浦添市
テンプレート:Infobox 浦添市(うらそえし、沖縄方言:ウラシー[1])は、沖縄本島の南部地域と中部地域の境目に位置し、南は那覇市、北は宜野湾市、東は西原町に隣接する都市である。
目次
概要
那覇市、沖縄市、うるま市に次ぎ、沖縄県第4の規模を持つ市である。全国でも高い出生率を誇り、那覇市と隣接するため人口増加が著しく、人口密度は5,694人/km²(2007年3月31日現在)と県内では那覇市に次いで2番目に高く、全国でも鉄道路線の通っていない市町村では1番高い。県内でも有数の商業、工業が活発な市である。
琉球王朝発祥の地であり、「津々浦々をおそう(諸国を支配する)」という意味で、それが「ウラオソイ」、されに転じて「ウラシイ」となり、現在のような「浦添」の文字が与えられたとされている。
12世紀から14世紀の約220年間、浦添城(現在は浦添城址)を中心に琉球王国の首都として栄えた。その時の王「英祖王」の父が太陽であったという伝説があり、それにちなんで沖縄の方言で太陽を意味する「てぃだ」と、その太陽の子供を意味する「こ」を合わせ「てだこ」と呼ばれる。それにより別名「てだこの街」と呼ばれることもあり、行事などにもその名称をつけることが多い。
沖縄戦では同市から宜野湾市にかけて、中央司令部であった首里城を守るため攻防戦がはられたため激戦地となった。戦後、西海岸地区は米軍基地となっている。
また、2004年1月にハンドボール王国都市宣言を行い、市内の全公立小中学校にハンドボール部があるなど、日本でも有数のハンドボールの盛んな土地である。
地理
沖縄本島の南側に位置し、東シナ海に面する西海岸沿いにあって、南は那覇市、北は宜野湾市、東は西原町と2市1町と接している。市域(飛地を含む)は、東西8.4km、南北4.6kmで、北を頂点として南西と南東に広がった扇状の形をしている。総面積は、2000年(平成12年)9月に西洲二丁目のふ頭用地の埋立(0.06km²)が、告示編入されたため19.09km²となった。西側の東シナ海と接しているところはアメリカ海兵隊の兵站基地「牧港補給地区(Camp Kinser)」が占めている。また浦添ふ頭・沖縄県中央卸売市場として使用されている伊奈武瀬地区は飛地である。
町・字一覧
- 安波茶(あはちゃ) 1-3丁目
- 伊祖(いそ) 1-5丁目
- 伊奈武瀬(いなんせ) 1丁目
- 西洲(いりじま) 1・2丁目
- 内間(うちま) 1-5丁目
- 大平(おおひら) 1-3丁目・字大平
- 経塚(きょうづか) 1丁目・字経塚
- 城間(ぐすくま) 1-4丁目・字城間
- 小湾(こわん) 字小湾
- 牧港補給地区内にあった集落。戦後軍用地として土地が接収され、小湾住民は宮城に移住した。
- 勢理客(じっちゃく) 1-4丁目
- 沢岻(たくし) 1-2丁目・字沢岻
- 当山(とうやま) 1-3丁目
- 仲西(なかにし) 1-3丁目・字仲西
- 仲間(なかま) 1-3丁目・字仲間
- 西原(にしはら) 1-6丁目
- 前田(まえだ) 1-4丁目・字前田
- 牧港(まきみなと) 1-5丁目・字牧港
- 港川(みなとがわ) 1・2丁目・字港川
- 宮城(みやぎ) 1-6丁目・字宮城
- 1949年に小湾住民が移住してきた。宮城に「小湾」というバス停があるのはそのため。
- 屋富祖(やふそ) 1-4丁目・字屋富祖
隣接する自治体
歴史
歴史は古く、13世紀ごろに登場する英祖王統の中心地として栄え、14世紀末に察度王統が尚巴志王によって滅ぼされるまで中山王国の首都であった。
太平洋戦争中の1944年(昭和19年)に日本陸軍沖縄南飛行場(別称、仲西飛行場、又は城間飛行場)が建設されるが、米軍の攻撃と上陸に合い飛行機が一機も飛び立つ事も無く放置されて沖縄戦を終えた。 その後、米軍が同飛行場を占拠後、牧港補給基地(通称、キャンプキンザー)を建設して、21世紀の現在も基地として使用している。
