神宮式年遷宮
神宮式年遷宮(じんぐうしきねんせんぐう)は、神宮(伊勢神宮)において行われる式年遷宮(定期的に行われる遷宮)のことである。
概要
神宮式年遷宮は、神宮(伊勢神宮)において行われる式年遷宮(定期的に行われる遷宮)である。神宮では、原則として20年ごとに、内宮(皇大神宮)・外宮(豊受大神宮)の二つの正宮の正殿、14の別宮の全ての社殿を造り替えて神座を遷す。このとき、宝殿外幣殿、鳥居、御垣、御饌殿など計65棟の殿舎のほか、装束・神宝、宇治橋[1]なども造り替えられる。
記録によれば神宮式年遷宮は、飛鳥時代の天武天皇が定め、持統天皇の治世の690年(持統天皇4年)に第1回が行われた。その後、戦国時代の120年以上に及ぶ中断や幾度かの延期などはあったものの、1993年(平成5年)の第61回式年遷宮まで、およそ1300年にわたって行われている。
2005年(平成17年)から第62回式年遷宮の各行事が進行し、2009年(平成21年)に主要な行事である内宮に係る「宇治渡始式」が、2013年(平成25年)には正遷宮(神体の渡御)が斎行された。
神宮司庁によると、8年前から始まる2013年(平成25年)の第62回式年遷宮全体の費用は、建築、衣服、宝物の製作を含め約550億円と公表。
意義
式年遷宮を行うのは、萱葺屋根の掘立柱建物で正殿等が造られているためである。塗装していない白木を地面に突き刺した掘立柱は、風雨に晒されると礎石の上にある柱と比べて老朽化し易く、耐用年数が短い。そのため、一定期間後に従前の殿舎と寸分違わぬ弥生建築の殿舎が築かれる。
漆を木の塗装に用いるのは縄文時代から見られ、式年遷宮の制度が定められた天武天皇の時代、7世紀頃には、既に礎石を用いる建築技術も確立されていた。現に、この時代に創建(または再建)された法隆寺の堂宇は、世界最古の木造建築としての姿を今に伝えている。とすれば、当時の国力・技術をもってすれば、神宮も現在にも残る建物にすることは可能であったと思われる。それをあえて、定期的に膨大な国費を投じることとなる式年遷宮を行う途を選んだ理由は、神宮にも記録がないため不明である。
推測される主な理由としては、次の4点が考えられる。
- 過去の建築様式である弥生建築の保存のため。当時においても、過去の建築様式である弥生建築を保つことに何らかの意義を見出していたために、式年遷宮によって建築様式の保存を図ったのではないか。
- 神道の精神として、常に新たに清浄であること(「常若(とこわか)」)を求めたため。建物がいまだ使用可能の状態であっても、老朽化することは汚れ(ケガレ。気枯れ)ることであり、神の生命力を衰えさせることとして忌み嫌われたため、建物を新しくすることにより神の生命力を蘇らせ、活性化することになると考えられたのではないか。
- 大嘗祭、新嘗祭、神嘗祭など、祭祀の意義が再構築されたため。毎年行われる天皇祭祀である新嘗祭に対して、天武天皇の時代に初めて行われた大嘗祭は、即位後初めて行われる新嘗祭であり、一世一度の行事として特別視された。これに対応して、毎年行われる神嘗祭に対して、20年に一度行われる大神嘗祭として、式年遷宮が行われるようになったのではないか。
- 皇宮の遷移に代えて、遷宮が行われたため。天皇の住まいであり政庁である皇宮は、天武天皇の治世以前には、天皇の代替わりごとに移し替えられていた。しかし、恒久的な宮である藤原京が建設されることとなり、宮の遷移が行われなくなったため、その意義を神宮の遷宮に託したのではないか。
また、式年遷宮が20年ごとに行われる理由についても、同じく確たる記録はないため不明である。推測される主な理由としては、以下の5点が挙げられる。
- 建物の「清浄さ」を保つ限度が、20年程度であるため。これは、耐用年数という意味ではなく、神道の宗教的な意味における「清浄さ」である。
- 建替えの技術の伝承を行うためには、当時の寿命や実働年数から考えて、20年間隔が適当とされたため。建築を実際に担う大工は、10歳代から20歳代で見習いと下働き、30歳代から40歳代で中堅から棟梁となり、50歳代以上は後見となる。このため、20年に一度の遷宮であれば、少なくとも2度は遷宮に携わることができ、2度の遷宮を経験すれば技術の伝承を行うことができる。
- 旧暦の「朔旦冬至(さくたんとうじ)」(11月1日が冬至にあたること)が、19から20年に一度の周期(メトン周期)であるため。
- 一世代がおよそ20年であるため。
- 神嘗祭に供される穀物の保存年限が20年であるため。
用材
遷宮においては、1万本以上のヒノキ材が用いられる。その用材を伐りだす山は、御杣山(みそまやま)と呼ばれる。
