行列のできる法律相談所
テンプレート:Amboxテンプレート:DMC テンプレート:基礎情報 テレビ番組 『行列のできる法律相談所』(ぎょうれつのできるほうりつそうだんじょ)は、日本テレビ系列で2002年4月7日から毎週日曜日の21:00 - 21:54(JST)に放送されている法律番組・トークバラエティ番組である。通称は『行列』。モノステレオ放送(2011年10月16日放送分より)、文字多重放送を実施している。
目次
概要
キャッチコピーは『絶対に訴えてやる!』。
レギュラー化される前は『守ってあげたい』。再現ドラマで日常のトラブルを提示し、「ここで損害賠償を請求できるのか?」などといった課題について司会者を始め、ゲストや弁護士軍団がトークを繰り広げる。2007年以降は企画やテーマにちなんだ出演者のエピソードについてのトークが中心になっている。
2002年にレギュラー化されて以来常に視聴者から安定した人気を誇るテレビ番組で、時間帯1位の視聴率をほぼ毎週獲得している。最高視聴率は、『24時間テレビ30 「愛は地球を救う」』の萩本欽一によるチャリティーマラソンが引き続き生中継で放送された2007年8月19日放送分の35.3%であった[1]。
出演者
所長
初代所長の島田紳助(以下「紳助」と表記)引退後、正式な2代目所長は置かず、主に行列メンバー(後述)でもある3人が交代で所長を務めている[2][3]。改編期のスペシャル回には明石家さんまが所長を務める。
- 東野幸治
- 本番組によって「チリチリ」というあだ名が確立され、「チリチリドリル」という技も誕生させた。紳助引退後だけでなく、それ以前の紳助謹慎時にも代理所長として務めた。トーク中に話してるゲストの方へ向かずに、そっぽへ向いていることが発覚し挙句の果てには知ったかぶりをすることがあったため、紳助からは「問題児」と言われたことがある。また、本番組出演の仕事を「ぱぁーと行って、笑っていればギャラが入ってくる」と話している。
- 宮迫博之(雨上がり決死隊)
- ゲストとして何度か出演し、石田純一の番組降板に伴い交代となる形で行列メンバーに昇格。主に東野不在の週(紳助引退まで)及び恐妻家を取り上げる時に出演。
- 後藤輝基(フットボールアワー)
- 行列メンバーに昇格した頃は、2011年佐渡島トライアスロンのランナーに対する激励として、ドジョウすくいの演技をさせられるなどのスベリキャラであった。
- 紳助引退直後は、東野と宮迫の2人で所長を行う予定であったが、急遽後藤が加わり3人体制となった。
- 明石家さんま
- スペシャル回に所長を務めるのが恒例となっている。
- 2012年1月15日放送の2時間SPと翌週の1月22日放送分、2012年10月21日放送の2時間SP。2013年1月6日放送の2時間SP。2013年4月28日放送の2時間SP。2013年10月20日放送の2時間SP。2014年1月5日放送の2時間SP。2014年4月13日放送の2時間SP。
この4人以外にも所長を務めた出演者がいる(後述)。
秘書
- 徳島えりか(2代目秘書)
- 2011年10月16日放送の2時間半スペシャルで初出演し、松本の後任となることが発表された。
- 2011年10月23日放送分から5週間は見習いとして松本と2人で番組を進行し、2011年11月27日放送分より正式な2代目秘書として出演している。
- 2014年はソチオリンピックの中継キャスターとして現地に派遣されていたため、2月23日・3月2日放送分は水卜麻美、3月9日放送分は杉野真実が代理出演した。
行列メンバー
行列メンバーとは、月1、2回出演する準レギュラーである。上述の東野、宮迫、後藤も行列メンバーの一員であり、所長以外で行列メンバーとして出演する事もある。
- 磯野貴理子
- 本番組における紳助とのやり取りが評判となり、タレント好感度調査で上位にランクインするほど有名になった。また、紳助によって「貴理子る」という新語や「トークが嘘」といういじられキャラクターも確立された。元々、紳助とはほとんど接点がない関係だった(紳助が総合司会を務める1992年秋以降のTBS系列『オールスター感謝祭』に磯野が出演していた程度)が、本番組を開始するにあたりスタッフに磯野の準レギュラー起用を打診し、それが叶い磯野の番組出演が実現したとのこと。一時期磯野貴理に改名していたが2011年7月再改名した。磯野貴理時代も紳助および多くの共演者には「貴理子」と呼ばれることがあった。
- 渡部建(アンジャッシュ)
- 東野や磯野らに比べると出演回数は少ないが、SPで行われる「なかなか取材を許可してくれない店の店長へ、取材をお願いする」コーナーではリーダーを務めている。ドッキリなどの進行役を務める事もある。
史上最強の弁護士軍団
あくまで本番組内についてなので、詳細は各本人のリンク先を参照。なお、大渕を除く3名のキャッチコピーは、ナレーターの武田広が弁護士紹介をしていた頃に番組側が付けたものである[4]。
- 北村晴男(2000年3月 - )「法廷に笑顔はいらぬ、冷静沈着」
- 初期は、"冴え渡る明晰な頭脳、冷静沈着"
- 現在のレギュラー出演者の中で、唯一放送開始当初から出演している[5]。法律相談などでは一切笑顔を見せないスタイルを貫き、番組中でも滅多に笑わない。2000年代後半頃からは、少し笑顔を見せるようになってきている[6]。丸山(現:参議院議員)とは意見が対立するが、その掛け合いでは笑いがよく飛んでいる。番組開始当初は、本番組以外のレギュラー出演は「本業が優先」を理由に原則として断っていたが、現在はやや軟化し、本業に支障のない範囲で他番組にも出演している。
- 大渕愛子(2011年11月 - )
- 大学在学中の1999年に司法試験に合格した才女。事務所の秘書に元タカラジェンヌの美夢ひまりを起用している。
- 菊地幸夫(2007年8月 - )「趣味はトライアスロン、知力と体力の鉄人」
- 丸山、橋下の不在時に4枠でピンチヒッターとして出演。レギュラーとなってからは、石渡真維と交代で出演し、石渡の降板後は毎回出演している。番組の企画であるトライアスロンにも参加し、2011年の佐渡島トライアスロンでは、行列出演者の参加者の中で唯一制限時間内での完走を果たしている。2012年にも、番組の企画としてではなく自主的に参加していた。
- 本村健太郎(2007年7月 - )「役者としても活躍する異色の弁護士」
- 丸山、橋下の不在時に4枠でピンチヒッターとして出演。橋下の降板後はレギュラーとして出演している。
席は原則固定で、向かって左側の席から1枠・2枠・3枠・4枠である。
放送日 | 1枠 | 2枠 | 3枠 | 4枠 |
---|---|---|---|---|
2000年3月の特番 | 北村晴男 | 久保田紀昭 | 丸山和也 | |
2000年9月の特番-2003年3月23日放送 | 北村晴男 | 住田裕子 | 久保田紀昭 | 丸山和也 |
2003年3月30日のSP-2007年6月17日放送、2007年9月23日放送 | 北村晴男 | 住田裕子 | 橋下徹 | 丸山和也 |
2007年6月24日放送-2007年12月9日放送 (2007年9月23日放送を除く) | 北村晴男 | 住田裕子 | 橋下徹 | ピンチヒッター |
- 4枠のピンチヒッターには、後にレギュラーとなる菊地幸夫、本村健太郎も含まれている
1枠 | 2枠 | 3枠 | 4枠 | |
---|---|---|---|---|
パターン1 | 北村晴男 | 住田裕子 | 本村健太郎 | 丸山和也 |
パターン2 | 北村晴男 | 住田裕子 | 菊地幸夫 | 本村健太郎 |
パターン3 | 北村晴男 | 住田裕子 | 石渡真維 | 本村健太郎 |
上記の中では、パターン2が最も多い。パターン3は2008年3月9日~2011年7月3日まで。
1枠 | 2枠 | 3枠 | 4枠 | |
---|---|---|---|---|
2011年11月27日放送- | 北村晴男 | 大渕愛子 | 菊地幸夫 | 本村健太郎 |
また、紹介VTRには各弁護士のCGアニメーションが登場する(CGアニメーションが導入される前は、各人のモノクロの顔写真が入っていた)が、それぞれキャラクターに沿ったものとなっている(北村は笑わない、丸山は一升瓶を持っているなど)。時折、アニメーションが一定期間の間変更されることがある。丸山のマラソンの際は、一升瓶ではなく走っているアニメーション(服装も『24時間テレビ』のTシャツに変わっていた)、丸山のCDデビューが決定したときは、マイクを持ち、服装が着流しだった。住田がダイエットに挑戦したときは、服装がレオタードになっていた。
2006年12月10日放送分からはCGアニメーションがリニューアルされた。北村のCGは地団駄を踏みながら口から火を噴く、住田のCGはウィンクした目からハートが出てくる、橋下のCGは自身の子沢山ぶりにちなんで、7人の子供達のCGが登場し、丸山のCGは本番組で派生した「エクアドルのバナナ商人」のネタにちなんで、アロハシャツ姿に、バナナを食べてしまうアニメーションが追加された。
なお、丸山が不在時に出演する、本村と菊地のCGも2007年10月から登場した。本村は「めがねを外せば山崎邦正みたいに激怒するアニメーション」。菊地は「スーツを脱いでランニングシャツで完走するアニメーション」だが、ソーラー・菊地と紳助に揶揄されてからは、スキンヘッドが光るCGになっている。
ナレーション
- 林田尚親(2012年10月 - )
過去の出演者
所長
- 島田紳助(初代所長)
- 相談内容を忘れているのは日常茶飯事。過去に「史上最強の弁護士軍団」の紹介の所を「史上最強の鑑定士軍団」(テレビ東京系列『開運!なんでも鑑定団』)と言い間違えたこともあった。また、冒頭の「『行列のできる法律相談所』へようこそ!」も勢いで言っているためかたまにとちることがあった。
- 本人は、「俺は法律番組の司会を頼まれてやっているだけ」「台本を読んでいなかった」と発言していた。
- 「離婚なんて時間の問題」と発言したゲストが、実際に出演後に離婚したケースが数多くある。
- 政治家や女優、モデルなどの職業や立場に関係なく、下ネタや暴言を吐いている。熱愛報道のあったタレントに恋愛の話題に触たり、大橋のぞみ等の子役に対しても「ギャラいくら貰ったの」の話をしている。また、自民党所属の麻生太郎がゲスト出演した際には、第21回参議院議員通常選挙の直後だったことから、「(選挙が終わったから言えますけど)自民党は大敗しましたよね」と麻生本人の前で発言した。
