近鉄特急
テンプレート:Pathnav 近鉄特急は、近畿日本鉄道(近鉄)が運行をしている有料特急列車の総称である。
近鉄特急の歴史については、「近鉄特急史」を参照のこと。
目次
- 1 概要
- 2 特急列車の系統
- 3 臨時運行の系統
- 4 過去に運行されていた系統
- 5 系統同士の乗り継ぎについて
- 6 料金制度
- 7 特急券の発売箇所
- 8 近鉄インターネット予約・発売サービス
- 9 割引切符
- 10 特急座席予約システム(ASKAシステム)
- 11 特急に使用される車両
- 12 車内
- 13 編成の向きと号車番号および席番について
- 14 車両運用
- 15 特急運行路線と特色
- 16 特急車両のメカニズム
- 17 車両デザイン
- 18 特急車両の保守と整備
- 19 競合関係にあるもの
- 20 乗務員
- 21 車内サービス
- 22 駅
- 23 事故
- 24 東海地震への対応
- 25 お召し列車
- 26 他社線への乗り入れ
- 27 列車名がない理由
- 28 車内チャイム
- 29 イメージソング
- 30 注釈
- 31 出典
- 32 参考文献
- 33 関連項目
- 34 外部リンク
概要
大阪、名古屋の2大都市をはじめ、四日市、津、橿原等の地方都市、京都、奈良、飛鳥、吉野、伊勢志摩等の観光地に路線網を張る近畿日本鉄道は、路線の大半で座席指定の有料特急を運行し、都市間輸送、レジャー輸送、通勤輸送、観光輸送など様々なニーズに対応した特急運用を行なっている。
運行頻度、本数は私鉄最大で[2]、複数系統が全路線の約8割をくまなく走行し、特急ネットワークを形成している。そして、系統の異なる特急が各接続駅で相互に連絡のうえ、系統間をまたいだ移動の自由度、およびフリークエントサービスを提供している[3]。
特急には特急専用車両が限定で用いられ、JRのように特急車両を特急運用以外の用途(ホームライナー、快速、普通の各列車)に用いる事例はない。また、南海特急「サザン」、名鉄特急のような一般車と混成する運用も存在せず、一般通勤車両および運用とは厳格に区別されている。座席は回転式リクライニングが基本で、伊勢志摩観光向けとしてソファタイプのグループ席も用意されている。
特急ネットワーク
現在1日約400本を運行する近鉄特急も、1947年に創始された時は、大阪 - 名古屋間1日4本(2往復)であった[注釈 1][4]。その後、同区間で国鉄の優等列車と競合しながら着実に需要を伸ばし、1963年までに路線改良や特急車の増備を経て都市間連絡の特急が3系統、78本まで増発された[5]。
しかし、1964年10月の東海道新幹線開業を転機として運行体系を抜本的に見直す必要に迫られ、特に新幹線と運行区間が重なる大阪 - 名古屋間特急はスピードにおいて新幹線に太刀打ちすることは不可能で、また料金面で大差がないことから大きくシェアを落とすことが予想された[4]。近鉄特急は創始以来、大阪 - 名古屋間特急を主体として営業展開を行ってきたが[6]、新幹線の出現によって瓦解の危機に直面し、このため、新幹線のスピードを利用する方策に転じた。つまり、新幹線の高速輸送によって東京から近畿・中部地区の観光地まで概ね3時間の範囲に収まることを逆手に取り、関東から西下した客を名古屋ないし京都乗換えのうえ自社線内の観光地に誘致して新たな需要を喚起することになった[注釈 2][7]。
この戦略の転換によって都市と観光地を結ぶ系統が相次いで新設された[4]。そして主要幹線を特急が縦横に駆け回り、各接続駅で系統間の乗換えを考慮したダイヤとしたことから、その張り巡らされた特急網をして特急ネットワークと称され[8][9]、その運行スタイルは今に至るも近鉄特急の特徴となっている[10]。
また、制度の面からも、乗り継ぎの際の特急料金の算定方式や、特急券の発券様式を利便性の高いスタイルにすることで、特急ネットワークをバックアップしている[11]。
特急運営について
近鉄沿線には過疎地域や山間部が多く、大都市圏並の輸送量を持つ路線の割合は全体の30%に過ぎず、残りの70%は閑散路線で構成されている[12]。このことは、大都市圏を中心に路線を展開し、その営業距離が近鉄よりも遥かに短い東急をはじめ阪神の各電鉄と比較しても近鉄路線の採算状態が芳しくないことを示している。その弱点をカバーするために、閑散路線を経由する形で沿線に散らばる大都市、中小都市、観光地を特急列車で有機的に結合のうえ、旅客流動を創出して採算を得ている。そのために特急専用車両を使用し、全席指定、かつ高速輸送、そして旅客のニーズに合わせた運用を行い、それらのサービスの見返りとして、特別急行料金を徴収して長大路線の維持管理運営を行なう原資としている[12][9]。近鉄が歴史的に特急運営及び特急車両の質的改善に執拗なまでに拘る要因となっているのはこのような事情による[13]。
特急列車の系統
近鉄特急の各列車には「のぞみ」などの列車名が存在しないため、本節では各列車の便宜的な解説手段として近鉄部内で呼び慣わしている系統名を用いる[14]。現在、近鉄特急には、大阪、京都、名古屋を起点に各地方都市、観光地を結ぶ系統が8つ存在し、例えば、この内の大阪 - 名古屋間系統の場合は「名阪」と称する。この定義に沿って8つの系統名を言い表せば、名阪(めいはん)、阪伊(はんい)、名伊(めいい)、京伊(けいい)、京橿(けいかし)、京奈(けいな)、阪奈(はんな)、吉野(よしの)で、以下その順番で解説する。また、本節では系統名の下に特急と付記して「名阪特急」と記述する。さらに、近鉄部内では、名阪、阪伊、名伊の3系統について、速達タイプの停車駅の少ない特急を甲特急、主要駅停車タイプの特急を乙特急と呼称しており[15][14]、本節でも解説の便宜上、それに倣う。
なお、「アーバンライナー」「伊勢志摩ライナー」「しまかぜ」「さくらライナー」の名称は車両固有の名称であって列車名ではない。ただし、「しまかぜ」専用車両(50000系電車)で運用する特急列車については「観光特急しまかぜ」の題目で別途解説する。また、「しまかぜ」は系統的に阪伊甲特急と名伊甲特急に分類されるが、近鉄が既存の特急と分けて案内していることに鑑み、本節ではその2系統の設定本数から「しまかぜ」2列車分を除外した。
各系統の運行区間と停車駅を下図に示す。なお、図では主要駅に停車する標準的な特急と、長距離を直通で結ぶために途中の駅にはほとんど停車しない特急を分けて示し、前者を左、後者を右に示した。また、天理、湯の山温泉方面等の臨時運行は除外した。
名阪特急(大阪 - 名古屋間)
テンプレート:Double image aside 名阪(めいはん)特急は近鉄名古屋駅 - 大阪難波駅間に運行され、近鉄名古屋駅 - 鶴橋駅間を途中の津駅のみに停車する甲特急と、主要駅に停車する乙特急の2種類がある。所要時間は、甲特急が近鉄名古屋駅 - 大阪難波駅間を最速2時間5分[17]、乙特急は2時間20分前後を要する。後述する東海道新幹線の名古屋駅 - 新大阪駅間は最速48分で、所要時間で不利な甲特急は、値段、車内設備、地理的条件でその不利を補っている。乙特急は、名阪直通利用に限らず途中駅間の利用もあるため、必ずしも新幹線を意識する必要が無く、このため日中においても相応の需要が存在する[18]。
系統自体は近鉄特急の中では最も古く1947年10月に運転を開始している[19]。当時は大阪線と名古屋線の軌間が異なっていたことから、伊勢中川駅で乗り換えを要した。1948年7月からは大阪線側の名阪特急が宇治山田駅まで延長され、名阪特急には伊勢連絡の役割も付与された[20]。1959年12月には名古屋線の軌間拡幅工事完成に伴いダイヤ変更を実施、新製なった10100系に置き換えて名阪間乗り換えなしの直通運転が開始されたが、伊勢中川駅には停車して、伊勢中川駅 - 宇治山田駅間の短区間特急と接続することで伊勢連絡は継続された。しかし、その翌月(1960年1月)には伊勢中川駅を無停車化(実際はスイッチバックのための運転停車)して鶴橋駅[注釈 3] - 近畿日本名古屋駅(現・近鉄名古屋駅)間でノンストップ運転を開始、名阪特急による伊勢連絡は廃止された[21]。また、この時から乙特急が設定された。1961年3月29日には中川短絡線が開通して伊勢中川駅におけるスイッチバックを廃止した(当初は甲特急のみが短絡線を経由していたが、1963年9月21日から乙特急も短絡線を経由)[22][23]。1990年3月からは、朝晩の甲特急が津駅と大和八木駅に停車し(両方ないし一方のどちらか)、以後停車列車は拡大された。そして2012年3月ダイヤ変更から全ての甲特急が津駅に停車となり[24]、ノンストップ運行は終了した。同時に、津駅で前後を行く名伊特急の接続を受けるダイヤとなったことから、甲特急が停車しない桑名、近鉄四日市、白子の各駅と大阪を連絡するチャンスを増やした。
列車ダイヤは、近鉄名古屋駅・大阪難波駅とも甲特急が毎時00分発、乙特急が30分発を基本ダイヤとしている。土休日の16 - 18時台には、近鉄名古屋駅25分発、大阪難波駅20分発の甲特急が加わる)[25]。2009年3月20日改正以降、大阪難波発の列車のうち平日の乙特急の大半と、土休日の甲特急の大半が大阪難波駅で阪神なんば線方面からの快速急行の接続を受けるダイヤになっている[26]。
甲特急の車両は、専用系列である21020系電車(アーバンライナーnext)や21000系(アーバンライナーplus)が充当される。このため、甲特急は全席禁煙となっている。乙特急は基本的に22000系や22600系などの汎用特急車が充当されるが、時間帯によっては21000系も名阪甲特急の間合いで充当される[27]。
- 停車駅(甲特急)[16]
- 近鉄名古屋駅 - 津駅 - (大和八木駅) - 鶴橋駅 - 大阪上本町駅 - 大阪難波駅
- 停車駅(乙特急)[16]
- 近鉄名古屋駅 - 桑名駅 - 近鉄四日市駅 - 白子駅 - 津駅 - (伊賀神戸駅) - (桔梗が丘駅) - 名張駅 - 大和八木駅 - 鶴橋駅 - 大阪上本町駅 - 大阪難波駅
- ( )は一部の列車が停車
- 伊賀神戸駅と桔梗が丘駅は早朝の大阪方面行きのみが停車する。
- 乙特急には、朝に近鉄名古屋駅(平日のみ)・桑名駅(土休日の上本町行きのみ)・津駅(上本町行きのみ) - 大阪上本町駅間を運行する列車が設定されている。
新幹線と近鉄名阪特急
名阪特急は東海道新幹線の開通直後は所要時間・運賃の両面で優位性を失った。特に新幹線と直接競合する甲特急は大打撃を受け、名阪間におけるシェアは、1964年上期の69%から僅か2年で19%まで下落した[28]。そして凋落傾向のシェアに連動して編成も短縮され、1編成として成り立つ最小単位の2両ないし3両による運用が常態化した[29]。その後も新幹線における「ひかり」の料金値下げ(「こだま」との料金格差の廃止)や「ひかり」への自由席設定などが追い討ちをかけた。
ところが、1976年11月に実施された国鉄の運賃・料金大幅引上げを契機として[30]、名阪特急は運賃面で優位となったことから乗客数が増加に転じ、併せて編成も長大化された[31]。この傾向に拍車をかけるため、1988年3月には、21000系(アーバンライナー)が6往復の甲特急に投入された[32]。効果として、最大6分の所要時間短縮もさることながら、綿密なマーケティングリサーチを行なって車両やサービスに反映したことが功を奏し、結果的に名阪特急全体で概ね1割の需要増加を見た[33]。この費用対効果に鑑み、甲特急全列車の21000系化と一部8両編成化が実施された[34]。
その後、数回の近鉄の料金値上げ(JRは据え置き)や景気の悪化も加わって21000系投入以前の実績に逆戻りしているが、割引率の高いクーポン券の導入やユニバーサル・スタジオ・ジャパンの開業も手伝って、ある程度の回復を果たしている[35]。
名阪間の所要時間は、東海道新幹線が名古屋駅 - 新大阪駅間で最速48分、地下鉄でのアクセス時間を加えても名古屋 - 難波間は1時間20分前後であり、所要時間で不利な近鉄特急は以下の条件で対抗している。
- 廉価な運賃・料金
- 正規料金では、大阪難波駅 - 近鉄名古屋駅間が運賃、特急料金込みで4,260円(レギュラーシート)、新大阪駅 - 名古屋駅間が運賃と新幹線特急料金込みで6,550円(通常期のひかり、こだまの指定席)で、近鉄が2,290円安い(通常期ののぞみの指定席よりは2,500円、のぞみ・ひかり・こだまの自由席利用よりは1,570円安い)。回数券の名阪まる得きっぷは、1枚当たり3,350円と新幹線のほぼ半額となっている。[1]なお、「新幹線自由席早得往復きっぷ」(名阪間往復切符で9,150円)を購入の場合は、近鉄とほぼ拮抗する。[2]
- 利便性
- 近鉄は大阪市南部の繁華街である難波に直接乗り入れており、乗り換えを必要としない。また、大阪市営地下鉄や南海電気鉄道(南海)、そして阪神との結節点となる難波にターミナルを置くため、目的地によっては、特に大阪の東部・南部と名古屋の間での利用は近鉄の方が所要時間が短い。
阪伊特急(大阪 - 伊勢志摩間)
阪伊(はんい)特急は、大阪と伊勢志摩を結ぶ特急で、大阪難波駅・大阪上本町駅 - 名張駅・伊賀神戸駅・松阪駅・宇治山田駅・鳥羽駅・賢島駅間に列車が設定されている[36]。名阪特急と同様に、停車駅の少ない甲特急と、主要駅停車の乙特急がある。
本系統は1948年7月、軌間の相違から分割運転されていた名阪特急の大阪線側、上本町駅 - 伊勢中川駅間を宇治山田駅に延長する形で誕生している[21][37]。しかし、名古屋線の改軌完了後の1959年12月ダイヤ変更で名阪特急は統合され、従来は大阪 - 伊勢間が直通であった運行体系が、伊勢中川駅乗り換えのうえ、この時に新設なった伊勢中川駅 - 宇治山田駅間の短区間特急と接続する形態に変更された。翌1960年1月には名阪甲特急が鶴橋駅 - 近畿日本名古屋駅間をノンストップ運転化するため、伊勢中川駅を無停車化[注釈 4]したことで伊勢連絡が利かなくなることへの補償として、上本町駅 - 宇治山田駅間に乙特急5往復が新たに設定された[注釈 5][38]。以後、高度経済成長の波に乗って運行本数も拡大され、1970年には近鉄難波駅と賢島駅乗り入れを機に甲特急も設定された[39]。しかし、1990年代のバブル経済崩壊をはじめ、観光ニーズの多様化とリゾートブームの終焉によって伊勢志摩観光の需要が低迷したため[40][41]、観光列車としての性格が強い甲特急は土休日の1往復を除いて運転取りやめになった。
甲特急は前述通り、土休日の1往復のみの運行となっている[42]。また、2013年3月17日のダイヤ変更より甲特急の停車駅に伊勢市駅が追加された[43]。乙特急の大阪線内の停車駅は昭和40年代の急行並みの駅数にまで増加している[注釈 6]。乙特急は伊勢中川駅で名伊乙特急(時間帯によっては名古屋方面発着の急行)、大和八木駅で京橿特急と相互に接続し、名阪乙特急もしくは京伊特急の補完列車としての役割も兼ねる[44]。従って、名阪特急の停車しない大和高田駅・榛原駅などから名古屋方面への利用が可能となっている。
- 停車駅(甲特急)[16]
- 大阪難波駅 - 大阪上本町駅 - 鶴橋駅 - 伊勢市駅 - 宇治山田駅 - 鳥羽駅 - 志摩磯部駅 - 鵜方駅 - 賢島駅
- 停車駅(乙特急)[16]
- 大阪難波駅 - 大阪上本町駅 - 鶴橋駅 - (布施駅) - (大和高田駅) - 大和八木駅 - (榛原駅) - 名張駅 - (桔梗が丘駅) - (伊賀神戸駅) - (榊原温泉口駅) - 伊勢中川駅 - 松阪駅 - 伊勢市駅 - 宇治山田駅 - 五十鈴川駅 - 鳥羽駅 - 志摩磯部駅 - 鵜方駅 - 賢島駅
- ( )は一部の列車が停車
- 一部列車の停車駅については、日中は以下の列車が交互に運転されている[45]。
- 布施駅・榊原温泉口駅に停車する列車(概ね、大阪上本町駅 - 鳥羽駅間の運行)
- 大和高田駅・榛原駅・伊賀神戸駅に停車する列車(概ね、昼間は大阪難波駅 - 賢島駅間の運行)
- 朝と夕方から夜間にかけて、伊賀神戸駅・榊原温泉口駅の両駅に停車する列車や、それに加えて大和高田駅・榛原駅に停車する列車、さらに桔梗が丘駅にも停車する列車がある。
- 布施駅は日中のみの停車である。
名伊特急(名古屋 - 伊勢志摩間)
テンプレート:Double image aside 名伊(めいい)特急は、名古屋と伊勢志摩を結ぶ系統で、近鉄名古屋駅 - 津駅[注釈 7]・松阪駅・宇治山田駅・鳥羽駅・賢島駅間で運行されている[46]。阪伊特急と同じく、甲乙両タイプが設定されている。
本系統は阪伊特急の設定と機を一にして、1948年7月、当時軌間の違いから直通できなかった名古屋線と山田線を伊勢中川駅乗り換えの形で設定された[20]。これは当時、軌間の相違から分割運転されていた名阪特急の名古屋線側(近畿日本名古屋駅 - 伊勢中川駅間)を、宇治山田駅まで延長なった大阪線側の名阪特急と伊勢中川駅で連絡させることで名古屋と伊勢を結んだものである[20]。1959年12月には名古屋線の改軌に伴い、分割運転していた名阪特急は統合のうえ、上本町駅 - 近畿日本名古屋駅間で直通運転が開始されたが、この時に設定された伊勢中川駅と宇治山田駅間を結ぶ短区間特急と接続させることで名伊連絡は存置された。しかし、翌1960年1月、名阪甲特急の伊勢中川駅無停車化によって伊勢連絡が無視されたことに対する補償として[21]、近畿日本名古屋駅 - 宇治山田駅間に5往復の特急が新たに設定された[47]。従って、名阪、阪伊、名伊の3系統は誕生の経緯からして密接に関わっており、後述するそれ以外の系統とは設定の動機が根本的に異なっている。この3系統が設定時点では主として都市間連絡を使命としたのに対し、それ以外は都市と観光地を連絡することを主たる使命として設定されており、この違いが東海道新幹線の出現に深く起因していることは本稿冒頭、及び京伊特急以下の解説において記述している。1960年10月には伊勢市駅のみ停車する甲特急も設定された[注釈 8][48]。当初は5往復だったこの系統も、名古屋駅で旧国鉄との接点を持っていることから東海道新幹線の開業を機に自社路線の観光客引込みの手段として重要視され、また、中部経済圏の発展と共にビジネス需要の増加もあって増発を重ねた[49]。しかし、後述の「快速みえ」の設定をはじめモータリゼーションの進展、少子高齢化、そして伊勢志摩観光の低調もあって輸送量は近年低下傾向にある[50]。
