追手風部屋

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追手風部屋(おいてかぜべや)は、日本相撲協会所属で伊勢ヶ濱一門相撲部屋

歴史

1937年(昭和12年)5月場所に現役を引退して、以降は二十山部屋の部屋付き親方となっていた年寄・8代追手風(元大関清水川)が、1938年1月に3人の内弟子を連れて二十山部屋から分家独立して追手風部屋を創設した。

以降、小結・清水川や幕内・起雲山追手山などの関取を輩出したが、1965年(昭和40年)1月に8代追手風が定年退職を迎えたために部屋は閉鎖された。当時関取だった追風山(追手山改め)を始めとする所属力士は立浪部屋へ移籍した。

前記の関取以外の出身者としては、プロレスラーミスター林上田馬之助がいる。

なお、分家として小結・清水川が引退後に興した間垣部屋があるが、同部屋も1975年に消滅している。

その後、1995年(平成7年)11月場所で現役を引退して立浪部屋の部屋付き親方となった年寄・12代中川(元幕内・大翔山)が、1997年8月に自身の義父である10代追手風(元幕内・追風山)と共に友綱部屋へ移籍し、1998年2月に10代追手風と名跡交換を行って11代追手風を襲名した後、同年10月1日付で2人の内弟子を連れて友綱部屋から分家独立する形で追手風部屋を33年ぶりに再興した。

学生相撲出身者や東欧出身者をスカウトし、現在までに関脇・追風海や小結・黒海など7人の関取を輩出している。師匠の現役時の四股名から取った「大翔」という字が四股名に付いた力士が多い。2005年7月場所以降は所属関取が黒海のみという状況が続いていたものの、2008年11月場所で大翔湖が2003年5月場所における黒海以来5年半ぶりとなる新十両昇進を果たした。2012年9月場所中に唯一の関取であった黒海が引退してからは関取経験者が不在となっていたが、2013年7月場所において遠藤が新十両へ昇進している。

所在地

師匠

  • 8代:追手風元吉(おいてかぜ もときち、大関・清水川、青森)
  • 11代:追手風直樹(おいてかぜ なおき、前2・大翔山、石川

力士

現役の関取経験力士

幕内

関脇
小結
前頭

十両

所属年寄

  • 中川憲治(なかがわ けんじ、前14・旭里、大阪)

外部リンク

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