四日市市
四日市市(よっかいちし)は、三重県北部に位置する県北部の中心都市で、国から特例市と保健所政令市の指定を受けている。
三重県の県庁所在地津市を上回る、三重県下最大の人口を擁し、都市雇用圏は東海地方で名古屋市、浜松市、静岡市、岐阜市に次ぐ規模を有している。
目次
概要
四日市市は、中京工業地帯の代表的な工業都市である。近鉄名古屋線などが通ることから名古屋市への通勤・通学者がおり、日系ブラジル人が多く居住をする笹川団地(四郷地区)は市内南部にあり、名古屋のベッドタウン化している郊外の団地は昭和の大合併で編入された地域で、三重団地(三重地区)、桜台(桜地区)、三滝台(川島地区)、あかつき台(八郷地区)など、市内西部に位置する地域が多い。一方、三重県北勢地域の中心都市である為三重郡の各町、桑名市、鈴鹿市、亀山市など近隣の市町から当市へ通勤・通学する者も多く、昼夜間人口比率は100%を超えている。
2000年(平成12年)11月1日の制度運用開始とともに特例市に指定されている。2005年(平成17年)2月7日に隣接する三重郡楠町を平成の大合併による市町村合併で編入したことで人口が30万人を超えたため中核市移行を目指しているが、大矢知地区の産業廃棄物問題が解決しないため移行の目途が立っていない。中核市移行の準備段階として、2008年(平成20年)4月1日に保健所政令市に指定された。
古くは、東海道の宿駅(→四日市宿)で、伊勢神宮への分岐点が日永地区に追分という地名として残っている。市名は四のつく日に市がたったことに由来し、現在も各地で市が開かれている。四日市中心部は江戸時代天領になっており、伊勢国北部の北勢地域では行政の中心地であった。
1960年代から1970年代にかけて工場の排煙による大気汚染により四日市ぜんそくの発生地として悪名を轟かせていたが、現在は法整備や汚染防止技術向上などの対策が格段に進み、工業地帯周辺の大気状態も良好になっている。
郊外には田園や茶畑が広がる豊かな自然が望める。また、江戸時代から蜃気楼が見られたことでも知られている。
地理
三重県北部に位置し、市域は伊勢湾から鈴鹿山系にまで及ぶ。市制施行までは、県名の由来である三重郡に所属。
自然
気候
- 気温 - 最高38.8℃(1994年(平成6年)8月5日)、最低-6.3℃(2012年(平成24年)2月19日)
- 最大降水量 - 295ミリ(2000年(平成12年)9月11日)→東海豪雨による最大降水量
- 最小湿度 - 8%(2006年(平成18年)3月25日)
- 最大瞬間風速 - 49.4メートル(1998年(平成10年)9月22日)
- 最深積雪 - 53センチ(1995年(平成7年)12月26日)
- 夏日最多日数 - 137日(2004年(平成16年))
- 真夏日最多日数 - 72日(1994年(平成6年))
- 酷暑日最多日数 - 13日(1995年(平成7年))
- 熱帯夜最多日数 - 25日(1994年(平成6年))
隣接している自治体
歴史
古くはヤマトタケルノミコトが東征の帰途に通過したという伝説が残る。古墳時代から栄え、市内には土器窯や土器片出土地が分布する。また、飛鳥時代には壬申の乱で大海人皇子が兵を集めたと言われる。
現在の四日市市街にあたる地域は、平安時代後期まではごく小規模な集落が存在するのみであった。しかし鎌倉時代から室町時代にかけて建立された寺が多いことから、その頃に発展を始めたものと考えられる。平安時代になり平安京が都となると、千草峠や八風街道から鈴鹿山脈を越えて近江・京都方面との往来が盛んとなり、伊勢商人や近江商人が峠越えをして活発に商いを行った。
安土桃山時代:天然の良港によって回船業が発達し、市場が出来る。市場は『四』の付く日に開かれたため、これが『四日市』の由来になったとされる。本能寺の変では逃亡する徳川家康を四日市の回船問屋が手助けし、その恩として幕府の直轄領(天領)になったとされている。実際は家康自身が陸海の要地であると認めたためと考えられる。江戸時代:天領である四日市に、四日市陣屋(代官所)や高札場ができ、北勢の行政・商業の中心地となる。東海道(東海道五十三次)の主要宿場(四日市宿)として本陣や宿駅も設置される。日永追分も現在の四日市市内にある。江戸末期、安政の大地震によって港が壊滅し、回船業が衰退していく。また四日市は尾張の宮宿(熱田)と十里の渡しで繋がり、東海道や伊勢参りの旅人に多く利用された。
市内の至る所で湧き水が出ていたため古来より「泗水」と呼ばれる。「三重郡の泗水」ということからこの周辺を「三泗地区」と呼ぶ。現在では湧き水の場所も所在が不明になり、僅かながら井戸が残っている程度である。
現在の港の基礎は、幕末から明治初期に回船問屋の稲葉三右衛門(1837年(天保8年)-1914年(大正3年))が私財を投じて整備した。周辺住民の反対など様々な困難があったが、現在の四日市港の礎を造った偉人として、JR四日市駅前に銅像が建てられている。
近代以降の沿革
- 1872年(明治5年) - 安濃津県の庁舎が津より移転して県庁所在地となる。郡名の三重にちなんだ三重県に県名を変更。
- 1873年(明治6年) - 三重県庁が津に戻る。県名は変更なし。
- 1884年(明治17年) - 四日市が築港されて四日市港(稲葉町・高砂町の旧港)が完成。1889年(明治22年)に特別輸出港に指定。
- 1897年(明治30年)8月1日 - 現在の市章となる町章を制定[1]。
- 1936年(昭和11年) - 新四日市港(末広町・尾上町・千歳町など)の完成を祝い、国産振興四日市大博覧会が開催。
- 1939年(昭和14年) - 第二海軍燃料廠が塩浜地区に着工。1941年(昭和16年)に操業を開始。
- 1942年(昭和17年)4月18日 - 空母発進の米陸軍機16機がドーリットル空襲で初空襲。
- 1945年(昭和20年)6月18日 - 四日市空襲で、アメリカ軍のB-29による空襲を受け、市街地の大半は廃墟と化す。死者は808名。
- 1945年(昭和20年)8月8日 - 千歳町の千歳橋付近と塩浜町の海軍燃料廠付近に模擬原爆のパンプキン爆弾が投下[2]。
- 1951年(昭和26年)1月23日 - 在日朝鮮人による四日市事件が発生。
- 1951年(昭和26年)11月 - 昭和天皇が伊勢行幸で市内の四日市奉迎場(東洋紡績四日市工場跡地の北条グランド)・山本重工・平田紡績・東洋紡績富田工場・山庄製陶・熊沢製油・日本板硝子・伊藤伝七邸・三重郡奉迎場(楠町立楠中学校)・四日市港を視察。
- 1960年(昭和35年) - 海軍燃料廠跡地に日本初の石油化学コンビナートが稼働。同年より1972年(昭和47年)にかけて公害運動が広がる。石油系企業と化学系企業の四日市コンビナートより排出された煤煙により、四大公害病の一つ、四日市ぜんそくの被害が広がる。
- 1972年(昭和47年) - 公害訴訟で住民側が勝訴。
- 1982年(昭和57年)4月 - 市民憲章が制定。
- 2000年(平成12年)11月1日 - 特例市に移行。
- 2008年(平成20年)4月1日 - 保健所政令市に指定。
行政区画の変遷
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、三重郡四日市町(四日市比丘尼町・四日市西町・四日市久六町・四日市川原町・四日市南町・四日市北町・四日市堅町・四日市中町・四日市八幡町・四日市境町・四日市浜町・四日市北条町・四日市蔵町・四日市北納屋町・四日市中納屋町・四日市桶之町・四日市袋町・四日市南納屋町・四日市新町・四日市下新町・四日市四ツ谷新町・四日市中新町・四日市南新町・四日市上新町・四日市稲葉町・四日市高砂町)・浜田村・浜一色村および末永村の一部(鳥居町)・赤堀村の一部(字新正)の区域をもって四日市町が発足。
