霊感ヤマカン第六感
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
テンプレート:複数の問題 テンプレート:基礎情報 テレビ番組
『霊感ヤマカン第六感』(れいかんヤマカンだいろっかん)は、朝日放送(ABC)制作、テレビ朝日系列局で全国放送された、芸能人対抗によるクイズ番組である。単に『霊感ヤマカン』とも呼ばれた。
放映期間は、1974年10月4日から1984年10月3日まで。ABC以外の地区では1975年3月まで金曜19:30 - 20:00にTBS系列局[1]で放送されていたが、毎日放送(MBS)とのネットチェンジ(いわゆる腸捻転解消)に伴い、同年4月から9月の間は関西ローカル番組に変更。同年10月からテレビ朝日(当時はNETテレビ)系列の番組になり、全国ネット(ただしローカルセールス)を再開。
テレビ朝日(当時・NETテレビ)では、1975年10月5日より日曜17:00 - 17:30、1976年4月より水曜19:00 - 19:30、1976年10月より日曜17:00 - 17:30となり、1978年4月5日より水曜19:00 - 19:30に再移行している。
概要
- フランキー堺が語る名調子「世界で一番面白い番組でございます! 今週の目玉商品ですよ!!」は、オープニングの代名詞となった。また、当日出演のすべての解答者から紹介のコメントを述べた後、音楽開始前の「始めましょう!」も有名である。
- フランキー堺司会で長らく親しまれたこともあって、野末陳平時代を知る視聴者は少ない。実際に、2009年2月8日にテレビ朝日で放送された開局50周年記念特番『超大ヒット人気番組ぜ〜んぶ見せます!スペシャル』で当番組が紹介された時もフランキー堺司会の時代(キャプテンは宍戸錠・松岡きっこ)だった。
- オープニングのタイトルロゴは字幕に出るテロップではなく、パネル中央部分に映し出されたものがズームアップされていた。
- 芸能人解答者が「男性軍」・「女性軍」チームに分かれクイズで対戦。全部で4ゲーム(途中5ゲームに増えたが再び4ゲームに戻った)行われる。各クイズで正解すると得点が加算される[2]。フランキーは解答者チームのことを「男性陣」、「女性陣」と呼んでいた。また、賞品等が一切出ない番組でもある。
- 収録は大阪市北区(当時は、大淀区)のABCホール(2代目のABCホール)での公開形式で行われた。観客席はABCホールに設置されているものに加え、ステージ(スタジオ)部分にも数十席分の観客席を増設していた。
司会
主な解答者
- 本項では、司会者席に近いほうから、キャプテン、中堅、次鋒、先鋒と順に記す。
ポジション | 男性軍 | 女性軍 |
---|---|---|
キャプテン | ロイ・ジェームス(番組初期東軍キャプテン)、高島忠夫(番組初期西軍キャプテン)、 船越英二、キダ・タロー、浜村淳、横山ノック、宍戸錠、川津祐介、押阪忍、根上淳、佐野浅夫、谷幹一、山田康雄、岡田眞澄、三遊亭小圓遊、藤村俊二、龍虎、板東英二、藤本義一ほか |
松岡きっこ、真理アンヌ、イーデス・ハンソン、左幸子、うつみ宮土理、ペギー葉山、ロミ山田、由紀さおり、久保菜穂子、坂本スミ子ほか |
中堅 | 高岡健二、草川祐馬、小野進也、加納竜、太川陽介、野口五郎、野々村真(最終回)ほか | 安西マリア、児島美ゆき、森田日記、ケイ・アンナ、荒木由美子、三谷晃代、岩城徳栄、桜田淳子、相本久美子、讃岐裕子、秋ひとみほか |
次鋒 | 横山やすし、桂三枝(現:六代桂文枝)、牧伸二、伊東四朗、佐藤仁哉、ピーター、ラビット関根(現:関根勤)、前田五郎ほか | 木原光知子、エバ、立木リサ、風吹ジュン、秋本圭子、マッハ文朱、一谷伸江、海原お浜、安藤たか子、岡田奈々ほか |
先鋒 | サンダー杉山、花紀京、笑福亭仁鶴、高松しげお、坂田利夫、西川きよし、桂朝丸(現:桂ざこば)、笑福亭鶴瓶、笑福亭鶴光、桂春蝶、桂文珍、間寛平、林家小染、桂きん枝、明石家さんまほか | 海原小浜、吾妻ひな子、安藤孝子、汀夏子ほか |