列車本数は近鉄特急中最大である[51]。ビジネス利用の多い上り朝時間帯と下り夕方時間帯に本数が多く、日中は上下片道それぞれ2本運行が基本である。乙特急の一部列車では21000系が充当される。2013年現在、甲特急は土休日のみ1往復で、23000系を使用する[52]。また、伊勢中川駅で阪伊乙特急と連絡し、名阪間のフリークエンシーを高めている。一部の列車は津駅で名阪甲特急に接続し、大阪と白子、近鉄四日市、桑名の各駅を連絡している。
- 停車駅(甲特急)[16]
- 近鉄名古屋駅 - 津駅 - 伊勢市駅 - 宇治山田駅 - 鳥羽駅 - 志摩磯部駅 - 鵜方駅 - 賢島駅
- 停車駅(乙特急)[16]
- 近鉄名古屋駅 - 桑名駅 - 近鉄四日市駅 - 白子駅 - 津駅 - (久居駅) - 伊勢中川駅 - 松阪駅 - 伊勢市駅 - 宇治山田駅 - 五十鈴川駅 - 鳥羽駅 - 志摩磯部駅 - 鵜方駅 - 賢島駅
- ( )は一部の列車が停車
- 久居駅には朝の上りと夕方から夜間にかけて、下りの一部が停車する。
快速「みえ」と名伊特急
テンプレート:See also 名古屋駅-鳥羽駅では、近鉄に並行するJR・伊勢鉄道に快速列車「みえ」号が設定されている。運行を開始した当初、下り列車は名古屋毎時10分発だったが[53]、2003年10月のダイヤ改正以降は名伊特急が設定されない名古屋毎時35分発、2013年3月以降は37分発(8時~17時)に運行されるパターンダイヤになっている。なお、近鉄では名阪乙特急が近鉄名古屋駅を毎時30分に発車し、近鉄名古屋駅 - 津駅間にて競合するが、「みえ」は単線区間で列車交換を行なうため、津駅へは乙特急が先着する。名古屋駅 - 津駅の運行頻度も近鉄特急が名阪特急と合わせて1時間あたり4本と多い。
料金面では、近鉄特急は全席指定で特急料金が必要であるのに対し、「みえ」は指定席を除いて乗車券以外の追加料金は不要であり、また伊勢鉄道線経由の運賃合算分を考慮に入れても近鉄特急より安くなる。例えば、近鉄特急の近鉄名古屋駅 - 松阪駅間2,580円と比べて、快速みえは1,650円で930円下回る。さらに「快速みえ得ダネ4回数券」[3]では、一枚当たりの金額が同一区間の近鉄運賃をも下回るため、近鉄特急のみならず急行にも対抗する。
観光特急「しまかぜ」(大阪 - 伊勢志摩間・名古屋 - 伊勢志摩間)
テンプレート:Double image aside 2013年(平成25年)3月21日から運行を開始した観光特急であり、水曜日を除く週6日運転(ただし春休み・夏休み・ゴールデンウィーク・年末年始時は毎日運転)で大阪難波駅・近鉄名古屋駅 - 賢島駅間を各1往復している[54]。なお、ダイヤに関しては1970年代以来の阪伊甲特急と名伊甲特急の時刻を概ね流用している。
50000系が専用で使用されるが、当該系列は2編成のみの在籍であることから、毎週水曜日は団体専用の貸切列車になること、および車両検査のために運休となる(一部例外がある)。
車両は6両編成で、和風個室・洋風個室・グループ席・サロン席・デラックスシート以上の座席を配した開放客室(2-1人掛けでシートピッチ1,250mm、両先頭車は展望席のあるハイデッカー構造)とカフェテリアを持った2階建て車で構成される。特急料金の他に「しまかぜ」特別車両料金、個室を利用する場合は個室料金が必要である。
当該系列で運用される特急列車の場合、近鉄の駅提出の時刻表では、特急欄の中に「しまかぜ」専用の欄を設けて時刻を提示する。近鉄時刻表では「しまかぜ」マークを掲示し[55]、JTB時刻表ではSVで表す[56]。
2014年秋以降、50000系1編成を増備したうえで京都 - 伊勢志摩間での定期運転を予定している[57]。
- 停車駅(阪伊)[16]
- 大阪難波駅 - 大阪上本町駅 - 鶴橋駅 - 大和八木駅 - 伊勢市駅 - 宇治山田駅 - 鳥羽駅 - 鵜方駅 - 賢島駅
- 停車駅(名伊)[16]
- 近鉄名古屋駅 - 近鉄四日市駅 - 伊勢市駅 - 宇治山田駅 - 鳥羽駅 - 鵜方駅 - 賢島駅
京伊特急(京都 - 伊勢志摩間)
京伊(けいい)特急は、京都市と伊勢志摩を結ぶ特急列車で、京都駅 - 松阪駅・鳥羽駅・賢島駅間で運転されている[58]。近鉄は大阪方面に新幹線との接続駅を持っていないことから、西日本(中国地方、四国地方、九州地方)からの新幹線利用者および北陸特急利用者に対する伊勢志摩への観光客輸送の使命を担っている。朝の1本を除き、大和八木駅で名阪乙特急と相互接続し、名古屋線特急停車駅から大和西大寺駅・近鉄丹波橋駅・京都駅への連絡や、阪伊乙特急の実質増便の役目を負っている。大和八木駅 - 新ノ口駅間は、大阪線と橿原線の短絡線を走行する。
本系統は後述する京橿特急と同様、東海道新幹線の高速輸送によって、関東から近鉄沿線の観光地へ周遊してもらうことを狙いとして1966年12月に設定された[59]。運転開始当初は2往復を設定。京橿特急が大和八木駅で阪伊特急との乗り換えの不便をかこっていたのに対し、本系統は乗り換えなしの直通運転とすることを眼目とした。しかし、京都線・橿原線と大阪線・山田線で架線電圧が異なり、車両限界も異なっていたため、専用の狭幅18m級車体を備えた複電圧車である18200系が用いられた。設定当初は単独運転となっていたが[60]、大阪線の単線区間の運行可能本数の制限から、大阪線系特急が増発され、京伊特急も5往復に増発された翌1967年12月より大和八木駅 - 宇治山田駅間について阪伊乙特急との併結運転に変更された[61]。新青山トンネル開通に伴う大阪線全線複線化完成によって輸送力に余裕が生じた1976年3月より再び単独運行に戻され[62]、同時にほぼ全ての便が大和八木駅 - 松阪駅間無停車となり、甲特急と乙特急の中間的な性格を有する列車となった。その後の需要低迷により2003年3月より名張駅と伊勢中川駅に全ての列車が停車するようになり、閑散時間帯の一部列車について大和八木駅 - 賢島駅間で阪伊乙特急との併結が27年ぶりに復活した[63]。併結列車については榛原駅・伊賀神戸駅・五十鈴川駅にも停車した。
1970年の賢島駅直通以降の運行距離は195.2kmで、全系統中最長であるが[64]、日中1時間ヘッドの時代においてさえ京都と伊勢志摩を直通する旅客は稀で、京都 - 奈良間、奈良県と三重県、愛知県間の利用客がメインであった[14]。
2012年3月20日のダイヤ改正から、全列車が五十鈴川駅に、朝の上り1本と夕方の下り1本が高の原駅に停車をしている。また、このダイヤ改正でこの系統が大幅に削減(朝夕に計4往復のみの運行で、昼間時は京橿特急へ変更し、大和八木で阪伊乙特急に接続)され、阪伊乙特急との併結運転も取りやめとなった[65]。
- 停車駅[16]
- 京都駅 - 近鉄丹波橋駅 - (高の原駅) - 大和西大寺駅 - 大和八木駅 - 名張駅 - (榊原温泉口駅) - 伊勢中川駅 - 松阪駅 - 伊勢市駅 - 宇治山田駅 - 五十鈴川駅 - 鳥羽駅 - 志摩磯部駅 - 鵜方駅 - 賢島駅
- ( )は一部の列車が停車
- 高の原駅には松阪駅発の朝の上り1本と京都駅を17時以降に発車する下り1本が、榊原温泉口駅には松阪駅発の朝の上り1本のみ停車する[66]。
京橿特急(京都 - 橿原神宮前間)
京橿(けいかし)特急は、京都と奈良県中部を結ぶ列車で、京都駅・大和西大寺駅 - 橿原神宮前駅間を運行している[67]。1964年10月1日に運行開始、当初は6往復が設定された[68]。その運行開始日が示すように、多分に新幹線対策のために設けられた系統で、関東から西下した客を京都駅乗換えのうえ近鉄沿線の観光地に呼び込むことを使命とした。また、この特急は、大阪線、名古屋線、山田線以外の線区で始めて設定された系統でもあり、以後拡大していく特急ネットワークの端緒となった[69]。翌年には、後述する吉野特急の新設に伴って、橿原神宮前駅接続のうえ、吉野、大台ケ原方面への連絡輸送も開始された[68]。
2012年3月20日のダイヤ改正からは、昼間の一部列車が京奈特急と併結して運転している[70]。同時に日中の京伊特急廃止を補完するため毎時1本から毎時2本に増やした[71]。
停車駅について、2002年以降、京阪沿線(枚方・出町柳・三条など)からの利便を図って[72]、近鉄丹波橋が標準停車駅となっている[73]。ほか、西ノ京駅にも2010年3月ダイヤ変更からは土休日ダイヤの昼間のみ京橿特急の正式な特急停車駅となり、2012年3月20日のダイヤ改正からは平日の昼間も停車駅化された。
大和西大寺を始発から8:34発までの上り列車と京都17:00発以降の下り列車は、前述の京伊特急と後述の京奈特急も含めて高の原駅にも停車する[74]。
- 停車駅[16]
- 京都駅 - 近鉄丹波橋駅 - (高の原駅) - 大和西大寺駅 - (西ノ京駅) - 大和八木駅 - 橿原神宮前駅
- ( )は一部の列車が停車
- 高の原駅は大和西大寺駅を始発から8時34分までに発車する上り列車と京都駅を17時以降に発車する下り列車が、西ノ京駅は日中の列車が停車する。
京奈特急(京都 - 奈良間)
京奈(けいな)特急は、京都市と奈良市を結ぶ列車で、京都駅 - 近鉄奈良駅間で運転されている[75]。有料特急としては京橿特急より2か月遅れの1964年12月から運転を開始した[68]。京橿特急の京都駅における2時間の運用間合を活用するための設定で、当初は5往復であった[68]。
後述する阪奈特急と同様、京都駅 - 奈良駅間39.0kmという短距離を運行する特急であるが、こちらは京都市・奈良市の二つの古都を結ぶことから、観光的側面や東海道新幹線を利用した客を奈良方面へ輸送する側面が強く[76]、終日ほぼ毎時2本運行している[75]。
2012年3月20日のダイヤ変更から、昼間の一部列車が京都駅 - 大和西大寺駅間を京橿特急と併結して運転している[70]。これにより日中は毎時1本の単独列車と毎時1本の併結列車による1時間2本運転となった(変更前は単独列車のみの毎時2本)。併結列車は大和西大寺駅での増解結作業の影響でダイヤ変更前と比べて約5分所要時間が延びている[70]。
- 停車駅[16]
- 京都駅 - 近鉄丹波橋駅 - (高の原駅) - 大和西大寺駅 - 近鉄奈良駅
- ( )は一部の列車が停車
- 高の原駅は大和西大寺駅を始発から8時34分までに発車する上り列車と京都駅を17時以降に発車する下り列車が停車する。
阪奈特急(大阪 - 奈良間)
阪奈(はんな)特急は、大阪と奈良市を結ぶ列車で、大阪難波駅 - 大和西大寺駅・近鉄奈良駅間で運転されている。その運行距離32.8kmの短さから所要時間は35分前後で、同区間を走る快速急行及び急行と比べても大差はない。また、フリークエンシーも後者が10分間隔で圧倒的であることから、特急の存在意義は着席保障とハイグレードサービスに限定される[77]。また、当区間は通勤路線としての性格が濃厚なことから、この系統は着席ニーズに応える通勤特急としての色彩が強い[78]。
本系統は、1973年9月に運転を開始した[79]。当初は平日日中も1時間間隔で運行されていたが、1999年3月のダイヤ改正にて利用率が低かった平日日中の特急(上下合わせて12本)は廃止された[80]。ただし、奈良への観光客の利便を考慮し、土休日についてはほぼ終日1時間間隔(奈良方面は12時前後の時間帯をのぞく)で特急が設定されている[81]。
1956年11月から阪奈特急の運転開始される前の奈良線では通勤形車両を使用する料金不要の「特急」が設定されていたが、これは1972年11月に停車駅追加のうえで快速急行に種別を改めている[82]。阪奈特急の設定されない時間帯には快速急行や急行が大阪難波駅(および阪神線) - 近鉄奈良駅間の速達輸送の役目を担っている。
吉野特急(大阪 - 吉野間)
吉野(よしの)特急は、大阪と奈良県中部の吉野町を結ぶ列車で、大阪阿部野橋駅 - 橿原神宮前駅・吉野駅間を運転する列車で、1965年3月に運転を開始した[83]。南大阪線・吉野線は、歴史的経緯[84]から軌間が1067mm(狭軌)で、ほかの特急が走る路線の1435mm(標準軌)と異なっているため、直通運転ができず運行系統上は独立している。大阪方面から橿原神宮・飛鳥(明日香)・吉野・大台ケ原・大峰山(大和上市駅または下市口駅下車バス連絡)[85]への観光客輸送と、前述した京橿特急との連絡輸送、そして通勤輸送を担っている[86]。
運転開始当初の途中停車駅は、橿原神宮前駅・下市口駅・大和上市駅・吉野神宮駅の4駅のみであったが[87]、観光客の減少による新たな観光需要の掘り起こしや、通勤需要の増加のため停車駅が次々と追加され、1999年のダイヤ変更で11駅(2012年のダイヤ変更で一部列車は12駅)となった。このため大阪阿部野橋駅 - 吉野駅間の最速列車の到達時間は、運転開始当初の68分から76分に伸びた[88]。
古市駅は2012年3月20日のダイヤ変更から一部特急停車駅となっている[89]。
1999年のダイヤ変更による停車駅増加で吉野線内では過半数の駅に停車することとなったが、南大阪・吉野線内利用の場合に限り特急料金の距離加算をやめ、一律500円とした。改正前は大阪阿部野橋駅 - 吉野駅間の全線を乗車した場合、870円であったが大幅に値下げされた[90]。また、吉野線内限定で利用できる回数券「吉野路ビスタ4」(4回分でおとな1,240円、こども半額、有効期間は3ヵ月)も発売され、配慮がなされている。
橿原神宮前駅 - 吉野駅間は吉野線の前身である吉野鉄道開業以来の急峻な山岳線であり、急カーブと勾配の連続する単線であることから[91]、その所要時間は同区間の急行の最速列車と比べて大差はない(日中の標準的な所要時間差は約15分に拡大)[92]。また、南大阪線内も、前身の大阪鉄道時代の線形を引き継いでいるために急カーブが随所に存在することから[93]最高速度が大阪線・名古屋線系統より10km/h低い110km/hに設定されており[94]、他線区の特急と比べて全区間の表定速度が低く抑えられている。
- 停車駅[16]
- 大阪阿部野橋駅 - (古市駅) - 尺土駅 - 高田市駅 - 橿原神宮前駅 - 飛鳥駅 - 壺阪山駅 - 吉野口駅 - 福神駅 - 下市口駅 - 六田駅 - 大和上市駅 - 吉野神宮駅 - 吉野駅
- ( )は一部の列車が停車
- 古市駅は朝のラッシュ時の上りと夜間の下りの列車が停車する。
臨時運行の系統
天理発着臨時特急
天理教月次祭(毎月26日)やその他天理教の祭事時に、天理臨として京都駅・近鉄名古屋駅から天理線の天理駅まで臨時特急列車が設定される[95][96][97]。
天理線内は起点の平端駅を含めて通過し[注釈 9]、他路線では京橿特急・名阪乙特急の停車駅に準ずる(京都駅発着列車は平日の下り列車を除いて西ノ京駅にも停車する)。テンプレート:要出典範囲、近鉄名古屋駅 - 大和八木駅で名阪乙特急と併結する。
名奈特急
名奈(めいな)特急は、名古屋市と奈良市を結ぶ臨時列車である。当初は平城遷都1300年祭に伴い、近鉄名古屋駅 - 大和西大寺駅間にて、会期中の土曜・休日(運休日あり)[注釈 10]に1往復運転された。
同祭終了後の2011年以降も春・秋季の土曜・休日を中心に臨時列車として継続的に運転されており[98]、同年4月以降の設定分からは西ノ京駅が新たな停車駅に加わった。上記の天理発着臨時特急と同じく、近鉄名古屋駅 - 大和八木駅間は名阪乙特急と併結する。車両は、2両編成の22600系 (Ace) が限定で使用される。
なお、公式サイトなどでは「直通特急」と案内されている。
湯の山特急
大阪・名古屋と三重県北西部に位置する湯の山温泉を結ぶ列車で、新幹線開業を契機とした特急ネットワーク拡充の一環として1965年7月に運転を開始し[99]、近鉄難波駅(現・大阪難波駅)・近鉄名古屋駅 - 近鉄四日市駅 - 湯の山温泉駅間を運行していた(1983年以前は上本町駅(現・大阪上本町駅)発着)[100]。
1971年12月8日からは近鉄四日市駅付近の高架化工事により、湯の山線への直通を一旦中止して湯の山線内のみの運転(同改正当時5往復)となったが、高架工事が1973年に完成後、その翌年の1974年9月20日より上本町駅・近鉄名古屋駅から各1往復が単独運行で再開した[101]。
なお、運転開始から1967年までと1974年の直通再開から1983年までは大阪発の湯の山特急は名阪乙特急のスジを利用した単独運転であった[99][102]。1983年から1998年までは近鉄難波駅始発となり名阪乙特急との併結運転のうえ、湯の山線が分岐する近鉄四日市駅の構内配線の都合上、白子駅で分割・併合していた[103]。
1974年以降、名古屋行きの列車は名湯特急として独立した運行ダイヤを組んでいた。近鉄名古屋始発は1983年に廃止され[104]、以後1997年まで湯の山温泉発近鉄名古屋行き1本のみであった。
