千昌夫

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テンプレート:複数の問題 テンプレート:Infobox Musician 千 昌夫(せん まさお、本名:阿部健太郎(あべけんたろう)、1947年4月8日 - )は岩手県陸前高田市出身の演歌歌手[1]

来歴

農家の次男に生まれた。父親を小学校4年の時に亡くした。1965年作曲家遠藤実に入門。同年9月5日、「君が好き」でデビュー。「星影のワルツ」(1966年3月24日発売)が1967年秋頃より大ヒット、ミリオンセラーとなり[1]、1968年『NHK紅白歌合戦』に初出場する。その後「君がすべてさ」、「アケミという名で十八で」「懐かしの人」などが10万枚を超えるヒットとなる。

1972年、アメリカ人歌手ジョーン・シェパードと結婚し、松下電器(現・パナソニック)のパナカラー・クイントリックス[1]いすゞ自動車アスカ象印マホービンのCMに夫婦で出演したが、1988年に離婚した。後に18歳年下の外国人女性(アマンダ夫人)と再婚し、3人の子供をもうける。次女のダニエラは2009年9月に芸能界にデビューしている[2]

1979年、1977年4月5日発売の「北国の春」が大ヒット[3]、二作目のミリオンセラーとなり[1]第21回日本レコード大賞ロングセラー賞受賞。その他に「望郷酒場」「夕焼け雲」「味噌汁の詩」「津軽平野」などのヒット曲も生まれ、歌手としての黄金時代を迎える。

1970年仙台市に五万坪の土地を四千万円で購入した[1]東北新幹線の着工決定が手伝い、購入した土地の地価は十倍にも上昇した。このことがきっかけとなり、1972年「アベインターナショナル」を設立。次第に不動産業に手を出すようになり、やがてバブル期には不動産会社を設立し歌手を休業。不動産業に専念した。この時期「歌う不動産王」「ホテル王」と呼ばれるほど、世界各地にマンションやビルなどを所有していた。一時はホノルルの殆どのホテルが千昌夫の持ち物と呼ばれるほどで、物真似でもよく「おら金もってんどー」というネタが使われたが、1991年バブル崩壊とともに借金が膨れ上がり、2000年2月4日に個人事務所「アベインターナショナル」は経営破綻した(東京地裁特別清算を申請、負債総額は1,034億円)。

1991年3月「おやじ先生」をリリースし、歌手活動を再開する。以降デュエット曲を発表するなど積極的な姿勢を見せているが、「北国の春」のヒット以来1986年まで連続出場してきたNHK紅白歌合戦にも1989年を最後に落選(その後2011年にカムバック)。近年は大きなヒットもないが、代名詞とも言える「星影のワルツ」「北国の春」「望郷酒場」などは国民的愛唱歌として歌番組で歌われ続けている。

1,000億円を超える借金を抱えていると言われていたが(ただし、自己破産は行っていない)、その借金の殆どは旧長銀から借り入れた金であり、一時国有化による公的資金投入で一時期3,000億円を超えた借金は、1,000億円にまで棒引きされた。

その後民事再生法の適用により2002年「6年間で約1億5,000万円を返済すればよい」ということになった。

2011年3月11日に起きた東日本大震災に対するジャッキー・チェンが発起人となった香港でのチャリティーイベントにエリック・ツァンアンディ・ラウリッチー・レンアグネス・チャン中村雅俊AKB48前田亜美梅田彩佳松井咲子らと参加[4]、このイベントには義捐金2億9000万円が集まった[5]

エピソード

歌手活動

  • 大ヒット曲「北国の春」は発売当初の売れ行きは低調だったが(1977年度オリコン年間シングルチャート139位)、同曲を歌い続け、1978年(同年度オリコン年間シングルチャート55位)、1979年の紅白で歌った結果じりじりと売れ始め、1979年度オリコン年間シングルチャート5位の超ロングヒットとなった。
  • 「北国の春」をテレビで披露する際は、よれよれのレインコートと古びた中折れ帽、丸縁の眼鏡、長靴、手ぬぐいを着用し、くたびれたトランクを提げるという奇抜なスタイルで歌唱していた。師匠である遠藤実からは「みっともないから止めろ」と言われていたが、それにも関わらず千は、「演歌歌手は滅多にテレビに出られないから、出た以上は目立たなくちゃ」とこの格好で歌い続けた。
  • ユニークなフレーズを織り込むこともあり、「味噌汁の詩」冒頭では、息で唇を震わせる音(「あっぷるるー」)を入れたり、その前のシングル「ふるさとの祭り」では、冒頭に「ガガニコニンニン」という千の掛け声が織り込まれている。

