有田哲平
テンプレート:Infobox お笑い芸人 有田 哲平(ありた てっぺい、1971年2月3日 - )は、日本のお笑い芸人、司会者。お笑いコンビくりぃむしちゅーのメンバーで、相方は上田晋也。愛称はアリペイ、アリペー。
熊本県熊本市東区出身。ナチュラルエイト所属。身長173cm、体重80kg。
目次
略歴
幼少時から大学入学直後まで裕福な家庭で育つ。熊本大学教育学部附属中学校を経て、熊本県立済々黌高等学校に入学。ラグビー部に入部し上田と出会う[1]。プロレスの話や2人が「お笑いスター誕生!!」を見ていたことで意気投合[1]。高校卒業後、一浪して立教大学法学部に入学。弁護士を目指したが、早稲田大学を中退した上田からの誘いを受け、有田も大学を中退。1991年にコンビ「海砂利水魚」を結成し、コント山口君と竹田君の付き人となる。
2001年9月に、『新・ウンナンの気分は上々。』の「負けたら改名」の企画にて、さまぁ〜ずとの対決に敗れた為、ウッチャンナンチャンの内村光良命名の「くりぃむしちゅー」に改名された事が話題になりブレイク。
人物
学生時代
小学校1、2年時には日本舞踊を習っていたが、今では何も覚えていないらしい[2]。
小学校半ばから笑いが好きで、当時は前述の通りお笑いスター誕生!!が好きだった。小学校の文化祭では友人と共にコントを作って演じていたが、コント自体はいつの間にか服を脱ぐような劇であった[3]。
熊本大学教育学部附属中学校在学中の2年生時にはアメリカにホームステイしていたこともある。
高校のラグビー部時代、試合では上田がレギュラーであったのに対し、有田はベンチ要員だった。その上、ラグビーのルールをよく理解しておらず、ある試合で上田がボールを持ちトライするべくラインに向かって走ると、有田は何を思ったかチームメイトである上田にタックルを仕掛けたという。初めて出場した試合では試合慣れした様子を出そうと野次を飛ばし審判に注意された。その後気まずさを隠して歩いているとサイドフラッグに引っかかり右腕を折る。恥ずかしくて名乗り出られず、数プレーの間左手だけでボールを扱おうとするも上手くいかず、事情を知らないチームメイトから注意された[4]。また、ある日ラグビー部の皆で将来の夢を話していた時、他の部員は「弁護士」「起業家」などと真面目に目標を述べていたが、有田は「俺は光GENJIに入る!」と真顔で豪語し、一同を呆れさせた[5]。
現役で明治大学法学部二部に合格していたが、上田に「一緒に早稲田に入ろう」と言われ熊本壺溪塾で浪人する。一浪を経て、上田は早稲田大学に合格するも、有田は敢え無く不合格。有田は上田がまた浪人してくれると思っていたそうだが、「お前は立教がいい」と言い包められ、結局立教大学に入学した。しかし、有田も上田と同様に大学での生活に馴染むことが出来ず、友人も殆ど作れなかったことから、しばしば一人ぼっちでキャンパス内のベンチに座り、煙草を吸いながら時間を潰していたといい、最終的に中退に至ったのも、この事に起因した部分もあったという[6]。
なお、コント山口君と竹田君によると、有田は大学中退に関しては少し迷ったようだが父親が亡くなってしまい、学生生活を続けることが出来なくなったのでそれでふんぎりがついたらしい[7]。
家族・親類
3人兄弟の次男。弟は放送作家の有田真平、兄は地元で教師をしているという。
母は水泳でオリンピックの代表候補になる程の選手だった。現在も熊本県内にある室内プールで管理者の傍ら、子供達に水泳の指導を行なっている。2008年には、マスターズ世界水泳選手権の平泳ぎ・シニア部門で6位に入賞した。あまり練習せずに大会に挑んだそうで、もっと練習していれば3位以内には入れた、と悔んだという[8]。