- 番組内で裏番組を褒めたり薦めるときがあった。
- 番組収録よりも競馬観戦を優先するために無駄なトークを省いたり、収録中に時間を気にしており、腕時計をチラチラ見ていた回数を番組スタッフが計算したところ、6年間で372回だった(2008年9月7日放送分)。また、「GIレースならGIが優先」(2006年の新春スペシャル)と公言しており、GIを見たいがために収録を早々と打ち切った回が2回あった。紳助の時間を気にする行動は直らなかった。また、小倉優子は「紳助さんは合コン等の飲食があれば絶対に進行のピッチを上げる」と証言している。(2008年9月7日放送分)。
- 過去の京都スペシャルで「寺を使って料亭を経営」と発言したことで関係者が激怒し、その次の回の京都スペシャルでは紳助の発言をチェックするために責任者が同席することになった。
- 番組内で様々な悪行・暴言を繰り返したため、新春スペシャルで過去4度懺悔の滝で水を浴びる罰ゲームを受けた。さらに、2009年4月には「一日保育士」の罰ゲームが決定したが、これは実施されることはなかった。
- 「御飯のお供スペシャル」などの食べ物が出てくる企画では、基本的に提供者に遠慮せず好き嫌いをハッキリ言う立場を貫いている。これは番組で不味いと思った商品まで無暗に褒めてしまうと視聴者がお金を出して買ってしまうという懸念によるものである。
- 2011年8月21日の24時間テレビの直後の特別生放送後、暴力団関係者との交友事実発覚を受け、2日後の23日に引退。本番組も降板した[7]。
- 『週刊文春』2012年4月26日号(2012年4月19日発売)に掲載されたインタビュー内において、芸能界復帰(政治家転身)を否定した一方、自身の突然の引退で迷惑をかけた人達(各出演番組のスタッフ等)への償いをしたいという気持ちがあるとし、本番組のスタッフを指して、「彼らから『特番やろう』『BS(の番組)やろう』と言われたなら『1回だけやりたい』と述べている」。
秘書
- 松本志のぶ(初代秘書)
- 2009年3月まで日本テレビアナウンサーだったが、40歳を迎えることなどを機に日本テレビを退社し、2009年4月からはフリーアナウンサーとして本番組へ出演を継続していた。
- 2011年8月21日の放送で妊娠を明かし、11月20日放送分を以って住田とともに降板し、出産・育児の準備に入った[8]。
- 2012年5月13日放送分にゲスト出演。2013年3月10日でもゲスト出演し、共演していた橋下徹に会うため大阪市役所へ向かったコーナーで、降板以来約1年4ヶ月ぶりに進行役を務めた。
- 西尾由佳理(代理)
- 松本の体調不良により2011年6月5日放送分から代理で出演。
行列メンバー
- 円広志
- 行列メンバーだったが、降板。行列メンバーとしての出演時は『夢想花』の一発屋歌手であることや民家の洗濯物を観察する趣味があることを紳助に弄られていた。ただし、降板後も2007年10月7日SPの行列ドラマ「裁判員制度、もしもあなたが裁判員に選ばれたら?」、一発屋歌手・芸人を集めた2008年6月22日放送分、放送300回突破記念の2008年8月31日放送分など不定期に出演している。
- 松澤一之
- 紳助との親交が深い。紳助の過去の女性関係にも詳しく、爆弾発言が飛び出すことも。なお、本人は「バラエティはドラマと違って、自分で喋らないとカメラが回ってこない」という理由であまりバラエティ番組に出演することが好きではなく2006年の新春SP以降、出演していない。
- えなりかずき
- 番組開始時から2003年3月頃までに出演。降板後も年に1、2回のペースでゲスト出演。また、2007年10月7日SPの行列ドラマ「裁判員制度、もしもあなたが裁判員に選ばれたら?」の主人公を演じている。
- 石田純一
- 出演時には「イケメン席」に座っていることが多い。ただ、後列のバラエティ席に座る事もよくある。長谷川理恵との破局を紳助が番組に本格復帰した2005年1月9日放送分で初めて語った。紳助からは三度結婚していることもあり女性関係で弄られることが多かった。東尾理子との婚約を報じられた際には、紳助や番組側から「断固反対!」の立場を取られ続け、正式に結婚をした頃に番組を降板した[9]。
史上最強の弁護士軍団
- 久保田紀昭「父から受け継ぐ弁護士魂、六法全書の申し子」(2000年3月 - 2003年3月)
- 初期は"親子二代で弁護士、まさに六法全書の申し子"
- 噂の真相の報道を巡り、2003年3月を以って「もう潮時」「本業に専念する」との理由で降板。
- 降板後、番組内で過去の映像を流す際、久保田にはモザイクやCGでぼかし処理がされている。
- 丸山和也「英語も喋れる国際弁護士、法に魂を込める男」(2000年3月 - 2007年9月[10])
- 初期は"英語ペラペラな国際派にして、お酒大好き"、"お酒にゃ強いが涙にゃ弱い、義理と人情"、"英語も話せる国際派、法に魂を込める男"。参議院議員当選後の出演時はキャッチフレーズが"自民党参議院議員"となる
- 人情論を主張し、北村とは対照的に説得力に欠ける意見を連発する弁護士であり、時に出演者から「本当に弁護士ですか?」と聞かれたことがある。意見が対立する北村と人気1位2位を争う弁護士である。
- 番組で2005年『24時間テレビ』のチャリティーマラソンに挑戦することを発表し、100kmを完走した。また、翌2006年には番組の計らいによりCDデビューも果たした。
- 橋下徹「法廷に新しい風を吹き込む、茶髪の風雲児」(2003年4月 - 2007年12月)
- 大渕が出演するまでは、弁護士軍団の中では、最も若い弁護士であった。橋下の主張が他の3人と異なるケースが多く、「皆さんの意見は古い」などと言って新しさを求めるような形で流すことが多い。また、明らかにウケ狙いの意見を言って人を笑わせようとする事がよくあるが、丸山とは対照的に発言にトゲがある。
- 2013年3月10日の2時間スペシャルに約5年ぶりにVTR出演した。大阪市役所を訪れた北村、磯野、松本と対談した模様が放送された。
- 石渡真維(2008年3月 - 2011年7月)
- 菊地と交代制で不定期出演していた。夫がシンガポールへ転勤したため、番組への出演が困難となり、2011年7月3日放送分を以って降板。
- 住田裕子「東大出身のママさん弁護士、法律の母」(2000年9月 - 2011年11月)
- 初期は、"豊大な知識を優しさで包み込む、法律の母"と、"東大出身のママさん弁護士、心優しき法律の母"
- 主にセクハラなどの女性の立場の問題での法律相談においては、他の弁護士よりも住田の意見が採用されることが多い。ただし、女性に有利な意見ばかりを述べるわけではなく、女性に批判的な意見を述べたこともある。また、本村の見解に同意しつつも説得性がないため、代弁していたこともしばしばあった。
- 紳助からは体形について度々ネタにされていたことが多く、番組内で住田のダイエット企画が実施されたことがあった。
- 2010年に立ち上げた特定非営利活動法人「長寿社会の安全安心な暮らしを実現する会」の活動に力を入れるため、11月20日の放送分を以って松本とともに降板した。一方、他番組への出演(レギュラー・ゲスト)は継続している。
ナレーション
所長経験のある出演者
以下の出演者はレギュラー出演者や行列メンバーではないが、所長を務めた経験がある(今田、綾部、ベッキーはゲスト出演の経験がある)。今田は紳助の謹慎期間中に、その他の3名は紳助の引退後に所長を務めた。
- 今田耕司
- 2004年11月21日放送分から2005年1月2日のSPまで。東野とタッグで代理所長を務めた。
- 綾部祐二(ピース)
- 2011年12月4日放送分。
- ベッキー
- 2012年3月4日放送分。
- 桝太一(日本テレビアナウンサー)
- 2013年2月17日放送分。
特筆点
弁護士は4人がレギュラー出演しているが、彼らの判断が一致することは稀である。同じ課題に対しても「これは離婚できます」「離婚はできません」などと正反対の判断が下されることが珍しくなく、例え結論が一致していたとしても、根拠が全く違うことも多い。
1人の弁護士が断定的に判断を示すという、これまでの法律バラエティ番組のスタイルと異なり、本番組の「複数の弁護士がそれぞれの見地と解釈から判断を示し、その判断がしばしば食い違うところを見せる」という構成は、法律の解釈や適用次第で大きく差異が出ることが珍しくない現実の裁判のような、法律の限界やむずかしさを提示する新しいスタイルである。
ただ、バラエティ番組という性格上の制約から、法律解釈についてあまり突っ込んだ議論がなされるわけではない。個々の弁護士の(こうあるべきという)意見的解釈と、判例等に基づく法曹界の一般的解釈が、区別されずにトークされることも多い。また、バラエティ番組の性格上、個々の弁護士が次第にウケ狙いに走る傾向を見せていることなどから、法律解釈のバリエーションや法律論争の真髄からは離れ、当初は鮮やかであったこの特異性は薄れた。
番組名には『法律』と付けられているが、実際には司会とパネラーの法律とほぼ無関係のトークにほとんどの時間が割かれており、2007年後半以降は法律相談が1件しかない。かつては、紳助も番組のトークの中で「この番組は法律番組ではありません」と発言し、法律番組であることを否定していたが、2008年に入ってからは法律番組であることを公言したため、番組のスタンス自体が一定していない。紳助司会時代末期では紳助が「一応法律を取り扱う番組なので、法律1個やります」と発言することが恒例だった。
本番組のもう1つの特徴はゲスト達のトークで、司会の盛り上げるトークタイムが番組の大半を占めている。紳助司会時代では磯野貴理子、東野幸治などといった準レギュラー出演者はもちろん、ゲスト出演者も紳助にとことんまでこき下ろされてしまい、出演者同士も互いに毒舌を浴びせあい、さらに弁護士陣の一部まで話に参加させられていた。結果、新番組など告知・宣伝で出演するゲストが限定されており、定期的に番組宣伝のため出演するゲストは沢村一樹、片瀬那奈、山田優程度である。その反面、視聴率の高さや司会が紳助であったことから旬のお笑いタレントが出演することが多く、紳助は「芸人の見本市」と称していた。また、紳助が若手芸人にアドバイスをすることも多く、「芸能界で生き残る方法を教えてくださいSP」が放送されていた。
