年齢主義と課程主義
年齢主義(ねんれいしゅぎ)と課程主義(かていしゅぎ)は、教育学において教育制度上で対立する二つの主義である。この語には、学年制度・入学制度の場面で使われる意味と、義務教育制度の場面で使われる意味がある。
学年制度・入学制度の意味での年齢主義と課程主義は、学校などにおいて、学習者をどの学年に所属させるか(進級させるか)や、どのレベルのカリキュラムを与えるかや、入学志願者の入学を許可するかを決定する際の、判断基準となる考え方のことを指す。この場合は、年齢主義では、学習者・入学志願者の年齢によって学年・学習内容・合否が決定され、課程主義では、学習者・入学志願者の学力(習熟度・到達度)や履修状況(学歴)によって学年・学習内容・合否が決定される。通常はこの意味で用いられるので、本記事では、主にこれについて詳述する。
義務教育制度の意味での年齢主義と課程主義は、何をもって義務教育期間(就学年限)の開始と終了とみなすかを決定する際の、判断基準となる考え方のことを指す。この場合は、年齢主義では、一定の年齢に達したら義務教育期間は終了し、課程主義では、一定の課程を修了したら義務教育期間は終了する。これについては教育行政学の範疇なので、「義務教育」の記事内で詳述する。
また学年制度・入学制度の意味と義務教育制度の意味の両方において、年数主義という第三の用語が使われる(後述)。
英語では学年制度の意味の年齢主義にage-grade system(年齢-学年制)[1]またはSocial promotion(社会的進級)[2]の語が当てられることもある。
目次
基本解説
年齢主義は図1のように、学習者の年齢によって、決まった学年または学級に所属する形態である。このため年齢主義の学校では、基本的には同一学年には同じ年齢(本記事では、生年月日が1年以上違わない事を指す)の生徒だけが在籍しているが、同じ学年でも生徒間の学力は大きく異なっている。基本的には、生徒Aのように全くトラブルがなく良好な成績評価のまま卒業まで至ることを理想状態としている制度である。生徒Bのように休学期間があっても、復学時は「年齢相当学年(後述)」に復帰する。生徒Cのように途中で成績が低下しても、原級留置は行われずに年を追うごとに進級する。ただし、補習や特別支援学級への移籍などの能力別教育が行われる場合もある。この図では省いたが、成績が良好な生徒に対しても飛び級は行われず、1学年ずつ進級する。ただし、拡充(発展的な授業、エンリッチメント)や才能開発コースへの移籍などの能力別教育が行われる場合もある。異種の制度からの転入生・編入生を除けば原級留置も飛び級も存在しない形態である。日本においては、ある学年に低年齢で在籍できないという問題よりも、高年齢で在籍できないという問題を指す場合に、この用語が使われることが多い。
課程主義は図2のように、学習者の学習段階によって、決まった学年または学級に所属する形態である。このため課程主義の学校では、基本的には同一学年には異年齢の生徒も所属するが、同じ学年の生徒間の学力はあまり異なっていない。生徒Aのような場合は、年齢主義の学校と変わらない進級の仕方をする。生徒Bのように休学期間があった場合は、復学時には以前に在籍していた学年に戻る。生徒Cのように成績が低下した時は、原級留置が行われて同じ学年を再度履修する。この図では省いたが、成績が良好な生徒などに対して飛び級をさせる場合もある。所属する課程は、進級試験の成績などの純粋な学力によって決められる場合もあるし、出席日数などの履修状況や、授業理解力などの知能水準によって決められる場合もある。日本においては、飛び級が行われるという部分よりも、原級留置が行われるという部分を指す場合に、この用語が使われることが多い。
多くの国の学校制度では、完全な年齢主義または完全な課程主義のどちらかであるわけではなく、片方の影響が強いという程度である。例えば日本では、義務教育段階[3]での多くの学校の考え方は年齢主義にかなり近いが、原級留置や就学猶予も稀にあるので、課程主義的な要素も存在する。逆に高等学校では、制度上は課程主義が原則であるが、多くの高校では最低年齢の生徒が多いため、実態として年齢主義的な要素も存在する。また義務教育段階で課程主義を基本としている諸外国でも、原級留置が2回程度しか許可されなかったり、一般的な在学年齢との差が大きい人は在学できなかったりする場合もあり、年齢主義的要素が存在しないわけではない。
年齢主義と課程主義は相互に対立する概念だが、同様な対立する概念として履修主義と修得主義がある。履修主義は授業に出席していれば実際に学力が身に付いたかを問わずに進級または単位取得をさせる考え方のことで、年数主義(後述)と類似した考え方であり、年齢主義ともある程度近い考え方である。修得主義(習得主義)は実際に学力が身に付かなければ次の課程に進まない考え方であり、課程主義と類似した考え方である。ただし、この節の最後で後述するように必ずしも定義は確定していない。ただしどちらも課程主義の一種と考えることもできる。修得主義は真の課程主義であり、履修主義は年齢主義や年数主義に近い課程主義である。
学校の入学志願者に対して入学を許可するかどうかを決定する際の判断基準としても年齢主義と課程主義という用語が使われる。年齢主義の選抜制度の場合は、志願者の学力や学歴に関係なく、一定年齢である場合に入学を許可する。年齢基準は下限のみの場合、上限のみの場合、両方ともにある場合が考えられる。課程主義の選抜制度の場合は、志願者の年齢に関係なく、学力や学歴が基準を満たしている場合に入学を許可する。現実には、「15歳以上、かつ入試問題で一定以上の点を取ること」というように、年齢主義と課程主義を併用する例も考えられる。(なお、入学決定基準の意味では「年数主義」の用語は使われない)
前述した進級基準・入学基準の意味以外に、義務教育の開始時期と終了時期を決める際の基準としても、年齢主義と課程主義という用語が使われる。年齢主義の義務教育制度では、義務教育終了年齢の時点でどの学校のどの学年に所属していても、義務教育期間が終了する。例えば就学猶予をしたり、学齢期に飛び級・原級留置をしたりしても、義務教育終了の年齢は変動しない。課程主義の義務教育制度では、定められた課程を修了していなければ、何歳になっても義務教育期間が継続する。日本など、多くの国の義務教育制度では年齢主義を取っている。多くの地域では、国家の近代化にともなって、義務教育終了基準は課程主義での運用から年齢主義での運用に移り変わってきている。なお、この意味での年齢主義と課程主義は、進級基準における年齢主義と課程主義とは関係がない。たとえば進級基準について課程主義を取っていることで有名なフランスでも、義務教育終了基準は年齢主義であるし、進級制度がどちらの主義であるのかと、義務教育制度がどちらの主義であるのかは、特に関連性がないといえる。この意味の用法については、「義務教育」を参照。
定義の曖昧さ
日本においては、年齢と学習段階のどちらを基準にして進級すべきかという方面の教育制度については、1947年の学制改革以来約60年間にわたり以前の習慣にならう意識が強く、その改革や研究についてはあまり話題にならなかったため、各用語はあまり意味が整理されていない。そのため、年齢主義、年数主義、課程主義、履修主義、修得主義という用語のうち、どの用語にどの意味を付与するかということは、それぞれの学者によって考え方が違うため、事典などでさえも定義が統一されていない。例えば年齢主義と課程主義を、進級基準の意味で解説している事典もあるが、義務教育終了基準の意味で解説している事典もある。また年齢主義と年数主義を同じ意味で使っている事典、履修主義と修得主義を同じ意味で使っている事典も存在する。なお本記事では、年齢主義・課程主義については、記事全体では「何を基準として当該学年に所属させるか(進級させるか)」という進級基準の意味で使用・解説し、「何を基準として義務教育期間の開始と終了とするか」という義務教育終了基準の意味でも、特記した上で部分的に使用・解説している。
また、年齢主義という言葉は、「一定年齢にならなければ入学・進級できない」という意味に使われる場合と、「一定年齢になれば卒業(退学)・進級しなければならない」という意味に使われる場合がある。課程主義という言葉も、「一定の学力がなければ入学・進級できない」という意味に使われる場合と、「一定の学力があれば早期卒業・飛び級できる」という意味に使われる場合がある。このため、上記のようなことを細かく論ずる際には、年齢主義・課程主義という言葉をそのまま用いるよりも、「強制進級制」や「進級試験制」、「飛び級制度」や「最低年齢制限」などの個別の用語を用いた方が理解しやすい場合もある。
年数主義
年齢主義と課程主義とは別の概念として、年数主義(ねんすうしゅぎ)という用語を使用する場合もある。これは日本では年齢主義と同じ意味に用いられる場合も多いが、「在学年齢が何歳であっても、飛び級や原級留置を行わずに進級し、一定期間在学すること」という意味合いで、在学期間を増減しない考え方の意味に用いられる場合もある。例えば日本のように、初等教育への就学年齢がほぼ一定である制度のもとでは、年齢主義と年数主義はほぼ同じ意味となるが、諸外国のように就学年齢をある程度自由に決められる制度のもとでは、年数主義と年齢主義は違った意味合いを持つ。例えば、小学校の修業年限が6年間と決められていて、実際に6年間で修了する場合でも、6歳のときに入学すれば12歳のときに卒業することになるし、8歳のときに入学すれば14歳のときに卒業することになる。このように、在学期間が同じであるが在学年齢が違う場合は、年齢主義とは呼べないが年数主義とは呼べる。すなわち、原級留置・飛び級を行わない制度であっても、就学年齢に違いがあれば同一学年同一年齢でなくなるため、年齢主義と呼ぶことは不適切になるのである。近年、文部科学省の中央教育審議会では、就学年齢の弾力化を検討する際に、これまで年齢主義と同義に扱ってきた「年数主義」の語に対して、上記のような新しい意味を付与するようにすることが提案されている(下記リンク参照)。
上記の三用語を分ける考え方では、一般的には年数主義は課程主義と年齢主義の中間に位置する考え方であるとされている。しかし、年齢主義と課程主義は対立する考え方であるが、年齢主義と年数主義が並存する場合(たとえば就学開始年齢を固定する場合)もあるし、課程主義と年数主義が並存する場合(たとえば出席日数のみを進級の基準とする場合)もあるので、年数主義は必ずしもどちらかと対立する概念ではない。
年数主義は、開発途上国に多い類型であるといわれている。なぜならば、開発途上国では貧困や義務教育制度の不完全さのため、就学時期にばらつきがあるためである。
一方、義務教育終了基準の意味での年数主義は、一定の学齢期に一定期間の就学義務があるという制度のことである。
比較
比較 | 年齢主義 | 年数主義 | 課程主義 |
---|---|---|---|
学年内年齢 | 一定 | 入学年齢が同じ場合は一定 入学年齢が違う場合は不定 |
不定 |
学年内学力 | 不定 入学者選抜により一定以上にできる 学力別学級では学級内学力は一定 |
不定 入学者選抜により一定以上にできる 学力別学級では学級内学力は一定 |
一定 |
飛び級・原級留置 | 同一制度内であれば不可能 異制度からの転編入では存在 |
不可能 | 可能 |
高年齢での入学・就学猶予 | 不可能 | 可能 | 可能 |
成績不良者に対する対応 | 補習 | 補習 | 原級留置、補習 |
成績優秀者に対する対応 | 拡充(発展的な授業) | 拡充 | 飛び級、拡充 |
年齢主義の制度においては、在学者の学習段階を考慮せずに一律に進級させることになるため、同じ年齢の生徒が同じ学年に所属し、同年齢集団を形作る。また、成績の良し悪しによって所属する学年が変わらないため、原級留置になったことによる敗北感・劣等感を与えないということもある(もっとも、原級留置になったことによって劣等感・敗北感が生まれるかどうかはその文化圏によって違うが)。体力・社会経験などを考えると、小学校段階、あるいは中学校段階までは同年齢集団での教育が望ましいとの考え方もある。同じ学年に学力が違う生徒が所属することによって起こる問題については、成績不良者に対する補習、成績優秀者に対する拡充(発展的な授業、エンリッチメント)、習熟度別学級編成[4]、入学者選抜などの、能力別教育を実施することによって緩和され、ある程度個人差にあった教育が可能である。ただし逆に言えば、こういったフォローがしっかり行われないと、学業不振者を見捨てることになる制度でもある。
しかしながら、「年齢相当学年(後述)」の学習内容と本人の学力の差が2学年程度であれば、上記のような能力別教育などで対応できるが、大幅に年齢相当学年の学習内容と本人の学力相当の学習内容が異なる人の場合はそれも困難である。また、すでに最高学年の相当年齢を過ぎた人(学齢超過者)に至っては、入学すらできないことになる(学齢も参照)。学校教育は若年者のみが享受するものではなく、生涯学習の重要性が叫ばれているが、高年齢を理由として入学が不能になると、若いころ学校教育が受けられなかった人はもはや学校教育を受けることが不可能になるし、一度学校に行ったものの学習成果がなかった人に対してもやり直しのチャンスを与えないことになる。また、年齢主義の制度のもとでは、拡充・補習を行うかどうかに関わらず、学年が高くなるほど生徒間の学力差が増大してしまうという問題があり、一定の課程を修了していなくても自動的に学校を卒業することになるため、形式的卒業者が増え、その学校を卒業したことによる「一定の学力がある」という社会的信用が失われる。また、習熟度にあった十分な教育が行われないと、本人の基礎学力がなくても自動的に進級することになるため、学年が進むにつれてますます授業を理解できなくなり、落ちこぼれを作ってしまうという問題がある。逆に成績が優れている生徒の場合は、授業で教わることをすでに知っていたりして、浮きこぼれとなってしまう。また、年齢主義を取っていない学校や、外国の学校などの全くカリキュラムが違う学校で過ごしてきた生徒が転編入する際に、以前のカリキュラムと合わない学年に編入されてしまうという問題がある。これは上学年に編入される場合、望まない飛び級といわれる。
課程主義の制度においては、学力を基準として学習集団を作れるため、学級内の学力の水準は同質であり、授業がすすめやすい。また、選択的不登校や身体療養などのための休学の後も、学年は自動的には進級していないため、自分の年齢に追われずにゆとりを持って教育を受けられる。また、年度末生まれなどで発達がゆっくりしている児童でも、就学猶予や低学年時の原級留置を行うことにより個人のペースにあった授業を受けられる。また、年齢主義制度で見られる、補習授業や拡充授業を行う際の、同年齢集団から同学力集団を抽出するという手間が存在しないため、学校側にとって教育課程の運営がしやすい。またこれは副次的な効果であるが、異年齢学級では学力的には等質でも社会体験の異なる集団での学校生活となるため、現実社会と同様な場を作れる。
しかしながら、学力のみを進級基準とした制度のもとでは、成績が著しく悪い生徒は何度も原級留置をすることになり、そういった生徒への適切な支援が難しい。また、知的障害や学習障害など、学習面で障害がある生徒の場合、進級基準を杓子定規に適用すると、何年たっても最低学年のままになるという問題が発生してしまう。こういった生徒に対しては特別支援学級や特別支援学校などの特別支援教育の場で教育するという配慮をすべきだといわれるが、明らかに重度の障害の場合は所属先を迷わずにすんでも、ボーダーライン上にある生徒の場合は、どこからどこまでが健常で、障害なのかを分けることが難しいため、普通学級で補習を受けながら原級留置をするか、特別支援学級で特別支援教育を受けながら進級するかを決める判断が難しい。実際、明治初期の日本の小学校では厳格な進級試験があったため、障害児は落第を繰り返すことになった(後述)。また、低年齢で高い学年に飛び級できる制度のもとでは、低年齢で上学年・上級学校に行くのは心身発達の面で生徒にとって好ましくないという説もある(ただし高等教育段階では悪影響は少なく、アメリカ合衆国では大学早期卒業者の将来は良好なようだ)。
年齢主義と課程主義のどちらが生徒にとって優しい制度であるのかについては、はっきりとした答えは出されていない。原級留置になることや同年齢平均者に対して学年が低いことを恥とみなす文化圏では年齢主義が歓迎され、そうでない文化圏では課程主義が歓迎される傾向がある。たとえば心理学者の河合隼雄は1960年代のスイス在住時に、現地の学校では低年齢でも原級留置が行われることに驚いて、日本ではそういうことはないと誇りながら言ったら、逆に現地の教員から日本の教育は不親切だと言われたという話がある (講演を参照)。また、どちらの方式が生徒自身が他人との能力の差を気にしなくてよいのかということも一概には言えない。年齢主義の場合は自分の所属学年を見ただけでは能力差を意識しにくいが、同学年の生徒間では能力差が大きいため、日常的な学校生活では他生徒との能力差を意識するシーンが多い。課程主義の場合は自分の所属学年によって能力差を意識せざるを得ないが、同学年の生徒間の能力差はあまりないため、日常的な学校生活で能力差をあまり意識せずにすむ。しかし日本では、ほとんどの小中学校が年齢主義を基本として運営されているという画一的な状態であるため、日本国内での両者の比較は難しいという問題がある(後述)。もっとも、こういった比較は学齢者の場合であって、学齢超過者の場合は、年齢主義の制度のもとでは原級留置の弊害を議論する以前に入学すらできないという大問題があるので、課程主義または年数主義の制度でしか対応できないことになる。
また、課程主義制度の場合は、同年齢の平均よりも下の学年に在籍していることが、能力的な劣等感を生むといわれるが、年齢主義制度であっても、完全に一律化(平等化)された教育が行われているのでない限り、学力によって個別に教育方法が変わるし、成績評価も変わる。すなわち、習熟度別学級で基礎クラスに在籍していたり、あるいは放課後に補習を受けたりする場合や、テストや通知表の評価が低かったりする場合でも、学年の違いほどではないが「他の同年齢の生徒と違う」という劣等感の原因となるので、年齢主義制度だからといって劣等感を生まないわけではない。
課程主義の制度のもとでは、進級時期が来るたびに学力などによって各生徒が振り分けられるが、年齢主義の制度のもとでは、クラス替えを行わなければ毎年同じクラスメートになる。このため、課程主義では進級時期の度にクラスのメンバーが変わるので、同級生と離れ離れになる体験を味わうというマイナス面が指摘される。しかし、逆に飛び級や原級留置をすることによって新しい同級生と知り合える機会も2倍増えるうえ、もとの学年でいじめが存在した場合も加害者と離れられるので、必ずしもマイナス面ばかりではない。また、授業時間外で友人間の交流が容易な場合は、離れ離れになることによる問題は緩和できる。また、クラスのうちどのくらいの生徒が飛び級・原級留置の対象となるかによっても影響の度合いは変わり、クラスで2、3人程度しか飛び級・原級留置をしないのであれば、新しいクラスには前の同級生が誰もいない可能性が高いが、クラスの数割が飛び級・原級留置をするのであれば、新しいクラスにも前の同級生がいる可能性が高くなる(もっとも、1学年を進級単位とする学年制においては、クラスの数割も飛び級や原級留置をすることはほとんどないであろうが、6ヵ月進級制や3ヵ月進級制においては、そういったことも考えられる)。