戦後、那覇市のベッドタウンとなり人口が急激に増加。1970年に浦添村から浦添市となり、1998年1月には人口10万人目達成となる。
年表
- 1671年 - 浦添間切北部9村を宜野湾間切(現在の宜野湾市)として分離。
- 1737年 - 棚原を西原間切(現在の西原町)に編入。
- 1xxx年 - 親富祖と屋富祖が合併し屋富祖となり、饒平名と宮城が合併し宮城となる。
- 1887年 - 浦添小学校が開校。
- 1896年 - 中頭郡に編入。
- 1908年 - 浦添間切から浦添村へ改名。村制施行後、当山・経塚・港川・佐久川(現大平)が字として分立、18字となる。
- 1922年 - 沖縄県営鉄道が開通。内間駅、城間駅を設置。
- 1935年 - 伊祖神社を建設。
- 1945年 - 沖縄戦により市民(当時は村民)の約半分(44.6%)が犠牲。
- 1946年 - 市民(当時は村民)の大半が米軍の捕虜として仲間の収容所へ移動。
- 1947年 - 戦争遺骨を納めた浦和の塔の建設。
- 1949年 - 牧港補給地区内にあった小湾集落の住民が宮城クモト原に移住。
- 1950年 - 米軍基地「牧港補給地区」(キャンプ・キンザー)の建設開始。
- 1958年 - 流通拠点を作るために勢理客城門原の埋立事業着工。あらゆる商工業企業が進出。(西洲 41.7ha)
- 1970年 - 浦添村から浦添市へ改名。
- 1971年 - 琉球政府道41号線(現国道330号)のバイパスが古島IC-大平IC間が部分開通したのに伴い大平周辺が発展。
- 1972年 - 沖縄本土復帰。沖縄県の設立。
- 1978年 - 第1回てだこまつり開催。
- 1981年 - 宮城公園開園。
- 1984年 - 沖縄国際センターが完成。
- 1985年 - 内間・伊祖間のパイプライン返還。ASEAN諸国などの人材育成や国際交流などを目的として沖縄国際センターが前田に開館。
- 1990年 - 浦添市美術館が開館。
- 1998年 - 人口10万人達成。
- 2000年 - プロ野球東京ヤクルトスワローズ(当時はヤクルトスワローズ)が春季キャンプ開始。
- 2002年 - 市内をエリアとするコミュニティFM局・FM21が開局。
- 2004年1月 - 国立劇場おきなわが完成
- 2005年11月 - 米陸軍工兵隊沖縄事務所跡地にショッピングモール「バークレーズコート」開店。
- 2006年3月31日 - 浦添市民会館が閉館。
- 2006年4月1日 - 市内全小中学校で2学期制が始まる。
- 2006年4月29日 - 大型ショッピングセンター「浦添ショッピングセンター」が元ダイエー浦添店跡地に開店。
- 2007年4月28日 - 浦添市てだこホールが開館。
- 2007年8月15日 - 浦添市へのモノレール延長を目指す浦添市民総決起大会が開催。
- 2008年11月19日 - 同市最大のショッピングセンターサンエー経塚シティが開店。
行政
浦添市議会
- 議員定数27人 現議員数27人 欠員0人
- 議長:又吉正信(イノベーション21)
- 副議長:亀川雅裕(そうぞう)
- 会派別構成(2014年6月9日現在[2])
会派 | 議員数 | 党派 | 備考 |
---|---|---|---|
仁の会 | 3 | ||
イノベーション21 | 2 | 「改革フォーラム21」から改称 | |
公明党 | 4 | 公明党 | |
日本共産党 | 2 | 日本共産党 | |
市政クラブ | 2 | ||
市民の会 | 2 | ||
てだこ第一 | 2 | ||
てだこ第二 | 2 | ||
市民ネット | 2 | ||