ゲスト席前列4席は司会席に近い側から順に「オジさん(大物)席」・「女性タレント(オバさん)席」・「イケメン席」・「アイドル(キレイ系)席」、後列は「お笑いバラエティ系席」となっている(例外あり)。過去に、岸本加世子が「アイドル席」に座ることを希望したが、番組側から拒否され「オバさん席」に座らされたこともある。
公式サイトにある「いいことしようプロジェクト」ではトラブル(法律相談)以外の相談者の募集も行っている。
日本PTA全国協議会による「青少年に見せたくない番組」では平成18年度以降5年連続してランクインしており、平成22年度に8位まで上がっている(平成18年度・24位、平成19年度・同率18位、平成20年度・同率15位、平成21年度・同率19位、平成22年度・8位)。
橋下(大阪府知事→大阪市長、日本維新の会共同代表、大阪維新の会代表)、丸山(自民党参議院議員)は番組の人気を足がかりとして政界に進出した。
番組の特徴・コーナー
本番組がプライムタイム・レギュラー放送で始まったのは2002年4月7日[11][12]だが、実際の放送開始は2000年3月26日の午後1時半から90分の特番で放送された『日テレ式法律バラエティ・守ってあげたい』である。初回のキャッチコピーは「守ってあげたい」で、弁護士軍団は北村、久保田、丸山の3人だった。不定期に特番として放送していたが(特番時のタイトルは『絶対に訴えてやるぞ!!芸能人VS弁護士軍団・大爆笑!法律バトル』だった)、好評だったためレギュラー番組に昇格した。スタジオのセットも白を基調としていた。弁護士人気の発端的番組。
本番組には時間枠を拡大する特別番組でない場合も毎週「~スペシャル」といったサブタイトルをつけている。
2007年以降の国政選挙施行日の選挙特別番組『ZERO×選挙』放送時は、当然本番組は休止されるが、紳助がそちらのメインキャスターを務めていた(2010年の回まで)。
法律相談の再現VTR終了後には、要点や論点を振り返る「ポイント整理」がある。「ポイント整理」は当初は4つの項目に分けてあったが、現在は、法律相談の再現VTRを2-3項目にまとめている。(厳密には、2004年春頃から項目は3つになり、さらに2005年7月頃からは主に2つとなっている。スペシャルでは2003年9月以降ポイント整理はなかったが、2005年10月から復活した)。
2007年12月までは毎回オープニングに「誰もがはまる法律の落とし穴」というクイズコーナーが放送されていた。ここではパネラーのうち1人が指名され法律クイズに挑戦することになっていた。指名される人は初登場のパネラーである事が多かった。なお、相談者や相手が怒ったり、切れたり、激怒し「訴えてやる」と啖呵をきる場面も特徴だった(後にそのシーンはあまり見られなくなった。)。2008年以降は不定期に通常の相談を休んで、弁護士軍団が監修した法律クイズにその日のゲスト全員が挑戦する法律の落とし穴スペシャルが、年に数回放送されている程度になっている(落とし穴スペシャルのタイトルは毎回変わる。)。一時期、エンディングで法律に関する疑問に弁護士軍団が答える「教えて!弁護士軍団」のコーナーも放送されていた。2009年10月18日放送から法律相談のコーナーは「こんな時どうすればいいの?」にリニューアルされたが、1年程で元に戻る。現在は法律相談と交互に弁護士軍団がテーマに基づいたユニークな法律を紹介するコーナーが設けられている。
本番組のスタッフの多くは、同局でかつて放送されていた『謎を解け!まさかのミステリー』、特番として放映されている『ニッポン人が好きな偉人ベスト100』、2008年2月から放映される『人生が変わる1分間の深イイ話』、そして2008年11月13日放送のモクスペ『行列のできる芸能人通販王決定戦』にも携わっている。その証拠に『深イイ話』には2008年5月12日放送分と同年9月8日放送分で、本番組の出演者が出演し、コラボレーションを行った。さらに、6月8日放送分はエンディングではエンドロールと共に、翌日の『深イイ話』の予告も行っている。また、『通販王』に至っては本番組セットをそのまま使っていた。
また、同じく紳助が司会を務めたABC『クイズ!紳助くん』を本番組スタッフが「スカイ・エー」を通じて視聴しており、(主にグラビアアイドルの)ゲスト人選をする際、『紳助くん』のゲストを参考に選出することもあったという。(『紳助くん』内での紳助の発言による)。そのためか、本番組のゲストにたいぞう(関西の若手芸人)が出演したり(2005年1月30日放送)、番組中に『紳助くん』から借りてきたVTRが流れることもある。
『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』と深い関係がある(『24時間テレビ』の後座番組であるだけでなく、本番組のスタッフがその番組の制作をする年もある)。2005年(丸山)、2007年(萩本欽一)、2011年(徳光和夫)、2014年(城島茂/TOKIO)は本番組内で『24時間テレビ』のチャリティーマラソンランナーの発表を行ったほか、2005年・2007年・2011年以降は本番組の出演者が『24時間テレビ』に出演し、直後の本番組を日本武道館の武道室から生放送という体制となっている(この武道館からの生放送は毎回視聴率が跳ね上がる傾向にある)。この生放送は、完走したマラソンランナーをゲスト(他に同『24時間テレビ』の主要出演者も登場することがある)で招いて感想を聞くというのが基本だが、マラソンランナーが本編でのゴールが間に合わなかった場合へのカバーも兼ねている。また、つなぎとして未公開シーン放映も実施する。都合により、毎年『24時間テレビ』後の本番組が生放送となるわけではなく、通常放送となる年もあるが、その場合も出演者が『24時間テレビ』の後座番組であることに触れている(未公開シーン放映が行われることも恒例)[13]。
2011年10月16日のスペシャル放送より編成上の音声がステレオに変更されたが、BGM・効果音含めモノラル音源で収録されている現状は変わっていない。
不定期でスタジオを飛び出しての全面ロケ企画も放送している。
フジテレビ系列『ザ・ジャッジ』との抗争
本番組がレギュラー化される前の2001年10月に放送が開始されたフジテレビ系列『ザ・ジャッジ! 〜得する法律ファイル』(後の『ザ・ジャッジEX』、2005年3月終了)も同じく法律相談を扱った番組で、非常に内容が似通っていた。そのため、日本テレビ側が編成部長の土屋敏男名で抗議文を送るなど、フジテレビとの間で「パクリ抗争」が勃発していた。
当時日本テレビ社長の萩原敏雄は、本番組レギュラー放送開始を発表した当時の定例会見で「パクられたからと言って、ガタガタ言っても仕方ない。パクった方よりいい数字で勝てばいい」とコメントしており、本番組のレギュラー放送は事実上、日本テレビがフジテレビの『ザ・ジャッジ』に挑戦状を叩きつけるような形で開始されている[14]。
有名人100枚の絵でつなぐ カンボジア学校建設プロジェクト
2007年の年末頃の放送で紳助のトークから企画が始まった。趣旨としては、カンボジアでは貧困で学校の校舎はボロボロで、教科書も3年生までのものしか与えられないという、劣悪な教育状態の中子供達がそれでも楽しく貴重に勉学に励む姿を見て、行列メンバーは勿論、各界の著名人約100人が描いた100枚の絵(など)を出品してもらい、一般視聴者の中から選ばれた人たちによるチャリティオークションを行って、その経費を引いた利益で新校舎を建てようというものであった。また、この手のチャリティー企画にありがちな、オークションを行って学校を建てて終わりというものではなく、その後も不定期ではあるが近況報告等が番組内で継続的に行われている。第2弾はカンボジアで農業を伝えることで貧困から脱却するプロジェクト。
- 100枚の絵の多くはポストカードにして一般に販売されたり、展示されたりしていた。
- 2008年5月11日 - 5月25日の3週間の3放送は、通常の法律相談ではなく、上記のカンボジア学校設立の為の資金として各界著名人の描いた絵を売って募金するオークションの模様を放送した。5月11日の視聴率は26.4%と2000年代以降のバラエティ番組としてはかなり異例の高視聴率をマークした。しかも、予想以上の高値で買い取られた絵もある。最終的な買い取り総額は46人で5076万2000円。最高額は紳助の絵で500万円だった(一部の放送は『日テレ55周年特別番組』として別番組扱いで放送された)。
- 11月23日の放送では、実際に建った学校が紹介され、校章として吉田すずかの図案のアクビちゃん調のキュートなイラストが校舎の壁に掲げられていた。
- テーマソング:一青窈『はじめて』
- オープニングアニメーション:吉田すずか[1]
出品作品
# | 出品者 | 作品名 | 内容 | 落札金額 | 放送日 |
---|---|---|---|---|---|
1 | 北村晴男 | カンボジアの子供達 | 30万円 | 5月11日 | |
2 | 楳図かずお | 復活 | 115万円 | 5月11日 | |
3 | 地井武男 | バラ | 31万円 | 5月11日 | |
4 | 上戸彩 | いつも自分にパワーをくれるもの | 50万円 | 5月11日 | |
5 | 藤子不二雄A | ハットリくん!カンボジアへ飛ぶ! | 75万円 | 5月11日 | |
6 | 石坂浩二 | 赤いマリオネット | 200万円 | 5月11日 | |
7 | misono | 笑顔のなる木 | 38万円 | 5月11日 | |
8 | ちばてつや | あしたのジョー | 220万円 | 5月11日 | |
9 | 木山裕策 | 「home~家族と見た夕焼け~」 | 木山のデビュー曲「home」の歌詞からイメージし製作。後日、落札者宅へ木山が作曲者多胡邦夫と共に訪問。ギター1本でのhomeを生歌で披露した。 | 50万円 | 5月11日 |
10 | 髙田延彦 | 花道から見たリング~ | 36万円 | 5月11日 | |
11 | 中島誠之助 | 飛魚 | 5万円 | 5月11日 | |