また、「等質集団」と「異質集団」のどちらが教育効果が高いかという観点も色々な論がある。課程主義は学力的な等質集団、社会的な異質集団を形作り、年齢主義はその逆である。一斉教授法のもとでは、学力的な等質集団の方がずっと授業がしやすい。しかし、習熟度別学級編成には効果がないとする論者からは、「協同学習」や「共学び・共育ち」という標語のもと、学力異質集団の方が教育効果は高いという意見も出されている。しかし逆に、年齢階層が異なる社会的異質集団の方が社会的な面の発達が促されるという意見もあり、どちらがより良い方法であるかは不明である。ただし、年齢主義の制度でも、イベント時などに異学年生徒と触れ合うという形で、異年齢集団との交流を実現することも可能ではある。
両者の中間に当たる年数主義の場合は、入学時期が適切であれば、課程主義に見られる原級留置の悪影響などもなく、年齢主義に見られる発達段階に合わない授業もない。ただし、入学年齢が可変である以外は年齢主義と同様であるため、入学後の成績の変化などに対しては対応できないという問題がある。
こういった年齢主義・課程主義・年数主義という考え方は、全教科・全科目を特定の学年や等級に所属して学ぶという、従来の学年制や等級制のシステムにおける考え方であるが、これ以外にも、グッドラッド・アンダーソンによって提唱された無学年制や、教科ごとに違う学年で学ぶという部分飛び級・部分原級留置の形を取ったシステムなど、新しい取り組みはいくつか存在する。ただし、決定的な改良案といえるものは存在しないようだ。
よくある誤認識
前述のように、年齢主義を取る制度では集団内に学力が異なる生徒が存在するという問題はよく注目されるが、それと同様に集団内に社会性や体格などが異なる生徒も存在するということにも注目しなければならない。生年月日を基準とした年齢主義を押し通すことは、むしろ知能年齢や肉体年齢や社会性の発達段階などの、いわば発達年齢の差を生むことになってしまう。もっとも課程主義でも社会性や体格ではなく学力に応じて学年が決まるため、この問題は課程主義にすれば解決するわけではないが、年齢主義で運用したとしても、異質になるのは学力だけではないという事にも留意すべきである。そもそも心理学的には、平均的に見ると社会性と知能・学力は一緒に発達するものであり、学力が高い生徒は知能や社会性も発達している例も多いため、むしろ課程主義の方が発達年齢が似通った生徒が集まる可能性もある。
課程主義の導入に対する懸念を持っている側からは、「課程主義を導入すれば、成績が悪いと原級留置になってしまうので、学校生活が窮屈になる」との批判があるが、課程主義は必ずしも成績が悪ければ強制的に原級留置をすることになる制度を意味するわけではない。進級基準の厳格化は学力低下の対策として万能ではなく、本人が原級留置に対して抵抗があるのに成績不良を理由として強制的に原級留置を行うと、学習意欲が減衰したり不登校になったりするため、むしろ逆効果になることが予測できる。このため公立小中学校であれば、成績不良であっても強制的に原級留置にすることは避けるべきだとされている。実際に課程主義を取っているフランスでも、進級に当たっては本人や保護者の意見を聞くようになっている。また原級留置は欠席のために授業を受けられなかった場合や、外国からの帰国直後などで語学力が不足していた場合に限定すべきだといわれる。なぜなら、そういった理由があったために履修が困難だった場合は、原級留置後に十分な条件で授業を受けることによって対応できるが、1年間毎日出席して授業を受けているにも関わらず成績不良となった場合は、通常の授業では効果が薄かったことを意味するので、そういった生徒が全く同じ内容の授業を翌年にもう一度受けたとしても、効果的に学力が身に付くとは考えにくいからである。この観点からすれば、成績不良を理由とする原級留置の効果は薄いと考えられるので、学業不振の生徒に対しては、補習、カウンセリング、特別支援教育の実施というように、個人にあった支援を検討するべきである。また、現行の原級留置制度は、1年を単位とする学年制のもとでは失うものが大きいという欠点もある。例えば約1年休学した生徒であれば原級留置になるのは迷わないが、半年間休学した生徒は、原級留置にするべきか、補習を受けつつ進級すべきか迷うという問題がある。ただし、成績不良の生徒であっても、8歳ごろまでであれば、生まれ月、出生時体重、幼稚園・保育所就園の有無、家庭環境などで個人差が大きいため、現時点での成績が悪くても時間を与えることで個人差をカバーできると考えられるので、就学猶予と同様な考え方のもとに、原級留置によって発達を待つという考え方もある。
なお、課程主義の定義に対する混乱や知識不足から、財政面について誤った見解が出される場合もある。たとえば、「義務教育費国庫負担制度がある国では、義務教育期間に原級留置が行われると教育税が1年分余分に国庫から支出されてしまうため、原級留置の適用拡大は国家財政に負担を与える」という主張が時折見受けられる。しかしこの説は、「一定の課程を修了するまで無償の義務教育期間が終了しない」という制度を指している「義務教育終了基準についての課程主義」によって義務教育制度が運営されている場合であれば、原級留置が行われると義務教育期間が延長するので、正鵠を射ているのであるが、「一定の年齢に達するまで無償の義務教育期間が終了しない」という制度を指している「義務教育終了基準についての年齢主義」によって義務教育制度が運営されている場合には、原級留置が行われても一定年齢で義務教育期間が終了するため、的を射ていない説なのである。よって、上記のような主張を根拠とした「課程主義の導入は国家財政に負担を強いるので反対である」という意見は、「義務教育終了基準についての課程主義」を導入しようとすることに対する批判なのであれば当てはまるのであるが、「学習者が一定の課程を修了しなければ学年を進級させない」という制度を指している「進級基準についての課程主義」を導入しようとしていることに対する批判なのであれば、無関係なので当てはまらない批判なのである。要するに、義務教育期間の終了基準が年齢主義で運用されていれば、学齢超過者の授業料は原則として自己負担となるので、原級留置が増加しても財政面での負担は増加しないのである。また、飛び級も可能とする課程主義制度を取った場合は、たとえ義務教育期間の終了基準までも課程主義に変更しても、原級留置と飛び級がほぼ同数であれば、財政面の負担は変わらないと考えられる。
実例
下記のように、全ての教育方針が年齢主義と課程主義のどちらかに分類できるわけではなく、両方を部分的に併用している場合もある。
- 完全な年齢主義のみの例
- (進級時)4月1日時点で7歳であれば小学2年生、8歳であれば小学3年生という風に、学力に関係なく完全に年齢と学年を対応させる。病気などで欠席しても年齢とともに進級する。
- (入学時)入学資格が「4月1日時点で15歳である者」で、学歴要件や入学試験はない。
- 年齢下限のみの年齢主義のみの例
- (進級時)4月1日時点で7歳であれば小学2年生以下、8歳であれば小学3年生以下という風に、学力に関係なく年齢によって学年の上限が決まる。
- (入学時)入学資格が「4月1日時点で15歳以上である者」で、学歴要件や入学試験はない。
- 履修主義の課程主義のみの例
- (進級時)出席日数が足りていれば進級し、足りなければ原学年に留め置かれる。年齢と無関係に学年が決まる。
- (入学時)入学資格が「3月に中学校を卒業する見込みの者、または中学校を卒業した者」で、入学試験や年齢制限はない。
- 修得主義の課程主義のみの例
- (進級時)進級試験に受かれば進級し、落ちれば原学年に留め置かれる。年齢と無関係に学年が決まる。
- (入学時)入学試験に合格しなければならないが、学歴要件や年齢制限はない。
- 履修主義かつ修得主義の課程主義のみの例
- (進級時)進級試験に受かり、出席日数が足りていれば進級し、進級試験に落ちるか出席日数が足りなければ原学年に留め置かれる。年齢と無関係に学年が決まる。
- (入学時)入学資格が「3月に中学校を卒業する見込みの者、または中学校を卒業した者」で、入学試験に合格しなければならないが、年齢制限はない。
- ただし中学校の卒業可能年齢が一定以上の場合は、実質的に下限のみの年齢主義も内包している
- (入学時)入学資格が「3月に中学校を卒業する見込みの者」で、入学試験に合格しなければならないが、年齢制限はない。
- ただし中学校の卒業年齢が一定の場合は、実質的には完全な年齢主義に近い
- 年齢下限のみの年齢主義+修得主義の課程主義の例
- (進級時)進級試験に受かれば進級し、落ちれば原学年に留め置かれるが、4月1日時点で7歳であれば小学3年生以上になれず、8歳であれば小学4年生以上になれない。
- (入学時)入学資格が「4月1日時点で15歳以上である者」で、入学試験に合格しなければならない。
- 年齢上限のみの年齢主義+修得主義の課程主義の例
- (進級時)進級試験に受かれば進級し、落ちれば原学年に留め置かれるが、4月1日で7歳であれば小学1年以下になれず、8歳であれば小学2年以下になれない。
- 完全な年齢主義+修得主義の課程主義の例
- (進級時)4月1日時点で7歳であれば小学2年生、8歳であれば小学3年生という風に、完全に年齢と学年を対応させ、進級試験に合格できなければ退学になる。
- (入学時)入学資格が「4月1日時点で15歳である者」で、入学試験に合格しなければならない。
- 完全な年齢主義+履修主義かつ修得主義の課程主義の例
- (入学時)入学資格が「4月1日時点で15歳である者」と「3月に中学校を卒業する見込みの者」で、入学試験に合格しなければならない。
以上のように、実際の制度は年齢主義あるいは課程主義の一言で言い表せるものではなく、細分化されている。また、ある学年は基本的に原級留置を行わず、ある学年で厳しく落第させるといった、学年ごとに方針が異なるという例もある。
世界的な流れ
年齢主義も課程主義も、学校が現れてからの概念であるが、必ずしも普遍的な義務教育制度が完成してからの物ではない。古代より学校そのものは存在し、一部の階層を対象に教育が行われていた。近代的な学校以前の教育施設は、制度も目的も対象者もさまざまであり、また初等学校と高等学校との連携が取られていたわけではない。
傾向的には、世代が下るにつれ初中等教育が年齢主義的になっている。これらは、義務教育制度が発達し、児童労働の防止の観点から就学義務が設けられるなどの趨勢と一致し、小学校は児童のための学校という認識が強まっていった。また、徴兵制などのもとでは、知識レベルではなく体格レベルでまとめた方が将来の兵士の養成に役立つため、学校もそういった形態になりやすい。例えばナチスドイツ期のヒトラーユーゲントや、日本の青年学校なども、徴兵制などと密接なかかわりがあった。学校と軍のかかわりが強いと、国民の錬成の観点からも年齢主義は歓迎される。
学校を知識習得のための場としてだけみるならば、年齢主義は意味がないが、心身の発達に応じて教育を施すことを目的とするのであれば、やはり同年齢教育に近い方が指導しやすい。この点は、学校外教育がどの程度充実しているかによっても異なり、例えばボーイスカウトなどの青少年の共同団体が一般的である社会とそうでない社会によっても異なる。また専業主婦が多かったり、大家族が多かったりする社会では、学校は純粋に知識の獲得のみの役割を担うことが容易である。
しかし、生涯学習の理念に基づき、教育は若年期だけのものではないという考えから、各国で在学年齢の広範囲化がすすんでいる。これらは特に大学などで顕著で、欧米ではさまざまな年齢の大学生が存在する。また積極的に低年齢者を大学に入学させている国も存在するなど、制度はあくまで二の次であり、個人の特性を第一に考えている場合も多い。
歴史的には、近代的学校制度が整うまでに一般的であった年齢階梯制の役割を、学校が肩代わりしていくといった変化が見られる。当初は、知識を得る場としての学校や私塾と、同年齢集団である青年団や若者組は、明確に異なるものであったが、学校が同学年同年齢のシステムに近づいていくに伴い、学校が同年齢集団の場と化していった。特にこういった傾向は、日本のような1日の授業時間の長い学校制度で顕著である。
また、年齢主義は年齢を基準にしてあらゆることが決まるため、生年月日の記録がしっかりしていない社会では機能しない。現代でも生年月日をあまり正確に記録していない地域があるが、この場合は精密な年齢主義は不可能である。こういったことから、年齢主義の普及には戸籍制度などの進化が前提となる。社会と政府の近代化に伴い、同年齢教育が実行可能になったといえよう。また、児童労働の防止を目的とした義務教育制度の発足により、特定年齢層の全員就学の必要性が高まったことも原因である(「義務教育」の記事を参照)。
日本における歴史
能力主義の時代
江戸時代は寺子屋で町民の子弟を教育していたが、ここには年齢による学年は存在せず、師匠が生徒の進度にあわせて教育するという形態を取っていた。1868年(明治1年)の明治維新の影響で、1872年(明治5年)に学制が公布されて近代的な学校制度が始まり、学齢児童の就学が行われた。学制下の下等小学と上等小学では、等級制という半年間のレベル別学級に分けた進度別編成が行われ、どちらの小学校も8等級あり修業年限は4年間であった。等級制のもとでは、月ごとの小試験、期末の中試験(進級試験)、学校末の大試験(卒業試験)によって厳密な進級・卒業判定がなされた。当時のこの風景は今でも季語に残っており、「大試験 学年試験 進級試験 卒業試験 受験 及第 落第」が春の季語となっている。また飛び級も可能であったため、進級試験の際に数段階進級した生徒もおり、例えば夏目漱石は2回(学年制に直せば1年になる)の飛び級経験がある(ただしその後落第した)。また小学校入学年齢の下限は一応存在したが、厳密に守られていたわけではなく、寺田寅彦のように1年程度早期に入学する例もあった。
当時の学校は、同じ等級に属していても年齢はかなり隔たりがあった。一例を挙げれば、1877年の大分県の下等小学第八級(現在の小学1年前半の時期に相当)には2万2千人が在籍していたが、在学年齢は3歳6ヶ月から19歳2ヶ月までであった。また下等小学第二級(現在の小学4年前半の時期に相当)では540人が在籍していたが、年齢は8歳1ヶ月から18歳7ヶ月であった。このように、現代では幼稚園から大学に通っていてもおかしくない年齢層の人が同じ学級で学んでいたのである。勿論ながら、中学校や専門学校ではさらに年齢はばらばらだった[5]。このように、実質的には年齢に縛られない明確な課程主義に基づく制度であった。ただし、学制では小学、中学については在学年齢が下限・上限ともに明文化されており、制度上はかなり厳密な年齢主義のような形で書かれているが[6]、実際にはこの規定は前記のように有名無実であり、教育令期以降は年齢上限の規定は廃された。
- 留年・中途退学問題への取り組み
- 46ページに年齢と等級の表がある。また徳育や体育は異年齢集団では難しいとの解説がある。
しかしながら、すぐに進級不可能な児童が下級に蓄積されていく一方であり、教員数などの面で教育に困難をきたしてしまった。たとえば、明治8年の下等小学では、最初級である第八級に在学している児童が65%で、第七級に在学している児童が17%であり、現在の一年生に相当するこの二つの等級の児童が82%と飛躍的に多く、上の等級に上っていくに連れて急激に減少している。このように、初級をずっと繰り返して4年間過ぎてしまうという例がかなりあった。また上等小学にいたってはわずか0.1%ほどであり、これは明治19年になっても0.8%でしかなく、ごくわずかの児童しか通えなかった。この原因としては、以下のものがあげられる。
- 本来、等級制は1等級当たり教員一人が担当することを前提とした形態だったが、実際には1校(8等級)に正教員が1人だけしかおらず、代用教員などを含めても3名程度しかいないというような例が多く、教員の質量の不足のため合級授業(複式学級)とせざるをえなかったこと
- 当時は統計上2.27%程度存在する知的障害者などの存在にはあまり注目されておらず、特別支援学級もなく、特別支援教育の考え方もなかったこと
- 年少者の労働が多く、また急速な学校制度への反発のため、就学率が1873年(明治6年)には28.1%、1885年(明治18年)には49.4%(ただし欠席者や学齢超過者を除いた実質就学率は1873年15.1%、1885年30.5%である)と低く、欠席数も多かったために十分に授業を受けられないという環境だったこと
- 1学級の定員が80人程度であり、現代の40人定員の2倍であったにもかかわらず、教室は現在より少し狭かったという過密状態だったこと
- 下等小学第七級(現在の小学1年後半の時期に相当)の書き取り試験の問題に「茄子、箱、寒暖計、鶴、単衣」のような漢字が出されるなど、進級試験の難易度が高かったこと[7]
このように社会的に教育環境が整っていなかったため、一定の課程を修めることを進級の前提とする方式では破綻をきたしてしまったのである。開智学校のような近代的建築で有名な学校は、政府が特に力を入れたモデルスクールであり、大部分の小学校は劣悪な環境であった。こうした問題に対する対策として、徐々に年齢主義も取り入れられるようになっていった。また、落第を繰り返す児童のうち少なからぬ者が障害児であったとされているが、そういった児童に対する教育の場として1890年に松本尋常小学校では落第生学級が設置された(日本初の特殊学級)。
年齢主義の導入
1885年(明治18年)には、これまで6ヶ月だった小学校の1等級の期間が1年に変更され、現在の学年に近い形となった。また、1891年(明治24年)には学年という概念が用いられるようになり、等級制から学年制に移り変わりはじめた。そうして1900年(明治33年)の第三次小学校令では、「試験ヲ用フルコトナク児童平素ノ成績ヲ考査」と定められ、反対意見もあったが小学校における次学年への進級試験や卒業試験が廃止された。1925年になると、旧制中学校の入学者のうち大体13歳(現役)である尋常小学校卒業者が50%を上回り、学年差=年齢差という形態に近づいていった。難関中学校は浪人が多かったが、そうでない学校は現役生が多かったため、そういった学校ほど学年内の年齢差は少なかった。ただし、入学時年齢には5歳程度の幅があり、卒業時年齢も20代後半や30代前半という例も見られる[8]。また、師範学校においては一般入試よりも推薦入学のほうが多かったため、旧制中学よりも年齢差は少なかったとされる(ただし第二部では年齢層は高めかつ広めであった)[9]。こうして、次第に年齢主義的な運用に近づいて行き、また実際に年齢差が縮小して行ったため、学校においても長幼の序が重んじられるようになり、年下の者が年上の者を追い越すことが不敬とされ、徐々に年齢階級的な意識も広まってきた。そのため、この時代あたりから学年差による年功序列的な「先輩・後輩」関係が現れるようになったとされる。一方、飛び級(飛び入学)については、五年制中学校を四年修了した段階で上級学校に進学できる四修などで、ある程度は認められていた。(不破哲三などが体験者)。また、旧制高校においては、ずっと年齢のばらつきが大きい状態が続いた[10]。