- 2代目司会者のフランキー堺は、番組初期に度々解答者として出場したこともあった。
- フランキー堺不在時は、ロイ・ジェームスが代役で司会を務めたこともあった。
- ピーターは、松岡きっこに「ピーターはこっち(女性軍の席)に座るべきよ」などと言われたことがあった。
- 男性軍の板東英二と龍虎、女性軍の坂本スミ子と久保菜穂子は共に、キャプテンになる前は次鋒として務めたことがある。
- 大阪製作の番組で、しかも大阪(ABCホール)での公開収録であるが、どちらかというと、東京からの出演者が多かったのも特徴。
- 当時(1974から1984年)の人気アイドル・タレント(歌手)もデビュー当時、同番組に出場したこともある(中堅の枠に座るケースが多い)。
- フランキーは、先鋒席の紹介になると「はい! 関西代表!」と言う(まれに例外もあり)。
- 通常のチーム戦以外に夫婦対決、親子対決、兄弟姉妹対決などもあった。
- ABCの人気番組VS女優対抗戦もあり、『パネルクイズ アタック25』の児玉清、『プロポーズ大作戦』の西川きよし、『世界一周双六ゲーム』の乾浩明アナウンサーも解答者として出演した。
クイズ内容
- 1.霊感(れいかん)ゲーム(第1回 - 最終回まで)
- 1‐1の対戦(全8回戦。開始当初は4回)。問題は、女性軍「トランプ」、男性軍「百人一首」というように、解答者の上のスクリーンにある、相手の言葉と関連性のある言葉が映し出されているが(フランキーが「相手の答えがヒントになります」と言う)、この時、コンガのSEが流れているので、自分の言葉は何かを推理する。基本的に、交互に口頭で答えて、どちらかが正解した時点で次の問題に移るのだが、1巡目で先攻が正解した場合(一発正解)に限り、後攻に1回だけ解答するチャンスが与えられる。時間が経っても中々解答が出ない場合は、フランキーからヒントが出される。なお、このクイズの解答中は、男女両軍1人ずつ同士の様子がワイプ縦画面で映し出されていた。
- なお開始当初(野末時代前期)では、解答者紹介の時も行っていた(正解すると点数が加算)が、まもなく廃止した。
- 2.ヤマカンゲーム(野末時代前期。正式時期不明)
- インディアンポーカーの要領で、会話して自分の役割を解答する。
- 歴代のクイズの中では、一番回数が少なかった。
- 3. マルマルゲーム (野末時代後期。正式時期不明)
- 相手チームの4つのスクリーンに、1文字目と3文字目が○になっている4文字の言葉が映し出される、解答者は、司会者のヒントを元に、言葉を当てる。
- 例:「○」「マ」「○」「リ」で、ヒントが「おっとどっこい」なら、正解は「タ」「マ」「ノ」「リ」(玉乗り)。
- 4.ヤマカンゲーム(1983年ころまで、途中で廃止。下記にその再現した基本のスクリーンを記す。)
A | B | C |
D | E | F |
G | H | I |
- 答えが複数以上ある出題で、中央のAからIのパネルに映されたあるタレントの一部分などを見せて、指定された人物の写真はどれかを当てる(写真はそれぞれ、今日出演している解答者の誰かのものだが、1枚だけフランキー堺等の写真であるジョーカーとなっている)。なお、スクリーンを開ける時、Aなら「Aで、エーか?」、Eなら「Eで、イーか?」、Gなら「Gを、ジーっと見てみよう」、Hなら「エイチ2の3!」とフランキーが駄洒落を交える。
- ここでは1回目にAで失敗してGで成功した例をとってみることにしよう。まず、Aをめくって(パネルが開く前に第六感ゲームと同じSEが流れる)失敗すれば、「プロポーズ大作戦」での「フィーリングカップル5VS5」におけるカップル不成立時のややしおれたジングルが流れるとともに、成功するまで指定された人物の問題を出し続ける。そして次にGをめくってズバリ当たればファンファーレが鳴り、その時点で指定された別の人物の問題へと移行し、以降はその手順を何度か繰り返す。なお、最後に残った1枚のパネルをめくる際、SEが鳴った後は、何も鳴らさない。
- 5.漢感(カンカン)ゲーム(1982年ころ - 最終回まで、途中で増設)
