そごう

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そごう英称SOGO)はセブン&アイ・ホールディングスの傘下の株式会社そごう・西武が運営する日本の百貨店

2009年(平成21年)8月1日付で、かつての運営会社「株式会社そごう」が、西武百貨店と持株会社のミレニアムリテイリングを吸収合併し、株式会社そごう・西武に商号変更した。

概要

本社は創業から大阪店閉店までと心斎橋本店開店からそごう・西武への再編前まで長年大阪心斎橋にあった。横浜店は売場面積 (83,654m²) と売上高(1,000億強)が最大。1957年(昭和32年)、有楽町にも開店し、テレビコマーシャルに「有楽町で逢いましょう」を流し、東京に進出した。「人、街、世界をつなぐ、そごうネットワーク」なるキャッチフレーズも存在した。 西武百貨店と統合したことで、MDや売場編集を西武流に。POSシステムの技術提供も受け、従来のイメージは良いにつけ悪いにつけ一掃された。横浜店・千葉店神戸店広島店の売上は好調。また呉店は好調な広島店と外商機能などが効率的に統合。

創業から百貨店へ

大和国で絹屋として商売を行っていた徳兵衛の息子として生まれた十合伊兵衛(そごう いへえ)が1830年天保元年)に大阪坐摩神社(陶器神社)近くの安堂寺橘通りに古手屋(古着屋)「大和屋」を開業したのが始まりである[1]

1872年(明治5年)に古手屋(古着屋)を廃業して呉服店へ転換し、1877年(明治10年)に大阪の心斎橋筋一丁目に店舗を移転すると共に十合呉服店へ改称した[1]

1901年(明治34年)4月3日には神戸市元町五丁目に神戸支店を開設した[1]。 この神戸店は順調に売り上げを伸ばし、阪神電気鉄道三宮駅ビルへの出店する形で1933年昭和8年) 10月1日に移転・増床して、百貨店として開業した[1]。 この移転以降は「神戸そごう」というひらがな表記を用いており、その後の各店舗での「そごう」表記の第一歩となった[1]

1935年(昭和10年)9月24日には大阪・心斎橋の本店本店として村野藤吾設計の地下3階・地上8階建ての新店舗へ建て替え工事を行い、増床と近代化を実現した[1]

心斎橋の新本店ビルはガラスブロックを活用した美しい垂直線を強調したもので[1]モダニズム建築の傑作との評価もされている。 この店内には700名収容の劇場や茶室、貴賓室、食堂など売場以外の機能も併設されていた。 また、開業直後には大阪市営地下鉄御堂筋線が開通し、心斎橋駅と直結することになった[1]。 心斎橋本店は全館一挙に建設されたのではなく、2期に分けて建設されたが、その内の2期工事の建設費は板谷宮吉率いる板谷財閥の資本導入により実現したとされている[1]

戦時下と戦後の売り場縮小と代替事業

第2次世界大戦中は配給品以外の商品が大幅に減少したため、売り場に空きが生じたことから、大阪本店の地下2階部分を活用して「家財保護預り」を行い、顧客の財産を守る事業も展開した[1]。 この保護預かり制度は話題を呼び、大阪市内のみならず、大阪府か全域からの利用者があった[1]

第2次世界大戦後は、進駐軍が本店を徴用したため、百貨店としての営業が出来なくなり、大阪市内に在日外国人向けの輸入品店「オーバーシーズサプライズストア」を含めていくつかの店舗を展開して、営業機能の一部を代用する形になった[1]

営業再開から経営の混乱へ

日本デパートメントストア協会など業界を挙げた接収解除運動もあって接収解除が実現し、1952年(昭和27年)6月1日に大阪本店の営業を再開した[1]

しかし、この間約6年にわたって本店で営業できなかったことの影響は大きく、再開店から1年後には早くも売上が伸び悩むことになった[1]

また、一時期は外部からのグリーンメーラーによる株買い占めに遭った[2]

1957年(昭和32年)5月25日には[3]、有富光門が主導して読売新聞の建設した読売会館に東京店を開店した[2]。 しかし、この東京店は有富と読売新聞社主であった正力松太郎の間で一坪当たり月額4,000円という高額の定額家賃の契約を結んでいたため、月商約3億円で約7,000坪で約2800万円の家賃は、当時業界の常識とされていた売上高の約3%~5%を大きく上回って採算が合わず、業績の足を引っ張る結果となった[2]

1958年(昭和33年)4月に関西財界の顔役で日本繊維工業社長だった坂内義雄を社長に迎え、板谷宮吉の縁戚とされる当時日本興業銀行(現:みずほ銀行)特別調査室付考査役だった水島廣雄が副社長として就任し、主取引銀行の大和銀行(現:りそな銀行)常務から同じ副社長に就任した若菜三良と共に再建に取り組むことになった[4]

ところが、1960年(昭和35年)11月26日に坂内義雄社長が急逝し、当時慣例化していた当社の大株主で大口債権者である大和銀行と野村証券山一証券、板谷宮吉、住友正雄で構成される「5者会」に諮ることなく、同年12月23日の取締会において大和銀行の意向で同行出身の若菜三良が副社長から社長に就任したため、5者会を構成する他者が反発して経営権を巡って抗争が生じることになった[5]。 この経営権を巡る争いは大和銀行が公正取引委員会に提訴されるという事態に発展し、1961年(昭和36年)10月26日にアサヒビール社長山本為三郎の仲介でようやく終息を見た[5]

この経営権争奪戦の解決を受けて1962年(昭和37年)1月30日に増資を決議して同年6月1日に資本金10億円へ増資し、同年4月26日に水島廣雄が副社長から社長に就任した[5]

増床や多店舗展開の推進

神戸店は増築・増床を進めて売り場面積約31,800m²へ倍増させ[6]、1971年(昭和46年)には年間を通じて神戸一の売上を上げて地域一番店となり[1][6]、その後も隣接する国際会館と共同でケイエスビルを建設して新館とするなどさらなる増床で売り上げを伸ばし[1]、阪神大震災前には売り場面積約48,962m²まで拡張した[6]

また、1967年(昭和42年)3月21日に千葉そごうを開設して[1]開業2年目で地域一番店となり[6]、3年目に早くも黒字化するなど軌道に乗せ[6]、多店舗展開にかじを切ることになった[1]

多店化に当たっては、レインボーロードといわれる国道16号線沿いに立地して東京都心部を包囲するように出店する戦略を採ったほか[5]、「交通のよい最適地に最大級の百貨店をつくる」ことを出店戦略の基本として店舗展開を進めた[6]

この出店計画は、旧名称「十合」の十にちなんだ出店戦略「グレーターそごう(全国10店舗)」と名付けられ、「千葉そごう」の出店を皮きりに「黒崎そごう」で達成した[6]

