クイズタイムショック
テンプレート:複数の問題 テンプレート:Redirect テンプレート:基礎情報 テレビ番組 『クイズタイムショック』(QUIZ TIMESHOCK) は、テレビ朝日(旧:日本教育テレビ)がかつて放送していたクイズ番組。通称「タイムショック」。
本項では、その後リメイクされた『タイムショック21』およびその後の特番である『超タイムショック』についても記述する。
目次
- 1 概要
- 2 番組の変遷と歴代司会者
- 3 セットの変遷
- 4 各時代共通の基本ルール(1分間12問の正真正銘のタイムショック問題)
- 5 パーフェクト達成時の演出
- 6 解答中のBGM
- 7 歴代テーマ曲担当
- 8 ペナルティ
- 9 各シリーズの独自ルール
- 10 「クイズタイムショック」起源の出題形式
- 11 司会以外の出演者
- 12 賞金
- 13 芸能人・文化人でのパーフェクト達成者(レギュラー問題)
- 14 歴代タイトルロゴ
- 15 エピソード
- 15.1 田宮・山口時代(1969年1月9日 - 1986年3月27日)
- 15.2 生島時代(1989年10月18日 - 1990年3月21日)
- 15.3 タイムショック21(2000年10月16日 - 2002年6月17日)
- 15.4 タイムショック芸能人バトルロワイヤル・バトルロイヤル(2002年8月21日 - 2006年9月28日)
- 15.5 新タイムショック(2007年4月8日・4月18日)
- 15.6 タイムショック芸能界クイズマスター決定戦(2007年10月3日)
- 15.7 超タイムショック芸能人最強クイズ王決定戦(2008年3月27日 - )
- 15.8 「50時間テレビ」において
- 15.9 クイズの日(2014年3月26日)
- 16 タイムショック形式のクイズを行っている・いた番組
- 17 レギュラーシリーズの終了
- 18 放映ネット局
- 19 脚注
- 20 スタッフ
- 21 関連グッズ
- 22 パロディー
- 23 関連項目
- 24 外部リンク
概要
1回全12問のクイズに、1分以内に何問正解できるかを競うというクイズ番組(1問につき5秒。ただしこの5秒は問題を読む時間も含めてなので、実質的な回答時間は1 - 2秒といってよい)。 また企画当初「機械文明に生きる現代人の頭脳と反射神経をテストする」と言う趣旨があった。
番組の変遷と歴代司会者
クイズタイムショック(1969年1月 - 1986年3月)
平均視聴率14%、最高視聴率29%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)
田宮司会の時期の映像は、当時のVTRの規格が2インチで機器・テープ共に高価だったうえ、当時は著作権法などの絡みで番組の資料保存が制約されていた事情もあり、テレビ朝日の映像アーカイブス倉庫にほとんど現存していない。ただし、1978年8月31日放送の「500回記念・1978年度日本一王座決定戦」と田宮最終日に当たる同年9月28日の放送(第504回)の「親子大会」の映像は現存しており、テレビ朝日などが過去の番組を特集する際に田宮によるオープニングなど一部が流されることがある。2009年9月に発売された「CRAクイズタイムショック」でも田宮末期の写真や映像が使われている。一方、山口司会の時期の映像は、後期の1インチ収録時代を中心に、多数現存していると考えられる。なお、両時代ともに、神奈川県横浜市にある放送ライブラリーに保存されている映像は1本も無い。
『超タイムショック』第5回(2009年3月放送分)では、ピーターが出演した山口の初日である第505回(1978年10月5日放送分)および山口最終日である第888回(1986年3月27日放送分)でタイムガールズが3問以下で回転降下する映像が流れた。また、『超タイムショック』第9回(2010年9月24日放送分)でもピーターが出演したため、その際に再びその映像が流された。
オープニングの進行
- 最初に、19:00の時報とともに、スタジオの照明がすべて落とされた真っ暗闇状態が写る。
- そして、ジングルとともにセットの時計台の赤色のランプ(正時の部分)のみが点灯され、出題者の矢島正明が金言・格言の言葉、現代の世相などを語る。この際、必ずといっていいほど最後にオチがあり、観客席から笑いが起こる(ただし、山口時代後期のみ)。なお、この語りの部分は、山口時代末期では端折られた(前述のジングルと同時に後述の番組タイトルが出て、スタジオの照明も点灯される形になっていた)。
- その後、セットの時計の秒部分緑色ランプが一つずつ点き始めテーマ音楽が流れ、番組タイトルと放送回数(クイズタイムショック 第○○○回 という具合)のテロップ表示。この最後で朝日系以外も含めてネット局テロップが出る(特集回や山口時代末期はタイトルとネット局テロップの間にサブタイトルが挿入された)。
- 続くスポンサークレジット(エンディングでもほぼ同じ)では時計のセコンド音(「チッチッチッ」という音)がベースのBGMであった。この独特の雰囲気を持ったオープニングはかなり有名であった。当時はオリジナルの模様のイラストでのタイトルバックだったが、山口時代の途中から本日の出場者紹介を兼ねた見どころとスポンサークレジットの映像に変わった。
- CM後、田宮時代のオープニングキャッチフレーズは「現代は時間との戦いです!」と言う際にストップウオッチを右手に持ちながら、「さあ、あなたの心臓に挑戦します」でカメラ(つまり視聴者)に向かって右手の人差し指を指し(その後は右手を下ろしていた)、「タイムイズマネー1分間で100万円のチャンスです。果たして超人的なあなたはこのチャンスをどのように活かすか、クイズ・タイムショック」。田宮は二枚目俳優であるが、まさにその特性を生かしたキャラクターだった。ドラマや映画ではクールでニヒルな役柄だが、タイムショックに関してはドラマや映画とはうって変ってトークが軽快でソフトな司会でもあり、前述のオープニングキャッチフレーズやクイズ開始の際番号スイッチを押した後、「タ〜イムショック!!」コールの際も二枚目俳優らしさをかもし出していた。
- 山口時代のオープニングキャッチフレーズ(前期のみ)は「(いすに座り)時は人を追い、人はまた時を追いかけます。(その後立ち上がって)現代は時間との戦いです。さあ、あなたの心臓に挑戦しましょう。タイム・イズ・マネー、1分間100万円のチャンスです。果たして超人的なあなた、この1分間のチャンスをどのように生かすか、クイズ、タイム、ショック!」と言ってセットの電気がついてスタートした(途中から上記と同じフレーズ(田宮時代)に短縮された。最末期にはリニューアルされ、司会席に座った山口の「さあクイズ・タイムショック、1分間で100万円のチャンスです」となった)。
- 2つ目のCMに入る前、司会者が「さあ、これからの1分間は、テレビの前のあなたに。タイム・ショック!」コールした後、CMに入ったが、山口時代の途中からは4人のアシスタントがタイトルコール後 出題の時に流れる女性の「スタート」ボイスが聞こえてからのCM入りになった。しかしそれらは最末期で影を潜め、普通のクイズ番組のようにありふれたパターンとなった。
田宮時代・山口時代の違い
田宮時代
- 司会・アシスタントのテロップが緑色であった(山口時代初期も同様)。
山口時代初期・中期
- 最初のCM明けにジングルになってから始まった。同時にBGMも若干変更された。解答席もリニューアルした。
- 2つ目のCMの後、男性の「タイムショック!」コールの後に最初のCM明けのジングルが流れてから始まった。
山口時代・後期
- 解答席がせり上がるときに拍手があった。
- 出場者の名前テロップが手書きになり視認性も改善された。
- 1984年頃より、アシスタントが賞品を説明するテレビ朝日アナウンサーと「タイムガールズ」と呼ばれたアシスタント4名に分けられた。シートベルトの着用、椅子がせり上がる際、椅子の両側に2名配置され、上昇する回答者(椅子)を見上げながら拍手する担当である(椅子が上がっている時は袖にはけている)。回答後、椅子が降りたとき、シートベルトの脱着をする。
- 前半と後半のインターバルのCM前の、山口が「さあ、これからの1分間は、テレビの前のあなたに」と言った後、カメラが時計台に切り替わり、椅子の両端(それぞれ2名ずつ配置)にいるタイムガールズ4人が、キューを出しながら「タイム・ショック!!」とコールするようになった。
- 各問題毎の正解の表示がゴシック体から手書き体へ変更。そのあとに賞金表示がデジタルに変更され、パーフェクトを達成すると〔¥1,000,000〕と同時にフラッシュ表示される演出が施された。
山口時代・末期
- 番組タイトル表示などが紺色出しになった。
- 後方のセットが電光掲示板風から報道センターのニューススタジオ風の雰囲気になった。
- 司会者テロップとスタッフ表示が手書き体での表示になった。
- スタッフ表示が、テロップからロールに(下から上へ)なった。
山口時代・最末期
- オープニングは司会の山口がアシスタント(アナウンサー)と共に司会席に着席してスタートとなり後方のセットもパソコン等が置かれ、専属のスタッフが一人着席するようになった。また、アシスタントが出場者の紹介フォローもしていた。
- 司会者テロップとスタッフ表示がゴシック体での表示になった。
- タイムガールズの衣裳が変更になる。
- スタッフロールが、横向き(右から左へ)に変更。
- CMに入る前の演出が当時のクイズ番組の基本フォーマットと同じパターンに変更された。
クイズタイムショック(1989年10月 - 1990年3月)
司会
放送時間
毎週水曜 19:00 - 19:30。当時のこの枠はローカルセールス枠だった。
- オープニングキャッチフレーズは「時間と戦い、時代を知る。24時間戦っているあなたにクイズタイムショック!1分間で100万円のチャンスです」。生島がフリーアナウンサーになって初めてゴールデン枠で担当した番組だった。
- 毎回「○○大会」と称して特定の条件に沿った一般出場者と芸能人が混合で参加していた。ちなみに1回目は当時のテレビ朝日の番組からの代表による対抗戦だった。
- 企画段階ではタイトルが「クイズタイムショック2」となっていたが、結局は旧版と同様になった。
- 瀬戸内海放送ではエンディングのスタッフロールが終わった後(提供クレジット - 「SEE YOU NEXT TIME」のコール)がカットされ、ブルーバックのエンドカードに差し替えられた。
タイムショック21(2000年10月 - 2002年6月)
時の番人
進行役
放送時間
毎週月曜 20:00 - 20:54
- オープニングキャッチフレーズは「タイム・イズ・マネー。 知恵の勇者たちよ、私の与える1分に挑むがよい! タ〜イムショック!」。実質的進行は中山と新山が担当。
- 第1回放送の映像が、横浜市の放送ライブラリーで再視聴可能。
タイムショック(2002年8月 - 2006年9月、2007年10月)
司会
- 中山秀征、新山千春、解説:北野大
- 『21』終了後は、不定期放送となり、タイトルも『タイムショック』のみとなった。その時からは、中山と新山が総合司会を務めており、実質5代目司会者となっている。北野も引き続き解説を担当している。オープニングキャッチフレーズは前代の4人とは別で特にない。
- 初のスペシャル版放送は、2002年8月21日の「全日本!!高校生クイズ王決定戦」であり、芸能人スペシャル版は2002年9月18日から春と秋に放送されるようになった。
- 2006年3月29日放送分は、新山が妊娠中のため、中山に加えユンソナとテレビ朝日アナウンサーの堂真理子が代わりを務め、初の3人体制で進行。
- 2006年9月28日放送分は、新山が1年ぶりに復帰し、中山およびテレビ朝日アナウンサーの矢島悠子と総合司会を務めた。
- 2007年10月3日放送分は、タイトルが再び『タイムショック』のみとなり、内容が「バトルロイヤル」から「芸能界クイズマスター決定戦」に変更、2007年4月の『新タイムショック』と同様、ステレオ放送で放送された。
新タイムショック(2007年4月)
司会
- 中山秀征、新山千春、解説:北野大
- 『タイムショック』がリニューアル、番組対抗特番となった。『タイムショック21』の第2期に近いルールが採用されており、時間をテーマにした「タイムショック」とは全く関係ないゲームで最も良い成績を修めたチームのみが「タイムショック」に挑戦できるという、クイズとゲームをミックスさせた内容であった。
- そして、このシリーズからはステレオ放送となった。
- 司会者もタイムショック同様中山と新山だが、解説の北野はタイムショックステージ時のみ登場するようになった。
超タイムショック(2008年3月 - )
司会
- 中山秀征、新山千春、解説:北野大(ただし、決定戦13・14・16には出演せず)
- 視聴率(2008年3月27日) 関東地区16.1%、関西地区20.3%(ビデオリサーチ調べ)
- 基本的に、2007年10月の『タイムショック 芸能界クイズマスター決定戦』と変わりはないが、決勝戦での新ルールとして「サバイバルタイムショック」が追加された。
- これまでは年2回の放送だったが、年3-5回に拡大された(春・秋の改編期、年末年始)。ステレオ放送は引き続き行われている。
- 決定戦3からは、問題解説の北野はVTR解説での登場となり、スタジオに出なくなった。また、決定戦8まではプレッシャーQ 12アンサーズが予選Dグループで行われた。
- 決定戦5からは、決勝戦のサバイバルタイムショックの賞金積立制度が廃止され、優勝賞金が固定(金額は不明)となった。優勝者のみが賞金を獲得出来るのはこれまでと同様。
セットの変遷
田宮・山口時代の司会者席
- 司会者席の前面には問題番号を表す、ナールで書かれた1 - 10のネオン数字が二段式(上段はオレンジ色、下段はピンク色)で表示されるようセットされている。最初は上段はダークアウト、下段のみ点灯しており、回答時に回答者が番号を指定すると、司会者はテーブル内側にある1から10の問題群の選択番号のボタンを押す(滅多にないが、ボタンを押す場面が映し出されることが時々あった。ボタンの形状は卓上ビデオゲームの操作盤のような形で、光るようになっており、終了した問題番号は消灯され、残っている回答ボタンは点灯している仕組みになっていた)。指定された番号の下段の数字が消え、上段に上がり(その時、当初は無音(ただ、司会者がボタンを押したときの「カチッ」という音がしただけ)であったが、後期にはビープ音が鳴るようになった)、「タイム・ショック!!」とコールして回答がスタートしていた。
- 田宮時代は司会者席後方には何もなく、山口時代は司会者席後方には、電光板が設置されていた。後に、司会者がその番号を押して、「タイム・ショック!!」とコールすると共に、後方の電光板も番組タイトルロゴが点灯するというものだった。
- 山口時代末期は、田宮時代の背景に、左右に緑の縦ライン+TIME SHOCKと赤文字で描かれたセットになった。これは、山口が番号ボタンを押すと文字が消灯し、ラインが両端から順番に緑から赤に変化、山口の「タ〜イムショック!!」コールに合わせて後ろの消灯していた文字が再び赤く点灯しスタートコールする。
- 山口時代最末期には、ニュース報道スタジオ風に、パソコン等の機器が置かれたセットに加え、上記の「TIME SHOCK」の文字が書かれたセットになった。
解答席
1人用のイスのみが用意され、これがイスの背後に垂直に設置されたリフトによって、高く上昇する(生島時代のみ、イス(キャスター式)が左右に移動して解答者が登場する)。イスのデザインは時代によって異なる。高さは、田宮・山口時代は3.5メートル、鹿賀・中山&新山時代は3メートル。
時計台の変遷
解答席のイスの背後に1分計がセットされる(初代 - 3代目。それ以外はイスの外側)。生島時代を除いた1分計では、秒針として59個の緑と1個(1秒の部分)の桃色から成る60個のランプが点灯し、クイズが開始されると1秒ごとに1つ消えていく仕組みであった。正解表示は緑のランプ5秒分の大きさの時計の外側の赤ランプと、時計台の外にある1 - 12の数字が記されたランプが赤く点灯する。
- クイズ タイムショック(田宮・山口時代)
- 初代(第1回放送- 1971年位まで)
- 秒針は白熱電球の上にアクリル板をかぶせたようなもので赤の正解ランプと一体型。1 - 12のランプも秒針と一体して四角形だった。この頃は、時計台中央のくるくる模様はなかった。6桁表示で10万の位までの電光賞金額表示もあった。
- 2代目(1971年位 - 1974年3月)
- 秒針は初代のままで、時計台中央にスクリーンが内蔵されスライド投光方式のくるくる模様が浮かび上がるようになる。時計台中央のくるくる模様は毎週変わっていた(田宮時代のみ)。途中から、賞金額表示がスライド映写式に変わる(当初は一回り小さかった)。
- 3代目(1974年4月 - 最終回まで)
- 秒針にハロゲンランプを使用。秒針の中央部分には黒い点がある(実際は秒針の上下にランプが各1本ずつ組み込まれてあり、発光していない中央部分が黒い点に見えていた)。また、1 - 12のランプの形は、1975年頃までは、2代目までのと同じ四角形だったものの、その後は丸くなった。スライド映写式の賞金表示は、田宮時代末期に、解答表示と同じ大きさになった。時計台中央のくるくる模様は山口時代になると一貫していた(1985年4月から別の模様にリニューアルされている)。1984年4月頃からは7桁のデジタル表示で、¥0表示も含め3問以下の場合のみ点滅表示(ただし、当初は3問以下も点灯)。その後賞金は加算されて行き、1分間12問全問正解を達成した時は、〔¥1,000,000〕と同時にフラッシュ表示になった。さらに時計の縁についている1 - 12のランプの数字の書体が変わり、12のみ数字そのものが光る形になる。12そのものが光るタイプは1秒目(赤色の秒ランプ)と連動しており、仮に1問目を正解しても12は点灯しなかった。