明治30年代の学校制度では、修業年限は小学校6年、中学校5年、高等学校3年、大学3~4年であり、6歳から就学して留年や飛び級や浪人をせずに進学していけば、23歳~24歳で大学を卒業することになるが、上級学校と下級学校の接続が円滑でなかったため、進学の難易度が高く、平均的な大学卒業年齢は26歳~27歳であったといわれている[11]。このように、むしろ現役進学者にあたる年齢層の方が少数派ですらあった。学校制度を扱う文献などには、戦前の学校系統図が掲載されていることがあるが、中には大学院段階まで年齢が付記されている場合がある[12]。しかし、特に戦前はこのように年齢的な集約性が低かったので、中等教育以降に年齢を付記するのはむしろ弊害がある[13]。外国でも同様な図はあるが、高等教育以降に年齢を付記していない例や、後期中等教育以降に年齢を付記していない例もある。また、図の学校の部分に網掛けをするなどして「義務教育である」と表示している例も見られるが、完全に課程主義の義務教育制度の場合は問題ないものの、年齢主義の義務教育制度の場合は、図と異なる年齢でその学校に在学していた場合に現実と合致しない表記となってしまうため、問題がある[14]。
なお、戦前においては制度上の年齢主義はさほど強固ではなかったものの、法規によって入学年齢の下限が定められている例も多かった。例えば中学校・高等女学校はともに12歳が下限であり、高等中学校は17歳が下限であった。とはいえ後述のようにわずかにそれより若い年齢での入学はあったようだ。なお、戦前・戦後とも法規において年齢の下限が定められていない学校種は多いが、それでも下級学校の卒業を入学要件としているので、実質的な下限はあるとみなせる。
現代では学校種ごとの在学年齢の統計は一部を除いて取られておらず[15]、学校基本調査でも特別支援学校と高校通信制課程にしか年齢回答欄がない。しかし戦前は比較的在学年齢の統計が充実しており、府県統計書では小学校の年齢項目は見当たらないものの、中学校などの入学・卒業時点の年齢については、多くの県で掲載されている[16]。中学校の最低入学年齢はほぼ12歳で、まれに11歳代後半の例が見られる程度であるが、明治末期の私立中学校に27歳の入学者がいるなど、最高年齢はかなりばらつきがある[17]。障害者向けの学校はさらに幅広く、例えばある県の盲学校は、昭和初期の初等部の第一学年入学時年齢は6歳から15歳、中等部の入学時年齢は12歳から44歳と幅広く、また他県の聾唖学校の初等部も年齢的に幅広い[18]。また、中学校などの落第・及第の統計も取られており、落第者の比率は、明治末期では中学校で1割程度、高等女学校ではわずかであり[19]、昭和初期には低下が見られる。
1945年の太平洋戦争の敗戦を受けて、1947年に学制改革が行われた。これによって義務教育年限は9年間となり、年齢相当学年(後述)からの飛び級は禁止された。終戦からしばらくの間は、小中学校は基本的には年齢主義であるものの、貧困から学齢を過ぎて就学する人、学齢期でも周囲の児童より年齢が高い児童なども多く、欠席日数などによる原級留置などもあり、飛び級禁止になった以外は課程主義の要素も残った。しかし徐々に同一学年同一年齢になってゆく。もっとも、小中学校における原級留置については、後述のように統計は存在しないので数値的には判断不能であるが、時代を下るにつれて減ってきているといわれる。一方、就学猶予と就学免除については、統計では1970年代を境として著しく減少しているが、これは小学校入学者のうちの就学猶予経験者が激減したということを表しているわけではなく、1979年に養護学校が義務教育学校となり、重度障害児も全員入学できる制度になったことが大きく影響している。学制改革以来、21世紀までに学校制度はほとんど変更されていない。
一方、義務教育期間の終了基準については、学制発布当初から年齢主義と課程主義の併用によって決定されていたため、一定の教育課程を修了していない場合は、学齢を超過するまでは就学義務が存在した。たとえば小学校令(明治33年)では、「尋常小学校ノ教科ヲ修了シタルトキヲ以テ就学ノ終期トス。」となっており、学齢期は6歳から14歳までの8年間であった。このように当時は義務教育期と学齢期が違う概念だった。この課程主義は、1941年の国民学校令によって「満14歳ニ達シタル日ノ属スル学年ノ終迄」とされて完全な年齢主義に転換するまで続いた。以後、現在に至るまで義務教育期間の終了基準は年齢主義である。これについては「義務教育」の記事で詳述する。
なお、戦時中は徴兵の観点から、男子に対しての定時制義務教育として青年学校制度が制定された。これも同年齢層に対する教育が前提であった。
なお、戦前は出生届に医師の証明書が必須ではなかったため、恣意的に戸籍上の生年月日を操作することも可能であった(特に丙午に当たっていた1906年(明治39年)など)。戦後生まれでも大島健伸の様に、学校入学時期を早めるために生年月日を偽った例もある[20]。
学校の役割の変遷
よく学校は知育・徳育・体育の場であるといわれるが、学校が同年齢集団となる場合、知育の場としての性格が薄れて行く傾向が見られる。
前述の通り、江戸時代においては寺子屋などの私塾が読み書きそろばんの習得の場であった。畿内では男性の識字率がかなり高く[21]、これは寺子屋の貢献が大きいといわれる。明治時代に学校制度が施行されてからもしばらくの間は、小学校は進級試験のある課程主義で運営され、それまでの寺子屋に代わる日常生活のための識字の場であり、また立身出世のための学問の場でもあった。しかし軍国化がすすむに伴い、知育よりも軍役に耐える国民を作り出すための体育が重視され始め、国民学校制度の頃にはほぼ年齢主義となった。戦後もこの影響は払拭できず、ほとんどの小中学校は同学年=同年齢の集団に対する教育の場と位置づけられた。年齢主義を徹底すると、学年は能力に応じて所属する教育の場ではなく、同年齢者の集合する場となるため、様々な個別化教育を行わないと能力に合った教育が難しくなる。しかしながら、日本では諸外国のように個人の能力差に応じた教育があまり行われなかったため、学習指導要領が簡素化されてからは学校で十分に進学のための知識を習得することは難しくなり、学習塾が人気を呼ぶこととなった。
進学志向の強い生徒や家庭は、公立の小中学校では高校受験や大学受験に適した学力を身につけることは困難だと判断し、学習塾や予備校や学習参考書や通信教育を利用し、独学傾向が強まって行った。また、長期欠席生徒が進学を目指す場合もそうならざるを得ない。こうなると小中学校は学力を身につける場という性格が薄れていき、通塾率の高い地域においては、学校は社会教育の場、塾は受験勉強をする場という住み分けすらなされている。一方、私立学校においては知育重視の教育をするところもあり、必ずしも学校離れが起きているわけではない。
このように、江戸時代における知育の場は寺子屋などの私塾であったが、明治時代にはそれが小学校になり、高度経済成長期以降には再び学習塾や予備校などの学校外教育機関に戻るという変遷をたどっている。現代では学校以外にも学びの場所は多いため、相対的に学校の魅力や必要性が低下している。こういった状況は、塾の費用を負担できない階層や教育に対する意識が少ない階層にしわ寄せが行くため、学力格差・教育格差や学力低下としてよく批判される。しかし、日本ではすでに識字率が高止まりし、それ以上の学校知があまり社会で役に立たないという共通認識も強いため、あまり深刻には受け止められていない。ただ、中学校までもが幼稚園と同じように同年齢教育の場になっているため、学習者の年齢によっては学校教育が受けられず、独学や学習塾などに頼るしかないという本末転倒な状況は依然として存在する。
日本における現状
日本の学校教育は、法制度における規定(建前)と実際の運用(実態)が異なっている場合や、教育者の目標(建前)と生徒・親の行動(本音)が異なっている場合がかなり存在する。これは特に在学年齢について著しいため、初学者にとっては非常に理解しづらい。そのため、まずは「制度と実態が大きく乖離している」と認識することが実態を理解する上での近道である。
現代の日本では、以下のように就学前の教育施設および児童福祉施設と、前期中等教育までの学校と、後期中等教育以上の学校で大きく年齢主義と課程主義の運用方法が分かれる。法律上は、在学年齢に上限があるのはグループ1のみで、グループ2以上は上限がないとされているが、実態はそれほど単純ではなく、年齢によってかなり縛りがあるということが重要である。
- グループ1
- グループ2(義務教育諸学校)
- グループ3
(上記のグループの名前は本記事のみで通用する区分である)
ただし、中学校の夜間学級・通信教育課程のようにグループ2に所属しながら実態はグループ3のものとなっているという場合や、特別支援学校の小学部・中学部などのようにグループ2に所属しながらグループ3の特徴もあわせ持っているという場合もあり、必ずしもすべての学校で明確な区切りがあるわけではない。
グループ1のうちの就学前教育を行う施設は、法制度上も年齢主義での運用となっており、実態も年齢主義での運用となっている。このため、所属するのは幼児のみである[22]。
グループ2の小学校・中学校などでは、基本的には年齢主義を取っており、複式学級を除けばある学年に所属する児童生徒はほとんどが同一年齢である。制度上は原級留置など課程主義的な運用も可能であるが、実際には成績不良・長期欠席でもほとんど進級・卒業をさせており、生徒が「今の学年にとどまりたい」と希望し、かつ保護者がこれに同意してもほぼ強制的に進級させられるケースもある(後述の裁判例を参照)。この理由としては、年齢主義で運営してきた長年の習慣があることと、学校教育法で義務教育期間の終了を年齢基準としていること[23]があげられる。ただし、必ずしも硬直的な年齢主義のみで運営されているわけではなく、原級留置や就学猶予は皆無ではない。一方、年齢相当学年(後述)を超える飛び級については、一律禁止となっている。公立学校では学年内能力別教育はあまり存在しない。
日本では4月1日時点で満6歳から満14歳である人に対し、学齢期という呼び方がなされ、日本国民にとっては学齢期は義務教育期と同等となっている。また、通常は初中等教育が学齢教育期の教育を行っているため、グループ2の学校は学齢期の児童生徒がほとんどを占めている。(要推敲)学齢は在学年齢の下限を定める物であるが、上限を定める物ではないため、学齢未満の者の在学は不可能だが、学齢超過の者の在学は可能である(学齢を参照)[24]。初中等教育の学校に在学している学齢超過者は0.49%程度であり[25](学齢を参照)、かなり少数派である。
グループ3の高等学校・大学などでは、基本的には課程主義を取っており、出席日数・成績が不良の場合は進級・卒業できないが、高校(特に全日制高校)においては年齢主義的な要素もある。また、近年では高校2年からすぐ大学に入学できる飛び入学や、大学の早期卒業、大学院への飛び入学などの制度が行われ始めており、年数主義も弱まり始めているが、やはり大幅な年限短縮は不可能であるため、年数主義が強いといえる。これらの学校では、生徒学生が何歳で在学しているかよりも、何年間在学しているかの方が重要であるため、年齢主義の色彩は薄いが、課程主義であるとともに年数主義であるといえる。高等学校における原級留置は年間0.6%程度であり、諸外国と比較すると少ない。これは年数主義かつ履修主義であるといえる。また19歳以上の生徒も少ないため、ある程度年齢主義であるともいえる。大学における留年は、国立大学が10~20%、私立大学が5~10%程度であり、諸外国と比較すると少ないものの、ある程度課程主義的になっている。
より詳細な情報は、#日本における学校ごとの現状を参照。
在学可能な年齢
日本において年齢と入学できる学校の関係は以下の一覧のとおりとなっている。以下の2の学校では3の学校に入れる年齢である人の新入学・転入学・編入学・在学などがきわめて少なく、また3の学校でも4の学校に入れる年齢である人の新入学・転入学・編入学・在学などが少ない(過年度生も参照)。
4月1日時点の年齢 | 学校 | |
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1 | 満3歳以上 | 幼稚園 |
2 | 満6歳以上 | 小学校 特別支援学校小学部 |
3 | 満12歳以上 | 中学校 中等教育学校前期課程 特別支援学校中学部 |
4 | 満15歳以上 | 高等学校本科 中等教育学校後期課程 高等専門学校本科 特別支援学校高等部 専修学校高等課程(高等専修学校) |
5 | 満18歳以上 | 大学 短期大学 高等学校専攻科 専修学校専門課程(専門学校) |
6 | 満20歳以上 | 高等専門学校専攻科 2年制短期大学の専攻科 |
7 | 満21歳以上 | 3年制短期大学の専攻科 |
8 | 満22歳以上 | 大学院(修士課程) |
9 | 満24歳以上 | 大学院(博士課程) |
大学・大学院では飛び入学・早期卒業があるため、表の年齢よりも低い年齢での所属がありえるが、それ以外の学校種においては、表内の年齢下限は厳格である。また大学校は独自にさまざまな年齢制限を設けている。より詳しい表は「学校制度」を参照。
統計
日本では学校の報告による正確な在学年齢統計が存在しないため、本人または家族の申告による国勢調査の不正確なデータを参考として利用せざるをえない。ここで掲載するのは、2000年9月30日時点の国勢調査を基にした統計である[26]。回答は自己申告のため、正確ではない可能性がある。また表示されている年齢は9月30日時点の年齢であるため、学年基準(4月1日時点の年齢)と一致しないため、特に低年齢生徒と高年齢生徒の境界部分が分かりにくくなっている。そのため、出生日による調整として、便宜的に境界年齢の上の側の1歳分の人数の半分相当の人数を加算した数値も併記し、円グラフではその部分を色分けしている。他にも高等専門学校(15歳から入学可能)と短大(18歳から入学可能)など、複数の学校種がまとめて統計されているため、この国勢調査の在学年齢統計は、さほど精密な統計ではないとみなすべきである。
ここで算出しているのは、小学校・中学校とその同等学校については、16歳以上の児童生徒または学齢超過児童生徒かどうかの統計であり、高等学校とその同等学校については、19歳以上の生徒または「3年制高等学校の卒業可能最低年齢」超過生徒(学年初日で18歳以上である生徒)かどうかの統計である。また、この統計では第何学年に所属しているかが不明であるため、原級留置や就学猶予などによって「学年相当年齢よりも高年齢」となった学齢・卒業可能最低年齢以下の高年齢児童生徒を把握できない。よって高年齢児童生徒はこの統計の数字よりもかなり多く存在すると考えるべきである。
2000年の国勢調査を見ると、小学校・中学校などではかなり年齢的な集約性があることが分かる。高校などにおいても、その傾向は見られる。多数派の年齢より高い年齢の在学者もある程度見られるが、実際には入学や在学などにはさまざまな困難が付きまとう。一方、大学などにおいては卒業可能最低年齢を超えている学生は少数派ではあるものの、ある程度多く存在する。
後述のように、統計上は大部分の学校種で年齢主義は年代を追うごとに緩和しているという結果がでている。しかし、高等教育段階も含め普遍的にそういう傾向が生まれているとは限らず、そういった年齢多様性が高い学校あるいは課程[27]の中においてのみの現象にとどまっている可能性も否定できない。それは、日本の企業社会の間には依然として年功序列制や新卒一括採用などが根強く残っていることも主な原因の一つである。
最新の国勢調査は2010年であり、在学年齢にかかわる部分は2012年ごろの公表が予定されている。国勢調査は5年に1回だが、小規模調査では学校の統計は取らないため、2005年調査にはこのデータはない。web上には1980年以降のものしか掲載されておらず、1970年以前のデータは存在するものの、図書館などに行かなければ入手できないため、加筆していない。
国勢調査・初中等教育
「小中学生数」は、小学校と、中学校と、盲学校・聾学校・養護学校の小学部/中学部の児童生徒についての統計である[28]。小学校/小学部と、中学校/中学部は一緒に統計されているため分離できない。
「高校生数」は、高等学校と、盲学校・聾学校・養護学校の高等部の生徒についての統計である。高等専門学校は入っていない。専修学校も入っていないとも思えるが不明である。
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年度 | 高校生数 | うち19歳以上 | 19歳以上の比率 | うち学年初日で18歳 以上(概算値)[32] |
学年初日で18歳以上 の比率(概算値) |
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2010年 | 未 | 未 | 未 | 未 | 未 |
2000年 | 434万1657人 | 12万9450人 | 2.981% | 15万7795人以上 | 3.63%以上 |
1990年 | 575万4907人 | 10万5203人 | 1.828% | 13万8673人以上 | 2.41%以上 |
1980年 | 473万4109人 | 7万9668人 | 1.682% | 10万5880人以上 | 2.24%以上 |
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小中学生の年齢構成
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中学生の年齢構成(推定値)
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高校生の年齢構成
数値算出の詳細は脚注[33][34]を参照のこと。なお、国勢調査では小学校と中学校が分離されずに集計されているため、中学校分のみを算出するには推計に頼るしかない[35]。
これらの過去のデータから見ると、中学校・中学部の16歳以上の児童生徒の比率は20年間で2.2倍に、高校・高等部の19歳以上の生徒の比率は1.7倍に増えている傾向が分かる。高校は1990年以降の伸びが大きい。この統計からは小中学校において原級留置が増えているのか高年齢入学が増えているのかはわからない(高校は原級留置と過年度生の統計があるが、中学にはどちらもない)。90年代から不登校生徒が急増し、長期欠席を理由とする原級留置はあまり見られなくなってきたとの説明が良く聞かれるが、実際の統計上は高年齢生徒が増加していることが分かる。ただし中学校においては、2クラスに1人の割合でしか学齢超過者が存在しないという結果であり、年齢的な多様性はきわめて低い。
