ウンシュウミカン

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100g中の食物繊維[1]
項目 分量
炭水化物 12.0 g
食物繊維総量 1.0 g
水溶性食物繊維 0.5 g
不溶性食物繊維 0.5 g

ウンシュウミカン(温州蜜柑、学名:Citrus unshiu)は、ミカン科常緑低木。またはその果実のこと。様々な栽培品種があり、食用として利用される。

概要

日本の代表的な果物で、バナナのように、素手で容易に果皮をむいて食べることができるため、冬になれば炬燵の上にミカンという光景が一般家庭に多く見られる。「冬ミカン」または単に「ミカン」と言う場合も、普通はウンシュウミカンを指す。

甘い柑橘ということから漢字では「蜜柑」と表記される。古くは「みっかん」と読まれたが、最初の音節が短くなった。「ウンシュウ」は、柑橘の名産地であった中国浙江省温州のことで、名は温州から由来する。つまり、名産地にあやかって付けられたもので関係はないとされる。

欧米では「Satsuma」「Mikan」などの名称が一般的である。 タンジェリン (Tangerine)・マンダリンオレンジ (Mandarin orange) (学名は共にCitrus reticulata)と近縁であり、そこから派生した栽培種である。

植物学上の特徴

ファイル:Citrus unshiu 20101127 d.jpg
ウンシュウミカンの果樹

中国の温州にちなんでウンシュウミカンと命名されたが、温州原産ではなく日本の不知火海沿岸が原産と推定される。農学博士田中長三郎は文献調査および現地調査から鹿児島県長島(現鹿児島県出水郡長島町)がウンシュウミカンの原生地との説を唱えた。鹿児島県長島は小ミカンが伝来した八代にも近く、戦国期以前は八代と同じく肥後国であったこと、1936年に当地で推定樹齢300年の古木(太平洋戦争中に枯死)が発見されたことから、この説で疑いないとされるようになった。発見された木は接ぎ木されており、最初の原木は400 - 500年前に発生したと推察される。中国から伝わった柑橘の中から突然変異して生まれたとされ、親は明らかではないが、近年のゲノム解析の結果クネンボと構造が似ているとの研究がある[2]

ウンシュウミカンは主に関東以南の暖地で栽培される。温暖な気候を好むが、柑橘類の中では比較的寒さに強い。5月の上・中旬頃に3 センチメートル程の白い5花弁の花を咲かせ、日本で一般的に使われているカラタチ台では2-4 メートルの高さに成長する。

果実の成熟期は9月から12月と品種によって様々で、5 - 7.5 センチメートル程の扁球形の実は熟すにしたがって緑色から橙黄色に変色する。一般的に花粉は少ないが単為結果性のため受粉がなくても結実する。自家和合性であるが、受粉しても雌性不稔性が強いため種子を生じにくく、通常は種なし(無核)となる。ただし、晩生品種は雌性不稔性が弱いことから、近くに甘夏等の花粉源があると種子を生じることがある。生じた場合の種子は多胚性で、播種しても交雑胚が成長することはまれであり、ほとんどの場合は珠心細胞由来の珠心胚が成長する。そのため、種子繁殖により母親と同一形質のクローン珠心胚実生)が得られる。ただし、種子繁殖は日本ではまれにしか行われない。繁殖効率、未結実期間の短縮、樹勢制御、果実品質向上等のため、日本では通常は接ぎ木によって繁殖を行う。台木としては多くはカラタチが用いられるが、ユズなど他の柑橘を用いることもある。