- 1897年(明治30年)8月1日 - 三重郡四日市町が市制施行して四日市市となる(全国で45番目)。
- 1930年(昭和5年)1月1日 - 三重郡海蔵村・塩浜村を編入。
- 1941年(昭和16年)2月11日 - 三重郡日永村・常磐村・羽津村・富田町・富洲原町を編入(朝明市構想から大四日市構想への変更による)。
- 1943年(昭和18年)9月15日 - 三重郡四郷村・内部村を編入。
- 1954年(昭和29年)3月31日 - 三重郡小山田村を編入。
- 1954年(昭和29年)7月1日 - 三重郡川島村・神前村・桜村・三重村・県村・八郷村・下野村・大矢知村・河原田村を編入。
- 1957年(昭和32年)4月15日 - 三重郡水沢村・保々村および鈴鹿郡三鈴村の一部(大字南小松・鹿間・和無田・野田)を編入。
- 2005年(平成17年)2月7日 - 三重郡楠町を編入。
人口
ドーナツ化現象の発生
人口移動に関しては、沿岸部諸地区の人口が減少する半面、内陸部の地区の人口が上昇傾向にあり、各所でドーナツ化現象がみられる。[3]。 四日市市内は中心部・南部・北部・西部の地区に区分される。中心市街地のある橋北地区・中部地区の中心部と南部の塩浜地区ではドーナツ化現象と公害の影響で人口が減少している。四日市ぜんそくの影響が続き、人口の流出があった。北部地域の富田地区・富洲原地区でも人口が減少した。伊勢湾台風などの水害被害からの内陸部への避難や平田紡績や東洋紡績富田工場などの繊維企業が撤退したり富田駅前商店街・富田中央通り商店街・富田中町商店街・東洋町商店街・西元町商店街・住吉町風俗街などの商店街が衰退したことが原因である。一方、市街地の周辺地域と旧三重郡の四日市市西部地域(桜地区・県地区・神前地区・川島地区・四郷地区・三重地区・常盤地区・日永地区・内部地区・保々地区・下野地区・八郷地区・大矢知地区・海蔵地区・羽津地区)では人口が増加している。四日市市コンビナート企業に勤務する労働者や名古屋圏からの住民が流入して宅地開発が進んだことが原因である。
外国人人口の割合
- 2010年(平成22年)の四日市市の公式ホームページの人口統計では以下となっている。
- 四日市市の総人口に占める外国人の割合は鈴鹿市に次いで多く四日市市民の2.85%の8939人が外国人である。主な構成は日系ブラジル人・在日中国人・在日韓国人であり、合計54カ国の外国人が居住する。[4]
人口構造
- 繊維産業が盛んだった昭和20年代までは若い女性人口が多かった。戦後は四日市ぜんそくの発生などの四日市公害の影響で昭和40年代には全国平均より平均寿命が短く、乳児死亡率も全国平均が1000人に対して18.1人であるのに対し、四日市市全体で25.6人、塩浜地区は36.1人、と高く、また、自殺率が高かった。[5]現在は環境汚染による健康被害が改善されたが、塩浜地区は現在でも、平均寿命や乳児死亡率が悪い傾向である。[6]
行政
歴代市長
- 官選市長
- 公選市長
- 9代 - 吉田千九郎
- 10代(再任) - 吉田勝太郎
- 11代 - 平田佐矩
- 12代 - 九鬼喜久男
- 13代 - 岩野見斎
- 14代 - 加藤寛嗣
- 15代 - 井上哲夫
- 16代 - 田中俊行2008年12月24日就任から2期目
市議会
- 議員定数は36人。任期:平成27年4月30日まで
- 議長:土井 数馬 就任:平成25年5月15日
- 副議長:竹野 兼主 就任:平成25年5月15日
構成:平成25年5月16日現在
会派名 | 議員数 |
---|---|
政友クラブ | 11 |
リベラル21 | 10 |
公明党 | 5 |
市民会議 | 4 |
創四会 | 3 |
日本共産党 | 2 |
無会派 | 1 |
欠員 | 0 |
※なお、衆議院議員選挙の選挙区は北部地域が「三重県第3区」・南部地域が「三重県第2区」[7]、三重県議会議員選挙の選挙区は「四日市市選挙区」(定数:7)[8]、となっており、同一市町村内で複数の衆議院議員選挙区を有するのは三重県内ではこの四日市市と津市が該当する。
人権施設
- 人権センター(中部地区)
- 人権プラザ赤堀(常盤地区)
- 人権プラザ天白(日永地区)
- 人権プラザ神前(神前地区)
- 人権プラザ小牧(保々地区)
警察
消防
- 四日市市消防本部が担当する。
四日市中消防署(中部地区・常磐地区・海蔵地区・三重地区)
- 中央分署(四日市市神前地区・川島地区)
- 西分署(四日市市県地区・桜地区)
- 港分署(四日市橋北地区)
四日市北消防署(富田地区・富洲原地区・羽津地区・大矢知地区・八郷地区・下野地区)
- 北西出張所(保々地区・下野地区の四日市市北西部)
- 朝日川越分署(三重郡朝日町・三重郡川越町)
四日市南消防署(塩浜地区・日永地区・楠地区・河原田地区・内部地区・四郷地区・水沢地区)
- 南西出張所(四日市市小山田地区)
総合病院
- 市立四日市病院(三重県災害拠点病院)
- 三重県立総合医療センター (基幹災害医療センター・三重県災害拠点病院)
- 地域医療機能推進機構四日市羽津医療センター
- みたき総合病院
その他
- 税務署:名古屋国税局四日市税務署が管轄する。
- 年金事務所:四日市年金事務所が管轄する。
国の行政機関
- 法務省
- 津保護観察所四日市駐在官事務所
経済
明治以降、日本の近代化の歩みとともに四日市港を中心に商工業都市に進展。特に高度経済成長期に石油化学系企業が多数立地して、三重県下最大の工業都市、商業都市に発展している。又、伊藤伝七が操業した三重紡績を前身とする東洋紡績や四日市岡田家の家業から発展したイオングループなどの発祥の地でもある。
商業
本市はイオン発祥の地ということもあり、市内にはイオンタウンやイオンモールなどのイオン系SCが多く出店している。また地場系SCとしてスーパーサンシ、一号舘など市内に本社を置くスーパーマーケットがある。
四日市市(中心部)
- 中心商業地区の規模を表す年間商品販売額で四日市市の中心である近鉄四日市駅周辺は、東海地方において名古屋市の中心栄駅と名古屋駅、静岡市の中心静岡駅、浜松市の中心浜松駅に次いで多く、東海地方の政令指定都市以外ではトップである。[9]
- 四日市港周辺の納屋地区は戦前までは四日市市の中心部であった。JR四日市駅の高架化計画を中心に、駅付近の納屋地区周辺と四日市港の再開発計画がある。
- 東西に幅が広い中央大通りがあり、近鉄四日市駅周辺は高架化工事がされており、川原町駅周辺の高架化工事も行われている。松坂屋跡地にアピタ(ララスクエア四日市)や近鉄百貨店などの百貨店の他、高層建築物が多く、諏訪地区には大規模なアーケードの諏訪栄町商店街の「一番街」がある。四日市岡田家によって創業されたイオングループの前身の「岡田屋」の発祥の地として、かつてはジャスコ四日市店が存在したが2002年(平成14年)に閉店した。歓楽街も近鉄四日市駅周辺に立地しており、二番街や西新地はその代表である。
富田地区(北部)
- 富田地区の中心駅である近鉄富田駅は単体の駅としては三重県で近鉄四日市駅、近鉄津駅に次ぎ第3位の規模を持ち、四日市市の副都心計画の一つになっている。
- 東洋紡績富田工場などの紡績工場や百五銀行などの銀行は、富田地区以外の富洲原地区や大矢知地区に立地していても「富田店」や「富田工場」と命名されていた。東洋紡績富田工場付近に東洋町商店街や西元町商店街が形成された。東洋紡績富田工場跡地にイオンモール四日市北が立地している。
- 川越町に富洲原駅が立地した事から、川越町と富洲原地区との間に川越町南部で使用されている「富洲原店」や「富洲原駅」の名称問題が発生した。
