那覇市
テンプレート:Infobox 那覇市(なはし、沖縄方言:ナーファ、ナファ[1])は、沖縄本島南部の中核市で、沖縄県の県庁所在地である。
目次
概要
沖縄県の政治・経済・文化の中心かつ人口最大の都市であり、また国際空港である那覇空港や、県外や周辺離島とを結ぶ那覇港を擁することから沖縄県の玄関口としての役割も担っている。
面積は日本の全都道府県庁所在都市の中で最も小さく、人口密度は首都圏と近畿圏を除いた地域としては全国で最も高い。また、那覇空港が市域面積の8%以上を占め、そのなかには自衛隊を含む。この他在日米軍の施設や那覇港の港湾施設の分も考慮に入れると、実際の都市活動に使用できる面積は限られる。さらに、那覇空港の制限表面により、市街地の多くは超高層ビルや超高層マンションを建てることが出来ない[2]。最近では航空規制の影響が無いおもろまちを中心とした那覇新都心を中心とした北部エリアや牧志地区などに超高層ビルが建ち始めている。
都市化に伴って周辺自治体のベッドタウン化が進み、那覇市を中心市とする那覇都市圏の人口は約78万人(都市雇用圏 - 2005年)となっている。なお、地方での人口減少が深刻な問題になっている今日においても那覇市及び那覇市の周辺自治体では人口増加が著しく、2014年7月現在の都市雇用圏人口は約82万人(10%流入人口)。さらに那覇市を中心とした沖縄本島中南部圏の人口は面積478km²に対し約117万人(推計人口2014年7月1日現在)を超える国内でも有数の人口集中地区である。
市の中心部は国場川(漫湖)、及び安里川に囲まれた平地地帯に広がり、那覇市、及び沖縄県の主要施設の多くがそこに立地している。近年では1987年に米軍の牧港住宅地区が全面返還されたことにより、那覇新都心として開発が進み、中心地に置かれていた企業本社などの一部が移転しており、新たな中心部となっている。
また、中心部周囲の丘陵地はほぼ全て市街化(主に住宅地)され、元々の地形の高低から立体的な都市景観を見せる。一時は琉球王国時代の首都でもあった首里地区は海抜100m程度の高台の上に位置し、場所によっては那覇市全域を見渡すことも可能である。
観光面では、市の中心部の国際通り、市東部の高台にある首里地区の首里城(琉球王国の王府。2000年12月に世界遺産・琉球王国のグスク及び関連遺産群として登録)が中心であったが、近年、前述の在日米軍住宅地の跡地が那覇新都心として開発が進んでおり、2004年12月に世界最大規模で国内では唯一の空港外大型免税店であるDFSギャラリア・沖縄がオープンした。海に面しているが、那覇空港や那覇港などの施設が海岸線のほとんどを占めているため、海水浴場は1991年に供用開始された波の上ビーチ(人工海浜)のみとなっている。名産品として壺屋焼や泡盛などがある。
2006年に中核市指定要件の1つである面積要件が撤廃された事を受け、本市は中核市移行を目指していた[3][4][5]。そして2012年10月19日に行われた閣議により、那覇市を中核市へ指定する政令を決定した[6][7][8]のち、2013年4月1日をもって全国で42番目の中核市に移行した[9]。
地理
沖縄本島南部の西海岸に位置し、東シナ海に面している。市中央部がほぼ平坦で、周辺部に小高い丘陵地帯が取り巻くように展開し、市内を東から西に国場川や安里川が流れ、東シナ海に注いでいる。豊見城市との市境にある漫湖はラムサール条約に登録されている。
気候
平均気温が約23度、年間降水量は2000mm以上と高温多湿な亜熱帯性の気候(ケッペンの気候区分では、温帯湿潤気候(Cfa))を示す。冬でも最低気温が10度を下回ることは極稀で、また海洋性気候のため、真夏の最高気温が30度を超える日(真夏日)は多いものの35°Cを超える日(猛暑日)は殆ど観測されない(2001年8月9日の最高気温が35.6°Cと、2011年8月時点で全国都道府県庁所在地の最高気温記録の中で最も低い記録である。)。
人口
歴史
琉球王国時代
那覇は国場川河口の港で、安里川河口の泊(とまり、現在は那覇市の一部)の港とともに、古くから琉球王国の首都・首里の貿易港として、東アジアや東南アジア一帯の中継貿易拠点として栄えてきた。
かつて那覇は国場川・安里川の河口の湾に散在した島々で、その一つの浮島は尚巴志王によって小さな港が整備されていた。1451年、尚金福王が明からの冊封使を迎えるため、中国人の懐機に命じて「長虹堤」と呼ばれる長さ1km に及ぶ堤道を建設させて沖縄本島の安里川側と繋いだ。陸路交通が整備されたことから港としての発展が始まり、那覇四町(西・東・若狭・泉崎)と呼ばれる市街地が形成された。
近くの久米村には中国・福建省などからの「閩(びん)人三十六姓」(久米三十六姓)と呼ばれる移民が住み、これら三十六姓の末裔は、進貢使・通訳・造船など琉球の貿易と外交を支える仕事に従事してきた。