御杣山は、14世紀に行われた第34回式年遷宮までは、3回ほど周辺地域に移動したことはあるものの、すべて神路山と島路山[2]、高倉山[3]という内宮・外宮背後の山であった。
その後、内宮の用材の御杣山は第35回式年遷宮から三河国に移り、外宮の用材の御杣山は第36回式年遷宮から美濃国に移り、第41回式年遷宮から第46回式年遷宮までは伊勢国・大杉谷を御杣山とした。この伊勢国大杉谷は、徳川御三家の一つ・紀州徳川家の領地である紀州藩にあった。
しかし、原木の枯渇による伐り出しの困難さから、第47回式年遷宮から、同じ徳川御三家の一つ・尾張徳川家の領地である尾張藩の木曾谷に御杣山は移された。以後、第51回式年遷宮のみ大杉谷に戻ったものの、300年以上にわたり木曾谷を御杣山としている。
明治時代には、木曾谷を含む尾張藩の森林は国有化された。明治時代後期から大正時代にかけて、木曾の赤沢をはじめとする地域に神宮備林が設定され、樹齢200年から300年の用材の安定提供を可能とする計画的植林が行われ始めた。第二次世界大戦後、神宮備林の指定は外されたものの、以後も遷宮用材の主な供給地となっている。
神宮では、1923年(大正12年)に森林経営計画を策定し、再び正宮周辺の神路山・島路山・高倉山の三山を御杣山とすべく、1925年(大正14年)または1926年(大正15年/昭和元年)から、三山へのヒノキの植林を続けている。遷宮の用材として使用できるまでには概ね200年以上かかるため、この三山の植林から生産された用材が本格的に使用されるのは110年以上後の2120年頃となる。また、この計画は、400年後の2400年頃には、三山からの重要用材の供給も目指す遠大なものである。なお、内宮正殿の御扉木について、本来の様式通りに一枚板とするためには、樹齢900年を超える用材が必要となると試算されている[4]。2013年(平成25年)に行われた第62回式年遷宮では、約700年ぶりに、この正宮周辺三山からの間伐材を一部に使用し、全用材の25%が賄われた。
さらに、明治100年記念として神宮が購入した宮崎県・鹿児島県の記念林は、当初の目的は財政補給であったものの、ヒノキの生産に適していると見られることから、三山および瀧原宮の神域林とあわせて、用材の供給源となることが期待されている[5]。
式年遷宮の際に解体される旧殿に使用された用材は、神宮内やその摂社・末社をはじめ、全国の神社の造営等に再利用される。例えば、内宮正殿の棟持柱については宇治橋神宮側鳥居となり、さらに関の東の追分の鳥居となる習わしである。また、外宮正殿の棟持柱は宇治橋おはらい町側鳥居となり、さらに桑名の七里の渡しの鳥居となる習わしである。
2013年(平成25年)の遷宮では、ヒノキ不足から遷宮史上初めて、青森産のあすなろが用いられた。
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内宮御正殿妻側(中央の柱が棟持柱)
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宇治橋神宮側鳥居
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関宿東の追分の鳥居
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桑名宿七里の渡し跡の鳥居
祭典と行事
式年遷宮では、多くの祭典と行事が行われる。
下記の年月日は、左側が第61回神宮式年遷宮の日程、右側が第62回神宮式年遷宮の日程である。年月日が記されていないものは、未決定のものである。なお、※印が付されたものは、御治定(ごじじょう)といい、天皇が日程を定める。
- 山口祭(やまぐちさい)※
- 1985年(昭和60年)5月2日 / 2005年(平成17年)5月2日
- 遷宮の最初の行事。用材を切り出す御杣山の山口にある神を祭る儀式。
- 現在、用材は木曽山中から切り出すが、この儀式は古来のまま内宮は神路山、外宮は高倉山と、いずれも境内背後の山で行われる。
- 木本祭(このもとさい)※
- 1985年(昭和60年)5月2日 / 2005年(平成17年)5月2日
- 心御柱(しんのみはしら)にする木を切り出す前に、その木の神を祭る儀式。
- 深夜に行われ非公開。
- 御杣始祭(みそまはじめさい)
- 1985年(昭和60年)6月3日 / 2005年(平成17年)6月3日
- 御樋代(御神体を納める容器)にする木を切り出す行事。