主な品種と出荷時期

極早生温州

9月から10月に掛けて収穫される。1970年代に発生したオイルショックを受けて、ハウス栽培における石油消費量を減らす目的で研究が進められるようになった。

宮本早生
宮川早生の枝変わりとして1967年に和歌山県下津町(現海南市)の宮本喜次によって発見され、1981年に品種登録された。果実は扁平で、収量性に優れる。宮川早生よりも2-3週間程早く成熟する。
日南1号
興津早生の枝変わりとして1978年に宮崎県日南市の野田明夫によって発見され、1989年に品種登録された。比較的樹勢が強く、じょうのう膜が軟らかい。さらにこの日南1号の枝変わりとして「日南早生(ニチナンワセ)」〔日南の姫(ヒナノヒメ)は都城大同青果株式会社(株)の登録商標〕が近年登場(2008年3月18日品種登録)し、8月下旬から収穫可能な超極早生品種として栽培が広がりつつある。
岩崎早生
興津早生の枝変わりとして1968年に長崎県西彼杵郡西海町(現西海市)の岩崎伝一によって発見された。極早生の中でも最も早く出荷される品種のひとつである。
上野早生
宮川早生の枝変わりとして1970年に佐賀県東松浦郡浜玉町(現唐津市)の上野壽彦によって発見され、1985年に品種登録された。減酸が緩やかなため、他の極早生品種に比べて収穫時期が遅れるが、その分食味は長く保たれる。また浮皮の発生が少ないのも特徴である。

早生温州

10月から12月に掛けて収穫される。比較的単価が高いことから、中生や普通温州からの切り替えを進める産地もある。

宮川早生
1910年頃に福岡県山門郡城内村(現柳川市)の宮川謙吉邸にて発見された枝変わりを、1925年に田中長三郎が発表した。育てやすく収量性が良いなど優れた特徴を持つため、古くから全国的に広く栽培されるようになった。現在でも早生温州の代表的な品種で、ハウス栽培用としても広く用いられる。
興津早生
1940年に農林省園芸試験場(現農業・食品産業技術総合研究機構果樹研究所カンキツ研究興津拠点)において宮川早生にカラタチを受粉させた珠心胚実生から選抜され、1963年に品種登録された。宮川早生と比べて着色が1週間程早く糖度が高い。宮川早生と共に早生温州の代表的品種である。
崎久保早生

中生温州

11 - 12月頃に収穫される。

藤中温州
神奈川県湯河原町吉浜在住の藤中さんの農園で昭和初期頃発見された系統で、現在は湯河原町 - 小田原市を中心に早生みかんから晩生みかんへの中継役として育成されている品種である。
南柑20号
1926年に愛媛県宇和島市の今城辰男の果樹園にて発見された系統で、本種を優良系統として選抜した南予柑橘分場(現愛媛県立果樹試験場南予分場)にちなんで名付けられた。中生温州の代表的な品種で、愛媛県、特に南予地方において主力品種とされている。
久能温州
農林省園芸試験場において長橋温州にジョッパオレンジを受粉させた珠心胚実生から選抜され、1971年に品種登録された。樹勢が強く果実は大きく育つ。缶詰用としても利用される。
瀬戸温州
農林省園芸試験場において杉山温州にトロビタオレンジを受粉させた珠心胚実生から選抜され、1971年に品種登録された。果実は浮皮が少なく、風味は糖度が高く酸が低い。瀬戸内などの雨量が少ない地域で特徴を表し、広島県を中心に栽培される。
愛媛中生
1973年に愛媛県立果樹試験場において南柑20号にパーソンブラウンを受粉させた珠心胚実生から選抜され、1994年に品種登録された。南柑20号に比べて1週間程着色が早く糖度が高い。
盛田温州
宮川早生の枝変わりとして佐賀県東松浦郡七山村(現唐津市)の盛田博文によって発見され、1980年に品種登録された。表面が非常に滑らかでトマトにたとえられることもある。

普通温州

ファイル:Aoshima-Unshu-statue.JPG
青島平十の像(静岡市、2012年9月)