新世会 | 2 | 政党そうぞう1・無所属1 | 下地惠典は無所属で当選後そうぞうに入党 |
そうぞう | 2 | 政党そうぞう | 仲程淳也は無所属で当選後そうぞうに入党 |
市民クラブ | 2 | 沖縄社会大衆党1・無所属1 | |
計 | 27 | 党派は当選時報道による[3] |
産業
商業
- 同市の主な商域圏には、自動車販売会社やショッピングセンター、ファーストフード店などが連なる国道58号沿線、各地域にある昔ながらの商店街、そして1991年には西海岸埋立地の西洲に形成された沖縄県卸商業団地がある。特に卸商業団地は県内の有力企業63社が集結し、県内の一大物流拠点となる。
- 1995年国勢調査の第3次産業就業者数も80.2%と高い率を占めている。さらに西海岸第2次埋立事業を推進し、運輸業等を加えた総合物流ターミナルの形成をめざしている。
- 2005年には同市初のショッピングモール「バークレーズコート」がオープンし、翌年にはダイエー店舗跡が浦添ショッピングセンターとしてオープンした。また、2008年には経塚の小学校予定地にサンエー経塚シティがオープンしており、商業施設が増加中である。
農業
- 同市の1998年12月末における作付面積は4,053aで全市域面積の約2%にあたり、その約5割が市東部の西原、前田、沢岻地域に集中している。
- 作付面積の51.2%をさとうきびが占め、23%が野菜類となっている。農家戸数は222戸で、このうち専業は13戸、兼業が209戸と9割以上が兼業農家となっている。
水産業
- 同市の漁家個数は1998年12月末現在で87戸。そのうち64戸(73.5%)が専業漁家。漁業従事者は87名で漁船は64隻、総漁獲高は120トンで1億2,996万円となっている。
- 近年は捕獲漁業から養殖漁業への転換を図るため、1986年に操業を開始したクルマエビの養殖は、毎年順調な伸びを見せ、1998年12月末には水揚げ量38トンで1億9,800万円を計上するまでになった。
工業
- 同市の工業は1997年末現在、167の事業所(県内4位)があり、従業員数が1,988人(県内2位)、製造品出荷額は495億円(県内3位)と、那覇市に次ぐものとなっている。
- 業種別では金属製品製造業が31事業所、食料品製造業が37事業所、出版・印刷関連産業、32事業所で全体の6割近くを占め、従業員数でも食料品製造業の813人(全体の41%)、出版・印刷等関連産業228人(11%)、金属製品製造業188人(9%)の順になっている。
同市に本社を置く企業
- 電気・ガス業
- 食料品
- 卸売業
- ガラス・土石製品
- 小売業
- 情報・通信業
- 運輸業
国際機関
領事館
- テンプレート:Flagicon在日米国大使館 駐那覇 アメリカ合衆国総領事館
姉妹都市・提携都市
- 国内
地域
人口
教育
2004年1月に英語教育特区の認定を受け、同年4月より小学校に英語科を特設し小学校1年生から9年間を見据えた英語教育を推進している。
同市では1979年のハンドボール九州大会で中学男子の優勝を皮切りに、小中学校の全国制覇を約40回、準優勝を合わせると60回近くに上る。これを機に2004年1月に浦添市ハンドボール王国都市宣言を行い、世界で活躍できる選手育成に力を入れ、今後更なる活躍に市民の期待が高まっている。宣言碑が浦添運動公園に設置されている。
また、2006年4月より市内一部小中学校で実施されていた、二学期制が全小中学校で導入された。
現在、当市には市立幼稚園が11園、小学校が11校、中学校が6校、高等学校が6校、特別支援学校が3校、専修学校が4校ある。
高等学校
中学校
小学校
- 浦添市立内間小学校
- 浦添市立浦城小学校
- 浦添市立浦添小学校
- 浦添市立神森小学校
- 浦添市立沢岻小学校
- 浦添市立当山小学校