バブル期

  • 人気絶頂時に超高級車ロールス・ロイスを所有していたが、真夏の暑い時でもクーラーは切ったまま運転していたという。
  • 子息が通学していた横浜インターナショナルスクール、「セント・ジョセフ・インターナショナル・カレッジ」が経営難で廃校されることになった際には、廃校反対デモに参加した。
  • 千の事業はホテルや不動産投資が有名だが、その他にも居酒屋も経営しており、「安くて旨い」と業界内外を問わず評判が高く、かなりの繁盛であったが前述の借金から店を閉めざるを得なくなった。
  • 不動産投資の失敗で膨れ上がった借金について、「利子は一日5,000万円です」と本人が困った様子もなく、開き直ったようなコメントを当時のテレビ番組で語っている。
  • マスコミの借金報道が過熱した結果、「俺はマスコミのおもちゃじゃない。男は余計なことをしゃべらない!」と激怒。以来しばらく、マスコミとは距離を置いていた。
  • 陸前高田市には「キャピタルホテル1000」という千昌夫が関与したホテルが存在するが2011年の東日本大震災により被災、犠牲者こそ出なかったものの営業を停止した[6]。その後ホテルは同じ名称のまま、別の場所で営業を再開したが[7]、千は再オープンには一切関与していない。

その他

  • トレードマークの額のほくろはものまねタレントのコロッケが頻繁に真似ていたが、2000年に開運の意味も込めてレーザー手術で除去している。その後細木数子にほくろは取らないほうがよかったと指摘されている。なおコロッケはその後もほくろありの千昌夫の真似をしている。
  • 高校中退から1965年以前まで北海道岩見沢市にて同郷の左官業者のもとで左官職人志望として働いていた時期がある。
  • プロ野球東北楽天ゴールデンイーグルスファンクラブ名誉会員(会員No.7)。

NHK紅白歌合戦出場歴

年度/放送回 曲目 出演順 対戦相手 備考
1968年(昭和43年)/第19回 星影のワルツ 03/23 ペギー葉山 初出場
1969年(昭和44年)/第20回 2 君がすべてさ 02/23 いしだあゆみ
1970年(昭和45年)/第21回 3 心の旅路 10/24 小川知子
1971年(昭和46年)/第22回 4 わが町は緑なりき 19/25 渚ゆう子
1977年(昭和52年)/第28回 5 北国の春 12/24 和田アキ子 6年ぶりの出場
1978年(昭和53年)/第29回 6 北国の春(2回目) 13/24 和田アキ子(2)
1979年(昭和54年)/第30回 7 北国の春(3回目) 18/23 小林幸子
1980年(昭和55年)/第31回 8 味噌汁の詩 20/23 森昌子
1981年(昭和56年)/第32回 9 望郷酒場 05/22 松田聖子
1982年(昭和57年)/第33回 10 北国の春(4回目) 11/22 島倉千代子
1983年(昭和58年)/第34回 11 夕焼け雲 08/21 牧村三枝子
1984年(昭和59年)/第35回 12 津軽平野 03/20 高田みづえ
1985年(昭和60年)/第36回 13 あんた 03/20 テレサ・テン
1986年(昭和61年)/第37回 14 望郷旅鴉 16/20 松原のぶえ
1989年(平成元年)/第40回 15 北国の春(5回目) 第1部に出演 (対戦相手なし) 3年ぶりの出場
2011年(平成23年)/第62回 16 北国の春(6回目) 16/25 平原綾香 22年ぶりの出場
  • 対戦相手の歌手名の(  )内の数字はその歌手との対戦回数。
  • 曲名の後の(○回目)は紅白で披露された回数を表す。
  • 出演順は「(出演順)/(出場者数)」で表す。

