草加市
テンプレート:Infobox 草加市(そうかし)は、埼玉県南東部にある市のひとつ。東京都特別区部への通勤率は35.9%(平成22年国勢調査)。
埼玉県の南東部に位置し、さいたま市・川口市・川越市・所沢市・越谷市に次いで埼玉県内で6番目に多い人口を擁する。国から特例市に指定されている。南側を東京都足立区と接する。草加松原や草加煎餅で知られる。人口は約24万5000人。
目次
概要
江戸時代、日光街道で江戸から2つ目の宿場町草加宿として栄え、その周辺部は水田地帯で稲作が盛んであった。戦後当初は5万人にも満たなかったが、高度経済成長期における1963年(昭和38年)の松原団地の造成や、東武伊勢崎線と営団地下鉄(現東京メトロ)日比谷線の相互直通運転開始により人口が爆発的に増大し、急激な都市化が進行した。それに伴い移住して来た人々が多いため市民の平均年齢は比較的若い。また、2003年(平成15年)3月19日からは半蔵門線・東急田園都市線との相互直通運転も開始され、都心への利便性が更に向上している。毛長川を隔てて東京都足立区と接しており、東京に通勤・通学する、いわゆる「埼玉都民」が多く、市内の広範に住宅地が広がる。一時期の団塊ジュニア時代よりも草加市の子供の人口は少ないものの、若年層の人口は比較的多い。
自動車での移動も、以前からあった南北を結ぶ国道4号に加えて、東京外環自動車道やその高架下を利用した国道298号も開通し、東西の移動が格段に向上した。
中心部は、都心まで約15kmという立地にありながら宿場町の面影を残す住宅地である。現在、松原団地の建て替え、再開発や草加宿を中心とした都市計画「今様草加宿」が進められている。2000年(平成12年)に彩の国中核都市に指定、2004年(平成16年)に特例市に移行した。
市勢
- 面積:27.42km²
- 総人口:242,177人
- 男性:123,504人
- 女性:118,673人
- 世帯数:104,376世帯
- 年間増加数:905人
- 年間増加率:0.38%
- 平均年齢:42.2歳
(2010年(平成22年)1月1日現在) 出典:テンプレート:PDFlink
地理
- 関東平野のほぼ中央部に位置し、市域の大部分が自然堤防による微高地とその後背湿地からなる低地であり、海抜は概ね4メートル以下である。そのため、集落は微高地に形成され、後背湿地は水田として利用されてきた。市内には綾瀬川をはじめ多くの河川が存在するために、江戸時代より各種の治水対策が施されてきたが、昭和40年代以降の急激な人口増、水田の宅地化により保水力が損なわれ、洪水などに悩まされることになった。しかしながら、東京外環自動車道とともに計画された綾瀬川放水路の完成以降は大規模洪水は激減した。
- 綾瀬川右岸の砂地に発達した土地であり、砂地を意味する「ソガ」が草加となったという説が有力である。
- 市南部の毛長川沿いの自然堤防上には弥生時代終末期から縄文時代のものと思われる古墳群が存在する。
- 草加駅東側は丸井、イトーヨーカドーを核として構成する再開発ビル群であるアコスや、西友といった大型商業施設がある一方、草加宿を中心とした商店街も広がり、江戸時代の面影を残す。駅西側は閑静な住宅街が広がり、埼玉都民のベッドタウンとしての一面を見せる。
- 市域の中央部は宅地化が進んでいるものの、一部に農地や屋敷林も残されている。
- 旧日光街道沿いにある「草加松原」、そして「百代橋」「矢立橋」は草加のシンボル。かつて舟運で隆盛を極めた綾瀬川、札場河岸。現在は舟着き場の石段を復元した公園として整備され、五角形の望楼のほか、この地を訪れた松尾芭蕉の像や高浜虚子、正岡子規の句碑なども建てられている。
- 東武伊勢崎線松原団地駅西口には、竣工当時「東洋一」と言われた松原団地が、旧日本住宅公団により造成されている。東西の長さは、松原団地駅から国道4号草加バイパスまで約1kmあるマンモス団地である。しかし、建築から相当年数が経ち、建物の老朽化も著しいため、都市再生機構 (UR) により解体、再開発が行われている。