学齢超過の生徒といえば夜間中学校に通っているというイメージもあるが、夜間中学校の生徒数は2000年当時は約3000人であるため、94%以上は全日制の中学校・中学部(または小学校・小学部)の生徒であることが分かる。また特別支援学校の在籍者も少ない。
中学校・中学部について、出生日による調整をして20歳以上の児童生徒(年度内に20歳になる場合を含む)を推計すると、1万3827人よりやや多く存在することになる。同様にして30歳以上の児童生徒(年度内に30歳になる場合を含む)を推計すると、1582人よりやや多く存在することになる[36]。
なお16歳の小中学生と全小中学生の比較では、80年は0.060%、90年は0.135%、00年は0.125%と、伸びはストップしており、90年以降の伸びは17歳以上の構成者が多いことが分かる。19歳の高校生の比率については、3つの回ともあまり変わりはない。
国勢調査・後期中等教育以上
「高等専門学校生・短期大学生・専門学校生数」は、高等専門学校と、短期大学と、専門学校の学生についての統計である。「大学生・大学院生数」は、四年制以上の大学と、大学院の学生についての統計である。
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高等専門学校生・短大生・専門生の年齢構成
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大学生・大学院生の年齢構成
これらの過去のデータから見ると、高等専門学校・短大・専門学校の21歳以上の学生の比率はこの20年間で1.5倍に増えているが、大学・大学院生の23歳以上の学生の比率は1.2倍にしか増えていないことがわかる。
高等専門学校・短大・専門学校の場合は1990年に落ち込んでいるが、理由は不明である。
大学・大学院の23歳以上の人の比率については、大学の総数が増え、入学難易度が落ちたことから、浪人をせずに入学する人が多くなっているのが、増加を押さえている一因であると考えられる。25歳以上の人の比率については、大学院重点化による大学院生の増加と、生涯学習の機運の高まりによる高年齢大学生数の増加が影響し、ある程度増加していると考えられる。
国勢調査以外の統計
粗就学率と純就学率の比率により、その国の学校教育の年齢的な集中度を表すことができる。日本の初等教育の粗就学率は100.41%、純就学率は99.91%であり、制度計画上の比定年齢範囲である者は99.5%である。中等教育の粗就学率は101.59%、純就学率は99.9%であり、制度計画上の比定年齢範囲である者は98.33%である(数値はいずれも2004年)[37]。この比定年齢範囲率は世界各国の中でもきわめて高い。他国のデータについては#諸外国における歴史と現状を参照。
学校基本調査では高校入学者のうち過年度中学校卒業者の数の統計がある。また公・私立高等学校における中途退学者数等の状況調査においては高校の原級留置者数の統計がある。また就学猶予者の統計も存在する。これらは学校の年齢状況を直接的に表すものではないが、中学卒業時期、高校在学時期、小学校就学の始期は年齢的な下限があるため、これらの統計によって高年齢在籍者の数を推し測れる。また、通信制高等学校や特別支援学校の生徒の年齢についても簡単な統計がある。なお、日本国内の外国人学校やインターナショナルスクール(通常は一条校ではない)は学校基本調査のこれらの項目の対象外である(国勢調査では申告者が一条校と同等とみなして書けば、集計結果に含まれる)ため、結果的に日本式の学校の実態に近い数値となる。
また学校基本調査では、大学においては入学年齢や在学年齢のデータはないが、高校卒業何年度経ってからの入学かについてのデータがある。大学院については、入学年齢のデータがある。また大学の最低在学年限超過者についてもデータがある。
統計の地域差
国勢調査のデータは都道府県別のものもあるため、地域による差が分かる。この表のように、16歳以上の小中学生については、最高の東京都が0.62%、最低の香川県が0.27%と2倍強の差である。このことは、私立学校が集中している地域でもそうでない地域でも大きな差はないことを意味し、公立学校にある程度学齢超過者が在籍していることも示す。一方19歳以上の高校生については、最高の東京都が5.24%、最低の山形県が1.70%と3倍強の差であり、小中学生より地域差は大きめである。なお、かつて高校受験浪人が多いとされた県は、現在では特に高年齢生徒が多いわけではなく、この数値には表れていない(ただし、学校基本調査の過年度生統計では、その県に多いとの傾向が見える場合もある)。
小中学生、高校生とも、全域より人口集中地区、また郡部より市部が高年齢生徒が多い傾向があり、このことが都市部の多い都道府県の方が数値が高いという結果に結びついている可能性がある。
国勢調査では全体的に新しい年度ほど高年齢生徒の割合が多くなっているが、沖縄県は例外的な傾向を持つ。2000年度の統計では全国平均とあまり差がないが、1990年度、1980年度の統計では、全国平均よりも高年齢生徒の割合が目に見えて高い。沖縄県では1975年3月の中卒者のうち、高校受験浪人(定義は志願者のうちの不合格者)が18.2%と多く、日本平均が1.6%なので10倍以上の差があった[38]。その後、徐々に本土のレベルに近づいていき、現在ではこの状況はあまり見られなくなっているものの、現在でも沖縄県の高校入学者の過年度生率は他県よりかなり高い。
平素の成績
小学校・中学校・高等学校・高等専門学校においては、学校教育法施行規則により「各学年の課程の修了又は卒業を認めるに当っては、児童(生徒・学生)の平素の成績を評価して、これを定めなければならない」とされており、年齢や在学期間によって自動的に進級するとされているわけではないため、法律上は課程主義を取っている。
この「平素の成績」というのが何を表しているのかは諸説あるが、「試験の成績」ではないことから、進級試験や修了・卒業試験を行ってその成績で決定するのではなく、日常の試験の成績や出席日数なども含めたものだとされている。現在の一般的な公立小中学校では、学力試験の結果や通知表の評価よりも、主に出席日数を基準として解釈されている。このため、成績不良でも出席日数が十分である場合は進級できる場合が多く、また1990年代ごろからは不登校生徒の増加に伴い、フリースクールの出席も学校出席とみなすという規定が適用され、それによって進級できることが多くなっている。さらに近年はこういった施設を利用していなくても進級できる例も増え始め、出席日数ゼロでも進級する取り扱いをする場合も多くなっている。このように、課程主義であっても、ほとんど出席日数のみで進級を決定する場合は、修得主義ではなく履修主義での運営といえるため、年齢主義・年数主義と類似した運営となる。こういった、学習段階を考慮せずに自動的に進級させる制度は「ところてん式進級」とも呼ばれる。ただし、私立中学では後述するように学力的な成績も考慮される場合も多い。
一方、高校・高等専門学校においては、単位取得が進級・卒業の必要条件となるため、出席日数が十分であっても単位認定に不合格となると進級できないため、小中学校よりも課程主義の考え方が強いといえる。
年齢相当学年という考え方
特に公立の小学校・中学校・中等教育学校前期課程では、年齢相当学年(ねんれいそうとうがくねん)という考え方が強く浸透している。これは年齢主義で運営されている学校においては重要な概念であり、生徒の年齢によって所属することになる学年のことをあらわしている。たとえば下記の表のように、4月1日の時点で13歳である人の年齢相当学年は中学校2年生または中等教育学校2年生である。年齢主義の学校では、年齢相当学年に在籍している人の年齢が、その学年の標準年齢であるといえる。
小は小学校の略。中は中学校、中等教育学校の略。
直前の4月1日時点の年齢 | 6歳 | 7歳 | 8歳 | 9歳 | 10歳 | 11歳 | 12歳 | 13歳 | 14歳 |
年齢相当学年 | 小1 | 小2 | 小3 | 小4 | 小5 | 小6 | 中1 | 中2 | 中3 |
法律上、年齢相当学年よりも高い学年に在籍することは不可能であるため、標準年齢の生徒は飛び級をすることは不可能である。一方、年齢相当学年よりも低い学年に在籍することは可能であるため、標準年齢以上の生徒は原級留置をすることが可能であるが、こういった例は年齢主義の強い学校においてはかなり少数派である。すなわち、年齢相当学年に在学する生徒は、標準年齢かつ、法律上その学年に所属可能な最低年齢であるが、最高年齢ではないということである。しかし、各学校や教育委員会の方針が年齢主義に基づいている場合、最高年齢であると事実上決められている例も多い(要するに、同年齢の人しか所属できない)。なお、法律上は在学年齢には明文化された上限はないため、最高年齢は存在しないことになる。
この用語は教育法上の正式な用語ではなく、最低年齢を規定する以外の法的な根拠は薄いが、実態として年齢主義の学校ではそういった概念が生まれるため、あくまで便宜的にであるが文部科学省などでも広く使っている言葉である[39]。一方、特別支援学校(盲学校・聾学校・養護学校)の小学部・中学部においても年齢相当学年の縛りはあるが、上記ほどではなく、高年齢の在学者も多めである。また中学校の夜間学級・通信教育課程は例外的に学齢超過者のみを対象としているため、年齢相当学年の考え方は一切存在せず、また上記の表に当てはまらない。
異年齢教育
日本の学校では時々異年齢教育という言葉が使われることがある。これは数歳ほどの差のある生徒を集めた学習集団を構成し、相互に刺激を与えようとするなどの目論見から行われる場合が多い。ただし、日本の多くの学校は厳格な年齢主義であるため、同じ学年内には異年齢の生徒がいない場合も多く、異年齢教育のためには他の学年の生徒を混ぜなければ、そもそも異年齢学習集団すら作れない状況にある。このため、一般的な日本の学校で言われる「異年齢教育」とは、異学年教育に他ならない。例えば中等教育学校のメリットとして、「年齢差の大きい生徒同士が同じ学校にいることで、相互によい作用をもたらす」という点が主張されているが、これは日本の中等教育の学校における学年内の同年齢度が高いため、中学校や高校は学年が3年間のみなので学校内では2歳差しかないが、中等教育学校は学年が6年間あるので5歳差があるからである。このように、異年齢と異学年の区別が付きにくいため、異年齢であるために生じる効果なのか、異学年であるために生じる効果なのかは実質的に分離する意味を持たない(できない)。
その他
年齢的な統一度が高い学校において、年長の生徒が他の生徒に年長であることを知られるかどうかについては、ケースによって異なる。数歳以上の差がある場合、外見によって当然知られることもあるし、以前の学校の同窓生が共に在学をしている場合、その人の話によって知られることもある。基本的には、確実に秘密にすることが可能なシステムではない。しかし、日本的な同年齢社会になじんだ生徒の場合、あえて自分の年齢を隠す例も聞かれる。年齢を隠せば外見からは異年齢だと気付かれない場合、せいぜい3歳程度の差であることが多いはずだが、その程度の年齢差であっても年齢主義の強い学校社会では気にする人が一定数存在する。しかし、こういった行為により、他の生徒がその生徒が年長であることを知らないままになり、「うちの学年はみんな同年齢だった」と後々まで考えるようになってしまい、学年=年齢という観念をさらに強化させてしまいかねない。しかし、生年月日は個人情報であるという観念からすると、同級生に対して秘密にするのは道義的におかしなことではなく、個人の自由である。
年齢主義の場合、通常は学習者の生年月日によって入学や進級を判断する。これは戸籍または住民票、外国人登録証明書の記述が元になるが、詐称がまったく不可能なわけではない。公立の小中学校では住民票を元にした学齢簿によって就学事務が行われているため、通常の場合は年齢詐称は不可能である[40]。外国人の場合は、その本国の証明資料によって外登証の生年月日が記載されるため、本国の資料の信頼度によって生年月日の正確さが変わる。公立高校の入学時には、住民票や外登証の原簿が要求される場合があり、そういった書類を偽造しない限り年齢詐称は無理である。ただし、現役生の場合は住民票などが不要という場合もあるため、この場合には在籍している私立中学校ですでに年齢が偽られていればそのまま証明書を提出することなく高校に入学できる。また、基本的に私立の学校においては、住民票などの公的書類を提出させない場合もあり、詐称に対する対策があまり厳密ではない[41]。ただ、スポーツ競技の場合には公平な競争ができなくなるなどの実害があるが、学校教育の上では実害は少ないため、あまり厳重さは求められていない。
中学校の外国人生徒は約2万3千人(学校基本調査)であり、中学校の学齢超過生徒(約5万6千人。本来はこの数字には小学校の分も含むが、学齢超過者はほとんどいないと思われるので中学校でほぼ間違いない)の約半分しか存在しない。しかし外国人生徒についてはメディアで取り上げられるなどある程度配慮がなされたりする。しかし学齢超過者については、ロビイスト(利益団体)がないためかあまり配慮がなされず、そういった生徒が世の中に存在しないかのような表現がまかり通っている。
また、小中学校の学齢超過者の多くは外国人ではないかという推測がなされやすいが、実際は大部分が外国人ではない。上記の約2万3千人という数値は、小中学校の学齢超過者の半数以上は外国人生徒ではないということを裏付ける。もちろん外国人生徒の中でも学齢超過者は一部に過ぎないから、学齢超過者の大部分は日本国籍がある生徒だと考えられる。
学校給食においても、年齢主義に裏打ちされた制度が見られる。多くの自治体では、小学校や中学校の給食に対して、全て同じ分量で支給するのではなく、学年や学校種によって支給量を変えている。たとえば小学校は低学年・中学年・高学年と3段階に分け、中学校は小学校高学年よりさらに量を増やすといった形で、食事の量を調整している。食事は学力に応じて必要量が変わるものではなく、明らかに体格に応じて必要量が変わるものであるため、学年ではなく年齢に応じて支給すべきものであるが、実際には実年齢にかかわらず、学年によって支給量が変わる。なお教員用の給食は、児童生徒用と別の分量のものが用意されている場合が多い[42]。
日本における現在生じている課題
現在、日本の小中学校は年齢主義が強すぎるため、さまざまな面で弊害が生じている。「落ちこぼれ」といわれる学業不振者や、「浮きこぼれ」といわれる成績優秀者に対する抜本的な対策の必要性が主張されている。前述したように年齢主義の学校制度では、落ちこぼれや浮きこぼれを生まないためには、習熟度別学級の編成や補習や個別指導などの能力別教育の必要性が高いが、公立の小中学校では、今まであまりそういった取り組みが行われてこなかった。
現在は、授業に付いていける生徒は小学校で7割、中学校で5割、高校で3割であるという七五三現象が指摘されているが、こういった落ちこぼれ問題などは画一的な年齢主義の弊害が原因だとして、課程主義・修得主義に対しても再評価を求められている。授業を理解しにくい状態で無理に進級すればますます理解できなくなるため、学年内能力別教育によっても目標水準に到達できない健常生徒に対しては、原級留置の適用を拡大するべきだともいわれている。
一方、浮きこぼれについても大きな問題となっている。通塾率の増加、学習指導要領の簡素化などで、同一年齢の生徒でも大きく知識力に差があるようになってきている。また、公私間転学の際、カリキュラムがあまりに違うと浮きこぼれが生じやすい。大学の早期卒業・大学・大学院の飛び入学など、高等教育以上では対策が始まっているが、初中等教育では飛び級による対策は皆無である。
入学・復学拒否問題
また不登校児童生徒が13万人を超えたが、不登校経験者が復学する場合に対する教育の場の保障の観点から、年齢に固執しない学校が求められている。現状では、生徒が1年休学しても、学校側は進級後の学年への復帰を促している。また学齢期の不登校生徒に対しては各方面から学校復帰の働きかけがあるが、学齢を超過すると今までとは打って変わって、学校復帰を望んでも困難となってしまうという、年齢によって正反対の対応をされるという問題がある。こういった強制進級・強制卒業問題のため、生徒によってはかえって学校に復帰しにくくなっている(ただし、逆に原級留置がなされることによって復帰しにくくなる生徒も存在する事も忘れてはいけない)。休学期間中に学力が伸びていない場合は、進級した学年の内容に付いていこうとすると、家庭や学習塾などで猛勉強をしなければならず、かえって不登校以前より疲労することになる。学業不振が原因の不登校の場合は、なおさらそういった問題が大きい。現状では、そういった元不登校者の受け皿は民間の塾やフリースクールしかない。塾やフリースクールはどんなに設備が充実している所でも、プール・校庭・体育館・理科室などはないであろうし、授業料も高いという問題がある。また通常の塾は学校の生徒の空き時間に合わせて開業しているため、午前中は開いていない場合が多い。このため、なかなか学校の代替となる民間施設はない。こういった状況下で、一度学齢を超過すると復学が困難となるという問題があると、小中学校段階で不登校になった生徒に対する教育機会が保障できなくなる。なお、学齢超過者が入学できる中学校として有名なものには夜間中学校があるが、地域限定である上、かなり授業時間が省略されており、その上夕方以降に通わなければならないなど、多くの問題があるために一般の中学校の代替にはなっていない。
文部科学省からの支援もあって、生涯学習のかけ声は高いが、現在は大学や大学院などの高等教育においてのみ適用されている嫌いがあり、高校では高年齢者はあまり入学しておらず、中学校以下はほぼゼロである。不登校による初等教育・前期中等教育未修了者は、学校復帰しようとしても、現状では大多数が前期中等教育を修了しないまま(形式的卒業含む)高校などの後期中等教育機関や大学などの高等教育機関に進学する形となっており、基礎的な学習段階を十分に履修しないまま上級学校に行かざるを得なくなっている。また、高校以下の学校においては、同等学校の既卒者の再入学を認めないという取り扱いがなされる場合もあり、以前の卒業校では満足した教育が受けられなかった「形式的卒業者」への対応も求められている。
また、外国から日本に移住・帰国した小中学生が、日本でも小中学校に通おうとした場合、所属すべき学年よりも高い学年に所属させられてしまう場合がある(望まない飛び級と言われる)。ただし、こういった年齢相当学年の考え方が強い小中学校でも、外国籍の生徒に対しては、その制限がゆるい場合もある。しかし地域による差が強く、年齢が適合せずに拒否される例も多い。2009年春に文部科学省が経済危機に伴う定住外国人子ども緊急支援プランを策定し、都道府県教育委員会に対して「年齢相当学年」よりも低い学年への編入についての勧告を行った[43]。しかし、岐阜県教育委員会は意向に反して、外国籍生徒の中学校編入学年を、学力に関係なく「年齢相当学年」にするよう岐阜県内の市町村教育委員会に勧告を行った[44]。ただしその後、2009年11月に岐阜県教委は方針を転換し、国の方針に従うことにした[45]。
- 2010 昼間の中学校に編入可能な(年度内の)年齢の上限は?
