土屋敏男
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
テンプレート:混同 テンプレート:Infobox 人物 土屋 敏男(つちや としお、1956年(昭和31年)9月30日 - )は、日本のテレビプロデューサーである。日本テレビ放送網編成局専門局長、LIFE VIDEO株式会社代表取締役社長。
バラエティ番組『電波少年シリーズ』の「Tプロデューサー」、「T部長」などとして知られる。
目次
人物
ハンドルネームはドラゴン、愛称は苗字のツッチー、苗字のイニシャルを取ってT。萩本欽一とテリー伊藤を演出の師匠と呼んでいる。民放の場合「テレビで視聴率を稼ぐには馬鹿にどう見せるかを考える」必要があると語っている[1]。
経歴
- 生い立ち
- 警察官の二男として生まれる。小学校時代にプロ野球選手、中学校時代に古典落語家、高校時代に新聞記者志すが全て挫折し、大学時代からテレビマン志望となった[2]。
- 日本テレビ
- 1979年、日本テレビに入社。ワイドショーの現場を経て、バラエティ番組制作に携わるようになった。編成部長(2001年7月 - 2003年7月)、メディアコンテンツ部局次長(2003年8月 - 2006年、途中より第2日本テレビ編集長を兼務)、編成局デジタルコンテンツセンターエグゼクティブディレクター(2006年-2010年5月)、編成局エグゼクティブディレクター・プロデューサー(2010年6月-2012年5月)を経て、現職。
- 社外では、日本テレビと日テレアックスオンが設立した新会社のLIFE VIDEO代表取締役社長(2012年7月2日-)[3]。
私生活
既婚であり、長男・達彦(1983年4月9日 - )と長女・美沙生(1987年12月16日 - )がいる。長男の達彦はカナダのサイモンフレーザー大学卒業後吉本興業に入社し、現在は同社子会社のよしもとクリエイティブ・エージェンシー社員(東京本部勤務)である。
担当番組
ディレクター
- 酒井広のうわさのスタジオ
- 天才・たけしの元気が出るテレビ!!(1985年4月 - 1987年9月)
- 欽きらリン530!!
- ビートたけしのお笑いウルトラクイズ(第1回 1989年1月2日)
編成担当
- 恋々!!ときめき倶楽部
- 全員出席!笑うんだってば
- ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!(1989年10月 - 1991年9月)
- CHA-CHAワールド
- 笑うと泣くぞ…ダハ!
- ウッチャン・ナンチャン with SHA.LA.LA.
演出・プロデューサー
- ニッポン快汗マップ ガムシャラ十勇士!!
- 世界料理大賞(第1回AP)
- とんねるずの生でダラダラいかせて!!(1991年10月 - 1992年9月)
- 電波少年シリーズ(2001年7月以降は企画・演出)
- ウンナン世界征服宣言
- ウッチャンウリウリ!ナンチャンナリナリ!!
- ウッチャンナンチャンのウリナリ!!(1996年4月 - 2001年6月)
- ザ・ワイドショー(ドラマ演出)
- 日本テレビ開局50周年記念番組 日テレバラエティー全史 テレビ馬鹿50人と馬鹿テレビ50年〜シャボン玉ホリデーからガキの使いまで〜(2003年8月2日、総合演出)
第2日本テレビ
エグゼクティブディレクター
- たけしとひとし(2010年12月10日)
- 間寛平アースマラソン地球一周40000キロ大ゴール生放送SP!!(2011年1月21日)
- 欽ちゃん!もう一度30%番組作りましょう!(仮)(2011年7月22日)
- 音ドッキ!(2011年12月28日)
LIFE VIDEO
- 社長になりたい!あなたの社長力テスト(BS日テレ 2013年8月25日)
- 100時間うらどりプレス(Youtube、2013年9月18日 - 2013年9月23日)
その他の活動
- 間寛平アースマラソン製作委員会 日本テレビ放送網代表