また倭寇などの襲撃からの防御のため、那覇港沖の海上にある島に城壁を築いて堤道を作り、国場川河口の那覇港の南北に防御用の砲台「三重城」(みえぐすく)「屋良座森城」(やらざもりぐすく)が完成した。同時に、那覇港の中央の島には御物城と呼ばれる貿易用倉庫が造られている。さらに那覇港の対岸にあたる南側の垣花などにも市街地や港湾が広がった。(那覇港の南岸は第二次大戦後更地になり、米軍の那覇軍港となっている。)
久米村、長虹堤、三重城など那覇の名所は中国人により「球陽八景」と謳われ、葛飾北斎の浮世絵「琉球八景」にも描かれているが、島だった那覇は土砂の堆積により琉球王国末期には本島につながっている。
琉球処分から第二次世界大戦まで
近代以後も沖縄県の物資集積地、商業都市として繁栄し、海が埋め立てられ那覇は完全に地続きとなった。だが、1944年10月10日の十・十空襲と、1945年4月から始まる沖縄戦により市街地は完全に破壊された。
- 1879年(明治12年) - 沖縄県庁を設置。以降沖縄の行政の中心に。また、それまで那覇四町と呼ばれていた西・東・若狭・泉崎へ、新たに泊・久米・久茂地を編入。
- 1896年(明治29年) - 沖縄県区制の施行により、那覇区となる。
- 1903年(明治36年) - 島尻郡真和志間切から牧志村、小禄間切から垣花地区(湖城村と儀間村の一部)を編入。
- 1908年(明治41年)4月1日 - 島嶼町村制施行に伴い、周辺の各間切が町村に。
- 1914年(大正3年)- 島尻郡真和志村から壺屋地区を編入、新規埋立地を旭町と命名し編入。
- 1921年(大正10年)5月20日 - 特別区制を廃止し、市制を施行して那覇市となる。
- 1921年(大正10年)12月19日 - 市章を制定する[10]。
- 1944年(昭和19年)10月10日 - 那覇を中心とした沖縄県への米軍の大空襲(十・十空襲)により、壊滅的被害を受ける。
- 1945年(昭和20年) - 太平洋戦争での空襲および陸上戦(沖縄戦)により街が壊滅。首里城も破壊された。米軍の全面占領下となり、立入禁止に。
第二次世界大戦以降
戦後は、旧那覇市中心部は米軍の管理下に置かれ、軍施設から1マイル以内は立ち入りが許されず、住民の多くは県北部の収容所に移されていた。生活物資不足の解消のため、1945年11月、那覇市壷屋地区の窯業関係者たちがまず帰郷を許され、103人の職人が入市。さらに12月には牧志地区の瓦職人ら136人が入市した。続いて家族や親類縁者が移り住み、これにまぎれて許可のない住民も次々と那覇に住み着いたため、壷屋から新県道(現在の国際通り)の一帯に次々と集落が生まれ、闇市も自然発生的に拡大した。
こうした中、住民の高良一が米軍と直接交渉し、米軍の物資集積所があった新県道沿いの土地(現在のてんぶす那覇あたり)に1948年1月ごろ、映画館「アーニー・パイル国際劇場」を開館させた。以後、周辺は商業地として急速に発展し、新県道は「国際通り」として「奇跡の1マイル」と呼ばれるようになる。
- 1945年(昭和20年)11月 - 産業復興を名目として陶器製造産業先遺隊が壺屋へ入る。
- 1946年(昭和21年)1月3日 - 糸満地区管内壺屋区役所が設置され、復興が本格化。その後、民政府などの中央機関が那覇へ移転。
- 1949年(昭和24年)12月9日 - 米軍政官が「那覇を沖縄の首都とする」と発表。
- 1950年(昭和25年)8月1日 - 島尻郡みなと村を編入。
- 1954年(昭和29年)9月1日 - 首里市及び島尻郡小禄村を編入。
- 1956年(昭和31年)- 立法院で首都建設法が制定され、琉球政府・沖縄の首都としての整備が開始される。
- 1957年(昭和32年)12月17日 - 真和志市を編入。
- 1965年(昭和40年)9月1日 - 市旗を制定する[11]。
- 1972年(昭和47年)5月15日 - 沖縄返還により本土復帰。自衛隊員の家族の住民票拒否など憲法違反の行動を取り、問題となった。
- 1975年(昭和50年)4月1日 - 中頭郡西原町の一部を編入。
- 2003年(平成15年)8月10日 - 沖縄県における戦後初の軌道法による鉄道、沖縄都市モノレール(ゆいレール)が開業。
- 2009年(平成21年)9月24日 - 老朽化した市役所本庁舎を解体し、新たに建設する(2012年12月完成予定)ため、那覇新都心の仮庁舎に一時的に移転[12][13]。
- 2010年(平成22年)4月3日 - 那覇市営奥武山野球場(沖縄セルラースタジアム那覇)が落成[14]。
- 2013年(平成25年)4月1日 - 沖縄県内で初の中核市に移行[15]。
市名の由来
「那覇(なは)」の語源は、漁場を表す「なふぁ」からきている[16]。この由来は、那覇市のサイトにも、伊波普猷の唱えた説として紹介されている。なお、那覇を本来の表記で表すと外字にあたるため、那覇市では人名用漢字を使用している。本来、「那」は左側の2本の横線を縦線の右まで突き通し、「覇」は西の下部にある一本線がない形(襾)になる[17]。