11月下旬~12月に収穫される。特に遅く出荷される品種(青島や十万など)は晩生温州として区別される。

青島温州
1978年に枝変わりとして静岡県静岡市青島平十によって発見された。果実は大きく育ち、浮皮になりにくい。高糖系品種の代表格で、長期間の貯蔵も可能である。特に静岡県において主力品種として多く栽培されている。
大津四号
1964年に神奈川県足柄下郡湯河原町大津祐男が十万温州を母体にポン柑を受粉させた珠心胚実生から選抜した系統で、1977年に品種登録(1 - 20号の中から最も早く実を付け、食味が良かった4号を登録)された。普通温州としては早熟で、果実は大きく育ち扁平。青島温州と共に高糖系品種の代表的な品種である。(地元湯河原では4号の他に5号・8号・20号が植えられているが見た目の区別はつかず総称して大津みかんと呼ばれている)
今村温州
福岡県久留米市草野町吉木の今村芳太の果樹園にて発見された。濃厚な味わいで貯蔵性が良いが、樹勢が強く結実が不安定なため栽培が難しい品種とされる。栽培が難しく流通量が少ないため〝幻のミカン〟とも言われる。現在当時発見された原木は伐採されて存在しない。
十万温州
高知県香美郡山南村(現香南市)の十万可章の果樹園にて発見された。長く貯蔵が可能で3月いっぱいまで出荷される。徳島県で多く栽培されている。
紀の国温州
和歌山県果樹園芸試験場(現・和歌山県農林水産総合技術センター果樹園芸試験場)において丹生系温州の珠心胚実生から選抜され、1986年に品種登録された。丹生系温州よりも2週間程早く成熟する。
寿太郎温州
1975年の春、沼津市西浦久連で山田寿太郎の青島温州の木より発見された青島系統品種。青島温州よりも小ぶりでM・Sサイズ中心の小玉みかん。果皮は温州みかんとしては厚めで日持ちが良い、糖度も12度以上と高く濃厚で今後期待される品種である。近年産地保護育成の期限が切れ栽培解禁となった。

農産

日本で最も消費量の多い果実であったが、近年の総務省の家計調査では一世帯あたりの購入量においてバナナに抜かれて二位に転落している。

産地

ファイル:Harvest of MIKAN.jpg
収穫されたウンシュウミカン

ウンシュウミカンの生産量は首位を争う和歌山県愛媛県が特に多く、静岡県が続く。主な産地のほとんどが太平洋瀬戸内海に面した沿岸地である。

近年は保存技術の向上と共にビニールハウス温室で栽培されたハウスみかんも多く流通し、ほぼ一年中目にすることが出来る。

日本以外では、アラバマ州スペイントルコクロアチア韓国済州島などでも栽培されている。

  • 収穫量(2009年度)
    • 全国合計 100万3,000 トン(2007年比6 万3,000 トンの減少)
      1. 和歌山県 18万9,000 トン(全国シェア約19%)
      2. 愛媛県 15万9,400 トン(全国シェア約16%)
      3. 静岡県 12万2,100 トン(全国シェア約12%)
  • 昭和初期まで和歌山県が首位を独走してきたが、1934年の風水害で大きく落ち込み、以降は静岡県が生産量1位の座についていた。
  • 愛媛県は1970年より34年連続で収穫量1位を守ってきたが、2004年度から6年連続和歌山県が逆転。全国シェアの差も年々広がっている。
  • ウンシュウミカンは収穫が多い年(表年)と少ない年(裏年)が交互に発生する隔年結果の傾向が顕著なため、統計対比は2年前の統計を対象に行うのが通例となっている。
  • 語呂合わせとして「愛は静かに」というのがある。「愛」が愛媛、「は (wa)」が和歌山、「静か」が静岡をそれぞれ表す。
  • 2006年度は1963年以来43年ぶりに収穫量が100万トンを下回った。その原因として、開花後の日照不足や、夏季の少雨で果実が十分に成長できなかったことなどがあげられる。皮肉にも、2006年度に出荷されたみかんは平年より甘く美味なものが多かったようである。
  • 栽培北限は「最寒月の平均気温が5℃以上」とされている。これまで経済栽培としては神奈川県千葉県が北限とされていたが[3]2007年12月に新潟県佐渡島の農家が早生種の「興津早生」など約1トンを出荷し話題となった。