- 近鉄富田駅付近に近鉄富田駅前商店街と接続する中央通り商店街とJR富田駅に接続する通路の通りとして富田中町商店街が形成された。駅の西側の茂福地区や西冨田町の三幸毛糸紡績富田工場の社宅跡地に、商業施設のスーパーマーケットである四日市富田フランテ館や100円ショップのフレスポ四日市富田やマンションのライオンズマンションの四日市富田マークレジデンスが建設されて、西富田地区の商業化と宅地化が進んだ。大矢知地区から富田地区に富田栄町が編入された。富田西町連合自治会を中心とする富田高地区では宅地化が進み、富田地区の再開発計画によって高層マンションが建設された。
日永地区(南部)
- 幹線道路の国道1号や笹川通りに面する一帯が市街地となっている。鉄道網では近鉄内部線と八王子線が四日市市内を結び、市電に類する都市交通機能を果たしている。旧東海道沿いには古い町並みが残っている。
- 大型ショッピングセンターであるイオン日永カヨー店とイオンタウン四日市泊が立地している。
- 四日市市中心部から日永地区までの国道1号沿線は、ヤマダ電機、コジマ、エディオン、ケーズデンキなど家電量販店の激戦区である。また、レンタルショップやゲームセンターも立地している。
三重地区(生桑)
- 国道365号と三重県道622号小牧小杉線が交差する生桑の交差点付近から南や南東の方向へ四日市中心部に向かう道路沿いに商店が集結している。三重地区を中心に面する生桑地区一帯は四日市市内の中央部分であり、三重地区は田園地帯だったが三重団地(1970年代に建設された)・坂部団地(昭和43年に建設された)・大谷台団地(1970年代に建設された)に造成されるなど市内西部の複数の住宅団地があり、昭和40年代から平成時代初期にかけて人口は3倍に倍増して、商店数は4倍近くになり、飲食店は2軒から70軒に急増して四日市市西部からの買い物客が多い。南側は近鉄湯の山線沿いの常盤地区・川島地区・神前地区・桜地区と接続しており、西側は県地区と接続していて、北側は旧朝明郡地域の大矢知地区・八郷地区・下野地区・保々地区と接続しており、東側は海蔵地区と接続しており、四日市市内の各地域からの道路網がある交通の拠点となっている。[10]
- マックスバリュ・ケーズデンキ・スーパーサンシ・三洋堂書店などの大型商業施設や自動車客向けの店が多数立ち並んでいて飲食店街や坂部温泉やユラックスなどの温泉施設もある。県道8号を南へ進むとイオン四日市尾平ショッピングセンターが立地している。
- 周辺は鉄道網が無く、三重交通などのバス交通網がある。
市内の大型商業施設
- ララスクエア四日市
- 近鉄百貨店四日市店
- 丸善四日市店
- 四日市スターアイランド
- イオンモール四日市北
- イオン四日市北店
- ディオワールド四日市店
- イオン四日市尾平ショッピングセンター
- イオン四日市尾平店
- イオン日永カヨーショッピングセンター
- スーパーサンシ日永カヨー店
- イオンタウン四日市泊
- マックスバリュ四日市店
- トイザらス四日市店
- スポーツオーソリティ四日市店
- ザ・ダイソーパワーシティー四日市店
- 四日市中央モール
- フレスポ四日市富田
- ヤマナカ四日市富田フランテ館
市内に本社を置く主要企業
- 九鬼産業(四日市九鬼氏が経営者である)
- アミカン(旧社名は網勘製網で伊藤勘作家が代々経営者である)
- 三重銀行
- 北伊勢上野信用金庫
- 日本トランスシティ - 中部地区最大の総合物流企業で日本総合物流企業業界4位
- 住友電装 - 住友グループのワイヤーハーネス(車載用組電線、車の電装品やエンジンを結ぶ回路)のメーカー
- 太陽化学
- 昭和四日市石油 - 昭和シェル石油グループの石油精製会社
- 川崎金属工業
- 四日市合成 - 三菱化学と第一工業製薬の共同出資により設立された化学メーカー
- フローラ - 植物活力剤「HB-101」で知られている化学薬品メーカー
- 宮崎本店 - 三重県産の伊賀米などを使用した日本酒、焼酎など酒類の製造・販売を行っている会社。世界酒類コンクールで17年連続で金賞を受賞している。
- 竹屋 - シュークリーム製造工場の生産能力が日本一。三重県内のケンタッキーフライドチキン、ミスタードーナツなどのフランチャイズ事業も行う。
- 中部近鉄百貨店 - 近鉄四日市駅ビルに立地。2009年(平成21年)3月1日付けで近鉄百貨店に吸収合併された。
- スーパーサンシ
- 一号舘
- グリーンズ
- アップルインターナショナル - 日本で最大手の中古車輸出業(2005年度)
- アップルオートネットワーク
- 三岐鉄道
- 中日臨海バス
- 四日市つばめ交通
- 名鉄四日市タクシー
- シー・ティー・ワイ
- エフエムよっかいち
- マイクロキャビン - コンピュータゲーム開発会社。代表作はうる星やつら(PC版)など
- アサヒグローバル
- 内田鍛工
- ライオン・スペシャリティ・ケミカルズ
- ロンビック
市内発祥の主要企業
- 東洋紡績(現在は東洋紡テクノウール株式会社)の東洋紡績三重工場・東洋紡績楠工場が立地している。かつては東洋紡績富田工場(跡地がイオンモール四日市北となった)が富洲原地区に立地していて、東洋紡績塩浜工場(跡地が東洋紡グループの関連企業であるコスモ電子株式会社となった)が立地していて、東洋紡績四日市工場(跡地が北条町の四日市市営グランドとなった)が中部地区に立地していた。
- イオングループは(天領の四日市宿であった三重郡四日市町が発祥地)である。岡田屋→ジャスコとなった流通企業で四日市岡田家が創業家であり、岡田卓也が創業者である。
- Oak(オークキャピタル)は初代平田佐次郎が創業者である。富洲原地区が発祥地であり、旧企業名が(平田紡績株式会社)である。
市内に工場のある主要企業
- 市内に本社を置く企業は除く。
- BASFジャパン
- 味の素 - 敷地内にバードサンクチュアリを開設している。
- 石原産業
- コスモ石油
- JSR
- DIC
- 宝酒造
- 東芝
- 東洋紡績
- 三幸毛糸紡績(富田工場)
- エボニック(モノシラン ジャパン)四日市工場 - ドイツ企業であり、日本進出として石油化学産業が盛んな四日市市に工場を建設した。2011年(平成23年)にドイツのクリスティアン・ヴルフ大統領による視察が行われた。
- 日本板硝子
- パナソニック電工
- 三菱化学
- KHネオケム
- 八千代工業
- 三菱ガス化学
- 三菱マテリアル
- 東ソー
- チッソ
- トーア紡マテリアル四日市工場 - (旧東亜紡織)楠工場
- 丸善石油化学
- 上野製薬
農業
自然環境に恵まれており農業が盛んな一面もあり、代表的な地区別の生産分布では以下のようになっている。
- 伊勢茶(水沢地区・小山田地区・川島地区)
- 梨(県地区・下野地区)
- (ハクサイ・キャベツ・トマトなど)の野菜(県地区・内部地区・神前地区・四郷地区)
- メロン(県地区)
- (大豆・枝豆など)の豆類(県地区・内部地区・保々地区)
- イチゴ(小山田地区・内部地区・神前地区)
- みかん(河原田地区・神前地区)
- 園芸(県地区・水沢地区・川島地区・神前地区・保々地区・羽津地区・楠地区)
- 畜産(県地区・水沢地区・桜地区・保々地区・神前地区)
- 稲作(中部地区以外のほとんどの地区に農地があり、四日市市全般で行われる。特に保々地区・県地区・神前地区・楠地区には、広大な田んぼがあり米作りが盛んである。富洲原地区・常盤地区・日永地区・橋北地区・塩浜地区では農地が一部しかなく、田んぼがわずかである。)
漁業
- 四日市コンビナートの誘致後に、コンビナートから排出された工場排水によって伊勢湾の海水汚染が進行した。大気汚染による四日市ぜんそく以外に同じ公害の影響で伊勢湾で盛んな漁業が消滅して、四日市市内の漁師町であった(富洲原地区・富田地区・塩浜地区・楠地区)の漁業が衰退した。企業や地方自治体との間で漁業補償問題が発生した。現在でも四日市市内に小さな漁港が存在しており、(富洲原漁港・富田漁港・塩浜地区の磯津漁港・楠漁港)で小規模ながら漁業が行われている。