- 河川:綾瀬川、中川、古綾瀬川、伝右川、毛長川、辰井川、葛西用水路、八条用水、綾瀬川放水路、千疋幹線排水
歴史
- 1221年 - 北条義時、承久の乱の戦勝を祝して武蔵国矢古宇郷(現在の草加市周辺)の郷司職50余町(約50ha)を鶴岡八幡宮に寄進する(「吾妻鏡」)。
- 1573年 - 地名『草加』の初見。(八潮市「持昌院文書ほか」)
- 1603年 - 草加地域の大半が江戸幕府直轄領となる。
- 1630年 - 江戸幕府、正式に草加を伝馬宿として認める(草加は日光道中の宿場町になる)。
- 1889年4月1日 - 町村制が施行され、南草加村・北草加村・谷古宇村・宿篠葉村(しゅくしのはむら)・吉笹原村・東立野村(ひがしたてのむら)・原島村(ばらじまむら)・与左衛門新田・弥惣右衛門新田・庄左衛門新田・太郎左衛門新田が合併し、北足立郡草加町が成立する。
- 1955年1月1日 - 草加町・谷塚町(やつかまち)・新田村が合併し、草加町となる。
- 1955年8月1日 - 南埼玉郡川柳村(かわやぎむら)を編入する。
- 1955年11月3日 - 旧川柳村の5つの大字のうち、伊原・上谷(うわや)・麦塚が草加町から分離し、越谷町に編入される(青柳と柿木は草加町側に残る)。
- 1956年9月28日 - 南埼玉郡八条村のうち、立野堀が編入される。
- 1957年5月1日 - 旧安行村の花栗・苗塚・北谷(一部)・原(一部)・小山(一部)が川口市から分離し、草加町に編入される。
- 1958年11月1日 - 市制施行により、草加市となる。これに伴い、市内の大字を廃し、町名・町域変更が行われる。
- 彦右衛門新田 → 両新田西町
- 市右衛門新田 → 両新田東町
- 上谷塚 → 谷塚上町
- 中谷塚 → 谷塚仲町
- 下谷塚 → 谷塚町
- 東遊馬 → 遊馬町
- 原島 → 西町
- 南草加、東立野、庄左衛門新田(一部) → 氷川町
- 吉笹原 → 吉町
- 谷古宇 → 手代町、松江町、東町
- 宿篠葉 → 神明町へ編入
- 北草加、与左衛門新田、弥惣右衛門新田、太郎左衛門新田、庄左衛門新田(一部) → 栄町
- 立野堀 → 稲荷町
- 九左衛門新田 → 旭町
- 善兵衛新田 → 新善町
- 金右衛門新田 → 金明町
- 清右衛門新田 → 清門町
- 長右衛門新田 → 長栄町
- 新兵衛新田 → 新栄町
- 槐戸 → 八幡町
- 東中曽根 → 中根町
- 篠葉 → 弁天町
- 南青柳 → 青柳町
- 1965年 - 豪商浅古家(大和屋浅古質店)が所有する土地の一部を取得し、現市庁舎を建設する。
- 2004年4月1日 - 特例市へ移行。
1968年に、越谷市大字麦塚、大字千疋のそれぞれ極僅かな地域(麦塚:小字東、新田前耕地、蔵屋敷耕地、笹塚、山城耕地の各一部、千疋:小字九升田、庄権の各一部)を編入した。現在、越谷市では麦塚は川柳町(かわやなぎちょう)、千疋は東町(あずまちょう)と町名変更され地名が消滅してしまっているが、草加市に編入された部分の一部は、かなり狭小で無人の地区であるものの、柿木町内の一地区名として残っている。ちなみにこの千疋は、東京・日本橋にある「千疋屋総本店」の屋号の由来となった創業の地である。
人口
行政
- 市長
- 副市長(2人体制)
- 中村卓(2011年4月1日選任)、もう一人は空席
- 歴代市長
主な公共施設
- 草加市立病院
- 谷塚サービスセンター
- 松原サービスセンター
- 新田サービスセンター
- 環境業務センター
- 勤労福祉会館
- 勤労青少年ホーム
- スポーツ健康都市記念体育館
- 市民体育館
- 市民温水プール
- 市営総合運動場
- 歴史民俗資料館
- 中央図書館
- 原町コミュニティーセンター
