ヤングおー!おー!
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『ヤングおー!おー!』 (YOUNG OH! OH!) は、1969年から1982年まで全国ネットで放送された毎日放送(MBS)製作の公開バラエティ番組である。「ヤングオーオー」、「ヤングOH!OH!」のタイトル表記もあり。
目次
歴史・概要
1969年7月3日に番組スタート。桂三枝(現・六代桂文枝)とMBSアナウンサー(当時)の斎藤努がDJを務めていたラジオ番組『歌え!MBSヤングタウン』のテレビバージョンである。初代司会は、落語家の笑福亭仁鶴と三枝が担当。進行役は斎藤が務めた。
番組の収録は初期の大阪市北区の「うめだ花月」を皮切りに、同区・中之島の「SABホール」(後のリサイタルホール。2007年閉鎖)での公開収録を長年にわたって行ってきた。その後、末期に吹田市のMBS千里丘放送センター内にあった公開ホール「ミリカホール」からの生放送で行われていた。また、月に1回の割合で関東地方での収録があり、その他ネット局の制作協力で日本各地の地方公開録画もあった。当番組もその模様を茶の間ではなくホール会場で直接見たい場合は、前もってネット局宛に観覧したい旨のハガキを送らねばならなかった。そうすれば厳正なる抽選の上、スタッフから視聴者宛に当選通知票(いわゆる入場整理券)を送ってもらえた。ただし、ハガキ1枚につき3人一組であることが条件であった。
番組の内容は、公開放送形式で、吉本興業の若手芸人と一般視聴者(観客)によるゲーム企画や、吉本の芸人によるコント、漫才の他、ゲストのアイドル歌手の歌やトークもあった。中には東京キー局制作の番組でも出演しない大物のアーティストが突如登場することもあった。
吉本若手芸人の元祖登龍門的番組で、昭和30年代から40年代までは松竹芸能独走状態であった上方演芸界の勢力図を現在のような吉本中心へと至らしめる、その骨格を築き上げた。全国区の人気者へと上り詰めた仁鶴・三枝は、3ヵ月遅れで番組レギュラー入りし大ヒット曲「嘆きのボイン」で猛追した月亭可朝を加えて俗に“上方落語若手三羽烏”。また、やはり番組レギュラーだった横山やすし・西川きよしと共に“吉本御三家”と並び称された。ほかにも桂きん枝、林家小染、オール阪神・巨人、明石家さんま、桂文珍、月亭八方、島田紳助らは(チンチラチンという名称を番組内で使用)、この番組で人気に火が付き、さらに「出世作」でもあり、全国進出のきっかけを作った。さんまが、当時阪神タイガースの投手だった小林繁のものまねを披露したのも、この番組が最初だった。番組初期は、文珍、八方、きん枝、小染の吉本の若手落語家4人で「ザ・パンダ」を結成、後にさんまが加入し「SOS(サニー・オオサカ・スペシャル)」阪神・巨人、紳助・竜介が加入し「チンチラチン」を結成。このときに得た、ユニット作りによる若手スター売り出しを伴う番組制作は、後に、ダウンタウン司会で心斎橋筋2丁目劇場より生中継された『4時ですよーだ』(毎日放送、1987年 - 1989年)、さらにはナインティナインを中心とした「吉本印天然素材」などへと発展。吉本独特のスター工法がお家芸として定着していくことになる。
観客席のリポーターは、ラジオパーソナリティの川村龍一(当時の芸名は川村ひさし)が務めた。
1978年 - 1981年の毎年5月 - 7月頃には、「ミス・アイドルコンテスト」が開催された。毎週5人の出場者が登場しチャンピオンを決め、さらに、グランドチャンピオン大会でグランドチャンピオンに輝くと、賞金$1000と日本航空で行く海外旅行がプレゼントされた。しかし、番組が事前収録のため、優勝者が番組放送前に『TVガイド』に載ってしまうという出来事もあった。1980年の「ミス・アイドルコンテスト」優勝者・山本博美(現・京本政樹夫人)はのちにタレントデビューし、スポンサーである日清食品のカップラーメンのCMで中尾ミエと共演も果たした。