四日市市漁協
- 四日市市漁協 漁業協同組合
- 四日市市漁協 四日市支所 漁業協同組合
- 富洲原漁協 共同販売所 漁業協同組合
- 四日市市漁協 富洲原支所 漁業協同組合
- 四日市市漁協 富田支所 漁業協同組合
- 楠町漁協 漁業協同組合
日本郵政グループ
地域
四日市市合併・編入前の町村の範囲を区域として「xx地区」(xx:旧町村名)と呼ばれている。各地区ごとに「地区市民センター」が設置されている。旧町村の範囲を基本としているが、大規模団地造成等のため地区割が変更されているケースが一部存在する。
富洲原地区
- 読み方:とみすはら
- 朝明郡富洲原村が1889年(明治22年)に成立する→三重郡富洲原村が1896年(明治29年)に成立する→三重郡富洲原町が1923年(大正12年)に成立する→1941年(昭和16年)に四日市市に編入された。
- 鎌倉時代に万葉集由来の松原村に聖武天皇社が建立される。旧家天野氏からとった「天野の須賀」が天ヶ須賀の地区名の由来である。富田一色は富田の分村(居敷)を意味する。富田(東富田村・西富田村)がルーツで富田一色飛鳥神社が建立されて、富田一色けんか祭が開催される。近世期に八風街道が整備された。桑名藩領(朝明郡富田六郷)の一部であった。
- 松ヶ浦海水浴場沿いの富田一色地区は伊勢湾台風の被害があった。須賀浦海水浴場があった土地は天ヵ須賀工業団地(天ヵ須賀新町)として埋め立てられた。以前は漁業が盛んで小規模な富洲原漁港が残っている。伊藤平治郎が誘致した東洋紡績富田工場と初代平田佐次郎(平田家)が創設した平田紡績など繊維産業が盛んだった。21世紀になってイオンモール四日市北が立地して、東洋紡績が町名の由来である東洋町通りや富洲原四九の市が開催される西元町通りなど富洲原商店街や赤線がある歓楽街だった住吉町(埋立地)が形成されている。
- 3地区が合併する際に、富洲原が命名された由来がある。
- 富田一色村⇒地区名の一文字で富田地区から独立する形で最初の漢字である(富)の文字を採用した。
- 天ヶ須賀村⇒地区名の一文字で須賀村や天洲の別名があり(須)の文字から変換して(洲)の文字となり採用した。
- 松原村⇒地区名の一文字から(原)の文字を採用した。
- 面積 2.04k㎡
富田地区
- 読み方:とみだ
- 朝明郡富田村が1889年(明治22年)に成立→三重郡富田村が1896年(明治29年)に成立→三重郡富田町が1912年(明治45年)に成立→1941年(昭和16年)に四日市市に編入された。
- 三岐鉄道が分岐する近鉄富田駅は急行停車駅である。四日市市によって富田地区を副都心とする再開発計画が構想されて、近鉄富田駅周辺に西口駅前広場が設置された。(JR富田駅も国鉄時代はかすがなどの急行停車駅だった。)
- 1899年(明治32年)創立の三重県第二中学校から続く四日市高校がある。
- 江戸時代に東海道五十三次の桑名宿と四日市宿の「間の宿」として栄えていて、東海道富田の一里塚がある。「その手は桑名の焼き蛤」と呼ばれた桑名の焼き蛤は、実際は桑名藩であった「富田の焼き蛤」の事であり、富田立場が設置されて売店で蛤を売っていた。美田であった事から富田となり、代々伊藤勘作を襲名している伊藤家が経営する網勘製網での漁網製造や東富田町では「花かつを」の製造が盛んであった歴史があり、四日市市北部の中心地である。
- 大字茂福には、富田文化幼稚園があり、付近の十四川の堤防沿いの桜並木は花見の名所である。東富田町には塩役運河跡地の水と緑のせせらぎ広場と史跡である老松の富田の一本松がある。
- 富田地区の祭礼として、富田の石取祭と鳥出神社にて行う富田の鯨船行事がある。国の重要無形民俗文化財に指定されていて富田漁港ではかつて捕鯨が行われていた。
- 中世の室町時代から戦国時代期までに朝倉氏が城主で統治する茂福城と南部氏が城主で統治する富田城が築かれていた。
- 「富田」の意味は、「飛田」が変換して富田となったもので古代史の古事記で有名な「日本武尊の白鳥伝説」を由来とする地名である。
- 富田地区の富田浜町は富田浜駅を下車して富田浜海水浴場で泳ぐ別荘地として発展してきた。富田浜病院と富田浜看護婦学校が所在しており、皇后美智子の実家(日清製粉グループ本社)正田家の別荘が、所有者が替わっているものの現存している。
- 富田山城有料道路が羽津地区との境界になっている。第3四日市コンビナートがある霞ヶ浦人工島の北半分は富田地区で四日市港の一部で霞ヶ浦コンテナ埠頭となっている。
- 面積は4.41k㎡
大矢知地区
- 読み方:おおやち
- 朝明郡大矢知村が1889年(明治22年)に成立→三重郡大矢知村が1896年(明治29年)に成立→1954年(昭和29年)の昭和の大合併で四日市市に編入された。
- 朝明川の伏流水を利用した、そうめん作りが盛んで「大矢知素麺」として販売されている。
- 戦国時代に北勢48家の1つの大矢知氏が大矢知城主であった。
- 江戸時代に大矢知村・下之宮村・川北村・垂坂村は忍藩領であり、「大矢知陣屋」が設置されていた。大矢知陣屋の跡地に 1874年(明治7年)に興譲学校(現在の四日市市立大矢知興譲小学校)が創立された。
- 1989年(平成元年)まで西富田町に三幸毛糸紡績富田工場と三幸毛糸紡績社宅跡地に建設された商業施設があり、付近には平成初期まで三岐朝明駅があった。面積は6.89k㎡。
八郷地区
- 読み方:やさと
- 朝明郡八郷村が1889年(明治22年)に成立→三重郡八郷村が1896年(明治29年)に成立→1954年(昭和29年)の昭和の大合併で四日市市に編入された。
- 1970年(昭和40年)から三岐鉄道三岐線沿線の開発によって「平津団地」と「あかつき台団地」の住宅造成が始まった。市内北西部の高台にあるエリアで地区内に東名阪自動車道の四日市東インターチェンジがある。八郷地区は朝明中学校・西朝明中学校の学区であり朝明郡の「朝明」の地名が使用されている。
- 北勢四十八家の1家である春日部氏が城主だった萱生城の跡地に暁学園の本部があり、暁中学校・高等学校・四日市大学・四日市看護医療大学が立地する。伊坂町に工業用水供給用の伊坂ダムがある。
- 面積は10.21k㎡
下野地区
- 読み方:しもの
- 朝明郡下野村が1889年(明治22年)に成立→三重郡下野村が1896年(明治29年)に成立→1954年(昭和29年)の昭和の大合併で四日市市に編入された。
- 山城駅付近に「あさけが丘団地」と「八千代台」が造成された。朝明川沿いの農業地区で大正時代に始まった特産物として有名な梨の生産が盛んである。
- 朝明郡に存在した中世期の霜野郷が地名の由来である。1889年(明治22年)にが旧6村が合併した際に、大地主であった下田家と野呂家から一字をとり下野村となった説がある。条里制の奈良時代の遺跡があり、大鐘町の南に「五の坪」という地名が残っている。平安時代に下野荘と東大鐘村と八郷地区の萱生村・平津村・中村村を合わせて大金郷と呼ばれていて、金の生産が盛んだった。1889年(明治22年)に、山城村、中里村(現在の朝明町)、北山村、西大鐘村、東大鐘村(現在は大鐘町)、札場新田(現在の札場町)が合併して下野村となった。
- 面積は7.57k㎡
保々地区
- 読み方:ほぼ
- 朝明郡保々村が1889年(明治22年)に成立→三重郡保々村が1896年(明治29年)に成立→1957年(昭和32年)に四日市市に編入された。
- 市内の最北西部に位置する地区。朝明川沿いの地区で保々駅は三岐鉄道三岐線の拠点駅である。地区内には朝明高校がある。本田技研工業(ホンダ)系メーカーの八千代工業四日市製作所などの自動車産業を中心とする工業団地が造成された。三重県が整備した「県営北勢中央公園」があり1982年(昭和57年)に「高見台団地」が造成されて人口が増加した。三岐鉄道の大長駅が北勢中央公園口駅に改称された。