湯の山観光の足として長きにわたって親しまれたが、観光客のマイカーへの転移もあって次第に利用客が減少し、末期の2002年3月には近鉄四日市駅 - 湯の山温泉駅間の線内のみを土休日に限り2往復するという運行形態(ただし、近鉄四日市駅で名阪乙特急と接続する)となったが[80]、乗客数の減少はいっそう進み、2004年3月のダイヤ変更をもって廃止となった[105]。
2008年には御在所ロープウェイ開通50周年と鈴鹿国定公園指定40周年を記念し7月下旬から8月上旬の土日祝日計9日間に近鉄名古屋駅 - 湯の山温泉駅間で臨時特急が運転された[106]。また、2009年にも「湯の山温泉サマーライナー」として同じく7月下旬から8月上旬の土日祝日計9日間に近鉄名古屋駅 - 湯の山温泉駅間で臨時特急が運転された[107]。車両は2008年・2009年ともに、12200系が2両編成で運転された。2010年、2011年も同様に運行され、22000系が2両編成で使用された[108]。2012年の「湯の山温泉サマーライナー」は運行日が7月中旬から8月下旬までの毎週土曜日計7日間に変更し、車両も22600系2両編成に変更された[109]。
大晦日終夜運転
近鉄では沿線各地にある神社や仏閣への初詣を目的に、毎年終夜運転を実施しており、併せて特急も運転している[110]。1990年代後半以降は運転本数が減少傾向となっている[注釈 11]。2013年大晦日現在では以下の系統で運行されている[111][112]。
- 阪伊特急
- 大阪方面行の一部の列車が桜井駅に臨時停車する(伊勢方面行は停車しない)[注釈 12]。甲特急タイプの列車は2012年大晦日以降は設定がなくなっている[注釈 13]。伊勢神宮内宮最寄りの五十鈴川駅始発の列車もある。また、23000系や21000系・21020系での運用もある[112]。志摩スペイン村のカウントダウンイベントがあった1994年 - 2010年の大晦日(ただし2004年をのぞく)は賢島駅まで運行されていたが、2011年以降はイベントが中止されたため鳥羽駅が南限となっている[113]。
- 名伊特急
- 30分 - 1時間間隔で運転され、現在では全て乙特急の停車駅となっている[112]。1990年代は近鉄名古屋駅 - 宇治山田駅間で近鉄四日市駅・津駅・伊勢市駅のみに停車する速達列車もあった[113]。
- 京伊特急
- 2008年大晦日以前は単独運転だったが、それ以降は阪伊乙特急との併結運転を行っている。2012年大晦日以降は定期列車では見られなくなった併結運転が終夜運転時のみ実施され、従来停車していた榛原駅・伊賀神戸駅・榊原温泉口駅の他に高の原駅にも停車している[112]。近鉄丹波橋駅には、2002年の定期特急停車以前から終夜運転時のみ停車していた(京橿特急・京奈特急も同じ)[113]。
- 京橿特急
- 京奈特急
- 2013年大晦日現在、両系統は京伊特急の間合い運用の側面が強く、本数にばらつきがある(奈良発京都行は毎時1本、その他は終夜運転時間帯を通じて1 - 2本)[112]。高の原駅には、2012年大晦日以降停車している。
- 吉野特急
- 大阪阿部野橋駅 - 橿原神宮前駅間のみ運行される[112]。古市駅には、2012年の一部の定期特急停車以前から終夜運転時のみ停車していた[113]。
なお、名阪特急は運行されないが、伊勢中川駅での乗り継ぎで名阪間の移動は可能である。1990年代までは、阪奈特急も運行されていた[113]。
過去に運行されていた系統
阪京特急
阪京(はんけい)特急は、大阪と京都市を結ぶ列車で、近鉄難波駅(現在の大阪難波駅) - 京都駅間で運転し、1973年3月に設定された[114]。奈良線の布施駅 - 大和西大寺駅間では初の有料特急列車であり、大和西大寺駅で方向転換を行った。当時国鉄の新快速が同等の区間を29分(京都駅 - 大阪駅間)、阪急の特急が40分弱(河原町駅 - 梅田駅間)、京阪の特急が46分(三条駅 - 淀屋橋駅間)で走破していたのに対し、同特急は近鉄難波駅 - 京都駅間に58分 - 62分を要していたが、京都から生駒市や大阪ミナミへは唯一の直通列車であった。
阪奈特急と京奈特急に系統分割される形で1992年3月改正で消滅した[114]。
奈伊特急
奈伊(ない)特急は、奈良市と伊勢志摩を結ぶ列車で、1970年3月に1往復のみ設定された[115]。京都駅 - 伊勢志摩間を走る京伊特急の起点駅を近鉄奈良駅に変更した以外は京伊特急とほぼ同一の運行形態であった。またその線路配置の関係で、大和西大寺駅で方向転換を行った。京伊特急同様、大和八木駅 - 賢島駅間は阪伊乙特急と併結して運行された。
1972年11月7日に京伊特急に統合されて廃止された[116]。以降は近鉄奈良駅から伊勢方面に直通する特急列車は設定されていない。
系統同士の乗り継ぎについて
近鉄特急のネットワークを最も強く体現するのが、異なる系統同士の組み合わせによる移動の自由度およびフリークエントサービスの高さである[117]。既述の阪伊特急と名伊特急(伊勢中川駅乗り換え)の組み合わせによって、名阪乙特急の代替とすることはその代表例で、通常1時間に1本しかない名阪乙特急も、この2系統の組み合わせによって時間あたり3本の移動のチャンスを提供される。それによって、三重県北中部と奈良県北部の都市間移動のフリークエンシーが向上する。
また、三重県北中部と奈良、京都方面の直通列車は存在しないものの [注釈 14]、名阪、阪伊、名伊、京伊、京橿の各系統のいずれかを組み合わせることで、移動のチャンスが提供される。この区間の移動の場合は、さしあたって時間あたり2本である。これ以外にも、生駒から近鉄四日市、鵜方から吉野など系統の組み合わせによって幾通りもの移動パターンが現出する。
乗り継ぎ駅は、伊勢中川、大和八木、橿原神宮前、大和西大寺の各駅以外にも、宇治山田、鳥羽、津などジャンクション以外の駅も対象となる [注釈 15]。
各系統の大半は、以上見たように相互の乗り継ぎを前提にダイヤが組まれている。さらに、例えば阪伊特急の役割を「大阪 - 伊勢志摩間の移動ルート」と限定せず、「京都 - 伊勢志摩間」或いは「大阪 - 名古屋間の移動ルートの一部分」と複数の役割を与えることで、各系統との有機的な繋がりを持たせている。
この時、乗り継ぐ列車ごとに特急券を発券しては利便性を損ねるため、3回乗り継ぎ4列車まで1枚の特急券にまとめて表記し、心理的に1本の列車で移動する感覚を持ってもらうよう配慮している[117]。
ほか、乗り継ぎにおいて、特急料金の計算を各列車ごとに打ち切ることはやめて、全区間通しの距離で計算する「キロ通算特急料金」を採用のうえ、経済的負担増による乗り継ぎへの心理的抵抗を軽減している[117]。例えば、桑名駅から大和西大寺駅の移動にて、途中、伊勢中川と大和八木の両駅乗換えの場合、各列車ごとの計算では、桑名駅 - 伊勢中川駅間900円、伊勢中川駅 - 大和八木駅間900円、大和八木駅 - 大和西大寺駅間510円で、合計2,310円となるが、通算の場合は、桑名駅 - 大和西大寺駅間149.7km、特急料金に換算すると1,610円で、都合700円分負担が軽減される。(詳細は以下「料金制度」を参照のこと)
料金制度
- 特別急行料金
近鉄では現在、すべての特急列車で乗車券[注釈 16] のほかに特別急行券(特急券)を要する[118]。特急券は原則乗車日の1か月前(前月の同一日、該当する日がない場合は当月1日。例:10月31日分の発売は10月1日)の10時30分から発売される[119]。ただし、例外的に年始の特急券は12月1日発売となる(年によって異なるが1月5 - 8日分までの発売)。[注釈 17]
特急料金は通年同額で、繁忙期、閑散期の区別はない。また、全席指定のため自由席の設定や、それに絡めた値引き制度もない。
キロ程 | 特別急行料金(円) |
---|---|
1 - 40 | 510 |
41 - 80 | 900 |
81 - 140 | 1,320 |
141 - 180 | 1,610 |
181 - | 1,900 |
ただし、南大阪線・吉野線の線内相互間のみ利用の場合は、キロ程にかかわらず一律510円となる。
- 特別車両料金(デラックスカー)
- キロ数に応じて値段が異なる(こども半額)。アーバンライナー・伊勢志摩ライナー・さくらライナーに設置。[注釈 18]
キロ程 | 特別車両料金(円) |
---|---|
1 - 80 | 210 |
81 - 140 | 310 |
141 - 180 | 410 |
181 - | 510 |
- サロンカー(セミコンパートメント席)
- 実際の利用人数に応じた料金で利用可能。また、ツインシートは2人、サロンシートは3人以上(子供を含む)の料金・運賃を支払えば、人数以下でも乗車できる(こども料金の適用や他の特急との乗り継ぎも可能。例えば、サロンシートを大人2名で利用する場合は、大人2名の特急料金と乗車券に加え、子供1名分の特急料金と乗車券で乗車が可能))[120][注釈 19]。
- グループ専用席
- ビスタEXの2階建車両の階下席を3 - 5名用のグループ専用席として発売する。グループ全員が同じ区間を利用し、特急券も1枚にまとめられる場合に発行。インターネット予約は不可。
- 「しまかぜ」の特別車両料金
- 「しまかぜ」の各座席では、前述の特急料金のほか、以下の表に示す「しまかぜ」特別車両料金が必要となる。また、和風個室・洋風個室(1編成あたり各1箇所/いずれも定員は4名で、3名もしくは4名で発売)を利用の場合は人数分の特急料金・「しまかぜ」特別車両料金に加えて個室料金(1室あたり1,030円)が必要となる(和風個室・洋風個室は乗車区間が大和八木駅 - 伊勢市駅間または近鉄四日市駅 - 伊勢市駅間を含む場合に限り利用可能)。なお、サロン席(1編成あたり3箇所あり、1箇所あたりの定員は6名で、4名以上で発売)は人数分の特急料金・「しまかぜ」特別車両料金で利用できる[121]。
キロ程 | 「しまかぜ」特別車両料金(円) |
---|---|
1 - 80 | 720 |
81 - 140 | 820 |
141 - 180 | 1,030 |
181 - | 1,130 |
なお、181km以上でのしまかぜ運用は定期ダイヤでは存在しない。
- 特急の乗継
- 事前に特急券を購入する時に限られるが、他系統の特急同士を30分以内に乗り継ぐ場合は、料金は通算する(回数は問わない)。なお、座席予約システム上3回の乗り換えで4列車まで(券売機やインターネット予約では2回の乗り換えで3列車まで)を1枚の特急券で発売可能としている[122]。乗り継ぎ料金制度も参照。
- 遅れの場合
- 事故や天災その他によるダイヤの乱れで到着が所定より1時間以上遅れたり、発車が1時間以上遅れて利用を止めた場合は、特急料金が全額払い戻される[123]。ただし、回数特急券や特急カードの場合は指定取消の処置をとる代わりに、払い戻しは一切しない。
- 定期券での特急利用
- 近鉄特急は全列車で普通乗車券の代替として定期乗車券(定期券)の利用を認めている[124]。
特急券の発売箇所
近鉄の駅
近鉄の駅の場合、全駅での特急券発売は実施されておらず、原則として以下に該当する駅で行われている。
- 特急停車駅[注釈 20]
- 窓口および自動券売機で発売(ただし、吉野口駅のみ窓口業務をJR西日本が行っている関係上、直近の大阪阿部野橋行のみ券売機で発売)[92]。また、ホーム上にも自動券売機を設け、急行以下の列車から乗り換える際の便宜を図っている。
- 窓口で購入する場合は、行き先のみ係員に告げるだけで購入できるが、列車を選ぶ場合は発車時刻も告げる(例:「50分の鳥羽」)[125]。ほか、乗車人数や座席種別、窓側通路側、禁煙喫煙、乗車日等の指定があれば告げる。なお、特急列車同士の乗継はコンピューターが自動検索のうえ発券するため[126]、JRのように乗客が乗継先の特急の時刻まで調べて係員に告げる必要はない。従って、この場合も行き先だけを告げればよい。
- 定期券即時発売駅[注釈 21]
- 窓口および自動券売機で発売(ほとんどの窓口は定期券発売窓口と兼用)。
旅行会社
近鉄以外の私鉄の駅
近鉄線時代から上野市駅には窓口があり、窓口に近鉄の特急券発券システム「ASKAシステム」を設置し伊賀鉄道移管後も継続して発売している。[4]
阪神では2009年3月20日より三宮駅でのみ発売を開始した。駅長室の窓口に同じく「ASKAシステム」を設置し、特急券と乗車券の発行を行なう[127]。
車内
特急券を購入せずに乗車した場合、車内で車掌から座席無指定(着席保証なし)の特急券を購入する必要がある。空いた席への着席は許されるものの、その座席の指定を受けた特急券を所持する乗客が乗車してきた場合は、席を移動したり立席する必要がある。
立席承知の特急券発券は急ぎの乗客に対する止むを得ずの処置であるため、座席無指定でも座席指定と同額の特急料金を支払う必要がある[128]。
近鉄インターネット予約・発売サービス
パソコンや携帯電話、スマートフォン等から特急券の予約・購入、或いは新規通勤定期券(大人に限る)の予約ができるサービス。事前に会員登録を行なう必要がある。利用可能時間は5時30分 - 23時45分。特急券の受取りは、近鉄特急券取扱駅窓口および対応する特急券発売機で可能。[5]
近鉄特急積立金サービス
従来のクレジットカードに加え、あらかじめ積み立てた現金で特急券購入時の決済が可能なサービス。このサービスを利用するためには、インターネット会員登録をしたうえで、駅の特急券窓口などに備え付けてある「近鉄特急チケットレス積立金カード」の番号を登録する。チケットレスサービスを利用する場合にはさらにチケットレス会員登録が必要。netポイントもクレジットカードと同様に加算される。[6]
積立は現金により対応する「定期券・特急券自動発売機」・「特急券自動券売機」・「特急券発売窓口」でチャージする。退会時に払い戻しするためには払い戻し手数料500円が必要であるが、積立金残額が500円に満たない場合は残額全部が払い戻し手数料となる。クレジットカードと積立金カードを両方登録することも可能だが、支払い手段の併用はできない。
近鉄特急チケットレスサービス
インターネット予約・発売にて特急券を購入した際、特急券の受取りをせずとも特急に乗車できるサービス。[7]
チケットレス会員登録を行うと、次回購入時より駅での特急券受取とチケットレスが選択出来るようになる。ここでチケットレスを選択すると、携帯電話の場合は画面に購入した特急券の内容が表示されるのでその画面を携帯電話の機能(例:画面メモ)で保存するか、パソコンの場合はその画面を印刷することによりそれが特急券になるというもの。特急券を提示する必要がある場合は、この保存した画面もしくは印刷した用紙を提示する。
チケットレスサービスを利用する際は、決済に利用したクレジットカードや近鉄特急チケットレス積立金カードを所持する必要がある。これはトラブル発生時に、特急券購入者本人であるかを確認するためである。
会員登録後、初回からチケットレスサービスが利用可能で、近鉄沿線外の顧客などもサービスを利用し易くしている。クレジットカードの裏面の署名欄に記載されるセキュリティコード(末尾3 - 4桁)を新規会員登録時、またはカード変更・更新時に入力することで対応している。
なお、チケットレス化が実現したのは特急券(デラックス券、サロン券含む)のみで、乗車する際には別途乗車券(IC乗車券、定期券、回数券カードなどを含む)の用意が必要となるため(乗車券も含めた)、完全なチケットレス化には至っていない。
- 機能及び利点
- 選択した着駅に最も早く着く列車を自動的に提案し、よりスピーディに特急券が購入できる。
- 特急券購入の際、シートマップで空席を表示し、好みの座席が選択できる。8人までの複数人購入にも対応。乗り継ぎにも適用。
- 手数料なしでの列車変更可能回数は3回で、異なる料金区間への変更や席種への変更も可能である(変更内容により、不足額の収受や過剰額の払い戻しが行われる)。
- チケットレス購入を行うと通常のポイント5%に加えチケットレスポイント5%が加算され合計10%がポイント還元される。
近鉄特急netポイントサービス
インターネット予約・発売で特急券を購入すると、購入額の5%をポイントとして還元し(チケットレスにすると10%)、次回の特急券購入時にポイントで支払いが出来るサービス。乗車の翌月1日に付与され、有効期限は1年(取得した翌年同月末まで)で、特急券の購入(引換え)にあてることができるが、他の支払い手段と併用することはできない。[8]
ほか、KIPSクレジットカード、KIPSポイントカードで貯めたポイントを特急券購入にあてることも可能(所定の手続きが必要)。[9]
割引切符
- 近鉄 名阪まる得きっぷ
- 大阪難波駅 - 近鉄名古屋駅間の乗車券・特急券をセットにした回数券タイプのもので、レギュラーシート用とデラックスシート用の二種類が存在し、それぞれ5枚つづりと10枚つづりがある。同区間は運賃・特急料金合わせてレギュラーシート利用で4,260円であるが、レギュラーシート用まる得きっぷだと5枚つづりで18,000円(1枚あたり3,500円・約16%引)、10枚つづりは33,500円(1枚あたり3,250円・約22%引)となる。有効期間は発売日から3ヶ月間[10]。
- 伊勢志摩ビスタ4/吉野路ビスタ4
- 伊勢市以南の区間および吉野線内で利用できる4回分1,240円の特急料金回数券(通常料金510円の区間で1回あたり約310円・40%引き)。有効期間は発売日から3ヶ月間。[11][12][注釈 22]