その後は、それを拡大する形で「ダブルそごう(世界20店舗)」「トリプルそごう(世界30店舗)」などと称して積極的な展開をした[6]

多店舗展開の当初は千葉そごうが出資する形で始まり、初期の出店である柏そごうや広島そごうも黒字転換後は出資側に回って出店戦略を支える形式をとっていた[6]

こうした新たな地区への出店を進める一方で、千葉そごうが1972年(昭和47年)10月に別館を増設したほか[1]、広島そごうは1974年(昭和49年)10月に開店した際には売り場面積が10,000m²未満に抑えられたにもかかわらず30,000m²へ増床可能なように建設すると共に近隣にサテライト店舗を展開して集客力と売り上げの拡大を目指すなど[5]、店舗の増床も積極的に推し進めて地域一番店を目指した[5]

そうした増床戦略の最盛期には、千葉そごうがモノレール駅と一体化した新店舗を開設すると共に旧店舗を業態転換させることで4館合計で売り場面積約90,000m²体制)としたり、NTTクレド基町に広島そごう新館を開設するなど主力店周辺に店舗を出店して立地地区の集客力を強化する戦略も展開していた[6]

また、そごう本体でも、御堂筋の西側にある南区鰻谷西之町に駐車場ビルを建設するなど大阪店のテコ入れを図ると共に、有楽町の東京店についても読売新聞との家賃引き下げ交渉のみではなく、地下鉄有楽町駅と地下売り場を直結させるために交渉をするなどテコ入れを図った[1]

さらに、アジアへの出店では日本人観光客を狙うのではなく、地元の消費者を狙う戦略で出店しており、香港そごうが約85%、台湾太平洋そごうで約95%が地元客といわれる地元密着の百貨店となった[6]


民事再生法適用など破たん処理へ

土地の値上がりを見込んで銀行融資を受け積極的に出店したことが災いし、2000年(平成12年)7月に小売業としては日本最大の負債総額を抱えて民事再生法適用の運びとなった[7]

日本興業銀行と並ぶメインバンクであった日本長期信用銀行(現:新生銀行)が破綻し、リップルウッドに売却される際に不良債権に関して譲渡後3年間に2割以上の損失が有ると認定された場合には融資時の金額まで損失を預金保険機構が補填する仕組みである瑕疵担保条項の適用という特約かつけられていた[7]。 そのため、同行が債権放棄を受け入れることについては金融再生委員会預金保険機構が関連することになり、「そごうへの債権を放棄して一企業に税金を注ぎ込むとは何事だ」という批判が起きて当社の再建策は政治問題化することになった[8]。 2000年(平成12年)6月25日の総選挙直後で支持率は低迷したままの森内閣が批判に耐えられないとして、同年7月11日に亀井静香自民党政調会長(当時)から山田恭一そごう社長に電話で債権放棄を認めることが困難であることを伝え、それを前提とした再建案の断念を迫った[8]。 そのため、そごうはそれまでの自主再建を断念し、翌日12日に株式会社そごう(上場企業)とそごうグループの主要企業は民事再生法を申請した[8]。 この申請は大企業として初となるものであった。

なお、後述の通り、全てが民事再生法適用申請ではなく、その経営状態などの相違により特別清算や自己破産となった法人もある[7]

結果的に瑕疵担保条項適用分は他の不良債権と合わせて国が負担することになったが、自主再建の場合に比べて再建の流れが公になるというとのことでこの問題の決着がつくとされた。「そごう問題」や、「そごう債権問題」などと言われた。

1995年(平成7年)の阪神・淡路大震災で直営店の神戸店が被災したことで打撃を受けたことや平成不況による消費の低迷も当社の破綻要因の一つとなった。

株式会社そごう(初代)として運営していた店舗は大阪店神戸店、東京店のみであった[7]。 それ以外はすべて1店舗1社制とし、資本金は各地元からの出資及び、そごう及び千葉そごうを筆頭としたそごうグループ各社や、水島が個人で出資するなど、資本関係は極めて複雑だった[7]

また、グループ各社間で貸付金や債務保証も行われていたため[7]、経営破たん時の各社の負債総額はその運営する店舗の業績とは必ずしも一致しなかった。

主な負債額は下記の通りである。

・そごう(上場していた本体)約6891億円[7]

・千葉そごう(千葉市)約4054億円[7]

・新千葉そごう(千葉市)約953億円[7]

・広島そごう(広島市)約3282億円[7]

・広島そごう新館(広島市)約545億円[7]

・横浜そごう(横浜市)約1955億円[7]

・柏そごう(柏市)約1238億円[7]

・奈良そごう(奈良市)約1231億円[7]

・大宮そごう(大宮市)約774億円[7]

・福山そごう(福山市)約742億円[7]

・小倉そごう(北九州市)約673億円[7]

・船橋そごう(船橋市)約666億円[7]

・徳島そごう(徳島市)約662億円[7]

・多摩そごう(多摩市)約553億円(特別清算)[7]

・八王子そごう(八王子市)約503億円[7]

・札幌そごう(札幌市)約496億円[7]

・豊田そごう(豊田市)約496億円[7]

・加古川そごう(加古川市)約361億円[7]

・そごう物産(東京都港区)約398億円(自己破産)[7]

・黒崎そごう(北九州市)約321億円[7]

・錦糸町そごう(東京都墨田区)約303億円[7]

・西神そごう(神戸市)約240億円[7]

・呉そごう(呉市)約236億円[7]

・木更津そごう(木更津市)約230億円(自己破産)[7]

・長野そごう(長野市)約95億円(自己破産)[7]

なお、2000年(平成12年)10月25日に民事再生法の適用を申請した22社中9社の再建を断念し、残り13社を十合を受け皿会社として合併して1社に統合して再建を目指す再生計画案を東京地方裁判所に提出した[9]

経営破綻後、そごうは西武百貨店元社長の和田繁明を特別顧問に招聘し[7]、2003年(平成15年)にミレニアムリテイリング(現:そごう・西武)による経営統合を実現した。2005年(平成17年)にミレニアムリテイリングをセブン&アイ・ホールディングスが買収した。

イメージフラワー

イメージフラワーはダリアで、包装紙や紙袋に印刷されるほか、関連組織の名称にも、ダリアルーム、ダリア友の会など、ダリアを冠したものがある。

ロゴマーク

そごうのロゴマークは創業以来、初代十合伊兵衛の生家・屋の家紋であるちきり(縦糸を巻くための織機の付属部品。また石材や木材を繋ぎ止める部品の名)を丸で囲んだ「まるちきり」が使われている。ちきりはまた「ちきり」という言葉と「契り」の連想から、客との結びつきを末長く大切にといった意味も含んでいる。