- スライド映写式の時代の賞金額表示は、0問正解のときは薄青地に金額表示なし、1 - 3問と12問は茶色地に白い数字、4 - 5問は深緑地に白い数字、6 - 10問は薄紫地に白い数字、11問は紺地に白い数字であった。
- 解答表示およびタイトルロゴは山口時代の初期までは黒地に白のゴシック体。後に黒地に黄色の手書き風フォントとなる。
- デジタル表示の時代は、表示部にLEDが使用され0 - 3問正解のときは赤い数字(前述の通り点滅)、4 - 10問は緑の数字、11問は橙色の数字、12問も前述の通り3色が素早く変化する表示であった)。また、7桁表示でも全て"8"ではなく"1088000"と最低限の金額表示ができるような形となっていた(十万の位が0なのは、賞金に10万円、15万円の"1"か100万円の"0"しかないため)。また「6」の表示は小文字の"b"のような表示であった。
- クイズ タイムショック(生島時代)
- 4代目(1989年10月 - 1990年3月)
- 田宮・山口時代とはレイアウトが大きく変わった。時計台自体が楕円形になっており、椅子の両側にあたる部分にモニター式の解答表示と賞金表示がそれぞれ1台ずつ吊り下げられていた。外周の赤いランプは秒針になり1秒単位で設置され、中央には正解ランプを秒針同様に1秒単位で設置。最初はどちらも消灯しており、時間経過で点灯していく。正解ランプは、問題カウント中は白色で秒針と連動して点灯し、5秒が終わると正解なら緑色・不正解だと消灯するため、正解ランプだけでも実質的に秒針を兼ねていると言える。さらに黄色のライトが内周に追加され、「ショックポイント」を表示するもので、ライト1つで秒針5個分のスペースを使用。問題番号選択後に生島ヒロシが番号のスイッチを押すと、ルーレットのように回転し(BGMはテーマ曲の一部をファンファーレで流す)、挑戦者が「ストップ」と言った後に停止し、「ショックポイント」の問題部分が点灯する(「ショックポイント」の役割については後述)。
- 視聴者へは、画面3分割で「時計台全体」「解答者」「正解モニター」をそれぞれ映している。これは時計台自体が他のバージョンに比べて巨大で、内周のショックポイントに使用するライトだけでも他のバージョンで言う時計台全部の大きさに相当し、中央部の正解ランプと外周の秒針はさらに大きいため。
- タイムショック21・タイムショック・新タイムショック・超タイムショック
- 5代目(鹿賀・中山&新山時代 2000年10月-)
- 3代目の時計台をベースに、デザインを大幅に変えた。それまでは地上部から高所に設置されていることが明らかに見えていたが、空中に設置されているように見せるため支柱が背景に同化した非常に暗い色になっている。また、横から見ると時計台下部が前面にせり出す形で斜めになっている。秒針の色は緑だが、新たに模様が入った。正解ランプは、番組スタート時は秒針の外周だったが、2001年1月から内周に変更された(ただし、1月1日の「芸能人スペシャル」では、スペシャル対決のみ)。他にも、秒針の内周(2001年1月からは外周)には、青いライトが正解ランプと同じレイアウトで12個設置されているが、常時点灯しているだけで、特に役割はない。
- なお、初代 - 3代目と違って、秒針の1秒にあたる桃色のランプと、時計台の外にある1 - 12の数字が記されたランプは無くなっている。代わりにその部分に自在に回転するライトが付けられており、クイズのスタート時などでさまざまな演出をする。
- 正解表示と賞金表示は設置されておらず、スタジオの観客は答えを見られない。
- 視聴者には、CG合成で見せており、問題文もこのバージョンからは画面に表示される。後に正解数の表示も追加された。
- また、レギュラー放送第5期(番組末期の個人戦)では自分で問題番号を選択するための番号ボタンが、その後『タイムショック』以降は、後述の映像関連問題のための液晶モニターが右側(解答者からすれば左側)にセットされ、必要時に解答者の目の前に降りてくるシステムが取り付けられるなど、数回のマイナーチェンジが行われている(その後『タイムショック』以降は番号ボタンが、『新タイムショック』では問題が全部レギュラー問題となったため、液晶モニターが排除された。『新タイムショック』から『タイムショック』にタイトルが戻ったとき、液晶モニターは復活している)。さらに、2008年6月放送分からは上昇したイスの背後に色が規則的に変化するLEDが取付けられた。
- この時計台は底辺の高度が人の頭よりも低い。そのため椅子に座る際には時計台そのものが少し上に上がり、降りたあとに下がるようになっている。
- 「タイムショック21」と「タイムショック」以降では時計台の傾き方かカメラの角度が変更されている。
- 近年では、秒針のランプ色が緑一色からフルカラー表示(デモ表示時のみ)に変更されている(時期不明)
各時代共通の基本ルール(1分間12問の正真正銘のタイムショック問題)
- 解答者が解答席のイスに着席すると、ファンファーレが鳴りながらイスが高く上昇する(山口時代の時に落語家特集があった場合は「出囃子」が演奏される。ただし、生島時代はキャスター付きのイス<ファンファーレが鳴りながら左右から曲がって登場する>ため上昇しない)。
- 解答者は、問題番号を1番 - 10番(鹿賀・中山&新山時代は時期によって違うが、基本的に1番 - 20番)より選択する。司会者が解答者の選んだ問題番号スイッチを押す。
- この問題番号スイッチは、田宮・山口時代は「カチッ」(SE音ではない)というスイッチを押した音がしたが、山口時代の途中からSE音が鳴るようになり、「ピッピ」という音、生島時代は「ピュッ」というSE音。鹿賀・中山&新山時代は「ピコーン」という低めの音で、2007年10月放送分では同じ音にアレンジが加わったが、2008年6月放送分では元に戻っていた。ただし、2008年3月放送分では音が鳴らなかった。
- 問題番号スイッチを選び終わると司会者(田宮・山口・生島・鹿賀・中山&新山(鹿賀時代の「出張タイムショック」ではカイヤが))が人差し指を前に指しながら「タ〜イムショック!!」とコールする(田宮時代はトップバッターの際「では今週もクイズタイムショックさっそく始めましょう」と前置きした。生島時代は「クイズ(唯一付け加えていた)タ〜イムショック!!」とコール、鹿賀時代のファイナルタイムショックでは鹿賀が1000万円の入ったボックスの鍵を持ちながら「ファイナルタ〜イムショック!!」とコール、鹿賀時代の出張タイムショックはカイヤが「出張!タ〜イムショック!!」とコールした)。ちなみに、田宮・山口・生島・中山は右手、鹿賀・新山は左手の人差し指を前に指していた。(ただし、新山は鹿賀時代の初期は右手だった)
- 腕の振り方は司会者によって異なる。田宮・山口・生島は人差し指を立てて肘を曲げ横にそらしてから振る。鹿賀は人差し指を立て、腕を正面に立ててから振る。中山&新山は両手を組んで腰の右側にもっていき(かめはめはのためのような動作)そこから一気に中山は右腕、新山は左腕を突き出す(このとき中山は左手は右腕に、新山は右手を左腕に添えている)。
- SEのコーラスが「スタート」とコールして出題が始まる。この「スタート」という声は山口時代にセクシーなものに言い換えられた。ただし、生島時代では「スタート」のコールがなく、1分間の出題が始まっていた。また、鹿賀時代初期は中山&新山が「○○さんの挑戦です!」とコールしたあと、鹿賀が「ファイナルタ〜イムショック!!」コールし、「スタート」コールが鳴り(田宮時代のアレンジである)出題が始まり、鹿賀・中山&新山時代では中山&新山が「○○さんの挑戦です!」とコールし別のSE(カウントダウン)があり(この際ライトが内方向に回転する)、鹿賀(『タイムショック』以降は中山&新山)が「タ〜イムショック!!」とコールし、「スタート」コールが鳴り(やはり、田宮時代のアレンジである)、「スタート」コールが鳴っている間に時計台の周りのライトが内方向から外方向に回転して、出題が始まる。中山&新山時代の問題によっては解答方法説明をしてからカウントダウンが始まることがある。
- 1問1答クイズで、1分間に全12問が出題され、1問につき5秒以内に答えなければならない。そのため、知識が豊富であっても反射神経が必要になる。5秒間には出題時間も含まれるため、実質の解答時間は概ね2 - 3秒程度(問題の読み上げ所要時間により異なる)。アナウンス中に正解が分かった場合には遮って答えてもよい。
- 解答は1問1答のみで、解答の言い直しは一切認められない。従ってとちった場合やたとえ正解であっても5秒以内に言えなかった場合、タイムオーバーになった場合も不正解となる。ただし、時間内に正解に関連した解答の場合は司会者の裁量で正解にした場合もある。
- 正解した場合はチャイムが鳴る。チャイムの音は田宮・山口時代は一緒だが、生島時代は別バージョン、鹿賀・中山&新山時代はさらに別バージョンで同じであるが、「タイムショック21」の第2回(2000年10月23日)放送分、「超タイムショック」2008年3月放送分、2009年1月放送分ではかるくエコーがかった音にアレンジされていた。
- 正解数に応じて賞金が贈られる。
- 全員の挑戦が終わったところで正解数の一番多かった一人がトップ賞を獲得、田宮・山口時代はそれに加えトップチャレンジャーの権利が与えられる。
パーフェクト達成時の演出
- パーフェクト(すなわち、1分間12問全問正解)を達成すると、田宮時代・山口時代は天井から大量の紙吹雪と風船(山口時代の末期は風船がなく紙吹雪だけ、生島時代はパーフェクト達成者無しで不明)が降りながら(田宮時代の途中から解答席の周りのランプが点滅した。山口時代には時計台ランプが回転しながら点滅して解答席の周りのランプが点滅しながら椅子が降下した。生島時代は上昇する椅子ではないため、降下しなかった)。鹿賀・中山&新山時代では天井から降らせる代わりにキャノン砲と呼ばれる機械式のクラッカーから大量の銀色の紙吹雪と紙テープが降り、同時に消灯していた秒針部分が一定のパターンで点滅し時計台周りのライトが色を変えながら回転し、ファンファーレが鳴る。
ただし「タイムショック 芸能界クイズマスター決定戦」以降、優勝決定のみキャノン砲から大量の紙テープが舞うのみになり、紙吹雪は入っていない(田宮時代は連続して紙吹雪と風船を降らせることが可能だった。例を上げると2007年10月放送の「プライベートタイムショック」で和田アキ子がパーフェクトを達成した時や、「超タイムショック」以降は、紙テープは降らず、電飾のみの演出)。 - パーフェクト達成の瞬間には画面に「☆全問正解☆100万円!(旅行を含む)」(田宮時代)、「全問(王冠マーク)正解!100万円獲得!!」(山口時代)、「PERFECT1000万円!!(ただし、下述の第4期1回戦と決勝・第5期は100万円)」、「パーフェクト達成」(鹿賀・中山&新山時代)のスーパーが出ていた。
- 積み立てで目標金額に到達した場合も上記と同じ演出がなされ、その時のスーパーは、鹿賀時代が「1000万円獲得!!」、中山&新山時代には「○○チーム(目標金額)万円獲得!!」となる。
- 優勝者決定時も上記と同じ演出がなされ、「クイズマスター決定戦」、「最強クイズ王決定戦」ともに、「優勝(優勝者名)」のスーパーが出ていた。
- 田宮・山口時代にはチャンピオンが5週連続勝ち抜いた場合、チャンピオン席(番組上ではチャンピオンボックスと言った)で天井から紙吹雪と風船が降った(田宮時代の前期はチャンピオンボックスではなく、通常の解答者席で紙吹雪と風船が降った(レコードゲームの写真に載っていた))。画面には「☆全問正解☆(もしくは「5週勝ち抜き!」)100万円!(旅行を含む)」(田宮時代)のスーパーが出ていた。
- パーフェクトが達成された時、田宮時代は冷静かつ落ち着いた口調で「ハイ!!見事1分間100万円の壁を破られました!!おめでとうございます!!」、山口時代は「行った〜!!」や「12問全問正解だ〜!!」「やった〜っ!!」と大絶叫、鹿賀・中山&新山時代には中山が「1000万円ですよ〜!!」「全問正解パーフェクト!!」「パーフェクト!!1000万円獲得!!」(こちらは大絶叫)などと述べて、天井(鹿賀・中山&新山時代はキャノン砲)から大量の紙吹雪と風船の舞う解答者席(時計台)に向かって解答者を祝福していた。
- 田宮・山口時代のパーフェクト達成者は「ミリオネア」と呼称され、自席に戻らずに、チャンピオンボックスの隣にある席(ミリオネアボックスと言った)に案内されていた(ただし、1983年12月の年末特集で、大島渚がパーフェクトを達成したが、この時は通常のチャレンジャー席は使用せず、大島は自席に戻っていた)。
- 田宮時代の最後のパーフェクト達成は、1978年9月14日放送回の第502回「おばあちゃん大奮戦」での1人。山口時代の最後のパーフェクト達成は、1986年1月30日放送回の第880回で5人目・男性の塾教師だった。同回のサブタイトルは「チャンピオンも真っ青!!鬼も笑った全問正解」。なお、この塾教師は7年後の1993年に「パネルクイズ アタック25」でも25枚のパーフェクトを達成している。生島時代はパーフェクト(100万円)は一人も出なかったが、2000年12月4日放送回(通算第896回、鹿賀時代として第8回)の鹿賀時代で、慶応オッサンチームの1人が山口時代以来、14年11か月ぶりにパーフェクト達成(初の1000万円達成)が出た(しかし、キャノン砲からの紙吹雪・紙テープは降らず、電飾とファンファーレのみの演出だった)。その後時期不明であるが、鹿賀時代の「ウエディング2時間スペシャル」でパーフェクト達成(1000万円獲得)があり、その時はキャノン砲からの紙吹雪・紙テープが降る演出があった。
- パーフェクト達成時の賞金・賞品
- 田宮・山口時代は海外旅行(田宮時代初期はカンタス航空で行くオーストラリア、その後はヨーロッパ、アマゾン、解答者が好きな1箇所選ぶもの(「あなたが選ぶ価値ある旅行バリューツアー」)、スイス列車旅行等)と現金を含む総額100万円(特賞とも言っていた)(目録)・ゴールデンカップと花束が田宮・山口から贈呈される)。
- 生島時代・中山&新山時代(2007年4月)は現金100万円(詳しくは下記)。
- 鹿賀・中山&新山時代(2000年10月 - 2006年9月)は現金1,000万円(目録・カップ代わりに 1000万円の鍵が鹿賀から贈呈される)、もしくは賞金の積み立て合計額1000万円(特番の時には2000万円)(目録)。
- 中山&新山時代(2007年10月)は「クイズマスター決定戦」では優勝者に現金200万円(目録)、「プライベートタイムショック」では最高で現金250万円(目録)。
- 中山&新山時代(2008年3月-)はパーフェクト達成者には現金10万円(目録)、優勝者は積み立て金(目録、いずれも中山から贈呈される)を獲得できる。
- 賞金・賞品について初期の頃は賞金の上限がなく、パーフェクトを達成した場合は現金100万円に加えて、自動車(加山雄三は自動車2台を獲得していた)、ギリシャ旅行等がプレゼントされたといわれている。
- しかし、1971年9月1日に公正取引委員会の取り決めで「オープン懸賞における賞金の上限制限(100万円まで)」ができた後、海外旅行代金を含めた賞金・賞品総額100万円(田宮・山口・生島時代)を獲得できる形に変わった。
- 1996年4月からは景品表示法の規制緩和により1000万円まで可能になったため、鹿賀・中山&新山時代から1000万円となったが、現在は上限撤廃されている。
解答中のBGM
クイズ解答中のBGMはどの時代のものもアナログ時計が時間を刻む様子をイメージして作られており、時代によってアレンジが異なっている。
- 田宮版・山口版は山下毅雄作曲。両者はメロディは似ているが、全くアレンジが異なる。
- (田宮・山口が問題番号ボタンを押して)「タ〜イムショック!!」コールの後、「スタート」のジングルが流れる。カウントがスタートすると、ストップウォッチのコチコチ音と打楽器を小刻みに叩く音(山口時代は1秒間を刻む音も)が30秒まで徐々に音量を上げながら続く。30秒を過ぎると3拍子のメロディが始まり半音ずつキーが上がっていく。45秒前後からはさらに緊迫感のある不調和音をあおる旋律に変わる。55秒で最初の打楽器のみの音に戻り、「ジャーン」という派手なファンファーレで1分間が終わる。なお、田宮版でもセットの時期によって若干異なっていた。また、チャンピオン戦では、チャンピオンの挑戦が終了した直後、別の不協和音が流れた。
- 生島時代のBGMは前田憲男作曲。「クイズ!!タ〜イムショック!!」コールの後、すぐにカウントがスタートする(「スタート」ジングルは無し)。最初は「チクタクチクタク」の秒針をイメージしたタンバリン風の音が鳴りづける。30秒を過ぎると、緊迫感のある不調和音が鳴り続き(音量と音階が無段階に上がる)、「ジャジャジャン!」と大きな音(ファンファーレ)で1分間が終わる。
- 鹿賀・中山&新山でのBGMは安久雄滋作曲。「タ〜イムショック!!」コールの後、「スタート」のジングルが流れる(田宮時代のアレンジ)。0秒から30秒までは、秒針のイメージ、30秒から47.5秒までは、暗く緊迫感のある3拍子、47.5秒から58秒までは、0.5秒間隔に不協和音が流れ、少しずつ音階が上がっていった(このような類の音楽はかなりの緊迫感を引き出すと言われている)。そして最後の1秒は秒針の音楽になり、59.9秒(最後のランプが消える直前)に大きな音が流れ1分間が終わる。鹿賀時代初期は、この最後の大きな音の上に重ねるように「ビー」という機械音が鳴った。また、問題の種類によっては、全体的に若干のずれが生じることもあった。携帯電話サイトでダウンロード可能。