- 伊勢・鳥羽・志摩スーパーパスポート”まわりゃんせ”
- 沿線各地から伊勢志摩への往復に近鉄特急が利用可能で、松阪駅 - 賢島駅間の近鉄線(特急を含む)のほか、伊勢志摩のバス、定期船に乗り放題で、現地の複数の観光施設に入場可能なクーポン券。大人9,800円、子人5,300円。[13]
- ユニバーサル・スタジオ・ジャパン往復きっぷ
- ユニバーサル・スタジオ・ジャパン最寄り駅と近鉄線の特定エリア間の往復割引切符(特急券込)、USJ1日券のセットクーポン。近鉄名古屋駅から利用の場合は13,940円(2,280円割引)。[14]
特急座席予約システム(ASKAシステム)
近鉄には、ASKA (All-round Services by Kintetsu and its Agencies)「アスカ」 システムと呼ばれる、JRのMARS(マルス)システムにあたる乗車券類発売システムがある[129]。
コンピューター構成
コンピューターは2台で構成されており、1台を本番系としてASKAシステム用コンピューターとして使い、残り1台を予備系としつつその他の目的(特急座席予約以外、グループ会社向け)としても使用している。本番系コンピューターに異常が発生した時は、自動的に予備系に切り替わりシステムの継続稼働を確保する。また、インターネット予約や車掌用座席確認システムに対応するため、サーバーを経由してホストコンピューターに接続し、処理の一部をサーバーで行っているものも存在する[130]。なお、コンピューター運営については、近鉄情報システムに委託されている。
主な歴史[131]
- 1960年(昭和35年):日本電気 (NEC) 製専用機による特急座席予約システムが開始された。当時は、特急券その物の発行(印刷)は行われず、端末機に表示された号車・席番を特急券に転記していた。
- 1970年(昭和45年):汎用機(メインフレーム)による座席予約システムが開始され、端末機での発券が可能になった。同時にホストコンピューターをNEC製からUNIVAC製(現在の日本UNISYS)に変更されている。
- 1971年(昭和46年):近畿日本ツーリストコンピューターと接続。
- 1976年(昭和51年):日本交通公社(現在のジェイティービー)コンピューターと接続。
- 1979年(昭和54年):特急券自動券売機使用開始。
- 1984年(昭和59年):日本旅行コンピューターと接続。
- 1987年(昭和62年)3月1日:特急座席予約システムを、オンライン乗車券発行システム(定期券発行が主)・企画旅行システム(旅行業務)を含めた総合的なシステム「ASKA (All-round Services by Kintetsu and its Agencies) システム」へ移行。これ以降、近鉄の特急座席予約システムが「ASKA(アスカ)」と呼ばれるようになる。
- 1990年(平成2年):定期券自動券売機使用開始(銀行用ATMを流用。支払はKIPSカードのみ)。
- 1994年(平成6年):特急残席表示器使用開始。
- 2001年(平成13年):インターネット予約・発売開始。
- 2002年(平成14年):定期券・特急券自動券売機使用開始。
特急に使用される車両
現役車両
近鉄特急車両は標準軌線用と狭軌線用が存在する。
特急ネットワークの主力は、車両正面に貫通路を有する車両で、標準軌と狭軌の枠内であれば系統を問わずに運用され、系列や新旧の別なく相互に連結可能な車両群である。このため、汎用特急車と称される[132]。一方、特定の用途に絞って運転される列車群(アーバンライナー、伊勢志摩ライナー、しまかぜ、ビスタEX、さくらライナー)は指定列車として固定的に運用される[132]。ただし、ビスタEXは貫通構造のため、汎用車と一体的な運用を行うことがある[133]。
- 標準軌線区
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- 狭軌線区(吉野特急)
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過去に使用されていた車両
- 2200・2227系
- 2250系
- 6301形(名古屋線用)
- 6401系(名古屋線用)
- 6421系(名古屋線用)
- 6431系(名古屋線用)
- 680系(京橿・京奈特急用)
- 5820形 (初代)(南大阪線「かもしか」用)
- 10000系(ビスタカーI世)
- 10100系(ビスタカーII世)
- 20100系(あおぞら・主に臨時列車用)
- 10400系(エースカー)
- 11400系(新エースカー)
- 18000系(京奈・京橿特急用)
- 18200系(京伊特急用)
- 18400系(ミニスナックカー・京伊特急用)
- 12000系(スナックカー)
用途変更車両
1958年以降に新造された特急車両(6431系を除く)で、後に用途変更された車両は2014年現在までに18200系、18400系、12200系の3形式である。いずれも団体車両化された。この内、18200系と18400系は全廃され、現時点では12200系から改造された15200系「あおぞらII」と15400系「かぎろひ」が在籍している[135]。
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車両の変遷
車両の歴史的流れを容易に把握できるよう3つの節目に区切った[注釈 23]。区分の基準は、車両の用途やコンセプトを優先し、機械的側面は二の次とした。従って、680系はWN駆動で新性能車両にカテゴライズされても、一般車の格上げ改造車である点で特急専用車としてのコンセプトが薄弱のため第I期に挿入し、18000系は釣り掛け駆動の旧性能車の部類に属しても、車体は格下げを前提とせず、特急専用車としてのコンセプトが強固なため第II期に入れた。また、21000系と26000系は直流直巻モーターと抵抗制御方式であり、その点では第II期に属しても車両コンセプトが全く異なるため、コンセプトを一にし、交流モーター及びVVVFインバータ制御方式の22000系以降のグループと同列に扱った。
解説にあたり、なるべく個々の車両の解説は簡略化し、節目の中から俯瞰で車両を捉えた。
第I期 2200系以降6431系までのグループ(1940年代後半 - 1960年代前半)[注釈 24]
この車両群は戦後復興期、戦前製の車両を応急的に特急仕様に整備したことに始まり、なかには特急専用車として新製された車両もあるにせよ[注釈 25]、あくまでも次代の特急車が登場するまでの過渡期的な位置づけと見なされ、将来の格下げが前提とされた。従って、一般車の格上げ、及び将来の格下げが織り込まれていた点で特急専用車としてのコンセプトが薄弱であった[136][137]。車体は戦前製の2200系に端を発する両運転台ないし片運転台式の2ドアクロスシートが踏襲された。また、同一ゲージ車両であれば[注釈 26]1両単位で混結可能で、この点、編成単位でシステムを構成する後の車両群とは機器構成上の考え方が大きく異なっていた[138]。また、駆動方式も吊り掛け式で、基礎ブレーキも自動空気式とされ、旧来の域を出なかった[137]。従って、10100系が出現すると早くも格下げが開始され、11400系の増備をもって全車一般車化された[139]。
しかし、2250系で確立された軽量車体構造をはじめ、3次車以降で採用なったシュリーレン台車の技術は、10000系の開発に大いに寄与した[140]。また、当時の国鉄との激しい競争のなかで採用された冷房装置をはじめ、シートラジオの装備は、現在に至る顧客重視のサービスマインドの基礎を成した[141]。
第II期 10000系以降12600系までのグループ(1950年代後半 - 現在)
テンプレート:Double image aside 第I期の車両群が、格下げ、混結を前提、および旧来の性能であったことに比べ、当車両群は編成を固定し、将来の格下げを前提としないことから特急専用系列としてのコンセプトが鮮明になった[137]。また、WN駆動、電磁直通ブレーキ、ユニット単位による制御方式の採用等、新性能化した[注釈 27]。居住性も飛躍的に向上し、10000系で回転式クロスシートが採用され、続く12000系から回転式リクライニングシートにステップアップした[143]。窓ガラスは車内空調前提のペアガラスの固定式で[144]、折戸式ドアを採用のうえで戸袋を廃止した[144]。ほか、調理設備はじめ2階建構造など付帯設備を設けた車両もあるが、概して当車両群で共通することは、個々のニーズを拾うことよりも、大量輸送、高効率性が命題とされた点にある[145]。また、当車両群は正面貫通式および共通した客室を持つため、個性に乏しく、似たり寄ったりのデザインであることも特徴で、それは系列の別なく、全系統で共通運用が組まれた効率重視の時代を色濃く反映したものとなっている[146][147][145]。
第II期車両群でも一目置かれる2階建構造は、シンボル性の強調と同時に定員を増すことによる運用効率のアップと座席1人あたりの建造費圧縮の意図も内包されている[148]。当時の近鉄は出来るだけ多くの座席を用意して乗客を迎えることを特急営業のポリシーとしていたことから、10100系もこの考え方のもとに設計された[149]。30000系の場合は観光需要を当て込んだ内装とされたが、座席は大量輸送の時代を反映して2階客室端部は固定式とされた[150][注釈 28]。従って大量輸送にウエイトが置かれていることから、改めて第II期車両群に属することが理解される。その意味において、後年製造された50000系のカフェ車両は1両全体が定員度外視であり、同じ2階建構造ながら製作意図が全く異なる点には注意を要する。
ここに挙げた車両群は、拡充期にあった特急ネットワークを完成に導くために大量投入されたもので、なかでも12200系は168両[注釈 29]に渡って増備され、ネットワーク形成に大いに寄与した[151]。
テンプレート:- テンプレート:Double image aside
第III期 21000系以降50000系までのグループ(1980年代後半 - 現在)
需要が供給を上回ることで一定の輸送量を確保できた時代は、効率重視かつ均一的な車両で運用していれば事足りた訳で、第II期車両群はそれに該当した[153]。しかし、経済の発展に伴う生活水準の向上や、社会を取り巻く環境の変化に伴って客側の選択肢が増すと、必ずしも近鉄特急を選ぶ必要性が無くなり、他の選択肢に流れていくことは十分に考えられる[154]。その選択肢とは、移動手段で言えば、自動車、JR線、娯楽で言えば国内外の様々な観光地、あるいは多彩化した趣味嗜好などが該当する。[154]この問題については後の「競合関係にあるもの」でも述べる。しかし、数ある選択肢の中から近鉄特急(あるいは近鉄沿線の観光地)を選んでもらうには、旅客のニーズに応えることが必要で[155]、この点、大量輸送が主目的の第II期車両群では選んでもらうだけの魅力に乏しい[156]。そこで、集客を得るには個々のニーズを拾うことが最も適切であるとの考えを具現化したのが第III期車両群である[157]。ビスタカーは別として、長らく均一の似たり寄ったりの客室から一転して、高品質の客室[注釈 30]、デラックスカー、サロンカー、分煙、チルト機構付き座席[注釈 31]、男女別トイレ等の各々異なる設備を用意して対応した[156]。ほか、座席の前後間隔についても拡大の一途を辿り、定員を減らして占有空間を重視する方向へと転換され、この点でも大量輸送の時代とは方向性が異なっている[158][注釈 32]。
21000系以来始まったその傾向は、50000系によって一層推し進められている[159]。
第II期と第III期の主要な違いとして、コストダウンの要請による機器類の進化がある[注釈 33][160]。電気指令式ブレーキ、交流誘導電動機、VVVFインバータ制御、ボルスタレス台車、静止形インバータの採用がそれで、22000系以降の流れとなっている。
車内
客室
客室は昨今の社会ニーズの多様化によってさまざまなタイプが用意され、旅の目的に応じて選択できる。
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レギュラータイプ
(汎用型) - KINTETSU21000 N-RS11.JPG
レギュラータイプ
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レギュラータイプ
(伊勢志摩ライナー) - KINTETSU26000 20131108B.jpg
レギュラータイプ
(さくらライナー) - KINTETSU21000 N-DS12.JPG
デラックスカー
(アーバンライナー) - KINTETSU23000 N-SS1.JPG
サロンカー
(伊勢志摩ライナー) - KINTETSU23000 N-DS1.JPG
デラックスカー
(伊勢志摩ライナー) - KINTETSU26000 20131108A.jpg
デラックスカー
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2階客室
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1階客室
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プレミアム車両
(しまかぜ) - KINTETSU50000 INTERIOR.JPG
個室
(しまかぜ)
化粧室
トイレ・洗面台は2両に1か所設置されている[161]。また、アーバンライナー、22600系には女性専用トイレも用意されている。ほか、しまかぜではパウダールームも併設する。
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一般的なトイレ
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洗面台とその付近
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しまかぜの洗面台とパウダールーム
バリアフリー設備
近鉄特急では車椅子対応の車両で運用する列車がある。アーバンライナー、伊勢志摩ライナー、しまかぜ、さくらライナーでは標準対応となっている。それ以外の特急列車の場合、22000系と22600系(ともに4両固定編成)、16400系、16600系の使用列車で対応しており、該当車で運用することが事前に確定している特急は駅提出の時刻表と近鉄時刻表に車椅子マークを提示している[162]。なお、車椅子設備非対応の系列(12200系など)には、なるべく対応車両を併結させることで、車椅子対応の特急運用を行なっている。また12600系等の4連単独運用の場合は、その前後の特急運用で22000系や22600系(ともに4両固定編成)を充当して車椅子利用者に配慮する[163]。
トイレ内は、車椅子の回転が容易となるように円弧形状で、ドアの開閉は力の要らない押しボタン式である。また、万が一トイレ内で転倒しても室内下部に乗務員呼び出しボタンを設置している(22000系、16400系では構造が異なる)[162]。
座席は車椅子からの乗換えが容易にできるように肘掛跳ね上げ式とし、車椅子を固定するためのベルトも装備される。また、一人掛けとすることで通路幅を拡大して客室とデッキの移動をスムーズにしている[164]。指定される座席番号は列番を30番台と区別して、介助者の座席も同じ番号区分とされる[165]。対応座席のグレードは基本的に普通車で、グループ車両やデラックスシートによる設定はない[165]。「しまかぜ」についてはプレミアムシート扱いで対応する[166]。
対応する号車番号は、大阪発着のしまかぜが2号車(名古屋発着は5号車)、アーバンライナーが5号車(8両編成の場合は7号車)、伊勢志摩ライナーが2号車、さくらライナーが2号車(8両編成の場合は6号車も該当)となっている。それ以外の車両は、他系列との混成運用のため、号車の特定には至らないが、22000系と22600系の4両単独運用の場合は3号車、吉野特急で2両単独運用の場合は1号車となる[165]。
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車椅子対応座席
一人掛けとなる - KINTETSU22000 DOOR 2.JPG
車椅子座席付近のドアは両開き式
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バリアフリー対応トイレ
喫煙車
他社の特急列車では喫煙可能な車両は全面廃止されるところも多くなっているが、近鉄特急は2013年3月17日現在でも喫煙可能な車両を連結し[167]、喫煙ユーザーの取り込みも行なっている[168]。特急券購入時に指定が可能。
喫煙可能な車両は2013年3月17日現在、標準軌線一般特急(名阪・阪伊・名伊・京伊・京奈・京橿)は1号車と5号車もしくはA号車とE号車[注釈 34] を、吉野特急の一般特急については偶数号車を指定している。標準軌線の一般特急に使われる汎用特急車(「ビスタEX」含む)は運用によって喫煙車になったり禁煙車になったりする車両が存在する。この場合、車内清掃・消臭の上喫煙車から禁煙車に変更する[167]。