- このデータによると、都道府県によっては「年齢相当学年」での編入を原則としている所もあるが、制限なしとしている所もある。また市町村教育委員会の判断に任せている場合も多い。
こういった現状に対し、日弁連は、18歳未満の学齢超過外国人も編入するように求めている(後述)。
学校の設置者によって年齢主義の度合いが異なるため、甚だしい場合は日本国内同士でも、転居をした際に転出校と転入校で学年が変わってしまう場合、さらには小学校・中学校の垣根を飛び越えてしまう場合もある[46]。小学校から中学校への進学は勿論、学校内での進級も、本来は下学年の履修が条件であるが、この場合においてはそのルールが守られていない。
この文書には、外国の文化を持つ人々が日本の硬直的な年齢主義の学校社会についての知識を持たないまま現実に直面し、進路に躓いてしまう例が多く取り上げられている。特に南米系やフィリピン系などの落第が日常的である学校文化圏で育った家庭では、「いつか、行きたくなった時に中学校に行けばいい」(18ページ)と考え、日本語を修得するまで待ってから就学しようとしたり、下の子の面倒を見終わってから就学しようとしたりといった考え方をする傾向がある。その結果、入学するべき時期にはすでに「学年相当年齢」や学齢を過ぎていたということが起きやすい。また、年齢主義の風土に対するなじみのなさから、「いままで原級留置にならなかったから、学力は十分である」と思い込み、高校受験で不合格となる場合もある(36ページ)。
学校間の学力格差
年齢主義を基準とした進級・卒業制度をとる以上、そういった学校の卒業生の学力は担保されていないことになる。このため、上級学校への進学を志願する卒業生の中には、本来の課程修了レベルの学力に達していないまま半ば強制的に卒業の形で放り出された者も多く、上級学校によっては、そういった生徒をも入学させることになる。日本の教育環境においては、学力による選抜試験を行って入学者を決定するのが通例であるため、入学難易度の低い学校には学力の低い生徒が集まりやすくなる傾向にある。日本では難易度の低い学校に学力の高い生徒があまり入学しない傾向にあるため(「偏差値輪切り」という)、その傾向はますます強まる。こうして、学校間の生徒の学力格差が広まり、固定化するようになる。
この傾向は、小学校、非大都市圏の中学校においては選抜制の学校が少ないためにあまり見られず、学校内における生徒間の学力格差は大きいが、大都市圏の中学校においては私立中学が多く中学受験が盛んであることから特に公私間の学校格差が拡大している。また、近年は公立中高一貫校の増加に伴い、多くの地域で限定的ながら同様な状況が生まれつつある。高校においては、ほとんどの学校が選抜制を採用しているため、一時期はかなり強固に学力によって進学する高校が振り分けられており、学校間格差が非常に大きかった。近年はそういった進学指導は緩和しているが、依然として入学試験の偏差値によるランク付けはなされており、「難関校」「底辺校」といった固定的なイメージは残存している。
ただし、年齢主義の場合であっても必ずしも学校間格差が大きくなるわけではなく、学校が選抜試験を行わず、1つの学校で多様な学力の生徒に対して適切な教育を施せる体制を整えれば、学校間格差は生じない(人気の集中する私立校の存在は除く)。実際に、アメリカ合衆国では高校までも年齢主義的な進級制度をとっている例が多いが、多くの高校は選抜制ではないため、学校間の学力格差はさほど問題になるほどではないといわれる(むしろ貧富や治安、人種問題などの差がある)。
統合教育との齟齬
統合教育の考え方においては、障害を持つ生徒であっても特別支援学校から普通学校の特別支援学級へ、特別支援学級から普通学級へと統合するのがベターであるとされる。そして実際に、授業を受けるのに大きな支障がある障害児者でも普通学級で他の生徒と共に教育を受ける例が多くなってきている。これは、公立の小中学校においては適格者主義ではなく、生徒同士がお互いの違いを認め合うことで、人間的な発達を促進させるなどの意図から、積極的にハンディキャップを持つ生徒と混じって授業を受けさせる取り組みが行われている。
しかしながら、これは障害児と健常児の統合であるに過ぎず、年齢に差のある健常者同士の統合にはなっていない。本来、重度の発達障害を抱えている生徒を授業に参加させる労力よりも、たった1歳年上である健常な生徒を授業に参加させる労力の方がはるかに少ないはずである(そもそも、体育以外の授業においては年齢差はまったく支障にならない)。しかしながら、現実には「年齢相当学年」の重度障害児よりも、学齢を超過している健常者の方がずっと普通学級への在学が困難である。
統合教育の本来の考え方から言えば、違いに対する許容が前提であるのだから、重いハンディキャップがある生徒が学校に受け入れられるのであれば、当然異年齢の健康な生徒も受け入れられるはずである。これが実際にはそうなっていない点について、年齢主義と統合教育の間で齟齬が生じている。障害児を特別支援学校に隔離しようとする動きに対しては、人権面で強い非難がなされることもあるが、一部自治体で行われている、学齢超過者を夜間中学に隔離しようとする動きに対しては、一部識者を除いてあまり表立って問題視してはいない。
ただし、日本における統合教育の取り組みはまだ日が浅く、試行錯誤の状況でもあるため、上記の事実は必ずしも統合教育関係者側の問題とも言い切れない。
法律間の齟齬
教育基本法、学校教育法、また関連の施行令、施行規則などの教育法規では、在学年齢の下限を間接的に規定しているものの、上限に関する規定はない。むしろ小学校に15歳まで在学する場合も想定した文言[47]が存在するなど、ある程度の年齢的な多様性を許容した書き方がされていると読み取るのが自然である。このように、年齢主義の要素はこれらの法規からは読み取れない。しかし、児童手当法では長い間、小学校は12歳で卒業するものであるということを前提とした書き方がなされていた。また2010年度に成立した平成二十二年度における子ども手当の支給に関する法律では、さらに中学校は15歳で、高等学校は18歳で卒業するものであるということが明文化された。このように、日本政府の法律同士が齟齬をきたしている。条文の詳細は「子ども手当法」に記載がある。
なお実際には、子ども手当法にこのように書かれているからといって、これらの年齢で卒業することを強制されるものではなく、実際にはこれに当てはまらない年齢の在学者も大勢いる。ただし、役所の説明文書などのレベルにとどまらず、正式な法律の条文内に学校の卒業年齢を一律に規定してしまったのは、これらの法律が最初である。以前は、児童手当法での小学校卒業年齢の規定はあったものの、中学校以上での年齢主義を裏付ける記載はまったく存在しなかった。なお、国会などではこれらの在学年齢に関する記述が議題になったことはない。なお、国会議員が全員、最低年齢で小中高と卒業したからそういう発想になったわけではなく、民主党の横路孝弘衆議院議長自身が、16歳で中学校を卒業したという経歴の持ち主である。また高校を卒業していない国会議員(民主党の家西悟)も存在する。
ただし、時の政権党であった自民党、民主党は、特に公約や政策目標に「小中高の在学年齢の画一化」を挙げていたわけではなく、むしろ自民党にいたっては文教族の町村信孝や河村建夫らによる小中学校の異年齢化容認発言もあり、必ずしも積極的に年齢主義を推進しようとする意欲は感じられない[48]。上記のような法律間で齟齬が起きていることについて、ほとんどのマスメディアでは取り上げていない。
情報の不足
以下に述べるように、実例・参考資料・統計・進路情報が不足しているという四重苦の現状があるため、正確なデータに基づく議論がなされることは少ない。課程主義推進派は、課程主義のデメリットを十分に考慮しないまま義務教育期間における原級留置・飛び級を広く容認しようとする嫌いがあり、一方、年齢主義堅持派は、年齢主義のデメリットは認識しているものの、課程主義に不慣れなため、結果を十分に想像できず、未知の問題の発生を懸念せざるをえない。
実例の不足
日本の小中学校はほぼ例外なく年齢主義を取っており、課程主義を基本とする学校は見つけることが困難である。このため、同一の国家・言語・文化・生活習慣の中での、年齢主義と課程主義の優劣の比較が困難な現状であるため、課程主義の導入を検討する際はフランスなどのはるか遠くのヨーロッパ諸国の例を引き合いに出さざるを得ない。日本では国立学校は新しい試みを行う実験校的な存在であるにもかかわらず年齢主義が強く入学者の年齢を厳しく制限しており、それぞれ建学の精神に基づいた教育を行っている私立学校でさえ、基本的には年齢主義である。もっとも学習塾など学校類似の機関では課程主義のようなものも広く行われてはいるが、義務教育学校はほとんど横並びである。明治時代初期には厳格な進級試験があり、小学生の原級留置がしょっちゅうあったが、その頃に学校教育を受けた歴史の証人はほとんど生存していないため、現在の高齢者も大部分は年齢主義の学校で育った人たちであり、日本国民の中にはほとんど課程主義の小学校をイメージできる人がいなくなっている。
また現在の公立小中学校では著しい成績不良や出席日数不足の場合であっても、本人や保護者に対して「元の学年に留まるか」と質問されることはあまりないため、本人や保護者が「原級留置が可能である」ということを考える機会すらなく、実質的には当事者に原級留置の選択肢が与えられないまま年齢主義で進級している。小中学校にも高校同様に「進級判定会議」は存在するが、実際には進級しない生徒はほとんど存在せず、形式的なものになっている。
参考資料の不足
前述したように、こういった方面の教育制度については1947年の学制改革以来約60年間にわたって議論されてこなかったため、理解の助けとなる資料はほとんど存在しない。本記事の参考文献(後述)を見れば分かるように、ごく一部の書籍に2~4ページ書かれていたり、大型事典の中に項目があるだけだったりするのが現状であり、本格的に年齢主義と課程主義というテーマについて扱っている書籍はおそらく存在しないと思われる。資料の不足については年齢主義と課程主義のみならず、義務教育段階における原級留置や、学齢超過者の就学や、就学猶予と就学免除においても同様であり、詳しく書かれている書籍は存在しないと思われる。また、そういったわずかに書かれている書籍ですら多くが絶版で入手が不可能だったり、7-8冊組みの事典なので大型図書館程度でしかお目にかかれなかったりする。
このように、いざ課程主義について調べようにも情報へのアクセスがほとんど不可能であり、それ以前の問題として「年齢主義」や「課程主義」という言葉を知ることすら困難になっている。このように、小中学校においては原級留置が行われうるということすら想像することが消極的に不可能となっており、全く心の準備がない状態である。また、書籍のみならずウェブサイトでも、課程主義について詳しく書かれている場所はまだ存在しないと思われる。フランスなどの諸外国の教育事情を紹介するシーンでは、課程主義についても説明されているが、日本の教育情報を解説しているサイトでは、年齢主義が強いという説明は少ない。こういった光が当たらない状態なのは、年齢相当学年を外れて在籍することが少数派だからという事も大きいが、それだけではない。なぜなら、不登校や外国留学や障害を主題とした書籍・サイトは多数存在し、少数派であるとはいえ、ある程度の認知はされているからである。前述のグループ2に在籍している学齢超過者は5万6千人で、不登校生徒13万人と比較しても取り立てて少数派な訳ではないが、不登校関連書籍を日販で検索すると2005年10月現在「不登校」で1204件、「登校拒否」で907件該当し、読みきれないくらい存在するのと比較すると雲泥の差である。
一方、年齢相当学年(後述)を超える形の飛び級については、学制改革以降長く不可能だったにもかかわらず、英才教育を主題にした本でなどある程度書かれている。ただし高校以下では法律上不可能なので実践論は存在しないと思われる。
統計の不足
日本において年齢主義と課程主義の比較を論ずる際のもう一つの大きな問題は、前期中等教育以下の学校での原級留置者数の統計が存在しないことである。このため、人数は重要なデータなのに「ほとんど存在しない」ということしか分からず、感覚的な判断しかできなくなっている。例えば、中教審事務局の発言によれば「1980年ごろまでの中学校では、欠席日数が年間3分の2を上回ると原級留置になったが、2000年ごろになるとそういった例は極めて少なくなってきている」ということが理解できる。しかし、この談話のように単なる感覚的な証言でしか把握できず、数値的なデータは乏しい。そのような現状であるため、「成績不良による原級留置」や「出席日数不足による原級留置」や「海外留学による原級留置」などの分類ももちろんなされておらず、ましてそういった生徒たちの原級留置経験後の経過を知ることも困難である。就学猶予と就学免除の統計や、後期中等教育以上の学校での原級留置者数の統計は存在するにもかかわらず、この部分だけ統計が欠落しているのである。なお、公立学校であれば、各教育委員会は原級留置の報告を受けることになっているので、政府の指示があれば集計を開始することは可能な状態である。
また、どの学校の第何学年にどのくらいの年齢層の人が所属しているのかという統計も存在しない。文部科学省管轄のデータは、教員の年齢の統計こそあるものの、生徒の年齢の統計は存在しないのである。一応、総務省統計局管轄の国勢調査による自己申告データであれば、各学校ごとの年齢層がある程度判明するが、各学年ごとではないという問題、小学校と中学校が一緒に統計されているという問題、特殊教育諸学校も一緒に統計されているという問題、9月30日時点の年齢を基準にしているという問題がある。
なお、文部科学省の学校基本調査では、特別支援学校(盲学校・聾学校・養護学校)の年齢別在学者数の統計がされており、1歳刻みではないものの学齢超過者などの数値が分かる。また通信制高等学校についても同様の統計がある。ただし、依然として小中学校、全日制と定時制の高校のデータはないままである(調査票には記入欄もない)。
また国勢調査では、記入者の回答をそのまま掲載するのが原則であるにもかかわらず、7歳以上の幼稚園児・保育園児の数を意図的にゼロにしている可能性が高い。実際、報道や役所の文書などで、就学猶予を受けた7歳児が幼稚園に通う例が存在することは明らかである。このように、少数派の存在が意識的に抹消されているという問題もある。
進路情報の不足
学習者にとっても情報不足は深刻である。日本では教育制度の基礎的な情報は意識的に入手しようとしなければほとんど手に入らず、かなり熱意を持って調べようとしても、特に在学年齢に関する情報は非常に入手困難であるため、ほとんどの人が在学年齢に関して正しい知識を持っていない。そのため、単なる社会通念と自分の学校体験でしか、学校制度に対する認識・判断を持てなくなっている。学校選びの際の判断は、こういった「多数派における常識」のみで成り立っているような側面があるため、少数派は情報不足に直面してしまい、一般の常識では判断できず、さりとて情報もないため混乱してしまう。例えば、一部の高等学校では入学年齢に上限があるということは、一般には知られておらず、直接募集要項を読むまで分からない場合が多い。しかしながらこれとは全く逆に、「高校(特に全日制)は年齢が高いと入学できない」という偽情報がまことしやかに語られたりする場合もある。このように、正確な情報が不足しているため、正反対の誤った情報が流通しているようなケースもある。小中学校においてはさらに複雑であり、法律上は在学年齢に上限がないので高年齢者の入学は認められているものの、実際の運用では不文律として年齢相当学年を外れる生徒が所属することはあまりない。このように、教育に関する法令や公式資料を読んだだけでは実際の取り扱いは理解することができない。しかし、夜間中学校では全員が学齢超過者であるという例もあり、また一部の私立中学校では最低年齢よりも数歳年長でも入学可能であるなどの例もあり、必ずしも年齢主義一辺倒ではない。このように、「年齢上限が全くない」という考え方も誤りであり、また「学齢超過者が所属できない」という考え方も誤りである。しかし一般にはそういったことは知られておらず、考える機会すら与えられないまま、ほとんどの学齢超過者は中学校に行こうと考えることはないし、18歳を超えた人が高校に行こうと考えることも少ない。
これらのことは書籍や雑誌やウェブサイトでも同じである。一般の受験関連書籍や受験情報誌や受験情報サイト(以下、受験情報媒体と表記)は、高校までの学校については最低年齢者の受験を前提としており、年齢が高い受験生についてはほとんど触れていない。例えば、もともと高校は高年齢者が入学することを十分に許容している制度であり、社会通念でも高年齢者が在学することは理解されているにもかかわらず、一般的な受験情報媒体には、年齢が高いと入学できなくなる場合があるとは書かれておらず、最低年齢の受験生を対象にしている媒体なのだということを、社会通念で判断するしかない。このように、多数派以外は情報が著しく不足しているため、年齢制限に気づかない場合が多い。また公立高校でも年齢や中卒後期間によって調査書の取り扱いなどが変わるが、こういったこともほとんどの受験情報媒体には書かれず、教育委員会の公式情報を見たり、各私立高校の募集要項を一校ずつ見たりするしかない。中学受験においては、もはやほとんどの受験情報媒体は高年齢者の受験を無視しており、資料によっては例外的に一部の中学校の帰国生徒入試の受験可能年齢が書かれているくらいである。
また、一般的な公立の小中学校においてはさらに情報不足が顕著であり、夜間中学や選抜のある併設型中学校では入学可能な年齢または学歴が明示されていることが多いが、そうではない大多数の無選抜の全日制の中学校や小学校では、学校や教育委員会の公式サイトなどでも入学資格がまったく明示されていない場合がほとんどである。これはそれらの学校が義務教育の実施校としての役割が強いことから、学齢簿に登録されている学齢期の子女を自動的に入学させる場合がほとんどであり、任意で入学を希望する人を想定していないという事も一因である(「就学事務」の記事を参照)。そして実際に何歳の人が入学可能であるのかは、教育委員会の判断を待つしかなく[50]、きわめて曖昧である。
日本における展望
日本の小中学校では戦後60年間にわたって年齢主義が続いてきたが、必ずしも問題点が指摘されなかったわけではなく、改良して行こうという動きも強い。しかし、情報不足欄に記したように、年齢主義以外の制度に対する免疫が存在しない状況では、混乱が生じる恐れもあるため、改悪になってしまわないか危惧する声もある。
官僚・識者の間にも、課程主義の導入を求める声はある。町村信孝文部科学大臣は、2001年の中教審、講演会や『教育の論点』(文藝春秋刊)掲載の文章内で、10歳の大学生や20歳の中学生がいてもよいとの見解を示した。また河村建夫文部科学大臣は、2004年に朝日新聞のインタビューに答え、義務教育段階での原級留置は今までほとんど活用されなかったが、これからはこれについて研究しなければならないとの考えを示した(キャッシュ)。このように、大臣レベルでは年齢主義に反感がないわけではない。しかしながら、2005年現在はまだ現実に原級留置が増加したとの報道はない。