父は広告代理店を経営していた。有田によると有田の父は厳格かつワンマン気質で有田を含めて兄弟全員その怖い父親が苦手だったらしく、一年を通して会話らしい会話はなかった[9]。そのせいか有田は高校生になってからも父親の事を「パパ」と呼んでいたという(そう呼ぶように言われていた)[10]。しかし、有田の大学入学後に会社が倒産、授業料を滞納する事態となった。それに関する父親からの報告と、有田からの「大学を中退してお笑いをやりたい」旨の報告とが偶然にも重なり、有田は勘当を覚悟したが、父親に「学費を納めなくていいなんてお前は孝行息子だ。それにやりたい事を見つけるなんて素晴らしい!」と絶賛されたという。後に知るが、その時点で会社が傾いていたらしく[11]有田が物心付いた頃からずっと住んでいた思い出のつまった実家も売られていた。父親の事業破綻後に両親は離婚。程なくして父親が死去。祖父や祖母もそれと前後して立て続けに亡くなる。[12]
有田は後に当時を振り返り「大学の頃、夏休みに熊本の実家に戻ったら表札が『長谷川』に変わっていた。人づてに引っ越し先を調べて訪ねてみると、有田家は安&ボロアパートに様変わりしていた」と述べた。[13][14]有田がやっとそのアパートを探し当てると父親は「言い訳じゃないけどな、ここ(安アパート)に住み始めたらこっちの方が住みやすいなあと思ってな」と言ったそうだ。[15]その後、有田がお笑いの道を志すことを承諾した父親が有田に50万円をくれたが、どうやらそのお金はサラ金で借金して作ったお金だったらしく、それを最後に父親は亡くなった[16]。
有田が『王様のブランチ』の中継コーナーのレギュラーだった頃、ゲストレポーターのX-GUNが「有田の売られてしまった実家に潜入」という趣旨の企画で有田の元実家を訪れたことがある。昔有田の部屋だった所は物置となっていたが、有田が壁に落書きした「飛龍」の文字は残っていた事が判明したので有田はレポートをしてくれたX-GUNに感謝した[17]。
伯父(有田の母親の兄)は政治学者で、日本初のノーベル賞選考委員やスウェーデン王立アカデミーの会員を務めた矢野暢。「幼少期より、よく両親から『親戚にいる大学教授の伯父さんを見習え』と言われていたが、その人がセクハラで訴えられた」というネタをよく使う[14](セクハラの詳細は矢野事件を参照)。
身体的特徴
あごがしゃくれている。
年々太ってきており、数年前に『笑っていいとも!』に出演した際には、「デビュー当時と比べて15kg程太った。」と明かした。ファンや上田から、とろサーモンの久保田和靖に似てきていると指摘されており、視聴者が久保田を見て有田と間違った事もあるらしい。有田と久保田はあまりにも周りから似ていると言われるので、ついに2013年9月2日のグリグリくりぃむで「どっちが有田でどっちが久保田」という企画が行われた(企画内容は本物の有田の座をかけ、有田と久保田が有田の得意とするいろんな競技で対決し、勝った方が本物の有田と認定されるというものだった)。
タレントのヒロミが経営する加圧トレーニングジムに通っていた事があり、番組で共演した際に“成果”を披露したが、ヒロミは突き出た腹を見て、「営業妨害だよ!」と呆れていた[18]。
人間ドックで脂肪肝が判明し、ウエストの測定結果は97cmという危険な数値(メタボリックシンドロームの基準値は85cm)だったため、2007年の11月から炭水化物を完全に抜き、年内に体重を75kg、ウエストサイズを85cmにまで減らす事を同年放送の『オールナイトニッポン』で宣言した。そして同番組にて年末に体重測定を行った結果、83kgから76kg(脱衣時75kg)にまで減量していたが、約束の体重を1kgオーバーしていた為、上田の取り決めにより番組内で罰ゲームをする羽目になった。翌2008年6月24日の放送で久々に体重測定を行った結果、82kgへと再びリバウンドしてしまった。
高校時代から芸人デビュー前まで、寄生虫持ちだったため、今とは比べ物にならないほどスリムな体型だった。高校時代にラグビー部を引退した後、上田共々部活をやっていた頃と同様の暴飲暴食を辞められなかったことから、上田が急激太りだしたのとは対照的に、全く太ることは無かったという。一方で、その当時は年に4回ほど尻の猛烈な痒みに苦しめられてもいた[19]。