- 浦添市立仲西小学校
- 浦添市立前田小学校
- 浦添市立牧港小学校
- 浦添市立港川小学校
- 浦添市立宮城小学校
幼稚園
- 公立
- 浦添市立内間幼稚園
- 浦添市立浦城幼稚園
- 浦添市立浦添幼稚園
- 浦添市立神森幼稚園
- 浦添市立沢岻幼稚園
- 浦添市立当山幼稚園
- 浦添市立仲西幼稚園
- 浦添市立前田幼稚園
- 浦添市立牧港幼稚園
- 浦添市立港川幼稚園
- 浦添市立宮城幼稚園
- 私立
- 愛翔学園
- 安里学園第二
- テクノ幼児園
- ドレミ幼稚園
- 平和学園
- 牧港ひまわり幼稚園
- みのり幼稚園
- 友愛幼稚園
特別支援学校
専修学校
- 沖縄県立浦添看護学校
- 沖縄歯科衛生士学校
- 学校法人 みのり学園 琉球調理師専修学校
- インターナショナルデザインアカデミー
職業訓練
- 沖縄県立浦添職業能力開発校(公共職業能力開発施設)
交通
路線バス
テンプレート:Main 那覇市と隣接するため多くの路線が通る。ただし、市街地(安波茶地区・屋富祖地区・仲間地区など市役所周辺)を通る路線はあまりなく、ほとんどの路線は国道58号、国道330号(浦添バイパス・安里バイパス)を経由する。この場合のバイパス上のバス停は「嘉数」「浅野浦」「大平」「陽明高校前」「沢岻」の5つとなる。 また、同市内でバスレーンがあるところは国道58号のみである。 沖縄自動車道の西原ICがあるが、バス停がないため、高速道路経由路線は停車しない。
現在沖縄本島内民営バス会社4社全てが市内に乗り入れている。主に市街地を運行するバス会社は琉球バス交通、東陽バス。沖縄バスは国道58号と経塚地区のみ。那覇バスは県道241号と伊奈武瀬地区のみを運行している。
以前は、東陽バスによる市街中心部を経由する路線が4路線あったが、内2路線が廃止され、現在に至っている。また、過去には市内一周線も運行されていた。
- 国道58号を経由
- 20番・名護西線 (琉球バス交通・沖縄バス)
- 23番・具志川線 (琉球バス交通)
- 27番・屋慶名(大謝名)線 (琉球バス交通・沖縄バス) ※共同運行ではない
- 28番・読谷(楚辺)線 (琉球バス交通・沖縄バス)
- 29番・読谷(喜名)線 (琉球バス交通・沖縄バス)
- 31番・泡瀬西線 (東陽バス)
- 32番・コンベンションセンター線 (沖縄バス)
- 52番・与勝線 (沖縄バス)
- 63番・謝苅線 (琉球バス交通)
- 77番・名護東(辺野古)線 (沖縄バス)
- 80番・与那城線 (沖縄バス)
- 110番・長田具志川線 (琉球バス交通)
- 120番・名護西空港線 (琉球バス交通・沖縄バス)
- 223番・具志川おもろまち線 (琉球バス交通)
- 227番・屋慶名おもろまち線 (琉球バス交通・沖縄バス) ※共同運行ではない
- 228番・読谷おもろまち線 (琉球バス交通・沖縄バス)
- 263番・謝苅おもろまち線 (琉球バス交通)
- 国道330号(バイパス)を経由
- 21番・新都心具志川線 (琉球バス交通)
- 88番・宜野湾線 (琉球バス交通)
- 90番・知花(バイパス)線 (琉球バス交通)
- 98番・琉大(バイパス)線 (琉球バス交通)
- 112番・国体道路線 (琉球バス交通)
- 県道38号浦添西原線、県道251号那覇宜野湾線(通称パイプライン通り)を経由
- 55番・牧港線 (琉球バス交通)
- 56番・浦添線 (琉球バス交通)
- 91番・城間(南風原)線 (東陽バス)
- 99番・天久新都心線 (琉球バス交通)
- 191番・城間(一日橋)線 (東陽バス)
- 県道241号宜野湾南風原線を経由
- 25番・普天間空港線 (那覇バス)
- 33番・糸満西原(末吉)線 (那覇バス)
- 97番・琉大(首里)線 (那覇バス)
- 沖縄自動車道を経由(※浦添市内には停車しない)