- 公式ホームページの総合演出を担当(第2日本テレビ担当のため)。企画進行中に編成局EDに復帰したため、ゴール生放送特番の総合演出を担当した。
- 水道橋博士のメルマ旬報「ライフテレビ」[4] 寄稿(2014年8月25日 - )
エピソード
- 1985年にスタートした「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」では、当時まだ若手といえる立場にありながら、演出に抜擢される。この番組でテリー伊藤(総合演出)と出会い、バラエティ番組にドキュメンタリー風の味付けをする演出手法を習得。
- 土屋は東京本格進出前のダウンタウンの東京での世話人で、他局の仕事の送り迎えもしていた。「笑っていいとも!」や「夢で逢えたら」の収録現場に日本テレビの社員にも関わらず潜入(フジテレビ側にはマネージャーと勘違いされていた)。
- とんねるずの日テレ新番組交渉をする際、「ねるとん紅鯨団」のロケ現場をテリー伊藤から聞き出し2年間に渡り同行、収録終了後にゲリラ的に交渉した。その後「生ダラ」のサブプロデューサー・演出に就任、編成担当から番組制作に復帰。
- メインプロデューサー兼演出を担当した「進め!電波少年」や、「雷波少年」では、「Tプロデューサー」や「T部長」として、『インペリアル・マーチ』をBGMに、「Tプロデューサー」時代は革ジャンを着て、「T部長」時代はブロンド美人秘書を従えスーツを着て、いずれも後ろ姿(なるべく顔は映らないようにしていたが、顔にモザイクをかけるなどの処理は一切なし)で番組に登場。また「朋友」として「アフリカ・ヨーロッパ縦断ヒッチハイク」に参加した伊藤高史は出演終了後、同曲に怯えるようになり、しばらくトラウマになったと証言している。電波少年では同僚でCPの吉川圭三と共にアイマスク、ヘッドフォンを無名芸能人に付けさせてその挑戦させる場所へ連れて行く手法(脱走しない様にスタッフが手錠を付けた説もある)や好評だった懸賞生活やスワンボートの旅がせっかくゴールしたのに企画をエスカレートしてさらに続行させた事で、「無名芸能人の挑戦」路線を続けさせるなど、冷酷な一面を見せていた(ただし、スワンボートの場合は第1弾で東京での到着が遅れてしまったペナルティで仙台に行かせた)。
- 2000年末の年またぎ番組で、21世紀を迎えるカウントダウンを2分間フライングする「演出」をして、視聴者から顰蹙を買う。
- 「ほぼ日刊イトイ新聞」で糸井重里と対談(「おもしろ魂。」という対談集連載も)。
- 「進め!電波少年」でフジテレビ在籍時の横澤彪にアポなしロケを行い、横澤の吉本興業への移籍を祝った。後に横澤とは講演会やフォーラム等で共演を果たしており、2011年の横澤の逝去時にはツイッタ―で故人を偲んだ。
- 編成部長時代の2001年に『おはよう日本』の視聴率上昇の影響を受けて、朝時間帯の大改革として、『ズームイン!!SUPER』をスタートされた。
- 横澤の部下であり、フジテレビエグゼクティブディレクターの三宅恵介とは萩本欽一と師弟関係であるという共通点があり、古くから親交がある。三宅とはフジテレビの特番「悪いのはみんな萩本欽一である」(2010年3月17日放送)でテレビ初共演を果たした[5]。
- 業界内の正直な意見として「実は、ぼくら地上波のテレビをやっている人たちは、視聴者を信じていないんですよ。見ている人のことを、かなりモノがわからない人だと想定して、その人たちにどう見せるかと工夫しているんです。ものすごく悪い言い方をすると、もう「馬鹿にどう見せるか」と、みんな絶対にクチには出さないけれども、どこかの所ではみんながそう思っているようなフシがありますね」と述べている[6]。
- 2009年(平成21年)1月21日放映のデジタルの根性で千原ジュニアによるドッキリ企画として有吉弘行と再会。打ち合わせの際、「言ってみれば、有吉と僕は電波少年を作り上げた同士の様なもの。10年ぶりとはいえ、会ったら『土屋さん!お久しぶりです!』ってハグぐらいはしてくるはず」と語った。しかし実際は有吉は「えっ、えっ、今度はどこへ連れて行かれるんですか!?」と怯え通しで、有吉曰く「滅茶苦茶トラウマになっている」(有吉が帰った後、ジュニアに「ハグ?同士?どこがやねん!!」とツッコまれた)。番組内で有吉から「出たがりブタ野郎」というあだ名をつけられる。