- 9分割のパネルが無造作にめくられていき、楷書体の漢字のほんの一部分が見えてくる。さらにわかったところで早押しボタンを押して、隠されたある一文字の漢字を当てる。早押し動作音は「パネルクイズ アタック25」での白の解答席におけるパネル獲得時にやや酷似しているが、万一不正解の場合はその問題の解答権を失った上、そちらでの誤答時と同様、強制的に起立させられた。特に画数が10画を超える漢字(「蚕」や「鞄」、それに「鉋」など)は顕著だった。
- 6.第六感(だいろっかん)ゲーム(第1回 - 1983年位まで、途中で廃止。)
- 解答者側の4枚のスクリーンを、順番に1人1枚ずつ選んで、現れたヒントから連想される、ある人物を当てる。ただし、ジョーカーが1枚隠されており、それを引くと前述の不正解ジングルが流れ、ノーヒントになる。第1ヒント正解は5点、以下パネルが開けられることに点数が減り、4枚全て引いても分からなかった場合、最後に全員で相談の上、チーム一同で一斉に「せーの、○○!!」と答える。そこで正解できれば1点獲得。1回目でいきなりジョーカーが出たものの、あてずっぽうで人物の名を言って偶然正解になった例もある。常連解答者の海原小浜はほとんど毎回お約束のようにジョーカーを引いていた。1回目でジョーカーを引いてしまい、苦し紛れに「ミスターシービー!」(丁度その頃、19年ぶりの三冠馬となった競走馬)と答え、フランキー堺に呆れられたこともあった。なお、この第六感ゲームの冒頭、司会者が「第六感ゲーム」と言うと曲とともにスタジオセット全体の遠景が急激にズームアウト(カメラを引いた状態)で映され、セットの外側までテレビ画面に映った。しかし後年、漢感ゲームが新設されてからは、このズームアウトは漢感ゲームの冒頭に行われるようになり、第六感ゲームでは行われなくなった。なお一時期そのズームアウトの最中に、ABCテレビでの視聴者に対して、観覧希望者募集の告知テロップを出していたことがあった(前もってABCテレビ宛に観覧したい旨のハガキを送る形式だった)。
- ヒントはその人物のプロフィール、音楽のヒントなど、さまざまなパターンが用意されており、駄洒落や語呂合わせなどをそのままヒントにしていた。すなわち、フランキー堺が言う、いわゆる「はんじ物」である。ここでは、長谷川町子(故人・漫画家)を例にとってみることにしよう。
- 例:「長谷川一夫の顔写真+里中満智子の顔写真」。加えてほかに彼女の著作物だけの簡素なヒントを出していたこともあった。
- さらに、その人物の出演しているCMと縁のある組み合わせをヒントにしていたケースもあった(例:武田鉄矢 赤く塗られたキツネと緑に塗られたタヌキとの組み合わせから)。
- また稀にアニメのキャラクター(例として「ドラえもん」「忍者ハットリくん」)やお笑いコンビ(例として「紳助・竜介」)、人気動物を扱う回もあった。
- 7.七感(ななかん)ゲーム(1983年ころ - 最終回まで)
- 最末期に新設された、「ヤマカン第六感総動員」と銘打って、ヤマカンゲームと第六感ゲームを統合させた様な内容。1対1の対戦(全4回戦)。9枚のスクリーンを交互に1枚ずつ引いていって、現れたヒント(その人の顔の一部の写真、輪郭のみを表した繰り抜きの写真、レコードプレーヤーの写真→音楽のヒント、その人の名前を表現したイラスト等)から、人物を当てる。9枚中2枚にはジョーカーが含まれており、それを引くとノーヒントとなる。また、1巡目に先攻がジョーカーを引いた場合、その問題は「ダブルゲーム」となり、その問題で正解すると、通常の倍となる2点を獲得できる。
- 8.エイト・ヒントゲーム(第1回 - 最終回まで。なお、解答を行うときには、中央のスクリーン(解答中にパネルは開かないが)に解答者の顔をワイプで映す。)