原級留置の適用拡大に当たっては、ちょうど少子化の時期であり、教員数、教室数は余裕があるため、明治初期のように破綻することはないといわれる。また、補習や習熟度別指導などの個別指導の技術についても、明治初期とは比較にならないほど情報が蓄積されており、当時のように破綻する可能性は低い。また前述したように、原級留置が増加しても税金負担は増えないので、導入による財政負担の増加はないと考えられる。ただし現状では、義務教育期間の終了基準は年齢主義になっているものの、無償の義務教育期間を過ぎた中学生に対しても、授業料を徴収していないという例も多いため、この取り扱いを継続するならば原級留置が増加すると財政面の負担が増えることになるが、過去の指導では「(学齢超過者は)学校の収容能力等の諸事情を考慮して(受け入れるべきである)」とされているため、学齢生徒と比較すると融通が利くので、一人当たりの税金負担は少ない[51]。また、原級留置をせずに高等学校に進学した場合と比較しても、公立高校の授業料も低廉に抑えられているため、学齢超過の中学生から授業料を徴収しないことによる、高校生との税金負担の差はあまりない。
一方、浮きこぼれ問題もやはり存在するため、戦後約60年間にわたって禁止されていた中学校以下の学校での標準年齢者の飛び級に対しては、各界から導入の要請が強いが、上記の町村発言のようなダイナミックな飛び級はまだ不可能である。また飛び入学が可能な大学数は1998年当初は千葉大学1校だったが、2005年には5校に増加しており、徐々に広まってきてはいるが、「特に優れた資質」に限定し、例外的措置とされている。また現在の教育環境では、中学校以下の学校での飛び級のような早期教育に対してはアレルギーが強く、安易に飛び級を認めると過当競争が生まれる恐れも強く、ますます受験戦争(飛び級競争)を低年齢化させるという懸念も強い。
原級留置や就学猶予、学齢超過者の就学については、法律を改正しなくても現場の対応の変更によって対応可能である。一方、標準年齢者の飛び級や早期就学については、学校教育法などの大々的な改正が必要であるため、原級留置などと比較すると即座の導入は困難である。
このように、2005年現在ではまだ固定的な年齢主義は打破されておらず、新制学校以来長年にわたって続いている慣習はなかなか打破できていない。それは学校社会に限らず企業社会においても、従業員の新卒一括採用制度が根強く残っている一因もそこにある。しかし、一部の学校では色々な先駆的な試みを始めていることもあり、新しいアプローチがなされることも期待できる。ただ、日本政府は票田にならない部分の変革が鈍いため、少数派の声のみが採り上げられても大きな動きは望めず、国民全体に影響する問題が生じるか、熱意のある政治家が改革の音頭をとる必要があるが、現段階ではそこまでに至っていない。
学校教育法一条校ではなくインターナショナル・スクールだが、東京都豊島区のニューインターナショナルスクール(日本語・英語)というプレスクールから9年生まで(幼稚園から中学3年に相当)の学校では、「マルチエイジ教育」という名称で各クラスに2、3歳年齢が異なる生徒が在籍している。
2006年8月に、日本弁護士連合会は学齢期に修学することのできなかった人々の教育を受ける権利の保障に関する意見書(PDFファイルに全文がある)を発表した。この文書では、15歳以上18歳未満の新渡日外国人(いわゆるニュー・カマー)については、既存の昼間の小中学校への編入学も許可されるべきであると提言している。
2006年の教育基本法改正では、義務教育年限が9年とされていた規定が削除された[52]。これは学校教育法などの下位の法律で年限を個別に決定しやすくするためのものであるが、現時点では義務教育年限の変更の気配はない。ただし、これによって義務教育年限の終期が延長され、高等学校が義務教育諸学校の一角を形成するようになると、公立高校の年齢制限が厳しくなる可能性もある[53]。
2008年5月には、文部科学省初等中等教育局メールマガジンに、前川喜平大臣官房審議官による、年齢主義偏重に対する疑問を提示したコラムが掲載された。
このコラムでは、学齢超過者の入学に対する教育委員会の方針の違いの問題にも触れつつ、外国から来日した子どもが年齢によって学年が決められたために苦労した話を挙げ、不登校だった子どもの場合なども含め、機械的な年齢主義は不適切であると批判している。また読売新聞の記事(現時点でネット上にはない模様)の中でこれらの問題を「学校教育法の年齢主義が原因」と断じていることに対し、学校教育法はこの意味では年齢主義ではなく、現場の実態が年齢主義であることが問題であるにすぎないと反論している。町村・河村両大臣に続いて今回のように官僚からも年齢主義に対する疑問の声が上がっており、議論の雰囲気ができつつある。
2010年に中川正春文部科学副大臣は記者会見で、「初等中等の教育システムの中に、いわゆる外国人の子どもたちに対する、(中略)、公立学校に入りやすい環境の整備、これは年齢制限が基本的にはあったということですが、弾力的に運用していって、必要な子どもたちについての受入れの幅を広げていくということ。(中略)、そういうことを進めていこうということです」と述べ、外国籍の場合については年齢主義を緩和する方針を示した。
2010年現在では、小学校・中学校・中等教育学校のうち、年齢主義の打破を謳っている学校はまだ存在しないものと見られる。私立中学校などでは、出願資格に年齢上限がない学校も複数あるが、それらの学校でも積極的に年齢多様性を謳っているわけではない。また逆に、年齢主義の堅持を謳っている学校も稀である。あえて主張する必要がないほど、同じ年齢主義の学校が多く、横並びの状態といえる。
分離運動
学齢超過者の中学校入学に関しては、その重要性を訴える人々も多いが、その中には夜間中学の増設によってそれを実現しようとする立場の動きもある。こういった主張では、学齢超過者は一般の(昼の)中学校に入学するのではなく、一般の中学校内に設けられた夜間学級や、夜間中学専用校に入学するべきであるとしている。それらの運動では、なぜ一般の中学校ではいけないのかについて触れられていない場合も多い[54]。もちろん、法制度上は夜間中学でも一般の中学校でも学齢超過者の受け入れについて異なることはない。
また、教育委員会などの行政組織も、夜間中学がある地域では学齢超過者は一律に夜間中学に誘導するなどして昼の中学校から締め出す例も見られる。こういった分離運動に対しては、特に南米系の外国人やその支援団体からは不満が出ている。なお、夜間中学の増設を望む声の中には、「一般の中学校への入学は断られるから、夜間中学に行くしかない」との前提のものもあり、必ずしもそれらの意見のすべてがこういった分離を支持しているわけではない。
現時点では、政府は夜間中学校の増設も、一般の中学校の年齢制限緩和も、特に打ち出していない。ただし生徒数的には、中学校全体の学齢超過者比率は上昇傾向にあり(前記国勢調査)、夜間中学の生徒数は変動が激しいが減少傾向にある[55]ため、分離教育の潮流はやや弱まっているとも考えられる。
民主党政権による変化
2009年8月30日の総選挙で民主党が大勝し、政権交代が確実となった。民主党は以前より教育関連の政策を発表しており、それらの実施が確実視されている。重要な政策のうち一つは子ども手当制度で、もう一つは高校授業料無償化・就学支援金支給制度である。
民主党のマニフェストによると、子ども手当は「中学卒業までの子どもに対して年間約30万円を支給する」となっており、マスメディアもそのように報道しているが、実際にはマニフェストの説明は正しくない(マニフェストには年齢制限があることは一切書かれていない)。支給の要件は、完全に年齢が基準となっており、中学を卒業していなくても15歳の3月で支給が打ち切られる。また、小学校や中学校に在籍しているかとは無関係に支給されるため、マニフェストの「中学卒業」の語句はまったく関係ない。これについては、民主党の広報担当者が電話取材に対して明言している。[56]この部分においても、中学校の卒業は15歳でなければならないという思想が存在する。[57]
また、民主党は高校授業料無償化・就学支援金支給制度を実施しているが、当初の法案では、公立高校や私立高校に通う20歳までの生徒の保護者に対して授業料相当額(上限あり)を支給するというものであった。20歳という年齢制限があることから、高年齢者が高校に在学することは低年齢者と比較して経済的に負担が大きくなり、この政策は高校生の低年齢化を強める可能性があった。なお、民主党の宣伝や大手マスコミでは、年齢制限について触れず、全ての生徒が対象であるかのように報道していた。なぜ年齢制限が予定されていたかの理由は不明であるが、実際に施行される法律では、年齢制限がなくなり、学校設置者に対する給付に修正された。
上記の二つの事例で、いずれも民主党や大手メディアが、その制度に年齢の上限があることについてほとんど明言をすることがないのは、日本では高年齢の生徒が著しく少ないため、それによって影響される人が限られているからだと考えることもできる。
一方、町村信孝、河村建夫ら自民党の文教族議員が野党に転落したことで、彼らの主張していた在学年齢自由化や原級留置の適用拡大の検討は、ひとまず棚上げにされる可能性もある。
また、2010年4月から施行される子ども手当法では、驚くべきことに高校までもが18歳で卒業することを前提とした書き方がなされている。条文には、「十二歳に達する日以後の最初の三月三十一日を経過した児童手当法第三条第一項に規定する児童(次号において「小学校修了後高等学校修了前の児童」という。)」との表記があり、「児童手当法第三条第一項に規定する児童」とは「18歳の4月1日の前日までの児童」であるから、この文章は「小学校は12歳で卒業し、高校は18歳で卒業する」という意味となる。また「中学校は15歳で卒業する」という前提の表現も存在する。このように、法律の条文にまで高校までが年齢主義によって運営されているのが唯一正しいとするかのような表現が登場している。なお、今までの児童手当法にも、小学校は12歳で卒業することを前提とした表記はあったが、中学校や高校までも同年齢で卒業すべきとの表現は存在しなかった。このように、民主党の政策には高校まで年齢主義を推進しようとする意向が覗える。
この問題については、子ども手当法案#年齢と学歴の混同も参照。
日本における学校ごとの現状
就学前の教育および保育
幼稚園では、園児の年齢によって年少組、年中組、年長組に分けられており、学年の名づけ方からも分かるように年齢主義である。この段階では学校的な学習よりも、周囲の人とのコミュニケーションなどの情緒的な内容が重視されるため、年齢で区切るのが自然だと考えられている。ただし、近年は異年齢保育が注目されている。異年齢とはいっても、この年代では1歳程度の差でも、かなり発達度の差があるため効果的なようだ。通える年齢については基本的には「就学の始期まで」となっているが、就学猶予を受けた園児は引き続き通う場合もある。
初等教育
前述したように、小学校においては、中学校・高等学校と同様に進級に当たっては「平素の成績を評価」とされているため、法律上は課程主義を取っているとされる。しかし現実的には年度が替わると自動的に学年が上がるような形となっており、ほぼ年齢主義での運用になっている。このため就学猶予や原級留置が行われることは稀であり、学年を構成するのは同年齢集団となっている。ただし異年齢になるケースも稀ながら存在し、例えば病気などのために長期欠席をした場合や、帰国生徒などのように日本語の能力に問題がある場合は、所属できる最高学年よりも下の学年に所属する場合もある。また、標準年齢=最低年齢であるため、早期教育・ギフテッド教育などを目的として標準年齢児童が飛び級をすることは不可能であるが、年齢主義による高年齢者に対する強制的な飛び級が行われる場合もある。また学齢超過者の入学は困難である。
年齢主義について、1993年の神戸市立小学校強制進級事件の判決では以下のように述べられている(抜粋)。
- 小学校段階では年齢により、体格・精神年齢・運動能力に顕著な差があり、一年遅れると次年度の児童の間にとけ込むのに大変な努力が必要になるし、社会的な違和感に耐える必要という著しい不利益を被ることを考慮すべきである。
- 一般的に義務教育では年齢主義的な学年制の運用がされているが、殊に、初等普通教育においては「心身の発達に応じて」教育を施すことを目的としており、小学校の段階では年齢により、精神年齢・運動能力・体格等心身の発達に顕著な開きがあることから、年齢別の教育が最も適するといえる。
- 同じ社会生活・日常生活上の経験を有する同年齢の児童ごとに教育することが最も適していると解せられる。
このように、神戸地方裁判所の裁判官は、小学校においては同年齢集団に所属することが望ましいとの判断を下した。特筆すべきことは、このケースは学校側が原級留置を強要したのではなく、児童の親が出席日数が少ないことを理由として原級留置を望んだのであり、ほぼ自主的な原級留置といえるケースだったことである。それでもこういった判決が下りているため、この判決は掛け値なしに年齢主義の強さを示すものと判断できる。この判決の是非はともかく、現代の日本の多くの小学校においては、判決で指摘されているように「児童」が1歳でも年長であると特異な視線で見られる場合があるのもまた事実である。もちろん、違和感があるのはその小学校で異年齢の「児童」が珍しいからであり、その原因は長年続いてきた年齢主義にあるのだが、やはり社会通念はなかなか変わらないし、現時点では個々の「児童」にそういった疎外感を背負わせるのもまた過酷である。また、小学校の在籍者(小学生)は法律用語では「児童」と呼ばれることになっており、学校教育法などでは小学校の在学年齢に上限は設けられてはいないのであるが、この呼称自体が小学生は生活場面における未成年者であることを想定しているかのような用語である。このように、法の制定時は、やはり小学校にはあまり高い年齢の生徒が在学しないと考えていたのであろう[58]。29歳で小学3年生になった八木下浩一の事例が大きく話題になったのは、これほど大きく年齢が違うのは非常に珍しいという認識があるからである。
一方、上記判決とは逆に、公立小学校で6年生2人に対して3月の卒業を長期欠席を理由に一時的に保留にした例(6日間の補習の後で他児童と同じく3月に卒業)[59]もあるなど、必ずしも現場の判断は統一されていない。また小学校に通わずインターナショナル・スクールで過ごした生徒が、12歳~13歳の年度になっても公立中学校に入学できない教育委員会の地域もあるなど[60]、完全に年齢主義ばかりで運営されているわけではない。
また私立小学校においては運営方針によって対応がさまざまであり、学校法人玉川学園では、5年生(小学5年生相当)以降は学習到達度が不足していれば原級留置にする場合があると明記しているように、課程主義をとっている学校もある[61]。
ただし、小学校は修業年限が6年と長く、1年生と6年生ではかなり学習内容・身体発達に差があることも考慮しなければならない。例えば最低年齢の在学者同士の比較では、小1は6歳、小6は12歳と実に2倍もの開きがある。また、「9歳の壁」といわれる脳科学的な変化により、前半と後半では各種の差があると考えるべきである。実際、前記の玉川学園K-12では4-4-4制を取っており、5年生から8年生(小学5年生から中学2年生に相当)までが中学年と位置付けられている。このため、議論をする際には「小学校は」と全学年を一くくりに扱うことは避けるべきである。
養護学校の小学部では、個別のケースにあわせたカリキュラムを組まざるを得ないため、異年齢「児童(生徒)」が同一学年に在籍している場合も多い。また都道府県によっては学齢超過者就学推進事業が行われたりもしているため、ある程度学齢超過者も在学している[62]。盲学校・聾学校の小学部においてもほぼ同様とされる[63][64]。
なお、法律の条文上は少なくとも15歳まで、小学校に在学をしている場合が想定されている[65]。この部分は、学齢期終了まで小学校を卒業しなかった場合についての取り扱いを定めたものにすぎないため、学齢を過ぎてからも在学することを制限するものではない。しかし、ほとんどの小学生の卒業年齢は12歳であり、13歳の卒業生ですらかなりまれなことを見ると、この規定はほぼ空文化しているかのようである。
関連人物
- 八木下浩一
- (1941年9月18日-)脳性麻痺のため9歳まで寝たきりの生活を続け、12歳の時と16歳の時に、地元の小学校に入学するために知能検査などを受けにいったが、言語症と肢体不自由を理由に断られた。そのあとクリーニング工場に低賃金で就労し、そして養護学校を見学するも、生徒の目に活気がないと感じた。そのあと自分で就学猶予規定などの教育に関する法令を調べ始めた。27歳の時、川口教育委員会に出向いて就学希望を述べると、初めは相談者(浩一)の子供(いない)の入学についての相談だと思い込まれたが、しばらくして相談者本人のことだと分かったので教委側がとても驚いた。教委は小学校入学をかなり渋り、「すでに就学免除願いを出されているが、書類は火事で消失した」などと虚偽の報告を行ったりしたが、障害者団体らとともに複数回訪問をするうちに徐々に譲歩を受け、やっと川口市立芝小学校への入学を許可された。しかし、週3回のみの登校で、最初から6年生に入ることが条件だった。そして28歳の時、普通より1ヶ月程度遅れた5月になって小学6年生に入学したのだが、そのうち、古い教科書を渡されるなど、色々な違和感から自分に学籍がないことに気づいた。これを校長に問いただすと「君は聴講生だ」と説明されたので疑問に思った。八木下は、いきなり6年に編入学したので学力が付いていけず、また学籍がないため通知表も出ず、再度交渉したのち、29歳でやっと3年生に編入学することができた。そのあとは6年まで進級し、その学年末に長期欠席のため原級留置を求めて、3度目の6年次の履修をした。八木下は合計6年間を小学校に在学したことになる。考えがあって中学校には進学しなかった。(参考文献 『街に生きる』八木下浩一著、現代書館刊、入手困難)
この事例は1970年ごろの話であるが、学校や教育委員会の、高年齢入学者への風当たりがいかに強かったかを物語る。その一方で、他の在学者からは忌避されていたわけではないことにも注目すべきである。
前期中等教育
前述したように、中学校においては、小学校・高等学校と同様に進級に当たっては「平素の成績を評価」とされているため、法律上は課程主義を取っているとされる。しかし現実的には、一般の公立中学校では年度が替わると自動的に学年が上がるような形となっており、ほぼ年齢主義での運用になっている。このため、原級留置が行われることは、小学校ほどではないが稀であり、学年を構成するのは同年齢集団となっている。ただし異年齢になるケースも稀ながら存在し、例えば病気などのために長期欠席をした場合や、日本語の能力に問題がある場合の帰国生徒などは、所属できる最高学年よりも下の学年に所属する場合もある[44]。また、標準年齢=最低年齢であるため、早期教育・ギフテッド教育などを目的として標準年齢生徒が飛び級をすることは不可能であるが、年齢主義による高年齢者に対する強制的な飛び級が行われる場合もある。また学齢超過者の入学はかなり門戸が狭いため、学習権が奪われているとされる。
現在は年齢主義の考え方が強いためと不登校生徒数が多いために、公立では不登校を理由とした原級留置はかなり少ないが、不登校生徒数が少なかった時代は、不登校の場合は進級や卒業ができずに原級留置や退学となる場合もあった。例えば1953年には「第三学年の総授業時数の半分以上も欠席した生徒については、特別の事情のない限り、卒業の認定は与えられないのが普通であろう」という初等中等教育局長回答が出ているが、これはかなり昔の事であり、現在はこれはただの建前だとされており、ほとんどの例で卒業させている。このように、時代によって年齢主義と課程主義の間を揺れ動いている。