歴代テーマ曲担当
- 山下毅雄(田宮・山口時代)曲の中の「ショック!!」の声は山下本人のものである。なお、田宮時代と山口時代ではアレンジが異なる。
- 前田憲男(生島時代)
- 安久雄滋(鹿賀・中山&新山時代)
ペナルティ
- 田宮・山口・生島時代は正解数が3問以下、鹿賀・中山&新山時代では5問以下(鹿賀時代初期は6問)だとペナルティがある。
- 田宮・山口時代は、正解が1問でもあれば賞金を獲得できたものの、イスが水平に回転しながら降下するペナルティがあった。
- 安全のため、イスに座った後、必ず2点式(自動車の旧式の座席及び航空機の客室座席のものと同じ)シートベルトを装着する。女性アシスタントが行っていた。
- 1分間12問の解答終了後、椅子回転が宣告されすぐに回転させられた。
- 椅子が回転している際、しおれた感じのBGMが流れた。
- このペナルティから、解答席は別名「地獄の回転椅子」または「電気椅子」と呼ばれていた。
- 田宮・山口時代の冒頭のルール説明では、田宮司会時代は、「解答は一問一答です。正解にはチャイムが鳴ります。3問しかお答えになりませんと椅子が回ります。よろしいですね?」と発言し、山口司会時代は、「はい、解答は一問一答です。正解の時はチャイムが鳴ります。正解が3問以下の時には、椅子が回ります」という説明をしていた。
- 番組開始当時は、1問も正解できなかった場合のみに椅子が回転落下したが、後にルール一部改正でペナルティを3問以下に改めた。
- 収録時、妊婦や体調不良だった解答者に対しては、体調を配慮し成績に関わらず椅子は回さなかった。それ以外の椅子回転回避としては、田宮司会時代、椅子回転による失神者が出たため、以後極度に緊張している解答者の場合は椅子を回さなかったことがある。また山口司会時代の4歳児大会では、3問以下の場合、本人が希望した場合のみ椅子を回すとしていた。
- 生島時代は、正解数が3問以下、もしくは「ショックポイント(別名「地雷」)」で不正解になった場合、煙(ドライアイス)の噴射によるペナルティとともに退場となった(椅子が回転する機会はない)。「ショックポイント」の付いた問題で誤答すると、その場で失格となり、クイズが即中断されて煙に囲まれて強制退場、賞金は全額没収となった。「ショックポイント」がいくつつくかは、番組初期と後期で異なった。
- 番組前期では、オープニングで「ショックポイント」の数を決めるための「ショックポイントクイズ」を出題。30秒間に6問の問題が出題され、誤答数に応じて最高3つまで設定された。2問正解する毎に一つ消滅する。また制限時間外や、正解してもショックポイントが減らない場合は稀に最後の問題は省略する事があった。出題は生島が行った。
- ショックポイントクイズ後にショックポイントセット。決められた数のショックポイントをどの問題に設定するかをルーレット(挑戦者の「ストップ」の宣言で停止)で決める。たとえば、3つならば12問のうちのいずれか3問に設定される。
- 後期は、1番 - 10番まである各問題番号のなかにあらかじめ0 - 2個の「ショックポイント」がセットされている方式に変更され、問題選択とショックポイントセットの手順が逆になった。なお、各番号に設定されたショックポイントの数は番組冒頭にテロップで表示され、視聴者には教示していた。
- 問題選択前にショックポイントセット。後期では、ショックポイントの数はこの段階ではじめて判明するため、「ストップ」を宣言しながらもショックポイントがひとつも設定されないことが多くある(この場合は観客から歓声が上がる)。
- 「ショックポイント」による退場の場合は、その時点での正解数にかかわらず、賞金は全額没収される。さらに、ポイントでの不正解とともに即座に退場となるため、生島とのトークなども(番組の終わりに行われる各挑戦者の結果のおさらいまで)一切交わされない。
- このときのジングルはブラスと電子音が音を奏でて鳴るもの。また、セットの秒針ランプがランダムに激しく点滅し、正解・賞金を表示するモニタにはインベーダーゲームのキャラクターようなマークが上下に手を振るアニメーションが表示される。
- 番組初期を除き、ショックポイントで失格になった場合は残念賞として煙をイメージした「けむりちゃん人形」と呼ばれるぬいぐるみをプレゼント。「ショックポイント」を乗り切ると、賞金のほかにヘッドホンステレオ、ワープロなどのポイント数に応じた賞品が贈られた。
- 正解数が3問以下による退場の場合は、正解数に応じた賞金を獲得できる。
- 全問終了とともに有無を言わさずペナルティが課せられた他の時期とは違い、多くの場合は全問終了後に少し生島とトークを交わしたあとに「では、正解数が3問以下ですので、白い煙と一緒にとっとと消えていただきましょう!」などといった前振りがあった。
- 退場時のジングルは「葬送行進曲」(黎明期のコンピューターゲーム風)のあとに「チーン」と鳴るものである。「ショックポイント」のようなセットの激しい演出もなく、どちらかと言うと「残念さ」が強調された演出となっている。ただショックポイントに引っかからずして白い煙とともに消えるシーンが実際に披露されたのは、1990年1月24日放送分(年女・年男大会)の3人目における一度だけであった。
- 番組前期では、オープニングで「ショックポイント」の数を決めるための「ショックポイントクイズ」を出題。30秒間に6問の問題が出題され、誤答数に応じて最高3つまで設定された。2問正解する毎に一つ消滅する。また制限時間外や、正解してもショックポイントが減らない場合は稀に最後の問題は省略する事があった。出題は生島が行った。
- 鹿賀・中山&新山時代では椅子の回転が復活、従来の水平回転に垂直回転を加えた「トルネードスピン (Tornado Spin) 」に進化した。正解数が5問(鹿賀時代初期は6問)以下の場合、椅子が水平・垂直両方向に回転しながら地上まで降下する。その際、賞金も没収され失格となる(ただし、初期の「ファイナルタイムショック」は1問でも正解すれば、回転降下しても正解した分の賞金はそのまま獲得できた)。
- 椅子が回転する前に音が流れながら、中山&新山が「5問以下なので、トルネードスピン!!」と人指し指を回しながら発する。人指し指を回すのは、「トルネードスピン!!」のところからである。
- トルネードスピンで椅子が回転している際、音が流れる。画面には「トルネードスピン」(ただし、芸能人バトルロイヤル10から芸能人最強クイズ王決定戦15までは「Tornado Spin」)の字幕スーパーが出る。芸能人バトルロイヤル9までと芸能人最強クイズ王決定戦16以降とではフォントが異なっている。
- 安全のため、イスに座った後に必ず4点式の安全ベルトを装着する。
- トルネードスピンの絶叫度はかなり高い。悲鳴を上げるほか、恐ろしいほどの怖さを持っている(女性人の殆どは、悲鳴を上げる)。まさに絶叫マシンでもある。
- 妊娠中の女性など身体に影響がある場合は椅子の回転は行わない。また、回転機構の不具合により従来のような水平方向の回転のみになったこともある。
- 6問以上正解したが「記念に回してほしい」と言った出演者がいた(希望通り、回転した)。
- なお「出張タイムショック」の時のトルネードスピンは、単にグルグル回転させる方式だった(フジテレビ『志村けんのだいじょうぶだぁ』の「人間ルーレット」と同形式)。
各シリーズの独自ルール
チャンピオン戦(新チャンピオン戦)
- 田宮・山口時代のレギュラー回でパーフェクト達成を除いてその週に最も正解数が多かった解答者が「トップチャレンジャー」として前週勝ち抜きの「チャンピオン」と対戦し、正解数が多い方(両者同じ正解数の場合は「チャンピオン」)に次週のチャンピオン出場権が与えられた。初期では無制限勝ち抜きルールでチャンピオンが敗れるまで何週でも挑戦可能であった。後に5週勝ち抜きで100万円というルールに定着する(ただし山口時代最末期では12問全問正解した解答者が自動的に一週限りのトップチャレンジャー扱いというルールに改定された)。
- 無制限勝ち抜き制では俳優の勝呂誉が57人勝ち抜きが最高記録。後の5週勝ち抜き制の最初の5週勝ち抜きをしたのは山東昭子[1]。
- 初期から末期において、全問正解・特賞獲得者は除外し、それ以外の出場者の中から最高得点者が前述の「トップチャレンジャー」もしくは、「仮チャンピオン」「仮トップチャレンジャー」を決めた。
- 最末期においてトップチャレンジャーが12問全問正解があった場合でもチャンピオン戦は行われたが、トップチャレンジャーはチャンピオン戦では解答せず、前週まで勝ち抜きのチャンピオンのみの解答が行われた。
- また、チャンピオン戦でも12問全問正解、およびトップチャレンジャーが全問正解者であった場合には、勝ち抜いた人数に関係なくその時点で賞金100万円獲得となり、打ち切りとなった。
- なお、前回の放送で5週勝ち抜きもしくはパーフェクト達成となり、「チャンピオン」がいない場合は、正解数1位の解答者が「仮チャンピオン」、2位の解答者が「チャレンジャー」として対戦して「新チャンピオン」を決めた。
- チャンピオン戦は、チャンピオンの先攻で解答が行われたが、後攻の挑戦者が解答を行う際に、画面の時計板の中に四角囲みでチャンピオンの正解数のテロップ表示と、画面その左下には、挑戦者の解答を見守るチャンピオンの顔(表情)が今で言うワイプで映し出されていた。挑戦者がチャンピオンの正解数を上回る、もしくはチャンピオンの正解数を上回れない事が決定した時点でワイプが消える。
- なお、新チャンピオン誕生の瞬間の場合は紙吹雪は降らないが、椅子の廻りの電飾が点滅しながら降下した。
- その週のトップが同点の場合は同点決勝を行う。この時の掛け声は、田宮・山口共に「Take a chance!!」だった。
- 田宮時代初期は、ジャンケンで決めていた。といってもテーブル前面の電光掲示板にグー・チョキ・パーのいずれかの手が出るものであった。田宮の「Take a Chance!!」の掛け声に合わせてSEが流れ、手が出ていた。田宮時代末期・山口時代は「チャンスクイズ」で、やはり田宮・山口の「Take a Chance!!」の掛け声で○×2つのうち1つボタンで答えを選んだ。押し忘れやタイムオーバーは失格となった。田宮時代では真のトップが出た場合、残りのトップには「エース賞」として番組特製の掛け時計などが贈られた。その際アシスタントのナレーションは「また、挑戦しに来て下さい」のセリフで締めくくっていた。
- 賞品
- 参加賞はスポンサー商品で、別名「チャレンジ賞」と言われていた。また「トップ賞」もスポンサー商品で、参加賞だけでも相当な量になった。なお、このため出場者は風呂敷や大きなバッグを持参するように言われた。
- 定期的に特集回(ゲスト特集等)を設けており、チャンピオンはその回のみ欠席。「トップ賞」の場合は、全問正解およびチャンピオン勝ち抜きと同様、記念カップと回によっては花束などが贈呈された。
特集の詳細
- 78日本一王座決定戦(500回、1978年8月31日)
- 当時クイズ番組の常連出場者だった7人をクイズ界のスーパースターと称し、タイムショック日本一の座を賭けて争うという志向だったが、結果はパーフェクトが2人誕生し、さらに準パーフェクトも2人という500回記念に相応しい展開となった。トップ賞(全問正解者以外の中の好成績者)にはさらなる副賞としてアメリカ西海岸旅行がプレゼントされた。なお1人目の女性がパーフェクトを達成した時は、常にパーフェクト達成のために天井にセットしてあった紙吹雪と風船がセット全体に舞ったが、2人目(後半トップ)の男性がそれを達成した瞬間は、スタッフが慌てたため画面右側にまとまって降る状態となっていた。
- 中学生親子大会(504回、1978年9月28日)
- 田宮の最終日の放送は親子2人の正解数の合計でトップ賞を決めるルールであったが、プレイオフのチャンスクイズの末、石野早苗・まゆみ親子が優勝した(両方共9問正解、合計18問正解)。この番組でTVクイズ番組初優勝を果たした石野(23年ぶりに出場し、鹿賀・中山&新山時代の末期「最強コロシアム」でも優勝している)は、以後女性のクイズマニアとして数々のTVクイズ番組でも優勝を果たす事となる。その模様は、2009年2月にテレビ朝日開局50周年特番で紹介されており、1分間のチャレンジから田宮が投げ掛けた問いに対する石野の回答に田宮がたじろぐ場面まで放送された。
- 初登場オールスター戦(505回、1978年10月5日)
- 山口の初登場回。初登場を記念として7名の芸能人が挑戦した(ピーター、江利チエミ、小林千登勢、松山英太郎他)
- 800回記念企画(799・800・801回、1984年)
- 一週目の詳細は不明、二週目は800回目を記念して、タイムショックに纏わる歴史や話題がメインのドキュメントを織り交ぜながら、それにちなんだ参加者が挑戦。さらに、司会の山口もクイズに挑戦した。結果は沖田浩之と山口がトップ賞を獲得した(8問正解)。また山口が出場したパートでは矢島が代役で司会者席に座り、最後に顔出しを行った。三週目は当時テレビ等で活躍していた二枚目スターたちがクイズに挑戦した。余談だが、芸人特集に複数回出ながら全て正解3問以下だった俳優の大泉滉は、この企画でも正解3問以下となって椅子を回してしまった。
- グランドチャンピオン大会(864回、1985年9月26日)
- 過去の5週勝ち抜き達成者を集めた大会。この回では第458回に5週勝ち抜きで100万円を獲得した北川宣浩が、悲願のパーフェクトを達成した。また、第835回に5週を勝ち抜いた道蔦岳史も出場し、悲願のパーフェクトは逃したものの、9問正解した。
- 最終回(888回、1986年3月27日)
- 「さようなら100万円」と銘打ち、過去に活躍した挑戦者をゲストに迎えての特別回。最後の挑戦者は、アシスタントの廣瀬雅子であった(9問正解でこの時は矢島がワイプ顔出しで出題した)。
『タイムショック21・タイムショック・新タイムショック』で登場したクイズとルール
『タイムショック21』は時期によりルールが頻繁に変更されたため、それに伴いクイズも様々な形式のものが登場した。田宮・山口・生島時代には考えられなかった形式であった。
予選でのクイズ
番組の第1期には以下の予選クイズがあり、勝ち抜いたチームのみが「ファイナルタイムショック (Final Time Shock) 」(1分間に12問出題される元祖で正真正銘の「タイムショック」)に挑戦できた。
- ファーストステージ:オープニングタイムショック (Opening Time Shock)
- 1分間10問の問題を1問ごとに1人ずつ出題。パスは禁止。正解数の多かった上位3チームが次のステージへ。3位が同点の場合は、早押しクイズで決着を着ける(通称:エクストラステージ(同点決勝))。第1回 - 第3回は専用の解答席で行われたが、第4回からは代表者1人がタイムショック席に座り、5問以下でトルネードスピン。失格となった。
- セカンドステージ:ビジュアルタイムショック (Visual Time Shock)
- 最新CGを駆使した映像問題。正解すると、1人抜けて、5人全員が抜けるとクリア。お手付きをすると、その人のみ、お手付きした問題の解答権を失う。20秒クイズ、60秒クイズがあり、問題のジャンルも様々あった。また、20秒クイズで残り時間10秒以内(60秒クイズでは残り時間40秒以内)で、一気に2人が抜ける(Wチャンス)。
- サードステージ:データタイムショック (Data Time Shock)
- 『クイズ100人に聞きました』のように、様々なアンケート結果の上位10項目を1分間で解答する。ファーストステージ同様、パスは禁止。両チーム同点の場合は、早押しクイズで決着を着ける。
各時期のルール
第1期
5チームの内、以上3つの予選クイズを勝ち抜いたチーム(5人1組)の代表1人が「ファイナルタイムショック」(1分間に12問出題される正真正銘の「タイムショック」)に挑戦できるというものだった。後に、5チームから無制限になる。
第2期
「オープニングタイムショック」「データタイムショック」が無くなり、2チームが「ビジュアルタイムショック」で対決。3ポイント正解で「ファイナルタイムショック」に進出。
- 芸能人大会では、5チーム - 8チームによる「ビジュアルタイムショック」で、2ポイント正解で「ファイナルタイムショック」に進出できた。なお、「ファイナルタイムショック」は5人で力を合わせて1000万円をめざす「リレータイムショック」となった(第2期・第3期の「ファイナルタイムショック」では1000万円到達か3人(末期には5人全員)6問正解で賞金獲得。1人目 - 3人目で正解が5問以下が出るとゲームオーバーとなる(ルールは後述))。
第3期
5 - 10チームによる「ビジュアルタイムショック」での1問勝負となり(「まちがい探し」は無くなった)、正解すれば「ファイナルタイムショック」(内容は「リレータイムショック」)に進出するものだった(その後、内容が変更され、「ビジュアルタイムショック」自体が無くなり、「ビジュアルタイムショック」用の問題は『クイズ!バーチャQ』で使われた)。
- レギュラー放送の第3期には「リレータイムショック」のほかに「出張タイムショック」というコーナーがあり、トラックに「タイムショック」の簡易セットを載せて地方に出張し、「リレータイムショック」を行っていた。また、「芸能人最強クイズ王決定戦SINGLES」という、芸能人4 - 5人が「タイムショック」の正解数を競うコーナーもあった。
第4期