ロゴマークの形状自体に変更はないが、色については、翡翠を経て、民事再生直後に原点回帰志向のもとで赤に、さらにミレニアムリテイリンググループのカラーとしてのに変更している。また、民事再生以前については、「そごう」ロゴと「SOGO」ロゴとが存在した。後者が後発で、前者も民事再生時点まで併用されていた。ロゴカラーが緑の時代には、続け字で右上がりの「Sogo」をCIに採用した時期もある。外装への採用例としては1996年(平成8年)から2001年(平成13年)の神戸店本館北側の壁面がある。

プロ野球球団の応援セール

テンプレート:出典の明記 有楽町そごうが閉店するまでは読売ジャイアンツの応援セールを行っていたが、これは入居する建物(読売会館)の建物所有者が読売グループであることによる。東京進出に際して建物がなかなか見つからずにいたところに、読売グループが建物を快く提供したため、これに対する恩返しの意味もあったとされる。そごうの経営再建に伴い、応援セールの権利は三越が引き継ぐことになった。

なお現在は西武百貨店全店(旧ロビンソン百貨店を含む)と同様、埼玉西武ライオンズの応援セールを行っている。ただし、セールを行う店舗は、当初ライオンズの地元埼玉県を商圏に含む大宮川口の3店舗のみであった。2010年までは八王子店もセール対象だった。

広島そごう(現:そごう広島店)は、広島東洋カープの応援セールを行っている。2008年まで同球団の本拠地だった旧広島市民球場は徒歩圏内にあった。

沿革

民事再生手続以前

民事再生手続以降

再生手続22社のうち、札幌そごう、船橋そごう(船橋ららぽーと内)、錦糸町そごう豊田そごう奈良そごう加古川そごう、福山そごう、小倉そごう黒崎そごうは再生手続廃止決定を経て破産宣告。以上の店舗は順次閉店した。
そごう、大宮そごう、川口そごう、柏そごう、千葉そごう新千葉そごう八王子そごう横浜そごう、西神そごう、廣島そごう、廣島そごう新館、呉そごう、徳島そごうの計13社は再生計画認可となった。
    • 12月25日 - 大阪店を閉店。この閉店自体は民事再生法の適用申請前(水島時代)に決定していたが、閉店の目的については、和田を始めとする新経営陣が「撤退のためではなく、そごう発祥の地にふさわしい店舗として再生させるため」へ方針転換した。
  • 2001年(平成13年)
    • 1月31日 - 再生計画認可。
    • 2月 - グループ各社の受け皿となる予定の休眠子会社「株式会社十合」が株式会社西武百貨店と包括的業務提携を締結。再生13社は100%減資し十合から全額出資を受けて同社の完全子会社となる。本社機能を東京都心から横浜市西区の横浜新都市ビル横浜スカイビルへ移転。
    • 5月 - 西武百貨店からPOSシステムなど販売業務の情報技術供与を受けて、「クラブ・オンメンバーズシステム」同等のポイントシステム「そごうミレニアムカード」サービスを開始。テレビCMが短期間スポット放映された。
  • 2002年(平成14年)
    • 2月 - 「十合」傘下の再生各社のうち、「株式会社横浜そごう」が、旧上場会社の「株式会社そごう」を吸収合併し「株式会社そごう」に商号変更。この時点で、本店は横浜市のままで、心斎橋本店完成時に旧そごうと同一の地に移転。
    • 9月1日 - 「十合」傘下の再生各社の合併により、百貨店運営会社「株式会社そごう(旧株式会社横浜そごう)」へ一本化完了。
  • 2003年(平成15年)
    • 1月30日 - 東京地裁より再生手続終結決定。
    • 3月 - 業務提携先である西武百貨店の再生計画に伴い、十合が西武百貨店の第三者割当増資を引受。「そごう」「西武百貨店」が「十合」傘下となり、事業会社として再編を進める。
    • 4月 - 1935年(昭和10年)に建てられた大阪店を解体。
    • 4月12日 - 東京ディズニーシーの劇場「ドックサイド・ステージ」のスポンサーに就任。
    • 6月1日 - 「十合」、「そごう」ならびに「西武百貨店」の3社はグループ経営への移行で正式合意。ミレニアムリテイリンググループを発足し、株式会社十合を株式会社ミレニアムリテイリングに商号変更。
    • 12月12日 - 心斎橋本店起工式。
  • 2005年(平成17年)
    • 5月31日 - 大阪市心斎橋の旧そごう大阪店を改修して開店させる「心斎橋本店」を、同年9月7日に開店することを発表。
    • 6月13日 - 本社機能と本店を、株式会社横浜そごうの時代から維持していた横浜市から、旧株式会社そごうの本店だった大阪市に移転。
    • 8月2日 - 9月7日に開店する「心斎橋本店」に、計約1300台分の駐車場を確保することを明らかにした。確保した駐車場は、自前駐車場が274台分、クリスタ長堀と契約した1030台分。
    • 9月7日 - 心斎橋本店が新装開店。開店記念のCM宮沢りえを起用。
    • 10月12日 - 伊勢丹出身の池田昭喜が9月13日に顧問に就任。10月12日に(株)そごう臨時株主総会にて取締役に選任。
    • 12月26日 - ミレニアムリテイリングの和田繁明から買収防衛策のためにセブン&アイ・ホールディングスの傘下入りできないか鈴木敏文に打診。野村プリンシパル・ファイナンスがミレニアムの保有株式をセブン&アイに売却し、ミレニアムはセブン&アイの傘下入りすることを表明。当初、鈴木は対等合併の理念から和田に対し共同で代表取締役に就任するよう勧めたが、和田が固辞した経緯がある。
  • 2006年(平成18年)6月1日 - ミレニアムリテイリングがセブン&アイの完全子会社となる。
  • 2008年(平成20年)
  • 2009年(平成21年)度より、セブン&アイグループのプライベートブランド(PB商品)「セブンプレミアム」を、西武百貨店とともに、全店への順次導入を進めている。
  • 2009年(平成21年)
    • 8月1日 - 株式会社そごうが、株式会社ミレニアムリテイリングと株式会社西武百貨店を吸収合併し、株式会社そごう・西武に商号変更。店名は、「そごう」「西武百貨店」を維持。株式会社ミレニアムリテイリングと株式会社西武百貨店は、法人としては解散。
    • 8月31日 - 心斎橋本店が閉店。土地・建物は、隣接する大丸Jフロントリテイリング)へ売却。その後改装し、2009年(平成21年)11月14日に同社心斎橋店の北館として開店した。
  • 2012年(平成24年)1月31日 - 八王子店が閉店[10]。同店の閉店により、東京都内から「そごう」店舗はなくなった。
  • 2013年(平成25年)1月31日 - 呉店が閉店。

