牧志公設市場
牧志公設市場(まきしこうせついちば)は、沖縄県那覇市にある公設市場。別の場所に「雑貨部」「衣料部」があるが、通常「牧志公設市場」といえば魚介類・食肉類をはじめとした食料品の販売を中心とした「第一牧志公設市場」を指す。以下特に断りのない限り第一牧志公設市場について説明する。
概要
- 営業時間(基本):10時~21時(食堂のラストオーダーは20時)
- 定休日:第4日曜(鮮魚は第2・5日曜も休日)、新旧正月、旧盆
フロア構成
- 1階 - 鮮魚・食肉・乾物等
- 2階 - 食堂・菓子(サーターアンダギーなど)・リフォーム等
周囲の商店街は入り組んでおり、出入り口など位置関係がわかりにくいが、その分凝縮されているとみることができる。
現在は約200の店舗が入居しており、原則すべて独立業者である。同一業種の業者ごとに密集する市場形態は沖縄県外ではあまり見られないが、これは戦前あった東町市場の配列を参考にしたためといわれる。
沿革
第二次世界大戦後、ガーブ川沿いに自然発生的に闇市が興った。川沿いだけでなく川の上にも水上店舗が立ち並ぶ状態だったが、一帯はもともと郊外の湿地帯だったため大雨のたびに洪水が起こり、衛生的にも問題になっていた。陸上の業者は水上店舗により川の許容水量が落ちているとして店舗の一掃を求めたが、水上業者も組合を結成して対抗し、市民間の対立が深刻化していた。
そこで那覇市は公的管理が及ぶ公設市場の必要性を認め、1950年、市が米軍管理用地約9800m²を借地契約し、1951年に牧志公設市場として開設した。
しかし、この用地は元々私有地だったため、1960年代に地主が返還を要求し始めると市場存続問題が生じた。市は一度は市場の移転と用地明け渡しを決定し、近くに移転先を確保したが、市場の業者たちがこの移転先について「人通りが少ない裏路地では商売にならない」と反対運動を起こしたため、交渉は難航することとなった。市は1969年、この移転用地に第二牧志公設市場を開設したが業者の移転は進まず結局、旧市場は第一牧志公設市場と改名して存続することとなった。その後、地主との交渉も決着し、第一牧志公設市場は1972年に現在の建物に立て替えられた。
両市場は「市民の台所」として戦後の沖縄を支えてきたが、1972年の本土復帰を境として本土資本の大手百貨店やスーパーマーケット進出のあおりを受け、徐々に客足が減退していくこととなる。2001年3月には第二牧志公設市場が閉鎖された。
第一牧志公設市場も店舗数は減少傾向にあるが、沖縄県の珍しい食材が安く購入できることや、食堂で家庭料理が安く味わえることからガイドブック等に掲載されるようになり、観光客が多く訪れるようになった。現在では那覇市を代表する観光スポットと変化しながら存続している。
なお、第二牧志公設市場の跡地は更地にされた後、「那覇市中心商店街にぎわい広場」として整備されており、個人の起業家などの小規模店舗を集めたスポットとなっている。
現在の市場の建物は1972年に建設されたものであり老朽化していることから、2008年より市場の現状や課題を調査したうえで、建て替えが検討されている。
沿革
所在地
- 沖縄県那覇市松尾2-10-1
交通
- モノレール
- 沖縄都市モノレール線の牧志駅、美栄橋駅、県庁前駅より徒歩。公式に最寄りとされている駅は美栄橋駅である。美栄橋駅から沖映通りを国際通り方面に直進する。
- 路線バス
- 自動車
その他
1階で購入した食材を2階の食堂で調理してもらう場合、別途料金[1]が必要となっており、市場ではこの旨の告知を掲示している。なお、食材の持込をしなくても料理を注文できる。
脚注
外部リンク
- 牧志公設市場(おきなわ物語) - 沖縄観光コンベンションビューロー
- ↑ 料理は3種類以内で、1人当たりの料金は500円。なお、食材の購入代金は別途必要。 刺身盛合わせは調理済みなので調理料金は掛からないがそれをエサに魚を高く売るので注意