燃えよドラゴン
『燃えよドラゴン』(英題:テンプレート:En、中国語題名:龍爭虎鬥、日本では「龍争虎闘」とも)は、1973年製作、公開のブルース・リー主演のカンフー映画。
1973年に公開され、世界各国で大ヒットとなった。ブルース・リーとカンフーが世界的なブームとなり、多くのフォロワーが生まれた作品である。ゴールデン・ハーベスト傘下のコンコルド・プロダクション(香港)とワーナー・ブラザーズ(アメリカ)の合作。
配給、及びソフト化の権利は欧米と日本ではワーナー、日本、韓国以外のアジア(香港、中国、台湾等)ではゴールデン・ハーベストが保有する。2004年にはアメリカ国立フィルム登録簿に永久保存登録された。
目次
ストーリー
ミスター・ハン(シー・キエン)が3年に1度開催する武術トーナメントへの招待を受けた少林寺の高弟リー(ブルース・リー)は、国際情報局のブレイスウェイト(ジェフリー・ウィークス)に犯罪組織の疑いが高いハンの島の内偵を依頼される。準備の為に一度帰郷したリーは父親から、数年前ハンの屈強な手下オハラ(ボブ・ウォール)の仲間達によって追い詰められた妹スー・リン(アンジェラ・マオイン)が自害を遂げた事を聞き、ハンへの復讐を誓う。
招待客の中には借金を重ねマフィアに追われているローパー(ジョン・サクソン)、職務質問してきた警官を暴行し半ば逃亡状態のウィリアムズ(ジム・ケリー)も居た。到着した招待客を迎えるのは金髪の美人(アーナ・カプリ)と、筋肉隆々の男ボロ(ヤン・スエ)。島は要塞化されており、広大なコートでは大勢の男達が武術の訓練を行っていた。トーナメント前夜の祝宴は至れり尽くせりであったが、リー、ローパー、そしてウィリアムズは徐々にハンに対する不信感を募らせる。祝宴も終わり、リーは夜を過ごす相手として祝宴会場で見かけたメイ・リン(ベティ・チュン)を指名。彼女は数ヶ月前よりハンの島に潜り込んでいた諜報員だった。その夜メイはリーに、ハンに呼び出された女性が次の日から忽然と姿を消す事を伝える。
トーナメントがハンの号令により開始され、ウィリアムズとローパーがそれぞれ出場し、勝ち進んでいく。夜になり、内偵を進めていたリーは警備員達に捕まりそうになるが何とか逃げ切る。それを偶然外で散歩をしていたウィリアムズが目撃していた。トーナメントが再開されリーの出番になるが、その相手は宿敵のオハラだった。リーはオハラを圧倒し打ち倒す。審判がオハラの安否を確かめたが既に事切れていた。その後ウィリアムズがハンに呼び出され、前夜の散歩を警備員に目撃されていた事から内偵を疑われ追及される。島に嫌気がさしたウィリアムズはハンに反抗するが、金属の義手を持つハンになぶり殺されてしまう。次にハンに呼び出されたローパーは、麻薬工場の内部を案内され、部下になる事を切り出される。トーナメントの目的は世界で活動出来る部下を探す為であった。途中、労働力の為に連れて来られた囚人達の姿がローパーの目に止まった。答えを渋るローパーの目の前に待っていたのはウィリアムズの死体だった。ローパーは服従を誓うしかなかった。その夜内偵を続けていたリーは麻薬工場等の様々な犯罪の証拠を発見、情報局に向けて信号を送る事に成功するがハンの手下達に追われ、攻防の末ハンに捕まってしまう。
翌日、ローパーを待っていたのは囚われの身となったリーであった。ローパーは見せしめとしてリーと闘う事を命じられ、断ると代わりにボロと闘う事になった。激闘の末ボロを倒したローパー。怒り狂ったハンは手下達に、リーとローパーを殺すよう命じる。襲い掛かる手下達を次々と倒していくリーとローパー。その時メイが解放した囚人達が手下達目掛けて向かってきた。形勢不利と感じ義手を金属の爪に変えながら逃げるハン、それを追うリー。いよいよ最後の対決となり、リーはハンを打ち倒す。
スタッフ
キャスト
役名 | 俳優 | 日本語版1 | 日本語版2 |
---|---|---|---|
リー | ブルース・リー | 富山敬 | 谷口節 |
ローパー | ジョン・サクソン | 内海賢二 | 堀勝之祐 |