- Flag of Naha, Okinawa.svg
那覇市旗
- Symbol of Naha, Okinawa.svg
那覇市章
行政
歴代市長
期 | 氏名 | 就任年月 | 退任年月 |
---|---|---|---|
市長代理 | 山城正馴 | 1921年5月 | 1921年9月 |
1 | 当間重慎 | 1921年9月 | 1923年9月 |
2 | 麓純義 | 1923年12月 | 1925年7月 |
3 | 岸本賀昌 | 1925年10月 | 1928年2月 |
4 | 小嶺幸慶 | 1928年3月 | 1931年7月 |
5 | 照屋宏 | 1931年8月 | 1935年8月 |
6 | 金城紀光 | 1935年8月 | 1939年8月 |
7 | 当間重剛 | 1939年9月 | 1942年12月 |
8 | 崎山嗣朝 | 1943年3月 | 1944年7月 |
9 | 富山徳潤 | 1943年3月 | 不詳 |
臨時市長 | 兼島景義 | 1945年4月 | 1945年7月戦死 |
10 | 当間重剛 | 1946年4月 | 1946年6月 |
11 | 東恩納寛仁 | 1946年7月 | 1948年2月 |
12 | 仲本為美 | 1948年3月 | 1949年11月 |
市長代理 | 賀数世隆 | 1949年11月 | 1949年12月 |
13 | 当間重民 | 1949年12月 | 1952年2月 |
14 | 又吉康和 | 1952年3月 | 1953年9月 |
15 | 当間重剛 | 1953年11月 | 1956年11月 |
16 | 瀬長亀次郎 | 1957年1月 | 1957年11月 |
臨時市長 | 東江誠忠 | 1957年11月 | 1958年1月 |
17 | 兼次佐一 | 1958年1月 | 1962年1月 |
18-19 | 西銘順治 | 1962年1月 | 1968年10月 |
20-23 | 平良良松 | 1968年12月 | 1984年11月 |
24-27 | 親泊康晴 | 1984年12月 | 2000年11月 |
28-31 | 翁長雄志 | 2000年12月 | (現職) |
市民意見提出制度
市民生活に広く影響を及ぼす市の計画や条例などを立案するにあたって、那覇市民に対しこれらの案の趣旨や内容などを公表し、それに対する意見を広く募集する制度を設けている。また、その結果も公表している。
従来はパブリックコメントとして試行していたものが手直しされ、2005年(平成17年)度より現行制度としているものである。[18]
行政区画
市域面積のテンプレート:自治体面積/沖縄県km²に対して、人口密度はテンプレート:日本の市/round人/km²(テンプレート:自治体人口/沖縄県現在)で、都道府県庁所在地では東京特別区(テンプレート:日本の市/round人/km²、テンプレート:自治体人口/東京都現在)、大阪市(テンプレート:日本の市/round人/km²、テンプレート:自治体人口/大阪府現在)、横浜市(テンプレート:日本の市/round人/km²、テンプレート:自治体人口/神奈川県現在)に次いで4番目に高い。
なお、面積は全国の都道府県庁所在地では最小である。(東京都新宿区を1つの市と同格と見なせば2番目に小さい。)
市町村合併
いわゆる平成の大合併においては、南風原町および周辺離島の渡嘉敷村・座間味村・粟国村・渡名喜村・南大東村・北大東村による枠組みで任意協議会が設置され検討が行われた[19]が頓挫し、同協議会も2003年11月4日をもって解散した[20]。なお、上記の町村はいずれも、平成の大合併においては合併の選択を取らなかった。
市議会
議員定数40(2009年改選前44)
- 議長:安慶田光男
- 副議長:糸数昌洋
会派別勢力
国の行政機関
市内に所在する国の行政機関を以下に列挙した[21]。
領事館
- テンプレート:Flagicon在那覇アメリカ合衆国総領事館 (所在地は浦添市)
- テンプレート:Flagicon台北駐日経済文化代表処那覇分処
軍事施設
専用施設
共同利用施設
姉妹都市・友好都市
日本国内に2都市、国外に3都市との姉妹・友好都市をそれぞれ締結している[22]。
日本国内
日本国外
- テンプレート:Flagicon アメリカ合衆国・ハワイ州ホノルル - 1961年(昭和36年)1月10日締結
- テンプレート:Flagicon ブラジル・サンパウロ州サンビセンテ - 1978年(昭和53年)10月23日締結
- テンプレート:Flagicon 中国・福建省福州市 - 1981年(昭和56年)5月20日締結
経済
産業