店舗

2013年(平成25年)2月現在、国内9店舗。

経営破綻時、東京・旧大阪・神戸の各店は、千葉そごう・興銀が大株主である上場会社の「株式会社そごう」の直営店で、それ以外は水島廣雄が過半数株主の「千葉そごう(資本金1億円)」と、同社100%出資で完全子会社の「柏そごう」「廣島そごう」の出資によって、店舗ごとに子会社が設立されて経営が行われた。前述の3社と各地の店舗運営子会社の間で株式持ち合いが行われ、メインバンクであるかつての長銀興銀を筆頭に、地方銀行からも出資会社の債務保証を取り付けて多額の融資を受けていた。この複雑な資本関係のため、経営破綻するまで、店舗ごとの財務状態は明らかにされなかった。報道では「そごうグループXX社」と称されていた。後項も参照のこと。

現在は全店「そごう○○店」の名称であるが、民事再生計画以前に前述の子会社が運営していた店舗は店名が先に来る「○○そごう」であり、一般には経営破綻前の名残から現在も通称として使われている(西武百貨店も同様)。

なお、東日本地域のほとんどの店舗は再開発組合や鉄道・デベロッパー会社など他の事業体によって竣工されたテナントビルに入居する形式を取り、1980年代以降1997年(平成9年)の錦糸町店(2000年(平成12年)閉店)まで立て続けに出店を行っていた。そごうのテナント区画外にある店舗・飲食店ではミレニアムカードや「全国百貨店共通商品券」などが使用できない。

  • 横浜店
    横浜市西区高島2-18-1 横浜新都市ビル 横浜駅東口[5] 売場面積68,410m²[6]
    1969年(昭和44年)「株式会社横浜そごう」設立。1985年(昭和60年)9月30日開店[5]
    テンプレート:要出典範囲そごう美術館を併設。セブン&アイ・ホールディングス「基幹店」の位置づけ。(注:「旗艦店」ではない)[11]テンプレート:Main
  • 千葉店
    旧店:1966年(昭和41年)10月28日「株式会社千葉そごう」設立[1]。1967年(昭和42年)3月21日開店-1993年(平成5年)4月業態転換。
    千葉市中央区富士見2-3-1[1] 塚本大千葉ビル[1] 
    別会社方式によるそごうグループ多店舗化1号店[6]。開業2年目で地域一番店となり、3年目に早くも黒字化した[6]。以降出店の際は全て千葉そごうが出資する形を取っていた[6]
    1993年(平成5年)4月27日に新店舗開設に伴い 若者向けやスポーツ用品の専門館に業態転換し、4館合計で売り場面積約90,000m²となった[12][6]。(店舗名「Bee-One」)経営破綻後、閉店。現在は複合オフィスビル。
    新店:1992年(平成4年)「株式会社新千葉そごう」設立。1993年(平成5年)4月27日開店[12]
    千葉市中央区新町1000 センシティビルディング 京成千葉駅直結 売場面積69,648m²。
    売上高は、そごう各店の中で第2位。セブン&アイ・ホールディングス「基幹店」。テンプレート:Main
    旧店舗跡にはヨドバシカメラとかねたや家具が入居した[13]
  • 柏店
    千葉県柏市柏1-1-21 柏駅東口[6] 売場面積32,593m²。
    1971年(昭和46年)6月1日「株式会社柏そごう」設立。1973年(昭和48年)10月10日開店。早期の出店で黒字化していたため、千葉そごうなどと並んで各地の出店で出資していた[6]テンプレート:Main
  • 大宮店
    さいたま市大宮区桜木町1-8-4 大宮スカイビル[5] 大宮駅西口[5] 売場面積40,295m²。
    1981年(昭和56年)「株式会社大宮そごう」設立。1987年(昭和62年)[6]3月27日開店。セブン&アイ・ホールディングス「基幹店」。
    テンプレート:Main
  • 川口店
    埼玉県川口市栄町3-5-1 川口再開発ビル 川口駅東口第3街区再開発組合[5] 売場面積39,149m²。
    1983年(昭和58年)9月6日会社設立「株式会社川口そごう」。1991年(平成3年)10月16日開店。テンプレート:Main
  • 神戸店
    神戸市中央区小野柄通8-1-8 三宮阪神ビル 阪神三宮駅に直結。売場面積42,563m²。
    1933年(昭和8年)10月1日開業[1][14]。1969年(昭和44年)増築開店(株式会社設立50周年記念事業)。
    本館は三宮阪神ビル+三宮さくらビル+自社ビルを束ねて外装工事でひとつのビルに、新館はケイエスビル+S・ヨシマツビル。セブン&アイ・ホールディングス「基幹店」。テンプレート:Main
  • 西神店
    神戸市西区糀台5-2-3 神戸市営地下鉄西神山手線:西神中央駅前 プレンティ 売場面積17,904m²。
    1990年(平成2年)「株式会社西神そごう」設立。1990年(平成2年)10月開店[15]
    ダイエー西神店と2核1モール。
    直下を地下鉄が走っているため、多くの百貨店で見られる「デパ地下」が存在せず、食料品売り場は1階にある。テンプレート:Main
  • 広島店
    本館:1972年「広島そごう」設立。1974年(昭和49年)10月10日開店[16]。早期の出店で黒字化していたため、千葉そごうなどと並んで各地の出店で出資していた[6]
    広島市中区基町6-27 広島センタービル(広島バスセンター
    新館:1990年(平成2年)会社設立「広島そごう新館」。1994年4月22日開店。
    広島市中区基町6-78 広島電鉄:紙屋町西 NTTクレド基町ビル[6]
    広島電鉄紙屋町西電停前 売場面積57,839m²。セブン&アイ・ホールディングス「基幹店」。テンプレート:Main
  • 徳島店(徳島そごう。徳島駅前)売場面積26,738m²。
    徳島市寺島本町西1-5 徳島駅前再開発ビルアミコビル 
    1979年(昭和54年)「徳島そごう」設立。1983年(昭和58年)10月1日開店[17]
    内町小学校跡地を含む約2haに建設された再開発ビルの核店舗として出店した[18]
    セブン&アイ・ホールディングスの完全子会社となったのに伴い、従来四国には店舗を持たなかったセブン&アイグループが店舗を持つこととなった。テンプレート:Main