ウイリアムス | ジム・ケリー | 堀勝之祐 | 大塚芳忠 |
タニア | アーナ・カプリ | 應蘭芳 | 滝沢久美子 |
オハラ | ボブ・ウォール | 細井重之 | 広瀬正志 |
ハン | シー・キエン | 田口計 | 小林修 |
ス・リン | アンジェラ・マオ | 小宮和枝 | 吉田美保 |
メイ・リン | ベティ・チュン | 吉田理保子 | 佐々木るん |
ブレスウェイト | ジェフリー・ウィークス | 川久保潔 | 中庸助 |
ボロ | ヤン・スエ | 玄田哲章 | |
パーソンズ | ピーター・アーチャー | 野島昭生 | 大塚明夫 |
翻訳:岩佐幸子、演出:蕨南勝之
リーの妹スー・リンの死因を語る老人は「リーの父親」と言われているが、劇中では「Old Man」と呼ばれており、親子関係が確認できる場面はない。妹スー・リンについても、実は姉ではないか、との説もある。(香港ユニバースレーザー版DVDでは姉と日本語字幕で確認できる)
制作
ブルース・リーは監督のロバート・クローズに、「この映画の出来を気にしているのは、あなたと私だけだ」と語った[2]。
映画の冒頭、リーが少年を相手に「テンプレート:En(考えるな、感じろ!)」と語る台詞があるが、この部分はリーが香港公開用に自ら監督をして撮影したフィルムで、当初の脚本にはなかった。撮り終わったフィルムを見たクローズが、アメリカ公開版にも採用した。
リーの主演映画は中国語版も英語版も、香港映画の通例どおり全て声優による吹き替えだが、本作の英語版のセリフは全て本人の肉声である(ただし「アチョー」の奇声(怪鳥音)は、本作以外にも『ドラゴン怒りの鉄拳』『ドラゴンへの道』でアテレコによる本人の肉声が使われている。現場では「あんなに大きな声を出していなかった。」とノラ・ミャオが後日語っている)。
初期シノプシスからの変更
公表されている脚本第1稿よりも前に、マイケル・オーリンがブルース・リーの関与なしにまとめたプロットがあった[3]。
そこでは、ジョン・サクソン演じるローパーが「最強の男」であることが明確にされており、終盤にハンと戦うのはリーでなくローパーになっている。大筋は完成版にも残されていて、ハンがリーではなくローパーに目をつけ仲間に引き入れようとしている点や、クライマックス前に捕えられたリーをローパーに殺させようとする場面[4]がそのまま脚本になっている。
元々はこの葛藤の後、ローパーの代わりに指名されたボロがリーと戦い[5]、リーが勝った後、激怒したハンとローパーが戦うことになっていた。リーのほうは中盤にオハラを倒した時点で妹の仇を打っているのだから、このラストシーンではローパーこそが旧友ウィリアムスを殺された復讐を遂げるためにハンを倒し、物語に決着がつくはずだった。のちにブルース・リーが脚本づくりに関わってから、ハンが少林寺の裏切り者という設定を加え、最後のリー対ハンの果たし合いに意義を持たせている。
このように元のプロットを残したまま主人公をローパーからリーに切り替えたことで、前半からして夜な夜な部屋を抜け出す「最強の男」リーにハンがまるで着目せず、ローパーにばかり関心を寄せるという不自然な流れを生んだ。脚本家のオーリンは当然反発し、リーとの不仲も製作の初期段階から決定的なものになっていた。しかし、のちにユン・ピョウが「ブルース・リーの映画は彼のワンマンショー。彼以外の要素は無に等しい。」[6]とコメントした通り、物語における矛盾も不自然さも、リーの圧倒的な存在感と迫力により観客の心を遠ざけるものではなかった。
役者について
- ハン役のシー・キエンは少林拳の達人で、当時60歳近くでありながらリーとの格闘シーンを演じている。
- オハラ役のボブ・ウォールは、リーとアメリカ時代からの友人で、前作『ドラゴンへの道』でリーに誘われて悪役を演じたのが評判となり、続けての映画出演している。また、後に『死亡遊戯』にも出演している。
- 『ドラゴン危機一発』『ドラゴン怒りの鉄拳』『ドラゴンへの道』と、ブルース・リーの一連の香港作品で共演しているトニー・リュウが、試合でローパーと対戦する役を演じている。