観光業が盛んである故、全事業所数に対する第三次産業の事業所数の割合は約93.3%と非常に高く、農業・漁業などの第一次産業は著しく少ない。また業種別では小売業(26.3%)、飲食・宿泊業(20.7%)、不動産業(11.9%)とサービス業が目立つ[23]。また、市内に那覇空港があることから、ビジネス客や観光客の多くが那覇を訪れている。中心市街地の国際通りは、従来は地元の人を対象として店が多かったが、観光客の増加により観光客相手の土産品店が増え、現在では常時観光客で賑わいを見せている。
本社を置く主な企業
公共交通の便がよく、政治・文化の中心地であることから多くの本社が存在するが、広い土地を得るのが難しく、周辺市町村より地価も高いため、広大な土地を必要とする企業の本社は、郊外(那覇市外)に立地することが多い。
金融機関
- 日本銀行那覇支店
- 琉球銀行
- 沖縄銀行
- 沖縄海邦銀行
- 沖縄県労働金庫
- 沖縄県農業協同組合(JAおきなわ)
- コザ信用金庫(本店は沖縄市) 那覇支店・開南支店・安里支店・小禄支店
- みずほ銀行(本店は東京都) 那覇支店
- 商工組合中央金庫(本店は東京都) 那覇支店
- ゆうちょ銀行(本店は東京都) 那覇支店(美栄橋郵便局内)
主な商業施設
- 国際通り周辺
- 小禄地区
地域
市役所本庁舎以外に、1954年と1957年に2市1村を併合する前の旧市村ごとに、那覇市役所真和志支所、同首里支所、同小禄支所の3支所を設置している。基本的に那覇市はその4地区に区分できるが、那覇新都心が開発されてからは同地区も含めて5つの地域に区分できる。那覇市内の地名は以下に挙げている。(★印は住居表示実施地区。△印は無住地域。)
本庁管内
大部分は1954年以前から那覇市であった地域。その後埋め立てにより区域が拡大。
- 壺川(つぼがわ)1~3丁目:一部地域を除き★
- 壺屋(つぼや)1丁目★
- (2丁目は真和志支所管内に属する。)
- 安謝(あじゃ)1~2丁目★
- 天久(あめく)1~2丁目★
- 上之屋(うえのや)1丁目★
- おもろまち1~4丁目★(おもろ町と表記するものがあるが正式にはすべて平仮名表記)
- 銘苅(めかる)1~3丁目★
真和志(まわし)支所管内
旧真和志市。戦後、不規則な宅地化(スプロール現象)が進んだ。
- 安里(あさと)
- 字安里、安里1~3丁目★
- 上間(うえま)
- 字上間、上間1丁目★
- 字国場(こくば)
- 古波蔵(こはぐら)1〜2丁目★(3,4丁目は本庁管内。)
- 識名(しきな)
- 字識名、識名1~4丁目 ★
- 字大道(だいどう)
- 壺屋(つぼや)2丁目★
- (1丁目は本庁管内に属する。)
- 字仲井真(なかいま)
- 長田(ながた)1~2丁目★
首里(しゅり)支所管内
旧首里市(1921年、那覇市と共に市制施行)。那覇市との合併時から、古都・首里の名を残そうという地元住民の強い願いがあったため、この地域の町名の頭には現在も「首里」の名を冠する。なおここでは「首里」の振り仮名を省略する。
なお、全域住居表示が実施されていない地域である。
小禄(おろく)支所管内
旧小禄村。ほぼ全域で土地区画整理が進んでおり、住宅街としても整備されている。県外からの移住者の転居地としても人気のある地域といわれている。
- 赤嶺(あかみね)
- 字赤嶺△、赤嶺1~2丁目
- 宇栄原(うえばる)
- 字宇栄原、宇栄原1~6丁目★
- 小禄(おろく)
- 字小禄、小禄1~5丁目:1丁目のみ★
- 字安次嶺(あしみね)
- 字大嶺(おおみね)△
- 金城(かなぐすく)1〜5丁目
- 字鏡水(かがみず)
- 鏡原町(きょうはらちょう)★
- 具志(ぐし)
- 字具志△、具志1~3丁目★
- 高良(たから)1~3丁目★
- 田原(たばる)
- 字田原、田原1~4丁目
- 字当間(とうま)
- 宮城(みやぐすく)
- 字宮城△、宮城1丁目★
インフラの整備
上水道
テンプレート:See also 上水道は戦前は宜野湾市の湧水を利用した給水を行っていたが、沖縄戦で施設の多くが破壊され、戦後、本格的に水道事業を再開したのは、1954年年3月の泊浄水場の返還以降である[24]。主な水源地は沖縄本島北部、やんばると呼ばれる地域のダムとなっている。
2009年現在、沖縄県企業局からの供給に全面的に依存している[25]。米軍による占領時期には、米軍から水道水の供給を受けたこともある[26]。なお、渇水による給水制限がたびたび実行されており、最も顕著な例として、1989年度は、3月6日から31までの26日間、更に翌1990年度は4月1日から26日まで26日間、地域別で24時間の隔日給水がなされた事がある。しかしながら1993年度を最後に渇水による断水という事態には、一度も陥っていない[27]。
2009年度末現在の一日最大配水量は159,810m3となっている[28]。ちなみに最大の大口利用者は、航空自衛隊那覇基地である[29]。
下水道
