沖縄県立那覇高等学校
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
沖縄県立那覇高等学校(おきなわけんりつ なはこうとうがっこう, Okinawa Prefectural Naha High School)は、沖縄県那覇市松尾一丁目にある県立高等学校。
概要
- 歴史
1910年(明治43年)に開校した「沖縄県立中学校(現・沖縄県立首里高等学校)分校」を前身とする。2010年(平成22年)に創立100周年を迎えた。
- 設置課程・学科
- 校訓
和衷協同・積極進取
- 校章
校名の「那」の文字の隷書体と、2枚の葉(ハ)の絵を組み合わせ、中央に「高」の文字(旧字体)を置き、那覇高を表している。
- 校歌
5番まであり、4番に校名の「那覇高校」が登場する。
- 同窓会
「城岳会」と称している。
沿革
- 1910年(明治43年)4月1日 - 「沖縄県立中学校分校」として創立。
- 1911年(明治44年)4月1日 - 「沖縄県立第二中学校」として独立。北谷村嘉手納(現:嘉手納町)に移転。
- 1919年(大正8年)4月1日 - 那覇市二中前楚辺原1番地(現在地)に移転。
- 1944年(昭和19年)10月10日 - アメリカ軍の空襲(いわゆる「十・十空襲」)により、校舎を焼失。
- 1945年(昭和20年)二中学徒は沖縄戦に協力し、数多くの学徒が戦死。6月23日、沖縄戦は終戦となる(御魂は校舎を見下ろす「城岳公園」に奉られている)。
- 1947年(昭和22年)
- 1948年(昭和23年)2月27日 - 「那覇高等学校」として独立。
- 1949年(昭和24年)
- 1952年(昭和27年)10月1日 - 定時制課程を設置。
- 1953年(昭和28年)9月5日 - 旧沖縄県立第二中学校同窓会と合併し、「城岳会」となる。
- 1960年(昭和35年)
- 3月 - 第32回選抜高等学校野球大会(春の甲子園)出場。
- 4月1日 - 那覇連合教育委員会立那覇高等学校から「琉球政府立那覇高等学校」に改称。
- 1966年(昭和41年)4月1日 - 衛生看護科を設置。
- 1972年(昭和47年)5月15日 - 沖縄県の日本復帰に伴い、「沖縄県立那覇高等学校」(現校名)と改称。
- 1973年(昭和48年)2月10日 - 総合体育館が完成。
- 1980年(昭和55年)3月31日 - 定時制課程を廃止。
- 1996年(平成8年)3月31日 - 家政科を廃止。
- 2000年(平成12年)8月 - 第82回全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園)に出場。左投げの捕手および三塁手や、複数いた変則フォームの打者が話題となる。
- 2004年(平成16年)3月31日 - 衛生看護科を廃止。
- 2007年(平成19年)12月 - 第86回全国高等学校サッカー選手権大会に出場。全国ベスト16。
著名な卒業生
- 小那覇舞天(T4卒) - 芸人、歯科医師
- 高嶺明達(T5卒) - 官僚
- 島田寛平(T7卒) - 画家、教育者
- 比嘉秀平(T8卒) - 琉球政府行政主席
- 池宮城秀意(T13卒) - 『琉球新報』社長
- 稲嶺一郎(T13卒) - 参議院議員 ※S27卒の稲嶺恵一は息子
- 大浜皓(T13卒) - 学者
- 名渡山愛順(T13卒) - 画家
- 新里清篤(T14卒) - 教育者、対馬丸遭難学童遺族会
- 瀬長亀次郎(T15卒) - 衆議院議員
- 長嶺彦昌(T15卒) - 『琉球新報』社長
- 川平朝申(S2卒) - 文化人
- 仲井眞元楷(S2卒) - 文化人 ※S32卒の仲井眞弘多は息子
