国際興業バス
国際興業バス(こくさいこうぎょうバス)は、国際興業グループ株式会社が経営するバス事業である。乗合バスの営業エリアは、東京都北東部(豊島区・練馬区・板橋区・北区・新宿区・中野区・杉並区・足立区)から埼玉県南部(戸田市・川口市・さいたま市(北区および西区を除く)・蕨市・草加市・越谷市・蓮田市・志木市・和光市・朝霞市・新座市)にかけての地域と、飯能周辺(埼玉県飯能市・入間市・日高市・毛呂山町および東京都青梅市)に広がり、事業を営んでいる。10ヶ所の乗合バス営業所と900台強の車両を有する大手のバス事業者である。
次停留所の車内アナウンスの始めの出だしでは、首都圏の事業者としては珍しくメロディーチャイムを採用しており、一般路線バス・コミュニティバスともタイプが異なるものを使用していたが、2012年8月より一部の営業所において、通常の2点式チャイムまたは「ピポパポ~」という電子音4点式チャイムに変更、また、同9月には2点式チャイム車が4点式チャイムに変更、そして同10月には全営業所にて4点式チャイムに変更された。また、イラストレーターには2004年(平成16年)以降一貫して藤沢チヒロを起用している。
なお、貸切バスは国際興業観光バスが東京・埼玉・神奈川の3都県において事業を営んでいる。
「国際興業バスまつり」(1990年代には戸田営業所で開催、2004年(平成16年)からは毎年冬にさいたま東営業所で開催)のほか、バス廃車・引退時にイベントを開催するなど、バスファンへのサービスにも、積極的に取り組んでいる。
沿革
国際興業バスは、終戦直後の1946年(昭和21年)に国際商事(当時の国際興業の社名)が東京急行電鉄より東京観光自動車、東都乗合自動車を譲受し、その後数年を経て両社を合併したことにより成立した。ここでは、主に乗合バスの沿革について、前身の東都乗合自動車時代を含めて記述する。
東都乗合自動車
東都乗合自動車は1935年(昭和10年)に設立された会社であるが、当初は板橋・赤羽周辺にいくつかの路線を有するのみの小さな事業者であった。同社のバス路線は独自に開設されたものではなく、前身の事業者として板橋乗合自動車がある。板橋乗合は1919年(大正8年)の創業で、最初の路線は巣鴨駅前 - 地蔵尊前 - 庚申塚 - 板橋駅前間であった。その後、志村兵器庫前(現・赤羽車庫付近)まで延長、さらに大塚駅前 - 庚申塚、練馬横町(現・大和町) - 上板橋 - 豊島園の区間、および志村 - 赤羽駅 - 志茂を開通するなど、周辺に路線を広げていき、これをほぼそのまま東都乗合が継承した。
東都乗合は京王電気軌道(現在の京王線を運営していた会社)の関連会社であったが、これは設立後に同社の傘下に収まったとの説もあれば、設立時において京王電気軌道と玉川電気鉄道の共同出資会社であったとの説もある。ただどちらにしても、玉川電鉄は後に東京横浜電鉄に合併され、この時点で東都乗合と東横電鉄の間に関係ができることになる。テンプレート:See also
その後、東都乗合は太平洋戦争下における陸上交通事業調整法、陸運統制令といった戦時統制の後押しなどもあり、大東急成立で同系列となった営業地域の近い鳩ヶ谷自動車、中仙道乗合自動車の2社を合併することとなる。以下、その2社について記す。
鳩ヶ谷自動車
鳩ヶ谷自動車も東都乗合と同じく、昭和初期以来京王電気軌道の傘下にあった会社であるが、その設立は1916年(大正5年)と早い時期のことである。最初の路線は鳩ヶ谷 - 川口駅間で、その後、北は西立野・野田・風渡野(東武野田線七里駅付近)へと路線を延ばし、南は東京に出張所を設けて赤羽 - 下十条 - 王子間を結ぶ運行を開始した。さらに新荒川大橋の架橋により川口 - 赤羽間の連絡をつけるなど、岩槻街道周辺を中心に発展を続けた。テンプレート:Main
その後、1932年(昭和7年)に越谷・浦和・志木など、現在の国道463号周辺における東西方向の路線拡充がなされている。
さらに1936年(昭和11年)には川口乗合自動車を合併し、同社の路線を継承した。川口乗合も川口 - 赤羽間に路線を有し、この間では鳩ヶ谷乗合とライバル関係にあったが、ほかに川口駅を起点に東は荒川沿いを千住まで、西は笹目を経て美女木までの路線を運行していた。
中仙道乗合自動車
中仙道乗合自動車は、社名の通り中山道周辺において営業していた会社であり、設立は1932年(昭和7年)である。当初の路線は、王子乗合自動車商会から継承したもので、王子駅 - 金沢橋 - 板橋役場前 - 戸田村間であった。その後、埼玉県内でも中山道に沿って浦和・大宮へと路線を延ばしていくが、経営状況は極めて悪かった。このため、昭和の初期には他社への身売りが検討され、東京大宮乗合自動車を買収先として一旦契約がなされている。しかし、同社の将来性に着目していた東京横浜電鉄(現・東京急行電鉄。東横線を運営していた会社)社長五島慶太がこれに割って入り、1936年(昭和11年)に同契約を破棄、一転して中仙道乗合は東横傘下に収まることとなる。テンプレート:See also
以後、埼玉県内の中山道周辺で競合していた各事業者の合併・買収を進めていく。すなわち、浦和 - 蕨 - 戸田橋間、蕨駅 - 笹目間などを運行していたワラビ乗合、与野町周辺で営業していた与野自動車、浦和 - 美女木周辺で営業していた美谷本乗合などである。