過去に存在した店舗

ギフトショップを除く。

2013年(平成25年)4月現在。※各店開店閉店年月日 「そごう社史」より

そごう・西武(セブン&アイ)移行後

  • 八王子店
    八王子市旭町1-1 JR八王子ターミナルビル 八王子ナウ。売場面積35,538m²。
    1982年(昭和57年)「八王子そごう」設立。1983年(昭和58年)11月1日開店[19]- 2012年(平成24年)1月31日閉店[10]テンプレート:Main2
  • 呉店
    広島県呉市西中央1-1-1[5] 呉駅前西地区再開発ビル[5] 21,395m²。
    1987年(昭和62年)9月26日「呉そごう」設立。1990年(平成2年)3月18日開店[20]-2013年(平成25年)1月31日閉店[21]。JR呉駅北側に出店していた[22]テンプレート:Main

そごう・西武(セブン&アイ)移行前

  • 大阪店(心斎橋そごう)
    大阪市中央区心斎橋筋1-8-3 
    1935年(昭和10年)5月25日開店-2009年(平成21年)8月31日閉店。
    百貨店2代目建物は隣接する大丸に売却され、2009年(平成21年)11月14日大丸心斎橋店北館となった。テンプレート:Main
  • そごうホップ(大阪市阿倍野区)売り場面積4,500m²[5]。阿倍野そごう・広島そごう共同出資→「あべのベルタ[5]の完成に伴いDIY・生活雑貨・文具などの生活雑貨の専門店として開店→2000年(平成12年)12月閉鎖
  • そごう難波店→1963年(昭和38年)閉鎖
  • そごう神戸店岡山分店→1975年(昭和50年)、岡山ターミナルホテル(現・ホテルグランヴィア岡山)内に開店→ホテル改築により閉鎖
  • 東京店(有楽町そごう)
    千代田区有楽町1-11-1 「読売会館」。15,275m²。 
    1957年(昭和32年)5月25日開店[3]-2000年(平成12年)9月24日閉店[23]。 
    店舗跡には2001年(平成13年)6月14日ビックカメラ有楽町店が開店[24]。 
  • 札幌そごう
    札幌市中央区北5条西2丁目1番地[1] 札幌駅ビル「エスタ」核テナントとして出店[5]。27,999m²(直営22,000m²)[1]
    1973年(昭和48年)11月2日会社設立[1] 1978年(昭和53年)9月1日開店[1][25][26]-2000年(平成12年)12月25日閉店[26][27][27]。食品売り場のみ2000年(平成12年)12月31日まで営業を続けた[28]
    「札幌ターミナルビル」の核店舗として出店した[26]テンプレート:Main2
    店舗跡には2001年(平成13年)7月26日にビックカメラ開店[29]
  • 錦糸町そごう
    東京都墨田区錦糸2-2-1[30] アルカタワーズ錦糸町 31,350m²。 
    1991年(平成3年)会社設立。1997年(平成9年)10月22日開店。2000年(平成12年)12月25日 閉店[27]テンプレート:Main2
    錦糸町駅北口の再開発事業に参画して出店した店舗で、入居する商業施設ビルの40%を約240億円で取得して残りを日本生命から賃借する形で出店した[31]
    当店の出店に当たっては店舗の不動産を取得して出店しても採算に合わないと一度却下したものの、先述の条件に切り替えて1988年(昭和63年)1月に出店を決定している[31]
    しかし、業績悪化に伴って金融機関が出店資金の貸出を渋ったため、1993年(平成5年)1月には再開発負担金を滞納し、阪神大震災直後の1995年(平成7年)2月に出店辞退を通告するに至った[31]
    しかし、この通告に対して再開発組合が差し押さえをすると通告したため、再び出店へと方針を変更し、銀行も差し押さえの影響が読み切れないとして融資を行うこととなったため、出店が実現することになった[31]
    ただし、この出店資金の融資については水島広雄会長が個人本性を付けることが条件となって融資された[31]
    店舗跡は2002年(平成14年)3月29日に「アルカキット錦糸町」が開店した[30]
  • 多摩そごう
    多摩市落合1-46-1 多摩センター駅前に立地。34,200m²[32]。 
    1988年(昭和63年)会社設立。1989年(平成元年)10月20日開店-2000年(平成12年)7月に特別清算申請[32]、9月17日閉店[33]テンプレート:Main2
    多摩ニュータウンの人口が30万人になることを前提とした出店であったが、20万人を切る水準にしかならなかったため赤字が続いた[32]
    店舗跡は2000年(平成12年)11月15日に「三越」と家具販売大手「大塚家具」が出店したが[34]、「大塚家具」は2010年(平成22年)末に閉店した[35]。「大塚家具」の撤退した跡にユニクロや丸善などを入居させてショッピングセンター「ココリア多摩センター」として[35]2011年(平成23年)4月23日に新装開店することになった[36]
  • 柚木そごう 
    八王子市南大沢2-28-1 ガレリア・ユギ 京王電鉄相模原線 南大沢駅前 13,150m²。
    1990年(平成2年)9月28日会社設立。1992年(平成4年)6月7日開店[19]-1994年(平成6年)10月3日閉店[19]
    忠実屋フランツとともに開店するがわずか2年余りで撤退、忠実屋もダイエー買収後の1995年に閉店。
    1998年(平成10年)2月27日にイトーヨーカドー南大沢店が新たな核店舗として開業した[37]テンプレート:Main2
  • 船橋そごう
    千葉県船橋市浜町2-1-1 ららぽーとTOKYO-BAY西館。32,580m²。 
    1978年会社設立。1981年(昭和56年)4月2日開店-2000年(平成12年)12月閉店 。
    ワンフロア15,000m²、4階建の低層という従来にないフロア構成で、新しい百貨店スタイルを提案した。
    1997年(平成9年)9月 新業態専門フロア「ベイ・プラネット」オープン。トイザらスなど人気ショップや話題の専門店を導入した。
    店舗跡は2001年(平成13年)9月21日にららぽーとウエストとして新装開店した[38]テンプレート:Main2
  • 木更津そごう(サカモトそごう)
    1977年(昭和52年)12月 地方百貨店「サカモト」(創業1913年)との資本提携により「サカモトそごう」設立。 
    旧店舗:木更津市中央1丁目3番8号[1] 売場面積10,066m²。1978年(昭和53年)10月1日開店[1]-1988年(昭和63年)新店舗開店に伴い閉鎖。
    新店舗:木更津市富士見1-2-1 木更津駅西口再開発ビル(38,400m²)の核店舗として出店していた[5]。 アインスビル。19,349m²。1988年(昭和63年)開店。「木更津そごう」に商号変更。2000年(平成12年)7月13日に自己破産申請し、閉店[39]
    閉店後の2001年(平成13年)12月22日にビルを所有していた第3セクターの木更津都市開発が約74.7億円の負債を抱えて千葉地方裁判所に破産申請して倒産した[40]ため、2003年(平成15年)に木更津市が購入[41]テンプレート:Main2
  • 茂原そごう
    茂原市千代田町1-6 茂原駅前。15,060m²。
    1989年(平成元年)会社設立。1992年(平成4年)3月7日開店-2000年(平成12年)2月閉店[42]
    南総通運株式会社がテナントビル「南総サンヴェルプラザ」として運営。