- フランキーが最初に「ハチ、シチ、ロク、ゴー、シー、サン、ニー、イチ、そして真ん中にクェスチョンマーク」と冒頭で発言していた、ラストのコーナー。男女交互8人あたりパネルの左上から順次現れた1つずつの文字や写真、イラストなどが描かれたヒントから集中し、あるテーマまたはジャンルなどにも一切関わらず、中央のパネルに配置されている答を当てる問題。なおこのクイズは、1問のみの出題である。負けているチームが先攻を取る(同点の場合は、女性軍が先攻)。当然、早いヒントで答えると高得点。制限時間は5秒である。 ただし、8枚全部開けても答が全く分からなかった場合には、ジャンケンをして勝ったチーム一斉に全員で相談の上、「せーの、○○!」と答える。中央のパネルには解答者のワイプ映像が1人ずつ映し出され、正解の瞬間にズームインしたが、ただ全員不答の時には、フェイドアウトされた。
【正解後】
運命 | 子供の日 | 石川五右衛門 イラスト |
七?三 | 五 | 三塁手 の略図 |
五円硬貨 | 五輪マーク 表示 |
五線譜 |
また、解答者が途中で正解した際には、あと残りのヒントのパネルが全て開けられ、フランキーが正解確認をしていた(確認の際、フランキーは原稿用紙と指し棒を持って正解確認をしていた)。クイズ終了後、その正解した解答者には拍手を送った(フランキーが、「○○さんに、盛大な拍手をどうぞ!!」と言う)[3]。
その他
- 司会者後方の9枚のパネルが最大の特徴。「ヤマカンゲーム」などの一度に多くの画面を使用するコーナーで使用されたほか、オープニングではテーマ曲にあわせて、各スクリーンパネルがスイッチングされ出演者紹介などを行った。コーナー終了時には、左右のマルチスクリーンに男女両軍の得点が表示され、放送終了時には中央のパネルに「おわり」の表示が映る(一部地域ではブルーバック画面で提供クレジットに続けてエンドタイトルが表示された)。
- また、各解答者席上部にもスクリーンがあり、「霊感ゲーム」や「第六感ゲーム」などで使われる(スタジオセットの全体では司会者席も含め、合計17枚設置されていた)。
- 解答者が正解したときには、後方にある電飾が浮かぶ形で(風車型→セットチェンジ後は、弓道の的型になった)光る。勝利したチームにはそのチームの解答者のところに電飾が一斉に光り、引き分けの場合は、ファンファーレとともに両方のチームに電飾が両軍とも一斉に光る。
- 色分けは男性軍は赤(後に黄色)で女性軍は青(後に緑)だった。
- 全クイズで正解したときはファンファーレBGMが流れ、「霊感ゲーム」「ヤマカンゲーム」以外のクイズで不正解のときには、『世界一周双六ゲーム』にやや酷似したブザー(フランキーは「ブブー」と呼んでいた。セットチェンジ後。それ以前は『三枝の国盗りゲーム』と同じものを使用)。なお、BGMはセットチェンジ後の終盤で正解時のファンファーレ(コンガを含まないBGM。各コーナー開始のBGMでもスクリーン切換時にあわせて使用)、霊感ゲーム時のコンガの演奏などがマイナーチェンジされた(ただし、オープニング・エンディングテーマ曲と勝利・引き分け決定時のBGMは番組終了まで変更なし)。
- 「ヤマカンゲーム」「エイト・ヒントゲーム」の時は司会者席後ろのマルチスクリーンを使用するため、フランキーは司会者席から離れて(立って)、原稿用紙と指し棒を持って進行する。
テーマ曲
- 効果音も含め、山下毅雄の作曲によるもの(『アタック25』『クイズタイムショック』なども手掛ける)。この番組のテーマ曲は、発売されたCDに収録されている。テーマ曲で、女性のコーラス(伊集加代子)が番組タイトルを歌うのは有名だった。また、テーマ曲中盤に流れる口笛は、作曲した山下毅雄本人のものである。
- 番組テーマ曲に合わせてマルチスクリーンに出演者名やスタッフ、そして制作クレジットなどと様々な映像が出るが、制作局の朝日放送(テレビ朝日系にネットチェンジ後)では、最後に「制作著作 朝日放送」のロゴや、そしてブルーバックに「提供 大阪ガス」という文字もマルチスクリーンに映し出された。その際、ABC女性アナウンサーがクレジットアナウンスをしながら、徐々にその表示にズームイン。その表示が画面いっぱいに納まったところですぐCMに入る。そのため、各地のネット局ではブルーバックなどの独自の画面に差替えて提供スポンサー名を表示する必要があり、それへの配慮から、テーマ音楽は提供スポンサーの部分まで続かずに終わっていた。
