ビッグモーニング
テンプレート:基礎情報 テレビ番組 『ビッグモーニング』(英称:Big Morning)は、1990年10月1日から1994年9月30日まで、TBS(JNN系列)のテレビ局で平日に生放送された報道・情報番組である。
目次
概要
番組開始当初は、元TBSアナウンサーでタレントの生島ヒロシとフリーになった寺田理恵子(元フジテレビアナウンサー)が総合司会を務めた。その後、生島は降板し、夕方ニュース『JNNニュースの森』キャスターだった荒川強啓が男性司会になる。寺田降板後は、タレントの上野ゆいが女性司会となった。
ニュースを扱う情報番組ではあるが、ワイドショーを手がけていた「社会情報局(当時)」が担当ということもあり、ワイドショーに似た制作手法をとった。(この制作手法は『ザ・フレッシュ!』にも踏襲された。)スポーツから生活情報、芸能情報(「エンターテイメントニュース」と銘打った)、健康にまつわる話も取り上げるなど、幅広い守備範囲が特徴(スポーツ・健康・生活を得意とするカラーはTBSラジオ『生島ヒロシのおはよう定食&一直線』へと引き継がれている。)。
第1回の放送は当時プロレス引退騒動を報じられていたアントニオ猪木がゲストだった。猪木が引退を否定すると、生島は引退を報じたスポーツ新聞を放り投げるというパフォーマンスを見せている。そして、天気予報コーナーは、宿敵番組『ズームイン!!朝!』が放送されている日本テレビの近くから中継をやっていた。このように、当時バラエティなどでも司会を務め活躍していた生島の個性が遺憾なく発揮され、放送期間中に生島が「『やじうま』はもう抜きました」と発言し、視聴率的には上昇傾向だった。ちなみに放送初回では生島がオープニングでコメンテーターに「よそでは『やじうま』なんてのをやっているみたいですけども…」などと発言していたりと、何かと当該番組を意識していたことが伺える。
1992年9月30日を以って、当番組をネットしていたNNN2局(秋田放送・南海放送)がJNNへの番販参加取りやめに伴い当番組の放送を打ち切った[1]と同時に、NNN系列における当該枠を放送する局はなくなった。
1992年大晦日はTBS系の長時間年越し特番『39時間テレビ』の1コーナーとして、後座番組『モーニングEye』との合同コーナー『ビッグモーニングEye』を放送した。
1993年1月、テレビ番組で初めてダイヤルQ2を使った募金「SOS100円ダイヤル」を実施し大反響を呼ぶ。これ以降、災害時には各テレビ局でダイヤルQ2を使った募金が行われた。
1993年6月9日は、当日に行われた皇太子結婚の儀特別番組の第2部として特番用の特設スタジオから放送。
身近な噂を徹底検証する当番組のコーナー「噂のなんじゃもんじゃ」[2]は、小林豊の突撃取材で人気を博し、特番化もされ、その後出版化される。
後任に『JNNニュースの森』を担当していた荒川強啓を起用したが、1994年秋のTBS新社屋移転とともに終了となった。
放送時間・出演者
期間 | 放送時間 | 総合司会 | |||
---|---|---|---|---|---|
全編 | JNNニュース (すべて10分) |
男性 | 女性 | ||
1990.10.1 | 1992.4.3 | 7:00 - 8:30(90分) | 8:10 - 8:20 | 生島ヒロシ | 寺田理恵子 |
1992.4.6 | 1992.12.30 | 7:00 - 8:15(75分) | 7:55 - 8:05 | ||
1993.1.4 | 1993.3.31 | 7:00 - 8:30(90分) | 8:10 - 8:20 | ||
1993.4.1 | 1994.3.31 | 荒川強啓 | |||
1994.4.1 | 1994.9.30 | 上野ゆい |
コメンテーター
リポーター
- 畑恵美子(現姓・戸田。当時TBSアナウンサー)
- 下村健一(TBSアナウンサー、生島・荒川が夏休みの時は司会を担当)
- 小林豊(TBSアナウンサー。後期の水曜日「THE MONEY」、金曜日「噂のなんじゃもんじゃ」担当)
- 角熊ゆきえ(金曜日『9ワードチェック』担当)[3]
- 稲川淳二(水曜日『爆笑Aリーグ』担当)
- 木ノ内美穂
- 吹田明日香
- 草薙厚子
- 高橋真美
ほか
ニュースキャスター
ほか
スポーツキャスター
ナレーター