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  • 長野そごう(丸光そごう)
    長野市鶴賀問御所町1200。11,157m²。
    1982年(昭和57年) 地方百貨店「丸光」(1957年(昭和32年)開店)と資本提携により「丸光そごう」設立。
    1983年(昭和58年)6月30日開店-1987年(昭和62年)5月リニューアル時に社名変更「長野そごう」-2000年(平成12年)7月13日自己破産申請、閉店[39]。 SBC信越放送へ売却。「TOiGO」が建設された。テンプレート:Main
  • 豊田そごう 
    愛知県豊田市西町6丁目[5]85-1 豊田市駅西口市街地再開発ビル[5] 売り場面積35,909m²+専門店街5,331m²[5]
    1986年(昭和61年)8月28日会社設立。トヨタ自動車7%出資1988年(昭和63年)[6]10月8日開店-2000年(平成12年)12月25日閉店[27]
    店舗跡には松坂屋が出店することになり[43]、2001年(平成13年)10月に松坂屋豊田店が開店[44]テンプレート:Main2
  • 奈良そごう  
    奈良市二条大路南1丁目[5]3-1 46,201m²。 
    1984年(昭和59年)11月21日会社設立。1989年(平成元年)10月2日開店[31]-2000年(平成12年)12月25日閉店[27]。食品売り場のみ2000年(平成12年)12月31日まで営業を続けた[27]
    店祖「十合伊兵衛」生誕の地に念願の出店との見方が多かったが、関西への出店が遅れたことの挽回策という側面も強かったとされる[31]
    重装備店舗。埋蔵文化財長屋王邸宅跡に建設され、開業前の発掘調査で5万点の木簡が出土した[6]テンプレート:要出典範囲
    店舗跡には2003年(平成15年)7月10日にイトーヨーカドー奈良店が開店した[45]テンプレート:Main2
  • 加古川そごう 
    加古川市加古川町篠原町32番地[5] 売り場面積30,854m²。
    1988年(昭和63年)会社設立。1989年(平成元年)9月[46]15日開店-2000年(平成12年)12月25日閉店[27]。食品売り場のみ2000年(平成12年)12月31日まで営業を続けた[27]
    加古川市がビルを購入。第三セクターが管理。2001年(平成13年)3月30日ヤマトヤシキ加古川店開店[47]
  • 福山そごう 
    広島県福山市西町1-1-1 売り場面積39,100m²[6]。 
    1988年(昭和63年)会社設立。1992年(平成4年)4月[48]29日開店。2000年(平成12年)12月25日閉店[27]。 
    福山駅から西へ400mの山陽染工の工場跡地へ出店した[48]
    2003年(平成15年)4月25日に天満屋がロッツを出店した[49]が2013年(平成25年)4月24日閉店[50]。2013年(平成25年)9月12日に大和情報サービスの管理・運営するリム・ふくやま」が開業した[51]
    なお、支店である尾道駅前店も同日閉店している。
  • コトデンそごう
    高松市常磐町1-3-1 コトデン瓦町駅ビル 売り場面積29,500m²。 
    1991年(平成3年)11月に高松琴平電気鉄道と合弁会社設立[52]。1997年(平成9年)4月23日開店[53]-2001年(平成13年)1月22日 民事再生法適用申請[54] 4月15日閉店[53]
    高松琴平電気鉄道グループが60%、そごう本体と徳島そごう、広島そごうのそごうグループが40%という出資比率となっていたため、他のそごうグループ各店と同時には破綻しなかった[55]
    開業時の目標であった売上高300億円を大きく下回って毎期20億円前後の赤字が続いていたところに、そごうグループの再生法適用申請で「そごう」ブランドの信用が低落した影響などで、2000年(平成12年)7月以降の売上高が前年同月比5%から14%減と落ち込んだことから2001年(平成13年)1月22日に民事再生法適用を申請して破たんした[54]。2000年(平成12年)2月期の売上高は約227億円で経常損益は約26.43億円の赤字だった[54]
    同社への債務保証が影響し[56]、親会社である高松琴平電気鉄道も同年12月7日に民事再生法の適用を申請(連鎖倒産)した[57]
    負債総額は約250.7億円で[58]、2001年(平成13年)11月16日に民事再生の手続きが終わっていたものの、そごう本体を相手に未払い債権の返済を求めて提訴したため、2003年(平成15年)夏に清算を完了している[59]
    2001年(平成13年)9月1日に高松天満屋が開店したが[60]、2014年(平成26年)3月31日に閉店している[61]
  • いよてつそごう
    愛媛県松山市湊町5丁目[5]1-1 伊予鉄道「松山市駅」のターミナルデパート。 売り場面積23,517m²。
    1969年(昭和44年)9月[5]1日伊予鉄道と合弁会社設立。1971年(昭和46年)7月5日開店[1]
    そごう破綻後、2000年(平成12年)12月提携解消、2001年(平成13年)6月1日に「伊予鉄百貨店」と改称の上グループを離脱[62]。2001年(平成13年)10月10日の[63]増床オープンに合わせて「伊予鉄高島屋」に店名変更し[64]高島屋との資本提携を行い、2002年(平成14年)3月1日に社名も「株式会社伊予鉄テンプレート:CP932フォント島屋」とした[65]。旧そごうグループで破綻を免れた唯一の企業。テンプレート:Main
  • 小倉そごう  
    北九州市小倉北区京町3-1-1 セントシティ北九州 売り場面積43,774m²。
    1988年(昭和63年)会社設立。1993年(平成5年)10月10日開店[66]-2000年(平成12年)12月25日閉店[27]
    当初は小倉東映の跡地への出店構想であったが、駅前へ出店先を変更している[6]。九州第1号店となるはずだったが、諸般の事情により開店が遅れた。初期投資等515億円の負債を抱え、毎月億単位の借入金返済に追われていた。閉鎖された店舗で最も再生が遅れた。
    2002年(平成14年)3月10日に地上12階・地下2階建てのうち地下1階から地上4階の約13,000m²を利用して小倉玉屋の仮店舗が開業したが[67]、2002年(平成14年)12月25日に閉店して廃業した[68]
    2004年(平成16年)2月10日に小倉伊勢丹と専門店街「アイム」が同時に開業したが[69]、売上高が260億円を大きく下回って2007年(平成19年)3月期で約170億円に留まって約29億円の債務超過に陥ったため目標の2008年(平成20年)3月25日に閉店した[70]
    2008年(平成20年)4月1日に「コレット井筒屋」が開業し[71]、改装後の2009年(平成21年)3月11日から「コレット」と改称して営業している[72]
    テンプレート:Main2
  • 黒崎そごう 
    北九州市八幡西区黒崎1−1−1 黒崎駅前東地区再開発ビル「メイト黒崎」核テナントとして出店[73]。28,259m²[5]
    1977年(昭和52年)10月21日会社設立。1979年(昭和54年)10月6日開店開店[74]-2000年(平成12年)12月25日閉店[27]
    2001年(平成13年)10月3日 黒崎井筒屋開店。テンプレート:Main
    そごうでは初めて店舗内に川を流れる水と緑のある飲食店街を導入した店舗であった[6]