12 | フィフィ | 魔除けの顔拓 | フィフィ自身の顔にシュール調になるように、絵の具を塗り魚拓ならぬ顔拓にしたもの | 8万円 | 5月11日 |
13 | 加藤和也 | さくら | 母美空ひばりが病気療養中に描いた絵の中の一つを提供 | 480万円 | 5月11日 |
14 | 磯野貴理子 | 空飛ぶヤギ | 夢で見た空飛ぶヤギのイメージを描いたが、多数の不遇が重なり、本プロジェクト最安値となった | 2000円 | 5月11日 |
15 | アグネス・チャン | しあわせの花 | 75万円 | 5月11日 | |
16 | 川崎のぼる | 熱く燃える男・星飛雄馬 | 180万円 | 5月11日 | |
17 | 安田美沙子 | 人生で一番幸せな絵 | 38万円 | 5月18日 | |
18 | 高橋英樹 | 役者としての自分を見守り続けてくれた桜 | 70万円 | 5月18日 | |
19 | 沢村一樹 | 息吹 | 65万円 | 5月18日 | |
20 | 神木隆之介 | 愛~満ちる地球~ | 30万円 | 5月18日 | |
21 | AKB48 | KIZUNA | 15万円 | 5月18日 | |
22 | 小島よしお | 新・小島よしお | 10万円 | 5月18日 | |
23 | 久本雅美 | 希望 | 41万円 | 5月18日 | |
24 | 石原良純 | キリマンジャロ | 85万円 | 5月18日 | |
25 | 加山雄三 | チャッピーのお母さん | 50万円 | 5月18日 | |
26 | YOSHIKI | Forever Love | オークション会場のみの公開 | 360万円 | 5月18日 |
27 | 住田裕子 | 真実 | 30万円 | 5月18日 | |
28 | 片岡鶴太郎 | 仔猫 | 75万円 | 5月18日 | |
29 | 押切もえ | そばにある愛 | 60万円 | 5月18日 | |
30 | 蛭子能収 | みんな一緒に生きてるぞ! | 30万円 | 5月18日 | |
31 | 榎木孝明 | 春を待つ | 43万円 | 5月18日 | |
32 | 吉田すずか | 世界の子供たちに夢を! | タツノコプロの人気キャラクターを描いた | 225万円 | 5月18日 |
33 | 工藤静香 | パープルの風 | 300万円 | 5月25日 | |
34 | 石田純一 | 母 | 31万円 | 5月25日 | |
35 | やくみつる | カンボジアで一番のスマイル | 30万円 | 5月25日 | |
36 | 菊地幸夫 | ラッキーの生命 | 30万円 | 5月25日 | |
37 | たいぞう | 力強いカンボジア | 320万円 | 5月25日 | |
38 | 岸本加世子 | JORI (ジョリ) | 40万円 | 5月25日 | |
39 | リア・ディゾン | The Source of Vitality (元気の源) | 30万円 | 5月25日 | |
40 | 原哲夫 | 希望の種 | 『北斗の拳』ではあまり見られない微笑んでいるケンシロウのペン画[15]。 | 350万円 | 5月25日 |
41 | ベッキー | 虹色で描く愛 | 50万円 | 5月25日 | |
42 | 中尾彬 | ヴェネチア'98 | 80万円 | 5月25日 | |
43 | にしおかすみこ | 竜宮城 | 30万円 | 5月25日 | |
44 | 池田理代子 | 「ベルサイユのばら」のオスカル | 235万円 | 5月25日 | |
45 | 島田紳助 | 子供の頃の道 | 引退発表を受け、ホームページ上から作品の画像が消去されている | 500万円 | 5月25日 |
46 | 萩本欽一 | スレイナの学の道 | 200万円 | 5月25日 | |
47 | 本村健太郎 | 夢に向かって一直線に走れ! | 鉛筆画のSL。ほかの弁護士軍団よりも高く値段がついている。 | 59万円 | 11月16日 |
48 | 松本零士 | 希望の未来へ向かって | 400万円 | 11月16日 | |
49 | 及川正通 | スレイナの夢 | 210万円 | 11月16日 | |
50 | デヴィ・スカルノ | チワワを抱いた乙女 | 310万円 | 11月16日 | |
51 | 松岡修造 | 本気 | 90万円 | 11月16日 | |
52 | ブランドン・マコーネル | Everlasting peace 永遠の平和 | 100万円 | 11月16日 | |
53 | モンキー・パンチ | 希望 | 350万円 | 11月16日 | |
54 | 吉田照美 | 夢の力 | 140万円 | 11月16日 | |
55 | 秋野暢子 | ハスの花のように | 100万円 | 11月16日 | |
56 | 哀川翔 | 気 | 130万円 | 11月16日 | |
57 | 照英 | 情熱の太陽 | 18万円 | 11月16日 | |
58 | イルカ (歌手) | まあるいいのち | 210万円 | 11月16日 | |
59 | ゆでたまご | 超人達の虹の架け橋 | 310万円 | 11月16日 | |
60 | 吉田すずか | スレイナちゃんの夢 みんなの学校 | 360万円 | 11月23日 | |
61 | ボビー・オロゴン | 自然とボクら | 動物を描いたティンガティンガ | 170万円 | 11月23日 |
62 | 譚小勇 | 学校へ~世界名作劇場より~ | 250万円 | 11月23日 | |
63 | 西尾由佳理 | 小学校のイチョウの木 | 母校のイチョウの木を描いた | 160万円 | 11月23日 |
64 | 辛坊治郎 | 廃材と流木の子供椅子 心からのキスをあなたに! | 廃材を利用した椅子(立体作品) | 75万円 | 11月23日 |
65 | 羽鳥慎一 | マンタとの出会い | 吹きつけ技法で描いたマンタの絵 | 60万円 | 11月23日 |
66 | 大橋のぞみ | たのしい時間 | 愛犬を描いた。また、出品者が小学生ということで10万円で落札決定とすることとなった。 | 10万円 | 11月23日 |
67 | 矢口高雄 | キャスト | できばえのあまりのよさに作者が「手放すのが惜しくなった」という品 | 250万円 | 11月23日 |
68 | 要潤 | EXcite | 105万円 | 11月23日 | |
69 | ミルコ・クロコップ | 生家~希望の家~ | 80万円 | 11月23日 | |
70 | 野村克也 | 月見草人生 | 揮毫三点。自分自身の代名詞「月見草」から題材に選んだ | 200万円 | 11月23日 |
71 | 安斎肇 | カボチャ王子 | カンボジアをカボチャと聞き間違えて生まれた作品[16] | 120万円 | 11月23日 |
72 | 市原隼人 | 理由 | 70万円 | 11月23日 | |
73 | うるまでるび | Happyland | 200万円 | 11月23日 | |
74 | 村尾信尚 | プランE | 40万円 | 11月23日 | |
75 | 小林麻央 | し・あ・わ・せ | たくさんの花を卵殻モザイクで描いた | 120万円 | 11月23日 |
76 | 亀田興毅 | 赤富士 | 味のある富士山を描いた | 155万円 | 11月23日 |
77 | 亀田大毅 | 弁慶 | ボクシンググローブの右手側に弁慶を描き、左手側にサインを書いた | 110万円 | 11月23日 |
78 | 石渡真維 | 私に勇気をくれる花・ハナミズキ | 不安な気持ちで臨んだ初出廷の際に、裁判所に咲いていたハナミズキを見て勇気をもらったのでそれを題材にした作品。 | 160万円 | 11月23日 |
79 | 吉沢やすみ | みんな仲良く! | ど根性ガエルのピョン吉やひろしなどのキャラクターを書いた作品 | 220万円 | 11月23日 |
80 | 藤城清治 | カンボジアに幸せを | 影絵芸術の第一人者。カンボジアの国旗をイメージした構図の中にその子供たちを描いた。 入札まえにデヴィ夫人が300万円で買うと宣言した結果、それを上回る価格になった。 |
450万円 | 11月23日 |
81 | 金子貴俊 | 森の叫び | 20万円 | 11月23日 | |
82 | 若槻千夏 | みんな笑っとけ | 85万円 | 11月23日 | |
83 | たいぞう | 感謝~愛の贈り物~ | この作品と落札者をイメージした作品 | 300万円 | 11月23日 |
84 | 宮﨑大輔 | 手をつなごう | ハンドボールのボールに彩色した立体作品 | 50万円 | 11月23日 |
85 | フィリップ・トルシエ | 戦略図 | 絵の苦手なトルシエ監督が描いたサッカーの戦略図に着色をしたもの[17]。 | 70万円 | 11月23日 |
86 | エドはるみ | 翔べるかも! | 多くの人が描かれているが、みんなエド・はるみの「コォー!」のポーズを取っている絵 | 100万円 | 11月23日 |
87 | チェ・ジウ | サラン~愛~ | 230万円 | 11月23日 | |
88 | 春風亭小朝 | 「昔から小さん」と「桃色の人間国家」 | 真打ちに昇進させてくれた恩人柳家小さん師匠を描いた | 70万円 | 11月23日 |
89 | 一青窈 | 鉢合わせ~everything in a pot | シングル『はじめて』のジャケットデザインにも使用された絵。磯野貴理が落札した。 | 290万円 | 11月23日 |
90 | 新庄剛志 | Shinjo is Shinjo | 青空・夕空・夜空をモデルに描いたエアブラシアート(エアブラシを使用した絵画)作品。 | 300万円 | 11月23日 |
91 | つるの剛士 | LOVEMANがやってきた | 昔に制作し自宅に飾っていたもの。飾ってから仕事運がよくなったことから、落札者に開運の願って出品。 | 270万円 | 11月23日 |
92 | 中山秀征 | 夢街道 | 書道師範の資格を活かし書画を掛け軸にして出品。紳助曰く「鑑定団的には掛け軸で100万円を超えると知っている画家の作品が買える」、 石坂浩二曰く「(掛け軸で)100万円以上なら、横山大観の作品が買える」と高額落札に釘をさしたが、200万の値がついた。 |