下水道が整備されはじめたのは、1969年からであり[30]、2011年度末時点での下水道普及率は89.1%となっている[31]。各所にポンプ施設があるが、最終的には沖縄県那覇市西にある那覇浄化センター(みずクリン那覇)で処理[32]、放出される。1日の最大処理量は、約179,000m3であるが[33]、那覇市の事業計画[34] では、2009年度で1日当たり最大で163,500m3となっている[35]。
ガス
2010年現在、沖縄ガスが市内で都市ガスの供給を行っているが、プロパンガスが使われている事例も多い[36]。
電気
2010年現在、沖縄電力により提供されている。発電形態としては沖縄県の地域性として水力や原子力によるものは困難であることから、大半を火力発電に依存している[37]。
健康
医療
与儀にあった沖縄県立那覇病院は南風原町に新設された沖縄県立南部医療センター・こども医療センターに統合され、泉崎にあった泉崎病院はおもろまちメディカルセンターとして上之屋(那覇新都心)に移転した。2009年には沖縄協同病院が豊見城市真玉橋から那覇市古波蔵に、大浜第一病院が市内安里から字天久に移転した。また2010年7月には沖縄赤十字病院が古波蔵から沖縄県立那覇病院の跡地に移転した。
- 那覇市立病院(古島2-31-1)
- 日本赤十字社 沖縄赤十字病院(与儀1-3-1)
- 特定医療法人葦の会 オリブ山病院(首里石嶺町4-356)
- 医療法人天仁会 天久台病院(字天久1123)
- 医療法人禄寿会 小禄病院(字小禄547-1)
- 医療法人社団輔仁会 田崎病院(字松川319)
- 医療法人新西会 西武門病院(東町5-22)
- 医療法人おもと会 大浜第一病院(字天久1000)
- 医療法人寿仁会 沖縄セントラル病院(与儀1-26-6)
- 医療法人祥杏会 おもろまちメディカルセンター(上之屋1-3-1)
- 医療法人陽心会 大道中央病院(安里1-1-37)、メディカルプラザ大道中央(大道123)、大道リハビリテーション病院(安里1-468-59)
- 医療法人はごろも会 仲本病院(古島1-22-1)
- 沖縄医療生活協同組合 沖縄協同病院(古波蔵4-10-55)
- 医療法人かびら会 川平病院(古波蔵3-5-25)
福祉
- 社会福祉法人沖縄県社会福祉協議会 沖縄県総合福祉センター(首里石嶺町4-373-1)
- 社会福祉法人那覇市社会福祉協議会 那覇市総合福祉センター(金城3-5-4)
保健
- 那覇市保健所
衛生
- 那覇市・南風原町環境施設組合(市に隣接する南風原町新川にごみ処理施設等がある)
広報活動
市の一般的な広報活動は、秘書広報課により行われている[38]。
主な広報媒体として、広報紙『なは市民の友』(毎月1回発行、全戸配布)、ラジオ番組『那覇市民の時間』(年度のうち半年づつ、琉球放送およびラジオ沖縄で週1回放送、10分番組)のほか、ウェブ媒体によるもの(公式サイト内「なは市政NAVI」および、利用者が登録した分野や施設についての情報を配信するメールマガジン「情報パック なはメール」)などがあり、このうち広報紙については視覚障害者向けに録音テープ版や点字版も制作されている[39]。
『那覇市民の時間』でも流される『那覇市歌』(安藤佳翠 作詞、宮良長包 作曲)は、第二次世界大戦前に制定された。戦災により正確な制定年は不詳であるが、市によると1929年(昭和4年)頃ではないかとしている。楽曲および譜面は、市のウェブサイトでダウンロードが可能である。[40]
公共サービス
警察
消防
- 那覇市消防局 - 管轄区域は市内全域。
公共施設
公園
運動施設
- 沖縄県営奥武山公園
- 那覇市営奥武山野球場(沖縄セルラースタジアム那覇)
郵便・情報通信
郵便
市内には3つの集配郵便局がある。
- 那覇中央郵便局
- 那覇東郵便局
- 管轄は真和志地域(一部を除く)。郵便番号は902-00xx(大口事業者は902-85xx、902-86xx、902-87xx)。
- 首里北郵便局
- 管轄は首里地域。郵便番号は903-08xx(大口事業者は903-85xx、903-86xx、903-87xx)。
無集配郵便局 テンプレート:Col
電話
復帰前は市外局番が08(隣接する当時の豊見城・南風原両村も同じ局番だった)で、2 - 5と8の5つの1桁の市内局番が存在していた(当時の那覇市内の電話番号表記はほとんどが市外局番の08を省略していた)。復帰前年の1971年にこれまでの市内局番の頭に1桁増やし2桁となった(2 - 4は頭に3がついて32 - 34、5は55、8は68にそれぞれ変更)。復帰と同時に市外局番が0988となり、数年間で半分以上の地域の市内局番が変更された(市西部は60番台、小禄は57 - 59、首里など市北東部が84 - 87に変更)。そして1990年12月には市外局番が現在の098に変更され、これまでの市外局番の末尾だった「8」が市内局番の頭となり3桁化された。0988時代は那覇市のほか隣接する浦添市・南風原町・豊見城村のみだったが、098になった後は恩納村・宜野座村以南の沖縄本島中南部全域と周辺離島(久米島・慶良間諸島・粟国諸島)も同じ市外局番となり、沖縄県内の大半がこの市外局番のエリアとなった(単位料金区域が同じ那覇MAであるため)。沖縄県内向けには那覇市も含めこれらの地域の電話番号を紹介するとき、市外局番の098を省略することが多い(テレビやラジオでも省略する)。逆にエリア外である名護市以北の本島北部や先島諸島では市外局番が0980であるため「0980-xx-yyyy」と電話番号表記するところを間違って「098-0xx-yyyy」と表記する場合も時々ある。