喫煙ルームを設けて客席を全面禁煙としている車両は「しまかぜ」(編成1ヶ所)「アーバンライナーnext/plus」(編成2ないし3か所)と「さくらライナー」「伊勢志摩ライナー」(編成1か所)、22600系・16600系「Ace」の各車両(編成1か所)である[167]。22600系の場合は1号車と5号車、A号車とE号車に喫煙ルーム付の車両が連結される場合に喫煙ルームが使用可能となるが、3・7・9・C号車になる場合には閉鎖されて使用できない。
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喫煙室
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喫煙コーナー
(21000系) - KINTETSU12400 (R) PASSENGER COMPARTMENTS.JPG
オープンルームの喫煙車
編成の向きと号車番号および席番について
車両の床下機器の配列、配管は車両正面から見て左右非対称となっており、連結ジャンパ栓の配置や電気連結器の芯割り当ても異なることから、車両を連ねて編成を組む電車において、車両の向き(定位)は厳密に管理されなければならない[169]。ところが、標準軌線特急列車の場合、標準軌線全線で直通運転を実施することから、伊勢中川駅付近の三角状の構内配線を通過する運用を介することで、線内のいずれかの場所で必ず定位が定まらなくなる。このため、定位の基準を中川短絡線を通過する名阪特急に定め、違いが出る部分を伊勢中川駅 - 賢島駅間に限定している[169]。従って、当該区間における阪伊、京伊特急と名伊特急の編成の向きが逆になる。このことは、伊勢方において阪伊・京伊特急の折り返しが名伊特急に、名伊特急の折り返しが阪伊・京伊特急にならないことを示している[170]。一方で、一般車は中川短絡線を通過する運用がないため、伊勢中川駅入線によって全列車の編成の向きを統一しており、大阪、名古屋双方の始発列車は山田線内においても同一方向で運用される[169]。また、元特急車を使用した団体車両についても一般車と同様の扱いで、稀に短絡線を経由して方向が反転しても、運用後の回送にて定位を戻している[169]。
なお、名阪直通運用を持たない50000系「しまかぜ」は伊勢中川駅 - 賢島駅間は阪伊・名伊とも同じ向きに統一のうえ運用される[注釈 35]。ただし号車番号については、一般特急では編成の向きが逆になると号車番号の並び順も連動して逆になるため、伊勢志摩ライナーでは6号車をデラックスカー、5号車をサロンカーの組み合わせは両系統同一だが[171]、しまかぜについては、編成の向きは同じで号車の並び順のみ逆となるため、グループ車両とカフェ車両の号車番号がそれぞれで異なっている[54]。
近鉄特急の号車番号・座席番号については、2013年(平成25年)3月17日現在、以下のようになっている(号車番号、座席番号の順)[171]。
デラックスカー(特別車両)、レギュラーカー(普通車)を問わずJRなどと同様列番を数字で、横方向はABCで表記(1A、1B、1Cなど)する。サロンカーについても4人用ボックス「サロン1 - 6」を列番+ABCD、2人用ボックス「ツイン1 - 6」を列番+EFで表記する[注釈 36]。また、号車番号は数字(1号車、2号車…)が基本であるが、複数系統を併結する親子列車の場合には「子」に相当する側をアルファベット表記(A号車、B号車…)とする。
- 名阪特急:名古屋寄りが1号車、大阪寄りが1番[注釈 37]
- 近鉄名古屋駅 - 大和八木駅間で名阪乙特急と併結運転する近鉄名古屋駅 - 大和西大寺駅間の臨時特急および近鉄名古屋駅 - 天理駅間の臨時特急は号車番号がアルファベットで表記され、近鉄名古屋寄り(近鉄名古屋駅での時点)がA号車となる。
- 阪伊特急・京伊特急:伊勢志摩寄りが1号車、大阪・京都寄りが1番
- 阪伊乙特急と併結運転する京伊特急は号車番号がアルファベット表記で表記され、伊勢志摩寄りをA号車となる。[注釈 38]。
- 名伊特急:名古屋寄りが1号車(50000系「しまかぜ」も同様)、伊勢志摩寄りが1番(50000系は名古屋寄りが1番)
- 伊勢中川駅 - 賢島駅間では、阪伊・京伊特急と名伊特急とでは号車番号・座席番号も逆順になっている(50000系を除く)。
- 阪奈特急・京奈特急・京橿特急:奈良・橿原神宮前寄りが1号車、大阪・京都寄りが1番
- 京都駅 - 大和西大寺駅間で京橿特急と併結運転する京奈特急は号車番号がアルファベットで表記され、奈良寄りがA号車となる[注釈 39]。
- 吉野特急:大阪寄りが1号車、大阪寄りが1番
車両運用
近鉄特急は需要変動による輸送実態の変化に合わせて、車両の増解結を頻繁に行い、車両運用の効率化と運転コストの低減を図っている。「伊勢志摩ライナー」などの固定編成を除けば、特急車両は先頭部に貫通扉を持っており、このために最短2両から4両、6両、8両、10両編成までを自在に組成できる[141]。車両も狭軌の吉野特急以外は全線、全車両で相互に連結、運用可能で(吉野特急同士の相互連結も可能)、曜日、シーズン、時間帯、運用線区の別による旅客数の変化に対して弾力的な対応を可能としている[141]。なお、固定編成の21000系「アーバンライナーplus」(6両編成)も中間に2両を挿入し、8両編成の運用が可能である[141]。
標準軌用特急車は標準軌線全線で運用可能[注釈 40]なことから、広範囲の運用を原則として車両運用の効率を高めている。これに対して一般車は一定の路線ごとに区切った運用をしており、例えば、奈良から難波への阪奈運用を介して、名阪運用で名古屋まで到達、或いは、奈良から京都までの京奈運用を介して、京伊運用で伊勢まで到達といった全線共通運用が一般車にはない[172]。一般車は奈良線、京都線系と大阪線、名古屋線系では歴史的経緯により編成の向きが逆になっているため、通常営業時における双方の連結は不可能であり、さらに双方の車両の仕様が若干異なるため、転配する場合は小改造を要することから[169][173]、この点においても全線共通運用は不可能である[169]。これが特急車と一般車の運用面における著しい違いである。
汎用特急車両は幾種類もの系列が在籍するが、どの系列がどの運用につくかは3日程前にならないと確定しない。従って、前日以前に特急券を発券する際は全形式に共通の座席番号を振り分け、各車両によって差が出る座席については当日発売としている[174]。
- KINTETSU22000 20140124B.JPG
単独4両
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単独2両
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2+2両(4両編成)
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2+2+2両(6両編成)
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2+4両(6両編成)
- KINTETSU22000 20140506C.png
4+2+2両(8両編成)
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4+4両(8両編成)
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4+2+4両(10両編成)
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21000系(8両編成)
特急運行路線と特色
近鉄路線508.2kmのうち、その約8割にあたる405.8kmにおいて特急運用を行なっている。運行路線の中には大和八木駅付近の新ノ口短絡線、伊勢中川駅付近の中川短絡線、鶴橋駅付近の奈良線と大阪線を連絡する渡り線等、特急専用軌道も存在し[176]、さらに近鉄名古屋駅に隣接する米野車庫も半ば特急専用の折り返し整備基地となっており[177]、頻度の高い特急運用を行なう近鉄ならではの設備がある。
特急運行路線の内、標準軌線(線路幅1,435mm 新幹線と同じ幅)区間が340.8km、狭軌線(線路幅1,067mm JR在来線と同じ幅)区間が65.0kmで、後者が大阪阿部野橋駅 - 吉野駅間系統(吉野特急)に該当し、他の系統とは一線を画している。また、運行路線の大部分が複線で、単線区間は志摩線の一部と、吉野線に限られている[注釈 41]。
特急は区間によって110km/h以上130km/hまでの高速運転を実施することから、地上設備においても架線の改良、ATS上限速度向上、軌道強化によって対応している[178]。なお、130km/h運転は、カーブの多い近鉄路線の中ではごく一部区間に限られている[179]。
本項冒頭で見た通り、近鉄路線の採算面における脆弱さから、鉄道事業継続のためには特急料金収入は大切であり、そのため特急優遇とも取れるダイヤが各路線で展開されている[180][181]。それが顕著に現れるのが大阪線榛原以東から志摩線までのローカル区間で、時間帯によっては急行以下の列車本数と特急本数が同等か、或いは特急が上回る場合もある[182]。また、特急優遇ゆえ、急行以下の列車を追い抜いて、特急の高速輸送を可能ならしめるための待避線を多くの駅に設置している[183]。
大阪線桜井駅以東と山田線は、参宮急行電鉄によって建設された路線で、大阪と伊勢を直結させることを当初の目標とした[184]。免許取得時点では現在よりも南寄りのルートだったが[185][186]、地形上の問題や将来の名古屋進出を見越して伊賀盆地、布引山地を越えるルートに変更された[187]。そして、大阪 - 伊勢間の所要時間を2時間30分と見込んだことから[188]、良好な地形に沿って迂回することなく、直線ルートが選定された。それ故、橋を架け、山は掘削してトンネルを掘るなど高速輸送前提で建設された[186]。従って平坦線は言うに及ばず、伊賀盆地と布引山地の前後区間における急峻な勾配区間も高速走行が要請された[186]。長距離の急勾配そのものは全国的に見ても珍しいものでもないが、当時の状況下で33‰の長距離連続急勾配を100km/hのスピードで登坂する電鉄は皆無で、このため大出力モーターと電気ブレーキ装備の2200系電車が製造されている[189]。そして、この条件がそのまま近鉄に受け継がれ、後年、新青山トンネルの開通で若干負荷が軽減されたものの、それでも今なお、近鉄路線では最大の難所とされている[190]。この山越えに対する特急車の対応策については「特急車両のメカニズム」を参照のこと。
現在、特急が大半の路線で共通運用可能とされているのは、度重なる路線改良工事の賜物である。近鉄は合併の繰り返しによって形成された歴史を持つため、各社各様の仕様を引き継いだことから、軌間や建築限界、架線電圧が各線で異なっていた[191]。これを大阪線、山田線の仕様に統一するため、幾多の工事を経ることになった。古くは名古屋線改軌に始まり、奈良線、橿原線、京都線の昇圧、建築限界拡大、ほか、志摩線の改軌や、ベースとなった大阪線の全線複線化も含め、1950 - 1970年代にかけて大掛かりな工事が連続した。この改良工事によって標準軌線の仕様が統一され、特急車両の全線共通運用が可能となったことで運用効率が向上し、併せて線路容量増大によって高頻度運転も可能となった[192]。
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特急専用線の中川短絡線を行く21020系
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志摩線の単線区間を行く23000系
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最高速度130km/hを許容する標識(東松阪駅付近)
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待避線を持つ駅は多数存在する(櫛田駅)
特急車両のメカニズム
ここでは10000系以降の近鉄特急車両に概ね共通する機能とその特徴について解説する。詳細なメカニズムについては各車両の項目を参照されたい。
連続急勾配対策
近鉄の特急車両では、標準軌の大阪線・奈良線、および狭軌の吉野線の各線に連続急勾配区間が存在することから、全系列(運用区間が平坦線に限定されていた狭軌時代の名古屋線特急車や初期の京都線・橿原線特急車は例外)について、当該各線区に介在する山岳地帯の急坂を高速で登坂、ないし安全に下降するための機能・性能を付与している。
特急車両を設計する際は、こうした区間における所要運転性能が主電動機出力やギヤ比などを決定する際の判断材料となっている[193]。急坂を100km/h超の高速で登坂するにあたっては付随車を連結する場合は大出力の主電動機を搭載する、あるいは低出力の電動機を搭載する場合は編成中の電動車比率を引き上げることで編成全体の出力を確保する。一方下降においては、重力によって上昇するスピードを抑えながら一定速度を保ちつつ、制輪子の磨耗と温度上昇を防止する観点から、空気ブレーキの他に抑速ブレーキの搭載が必要不可欠となっている[194]。このため、26000系までの抵抗制御車の場合は速度低減のために、運動エネルギーを変換して発生した電力を熱エネルギーに再変換して放出する目的で[注釈 42][195]、床下に通常よりも大容量の主抵抗器を搭載するが[注釈 43]、制御に抵抗器を必要としないVVVFインバータ制御化された22000系以降ではこれに代えて、回生失効に備えた抑速発電抵抗器を追加搭載してブレーキ機能の冗長化による保安度の向上を図っている[196]。なお、これらの抵抗器は保安度を重視して電動ファンなどによる強制通風式ではなく、大型の自然通風式を採用している[193]。
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床下に並ぶ主抵抗器
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VVVF制御装置と抑速発電抵抗器(22000系)
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運転台のマスコンも抑速対応機能を有する(円内が抑速ノッチ)
異種ブレーキ搭載車の連結対策
ブレーキ装置は空気圧指令と電気指令を併用する電磁直通ブレーキ搭載車(10000系以降26000系まで)と、完全に電気指令化された電気指令式ブレーキ搭載車(22000系以降)が共存する。近鉄特急車両は弾力的な運用を維持するために、固定編成となっている系列を除いて相互に連結可能だが、そのため異種ブレーキ搭載車を連結して運用する必要のあることから、電気指令式ブレーキ搭載車では電磁直通ブレーキ搭載車との併結に際してブレーキ指令読み替えを行い、これと互換性のある電気演算式電磁直通ブレーキとして機能するように設計されている[193]。近鉄特急の運用は複雑で広範囲にわたるため、ブレーキシステムが異なる車両同士の併結は止むを得ない。もし、両タイプの互換性を考慮せずに運用を別にすれば、読み替え装置を非搭載として製造、維持にかかるコスト低減が可能となるが、車両運用を抜本的に見直す必要に迫られ、柔軟な運用が不可能となる[196]。
台車
1955年の2250系3次車以降26000系まではスイス・カー・アンド・エレベーター(SWS)社から技術導入したシュリーレン式台車(および同系のSIG式台車)[注釈 44]が改良を重ねつつ用いられた[197]が、22000系以降はより簡素なボルスタレス構造[注釈 45]を採用した積層ゴムブッシュ片側支持式台車[注釈 46]に移行し、軽量化とメンテナンス向上、それに支持剛性の最適化による高速走行安定性の向上が図られている[198]。なお、シュリーレン式台車は一般通勤車用と特急車用で円筒内の潤滑油塗布の有無等で相違する[199]。
また、積層ゴムブッシュ片側支持式台車では、最高速度の低い一般通勤車や狭軌特急車についてはヨーダンパが装着されていない[200]が、最高速度が130km/hと高く設定されている標準軌特急車については高速運転時の蛇行動抑制を目的としてヨーダンパが装着されている[201]。なお、シュリーレン式台車装着車でも130km/h運転に後日対応した21000系については、蛇行動抑制のためヨーダンパを追加装着している。
近鉄電車は基本的にボギー構造であるが、過去の車両で連接構造を採用した例もある。連接構造はメンテナンス面で難があり、10100系を最後として以後採用されていない[202]。
他社では、車体と台車を別メーカーで製作している例もあるが、近鉄の場合は名古屋線改軌に伴う交換用台車として日本車輌製造製円筒案内式(SIG式)台車を購入[203]して以降は、車体と台車を同資本の近畿車輛で一体的に設計・製作している[204]。
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中期の特急車用シュリーレン式台車(KD-41)
揺れ枕を吊りリンクで台車枠からつり下げ、揺れ枕直上の空気ばねで枕梁と心皿を支える。ボルスタアンカーを備えていない。 - KINTETSU KD-83.JPG
後期の特急車用シュリーレン式台車(KD-83)
空気ばねを枕梁の上に置き、車体直結としたダイレクト・マウント構造を備え、揺れ枕および吊りリンクを省略した。ボルスタアンカーを備える。 - KINTETSU 21000 020.JPG
21000系用シュリーレン式台車(KD-97)