海外展開

経営破綻に至るまでは積極的に展開を行い、中国香港台湾タイマレーシアシンガポールインドネシアイギリススペインに 合弁会社、現地法人を設立していた。が、再建中に資本は全て引き上げ撤退した。現在も「そごう」の商標を用いているものもあるが、これはライセンス供与フランチャイズの関係。

  • 北京荘勝そごう(中国)
北京庄胜崇光百货(北京語読み:ペイジン・チュアンシェン・チョングァン・パイフォ 英文表記:Junefield SOGO Department Store Group Ltd.)
北京市西城区宣武門外大街8号 地下鉄4号線菜市口駅 1998年(平成10年)6月[32]24日開店。84,000m²。
1998年(平成10年)4月3日設立。荘勝百貨(ジューンフィールド・デパート)グループ
そごう・西武」との関係は商標貸与のみ[75]。中国本土で「そごう」を名乗れるのは当グループ店のみ。
武漢荘勝そごう 湖北省武漢市礄口区解放大道374号 33,700m²。2000年(平成12年)12月24日開店。


  • 香港そごう
香港崇光百貨(北京語読み:シァンカン・チョングァン・パイフォ 英文表記:SOGO Hong Kong Company Limited)
香港銅鑼灣(コーズウェイベイ)1985年(昭和60年)5月31日開店[5]。売り場面積33,000m²[6]
1983年(昭和58年)9月設立。2001年(平成13年)1月 香港企業利福國際グループ (Lifestyle International Holdings)に売却したため、「そごう・西武」との関係は商標貸与のみ[75]。 

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  • 太平洋そごう台湾
太平洋崇光百貨(北京語読み:タイピンヤン・チョングァン・パイフォ 英文表記:Pacific SOGO Department Stores Co., Ltd.)
1986年(昭和61年)3月会社設立。当初はそごうが出資していたが、2002年(平成14年)以降は台湾企業遠東グループの100%出資会社[76]。副会長は日本人・井上哲氏。「そごう・西武」との関係は商標貸与のみ。
本社 台北忠孝館 台北市大安区忠孝東路四段45号 1987年(昭和62年)11月11日開店[5]。同店の開店により「ダブルそごう計画(20店舗構想)」達成丁目。初日に33万人の来店客を集めた[5]。地上13階建て総面積53,000m²[5]
台北市内の他、中壢(1998年(平成10年)9月開業[32])、新竹高雄(1996年(平成8年)9月開業[32])に支店がある。

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廣三崇光(北京語読み:クァンサン・チョングァン 英文表記:Kuang San SOGO Department Store)
台中市西区台中港路一段299号 36,000m²。
1992年(平成4年)3月12日 台湾 廣三建設との合弁で「廣三崇光百貨股份有限公司」設立。
1995年(平成7年)11月11日 本館開業。1999年(平成11年)12月6日 2館開業 21,000m²。
1998年(平成10年) 債務超過や違法な金銭授受の疑いで廣三建設が財務危機に陥り、曾正仁会長が逃亡。
その後、2年間営業をしないまま 2館とも閉鎖されていた。ビルを活性化するために「廣三崇光國際開發股份有限公司」が設立されたが、5年間に所有者は何度も交代し、スラム化していた。
2007年 キャセイ生命が2館を13億NT$で買収。それぞれ商業ビルとオフィスビルとしてリニューアルし、再生された。
「そごう・西武」との関係は商標貸与のみ。会長は日本人・原島榮一氏、前会長・辻裕氏。[77] 12階には紀伊國屋書店が入居。
地場財閥「カジャ・ツンガル Gajah Tunggal」との合弁。そごうグループを離れた後も商標はそのままで存続[75]。中流以上の層を対象としたデパート。
Jl. MH Thamrin Kav 28-30, Jakarta Pusat
1990年(平成2年)>3月1日開店[78]。インドネシア1号店。2006年(平成18年)2月 プラザの改築の際、閉店。スーパーマーケット部門のみ残し「ザ・フード・ホール・グルメ The Food Hall Gourmet」と改称して営業している。[79]
Jl. Kelapa Gading Boulevard Blok M East Jakarta
1995年(平成7年)1月開店。11,000m²。華僑系高級住宅街に立地。
  • プラザ・スナヤン店(ジャカルタ)  Plaza Senayan
Jl. Asia Afrika No.8 South Jakarta 紀伊國屋書店入居。 
1999年(平成11年)10月29日開店。スナヤンはプラザインドネシアと並ぶ高級モール。
Jl. Metro Pondok Indah South Jakarta 2005年(平成17年)開店
  • エンポリウム・プルイット(ジャカルタ) Emporium Pluit Mall
Kawasan CBD Pluit Jl. Pluit Selatan Raya North Jakarta スーパー無し。
Jl. Letjen S. Parman Kav.28 West Jakarta スーパー無し。
  • コタ・カサブランカ・モール店(ジャカルタ) Kota Kasablanka Mal
Jl. Casablanca Raya Kav.88 South Jakarta
  • パリス・ファン・ジャワ店バンドン) Paris van Java
Jl. Sukajadi No.137-139 Bandung
Jl. K.H. Zainul Arifin No.7 Medan
Jl. Embong Malang No.7-21 Surabaya
  • ギャラクシー・モール店(スラバヤ) Galaxy Mall
Jl. Dharmahusada Indah Timur No.35-37 Surabaya
  • バリ・コレクション店(バリ・ヌサドゥア) Bali collection
BTDC Complex Nusa Dua, Nusa Dua スーパー無し。
  • ディスカバリー・モール店(バリ・クタ) Discovery Shopping Mall(centro)
Kartika Plaza Street, Kuta 2006年(平成18年)開店。 スーパー無し。