また、1940年(昭和15年)には同じ東横傘下の姉妹会社であった池袋乗合自動車を合併した。池袋乗合は、池袋から旧・川越街道・成増・石神井方面に向け、交通の結節点を効率よく結んだ路線網を有する優良会社であった。なお、同社路線のうち成増 - 石神井間は石神井成増間自動車商会から1934年(昭和9年)に引き継いだものである。テンプレート:Main
国際興業バスの成立
以上のようにして、東都乗合自動車は東京城北地域から埼玉県の中山道・岩槻街道・国道463号周辺に路線を有する大規模なバス事業者となった。この東都乗合が大東急傘下を離れ、国際興業に譲渡されたのは1946年(昭和21年)11月のことである。これは、五島と国際興業創業者の小佐野賢治との個人的なつながりによるところが大きく、五島は会社の譲渡にとどまらず、東急からバス経営のノウハウを持つ社員を送り込み、その後の事業拡大を支えた。テンプレート:See also
なお、東都乗合は、会社経理応急措置法下の特別経理会社に指定されていたため、この指定が解除されるまで国際興業による吸収合併は認められなかった。指定解除により直営となったのは1950年(昭和25年)12月のことであり、これをもって国際興業バスが成立した。
国際興業はこの間、わずかに1年間であるが、小田急バスの前身、武蔵野乗合自動車の経営にも参加している。テンプレート:Main
事業の拡大と成長
戦後の路線拡張は、他の民営各社と同様、都営バスとの共同運行による都心乗り入れ路線に力が注がれた。1947年(昭和22年)6月に大山 - 東京駅降車口間、志村橋 - 東京駅降車口間が開通、続いて上板橋 - 東京駅降車口間、川口駅 - 赤羽駅 - 東京駅八重洲口間、川口駅 - 浅草 - 東京駅八重洲口間などの運行が相次いで開始された。テンプレート:Main
また、同じく東急グループを離脱した関東乗合自動車(現・関東バス)とは東都乗合が別会社の頃から交流を深め、1949年(昭和24年)に両社共管の中野駅 - 池袋駅線を立ち上げ、1970年代に入ると環状7号線を経由する高円寺駅 - 赤羽駅線も開設した。その他、東武鉄道・西武自動車(現・西武バス)のエリアに乗り入れる形で、川越街道の成増以西・草加・所沢方面などにも足を伸ばし、着実にエリアを拡大していった。テンプレート:Main
一方、大宮市では戦後になってから法人化された別会社太平バスを買収、飯能市から旧名栗村にかけてのエリアで営業していた名栗林材交通改め飯能交通も買収、合併して、1950年代の末までに現在の国際興業バスの営業エリアがほぼ固まった。テンプレート:Main
路線の拡張に伴い、昭和30年代に入ると営業所の新設や出張所の格上げが相次いだ。1958年(昭和33年)9月には池袋営業所練馬分車庫が開設され、1962年(昭和37年)に練馬営業所となった。また、1958年(昭和33年)12月に川口営業所が埼玉県川口市青木町に開設されたことを受け、東京都北区稲付町(現・北区赤羽西)にあった旧・川口営業所は志村営業所赤羽出張所となり、後年移転のうえ営業所に格上げされた。テンプレート:Main
都営共管路線の消滅
1982年(昭和57年)3月、国際興業の営業エリア内で共存していた都営バス志村営業所が閉鎖される。これを前にした1978年(昭和53年)10月31日、国際興業バスは都営バスとの共管路線をすべて廃止し、国鉄東京駅への乗り入れを取りやめた。
池袋や大塚駅などから山手線内に入り込み、東京駅を目指していた路線は都営地下鉄三田線や営団地下鉄有楽町線によって代替され廃止となった。しかし、王子駅止まりだった一部路線は国際興業単独に変更され、現在も基幹路線の一つとなっている。テンプレート:Main
2度の大再編を経て
1960年代には、国際興業バスは埼玉県南中部で圧倒的な地位を確立した。この頃の埼玉県は、国鉄東北本線を軸に東を東武伊勢崎線、西は東武東上線で挟まれた地域内の輸送をバスに全面依存しており、その中心に位置する戸田営業所や鳩ヶ谷営業所は国際興業の収益を支えるいわばドル箱となっていた。
しかし、1985年(昭和60年)、国鉄埼京線の開通で戸田市から浦和市西部にかけての交通形態が一変する。それまで京浜東北線や都営三田線に出るためにバスを利用していた市民の多くが埼京線に流れ、戸田営業所では全面的な路線の見直しが行われた。テンプレート:Main
その後、2001年(平成13年)に埼玉高速鉄道線が開業すると、今度は川口・鳩ヶ谷両営業所管内も創設以来最大の再編成が行われる。ところが、埼玉高速鉄道の他社路線との接続駅の関係、何より運賃が高止まりしたことから鉄道へ転移する乗客が予想したほどにはならなかった。それどころか平日朝ラッシュ時において積み残しが発生しまう事態となり、旧鳩ヶ谷市(現在は川口市)民を中心とした利用者から「改定後の路線が不便」「本数が少ない」等の苦情もあり、再編成及び削減から僅かの間に再び系統復活や増発とダイヤ改定を繰り返した結果バスの利用減少を食い止めることに成功した。テンプレート:Main