- 元フジテレビアナウンサーで女優の山村美智は大学時代からの友人であり、この縁で山村は当時フジテレビの局アナという立場ながら、日本テレビ社員である土屋の結婚式の司会を土屋の日本テレビの同期である白岩裕之アナウンサー(現フォアキャスト・コミュニケーションズ代表取締役社長)と共に務めている。
- 日本テレビアナウンサー、小熊美香の高校時代の恩師と従兄弟関係にある。[7]
- 24時間テレビ 「愛は地球を救う」
- 日本テレビ採用試験で第1回の24時間テレビ 「愛は地球を救う」(1978年(昭和53年))をベタぼめし入社。
- 入社直後の数年間、24時間テレビチャリティー委員会に所属。
- 1994年の「24時間テレビ17」で深夜コーナーの演出・プロデューサーを担当。「ビートたけしのお笑いウルトラクイズ」でも使われた「人間水車」を出川哲朗らにやらせるなど明らかに番組の趣旨と違う演出を行ったため、24時間テレビの製作部門を追放された。
- 2005年8月28日の「24時間テレビ28」にて生出演して電波少年の裏話をしていた。
- 2009年8月30日の「24時間テレビ32」、有吉のヒッチハイク再会企画に出演。
- 2014年3月31日の有吉反省会2時間スペシャルに反省人として出演し前述のデジタルの根性や後述のゼロテレビの様に有吉を巻き込もうとするが、有吉より言い渡された土屋自身の禊として日本縦断ヒッチハイクを決行。[8]
- 2014年7月28日、『SKE48 エビショー!』番組終盤に臨時講師として登場し、松村香織と谷真理佳にアイマスクとヘッドフォンを装着させ、宗谷岬へ連れ去った。前述の有吉反省会での日本縦断ヒッチハイクの土屋自身の禊を実行させる為、谷や松村をヒッチハイクの旅に同行させた。[9]
他局出演
- 1993年4月7日、NHK教育テレビ『天才てれびくん』「天てれPR作戦」に出演。
- 2004年11月1日、関西テレビ『SMAP×SMAP特別編「〜ホントにあった笑の話〜TRUE LAUGH」』に出演。
- 2005年2月13日、TBSテレビ『サンデージャポン』に出演、日テレの裏番組(いつみても波瀾万丈・@サプリッ!)や、映画「MAKOTO」(君塚良一脚本・監督)の宣伝をした。ちなみに「他の局に来るなよ」と電波少年をやっていたことを棚に上げて嫌がるのがお約束となっている。
- 2006年4月28日深夜、テレビ朝日『朝まで生テレビ!「激論!テレビに明日はあるか?! 」』に出演。
- 2006年10月16日 - 10月19日、J-WAVE『OH! MY RADIO』RE-FLEX VOXで田島貴男と対談。
- 2007年4月19日・4月26日、J-WAVE『TOMORROW』に出演。当時のキャスティングについて、「猿岩石以外芽が出ず、その猿岩石も一発屋。俺は本当に人を見る目が無い。」と反省していた。
- 2007年10月29日、TBSラジオ、『こちら山中デスクです』「放送では言えなかった現場の話」に出演。
- 2008年1月4日、BS11デジタル『大人の自由時間新春スペシャル テレブリッド』にVTR出演。「テレビは観ますか?」との問いに対し「観ないよ。全く」「この前、でも『M-1』は観たな。はじめて全部観た。面白かった。プロが認めるお笑いって今これだよっていうことをいっているから、だから面白かったね。だからあの番組は必要だよね」と語った。
- 2008年、TOKYO FM『鈴木敏夫のジブリ汗まみれ』に出演。
- 2009年8月20日・8月27日、TOKYO MX『博士の異常な鼎談』に出演。
- 2009年9月3日、NHK総合テレビ『地頭クイズ ソクラテスの人事』に出演。
- 2009年10月11日、テレ朝チャンネル『FACTORY_A』に出演。
- 2010年3月17日、フジテレビ『悪いのはみんな萩本欽一である』に出演。