業種別に4チームが出場し、「(業種名)クイズ王選手権」というサブタイトルが付けられていた。「百貨店クイズ王」、「ホテルクイズ王」等が開催された。各ラウンドごとにチームの代表1人が「タイムショック」の正解数で対決。1回戦と決勝はレギュラー問題、2回戦はジャンル問題で3つの中から選ぶ(挑戦は前ラウンドの得点順)。最も代表者の正解数が少なかったチームから失格。これを繰り返し、最後まで残ったチームが優勝。優勝すると賞金100万円+優勝チームの代表1人が全問正解で賞金1000万円を獲得できる「ファイナルタイムショック」に挑戦するというルールだった。パーフェクトの場合、更に個人賞として100万円が贈られた。
第5期
レギュラー放送の第5期(最終期)は、事前のペーパーテストで勝ち抜いたクイズ自慢の挑戦者(+前週チャンピオン)10人による「個人戦最強コロシアム」。前週からのチャンピオンが複数の場合は、その分ペーパーテストで勝ち抜ける挑戦者枠が減る。ペーパーテスト成績順下位から(チャンピオンは挑戦者が終了して勝ち抜き数の少ない順に)挑戦。問題番号は、目の前の番号ボタンを使い自分で選択する方式となった。その時点での最高正解数に到達もしくは超えていれば、「ポイントリーダー」として挑戦終了後リーダーズシートに座れる(同時にリーダーズシートの上部にある時計の針が最高正解数に応じて回転していた)が、到達していない場合は目の前の扉が閉まり退場となる(最終回に限り、退場者には無条件でトルネードスピンというペナルティが加わった)。また、リーダーズシートにいるポイントリーダーは、自分の正解数を超えられた場合シート後ろから退場することになる。前週チャンピオンも含む全員の挑戦が終わった時点でリーダーズシートに座っているポイントリーダーがチャンピオンとなる。チャンピオンは翌週も参加でき、5週連続で勝ち抜くと1000万円が贈られた。
- この時期は、初代『クイズタイムショック』のチャンピオン戦の様なルールであったのだが、内容がクイズマニア向けになり、問題が難しくなりすぎてしまい、もはや普通の一般人や芸能人には歯が立たず、実質「クイズ王決定戦」のような内容になってしまった。そのため、簡単な問題でも時間に追われると難しく感じるという「タイムショック」独特の良さが失われてしまった。なお、これが鹿賀最後の司会となった(2002年の特番「全日本!!高校生クイズ王決定戦」「バトルロワイヤルIV」まではオープニングでVTR出演は行った)。回答者とのトークやルール説明などは田中陽一郎(声のみの出演)が担当。また、中山・新山もこの時期については、進行役というより見届け人としての立場に廻っている。
ファイナルタイムショックのルール
代表者制
第1期、第4期でのルールだった。
- 代表者1人のみ挑戦することができた。第1期では、1問でも正解すれば、正解数に応じた賞金を獲得できる。第4期では5問以下は、賞金無しだった。第1期では6問以下、第4期では5問以下でトルネードスピンになる。
3人(最大5人)制
第2期、新タイムショックでのルールだった。
- 第2期は3人が挑戦し、3人とも6問以上の正解で賞金を獲得できる。ただし、賞金額が1000万円に到達した時点で即終了。1人でも5問以下でトルネードスピンした場合、その時点で即失格・挑戦終了となる。獲得した賞金もすべて没収される。3人クリアした時点で1000万円に満たすことが出来ない場合、さらに賞金を積み立てて欲しい場合は4人目(さらに5人目)の挑戦も可能。ただし、5問以下の正解だとファイナルステージの時点で失格となる。獲得した積み立てた賞金が全て没収される。問題選択は1 - 6番まで(全て通常問題)。クイズのスタート前に選択した。
- ただし3人制初回の放送は、4人目・5人目の挑戦はできず、3人目終了時点で賞金を持ち帰ることが出来るか、賞金を放棄してビジュアルタイムショックから再挑戦する事になるかを選択するルールだった(失格となった場合もビジュアルタイムショックから再挑戦可能)。
- 新タイムショックでは、1チーム3人まで挑戦でき、挑戦者が全員6問以上の正解で賞金を獲得できる。最高で300万円獲得となった。ただし、1人でも5問以下でトルネードスピンした場合、ファイナルステージの時点で即失格・挑戦終了となる。獲得した賞金もすべて没収される。問題選択は1 - 20番まで(すべて通常問題)。クイズのスタート前に選択した。
5人制
第3期のルールだった。
- 5人が挑戦し、全員が6問以上の正解および「12アンサーズ」での6個以上の正解、賞金額が1000万円に到達もしくはパーフェクトおよび「12アンサーズ」での12個正解で賞金獲得。3人目まではクリアできないと賞金没収・失格。また3人目までクリアし、4人目または5人目で失格になった場合は、これまでの賞金額を問わず100万円の保証金が贈られた。問題選択は10番まで(通常問題のほか、「12アンサーズ」などの問題もある)。キャプテンが問題を選択してから、その問題が得意と思われる挑戦者を選んだ。
出張タイムショック
第3期の「出張タイムショック」でのルールだった。
- 5人が挑戦し、3人以上が6問以上の正解で賞金を獲得できた。2人以上がクリアできないと賞金没収・失格となった。通常の「リレータイムショック」よりルールが緩かったが、賞金も通常の「リレータイムショック」の10分の1だった(全員が全問正解しても500万円だった)。問題選択は1 - 6番まで、のちに10番まで(すべて通常問題)。クイズのスタート前に選択した。
10人制
2001年春からの基本的に特番のみのルール。
- 10人1チームの2チームで行い「バトルロワイヤル」(「バトルロイヤル」)とも呼ばれる方式。6問以上の正解(6問問題時は3問)および「12アンサーズ」での6個以上の正解を繰り返し、2000万円に到達すれば賞金獲得(到達した瞬間に終了)となる。しかし、鐘が鳴った場合、誰かが失格したらその時点で終了(2005年春の特番のときは時間の関係で再チャレンジ不可の1回きりだった)。積み立てた賞金は没収。さらに2005年春の特番から全問正解および「12アンサーズ」での12個正解で、達成した本人に賞金100万円が贈られる(チームへの積み立て賞金とは別)。キャプテンが問題を選択してから、その問題が得意と思われる挑戦者を残っている人の中から選ぶ。なお、目標金額到達前に挑戦が一巡したらリセットされ、再び誰を選んでもよい。問題番号は最初は12番まであったが、後に10番まで、最終的に20番まで。
∞(無限大)制
2003年春 - 2004年秋 特番のみのルール。
- 30人が4択問題に挑戦し、その問題の正解人数×200万円が目標金額となった。4択問題の正解者がチームとなり、「リレータイムショック」を行った。6問以上の正解および12アンサーズでの6個以上の正解を繰り返し、目標金額を到達すれば賞金獲得となった。ただし、誰かが失格したら、その時点でゲームが終了(積み立てた賞金は没収)となり、再び4択問題に戻った。問題選択は20番まで(通常問題のほか、「12アンサーズ」などの問題もあった)。キャプテンが問題を選択してから、その問題が得意と思われる挑戦者を選んだ。チャレンジ途中で目標額を達せばその時点でチャレンジが終わった。
- もし、最大30人全員が正解すると6000万円を賭けてのチャレンジとなった。
「リレータイムショック」での出題
- レギュラー問題
- 1分間に12問出題されるおなじみの元祖で正真正銘のタイムショック問題
- 芸能人大会では12問目に「この問題正解したらあなたは回る?回らない?」といった問題も出されている。
※これ以降も田宮・山口・生島時代には考えられなかった形式だった。
- 3人VS3人 早抜け・早押し対決
- 1チームは3人からのスタート。正解した者から抜けて行き全員正解したチームの勝利となる。どんどんと居残りされて行く解答者にはプレッシャーが懸かっていく(2005年4月の特番から復活され春の特番では勝利チームに100万円加算されたが、秋の特番では勝利チームが負けチームから100万円強奪できる)。
- 2006年春のバトルロイヤル10では、名前が「賞金争奪早押し対決」となり、基本的ルールは同じだが、勝利時の横取り賞金が負けチームの残り人数×100万というルールだった。
- 3人リレー
- 3人が問題を答えていきながらリレーで回す。間違えるとずっと自分が答え続けないといけない。なお、この形式で12アンサーズや映像レギュラー問題をすることがある。
- ○×問題
- 12問全てが○×問題(例:プロ野球 元オリオンズだったのはオリックスである)。
- 映像レギュラー問題/映像問題
- 解答者から見て左側のモニターに映し出される様々な物を答える。
- 映像と言っても「ビジュアルタイムショック」が12問出るわけではない。
- 出題形式にはいわゆるレギュラーとジャンル問題の他、昔のプロマイドもしくはレコードジャケットを見て誰の写真かを当てる芸能、コロッケやコージー冨田、原口あきまさらが真似しているのが誰かを当てるものまね、漢字の読み仮名を当てる漢字読み、下述のドラえもんやクレヨンしんちゃんが出てくる問題がある。
- 12アンサーズ
- 正解が複数ある1つの問題が出題され、1分間に正解を12個導き出すクイズ。途中で何回間違えてもかまわないほか、通常は1問あたりの時間である5秒以内のルールも適用されない。時間内に12個出たらパーフェクトと見なされる(例:面積が広い国ベスト12。出題者の矢島は問題読み上げ時に、「面積が広い国を12個答えなさい」と言う)。なお、この問題では誤答のときブザー(ブッブーの音)が鳴る。
- 12アンサーズ・漢字書き取り問題/漢字書き取り
- 12の画面に時間以内に答えを書いていく。モニターに指定されたお題の漢字を書く「12アンサーズ」方式と、1つのテーマに沿った12問(熟語や有名人氏名の穴埋めなど)に1問ずつモニターへ書いて答える方式の2種類がある。未回答時の画面は緑で、正解の場合には赤く、不正解及び時間切れの場合には青く画面が光る。バトルロイヤル9までは不正解時には画面は青いままで戻らなかったが、バトルロイヤル10では、不正解時に画面が青くなった後、書いた文字が消えて緑の画面に戻ることがあった(宮崎美子がこの問題でパーフェクトを出したときに実例有り)。ただし、この問題はシート(イス)には乗らずに解答していく。
- タイマンタイマー
- 2005年9月の特番から登場したクイズ。各チーム代表者1名を出し、1VS1で対決。指定したジャンルに関する、複数答えがある問題1問を2人に対して出題。1個ずつ交互に答えていくが、自分が解答している間、持ち時間を消費していく(正解したら相手の番に)。先に自分の持ち時間60秒を使い切った方の負け。勝ちチームが負けチームから100万円強奪できる。
- Wアップ(主に10人制・∞制のみ)
- 金額が倍になるステージ。例えば6問正解した場合、普通は50万円だがこの場合には100万円が贈られて、パーフェクトを達成したら2000万円が貰える。ただし、5問以下しかできなかったら即刻失格になる。賞金の仕組みは0→0→0→0→0→100(50)→200(100)→400(200)→600(300)→800(400)→1000(500)→2000(1000)万円となる。
- イントロ問題/ヒットソング
- 曲の一部を聞いて、その曲のタイトルを答える。年代が指定される場合がある。
- 6問問題
- 時々、問題数が6問のクイズが出ることがある。2006年3月放送の「バトルロイヤル10」では「ドラえもんの世界遺産クイズ」として、2006年9月放送の「バトルロイヤル11」では、「ドラえもんのタイムマシンクイズ」平成元年問題で登場。上述の映像レギュラー問題形式に準ずるが問題は全部で6問(解答時間は1問10秒)、このクイズに限り3問以上でクリア。賞金は0→0→100→200→400→1000万円となる。
- クレヨンしんちゃんの2択クイズ
- アニメ『クレヨンしんちゃん』の主人公・野原しんのすけが登場。映像レギュラー問題形式で、目の前の映像を見ながら解答。解答はすべてAかBかのどちらかになる。
- 100万円争奪全員参加クイズ
- バトルロイヤル10で登場。全員がその場で立ち、出題される問題に対して手持ちの札で答える三択問題。間違った場合は着席し、最後まで残っていた人がいるチームが相手チームから100万奪取。
- チャレンジャー指名
- 相手チームが、目標金額到達を阻止(トルネードに)するため、まだ挑戦していない挑戦者の中からトルネードしそうな人を一人指名して挑戦させる。問題はレギュラー問題。
高校生大会
鹿賀・中山&新山時代に4度「高校生クイズ王日本一決定戦」が行われた。ここでは、「スイスペ!」枠で行われた「高校生クイズ王日本一決定戦!2003」の本選ルールについて紹介する。チーム構成は、日本テレビの「全国高等学校クイズ選手権」同様、同一高校の3人一組。男女混合可。なお、第4回はスイスペ枠で本戦を放送し、本戦出場8校が決まるまでの予選は日曜の特集枠で放送された。
- 本戦一回戦 24バトルロワイヤル
- 8組24人がタイムショックマシンの前に作られた階段の上に立つ。各自、AかBで回答する個人戦だが、間違うごとに階段を一段下りていく。誰か一人でも三段下りてしまったら(=3回間違う)その時点でその高校は即失格。連帯責任制である。これを、2校が脱落して残り6校になるまで繰り返す。
- 本戦二回戦 リレータイムショック
- ルールは、バトルロイヤルの三人リレーに準ずる。ただし、事前に芸能人6人にも同じ問題に挑戦して貰っていて、その正解数とコメントでどの問題に挑戦するかを判断する。下位2校が脱落、脱落ラインに正解数同数の高校が複数の場合は同点早押し対決。
- 本戦三回戦 敗者決定トーナメント
- くじ引きで出題方式と対決する高校を選び、対戦。設定された問題は対戦一回目が「映像レギュラー問題」「12アンサーズ」、対戦2回目が「漢字書き取り」。(対戦一回目のみ)問題番号を指定してから代表者一人が挑戦。勝った方は準決勝進出。負けた方は次の試合に臨み、別の対戦で負けたチームと対戦。それで負けた1チームが脱落。
- 準決勝 映像早押し問題
- 3人が早押しマシンの前に立ち、出てくる映像に関するクイズに答える。お手つき誤答はその問題の解答権を失う。正解した人は抜けていき、三人とも抜けた先着2校が決勝進出。
- 決勝戦 総当たり3本勝負
- 1VS1での総当たり対抗戦。タイムショックマシンに乗り、レギュラー問題に答える。問題番号は椅子が上がってから挑戦する人が指定する。回答数が多かった方の勝ちだが、両校とも正解が5問以下でトルネードしてしまった場合は同点と見なし、最終的な成績が同点の場合はサドンデスとなる。どちらかが2勝するまで行い、勝った方が高校生クイズ王日本一。奨学金として100万円が贈られた。
- 優勝校
- 第1回 仙台第一高校
- 第2回 早稲田高校
- 第3回 金沢泉丘高校
- 第4回 早稲田高校
新タイムショック
1チーム3人以上の6チームで予選クイズもしくは予選ゲームを行い、トップになったチームのメンバー3人が「リレータイムショック」に挑戦できる。 「リレータイムショック」は『タイムショック21』以降に登場した「12アンサーズ」などのクイズは廃止され、レギュラー問題のみとなり、賞金額も全問(12問)正解すれば100万円(3人で最高で300万円)に変更された。 2007年4月8日に放送された「お披露目スペシャル」の際は予選クイズや予選ゲームの成績トップのチームの代表1人が全問(12問)正解すれば30万円の「タイムショック」に挑戦するというルールで行われ、タイムショックシートも簡易セットだったため5問以下のトルネードスピンもなくかわりにスタジオの照明が赤転されるだけだった。
- お絵かきステージ
- 代表者1人が絵を描き、残り2人がなにを描いたかをあて、書いたものの名前の文字を時間内に60字に達成できればリレータイムショックに挑戦できる。なお1チーム目は制限時間60秒だが、2チーム目以降は最も早くクリアしたチームの時間まで短くなる。
- カーリングステージ
- 1チーム3人でカーリングに挑戦し、一番得点が大きかったチームにリレータイムショック挑戦権が与えられる。
『超タイムショック』で登場したクイズとルール
- 決定戦8までは第1次予選は芸能人20 - 24人が、5 - 6人ずつA・B・C・Dグループに分かれ同時タイムショックに挑戦。第2次予選は第1次予選の成績の悪い順(決定戦1では良い順)に教科別タイムショックに挑戦し、各グループトップ4名が準決勝に進出。
- 決定戦9以降は24人が同時(実際はスタジオの面積及びセットの座席数の関係上、6名ずつ4セット行い、編集で1つに繋げている)に同じ問題かつタイムショック史上初となる2分間(決定戦10は3分)タイムショックに挑戦し、その成績で奇数位と偶数位にグループ分け。各グループで成績の悪い順に一回戦のジャンルクイズに挑戦し、上位2名が準決勝進出。
- 準決勝はレギュラー問題に挑戦し勝者2名が決勝に進める。さらに、敗者復活戦で勝ち抜いた1名(決定戦3では2名)も決勝に進める。決勝戦では、サバイバルタイムショックに挑戦し最後まで残った人が優勝となる。
- 『新タイムショック』以降廃止されていたレギュラー問題以外のクイズが「12アンサーズ」のみ復活している。
- 第1次予選、第2次予選(決定戦8まで)、準決勝、敗者復活戦でトップの正解および一回戦でのトップもしくは2位以下(決定戦9以降)が複数の場合、教科別の問題が出題される早押しクイズで対決。1 - 3問先取で次のステージに進出(第1次予選を除く)。
- 決定戦1 - 8
- 第1次予選
- 同時タイムショック
- 5 - 6人ずつに分かれてレギュラー問題に挑戦する。
- 正解数が多い人から第2次予選のクイズジャンルを選択できる。
- 第2次予選
- 教科別タイムショック(A - Cグループ)
