京都
- 1956.01.15 赤穂浪士 天の巻 地の巻 / 制作:東映京都 役名:小山田庄左衛門
- 1956.02.11 獅子丸一平 第三部 / 制作:東映京都
- 1956.03.15 続源義経 / 制作:東映京都
- 1956.04.19 悲恋 おかる勘平 / 制作:東映京都
- 1956.04.25 異国物語 ヒマラヤの魔王 / 制作:東映京都
- 1956.05.03 異国物語 ヒマラヤの魔王 双竜篇 / 制作:東映京都
- 1956.05.11 異国物語 ヒマラヤの魔王 日月篇 / 制作:東映京都
- 1956.07.05 「薄雪太夫」より 怪談 千鳥ケ淵 / 制作:東映京都 役名:美之助
- 1956.08.08 青年安兵衛 紅だすき素浪人 / 制作:東映京都
- 1956.10.09 危し!獅子丸一平 / 制作:東映京都
- 1956.10.17 曽我兄弟 富士の夜襲 / 制作:東映京都
- 1956.10.24 獅子丸一平 完結篇 / 制作:東映京都
- 1956.12.26 新諸国物語 七つの誓い 黒水仙の巻 / 制作:東映京都
- 1957.01.03 新諸国物語 七つの誓い 奴隷船の巻 / 制作:東映京都
- 1957.01.03 任侠清水港 / 制作:東映京都
- 1957.01.09 新諸国物語 七つの誓い 凱旋歌の巻 / 制作:東映京都
- 1957.02.12 青雲の鬼 / 制作:東映京都
- 1957.03.20 雨の花笠 / 制作:東映京都
- 1957.04.16 源氏九郎颯爽記 濡れ髪二刀流 / 制作:東映京都 役名:源氏九郎
- 1957.04.30 隼人族の叛乱 / 制作:東映京都 役名:桂原主税介
- 1957.07.13 大菩薩峠 / 制作:東映京都 役名:宇津木兵馬
- 1957.08.11 水戸黄門 / 制作:東映京都 役名:宇之吉
- 1957.09.15 ゆうれい船 怒濤篇 / 制作:東映京都
- 1957.09.23 ゆうれい船 後篇 / 制作:東映京都
- 1957.11.10 恋風道中 / 制作:東映京都
- 1958.01.03 任侠東海道 / 制作:東映京都 役名:桶屋の鬼吉
- 1958.01.15 おしどり駕籠 / 制作:東映京都
- 1958.02.05 江戸の名物男 一心太助 / 制作:東映京都
- 1958.03.11 源氏九郎颯爽記 白狐二刀流 / 制作:東映京都 役名:源氏九郎
- 1958.04.15 風と女と旅鴉 / 制作:東映京都 役名:風間の銀次
- 1958.04.21 大菩薩峠 第二部 / 制作:東映京都 役名:宇津木兵馬
- 1958.06.29 清水港の名物男 遠州森の石松 / 制作:東映京都
- 1958.07.13 殿さま弥次喜多 怪談道中 / 制作:東映京都 役名:徳川宗長
- 1958.08.12 旗本退屈男 / 制作:東映京都 役名:揚羽の蝶次
- 1958.09.03 剣は知っていた 紅顔無双流 / 制作:東映京都
- 1958.10.01 隠密七生記 / 制作:東映京都
- 1958.10.22 一心太助 天下の一大事 / 制作:東映京都 役名:一心太助、徳川家光
- 1958.12.02 浅間の暴れん坊 / 制作:東映京都
- 1959.01.03 殿さま弥次喜多 捕物道中 / 制作:東映京都
- 1959.01.15 忠臣蔵 桜花の巻 菊花の巻 / 制作:東映京都 役名:浅野内匠頭
- 1959.02.24 美男城 / 制作:東映京都
- 1959.04.01 お役者文七捕物暦 蜘蛛の巣屋敷 / 制作:東映京都 役名:お役者文七
- 1959.04.28 大菩薩峠 完結篇 / 制作:東映京都 役名:宇津木兵馬
- 1959.05.25 独眼竜政宗 / 制作:東映京都
- 1959.07.12 水戸黄門 天下の副将軍 / 制作:東映京都
- 1959.08.09 血闘水滸伝 怒濤の対決 / 制作:東映京都
- 1959.09.13 浪花の恋の物語 / 制作:東映京都
- 1959.10.25 風雲児 織田信長 / 制作:東映京都
- 1959.11.29 一心太助 男の中の男一匹 / 制作:東映京都
- 1960.01.03 任侠中仙道 / 制作:東映京都
- 1960.01.15 殿さま弥次喜多 / 制作:東映京都
- 1960.02.23 弥太郎笠 / 制作:東映京都