主要ブランド

有田みかん
有田川流域で栽培される和歌山県の代表的ブランド。高級ブランドとして「新堂みかん」「田村みかん」等がある。地域団体商標全国第一弾として認定された。
紀南みかん
和歌山県田辺市及び周辺市町村で栽培されるブランド。高級ブランドとして「大坊みかん
愛媛みかん
高級ブランドとして「日の丸みかん」「真穴みかん」「興居島みかん」等を栽培。温州みかんではないが、「いよかん」は全国的に有名。
蒲郡温室みかん
愛知県で栽培されるハウスみかんのブランド。他に「みはまっこ」等がある。
河内みかん
熊本県河内町(1991年2月熊本市に編入)の金峰山山麓の西側で多く栽培されているブランド。
三角みかん
熊本県三角町(2005年1月宇城市に編入)で多く栽培されているブランド。温州みかんではないが、熊本県果実連合会が登録商標を持つデコポンでも有名。
静岡みかん
三ケ日みかん等が有名。高級ブランドとして「マルマみかん」「ミカエース」がある。
大長みかん(おおちょうみかん)
広島県の高級ブランド。大崎下島豊島(以上広島県呉市)、大崎上島(同大崎上島町)、岡村島愛媛県今治市)を中心に栽培される。広島には別に広島みかん因島みかんなどがある。
湯河原みかん
温暖で温泉地でもある湯河原は柑橘の産地でもあり消費地としても盛んなため、一年中小売できるように一つの畑で数十品種を栽培している農家も多い。大津四号師恩の恵の輩出地でもある。
長崎みかん
200年以上の歴史がある長崎みかんは、長崎県を代表する特産品の一つとなっており、大村湾を中心とした海岸地域を中心に、県内広く生産されている。長崎県は三方を海に囲まれて対馬海流の影響を受け、年間を通じて温暖な気候であり、また海からの反射光があること、傾斜地を利用して非常に日当たりのいい段々畑を中心に栽培されていることなども併せて、みかん作りに適した環境が整っている[4][5]。西海のさせぼ温州にはブランド「味っ子」があり、その中でも最高峰となっている「出島の華」は14度以上という糖度が保証されている[6]
片浦みかん
小田原市片浦地区のみかん。かつては「西の大長、東の片浦」と呼ばれた。

ミカンの歴史

柑橘の伝来

柑橘の原種は3000万年前のインド東北部のアッサム地方近辺を発祥とし、様々な種に分化しながらミャンマータイ、中国等へ広まったとされる。中国においては古くから栽培が行われており、戦国時代に完成したとされる文献『晏子春秋』には「橘化為枳」(橘、化して枳と為る。境遇によって元の性質が変化するという意)との故事が記されている。

日本にはタチバナと沖縄にシークヮーサーが原生していたが、3世紀の日本の様子が書かれた『魏志倭人伝』には「有薑橘椒蘘荷不知以爲滋味」(生薑山椒茗荷があるが、それらを食用とすることを知らない)と記されており、食用とはされていなかったと考えられる。

日本の文献で最初に柑橘が登場するのは『古事記』『日本書紀』であり、「垂仁天皇の命を受け常世の国に遣わされた田道間守が非時香菓(ときじくのかくのみ)の実と枝を持ち帰った(中略)非時香菓とは今の橘である」(日本書紀の訳)との記述がある。ここでの「橘」はタチバナであるともダイダイであるとも小ミカン(キシュウミカン)であるとも言われており、定かではない。

その後も中国からキンカンコウジ(ウスカワミカン)といった様々な柑橘が伝来したが、当時の柑橘は食用としてよりもむしろ薬用として用いられていた。

日本の「ミカン」

ミカンとして最初に日本に広まったのはキシュウミカンである。中国との交易港として古くから栄えていた肥後国八代(現熊本県八代市)に中国浙江省から小ミカンが伝り、高田(こうだ)みかんとして栽培され肥後国司より朝廷にも献上されていた、それが15 - 16世紀ごろ紀州有田(現和歌山県有田郡)に移植され一大産業に発展したことから「紀州」の名が付けられた。また江戸時代の豪商である紀伊国屋文左衛門が、当時江戸で高騰していたミカンを紀州から運搬し富を得た伝説でも有名である(史実ではないとされる。詳細は紀伊国屋文左衛門の項目を参照)。また江戸時代初期、徳川家康駿府城に隠居したとき、紀州からキシュウミカン(ホンミカン)が献上され、家康が植えたこの木が静岡地方のみかんの起源とされている。 静岡のみかんの起源には富士市(旧富士川町)の農夫が外国から移植した経緯もあり、家康が起源のみかんとは歴史も古く品種も異なる。

ウンシュウミカンは当初「長島蜜柑」「唐蜜柑」等と呼ばれていたが、種子を生じない性質から武士の世にあっては縁起が悪いとされ、ほとんど栽培されることはなかった。しかし江戸時代後期よりその美味と種なしの利便性から栽培が行われるようになり、明治27年(1894年)頃から生産を増やして徐々にキシュウミカンに取って代わるようになった。「温州蜜柑」との呼称が一般的になったのもこの頃である。