- 瀬崎コミュニティーセンター
- 稲荷コミュニティーセンター
- 氷川コミュニティーセンター
- 八幡コミュニティーセンター
- 柳島コミュニティーセンター
- 谷塚ふれあいセンター
- 川柳文化センター
- 奥日光自然の家 - 栃木県日光市中宮祠官有無番地
国の出先機関
県の出先機関
その他機関
- 東埼玉資源環境組合第二工場(ごみ焼却施設。現在は休止、建替計画中)
広域行政
- 東埼玉資源環境組合(越谷市、吉川市、八潮市、三郷市、北葛飾郡松伏町と共に、ごみ処理及びし尿処理を行っている)
- 埼玉県都市競艇組合(飯能市、加須市、本庄市、東松山市、狭山市、春日部市、羽生市、鴻巣市、深谷市、上尾市、越谷市、入間市、朝霞市、さいたま市と共に、競艇開催等の事務を行っている)田中和明草加市長が埼玉県都市競艇組合の議員になっている。[1]
- 埼玉県東南部都市連絡調整会議(当市、越谷市、八潮市、三郷市、吉川市、北葛飾郡松伏町で構成されている)
- 埼玉県南4市まちづくり協議会(川口市、当市、蕨市、戸田市で構成されている)
経済
産業
総じて、第3次産業が中心である。しかしながら、工業団地(草加・八潮工業団地)では製紙工場もあり、第2次産業もある。
日本を代表する米菓であるせんべいが名産である。「草加煎餅」として全国に知られる地域ブランド(地域団体商標)でもある。1932年に組合が組織されると組織的なPRが展開された。第二次世界大戦中は原料米の統制により一時衰退したが、戦後間もなく復興した。1970年ごろ最高の売上げと全国的な知名度が普及し、市域に約120店舗を数えた。その後、他地区から同種の大量生産品が普及するようになり、売上げが減少している。しかしながら、現在でも旧草加宿を中心に市域で約60店舗がある。手作り感の強い、醤油味がベースの丸い素朴な米菓である。東京都と隣接するせいか東京みやげと扱われることも多く、同様なものとして、千葉県浦安市にある東京ディズニーランドのみやげ物がある。
幕末から晒(さらし)業や浴衣(ゆかた)染めが市域南部を中心に栄えていた。浴衣染めは、かつては長板中型が行われていたが、大正期に導入された注染が主流となった。1960年頃には出荷額も最高に達したが、その後水質汚染などから規模を小さくしている。
1935年ごろから、三河島付近から皮革業者が広い土地と豊富な水資源を求めて市域中央部に進出し、それとともに同業者が集積してきた。第二次世界大戦中は一時衰退したが、朝鮮戦争を契機になめし業を中心に発展した。1970年ごろから水質・悪臭汚染でなめし業は縮小したが、製靴や鞄製造など皮革加工業が市域に広く点在する。
1958年の市制施行ごろから、市域に工場進出が目立つようになった。1963年から埼玉県が造成した草加工業団地の完成と、引き続き造成が行われた草加八潮工業団地の完成(1967年)により、60社余りの企業が進出した。また、中小企業が市域に広く点在している点も特長といえる。
かつては全市的に稲作が盛んであったが、近年は宅地化の波に押されて市域北東部の柿木町・青柳付近を除き、急激に耕地面積を小さくしている。
市域北部を中心にハスやクワイも収穫され、またキクを中心に花の栽培が行われるが、第1次産業は当市においてはかなり少数で、専業農家はごく少数になる。
主な商業施設
草加地区
松原・新田地区
谷塚地区
本社を置く企業
- アコス(第三セクター、再開発ビル運営)
- 上州屋
- 天田印刷加工
- 渡辺教具製作所(地球儀製作)
- リベレステ(不動産)
- Mobiledoor (IT)
- 珍來総本店(ラーメン、中華料理)
- 岡田運輸(おかだ引越センター)
- 柴田科学
- ツノイ電気(家電量販店)
事業所を置く企業
- 関東化学 草加工場、中央研究所
- 日本製紙クレシア 東京工場
- 日本製紙 草加工場(板紙事業本部)
- 理研ビタミン 草加工場