- 保々(ほぼ)地区の 地名の由来は、平安時代以降に成立した国衙領内の行政単位が保であったのが由来である。保々地区には、縄文時代後期から鎌倉時代の期間に至る複合的な遺跡の丸岡遺跡がある。朝明郡に所属する西村村・市場村・中野村・小牧村の4つの村が1889年(明治22年)に合併して保々村が誕生した。菰野町と関係が強かった事から昭和の大合併では、独立や合併先の方向性で議論がおきて四日市との市町村合併が遅れた。富洲原小中学校・富田小中学校と同じく市内では珍しい1小1中で地区内で単独で保々中学校に進学している。江戸時代には、中野村の「天春家」が、朝明郡・三重郡から員弁郡にわたる桑名藩領の北勢地域の大庄屋として栄えて天春家は保々地区の名門の家として君臨していた。天春家で所蔵されている土地帳、貢租書、宗門改帳などの古文書は、近世江戸時代の貴重な歴史資料として四日市市の文化財となっている。天春家は明治時代から~大正時代に天春文衛が貴族院議員の多額納税者議員と衆議院議員に就任していた。
- 面積は10.86k㎡
羽津地区
- 読み方:はづ
- 朝明郡羽津村が1889年(明治22年)に成立→三重郡羽津村が1896年(明治29年)に成立→1941年(昭和16年)に四日市市に編入された。
- 霞ヶ浦駅があり羽津地区の名称以外に市内では「霞ヶ浦」の名称が定着した。霞ヶ浦駅付近を境界に南北に小学校区が区分されている。伊勢湾の霞ヶ浦海水浴場を埋め立てて国道23号線沿いが開発されて、霞ヶ浦緑地公園に四日市ドームや四日市競輪場などの市民スポーツ施設が整備された。伊勢湾を埋め立てて造成させた人工島の北半分が富田地区であり、四日市港のコンテナ埠頭があり、人工島の南半分は羽津地区で霞ヶ浦地区を埋め立てた第3四日市コンビナートがある。
- 面積は7.57k㎡
橋北地区
- 読み方:きょうほく
- 三重郡浜一色村から→1889年(明治22年)に三重郡四日市町の一部となる→1897年(明治30年)に四日市市制が施行されて橋北地区となる。
- 市制施行当時の四日市市の一部にあたる。海蔵川と三滝川に挟まれた砂地で海蔵地区と並び萬古焼工場が多い。
- 白浜で青松があった牛起地区沿岸は海水浴であったが、埋め立てられて、四日市市営住宅と分譲住宅が(東橋北地区)に建設された。牛起地区の埋め立て事業は、1957年(昭和32年)に田中覚三重県知事によって計画と立案がされて、四日市市長の吉田千九郎・中部電力の井上五郎・中山善郎の下の名前の文字に郎が付く3人の男が協力したのが理由で、田中知事が埋め立て地に「三郎町」というユニーク(洒落ている)地名を命名した。第2四日市コンビナートと中部電力四日市火力発電所が立地。
- 自治会の対立で東西に分かれていて、東橋北小学校区(市内で児童数最小)と西橋北小学校区がある。
- 面積は2.62k㎡
海蔵地区
- 読み方:かいぞう
- 三重郡海蔵村が1889年(明治22年)に成立→1930年(昭和5年)に四日市市に編入された。
- 地区内に海蔵川が流れる。古来は川沿いに「海蔵(あくら)」とよばれる倉庫群があった。地区内の阿倉川町はその「あくら」に由来。海蔵川の氾濫の為に農作が不向きな土地であった。また川沿いの桜並木は春に賑わいをみせる。
- 1875年(明治8年 )海蔵学校が創立(海蔵小学校)された。 1889年(明治22年) 三重郡東阿倉川村・西阿倉川村・末永村・野田村の4か村が合併して、三重郡海蔵村が成立した。海蔵地区の人口は約1万3000人まで増加をして、マンションや団地の建設で海蔵小学校の児童数が三重県有数の数になっている
- 橋北地区と並び万古焼が発達した。江戸時代後期の1829年(文政12年)に製陶業の田端教正・上島庄助によって 「四日市万古焼」が築かれた。中世期は伊勢神宮領。江戸時代初期は桑名藩領・紀州藩領・天領。江戸時代後期は八田藩領・西条藩領であり、菜種油や和紙の生産が盛んであった。万古焼は明治から大正にかけて発達をして、昭和初期には万古焼の中小工場が急増して全盛期であった。
- 「万古町」は東阿倉川町の一部から独立した地名で、万古焼の工場が多数あった事から「万古町」と命名された。
- 面積は3.65k㎡
三重地区
- 読み方:みえ
- 三重郡三重村が1889年(明治22年)に成立→1954年(昭和29年)の昭和の大合併で四日市市に編入された。
- 坂部団地、三重団地など市内屈指の住宅地区。また国内有数の半導体製造拠点として東芝四日市工場がある。
- 『古事記』によればヤマトタケルが伊吹山より落ち延び、疲労から「わが足三重の勾(まか)りなして、いと疲れたり」と洩らした地とされる。
- 面積は11.83k㎡
県地区
- 読み方:あがた
- 三重郡県村が1889年(明治22年)に成立→1954年(昭和29年)の昭和の大合併で四日市市に編入された。
- 市内西部で菰野町に隣接する。平尾町にメリノール女子学院中学校・高等学校が立地をしている。鉄道網がない地区で三重交通などバスや自動車が唯一の交通網である。
- 県村が成立する以前の農村部の地区に以下の7地区がある。
- 北野町(旧北野村)
- 江村町(旧江村村)
- 黒田町(旧黒田村)
- 平尾町(旧平尾村)
- 赤水町(旧赤水村)
- 上海老原町(旧上海老原村)
- 下海老原町(旧下海老原村)
- 旧三重郡県村時代から農村部の7地区以外に新興住宅団地のあがたが丘団地もあるが、多くは農業地区であり、地区内でナシ栽培などが盛んに行われている。
- 赤水学校+垣内学校+三滝学校の3つの学校が合併して研精学校が創立された。その後の県小学校が創立された。
- 1889年(明治22年)に、北野村・江村村・黒田村・平尾村・赤水村・上海老原村・下海老原村の7か村が合併して三重郡県村が成立した。県は漢字では縣村とも表記された。
- 面積は11.25k㎡
中部地区
- 読み方:ちゅうぶ
- 三重郡四日市町と三重郡浜田村が存在した→三重郡四日市町が1889年(明治22年)に成立→1897年(明治30年)に四日市市制が施行される。
- 稲葉三右衛門が築港した四日市港(旧港と呼ばれている稲葉町・高砂町周辺)の納屋地区にJR四日市駅があり、戦前までは、四日市の交通網の拠点であった。戦後に近鉄四日市駅が設置されて、交通網の拠点となる。市役所などの行政機関を擁す四日市の中心地である。市制施行当時の四日市市にあたる。地名としては諏訪、諏訪栄町、浜田、納屋、鵜の森、西浦などがある。行政地区として共同地区・同和地区・中央地区・港地区・浜田地区がある。小学校区は中部西小学校区、納屋小学校と中部東小学校が統合された中央小学校区、浜田小学校区、三浜小学校区の一部に区分されている。
- 近鉄四日市駅を中心に諏訪地区商店街が栄えていたが、大型郊外店のイオングループに押されて衰退。現在は都市型マンション(高層マンション)の新規建設が著しい。
- 近鉄四日市駅西は昼の街、東は夜の街というイメージがあるように、西はララスクエア四日市などのショッピング施設などが多いが、東は居酒屋、カラオケ、風俗店が多く立地している。
- 面積は6.54k㎡
常磐地区
- 読み方:ときわ
- 三重郡常磐村が1889年(明治22年)に成立→1941年(昭和16年)に四日市市に編入される。
- 江戸時代は「赤堀村」は忍藩領。「中川原村」・「久保田村」・「伊倉村」・「大井手村」は久居藩領。「芝田村」は加納藩領。「松本村」は津藩領であった。1889年(明治22年)(赤堀村・中川原村・芝田村・伊倉村・久保田村・大井手村・松本村の)7ヶ村が合併して三重郡常磐村になった。昭和になって、四日市周辺地域として宅地化・工業化が進み、昭和10年に(株式会社三重製絨)合併をして、その後の東洋紡績三重工場(現在の東洋紡テクノウール)が設立された。