シングル

No. タイトル 発売日 作詞者 作曲者 c/w 備考
1 君が好き 1965.09.05 若山かほる 遠藤実 銀座かぐや姫
2 若い恋人たち 1965.12.05 山口あかり 遠藤実 一七才の涙星
3 君ひとり 1966.03.24 遠藤実 遠藤実 星影のワルツ 「星影のワルツ」はシングルB面として発売。
1967年秋頃有線放送で火がつき出し、「星影のワルツ」をA面扱いで再発売。
原題は1965年7月発行の同人誌「こけし人形」掲載の白鳥園枝作詞の「つらいなあ」と
いう詞に遠藤実が曲をつけ、最終的に「星影のワルツ」となった。
4 学生ブルース 1966.12.20 幸田栄 遠藤実 学生マーチ 富数彦浜君夫と共演
5 世界の国からこんにちは 1967.03.01 パットネ 世界の国からこんにちはの歌唱は山本リンダ
パットネのみ富数彦、浜君夫と共演
6 星影のワルツ 1968 白鳥園枝 遠藤実 君ひとり 再発売 日本有線大賞 特別賞
7 青い月の恋 1968.07.10 遠藤実 遠藤実 君が好き
8 君がすべてさ 1968.12.01 稲葉爽秋 遠藤実 銀座かぐや姫
9 涙のとなり 1969.05.01 沢みね登 遠藤実 遠い町へ行こう
10 懐かしの人 1969.09.01 有馬三恵子 三木たかし 夢のあと
11 花のワルツ 1969.11.01 白鳥園枝 遠藤実 ギターよふるさとへ帰ろう
12 俺だって君だって 1970.04.21 星野哲郎 叶弦大 ふるさとの女
13 心の旅路 1970.08.10 太田ゆきお 吉田博久 夢のかけら ハリウッド録音シングル。
島倉千代子愛のさざなみ」も手がけたボブ(ボビー)・サマーズが編曲、ジャズ・ギタリストとして著名なローリンド・アルメイダらが演奏に参加。
後年、和製ソフトロックとして再評価された。
14 なみだ川 1971.02.01 なかにし礼 遠藤実 夢去れば
15 わかれ 1971.06.01 遠藤実 遠藤実 銀座かぐや姫
16 わが町は緑なりき 1971.09.02 阿久悠 平尾昌晃 海峡の見える町
17 あきらめの朝 1972.04.10 井沢満 平尾昌晃 モトマチぶるうす
18 アケミという名で十八で 1973.02.25 西沢爽 遠藤実 別れ町
19 焼けぼっくいに火がついた 1973.09.01 西沢爽 遠藤実 裏町
20 ゆうべの女によろしくな 1973.12.01 西沢爽 遠藤実 港と女と子守唄
21 ほんとのアケミを知らないか 1974.04.01 西沢爽 遠藤実 みんな歌
22 嘆きのボス 1974.10.01 なかにし礼 遠藤実 帰り花
23 わかれ 1975.06.01 遠藤実 遠藤実 愛のあかし 歌手生活十周年記念盤
24 夕焼け雲 1976.03.20 横井弘 一代のぼる 君は心のふるさとよ
25 流れ雲 1976.10.01 横井弘 一代のぼる 一番星
26 北国の春 1977.04.05 いではく 遠藤実 東京のどこかで 1978年頃からヒットし始め、1979年に大ブレイク。
最終的に300万枚の売上[8]。日本以外のアジア各国でも大ヒットした。
NHK紅白歌合戦』では1977年から1979年まで 3 年連続でこの曲を歌唱。
中国では現在でも最も有名な日本の楽曲のひとつ。
27 さよなら三角また来て四角 1977.11.10 喜多條忠 徳久広司 雪ん娘峠
28 呂宋助左の歌 1978.03.01 吉秋雅規 遠藤実 美緒の歌 美緒の歌の歌唱は西崎みどり
29 与作 1978.10.21 七沢公典 七沢公典 雪ん娘峠
30 めざしのコンチェルト 1978.12.20 中山大三郎 中山大三郎 味噌汁の詩
31 男の哀歌 1979.09.05 いではく 遠藤実 無理をするなよ
32 ふるさとの祭り 1980.07.01 いではく 遠藤実 放浪のワルツ
33 味噌汁の詩 1980.11.05 中山大三郎 中山大三郎 めざしのコンチェルト 「味噌汁の詩」は珍道中の「みそ汁の詩」(1976年)のカバー。