- ダイキン工業 東京支社 草加事業所
- SMC株式会社(旧焼結金属工業) 草加工場
- ひよ子 東京工場 - 福岡県の銘菓の東日本においての製造拠点。東京土産としても有名。
- アリックス 草加工場
- 日立建機 日本事業部
- 光村印刷
- ミドリ安全工業
- 福山通運 埼玉ターミナル
- 信号電材 東部事業所
草加市で創業した企業
金融機関
- みずほ銀行草加支店
- 三菱東京UFJ銀行
- 草加支店
- 草加新田支店
- 三井住友銀行草加支店
- 埼玉りそな銀行
- 松原支店
- 草加支店
- 武蔵野銀行
- 草加支店
- 松原支店
- 東和銀行
- 草加支店
- 新栄町支店
- 東日本銀行
- 草加支店
- 松原支店
- 埼玉縣信用金庫
- 草加支店
- 西草加支店
- 北草加支店
- 青木信用金庫谷塚支店
- 東京東信用金庫草加支店
- 足立成和信用金庫草加支店
- 城北信用金庫
- 谷塚支店
- 東草加支店
- 草加新田支店
- 草加支店
- 瀧野川信用金庫
- 草加南支店
- 草加支店
- JAあゆみ野農業協同組合
- 北谷支店
- 草加支店
- 新田支店
- 谷塚支店
- ゆうちょ銀行草加店(草加郵便局)
名産品
文化
- 草加市民憲章(昭和63年11月1日 告示第235号)
- わたくしたち草加市民は、綾瀬の流れと松原をシンボルとして、おおきな夢をはぐくんできました。人の心をたいせつにし、自然をいかした住みよいふるさとをめざして、ここに憲章をさだめます。
- わたくしたちは、
- 1. 平和を愛し、文化的で、ゆたかなまちをつくります。
- 1. きまりを守り、安全で、せいけつなまちをつくります。
- 1. 健康に努め、親切で、さわやかなまちをつくります。
- 草加市歌「想い出はいつも」
- 1988年(昭和63年)制定。
- 相撲
- ハープ
- 「国際ハープフェスティバル」や、若手ハーピストの登龍門、「日本ハープコンクール」を毎年開催している。
- 美術
- 体操
- KONAMI体操競技部の練習拠点であるコナミ体育館が市内にあり、地域・社会支援活動の一環として体操教室や演技発表会が行われている。2012年(平成24年)のロンドンオリンピックには、当市に在住している内村航平、山室光史、田中佑典が出場している。また同オリンピック代表の加藤凌平もかつては当市に在住していた。
姉妹都市・提携都市
- テンプレート:Flagicon 福島県大沼郡昭和村
- 1985年友好交流宣言。
- テンプレート:Flagicon カーソン市(アメリカ合衆国カリフォルニア州)
- テンプレート:Flagicon 安陽市(中華人民共和国河南省)
地域
行政地名
- 当市域では、1958年の市制施行時に大字が全廃され、市域全体が「町」で区画されることとなった。町村合併と地名変更の詳細については、「歴史」の節を参照。
- 市内の現行行政町名の「町」はすべて「ちょう」と読み、「まち」と読むものはない。
- 市域の大部分は旧北足立郡のうちであるが、旧八条村・川柳村の区域のみは旧南埼玉郡である。
- 旧草加町
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- 1955年の2町1村合併以前の旧草加町には11の大字があったが、1958年の市制施行時に大字は全廃されて「町」となり、地名も大幅に変更している(本記事の「歴史」の項参照)。
- 上記の現行行政地名のうち、手代町、西町、氷川町は住居表示未実施地区で、他は住居表示による町名である。
- 市制施行時の「栄町」(丁目設定なし)には、現在の栄町一 - 三丁目のほか、松原一 - 五丁目の大部分、草加一 - 五丁目の一部、学園町が含まれていた。
- 市制施行時には東町(あずまちょう)という町名があったが、1966年に廃止されている(現・中央及び住吉のうち)。