- 前回と同じく、長野県上松町で行われる。
- 用材は、「三ツ尾伐り(三つ紐伐りともいう。)」という古くからの作法で切り出す。
- 式典は、内宮・外宮の順で行われ、内宮用・外宮用各1本伐採される。2本が交差するように倒すのが習わしである。
- 裏木曽御用材伐採式(うらきそごようざいばっさいしき)
- 1985年(昭和60年)6月5日 / 2005年(平成17年)6月5日
- 御樋代木は裏木曽でも切るため、その安全を祈願する。
- 前回と同じく、岐阜県中津川市(元加子母村)で行われる。
- 式典次第は、御杣始祭と同様である。
- 御樋代木奉曳式(みひしろぎほうえいしき)
- 内宮:1985年(昭和60年)6月10日 / 2005年(平成17年)6月9日
外宮:1985年(昭和60年)6月11日 / 2005年(平成17年)6月10日 - 木曽から切り出された御樋代木(両宮とも予備2本を含む。)を伊勢到着後両宮境内五丈殿まで運び入れる儀式。
- 内宮へは五十鈴川を三重県営体育館裏から内宮境内風日祈宮橋まで木橇(きぞり)で遡る。(「川曳(かわびき)」)
- 外宮へは宮川河畔の度会橋から市内を外宮まで奉曳車で曳く。(「陸曳(おかびき)」)厳密には市内の奉曳は地元奉曳本部主催の「奉曳行事」であり、神宮主催の「奉曳式」は、外宮北御門から五丈殿までである。
- 繰り糸はじめ式(くりいとはじめしき)
- 御船代祭(みふなしろさい)※
- 内宮:1985年(昭和60年)9月17日 / 2005年(平成17年)9月17日
外宮:1985年(昭和60年)9月19日 / 2005年(平成17年)9月19日 - 両正宮および別宮の御樋代を納める御船代(船の形をしている。)の用材を切り出すにあたり行われる儀式。
- 参進、修祓ののち宮山祭場(内宮:風日祈宮橋南東、外宮:土宮東方)で祭儀が行われる。
- 最重要なのは「物忌」と呼ばれる童男(内宮)、童女(外宮)が忌斧で木を伐る儀式。
- 実際の用材は、木曽(内宮)および裏木曽(外宮)で、この儀式の進行に合わせ伐り出される。
- 御装束神宝御料織初式(おんしょうぞくしんぽうごりょうおりぞめしき)
- 御木曳初式(おきひきぞめしき)
- 内宮・同別宮:1986年(昭和61年)4月12日 / 2006年(平成18年)4月12日(但し瀧原2宮と伊雑宮は4月16日)
外宮・同別宮:1986年(昭和61年)4月13日 / 2006年(平成18年)4月13日 - 御木曳行事の皮切りとして両宮正殿垂木などの重要な用材(「役木」という。)を、特定の「神領民(江戸時代以前の伊勢神宮領地の住民)」が運搬する儀式。第61回までは、「棟持柱など」という表現をしていたが、第62回には「棟持柱」は含まれないと公表している。
- 役木は内宮・外宮とも正宮が各3本、別宮は各1本である。
- 御樋代木奉曳式とほぼ同様であるが、以下の点が異なる。
- 内宮境内への曳き上げは御手洗場(みたらしば)からとなる。
- 陸曳は宮川から木を引き揚げ、宮川堤防で水を切る「どんでん」という作業を再現する。
- 別宮役木は、御敷地まで運び入れるため、最後は木を担いで奉搬するところもある。また域外の内宮別宮へは橇または奉曳車による陸曳となる。
- 奉曳車は各地域独自のものとなり、木遣り歌(きやりうた)なども異なる。
- 役木曳(やくぎびき)とも言う。
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宮川河川敷をそりで曳かれる役木
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外宮前を曲がる役木を載せた奉曳車
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外宮火除橋前に揃った正宮の役木
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外宮火除橋前に並んだ神官
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外宮宮域を担いで運ばれる役木
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外宮正宮に奉納された3本の役木
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外宮別宮多賀宮に奉納された役木
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外宮別宮月夜見宮でシートを掛けられた役木