基本はKD-83に準じるが、曲線通過時の転向横圧を軽減するため軸距を2100mmに短縮した。130km/h運転に備えヨーダンパがボルスタアンカーの下に追加装着されている。 - KINTETSU22000 BOGIE.JPG
標準軌特急車用積層ゴムブッシュ片側支持式台車(KD-304)
心皿および枕梁を省略したボルスタレス構造を備える。130km/h運転を実施するためヨーダンパを装着する。
車体の材料
車体については一貫して鋼を使用している。新幹線やJR北海道の特急等で採用されているアルミダブルスキンやステンレス構造では時代の変化に合わせた改造が難儀なうえ、JRに比べて車体幅の狭い近鉄特急車両にアルミを使うと[注釈 47]、その肉厚ゆえ車内空間が狭くなる懸念があるため、性質からいって強靭で、工作が容易な鋼が選択されている。また、特急車両は固定窓ゆえ、通勤車両に比べて雨水の侵入による腐食の心配が薄く、耐久性があるため、あえて高価なアルミやステンレスを選択する理由もない[196]。
貫通扉
近鉄特急車両の大半の編成では正面が貫通式のスタイルをしている。昨今はアーバンライナーをはじめとする流線型の非貫通スタイルもラインナップされているが、1980年代までは近鉄特急を象徴するスタイルとして正面貫通式が挙げられていた[205]。車両のシンボルメイキングの正面スタイルを貫通式とすることは、他社の流線型(非貫通)特急車両と比べて非個性的で画一的な印象と映るものの、こと需要変動が大きい近鉄特急では有効であり、旅客流動に合わせて編成を増減のうえ乗客の多寡に対応、かつ運行コストを適正化していくには欠かせない装備となっている。
扉があることで前面のデザインも大きな制約を受けるが、1967年製の12000系以降は貫通幌を隠すよう幌カバーを設けて、出来る限り車体と面一になるよう配慮された。このスタイルは1986年製の車両(12600系2次車)まで踏襲されたが、こえて1992年製の22000系以降は電動スイング式の幌カバーとなり、車体外板と平滑になるなど、デザイン面で大きく進化した[206]。なお、50000系「しまかぜ」も正面に扉を備えているが、こちらは非常用の脱出口で、車両同士を繋いで乗客の行き来を前提とするものではないため、外観も半ば鋭角的な流線型スタイルとなっている[207]。
灯具
保安上の必要性から車両正面には前照灯と種別標識灯および尾灯を取り付けている。種別標識灯(黄色の光)は近鉄の場合、両側点灯が特急と快速急行、向かって右側のみ点灯が急行、向かって左側のみ点灯が準急、無点灯が普通と規定されている[208]。
灯具のいずれも見付けに配慮しつつ配置、デザインされている。前照灯は以前は飛び出していたが、12000系(1967年製)より埋め込み式となり、21000系(1988年製)からは正面窓に内蔵され目立たなくされた[209] 。さらに26000系(1990年製)から4灯式とされた。長らくシールドビームが使われたが、21020系(2002年製)よりHID灯化された[210]。種別標識灯と尾灯も、12600系までは飛び出していたが、同じく21000系から埋め込み式となり、同時にLED化された[209]。22600系以後は車体下部に吊り下げて設置している[211]。
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前照灯。時代の変化によってシールドビームからHID灯に変わった
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種別標識灯。特急は両側点灯
2階建構造
テンプレート:See also 1988年のアーバンライナー登場まで近鉄にとっての代名詞的な車両構造で、また、新幹線100系登場(1985年)までは日本で唯一、2階建車両で運用する鉄道会社であった[212]。2階建車両のメリットとして、車両構造がフラットカーと違うことから乗客の注目の的となり、ゆえに車両のイメージ向上にも役立ち、床面積も階段部を差し引いても3割の増加を見込めることから定員増も期待できる[202]。しかし、階段の昇り降りの手間や、それに絡めたバリアフリー対応が難しい点、そして客室が狭くなるハンディがあり、2階建であっても床高さが平床車と比べて1mも違わず、建築物と異なって眺望性が劇的に向上することもない。車体艤装面においても、車両のほとんどのスペースを客室に占有されることから、機器を他の車両に配置せざるを得ないなど問題点も多い[202]。バリアフリーの問題はともかく、以上の問題ゆえ、21000系では2階建構造の採用が見送られ[213]、特急車において再び採用されたのは50000系のカフェ車両(2012年製)となった。
30000系の場合、2階部床下に空調機を艤装し、1階部横にコンプレッサーと電動発電機を分散搭載することで両端の平床車の艤装に影響を与えないよう配慮した[214]。車体の基礎となる台枠は、側はりを平床車と同じ車体全長に渡って通し、車端衝撃力に強くして経年使用による車体の垂下を抑えてキャンバー[注釈 48]を保持する構造をしており[202][215]、これは10100系も同様であった[216]。
車両デザイン
テンプレート:Double image aside 近鉄電車は全車、近畿車輛で製造されるが[217]、車両デザイン、設計も近畿車輛をはじめ近鉄の技術部門のスタッフや美術、造形、建築分野における専門スタッフとの共同作業で行なっている[218]。
この内、美術スタッフがイメージスケッチや縮小模型によってエクステリアデザインを決定するほか、インテリアでも座席形状、内装材の選定、カラーコーディネイトまでを決定する[218]。
かつて21000系「アーバンライナー」のデザイン検討の際は、学識経験者2名を招聘して、デザイン提案をはじめコンセプト設定の指南を仰いでいる[219]。この時に確立されたデザイン開発の手法は、以後登場する特急車の他、他社向けの各車両にも適用されている[220]。
車体塗装
近鉄特急の車体塗装は、汎用特急系列と固定編成系列で二分される。
汎用の場合はネイビーブルーとアスカオレンジの組み合わせで、1958年の10000系「ビスタカーⅠ世」以来の塗装である[221]。ネイビーブルーは日本の伝統色の藍、アスカオレンジは人間の肌の色で、これを組み合わせることで文化的な香りの高い近畿地方のイメージを表現している[221]。1992年より透明感と明るさを表現するために色味が若干変更されて現在に至る[222]。
長らく近鉄特急の塗装はこの2色が標準だったが、1988年のアーバンライナー以降の固定編成系列は専用の塗装をまとっている。
特急車両の保守と整備
特急車両約450両はそれぞれ配属場所が設定されている。配属先では所定の検査を3か月または10日単位で実施するほか、編成の増結や抜き取り等の仕立て業務、洗車、清掃を行い、併せて車庫も併設する。配属車両がなくても特急車両の検査を実施する所もあり、以下その場所を列挙する[224][225][135]。
- 米野車庫(近鉄名古屋駅付近)- 近鉄名古屋駅発着特急の折り返し整備基地で、特急列車のみの列車検査も実施[225]。配属車両はない[135]。
- 富吉検車区(富吉駅隣接)- 名古屋方の車両基地で、名阪特急、名伊特急に充当される車両を受け持つ。アーバンライナー車両は全車配属[135]。
- 明星検車区(明星駅隣接)- 伊勢方の車両基地で、名伊特急、阪伊特急、京伊特急に充当される車両を受け持つ[225]。
- 高安検車区(高安駅隣接)- 大阪方(大阪線系統)の車両基地で、阪伊特急充当編成のほか、伊勢志摩ライナーやしまかぜ車両も配属される[135]。
- 名張車庫(名張駅隣接)- 大阪線の輸送量の変化に対応するため、車両の増結切り離しを行なう際の折り返し整備基地。配属車両はない[135]。
- 西大寺検車区(大和西大寺駅付近)- 京都、奈良方の車両基地で、京伊特急、京奈特急、京橿特急等の車両が配属。
- 東花園検車区(東花園駅付近)- 大阪、奈良方の車両基地で、名阪特急の折り返し整備も行なう[225]。
- 天美車庫(河内天美駅隣接)- 大阪方(南大阪線系統)の車両基地で、列車検査も実施。当車庫は大阪阿部野橋駅に近いため、特急車両の出入庫基地としての役割も果たしている[225]。配属車両はない[135]。
- 古市検車区(古市駅隣接)- 吉野特急の全車両が配属される[135]。
ほか、車両が8年に1度受ける全般検査、4年に1度受ける重要部検査を行なうための以下2検修場所がある[224]。車両や台車、機器の分解検査をはじめ、車体塗装も実施する。さらに、寿命を迎えた車両の廃車解体作業は高安検修センターおよび塩浜検修車庫で行ない、近畿車輛で新造した車両の受け入れは高安検修センターで行なう[224]。また、車体更新工事も高安検修センターを含めた3か所で実施され、工事内容も以下に挙げる[224]。
- 五位堂検修車庫(五位堂駅付近)- 近鉄車両のほとんどを検査する大規模工場。「さくらライナー」等、狭軌線特急車両も検査する。高安検修センターの各種工事も管理する。
- 塩浜検修車庫(塩浜駅隣接)- 名古屋線系の車両を検査する。
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富吉検車区
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明星検車区
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米野車庫
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五位堂検修車庫
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塩浜検修車庫
車体更新工事
電車は自動車と異なって、新造以来そのままの姿、機能で寿命を迎えて廃車されることはなく、在籍中、省令改正による対応工事、各種改造をはじめ、延命対策としての大規模な補修工事(車体更新工事)を実施することから[226]、新造当初と後年の姿が異なっていることが多々ある。
近鉄においては車両の寿命を通勤車で概ね30年、特急車で概ね25年と見ており、この間に(概ね15年目)車体更新工事を実施している。もっとも、1990年代の不況が乗客数減少を招き、そのための新造車両に対する投資抑制および資源保護の観点から車両寿命のさらなる10年の延期を図り、30年目と25年目を目途に2度目の車体更新工事を実施している[226]。しかし、これも順延傾向にあり、最近では18 -20年目で1回目[227][228]、30年目で2回目、計40年のサイクルが主流化している。
車体更新工事の内容は、特急車の場合、車体各部の腐食の修理の他に、長期間の使用における時代感覚のギャップを埋めるためのインテリアのリニューアルが主たる内容となっている[226]。さらに、昨今の健康志向の高まりによる禁煙化の傾向やバリアフリー対応等、社会観点からの要請を車両に反映させるための工事も併せて実施している[229]。
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リニューアル前
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リニューアル後
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更新工事で喫煙席から喫煙室に変更された
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バリアフリートイレを工事によりさらに進化させた
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情報表示器も工事で拡大(23000系)
競合関係にあるもの
近鉄特急と競合関係にあるものは、高速道路や一般国道を始めとする道路網と自動車、東海道新幹線およびJR関西線と紀勢線を走る「快速みえ」、さらに間接的に関わってくるものとして、海外へ向かう格安航空路線が挙げられる。国内旅行で各都市から伊勢志摩に行くよりも、海外に飛んだほうが安い場合があるからである[230]。
一方で、近鉄名古屋駅や京都駅は東海道新幹線との接続駅でもあり、新幹線の乗客を自社路線に誘致するなどの強い連携も行なわれていることは先に見た通りである。
近鉄はモータリゼーションの進展に対する危機意識を名神高速道路建設当時から抱いていた[231]。また、1960年代当時、未開の地であった志摩地方を近鉄資本でもって開発、囲い込む傍らで、パールロードをはじめ伊勢志摩スカイライン、伊勢道路(現・国道23号)の開通など、自動車利用を前提とした施設の拡充も進行し、着々と鉄道経営を圧迫する地歩がつき固められつつあった[232]。1970年代ともなると定期外収入(特急料金もこれに該当)が前年並みとなり、ここにモータリゼーションの影響がはっきりと現れてきた[196]。各家庭の自動車保有台数も年々右肩上がりで、それに呼応するように国道の整備、高速道路網の拡充が推し進められた。現状、名伊特急や阪伊特急、京伊特急のルートにも高速道路や一般国道が沿うように展開しており、今後とも自動車との競争は避けられない情勢となっている[233]。特に名伊特急の守備範囲である三重県においては、駅前に立地していたショッピングモールが軒並み自動車利用を前提とした郊外に移転する傾向が顕著で、生活の足は電車よりも自動車と化しているのが現状である[50]。
特急料金収入の増減は景気に左右される場合が多く、1990年代半ばから景気低迷による国内観光の不振により、伊勢志摩観光も大きく需要が伸び悩んだ[230]。伊勢志摩方面に特急営業を行なう近鉄にとっては痛手が大きく、2012年の伊勢志摩方面特急の輸送量は、1994年と比べて約4割程度となった[234]。また、短距離の特急利用客も生活防衛の観点から急行で我慢する傾向が増え、レジャーの多様化によって国内外の観光地とも競争が激化し、さらにはインターネットの媒介やゲーム機器の発達によって旅行以外の娯楽が増えたことも収入減に関係していると推察され[230]、一概に競合関係にある他交通機関のみが収入減収の要因ばかりとは言い切れない。さらに、これに輪をかけて日本の総人口が減少していく少子高齢化が今後一層加速すると見られ、沿線人口の減少とともに、鉄道事業収入の伸び悩みも今や顕在化している状態である[196][230]。
近鉄がことに特急運営に強い意欲を示してきた要因の一つが、本項冒頭で記述した通り、近鉄路線が背負う宿命としての閑散路線対策であるが、それだけにとどまることではなく、特急料金収入が競合交通機関をはじめ、社会のライフスタイルの変化によって蚕食されることを早くに警戒していたことにもよる[231][230]。このため、特急の輸送サービス向上にハード、ソフト面で取り組んできたが[231]、近年ますます厳しさを増す特急運営に対して、特急停車駅の増加[230]、グループ席の利用制度変更、座席のインターネット空席照会と予約システムの導入[235]、各種割引切符(まわりゃんせ[15]、名阪まる得きっぷ等)の発売[230]、保有車両の絞り込み[236]、ニーズに合った車両の建造等[196]、さまざまな対策が打たれている。
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モータリゼーション
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東海道新幹線
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格安航空路線(例:ジェットスタージャパンの機内)
乗務員
近鉄車両はJR特急のように運転室と兼用しない独立した乗務員室がないため、車掌は車両最後尾の運転室兼用の乗務員室にて案内放送やドア開閉業務を行う。
長距離特急の場合、乗務員は全区間を通しで乗務することはなく、担当線区ごとに乗務員が交代する[237]。
車内では乗り越し手続きをはじめ、立席承知の特急券の発売、特急券発売状況の端末チェックを行なう[238]。以前は特急券の車内改札を列車終着駅手前で1席ずつ実施し、途中駅では駅係員が集札を行なっていたが、2001年3月から客室乗務員がASKAシステムと接続した携帯端末機を所持することで特急券の発売状況をチェック出来るよう改め、車内改札と駅の集札を廃止して業務の効率化を図った[239]。なお、名阪甲特急では現在も車内改札を実施している[240]。
長距離運転を実施する近鉄特急ならではの事例として、過去において名阪甲特急が中川短絡線走行中に運転士と車掌が運転業務を交代することが行なわれていた。既述通り乗務員は担当線区ごとに交代することから、かつて伊勢中川駅でスイッチバックのための運転停車をしていた頃は、そこで交代が行なわれた。しかし、1961年の中川短絡線の完成によって運転停車が解消された際、鶴橋駅 - 近畿日本名古屋駅(現・近鉄名古屋駅)間がノンストップ運転のため交代のタイミングが無くなることが問題化した。このため、運輸省(現・国土交通省)の特別認可を受けて高安列車区と富吉列車区の運転士2名を乗務させて、短絡線走行途上で交代させることにした[241]。この際、運転席がデッキや客室から見える車両では、乗客に不安を与えないよう、カーテンを閉めた[241]。そして、担当線区以外の運転乗務員は車掌業務を担当した。しかし、2012年の甲特急の全列車津駅停車に伴い、交代は津駅停車中に行うことになったため車内交代は廃止されている[24]。