1980年9月末の放送をもって、初代司会を10年以上担当した三枝が、若手芸人へと道を譲ることを理由として降板。同年10月より、三枝直々の指名によりさんまがメイン司会者に昇格するとともに、そのアシスタント役としてさんまの同期に当たり、無名時代から何かと共通の仕事が多かった縁から島田紳助・松本竜介を起用。この司会者交代を機に、さんまよりも芸歴の長いレギュラー陣の落語家たち(文珍、八方、小染ほか)も番組から徐々にフェードアウトする一方、当時のMANZAIブームの時流に対応してザ・ぼんちや西川のりお・上方よしお、オール阪神・巨人など、三枝司会時代に番組内ユニット「チンチラチン」を構成していながらも、「ザ・パンダ」の前に影が薄かった若手〜中堅の漫才コンビが主要キャストとして番組をリードする存在として頭角を現し始め、視聴者の間でも番組内容の変質が強く意識されるようになっていった。
最終回は、エンディングで「今回でお別れ!」と言ったあと、ラストで制作スタッフのクレジットタイトル(番組終了当時)のロールと共に、スタート当時の当番組における若かりし頃の三枝、ザ・パンダ、斎藤努らの姿(VTRが現存していないため白黒写真を使用した)を背景にして別れのメッセージとした。
2012年7月にNHKで放送された、「桂三枝のすべて ~六代桂文枝襲名~」の中で当時の出演者・三枝や「ザ・パンダ」のメンバー(小染は故人のため弟弟子の染丸)が出演し当時行われていた大喜利「あたかも読書」が再現された。
エピソード
- 放送開始当時ディレクターの竹中文博はプロデューサーも務めた後、『八木治郎ショー・いい朝8時』制作(チーフプロデューサー)を務め、さらに毎日放送の常務取締役を務めた。
- このような公開放送の取り組みは、笑福亭鶴瓶が司会を務めたMBS『突然ガバチョ!』(1982年 - 1985年)やタモリ司会のフジテレビ『森田一義アワー 笑っていいとも!』(1982年 - 2014年)、さんま司会の『痛快!明石家電視台』(MBS、1990年 - 現在放送中)にも生かされた。また、少年期は当番組の視聴者であり、番組末期にゲスト出演もしたとんねるずは、フジテレビ『ラスタとんねるず'94』の中で当番組のパロディ的な「フジYOUNG」というコーナーを設けている。
- 番組全盛期の1972年から1974年までの3年間、週刊少年ジャンプに『それいけジャンプでヤングおー!おー!』(作画・宮のぶなお)という漫画が連載された。
- また、1973年には東映で映画化された(『ヤングおー!おー!日本のジョウシキでーす!』)。これに関しては後述。
- 1972年には、同じ毎日放送の大人気番組『仮面ライダー』を招き、実際の番組のスタントチームにより、ステージショーが行われた。
- TBS系列に移行後、関東地区での公開録画ではTBSとの共同制作で収録が行われていた。TBS側のプロデューサーは、後に『痛快なりゆき番組 風雲!たけし城』を大ヒット番組に育てあげた桂邦彦が担当した。
- 他の1970年代製作の番組と同様、当時はVTRの規格が2インチでテープ自体が高価・編集も煩雑だったことに加え、公開番組が故に著作権や肖像権での制約も多かった事情も重なり、映像は上書き収録されほとんど残っておらず、現存するものは数本のみとされている[1]。このうち1本(1979年4月22日放送分)は明石家さんまがトランポリンで飛び跳ねるシーンが登場するため、TBS系の番組名場面集などで放送されることもある。
- 1978年3月5日放送分ではキャンディーズのさよなら企画が行われた。
- テーマ音楽である「ハッピーじゃないか」はCD「ブロードキャスト・トラックス 毎日放送編」に収録されている(放送素材からの収録のため川村龍一による客席インタビュー部分もそのまま挿入されている)。
出演者
歴代司会者(メインパーソナリティー)
- 笑福亭仁鶴(1969年7月 - 1972年9月、その後も1976年まで不定期で出演)