頭髪が薄く、自身は祖父からの隔世遺伝であると述べている。育毛剤を使用しているが、その育毛剤の力を強くする為に「モミダッシュ」なる頭皮洗浄用の機器を使用している[6]。
2008年5月1日放送の『アリケン』の企画で、左頬のシミを消すプチ整形を行った。
趣味・嗜好
カジノが好きで、海外旅行は専ら韓国やアメリカ等のカジノがある国が多い。韓国のカジノで熱くなりすぎて負けが込み、現地に居合わせた見ず知らずの日本人や、当時ほぼ初対面であった美川憲一にお金を借りたらしい。ちなみにそのお金は、日本に帰国してすぐに2人の元へ返しに行ったという。
菅野美穂の大ファン。2009年1月19日放送の『しゃべくり007』で念願の対面を果たした。その後も彼女と共演する度にネタにされ、『ペケ×ポン』では○回正解する度にメールアドレス交換やデートといった特別ルールが設けられている。
映画鑑賞が好きで好きな日本映画は天城越え (松本清張)。[20]映画好きが高じてなんでもアリタっ!と題する「有田哲平と設楽統をなんでも自由に使い映画監督に短編映画を撮ってもらう」という企画のバラエティ番組もやった。
プロレス
大のプロレスファンで、自身の芸風にも活かされている。メジャー・インディー団体問わず、選手やマット界の動向にも詳しい。また、毎週欠かさずに週刊プロレスを愛読(第一号から全て)する他、多くのプロレスグッズも所有している。『笑っていいとも!』の「テレホンショッキング」に出演した際には、同誌をタモリへのお土産として持参した事がある。
長州力の大ファンであり、自身の著書で有田は「大げさでも何でもなく(長州力は)僕の師匠です。何かあると長州力の語録やインタビューや試合を見て自分自身にカツを入れてきました」と記している[21](そして長年の思いが叶い、週刊プレイボーイの2011年1/17~1/24号にて有田と長州力の対談が実現した)。
敬愛するアントニオ猪木の引退試合を観戦した際、入場時には声援を送っていたものの、肝心の試合時に居眠りしていたのを『ダウンタウンDX』のコーナー「視聴者は見た!」で暴露される。この回には猪木本人も出演しており、すぐにビンタ制裁を受けた。
『ハッスル・エイド2006』では、自前の「高田総統」のコスプレをしてオープニングに登場。翌2007年12月31日の『大晦日!ハッスル祭り2007』でも、高田将軍(戦国時代バージョン)が現れた後に、有田総統としてリングに登場した。
2010年7月に「プロレスラー 伝説のビッグマウス!」というプロレス本を出した。なおその本には同じくプロレスが好きなケンドーコバヤシとの対談も収録されている。有田はプロレスから場を活性化させるための仕掛けや反骨心を学んだと言い、プロレスとは魅力的なジャンルでレスラーの言葉には人に影響を与えて動かす力があると述べている[22]。
アニメ・ゲーム
TVアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の大ファンで、『アメトーーク!』に「エヴァンゲリオン芸人」として出演した事もある(2008年4月24日放送)。
いわゆるヘビーゲーマー。『オールナイトニッポン』等で、ゲームソフト『実況パワフルプロ野球9』(コナミ)の「サクセスモード」について熱く語っていた事があり、『パワプロクンポケット7』には有田をモデルにした「有田修吾」というキャラクターが登場した。また、定期的にオールナイトニッポンのスタッフ達を集めてパワプロ大会を行っているという。しかし、実際の野球にはあまり興味が無い上に疎い。
『龍が如く』(セガ)に関しては、同番組で面白いゲームであると太鼓判を押したため[23]、本人が知らない内に「くりぃむしちゅー有田も大絶賛」というキャッチコピーを付けられていた。後にマネージャー大橋によりその仕事を引き受けていたことが判明した。
音楽
好きな音楽ジャンルはヒップホップ。ヒップホップアーティスト・ZEEBRAとも親交があり、『シュガーヒルストリート』では、「ALI-T(途中からFAKE-Aに改名)」に扮してZEEBRAと一緒に司会を務めた。これが縁で、ZEEBRAのシングル「Stop Playin' A Wall」のプロモーションビデオにも出演している。