- 旧谷塚町(やつかまち)
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- 谷塚町(やつかちょう)
- 谷塚上町(やつかかみちょう)
- 谷塚(やつか)一 - 二丁目
- 谷塚仲町(やつかなかちょう)
- 瀬崎(せざき)一 - 七丁目(旧・瀬崎町の全域)
- 両新田東町(りょうしんでんひがしちょう)
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- 両新田西町(りょうしんでんにしちょう)
- 柳島町(やなぎしまちょう)
- 新里町(にっさとちょう)
- 遊馬町(あすまちょう)
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- 1955年の2町1村合併以前の旧谷塚町には9の大字があったが、1958年の市制施行時に大字は全廃されて「町」となり、地名も一部変更している(詳細は「谷塚町」の項参照)。当地区は住居表示未実施の町が多い。両新田東町と両新田西町の境界は複雑で、多くの飛地がある。なお、2011年7月18日をもって、上記の谷塚町の一部と谷塚上町の一部で住居表示を行い、「谷塚(一 - 二丁目)」に町名が変わった。また同時に瀬崎町の全域が「瀬崎(一 - 七丁目)」として住居表示を行った。
- 旧新田村
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- 旭町(あさひちょう)一 - 六丁目
- 金明町(きんめいちょう)
- 新善町(しんぜんちょう)
- 清門町(せいもんちょう)
- 長栄町(ちょうえいちょう)
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- 新栄町(しんえいちょう)
- 弁天(べんてん)一 - 六丁目
- 中根(なかね)一 - 三丁目
- 八幡町(やわたちょう)
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- 1955年の2町1村合併以前の旧新田村には9の大字があったが、1958年の市制施行時に大字は全廃されて「町」となり、地名も大幅に変更している(詳細は「新田村」の項参照)。上記のうち、旭町一 - 六丁目、弁天一 - 六丁目、中根一 - 三丁目は住居表示実施済み。他は未実施である。
- 旧川口市安行から編入
- 原町(はらちょう)一 - 三丁目
- 北谷(きたや)一 - 三丁目
- 北谷町(きたやちょう)
- 苗塚町(なえづかちょう)
- 小山(こやま)一・二丁目
- 花栗(はなぐり)一 - 四丁目
- 北谷町と苗塚町は住居表示未実施。北谷町は、北谷一 - 三丁目の住居表示実施後の残余。
- 旧八条村から編入
- 稲荷(いなり)一 - 六丁目
- 住居表示実施済み地区。
- 旧川柳村
- 柿木町(かきのきちょう)
- 青柳(あおやぎ)一 - 八丁目
- 青柳町(あおやぎちょう)
- 柿木町と青柳町は住居表示未実施。青柳町は、青柳一 - 八丁目の住居表示実施後の残余。
住宅団地
- 新栄町団地
- 草加旭町団地
- 草加稲荷住宅(稲荷)
- 草加花栗住宅(花栗)
- 草加原町住宅(原町)
- 草加原町第三住宅(原町)
- 草加原町第二住宅(原町)
- 草加新善町住宅(新善町)
- 草加青柳住宅(青柳)
- 草加柳島住宅(柳島町)
- 草加遊馬住宅(遊馬)
- UR草加松原団地(郊外大規模団地、松原、1962年12月 一部建て替え工事中 全面建て替え 旧日本住宅公団関東支所)
- UR草加団地(中央、1960年7月 1棟のみ現存 全面建て替え 旧日本住宅公団関東支所)
教育
- 小学校
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- 中学校