- TBS系時代はネットワークセールス枠だったため、ネットスポンサーの名前がマルチスクリーンに映し出されて全国に送り出されていた[4]。
- なおTBS系列時代はOPテーマが3コーラスまであり、1コーラス目は9枚のスクリーンでタイトルを出し、2コーラス目は出演者、3コーラス目はスタッフという構成だった。関西ローカル降格後にテーマが2コーラスに縮小され、9枚スクリーンでのタイトルクレジットは省かれた。またTBS系列時代はCM入りの時にアイキャッチが入り、勝敗決定時のメロディに最後に「チンペー」と歌うスキャットが乗ったものを使用した。
スタッフ
- 構成:足立克己、池田幾三、堀江誠二、秋田千吉、角田直美、山路洋平、新野新、本田順一、杉尾幸正、武枝幸子
- イラスト:河村立司
- 美術:邑上謹弥
- ディレクター:松本修、森茂、沖中進
- プロデューサー:吉田多満子
- 制作:馬場淑郎
- 制作協力:大阪東通
- 制作・著作:朝日放送(スクリーンに映っていたのは2代目の公式ロゴだったが、最終回まで使用された)
- 冒頭のスタッフ紹介やクレジットについてはテロップを使用せず、スクリーンに映し出されていた。
放映ネット局
☆=1974年10月から1975年3月の間(腸捻転解消直前)の同時ネット局。腸捻転解消後のネット局については、朝日放送以外は1975年10月から開始した局が多い。系列は放送当時のもの。
放送対象地域 | 放送局 | 系列 | 備考 |
---|---|---|---|
近畿広域圏 | 朝日放送 | TBS系列 →テレビ朝日系列 |
制作局 |
関東広域圏 | 東京放送 | TBS系列 | 現・TBSテレビ☆ |
テレビ朝日 | テレビ朝日系列 | 1977年3月まではNETテレビ | |
北海道 | 北海道放送 | TBS系列 | ☆ |
北海道テレビ | テレビ朝日系列 | ||
青森県 | 青森テレビ | NETテレビ系列 TBS系列 |
☆ |
青森放送 | 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 |
||
岩手県 | 岩手放送 | TBS系列 | 現:IBC岩手放送☆ |
テレビ岩手 | 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 |
1980年3月打ち切り[5] | |
宮城県 | 東北放送 | TBS系列 | ☆ |
東日本放送 | テレビ朝日系列 | ||
秋田県 | 秋田放送 | 日本テレビ系列 | |
秋田テレビ | フジテレビ系列 テレビ朝日系列 |
1981年3月まではフジテレビ系列単独加盟局 | |
山形県 | 山形放送 | 日本テレビ系列 | |
山形テレビ | フジテレビ系列 | 1980年3月まではテレビ朝日系列とのクロスネット局 | |
福島県 | 福島テレビ | TBS系列 フジテレビ系列 |
☆ |
福島中央テレビ | 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 |
1981年9月まで | |
福島放送 | テレビ朝日系列 | 1981年10月開局から | |
山梨県 | テレビ山梨 | TBS系列 | ☆ |
山梨放送 | 日本テレビ系列 | ||
新潟県 | 新潟放送 | TBS系列 | ☆ |
新潟総合テレビ | フジテレビ系列 テレビ朝日系列 |
1983年9月まで 1981年3月までは日本テレビ系列とのトリプルネット局 | |
新潟テレビ21 | テレビ朝日系列 | 1983年10月開局から | |
長野県 | 信越放送 | TBS系列 | 遅れネット |
テレビ信州 | テレビ朝日系列 日本テレビ系列 |
1980年10月開局から | |
静岡県 | 静岡放送 | TBS系列 | ☆ |
静岡けんみんテレビ | テレビ朝日系列 | 現:静岡朝日テレビ、1978年7月から 1979年6月までは日本テレビ系列とのクロスネット局 | |
富山県 | 富山テレビ | フジテレビ系列 | |