- 崎浜秀英(S2卒) - 琉球銀行頭取
- 大城皓也(S4卒) - 画家
- 大嶺政寛(S4卒) - 画家
- 仲原善忠(S4卒) - 学者
- 八木明徳(S6卒) - 空手家 沖縄県空手古武術無形文化財保持者
- 嘉手納宗徳(S7卒) - 学者
- 宮里辰彦(S9卒) - リウボウ社長
- 湧上元雄(S10卒) - 学者
- 山田実(S10卒) - 写真家
- 久場政彦(S13卒) - 学者
- 伊江朝雄(S14卒) - 参議院議員(沖縄県出身者初の国務大臣)、伊江御殿
- 安谷屋正義(S14卒) - 画家
- 西銘順治(S15卒) - 沖縄県知事 ※S43卒の西銘順志郎、S48卒の西銘恒三郎は息子(長男と三男)
- 一泉知永(S16卒) - 学者
- 稲福盛輝(S16卒) - 医者、医学史家
- 大城立裕(S18卒) - 作家
- 金城秀三(S19卒) - 学者、琉球大学学長
- 小渡三郎(S19卒) - 衆議院議員
- 大浜方栄(S20卒) - 参議院議員
- 國場幸一(S20卒) - 國場組社長
- 仲村正治(S24卒) - 衆議院議員
- 稲嶺恵一(S27卒) - 元沖縄県知事 ※T13卒の稲嶺一郎は父
- 安仁屋政昭(S28卒) - 学者
- 阿波根直誠(S28卒) - 学者
- 安元健(S28卒) - 東北大学名誉教授、2004年に日本学士院賞恩賜賞受賞
- 仲井眞弘多(S32卒) - 沖縄県知事 ※S2卒の仲井眞元楷は父
- 池宮正治(S34卒) - 学者
- 我部政男(S34卒) - 学者
- 西里喜行(S34卒) - 学者
- 重田辰弥(S34卒)- 株式会社CIJネクスト会長。
- 来間泰男(S35卒) - 学者
- 玉城節子(S35卒) - 琉球舞踊家
- 上原正三(S 卒) - 脚本家
- 東門美津子(S36卒) - 衆議院議員、現沖縄市長
- 瀬戸口律子(S39卒) - 学者
- 勝方恵子(S40卒) - 学者、(勝方=稲福 恵子)
- 赤嶺政賢(S41卒) - 衆議院議員
- 里見進(S42卒) - 外科医、日本外科学会理事長、東北大学病院院長、東北大学教授
- 永井敏隆(S42卒) - 数学者
- 宮里正子(S42卒) - 美術工芸研究者
- 嘉手苅千鶴子(S43卒) - 学者
- 玉城勲(S43卒) - 学者
- 西銘順志郎(S43卒) - 参議院議員 ※S15卒の西銘順治は父
- 田名真之(S44卒) - 学者
- 翁長雄志(S45卒) - 那覇市長
- 花城梨枝子(S45卒) - 学者
- 屋良朝助(S45卒) - かりゆしクラブ党首
- 黒島永嗣(S47卒) - 整形外科医。帝京大学病院整形外科医、同大医学部教授。
- 南風原朝和(S47卒) - 東京大学大学院教育学研究科教授。統計学、心理学。東京大学教育学部卒。
- 我部政明(S48卒) - 学者
- 城間晴輝(S48卒) - 工学者、防衛庁技術研究本部所属
- 多喜ひろみ(S48卒) - エフエム沖縄アナウンサー
- 西銘恒三郎(S48卒) - 衆議院議員 ※S15卒の西銘順治は父
- 喜屋武靖(S57卒) - 映画監督
- 比屋定篤子(H2卒) - 歌手
- 平良いずみ(H7卒) - 沖縄テレビ放送アナウンサー
- 長浜之人(H7卒) - キャン×キャンお笑い芸人
- 尚玄(H9卒) - ファッションモデル、俳優
- 玉城俊幸(H9卒) - キャン×キャンお笑い芸人
- 宮平貴子(H9卒) - 映画監督
- 国吉歳木朗(H10卒) - 写真家
- 大城良太(H19卒) - 沖縄テレビ放送アナウンサー
その他
- かつて県立第二中学校を略して「二中」と呼んでいたことから、当高校正門側(南側)に「二中前」という地名が存在する。