- 北側に三滝川が流れ、南側に鹿化川に囲まれている。南東部の内部線沿いに赤堀駅が立地している。東海道沿いの「赤堀地区」付近は古い町並みである。東部は中心部に隣接するため、近鉄湯の山線沿いの中川原駅周辺にかけて市街地化した。西部は伊勢松本駅付近の「松本地区」と新興団地の「青葉台」などが住宅街となった。
- 面積は4.89k㎡
神前地区
- 読み方:かんざき
- 三重郡神前村が1889年(明治22年)に成立→1954年(昭和29年)の昭和の大合併で四日市市に編入される。
- 米・観葉植物、キャベツ・イチゴ、みかんなどの生産と畜産業が盛んな農業地区である。近年に国道477号などのバイパスが開通して、イオン四日市尾平ショッピングセンターが開業するといった変化もある。
- 四日市中央工業高校・四日市商業高校などの職業高等学校がある。
- 面積は7.40k㎡
川島地区
- 読み方:かわしま
- 三重郡川島村が1889年(明治22年)に成立→1954年(昭和29年)の昭和の大合併で四日市市に編入される。
- 古くは、茶の栽培などが行われ、たけのこの産地としても有名であった。
- 1965年(昭和40年)頃から近鉄湯の山線沿線の開発によって「三滝台」・「かわしま園」などの住宅団地が開発された。
- 鹿化川では、毎年5月後半から6月中旬までの間、蛍が見られる。地域住民の団結で綺麗な川となったためである。
- 面積は7.89k㎡
桜地区
- 読み方:さくら
- 三重郡桜村が1889年(明治22年)に成立→1954年(昭和29年)の昭和の大合併で四日市市に編入される。
- 百名水の智積養水があり、それを利用した茶畑や水田が広がっている。
- 市内西部の玄関口として四日市インターチェンジが立地している。東名阪自動車道沿いの台地上に(桜台・桜新町・桜花台)など大規模住宅地が造成されている。
- 四日市西高校と鈴鹿山脈の自然環境がある好条件から鈴鹿山麓リサーチパークが造成された。
- 面積は12.02k㎡
塩浜地区
- 読み方:しおはま
- 三重郡塩浜村が1889年(明治22年)に成立→1930年(昭和5年)に四日市市に編入される。
- 市内南部の伊勢湾沿岸部の総称である。地名の由来は、古代から製塩が盛んな村であった事。製塩は近世初期が全盛期であった。古くは鈴鹿川沿いに(磯津漁港)がある漁村だった。しかし、四日市コンビナートの建設を契機とする急速な工業化の結果、四日市ぜんそくの被害地区となった。近鉄塩浜駅は急行停車駅である。
- 北部の海山道駅周辺は(旧・三浜小学校区)で、付近に海山道稲荷神社がある。南部は(塩浜小学校区)で公害(四日市ぜんそく)対策で、小学校と中学校が移転した。塩浜地区出身の田中覚(三重県知事)を由来とする新しい町が戦後になって造成された。「三重田中覚」の意味で(三田町)と命名された。
- 面積は7.44k㎡
日永地区
- 読み方:ひなが
- 三重郡日永村が1889年(明治22年)に成立→1941年(昭和16年)に四日市市に編入される。
- 四日市市の中心部の南方地域。国道1号が貫通している。国道23号も貫通している。JR東海関西本線と伊勢鉄道の南四日市駅が立地している。近鉄(内部線・八王子線)の日永駅が立地している。南日永駅も立地している。泊駅も立地している。追分駅も立地しているなど交通網が整っているため市街地化が進んだ。大型店も多い。
- 東海道(江戸時代)と伊勢街道が分岐する日永追分の所在地で、奈良側・名古屋側・新宮側を結ぶ交通の要衝である。
- 鹿化川・天白川沿いの地区で昭和40年代に奇病の日永肝炎が発生した。
- 面積は7.23k㎡
四郷地区
- 読み方:よごう
- 三重郡四郷村が1889年(明治22年)に成立→1943年(昭和18年)に四日市市に編入される。
- 四郷地区・笹川地区・高花平地区の3地区があり、(四郷小学校区・笹川東小学校区・笹川西小学校区・高花平小学校区)で構成されている。市内最大の笹川団地や高花平を抱えていて団地内には日系ブラジル人などの外国人の住民が多くてポルトガル語・スペイン語に対応した授業が小中学校で行われていて、人口は市内随一。美しい緑も多数残る。四日市四郷高校がある。
- 主な町名は、近鉄八王子線が開通している東日野町(東日野駅が立地していた)→西日野町(西日野駅が立地)→室山町(室山駅が立地していた)→八王子町(伊勢八王子駅が立地していた)と高花平(住宅団地)、小林町(古い村落)などがある。
- 地区の中心には、旧四郷村役場を利用した郷土資料館や、郷土の偉人の伊藤小左衛門(5世)や十代目伊藤伝七の活躍で創設された三重紡績の前進となった製糸工場、酒蔵などが立地し明治時代から昭和初期の建物が多く残る。
- 面積は8.40k㎡
小山田地区
- 読み方:おやまだ
- 三重郡小山田村が1889年(明治22年)に成立→1954年(昭和29年)の昭和の大合併で四日市市に編入される。
- 水沢地区と同じく、伊勢茶の栽培を中心とした農業地帯。
- 面積は18.83k㎡
水沢地区
- 読み方:すいざわ
- 三重郡水沢村が1889年(明治22年)に成立→1957年(昭和32年)に四日市市に編入される。
- 鈴鹿山脈の麓で伊勢茶の栽培が盛ん、地域内は茶畑が多い。酪農も盛んで、市営のふれあい牧場もある。
- 紅葉の名所として宮妻峡、もみじ谷があり、夏場は鈴鹿山脈の山々への登山口として賑わう。
- 面積は19.83k㎡
河原田地区
- 読み方:かわらだ
- 三重郡河原田村が1889年(明治22年)に整理る→1954年(昭和29年)の昭和の大合併で四日市市に編入される。
- 市内南東部で鈴鹿川の北部にある。みかん畑が広がる。
- 四日市農芸高校がある。
- 面積は5.32k㎡
内部地区
- 読み方:うつべ
- 三重郡内部村が1889年(明治22年)に成立→1943年(昭和18年)に四日市市に編入される。
- 鈴鹿郡久間田村→鈴鹿郡三鈴村1956年(昭和31年)→1957年(昭和32年)四日市市と鈴鹿市に分割編入
- 内部川の河川にはトマト等野菜の畑が広がっている。
- 平成に入ってから山間部の住宅地が進み、鈴鹿市境界部までニュータウンが形成された。
- 古来ヤマトタケルが杖を突いて登ったとされる、旧東海道の難所・杖衝坂が残る。
- 面積は12.31k㎡
楠地区
- 読み方:くす
- 三重郡楠村が1889年(明治22年)に成立→三重郡楠町が1940年(昭和15年)に成立→2005年(平成17年)の平成の大合併で四日市市に編入される。
- 地区全体が鈴鹿川河口部のデルタ地帯であり、海岸部に漁村、内陸部は水田が広がっている。
- 昭和初期に楠村会議員・楠村長・楠町長を歴任した地方政治家の岡田武兵衛によって「工業立村」をスローガンに工業化政策が実施された。地場産業である宝酒造(宝ホールディングス)と三重製網の2つの中工場と、2大紡績である東洋紡績楠工場(平成11年度に東洋紡績楠工場と中川原の三重工場が統合して中川原に東洋紡テクノウールが設立。平成14年度に4分社化して東洋紡三重楠工場医療用具製造センター(楠工場)・東洋紡ロジスティク楠(物流事業・倉庫事業)・東洋紡ミシン糸・東洋紡実業(給食事業))[13]の東洋紡グループと東亜紡織楠工場(トーア紡マテリアル四日市工場)が立地した。
- 面積は7.76k㎡
教育
大学
短期大学
- 四日市大学短期大学部:2002年廃止。
専修学校
高校
県立
- 四日市高校(1955年の全国高等学校野球選手権大会で優勝)
- 四日市南高校
- 四日市工業高校
- 四日市中央工業高校(1991年の全国高校サッカー選手権で優勝)
- 四日市商業高校
- 四日市西高校
- 四日市四郷高校
- 四日市北星高校