それでも国際興業全体としてのスケールメリットは縮小しており、飯能以外の地区での収益で飯能地区(特に過疎化が進む旧名栗村へ向かう路線)の赤字を吸収することが年々難しくなっていった。2004年(平成16年)に投資ファンド傘下となり厳しい採算性確保を要求されるようになった国際興業は2012年(平成24年)、2014年(平成26年)3月末を目途に飯能営業所自体の廃止や他社移管、コミュニティバスへの移行なども視野に入れ、地元の飯能市や日高市に社会的な論議を要求するに至った。現在のところ、2014年4月以降の営業所および路線の存続については飯能市などと合意形成されているが、引き続き今後の方針に関して検討されている状況にある。
年譜
- 1916年(大正5年)7月1日 - 鳩ヶ谷自動車(鳩ヶ谷市)設立
- 1919年(大正8年)
- 1930年(昭和5年)2月11日 - 山口泰治、現在のさいたま市大宮区で開業。
- 1932年(昭和7年)1月10日 - 中山道乗合自動車、王子乗合自動車(東京都北区)の事業を承継して開業。
- 1933年(昭和8年)5月19日 - 川口乗合自動車(川口市)、川口乗合合資会社を改組して発足。
- 1934年(昭和9年)3月6日 - 小林宇平、山口泰治より大宮地区のバス路線を譲受。
- 1935年(昭和10年)
- 1936年(昭和11年)
- 1937年(昭和12年)
- 1938年(昭和13年)
- 月日不明 - 京王電気軌道、東都乗合自動車と鳩ヶ谷自動車を傘下におさめる。
- 4月1日 - 東京横浜電鉄、玉川電気鉄道を合併し、東都乗合自動車は京王・東横両社の関係会社となる。
- 1940年(昭和15年)
- 1942年(昭和17年) - 東京観光自動車、営業を休止。
- 1944年(昭和19年)
- 1946年(昭和21年)
- 1947年(昭和22年)
- 1949年(昭和24年)8月1日 - 武蔵野乗合自動車(武蔵野市。1932年(昭和7年)6月1日設立)を児玉衛一より買収。
- 1950年(昭和25年)
- 1951年(昭和26年)3月15日 - 名栗林材交通(現・飯能市)設立。柏木真八のバス事業を承継。
- 1952年(昭和27年)
- 1953年(昭和28年)8月 - 神戸タクシー(神戸市のタクシー会社で、現存する2社の神戸タクシーとは無関係)、観光バス事業を開始
(この時採用したカラーリングが現在の国際興業グループ統一デザインとなっている)。 - 1955年(昭和30年)3月17日 - 太平バス(さいたま市大宮区)設立。小林宇平のバス事業を承継。
- 1956年(昭和31年)9月 - 渉外部新設。米軍バス事業を拡大。
- 1957年(昭和32年)1月10日 - 飯能自動車、名栗林材交通を合併し、飯能交通と改称。
- 1958年(昭和33年)11月22日 - 大阪交通(大阪市のタクシー会社。観光バスも営業)を傘下におさめ、大阪進出。
- 1959年(昭和34年)
- 1960年(昭和35年)
- 1962年(昭和37年)
- 1965年(昭和40年)12月16日 - 川越営業所志木分車庫設立。
- 1969年(昭和44年)
- 1970年(昭和45年)11月10日 - 東武鉄道と路線調整。
- 1971年(昭和46年) - 戸田営業所設立。
- 1972年(昭和47年)
- 4月1日 - 東京タワー観光バスを合併。
- 6月1日 - 山梨交通東京営業所を承継。
- 1973年(昭和48年)4月1日 - 西武バスと路線調整。
- 1977年(昭和52年)9月30日 - 米軍バス事業全廃。
- 1978年(昭和53年)10月31日 - この日を持って東京都交通局との共管路線が消滅、同時に国鉄東京駅から撤退。
- 1986年(昭和61年)12月10日 - 深夜バス運行開始。
- 1988年(昭和63年)7月21日 - 国際興業初の夜行高速バス・東京駅八重洲南口 - 盛岡駅線(現・ドリーム盛岡 (らくちん) 号)、運行開始。
- 1989年(平成元年)12月13日 - 深夜急行バス池袋駅西口 - 大宮駅東口間、運行開始。
- 1993年(平成5年)3月16日 - 川越営業所志木分車庫と観光川口営業所を廃止統合して西浦和営業所設立。同時に、川越営業所は西浦和営業所川越分車庫に降格となる。
- 1995年(平成7年)1月20日 - 川越分車庫の廃止閉鎖に伴い川越・日高地区路線を西武バスに譲渡。
- 1997年(平成9年) - 2000番台中型車の導入に伴い担当車両制度を廃止。
- 2000年(平成12年)10月16日 - 浦和・大宮両営業所を廃止統合してさいたま東営業所を設立。
- 2002年(平成14年)
- 2004年(平成16年)
- 2006年(平成18年)6月18日 - 河川整備の関係で川口営業所をこれまでの青木から東本郷に移転。
- 2007年(平成19年)
- 2008年(平成20年)
- 2010年(平成22年)
- 2012年(平成24年)
- 11月1日-運行事業者が国際興業株式会社から国際興業グループ株式会社に変更となる。
- 2013年(平成25年)
- 8月16日 - 国際興業観光バス株式会社が国際興業グループ株式会社と合併・観光バス事業は国際興業グループ株式会社が継続営業となる。
- 2014年(平成26年)
営業所および営業路線
営業所、案内所
国際興業の乗合バス営業所は、下に掲げる通り、都内4箇所・埼玉県内6箇所の計10箇所がある。