- 桂三枝(現・六代桂文枝)(愛称「サニー」、1969年7月 - 1980年9月)
- 明石家さんま(愛称「チャッピー」、1980年10月 - 1982年9月)
- 島田紳助・松本竜介(1980年10月 - 1982年9月)
尚、立川談志が『SMAP×SMAP』にゲスト出演した際、「初代司会者は自分だ」との旨の発言をしていたが真偽は不明。
総合司会・進行アナウンサー
- 斎藤努(当時毎日放送アナウンサー、1969年7月 - 1975年3月、腸捻転解消後の在京ネット局となるTBSへの出向のため降板)
- 川村ひさし(川村龍一)(音楽評論家・ラジオパーソナリティー、主に観客席やゲスト歌手のインタビュー役を担当、1975年4月 - 1982年3月)
- 緒方憲吾(当時MBSアナウンサー、主に細部の進行を担当、1975年4月 - 1979年3月)
- 近藤光史(当時MBSアナウンサー、同上、1979年4月 - 1980年9月)
- 青木和雄(当時MBSアナウンサー、同上、1980年10月 - 1982年9月)
主なレギュラー
- 三枝・仁鶴・斉藤司会時代:月亭可朝、横山やすし・西川きよし、花紀京、岡八郎、コメディNo.1ほか
- 三枝・斉藤→三枝・川村司会時代
- さんま・紳竜・川村司会時代
- テーマ曲演奏・伴奏:古谷充とザ・フレッシュメン、スペクトラム、ほか
主なゲスト
歌手
- 村田英雄、三波春夫、春日八郎、島倉千代子、水原弘、石原裕次郎、美空ひばり、デューク・エイセス、斎東満、北島三郎、橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦、森進一、ヒデとロザンナ、坂本九、ジェリー藤尾、森山加代子、中尾ミエ、伊東ゆかり、園まり、ザ・ワイルドワンズ、水前寺清子、千昌夫、黛ジュン、奥村チヨ、小川知子、由紀さおり、トワ・エ・モワ、北山修、はしだのりひことクライマックス、杉田二郎、和田アキ子、内山田洋とクール・ファイブ、かまやつひろし、堺正章、井上順、尾崎紀世彦、にしきのあきら、五木ひろし、小柳ルミ子、天地真理、南沙織、欧陽菲菲、八代亜紀、沢田研二、西城秀樹、郷ひろみ、野口五郎、麻丘めぐみ、三善英史、山口百恵、桜田淳子、森昌子、あべ静江、アグネス・チャン、浅田美代子、石川さゆり、チェリッシュ、かぐや姫、フィンガー5、中条きよし、城みちる、あいざき進也、殿さまキングス、海援隊、あのねのね、浅野ゆう子、伊藤咲子、林寛子、麻生よう子、荒川務、シェリー、片平なぎさ、岩崎宏美、岡田奈々、細川たかし、JOHNNY'Sジュニア・スペシャル、ずうとるび、しばたはつみ、真木ひでと、ダウン・タウン・ブギウギ・バンド、研ナオコ、井上純一、キャンディーズ、斎藤こず恵、ピンク・レディー、内藤やす子、新沼謙治、角川博、清水健太郎、狩人、川崎麻世、松崎しげる、榊原郁恵、大場久美子、高田みづえ、石野真子、石川ひとみ、中原理恵、渡辺真知子、原田真二、ツイスト、サザンオールスターズ、能瀬慶子、水越けいこ、浜田省吾、ロブバード、松田聖子、中森明菜、河合奈保子、三原順子、柏原芳恵、田原俊彦、近藤真彦、山本譲二、沖田浩之、クールス、THE ALFEE、ジューシィ・フルーツ、ザ・ヴィーナス、又吉&なめんなよ(M-BAND=当番組がテレビ初出演)、チャゲ&飛鳥、松本伊代、堀ちえみ、チープ・トリック、レスリー・マッコーエン、ノーランズほか
お笑い(主に関東)
ヒップアップ(島崎俊郎・川上泰生・小林進)、コント赤信号(渡辺正行・小宮孝泰・石井章雄)、ゆーとぴあ(城後光義・帆足新一)、とんねるず(石橋貴明・木梨憲武)、ビジーフォー(グッチ裕三・モト冬樹・ウガンダ・トラ・島田与作)、ポップコーン正一・正二ほか
スタッフ
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- ※一社提供時代のみ記述(後述の期間以外は複数社提供)。