- 111番・高速バス (琉球バス交通・沖縄バス・那覇バス・東陽バス)
- 113番・具志川空港線 (琉球バス交通)
- 123番・石川空港線 (琉球バス交通)
- 127番・屋慶名(高速)線 (沖縄バス)
- 伊奈武瀬地区へ乗り入れ
- 101番・平和台安謝線 (那覇バス)
- 勢理客から経塚へ乗り入れ(那覇からは国道58号経由)
- 87番・てだこ線 (沖縄バス)
- 287番・てだこおもろまち線 (沖縄バス)
鉄道
戦前には沖縄県営鉄道嘉手納線が通っていたが、1945年に太平洋戦争で破壊され、消滅した。沖縄県営鉄道嘉手納線は軽便鉄道であった事から「ケービン(軽便)」と呼ばれ、浦添市内には「牧港駅」・「城間駅」・「内間駅」があった。現在は、大平特別支援学校前バス停の近くに線路の一部が残っている。
将来、那覇市内に敷設されている沖縄都市モノレールが同市の西原入口交差点付近(前田地区)まで延長し、沖縄自動車道と接続する予定である。また、現在3案ある延長ルート案のうち、1つは同市内を通る経路となっている。[1] 現在同市の最寄り駅は古島駅、又は儀保駅である。
道路
面積が小さいため主要道路の数は少ないが、その数少ない道路は那覇市と沖縄市、名護市などをつなぐ道路のため交通量が多く、渋滞が頻繁に発生する。特に浦添市中心部へ向かう大平ICの渋滞が著しかったが、2007年に国道330号(那覇方面)拡張により大平ICで分岐する車線が2車線増設され、解消される見込みである。
- 沖縄自動車道
- 国道58号
- 国道330号(バイパス・西原バイパス(ここでさす"西原"も沖縄自動車道西原ICと同じ意味でつけられている))
- 沖縄県道38号浦添西原線(主要地方道・ここでの"西原"は西原町をさす)
- 沖縄県道153号線
- 沖縄県道241号宜野湾南風原線
- 沖縄県道251号那覇宜野湾線
なお、九州・沖縄地方における一般道路においての交通量の上位5位は以下の通りであり、上位3位は同市によって占められている(2005年)。
健康
医療
- 特定医療法人仁愛会 浦添総合病院(伊祖4-16-1)
- 医療法人太平会
- 嶺井第一病院(字大平446)
- 嶺井第二病院(西原3-20-10)
- 嶺井リハビリ病院(牧港3-1-10)
- 医療法人博愛会 牧港中央病院(字牧港1199)
- 医療法人八重瀬会 同仁病院(字城間2606)
- 医療法人球陽会 浦添海邦病院(港川2-24-2)
福祉
- NPO法人ライフサポートてだこ(宮城3-13-12)
保健
●浦添市保健相談センター(浦添市健康推進課)仲間1-8-1
衛生
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
祭り
旧跡
施設
- 浦添市美術館 - 公式サイト
- 浦添市立図書館 - 公式サイト
- 浦添運動公園 - 公式サイト
- 浦添市温水プール - 公式サイト
- 国立劇場おきなわ - 公式サイト
- 浦添市産業振興センター・結の街 - 公式サイト
- 沖縄国際センター - 公式サイト
- 浦添市てだこホール - 公式サイト
催事
- 1月:浦添市成人式
- 2月:てだこウォーク、沖縄青少年科学作品展、浦添市小中学校音楽祭
- 3月:沖展、おきぎんカップバレーボールビッグリーグ
- 7月:てだこまつり
- 11月:浦添市文化祭、サントピア沖縄バレーボール大会
米軍基地
- 浦添市の西海岸は米軍基地によって占められている。牧港補給地区は騒音問題がない基地によるものか、行政の強い返還の意志がなかったが、都市の発展に伴い、西海岸地区の開発計画が持ち上がったため、現在は跡地利用計画などの返還を前提とした都市開発計画が立てられている。