1950年(昭和25年)12月の国際興業バス成立時には、乗合自動車部内に主に都内の路線を担当する営業第一課と、主に埼玉の路線を担当する営業第二課が置かれ、第一課の管轄下に池袋・板橋・志村の3営業所、第二課の管轄下に川口・浦和・鳩ヶ谷の3営業所が置かれた。ただし、川口営業所は当初、赤羽駅に近い北区稲付町に置かれ、同駅周辺における都内路線の一部も担当していた。
都内では、1953年(昭和28年)に板橋営業所が西巣鴨へ移転、巣鴨営業所となり、旧・板橋営業所敷地は板橋分車庫となった。1958年(昭和33年)には、池袋営業所に練馬分車庫が開設され、川口営業所は川口市内に移転、旧・営業所は志村営業所赤羽出張所となった。その後、赤羽出張所の移転・営業所への昇格、板橋分車庫の廃止と清水町分車庫の開設が行われたのち、1963年(昭和38年)に巣鴨営業所が廃止され、同時に練馬分車庫が営業所に昇格するとともに赤羽営業所が清水町に移転し、巣鴨の路線は両営業所に継承された。
埼玉では、前述の川口営業所の移転開設ののち、中小事業者の合併・路線譲受に伴い営業所の増設が続いた。すなわち、1959年(昭和34年)に太平バスの合併により大宮営業所が、飯能交通の合併により飯能・名栗両営業所(名栗営業所はのちに出張所)が、1960年(昭和35年)に帝産オートの一部路線譲受により川越営業所がそれぞれ開設された。その後、1965年(昭和40年)に川越営業所志木分車庫、1971年(昭和46年)に戸田営業所、1993年(平成5年)に西浦和営業所(志木分車庫が移転)と、京浜東北線 - 東武東上線間で営業所の新設が相次ぎ、一方で川越営業所は分車庫に格下げののち1995年(平成7年)に廃止され、所管路線は西武バスに譲渡された。また、2000年(平成12年)には、浦和・大宮両営業所が統合の上さいたま市上野田に移転、さいたま東営業所となって再出発をきった。
このように、都内の営業所は1960年代にはほぼ現状のように落ち着いたが、埼玉では競合事業者との路線調整が数度にわたり行われたこと、郊外人口の増加による需要増が続いたことなどから、1990年代から2000年代にかけても新設や移転・統合などの再編成が続いている。
- 東京都内(社番順)
- 埼玉県内(社番順)
また、国際興業バスでは、高速バス乗車券や定期券の販売等を行う案内所を主要ターミナルである池袋駅西口、成増駅北口、赤羽駅西口、蕨駅西口、川口駅東口、浦和駅西口、大宮駅東口、飯能駅北口にそれぞれ設置している。このうち、池袋駅西口の案内所は「国際興業総合案内所」と呼ばれ、東北方面の高速バスの出発場所・待合所ともなっていたが、現在はすべて池袋駅西口からの発車となっている。
- 廃止された営業所
- 巣鴨営業所
- 川越営業所志木分車庫
- 川越営業所→西浦和営業所川越分車庫
- 浦和営業所
- 大宮営業所
- 東京営業所(江東区越中島1-2-1)
- 道路事情や運営上の問題から板橋区の小豆沢車庫から観光バス30台が転籍し、1959年(昭和34年)4月本社営業所越中島車庫として発足。1964年(昭和39年)本社営業所を廃止し、同所を観光東京営業所として開設した。長らく観光バスの営業所であったが1988年(昭和63年)7月に、東京 - 盛岡線開設のため乗合バスの営業所としても開設(観光バス営業所と併設)した。乗合バスの営業所としては所属台数4台で高速バスのみ担当しており東京 - 盛岡線の他、東京 - 八戸線、そして当時国際興業側でも受け持っていた池袋 - 能代線を担当していた。1999年(平成11年)に観光・乗合ともバスの営業所としては閉所した(後に一時期、同所はハイヤー営業所となった)。
高速路線
高速バス路線は、都内・埼玉県を起点に東北への長距離4路線と、大宮周辺から羽田・成田両空港への直通路線を運行する。以前は関西への路線もあって、近畿日本鉄道(現・近鉄バス)との共同運行により、大宮 - 京都・大阪間を「サテライト号」として運行していたが、廃止された。この路線については下記「やまと号」が奈良から大阪へ延長することでカバーしていたが、こちらも2007年(平成19年)2月28日をもって廃止されたため、関西方面への高速路線は事実上消滅したことになる。
現行路線
- シリウス号:東京・池袋 - 八戸・十和田市・七戸 (十和田観光電鉄と共同運行)
- ドリーム盛岡 (らくちん) 号:東京・池袋 - 盛岡 (岩手県交通・JRバス関東・JRバス東北と共同運行)
- 遠野・釜石号:池袋・秋葉原・上野 - 新花巻・東和・遠野・釜石・大槌・道の駅やまだ (岩手県交通と共同運行)
- 東京都豊島区と岩手県花巻市・遠野市・釜石市・上閉伊郡大槌町を経由して山田町との間を結ぶ夜行高速バス(系統名:山田 - 池袋線)。1日1往復。志村営業所担当。
- 路線沿革
- 2007年(平成19年)4月25日 - 岩手県交通の単独運行で運行開始(国際興業は東京側の予約・発券業務のみを担当)。
- 2007年(平成19年)7月1日 - 国際興業が同路線の運行に参入し、共同運行化。
- 車両
- いすゞ・ガーラ(2代目)3列独立シート車両(1号車のみ)。
- 利用状況
年度 運行日数 運行便数 年間輸送人員 1日平均人員 1便平均人員 2007(平成19)年度 342 732 10,838 31.7 14.8
- その他
- 夕陽号(庄内交通と共同運行)
- ONライナー号:西武バス大宮営業所 - 大宮駅西口 - さいたま新都心駅 - 成田空港 (西武バス・千葉交通・京成バス・東武バスウェストと共同運行)