ほかに、兄の影響からビートルズのファンでもある。ビートルズが好きなあまりビートルズのコピーバンドの店に行くほど。一番好きなビートルズのアルバムは「リボルバー」[24]。 なお、ビートルズ全曲をイントロ1秒のみ聴いて曲名を当てることが出来るという特技の持ち主でもある[25]。
またギターを練習して、『くりぃむナントカ』のスタッフらと共にバンドを結成、ボーカルとしてビートルズの楽曲でライブを開催したり[26]、映画『アイアンマン』他のDVD販促キャンペーンでは自作の「応援歌」を披露した[27]。
交友関係
- アンタッチャブルの山崎弘也を可愛がっており、2013年まで山崎と同じマンションの上下階に住んでいた(有田は2012年の1月頃に東京都内の一戸建てを購入し、2013年の春に入居したという記事が週刊女性 2013年8/13号に掲載された)。
- おぎやはぎの矢作兼とも大変仲が良く、山崎を含めた男3人で毎年旅行に出かけているほど。
- 番組収録の合間に山崎やおぎやはぎ、次長課長等の後輩芸人を集めて、芸に対するアドバイスやダメ出しを行う(「有田塾」と呼ばれている)が、「全くためにならない話ばかり」しているという。また、土田晃之には「『銭形金太郎』のロケで泣け。」とアドバイスをした[28]。
- 共演の多いネプチューンの堀内健からは、「これからの事も、お笑いの事も真剣によく考えているし、芸術を見るセンスもある。とにかく凄くいい奴。」と評されている[30]。
- 同じく共演の多いバナナマンの設楽統は有田の事を分析力が高くバランス感覚に優れたオールラウンドプレーヤーと評し、動きやトーク等の芸人の能力をレーダーチャートにして表したら限りなく五角形に近い人だと述べたことがある[31]。
- かつて、ものまね芸人の原口あきまさは自分はキャリアの途中からものまねの世界に入った故に自分のものまねは他の同業者達の芸と比較すると似ていないのではと苦悩し、もうものまねはやめようかと思い悩んでいた。だがある日、飲みの席で有田に「原口のものまねはそんなに似ていなくてもそれが面白いからいいんじゃない」と言われて原口は似ていると言われるよりも面白いと言われたいと思うようになった。後に原口はそれで心が救われたと当時の事を振り返っている[32]。
- 相方・上田の2人の姪(上田の実兄・上田啓介の娘)を大変可愛がっており、上田を心配させている。有田曰く、「どんなにユルいギャグを言ってもウケるから気分がいい。」との事で、休日には2人と遊ぶ為だけにわざわざ熊本まで帰省し、当時流行していたナルミヤ・インターナショナルのジュニア向けブランド服「メゾピアノ」等をプレゼントした事もあるという[33]。2人は有田を「ありぶす」と呼び、「ありぶす、お前顎伸びたな〜。」などと散々な事を言われるという。ちなみに、アンタッチャブルの山崎を「やまぶー」、柴田英嗣を「しばめんこ」と呼び、2人ともメールでの近況報告等もしている[34]。
芸風
どの様な内容の番組であっても徹底してボケを貫く。お笑い評論家のラリー遠田は、有田を「自分が一歩引いて、相手の面白い部分を引き出す事に長けている、引き芸の達人」と評している。遠田によると、コンビのボケ担当で引き芸に長けているのは比較的珍しいタイプだという[35]。 (追記:近年では状況に応じてツッコミ・仕切り・進行をやることもあり、特に有田のピン番組ではそういうケースが多い。有田は「自分一人で司会をするときは(コンビで出演の時よりも)責任があるからちょっと大変」と思う事があるそうだ)[36]。
なお、前出のラリー遠田は著書で有田のことを「笑える雰囲気を作り、場の空気を支配し、主導権を握るのに長けた職人芸の人」とも評している[37]。