栽培の拡大

明治時代に入ると、以前よりミカン栽培に力を注いできた紀州有田はもとより、静岡県や愛媛県等でもウンシュウミカンの栽培が本格化する。産地の拡大により市場競争が始まり、栽培技術の改善や経営の合理化が図られるようになった。またアメリカフロリダに苗木が送られたのを皮切りに北米や朝鮮にも輸出されるようになり、日本国外への展開も始まった。昭和初期にはナツミカンやアメリカから輸入されたネーブルオレンジ等も広く栽培され、柑橘市場の成長は最初のピークを迎える。

その後太平洋戦争に突入すると、食糧増産の煽りを受けて栽培面積は減少し、資材の不足と徴兵による労働力の減少により果樹園は荒廃した。戦後の復興期もしばらくは食糧難の解消が最優先とされ、栽培面積の減少が続いたが、数年後には増加に転じ、1952年に戦前の水準まで回復した。

そのまま高度経済成長の波に乗り、ミカン栽培は飛躍的な伸びを見せる。復興ブームによる果実消費の増大によってウンシュウミカンは高値で取引されるようになり、一部では「黄色いダイヤ」とも呼ばれた。1960年以後は行政施策の後押しもあって全国的に過剰なまでに増産され、1968年の豊作時には計画生産量を上回った。この頃には完全に生産過剰となっていたがなおも増産は続けられ、1972年には豊作とこの年から始まったグレープフルーツの輸入自由化の影響により価格が暴落。ピークの1975年には生産量は終戦直後の約8倍にあたる366.5万トンに達していた。

近年の動向

生産過剰に加えて1970年代よりアメリカからオレンジ輸入枠拡大の要請が強まり、政府はミカン栽培縮小へ方針を転換した。政府の政策は他種への改植を促すことにもなり、ウンシュウミカンの栽培面積が年々減り続ける一方で、他の柑橘の栽培は拡大した。

1980年代からの日米貿易摩擦の中で1991年にオレンジの輸入自由化が始まった。円高も相まってオレンジの輸入が増大する一方で主に北米向けに行われていた輸出は途絶え、ミカン栽培は危機を迎えた。これに対して各産地では生産調整、品質の向上、価格が高い早生や極早生への切り替え等で対応し、ウンシュウミカンの価格は傾向として一時的に上昇した。しかし農家の後継者不足や果樹消費の多角化等、日本のミカン栽培は今なお様々な問題を抱えている。

近年では新たな販路として日本国外への輸出拡大が試みられており、主な輸出先である北米の他にも香港台湾といったアジア諸国への輸出も始まった。

食用としての利用

栄養価

果肉にはプロビタミンA化合物の一種であるβ-クリプトキサンチンが他の柑橘に比べて非常に多く含まれている。これには強力な発ガン抑制効果があるとの報告が果樹試験場(現・果樹研究所)・京都府医大などの共同研究グループによってなされ、近年注目されている[7]

オレンジ色の色素であるβ-クリプトキサンチンなどのカロテノイド脂肪につくため、ミカンを大量に食べると皮膚が黄色くなる。これを柑皮症という。柑皮症の症状は一時的なもので、健康に悪影響はない。

その他にもクエン酸食物繊維などが多く含まれる。白い筋にはヘスペリジンが含まれ、動脈硬化やコレステロール血症に効果があるとされている[8]

食用

ミカンのおいしさは、含まれている糖と酸の量・バランスやホロの薄さなどによって決まる。糖度が高いことは重要だが、酸の量も同様に味の決め手になる。

生食されることが多く、内皮(瓤嚢膜)を丸ごと食べる人と食べない人で個性も分かれている。また、むき方も「へそ」からむく方法と、へたからむく方法と、刃物で切る方法とさまざまある。

他に北陸地方東北地方九州地方など地域によっては焼きミカンといって焼いて食べる所もある。また凍らせて冷凍みかんにしたり、お風呂に入れて食べたり、下記のように用途に応じて様々な加工品も作られている。ミカンの全生産量の約2割はジュースや缶詰に加工されている。

缶詰
そのまま食べるか、ケーキなどのトッピングに使用する。
ジュース(特に安価な濃縮還元ジュースは中国産が多い)
飲用のほか、クリームなどの材料になる。
砂糖菓子
主に皮の部分を使用する。よく洗った外皮を細かく切り、炒めて水気を飛ばしたものに砂糖をまぶした菓子