- サモ・ハン・キンポーがオープニングのスパーリング相手として出演している。冒頭のリーとサモ・ハンの格闘シーンは、全ての撮影が終了した後にリーがセッティング、監督した。リーが発案したオープンフィンガーグローブをお互いが装着し、打撃戦で始まり腕絡みで終了するシーンは後の総合格闘技の原型になった。
- ジャッキー・チェンがリーに地下基地で首を折られる役として、ユン・ピョウ(元彪)も2カット出演している。
- オープニングとオハラ戦におけるリーの後方空中回転キックのスタントは、『サイクロンZ』などに出演しているユン・ワー(元華)が務めた[7]。
- 武術指導助手を演じたのはラム・チェンインで、当時まだ21歳だったが、リーからの信頼と実力を認められての抜擢だった。米国公開版ではノンクレジットだが、香港公開版では、リーと共にその名を連ねている。ラムは、助手の他にも、あらゆる場面でのスタントも担当した。
- 日本人では松崎真が力士役で出演している。
- 冒頭でリーと会話する高僧を演じたロイ・チャオは、英語を話せる他に小型飛行機を操縦もできるため、島の空中撮影する際に、大きく貢献している。
エキストラ
撮影に参加しているハンの部下のエキストラたちは、近辺にいたチンピラなどを集めて撮影していたため、撮影現場は不穏な空気が漂っていた。撮影中、エキストラたちの中からブルース・リーに勝って名を上げようとする挑戦者が現れたが(ボブ・ウォールの証言)闘志剥き出しのリーに挑戦者は全く成す術が無かった。そのため撮影中に漂っていた不穏な空気は一掃されたという。リーとその挑戦者の戦いはワーナーのカメラマンによって撮影されていたが、ワーナーではそのフィルムは不要と考え破棄した。
劇中の戦闘シーンでリラックスしていたり爆笑しているエキストラがいたことがフジテレビ系の番組、『トリビアの泉』で取り上げられたが、同番組から問い合わせが来るまで、映画の制作者側もそのエキストラのことに気づかなかったとのこと。
セット・小道具・衣装
スタジオ・セットなどはほとんど現地の中国人スタッフによって作られ、プロデューサーのフレッド・ワイントロープもその技術に脱帽するほどだった。
劇中で使用する武器ヌンチャクは日本でブームになったが、リーが使ったものは正確にはタバク・トヨクとといわれるフィリピン武術・カリの武器である。リーの親友で弟子のフィリピン系アメリカ人のダン・イノサントがタバク・トヨクをリーに教えたといわれる。
映写室や墓参りのシーンでリーが着用しているスーツは菊池武夫デザインのビギメンズのものである。リーは、菊池武夫のビギ(BIGI)を好んで着ていた。
事故
ボブ・ウォールが割れたビンでリーに襲いかかるシーンを撮影中、誤ってリーの手首を負傷させるアクシデントが発生。本来このシーンでは、砂糖を固めてビンの形にした安全なものを使うはずだったが、この日は手違いで用意がなく、本物のガラスビンを使用したために起こった。リーの出血が酷く、撮影現場は一時騒然となり、前述の事件ですっかりリーに心服していたエキストラ達からはウォールを殺せという声が上がるほどだった。結局、この騒動は監督のロバート・クローズが「ボブは必要な役者だから」と説得して収拾したとクローズ自身の自伝本で語られている。
リーが地下に侵入する際にコブラを捕まえるシーンでも、コブラを掴むタイミングを誤り腕を噛まれた。幸いにも、コブラから毒は抜かれていたので傷だけで済んだ。
カットされたシーン
オープニングのために、少女がバイクでトーナメントの招待状を空港に届けるシーンが撮影されたが、結局使用されず幻となった。この黄色いジャケットを着てバイクで香港の町を走り抜ける少女は、現在の完成版オープニングの中で2カットほど見ることができる。このバイク少女を演じたのは当時、ショウ・ブラザースを中心に活躍していた女優ティエン・ミ(田蜜)であり、ゲスト出演したにもかかわらずそのシーンは全面カットされ、わずかに残された走行シーンは本人が演じているかどうかもわからなかった。国際版では確認できるその映像もアジア版では差し替えられ、東南アジア版オープニングで「特別客串」という名目でトニー・リュウとともにクレジットされているが、本編では宴会でハンのスピーチ後ハンが最初に投げたリンゴに、小ナイフを空中で突き刺す側近の1人としてアップシーンが見られる。[8]