- 永大産業(1969年10月 - 1971年9月) - 永大産業が提供であった時期は、本編中に磯野洋子と斎藤努出演による生CMが行われた。
- 日清食品(1971年10月 - 1982年3月) - 同社のCMに出演していたタレントやCMソングを歌っていた歌手もよくゲストに出演していた。代表的な例としてはピンク・レディー、浜田省吾など。
ネット局
1975年3月まで
※系列は当時の系列。
放送対象地域 | 放送局 | 系列 | 備考 |
---|---|---|---|
近畿広域圏 | 毎日放送 | NETテレビ系列 | 制作局 |
関東広域圏 | NETテレビ (現・テレビ朝日) |
1969年9月まで | |
東京12チャンネル (現・テレビ東京) |
独立局 | 1969年10月から | |
北海道 | 北海道テレビ | NETテレビ系列 | 1974年3月まで |
北海道放送 | TBS系列 | 1974年4月から | |
宮城県 | ミヤギテレビ | 日本テレビ系列 NETテレビ系列 |
1971年10月から |
秋田県 | 秋田テレビ | フジテレビ系列 | |
福島県 | 福島テレビ | TBS系列 フジテレビ系列 |
|
新潟県 | 新潟総合テレビ | フジテレビ系列 日本テレビ系列 NETテレビ系列 |
|
静岡県 | 静岡放送 | TBS系列 | |
石川県 | 石川テレビ | フジテレビ系列 | |
福井県 | 福井テレビ | ||
中京広域圏 | 中京テレビ | 日本テレビ系列 NETテレビ系列 |
1969年9月まで |
名古屋テレビ | NETテレビ系列 | 1973年4月から | |
岐阜県 | 岐阜放送 | 独立UHF局 | 1969年10月から1973年3月まで |
鳥取県 ↓ 鳥取県・島根県 |
日本海テレビ | 日本テレビ系列 NETテレビ系列 |
1972年9月までの放送エリアは鳥取県のみ 相互乗り入れに伴い島根県でも放送 |
島根県 | 山陰放送 | TBS系列 | 1971年から1972年9月の鳥取県への乗り入れまで |
岡山県 | テレビ岡山 | フジテレビ系列 NETテレビ系列 |
当時の放送エリアは岡山県のみ |
広島県 | 中国放送 | TBS系列 | |
山口県 | テレビ山口 | TBS系列 フジテレビ系列 NETテレビ系列 |
日曜10:00 - 11:00で遅れネット |
香川県 | 瀬戸内海放送 | NETテレビ系列 | 1969年9月まで 当時の放送エリアは香川県のみ |
西日本放送 | 日本テレビ系列 | 1971年10月から 当時の放送エリアは香川県のみ | |
愛媛県 | 南海放送 | ||
福岡県 | 九州朝日放送 | NETテレビ系列 | 1969年9月まで |
RKB毎日放送 | TBS系列 | 1971年10月から | |
長崎県 | 長崎放送 | 土曜15:20 - 16:15で遅れネット | |
熊本県 | 熊本放送 | ||
宮崎県 | 宮崎放送 | ||
鹿児島県 | 鹿児島テレビ | フジテレビ系列 日本テレビ系列 NETテレビ系列 |
1975年4月以降
※系列は当時の系列。◎は新規にネットを開始した地域、○は同一地域の他局からネットが移行した地域。
放送対象地域 | 放送局 | 系列 | 備考 |
---|---|---|---|
近畿広域圏 | 毎日放送 | TBS系列 | 制作局 |
関東広域圏 | 東京放送 (現・TBSテレビ) |
○ | |
北海道 | 北海道放送 | ||
青森県 | 青森テレビ | ◎ | |
岩手県 | 岩手放送 (現・IBC岩手放送) |
◎ | |
宮城県 | 東北放送 | ○ | |
秋田県 | 秋田テレビ | フジテレビ系列 テレビ朝日系列 |
1981年3月まではフジテレビ系単独加盟局 |
山形県 | 山形テレビ | フジテレビ系列 | 1978年4月から 1980年3月まではテレビ朝日系列とのクロスネット局 |