- 四日市農芸高校
- 朝明高校
私立
- 暁高校(1994年の第49回国民体育大会ソフトテニス少年女子の部で優勝)
- エスコラピオス学園海星高校(男子高)
- メリノール女子学院高校
- 大橋学園高校
- 古川学園向陽台高校
中学校
市立 テンプレート:Col-begin テンプレート:Col-break
- 塩浜中学校
- 西陵中学校
- 中部中学校
- 常磐中学校
- 富洲原中学校
- 三重平中学校
- 三滝中学校
- 山手中学校
- 港中学校
- 南中学校
- 楠中学校
小学校
市立 テンプレート:Col-begin テンプレート:Col-break
- 富田小学校
- 西橋北小学校
- 羽津北小学校
- 羽津小学校
- 浜田小学校
- 東橋北小学校
- 日永小学校
- 保々小学校
私立
特別支援学校
姉妹都市・提携都市
海外
- テンプレート:Flagicon ロングビーチ市(アメリカ合衆国)- 1963年10月7日 姉妹都市提携
- テンプレート:Flagicon 天津市(中華人民共和国)- 1980年10月28日 友好都市提携
- テンプレート:Flagicon シドニー港(オーストラリア連邦)- 1968年10月24日 姉妹港提携
交通
鉄道
道路
- 道路元標:諏訪交差点
高速道路
一般国道
- 国道1号→現在北勢バイパス建設中。
- 国道23号
- 国道25号
- 国道164号
- 国道306号→鈴鹿方面へ。現在バイパス延伸中。
- 国道365号→いなべ方面へ。2008年3月末バイパス完成。
- 国道477号→市内を東西に。菰野町へ。現在バイパス工事中。
路線バス
高速バス
- 東京高速バス: 大宮駅・池袋駅・新宿駅・立川駅・横浜駅 - 近鉄四日市・伊勢市駅前・鳥羽BC (三重交通、三交伊勢志摩交通、西武観光バス) ※夜行
- いが号: 品川BT・横浜駅 - 近鉄四日市・上野産業会館・名張市役所 (三重交通) ※夜行
- 京都高速バス: 新正車庫・近鉄四日市 - 土山BT・京都駅 (三重交通、京阪バス)
- 四日市大阪高速バス: 近鉄四日市 - 土山BT・大阪駅・新大阪駅 (三重交通、近鉄バス)
- 四日市中部国際空港高速バス: 新正車庫・近鉄四日市 - 中部国際空港 (三重交通)
- 名古屋三重団地高速線: 名古屋(名鉄バスセンター) - 四日市大学・三重団地 (三重交通) ※平日のみ運転
- 名古屋桜台高速線: 名古屋(名鉄バスセンター) - 四日市インター・桜花台・桜台 (三重交通)
- 名古屋湯の山温泉高速線: 名古屋(名鉄バスセンター) - 四日市インター・湯の山温泉 (三重交通)
一般路線バス
- 三重交通
- 三岐鉄道
- 八風バス ※1区間のみ
- 四日市市自主運行バス
- 生活バスよっかいち
船舶航路
過去路線
地場産業
- 朝明川流域の富洲原地区の天ヶ須賀地域に3酒造がある。
- 三滝川流域の桜地区に4酒造と川島地区に2酒造と室山地区に3酒造がある。
- 鈴鹿川流域の楠地区に宝酒造など2酒造がある。
四日市名物
- 四日市とんてき - B級グルメである。豚のステーキの一種。
- なが餅 - 1550年(天文19年)以前から東海道沿いの日永の下りの立て場で売られていた和菓子。桑名の安永餅・鈴鹿の立石餅などは江戸時代以降に出来た後発品。
- 卯十郎金時 - 金時豆の一種。
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
朝市・市場
市内各地に午前中を中心として市場が立つ。近隣農家が市価より安く作物を販売している。農作物以外にも個人商店が鮮魚、衣料、生花、菓子などを並べている。
- 西浦即売場: 1,6,3,8のつく日。
- 慈善橋即売場: 2,7,5,0のつく日。
- 阿倉川四・九の市: 4,9のつく日。
- 日永朝市マーケット: 偶数日
- 塩浜市場: 1,3,6,8のつく日。
- 笹川市場: 1,6のつく日。午後開催。
- 富洲原四九の市(しくのいち): 4,9のつく日 午前中。
主な名所・旧跡等
- 諏訪神社 - 旧四日市地区の氏神。祭礼「四日市祭」(現在は市民祭と区別して「秋の四日市祭」ともいう)は10月第一日曜とその前日(古くは9月25〜27日)。氏子町から邌物(ねりもの)と呼ばれる山車や行列などの奉納演技が行なわれる。
- 日永追分 - 伊勢神宮へ至る伊勢街道の分岐点、伊勢神宮遙拝用の鳥居が建つ。
- 海山道稲荷神社 - 節分祭「狐の嫁入り」で有名。
- 浜田城址鵜森神社
- 智積養水(名水百選)
- 富田の一本松 - 東富田町にある富田浜付近のシンボルであった老松。
- 杖衝坂 - 日本武尊伝説が残る東海道の難所。
- 十四川堤の桜並木
- 末広橋梁 - 国内で現役唯一の跳開式可動鉄道橋梁。
- 臨港橋 - 国内で現役3つしかない、跳開式可動道路橋梁。
- 思案橋跡 - 1897年に再建されたもの。
観光スポット
- 伊坂ダムサイクルパーク
- 四日市スポーツランド
- ふれあい牧場
- 四日市市立博物館→最寄り駅は近鉄四日市駅。徒歩五分圏内。
- 四日市港ポートビル - 四日市港の開港100周年を記念して1999年(平成11年)に完成した、高さ100mの超高層ビルである。
- オーストラリア記念館(大阪万博オーストラリア館)
- 四日市競輪場
- 四日市ドーム - 四日市市の市制施行100周年記念事業の一環で建設されたドーム施設である。
- 四日市中央緑地公園
- 四日市市立博物館.jpg
四日市市立博物館
- 四日市港ポートビル.jpg
四日市港ポートビル
- 四日市ドーム.JPG
四日市ドーム
- Yokkaichi-keirin-1.jpg
四日市競輪場
- Yokkaichi-Stadium.jpg
霞ヶ浦第一野球場
祭り
- 四日市祭(10月の第一日曜とその前日)
- 旧四日市地区の氏神諏訪神社の祭礼。市民祭である「大四日市まつり」と区別して「秋の四日市祭」とも呼ばれる。邌物(ねりもの)と呼ばれる日本一大きいからくり人形を載せた山車「大入道山車」(県指定有形民俗文化財)をはじめ、「鯨船(捕鯨のサマを表す豪華な船山車・県指定有形民俗文化財)」「大名行列(宿場町の名残を残す行列・市指定無形民俗文化財)」「富士の巻狩り(ハリボテの大猪を煌びやかな衣装をつけた子ども武者が射止める仮装行列・市指定無形民俗文化財)」「菅公(文字書きのからくり人形山車)」「岩戸山(アメノウズメノミコトに化けていた狸が正体を現すからくり人形山車)」「甕破り(司馬温公の故事にちなんだからくり人形山車)」などの奉納演技が行なわれる。
- 大四日市まつり(8月第一土日)
- 市中心部。昭和39年から始まった市民祭。市民参加の踊りフェスタなどを開催。市内に残る伝統的な祭礼行事もゲスト出演する。
- 東富田どんど祭り(1月14日)
- 国道23号線沿いに、高い山を15基建てて盛大に燃やす。
- 海山道稲荷神社・狐の嫁入り(2月3日)
- 市内海山道神社
- 万古祭り(5月第二土日)
- 市内川原町駅周辺。萬古焼を売る露店が数多く出店する。
- 松原の石取祭(7月第三土日前後)
- 松原公園向かいの聖武天皇社に奉納する祭。
- 松寺の石取祭(7月後半)
- 天ヶ須賀の石取祭(8月中旬)
- 富田の石取祭(8月中旬)
- 鳥出神社の富田の鯨船行事(8月14・15日)
- 富田一色けんか祭(8月14・15日)
- 富田一色地区
出身人物
公人
文化人
- 丹羽文雄 - 作家、同市出身、名誉市民、文化勲章受章
- 熊沢誠 - 経済学者、甲南大学名誉教授
- 藤田敏八 - 映画監督、俳優
- 堤幸彦 - 映画監督(プロフィールでは名古屋出身としている)
- 瀬木直貴 - 映画監督
- 田村泰次郎 - 作家
- 石垣ゆうき - 漫画家
- 小島剛夕 - 漫画家
- 松井勝法 - 漫画家