- 大宮羽田線:西武バス大宮営業所 - 大宮駅西口 - さいたま新都心駅 - 羽田空港 (京浜急行バス・東京空港交通・西武バスと共同運行)
- 池袋羽田線:池袋駅西口(91番乗り場) ‐(直行)‐ 羽田空港 (東京空港交通と共同運行)
- 浦和羽田線:浦和駅西口(6番乗り場) - 武蔵浦和駅西口 - 羽田空港(東京空港交通と共同運航、2013年12月16日より運行)
(以下の路線は、当社が予約・発券業務のみを担当する)
- ジュピター号:池袋・大宮 - 安代・鹿角・大館・鷹巣・二ツ井・能代 (秋北バスが運行)
- イーハトーブ号:池袋・赤羽・川口・大宮 - 前沢・水沢・金ヶ崎・北上・花巻・石鳥谷・紫波 (岩手県交通が運行)
- けせんライナー:池袋 - 一関・千厩・気仙沼・陸前高田・大船渡・釜石 (岩手県交通が運行)
廃止路線
- サテライト号:大宮・浦和・川口・赤羽 - 京都・大阪 (近畿日本鉄道〈現・近鉄バス〉と共同運行)…1997年(平成9年)に「やまと号」に統合
- 特急やまと号:大宮・浦和・川口・赤羽 - 天理・奈良・大阪 (奈良交通と共同運行)…2007年(平成19年)2月28日をもって廃止
- 大宮 - つくば・土浦線 (関東鉄道と共同運行)…2008年(平成20年)2月15日をもって廃止
- ブルースター号 - 2002年(平成14年)12月 - 2008年(平成20年)1月の間は十和田観光電鉄〈三本木営業所担当〉と共同運行していた)
- 路線沿革
- ※ 東北新幹線八戸駅延伸に伴う東北本線寝台特急はくつる号廃止を受けて新規参入に踏み切った。
- 2002年(平成14年)12月27日 - 十和田観光電鉄・国際興業の2社共同により、池袋駅西口 - ホテル青森間で運行開始。
- 2004年(平成16年)4月13日 - 東京側の起終点を渋谷マークシティに変更。
- 2006年(平成18年)7月21日 - 青森港フェリーターミナル停留所を新設、東日本フェリーとの連絡運輸を開始すると共に渋谷・函館きっぷ発売開始。
- 2006年(平成18年)12月22日 - 十鉄担当便による連絡バス発着を六ヶ所ショッピングセンターに変更。
- 2007年(平成19年)9月1日 - 青函航路への「ナッチャンRera」就航に伴い、函館着が翌日13:00から11:45に、渋谷着は翌日8:35から7:00へと、それぞれ変更される。
- 2008年(平成20年)1月31日 - 国際興業はこの日の出発便をもって運行から撤退(それ以降は予約・発券業務のみを継続。路線自体は同年4月20日をもって廃止)。
- それ以降の歴史などについては十和田観光電鉄三本木営業所#廃止路線を参照。
深夜急行路線
国際興業では、一般路線の深夜バスとは別に、池袋・大宮両駅を起点とする中距離の深夜急行バスを運行している。1989年(平成元年)開業の池袋~大宮線に始まり、2005年(平成17年)開業の大宮~蓮田・久喜線まで拡張が続き、現在は以下の8路線体制となっている。これらの路線にはかつては観光格下げの車両が使われていたが、現在は交通バリアフリー法の改正に伴いロマンスシートを装備した座席定員の多い専用車両のいすゞ・エルガのワンステップ車が導入された。先述のとおり、元観光車を格下げして使用していた名残でこれらの車両にも観光用塗装が施された。原則としてこれらの車両が充当されるが、増便の際には一般乗合車両が応援に充当される。[1]
- ミッドナイトアロー成増・朝霞台:池袋駅西口→大山→下頭橋(中板橋駅入口)→ときわ台駅→上板橋駅前→東武練馬駅→下赤塚駅→成増駅入口→白子坂上→和光市駅入口→南栄町→朝霞市役所(朝霞駅西入口)→朝霞台駅(池袋営業所担当)
- ミッドナイトアロー朝霞台・新座:池袋駅西口→大山→下頭橋(中板橋駅入口)→ときわ台駅→上板橋駅前→東武練馬駅→下赤塚駅→成増駅入口→白子坂上→和光市駅入口→南栄町→朝霞市役所(朝霞駅西入口)→朝霞台駅→志木駅南口→新座駅南口(池袋営業所担当)
- ミッドナイトアロー光が丘・和光市:池袋駅西口→千川駅→羽沢(新桜台駅)→氷川台駅→平和台駅→練馬春日町駅(春日町図書館)→光が丘IMA(光が丘駅)→旭町南地区区民館→旭町南(土支田交差点)→和光市駅南口(練馬営業所担当)
- ミッドナイトアロー高島平・中浦和:池袋駅西口→板橋区役所→大和町(板橋本町駅)→本蓮沼駅→志村坂上→志村三丁目駅→蓮根駅→西台駅→高島平駅→新高島平駅→西高島平駅→田島団地→西浦和駅入口→中浦和駅(志村営業所担当)
- ミッドナイトアロー浦和・大宮:池袋駅西口→戸田中央通り(戸田公園駅入口)→大里(武蔵浦和駅入口)→浦和駅西口→北浦和駅西口→北与野駅(さいたま新都心駅西入口)→ソニックシティ前(大宮駅西口)→大宮駅東口(西浦和営業所担当)
- ミッドナイトアロー南浦和・東浦和:池袋駅西口→王子駅→王子五丁目(王子神谷駅)→東十条四丁目(東十条駅入口)→赤羽駅東口→川口駅東口→西川口駅東口→蕨駅東口→南浦和駅東口→東浦和駅(鳩ヶ谷営業所担当)
- ミッドナイトアロー蓮田・久喜:大宮駅東口→東大宮駅西口→伊奈栄→蓮田駅西口→蓮田西新宿→白岡駅西口→白岡ニュータウン入口→新白岡駅東口→久喜駅西口(さいたま東営業所担当)