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運転乗務員交代
津駅にて - KINTETSU22600 20131231A.jpg
車掌は車両最後尾から業務を行なう
車内サービス
車内販売
近鉄特急では、1948年7月から車内販売を開始し[242]、当初は大阪線を近鉄百貨店、名古屋線を中央ホテル(のちの名古屋都ホテル)が担当した[243]。1951年2月以降は関急産業(のちの近鉄観光)が担当し、以後、多くの列車で実施された[244]。1967年から名阪ノンストップ特急限定で名古屋都ホテル(2000年廃業)が担当する[245]スナックコーナー営業が行われ、電子レンジで温めたカレーライスや中華ランチなどを提供したこともあったが、当時は名阪ノンストップ特急そのものが新幹線に利用者を奪われて凋落傾向にあったこともあり、結局スナックコーナーによる食事の提供は1975年2月までに中止され[246]、近鉄観光による一般の車内販売に戻った。
1980年代以降は駅売店やコンビニエンスストアの相次ぐ出店によって、乗車前にあらかじめ商品を買って持ち込む客が増えるなどしたため全く売れなくなり、2002年3月をもって一旦廃止された[247][注釈 49]。
2006年11月より、土・休日ダイヤの23000系「伊勢志摩ライナー」で運転する阪伊・名伊・京伊特急、計上下12本で営業を再開した。再開した車内販売は、近鉄が運営・実業務を傍系の近鉄リテールサービスへ委託して行われている[248]。2007年10月8日より、土・休日ダイヤ日中時間帯の名阪特急(21000系・21020系限定)でも車内販売が復活した[249]。2013年3月より運行開始した特急「しまかぜ」では専属アテンダントにより、カフェでの軽食や飲料の販売のほか、ワゴンによる車内販売も実施している[250]。これらのサービスも近鉄リテールサービスにより行われている。
有人販売とは別に、伊勢志摩ライナーやアーバンライナーなどの新型車両においては自動販売機による飲料の販売が常時行われている。
おしぼりサービス
1951年11月以来、近鉄特急車内で蒸しタオルによるおしぼりが配布されていたが[251]、車内販売の売上低下とともに配布範囲が縮小され、1996年以降は紙おしぼりのセルフサービスとなった[252]。洗面室の壁におしぼり受け取り口を設けて対応する[253]。
情報・音楽装置
しまかぜのカフェ車両、個室に衛星放送(BSデジタル)、前方走行映像が受信可能なモニタを設けている[254]。ほか、しまかぜの2・5号車、アーバンライナーの客室ドア上部にモニタを設けて前方走行映像を時折放映する[255]。
車内妻壁にLED式表示器を設置している車両(26000系以降の車両)では、ニュースをはじめ、天気予報、近鉄の切符や観光情報をスクロール表示する[256][207]。
1988年以降に製造された車両の内、車体更新工事を実施した車両と、2002年以降に製造された車両は、デッキに出入台灯を設け、左右の開く側のドアを光点灯によって予告するシステムを取り入れている[257]。ほか、音響装置を設置のうえ乗降時に音楽を流す車両もある[257][207]。
しまかぜ、伊勢志摩ライナー、さくらライナー、22600系、16600系の座席には電源コンセントが設置されており、パソコンをはじめスマートフォン等の充電に対応可能である[207][229][258][259][260]。
かつてはアーバンライナーや22000系などの車両にカード式の公衆電話が設けられていたが、携帯電話の普及により姿を消している。列車公衆電話は青山越えの山間部などでは圏外になって使用できず、これらの区間に差し掛かる前には車内放送でその旨が放送された。携帯電話についてもやはり山間部やトンネルなどでは利用できない場合があるが、順次不感地帯の解消が進められている。なお、トンネルによってNTT docomoのみ使用できるトンネル(大阪線の大半のトンネル)と、加えてauとソフトバンクも使用できるトンネル(難波線や奈良線の新向谷トンネル)がある。[261]車内Wi-Fiが導入されている車両は2014年6月現在通勤型車両も含めて存在しない。
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しまかぜ車内のモニタ
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アーバンライナー車内の妻壁モニタ
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LED表示器
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アーバンライナーの出入台灯と音響装置
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座席に設けられた電源コンセント
駅
特急停車駅に指定されている駅ホームには、乗車位置を解りやすくするため、号車番号案内表示器(または表示板)を設置している[262]。ほか、ホーム上に特急券自動券売機を設置して[263]、発売窓口の混雑緩和、および急行以下の列車からの乗り換え客の便宜を図っていることは既に記述した。
基本的に急行以下の列車と同じ線路を走ることから、ホームも共用であるが、近鉄名古屋駅、賢島駅、大阪上本町駅(地上ホーム)、京都駅、大阪阿部野橋駅には特急専用ホームも存在する。
東京、広島、福岡などから新幹線を乗り継いで近鉄特急に乗り換える際の駅は、名古屋駅、もしくは京都駅であるが、新大阪駅においても、大阪市営地下鉄御堂筋線を介して天王寺駅下車のうえ大阪阿部野橋駅、もしくは難波駅で近鉄特急に乗り換えることが可能である。空路に関しては、近鉄名古屋駅で名鉄と接続することで中部国際空港と連絡を図り、大阪難波、大阪阿部野橋(天王寺)、大阪上本町、鶴橋の各駅でもJR、南海、空港バスと連絡して関西国際空港、大阪国際空港(伊丹)を連絡している。
特急停車駅はそれぞれ異なる特徴を持つが、ここでは伊勢中川駅と大和八木駅の事例を述べるにとどめる。
伊勢中川駅は大阪線、名古屋線、山田線が合流する要所で、戦後以来ずっと名阪連絡の使命を担ってきた。現在、名阪特急は甲乙含めて1時間当たり2往復運転するが、これに加えてもう2往復の乗車チャンスを与えるために、阪伊と名伊の両特急を当駅で接続の上、利用客の便宜を図っている。ホームの両側に、名古屋発伊勢志摩行き(名伊)特急と、伊勢志摩発大阪行き(阪伊)特急がほぼ同時に到着し、乗客は階段を昇り降りすることなく同一平面上で乗り換えが出来る[264]。さらに、歩行の負荷を減らすため、出来る限り乗り継ぎ前と乗り継ぎ先の車両の位置が近くなるような号車番号で切符が発券される[265]。さらに、特急同士の乗り継ぎにおいて、特急料金の計算を個々の列車単位ではなく、キロ通算特急料金を採用していることは先に述べた。
大和八木駅は大阪線と橿原線が立体交差する駅で、東海道新幹線開業を契機とした特急ネットワークの転換期における重要な役割を果たした[266]。現在も名阪と京橿、名阪と京伊、阪伊と京橿の各特急間で連携が行なわれる。この内、名阪と京伊は2階の同一ホームで乗換えが可能で[267]、他は階段を使っての連絡となる[268]。
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ホームの号車番号案内表示器
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LCD式の号車番号案内表示器
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近鉄名古屋駅では電車を降りたその先にJR在来線および新幹線の連絡改札口がある。
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近鉄名古屋駅の特急専用ホーム
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賢島駅は5ホームのうち4ホームが特急専用
事故
国内の鉄道がそうであるように、近鉄路線も多数の踏切を有することから、それに絡んだ事故も頻発し、それは特急においても例外ではない[注釈 50]。踏切事故対策として、防護無線を活用することで踏切障害発生時に、近辺を走行中の全列車に危険を報知する体制を整えている[269]。
近鉄特急における重大事故はこれまで2例発生している。いずれも乗員乗客の死亡を伴っている。
- 1966年11月12日 河内国分駅構内で信号見落としの特急が停車中の準急に衝突し、双方の車両が大破した。運転士が死亡し、乗客にも多数の重軽傷者が出た[270]。
- 1971年10月25日 東青山駅 - 榊原温泉口駅間の総谷トンネル入口付近で特急同士の衝突事故が発生、乗員乗客に多数の死傷者が出た。車両も脱線転覆して4両が廃車になった。残存単線区間における事故であったことから、これを機に一部別線付替えを伴う大阪線の全線複線化が決定されている[271]。
東海地震への対応
近鉄では、近鉄名古屋駅 - 川越富洲原駅間および明星駅 - 賢島駅間が東海地震に対する地震防災対策強化地域に関わっており、東海地震の警戒宣言が発令された場合、各区間では列車の運行が中止されることになっている。これに伴って、川越富洲原駅 - 伊勢中川駅 - 明星駅間でも特急列車の運転が取り止められることになっている[272]。
東海、東南海、南海地震発生時の乗客の安全確保を目的として2013年2月より名古屋線をはじめとした沿岸部に近い路線で津波浸水予想区域を対象に緊急避難誘導標の設置を行なっている。ほか、特急車、通勤車を問わず、各編成に概ね1 - 2台の割合で避難はしごを設置している[273]。
お召し列車
沿線には皇室の祖神を祀る伊勢神宮をはじめ、神武天皇御陵の他、様々な文化遺産があることから、何かと皇室の行事に近鉄電車が利用される機会が多い。近鉄ではその都度、特急車両を整備してお召し列車を運行した[274]。
当初は汎用特急車が使用され、御座所の椅子を近鉄百貨店でしつらえてセッティングしたが[275]、1990年以降はアーバンライナー等の固定編成系列が使用され、特別車両を御座所としている[274]。
各々の日程、編成は、12200系、12400系、16010系、21000系、23000系、21020系、50000系の各項目を参照のこと。
他社線への乗り入れ
2014年3月22日より団体臨時列車の扱いで阪神三宮駅(現・神戸三宮駅) - 賢島駅間で運用を開始している[16]。
近鉄では阪神なんば線開業以前から阪神線内への直通運転のアプローチを展開していたが、阪神サイドがダイヤパターンが崩れる懸念や需要が読めないこと、特急券発券システムや乗務員教育などにコストがかかることを理由に難色を示したことで [276]、直通構想は阪神なんば線開通後も遅々として進まず、2013年にもなって、2014年春以降、団体臨時の扱いで直通運転を開始することで合意をみた1・2。
列車名がない理由
かつて特急の運転本数が少なかった時代は、列車を特定のうえ乗車することに意味があった訳で、「かつらぎ」「すずか」「あつた」「おわり」などの列車名が付与されていた。しかし、次第に特急が増発され、運行系統が多様化するに至って、特定列車を意識して選択する必要性が薄れ、旅客にとっても列車名で指定する意味がなくなったため、1960年1月の阪伊、名伊特急の新設に伴って列車名は廃止された[277][278]。
その後は非公式に「名阪」「いせしま」「いせじ」「パールズ」「はまゆう」「ゆのやま」等の愛称が設けられたこともあるが、現在に至るまで公式の列車名はなく、一貫して「近鉄特急」としてPRしている[277]。また、既述通り「伊勢志摩ライナー」「アーバンライナー」等の愛称は車両固有の愛称であって列車名ではなく、これらの車両も特急ネットワークの中に組み込まれ「近鉄特急」として一体的に運用されている。
これらの事情によって特急券申し込みの際、JRの場合は列車名を申込用紙に記述するが、近鉄特急の場合は列車名がないため、行き先だけを係員に告げるか、発車時刻を告げることで乗車希望の特急を指定する[125]。
車内チャイム
この各駅ごとに異なる車内チャイムは、22000系で初めて導入されたものであるが、その後独自のチャイムが廃止されたり、曲目が変更されている駅もある。
到着時の各駅のチャイムは以下の通り。
駅名 | 車内チャイム | 駅名 | 車内チャイム |
---|---|---|---|
大阪難波 | アニーローリー | 大阪上本町 | 夢路より |
大阪阿部野橋 | 愛の喜びは | 鶴橋 | 旅愁 |
京都 | 大きな古時計 | 大和西大寺 | おおスザンナ |
近鉄奈良 | 歌の翼に | 大和八木 | 故郷の人々 |
橿原神宮前 | スコットランドの釣鐘草 | 飛鳥 | 春の日の花と輝く |
吉野 | さくらさくら | 名張 | 峠の我が家 |
伊勢中川 | 交響曲「田園」 | 伊勢市 | 羊飼いの家路 |
宇治山田 | 四季 より「春」 | 鳥羽 | われは海の子 |
鵜方 | 志摩スペイン村テーマソング | 賢島 | マイ・ボニー |
津 | ソナチネ | 白子 | バースデーマーチ |
近鉄四日市 | オリジナルチャイム | 桑名 | 埴生の宿 |
近鉄名古屋 | 思い出 |
イメージソング
かつて、楠トシエ(作詞・作曲三木鶏郎)がイメージソング「近鉄特急のうた」を吹き込み、同社提供コマーシャルで放送されたことがあった。
近鉄名古屋駅では以前からワルツの「ドナウ川のさざなみ」が特急の発車メロディとして流れている[280]。近年は期間を限り関西側のターミナル駅で、「縁を結いて」が使用されている[17]。
注釈
- ↑ 実際は1日8本であるが、大阪線と名古屋線の各名阪特急を一体として扱うことから1日4本、2往復とカウントする(名阪特急が分割運転していた経緯については名阪特急の節を参照のこと)。
- ↑ この戦略の転換を後押ししたのは当時の近鉄社長の佐伯勇で、名阪間の軌間統一、ビスタカー建造等、さまざまな決断を下した彼も、新幹線のスピードの前には成すすべもなく、あっさりと白旗を揚げた。「近鉄の新幹線対策は、大阪・名古屋の客をねらったものではなく、実は東京の客をマークしたのである。名阪間で新幹線に勝てないのは自明の理」と認めている。『私鉄探検』近藤正高、ソフトバンク新書079、181 - 183頁
- ↑ 1960年1月時点の甲特急の鶴橋停車は上りのみ。1961年9月より下りも停車となった。『決定版 近鉄特急』ジェー・アール・アール、115 - 116頁
- ↑ 実際はスイッチバックのための運転停車。客扱いはない。
- ↑ 阪伊特急の創設年を1948年と捉えるか、1960年と捉えるか。本節では、まがりなりにも大阪と伊勢を直通した事実を鑑みて1948年を創設年とした。ただし、系統的には名阪特急との兼用である。
- ↑ 1967年ダイヤ変更直前の大阪線急行の停車駅は上本町・鶴橋・大和八木・名張・伊賀神戸・榊原温泉口・伊勢中川の各駅で、現在一部特急の停車駅となっている大和高田・榛原駅・桔梗が丘駅は区間急行が停車、また布施は急行・区間急行とも通過していた。
- ↑ 2009年のダイヤ改正で夜の名古屋発車時刻が繰り下げられ、近鉄名古屋駅を23:15に発車して、津駅には0:04に到着し、阪奈特急以外では数少ない0時超えの特急である。
- ↑ 運行開始当初の名伊特急の運転区間は近畿日本名古屋駅 - 宇治山田駅間がその全て。宇治山田駅以南が開通するのは暫く後である。よって当時の甲特急の停車駅に同駅以南の駅は存在せず、伊勢市駅のみが途中停車駅であった。その伊勢市駅も後に無停車とされた。
- ↑ 名古屋発着列車は構内配線の関係上、天理線への入線はスイッチバック式に転線する必要があるため、平端駅に運転停車する。その影響で、大和八木駅から天理駅まで15キロの道程に対し、所要時間は25分程度かかる。
- ↑ 運転日は、2010年4月24日から2011年2月27日の土曜・休日。ただし、上記の天理発着臨時特急と重なる日や年末年始、1月の3連休を除く。
- ↑ 近鉄発行の初詣パンフレットに掲載された時刻表によると、例えば1992年大晦日22時台 - 1993年元日1時台、伊勢方面の阪伊特急は毎時4 - 5本(ほとんどが甲特急タイプ(当時の甲特急の停車駅に加え、大和八木駅・伊勢市駅にも停車)で乙特急は毎時1本のみ)、名伊特急は毎時4 - 6本(とくに近鉄名古屋駅発21時20分から23時00分までは10分間隔。なお速達タイプは毎時1本)、京伊特急は毎時2本(単独運行)、橿原方面の吉野特急は毎時4本であった。2013年大晦日現在では同時間帯、阪伊特急・名伊特急がそれぞれ毎時1 - 2本、京伊特急は毎時1本(阪伊特急との併結)、吉野特急は毎時1本となっている。
- ↑ 1970年代は伊勢方面行き特急の復路の回送を利用し、桜井駅始発で運転されたこともあった。 - 『鉄道ファン』(第180号)1976年4月号、交友社、94頁
- ↑ 1990年代は鶴橋駅 - 伊勢市駅間や伊勢市駅 - 桜井駅間ノンストップの列車、2011年大晦日までは大和八木駅 - 伊勢市駅間ノンストップの列車もあった。
- ↑ 臨時便を除く
- ↑ 乗り継ぎ駅及び列車の案内は近鉄ホームページの「ダイヤ案内」にて確認可能
- ↑ 近鉄における乗車券とは普通乗車券・回数乗車券・定期乗車券・団体乗車券のほか、ICカード(PiTaPa・ICOCA及び相互利用のICカード)、スルッとKANSAI対応カードをさす。