- 木造始祭(こづくりはじめさい)
- 1986年(昭和61年)4月21日 / 内宮・外宮:2006年(平成18年)4月21日、荒祭宮・多賀宮:4月22日、月讀4宮:4月23日、瀧原2宮・伊雑宮:4月25日、風日祈宮・倭姫宮:4月27日、土宮・月夜見宮・風宮:4月28日
- 造営工事の開始にあたって作業安全を祈る儀式。
- 御木曳初式で運び入れられた役木の前に神饌を供え、家屋の守護神である屋船大神(やふねのおおかみ)に祝詞を奏上する。
- 小口を切り、墨を引き、忌斧を打ち入れる所作をおこなう。
- 手斧始(ちょうなはじめ)とも事始神事(ことはじめしんじ)ともいう。
- 内宮では祭儀の前に、外宮では祭儀の後に、「神宮司庁」が造営作業に携わる「神宮式年遷宮造営庁」の関係者を膳と神酒でもてなす饗膳(きょうぜん)の儀が行われる。
- 御木曳行事(おきひきぎょうじ)
- 第1次陸曳(おかびき):1986年(昭和61年)4月26・27・29日・5月10・11・17・18・24・25・31日・6月1日 / 2006年(平成18年)5月5・6・7・12・13・14・19・20・21・26・27・28日・6月2・3・4日(斜字は一日神領民のみの奉曳日)
- 第1次川曳(かわびき):1986年(昭和61年)5月17・18・24・25日 / 2006年(平成18年)7月22・23・29・30日
- 第2次陸曳:1987年(昭和62年)5月5日・9・10・16・17・23・24・25・30・31日・6月6・7日 / 2007年(平成19年)5月4・5・6・12・13・19・20・26・27日・6月2・3日(予備日は、各月曜日。)
- 第2次川曳:1987年(昭和62年)5月10・17・24・31日 / 2007年(平成19年)7月21・22・28・29日(予備日8月4・5日)
- 遷宮行事前半最大の大衆参加行事。
- 全神領民が参加するほか、陸曳には全国から参集した「一日神領民」(第61回は約2万人、第62回は1年次約35千人。)も参加する。
- 行事の概略は、御木曳初式と同様であるが、奉曳コースは以下のとおり若干異なるほか、用材は2本・3本の場合がある。
- 伊勢の「お木曳き」行事として、国の選択無形民俗文化財(風俗習慣・祭礼(信仰))に選択されている。
- 仮御樋代木伐採式(かりみひしろぎばっさいしき)
- 1986年(昭和61年)7月13日 / 2006年(平成18年)5月17日
- 旧殿から新殿まで御神体を遷す際に御神体を入れる「仮御樋代」と「仮御船代」にする用材を切り出す儀式。
- 鎮地祭(ちんちさい)※
- 1988年(昭和63年)4月25日 / 2008年(平成20年)4月25日(別宮は4月25日 - 5月2日)
- 新宮建設予定地で作業安全を祈る儀式。一般の地鎮祭に相当。
- 神職と物忌(神饌等を扱う童女)によって刈り初め式、穿ち初め式の祭事が斎行される[6]。
- 宇治橋修造起工式(うじばししゅうぞうきこうしき)
- 仮橋修祓(かりばししゅはつ)
- 1988年(昭和63年)12月27日 / 2008年(平成20年)12月27日
- 仮橋完成時に安全祈願のお祓いをする。
- 宇治橋渡納(うじばしわたりおさめ)
- 宇治橋萬度麻奉下式(うじばしまんどぬさほうげしき)
- 宇治橋渡始式(うじばしわたりはじめしき)
- 1989年(平成元年)11月3日 / 2009年(平成21年)11月3日
- 橋の安全祈願
- 橋を守護する饗土橋姫神社で祈願した後、萬度麻を擬宝珠に納める。
- 神領地から選ばれた「渡女(わたりめ)」を先頭に夫、子夫婦、孫夫婦が渡り初めを行い、全国から選ばれた三世代揃った夫婦が続く。
- 立柱祭(りっちゅうさい)※
- 御形祭(ごぎょうさい)
- 内宮:1992年(平成4年)3月11日 / 2012年(平成24年)3月4日
外宮:1992年(平成4年)3月13日 / 2012年(平成24年)3月6日 - 御形(正殿の妻の束柱の装飾)を穿つ儀式。
- 立柱祭に続き行われるが非公開。
- 上棟祭(じょうとうさい)※
- 内宮:1992年(平成4年)3月26日 / 2012年(平成24年)3月26日
外宮:1992年(平成4年)3月28日 / 2012年(平成24年)3月28日 - 正殿の棟木を上げる儀式。
- 綱を引っ張り棟木を上げる所作をする。
- 檐付祭(のきつけさい)
- 内宮:1992年(平成4年)5月23日 / 2012年(平成24年)5月23日
外宮:1992年(平成4年)5月25日 / 2012年(平成24年)5月25日 - 新殿の屋根の萱を葺き始める儀式。
