いすゞ・アスカ

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テンプレート:Pathnav テンプレート:Pathnav アスカASKA )は、1983年よりいすゞ自動車から販売された中型セダンである。

概要

フローリアンの後継車として発売された。1990年からは、いち早く他社からのOEM供給車に切り替わったが、同様にOEM供給車に切り替わっていったジェミニの廃止後も2002年まで販売が継続され、結果的には、いすゞが最後まで販売したセダンとなる。

車体は4ドアノッチバックセダンのみ。初代は、姉妹車のような3ドアハッチバック、5ドアハッチバックも設計されたが、生産・販売には至らなかった。[1] 先代のフローリアンに設定されていたライトバン[2]OEM元に設定されているステーションワゴンなどは設定されていない。

初代にはタクシー教習車仕様も設定されていた。ピアッツァと同様にヤナセ向けにグレード「NERO」の導入が計画されたが、諸事情[3]により実現しなかった。

歴史

初代 JJ110/120/510型(1983年-1989年)

テンプレート:Infobox 自動車のスペック表

  • 1983年4月、発売。フローリアンの後継車であったため、正式には「フローリアン・アスカ」と称した[4]
    • 型式名:JJ110(1.8L車)、JJ120(2.0L車)、JJ510(2.0Lディーゼル車)
    • いすゞがフローリアンの後継車の設計を迫られていた時期に、GMが立ち上げた「グローバルカー(世界戦略車)構想」へ当初より参画して作られたJ-car(当初はU-car)というクラスのモデルである。姉妹車にはオペル・アスコナ(3代目)、ホールデン・カミーラキャデラック・シマロンシボレー・キャバリエシボレー・モンザなどがある。アスコナが原型と言われることが多いが、実際にはごく初期段階を除いてほとんどの設計を、オペル、GM、いすゞの3社が個別で同時進行したため、足回りや一部の外装以外、部品の共通性は無いに等しい[5]
    • 姉妹車より2ヶ月遅れの1981年秋を発売予定として設計が進められていたが、結果として約1年半遅れてしまった。これも、他車との販売競争に打ち勝てなかった一因と思われる[6]
    • 国内だけでなく、アジア・ニュージーランド・南米にも輸出された。この内アジアでは「Isuzu JJ」、ニュージーランドでは「Holden camira (JJ)」、南米では「Chevrolet Aska」の車名で輸出・販売された。
  • 1983年8月、89馬力にパワーアップをしたターボディーゼル車追加。
  • 1983年11月、イギリスRACラリーに初出場し、クラス優勝。
  • 1984年1月、ディーゼル車にAT車を追加。
  • 1984年8月、2000LJにNAVi5搭載車追加。
  • 1984年10月、ターボディーゼル車の国際速度記録樹立/ターボディーゼル車にAT車を追加。
  • 1984年、オリエントスピードが、ガソリンターボLSをチューンしたTC2000を発売。いすゞディーラーでも購入できるアスカのチューニングカーであった。
  • 1985年2月、ディーゼル2000LJにNAVi5搭載車追加。
  • 1985年7月、マイナーチェンジでフェイスリフトが行われる。廉価グレードが廃止された。
  • 1985年10月、ホットモデルとしてSOHCターボモデルをベースにサスペンションと一部内外装を変更したイルムシャー仕様が追加された。
  • 1989年3月、いすゞの乗用車の中では最初に自社生産を終了。総生産台数は108,512台(いすゞHPより)。翌年6月に後継車のアスカCX(レガシィOEM)が登場。
  • 駆動方式は前輪駆動
  • エンジンは直列4気筒SOHC。排気量は1.8L(ガソリンのみ)と2.0Lの2種で、いすゞが得意としたディーゼルエンジンも設定され、2.0Lガソリンとディーゼルにはターボ付き仕様が存在した。ガソリンターボはECGI(電子制御燃料噴射)を用い、NAガソリンエンジンはキャブレターを用いたが、2.0Lガソリンには前期型のみ電子制御キャブレター搭載モデル(115馬力)も存在したため、合計で6種類のエンジンがラインナップされていた。インタークーラー付きターボディーゼルは広く注目を集め、ガソリンターボはエンジン出力150PS(グロス)を誇り、このクラスの車としては比較的軽量な1,000kg少々の車体とあいまってゼロヨン15.3秒を叩き出した。これは当時の世界最速値であった。
  • サスペンション前輪がマクファーソンストラット式独立懸架、後輪がトーションビームトレーリングアームを組み合わせたサスペンションを用いる。いすゞは広告等で4輪独立懸架であると称したが、後輪サスペンションの左右のトレーリングアームはねじれを許容する横梁(トーションビーム)で一体化されており、後輪は厳密に言えば独立懸架ではない。スプリングは前後ともコイルを用いる。
  • 変速機構は5速MTと3速ATでスタートしたが、1984年いすゞ独自の5速ATであるNAVi5を搭載し、注目を集めた。
  • いすゞの中古車販売部門である「いすゞ中古自動車販売」ではアスカのガソリンターボモデルに特別装備を加え、イルムシャーを捩った「カゲムシャー」というサブネームを与えて販売したことがある。