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- 高等学校
- 専門学校
- 大学
- 図書館
- 文化施設
消防
- 草加市消防本部・消防署
- 西分署
- 青柳分署
- 北分署
- 谷塚ステーション
警察
- 草加警察署
- 草加駅前交番
- 松原交番
- 谷塚駅前交番
- 新田駅前交番
- 弁天交番
- 柳島交番
- 青柳交番
- 長栄交番
郵政
郵便番号は市内全域が「340-00xx」である。
健康
平均年齢:40.7歳(男40.0歳、女41.4歳。2006年1月1日現在)
- 草加市保健センター
- 夜間急患診療所
- 休日急患歯科診療所
- 草加市立病院
- 埼友会草加病院
- メディカルトピア草加病院 http://www.mtopia.jp/
交通
鉄道
- 中心となる駅:草加駅
※草加駅の駅力(駅舎・駅前・界隈・周辺基盤の総合力)は関東の私鉄の中では第1位(ヨミウリウィークリーより)。市と鉄道会社で駅前開発に取り組んでいる。
かつて通っていた鉄道
バス
- 羽田空港、成田空港へ、直通のリムジンバスが草加駅東口より利用できる。羽田空港方面は東武バスセントラル、京浜急行バス、成田田空港方面は東武バスセントラル、東京空港交通、千葉交通が運行。
- 路線バス - 国際興業バス、東武バスセントラル、朝日自動車
タクシー
タクシーの営業区域は県南東部交通圏で、春日部市・越谷市・久喜市・八潮市などと同じエリアとなっている。
道路
- 高速道路
- 一般国道
- 主要地方道
- 一般県道
- 埼玉県道102号平方東京線
- 埼玉県道103号吉場安行東京線(一部区間を”安行街道”と呼ぶ場合がある。)
- 埼玉県道104号川口草加線
- 埼玉県道115号越谷八潮線(草加産業道路)
- 埼玉県道161号越谷川口線
- 埼玉県道327号草加八潮三郷線
- 埼玉県道328号金明町鳩ヶ谷線
- 埼玉県道380号柿木町蒲生線
- 埼玉県道401号谷塚停車場線
- 埼玉県道402号草加停車場線
- 埼玉県道403号松原団地停車場線
景観スポット
草加(市)の地名・名称を使っている作品
出身有名人
- 政治・行政・経済
- 文化・学術・芸術
- メディア
- スポーツ選手
- 芸能
ゆかりある人物
- 青島健太(スポーツキャスター、元慶應義塾大学・ヤクルトスワローズ野手) : 育ちが草加市※生まれは新潟市
- 加奈山径(小説家) : 一時期居住していた
- 金田龍之介(俳優) : 市内の病院で長逝
- 香納諒一(小説家) : 一時期居住していた
- 飯田高子(バレーボール選手) : 市内在住、草加市バレーボール連盟副会長
- 倉林誠一郎(演劇プロデューサー、俳優座劇場代表取締役) : 長逝まで居住し、草加市教育委員も務めた※生まれは東京都
- 後藤明生(小説家) : 一時期居住していた
- 近藤経一(小説家、劇作家、ゴルフ評論家) : 長逝まで居住※生まれは東京都
- 曽我廼家鶴蝶(女優、曾我廼家五郎最後の弟子) : 長逝まで居住※生まれは大阪府
- 滝原章助(画家) : 市内在住
- 武田幸三(キックボクサー、俳優) : 市内在住
- 田丸美寿々(ニュースキャスター) : 一時期居住していた
- 第二十九代 式守伊之助(立行司) : 長逝まで居住※生まれは和歌山県
- 初代 林家三平(落語家、落語協会理事) : 谷塚に別宅を保有していた
- 穂村弘(歌人、批評家) : 市内在住
- 松村彦次郎(俳優) : 長逝まで居住※生まれは東京都
- 水巻善典(プロゴルファー) : 育ち、実家が草加市
- 峰竜太(タレント) : 一時期、初代林家三平の谷塚の別宅に居住していた
脚注
外部リンク
テンプレート:草加市の町名 テンプレート:Navbox テンプレート:日本の特例市
か- ↑ 市長の資産公開について - 草加市公式ホームページ