- 甍祭(いらかさい)
- 内宮:1992年(平成4年)7月21日 / 2012年(平成24年)7月21日
外宮:1992年(平成4年)7月23日 / 2012年(平成24年)7月23日 - 新殿の屋根を葺き終える儀式。
- お白石持行事(おしらいしもちぎょうじ)
- 内宮:1993年(平成5年)7月31日 - 8月11日・8月17日 - 19日 / 2013年(平成25年)7月26日 - 8月12日
外宮:1993年(平成5年)8月2日 - 30日 / 2013年(平成25年)8月17日 - 9月1日 - 遷宮行事後半最大の大衆参加行事。1993年は約21万人が参加した。2013年は226,000人が参加した。
- 宮川河原から採集した「お白石」を御木曳同様に陸曳・川曳で運び、正殿用地に敷き詰める行事。
- 神宮関係者以外にとっては、遷御後は絶対に立ち入ることのできない正殿そばまで入ることができる唯一の機会。
- 基本的には、一日神領民も含め、御木曳行事参加者が参加する。
- 伊勢の「白石持ち」行事として、国の選択無形民俗文化財(風俗習慣・祭礼(信仰))に選択されている。
- 御戸祭(みとさい)
- 御船代奉納式(みふなしろほうのうしき)
- 洗清(あらいきよめ)
- 心御柱奉建(しんのみはしらほうけん)
- 内宮:1993年(平成5年)9月25日 / 2013年(平成25年)9月25日
外宮:1993年(平成5年)9月27日 / 2013年(平成25年)9月27日 - 心御柱を新正殿床下に立てる儀式。
- 夜間から深夜に行われ非公開。詳細不明。
- 杵築祭(こつきさい)※
- 後鎮祭(ごちんさい)
- 御装束神宝読合(おんしょうぞくしんぽうとくごう)
- 内宮:1993年(平成5年)10月1日 / 2013年(平成25年)10月1日
外宮:1993年(平成5年)10月4日 / 2013年(平成25年)10月4日 - 遷宮に合わせ作り替えられた御装束と御神宝を読み合わせる儀式。
- 川原大祓(かわらおおはらい)
- 内宮:1993年(平成5年)10月1日 / 2013年(平成25年)10月1日
外宮:1993年(平成5年)10月4日 / 2013年(平成25年)10月4日 - 「仮御樋代」・「仮御船代」・御装束神宝や遷御参加者を祓い清める儀式。
- 御飾(おかざり)
- 遷御(せんぎょ)※
- 内宮:1993年(平成5年)10月2日 / 2013年(平成25年)10月2日
外宮:1993年(平成5年)10月5日 / 2013年(平成25年)10月5日 - 荒祭宮:1993年(平成5年)10月10日 / 2013年(平成25年)10月10日、多賀宮:1993年(平成5年)10月13日 / 2013年(平成25年)10月13日、月読宮・月読荒御魂宮:1994年(平成6年)10月6日 / 2014年10月、伊佐奈岐宮・伊佐奈弥宮:1994年(平成6年)10月10日 / 2014年10月、瀧原宮・瀧原竝宮:1994年(平成6年)10月28日 / 2014年10月、伊雑宮:1994年(平成6年)11月5日 / 2014年11月、風日祈宮:1994年(平成6年)11月9日 / 2014年11月、倭姫宮:1994年(平成6年)11月15日 / 2014年11月、土宮:1994年(平成6年)11月19日 / 2014年11月、月夜見宮:1994年(平成6年)12月4日 / 2014年12月、風宮:1994年(平成6年)12月10日 / 2014年12月
- 御神体を旧殿から新殿へ遷す儀式。
- 天岩戸伝説にちなみ鶏鳴三声は、内宮ではカケコー、外宮ではカケローの声で出御する。
- 遷宮行事の中核神事。百名を超える奉仕員(神官)が参加する。また出御の時刻には、天皇が神嘉殿の前庭から伊勢を拝礼するとされる。
- 皇族を始め多数の参列者が見守るが、儀式は夜間(2013年は20時より出御)行われ、照明も松明のみとなる。
- 大御饌(おおみけ)
- 奉幣(ほうへい)
- 内宮:1993年(平成5年)10月3日 / 2013年(平成25年)10月3日
外宮:1993年(平成5年)10月6日 / 2013年(平成25年)10月6日 - 天皇から奉られる幣帛を奉納する儀式。
- 古物渡(こもつわたし)
- 内宮:1993年(平成5年)10月3日 / 2013年(平成25年)10月3日
外宮:1993年(平成5年)10月6日 / 2013年(平成25年)10月6日 - 旧殿内の神宝類を新殿の西宝殿に移す儀式。
- 御神楽御饌(みかぐらみけ)