- ↑ 以前は、往復同時に求める場合で、大阪難波駅 - 鶴橋駅間の各駅と近鉄名古屋駅間を乗車する場合または伊勢市駅 - 賢島駅間の各駅と下市口駅 - 吉野駅間の各駅(六田駅を除く)を往路の着駅とし片道81km以上利用する場合は、復路の分を1か月1日前から発売し往復同時購入が可能(インターネット予約では不可)であったが、2013年の「しまかぜ」運行開始を前にこの取扱いは終了となった。(近鉄からこの件について公式発表はないが、『近鉄時刻表』2013年版(2012年版90頁と2013年版91頁の比較)及び公式ウェブサイトからこの記述が削除されている)
- ↑ 特別車両料金は時代によって変化しており、その概要を時系列的に列挙する。1989年3月31日以前(消費税導入前)はJRのグリーン料金同様、通行税10%を含んで300円であった。1989年4月1日に通行税 (10%) 廃止、消費税 (3%) 導入により、約7%値下げして280円となった。その後、400円に値上げされ、1997年4月1日の消費税率変更(3%→5%)に伴い410円となった(2011年3月15日までは阪奈特急に乗車する場合は特別車両料金が不要だった)。2011年3月16日より、短距離での特別車両の利用を促進するため、キロ数に応じた値段に改定され、阪奈特急に乗車の場合もデラックス券が必要となった。また、メインの利用区間とされる名阪間について(181km以上)は410円から500円に値上げされている(『鉄道ジャーナル』(第534号)2011年4月号、鉄道ジャーナル社、48頁欄外)。
- ↑ 公式サイトにはサロンシートに2名での乗車はできないとあるが、近鉄「旅客案内テレフォンセンター」でルールを確認し、また乗車時に賢島駅窓口係員にも念のため再度確認したところ、2013年3月21日以降は実際に乗らない小児料金と運賃を、不足人数分(サロンシートの場合は3名に足りない部分)を支払えば乗車可能とのこと。また、実際に3月27日、2名で乗車し車内改札でも問題がないことを筆者が確認。
- ↑ 近鉄時刻表の駅名欄に「特急券即時発売駅マーク」が掲載されている駅で購入可。『近鉄時刻表』2013年、3頁
- ↑ 近鉄時刻表の駅名欄に「定期券即時発売駅マーク」が掲載されている駅で購入可。『近鉄時刻表』2013年、3頁
- ↑ 過去に販売していた割引切符は以下に列挙する。 特急カード(特急料金の支払いに使用できるカード。2013年2月20日で発売終了した)。マンスリービスタ14(特急料金の500円・870円区間に関してのみ販売されていた、14回分のカード式特急料金回数券。500円区間用は6,000円(約14%引)で、870円区間用は9,800円(約19%引)。有効期間は発売から1ヶ月間)。ビスタカードプラス(特急券・特別車両券・サロン券専用のプリペイドカードで、5,000円で5,500円分利用できる(約9%引)。有効期間は発売日から3ヶ月間。ただし「しまかぜ」には使用できない)。
- ↑ 区分の基準は次の資料によった。『鉄道ピクトリアル』(第505号)1988年12月臨時増刊号、電気車研究会、156頁
- ↑ 1964年に格上げ改造された680系も含む。ただし駆動方式はWN式
- ↑ 2250系、6421系、6431系がこれに該当。『鉄道ピクトリアル』(第505号)1988年12月臨時増刊号、電気車研究会、67 - 71頁
- ↑ 当時は大阪線と名古屋線の線路の幅が異なっていた。
- ↑ 近鉄における新性能車の先駆けは、1954年に在来車を改造した1450系である。(『鉄道ピクトリアル』(第398号)1981年12月臨時増刊号、電気車研究会、105頁)
- ↑ 30000系は両端の平床車(モ30200形)トイレ寄りの座席も固定式となっている。当時はコンピュータ発売システム上の要請で、定員が各車60名以上確保することが必須とされ、このため固定式座席を設けてまで定員増にこだわった。乗客へのアピールと平行して自社のシステムの都合も優先された訳である。(『鉄道ファン』(第511号)2003年11月号、交友社、70頁)
- ↑ 製造途上で2両が事故廃車になっている。つまり168両全車が出揃った時期はない。よって、製造車両数を166両とカウントする資料も存在する。
- ↑ アーバンライナー、さくらライナーのデザイン開発において、それぞれ異なる乗客のニーズにどう答えるか、とのテーマに対する回答として「質の高い空間を提供することが、あらゆる要求に対する回答になりうる」と近畿車輛の担当者は述べた。『鉄道ファン』(第352号)1990年8月号、68 - 73 頁
- ↑ 近鉄ではこのタイプの座席を「ゆりかご型」と称している。
- ↑ シートピッチ拡大は10100系以後も連綿と行われ、大量輸送の時代にあっても居住性向上に手をこまねいていた訳ではないにせよ、12000系の980mmをもってその後20年間も固定された。再び拡大されたのは1988年以降である。
- ↑ 21000系と26000系は従来通りの方式が踏襲されている。
- ↑ E号車は通常は使用されることはない。
- ↑ 23000系「伊勢志摩ライナー」も2001年(平成13年)3月22日のダイヤ改正までは名阪特急への運用が無かったために伊勢中川駅 - 賢島駅間では阪伊・京伊・名伊とも同じ向きで運用されていた
- ↑ レギュラーカーは2013年3月20日以前は数字のみ(窓側が奇数、通路側が偶数。「1番-2番(通路)4番-3番」と並べる)としていたが、同年3月21日の「しまかぜ」運行開始に伴い、デラックスカー同様に列番を数字、横方向をABCDで表記する方法に変更、サロンカーについても数字のみを現行の仕様に改めた。テンプレート:PDFlink
- ↑ 2003年(平成15年)3月6日のダイヤ改正直前は、吉野特急以外の号車番号は以下のようになっていた。
- ↑ 2012年のダイヤ変更までは定期列車で運行していた。現在は越年運転の臨時列車のみ運転。大和八木以東では4+4両編成の場合、D-C-B-A+4-3-2-1号車の連結順。
- ↑ 橿原神宮前・奈良行きの場合、前から1-2-3-4+A-B号車の順。
- ↑ けいはんな線は除く
- ↑ 広義的に捉えるならば、中川短絡線や新ノ口短絡線も単線である。臨時では湯の山線も該当する
- ↑ 通常、モーターはパンタグラフで受電した電力で回るが、抑速運転時にはパンタグラフとモーターを繋ぐ回路を遮断して電力の供給を止める。この時、モーターは車軸と繋がっているため、電車が走っている以上は受電せずとも回り続けることから発電機としての機能に切り替えることができる。ただし、単に電流を遮断しただけでは回転するだけで電力は発生しない。電力を発生させるにはモーターに主抵抗器を繋ぎ、一連の回路を構成することで初めて発電機として機能する。この時、モーターには逆の回転力が生ずるが、モーターが歯車を介して車軸に繋がっている以上、モーターに逆回転の力が生ずれば車軸も連動して逆向きの動きをする訳で、これがブレーキ力として働く。そして、モーターで発生させ、主抵抗器に加えた電力は熱として放出される。『電車ガイドブック』誠文堂新光社、慶応義塾大学鉄道研究会、233 - 234頁、1963年 『図解 技術・操作から法律まで 鉄道のしくみと走らせ方』かんき出版、昭和鉄道高等学校編、139 - 152頁
- ↑ 電動車の抑速ブレーキで主電動機を搭載しない制御車および付随車のブレーキ力も負担するため、主抵抗器は大型大容量となる。『鉄道ピクトリアル』(第505号)1988年12月臨時増刊号、電気車研究会、13頁
- ↑ 牽引力伝達および旋回案内のために心皿および枕梁を備え、軸箱の両脇にコイルばねを置き、それぞれのばねの内側に金属円筒を通して上下方向の案内と牽引力伝達を行う円筒案内式軸箱支持機構を用いる。
- ↑ 心皿および枕梁を省略し、旋回は空気ばねの横剛性によって実現され、牽引力は牽引装置によって台車枠から車体に伝達される。
- ↑ 軸箱が片持ち式の円筒積層ゴムおよび軸コイルばねによって支持される簡素な構造となった。
- ↑ 近鉄の通勤車両についてはアルミを使用している。
- ↑ 乗客ほか諸々の圧力によって車体垂下が発生しても、車両最下部とレール面の間の最低限保持すべき幅のこと。車両を製造する際は車体を数ミリ程度上ぞりに作っておいて、車体の垂下が発生しても良いように対応しておく。(『鉄道ピクトリアル』(第596号)1994年10月号、電気車研究会、16頁)
- ↑ 車内販売中止と入れ替わりに、2002年4月より名阪特急の利用客を対象に、DVDソフトと携帯用DVDプレーヤーのレンタル(大阪側・名古屋側それぞれの拠点駅で貸出しおよび返却)を開始したが(『鉄道ジャーナル』(第433号)2002年11月号、鉄道ジャーナル社、36頁)、1年ほどで中止している。
- ↑ 特急の踏切事故は枚挙に暇がないが、あえて例を挙げれば次の資料によって確認可能。『とれいん』(第409号)2009年1月号、エリエイ出版部・プレスアイゼンバーン、64頁
出典
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- ↑ 『車両発達史シリーズ2 近畿日本鉄道 特急車』関西鉄道研究会、序文
- ↑ 『鉄道ジャーナル』(第307号)1992年5月号、鉄道ジャーナル社、65頁
- ↑ 4.0 4.1 4.2 『鉄道ピクトリアル』(第505号)1988年12月臨時増刊号、電気車研究会、10 - 12頁
- ↑ 『決定版 近鉄特急』ジェー・アール・アール、124頁
- ↑ 『決定版 近鉄特急』ジェー・アール・アール、109 - 117頁
- ↑ 『近鉄特急 上』JTBキャンブックス、138 - 139頁
- ↑ 『鉄道ジャーナル』(第534号)2011年4月号、鉄道ジャーナル社、46頁
- ↑ 9.0 9.1 『鉄道ピクトリアル』(第569号)1992年12月臨時増刊号、電気車研究会、56頁
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- ↑ 鉄道ピクトリアル』(第398号)1981年12月臨時増刊号、電気車研究会、35 - 39頁
- ↑ 12.0 12.1 近鉄広報誌「ふれあいの窓 おしらせ広場 きんてつ No.78 `87臨時号」1987年2月10日
- ↑ 『鉄道ジャーナル』(第534号)2011年4月号、鉄道ジャーナル社、46頁
- ↑ 14.0 14.1 14.2 『鉄道ピクトリアル』(第505号)1988年12月臨時増刊号、電気車研究会、32 - 36頁
- ↑ 『鉄道ジャーナル』(第307号)1992年5月号、鉄道ジャーナル社、59頁
- ↑ 16.00 16.01 16.02 16.03 16.04 16.05 16.06 16.07 16.08 16.09 16.10 16.11 16.12 16.13 『近鉄時刻表』2013年、31頁
- ↑ 『近鉄時刻表』2013年、103 - 104頁
- ↑ 『鉄道ジャーナル』(第494号)2007年12月号、鉄道ジャーナル社、56頁
- ↑ 『決定版 近鉄特急』ジェー・アール・アール、109頁
- ↑ 20.0 20.1 20.2 『車両発達史シリーズ2 近畿日本鉄道 特急車』関西鉄道研究会 20頁
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- ↑ 『車両発達史シリーズ2 近畿日本鉄道 特急車』関西鉄道研究会 28 - 29頁
- ↑ 『決定版 近鉄特急』115頁
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- ↑ 『近鉄時刻表』2013年、265頁
- ↑ 『近鉄時刻表』2013年、210 - 218頁
- ↑ 『近鉄時刻表』2013年、102 - 106頁
- ↑ 『決定版 近鉄特急』ジェー・アール・アール、118頁
- ↑ 『鉄道ピクトリアル』(第313号)1975年11月臨時増刊号、電気車研究会、48頁
- ↑ 『車両発達史シリーズ2 近畿日本鉄道 特急車』関西鉄道研究会、49頁
- ↑ 『決定版 近鉄特急』ジェー・アール・アール、119 - 120頁
- ↑ 『近鉄時刻表』1988年春・夏号、2頁
- ↑ 『鉄道ピクトリアル』(第505号)1988年12月臨時増刊号、電気車研究会、31頁
- ↑ 『鉄道ジャーナル』2002年11月号(第433号)、鉄道ジャーナル社、33頁
- ↑ 『鉄道ジャーナル』2002年11月号(第433号)、鉄道ジャーナル社、30 - 41頁
- ↑ 『近鉄時刻表』2013年、108 - 133頁
- ↑ 『決定版 近鉄特急』ジェー・アール・アール、110頁
- ↑ 『決定版 近鉄特急』ジェー・アール・アール、114 - 115頁
- ↑ 『車両発達史シリーズ2 近畿日本鉄道 特急車』関西鉄道研究会 44頁
- ↑ 『鉄道ピクトリアル』(第727号)2003年1月臨時増刊号、電気車研究会、28 - 29頁
- ↑ 『鉄道ジャーナル』(第534号)2011年4月号、鉄道ジャーナル社、51頁
- ↑ 『近鉄時刻表』2013年、270頁、286頁
- ↑ 『近鉄時刻表』2012年、271頁、286頁と『近鉄時刻表』2013年、270頁、286頁との比較
- ↑ 『鉄道ジャーナル』2011年4月号(第534号)、鉄道ジャーナル社、42頁
- ↑ 『近鉄時刻表』2013年、108 - 116頁、124 - 133頁
- ↑ 『近鉄時刻表』2013年、140 - 152頁、161 - 171頁
- ↑ 『決定版 近鉄特急』ジェー・アール・アール、115頁
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- ↑ 『近鉄特急 下』JTBキャンブックス、104頁
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- ↑ テンプレート:PDFlink - 近畿日本鉄道プレスリリース 2013年10月28日
- ↑ 『近鉄時刻表』2013年、110 - 115頁、125 - 130頁
- ↑ 『車両発達史シリーズ2 近畿日本鉄道 特急車』関西鉄道研究会、40 - 41頁
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- ↑ 『近鉄特急 上』JTBキャンブックス、155 - 156頁
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- ↑ 『近鉄時刻表』2011年、108 - 133頁と『近鉄時刻表』2012年、108 - 133頁との比較
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- 『近鉄特急 下』(著者・編者 田淵仁、出版・発行 JTB)ISBN 4533054161
- カラーブックス『日本の私鉄 近鉄1』(著者・編者 諸河 久・杉谷 広規、出版・発行 保育社)ISBN 458650904X
- 『JTB時刻表 各号』(著者・編者 JTB、出版・発行 同左)
- 『近鉄時刻表 各号』(著者・編者 近畿日本鉄道、出版・発行 同左)
- 『信頼のネットワーク 楽しい仲間たち きんてつの電車』近畿日本鉄道、1993年
- 『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 大手私鉄03 近畿日本鉄道②』朝日新聞出版、2010年8月
- 寺本光照 林基一 共著『決定版 近鉄特急』、ジェー・アール・アール、1985年5月
- 藤井信夫 編『車両発達史シリーズ2 近畿日本鉄道 特急車』、関西鉄道研究会、1992年
- 『私鉄ガイドブック・シリーズ4 近鉄』誠文堂新光社、1970年
- 『近畿日本鉄道 参宮特急史』エリエイ出版部・プレスアイゼンバーン、1978年
- 『近畿日本鉄道完全データ DVD BOOK』MEDIAX MOOK363、メディアックス
- 『近畿日本鉄道 DVD BOOK 2013 SP』メディアックス
- 『ヤマケイ私鉄ハンドブック13 近鉄』広田尚敬・吉川文夫、1984年7月
- 『新ビスタ・カー』近畿日本鉄道株式会社、10100系技術解説書、1959年
- 『近鉄特急VISTA CAR 30000系車両』近畿日本鉄道、30000系技術解説書、1978年
- 『TECHNICAL NOTES KINTETSU21000』近畿日本鉄道、21000系技術解説書、1988年
- 『鉄道ピクトリアル』(第313号)1975年11月臨時増刊号、特集:近畿日本鉄道、電気車研究会、1975年11月
- 『鉄道ピクトリアル』(第398号)1981年12月臨時増刊号、特集:近畿日本鉄道、電気車研究会、1981年12月
- 『鉄道ピクトリアル』(第505号)1988年12月臨時増刊号、特集:近鉄特急、電気車研究会、1988年12月
- 『鉄道ピクトリアル』(第569号)1992年12月臨時増刊号、特集:近畿日本鉄道、電気車研究会、1992年12月
- 『鉄道ピクトリアル』(第727号)2003年1月臨時増刊号、特集:近畿日本鉄道、電気車研究会、2003年1月
- 『鉄道ピクトリアル』電気車研究会、上記以外の各号
- 『鉄道ファン』交友社、各号
- 『鉄道ジャーナル』鉄道ジャーナル社、各号
- 『とれいん』エリエイ出版部・プレスアイゼンバーン、各号
- 『鉄道ダイヤ情報』交通新聞社、各号
- 『近鉄ニュース』近畿日本鉄道、各号
- 『ふれあいの窓 おしらせ広場 きんてつ』近畿日本鉄道、各号