近年ではテレビ局等に企画を持ち込み、自分立案企画の番組をやる場合もある [38]。 この件に関して有田はとあるインタビュー記事で「自分がどうしたいかを考えるのは好きなんです。ただ、それが必ずしも面白くならなかったりするんですよね。で、“こんな企画できましたー、やってくださーい”って言われてやる方が意外に楽しくなったり」と述べている。なお、その記事では件の有田の発言の次に「でもいつかは、自分が面白いと思ったものが他人にも間違いなく面白がられるようになりたいと思っている。」とも書かれている[39]。
格闘技ネタを得意とする。ものまねのレパートリーは、自身が大のプロレスファンという事もあり、プロレスラーが多数を占めている。中でもアントニオ猪木のものまねは、『内村プロデュース』での「○○で勝利するをプロデュース(スポーツシリーズ)」で内村光良のふりで披露、後に鉄板ネタとなった。
長州小力がする長州力のものまね「キレてないですよ」(実際は「キレちゃいないよ」である[40])は、有田のネタが元となっている。後に『笑いの金メダル』で小力と組んで「W長州」としてネタを披露した。
ものまねのレパートリー
エピソード
- 2001年6月、相方と共に出演していた瀬戸内海放送(KSB)の人気深夜番組『ばちこい!』の企画で、「Bachicco!(ばちっ娘!)」というローカルアイドルをプロデュースし、見事デビューさせた。なお、デビュー曲「ばっちり恋しよう!」には有田のラップパートが収録されている。
- 新コンビ名の由来にもなったクリームシチューが大好物だと公言していたが、『いきなり!黄金伝説。』の企画「クリームシチューだけで1週間過ごすコンビ」に挑戦した際にかなりの野菜嫌いだった事が判明し[42]、クリームシチューの殆どを相方の上田に食べさせていた。上田曰く「有田が好きなのは、クリームスープ」。
- 「H/K(話変わるけど)」という若者言葉を作った。『銭形金太郎』の深夜放送時代にVTRの前フリで好んで使用していた。
- かつては愛煙家であり、若手時代より相方の上田から「そろそろ禁煙しろ」と度々注意されていたが、2011年2月にTBSテレビの廊下で和田アキ子とすれ違って挨拶をした際に、「絶対、タバコはやめたほうがいいぞ」と言われ改心し、禁煙に成功した[43]。
- 有田は上田ちゃんネルを毎週見ており再放送も見ている(上田ちゃんネル2013年2月5日放送回にて上田が発言)
- アンタッチャブルの山崎と少女時代のコンサートを観に行っていて少女時代のメンバーにもその事を知られている。
- お笑い芸人として生計を立てられるようになるまではキャバクラウェイター、ガードマン、さくら等のアルバイトをしていたことがある。[44]
- お笑い芸人になろうと上田と共に芸能プロダクションの面接を受けた若き日の有田が、担当の面接官に「将来の夢は何かある?」と質問された際、うっかりマジ間違いで「立派な弁護士になりたいです。」と言ってしまい、驚いた上田が思わず「違うだろっ!」とマジツッコミを入れたそうだが、この一連のやりとりを面接官がネタと勘違いしたために、見事面接に合格した。[45]
女性関係
- 『ロンドンハーツ』で、相方の上田から「合コン好きの有田を懲らしめてほしい」と番組に依頼され、騙しの合コンをセッティングするという企画が組まれた。この企画は3回に渡って放送されたが、全て番組が仕掛けた落とし穴に落下している。女性と2人きりになった時、淳の指令でその女性が「クルトンって呼んでいい?」と言った事から、番組では「クルトン(有田)[46]」と呼ばれる様になった。その仕返しとして有田は、「上田の好感度を落としたい」として田村淳に上田を騙す為のハニートラップを依頼したが、その中で上田は、有田とは正反対の硬派な振る舞いを見せ、放送終了後、番組ホームページのBBSには上田を絶賛する女性視聴者からの書き込みが多数寄せられ、逆に上田の好感度を上げてしまう結果となった。その放送後には、上田の硬派キャラをパクって合コンをしている事をアンタッチャブルの山崎弘也に暴露され、再度、同様の騙し合コンに引っ掛かり、最後にはまた落とし穴に落下している。