60万枚の売上[9]
34 望郷酒場 1981.09.01 里村龍一 桜田誠一 惚れてわるいか
35 夕焼け雲 1983.05.25 横井弘 一代のぼる 涙のワルツ 新録音 1976年に発売された『夕焼け雲』と曲・歌詞自体は同じだが、
演奏や歌い方はかなり異なっている。
36 津軽平野 1984.03.25 吉幾三 吉幾三 旅の居酒屋 シングルレコードの表紙はカラー写真の物とピンク色の彫絵の物との2種類が存在するが
レコード自体は全く同じで、規格番号も同じである。
37 あんた 1985.04.25 吉幾三 吉幾三 涙のワルツ 「涙のワルツ」の作詞を本名の阿部健太郎名義で担当
38 望郷旅鴉 1986.05.25 里村龍一 森山慎也 或る女の挽歌
39 おやじ先生 1991.03.01 いではく 遠藤実 乾杯しようぜ 歌手復帰作
40 あんた(新) 1992.01.21 吉幾三 吉幾三 涙のワルツ
41 めおとの旅 1993.06.25 いではく 千昌夫 夢つなぎ デュエット:阿部三登里
42 夢追い人 1994.04.25 荒木とよひさ 杉本真人 酒暦
43 上野に五時半 1994.12.21 SEON JUNIOR 金田一郎 二人して東横線 デュエット:コロッケ、「男同士の危ない恋愛」を歌っている。
なお、タイトルは「渋谷で5時」を捩っている
44 ふるさとの四季をうたう 1995.06.25 遠藤実 遠藤実 親友 作曲家の遠藤実が作詞まで手掛けた数少ない楽曲の内の一曲
45 きんぴら 1996.07.24 木下龍太郎 あらい玉英 わかる・・・? 台詞:由利徹
46 酒暦 ニューバージョン 1998.01.21 坂口照幸 佐瀬寿一 流れ雲
47 やいま(八重山) 1998.11.25 宮城衛 宮城衛 ミーハイユー三拝云~ありがとう
48 夢のしずく~俺だって君だって 1999.07.21 星野哲郎 叶弦大 わかる…?
49 あした天気になーれ 2000.08.22 もず唱平 大谷明裕 帰ってきたよ デュエット:八代亜紀
50 屋台 2000.09.27 万城たかし 高野かつみ 望郷哀歌
51 帰ってきたヨ 2001.10.23 アベ・イチロー 杉原里史 わかる…?
52 人生ふたり旅 2002.08.21 いではく 弦哲也 中年ブルース
53 若き日の歌 2005.10.05 いではく 遠藤実 ふるさとの四季をうたう
54 還暦祝い唄 2007.02.21 神谷まみ 神谷まみ 望郷哀歌 自身も還暦を迎えたこの年、人生の“豊穣”を温かく歌唱。
55 おふくろ 2009.08.05 さいとう大三 泉八汐 いつの世も…
56 いっぽんの松 2011.11.02 喜多條忠 船村徹 俺の故郷
北国の春 バラードバージョン
故郷・陸前高田の奇跡の一本松のことを歌唱。

主な出演番組

他多数

CM

パチンコ

  • CR北国の春 - 藤商事 大当たりの映像で、妻のアマンダ夫人と共演している

脚注

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関連項目

先代:
玉置宏
(1958年5月 - 1977年8月)
ロッテ 歌のアルバムシリーズ 司会者
2代目(1977年8月 - 1979年3月)
千昌夫
小島一慶
次代:
村野武範
(1985年4月 - 1986年5月)

外部リンク

  • 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 テンプレート:Cite web
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  • キャピタルホテル1000
  • 長田暁二『歌謡曲おもしろこぼれ話』社会思想社、2002年、241頁。ISBN 4390116495
  • 年表/会社概要[小澤音楽事務所] 年表'81-'85