- 御神楽(みかぐら)※
- 内宮:1993年(平成5年)10月3日 / 2013年(平成25年)10月3日
外宮:1993年(平成5年)10月6日 / 2013年(平成25年)10月6日 - 天皇から派遣された宮内庁式部職の楽師が御神楽などを奉納する儀式。
歴史
世紀 | 遷御 | 事柄(実施されたときの天皇) | ||
---|---|---|---|---|
西暦 | 和暦 | 日付 | ||
7世紀 | 685年 | 天武天皇14年 | 式年遷宮の制を制定(天武天皇) | |
690年[7] | 持統天皇4年 | 10月 | 第1回内宮式年遷宮(持統天皇) | |
692年[8] | 持統天皇6年 | 第1回外宮式年遷宮(同) | ||
8世紀 | 709年 | 和銅2年 | 第2回内宮式年遷宮(元明天皇) | |
711年 | 和銅4年 | 第2回外宮式年遷宮(同) | ||
729年 | 天平元年 | 第3回内宮式年遷宮(聖武天皇) | ||
732年 | 天平4年 | 第3回外宮式年遷宮(同) | ||
747年 | 天平19年 | 9月 | 第4回内宮式年遷宮(同) | |
749年 | 天平勝宝元年 | 第4回外宮式年遷宮(孝謙天皇) | ||
766年 | 天平神護2年 | 第5回内宮式年遷宮(称徳天皇) | ||
768年 | 神護景雲2年 | 第5回外宮式年遷宮(同) | ||
785年 | 延暦4年 | 9月18日 | 第6回内宮式年遷宮(桓武天皇) | |
787年 | 延暦6年 | 第6回外宮式年遷宮(同) | ||
792年 | 延暦11年 | 内宮正殿焼失のため臨時遷宮(同) | ||
9世紀 | 810年 | 弘仁元年 | 9月 | 第7回内宮式年遷宮(嵯峨天皇) |
812年 | 弘仁3年 | 9月 | 第7回外宮式年遷宮(同) | |
829年 | 天長6年 | 9月 | 第8回内宮式年遷宮(淳和天皇) | |
831年 | 天長8年 | 9月 | 第8回外宮式年遷宮(同) | |
849年 | 嘉祥2年 | 9月 | 第9回内宮式年遷宮(仁明天皇) | |
851年 | 仁寿元年 | 9月 | 第9回外宮式年遷宮(文徳天皇) | |
868年 | 貞観10年 | 9月 | 第10回内宮式年遷宮(清和天皇) | |
870年 | 貞観12年 | 9月 | 第10回外宮式年遷宮(同) | |
886年 | 仁和2年 | 9月 | 第11回内宮式年遷宮(光孝天皇) | |
889年 | 寛平元年 | 10月 | 第11回外宮式年遷宮(宇多天皇) | |
10世紀 | 905年 | 延喜5年 | 9月 | 第12回内宮式年遷宮(醍醐天皇) |
907年 | 延喜7年 | 第12回外宮式年遷宮(同) | ||
924年 | 延長2年 | 9月 | 第13回内宮式年遷宮(同) | |
926年 | 延長4年 | 9月 | 第13回外宮式年遷宮(同) | |
943年 | 天慶6年 | 9月 | 第14回内宮式年遷宮(朱雀天皇) | |
945年 | 天慶8年 | 12月 | 第14回外宮式年遷宮(同) | |
962年 | 応和2年 | 9月 | 第15回内宮式年遷宮(村上天皇) | |
964年 | 康保元年 | 9月 | 第15回外宮式年遷宮(同) | |
981年 | 天元4年 | 9月17日 | 第16回内宮式年遷宮(円融天皇) | |
983年 | 永観元年 | 9月 | 第16回外宮式年遷宮(同) | |
1000年 | 長保2年 | 9月16日 | 第17回内宮式年遷宮(一条天皇) | |
11世紀 | 1002年 | 長保4年 | 9月 | 第17回外宮式年遷宮(同) |
1019年 | 寛仁3年 | 9月17日 | 第18回内宮式年遷宮(後一条天皇) | |
1021年 | 治安元年 | 9月16日 | 第18回外宮式年遷宮(同) | |
1038年 | 長暦2年 | 第19回内宮式年遷宮(後朱雀天皇) | ||
1040年 | 長久元年 | 9月15日 | 第19回外宮式年遷宮(同) | |
1057年 | 天喜5年 | 9月 | 第20回内宮式年遷宮(後冷泉天皇) | |
1059年 | 康平2年 | 9月 | 第20回外宮式年遷宮(同) | |
1076年 | 承保3年 | 第21回内宮式年遷宮(白河天皇) | ||
1078年 | 承暦2年 | 第21回外宮式年遷宮(同) | ||
1095年 | 嘉保2年 | 9月 | 第22回内宮式年遷宮(堀河天皇) | |
1097年 | 承徳元年 | 9月 | 第22回外宮式年遷宮(同) | |