- ミッドナイトアロー上尾・鴻巣:大宮駅東口→宮原駅入口→上尾駅東口→北上尾駅入口→桶川駅入口→二ツ家→北本駅入口→鴻巣駅東口(さいたま東営業所担当)
自治体からコミュニティバス運行の委託を受けている路線
※:国際興業が担当する路線・系統のみ掲載
- 東京都
- 埼玉県
車両
概説
83 | 01 |
---|---|
形式別区分 | 固有番号 |
この場合、「83」はLKG-LV234N3の形式別区分を持つ1号車である。上2桁の形式区分の一部は以下のとおり。
上2桁の区分 | 形式 | 形態 |
---|---|---|
10 | PDG-LR234J2 | 中型ノンステップ |
53 | PKG-LV234L2 | 大型ノンステップ |
54 | LKG-LV234L3 | |
55 | QPG-LV234L3 | 大型ノンステップ(未登場) |
国際興業バスでは、いすゞ系列の販売会社(北海道いすゞ自動車)を傘下に持つ関係から、一部の車両を除くほぼ全車をいすゞ自動車より、北海道いすゞ自動車をディーラーとして[2]導入している。一般乗合車両は、大型車と中型車を並行投入しており、車体はエルガ、キュービックなどの純正仕様である。高速・貸切もスーパークルーザーやガーラが導入されているが、元国際観光バスの日野・セレガが移籍している。
大型車のホイールベース(以下WB)はやや短めの4.8メートルクラスが主に選択されているが、1993年(平成5年)から1995年(平成7年)と2007年(平成19年)以降に標準的なWB5.3mクラスの車両がまとまった台数配備されたほか、1985年(昭和60年)から1991年(平成3年)にかけてWB4.3メートルの短尺車種(キュービックLT)の導入実績もある(2003年(平成15年)3月全廃)。また、1999年(平成11年)には、いすゞの乗合バス車両のモデルチェンジを機に、閑散路線・狭隘路線での使用を目的とした小型車(エルガミオ7m車)が導入されている。小型車はその後、コミュニティ路線の拡張等により増車が進んでいるが、いすゞが7m車の製造を短期間で打ち切ったことや、いすゞのラインナップにない車両、路線委託者の意向を踏まえて車種を選択するケースがあることなどから、日野自動車・三菱ふそうトラック・バス・クセニッツ等の他社より購入した車両も一部にある。UDトラックス(旧:日産ディーゼル)の車両は米軍輸送を担当していた1970年代前半までは在籍していたが、それ以降は在籍していない。最近では、ラッシュ型WB5.8メートルクラスの車両の導入をすすめている。
なお、大手事業者としては珍しく他社からの移籍車も少数存在しており、江ノ島電鉄から1台、淡路交通から8台が移籍している。(ワンロマ#国際興業バスの項も参照)
路線車
乗合バス車両のカラーリングは、東都乗合時代は緑と黄色を基調とするものであったが、国際興業バスの発足後ピンクグレーとマルーンの2色塗りとなり、さらに1959年(昭和34年)に現行デザインの基礎となる白地に濃淡2系統の緑色を配したものとなった。この際、ローマ字による社名表記とその略称である「KKK」をかたどったロゴが採用された。その後、1998年(平成10年)度にノンステップ車両が導入されたのを機に、薄緑色の部分が鮮やかな黄緑色に変更され、ロゴ等の細部の意匠変更が行われた。さらに、2002年(平成14年)度に再度マイナーチェンジが行われて今に至る。なお、1997年(平成9年)度までの車両は、「KKK」のロゴが消去されたのち、黄緑色への塗り替えと新しいロゴの付与が徐々に進行している。
なお、他社からの譲渡車を除き、ドアブザーはドアが完全に閉まるまで鳴り続ける。2010年(平成22年)度導入車両よりドアブザーが汎用タイプのチャイム式に変更され、また屋根の色も冷房能力効率化のため黄緑色から白色に変更された。
- KokusaiKogyoBus 6504.jpg
国際興業の乗合バス車両(用途外用車両)KC-LV280N
- KokusaiKogyo 6201a.JPG
路線・貸切兼用車 PJ-LV234L1
- KokusaiKogyo 6201 rear.jpg
路線・貸切兼用車 PJ-LV234L1(後部)
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国際興業バスの乗合バス車両P-LT312J(旧塗装)
高速・貸切・深夜急行車
観光・高速・深夜急行用の各車両のカラーリングは、日野・ブルーリボンのメーカーのカタログ撮影車塗装(通称:ブルーリボンカラー)を採用しているが、観光車および深夜急行車と高速車とでは塗り分けが若干異なる。深夜急行用の車両はかつては元観光車をそのまま観光用塗装で格下げして使用していた関係で、現在の深夜急行用のエルガにも観光用塗装が施された。 なお、側面・後面にて刻まれているローマ字表記では、グループ内の各社ごと(例えば、国際興業では「Kokusai Kogyo Bus」で表記し、またグループ事業者の十和田観光電鉄では「Towada Kanko」で表記)にて記されているが、近年投入されている新車及びグループ内各社への譲渡分については、原則「Kokusai Kogyo Group」で表記(ただしそれ以前に投入されている既存車に関しては、Group表記への書き換えは行われない)されており、この場合における所属事業者(社名)表示は「正面の行灯」及び「側面の前側上部または後面下部」でのみに記されているため、どこの所属であるかは見分けが付かなくなってきている。なお国際興業は側面の後面下部に「国際興業株式会社」の表記があったが、2012年11月に運営会社が国際興業グループ株式会社になってからの新車は単に「国際興業」だけの表記になり、それ以前の車両も順次変更されている。いすゞ・ガーラ(2代目、新車導入した車両のみ)からは、以前からフロントの左側に車名を入れている山梨交通同様に、フロントの左側に「GALA」ロゴを入れている 岩手県交通の前身である岩手中央バス(1970年(昭和45年)にグループ入り)では、長距離路線用のカラーリングに国際興業バスの観光・高速車両のカラーリングを採用していた。