- 小中学校で習う問題が出題される。ジャンルは、国語・算数・理科・英語・歴史・地理・音楽・体育・図工・家庭科・修学旅行などの教科からランダムで選ばれた6つの中から選ぶ。第1次予選の成績の悪い人から順に挑戦し、1分間にその教科について12問出題される。正解数が5問以下だとトルネードスピンで失格となる。A - Cグループの上位1名が準決勝に進出。
- 教科別12アンサーズ(Dグループ)
- 正解が複数ある1つの問題が出題され、1分間に正解を12個導き出すクイズ。途中で何回間違えてもかまわない。1分以内に12個出たらパーフェクトと見なされる。正解数が5問以下だとトルネードスピンで失格となる。上位1名が準決勝に進出。
- 準決勝
- レギュラー問題
- 1分間に12問出題されるおなじみのタイムショック問題。A - Dグループで勝ち上がった4名が、抽選の結果、トーナメント方式で誰と戦うか決まり、1VS1のレギュラー問題の勝者が決勝進出。ここでの敗者は敗者復活戦に回れず敗退が確定する。
- 敗者復活戦 同時タイムショック
- A・B・Cグループに分かれ、同時タイムショックに挑戦。各グループトップ3名でレギュラー問題に挑戦し、勝者1名が決勝戦に進める。決定戦3からは、A・B・C・Dグループに4名(5名)で分かれ同時タイムショックに挑戦し、全グループが終わったところで上位1名(決定戦3では2名)が決勝進出。
- 同時タイムショック
- A・B・Cグループ5人(1グループは6人)ずつに分かれてレギュラー問題に挑戦する。(決定戦3では、A・B・C・Dグループ4名ずつ、決定戦5ではA・B・C・Dグループ5名ずつ)
- レギュラー問題
- 準決勝と同じ。勝ち上がった3名がレギュラー問題に挑戦し、正解数の多い人が決勝戦に進出。(決定戦3からは廃止)
- 決勝
- 勝ち上がった3名(決定戦3では4名)が、サバイバルタイムショックに挑戦する。最後まで勝ち残った人が優勝となる。決定戦1 - 4までの放送においては、正解数に応じて賞金が積み立てられ、優勝者のみ積み立てた賞金が獲得できる。ただし、トルネードで失格するとこれまで積み立てた賞金が全額没収される。
- サバイバルタイムショック
- レギュラー問題に1人ずつ挑戦していき、全員クリアするとクリアラインが1段階増え(8問以上、9問以上、10問以上、11問以上…)、クリアラインに満たなかった人はトルネードスピンで失格となり、積立賞金は全額没収される。これを1人になるまで繰り返す。全員がトルネードスピンで失格となった場合は再戦となり、1人になるまで続く。
- 決定戦8までは、決勝○○巡目で表記されていた。
- 決定戦9 - 15
- 予選・同時タイムショック
- 問題が2分間で合計24問連続出題される。全員が同じ問題に挑戦し、順位が奇数はAグループ、偶数はBグループに分かれて一回戦の問題に挑戦する。なお、成績が同点の場合は年齢が上の方が上位となる。決定戦10では、さらに時間が3分間に増加され、問題も36問となった。
- 一回戦・ジャンルクイズ
- これまでと同じジャンル問題と12アンサーズだが、決定戦9からは問題選択が1から15までの番号選択式になり、選択するまでどの問題になるかが分からなくなった(但し中山と新山の専用モニターにはどの問題が何番かが表示されている)。同時タイムショックで分けられたグループ別に成績下位から順に挑戦。決定戦10からは、各グループ成績トップに限り残っているジャンルカードがオープンし、好きなジャンルを選ぶことが出来るようになった。正解数が暫定トップもしくは2位の成績に到達もしくは越えると、終了後に時計台前の暫定トップ席(もしくは暫定2位席)に移動する。ただし、正解数が5問以下でトルネードスピンとなった場合は無条件で失格となり暫定席にも座れない(決定戦3でDグループ全員がトルネードスピンとなり5問正解の2人で準決勝進出の決定戦を行った例があるが、暫定席導入後は例え暫定席が空いていてもトルネードスピンした場合は暫定席に残れない)。各グループのトップ2が準決勝に進出。
- 「12キーワード」決定戦11から登場。表示された12のキーワードに当てはまる条件の物(例:次の漢字を使ったことわざ、慣用句を答えなさい)を次々答えていく。
- 「12メモリーズ」決定戦13から登場。表示された12のキーワードを15秒間覚え、その後1分間で何個記憶出来たかを答えていく。決定戦15では内容が一新し、予め表示されたイラストを20秒間覚えてから、そのイラストの内容を問う問題が出題される。
- 「12チョイス」決定戦15から登場。これから出題される問題の答え12個が先に表示された後、1問ずつ出された問題の正解となる答えを選んでいく。正解ならばその答え(選択肢)は消えてそれ以降選び易くなるが、不正解ならば選んだ答えも本来の正解も残ったままとなる。
- 「3ラインクイズ」決定戦16から登場。これから出題される問題の3ラインの前と後ろの間に当てはまるものを次々と答えていく。
- 準決勝 レギュラー問題
- AグループのトップとBグループの2位、BグループのトップとAグループの2位が対戦し、勝者が決勝進出。
- 敗者復活戦 同時タイムショック
- A・B・C・Dグループに4名(5名)で分かれ同時タイムショックに挑戦し、全グループが終わったところで上位1名が決勝進出。
- 決勝戦 サバイバルタイムショック
- 勝ち上がった3名によるサバイバルタイムショック。最後まで勝ち残った人が優勝。
- 決定戦9以降では、決勝○○ステージで表記されるようになった(○○には1st・2nd・3rd・4thが入る)。
- 決定戦16
- 予選・同時タイムショック
- 問題はジャンルごと6問ずつ出題、これを4セット合計2分間で行われた。
- 一回戦・ジャンルクイズ
- これまでと同じだがグループ別に分けなくなり、全出場者の成績上位4人が決勝に進出。問題は半数の11人を消化した時点でリセット。成績トップ3(同点含む)は全てのジャンルがオープンされた後、トップの人から順に選択する。また、新ルールの「下剋上システム」として予備予選を勝ち抜いた若手クイズ王達が別室で同じ問題に挑戦。スタジオメンバー6人挑戦ごとにその時点の成績1位が本戦に進出できる(最大で3人まで)。
- 敗者復活戦 同時タイムショック
- 下克上で本戦進出した3人を含む21人で同時タイムショックに挑戦、上位1名が決勝進出。
- 決勝 サバイバルタイムショック
- これまでと同様。最後まで残った1人が優勝。
- 最強クイズ王トーナメントSP
- 予選・同時タイムショック
- 問題はジャンルごと6問ずつ出題、これを4セット合計2分間で実施。正解数上位(同点の場合は年齢が高い人が上位とする)6人はシードとして一回戦を免除。以下18人を成績順に以下のような6グループに振り分けられる。
- Aグループ:(6位)・7位・13位・24位
- Bグループ:(5位)・8位・14位・23位
- Cグループ:(4位)・9位・15位・22位
- Dグループ:(3位)・10位・16位・21位
- Eグループ:(2位)・11位・17位・20位
- Fグループ:(1位)・12位・18位・19位
- 一回戦・ジャンルクイズ
- 各グループ下位3人のうち、上位から順にジャンル別タイムショックに挑戦。問題は各グループの1人目が6つあるクイズセットを選び、その中から現れた3ジャンルの中から選択する。正解数1位が二回戦進出。
- 二回戦・レギュラー問題
- 一回戦勝者と各グループに割り当てられたシード挑戦者とのレギュラー問題対決。問題は20セットから番号を指定して選ぶ。問題は共通となっており、前のグループで選ばれた番号は指定できない。正解数の多い方が決勝進出。
- 決勝戦・サバイバルタイムショック
- 二回戦を勝ち抜いた6人によるサバイバルタイムショック。1巡目のクリアラインは9問以上、以後1巡するたびに10問以上、11問以上と増える。最後まで残った1人が優勝。問題ジャンルはレギュラー問題であるが、2巡目のみ問題ジャンルが漢字問題限定で、6つの問題セットから1つ選ぶことになっていた。
- 絶対クイズ王誕生SP
- 事前テスト
- 予選の組み分けには影響されないが、収録前に今回の解答者24人が60問のテストを実施。その成績を基に「クイズ偏差値」を算出した。
- 1回戦
- 1回戦は、4人1グループ。計6グループに分かれて行われる。2ラウンド構成になっており、2ラウンドの合計正解数が最も多い人が2回戦進出となる。
- 1回戦第1ラウンド・ジャンルクイズ
- 解答者は、1-4の番号の中から1つを選択する。4つの問題に何のジャンルがあるのかは挑戦前に表示されるが、何番にあるのかは分からない。
- 1回戦第2ラウンド・4人同時タイムショック
- 4人同時に1分間12問のタイムショックに挑戦。4人全員に同じ問題が出題される。また、4人は解答ボックスに1人ずつ入り、ヘッドフォンを装着した状態で解答する。問題は(カメラ側から見て)一番左の解答者が1-20番の中から選択する。
- 2回戦・1対1同時タイムショック
- 1対1の2分間24問の同時タイムショック。組み合わせは、1回戦の成績順で構成(1位vs6位、2位vs5位、3位vs4位)。正解数の多い方が決勝進出。
- 決勝戦・サバイバルタイムショック
- 2回戦を突破した3人によるサバイバルタイムショック。1巡目は8問以上、2巡目は9問以上とクリアラインが上昇する。問題ジャンルはレギュラー問題であるが、2巡目のみ問題ジャンルが漢字問題限定で、6つの問題セットから1つ選ぶことになっていた。
「クイズタイムショック」起源の出題形式
独自の出題形式であるため、後のクイズ番組に影響を残す、ユーモアを交えた問題形式が誕生している。
- 「今、何問目?」(生島時代・「新タイムショック」では出題されなかったが、田宮・山口・鹿賀・中山&新山時代では頻発されている。2009年1月放送分の敗者復活戦では、「再び 今何問目」として1回に2問出題されたことがあった)
- 派生パターン「この問題を入れてあと何問?」
- 後半(大体8 - 12問目あたりに)「1問目の答えは何だった?」という問題もある。
- 「これまで何問正解した?」(10問目以降に出題されやすい)
- 「この問題が最後ってウソ?ホント?」(11or12問目に出題されることが多い)
- 「この問題正解したらあなたは回る?回らない?」(「この問題間違えたら-」のパターン有)
- 芸能人大会で12問目に出題された場合、11問目までで4問以下なら回る、5問以上なら回らないが正解。ただし、実際には必ず「回らない」と答えればよい(正解が「回る」の場合、この問題が正解でも誤答でも失格であることに変わりはない)。だが、これに引っかかって誤答、失格となり回る解答者が出ている。
- 「○○といえば××。では△△といえば?」(いわゆる前振り。前振りの答えが同じだということがある)
- この種の出題は後に多くの早押し方式クイズ番組に採用され、これに引っかかる解答者が多く発生している。また、ゲーム『クイズマジックアカデミー』では頻発されている。
- 「日本の道路は上り坂と下り坂どっちが多い?」(答えは「同じ」とされているが、一方通行を考慮するとこの限りではない)
- 「アメリカの総理大臣は誰?」(答えは当然「いません」)
- 「昨日のあしたのあさっては?」(答えは「あさって」)
- 「日本のプロ野球選手、全員の背番号を掛け算するといくつ?」(答えは「0(ゼロ)」、背番号「0」の選手がいるため)
- 「後何問残っている?」(この問題を除いた残りの問題数を答える。例えば1問目で出題されたとき、1問目の問題が含まれないため答えは「11問」)
- 複雑な計算問題。
- 「33333÷3の答えはいくつ?」
- 「3億円は1万円札何枚?」
- 「5000円札2枚で○○円のお買い物。おつりはいくら?」
- 「時速○○kmで××分。何km進んだ?」など。
- 「チャーシューの生前の鳴き声は?」(答えは「ブーブー」、チャーシューは豚肉なので、豚の鳴き声として考える)
- 「名古屋コーチンの鳴き声をどうぞ」(答えは「コケコッコー」、名古屋コーチンはニワトリであるため)
- 「心臓と肝臓。毛が生えるのはどっち?」(答えは「どちらでもない」。「心臓に毛が生える」というのはあくまでも慣用句であり、実際には心臓も肝臓も毛が生えない)
- 「カバが逆立ちしたら何になる?」(言葉遊びではないので、カバは逆立ちしてもカバ)
- 「興奮した男性の体で最も固い場所はどこ?」(答えは「歯」。「興奮した男性」で余計なことを考えると答えられない)
- 答えが「???」の問題
- 「カメラに向かって右目でアッカンベーをしてください」
司会以外の出演者
出題
- 矢島正明 - 1969年1月9日の番組開始より現在まで40年以上一貫して出題を担当。これまで通算延べ10万 - 20万題を読み上げている。1問につき約2 - 3秒の間、テンプレート:独自研究範囲(なお、田宮時代から山口時代末期にかけてのクレジットは「出題」ではなく、「コンピューター」と表記していた)。山口時代の800回放送の時に初めて顔出し出演をし、やはり山口時代最終日の888回にも顔出し出演をした。
- 宮村優子 - 鹿賀・中山&新山時代の「ビジュアルタイムショック」(見えてくるものは何?など一言のみ)およびそのコーナー内の「ねじれ研究所」「キューブ2000」などや、「出張タイムショック」の出題とナレーションを担当。
ホステス(アシスタント)
旧版では賞品紹介とエンディングのみに出演する程度であった。ただし廣瀬の場合は途中から山口の隣に常時居座るようになっていた。
「出張タイムショック」リポーター
『タイムショック21』では「出張タイムショック」というコーナーがあり、リポーターを設けていた。これは、ミニセットを設置したトラックとともに依頼先へ向かいコーナー司会を務めるというものであった。
その他
- タイムガールズ※山口時代末期の4人組のアシスタント。
- 北口光彦※山口時代末期のものまね問題でのものまね担当。
- 熊倉一雄※800回記念のみのナレーション。
- キャロル久末※生島時代のナレーション。
- 菅野莉央 ※鹿賀・中山&新山時代 初期 - 中期のエンディングのなぞなぞコーナー(視聴者プレゼントコーナー)担当。「時の番人の部屋」という専用セットで鹿賀とともに登場する。
- 村井国夫 ※鹿賀・中山&新山時代 第5期のナレーション。
- バッキー木場 ※中山&新山時代 バトルロイヤル8以降のナレーション担当。
- 田中陽一郎 ※鹿賀・中山&新山時代 第5期の天の声を担当。
賞金
クイズタイムショック(田宮・山口時代 1969年1月 - 1986年3月)
- 番組開始 - 1985年9月
- ¥1,000
- ¥2,000
- ¥3,000
- ¥4,000
- ¥5,000
- ¥10,000
- ¥20,000
- ¥30,000
- ¥40,000
- ¥50,000
- ¥100,000
- ¥1,000,000(海外旅行を含む)
- 1985年9月 - 1986年3月
- ¥1,000
- ¥2,000
- ¥3,000
- ¥4,000
- ¥5,000
- ¥10,000
- ¥20,000
- ¥40,000
- ¥60,000
- ¥100,000
- ¥150,000
- ¥1,000,000(海外旅行を含む)
なお、高校生以下の者が参加した場合には、賞金は現金ではなく図書券にて支払われていた(田宮・山口ともオープニングアナウンスでその旨を告げていた)。
クイズタイムショック(生島時代 1989年10月 - 1990年3月)
- ¥1,000
- ¥2,000
- ¥3,000
- ¥10,000
- ¥20,000
- ¥30,000
- ¥40,000
- ¥50,000
- ¥60,000
- ¥100,000
- ¥200,000
- ¥1,000,000(現金)
タイムショック21・タイムショック(鹿賀・中山&新山時代 2000年10月 - 2006年9月、2007年10月)
- 初期
- ¥10,000
- ¥30,000
- ¥50,000
- ¥100,000
- ¥200,000
- ¥300,000
- ¥500,000
- ¥1,000,000
- ¥2,000,000
- ¥3,000,000
- ¥5,000,000
- ¥10,000,000(現金)
- 中期(第2期 - 第4期) - スペシャル版( - 2006.9)
- ¥0
- ¥0
- ¥0
- ¥0
- ¥0
- ¥500,000
- ¥1,000,000
- ¥2,000,000
- ¥3,000,000
- ¥4,000,000
- ¥5,000,000
- ¥10,000,000(現金)
- 個人戦(芸能人・第3期)
- ¥0
- ¥0
- ¥0
- ¥0
- ¥0
- ¥100,000
- ¥200,000
- ¥400,000
- ¥600,000
- ¥800,000
- ¥1,000,000
- ¥2,000,000(現金)
- 個人戦(一般人・第5期)
- ¥0
- ¥0
- ¥0
- ¥0
- ¥0
- ¥50,000
- ¥100,000
- ¥150,000
- ¥200,000
- ¥250,000
- ¥500,000
- ¥1,000,000(現金)
- 個人戦(最終回、1000万円・エクストラステージ)
- ¥0
- ¥0
- ¥0
- ¥0
- ¥0
- ¥500,000
- ¥1,000,000
- ¥1,500,000
- ¥2,000,000
- ¥2,500,000
- ¥5,000,000
- ¥10,000,000(現金)
- スペシャル版(2007.10)
- トーナメント戦では、優勝者のみ賞金200万円(現金)を獲得できる。
- プライベートタイムショック
- ¥積立金×0
- ¥積立金×0
- ¥積立金×0
- ¥積立金×0
- ¥積立金×0
- ¥積立金×1
- ¥積立金×2
- ¥積立金×3
