伊勢湾
伊勢湾(いせわん)は、中部地方と近畿地方の太平洋側の境界の南側にある湾。
概要
一般に三重県鳥羽市の答志島と愛知県田原市の伊良湖岬を結んだ線の北側の海域から三河湾を除いた海域を意味するが、まれに答志島ではなく大王崎からとする場合がある。伊良湖水道を通じて、フィリピン海(太平洋)と結ばれる。水域面積が日本最大の湾で、三重県、愛知県に面する。なお常滑市沖に中部国際空港が2005年2月17日に開港した。
歴史
- 旧東海道の七里の渡しは、宮宿(愛知県名古屋市熱田区)から桑名宿(三重県桑名市)まで伊勢湾北部を通る海路。
- 中世には桑名(通称「十楽の津」)、大湊などの港町が商業、海運の中心地として栄え、畿内から伊勢湾を経て、東海・関東地方を結ぶ交易ルートが確立した。そうした中で現地の武士達は商人と水軍両方の特徴を兼ね備えながら成長し、向井正綱・小浜景隆・梶原景宗のように戦国大名に召抱えられて水軍を構成する事になった。その一方で、畿内・伊勢湾沿岸とのつながりから商業や軍事物資の調達・輸送などの流通分野でも関与していくことになる。
- 1959年9月26日 紀伊半島に上陸した伊勢湾台風は、伊勢湾沿岸に大きな被害を及ぼした。
沿岸
- 沿岸での漁業は、アサリ・バカガイ(青柳)・海苔養殖・刺し網漁業が盛んに行われている。
- フグの水揚げ量はしばしば日本一になり、日間賀島等ではふぐ料理を楽しむ観光ツアーが盛んである。
- 庄内川、新川、日光川の河口部に位置する藤前干潟は、日本最大の渡り鳥の飛来地として知られる。
産業
名古屋港や四日市港などの大規模な貿易港があり、沿岸には多くのコンビナート、産業用倉庫が立ち並ぶ。名古屋圏にとって物資の海上輸送には欠かせなく、海の玄関口の役割をする。
環境
伊勢湾は閉鎖的内湾であり、平均深度19.5m、最深部の湾中央でも38m程度である。湾口が狭く盆状になっているという地形の影響で外海との水交換が少なく、水質が悪化しやすい[1]。特に夏場における貧酸素水塊の形成は非常に大きな問題である。
木曽三川や湾奥の新川・庄内川をはじめとする河川からの栄養塩の過大な流入により大規模な赤潮が発生し、プランクトンの死骸が発生する。発生した死骸が分解される際、大量の酸素が消費されることで貧酸素水塊が発生する。それに加え、夏季には日射による海水面の水温上昇(水温成層の発達)、および河川水による密度成層が顕著となることで鉛直混合が妨げられ、大規模な貧酸素水塊が発達する。発生する貧酸素水塊は、栄養塩(河川水)の流入が多くなる梅雨後期に発達し(密度成層が発達)、夏季に最盛期を迎え(水温成層及び密度成層が発達)、秋季に減衰期(鉛直混合が盛んとなる(海水面の温度の低下)・外海水の流入しやすい状況(河川からの流入が少なくなる)となる。
この貧酸素水塊により、水質浄化機能が大きいものの、逃避能力が低い二枚貝などの底生生物に大きな影響を与え、それらが死滅(窒息)し分解される際、さらに溶存酸素を消費し、水質を悪化させることとなっている。また貧酸素水塊が発生している状況下で、陸から沖方向へ強い風が吹くと、水面近くの水が沖方向へ流され(吹送流)、海底近くの海水が湧き上がる現象が発生する。これを青潮(苦潮)といい、沿岸地域における漁業に大きな被害が発生することがある。
伊勢湾に流れ込む河川の流域住民や行政の協力によって富栄養化を抑えることや、干潟や砂浜を再生して水質浄化機能の高い二枚貝などの生育を助けるといった取り組みが求められている。
日本において、商業捕鯨が発祥した地であり、かつては非常に豊かな生物相が見られた。 伊良湖岬を始め、湾内の各所にはかつてニホンアシカの生息地が存在した。 熊野灘によく見られるマッコウクジラ・ザトウクジラ等は湾外で時折見られ、その他現在でも、ごく稀にではあるが大型の鯨類が湾内に姿を表す事がある。絶滅寸前であるニシコククジラが周辺海域に回遊する可能性も示唆されている。かつては湾内には採餌や子育て、休息の場が広がっていたと思われる。
伊勢湾および三河湾はスナメリの重要な生息地であり、時には藤前干潟周辺にも居つく事がある。その他、2000年代からハセイルカの一群が定着し始め、世界でも最も高緯度に居つく個体群の一つとして知られている。オキゴンドウやハンドウイルカが混合群で現れる事もある。
観光
主な港
主な流入河川(一級河川)
楽曲
その他
- 第四管区海上保安本部担当海域
- 三島由紀夫の小説「潮騒」では「伊勢海」と書かれている。
- 海女の漁場のひとつでもあり、テレビでもその様子が放送されたこともある。
脚注
外部リンク
- 伊勢湾環境データベース - 国土交通省中部地方整備局
- 伊勢湾/トップページ - 三重県政策部
- 赤潮情報(伊勢湾) - 愛知県