石川県 | 北陸放送 | TBS系列 | 遅れネット |
石川テレビ | フジテレビ系列 | ||
福井県 | 福井テレビ | ||
中京広域圏 | 中部日本放送 | TBS系列 | 現:CBCテレビ☆ |
名古屋テレビ | テレビ朝日系列 | 現:メ〜テレ、1976年4月から[6] | |
鳥取県 島根県 |
山陰放送 | TBS系列 | ☆ |
山陰中央テレビ | フジテレビ系列 | ||
岡山県 | 山陽放送 | TBS系列 | 当時の放送エリアは岡山県のみ☆ |
岡山放送 | フジテレビ系列 テレビ朝日系列 |
当時の放送エリアは岡山県のみ 1979年4月の岡山・香川の電波相互乗り入れまで | |
広島県 | 中国放送 | TBS系列 | ☆ |
広島ホームテレビ | テレビ朝日系列 | [7] | |
山口県 | テレビ山口 | TBS系列 フジテレビ系列 NETテレビ系列 |
☆ |
山口放送 | 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 |
1978年9月までは日本テレビ系列単独加盟局 | |
徳島県 | 四国放送 | 日本テレビ系列 | |
香川県 →岡山県 香川県 |
瀬戸内海放送 | テレビ朝日系列 | 1979年3月までの放送エリアは香川県のみ 1979年4月の電波相互乗り入れで岡山県でも放送 |
愛媛県 | 南海放送 | 日本テレビ系列 | |
テレビ愛媛 | フジテレビ系列 | ||
高知県 | テレビ高知 | TBS系列 | ☆ |
高知放送 | 日本テレビ系列 | ||
福岡県 | RKB毎日放送 | TBS系列 | ☆ |
九州朝日放送 | テレビ朝日系列 | ||
長崎県 | 長崎放送 | TBS系列 | 遅れネット |
熊本県 | 熊本放送 | ||
大分県 | 大分放送 | ☆ | |
宮崎県 | 宮崎放送 | ||
鹿児島県 | 南日本放送 | 遅れネット | |
鹿児島放送 | テレビ朝日系列 | 1982年10月開局から | |
沖縄県 | 琉球放送 | TBS系列 | 1981年3月打ち切り☆ |
関連グッズ
- 番組オリジナルトランプ:非売品。1976年後半と1983年には、視聴者プレゼントがあった。これは問題(番組内の問題の答え)を解答したハガキの中から、抽選でオリジナルデザインのトランプ(黒地に白・赤・青で模様が印刷されたもの)をプレゼントするものであった。
- スクールパンチ『霊感ヤマカン第六感ゲーム』(タカラ(現在のタカラトミー))1980年 - 1981年頃発売。ボードゲーム。朝日放送の版権も得て、「ジョーカー坊や」こそ描かれているが、解答者枠が合計4枠までしかなく、ゲーム内容も番組オリジナルと違う[8]。
脚注
テンプレート:前後番組テンプレート:Asbox- ↑ ただしスポンサーの関係で日本テレビ系『コント55号のなんでそうなるの?』を同時ネットした一部系列局を除く。
- ↑ 過去にはABC局アナも、解答者として参加した人も存在した。また放送当初は「東軍」・「西軍」に分かれて男性・女性混成チームだった。なお男女対抗に変更されても、OPクレジットでは「東軍」「西軍」となっていたが、やがて「男性軍」「女性軍」と変更された。
- ↑ なお、このクイズ形式は当番組のオリジナルではなく、NHK総合で放送されていたクイズ番組『あなたに挑戦!』が最初だった。
- ↑ 最初の3ヶ月間は笹岡薬品筆頭提供(他に・参天製薬・江崎グリコ(現・グリコグループ))、残りの3ヶ月間は参天・グリコが続投し、西日本地域のみ七ふく製薬が筆頭提供で、スポンサーごとに背景の色を変えていた。
- ↑ ANN脱退・NNSマストバイ局化に伴い打ち切り。
- ↑ 当初は本来『秘密戦隊ゴレンジャー』→『ジャッカー電撃隊』の枠だった土曜19:30 - の放送。翌年9月28日から朝日放送と同時ネットへ移行し、『ジャッカー電撃隊』も同時ネットとなった。
- ↑ 移行後は短期間日曜昼に遅れネットで放送したのみ。放送時期不詳
- ↑ 個人サイトには関連する情報が残されている。1、2