早稲田中学校・高等学校
テンプレート:日本の高等学校 早稲田中学校・高等学校(わせだちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、東京都新宿区馬場下町(旧東京府東京市牛込区)に所在し、中高一貫教育を提供する私立男子中学校・高等学校。高等学校においては生徒を募集しない完全中高一貫校[1]。
概要
中高併せて全6学年の構成であり、その1学年の生徒数は約300名前後である。
中学校では2000年度まで2月1日の1回入試を実施してきたが、2001年度より2月3日に2回目の入試を行っている。なお、高校入試は現在実施していない。
創立100年を超える伝統校ゆえ、校風はリベラルさに加えて、早稲田を象徴するバンカラさをも合わせ持ち、学園紛争時には逮捕者を出したこともある。しかし、最近は現代の若者の傾向を受けて、その闊達さが徐々に失われてきていると見る向きもある。
早稲田大学の系列校として他に早稲田実業学校初等部・中等部・高等部、早稲田摂陵中学校・高等学校および早稲田佐賀中学校・高等学校などがあり、早稲田大学直系の付属校として早稲田大学高等学院・中学部などがあるが、卒業生の2分の1が早稲田大学以外に進む進学校としての性格が強い同校は、その中でも入試難易度は最も高くなっている[2]。
教育・進路
古くより「東洋のイートン校」を標榜しており、創設当初から東京専門学校(早稲田大学)の理念である「学問の独立」に対置(前置)される、「人格の独立」を掲げた教育を実践している。
この学校における中高一貫教育では、中学校の第1学年及び第2学年の前期2年を「生活習慣と学習の基礎を固める時期」、中学校第3学年及び高等学校第1学年の中期2年を「実力養成時期」、高等学校の第2学年及び第3学年の後期2年を「応用力完成時期」と区分する「2-2-2制」を採用している。又、高等学校第2学年に進級した後は、文系コースと理系コースに分化され、高等学校第2学年修了時点までに「高等学校で学習する基礎的教科・科目の学習が一通り修了」する加速式学習法(先取り学習)を導入している。[3]
教育目標
- 誠
- 個性
- 有為の人材
進路
卒業生の約2分の1が推薦入学制度を利用して早稲田大学へ進学する(定員枠は約2分の1)。しかし元来進学校としての性格が強く、早稲田大学系属化後もその基本路線は変わっておらず(国公立大学や医歯薬志望者など学外進学を目指す者も多く、早稲田大学への学内推薦基準には達しない者の一般入試合格者も少なくない)、早稲田大学への学内推薦入学枠の2分の1定員は希望分野以外は充たされないことが多い。
現在も推薦入学者を含む大学進学率はほぼ100%であるが、現役合格率は推薦入学者を含めて7割程度である。東京大学を始めとする国公立大学へ進学する生徒は2割程度である。
沿革
1895年に坪内逍遥・市島謙吉・金子馬治ら早稲田大学関係者と大隈重信の尽力によって創立。当時早稲田大学は前身の東京専門学校であったから、校名に「早稲田」を冠したのは同校が先となる。高等学校進学希望者を対象にした1年制の予備校も併設していた(萩原朔太郎が在籍していたことがある)。古くから進学校としての歴史を有しており、明治時代の私立全盛期においては、第一高等学校合格者数でベスト10内に入っていたことがあった(合格率では全国1位に立ったことさえある)。各帝国大学をはじめとする上級学校において、同窓組織である「早中会」が多数結成された事実からも、同校が早稲田大学の系統にあって、なお独立的な存在を志向していたことが窺われる(もちろん早稲田大学にも早中会が存在した)。
敗戦直後、早稲田大学の附属校とすべく生徒・保護者・若手の教職員らが運動を起こしたが、伝統と独立を重んじる理事会と教職員らによって鎮静化され、附属・系属校の道を歩む早稲田大学高等学院及び早稲田実業学校とは別の路線を歩むことになる。学校誌『百年の軌跡』は、「旧制では大学予科だった早稲田高等学院が、戦後大学附属の新制高校に改編されたことで、同校の附属校化が難しくなったとの考えが学校関係者に広まった」、と記述している。
1976年、会計を担当していた事務所職員が私的な株式運用のため3億円を持ち逃げしたことをきっかけに、1979年4月より早稲田大学の系属校となり、1982年卒業生の早稲田大学への推薦入学を開始(後にこの事務所職員は逮捕された)。推薦枠は学部ごとに決まっており、その合計は約50名だった(当時の卒業生は約350名)。推薦制度は他大学の付属・系属10校の訪問調査と同志社・立命館・甲南などへのアンケート調査、進学の実態分析などを経て構成された。早稲田大学側の学部再編や定員枠の増幅により、いくどか制度要項が改訂され、現在のものとなっている。
年表
- 1895年(明治28年) - 11月3日、早稲田尋常中学校の創立決定。この日を創立記念日とする。
- 1896年(明治29年) - 開校。
- 1897年(明治30年) - 地方出身者のために寄宿舎を設ける。
- 1898年(明治31年) - 社団法人早稲田中学校となる。
- 1900年(明治33年) - 補修科を設置。
- 1901年(明治34年) - 早稲田実業中学(翌年早稲田実業学校となる)が校舎内に開校(1904年に大学敷地に移転)。
- 1903年(明治36年) - 補修科を早稲田高等予備校(各種学校扱い)に改組。
- 1904年(明治37年) - 寄宿舎を廃止。その跡地は1907年より2001年の間、早稲田実業学校が校地として使用した。
- 1921年(大正10年) - 校歌制定(第一校歌)。
- 1924年(大正13年) - 早稲田中等夜学校開校。勤労生徒を対象にした4年制の各種学校。
- 1932年(昭和 7年) - 中等夜学校を閉じる。
- 1941年(昭和16年) - 財団法人に改組。
- 1944年(昭和19年) - 高等予備校を廃止。
- 1947年(昭和22年) - 学制改革により、新制早稲田中学校開校。
- 1948年(昭和23年) - 新制早稲田高等学校開校。
- 1951年(昭和26年) - 学校法人に改まる。
- 1964年(昭和39年) - 新校歌制定(第二校歌)。
- 1979年(昭和54年) - 「早稲田高等学校を早稲田大学の系属校とすることの合意書」に調印。
- 1992年(平成4年) - この年をもって高校入試が打ち切られる。
- 1993年(平成5年) - 高等学校生徒募集停止、完全中高一貫校化。
- 1995年(平成7年) - 創立100周年記念式典挙行。
学校関係者一覧
関連書籍
- 早稲田中・高等学校『早稲田中学校創立六十周年記念録』 1955年発行
- 早稲田中・高等学校『早中七十周年記念録』 1965年発行
- 早稲田中・高等学校校史編纂委員会著『百年の軌跡 : 早稲田中学校早稲田高等学校』 1995年発行
- 早稲田中・高等学校校史編纂委員会著『百年の蛍雪 : 早稲田中学校早稲田高等学校』 1996年発行
- 梅澤宣夫著『早稲田田圃の学舎で : 早稲田中学校をめぐる人々 早稲田中学校・高等学校創立百十周年記念』 早稲田大学出版部、2006年発行
関連項目
外部リンク
脚注および参照
テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist テンプレート:学校法人早稲田大学
テンプレート:Asbox- ↑ 早稲田中学校の学校情報-中学受験パスナビ(旺文社)の冒頭に「※系列高校での募集はない。」と掲載されている。
- ↑ 最大手進学塾のSAPIX 男子【2013 中学受験】偏差値一覧より
- ↑ 早稲田中学校高等学校の「学校生活」のうち「授業」のサイトに基づいて記載した。