福島県 | 福島テレビ | TBS系列 フジテレビ系列 |
|
山梨県 | テレビ山梨 | TBS系列 | ◎ |
新潟県 | 新潟放送 | ○ | |
長野県 | 信越放送 | ◎1982年4月から | |
静岡県 | 静岡放送 | ||
富山県 | 北日本放送 | 日本テレビ系列 | ◎ |
石川県 | 北陸放送 | TBS系列 | ○ |
中京広域圏 | 中部日本放送 (現・CBCテレビ) |
○ | |
鳥取県・島根県 | 山陰放送 | ○ | |
岡山県 | 山陽放送 | ○当時の放送エリアは岡山県のみ | |
広島県 | 中国放送 | ||
山口県 | テレビ山口 | TBS系列 フジテレビ系列 |
1978年9月まではテレビ朝日系列とのトリプルネット局 |
愛媛県 | 南海放送 | 日本テレビ系列 | |
高知県 | テレビ高知 | TBS系列 | ◎1982年4月から |
福岡県 | RKB毎日放送 | ||
長崎県 | 長崎放送 | ||
熊本県 | 熊本放送 | [2] | |
大分県 | 大分放送 | ◎ | |
宮崎県 | 宮崎放送 | ||
鹿児島県 | 南日本放送 | ○ | |
沖縄県 | 琉球放送 | ◎1982年4月から |
ネットに関する備考
- 首都圏では、前記の詳述の通り1969年7月にNETテレビ(現・テレビ朝日)でネットが開始されたがわずか1クールで東京12チャンネル(現・テレビ東京)に移行、1975年4月にMBSとABCの“腸捻転解消”に伴いTBSに再移行し、最終回までTBS系列全国ネットで放送された。
- 1969年10月にNET系列番組から東京12チャンネル系列(現・テレビ東京系列)番組になったことで、一部の地域ではネットをNET系列局から同一地域の他局へ移行する地域もあった。なお、中京広域圏では中京テレビから岐阜県域局の岐阜放送へ移行したため、1969年10月から1973年3月までは愛知県(当時テレビ愛知は未開局)・三重県では未ネットだった。[3]
- NET系列局でもミヤギテレビや中京テレビ(当時は日本テレビ系列とのクロスネット局、現在はNNSマストバイ局)はNETの番組では視聴率が見込めないため、当番組をネットしていた。
- 「腸捻転」解消後は、少なくとも日曜13:00より放送されていた末期はTBS系列全局(クロスネット局の福島テレビとテレビ山口を含む)がネットした。ネットチェンジ初期は日曜17:30よりの放送だったが、TBS系列局内で時間帯が違う局があった他(一例として静岡放送は土曜日15:00 - 、長崎放送は土曜日13:30 - 、熊本放送は土曜日17:00 - の遅れネット)、1982年3月までは信越放送、テレビ高知、琉球放送では未放送だった。
映画「ヤングおー!おー!日本のジョウシキでーす!」
先述のように1973年に東映が制作した。
「狭い日本にゃ住み飽きた」とばかりに海外脱出を試みようとする7人の男達の悪戦苦闘を描いたものだった。また、番組の収録現場のシーンも撮影されている。2009年3月にファミリー劇場、同年9月と2011年3月、2012年4月1日にも東映チャンネルで放送された。
主な出演者
- 笑福亭仁鶴(つぶれかけたくず鉄屋の主人)
- 桂三枝(アイビールックを着たけったいな若者)
- 岡八郎(トラック運転手、事実上の主人公)
- 横山やすし(住之江競艇場の予想屋)
- 西川きよし(自動車整備士)
- 前田五郎(倉庫の管理人)
- 坂田利夫(ガス会社の集金係)
- チャンバラトリオ(ハリセンで相手をどつきまわすヤクザ)
- 平参平(上記のヤクザの親分)
脚注
関連項目
いずれもオールナイトニッポン(ニッポン放送)のテレビ版として、フジテレビで放送された番組。
外部リンク
- 関西素材・関西風味―テレビ50年 7.公開収録・笑いの臨場感 茶の間に - 神戸新聞の連載記事(2003年5月30日)、オリジナルの2007年8月20日のアーカイブ