200万円 | 11月23日 |
93 | やなせたかし | 紅葉の中のアンパンマン | 紅葉の中アンパンマンキャラが登場するイラスト。絵画として描かれたもので、やなせの原画が初めて他人にわたる。 | 420万円 | 11月23日 |
94 | 東野幸治 | スマイル | 子供の写真を描いたが、紳助に「現代アート」といじられた。 | 100万円 | 11月23日 |
95 | 松本志のぶ | 宮古島の空 | 125万円 | 11月23日 | |
96 | 手塚治虫 | 鉄腕アトム ブラック・ジャック リボンの騎士 ジャングル大帝 着色原画 | 「鉄腕アトム」「ブラック・ジャック」「リボンの騎士」「ジャングル大帝」の原画をプリントし虫プロのアシスタントが着色したもの。レプリカとしては破格の値。 | 510万円 | 11月23日 |
97 | アントニオ猪木 | 道 | 自身の詩「道」を書いた毛筆書 | 300万円 | 11月23日 |
98・99 | わたせせいぞう | 「4511kmの恋 旅立ち~遥かなる夢」「幸福せへの第2章」 | 吉田すずかに技術指導を受けて制作したイラスト画。わたせの作品ではじめて売却された。 | 510万円 | 11月23日 |
100 | 長渕剛 | 不動明王 | 巨木の切り株に描いた不動明王の絵で、本プロジェクトの締めとなった最後の作品に相応しく最高値となった作品[18] | 800万円 | 11月23日 |
東野幸治の石垣島トライアスロン結果と 行列チームの新たなる挑戦
菊地幸夫の趣味がトライアスロンであることから、学生時代に水泳選手として活躍した東野も紳助に言われて2009年4月26日の石垣島トライアスロンへ挑戦することになった。その模様は2009年5月31日に放送された。
応援としてわたせせいぞうがイラストを担当し、応援ソングとして東野が好きな佐野元春の「SOMEDAY」としたが、佐野に曲を使う許可を取っておらず、初期は曲名の下に「東野が勝手に決めたテーマソング」と出されていた。後に佐野本人が事務所を通じてビデオ出演し、最終的に清正公で許可してもらった。現在の佐渡ヶ島トライアスロンでは「東野が大好きな曲」と出されている。途中から本村健太郎も加わって、東野、菊地弁護士と一緒に挑戦した。
なお、地元の沖縄県では、日本テレビの系列の放送局がないため2週間後の6月14日9:00~9:54に沖縄テレビで放送された。また、地元の新聞に沖縄テレビが広告として掲載し、この石垣島トライアスロン大会の内容を掲載していた。沖縄テレビのホームページにこの時の視聴率が掲載されている。
また、大会を生中継した地元の石垣ケーブルテレビでは東野が出演するCMを前日に放送した。
- 石垣島トライアスロン大会(水泳1.5km・自転車40km・マラソン10km)
- 2009年4月26日開催 大会結果 - 参加者1260人中
- 東野幸治 - 283位
- 目標順位を半数の630位以上とし、目標達成。これがきっかけで第10回ベストスイマー賞を受賞する。
- 菊地幸夫 - 447位
- バイクで走行中、ゼッケン装着を忘れてスタートに戻るハプニングが発生。「河原が(以前参加した大会で)レースあきらめなかったんだから、俺だって諦めるわけにいかないんですよ!」と叫び、ハプニングを乗り越えて完走した。
- 宮古島トライアスロン(水泳3km・自転車155km・マラソン42.195km)完走について。番組とは関係ないが、菊池のみ、この石垣島の1年後、2010年4月18日、宮古島トライアスロンに参加して完走した。5月23日放送分でこの完走が報告された。この時、紳助の挑発にゲストの高田延彦がのる形で、高田のトライアスロン挑戦が決まった。
- 本村健太郎 - 917位
- スタート前から不安を隠せなかったが、気力で乗り切った。しかし、後の放送で走行で見せた疲れはテレビ受けを狙った芝居であり、実際は余裕が残っていたことが明らかにされ、罰ゲームとしてボランティア活動をすることとになった。
なお、番組とは無関係だが、この大会には近藤真彦とヒロミ(いずれも本番組ゲスト出演歴あり)も出場していた。
- 行列チームの新たなる挑戦
- アイアンマンより長く、また夏の炎天下での開催から、最も過酷と言われる佐渡国際トライアスロン大会(*)への2011年9月4日の出場を目指して、2010年8月、トライアスロンクラブを作る。会員は東野、菊地、高田延彦、安田美沙子、石井慧、ノッチの6人であったが、高田が以前から痛めていた首の診断をした際、医者からドクターストップを掛けられリタイアとなったが、出演者は「本当は出たくないんじゃ」とかなり怪しんでいた。だが、紳助の引退によって今回メンバーの参加が危ぶまれていたが、予定通り出場することが発表される[19]。また、2011年10月16日放送分では、石井が練習中の怪我でドクターストップが掛かったことも明かされた。
- また、その模様は10月23日 - 11月6日の3週に渡って放送された。
- 東野が佐渡に来た際は、日本テレビ系列局であるテレビ新潟の取材を受け、そこで番組CMも製作されて実際に流された。
- (*) 5人が参加するクラス、Aタイプ(750名)、水泳3.8km・自転車190km・マラソン42.2km、制限時間15時間30分(午前6:00スタート - 午後9:30フィニッシュ)
- コースレイアウト上、自転車のみ、アイアンマンより10km長くなっている。(アイアンマン、制限時間17時間、水泳3.8km・自転車180km・マラソン42.195km)
- 出場者数2.000名 ⇒ (Aタイプ750名・Bタイプ750名・Rタイプ450名・日本選手権50名)で、宮古島・石垣島の大会とともに最大規模の大会の一つで、毎年9月第1日曜日、新潟県佐渡市で開催される。[20]
- インターネット・ライブ(中継)が、毎年、レース当日にあり、早朝6:00スイムスタートから、夜21:30レース終了・花火打上まで16時間ネット観戦できる。大会当日(2011年9月4日)、公式ホームページより視聴可 [2]。
- 「Aタイプ」の完走率は、記録から、過去84〜87%程で推移しているが、猛暑となった2010年大会(9月5日)では、気温に加え、例年にない海水温の高さから(28.0℃午前6時スタート時(過去平均25.0℃))、途中で給水できないスイムパート(ウェットスーツ着用義務有)では熱中症気味になる選手も少なくなく、完走率は77%に下がった。2010年のAタイプは、ほぼ4人に1人が脱落するという同大会史上最低の完走率となっている。
- この佐渡のコースでは、1998年9月5日アジアで初めて、世界各地を転戦するITU(国際トライアスロン連合)のロングディスタンス・トライアスロン世界選手権が開催された([3])。世界の主要プロ選手がそろったこの時の世界選手権で、志垣めぐみが、日本人として初めてメダル(3位)を獲得した地でもある。[4]
気の毒な夫No.1決定戦
テンプレート:節stub 「気の毒な夫」、即ち恐妻家タレント(スポーツ選手も含む)の恐妻エピソードを再現VTRで披露して、最も恐妻の夫を選ぶコンテスト。恐妻家タレントの他、最終審査員として若手女性タレント(出演するのは独身者であるが、既婚の辻希美が審査をしたり、男性ゲストとのコンビで審査したこともある)がゲストとして出演。紳助引退後、しばらくの間、この企画は行われていなかったが、2013年7月7日に約2年半ぶりに行われた。
主な出演者はオール阪神、河本準一[21](次長課長)、宮迫博之(雨上がり決死隊)、ノッチ(デンジャラス)、阿部祐二。2010年9月26日放送の2時間SPから石田靖が加わった。現在では何故か離婚後の磯野貴理子(貴理時代も含む)も出演している。
- 出演者の恐妻エピソードを再現VTRとスタジオトークで披露。それを弁護士軍団により、誰が離婚に至る可能性が最も高いか判断を下し、それらを踏まえて女性ゲストが「気の毒な夫No.1」を決める。No.1には格闘技を模した「チャンピオンベルト」が贈られ、セット後方にベルトを付けポーズを取った写真が飾られる。
- 番組途中で出演者のうち誰かの妻(スポーツ選手の妻が主に出演する。お笑い芸人の妻も稀に出演する[22])がスタジオに登場(紳助は当初「公開処刑」と呼んでいた)する(本人には、知らされていない)。中でもノッチの妻(佐藤友美[23])は必ず出演する。
- 2010年9月26日放送の2時間SPでは、ノッチの自宅に小型カメラを設置して、家庭の様子と夫人から髪をひっぱられるなど、罵声を浴びせられる光景のVTRが映し出され、ノッチの恐妻ぶりが披露された。
- 元プロサッカー選手の本田泰人もこの企画に参加していたが、2009年秋に離婚。弁護士軍団から「本田さんから申し出れば簡単に離婚できますよ」と言われる程だった。2011年には同様に番組に参加していた石井慧も離婚した。
- 当初は不定期にレギュラー枠で放送していたが、現在は特番で放送されている。
- 現在では出演者紹介の際、プリンス『Endorphinmachine』(フジテレビ系列『K-1』中継テーマとしてお馴染みの曲)のイントロが流れ、出演者が「気の毒な夫川柳」を詠んでスタジオに入っている。
歴代優勝者と最終審査員
# | 放送 | 優勝者 | 最終審査員 |
---|---|---|---|
1 | - | 宮迫博之(雨上がり決死隊) | 綾瀬はるか |
2 | 2008年8月3日 | 河本準一(次長課長) | 木村佳乃 |
3 | 2008年11月2日 | オール阪神 | 片瀬那奈 |
4 | 2009年4月26日 | 天山広吉 (プロレスラー) | 辻希美 |
5 | 2009年10月11日 | ノッチ(デンジャラス) | 三浦春馬 ・杏 (女優) |
6 | 2010年1月3日 | オール阪神(2冠) | 山田優 |
7 | 2010年3月21日 | 阿部祐二 | 井上真央 |
8 | 2010年9月26日 | 宮迫博之(2冠) | 堀北真希 |
9 | 2011年1月2日 | 河本準一(2冠) | 香里奈 |
10 | 2013年7月7日 | 徳光正行 | 観月ありさ |
11 | 2013年11月17日 | 前田耕陽 | |
12 | 2014年6月8日 | 逸見太郎 | 佐々木希 |
困ってる先輩にいくらお金をだすか?