- Kokusaikogyobus 902 limousine.jpg
国際観光と合併したことで台数が増えた日野・セレガシリーズ
- TowadaKanko U-LV771R AirportLimousine No,566.jpg
観光貸切車両の旧書体における表記例:十和田観光電鉄(参考画像)
- Shuhoku-Bus-pkg-gala691.JPG
グループ会社の社名表記例(Kokusai Kogyo Group):秋北バス貸切車両
廃車車両の譲渡
概要
国際興業で廃車となったバス車両は、グループ内の各バス事業者を中心に譲渡され、引き続き使用されることが多い。時に近年は、ノンステップバスの導入や首都圏のディーゼル車規制などによって入れ替わりが進み、現役使用に十分耐えうる車両が数多く地方に転出するようになった。近年では、ディーゼル規制をクリアしている車両の移籍も進んでいる。
グループ内の主な譲渡先としては、青森の十和田観光電鉄、秋田の秋北バス、岩手の岩手県交通、山梨の山梨交通などがある。例えば岩手県交通では、岩手県北自動車と「共通バスカード」を導入しているため、首都圏の「バス共通カード取扱車」のステッカーをそのまま流用している車両もあるなど、見た目はほぼ国際興業時代と変わらないことが多い。
グループ外の事業者への譲渡先としては、沖縄の那覇交通(現:那覇バス)、八戸市交通部・茨城オート・関鉄グリーンバス・川中島バス・京都急行バス・中国ジェイアールバス・サンデン交通・産交バス・鹿児島交通等があり、近年ではこうしたグループ外のバス事業者への譲渡も増加傾向にある。
カラーリング
グループの事業者は、従来、乗合バスにそれぞれ独自の塗色を施しており、国際興業からの譲渡車両も各事業者独自の塗色への塗り替えを行っていた。
しかし、1999年(平成11年)に自社発注が基本だった山梨交通も国際興業から中古車両の導入を始めることとなり、この際、コストの削減のため国際興業カラーを変更せず、社名のみを書き換えることで対応した。
また2000年代に入ると、他の3社も同様に事業者毎の塗色への変更をやめ、もとのカラーを踏襲するようになった。さらに、自社発注の新車および国際興業グループ外の事業者からの中古車も、原則的に同じ塗装、もしくは明るい緑の国際興業新カラーを施すようになっている。
現状では、譲渡車については濃い緑の旧カラーが多くを占めているが、岩手県交通などには国際興業で既に新カラーとなっていた世代の車両もそのまま入ってきているほか、山梨交通では初期に国際興業から導入した車両を国際興業の新カラーに変更している。
余談だが、岩手県交通の前身である岩手中央バス(1970年(昭和45年)にグループ入り)では、国際興業からの譲渡車両の一部を、塗装はそのままに社名を書き換えたり、「KKK」ロゴを「ワンマン中乗り・前乗り」表示や広告などで隠しただけで導入していた。岩手県交通への合併後もそのまま使用していた車両もあったため、グループの方針は岩手県交通における事実上の国際興業カラー復活となった。
グループ外への譲渡車ついては、外装は事業者毎の塗色への全面的に変更されている。それ以外の内装などについてはあまり手を加えられず、車内は国際興業時代と変わらない雰囲気となっている場合も多い。グループ外で国際興業路線カラーのままで使用されているのは香川県のジャンボフェリーの送迎用(自家用ナンバー)として使用されている。
- TowadaKanko RosenBus U-LV324K No.284.jpg
同グループ会社である十和田観光電鉄への譲渡車両
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グループ外の那覇バスへの譲渡車両
- Tomakomai M200F 0594.JPG
グループ外の苫小牧市営バスへの譲渡車両
さいたま国際バス
国際興業では、バス事業の規制緩和を前にした経営効率化の流れの中で、2001年(平成13年)9月に子会社・さいたま国際バスを埼玉県戸田市に設立し、翌2002年(平成14年)5月より一部路線の移管を行った。移管されたのは、戸田営業所管内の南浦和駅 - 下笹目線(南浦06系統)、武蔵浦和駅 - 下笹目線(武浦01系統)の2路線であり、同年秋からは国際興業の一部路線の運行管理業務の受託も開始した。しかし、設立からわずか2年余りを経た2004年(平成16年)4月1日に同社は解散し、国際興業に統合された。
乗車券類