- 2004年8月、女優・深田恭子との泊まりがけデートが写真週刊誌・フライデーにスクープされた。更に同じ月、山崎と合コンを行った帰りにラブホテルに入る様子を同誌に激写されている。また、別の女性との同棲も報じられ、ルックスに似合わずプレイボーイとして有名。上田からは「フライデーに連載を持っているのか?」と揶揄された。しかし深田との一件以来モテなくなったと発言している。
- 写真週刊誌の一件以来、しばらくは合コンを自粛していたが最近では年に2~3回は行くらしい。本人曰く合コンのお陰で色々と学んだことがあると言っている。[47]
- 服などの買い物をする時矢作兼(おぎやはぎ)とよく一緒に行くらしいが、店員が好みの女性だと「(TVのイメージと違って、実は)自分は後輩思いの優しくて良い先輩である」と、見せつける為に、矢作に奢ってあげており、最近はその時の店員が男性又は好みの女性でなかった場合にも、必ず奢るようにしている。
オールナイトニッポン
- レギュラー化する前の『海砂利水魚のオールナイトニッポンスペシャル』時代に上田と対決し負け、放送終了後に番組プロデューサーの勅使川原昭によって丸坊主にされた。
- 2005年7月5日、山崎弘也、矢作兼と共に夜に中華料理店へ行き、2人から酒を勧められ、一度は断るものの、この後にオールナイトニッポンの初回放送があるにも拘わらず飲んでしまい、本番で上田に叱られた。
- 前述の様に、番組内で度々ダイエット企画を行っているが、本人曰く、外は色々な誘惑が多い為、家に籠りがちだという。その時の家での生活は、ゲームをして、週刊プロレスを読み、朝から地ビールを飲んで一日を終えるというもので、上田は「俺に言わせればゴミ」だと呆れ返った。
- 番組では「月に一度のお楽しみ」として上田に無茶振りをしていたが、あっさりとこなされる為、有田は「無茶振りなんて大した事無い」と思っていた。だが有田が『むちゃぶり!』という番組を企画して立ち上げて、実際に自ら無茶振りを受けてみると思いのほか難しいと有田は感じ、後にオールナイトニッポンで上田を「無茶振りの天才」と褒めた。
- 2009年4月16日に、『アンタッチャブルのシカゴマンゴ』にゲスト出演。第一声は、有田がオールナイトニッポンの冒頭で必ず口にしていた「まいったね…」であった。その後も、2010年の2月25日から3月18日、そして3月25日に出演。ただし以前の回とは違いアンタッチャブルの柴田英嗣が急な形で無期限休業に入ったためのゲスト出演であった。
出演
以下は、有田哲平のみの出演番組を記載します。コンビでの出演番組は、くりぃむしちゅーの項目を参照してください。
現在の出演番組
- 私の何がイケないの? (2012年10月-、TBS)番組がレギュラー再開
- 有田のヤラシイ... (2014年5月-、TBS)
過去の出演番組
- 生でGONG! X2(FIGHTING TV サムライ)
- 内村プロデュース(テレビ朝日)常連出演
- ぐるぐるナインティナイン(日本テレビ)「かぶっちゃや~YO!」のコーナーレギュラー
- ロンドンハーツ(テレビ朝日、2002年-2003年)
- 目からウロコ!21(2003年-2004年、ニッポン放送)
- 進研ゼミ高校講座Presents 目からウロコ!24(2004年-2005年)
- 恋するハニカミ!(TBS)
- ぶっちゃけ!99(2004年-2005年、TBS)
- 雨上がり決死隊のトーク番組 アメトーーク!(テレビ朝日)不定期出演
- とんねるずのみなさんのおかげでした(2004年-2012年、フジテレビ)「博士と助手〜細かすぎて伝わらないモノマネ選手権〜」のモノマネロボ1号・有田くん(コーナーレギュラー)
- テキトーTV(2005年-2007年、テレビ朝日)不定期放送
- 人志松本のすべらない話 第4弾・第13弾・ザ・ゴールデンSP3(フジテレビ)
- 怒りオヤジ3(テレビ東京)- (2005年12月29日、2006年12月28日、2008年1月10日)
- シュガーヒルストリート(2006年-2007年、日本テレビ)
- 模範解答男(2006年12月27日、フジテレビ)単発特番