私立中学校においては必ずしも公立中学校と同様な基準ではなく、基本的には年齢主義の考え方も強いが、学校によっては課程主義的な考え方も強く、成績次第によっては原級留置となる(慶應義塾普通部の生活が一例)。例えば私立中高一貫校で中学3年時の成績が悪いと、併設高校に内部進学できず、原級留置をしなければならないというようなケースもある。また、入学時には学力検査を課し、かつ12歳であること(または小学校卒業見込みであること)を条件とするという、年齢主義かつ課程主義の入学基準を定めている学校が多い。しかし一部の中学校では受験時に13歳以上の志願者や過年度生の入学を認めている場合もある(「中学受験」の記事も参照)。このように年齢主義とはいっても、1~2歳程度の差は許容する学校も多い。また入学年齢の上限を定めていない年数主義の学校もある。なお、厳格な年齢主義の学校であっても、下記リンクにあるように多くの学校は募集要項では明確な年齢制限ではなく「小学校を卒業する見込みの者」などとして浪人不可という形で出願資格を定めているにすぎないが、これは例年の受験生の小学校卒業年齢がほぼ12歳であることから事実上の年齢制限と解釈できる[66]。
- 中学校・中等教育学校の受験資格
- 過年度生が出願可の学校も少しあるが、大部分の学校が現役生に限定しており、出願資格すら掲載していない学校も多数ある。
在学中に学齢を超える場合でも、希望すれば継続在学できる場合もあるが、強制的に退学または除籍にされてしまう場合もある[67]。
一般の中学校は上記のように年齢主義を基本として運営されているが、中学校の夜間学級・通信教育課程では基本的に学齢超過者のみを対象としているため、年齢主義は存在せず、また習熟度別学習が行われており、熱心な教員が多いこともあいまって生徒の立場を配慮した教育となっている。しかしごく一部の地域にしか存在しないなど、広範囲に行き渡っていない上、授業時間・内容は一般的な公立中学校と比べてかなり削減されており、必ずしも昼間教育の代替とはなっていない。
養護学校の中学部では、個別のケースにあわせたカリキュラムを組まざるを得ないため、異年齢生徒が同一学年に在籍している場合も多い。また都道府県によっては学齢超過者就学推進事業が行われたりもしているため、ある程度学齢超過者も在学している。盲学校・聾学校の中学部においてもほぼ同様とされる。
学齢超過者の比率は、地域差はあまりないが、東京では夜間中学のためやや高く、沖縄も高い[68]。詳細は#統計の地域差の節を参照。
後期中等教育
高等学校や高等専門学校においては、小学校・中学校と同様に学校教育法施行規則により「各学年の課程の修了又は卒業を認めるに当っては、生徒の平素の成績を評価して、これを定めなければならない」とされており、課程主義を取っている。さらに、単位制高校でなくても高等学校では単位制を採用しているため、単位不足では卒業することができない。このように実際に単位や出席日数が不足すると進級や卒業ができずに原級留置となるなど、実質的にも課程主義を取っている。また入学に際しては入学試験のために不合格となり、浪人する場合もある。しかし実際には中学校卒業者の現役進学率は90%以上に上り、高校では15歳から18歳の生徒が96%程度を占める(国勢調査参照)。「中卒者が全員高校に進学する」のを当たり前と思い込む、「誤った前提」がまかり通るようになり、「高校に進学していない(できない)15歳~18歳の者」が否定的に見られ、中卒者の就職を困難なものへ至らしめるようになってきた(#学校外社会における現状で後述)。
このように、あたかも「高校も義務教育である」と決めつける「誤った前提」に基づく雰囲気から、多くの高校では学年を構成するのは同年齢集団となっているため、年齢主義的な考え方も結構強い。例えば15歳で高校に入学し18歳で卒業する生徒は一般的であるが、それよりも1歳年上であっただけで、学校によっては疎外感があったり、入学資格すら失われてしまったりする。そのためこれらの風潮は進級判定にも影響を及ぼしており、一般的な高等学校では、なるべく原級留置を出さないように取り扱っている。このように課程主義を取ってはいるものの年齢主義的な要素もあり、また進級・単位取得は容易であるため原級留置率は0.6%と低く、修得主義というよりも履修主義に近い形態である。
通常は入学できる年齢に上限はないが、特に国立高校や私立高校では、各学校で募集要項を決められるため、独自に最低年齢者以外の入学を断っている場合もある[69](過年度生と高校受験で詳述)。また、公立高校でも、明文化はされていないものの過年度生の入学を断る場合もある。
高等学校の主目的は学力を身に付けることであるが、上記のように課程主義があまり機能していないことや、中卒者による高校への進学率が90%を超過した影響から、近年は高校を卒業したというだけでは、どの程度の学力があるのかがほとんど分からず、卒業証書は形骸化している。『分数ができない大学生』という書籍がベストセラーとなり、大学生の学力低下を世に知らしめたが、まして高卒であるというだけでは分数の計算が不可能な人もかなりの数存在しておかしくはない。このように高校卒業学歴の形骸化が指摘されているため、一部の知識人は高等学校の卒業試験の提唱を始めている。もちろん難関高校の場合は、底辺高校よりも進級は難しいが、大学と違って高校は数多いため、どの高校が難関なのかをいちいち覚える人はわずかであり、高校の威信というものはあまり遠隔地では通用しない。
なお近年、単位制高校が増加しており、学年にこだわらない運営が可能になっている。詳しくは「学年制と単位制」を参照。また高校2年からの飛び入学もあり、年数主義からも脱し始めている。
高校の多くは上記のように同年齢集団に近くなっているが、年齢階層が若年層に集中していない高校もある程度存在する。例えば通信制高校・定時制高校は、全日制高校と比較すると、平均的に生徒の年齢層が高く、同一学年は異年齢集団となっており、年齢主義の要素はほとんど存在しない。これは多くの通信制・定時制高等学校が、もともと勤労者を主対象にした学校であるため、中学校卒業後の現役進学者が少ないという特徴があるためである。ただし、高校の多くが全日制課程であるため、定時制・通信制の年齢層の幅広さは高校全体の統計に現れにくい。
なお、高等専修学校(専修学校高等課程)では、過年度生の比率が多く、年齢主義の風潮は薄い。また職業能力開発校(普通職業訓練普通課程)も、この段階の教育に該当するとされるが、年齢主義はあまり存在しない。ただし、自衛隊学校(自衛隊少年生徒教育隊、陸自の陸上自衛隊少年工科学校、海自の第1技術学校、空自の航空教育隊)などでは年齢の上限はある。
都道府県別の高校生の年齢的な傾向は、#統計の地域差の節を参照のこと[70]。
部活動によっては、その活動分野の大会(高校総体など)で出場できる年齢の上限があるため、本人が所属することをあきらめてしまう場合もある[71]。#学校外社会における現状の説も参照。
高等教育
大学においては、ほぼ完全に課程主義的な運用がなされており、単位不足によって留年するケースもある程度見られる。また、大学生の多くは18歳から20代前半ではあるものの、高校と比べて年齢的な均一性は少ないので、年齢主義的な雰囲気はほとんどない。すべての大学は単位制を取っているため、単位取得が十分でなければ卒業ができない。
しかし諸外国ほど課程主義が徹底しているわけではなく、年数主義も取っている。例えば4年制大学はどんなに成績優秀であっても2年で卒業することは不可能であり、また3年次卒業者も数少ない。また一般的な大学では入学試験こそ難しいものの、教授による単位認定の難易の差はあるが、諸外国の大学と比較すると進級や卒業は容易であり、留年者は少数派である。このように、通常は在学期間が修業年限と大幅にずれることは少ない。また、17歳からの飛び入学もごく一部の学校を除いて実施されていない(ただし外国学校卒業者は可能)。ただし近年は、3年で卒業する早期卒業も徐々に増加しており(平成17年度現在、40大学が実施)、年数主義からも脱し始めている。また18歳未満でも正規課程生以外ならば受講は可能である(放送大学など)。
ただし、防衛大学校、防衛医科大学校、海上保安大学校、気象大学校、航空保安大学校の5つの大学校は、入学すなわち就職(当該省庁の職員)となるため、入学年齢に上限がある(大学校一覧に記載)。また、大幅に年齢が高いケースだが、2005年には群馬大学医学部に55歳の受験生が高年齢を理由に不合格となったため裁判になったという事件も発生した[72]。他にも、一部の私立大学医学部では、年齢制限の明記はないが、20代であっても多浪生の入学が困難であるとの話もある。
また一部の大学では高校2年からの飛び入学を実施しているが、千葉大学や名城大学などでは17歳の高校2年生に限定しており、18歳以上の場合は受験資格がない。
また、高校ほどではないが、やはり卒業の容易さによる卒業生の能力の保証のなさは問題となっている。しかし、これについてはいわゆるブランド大学(旧帝国大学などの難関大学)の卒業者であれば信用できるという社会通念はあるが、逆に学校名社会を生んでいるという問題もある。
大学院においては、ほぼ完全に課程主義的な運用がなされており、能力主義となっている。また、修業年限も自由である。修士課程からはじめることも、博士課程からはじめることも可能である。博士課程においては、学位を取得しなければ修了にはならないなど、修得主義での運用となっている。
日本から外国への留学における現状
一般的に外国の高等学校は日本よりも年齢的な制限がゆるいといわれる。しかしながら、日本国内の外国留学プログラムでは、18歳までの高校生を主対象にしていて、それ以上の年齢の場合は利用不可能になる場合も多い。このように、外国留学とはいえ年齢上限がないわけではないことに注意すべきである。例えば外国留学・交換留学プログラムの一つである、AFS日本協会やYFU日本国際交流財団では、応募可能な志願者の生年月日が明記されている。
いくつかの業者では、不登校などから立ち直るということを謳って海外留学の宣伝をしており、海外教育コンサルタントなどの名義で書籍を発行したり、留学雑誌に案内が掲載されたりしているが、それらの書籍や雑誌には年齢の上限があることが書かれていない場合もある。しかし実際にはかなり厳格な年齢制限が存在する場合もあるのである。一般的に、不登校生徒や、形式卒業後も社会参加ができていない青年の場合は、年齢が高い場合が多いため、最低年齢の現役生ばかりを対象にするプログラムの意味は薄いといえる。
諸外国における歴史と現状
テンプレート:節stub なお日本語の資料では日本の強固な年齢主義の環境で培われた思考パターンで外国の教育制度を著述しているために誤謬をはらんでいる例があるので要注意である[73]。
保育・初中等教育(K-12)
世界的に見ると、フランス、旧ソ連などヨーロッパ諸国は課程主義を基本としている場合が多く、年齢主義を基本としている国の場合も、日本ほど硬直的な運用ではない。ただ、複線型学校制度を採っているイギリスやドイツでは、早期の選別が「敗者」への悪影響を与えているという指摘もある。就学率のうち、粗就学率が純就学率よりかなり高い国家においては、さまざまな年齢の生徒が在学している。
フランス
フランスでは、小学校から課程主義を取っているため、かなり原級留置が多く、1987年の統計では、小学5年生のうち標準年齢者が60%、高年齢者が37%、低年齢者が2.5%であった。ただし、こういった現状に対しては国内の意見は必ずしも肯定的なものばかりではない。また原級留置を防止するために、補習授業(スーチエン)も行われている。一方、義務教育期間の終了基準については年齢主義を取っており、中学校の課程を修了していなくても16歳になれば義務教育期間が終了する。そのとき小学生である場合も、大学生である場合もある。フランスの教育も参照。
- ホ~ッ。 落第しなくてよかったぁ~!(フランスの小学校事情)(原級留置について)
- ヒエ~。ジャンヌ・ダルク風?!教育ママゴン(フランスの小学校事情)(飛び級について)
なお、正式には留年ではなく延長であるとの主張([1])もある。
初等教育の粗就学率は104.8%(2004年)、純就学率は98.94%(2004年)であり、制度計画上の比定年齢範囲である者は94.4%である。中等教育の粗就学率は110.59%(2004年)、純就学率は96.17%(2004年)であり、制度計画上の比定年齢範囲である者は86.96%である[37]。
アメリカ合衆国
アメリカ合衆国では、一般的には能力別学級編成が行われているので、基本は年齢主義でありながら学力格差による問題がある程度解消されている。しかし1970年代ごろから「基礎に帰れ運動」が広がったため、州によっては進級・卒業時に「最低基礎能力検査」が実施されている。このように成績によっては進級できない場合もあり、また10代前半で大学に入学するなど飛び級制度も普及しているため、必ずしも年齢主義のみで運営されているわけではないといえる。またアメリカは州によってかなり教育制度が違うため、一概に論じられない。アメリカの高校は年齢主義的色彩も強く、20歳以上では在学できなくなる学校も多く存在する。飛び級など年齢のしがらみがないと思われがちだが、実際には高年齢在学が困難であることがあり、自由度は必ずしも高くない。英語を話せない移民が多いなど、課程主義を採ると社会的格差が浮き彫りになるなどの問題があり、様々な配慮が必要とされている状況である。なお、アメリカの高校は日本の高校よりもカリキュラムが遅く、そのデメリットを優秀者の飛び級をさせることによって補っているといわれる。アメリカ合衆国の教育も参照。
歴史的には、19世紀末までは課程主義が一般的であり、20世紀前半には進歩主義教育運動の影響で年齢主義が一般的になった。特にニューヨーク市やフィラデルフィア市では1940年代以来100%進級の方針を採用していた。しかし1980年代ごろに教育改革運動があり、上の両市でもその年代に22%の原級留置者を出した。なお、学年(グレード)別の平均年齢の標準偏差は、1918年には1~9年生において11.8~16.6であるのに対し、1952年には6.8~9.6と狭くなっている[74]。なお、この2回の調査の学年の平均年齢はそれほど変わっておらず、52年の方が6ヶ月から1年程度若くなったにすぎない。このように、20世紀前半には同学年同年齢に近づいていく傾向が見られる。また20世紀初頭はグレード1に4歳から18歳までの在籍者がいたことも明らかとなっている[75]。なお当時のコモンスクール(公立学校)は21歳まで在学できるとの規定が多かった。
2000年ごろから、各地で社会的進級(年数主義的な自動進級制)に対する反対から、小学校への課程主義の積極導入が行われており、一方で落ちこぼれを作らないようサマースクールが開かれるなどの対策も行われている[76]。ただし、社会的進級の廃止により悪影響が現れたという失敗例もある[77]。
2003年の国勢調査[78]では、グレードごとの在学者の年齢の統計が存在する[79]。それによれば、グレード1などの低グレードにおいても、少数派とはいえ同グレードに約5歳幅の異なる年齢の在籍者がいることが分かる。またグレード7(日本の中1に相当)以上においては、18歳以上の生徒も居り、65歳以上の生徒も3千人いることが分かる。特に最終のグレード12では、40代くらいまである程度在籍者が存在する。また飛び級もある程度盛んで、15歳の高卒者は33万人、15歳で大学[80]に在学している例も数千人見られる。また高等教育のイヤー5(日本の修士課程1年に相当)に所属している15歳の人も3千人いるなど、きわめて能力主義的な側面もある。
初等教育の粗就学率は98.98%(2004年)、純就学率は92.41%(2004年)であり、制度計画上の比定年齢範囲である者は93.36%である。中等教育の粗就学率は94.68%(2004年)、純就学率は89.34%(2004年)であり、制度計画上の比定年齢範囲である者は94.36%である[37]。
カナダ
カナダでは、初等教育の同年齢度は日本並みに極めて高いが、グレード9~12(日本の中3~高3に相当)については、必ずしも同年齢度が強いわけではなく、ある程度は異年齢者がいる[81]。カナダの教育も参照。
初等教育の粗就学率は100.19%(2002年)、純就学率は99.5%(2001年)であり、制度計画上の比定年齢範囲である者は99.31%である。中等教育の粗就学率は108.53%(2002年)、純就学率は94.11%(1999年)であり、制度計画上の比定年齢範囲である者は86.71%である[37]。
ドイツ
ドイツでは、義務教育段階でも小学1年を除いて原級留置が多く、日本の中等教育学校や併設型中高一貫校に相当するギムナジウムでは毎年5~10%の原級留置生徒が出る。また、就学年齢も弾力化されている。中学校段階で生徒の能力適性によって、進学型のギムナジウム、中間型のレアルシューレ、職業教育型のハウプトシューレに分かれるという複線型学校制度となっているため、学業が苦手な生徒でも進学することは一応可能である。学齢成熟の考え方があることから、小学校の就学時期には幅を持たせている(このため、小学校に入ってからの留年は抑えられている)。ドイツの教育も参照。
初等教育の粗就学率は男女とも103%、純就学率は男女とも98%であり、制度計画上の比定年齢範囲である者は95.14%である。中等教育の粗就学率は100.29%(2004年)、純就学率は不明である[37]。
ブラジル
ブラジルでは、他のラテンアメリカ諸国と同様に、修得主義が強く年齢主義の色彩は薄い。このため、日本に出稼ぎに来るブラジル人労働者の子が、日本の学校の年齢主義に直面して戸惑うケースも散見される。さらに言葉の問題も加味して、不就学となるケースも見られる。14歳では76%が原級留置経験者である[82]。一応、1999年には初等教育前期4年間について、学力評価による原級留置が禁止されたため、留年はある程度減少した[83]。しかし2000年時点では進級率はさほど高くなったとはいえず、また広い国であるために地域による差も大きく、北東部では初等教育における制度計画比定年齢以外の在学者が6割程度であるものの、サンパウロ州においては2割程度である[84]。20歳で小学校に入学した例もある[85]。ブラジルの教育も参照。
初等教育の粗就学率は140.96%(2003年)、純就学率は92.93%(2003年)であり、制度計画上の比定年齢範囲である者は65.92%である。中等教育の粗就学率は102.03%(2003年)、純就学率は75.67%(2003年)であり、制度計画上の比定年齢範囲である者は74.16%である[37]。
オーストラリア
オーストラリアでは、下記のように中等教育段階に広い年齢層の人が在学していると推測される。このレベルの数値は先進国ではかなり珍しい。オーストラリアの教育も参照。
初等教育の粗就学率は102.83%(2004年)、純就学率は95.75%(2004年)であり、制度計画上の比定年齢範囲である者は93.11%である。中等教育の粗就学率は148.56%(2004年)、純就学率は85.49%(2004年)であり、制度計画上の比定年齢範囲である者は57.54%である[37]。
シンガポール
シンガポールでは、英才教育志向が強く、初等教育段階から能力によって進むコースが異なっている。小学校は3年までは原級留置はなく、それ以降は小学校卒業試験に合格しなければ13歳までは原級留置が可能である。シンガポールの教育も参照。
大韓民国
大韓民国では、小学校での原級留置は存在しないが、飛び級は稀に存在する。大韓民国の教育も参照。
初等教育の粗就学率は104.79%(2005年)、純就学率は99.37%(2005年)であり、制度計画上の比定年齢範囲である者は94.82%である。中等教育の粗就学率は92.9%(2005年)、純就学率は90.44%(2005年)であり、制度計画上の比定年齢範囲である者は97.35%である[37]。