香港公開版のみにあったシーン
序盤で、ブルース・リーが少林寺の高僧に、截拳道(Jeet Kune Do / JKD〈ジークンドー〉)に関する概念を説明する約3分程度の場面があり、さらにクライマックスの鏡の間の戦いでは、ハンの攻撃に窮地に陥ったリーが、序盤の高僧との会話シーンを想起して目覚め、窮地を打開してハンを倒すきっかけとなる、10秒ほどの場面があった。この場面はリーが最終的に監修した香港公開版のみに使用されたが、ワーナーの意向で国際公開版からはカットされていた。1998年に、ワーナー版にこの場面が編入され、「ディレクターズ・カット版」としてソフト発売された。珍しい両面1層ディスクで、A面に本編、B面に映像特典が収録されている。このシーンは会話の内容を改変して『死亡の塔』にも流用されている。
香港公開版はワーナー版とオープニングが異なる。グリーンのタイトルバックに、リーのアクションが切り絵風アニメーションでリズミカルに動くものであった。さらに香港でのリバイバル上映時には別バージョンのオープニング・タイトルバックが作られており、こちらは撮影時のメイキング映像などが挿入されている。タイトルの字体などには工夫がなく、地味な印象であるが、この映像は香港のVCD盤などで製品化されている。
評価
日本も含め世界的な大ヒットとなったが、地元香港では大スター死去の直後にもかかわらず、前作『ドラゴンへの道』(その時点の最高興行記録)を凌ぐまでには至らなかった。一連の興行成績についてプロデューサーらは「香港や中国の観客は、リーのような細身の田舎者が、日本人や屈強な白人を痛快に叩きのめすような内容の作風を望んでいたから」と分析している。
音楽
ラロ・シフリン作曲の印象的なテーマ曲もヒットチャート1位を記録し、日本テレビ系『行列のできる法律相談所』など、今日に至るまで数多くのTV・ラジオ番組のテーマ曲・コーナーテーマ・BGMなどに重用され続けている。
日本での評価
1973年12月に初めて日本公開された時点で、ブルース・リー本人は既に故人となっていた(1973年7月20日死去)。1970年前半は、カンフーは日本に普及していない頃だった。真樹日佐夫によると、当初ワーナーは本作品をメインとせず、他と抱き合わせて採算づけるために極真会館へ鑑賞を依頼した。真樹、兄の梶原一騎、大山倍達の3人がワーナー試写室に出向いて鑑賞し、大山は良く評価しなかったが(ただし公開時のパンフレットで好評と書いている)、梶原は「敵味方に関わらず銃を使えなくなる設定が良く、荒唐無稽さがなくて面白い」と絶賛している。結果として日本でも大ヒットに至った。
脚注
- ↑ 映画『燃えよドラゴン』製作40周年記念リマスター版 ブルーレイ Tシャツ付 7月17日発売!
- ↑ 『ブルース・リーの燃えよドラゴン完全ガイド』ロバート・クローズ著(白夜書房)ISBN 4893674978
- ↑ The Movie Culture Magazine 1992.6
- ↑ ギロチンにかけられた猫に対し冷酷になりきれるか否かをテストした、その続きとなっている。
- ↑ この展開はスチル写真が残っている。
- ↑ 『プロジェクトA/A2』ダブルパックDVD特典映像インタビューより。
- ↑ 『Bruce Lee in G.O.D 死亡的遊戯』のインタヴューで、ユン・ワー自身が「ハンドスプリングとサマーソルトキックの2回」と語っている。
- ↑ 他ではトーナメント初日とリーが捕らわれた翌朝、ハンの右側にいるのがティエン・ミ。ちなみに、ハンが投げた次のリンゴに2人目の側近がイヤリング・ナイフを突き刺し、それを受け取るのはユン・ワー(元華)である。