- 1960.06.05 暴れん坊兄弟 / 制作:東映京都
- 1960.06.21 親鸞 / 制作:東映京都
- 1960.08.07 水戸黄門 / 制作:東映京都 役名:放駒の四郎吉
- 1960.09.27 続親鸞 / 制作:東映京都
- 1960.11.22 森の石松鬼より恐い / 制作:東映京都
- 1960.12.27 若き日の次郎長 東海の顔役 / 制作:東映京都
- 1961.01.03 家光と彦左と一心太助 / 制作:東映京都
- 1961.03.12 江戸っ子奉行 天下を斬る男 / 制作:東映京都
- 1961.03.28 赤穂浪士 / 制作:東映京都 役名:脇坂淡路守
- 1961.05.27 宮本武蔵 / 制作:東映京都 役名:新免武蔵
- 1961.06.21 若き日の次郎長 東海一の若親分 / 制作:東映京都
- 1961.08.26 江戸っ子繁昌記 / 制作:東映京都
- 1961.11.08 反逆児 / 制作:東映京都 役名:三郎信康
- 1962.01.03 若き日の次郎長 東海道のつむじ風 / 制作:東映京都
- 1962.01.14 瞼の母 / 制作:東映京都 役名:番場の忠太郎
- 1962.03.07 源氏九郎颯爽記 秘剣揚羽の蝶 / 制作:東映京都 役名:源氏九郎 初音の鼓
- 1962.03.25 千姫と秀頼 / 制作:東映京都
- 1962.06.10 ちいさこべ 第一部 / 制作:東映京都 役名:大留の茂次
- 1962.06.10 ちいさこべ 第二部 / 制作:東映京都 役名:大留の茂次
- 1962.09.22 次郎長と小天狗 殴り込み甲州路 / 制作:東映京都
- 1962.11.17 宮本武蔵 般若坂の決斗 / 制作:東映京都 役名:宮本武蔵
- 1963.01.03 勢揃い東海道 / 制作:東映京都
- 1963.01.15 一心太助 男一匹道中記 / 制作:東映京都
- 1963.04.28 武士道残酷物語 /Bushido - Sie lieben und sie töten/ ベルリン国際映画祭グランプリ(金熊賞)受賞作品。制作:東映京都
- 1963.06.02 真田風雲録 / 制作:東映京都 役名:はなれ猿の佐助
- 1963.08.14 宮本武蔵 二刀流開眼 / 制作:東映京都 役名:宮本武蔵
- 1963.11.20 関の弥太っぺ / 制作:東映京都 役名:関の弥太郎
- 1964.01.01 宮本武蔵 一乗寺の決斗 / 制作:東映京都 役名:宮本武蔵
- 1964.06.27 鮫 / 制作:東映京都
- 1964.08.13 日本侠客伝 / 制作:東映京都
- 1964.11.01 仇討 / 制作:東映京都
- 1965.01.03 徳川家康 / 制作:東映京都 役名:織田信長
- 1965.04.10 冷飯とおさんとちゃん / 制作:東映京都 役名:柴山大四郎、参太(大工)、重吉(火鉢職人)
- 1965.05.22 股旅三人やくざ / 制作:東映京都
- 1965.09.04 宮本武蔵 巌流島の決斗 / 制作:東映京都 役名:宮本武蔵
- 1965.11.20 花と龍 / 制作:東映京都 役名:玉井金五郎
- 1966.01.13 続花と龍 洞海湾の決斗 / 制作:東映京都 役名:玉井金五郎
- 1966.04.01 沓掛時次郎 遊侠一匹/ 制作:東映京都 役名:沓掛時次郎
- 1966.05.21 丹下左膳 飛燕居合斬り / 制作:東映京都
- 1968.11.23 祇園祭 / 制作:日本映画復興協会 役名:新吉(染物職人)
- 1969.03.01 風林火山 / 原作:井上靖。制作:三船プロ 役名:武田信玄
- 1969.05.01 御用金 / 制作:フジテレビジョン=東京映画
- 1969.09.13 尻啖え孫市 / 制作:大映京都 役名:雑賀孫市
- 1969.09.20 地獄変 / 制作:東宝
- 1969.12.05 新選組 / 制作:三船プロ 役名:有馬勝太
- 1970.02.14 幕末/ 制作:中村プロ 役名:坂本竜馬
- 1970.03.21 待ち伏せ / 制作:三船プロ 役名:伊吹兵馬
- 1970.10.17 商魂一代 天下の暴れん坊 / 制作:東宝
- 1971.02.20 真剣勝負 / 制作:東宝 役名:宮本武蔵
- 1971.05.22 暁の挑戦 / 制作:フジテレビジョン=新国劇映画