中華人民共和国
中華人民共和国では、農村と都市部で在学年齢が異なる傾向もあり、日本に移住した児童が、日本の学校の学年と合わないまま編入させられる場合が多く、問題になっている。学齢は6歳からとなっているが、2006年には、5歳以下の小学生が50万人おり、中には5歳で小学6年生の例すらあったほど、法と実態が乖離している[86]。中華人民共和国の教育も参照。
初等教育の粗就学率は男性112%、女性111%、純就学率は男女とも100%であり、制度計画上の比定年齢範囲である者は89.68%である。中等教育の粗就学率は72.53%(2004年)、純就学率は不明である[37]。
世界と地域
サブサハラ(ブラックアフリカ)と南アジアの在学年齢はこのファイルの3ページ目のFigure 5(サブサハラ)とFigure 6(南アジア)を参照。どちらも同グレードに数歳幅の在籍者がいることが分かる。特にサブサハラの場合、高いグレードになるにつれて年齢幅は広くなる傾向がある。
世界の初等教育の粗就学率は男性108%、女性103%、純就学率は男性90%、女性87%であり、制度計画上の比定年齢範囲である者は83.88%である。中等教育の粗就学率は男性68%、女性64%、純就学率は男性61%、女性60%であり、制度計画上の比定年齢範囲である者は91.66%である。[37]。中等教育の方が比定年齢範囲率が高いのは、以下の理由によるものと考えられる。
- 先進国では初等教育の就学率と中等教育の就学率の差が小さな傾向があり、非先進国では初等教育の就学率が高いが中等教育の就学率が低い傾向にある。
- 先進国では初等教育と中等教育の比定年齢範囲率が高い傾向があり、非先進国では低い傾向がある。
このため、中等教育の就学者は初等教育の就学者よりも先進国の人の占める割合が大きくなり、先進国の内容が数値に現れやすくなる。つまり、初等教育よりも中等教育の方が比定年齢範囲率が高い国が多いということではなく、実際には、初等教育の方が比定年齢範囲率が高い国が多いと思われる。
共通
開発途上国における学校制度は、課程主義かつ年数主義である場合が多い。これらの国では、低年齢労働者も多く、また成人非識字者も多いため、年齢主義での運用を行うとごく一部の人しか教育を受けられなくなってしまう。
シュタイナー教育では年齢主義を取っており、各年齢ごとに教育内容が決められている(金持ちで健康で「頭のよい」子のためのシュタイナー教育を参照)。
モンテッソーリ教育では、3歳の幅がある異年齢混合のクラスを編成する。
日本の1条学校は全日制がほとんどであり、各国の中でも1日の在校時間が長い方である。先進国においても、日本における半日授業並みの授業時間の小学校システムとなっている所も見られる。このため、日本の学校は家庭教育や社会教育が行うべき部分を肩代わりしている傾向が強い。ただし、核家族化・共働き化が進んでいるため、家庭で十分に教育が行えるとは限らず、こうしたシステムは必ずしもマイナス面ばかりではない。
高等教育
多くの国の大学は、修得主義・課程主義を取っており、進級・卒業が難しい。また、大学受験がない国もある。一般的に学生の年齢層は日本より高い。
ただし徴兵制の観点から、男子学生の年齢層が一定の幅に集中している場合もある。
なお、英語圏では高年齢生徒・学生のことをMature student(マチュア・ステューデント)と呼ぶ(en:Mature_studentを参照)。マチュアを直訳すると成熟・円熟であるが、大学の場合は25歳程度でもこの語が使われる。このように、一定年齢以上の在学者を呼び分ける語がある通り、学生は年少者がなるものという通念はゼロではない。なお、これは年齢のみに着目した単語なので社会人学生とは意味が異なる。
学校外教育における現状
学習塾や予備校などにおいては、年齢主義を取るか課程主義を取るかはまちまちであるが、一般的には課程主義となじみやすい。なぜならば、学習塾は学力を身に付けることを目的としたものであるため、年齢主義を取ると学力的にばらつきがある集団を教授せざるを得ず、学力上昇の目的が達成できないからである。例えば公文式においては、年齢が何歳であろうと自分にあったカリキュラムを受ける。こういった特徴があるため、学習塾での教育は一般的な学校教育よりも習熟度にあった教育を受けられるとされている。
しかし、一部の塾においては、「5年生クラス」など学校の学年を基準として学級を編成しており、この方式では例外的に上学年・下学年に所属する場合はあるものの、基本的には学校の学年によって所属する教室が決まる。例えば中学進学塾の日能研では、学校の学年に応じたクラス編成となっている。これは、小学6年生の2月ごろに行われる中学受験に合格するという目的があるからであり、目標到達までの時間が確定しているためであろう。もっとも、単純に学校の学年にあわせただけのクラス編成では塾生間の学力格差が大きすぎるので、同じ学年内でも学力別のクラス編成となっており、学力の変動によっては頻繁にクラス替えをする。こういった小中学校の学年によってクラスが決まる塾は、一般の小中学校の学年が年齢主義なので塾の学級編成も年齢主義だということもできるが、逆に学校の学年という課程によって編成をしているので課程主義だということもできる。
一方、通信教育や書店販売の教材による独習は、他生徒との触れ合いがないため、「何年生用」などと銘打ってあっても、使用者が自分にあった学年の教材を使用することが容易である。このため、自分の学年や年齢にこだわらない限りは課程主義といえよう。ただし、教科書準拠の教材の場合は、通学中の学校の学年と合わない場合は問題となってしまう。ただ、やはり高校以下の学校用の補助教材については、上記のように高校以下は年齢主義的な色彩もあるため、一部の出版社は年齢が高い顧客を想定しておらず、例えばインターネット上で購入する際に、年齢選択欄に19歳以上がないなどの例も見受けられる(もちろん、この場合も電話注文は可能であるが)。
学校外社会における現状
日本では、学校教育と直接関係ない場面でも、学校と同様に年齢主義があったり[87]、「中学校を卒業すれば、全員が高校に進学する」という「誤った前提」に基づき、「高校が義務教育」と誤認する課程主義の考え方がある(中卒者および自主退学者[88]の事情を考慮していない)。このため、自分の年齢では少数派の学年に所属している場合、または高校に進学していない(できない)場合、それを理由に予測できない制限や不利益を受ける場合がある(年齢が18歳~20代以上であっても、中卒を理由に就職や国家資格・業務独占資格の受験資格が制限され、選択できる職種が限定的になる)。
たとえば、学校の在学生のみ(15歳~18歳の高校生のみ、など)を対象にしたイベントやサービスには、学校の年齢主義や課程主義が影響しており、高校の非進学者(高校に進学していない、15歳~18歳の者)には各種イベントへの出場資格や学生割引などが与えられない。
小・中学生の段階から活動を始めた芸能人(子役、アイドルなど)やスポーツ選手が中学校を卒業した場合、高校に進学し、かつ卒業しなければプロ活動(プロ野球選手など)はほぼ不可能になるため、高校で学業に励みながら兼任することが暗黙の了解となっている。芸能界は学歴より実力が重視されることや、芸能活動を禁止している高校もあるため、あえて進学せず活動している芸能人(安室奈美恵、山田孝之など)も少数存在するが、やはり進学しないと異端の目で見られる懸念があるため、学業に励みつつ空き時間に芸能活動(テレビ番組の収録など)も行う芸能人もいる(引退後に高校へ進学することも不可能ではないため、必ずしも終生にわたって中卒のままとも限らない)。
高校の在学者のみを対象とした、スポーツ大会(高校野球など)や、日本数学オリンピック、日本テレビの全国高等学校クイズ選手権などのコンテストでは、最低年齢より数歳年齢が高いと出場資格がなくなるし、ソフトウェアのアカデミックパッケージの利用にも、「高校生であること」と「年齢の上限」が課せられている場合もある。
このように、学校教育とは直接関係ない場面であっても、「高校以下の学校が年齢主義で運営されている」ことや、「中卒者が全員高校に進学している」ことを「暗黙の前提」としている場合があり、学校外においても年齢主義と課程主義の影響が存在している。これについては過年度生でも詳述している。
逆に、学校の在学生であることによって身分制限がある場合もある。例えば2005年までは学生・生徒は競馬の馬券を購入をすることを禁止されていた。また、R15指定の映画の観賞は、年齢制限をクリアしている15歳以上でも、中学生・高校生の場合は入場が禁止される。また、18歳以上から利用できるサービスでも、高校生や大学生であることにより、風紀上の理由で禁止されるサービスなども存在する(例としては運転免許証の取得など。ただし、高校の卒業見込と認められれば、3学期の卒業式前に教習を受けられる場合はある)。
こういった「在学生であること」や「中卒であること(高校に進学していないこと)」による制限は、厳密には教育課程についての考え方ではないため、課程主義と呼ぶことは異論もあろうが、年齢基準より「学校種」や「学歴」(中卒か、高卒以上か)を基準とした制度であるため、学校外社会においても「課程主義」の存在が影響しているともいえる。しかし、こういった考え方に対しては、それらの学生・生徒が退学したら、その瞬間からそれらのサービスを受けることに対して適性が生まれるのであろうかという疑問も生ずる。実際、2005年の改正競馬法では学生・生徒の馬券購入・譲受禁止は撤廃され、禁止対象は「20歳未満のみ」に緩和された経緯がある。
大学などであっても、高年齢だと奨学金や留学制度などが使えない場合がある(50代で東京外国語大学に編入した人の証言)。
また、一部の企業では入社の時期ではなく、年齢によって給料が決まっている場合もある。また、学校卒業者の新規採用では、浪人経験者など年齢が高い応募者は、受け付けない企業もある。これらのことは、新卒一括採用制度という日本型採用システムそのものも含めて、企業社会における年齢主義といえよう。本来年功序列制や新卒一括採用制のないアメリカなどでは、(正当な理由がない限り)高年齢を理由に就職を断ることは禁止されている。しかし、日本では国家公務員試験や公立学校の教員採用試験でも年齢の下限・上限が定められている(受験前と受験時の日数差による加齢を防ぐため、生年月日の下限・上限を明確にすることで年齢を制限している)。
一般社会における認識
学校制度と本来的に無関係な場面においてすら、年齢主義と「15歳~18歳の中卒者=高校に進学している」という「誤った前提」に基づき、課程主義の思想に裏打ちされた表現が随所に見られる。
- 例えば公的機関の説明文書でも、小中学校や、場合によっては高校も年齢主義によって運用されていることを前提としているのもがある。例えば児童手当の説明文では、このように「小学校3年生まで」と学年基準で書かれているが、実際には小学校の学年が何年であっても、年齢によって受給資格が決まる。また、2010年から始まる子ども手当に関するリーフレットでは、支給できる年齢の上限を明記せず「中学卒業まで」と表記しているが、実際には学歴は関係なく15歳の4月1日の前日で打ち切られる。
- また、厚生労働省と文部科学省の共同作成した予防接種のパンフレットにおいても、「中1、高3の年齢の皆さんも」や「中学1年生と高校3年生に相当する年齢の者」と表記しており、中学のみならず高校までも同学年同年齢であるかのような表現がなされている。実際には、予防接種は学年ごとではなく、特定年齢を対象にしたものであるが、このパンフレットにはその説明がない。また、ここでいう「高3の年齢」とは17~18歳頃のことだが、「この年齢であれば、全員が高校に通っている」と決めつける、誤った前提に基づく表現であり、高校の非進学者の事情を考慮していない。
- 学校制度と無関係な薬学部門でも、学校の年齢主義に影響された表現が存在し、たとえばライオンの市販薬小中学生用ストッパのように、5歳~14歳を対象としている物に対し小中学生用という表現を用いる例がある。
- また、学資保険も満期年齢を最低在学年齢に固定する場合が多く見られ、顧客全員が同一年齢で学校を卒業することを前提とした商品作りとなっている。
- ディズニーランドのチケット料金においても、「中人(中学・高校生)12~17歳」という、年齢と学校段階が同一視された表現があり、19歳以上の中高生や、高校の非進学者はいくらになるのか、問い合わせなければ分からない形となっている。
- パナソニック製のある電球型蛍光灯の広告では、3万時間の寿命があることについて、「毎日10時間点灯しても8年2ヶ月と20日間。誕生した子供が小学3年生になるまでの実に長い寿命である」と謳い、生まれてから小学3年生になるまでの期間が全員同じであるかのような印象を抱かせるものとなっている。
- 2010年に検討された東京都青少年の健全な育成に関する条例の改正案では、漫画などの創作作品に登場する非実在青少年が18歳未満であるかどうかの判断基準として、「年齢又は服装、所持品、学年、背景その他の人の年齢を想起させる事項の表示又は音声による描写から十八歳未満として表現されていると認識されるもの」との条文を設け、この部分に関する質疑に対し「ランドセルや制服、教室などが明らかに描写されている場合は、18歳未満と判断される。少女のように見えても、そうした点が表現されていなければ、18歳未満とはされない」と回答している。このように、「小・中高生=18歳未満」との見方を推進している。
有識者の意見
- 私立学校では出席日数不足はもちろん、成績によっても落第や留年をさせるが、それも高校生くらいからだと思う。本当に必要なのは義務教育のときの落第や留年ではないかと思う。基礎基本さえも身についていない子供に勉強の有用性を説いても机上の空論でしかない。親も先生も社会も「落第バンザイ!」というくらいの気持ちを持つことだ。(落第と留年の使い分けの説明はなし)(実務教育出版『子供を自立させる親、させられない親』)
- フランスなどでは義務教育段階での原級留置が一般的に行われているが、日本の国民性や教育制度のもとでは有効性は疑問。原級留置の対象者拡大は急に行わず、現行制度を徐々に改善していくべきである。(典拠)
- 義務教育段階での原級留置など、習得主義を研究すべきである。学年と年齢が固定されているのは疑問。保護者の理解が必要であり、幅広い議論を呼びかけたい。(典拠)
- #日本における展望で説明している。
- ブログの「行方不明3年の小学生に卒業証書」は美談なのか?において、2003年5月20日に発生した誘拐事件で行方不明になった小学4年生の女児(事件当時9歳)に卒業証書を授与しようとしていることに対し、本人の意向にかかわらず強制的に進級させることに疑問を呈している。
- なお、行方不明の女児は2006年3月に小学校を卒業したことになり、その後熊取町内の中学校に在籍することになったが、在籍中の3年間(2006年4月~2009年3月)も行方不明のままで卒業が認められなかったため、両親の意向で除籍された。
- #日本における展望で説明している。
脚注
参考文献
- 奥田真丈、河野重男、安彦忠彦『現代学校教育大事典』(全7巻)1993年、ぎょうせい ISBN 4324037191 (絶版、新版(ISBN 4324064156)あり)
- 「課程主義、年齢主義」
- 細谷俊夫、奥田真丈、河野重男、今野善清『新教育学大事典』(全8巻)1990年、第一法規 ISBN 4474147405 (絶版)
- 「原級留置」「留年」「学年制」
- 菱村幸彦『教育法規からみた校長・教頭の職務百科』2004年、教育開発研究所 ISBN 4873808863 (流通中)
- 162~163ページ「課程の修了・卒業の認定」堀井啓幸
- 糟谷正彦『校長・教頭のための学校施設・事務管理百科』2005年、教育開発研究所 ISBN 487380891X (流通中)
- 58~59ページ「原級留置」堀和郎
- 菱村幸彦『教育の眼・法律の眼』1992年、教育開発研究所 ISBN 4873802237 (流通中)
- 16~19ページ「落第を避ける教育風土」「登校拒否児の卒業・進級の認定」菱村
- 菱村幸彦・下村哲夫『教育の眼・法律の眼II』1994年、教育開発研究所 ISBN 4873802458 (流通中)
- 34~35ページ「不登校児童・生徒の進級」下村
- 『教育法規の論争点』1994年、教育開発研究所 (絶版)
- 142~143ページ「進級・卒業の認定の基準をどう考えるか」高見茂
- 『学習指導・評価の論争点』1994年、教育開発研究所 (絶版)
- 96~97ページ「進級制度をめぐってはどのような論争があるか」林勲
- 『別冊教職研修No.8 2005年8月号 2006年校長・教頭・指導主事選考への基礎対策講座』2005年、教育開発研究所
- 28~29ページ「義務教育への課程主義・修得主義の導入」葉養正明
- 『新教育法規読本』1992年、教育開発研究所 (絶版)
- 150~153ページ「卒業認定と原級留置」中谷彪
- 佐藤秀夫『学校の文化史2』2005年、阿吽社 ISBN 4900590819 (流通中)
- 戦前の学校の在学年齢についての詳しい考察がある。
- 小林哲夫『飛び入学 日本の教育は変われるか』1999年、日本経済新聞社 ISBN 4532162998 (絶版)
- 戦前の飛び級制度などについて詳しい。
- 『日本近代教育史事典』1971年、平凡社 ISBN 9784582117011 (絶版)
- 「学校体系」、「初等教育」、「中等教育」、「義務教育」の章などに旧制学校に関する解説がある。執筆担当者は佐藤秀夫ら。
関連項目
- 学歴
- 学歴詐称
- 学歴差別
- 比較教育学
- 年齢制限
- 年齢階梯制
- 履修主義と修得主義 - 定期考査
- 在学年齢 - 学齢 - 学年 - 飛び級 - 進級 - 卒業 - 学年制と単位制 - 学年制と無学年制 - 学年制と等級制
- 特別支援教育 - 早期教育
- 学力 - 学力低下 - 学業不振 - 落ちこぼれ - 浮きこぼれ
- 年功序列 - 新卒一括採用
外部リンク
- 学制百年史
- 学制百年史 資料編
- 各国の義務教育制度の概要
- 我が国の義務教育制度について(下部に資料あり)
- 初等中等教育分科会における主な意見について - ただし進級基準と義務教育終了(修了)基準が明確に区別されていないので注意が必要。
- 現代学校への原理的提議 松野憲二 教育哲学研究掲載論文 1980年 2010年7月25日閲覧。 - 年齢主義に対する批判。この時期にすでに出されていたことは特筆に値する。なお、法規上在学年齢や在学年限に上限があるかのような書き方が本文中にあるが、法規上は上限はない。
School enrollment, primary > % net www.nationmaster.com 2010年7月26日閲覧。初等教育純就学率
School enrollment, secondary > % gross www.nationmaster.com 2010年7月26日閲覧。中等教育粗就学率
School enrollment, secondary > % net www.nationmaster.com 2010年7月26日閲覧。中等教育純就学率
特記なき場合は上記サイトのデータを利用したが、ドイツの初等教育と中国の初等教育については粗就学率と純就学率でかけ離れた年度のデータしかなかったため、ユニセフ世界子供白書2010年版のデータを使用した。世界のデータも同様である。
いんさいど世界2001・7-教育改革情報- - サマースクールについて