2代目 BCK/BCL/BCM型(1990年-1993年)

テンプレート:Infobox 自動車のスペック表

  • 1990年6月発売。名称はこれのみ「アスカCX」になる。
    • 型式名:BCK、BCL、BCM。
    • GMのグローバルカー構想が中止となり、いすゞ自体も開発費用負担が厳しい状況であったため、既にジェミネットIIとしてスバル・レオーネバンOEM供給を受けていた縁[7]から富士重工業よりスバル・レガシィの供給を受けることとなった。グレードは2.0と1.8の2種類。2.0→2Lの水平対向4気筒DOHC16バルブエンジン搭載ののFFと4WD、1.8→1.8Lの水平対向4気筒SOHCエンジン搭載のFF車、トランスミッションは全車に4ATと5速MTを設定。ディーゼルエンジン搭載車や先代にあるホットバージョンの設定は消滅した。
  • 1991年6月 レガシィに合わせアスカCX登場からわずか1年でビッグマイナーチェンジを受ける。フロントグリルからヘッドライト周辺、リア回りのデザインを変更して外観を一新。室内ではシートの形状と材質が変わった。このMCでグレード名が設定され、2.0→2Lの水平対向4気筒DOHC16バルブエンジン搭載のタイプZのFFと4WD、1.8→1.8Lの水平対向4気筒SOHCエンジン搭載のタイプT、そして新たに2Lの水平対向4気筒SOHC16バルブエンジン搭載の新グレード、タイプGが追加された。トランスミッションは全車に4AT、タイプZの4WDとタイプTのみ5速MTを設定。
  • 1992年6月 一部変更/2.0L全車にアルミホイールを標準装備化。
  • 1993年5月、富士重工業とのOEM契約満了に伴い販売中止。


3代目CJ1型(1994年-1997年)

テンプレート:Infobox 自動車のスペック表

  • 1994年3月発売。名称が再び「アスカ」となる。
    • 型式名:CJ1。
    • ビッグホーンミューOEM供給を本田技研工業と結び、交換条件という形でアコードをアスカとして供給されることとなった。アコードとはバッジやフロントグリルが異なる。2.0L(F20B)・4ATのFFのみラインナップされた。全幅が1,760mmもあるため、歴代アスカの中では唯一の3ナンバー車であった。


4代目CJ2/3型(1997年-2002年)

テンプレート:Infobox 自動車のスペック表

  • 1997年9月発売。
    • 型式名:CJ2(1.8L)、CJ3(2.0L)。
    • 先代に引き続きホンダ・アコードのOEMとなる。ベース車がモデルチェンジで5ナンバークラスに戻されたことに伴いアスカも4代目に移行した。エンジンはVTEC化されたF18BならびにF20B(SOHC)を採用。ベース車同様に電動パワーステアリングも採用している。駆動方式はFFのみ。グレードはLF(1.8L)とLJ(2.0L)の2種で、どちらも5速MTと4速ATから選択できた。
    • ホンダ・アコードとの違いはフロントグリル・サイドエンブレム・トランクエンブレム・専用ホイール・ステアリングホーンスイッチのロゴ程度で、アコードとの違いはほとんど無い。
    • エンジンヘッドカバーはホンダのロゴが消されVTECだけ表記されている。
  • 2000年6月 マイナーチェンジ。各エンジンの環境性能向上と、内装の質感を向上させた。
  • 2002年9月 いすゞの乗用車事業完全撤退とアコードのフルモデルチェンジに伴い、販売中止となった。


車名の由来

海外文化を吸収・消化し日本文化の原点を築いた飛鳥時代から採ったもので、基礎設計をGMに依存しつつもいすゞ独自の味付けを施した心意気を示す。和名の自動車も光岡自動車の一連の車を除けば日本では珍しい事例であるが、英字表記をローマ字表記のASUKAとすると、外国人は「アシュカ」と誤って読む恐れがあるため1文字抜いた[8]

姉妹車

初代
2代目
3代目
4代目

脚注

テンプレート:Reflist

関連項目

テンプレート:Sister

外部リンク

テンプレート:自動車テンプレート:いすゞ車種年表
  1. 雑誌CAR STYLINGおよび社内報より。(いずれも、デザインスタッフによる解説。)
  2. 後にOEM供給を受けて発売されたジェミネット/ジェミネットIIが、その役割を担うことになる。
  3. 同クラスの日産VWサンタナをヤナセの一部店舗で販売することになったからと思われる。
  4. 「フローリアン」のサブネームが付いていたのは初代のみ。
  5. パッケージングを比較すると、Jカーの中ではアスカが最もビッグサイズである。
  6. 当時の自動車雑誌に、その分設計が古いと評されてしまったこともある。
  7. 当時のスバル日産自動車の系列であり、GMと資本関係はなかった。ただし、バスのボディなどいすゞと富士重工の関係は少なからずあり、ビッグホーンの供給も受けていた。
  8. 同様の例に同名歌手がある。