ダイエット食として

食物繊維として含まれるペクチンには整腸作用の他、消化酵素のひとつであるリパーゼの働きを阻害する作用があるとされる。これを食前に摂取することにより食物中に含まれる脂肪の吸収を抑制することができる。

またシネフリンにはβ3アドレナリン受容体に働きかけて脂肪分解と熱生産を促進する効果があり、体脂肪を減らす効果が高い。特に熟していない青い果実に多く含まれている。

しかし、こうしたウンシュウミカンの性質が優れたダイエット効果をもたらすというわけではない。ミカンからシネフリンを抽出しダイエット効果を謳ったサプリメントも市販されているが、シネフリンと刺激性物質(カフェインカテキン等)を同時摂取した際の危険性も指摘されている[9]

また、ミカンダイエットを大々的に報じた「発掘!あるある大事典II」2006年10月22日放送分においてミカンの血糖値抑制効果を示すグラフが提示されたが、後にこのグラフは改竄されたものであった事が報告された[10]

その他の利用法

医学

漢方では未成熟なものの果皮を干したものを青皮、熟したものの果皮を干したもの陳皮として利用する。成分としてヘスペリジン[11]ルチン[12]などフラボン配糖体が含まれている。陳皮は七味唐辛子の材料としても用いられる。なお、中国における伝統医学「中医学」において、みかんは体を冷やす食べ物として分類されるため、風邪を引いた際には食べてはならない食品として認識されている。

また、精油アロマテラピーに用いる。

工業

油胞と呼ばれる果皮のつぶつぶにはリモネンという成分が含まれ、合成樹脂を溶かす溶剤として注目されている。 また、オレンジオイルやリモネンは洗剤にも利用されている。

ミカンを使った遊び

ミカンのしぼり汁はあぶりだしに用いることが出来る。特に冬には手軽に手に入れることができるため、年賀状に使うこともある。また、ロウソクの炎にむかってミカンの皮を折り曲げ、飛んだ油脂で炎の色が変わるのを楽しむ遊びもある。

ミカンの皮を使用した工作

ミカンの皮はむきやすくすぐにはがれ、むいた皮はさまざまな形になるので、意図的な形に切ることによって動物などの形を作ることができる。典型的なものとして「8本足のタコ」がある。

ミカンにまつわる話

和歌山とミカン

  • 和歌山県は古くからミカンの栽培がさかんである(江戸時代の豪商である紀伊国屋文左衛門が、当時江戸で高騰していたミカンを紀州から運搬し富を得た伝説は既述)。そのため、みかんをモチーフにした加工品やキャラクターなどが存在する。
  • 和歌山県のみかんブランドでは有田みかんが全国的に有名だが、県内では「ジョインジュース」と呼ばれるものも名が知られている(近畿地方以外ではCMがないので、近畿圏外の人には分からない)。これはJA和歌山県連の商品で、農協などで売られている。
  • 和歌山県には、「正統和歌山剥き」と呼ばれるみかんの剥き方が存在する。手順は以下の通り。
    1. みかんを数回~10回ほどもむ
    2. ヘタがない方に指を入れ、縦に2つに割る
    3. さらに4つに割る(3つでもいい)
    4. ヘタのほうからかたまりを取り、そのまま食べる

この剥き方で剥くと、外果皮をきれいに残せる、白いすじがうまく取れるなどのメリットがある。和歌山県民の多くが知っている剥き方である。

愛媛県とミカン

  • 愛媛県はミカンの一大産地としての地位を長らく誇っており、ミカンやその加工品がいろいろな場面に登場する。県の花はミカン、県の旗はミカンの花をあしらっている。
  • キャラクターとしても積極的に利用しており、サッカーの愛媛FCのキャラクターはミカンをモチーフとしたデザインであり、ユニフォームのシンボルカラーもオレンジ色である。また、四国アイランドリーグplus愛媛マンダリンパイレーツも同様である。
  • 愛媛とミカンに関するジョークで最も有名なのが「愛媛では蛇口をひねるとポンジュースが出てくる」という話である。ポンジュースの製造元のえひめ飲料ではこれを逆手にとって「うわさのポンジュース蛇口プレゼントキャンペーン」を実施したり、今治市の直売所や松山空港に期間限定の「ポンジュースの出る蛇口」を設置したことがある。これらが好評であったことから、2008年6月から2009年3月まで毎月第三日曜日に松山空港ターミナルビル内に設置され、その後も断続的に設置されている[13]
  • 愛媛県の一部の地域では、学校給食に「みかんごはん(あけぼのめし)」というものが出てくるという。作り方は普通の炊き込みご飯と変わらないが、ダシの代わりにポンジュースを入れて炊き込む。
  • 愛媛のミカンジュースと言えば前述のポンジュースが有名であるが、他にも農家ごとに別々に瓶詰めされたムテンカが雑誌やテレビで紹介され、通販の人気商品になった。
  • 愛媛県には「いよかん大使」を起用したミカン(かんきつ類全般を対象とする)PRキャンペーンを例年行なっている。毎年一般公募で選ばれ、全国各地をまわり愛媛みかんをPRする活動を行っているもので、このキャンペーンは1959年から続いている。