那覇市内の市内局番は3桁化後、8から始まっていたが、1990年代後半から「941」や「951」といった9から始まる市内局番も出てきている(逆に糸満市や南城市などの本島南部では9から始まっていたが、8から始まる市内局番が出てきた)。
メディア
新聞
地方紙
那覇と全国紙
朝日新聞や毎日新聞・読売新聞などの全国紙は、輸送事情により、当日朝刊は前日夕刊と一緒に午後に配達している。そのため那覇市はもとより、沖縄県内では駅売等の直接販売がない。 米軍基地問題関連等、安全保障に関するニュースが都度発信される場所柄、全国紙は、「那覇支局」・「那覇総局」(朝日新聞)を開設している。
なお、2008年11月1日より、日本経済新聞が琉球新報社による委託印刷を開始(全国紙初)。朝夕刊共、地方紙と同時に配達を開始している(2008年6月20日付日本経済新聞朝刊より)。
放送
- NHK沖縄放送局(総合・地デジ1ch/教育・地デジ2ch/ラジオ第1・549kHz/第2・1125kHz/FM・88.1MHz)
- 琉球放送(テレビJNN (TBS) 系列・地デジ3ch/ラジオJRN系列・738kHz)
- 琉球朝日放送(ANN(テレビ朝日)系列。地デジ5ch)
- 沖縄テレビ放送(FNN・FNS(フジテレビ)系列。地デジ8ch)
- ラジオ沖縄(NRN系列・864kHz)
- エフエム那覇(コミュニティFM・78.0MHz)
- エフエム琉球(コミュニティFM・80.6MHz)
- 沖縄県には佐賀県・宮崎県とともにNNS(日本テレビ)系列が存在しないが、報道拠点として市内に日本テレビ那覇支局がおかれている。なお、那覇市ではケーブルテレビでもNNS系列局の視聴が不可能である。
- 全国的にみても、都道府県庁所在都市で有料サービスを含めたCATVに契約しても民放が3局止まりなのは那覇市のみ、10万以上都市でも他には沖縄県外では弘前市しかない。
- エフエム沖縄(JFN系列)の本社は浦添市にある。5大都市圏(首都圏・関西圏・中京圏・北海道・福岡県)以外で県域民放ラジオ局が3局あるのは、他には新潟県だけである。
学校
特記のないものは公立学校である。
大学・短期大学
高等学校
- 沖縄県立沖縄工業高等学校
- 沖縄県立那覇商業高等学校
- 沖縄尚学高等学校(私立、中高を併設)
- 興南高等学校(私立、中高を併設)
</div>
- クラーク記念国際高等学校 沖縄キャンパス(私立) ※単位制・通信制。北海道深川市に所在し、キャンパスが日本各地に設置されている。
- ヒューマンアカデミー高等学校 那覇学習センター(私立) ※単位制・通信制。長野県南木曽町に所在し、キャンパスが日本各地に設置されている。
- 未来高等学校 沖縄学習センター(私立) ※通信制。愛媛県松山市に所在し、キャンパスが日本各地に設置されている。
- 沖縄女子短期大学附属高等学校(私立) ※在校生徒がいない為、事実上閉校。但し、廃校とはなっていない。
中学校
- 那覇市立安岡中学校
- 那覇市立首里中学校
- 那覇市立真和志中学校
- 那覇市立石田中学校
- 那覇市立那覇中学校
- 那覇市立松島中学校
- 那覇市立城北中学校
- 那覇市立鏡原中学校
- 那覇市立松城中学校
- 那覇市立仲井真中学校
- 那覇市立金城中学校
- 那覇市立石嶺中学校
- 沖縄尚学高等学校附属中学校(私立、中高を併設)
- 興南中学校(私立、中高を併設)
小学校
2014年4月1日より久茂地小学校と前島小学校は統合され「那覇小学校」となる。
- 那覇市立壺屋小学校
- 那覇市立若狭小学校
- 那覇市立那覇小学校
- 那覇市立久茂地小学校(旧)
- 那覇市立前島小学校(旧)
- 那覇市立神原小学校
- 那覇市立真和志小学校
- 那覇市立与儀小学校
- 那覇市立城岳小学校
- 那覇市立天妃小学校
- 那覇市立開南小学校
- 那覇市立垣花小学校
- 那覇市立小禄小学校
- 那覇市立高良小学校
- 那覇市立宇栄原小学校
- 那覇市立松島小学校
- 那覇市立古蔵小学校
- 那覇市立上間小学校
- 那覇市立大名小学校
- 那覇市立石嶺小学校
- 那覇市立仲井真小学校
- 那覇市立金城小学校
- 那覇市立曙小学校
- 那覇市立小禄南小学校
- 那覇市立真地小学校