- なお、1995年ごろに嘉手納基地以南の全米軍基地の返還が約束されたが、那覇港湾施設(那覇軍港)に関しては嘉手納以南である浦添への移転が計画された。規模は牧港補給地区の2%程であり、新たな埋立地への建設を予定していることから都市計画に影響が無く、市は移転受け入れを表明した。しかし、2007年に発表された米軍再編交付金では、受け入れ表明にもかかわらず初期段階では従来の10分の1しか交付金が支払われないことが判明し、問題となっている。
浦添市出身の有名人
- arie(仲間愛里紗、シンガーソングライター:元Folder/元Folder5)
- かでかるさとし(タレント)
- 川満聡(タレント)
- 金城茂之(プロバスケットボール選手:琉球ゴールデンキングス所属)
- KEN(奥本健、歌手:DA PUMP)
- デニー友利(元プロ野球選手)
- 仲間由紀恵(女優)
- 宮平保(中国武術)
- マーキー(中村麻紀(旧姓:翁長)、歌手:元HIGH and MIGHTY COLOR)
- 又吉栄喜(小説家)
- 鶴渕さやか(沖縄テレビ放送アナウンサー)
- 宮城さつき(アナウンサー)
その他
警察
消防
- 浦添市消防本部(前田2-14-1)
- 牧港出張所(牧港5-4-12)
- 内間出張所(内間3-18-7)
領事館
- 那覇アメリカ総領事館(当山2-1-1)
領事館裏が米陸軍工兵隊沖縄事務所となっていたが、返還され現在は商業施設バークレーズコートになっている。
郵便
- 浦添郵便局が市内全域の集配を受け持っているほか、2006年9月より西原町も浦添郵便局が受け持つようになった(それまでは西原郵便局が受け持っていた)。
- 郵便番号は901-21xx(浦添市一般)、901-25xx、901-26xx(以上浦添市の大口事業者用)、903-01xx(西原町一般)、903-02xx(西原町の大口事業者用)。
無集配局 テンプレート:Col
電話
市外局番は復帰前、もともと宜野湾市と同じ大謝名局の09で市内局番が7だったが、加入者数が多くなったため1971年にこれまでの大謝名局から那覇局の08に移り、市内局番の頭に7をつけて77となった。翌年1972年の本土復帰とともに市外局番が0988となった(市内局番の77はそのまま)。以降市内局番70番台は浦添市内に割り当てられていた。その後1990年に現在の098となり、市内局番は頭に8が加わり870番台が浦添市内に割り当てられていた。さらに1990年代末には942と9から始まる市内局番も登場し、現在市内では870-879と942などが市内局番として割り当てられている。なお、那覇市に近い沿岸部の一部では那覇市中心地で使用されている860-869と941などが使用されている。
放送
- 市南西部の小湾にFM沖縄の本社がある(送信所は南風原町)。かつては極東放送というAMラジオ局だった。
- コミュニティFM局のFM21が2002年に開局。市内一円を放送エリアとしているが、出力が20Wであるため隣接する那覇市首里・宜野湾市・西原町などでも受信可能。
- 市北西部の牧港の沖縄電力牧港火力発電所煙突部に宜野湾テレビ中継局(出力はアナログ10W、デジタル1W)が設置されており、牧港周辺や北隣の宜野湾市西部を主に放送エリアとしている。また市南西部に隣接する那覇市曙にも安謝テレビ中継局があり、映像出力0.1Wと微弱ながら市南西部で受信可能。その他の地域は豊見城市の親局の送信所から直接受信している。
- ケーブルテレビ局の沖縄ケーブルネットワーク(OCN)が市内一円をサービスエリアとしている。
脚注
外部リンク
テンプレート:浦添市の町・字- ↑ 語彙詳細 -- 首里・那覇方言、琉球語音声データベース、琉球大学沖縄言語研究センター、2012年10月14日閲覧。
- ↑ 会派別名簿 | 浦添市議会
- ↑ テンプレート:Cite web