- ¥積立金×4
- ¥積立金×5
- ¥積立金×6
- ¥積立金×10(現金)
新タイムショック(中山&新山時代 2007年4月)
- ¥0
- ¥0
- ¥0
- ¥0
- ¥0
- ¥10,000
- ¥30,000
- ¥50,000
- ¥100,000
- ¥300,000
- ¥500,000
- ¥1,000,000(現金)
超タイムショック(中山&新山時代 2008年3月 - 2009年1月)
- パーフェクトを達成すると、現金10万円を獲得できる。
- 優勝者のみ、正解数に応じて積み立て賞金(現金)を獲得できる。
- サバイバルタイムショック(1順目)(2008.3、2008.9)
- ¥0
- ¥0
- ¥0
- ¥0
- ¥0
- ¥0
- ¥100,000
- ¥200,000
- ¥300,000
- ¥400,000
- ¥500,000
- ¥1,000,000(現金)
- サバイバルタイムショック(1順目)(2008.6、2009.1)
- ¥0
- ¥0
- ¥0
- ¥0
- ¥0
- ¥0
- ¥0
- ¥200,000
- ¥300,000
- ¥400,000
- ¥500,000
- ¥1,000,000(現金)
- 2順目以降、同じ金額で積み立てられてゆく。ただし、トルネードラインとなる正解数の賞金は0となる(積立賞金が全額没収となるため)。
- 2009年3月放送分からは積み立て制度が廃止された。
芸能人・文化人でのパーフェクト達成者(レギュラー問題)
- 田宮時代
- 土居まさる(1974年10月3日放送、300回記念「特集・司会者ベスト8!」にて)
- 加山雄三(1969年7月 - 8月放送分にて、6回出場して12問正解が4回。また最後の挑戦である1969年8月29日放送分にて最高視聴率29.0%を記録した)
- 勝呂誉(1970年6月 - 8月放送分にて、11回連続出場して12問正解2回、無制限勝ち抜きルールで57人抜きという快挙をなし得た)
- 山東昭子(1969年5月放送分にて、番組初の5週連続勝ち抜き)
- 宗方勝巳(1970年1月1日放送分にて)
- 浜木綿子(1970年1月1日放送分にて)
- 砂川啓介・大山のぶ代(芸能人夫婦大会にて)
- 山口時代
- 生島時代
- なし
- 鹿賀時代
- なし
- 中山&新山時代
- 山口良一(現「タイムショック」ルール初のパーフェクト達成者)
- 上田晋也(くりぃむしちゅー)
- 高橋英樹
- 宮崎美子(2005年9月放送分から挑戦機会3回連続パーフェクト達成、また2012年4月放送分の敗者復活戦、2012年9月放送分の決勝3順目で達成)
- 山中秀樹(2007年10月放送分の初の同時タイムショックにて達成)
- 麻木久仁子(2008年6月放送分では第1次予選の同時タイムショックと決勝戦1順目、2008年9月放送分では第1次予選の同時タイムショックと敗者復活戦、2010年3月放送分では敗者復活戦で達成)
- 辰巳琢郎(2008年6月放送分の第1次予選の同時タイムショックと2010年1月放送分の敗者復活戦と決勝1順目と2010年9月放送分の決勝2順目で達成)
- 宇治原史規(ロザン・初登場の2008年6月放送分、2010年1月放送分の準決勝、2010年9月放送分の準決勝、2012年12月放送分の2回戦と決勝戦1順目にて達成)
- 本村健太郎(2009年1月放送分第1次予選の同時タイムショックと2012年1月放送分の敗者復活戦と2012年4月放送分の決勝3順目で達成)
- 山根良顕(アンガールズ・2009年3月放送分第1次予選の同時タイムショックで達成)
- ラサール石井(2010年3月放送分第1次予選と敗者復活戦の同時タイムショックで一気に2回達成)
- 中田敦彦(オリエンタルラジオ・2010年3月放送分敗者復活戦の同時タイムショックで達成)
- やくみつる(2012年1月放送分の決勝2順目他にて達成)
- 畠山健(シンデレラ・2011年10月放送分の準決勝と2012年1月放送分の準決勝で達成)
- 山西惇(2012年4月放送分の敗者復活戦で達成)
歴代タイトルロゴ
(クイズ) | ||
タ | イム | ショック |
- 1969年1月9日 - 1986年3月27日
- 「クイズ」「タイムショック」と2段に別れており、低い「イム」のロゴの上に横長い丸囲みで「クイズ」、その下に、縦細の文字で「タイムショック」と書かれたもの。雰囲気的には、右の図のようになる。
- 書体がタカラスタンダードに似ているが、タの横棒がタイムショックでは突き抜けていないなど若干の違いがある。
- 1989年10月 - 1990年3月 : 上中央に「クイズ」、真中に「タイムショック」、下に「QUIZ TIME SHOCK」と書かれ、囲いにアンダーラインを入れた。
- 2000年10月 - 2002年6月(タイムショック21) : パラパラ風のフォント。
- 2002年8月 - 2006年9月、2007年10月 : (特番「タイムショック」) - 「タイムショック21」と同一のフォントで、「21」のみを削除。
- 2007年4月(新タイムショック) : 特番のタイムショックの文字に準ずるが、横に赤文字で「新」と付いた。
- 2008年3月 - (超タイムショック) : 特番のタイムショックの文字に準ずるが、横に桃文字で「超」と付いた。
エピソード
田宮・山口時代(1969年1月9日 - 1986年3月27日)
この番組は暗転から始まり暗転で終わるという進行だった。
初代司会者田宮は1969年1月9日(第1回放送)から司会を担当。ただ、晩年は躁鬱病に悩まされており、自身から番組降板を申し入れ、1978年9月28日放送(第504回放送分)を持って山口に司会を交代した(その後田宮は、同年12月28日に自殺)。
同じく出場者の中で、北川宣浩が田宮・山口時代では唯一の偉業を達成した。その内容は、1977年(第458回放送分)に5週間連続勝ち抜きを達成して一回目の100万円を獲得、さらにその8年後の1985年(第864回放送分)に行われた「グランドチャンピオン大会」(過去の100万円獲得者を集めて実施)で、今度はパーフェクトを達成して二回目の100万円獲得を決めた。つまり、5週勝ち抜きとパーフェクトの異なる獲得形態で二度も100万円獲得を果たしたのである。
子供の出場に関しては夏休みなどに放送された特集「小学生大会」「中学生大会」「高校生大会」「親子大会」等のみしか、原則的に認められていない。
またキャロライン洋子は「特集・小学生大会」(放送年月不明)、「特集・中学生大会」(1976年9月2日放送)にそれぞれ出場しており、後者での結果は5問正解。「日本語での出題が聞き取りにくかった、英語だとそれよりいい結果になっていたかもしれない」とコメントしている。
TBS系『8時だョ!全員集合』(1977年2月26日・第361回放送分)の学校コント内で、服装はみずぼらしいが頭が良い生徒役として田宮がゲスト出演をしたことがある。その際、先生役のいかりや長介に「英語で25は?」「フランス語で25は?」「ロシア語で25は?」「中国語で25は?」とタイムショック張りに連続して出題された問題に次々と田宮が正解した後、「タ〜イムショック!!」と決めセリフを発したり、志村けんの「○○いかがっすかぁ〜」のネタを用いて、志村と共に「タイムショックいかがですかぁ〜」のギャグをやったりと、タイムショックを意識したネタを連発した。
2代目・山口時代の1984年3月29日放送分では、声優の横沢啓子が回答者として出場。当時出演していた『The・かぼちゃワイン』での役を意識した紹介と挨拶がなされていた。ちなみに結果は9問正解。
800回記念特集では過去16年の放送で印象に残った場面を織り込み、芸能人挑戦者や、第1回放送が行われた1969年1月9日に生まれた当時高校生の少年、さらには山口が司会者として初めて挑戦した(結果は8問正解)。山口挑戦時の進行は出題者の矢島が担当。山口の挑戦の前にそれまでの解答者の成績とトップ賞の賞品紹介のあと、ナレーターの矢島が番号選択し、すでに解答席に座っている山口が「タイム・ショック!!」とコールし開始した。挑戦終了直後に「800」の文字が書かれたカーテンが、時計台の前に表れるという演出もあった。12問のクイズが終了した後、山口は「何問行った?」と言って結果を確認し、矢島が「8問です」と答えながら、エンディングで顔出しをした。
脚本家の小山高生は駆け出しのころ、企画集団Qのバイトの一環で問題作成や正解チャイムを担当したことがあったという。
山口時代最後の3週は特別企画が行われ、1週目(第886回)は珍芸・奇芸を持った子供7人による大会で挑戦後にはそれぞれ持ち芸が披露された。2週目(第887回)では番組に携わった広告代理店・スポンサーの代表7人が挑戦。荏原製作所の女性社員が山口時代最後のトップ賞を獲得した。そして3週目(第888回)では過去に番組に多大な功績を残した人々を迎えての回顧録であった。この回ではタイムガールズの代表、大泉滉、北川宣浩、廣瀬雅子が特別にクイズに挑戦。 矢島が顔出しで問い読みをしたが、結果は大泉が2問正解で最後のペナルティ経験者となった。大泉は芸能人大会、700回大会、800回大会を含め6回出場したが全て3問以下で椅子が回転した。なお、第888回では、当時テレ朝アナウンサーだった廣瀬雅子がクイズに挑戦したが、3問目で「タイムショック 初代のアシスタントは誰?」という問題が出された。正解は、上記の通り渋沢詩子である。
番組終了後、CBCラジオの番組でリスナーからのリクエストに答えて、タイムショックのテーマミュージックをかけた。これは、現在CBCテレビと同じテレビ系列(TBS系列)に属しているMBSがかつてNET系列であり、一方ラジオではMBS・ABCともCBCと系列関係(JRN)であるため、いずれかを経由して音源を入手することが出来たと思われる。
生島時代(1989年10月18日 - 1990年3月21日)
3年半ぶりに鳴り物入りで復活したが、真裏に当時全盛期の『ドラゴンボールZ』(フジテレビ)があったため、視聴率も最高で7.0%と低迷し、半年で打ち切られたため、タイムショック21開始時の宣伝等、一部では存在自体が抹殺されている。
第1回目の放送冒頭に生島が「新装開店」という発言をした。この時期に限り、挑戦者のことを「タイムショッカー」と呼んでいた。
視聴者参加型クイズ番組のブームに便乗して開始したためか、上述のタイムショック独特の問題は出題されず、問題自体の難易度も田宮・山口の頃よりは高かった。
毎回特定の条件に沿った挑戦者による「○○○○大会」という志向であり、挑戦者の中には毎回1 - 2人芸能人が混じっていた。またどういうわけか奇人変人系も多かった。
正解数の多かった挑戦者にはトップ賞が贈られたが、前期は週代わりの品物(フグ料理等)、後期は週代わりの海外旅行となっていた。なお、該当者が2人以上の場合は早押しクイズで決着をつけていた。
1989年11月頃の放送では、その回に出場した解答者6人中5人がショックポイントのついた問題で不正解、失格となったため、唯一最後まで解答できた1人がトップ賞を獲得した(9問正解、賞金60,000円獲得)。
1989年12月30日放送の懐かしアニメスペシャルの中では「懐かしアニメタイムショック」というコーナーで、セット・司会者もそのままで懐かしアニメ問題限定のタイムショックを行った。
この時代に放送された問題の中には「生島ヒロシ、今日の下着はブリーフ?それともトランクス?」という珍しい出題があり、画面のモニターの答えでは「?」と表示していたがこのとき解答席に座っていた小西克哉は「ト、トランクス」と答え見事正解した(収録当日、生島本人はトランクスの下着をはいていたため)。
最終回の1つ手前の回では、生島自身がオープニングからいきなり数多く集まった挑戦者に対して「今日は、みんなの大嫌いなショックポイントクイズが山ほどありまーす!!」と発言したというエピソードがあった。
最終回は、2週に渡って実施(1990年3月14日・21日)。100人の参加者(殆どが、過去の挑戦者とクイズマニア[2])で一斉早押しクイズを行い、正解した人が挑戦できた。通常のタイムショック(ショックポイントなし)に加え、ショックポイントが最初の3問や最後の3問に仕掛けられていたり、遂には12問全てにショックポイントが仕掛けられた問題もあった。また、全問YES・NOクイズが出題される問題(しかも、全て正解がYESというおまけ付き)もあったりと、最終回限定で色々な問題が出題されたが、結局最後まで、生島司会期では1人もパーフェクトは誕生しなかった(11問正解20万円獲得は多かった)。最終回エンディングでは、オフコースの「さよなら」が流れた。番組終了直後、同スタッフが務める『ミュージックステーション』の司会も担当していた(1990年4月から1993年3月まで)。
タイムショック21(2000年10月16日 - 2002年6月17日)
2000年9月30日(土)12:55から一部の地域で1時間のプレビュー放送(番組対抗芸能人大会)が放送された。その時セットやルールは、その後に始まる「21」ほぼ同様だったが、「ファイナルタイムショック」の60秒BGMは、田宮二郎時代の最終バージョンを使用していた。
「タイムショック21」のオリジナル60秒BGMの初披露は、「ナインティナインだ!!新番組をやらせろスペシャル2」(2000年10月12日放送)で。
初の1000万円獲得者は慶應オッサン大学生チームの駒田純久である。14年11か月ぶりのパーフェクト達成である。
国会議員がチームを組んだ対戦が2001年1月に2回行われたこともある。1回目は自民党VS民主・社民連合で、「ビジュアルタイムショック」で民主・社民連合チームが勝利し、当時社会民主党議員だった横光克彦が「ファイナルタイムショック」に挑戦。「クイズタイムショック」以来2度目の挑戦であったが、トルネード。その次に行われた自民党と民主党の対戦では「ビジュアルタイムショック」で民主党が勝利。枝野幸男議員が「ファイナルタイムショック」に挑戦したが、こちらもトルネードし失格。また、1回目の対戦の際に賞金がチャリティに回される「チャリティタイムショック」が行われ、自民党チームが3人挑戦したが失格、賞金を没収された。
日本ハムファイターズ(当時)の岩本ツトム(現・岩本勉)が獲得賞金を全額寄付する「チャリティタイムショック(※)」に挑戦した際、6問正解でクリアしたにもかかわらず自ら回してくれと希望。希望通りトルネードさせたが、何故かマシンが故障、元に戻るまでの十数秒間斜め45度前のめりの状態で停止してしまった(※本来の挑戦はトルネード・失格により賞金没収となったため急遽行われた)。
SINGLESにおいて、挑戦終了後に解答に対する審議が行われたことがある。ビビる大木が挑戦した際、次の問題で審議となった。
「新山千春は今何歳?(問題読みは「新山千春って今何歳?」)」
正解は20歳(当時)だったが、大木は「20,21」と回答。その時はチャイムと共に正解ランプが点灯したが、終了後に審議に入って「言い直しによる不正解」と判断。しかもその時、大木は6問正解だったため、シートに固定されたまま再び椅子が上昇、5問正解と言うことになり有無を言わさずトルネード・失格に。このように、正解を言った後言い直して違う答えを言った例は過去に何回かあるが、不正解と判断されるのは極めて異例のことである(通常では正解扱いされる)。
イジリー岡田もカンニングが発覚。11問目の「今、何問目?」と言う問題の時ちらっと右上を見て回答。チャイムと正解ランプは点灯したものの、当然これは不正解。しかし、いずれにしても結果は正解が5問以下だったのでトルネード・失格だった。
ナインティナインの岡村隆史は、旧ルール(6問以下トルネード)と新ルール(5問以下トルネード)で2度トルネード・失格を経験している。1回目は、前述の「ナインティナインだ!!新番組をやらせろスペシャル2」で。この時は6問正解でトルネード・失格。2回目は番組対抗スペシャルで「ナイナイナ」チームとして登場。その時は5問正解でトルネード・失格の憂き目にあっている。
水道橋博士が、「(トルネードスピンしたら)博士の名前返上します」と豪語したが、トルネードスピンしてしまって、タイムショック21限定で、「水道橋バカセ」となってしまった[3]。2001年元日SPで登場した時には「水道橋バカセ」と表示された。次またトルネードスピンしたら、「水道バカバカセ」と改名の賭けをしたが、クリアできて、水道橋博士に戻った。又同じ回に登場した寺門ジモンはトルネードスピンしてしまって、「寺バカジモン」となってしまった。後に登場した際、その回の正解数も合わせてもじり、「寺バカ一問」と表示された。
2001年6月25日放送、リレータイムショックにて 日高大介率いる「苦学生チーム」が日高が11問・500万円を獲得するなど950万円まで積み立てるも最後の挑戦者が5問により賞金没収、保証金の100万円は獲得できたものの、あと1問で1000万円を逃した。この「5人リレータイムショック」は厳しいルールのためか、1000万円を獲得したチームは少なかった。
2001年8月には大磯ロングビーチで番組収録を行った。内容は「グラビアアイドル クイズNo.1決定戦」(アイドル達が芸能問題に挑戦、正解数5問以下で高台の滑り台でプールに叩き落される「トルネードダイブ」)、「サマージャンボタイムショック」(一般参加者対象で、出張タイムショックと同じクイズ形式)、過去にトルネードスピン・失格を食らってしまった芸能人を叩き直す「緊急企画 高所恐怖症克服トルネードファミリー リベンジへの道(高さ7メートルの飛び込み台の上で挑戦。正解数5問以下で解答者の後ろにセットされている巨大風船が膨らみ、圧迫された末にプールに落とされる「トルネードダイブ」、成績優秀者は「芸能人10vs10バトルロワイヤル2」出場権獲得)」
