采野吉洋

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テンプレート:基礎情報 アナウンサー 采野 吉洋(うねの よしひろ、1959年5月14日 - )は、南日本放送(MBC)のアナウンサー、アナウンス部長。

来歴

滋賀県大津市出身。私立東山高等学校関西大学卒業。中学から大学まで一貫して放送系のクラブに在籍。大学生時代は「海賊放送研究会」で活動し(1歳年上で後にラジオ大阪アナウンサー(現在はフリーアナウンサー)となる中井雅之も在籍していた)、1982年にMBCへ入社。同期には上野知子がいる。血液型はA型で、「うねちゃん」と言うニックネームで有名。MBCラジオの「アニメでGo!Go!」では番組内で「アニメキング」と名乗っていた。「アニメでGo!Go!」終了後は、采野が司会を行う城山スズメ番組内で金曜日16時から放送されているミニコーナー「お父ちゃんのアニメソング」において、懐かしいアニメソングを扱うという趣旨で受け継がれている。またラジオ番組中では「うね髪(うねがみ)さま」と呼ばれたり自ら名乗ったりしていおり、城山スズメ番組内ではリスナーから求められた数々の、ご祈祷を行っている。2011年からアナウンス部長を務めている[1]

兄は西日本放送アナウンス部長の采野友啓(地元では「うねやん」というニックネームで呼ばれ、かつてラジオの朝ワイド番組を担当した。その後岡山本社、高松本社の報道部記者を経て現職)。

人物

深夜のラジオ番組のパーソナリティを務めた時、放送中にも関わらずハガキ投稿者の品の悪さにハガキを破りながら激怒したことがある。また中高校生のリスナーがある音楽を聞いて、思いついた物語を書くコーナーを代役で担当したとき、素人の相手に放送中に「つまらない」などの酷評をしたこともある。

新人アナウンサーだった当時に、ある番組中でロッキード事件公判中だった田中角栄の事務所に電話で取材をしたことがあったが、最後に「頑張って下さい」と言ったということがあった[2]

病気療養

  • 2006年5月、出演番組を突如全て降板する。後輩アナウンサーからは「インドへ修行に出た」と洒落か本気か判らないコメントが出されたが、同年8月12日放送の『うねうねWEEKEND』内にて本人からの録音メッセージにより脳内出血と明かされた。ここでは『突然消えた形になって申し訳ない。現在は退院し通院してリハビリ中。秋口には復帰したい』と語り、復帰まで『うねうねWEEKEND』はレポーター・スマイリー園田が代役を務め、笹田美樹と'主人'の帰りを待った。また「アニメでGo!Go!」はMBC社内で代役が見つからず、文化放送を中心にアニラジを臨時放送した。采野や鹿児島のリスナーへ配慮し、MBCラジオ向けに収録した番組もあった。
  • 幸い言語障害はなく、2006年12月6日ラジオのニュース担当として現場復帰。2007年1月1日よりアニメでGo!Go!に、4月から『うねうねWEEKEND』へ復帰を果たし、2011年4月からは平日のMBCラジオ「城山スズメ」でメインパーソナリティも務めている。しかし以前よりも番組の出演本数は減り、現在は特番や定時ニュースを除いて殆どテレビ出演がない。

出演番組

過去の出演番組

脚注

  1. 2012年12月18日放送のNHKラジオ第一亀渕昭信のにっぽん全国ラジオめぐり』で、『城山スズメ』が取材を受けた際に紹介されている。
  2. 別冊ラジオパラダイス「DJ名鑑」(1987年刊)より

外部リンク

テンプレート:南日本放送アナウンサー