- むちゃぶり!(2007年-2009年、TBS)
- 有田&山崎のひきだし太郎(2008年-2011年、テレビ東京)不定期放送
- アリケン(2008年4月-2010年9月、テレビ東京)
- ウンナン極限ネタバトル! ザ・イロモネア 笑わせたら100万円(TBS系、2008年9月、2009年4月、2010年1月)
- クイズ・タイムリミット(2008年5月31日、TBS)単発特番
- ホリペイ(2009年、BSジャパン)
- オレたち!クイズMAN(2009年10月-2010年7月、TBS)
- アンタッチャブルのシカゴマンゴ 複数回出演
- ガッテンお盆臨時営業中「マニアに学ぶ ビールをおいしく飲む法」(2010年8月12日、NHK総合)
- アリなし〜アリケン★ゴールデンスタジアム〜(2010年10月-2011年9月、テレビ東京)
- 有田とマツコと男と女(2010年10月-2011年9月、2012年4月-2013年3月 TBS)レギュラー出演
- 人生が変わる1分間の深イイ話(日本テレビ、2011年9月19日、2012年1月30日にスペシャルコメンテーター枠で出演 )
- 私の何がイケないの?(2011年10月-2012年3月、TBS)レギュラー出演
- アーリーチャップリン(2012年7月3日、TBS)単発特番
- ノープ・ランナー。(2012年10月11日、TBS)単発特番 ( アーリーチャップリンを改題した特番第2弾)
- 有田哲平のちょっといいですか?で始まる番組(2013年6月8日、日本テレビ)サタデーバリューフィーバーの単発特番
- 有田とヤラシイ人々 (2013年4月-2013年9月、TBS)
- 有田のヤラシイハナシ (2013年10月- 2014年3月、TBS)
- ブッキングGP (2014年4月11日、2014年6月25日、フジテレビ)初回はフジバラナイトの特番、第2回はプライムタイムの特番として放送)
- アリさん (2014年8月12日、フジテレビ)単発特番
テレビドラマ
- スタイル!(2000年、テレビ朝日) - 牛膝ジュン 役[48]
- 学校の怪談 春の物の怪スペシャル 第3話「俺たちの文化祭」(2001年3月27日、関西テレビ)
- 春ランマン(2002年、関西テレビ) - 不動産屋 役
- 零のかなたへ〜THE WINDS OF GOD〜(2005年、テレビ朝日)
- 和田アキ子殺人事件(2007年2月12日、TBS) - 三上慶介 役
- パパドル! 第3話(2012年5月10日、TBS) - 本人 役
映画
- ピーナッツ(2006年、コムストック) - アゴ男爵 役
- 宇宙で1番ワガママな星(2010年)
- TSY タイムスリップヤンキー(2012年) - 友情出演
- SRサイタマノラッパー ロードサイドの逃亡者(2012年) - 友情出演
テレビアニメ
- 名探偵コナン(有田学級委員長)
劇場版アニメ
- ドラえもん のび太と緑の巨人伝(2008年、東宝) - パルナ 役
インターネット
- なんでもアリタっ!(2009年、goomo)
- 帰ってきたベタドラマ(2009年、BeeTV) くりぃむしちゅーのたりらリラ〜ンで誕生した企画を復活させた番組
CM
PV
- ZEEBRA「Stop Playin' A Wall」(2006年12月6日、UBG Records)
- 餓鬼レンジャー「CALL 〜Skit〜」アルバム『ラッキー・ボーイズ』収録(2004年7月21日、ビクターエンタテインメント)高田延彦のものまねで参加。
雑誌
- 俺はお前のかませ犬だ!(2010年3月-2011年5月、週刊プレイボーイ)
作品
DVD
- 特典映像(2008年、ビクターエンタテインメント)監督
- シルバーフィクション 第1集(2011年、ポニーキャニオン)
書籍
- プロレスラー 伝説のビッグマウス!(2010年7月、河出書房新社)責任編集
脚注
関連項目
外部リンク
テンプレート:くりぃむしちゅー- ↑ 1.0 1.1 テンプレート:Cite journal