- 先輩芸人(河本準一・宮迫博之・磯野貴理子等)が後輩芸人に対して理由を言わずに借金を頼むという、暗に後輩が先輩にどれ位の価値を示すのかというドッキリ企画。
- トータルテンボスの藤田憲右は河本に500万、インパルスの堤下敦は宮迫に100万、NON STYLEの井上裕介に至っては磯野に1000万円貸すと言っている。しかしオリエンタルラジオの藤森慎吾は、河本に15万円と現実的な金額を提示、河本も一瞬「えっ?」と思わせる程のドケチだったため、以後藤森が番組に出る際はネタにされるようになる。
コラボレーションCM
- 2009年10月より2010年1月まで番組スポンサーの1つであるタイガー魔法瓶とのコラボレーションCMを放送していた。
- これは6月28日放送分で「私たち結構頑張ってるのに何故かCM出演ゼロなんですSP」としてCM出演が1本もないタレントがゲストとして集まり、企業にアピール(提供クレジットの上下にもスポンサーに呼びかけるテロップを表示)をした結果、タイガーがそれに答えて(タイガーのCMを希望していた)陣内智則と磯野を番組内で流す「土鍋釜・黒」CMキャラクターとして起用して実現したものである。ナレーションも武田広が担当している。
ロシナンテス関連
- 2010年2月7日に活動が取り上げられた。理事長の川原尚行がスタジオに出演。
- 2010年5月2日放送分において、本田泰人(川原理事長と同じ北九州市出身)がボランティアで現地の女子サッカーを指導。わたせせいぞうがこの活動のイラストを完成させている。
番組の歴史
- 2002年の番組開始当初はネットCMは前番組 『知ってるつもり?!』より1分少ない5分(そのうちの1分は『ザ!世界仰天ニュース』に移行)で後半にはローカル枠1分あったが、2004年4月に前番組終了時に戻し6分に拡大しローカル枠を廃止した。
- 2002年の末期、北村晴男と丸山和也が1対1の野球対決を行った。投手は北村、打者は丸山で、結果は北村が丸山を三振に打ち取り勝利。
- 2003年3月で久保田紀昭が『噂の真相』の報道を巡って降板(詳細は久保田紀昭の項を参照)、2003年の春のスペシャルより後任の橋下が登場。
- 2004年10月31日の放送では、司会の紳助が暴行事件による活動自粛のため出演できなくなったため、番組は急遽生放送(他の紳助のレギュラー番組では字幕スーパー表示でしばらくの間は通常通り放送されたが、本番組は法律をテーマにしているためそれができなかったことによる処置)になり、準レギュラーの東野が代理として司会を担当。11月7日も同じく生放送で、14日の放送(収録)も引き続き東野の司会。11月21日の放送分から2005年1月2日(ザンゲのコーナー除く)までは「Wコウジ」として東野の相方に近い存在である今田耕司が司会に加わり松本と3人で行っていた。
- 2005年1月2日の前枠『笑点スペシャル』の後SBなしで2時間半のスペシャルの枠内で紳助が生放送で復帰のあいさつを行った。
- 2005年1月30日では、松本が欠席し、日本テレビアナウンサーの杉上佐智枝が秘書代理を務めた。
- 2005年3月20日には19:58 - 22:54に初の3時間スペシャルを実施。日テレの人気番組・新番組(『世界まる見え!テレビ特捜部』、『伊東家の食卓』、『エンタの神様』、『ザ!情報ツウ800』、『金のA様×銀のA様』)の出演者が集結し、紳助とビートたけし、所ジョージという夢の共演も実現した。スーパークイズスペシャル時は紳助:『クイズどんなMONだい?!』・『嗚呼!バラ色の珍生』、たけし:『世界まる見え』、所:『世界まる見え』・『笑ってヨロシク』・『笑ってコラえて』の各チームとして出演していた)。
- 2005年8月28日の放送は『24時間テレビ28 「愛は地球を救う」』の放送後、日本武道館からの生放送。未公開映像放映・総集編と丸山の祝福番組となった。この回の視聴率は当時の最高となる30.8%を記録した。
- 2005年9月27日には同じく日本テレビ系列『踊る!さんま御殿!!』の特番に、紳助率いる行列メンバーが参加した。
- 2006年1月1日には20:00 - 23:30の3時間30分スペシャルが放送され、ダイエット宣言した住田の体重測定が生放送で行われた。
- 2006年1月22日放送で法律相談件数1000件突破。森光子や北島三郎など大物芸能人からの花輪も届く。
- 2006年10月29日にて放送200回突破。
- 2007年3月18日放送分「紳助と行くとっておき裏京都の旅スペシャル」にて、京都市内の漬物店を紹介する際、別の漬物店のWebサイトに掲載された写真を無断使用していたことが後に判明し、法律を扱う番組なのにもかかわらず著作権への意識が低いと非難・叱責を受けた。日本テレビは「当事者間で交渉中のため、コメントは控えさせて頂く」としていたが、現在は和解している。後に、制作局長渡辺弘、担当チーフプロデューサー、プロデューサーの3人が減給処分となった。
- 2007年6月17日放送分は、6月15日に自民党から比例代表で参議院選挙に出馬する意向であることが明らかになった丸山の映像をCGや黒抜きの映像等でカットして放送、三分割した他の三人の映像等も使用された(手や後ろ姿などは映った)。日本テレビではこの日に放送した回は5月27日に収録したが、この日の夜までに視聴者から100件を越す問い合わせがあったという。
- 2007年8月19日の放送は『24時間テレビ30』の放送後、武道館からの生放送。マラソンランナーである萩本欽一が『24時間テレビ』の放送時間内でゴールできなかったため、本番組の放送時間の中で、ゴールの模様を生放送した。この回は上記で述べた通り、萩本のゴールの模様を生放送したこともあってか、視聴率は番組最高の35.3%とかなりの高視聴率を記録した。(ビデオリサーチ「芸能・バラエティー」部門の史上最高視聴率番組第5位に記録、1989年以降で一番高い結果となり、唯一の35%越えとなった。)この回での瞬間最高は42.9%。また、同生放送で丸山が約2ヶ月ぶりに出演したが、その日の放送分は上記の理由から法律相談は一切なかった。その後もしばらくはピンチヒッターが丸山の代役を務めたが、2007年9月23日放送分で丸山は弁護士として番組に完全復帰した。しかし、議員活動との兼ね合いから不定期での出演に変わった。それ以降、丸山は2008年は3月2日放送分のみに出演(他局の番組には時々ゲスト(肩書きは自民党参議院議員)として出演していたこともあった)して以降、2009年は議員活動多忙のため、出演はほとんどしていなかったが、2010年4月18日放送で約2年ぶりにゲストとして出演した。
- 2007年10月7日において、行列ドラマ『裁判員制度、もしもあなたが裁判員に選ばれたら?』を放送し、裁判員制度の問題点などを詳細に描いた。これは2008年1月13日放送分のSPでも取り上げられ、放送時に本番組が法律番組であることを明らかにした。
- 2007年の年末期に、アグネス・チャンと紳助の2人の何気ないトークから、カンボジア学校設立のためのボランティア活動が始まった。詳細は有名人100枚の絵でつなぐ カンボジア学校建設プロジェクトの節を参照。
- 2008年2月10日放送で、にしおかすみこが、収録日の大雪による北海道発の飛行機の出発遅延が原因となり、番組史上初の遅刻出演となった。
- 2008年3月9日放送より、ポイント整理の画面と結論の画面がリニューアルされた。
- 2008年8月31日放送で300回放送を突破し、この日と翌週の9月7日と2週にわたって、「もう一度見たい名場面集SP」を放送した。
- 2009年7月26日放送分は紳助が本番組開始前まで放送されていたフジテレビ系列『FNS26時間テレビ (2009年)』(同7月25日 - 26日)の総合司会を担当していたため、新聞のテレビ欄に「紳助27時間目突入(正確には26時間目突入)」と表記された(番組冒頭でも、武田広のナレーションでそのことが紹介された)。なお、『FNS27時間テレビ』は27時間編成になることが多いが、紳助が本番組に出演するためなどから、1時間短い26時間編成となった[24]。紳助は翌2010年も『FNS26時間テレビ (2010年)』(同7月24日 - 25日)の総合司会を担当したが、同年7月25日放送分ではそれを強調した演出は特になかった(ただし、関連エピソードがある。詳細は『僕らには翼がある〜大空へ〜』の項を参照)。
- 2009年12月6日放送分は当日に準レギュラーである磯野の離婚報道が出たこともあり、番組内容を一部変更、磯野が離婚について言及する企画が放送された。
- 初期は2-3本あった法律相談のVTRが途中からは1本、または全くない週が増えるが、代わりに教えて!弁護士軍団!こんな時どうしたらいい?のVTRになった。
- 2010年3月21日放送で、出演した参院議員の丸川珠代や元衆院議員の大塚拓の番組中での発言や選挙区名などをテロップで流したことについて、視聴者から公職選挙法に違反するのではとの指摘があり、放送倫理検証委員会は4月9日に日本テレビへ審議入り判断のための質問状を送っている[25][26]。