- 1978.01.21 柳生一族の陰謀 / 制作:東映京都=東映太秦映画村 役名:柳生但馬守宗矩
- 1978.10.28 赤穂城断絶 / 制作:東映京都=東映太秦映画村 役名:大石内蔵助
- 1979.03.10 日蓮 / 制作:永田プロ
- 1979.09.01 真田幸村の謀略 / 制作:東映京都
- 1980.05.24 徳川一族の崩壊 / 制作:東映京都 役名:松平容保
- 1981.04.11 ちゃんばらグラフィティー 斬る! / (※過去のさまざまな東映時代劇映画の総集編)。制作:東映京都
- 1981.04.11 仕掛人梅安 / 制作:東映=東映太秦映画村
- 1982.01.23 青春の門自立篇 / 制作:東映京都 役名:二木英治
- 1985.11.16 最後の博徒 / 制作:東映京都 役名:清島春信
- 1989.10.07 千利休 本覺坊遺文 / ヴェネツィア国際映画祭サン・マルコ銀獅子賞受賞作品。制作:西友 役名:織田有楽斎
テレビドラマ
- 暗闇の丑松 (1966年、NET)
- いのち (1966年、NET)
- 泣いてたまるか (1966年、TBS)
- 真田幸村 (1966年、TBS)
- 江戸一番の大泥棒 (1968年、NTV)
- 魔像十七の首 (1969年、ABC)
- 大河ドラマ(NHK)
- 大忠臣蔵 (1971年、NET) - 脇坂淡路守 役
- さすらいの狼 (1972年 NET) - 速水竜之進 役
- 長谷川伸シリーズ(1973年、NET)
- 第15、16話 「関の弥太っぺ」
- 第26話 「直八子供旅」
- 弥太郎笠 (1973年、NET)
- 子連れ狼 (1973年 - 1976年 NTV) - 拝一刀 役
- 破れ傘刀舟悪人狩り (1974年 - 1977年 NET) - 叶刀舟 役
- 長崎犯科帳 (1975年 NTV) - 平松忠四郎 役
- 破れ奉行 (1977年 ANB) - 速水右近 役
- 柳生一族の陰謀 (1978年、KTV) - 徳川義直 役
- 破れ新九郎 (1978年 - 1979年 ANB) - 新九郎 役
- 赤穂浪士(1979年 ANB) - 大石内蔵助 役
- 鬼平犯科帳 (1980年 - 1982年 ANB) - 長谷川平蔵 役
- 新春ワイド時代劇(TX)
- 日本犯科帳・隠密奉行(1981年 - 1982年 CX) - 朝日奈河内守正清 役
- 宿命剣 鬼走り (1981年、フジテレビ) - 小関十太夫 役
- 柳生新陰流(1982年 TX) - 柳生宗矩 役
- お春捕物日記~危うし!大岡越前 (1982年、フジテレビ) - 大岡越前守 役
- 時代劇スペシャル 子連れ狼 (1984年 CX) - 拝一刀 役
- 弐十手物語(1984年、フジテレビ)
- 真夜中の匂い(1984年、フジテレビ)
- 武蔵坊弁慶 (NHK新大型時代劇 1986年 NHK) - 藤原秀衡 役
- ばら色の人生(1987年 NHK)
- 田原坂(1987年 NTV) - 勝海舟 役
- 銭形平次 (1987年 NTV) - 笹野弥三郎 役
- 赤ひげ (1989年 TBS) - 新出去定 役
- 柳生武芸帳 (1990年 NTV) - 柳生但馬守 / 山田浮月斉 役
- 若さま侍捕物帖 (1991年 ANB)
- 雲霧仁左衛門(1991年 CX) - 雲霧仁左衛門 役
- 御金蔵破り (1992 CX) - 煙の富蔵 役
- 四匹の用心棒 (5) かかし半兵衛無頼旅(1993年、ANB / 東映) - 脇坂淡路守 役※特別出演
- 鬼麿斬人剣 (1995年 ANB・東映) - 源清麿 役
- 文吾捕物絵図 張り込み (1996年 TX) - 卯助 役
- 土曜ドラマ カンパニー(1996年、NHK)
関連書籍
- 萬屋錦之介 『わが人生(みち)悔いなくおごりなく』 東京新聞出版局、1995年
- 『萬屋錦之介 芸道六十年回顧写真集』 東京新聞出版局、1997年-錦之介本人が企画したが、図らずも追悼出版となった
- 錦之介映画研究会編 『中村錦之助 東映チャンバラ黄金時代』 ワイズ出版、1997年-追悼出版
- 錦之助映画ファンの会編 『一心錦之助 オマージュ中村錦之助・萬屋錦之介』 エコール・セザム、2009年
- 『萬屋錦之介』 勁文社、1978年-中村プロ監修の写真集
- 島英津夫 『親父の涙 萬屋錦之介』 集英社、1999年