放映ネット局
- 系列は当時の系列。
放送対象地域 | 放送局 | 系列 | 備考 |
---|---|---|---|
関東広域圏 | 東京放送 | TBS系列 | 制作局 現:TBSテレビ |
北海道 | 北海道放送 | ||
青森県 | 青森テレビ | ||
岩手県 | 岩手放送 | 現:IBC岩手放送 | |
宮城県 | 東北放送 | ||
秋田県 | 秋田放送 | 日本テレビ系列 | 1992年9月30日打ち切り |
山形県 | テレビユー山形 | TBS系列 | |
福島県 | テレビユー福島 | ||
山梨県 | テレビ山梨 | ||
新潟県 | 新潟放送 | ||
長野県 | 信越放送 | ||
静岡県 | 静岡放送 | ||
富山県 | テレビユー富山 | 現:チューリップテレビ | |
石川県 | 北陸放送 | ||
中京広域圏 | 中部日本放送 | 現:CBCテレビ | |
近畿広域圏 | 毎日放送 | ||
島根県・鳥取県 | 山陰放送 | ||
岡山県・香川県 | 山陽放送 | ||
広島県 | 中国放送 | ||
山口県 | テレビ山口 | ||
愛媛県 | 南海放送 | 日本テレビ系列 | 1992年9月30日まで |
伊予テレビ | TBS系列 | 現:あいテレビ、1992年10月1日開局から | |
高知県 | テレビ高知 | ||
福岡県 | RKB毎日放送 | ||
長崎県 | 長崎放送 | ||
熊本県 | 熊本放送 | ||
大分県 | 大分放送 | ||
宮崎県 | 宮崎放送 | ||
鹿児島県 | 南日本放送 | ||
沖縄県 | 琉球放送 |
中継リポーター
- 東京放送:畑恵美子(現姓・戸田)→吉田名保美→高橋真美
- 北海道放送:渡辺陽子
- 青森テレビ:遠田恵子
- 岩手放送:菊池幸見→玉井明子
- 東北放送:藤沢智子
- 秋田放送(1992年9月30日まで):佐藤美知子
- テレビユー山形:家坂文子(退社)、松田明子
- テレビユー福島:林久美子→長瀬佳美(テレビ神奈川へ移籍、その後、フリーへ転身)
- テレビ山梨:江守美加子、岡田浩一(九州朝日放送へ移籍)
- 新潟放送:渡辺菜穂子
- 信越放送:小宮山光子、藤森さつき
- 静岡放送:鈴木如巳→橋本奈都江(現在はフリー)
- チューリップテレビ:市山浩子
- 北陸放送:長田哲也
- 中部日本放送:熊谷章洋(現在はフリー)、鷲塚美知代→河野夏紀
- 毎日放送:高井美紀→石田敦子
- 山陰放送:谷口篤史→和田季子
- 山陽放送:柴床伴子
- 中国放送:本名正憲
- テレビ山口:淵上恵子(現姓・古川)(温泉中継の時は横溝洋一郎)
- 南海放送(1992年9月30日まで):山下泰則[4] ⇒ あいテレビ(1992年10月1日開局から) 平繁かなえ
- テレビ高知:和田敦子
- RKB毎日放送:坂口卓司、大村由紀子
- 長崎放送:松原桂子→久保田みどり
- 熊本放送:福島絵美
- 大分放送:佐藤由美(現姓・工藤)、松井督治→鹿島信治
- 宮崎放送:浜下真奈美(退社)
- 南日本放送:采野吉洋
- 琉球放送:箕田和男、三輪真佐子
主なコーナー
- オープニング
- ヘッドラインニュース
- BIG SPORTS
- 週刊誌本日発売(北海道では発売日が遅れるため、HBCでは1992年4月3日まで別内容だった)
- 天気予報
- 各局中継
- JNNニュース
- エンディング
テーマ曲
すべて山下達郎の楽曲。
- 「モーニング・シャイン」 1990年10月1日 - 1993年6月11日
- 「鳴かないでHERON」 1993年6月14日 - 1994年9月30日
オープニングCG
- 初代:1990年10月1日 - 1991年9月27日
- 2代目:1991年9月30日 - 1993年3月31日
- 3代目:1993年4月1日 - 1993年6月11日
- 4代目:1993年6月14日 - 1994年9月30日
スタジオセットの変遷
- 初代:1990年10月1日 - 1991年9月27日
- 2代目:1991年9月30日 - 1992年10月2日
- 3代目:1992年10月5日 - 1993年3月31日
- 4代目:1993年4月1日 - 1994年9月30日
脚注
テンプレート:前後番組 テンプレート:TBSテレビ系列の報道番組
テンプレート:TBSテレビ系列朝の番組