- 那覇市立さつき小学校
- 那覇市立銘苅小学校
交通
中心市街地では、戦後スプロール現象によって十分な都市基盤整備がされないまま無秩序な市街化が進んだ為、ほとんどの道路が幅員12m以下であり、慢性的な交通渋滞を起こしている。特に、国際通りやその他幹線道路の機能を補完する道路がほとんど無く、あるいは幅員が狭い区間が多い為、国際通りやその他幹線街路に余計に負担が掛かっている。
これらの渋滞を解決すべく沖縄都市モノレール線ゆいレールが開設された。また、中心市街地における駐車場の小規模さも課題の一つであり、改善が急がれている。
なお、沖縄県における県外交通の要所であり、国内でも有数の国際空港である那覇空港と、県内外への航路が集中している那覇港がある。
路線バス
沖縄都市モノレール線が開業した後も、主な公共交通機関はバスに偏っている。
特に中心市街地に於けるバス交通量は非常に多い。1997年の交通センサスによると国際通り周辺は1日1,500 - 1,600台のバスが通過しており、交通渋滞の一因ともなっているが、テンプレート:要出典範囲。
路線バスは全て民間企業により運行されており、市内に路線を有するものは以下の4社である(一部の長距離路線は除く)。主に市内交通に供する路線(均一運賃)はおおむね那覇バスが、市外から比較的長距離を運行する路線は他の3社が、それぞれ運行している。
鉄道
大正時代は沖縄県営鉄道の与那原線、嘉手納線、糸満線と沖縄電気の路面電車が市内を走り、糸満馬車軌道も市内に乗り入れていたが、昭和に入ると沖縄電気の路面電車と糸満馬車軌道がバスとの競争に敗れて廃止され、残った沖縄県営鉄道も第二次世界大戦末期に運用を停止。その後の沖縄戦で破壊されてしまい、戦後もアメリカ軍統治下の沖縄で再び敷設されることはなかったが、2003年8月10日に、戦後初の鉄道である沖縄都市モノレール線(ゆいレール)が開業し、沖縄に再び軌道交通が復活した。現在においても普通の鉄道路線は無い那覇市及び沖縄県であるが、ゆいレールは渋滞解消の切り札として注目されている。
鉄道路線が通らない市としては最も人口が多い。人口20万人以上の特別区及び市の中でJRの駅が無いのは那覇市の他には、埼玉県春日部市・草加市、東京都文京区・世田谷区・練馬区、群馬県太田市、神奈川県大和市・厚木市、愛知県豊田市、大阪府豊中市がある。これらは文京区、大和市を除きJRの鉄道路線自体が通らないことも共通する。
道路
国道
高速自動車国道
- 市内に所在するのは、これに接続する一般道である沖縄県道82号那覇糸満線の那覇IC交差点付近のみで、料金所は南風原町にある。那覇都心部からは西原ICを利用した方が便利な場合もある。また那覇市は全国の県庁所在地で唯一高速道路の本線車道が通っていない都市(高速自動車国道に限れば奈良市も通っていない都市である)。
一般国道
県道
主要地方道
- 沖縄県道82号那覇糸満線
- 沖縄県道7号奥武山米須線
- 沖縄県道29号那覇北中城線
- 那覇インターアクセス道路(地域高規格道路・計画中)
一般県道
- 沖縄県道236号玉城那覇自転車道線(「沖縄のみち自転車道」・予定)
空港
港湾
文化・観光
観光地
2000年12月に世界遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として登録された9か所の史跡のうち、那覇市内には、以下に挙げている4か所が存在している[22]。
その他の観光地
祭り
- 那覇ハーリー
- 那覇まつり
- この祭りのメインイベントである那覇大綱挽は国道58号の久茂地交差点で行われる。
- 沖縄の産業まつり
- 沖縄県内では最大の規模を持つ総合産業展である。毎年10月の3日間、奥武山公園で開催される。
神社・霊廟
出身有名人
学界
音楽
- 安室奈美恵(歌手)
- Reina(歌手、MAXのメンバー)
- Mina(歌手、MAXのメンバー)
- Lina(歌手、MAXのメンバー)
- 今井絵理子(歌手、SPEEDのメンバー)
- 上原彰兼(ロードオブメジャー・ドラム担当)
- OLIVIA(歌手)
- Cocco(歌手)
- 沢村美司子(歌手、故人)
- YASU(歌手、D-51のメンバー)
- ユウスケ(歌手、HIGH and MIGHTY COLORのメンバー、ボーカルとラップ担当)
- MEG(歌手、HIGH and MIGHTY COLORのメンバー、ギター担当)
- カズト(歌手、HIGH and MIGHTY COLORのメンバー、ギター担当)
- 新城弘明(THE GRANDWAZOO、ギター担当)
- 高良結香(歌手)
- 知念里奈(歌手)
- 知花くらら(モデル)
- 前田達也(歌手)
- 永山尚太(歌手)
- YUKINARI(歌手、DA PUMPの元メンバー)
- 宮平照美(歌手)
- NATSU(歌手、元Folder5のメンバー)
