島尻郡
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テンプレート:Pathnav テンプレート:出典の明記 島尻郡(しまじりぐん)は、沖縄県の郡。テンプレート:郡データ換算
以下の4町8村を含む。
- 与那原町(よなばるちょう)
- 南風原町(はえばるちょう)
- 渡嘉敷村(とかしきそん)
- 座間味村(ざまみそん)
- 粟国村(あぐにそん)
- 渡名喜村(となきそん)
- 南大東村(みなみだいとうそん)
- 北大東村(きただいとうそん)
- 伊平屋村(いへやそん)(注)
- 伊是名村(いぜなそん)(注)
- 久米島町(くめじまちょう)
- 八重瀬町(やえせちょう)
沿革
- 1896年(明治29年)4月1日 - 「沖縄県ノ郡編制ニ関スル件」(明治29年勅令第13号)の施行により、島尻方(小禄間切・豊見城間切・兼城間切・高嶺間切・真壁間切・喜屋武間切・摩文仁間切・具志頭間切・玉城間切・知念間切・佐敷間切・東風平間切・大里間切・南風原間切・真和志間切・具志川間切・仲里間切)および渡嘉敷島・座間味島・渡名喜島・粟国島・伊平屋島・南大東島・北大東島の地域をもって行政区画としての島尻郡が発足。郡役所を那覇区に設置。(17間切7島)
- 1903年(明治36年) - 小禄間切の一部(儀間村の一部)が那覇区に編入。
- 1908年(明治41年)4月1日 - 島嶼町村制施行により、島尻郡に糸満町(兼城間切のうち糸満村が分立)・小禄村・豊見城村・兼城村・高嶺村・真壁村・喜屋武村・摩文仁村・具志頭村・玉城村・知念村・佐敷村・東風平村・大里村・南風原村・真和志村・具志川村・仲里村・渡嘉敷村・座間味村・渡名喜村・粟国村・伊平屋村が発足。(1町22村2島)
- 1923年(大正12年)3月31日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
- 1926年(大正15年)6月30日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
- 1939年(昭和14年)7月1日 - 伊平屋村の一部(伊是名島)が伊是名村として分立。(1町23村2島)
- 1946年(昭和21年)
- 1949年(昭和24年)4月1日 - 大里村の一部(与那原・上与那原・板良敷)が与那原町として分立。(2町23村)
- 1953年(昭和28年)10月1日 - 真和志村が市制施行して真和志市(現那覇市)となり、郡より離脱。(2町22村)
- 1954年(昭和29年)9月1日 - 小禄村が那覇市に編入。(2町21村)
- 1961年(昭和36年)10月1日 - 糸満町・兼城村・高嶺村・三和村が合併し、改めて糸満町が発足。(2町18村)
- 1971年(昭和46年)12月1日 - 糸満町が市制施行して糸満市となり、郡より離脱。(1町18村)
- 1979年(昭和54年)10月1日 - 東風平村が町制施行して東風平町となる。(2町17村)
- 1980年(昭和55年)4月1日(4町15村)
- 2002年(平成14年)4月1日(5町12村)
- 2006年(平成19年)1月1日(4町8村)
備考
- 伊是名村と伊平屋村は便宜上、島尻郡として扱わない場合がある(その場合は国頭郡として扱われる)。
- 平成の大合併により、沖縄本島南部から「村」が消滅し(島尻郡の村は本島周辺離島のみとなる)、本島中部も含め自治体はすべて人口が1万人を超える自治体となった(本島中部の自治体は復帰後の1980年代から既にすべての自治体の人口が1万人を超えていた)。
参考文献
- 角川日本地名大辞典 47 沖縄県