静岡県とミカン

ファイル:The mikan tree planted by Ieyasu.JPG
家康公お手植えのみかんの木
  • ミカンの起源は奈良時代以前にまでさかのぼるが、生食用としては江戸時代初期、徳川家康が駿府城に隠居したとき、紀州から紀州みかんが献上され、家康が植えたこの木が起源とされている。現在も駿府城公園に「家康公お手植えのみかんの木」として残っている。
  • 静岡県内で広く栽培されている温州みかんの一品種である青島みかんは静岡市の青島平十氏が発見したもので、普通の温州みかんに比べやや平たく一回り大きく味にコクがある。なかでも浜松市三ケ日町のものはブランド化して有名である。
  • オレンジ色をシンボルカラーにしている企業や団体等が多数存在する。
代表例

その他の地域のミカンにまつわる事柄

  • アメリカのアラバマ州フロリダ州には古くからウンシュウミカンの栽培が行われており、現地での呼び名にちなんだ「Satsuma」という名前の町がある。

キャラクター

ミカンと歌

  • ミカンにまつわる歌として最も知られている『みかんの花咲く丘』は終戦直後の1946年に生み出された。急ごしらえで作られた曲であったが大反響を呼び、以後童謡として現在まで歌い継がれている。歌の舞台は静岡県伊東市である。
  • 近年では、1996年にヘヴィメタルバンドのSEX MACHINEGUNSが、愛媛みかんに対する感情を『みかんのうた』として歌い上げた。
  • 2006年にはGTPのシングル『冷凍みかん』が静岡県を中心にヒットし、連動して冷凍みかんの売上が急増した。
  • 1970年代から活躍していたフォークデュオ、あのねのねの10枚目のシングルとして「みかんの心ぼし」(1980年9月25日)が発売されヒットした。後にPART2も発売された。

その他

  • 落語には、真夏に季節外れのミカンを求める『千両蜜柑』という演目がある。
  • 腐りやすい上に箱詰めされて出荷されるため、1つでも腐ったミカンがあるとすぐに他のミカンも腐ってしまう。この様子は比喩として使われることもある(ドラマ『3年B組金八先生』でそのたとえが使われた)。
  • 三国志演義』には柑子(こうじ)を巡る曹操左慈の逸話が記されている。横山光輝の漫画『三国志』ではこれを「温州蜜柑」と表記しているが、正確には温州産の柑子であり、ウンシュウミカンではない。
  • 花言葉は「純潔 花嫁の喜び 清純」

脚注

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関連項目

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外部リンク

テンプレート:柑橘類
  1. 五訂増補日本食品標準成分表
  2. 御前明良 「紀州有田みかんの起源と発達史」 『経済理論』292号、和歌山大学、1992年、97-118頁。
  3. ただし那須烏山市小木須地区には観光農園が存在する [1] テンプレート:リンク切れ
  4. 長崎県公式ウェブサイト「長崎みかん」2013年6月18日閲覧
  5. 国産果実産地訪問記「長崎みかん」2013年6月18日閲覧
  6. 長崎県農林部公式ウェブサイト 長崎みかんのブランド「出島の華」2013年6月14日閲覧
  7. 石見圭子「柑橘系フラボノイドの骨粗鬆症予防効果」 国立健康・栄養研究所、2004年。
  8. 果樹試験場「がん予防食品としてのカンキツ果実テンプレート:リンク切れ」 農林水産省、1998年。
  9. 久保和弘、齋藤衛郎 「シトラスアウランチウムについて」 国立健康・栄養研究所、2002年。
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