- 定期券は一般の通勤・通学定期券のほか、東京都区内では「都区内フリー定期券」、「近距離定期券」、埼玉県内では「鳩ヶ谷フリー定期券」、「白鍬・新都心フリー定期券」の設定がある。他の事業者と路線が並走している、または共同運行を行っている路線では系統によっては「共通定期券」を発売している。
- 学生向けの年間通学定期券として「ばすく~る365」、65歳以上向けで国際興業バス全線(高速バス、深夜急行バス、一部のコミュニティバス、サッカー等の催事輸送バスなど一部の路線を除く)が乗り放題となる「彩京のびのびパス」を発売している。土曜・日曜・祝日・お盆・年末年始期間中に通勤定期券を所持している場合、同乗の家族全員が1乗車100円(小学生以下50円)となる、環境定期券制度も導入されている。
- いずれの定期券も紙製であり、国際興業バスでは2013年3月現在、ICカードの定期券は未導入となっている。
- 都区内均一区間の国際興業バス(練馬区「みどりバス」、板橋区コミュニティバス「りんりんGO」、足立区コミュニティバス「はるかぜ」を含む。高速バス、深夜急行バス、他社のバスを除く)に1日乗り放題となる「都内乗り継ぎ一日乗車券」を東京都内の国際興業バス営業所・案内所と都内営業所のバス車内で発売している(バス車内では枚数に限りがあるため、売り切れの場合もあり)。
- 発売額は大人500円、小人250円。乗車券はスクラッチ式となっており、使用年月日のスクラッチ部分をコイン等で削り、運転士に削った年月日がハッキリ見えるように提示する(提示は前のりの場合は乗車時、後のりの場合は降車時)。初回使用時は「初乗り券」部分を切り取り、運賃箱に投入する。ICカードの残額では購入できず、ICカードへの一日乗車券の書き込みもできないため、購入時はあらかじめ現金を用意する必要がある。
- 東京都と埼玉県に跨る系統では、都県境停留所(都区内均一運賃と埼玉県内運賃の境界となる停留所。東京都側にある場合と埼玉県側にある場合がある)より東京都側のみ乗車の場合は追加運賃不要で利用できる。都県境停留所を越えて埼玉県側に跨って乗車の場合は、都区内均一運賃(大人210円、小人110円)との差額が生じる場合、その差額の運賃を別途支払うことで利用できる(前のりの場合は乗車時、後のりの場合は降車時に一日乗車券を提示するとともに差額を支払う。前のりの場合は降車停留所を申告し、後のりの場合は始発点から1区間から乗車の場合を除き、乗車時に整理券を受け取る)。都県境停留所から埼玉県内のみ、または都県境停留所から都県境停留所への乗車の場合は利用不可となるので、普通運賃を支払う必要がある。なお、乗車停留所、降車停留所のいずれかが東京都区内であれば、を発売していない埼玉県内営業所のバスに乗車の場合でも利用が可能である。
- 赤26系統(赤羽駅東口 - 舎人団地)は起終点及び全線の走行区間が東京都内であっても運行管轄営業所が川口営業所だが、都内乗り継ぎ一日乗車券は当系統運用車両のみ車内販売が行われている。また、管轄営業所である川口営業所の窓口と川口駅東口案内所でも購入可能である。
- 赤23系統(赤羽駅東口 - 西新井駅)は起終点が東京都内にあるが、荒川大橋 - 鹿浜五丁目間で埼玉県内を走行するため、この区間完結での利用は不可となる。ただし、埼玉県内で乗降しない場合や、荒川大橋 - 鹿浜五丁目間の各停留所間で乗降する場合でも、東京都内と跨って乗車する場合は追加運賃不要で利用できる。
- 増14系統(成増駅北口 - 下笹目)の「笹目橋」停留所は東京都内にありながらも前後の停留所が埼玉県内にあり都区内均一運賃ではないため、同停留所のみ乗車は利用不可で、都区内からの乗車で当停留所で降車の場合のみ利用可能。
- 上記の増14系統及び高01(成増駅北口 - 高島平操車場)・高01-2(赤塚公園 → 成増駅北口)・増19(成増駅北口 → 下新倉)の各系統の「吹上新道」、「下新倉」の停留所は埼玉県内にあっても通常の現金及びPasmo・SuicaなどのICカードでの利用の場合は当該区間の走行が僅かなために都区内均一料金区間としているが、実際は都区内均一運賃ではないため両停留所からの乗車は利用不可で、都区内からの乗車で両停留所で降車の場合のみ利用可能。
- 石02(石神井公園駅 - 成増駅南口)・石03(石神井公園駅 - 成増駅南口 - 練馬北町車庫)の「牛房」、「白子向山」、「土支田交番」停留所は埼玉県内にあるが都区内均一料金区間であるため、これら各停留所相互間の乗降であっても利用可能である。
- 深夜バスに乗車の場合は、一日乗車券を提示するとともに深夜バス運賃の半額を、埼玉県内(都区内均一運賃区間を除く)に跨る場合はこれに加えて都区内均一運賃との差額を別途支払うことで利用できる。
脚注
参考文献
- バスラマ・インターナショナル16号「ユーザー訪問:国際興業」(ぽると出版)
- バスラマ・インターナショナル93号「バス事業者訪問:国際興業」(ぽると出版)
- バスジャパン・ニューハンドブック33「国際興業・山梨交通」(BJエディターズ)
- バスマガジン15号「国際興業グループのマイノリティバス」
- バスマガジン21号「バス会社潜入レポート:国際興業」(三推社)
- 「国際興業五十年史」国際興業株式会社社史編纂室 国際興業、1990年。
外部リンク
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