12世紀 | 1114年 | 永久2年 | 9月16日 | 第23回内宮式年遷宮(鳥羽天皇) |
1116年 | 永久4年 | 9月 | 第23回外宮式年遷宮(同) | |
1133年 | 長承2年 | 9月16日 | 第24回内宮式年遷宮(崇徳天皇) | |
1135年 | 保延元年 | 9月 | 第24回外宮式年遷宮(同) | |
1152年 | 仁平2年 | 9月 | 第25回内宮式年遷宮(近衛天皇) | |
1154年 | 久寿元年 | 9月 | 第25回外宮式年遷宮(同) | |
1169年 | 嘉応元年 | 内宮正殿焼失のため臨時遷宮(高倉天皇) | ||
1171年 | 承安元年 | 第26回内宮式年遷宮(同) | ||
1173年 | 承安3年 | 第26回外宮式年遷宮(同) | ||
1190年 | 建久元年 | 9月16日 | 第27回内宮式年遷宮(後鳥羽天皇) | |
1192年 | 建久3年 | 9月 | 第27回外宮式年遷宮(同) | |
13世紀 | 1209年 | 承元3年 | 9月16日 | 第28回内宮式年遷宮(土御門天皇) |
1211年 | 建暦元年 | 9月 | 第28回外宮式年遷宮(順徳天皇) | |
1228年 | 安貞2年 | 9月16日 | 第29回内宮式年遷宮(後堀河天皇) | |
1230年 | 寛喜2年 | 第29回外宮式年遷宮(同) | ||
1247年 | 宝治元年 | 9月16日 | 第30回内宮式年遷宮(後深草天皇) | |
1249年 | 建長元年 | 9月26日 | 第30回外宮式年遷宮(同) | |
1266年 | 文永3年 | 9月16日 | 第31回内宮式年遷宮(亀山天皇) | |
1268年 | 文永5年 | 9月15日 | 第31回外宮式年遷宮(同) | |
1285年 | 弘安8年 | 9月16日 | 第32回内宮式年遷宮(後宇多天皇) | |
1287年 | 弘安10年 | 9月18日 | 第32回外宮式年遷宮(同) | |
14世紀 | 1304年 | 嘉元2年 | 12月22日 | 第33回内宮式年遷宮(後二条天皇) |
1306年 | 徳治元年 | 12月20日 | 第33回外宮式年遷宮(同) | |
1323年 | 元亨3年 | 9月16日 | 第34回内宮式年遷宮(後醍醐天皇) | |
1325年 | 正中2年 | 第34回外宮式年遷宮(同) | ||
1343年 | 興国4年/康永2年 | 12月28日 | 第35回内宮式年遷宮(後村上天皇/光明天皇) | |
1345年 | 興国6年/貞和元年 | 12月27日 | 第35回外宮式年遷宮(同/同) | |
1364年 | 正平19年/貞治3年 | 2月16日 | 第36回内宮式年遷宮(同/後光厳天皇) | |
1380年 | 天授6年/康暦2年 | 9月8日 | 第36回外宮式年遷宮(後亀山天皇/後円融天皇) | |
1391年 | 元中8年/明徳2年 | 12月20日 | 第37回内宮式年遷宮(同/後小松天皇) | |
1400年 | 応永7年 | 2月28日 | 第37回外宮式年遷宮(後小松天皇) | |
15世紀 | 1411年 | 応永18年 | 12月 | 第38回内宮式年遷宮(同) |
1419年 | 応永26年 | 12月21日 | 第38回外宮式年遷宮(称光天皇) | |
1431年 | 永享3年 | 12月20日 | 第39回内宮式年遷宮(後花園天皇) | |
1434年 | 永享6年 | 9月23日 | 第39回外宮式年遷宮(同) | |
1462年 | 寛正3年 | 12月27日 | 第40回内宮式年遷宮(同) | |
16世紀 | 1563年 | 永禄6年 | 9月23日 | 第40回外宮式年遷宮(正親町天皇) |
1585年 | 天正13年 | 10月13日 | 第41回内宮式年遷宮(同) | |
10月15日 | 第41回外宮式年遷宮(同) | |||
17世紀 | 1609年 | 慶長14年 | 9月21日 | 第42回内宮式年遷宮(後陽成天皇) |
9月27日 | 第42回外宮式年遷宮(同) | |||
1629年 | 寛永6年 | 9月21日 | 第43回内宮式年遷宮(後水尾天皇) | |
9月23日 | 第43回外宮式年遷宮(同) | |||
1649年 | 慶安2年 | 9月25日 | 第44回内宮式年遷宮(後光明天皇) | |
9月27日 | 第44回外宮式年遷宮(同) | |||
1659年 | 万治2年 | 11月25日 | 内宮正殿焼失のため臨時遷宮(後西天皇) | |