- ↑ テンプレート:Cite book
- ↑ テンプレート:Cite book
- ↑ 日本テレビ『しゃべくり007』2011年2月7日
- ↑ TBS『ぴったんこカン・カン』より
- ↑ 6.0 6.1 テレビ朝日『徹子の部屋』2008年4月23日放送回
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ ニッポン放送『くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン』2008年4月29日放送回
- ↑ テンプレート:Cite book
- ↑ 日本テレビ『しゃべくり007』2009年11月16日放送回
- ↑ テンプレート:Cite book
- ↑ テンプレート:Cite book
- ↑ テンプレート:Cite book
- ↑ 14.0 14.1 フジテレビ『とんねるずのみなさんのおかげでした』他多数の番組で披露。
- ↑ テンプレート:Cite book
- ↑ テンプレート:Cite book
- ↑ テンプレート:Cite book
- ↑ TBS『ズバリ言うわよ!』2007年11月6日放送回
- ↑ TBS『有田とマツコと男と女』2011年4月15日放送回
- ↑ 2009年3月8日「ホリペイ」(BSジャパン)の本人の発言より
- ↑ テンプレート:Cite book
- ↑ テンプレート:Cite book
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite book
- ↑ 有田のヤラシイハナシ 2013年12月13日放送回
- ↑ ニッポン放送『くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン』より
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テレビ朝日『雨上がり決死隊のトーク番組アメトーーク!』より
- ↑ フジテレビ『僕らの音楽 -OUR MUSIC-』2009年5月15日放送回
- ↑ 日本テレビ『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』2008年8月30日-31日放送の深夜企画「どうでもいい世紀の誓い 100連発!」より
- ↑ 金曜JUNK バナナマンのバナナムーンGOLD ポッドキャスト2011年10月21日の回より
- ↑ ブラマヨとゆかいな仲間たち アツアツっ! 2011年11月12日の原口あきまさゲスト回
- ↑ フジテレビ『あっぱれさんま大教授』より
- ↑ BSジャパン『ホリペイ』2009年1月25日放送回
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- ↑ ブラマヨとゆかいな仲間たち アツアツっ! 2011年06月11日の土田晃之ゲスト回での土田の発言より
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- ↑ 1995年10月9日の対安生洋二戦後のインタビュー。
- ↑ 腕固めを仕掛けた際の白目を向く表情(通称「キラー永田」)。
- ↑ クリームシチューに入っていたニンジン、ブロッコリー、カボチャ、シイタケ、マッシュルーム等。他に、キュウリは好きな方だが、トマトは食べられないという。
- ↑ 2011年4月23日放送ニッポン放送「ゴッドアフタヌーン アッコのいいかげんに1000回」での和田の発言より。
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- ↑ 悪いクルトン、略して「ワルトン」とも。
- ↑ 2009年1月25日「ホリペイ」(BSジャパン)の本人の発言より
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