- 現代洋子 - 漫画家
- 鈴木けい一 - 漫画家
- たかぎなおこ - イラストレーター
- 天野良春 - 元東海ラジオアナウンサー
- 加藤亜希子 - フリーアナウンサー(元中京テレビ)
- 千賀絢子 - フリーアナウンサー、元NHK契約キャスター
- 近藤啓太郎 - 作家、芥川賞受賞
- 笙野頼子 - 作家、芥川賞受賞
- 赤瀬川隼 - 作家、直木賞受賞
- 伊藤桂一 - 作家、直木賞受賞
芸能人
- 浦嶋りんこ - 歌手 (FUNK THE PEANUTS)
- NAHKI - 歌手
- 広瀬隆 - 歌手・ラジオパーソナリティー
- 村田恵里 - 歌手 (引退、旧芸名:ERINA 他)
- YOYOYO - バンド(メンバーの多くが四日市出身)
- 水野美紀 - 女優(学生時代を四日市で過ごした)
- 松永渚 - 女優[14]
- 加藤ゆり - タレント
- 松本さゆき - グラビアアイドル
- 桂福團治 - 落語家
- トニーヒロタ - ものまね芸人
- 桂二乗 - 落語家
- 加藤歩 - お笑い(ザブングル)
- やついいちろう - お笑い(エレキコミック)
- 倉田雅世 - 声優
- 夢人 - ミュージシャン(AYABIE ボーカル)
- KUNI-KEN - 津軽三味線ユニット
- Ms.OOJA - ミュージシャン
- 川口千里 - ドラマー (四日市在住、生まれは愛知県)
- 田端義夫 - 演歌歌手(一時期、富洲原に居住)
スポーツ選手
- 勢イ力八 - 元大相撲力士。最高位は西前頭9枚目。
- 伊勢錦貫二郎 - 元大相撲力士。最高位は西十両16枚目。
- 巨砲丈士 - 元大相撲力士。最高位は東関脇。元・楯山親方。
- 市川卓 - 元プロ野球選手(北海道日本ハムファイターズ)
- 井手元健一朗 - 元プロ野球選手
- 北村知隆 - サッカー選手(ヴィアティン桑名)
- 村上和弘 - サッカー選手(大宮アルディージャ)
- 内田健太 - サッカー選手(カターレ富山)
- 阪倉裕二 - 元サッカー選手
- 服部尚貴 - レーサー
- 藤波貴久 - オートバイ・トライアルライダー
- 位田愛 - バレーボール選手(JTマーヴェラス)
- 服部安佑香 - バレーボール選手(上尾メディックス)
- 服部晃佳 - バレーボール選手(パイオニアレッドウィングス)[15]、安佑香の姉
- 谷口雄也 - プロ野球選手(北海道日本ハムファイターズ)
地域史功績人
- 伊藤平治郎 - 富洲原地区に平治郎橋を築いた経済功労者。
- 稲葉三右衛門 - 廻船問屋で四日市旧港を築港。
- 山本卯太郎 - 重要文化財の末広橋梁(可動橋として初の指定)を設計。
- 井上敏夫 - 海軍少将、四日市より衆議院議員2期、四日市築港に寄与。
- 初代平田佐次郎 - 平田紡績の創始者。
- 生川平三郎 - 富田地区と富洲原地区の実業家で水産功労者。
- 伊藤小左衛門 (5代目) - 殖産興業によって紡績産業を育成した。
- 山中忠左衛門 - 沼波弄山が始めた萬古焼を産業として広めた。
- 十代目伊藤伝七 - 三重紡績を設立して繊維産業を育成した。
- 十一代目伊藤伝七 - 三岐鉄道社長。
- 伊藤勘作-網勘製網の創業者で三重郡富田町議会議員。
- 大賀賢励-儒学者。
- 田代随意 - 桑名藩領の四日市市天ヶ須賀の鉄砲医者で名医。
- 岡田武兵衛 - 楠町長として楠地区の工業立村に取り組んだ経済功労者。
- 前川辰男 - 塩浜地区出身で公害裁判を推進して、四日市ぜんそくを解決した環境運動家。
政財界人
- 平田耕一 - 衆議院議員、自民党。
- 太田述正 - 防衛省審議官。
- 岡田卓也 - イオングループ名誉会長、ジャスコ創業者、岡田克也の父。
- 渡辺捷昭 - トヨタ自動車社長。同市生まれ、愛知県豊田市育ち。
- 松下雋 - 日本碍子社長、中部経済連合会副会長。
- 九鬼紋十郎 - 九鬼産業グループ総帥。
- 九鬼紋七 - 九鬼産業の創業者。
- 熊澤一衛 - 伊勢電鉄社長。実業家。旧四日市市立図書館の建設者。
- 伊藤傳三 - 伊藤ハム創業者。
教育者
- 井島茂作-四日市商業学校(現在の三重県立四日市商業高等学校)の設立者。
- 津田勉 - 学校法人津田学園創設者。三重県議会議員(四日市市選出)。
- 宗村佐信 - 暁学園創設者。平田紡績社長。
- 野村良意 - 天ヶ須賀の教育者。寺子屋を開校していた。
その他
- 森田必勝 - 三島由紀夫と共に楯の会に参加。
- 沢井余志郎 - 四日市ぜんそくの映画『青空どろぼう』出演の公害記録家。市民運動家。
- 桂文治 (初代) - 江戸時代の上方落語家。1815年(文化12年)天領四日市宿にて客死した。今も四日市市内に墓碑が残る。
- 玉井兄弟-大正時代の飛行家。
放送局
- 主に四日市市を拠点とするマスコミは、シー・ティー・ワイ、エフエムよっかいちがあるほか、タウン情報誌「くじら」がある。
- 大手マスコミは県庁所在地の津市に支社・支局を置くことが多いが、新聞社、東海テレビ放送、NHK津は支局・報道室を置いている。なお東海テレビは、四日市市政記者クラブに三重支社として加盟しているため、テンプレート:要出典範囲営業拠点として置いている。
広報媒体
広報よっかいち
- 日本語版とポルトガル版がある。なお日本語版に関しては、上旬号と下旬号の月2回発行している。
ちゃんねるよっかいち
丸ごとよっかいちニュース、サンデーメッセージ、ALO!YOKKAICHI!(アロー-)、人権を確かめあう日特集(毎月22日に放送)
- いずれもエフエムよっかいちで放送されている。
脚注
参考文献
- 四日市市史(第18巻・通史編・近代)。
- 四日市市史(第19巻・通史編・現代)。
- 四日市市史功績人の項目。四日市市制111周年記念出版本「四日市の礎111人のドラマとその横顔」。
- 四日市ぜんそくの項目。『「四日市公害」市民運動記録集 1971-1982 全4巻』日本図書センター、2007年。ISBN 978-4-284-40051-0
- 四日市市史(第14巻)史料編現代Ⅰ。
- 四日市市史(第15巻)史料編現代Ⅱ。
- (人口統計・各地区の項目・歴代市長・四日市市の歴史の出典)四日市市公式ホームページ。
関連項目
外部リンク
- 行政
- 立法
- 観光
- ↑ 図典 日本の市町村章 p143
- ↑ 商工春秋長期連載の集録四日市歴史浪漫紀行時代を生きた群像の軌跡72頁~73頁
- ↑ 四日市市史(第19巻・通史編・現代)巻末付表の74ページ地区別の人口と世帯数の推移。昭和30年~平成7年
- ↑ homepage.nifty.com/tanimurasakaei/miekenn.htm三重県外国人登録者数の統計
- ↑ www.yokkaichi-kougai.sakura.ne.jp/.../lucha%20de%20blanc... 平均寿命と乳児死亡率の自殺率の悪さの項目。公害ホームページの白い霧との闘い
- ↑ 四日市市立富洲原小学校創立100年記念誌の198ページ世帯数および人口の項目
- ↑ テンプレート:PDFlink 三重県選挙管理委員会
- ↑ 県議会議員の選挙区と定数 三重県選挙管理委員会
- ↑ 「駅周辺型商業集積地区」年間商品販売額 経済産業省 2007年 http://www.meti.go.jp/
- ↑ 四日市市第5巻史料編民俗661ページ~662ページ
- ↑ [1]テンプレート:リンク切れ
- ↑ (JA三重四日市のホームページを参考)
- ↑ 新編楠町史四日市市楠総合支所 2005年253頁
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ パイオニアレッドウィングス"No.5 服部 晃佳 - パイオニア"(2014年2月27日閲覧。)