しかし、「グラビアアイドル クイズNo.1決定戦」では出場者の成績が悪い上、これまでのタイムショックとは雰囲気が変わりすぎた事、「高所恐怖症克服企画」ではクリアしたにも関わらずプールに落とされたり、高台に置き去りにされるなどの演出があったため批判が殺到した。
また、「サマージャンボタイムショック」ではクジ引きで出場者を選ぶ形式で行われ、前出の日高大介が選ばれて11問正解・100万円を獲得した。また、21と出張のタイムショックの時計台搭乗を経験した(後述する「個人戦最強コロシアム」でも、予選1位通過したものの、7問正解10万円獲得にとどまった)。
『タイムショック21』の末期「個人戦最強コロシアム」になると「クイズ王決定戦」のような趣の個人戦となり、一般人には(時間が十分にあったとしても)到底正解できないような難問ばかりが出題され、出演者も名の知れた(過去に同番組にも出場経験のある)クイズマニアばかりになってしまった。『タイムショック21』最終回ではチャンピオンは2人誕生し、そのうちの一人は過去にタイムショック優勝経験を持つ石野まゆみだった。また、最終回で2週勝ち抜きになった石野まゆみは、5週勝ち抜きは不可能なので、代わりに第5期の賞金額の10倍の賞金ルールで「ファイナルタイムショック」行い、賞金を貰っていた。結果は12問目で不正解し、レギュラー最後での1000万円獲得はならなかった。
タイムショック芸能人バトルロワイヤル・バトルロイヤル(2002年8月21日 - 2006年9月28日)
2004年の現ルールで実に5年目にして山口良一がレギュラー問題でのタイムショックで初の全問正解をした(このときは∞リレータイムショックでこのラウンドでは山口を含め計8人が進み、最終走者の江守徹が6問正解と同時に1600万円到達、賞金獲得となった)。それから1年5か月後に今度は宮崎美子が女性陣として初のレギュラー問題でのタイムショックで全問正解した(このルールでは宮崎が唯一なしえた。また「21」時代では宮崎と麻木久仁子が11問正解が最高だった)。
新タイムショック(2007年4月8日・4月18日)
2007年4月8日14:00からテレビ朝日系列(ただしKBC、熊本朝日放送、大分朝日放送のみプロ野球中継のため、16:00からの時差ネット)で1時間25分のプレビュー放送「新タイムショック2007・お披露目スペシャル!」が放送された。2000年9月30日の「タイムショック21 番組対抗芸能人大会」以来のゴールデンタイム以外の放送となった。このときは、通常の解答席を使わず、シンプルなもので5問以下のトルネードはなく照明を赤点していた。
2007年4月18日19:00 - 21:48の「スイスペ」にて本放送がされた。サブタイトルは「春の豪華番組祭り」。テレビ朝日系列の人気番組や4月からの新番組の出演者によるチーム対抗戦。3人一組で前半6チーム、後半6チームという構成。クイズは「映像早押しクイズ」「お絵かきステージ」「カーリングステージ」などで、勝利チームが「ファイナルタイムショック」への挑戦権を得る形式だった。その時トルネードの餌食となったのは2代目そのまんま東・東幹久の2人だった。
タイムショック芸能界クイズマスター決定戦(2007年10月3日)
芸能人18名が、「タイムショッククイズマスター」の座をかけてタイムショックに挑戦する。一次予選としてタイムショック史上初の、「6人同時タイムショック」が行われる。内容は、1チーム6人に別れ、6人の回答者がヘッドホンをして同じ問題(レギュラー問題)に挑み、成績のよい上位4名(合計12名)が二次予選に進め、下位2名(合計6名)がその時点で敗退する。2次予選ではA・Bのブロックに分かれAブロックでは小学校で習う問題が出題され、Bブロックでは面白3択問題と題しさまざまなジャンルから3択が出題された。 プライベートタイムショックでは正解数に応じて獲得した賞金をかけて自分のことに関する問題が出題され、正解数に応じて獲得賞金が倍になった。なお、和田アキ子がこれでパーフェクトを達成した。 この放送では、Aブロックの小学校で習う問題で体育のジャンルを選んだ西川史子だけが正解数3でトルネードスピン・失格となった。
超タイムショック芸能人最強クイズ王決定戦(2008年3月27日 - )
現在まで19回開催され、宮崎美子(第1回、第12回、第13回、第16回、第17回(トーナメントSP1))、宇治原史規(ロザン)(第2回、第9回 - 第11回、第18回(トーナメントSP2))、麻木久仁子(第3回)、本村健太郎(第4回、第15回)、ピーター(第5回)、東貴博(第6回)、辰巳琢郎(第7回)、やくみつる(第8回、第14回)、金田一央紀(第19回(絶対クイズ王誕生SP))の9人が優勝している。
最多出場は宇治原の14回である。2位は本村の13回、3位は辰巳琢郎の11回、4位は宮崎美子の10回。
「50時間テレビ」において
- 2009年2月2日放送の「Qさま!!」で89年10月期の司会者だった生島ヒロシが「クイズタイムショック」扱いで紹介され、2月8日放送では89年10月期の「タイムショック」コールも紹介された。なお「Qさま!!」内では、生島時代の映像は放送されなかった。
- また、田宮期では「親子大会」で出場された幼少時の石野まゆみの映像と「タイムショック」挑戦時の映像も放送された。その後、2002年の「個人戦最強コロシアム」での彼女の写真を放送された。
クイズの日(2014年3月26日)
- 2014年3月26日19:00-21:48に、「クイズの日 ミラクル9VSQさま!! タイムショックで最終決戦スペシャル」と題して、くりぃむクイズ ミラクル9とクイズプレゼンバラエティー Qさま!!の2番組による対抗戦が行われ、最終ステージでタイムショックが行われた。
- この特番では「ミラクル9」と「Qさま!!」のレギュラー(準レギュラー含む)10人ずつが参加して行ったが、「タイムショック」のパートではそれぞれのキャプテン(ミラクル9=有田哲平、Qさま!!=三村マサカズ)がメンバー4人を指名し、なおかつキャプテンの2名は必ずその4人のうちの1人として回答するというルールのもと、1回戦と4回戦は通常の方式、2回戦と3回戦はジャンル別問題で出題。6問以下0P(トルネードスピン)、7問正解5P、以降1問正解ごとに5Pずつ加算され、12問正解パーフェクトで30Pが加算されるという得点システムで行い、前者2番組を含めた各パートの合計得点でチーム対抗戦の優勝を決めるというものだった。
タイムショック形式のクイズを行っている・いた番組
MBS「アップダウンクイズ」と共に非常的に特徴的な番組であるためか、比較的頻繁にパロディ・オマージュが見受けられる。ここではその番組をいくつか紹介する。
テレビ番組内での1コーナー
- お笑いマンガ道場(中京テレビ制作):「マンガ・タイムショック」というゲームコーナーで、タイムショック形式でイラストでしりとりをする(「恐怖のしりとりマンガ」と同じ)。60秒以内に書き終わらないと風船が破裂する。ただし、女性パネラーには(成功していないのに風船が破裂しないなど)甘いコーナーだったため、2回しか行われなかった。
- 突然ガバチョ!(MBS):「クイズタイムチョップ」MAKOTO(現・北野誠)が出演のコーナー。1人のゲストが登場し、1分間12問のクイズに挑戦するものだが、北野が時計台セットに張り付けられ(いわゆる「人間時計」)、不正解になると、風船が割れ、問題ごとに風船の中身に紙吹雪や白い粉が入っている。最悪の場合、北野は粉をぶっかけられることになる。
- 全国高等学校クイズ選手権(日本テレビ):一時期、全国大会の準決勝において、「勝負の1分間クイズ」という名目でタイムショック形式のクイズを実施した。
- アメリカ横断ウルトラクイズ(日本テレビ):「日の出タイムショック」「アヒルタイムショック」「空席待ち列車タイムショック」と題して制限時間付きのクイズを実施。方式は早押しクイズであり、『クイズタイムショック』とはルールがまったく異なる。それとは別に、1つのチェックポイントで複数の形式のクイズをするという企画の中に「クイズショックタイム」というタイムショック形式のクイズがあった。また、ウルトラクイズの上位進出者でタイムショックにも出場したものが多く[4]、タイムショックでも好成績を収めた者が多かった。
- 総天然色バラエティー 北野テレビ(TBS):出題されたお題に瞬時にダジャレで答える、タイムショック風の「ダジャレタイムショック」というコーナーがあった。
- 所さんのただものではない!(フジテレビ):「デジタルピンコンゲーム」というコーナー。間下このみら子ども側のレギュラー陣が出題し、1分間で何問答えられるかというルール。30秒を過ぎた時点でBGMが流れる。最終的にポイントの多い回答者に所さん人形が貰える。
- 姫TV(テレビ朝日):「クイズタイム小学生」と題した、タイムショック形式のクイズを実施。司会・問読みはリッキー(ブッチャーブラザーズ)。全裸の女性(AV女優がほとんどだった)が白い7枚のパネルに立って回答。13問出題され1問間違えるごとにパネル1枚めくられる。1枚でも死守すると「クイズタイム中学生」に出来る。
- まっ昼ま王!!・濡れてにアワー!!(テレビ朝日):「ミリオンステージ・金満席」というコーナーで、タイムショック形式のクイズを実施。短期間でクイズ形式変更が激しかった為、100万円獲得者(チーム)が1組も誕生しなかった。
- 特捜!芸能ポリスくん(TBS): 島田紳助司会。第1回戦で「タイムショック・リターンズ」を実施。1分間12問全問正解すると、車がプレゼントされる。大島さと子のみ達成。
- 紳助の人間マンダラ(関西テレビ):特捜!芸能ポリスくんと同時期、1時間全て出演者による「クイズタイムボコボコ」という企画を定期的に放送した。
- クイズ!ヘキサゴンII(フジテレビ):スペシャル限定で「ベルトクイズ!タイムショック!ショック!」というコーナーがあった(タイムショック形式のクイズに、間違える度に早くなるルームランナーに走って耐える要素を追加)。スピードに耐え切れないとプールに落下する。
- フジリコ(よみうりテレビ):1時間以内に多くの店を訪ねて、食べた物が最も少なかった出演者(ココリコと藤井隆の3人)が電気ショックの刑を受けるという「タイム食60」のコーナーがあった。
- リンカーン(TBS):出題されたお題に瞬時に面白いボケを答える、タイムショック風の「ボケタイムショック」というコーナーがある。
- ちゃんネプ(テレビ朝日):「時の番人」の扮装をした堀内健が、カップルの男性と共に彼女の寝起きを襲い、彼女に関するタイムショック形式のクイズを行う「寝起きタイムショック」があった。全問正解するとカップルに100万円が与えられるが、5問正解以下だと「トルネードスピン」と称して、彼女が堀内に両足を掴まれて振り回される。
- クイズプレゼンバラエティー Qさま!!・プレッシャーSTUDY(テレビ朝日):現行のクイズ形式。1チーム10人で、協力してクイズに挑む。制限時間内に、最後の10番席が正解して10問全て正解できればクリア。奇しくも月曜20時(SPでは19時から)に放送している。
ラジオ番組内での1コーナー
- 三菱ふそう全国縦断・榎さんのおはようさん〜!(TBSラジオ):週2回、「スピードクイズ」というコーナーがあった。タイムショック形式のクイズで正解数に応じて賞金がもらえるが、判定がかなり甘く、答えられないと司会者がどんどんヒントを出していき、最後には答えをそのまま言ってその通り言わせるようなこともあった。
- 三宅裕司のヤングパラダイス(ニッポン放送<首都圏のみ放送>):「ドカンクイズ」リスナー参加型のクイズコーナー。問題コースを簡単な「はなたれ」コース(1問2,000円)と難度の高い「インテリ」コース(1問10,000円)から選択。三宅の出題する問題に答えていくのだが、1問だけ問題の代わりに「ドカン」が隠されており、それに当たると爆発音が鳴り失格、賞金没収となる。パスは2回のみ使用可。「ドカン」に当たらずに1分が経過し時間切れになれば賞金獲得となる。後に、この企画が地方局にパクられることになってしまう。最高記録は40,000円だった。
- 中島浩二アワー・THE3P(KBCラジオ<福岡地区のみ放送>):「クイズ・おのぼりさん」電話で参加する対戦クイズで賞金5000円を獲得すると、「クイズ・おのぼりショック」に挑戦する。1分間10問(1問につき6秒)のタイムショック形式のクイズで、全問正解すると4人そろって東京ディズニーランド旅行と副賞の賞金1万円がプレゼントされた。[5]
- さくらいさんとやまうちくん(HBCラジオ<北海道地区のみ放送>):休日限定で「クイズ!ポテトショック」と題したコーナーがあった。タイムショック形式のクイズに挑戦し、その後、パーティーゲームの「ポテトショック」で間違えた問題数のみポテトが引かれる。はずれ2本を引かずクリアーすると賞金9999円を獲得できた。
- カーナビラジオ午後一番!(HBCラジオ<北海道地区のみ放送>):「カーナビタイムショック」一般リスナーが解答者として参加、タイムショック形式のクイズに10問挑戦する。1問当たりの時間は5秒以上ある。賞金は1問正解ごとに1000円、10問全問正解で20000円獲得できる。
レギュラーシリーズの終了
田宮・山口時代
- 開始から長らく(1983年頃まで)視聴率は良好であった。しかし、1985年春には出場者を8人に増やし、オープニングの語りを割愛し、アシスタントの出番を増やすなど明るさを求めた傾向のリニューアルを施すが、1986年3月27日の放送をもって17年3か月・888回で終了した(後番組の『三枝の国盗りゲーム』は前週3月20日に終了した)。
生島時代
1人もパーフェクトが出ないまま半年で打ち切られた。『タイムショック21』放送開始時には「14年ぶりの復活」と銘打っており、生島時代の歴史が割愛されているが、「朝日放送の50年・III資料集」(朝日放送発行)では放送資料年表の欄に放送年月日と期間が記載されている。2009年2月2日に「50時間テレビ」の一環として放送された「Qさま!!・プレッシャーSTUDY」では、過去と現在のテレビ朝日の出演者を解答者としていたが、生島の肩書は「クイズタイムショック」となっていた。また、2月8日の「あのシーンをもう一度!伝説の高視聴率超大ヒット人気番組ぜ〜んぶ見せます!スペシャル」においても、歴代のタイムショックの司会者として生島の映像が流された。
タイムショック21時代
視聴率は生島時代よりは改善はされたが、2002年6月17日をもってレギュラー放送は終了、特番に格下げされた。
放映ネット局
クイズ・タイムショック(田宮・山口時代 1969年1月 - 1986年3月)
放送開始当初は日本の民放にはまだオープンネット状態が色濃く残っており、テレビ朝日系列局が少なかったこともあって系列を超えて同時ネットされることが多かった。中には、時折所属系列の7:30からの番組が7:00から拡大して放送されたときでも、通常通り本番組をネットして7:30から飛び乗る現象もみられた。
- 系列は放送終了当時(打ち切り時はネット打ち切り時)のもの。
放送対象地域 | 放送局 | 系列 | ネット形態 | 備考 |
---|---|---|---|---|
関東広域圏 | テレビ朝日 | テレビ朝日系列 | 制作局 | 1977年3月までNETテレビ |
北海道 | 北海道テレビ | 同時ネット | ||
青森県 | 青森テレビ | NETテレビ系列 TBS系列 |
1975年3月まで | |
青森放送 | 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 |
遅れネット | 1975年4月から | |
岩手県 | テレビ岩手 | 同時ネット | ||
岩手放送 | TBS系列 | 遅れネット | 現:IBC岩手放送、1982年9月打ち切り | |
宮城県 | 仙台放送 | フジテレビ系列 日本テレビ系列 |
同時ネット | 1969年3月まで |
東北放送 | TBS系列 | 1969年4月から1970年9月まで | ||
ミヤギテレビ | 日本テレビ系列 NETテレビ系列 |
1970年10月開局から1975年9月まで | ||
東日本放送 | テレビ朝日系列 | 1975年10月開局から | ||
秋田県 | 秋田放送 | 日本テレビ系列 | 遅れネット | 1975年4月から1984年3月まで |
秋田テレビ | フジテレビ系列 テレビ朝日系列 |
同時ネット | 1984年4月から | |
山形県 | 山形テレビ | 1980年3月まで | ||
山形放送 | 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 |
遅れネット | 1980年4月から | |
福島県 | 福島中央テレビ | 同時ネット | 1970年4月開局[6]から1981年9月まで | |
福島放送 | テレビ朝日系列 | 1981年10月開局から | ||
山梨県 | 山梨放送 | 日本テレビ系列 | 遅れネット | 1974年4月から |
新潟県 | 新潟総合テレビ | 同時ネット | フジテレビ系列 テレビ朝日系列 |
1969年4月から1983年9月まで |
新潟テレビ21 | テレビ朝日系列 | 1983年10月開局から | ||
長野県 | 長野放送 | フジテレビ系列 | 遅れネット | 1980年8月まで |
テレビ信州 | テレビ朝日系列 日本テレビ系列 |
1980年10月開局から、1981年頃打ち切り | ||
静岡県 | 静岡県民放送 | テレビ朝日系列 | 同時ネット | 現:静岡朝日テレビ、1978年7月から |
富山県 | 北日本放送 | 日本テレビ系列 | 遅れネット | |
石川県 | 北陸放送 | TBS系列 | ||