- 2010年5月16日、読売テレビ『たかじんのそこまで言って委員会』に出演。
- 2010年5月29日、読売テレビ『増刊!たかじんのそこまで言って委員会』に出演。
- 2010年9月30日深夜、TBSテレビ『テリー伊藤伝説! 〜還暦を祝ってテリー伊藤の生前葬〜』に出演。
- 2012年2月4日、フジテレビ『新・週刊フジテレビ批評』に出演。
- 2012年11月26日 - 2014年7月23日、NOTTV『テレビをほめるYESTV』にレギュラー出演[10]
- 2013年2月1日、NHK総合テレビ『1000人が考える テレビ ミライ』に出演。
- 2013年2月1日深夜、NHK総合テレビ『NHK×日テレ 60番勝負』に出演。
- 2013年4月26日、RFラジオ日本『僕も私もジャイアンツナイター』に出演
- 2013年5月26日、TOKYO FM『松任谷正隆 DEAR PARTNER』に出演
- 2013年7月3日、ゼロテレビ『めちゃ×2ユルんでるッ?』にサプライズ出演(見学のついで、テレビとは『冒険』と寸評)
- 2013年9月23日、高須光聖主宰のYoutube生配信番組『Youtubeエンタメウィークファイナル!』に出演、Youtubeエンタメウィーククリエイター3位のプレゼンターを勤め、ハングアウトで土屋自身の自前Youtube配信番組『100時間うらどりプレス』で『Youtubeエンタメウィークファイナル!』の土屋出演の様子の一部を同時放送した。
- 2014年3月10日 - 3月26日、テレビ金沢『となりのテレ金ちゃん』の金沢駅で逢いましょうロケに出演。[11]
- 2014年7月12日、BS朝日『激論!クロスファイア』に出演。
- 2014年7月29日 - HBCラジオ『山ちゃん美香の朝ドキッ!』アポ無し乱入[12]
著書
- 電波少年最終回(日本テレビ放送網,2001年)
- 一歩60cmで地球を廻れ 間寛平だけが無謀な夢を実現できる理由(共著:比企啓之,ワニプラス,2009年)
受賞歴
- 1998年、日本文化デザイン賞
- 2000年、第17回ATP賞2000個人賞
- 2007年、第5回Webクリエーション・アウォード「Web 人賞」
脚注
外部リンク
- テンプレート:Twitter
- LIFE VIDEO
- セカンドライフブログ
- ほぼ日「おもしろ魂。」対談
- ほぼ日対談「電波少年的放送局」にて
- 『電波少年』のTプロデューサー、土屋敏男インタビュー - CINRA MAGAZINE vol.19/2008年10月20日掲載
- 土屋敏男さんが語る“デキる社員”の条件 (jinjour 2011年6月7日掲載)
- クリエイティブとはいくらなのか?
- テンプレート:YouTube
- テンプレート:Google+
テンプレート:電波少年シリーズ テンプレート:ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!
テンプレート:ウッチャンナンチャンのウリナリ!!- ↑ 池田信夫blog
- ↑ 『電波少年最終回』著者紹介 参照
- ↑ 日本テレビ:新会社設立“T部長”こと土屋敏男が“T社長”へまんたんウェブ 2012年6月15日
- ↑ 水道橋博士のメルマ旬報
- ↑ 「ほぼ日刊イトイ新聞」など、テレビ以外のメディアで対談を行った事は過去にもある。
- ↑ ほぼ日刊イトイ新聞 糸井重里との対談 2002年6月24日
- ↑ 小熊のベア部屋 小熊の反省ブログ
- ↑ 有吉弘行いわく『20年越しの仕返し』
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ http://tv1.nottv.jp/variety/yestv/
- ↑ 土屋出演の金沢駅で逢いましょうロケは、2014年2月13日収録。嵐を呼ぶ男 /テンプレート:Twitter status
- ↑ テンプレート:Twitter status - 前述の有吉反省会の禊&SKE48 エビショー!日本縦断ヒッチハイクの旅絡み