- 2010年12月5日の放送では出演予定だった野村克也が急遽出演できなくなり[27]、収録が日曜日であったせいで代役補充も間に合わず出演者席が一つ空いた状態という異例の事態で収録が開始された。このため、途中からアンガールズの田中卓志が出演したが、番組の最初に放送された出演者の高校時代を振り返るVTRでは不在である野村の写真もそのまま放送された。
- 2011年3月13日は東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)による『NNN報道特別番組』により、休止となり、翌週3月20日放送回は番組冒頭で紳助による被災者へのメッセージの後、3月13日に放送する予定だった内容を一部編集して放送した。
- 2011年8月21日の放送は『24時間テレビ34』に引き続いて武道館からの生放送。結果的にこの回が紳助の出演する最後の回となった。
- 2011年9月25日の放送では、収録途中で東野幸治が別の仕事を優先して退席したため、その回の企画でゲスト出演したオリエンタルラジオ・藤森慎吾が代わりに東野の席に就いて収録を続けた。
- 2011年12月11日はFIFAクラブワールドカップ2011準々決勝、柏レイソル対モンテレイ戦中継の為、21:35からの放送の予定だったが、サッカー中継延長により22:30からの放送となった。
- 2011年12月18日 - 2012年1月8日は番組史上最長となる4週連続休止となり、2012年は1月15日からの放送となった。
- 2012年1月15日放送の新春2時間SPは、明石家さんまが代理司会として初登場した(同年10月21日放送の秋の2時間SPもさんまが代理司会をした)。
- 2012年8月26日の放送は『24時間テレビ35』に引き続いて武道館から生放送。『24時間テレビ35』の終了時刻が21:09に繰り下がり、本番組は21:15 - 22:09の放送となった。
- 2012年12月9日はFIFAクラブワールドカップ2012準々決勝、サンフレッチェ広島対アルアハリ戦中継の為、21:35からの放送の予定だったが、サッカー中継延長により21:40からの放送となった。
- 2013年から春と秋の番組改編期に番組対抗スペシャル『DASHでイッテQ!行列のできるしゃべくり 日テレ系人気番組No.1決定戦』が放送されている。セットベースは本番組のものになっている。
- ふなっしーは度々ゲストで登場するが、臭いの苦情が相次いだことがきっかけで、東野の自費によりふなっしー2号が制作され、2013年12月8日の放送でふなっしー2号が初披露された。
- 2014年6月22日には放送500回を迎える。
紳助引退に伴う対応
- 2011年8月28日は、紳助の芸能界引退の影響で休止となり、前座番組『世界の果てまでイッテQ!』の2時間スペシャルが放送された。8月29日に日本テレビより放送継続が発表[28]。9月4日以降は司会者を交代して継続されることになり[7]、準レギュラーの東野幸治・宮迫博之(雨上がり決死隊)・後藤輝基(フットボールアワー)に加え、綾部祐二(ピース)・明石家さんま・ベッキー・桝太一(日本テレビアナウンサー)が代理司会を務めた。いずれも暫定的な臨時司会であり、正式な後任の司会が起用される予定は立っていない。
- 紳助引退・降板の影響で、各局における再放送(後述)は当面の間は別番組に差し替えられ、時差ネット局の沖縄テレビも2011年8月28日から9月25日までは『1億人の大質問!?笑ってコラえて!』[29]などに差し替えていた。
- 紳助引退・降板後、公式サイト上からはトップページの紳助と松本の2人が写った写真などが消去された。
- 過去の紳助と出演者のトークのVTRが使用されるときは、出演者の発言シーンの部分のみ使用され、紳助の顔や姿が映りこまないように編集して放送される(そのような場合でも、相槌程度の声が入っていることはある)。
- 一方で、出演者が紳助の実名を出してトークをすることがある。引退当初は実名そのままだったがその後は「あの人」「先代の師匠」などぼやかした表現になっていた。しかし、さんまが代理司会をした回では何度も実名を出していた。
番組テーマ曲
- 「『燃えよドラゴン』のテーマ曲(Enter the Dragon theme)」※シンセサイザー演奏したアレンジ。冒頭と次回予告のBGMに使われる。
- これとは別に、タイトルバックの曲が存在する。
スタッフ
- 総合演出 : 髙橋利之
- 構成 : 桜井慎一、石原健次、山名宏和、杉山奈緒子、金森直哉、三木敦、榊暁彦、尾首大樹
- コンセプト : 高瀬真尚
- TM : 江村多加司
- SW : 米田博之
- カメラ : 中村佳央
- MIX : 三石敏生、藤岡絵里子
- 調整 : 佐久間治雄
- 照明 : 小笠原雅登、小川勉、井口弘一郎、粂野高央、名取孝昌、千葉雄、加藤恵介
- VTR編集 : 生田目隼、澤田直樹
- MA : 佐渡吉志広
- 音効 : 加藤つよし
- 美術 : 佐藤千穂
- デザイン : 波多野真理
- マルチ : ジャパンテレビ
- TK : 矢島由紀子
- デスク : 宮城知代
- リサーチ : 喜多あおい、猪目匡美、角田さち代、坪田あすか、小泉暁、宇津木瞳子、高村敬一、鹿山智美、小野塚尚子、高橋直子
- 演出補 : 関友香理、細川祐子、永井愛、有瀧希、塚本知華、福田和弘、笠原瑠宇久、平山晃仁、高見澤弘樹、武田奈々瀬、須藤将太、長江真也、水口直治、三木茜、山下晴代、藤川悟志、鈴木遼太、富永直也、古沢将、伊藤実和子、河合亮輔、南村洋志、野谷孝文、諏訪原彩、河原由希奈、木村真菜、青木優太、大城飛鳥、服部愛寿美、菱田将太(週替わり)
- AP : 中村久美、東條いづみ(毎週)/ 柳井千晴、成子美里、本橋亜土、髙橋保乃、原田貴子、井出まり子、金ビンナ[30](週替わり)
- ディレクター : 大原正也、陣崎行夫、田中真之、渡辺浩則、作井正浩、阿多野淳、落合圭太、上村雄一、山嶋将義、塚田直之、高梨智子、荻原実、小澤博之、武石一也、郡亮太、鈴木大介、笠原裕、日野力、二神新、増田貴也、水野格、真木健一郎、綾部健二、田辺純平(週替わり)
- 演出 : 川平秀二、中山準士、井上伸正、市川隆、大楽和也、木下仁志、谷口欽也(週替わり)
- プロデューサー : 岩下英恵 / 相川弘隆、荻原伸之、髙松明央、名田雅哉、小島俊一、黒川こず枝
- 制作協力 : いまじん、創輝、ZIPPY
- チーフプロデューサー : 田中宏史
- 製作著作:日テレ
歴代スタッフ
- チーフプロデューサー : 柏木登→桜田和之→梅原幹→松岡至→菅賢治→福田博之[31]
- プロデューサー : 松岡至、瀬戸口正克[32] / 松井昴史、金佐智絵、伊藤賢剛、小森節子、川嶋典子、大島美貴、福島ツトム、大村和史、伊藤ひろみ
- 演出 : 川本賢一郎、飯塚一志、平野彰子、田島与真、卜部一哉
- ディレクター : 鬼丸尚、安島隆、東井文太、福田逸平太、千葉隆弥、西原信行、みつよしたかひろ、川邊昭宏、田仲芳幸、笠原裕明、須藤拓也、小野努、高橋和博、番秀一郎、高橋康弘、川端鉄也、渋谷英史、山泉貴弘、渡邉孝之、石原康就、村田欣也、小川大輔、津坂健一、萩森豪、神野敬久、渡邊修一、山本和子、太田憲一、嘉数真二郎、斎藤悠哉、柳瀬寿明、岩本智也、横山健一、河野亮、森田篤、藤森真実、髙橋公彦、青柳剛、桑山ゆうり、田中友洋、佐々木文恵
- AP : 滝澤真一郎 / 本橋由美子、八木田祐子、工藤江美子、西沙織、関原奈津子、由茅奈保美、竹部歩美、岡野明子
- 演出補 : 岩崎優貴、及川洋平、杉本泰規、井田美由紀、山口由晃、名取佑樹、有賀響平、向坂圭祐、武藤和俊、野村竜也、池田真希、吉野篤史、小坂貴司、井戸湧太、相原久美子、曽根隆平、藤田大樹、安井啓太、江畑琢也、扇畑亘、山城泰一、和田薫、小柳直康、阿部ひとみ、唐川海咲、井口俊祐、櫻田志歩、辻美子、大須賀美紀、河野正志、河野拓馬、酒井尋子、水上和正、因幡大祐
- リサーチ : 島田京代
- TM : 吾妻光良 → 勝見明久
- カメラ : 山田祐一、渡辺滋雄、日向野崇
- 調整 : 山口考志、石野太一
- 照明 : 中瀬有紀、内藤晋、木村弥史
- 美術 : 小野寺一幸 → 林健一
- デザイン : 星野充紀
- 編集 : 安井純治、川奈部野和
- MA : 奥田幸裕
- TK : 石島加奈子
- 広報 : 杉山克美、一杉早智、高木明子、満松隆一郎、玉造昌和
- デスク : 小池智子
- 編成 : 横田崇
- 編成企画 : 原司
- 制作協力 : ジーワン
ネット局と放送時間
放送対象地域 | 放送局 | 系列 | 放送曜日・放送時間 |
---|---|---|---|
関東広域圏 | 日本テレビ(NTV) 『行列のできる法律相談所』制作局 |
日本テレビ系列 | 日曜日 21:00 - 21:54 |
北海道 | 札幌テレビ(STV) | ||
青森県 | 青森放送(RAB) | ||
岩手県 | テレビ岩手(TVI) | ||
宮城県 | ミヤギテレビ(MMT) | ||