1669年 | 寛文9年 | 9月26日 | 第45回内宮式年遷宮(霊元天皇) | |
9月28日 | 第45回外宮式年遷宮(同) | |||
1683年 | 天和3年 | 3月10日 | 内宮正殿焼失のため臨時遷宮(同) | |
1689年 | 元禄2年 | 9月10日 | 第46回内宮式年遷宮(東山天皇) | |
9月13日 | 第46回外宮式年遷宮(同) | |||
18世紀 | 1709年 | 宝永6年 | 9月2日 | 第47回内宮式年遷宮(中御門天皇) |
9月5日 | 第47回外宮式年遷宮(同) | |||
1729年 | 享保14年 | 9月3日 | 第48回内宮式年遷宮(同) | |
9月6日 | 第48回外宮式年遷宮(同) | |||
1749年 | 寛延2年 | 9月1日 | 第49回内宮式年遷宮(桃園天皇) | |
9月4日 | 第49回外宮式年遷宮(同) | |||
1769年 | 明和6年 | 9月3日 | 第50回内宮式年遷宮(後桜町天皇) | |
9月6日 | 第50回外宮式年遷宮(同) | |||
1789年 | 寛政元年 | 9月1日 | 第51回内宮式年遷宮(光格天皇) | |
第51回外宮式年遷宮(同) | ||||
19世紀 | 1809年 | 文化6年 | 10月16日 | 第52回内宮式年遷宮(同) |
第52回外宮式年遷宮(同) | ||||
1829年 | 文政12年 | 9月2日 | 第53回内宮式年遷宮(仁孝天皇) | |
9月5日 | 第53回外宮式年遷宮(同) | |||
1849年 | 嘉永2年 | 9月2日 | 第54回内宮式年遷宮(孝明天皇) | |
9月5日 | 第54回外宮式年遷宮(同) | |||
1869年 | 明治2年 | 9月4日 | 第55回内宮式年遷宮(明治天皇) | |
9月7日 | 第55回外宮式年遷宮(同) | |||
1889年 | 明治22年 | 10月2日 | 第56回内宮式年遷宮(同) | |
10月5日 | 第56回外宮式年遷宮(同) | |||
1900年 | 明治33年 | 10月2日 | 内宮正殿焼失のため臨時遷宮(同) | |
20世紀 | 1909年 | 明治42年 | 第57回内宮式年遷宮(同) | |
10月5日 | 第57回外宮式年遷宮(同) | |||
1929年 | 昭和4年 | 10月2日 | 第58回内宮式年遷宮(昭和天皇) | |
10月5日 | 第58回外宮式年遷宮(同) | |||
1945年 | 昭和20年 | 第二次世界大戦終戦による影響が残り、第59回式年遷宮中止を告示(同) | ||
1949年 | 昭和24年 | 宇治橋架け替えのみ実施(同) | ||
1953年 | 昭和28年 | 10月2日 | 第59回内宮式年遷宮(同) | |
10月5日 | 第59回外宮式年遷宮(同) | |||
1973年 | 昭和48年 | 10月2日 | 第60回内宮式年遷宮(同) | |
10月5日 | 第60回外宮式年遷宮(同) | |||
1993年 | 平成5年 | 10月2日 | 第61回内宮式年遷宮(今上天皇) | |
10月5日 | 第61回外宮式年遷宮(同) | |||
21世紀 | 2013年 | 平成25年 | 10月2日 | 第62回内宮式年遷宮(同) |
10月5日 | 第62回外宮式年遷宮(同) |
※日付は1872年(明治5年)までは旧暦(太陰太陽暦)。1873年(明治6年)からは新暦(太陽暦)。
脚注
関連項目
- 遷宮
- 伊勢神宮
- 御木曳 - 神宮の奉曳車には「太一」と記されている。(御木曳の記事より引用)
- 役夫工米
- 伊勢神宮遷宮前後相論
- 岡村正 - 伊勢神宮式年遷宮奉賛会の会長(2008年(平成20年)2月より)。日本商工会議所(日商)会頭。
- 山口信夫 - 岡村の前の奉賛会会長。日商名誉会頭。
- 伊勢神宮式年遷宮 特別企画「お伊勢さん」
- 守悦
外部リンク
- 伊勢神宮
- 伊勢神宮式年遷宮広報本部
- 式年遷宮記念 せんぐう館
- お白石持行事 - 御遷宮対策委員会
- 式年遷宮NAVI - 近鉄
- 伊勢神宮式年遷宮 - JR東海
- 遷宮チャンネル - ISEインターネット放送局
- 年間参拝客1000万人!伊勢参宮ブームの謎を解く - WEDGE Infinity
- シリーズ遷宮 第1回 伊勢神宮~アマテラスの謎~
- 二つの遷宮 伊勢と出雲のミステリー
- 太一御用船(伊勢市神社港) - 伊勢志摩きらり千選(財団法人伊勢志摩国立公園協会)