福井県 | 福井放送 | 日本テレビ系列 | ||
中京広域圏 | 名古屋テレビ | テレビ朝日系列 | 同時ネット | 現:メ〜テレ |
近畿広域圏 | 毎日放送 | NETテレビ系列 | 1975年3月まで | |
朝日放送 | テレビ朝日系列 | 1975年4月から、腸捻転解消に伴う移行 | ||
鳥取県・島根県 | 日本海テレビ | 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 |
遅れネット | [7] |
岡山県 | テレビ岡山 | フジテレビ系列 NETテレビ系列 |
1969年4月開局から、1974年ごろ打ち切り[8] 現:岡山放送、当時の放送エリアは岡山県のみ | |
広島県 | 中国放送 | TBS系列 | 同時ネット | 1971年3月まで |
広島ホームテレビ | テレビ朝日系列 | 1971年4月から[9] | ||
山口県 | テレビ山口 | TBS系列 フジテレビ系列 テレビ朝日系列 |
1978年9月まで | |
山口放送 | 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 |
1978年10月から | ||
徳島県 | 四国放送 | 日本テレビ系列 | 1984年4月から | |
香川県・岡山県 | 瀬戸内海放送 | テレビ朝日系列 | 1979年3月までの放送エリアは香川県のみ 1979年4月の電波相互乗り入れに伴い岡山県にもエリア拡大 | |
愛媛県 | 愛媛放送 | フジテレビ系列 | 現:テレビ愛媛、1969年12月開局から | |
高知県 | 高知放送 | 日本テレビ系列 | 遅れネット | |
福岡県 | 九州朝日放送 | テレビ朝日系列 | 同時ネット | |
長崎県 | 長崎放送 | TBS系列 | 遅れネット | [10] |
熊本県 | テレビ熊本 | フジテレビ系列 テレビ朝日系列 |
||
大分県 | テレビ大分 | フジテレビ系列 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 |
同時ネット | |
宮崎県 | テレビ宮崎 | 同時ネット | [11] | |
鹿児島県 | 鹿児島テレビ | 同時ネット | 1982年9月まで | |
鹿児島放送 | テレビ朝日系列 | 1982年10月開局から | ||
沖縄県 | 沖縄テレビ | フジテレビ系列 | 遅れネット | 1974年4月から9月まで |
なお、この元祖のみオープニングではネット局の紹介テロップが流されていた(田宮時代初期 - 山口時代初期まで、番販ネット局を除く、同時ネット局のみ表示された)。また、静岡県民放送(現・静岡朝日テレビ)は1978年7月1日の開局以降、同時ネットであったにもかかわらず、マイナーチェンジした同年10月5日放送分までネット局の紹介テロップにて表記されなかった。
クイズ・タイムショック(生島時代 1989年10月 - 1990年3月)
- 系列は放送当時のもの。
放送対象地域 | 放送局 | 系列 | ネット形態 | 備考 |
---|---|---|---|---|
関東広域圏 | テレビ朝日 | テレビ朝日系列 | 制作局 | |
北海道 | 北海道テレビ | 同時ネット | ||
宮城県 | 東日本放送 | |||
福島県 | 福島放送 | |||
新潟県 | 新潟テレビ21 | |||
長野県 | テレビ信州 | テレビ朝日系列 日本テレビ系列 |
||
静岡県 | 静岡県民放送 | テレビ朝日系列 | 現:静岡朝日テレビ | |
石川県 | 石川テレビ | フジテレビ系列 | 遅れネット | |
中京広域圏 | 名古屋テレビ | テレビ朝日系列 | 同時ネット | 現:メ〜テレ |
近畿広域圏 | 朝日放送 | |||
広島県 | 広島ホームテレビ | |||
香川県・岡山県 | 瀬戸内海放送 | |||
福岡県 | 九州朝日放送 | |||
熊本県 | 熊本朝日放送 | |||
鹿児島県 | 鹿児島放送 |
タイムショック21→タイムショック・新タイムショック・超タイムショック(鹿賀・中山&新山時代)
●はスペシャル版ネット局。
放送対象地域 | 放送局 | 系列 | レギュラー時代のネット形態 | 備考 |
---|---|---|---|---|
関東広域圏 | テレビ朝日 | テレビ朝日系列 | 制作局 | ● |
北海道 | 北海道テレビ[12] | 同時ネット | ||
青森県 | 青森朝日放送 | |||
岩手県 | 岩手朝日テレビ | |||
宮城県 | 東日本放送 | |||
秋田県 | 秋田朝日放送 | |||
山形県 | 山形テレビ | |||
福島県 | 福島放送 | |||
新潟県 | 新潟テレビ21 | |||
長野県 | 長野朝日放送 | |||
静岡県 | 静岡朝日テレビ | |||
富山県 | チューリップテレビ | TBS系列 | 遅れネット | |
石川県 | 北陸朝日放送 | テレビ朝日系列 | 同時ネット | ● |
福井県 | 福井放送 | 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 |
遅れネット | |
中京広域圏 | メ〜テレ | テレビ朝日系列 | 同時ネット | ● |
近畿広域圏 | 朝日放送 | |||
島根県・鳥取県 | 山陰中央テレビ | フジテレビ系列 | 遅れネット | [13] |
広島県 | 広島ホームテレビ | テレビ朝日系列 | 同時ネット | ● |
山口県 | 山口朝日放送 | |||
香川県・岡山県 | 瀬戸内海放送 | |||
愛媛県 | 愛媛朝日テレビ | |||
高知県 | 高知放送 | 日本テレビ系列 | 遅れネット | |
福岡県 | 九州朝日放送 | テレビ朝日系列 | 同時ネット | ● |
長崎県 | 長崎文化放送 | |||
熊本県 | 熊本朝日放送 | |||
大分県 | 大分朝日放送 | |||
宮崎県 | テレビ宮崎 | フジテレビ系列 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 |
遅れネット | |
鹿児島県 | 鹿児島放送 | テレビ朝日系列 | 同時ネット | ● |
沖縄県 | 琉球朝日放送 |
脚注
- ↑ 800回記念回より。
- ↑ 挑戦者の中には、かつて田宮時代第500回でパーフェクトを達成した者や、後に第15回アメリカ横断ウルトラクイズで優勝する、能勢一幸がいた。
- ↑ 解説の北野大が、「改名するなら、弟の許可を取って」と言っていた。
- ↑ 例えば、北川宣浩は第2回の優勝者でもあり、道蔦岳史も第5回で上位進出している。また、生島時代に第15回優勝者・能勢一幸とともに出場した彼の一橋大学の後輩も第12回で上位進出した男性で、生島時代には第11、12、13回の上位入賞者が多数出場した(内訳は第11回が決勝に進出した1名、第12回が上記の男性も含め4名(最上位は第8回でも上位進出した準決勝進出者)、第13回が準決勝に進出した2名)。
- ↑ ちなみにKBCはクイズタイムショックをネットしていた。
- ↑ 1970年2-3月のテスト放送時も放送。
- ↑ 1985年9月までは同時ネット。
- ↑ 初期は同時ネット。
- ↑ ただし、1975年10月の4局化まで、広島ホームテレビの編成の都合により一時的に中国放送に放映権を委譲した場合もあり。
- ↑ 1975年4月から1984年9月までは同時ネット。
- ↑ 1975年3月ごろは月曜19時からの時差ネット。
- ↑ 2013年9月3日放送分の超タイムショック(野球中継のため未放送)は9月7日に時差放送
- ↑ 特別番組に降格して以降山陰放送で放送されたことがある。
スタッフ
クイズタイムショック(1969年1月 - 1986年3月)
- 構成:多村映美
- 問題作成:企画集団Q(『象印クイズ ヒントでピント』の問題作成も担当していたことがある)
- プロデューサー:小松伸二、松村春彦、大村正二、北村英一、浅見文吉(末期)、三倉文宏(最末期(末期にはディレクターを担当))ほか
- ディレクター:阿部幸雄、神田光之、武田伸彦ほか
- 田宮時代にはエンディングテロップにおいて、ディレクター・プロデューサーともに「担当」と表記されていた。
クイズタイムショック(1989年10月 - 1990年3月)
- 構成:関秀章
- クイズ作成:高橋一夫、伊藤忠司、岩崎元哉、清水正人
- クイズチェック・リサーチ:菊池一隆彌、五藤百合子、高橋昌道、藤原みち枝
- ディレクター:佐藤彰
- プロデューサー:大村正二
タイムショック21・タイムショック・新タイムショック・超タイムショック
2013年9月現在
- ナレーション:バッキー木場、柳沢真由美、下平さやか(テレビ朝日アナウンサー)
- 構成:中野俊成、竹村武司、水野圭祐
- 問題監修:仲野隆也
- クイズ作家:長戸勇人、中丸智司、米川榮一、青井曽良、内海邦一、穂坂友宏、柴田健太郎、森龍介、田中健一、横山龍太
- TM:大島秀一(テレビ朝日)
- 美術:中塚宏(テレビ朝日)、山本和記
- 技術協力:テイクシステムズ、共立ライティング、IMAGICA、ロッコウ・プロモーション、日放、TSP
- 美術協力:テレビ朝日クリエイト、テルミック
- 編成:吉村周・池田佐和子(テレビ朝日)
- 宣伝:西山隆一(テレビ朝日)
- リサーチ:喜多あおい、伊藤匡、小野塚尚子
- AP:三ツ木景
- デスク:原利加子
- フロアーディレクター:堀脇慎志郎
- ディレクター:中根拓也、岡本光弘、石武士、黒田源治、中沖貴広、魚地しげる、鈴木恵介、三浦信一、山口肇、岡村勝久、高野徹、藤井雅彦、高橋寛之
- 演出:須藤勝
- プロデューサー:畔柳吉彦(テレビ朝日、2007年秋から2009年春までCP、2009年秋以降P、以前は総合演出担当)、三浦雅登・太田兼仁(ビー・ブレーン)、三枝英治(ZOOM ENTERPRISE)
- ゼネラルプロデューサー:藤井智久(テレビ朝日、2009年秋以降)
- チーフプロデューサー:青山幸光(テレビ朝日、以前はエグゼクティブプロデューサー)
- 制作協力:ビー・ブレーン、ウインズウイン、ZOOM ENTERPRISE
- 制作著作:テレビ朝日
過去
- 企画:上松道夫、渡邊健一、テレビ朝日クイズプロジェクト、武居康仁(『タイムショック21』末期より)
- チーフプロデューサー:山本隆司(テレビ朝日)
- プロデューサー:杉村全陽・小林正(テレビ朝日)、黒木明紀(ノンプロダクション)、上條昌樹(トップシーン)
- 構成:右近亨、安達元一、中村結美、相澤昇、湊星子、石田雄二郎
- クイズ作家:相川幸男、佐藤允彦、工藤幸
- テーマ曲:安久雄滋
- AP:志波佳代子(テレビ朝日)
- 演出:奥田隆英
- ディレクター:本井健吾・倉島章二・増田哲英(テレビ朝日)、植竹克之、松岡浩、藤本創、伊東伸一郎、小峰智、古武直城、山崎敏光、内田雅行、石田夏樹、馬場良仁、長谷川光生、伊藤雄太、大西慶樹、竹前光昭、進藤貴行、坂井宏爾、安納隆仁、本田秀次
- フロアーディレクター:米嶋悟志、羽根田梅子、長岡均
- 編成:高橋正輝・吉見尚子・森大貴・寿崎和臣(テレビ朝日)
- 宣伝:三本真一(テレビ朝日)
- 制作進行:奥村彰浩(テレビ朝日)、竹山知子
- 技術協力:アーツポート企画
- 制作協力:ノンプロダクション、トップシーン
制作・著作
- テレビ朝日(1977年3月まではNET)
関連グッズ
書籍
- クイズタイムショック 1 - 4(テレビ朝日出版部/多村映美編) - 1977年に第1巻発売。田宮・山口時代に発刊。現在は絶版。
レコード・CD
- クイズタイムショック RECORD GAME(発売元・ワーナーパイオニア)
- 1978年2月リリース。初代司会者・田宮二郎の語りと矢島正明の問い読みの構成。
- (入門コース10ゲーム・中級コース6ゲーム・上級コース4ゲーム・プロフェッショナルコース16ゲーム(映画・演劇、社会・歴史、スポーツ、芸能・音楽各々4ゲームずつ)・エキスパートコース4ゲームの合計40ゲーム+解答用紙を収録。
- (表ジャケット)5週勝ち抜きチャンピオン(天井から紙吹雪と風船が降っている瞬間)をお迎えする田宮・丹羽・タイムガールズと、ストップウォッチを構える田宮の2枚。田宮がチャンピオンと握手し、丹羽が5週勝ち抜き記念のトロフィー、タイムガールズの左側の人が海外旅行の目録、同じく右側の人が花束を持ってそれぞれチャンピオンに手渡そうとしている。
- (裏ジャケット)5週勝ち抜き達成者の周りに、番組のセッティングをするスタッフ。
- オリジナル版 懐かしのTV番組テーマ大全集(CBSソニー)
- 田宮時代のオープニングテーマ(作曲:山下毅雄)が収録されている。
- 冒頭の矢島正明の口上は、「親子連れ、花柄シャツにジーンズはいて、赤いヘアーに色グラス、どっちが親だー!!」というものだった。これは田宮最終出演分(第504回)だと推憶される(田宮時代なので、観客の笑いは無い)。
- 早すぎた奇才・山下毅雄の全貌〜ドラマ編〜(日本クラウン)
- 田宮時代のオープニングテーマ、山口時代のエンディングテーマ(共に作曲:山下毅雄)が収録されている。
- ブロードキャスト・トラックス テレビ朝日編(ユニバーサルミュージック)
- 田宮時代のオープニングテーマとエンディングテーマ(作曲:山下毅雄)が収録されている。
パチンコ
- CRAクイズタイムショック
- 2009年9月にエース電研から発売された。
- 大当たり確率が甘めのスペック(1/99.25)で、モチーフは田宮時代。田宮二郎を模したキャラ「ジロー・タミヤ」を中心に液晶演出が展開される。また矢島正明も、出題やナレーションで参加している。
- 大当たり時の写真が田宮時代の写真が使用され(オープニングの写真も(第504回目の時の)使用)田宮が「現代は時間との戦いです」のセリフを言う映像も流れている。リーチも「タイムショックリーチ」「オープニングリーチ」等と多彩になっている。リーチ突入時に田宮時代のオープニングキャッチフレーズ「現代は時間との戦いです!」と言う際にストップウオッチを右手に持ちながらの映像が流れば激アツとなる。
- タイトルロゴは、初代の並びと同じであるが、書体は『タイムショック21』以降の書体をアレンジしたもので、ロゴの上に横長い丸囲みで「クイズ」、その下に「タイムショック」と書かれたものになっている。
ゲーム
- LSIクイズタイムショック
- 1970年代後半にトイボックスから発売。それまで「クイズマシン∞(無限大)」という商品として販売していたものをテレビ朝日のライセンスを受けたうえで再パッケージしたもの。添付の問題集を見ながら進行してゆく関係上、解答のために与えられた時間は1問当たり10秒となっている。なお、パッケージに「アダルトゲーム」という表記があるが、これは大人でも十分に楽しめるゲームであることを意味する。当時放送していたCMで子役が操作していたことからもそれを裏付けている。
パロディー
- 1983年ごろ放送のフジテレビ『オレたちひょうきん族』の「タケちゃんマン・クイズ番組の巻」でビートたけしがタイムショックのクイズに挑戦するストーリーがあった。結局3問以下の正解で椅子が回るどころか椅子がロケットの様に飛んでしまうオチになった。
- さらに1987年頃に放送のフジテレビ『火曜ワイドスペシャル・タケちゃんの思わず笑ってしまいました』で、同番組司会のビートたけし扮する鬼瓦権造が、タイムショックのクイズに挑戦するパロディーコントがあった。これにも本家の矢島が出題ナレーターとして登場している。一問目は鬼瓦がスタッフから手渡されたカンニングペーパーを使ってクイズに解答するが、最初の問題の答えで書かれてあった「カンニング」をペーパーの名前と勘違いしてしまい、以後最後の問題まで本来の問題の答えより1問ずつずれて答えてしまい全問不正解になるというものであった。二問目は矢島が一分近くにわたって長々と問題の前振りを説明するというものであった。
- 1991年頃のフジテレビ『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』の「ふぞろいの林檎たちに愛をこめて・ふぞろいのクイズ番組に愛をこめて」でもタイムショックのクイズに挑戦するストーリーが登場し、内村光良が仲手川良雄と本田修一を2役扮して仲手川が司会者席、本田が回答者席に座ったが本田が全問不正解で椅子が回った。その時の椅子の回転スピードが低速だった。出題は本家の矢島ではなく境鶴丸が担当していた。
- 『お笑いマンガ道場』が、新春特番である『初笑いマンガ道場』の1コーナー「マンガタイムショック」をチーム対抗戦形式でやっていた。
- 2006年9月24日にTBS系で放送された『DOORS 2006』において行われたアトラクションの一つ「クイズdeええじゃないか」という、富士急ハイランドの設備の一つ「ええじゃないか」というジェットコースターを借りて実施し、1人ずつ挑戦しタイムショックの要領で1問当たり15秒、全5問クイズに答えるというものだった。
関連項目
- アップダウンクイズ - 1975年3月のネットチェンジまで同じくANN系局で放送。
- パネルクイズ アタック25 - 1975年4月から同じくANN系局で放送。テーマ曲は第1期と同じ山下毅雄による。
- オールスター番組対抗ボウリング大会 - 1980年代に放送されたテレビ朝日系番組対抗特番で、『クイズタイムショック』のメンバーも参加していた。
- クイズ!バーチャQ - 「タイムショック21」時代のビジュアルタイムショックの問題形式が使用されたクイズが存在した。
外部リンク
- テレビ朝日|超タイムショック(番組公式ページ)
- エース電研|CRAクイズタイムショック(公式ページ)