秋田県 | 秋田放送(ABS) | ||
山形県 | 山形放送(YBC) | ||
福島県 | 福島中央テレビ(FCT) | ||
山梨県 | 山梨放送(YBS)[33][34] | ||
新潟県 | テレビ新潟(TeNY) | ||
長野県 | テレビ信州(TSB) | ||
静岡県 | 静岡第一テレビ(SDT) | ||
富山県 | 北日本放送(KNB)[33] | ||
石川県 | テレビ金沢(KTK) | ||
福井県 | 福井放送(FBC)[33] | 日本テレビ系列/テレビ朝日系列 | |
中京広域圏 | 中京テレビ(CTV) | 日本テレビ系列 | |
近畿広域圏 | 読売テレビ(ytv) | ||
鳥取県・島根県 | 日本海テレビ(NKT) | ||
広島県 | 広島テレビ(HTV) | ||
山口県 | 山口放送(KRY) | ||
徳島県 | 四国放送(JRT)[33][35] | ||
香川県・岡山県 | 西日本放送(RNC) | ||
愛媛県 | 南海放送(RNB) | ||
高知県 | 高知放送(RKC)[33] | ||
福岡県 | 福岡放送(FBS) | ||
長崎県 | 長崎国際テレビ(NIB) | ||
熊本県 | くまもと県民テレビ(KKT) | ||
大分県 | テレビ大分(TOS)[36] | 日本テレビ系列/フジテレビ系列 | |
宮崎県 | テレビ宮崎(UMK)[33][37][38] | フジテレビ系列/日本テレビ系列/テレビ朝日系列 | |
鹿児島県 | 鹿児島読売テレビ(KYT) | 日本テレビ系列 | |
沖縄県 | 沖縄テレビ(OTV) | フジテレビ系列 | 日曜日 9:00 - 9:55 |
再放送
- 読売テレビ - 平日の15:50 - 16:47に不定期で放送されている。また不定期で土曜日や日曜日の午後にも放送される場合もある。
- 広島テレビ - 『YOUたち!』を途中で打ち切って再放送を開始した結果、その時間帯の視聴率が急上昇した。その後当該枠は読売テレビからの同時ネット・テレビ東京からの遅れネット枠に転換している。
- テレビ岩手 - 紳助引退時まで金曜15:55-16:50→木曜10:30-11:25→日曜11:40 - 12:35に放送されていた。途中休止期間あり。
- 札幌テレビ - 平日午前中の時間帯に放送されている。
- 南海放送 - 基本的に土曜日13:00 - 14:00に放送中。
- 西日本放送 - 土曜12:00 - 13:00に放送されている(一時期は土曜16:00からだった)。
出典・参考文献
- ↑ http://www.videor.co.jp/data/ratedata/junre/05variety.htm
- ↑ 紳助引退後、各局代役で続々収録SANSPO.COM 2011年8月30日
- ↑ 紳助さん代役 「行列…」司会は東野&宮迫が1週間交代で
- ↑ 後に弁護士紹介を松本が行うようになってからは、このキャッチコピーが使われる事はなくなった。
- ↑ 初回の特番『守ってあげたい』から2010年2月28日放送分まで皆勤出演した。2010年2月28日の放送でゴルフの大会の一つであるパールオープンに参加するため、翌週3月6日とその翌週3月13日を欠席し、席にはパネルが置かれた。なお、欠席した放送分の法律相談の見解は予め用意しており、それを住田が代読した。
- ↑ 特に、2012年8月5日放送で、磯野をドッキリに仕掛けるための打ち合わせでは、番組開始当初の彼の姿からは想像できないほど爆笑していた。
- ↑ 7.0 7.1 紳助さん「行列」「鑑定団」、司会者変更し継続YOMIURI ONLINE 2011年8月24日
- ↑ 松本志のぶアナ「行列」卒業!新人・徳島アナにバトンタッチ - スポーツ報知 2011年9月28日
- ↑ ただし、降板した理由が東尾との結婚であるかについては明らかにされていない。
- ↑ 2008年にも弁護士として一度出演している。
- ↑ 2002年4月7日(日)の視聴率
- ↑ テレビ番組・放映カレンダー 〈4月7日〉
- ↑ 2006年は生放送は実施せず、未公開シーン放映を行った。その際、番組冒頭で録画ではあったが、紳助・松本により、『24時間テレビ』の後枠であることに触れたトークが放送され、その中で紳助は松本に「(『24時間テレビ』よりも)『27時間テレビ』(フジテレビ系列)の方がギャラええで」と言う場面があった。
- ↑ スポーツニッポン 2002年2月26日 「パクられた」日テレ、フジに挑戦状など
- ↑ 後日、『人生が変わる1分間の深イイ話』において、「もし絵が売れなかった場合」のことを心配して、オークション会場に原の関連した人物が、この絵を購入する為に参加していたと紳助が語っていた。
- ↑ ※「カボチャ」の名前はカンボジア経由で日本に伝来したことに由来。
- ↑ 2009年3月29日の放送において、その学校にサッカーゴールとボールをプレゼントをしている
- ↑ ※後日長渕の個人事務所と関係のある会社社長だったことが明らかになった。
- ↑ 東野は自身が代理司会を務めた9月4日放送分(紳助引退後初放送)で、紳助の引退をテレビで見て知った時の心境について語った際、「『何のために練習したのか』と思った」と発言した。
- ↑ 佐渡国際トライアスロン大会
- ↑ 河本の妻は元・大阪パフォーマンスドールのメンバー重本直美で、現在は引退して一般人であるため非公表としている。
- ↑ 宮迫をはじめ、一部の芸人は、「一般人である」「顔出しNG」などプライバシー上の理由で顔と名前を公表していない者もいるため、スタジオに登場することはない。また、芸人の密着取材VTRで、その芸人の妻・子供が映りこむと顔に「ぼかし」をかけた状態で放送される(写真も同様にぼかしを入れている)。
- ↑ 一般人であるが、事実上有名人と同様の扱いで出演している。
- ↑ 紳助は『FNS26時間テレビ』の冒頭で、26時間編成である理由を、「なんで1時間少ないのかと申しますと、9時になったら『行列』が始まるからでございまして」と自ら説明した(スタッフは大爆笑だった)、ほか深夜枠「さんま・中居の今夜も眠れない」内で「27時間は無理、『行列』をやってて良かった」と発言していた(こちらも同コーナーの進行役を務めるフジテレビアナウンサーの西山喜久恵やスタッフの大爆笑を誘っていた)。
- ↑ 「行列のできる法律相談所」に公選法違反の指摘楽天woman 2010年4月10日テンプレート:リンク切れ
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ 理由は前日にナゴヤドームで行われた『日本シリーズ・中日ドラゴンズ-千葉ロッテマリーンズ第6戦』が日本シリーズ史上最長記録を更新するほど長引き、翌日の収録時刻までに間に合わなかったため。
- ↑ 行列のできる法律相談所 :次回の司会は東野幸治 その後は未定 - まんたんウェブ 2011年8月29日 2011年8月30日閲覧
- ↑ 沖縄テレビでは『笑ってコラえて!』を放送する場合は3分繰り上げて8時57分から放送。
- ↑ 金は、以前は、演出補を担当。
- ↑ 福田は、田中と共に2013年6月2日から2014年5月25日まで担当。
- ↑ 瀬戸口は、一時離脱→2014年5月25日までは営業推進を担当。
- ↑ 33.0 33.1 33.2 33.3 33.4 33.5 2006年6月18日は、テレビ朝日制作『2006 FIFAワールドカップ 日本-クロアチア』を同時ネットしたため、同日放送分は後日時差ネットとなった。
- ↑ 2012年8月5日は、フジテレビ制作『ロンドンオリンピック 女子フルマラソン』を同時ネットのため、同日放送分は8月11日13:03 - 14:59に時差ネット。ただし、字幕放送は設備の都合上非対応となる。
- ↑ 2012年8月5日は、フジテレビ制作『ロンドンオリンピック 女子フルマラソン』を同時ネットのため、同日放送分は8月11日12:58 - 14:54に時差ネット。字幕放送は実施される。
- ↑ 2012年8月5日は、フジテレビ制作『ロンドンオリンピック 女子フルマラソン』を同時ネットのため、同日放送分は8月11日12:00 - 13:56に時差ネット。字幕放送は実施される。
- ↑ 放送時間が『FNSの日』と重なった2008年の回(7月27日放送分)はそちらの同時ネットを優先し、当日の22:30 - 23:24に時差ネットをした。また、『FNSの日』の放送が日曜20時台で終了する場合(フジテレビ系列日曜21時台は基本的に花王の一社提供枠となっているため、この形が一番多い)は、その番組と2番組連続で接続する。特に紳助が『FNSの日』の総合司会を務めた2009年・2010年は紳助の番組が連続する形となった。
- ↑ 2012年8月5日は、フジテレビ制作『ロンドンオリンピック 女子フルマラソン』を同時ネットのため、同日放送分は8月10日19:00 - 20:56に時差ネット。字幕放送は実施される。