- AIMI(歌手、ステレオポニーのメンバー、ボーカル兼ギター担当)
- しおり(歌手)
- manami(歌手)
芸能
- 新垣結衣(俳優)
- 川平慈英(俳優)
- ガレッジセール(芸人、お笑いコンビ)
- 喜友名智子(エフエム那覇渉外担当)
- 国仲涼子(俳優)
- ジョン・カビラ(タレント)
- 金城功(俳優)
- 赤嶺寿乃(俳優)
- 二階堂ふみ(俳優)
- スリムクラブ(芸人、お笑いコンビ)
- しゃもじ(芸人、お笑いコンビ)
- 松島よう子(モデル)
- 平良とみ(俳優)
- 知花くらら(モデル)
- 津嘉山正種(俳優)
- 早坂好恵(タレント)
- 肥後克広(芸人、ダチョウ倶楽部の現リーダー )
- 岸本祐二(俳優)
- 小田エリカ(俳優)
- キャン×キャン(芸人、お笑いコンビ)
- セブンbyセブン(芸人、お笑いコンビ)
- 安座間美優(モデル)
- 赤嶺梨奈(モデル)
- 仲嶺奈里子(タレント)
芸術
- あだちとか(漫画家 渡嘉敷のみ)
- 山之口貘(詩人 東町大門前出身)
- 石野径一郎(作家)
- 金城次郎(陶芸家)
- 島袋光年(漫画家)
- 八木教広(漫画家)
- なかいま強(漫画家)
- 岡田あーみん(漫画家)
- 儀間比呂志(版画家)
スポーツ
- 新垣渚(プロ野球選手、福岡ソフトバンクホークス)
- 有銘兼久(元プロ野球選手、東北楽天ゴールデンイーグルス)
- 新原千恵(女子野球選手)
- 我那覇和樹(プロサッカー選手、カマタマーレ讃岐)
- 當間建文(プロサッカー選手、モンテディオ山形)
- 赤嶺真吾(プロサッカー選手、ベガルタ仙台)
- 喜名哲裕(元プロサッカー選手、ロアッソ熊本)
- 久場光(プロサッカー選手、名古屋グランパス)
- 田口泰士(プロサッカー選手、名古屋グランパス)
- 国吉真吉(空手家)
- ハリケーン照(プロボクサー)
脚注
外部リンク
テンプレート:Navbox テンプレート:日本の都道府県庁所在地 テンプレート:日本の中核市
テンプレート:那覇市の町・字テンプレート:リダイレクトの所属カテゴリ- ↑ テンプレート:Cite web - 本来は首里市、真和志市、小禄村との合併前の旧那覇市を指す。
- ↑ 那覇空港の制限表面区域図(国土交通省大阪航空局)
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite press release
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 図典 日本の市町村章 p239
- ↑ 引用エラー: 無効な
<ref>
タグです。 「flag
」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません - ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 1998年7月4日放送の出没!アド街ック天国より
- ↑ 昭和61年7月8日発行角川書店『沖縄地名大辞典』739項より
- ↑ 市民意見提出制度 - 那覇市(2013年5月21日閲覧)
- ↑ テンプレート:PDFlink(広報はえばる 2003年7月号) - 南風原町(2013年5月21日閲覧)
- ↑ 那覇市・南風原町・南部離島村合併任意協議会解散の経緯について - 那覇市(2004年6月22日更新、2013年5月21日閲覧)
- ↑ 行政機関等ガイドブック(平成18年、沖縄県版)
- ↑ 22.0 22.1 テンプレート:Cite web
- ↑ 2012年度版 那覇市統計書
- ↑ 那覇市上下水道局企画経営課『上下水道局事業概要』p.29 ちなみにこの時点では給水普及率は13%に過ぎなかった(p.21)。
- ↑ 『上下水道局事業概要』p.15、p.22等 各種給水施設で市内にあるものの多くは、市固有の設備である(p.50 - p.55)。
- ↑ 『上下水道局事業概要』p.21
- ↑ 『上下水道局事業概要』p.21 - p.24
- ↑ 『上下水道局事業概要』p.29
- ↑ 『上下水道局事業概要』p.45
- ↑ 『上下水道局事業概要』p.156
- ↑ 『上下水道局事業概要』p.112
- ↑ これは那覇市固有の処理施設ではない。
- ↑ 沖縄県土木建築部 下水道管理事務所
- ↑ 『上下水道局事業概要』p.138
- ↑ 一時間最大では239,586m3。
- ↑ 沖縄ガス株式会社 ごあいさつ によれば、都市ガスは約61,000世帯にとどまっている。ただし、都市ガス供給区図(PDF) によれば、2012年現在、供給区域自体は那覇市全域に及んでいる。
- ↑ 電気をつくる - 沖縄電力
- ↑ 秘書広報課 - 那覇市(2013年5月21日閲覧)
- ↑ なは市政NAVI - 那覇市(2013年5月21日閲覧)
- ↑ 市歌 - 那覇市(2013年5月21日閲覧)