千住
テンプレート:Redirect 千住(せんじゅ)
- 東京都の地名。本項で解説。
- 佐賀市内に存在した村。「せんじゅう」と読んだ。
- 日本の姓。千住博、千住明、千住真理子など。「ちすみ」と読むこともある。
- 千住で始まる項目の一覧
千住(せんじゅ)は東京都の地名である。せんじゅうとは発音しない。江戸時代の頃から日光街道・奥州街道の第1宿千住宿が整備され発展した。
- 郵便番号:120-0034。
地名
足立区の北千住駅一帯を指す地名である。なお、「北千住」という町名は存在しない。また、荒川区南千住については「南」を略して「千住」と呼ぶことは少ない。荻生徂徠の『政談』によれば、当地が「大江戸八百八町」の北限であった。
1960年代以降、住居表示が実施されるまでは、荒川の北に位置する、現在の梅田、足立西部、中央本町一丁目南部及び二丁目も千住の一部であった。
- 現行行政地名
- 千住一 - 五丁目(旧称:本町)
- 千住桜木一 - 二丁目(旧称:千住桜木町)
- 千住元町
- 千住大川町
- 千住柳町
- 千住寿町
- 千住中居町
- 千住龍田町
- 千住宮元町
- 千住緑町一 - 三丁目
- 千住仲町
- 千住河原町
- 千住橋戸町
- 千住旭町
- 千住東(あずま)一 - 二丁目(旧称:千住東町)
- 千住関屋町
- 千住曙町
- 南千住(荒川区)
※上記のうち千住二・三丁目、千住緑町一丁目、千住橋戸町は住居表示未実施。
- 住居表示実施により廃止された町名(荒川北岸)
- 千住八千代町(1989年まで荒川河川敷の町名として存続していた)
- 千住高砂町
- 千住末広町
- 千住若松町
- 千住弥生町
- 千住栄町
また、荒川放水路開削前は綾瀬側に属し、南足立郡綾瀬村であった日ノ出町、元は葛飾区に属していた柳原も現在は千住地区に属する。
これら千住地区は、東は葛飾区小菅、四つ木、西は小台、荒川区町屋、東日暮里、南は荒川区南千住、墨田区墨田、北は本木、本木南町、関原、梅田、足立と接する。
歴史
勝專寺の寺伝によれば、1327年(嘉暦2年)に新井図書政次が荒川で網で千手観音像を拾い、この地を千手と呼んだことに由来するという。この像は息子でありこの寺の開基でもある新井兵部政勝によって同寺に移安されたとしている。
他には、足利義政の愛妾千寿の出生地であったからという説や、千葉氏が住んでいたからだという説が知られている。
江戸時代頃から日光街道の宿場として発展した。江戸から一つ目の宿場であり、江戸四宿のひとつとしても数えられた。南北千住を結ぶ千住大橋の北岸を北組(千住一~五丁目)・中組(掃部宿)の二つに分け、橋南に南組(小塚原町・中村町)を設けこれら3組を合して千住宿と称した。北組・中組・南組が公的な地名となるのは明治になってからである(→千住宿)。
いわゆる「岡場所」のひとつであり、当時の船頭たちが歌った「千住節」の一節「千住女郎衆はいかりか綱か 上り下りの舟とめる」というのはこれを指している。また江戸市街の喉もとで奥州街道、水戸街道の始点として、日光・東北方面への旅人で賑わったといわれている。
松尾芭蕉の奥の細道の出発点でありテンプレート:要出典、見送りの門弟たちとの別れを「行く春や 鳥啼魚の目は泪」と詠んだ。
また、練馬の大根、目黒の筍、尾久の牛蒡などとならんで葱の名産地として有名であった。
明治以降郡区町村編制法の施行を経て、南組を東京府北豊島郡南千住町、北組、中組は併合して同府南足立郡千住町とし郡役所を同町に置いた。
1871年(明治4年)7月17日、千住黴毒院(ばいどくいん)が開設され、宿娼妓に梅毒検査が行なわれている。『経済及統計』(内務省・明治23年2月)によれば、1883年(明治16年)の千住宿の売娼妓数374、買客数43,000、1888年(明治21年)にはそれぞれ466、65,000との記録がある。いずれも二廓四宿においては内藤新宿、板橋宿を上回っていた。1881年(明治14年)10月11日、三条太政大臣、岩倉右大臣が当宿に東北巡幸帰還中の明治天皇を迎え、大隈重信の免職と国会開設の命令を受けている(明治十四年の政変)。
また水利の好条件を生かし、官営千住製絨所・隅田川駅(貨物駅)・千住火力発電所などが置かれ、もって舟便のよいことが近在農村に広く知られるようになり、昭和20年代まで青物、川魚の朝市が毎朝のように開かれた。
1930年(昭和5年)の国勢調査によれば、北豊島郡南千住町の人口は56,017人で郡内20ヶ町村中7位の規模であり、南足立郡千住町は69,085人で郡中最大だった。翌々1932年(昭和7年)10月1日、両町とも東京府東京市の一部となり消滅した。
地誌
足立区南部に位置する。地域内にはJR常磐線や地下鉄千代田線、地下鉄日比谷線、東武伊勢崎線、つくばエクスプレス等が通り、それらが交差する北千住駅がある。また、地域の中央部に日光街道が通る。
服飾・雑貨を売る店やレストラン、洋菓子店、美容室などが北千住駅から放射状に軒を連ね、その数は千店舗とも言われているテンプレート:誰2。街並みは洗練されており、雑誌などのアンケートでは、「住んでよかった街」として上位に名を連ねることが多く、最近はしばしば1位に選ばれている、城北・城東エリアを代表する住宅街でもある。
大手スーパーイトーヨーカドーの事実上の1号店は千住店である。近年、北千住駅西口で再開発が進み、マルイ、東京芸術センター、東京藝術大学千住キャンパスなどが建設された。2000年以降も足立区による誘致活動によって複数の大学(東京未来大学、帝京科学大学、東京電機大学)がキャンパスを開設することが決定しており、学都としての色彩も強めつつある。
千住橋戸町には水産物専門の東京都中央卸売市場足立市場がある。
山田宗樹の小説「嫌われ松子の一生」の舞台にもなり、中島哲也監督・中谷美紀主演の映画と内山理名主演のテレビドラマや、テレビドラマ「3年B組金八先生」などのロケ現場にもなっている。
足立区出身のビートたけしのギャグトークや著書にも時々登場する。
現代の交通
京成関屋駅と牛田駅は隣接しており、徒歩連絡している。
- 堀切駅
- 東武鉄道伊勢崎線(東武スカイツリーライン) - 駅番号 TS 07
過去の交通
隣の宿、分岐
- 本街道
- 日光街道
- 水戸街道
- 千住宿 - 新宿