1991年(平成3年)7月、マレーシア旧国営コングロマリット、プルナス Pernas との合弁会社「そごうプルナス」として設立。
190, Jalan Tuanku Abdul Rahman, Kuala Lumpur ラピドKL アンパン線バンダラヤ駅前 売り場面積58,000m²[6]
1994年(平成6年)1月[6]18日、マレーシア初の高層アパートだったスレイマン・コート跡地に開店。[80]クアラルンプールの庶民的ショッピング・エリア、トゥアンク・アブドゥル・ラーマン通り界隈に立地。 そごうグループを離れた後も商標はそのままで存続[75]。一般庶民向けのファミリー・デパート。かつて入居していた紀伊國屋書店はスリア KLCCに移転している。


10150 Georgetown,Penang
1989年(平成元年)[6]9月「ガマ・デパート」 Gama Supermarket & Departmental Store 開店。地下2階地上8階 売り場面積11,000m²[6]
1989年(平成元年)12月 広島そごうがガマを約3940万RMで買収。[81] そごうグループを離れたガマ・デパートは存続している。かつて入居していた紀伊國屋書店は撤退。


  • そごうシンガポール SOGO Department Stores (S) Pte Ltd
1984年(昭和59年)1月 シンガポール開発銀行 The Development Bank of Singapore Limited(旧政府系)との合弁会社として設立。国家的プロジェクトとして同行が立地していた場所を開発した「ラッフルズシティRaffles City[82]に賃貸入居。
  • ラッフルズ・シティー店 Raffles City 
Raffles City Shopping Centre 252 North Bridge Road, Singapore
1986年(昭和61年)10月25日開店[83]。2000年(平成12年)9月30日閉店[84]。売り場面積12,500m²[6]
撤退後はイギリス資本の ロビンソンズRobinsons(アメリカ系ロビンソン百貨店とは別)、マークス&スペンサーMarks & Spencerが入居。
  • タンピネス店 Tampines Store
1993年(平成5年)[6]4月開店。1998年(平成10年)10月閉店[32]。売り場面積5,400m²[6]。撤退後、2009年(平成21年)4月からショッピング・モール「タンピネスワン」tampines1
290 Orchard Road, Singapore 1989年(平成元年) 6億9000万S$で買収。1996年(平成8年)12月 約6億8230万S$で売却。
そごうグループを離れた後モール・グループが運営。グッチダンヒルサルヴァトーレ・フェラガモなどの高級ブランド中心の高級ショッピング・モール。


  • そごうタイランド SOGO(Thailand)Co., Ltd.
1983年(昭和58年)7月設立。タイ アマリン開発公社 Amarin Development Public Co.,Ltd 他 地場資本51%の合弁会社。資本金2,500万B。
バンコク ラーチャダームリ通り、ラーチャプラソング交差点交差点に庶民派の「アマリンそごう」と高級志向の「エラワンそごう」の2店が隣り合って並んでいた[6]。どちらも大成建設が建てたビル[85]、どちらもそごうタイランドとアマリンが出資しながら、それぞれ独立した会社による運営だった。そごう本体の破綻の都合で撤退。合弁パートナーが撤退する場合、タイ側に株式を譲渡することがタイの法律で定められている[86]ため、2店ともアマリンが引き継いでショッピング・センターを運営することになった。
  • アマリンそごう Amarin SOGO Co., Ltd
500 Ploenchit Rd., Lumpinee, Patumwan, Bangkok. BTSチッドロム駅と直結。
1984年(昭和59年)[6]12月1日開店。アマリン・タワー Amarin Tower 1-4階。そごう海外1号店[6]。売り場面積12,000m²[6]
撤退後、「アマリン・プラザ Amarin Plaza として運営されている。タワー9階にはJCBプラザ、15階には盤谷日本人商工会議所が入居する他、ホテル、スパなどがある。
  • エラワンそごう Erawan SOGO Co., Ltd
494 Rajdamri Road, Pathumwan, Bangkok.
1990年(平成2年)12月4日開店。グランド・ハイアット・エラワン・バンコクビル内。売り場面積13,435m²[6]
撤退後、2004年(平成16年)11月24日から高級ショッピングセンター「エラワン・バンコク Erawan Bangkok として運営されている。「バーバリー」の旗艦店、タイ初出店の「コーチ」などが入居。[87]


  • ロンドンそごう SOGO(London) Ltd
1991年(平成3年)10月1日会社設立。1992年(平成4年)7月[6]7日開店。1999年(平成11年)[75]4月閉店。売り場面積2,037m²[6]。後、ヴァージン・メガストアーズVirgin Megastores
ヨーロッパ1号店[6]。中心地のピ力デリーサー力スに出店していたが、2000年(平成12年)初めには土地・建物を売却して撤退した[32]


  • バルセロナそごう SOGO Espana S.A.
1991年(平成3年)5月設立。1992年(平成4年)開店[6]。1996年(平成8年)閉店[75]。売り場面積7,400m²[6]
当時スペイン一高い高さ153mの「ザ・ホテル・アーツ・バルセロナ」も併設して運営していたが[6]、売却して撤退した[32]


  • ローマそごう
1989年(平成元年)開店[75]。1998年(平成10年)閉店[75]


  • ミラノ
1991年(平成3年)開店[76]


ビバリーヒルズのロデオドライブにショッピングセンターも出店していたが、2.25億ドルで買収したものを1.3億ドルで売却して撤退した[32]

構想はあったが出店を断念した店舗

北海道地方

  • 札幌そごう新館[32]

東北地方

  • 仙台そごう - 水島そごう時代[32]およびミレニアムグループの新店舗として仙台にそごうの出店計画が数度あったが、その後断念。
  • 郡山そごう - 1983年(昭和58年)1月に国鉄郡山駅前西口市街地再開発ビルの核テナントとして出店が決まり[88]、1984年(昭和59年)1月に郡山市が建設申請を提出して[89]同年10月に申請が受理されていたが[90]、1985年(昭和60年)4月に百貨店を核とする再開発計画に慎重派だった青木久市長が当選した[91]ため、1986年(昭和61年)1月出店断念[92]。予定地には2001年(平成13年)3月に郡山ビッグアイが落成[93]
  • 北上そごう - ツインモールプラザの核テナントとして川徳と出店を競り合ったがバブル崩壊により断念。ダックビブレ(現在はさくら野百貨店)が最終的に進出した。

関東地方

JR東日本との共同計画[94]。千葉市美浜区の幕張新都心にあるJR海浜幕張駅南側の約5,300m²に地上9階建てのビルを建設して出店する計画で約330億円を投じる計画であったが、採算性に問題があるとして計画を撤回した[94]。当初計画1996年(平成8年)春開店予定。1992年(平成4年)3月白紙撤回、断念。
  • 池袋そごう - 現在のサンシャインシティへの出店計画[48]。一度は出典が決定したが、池袋駅から地下道を通す条件がクリアできず出店断念[48]三越直営による「サンシャインシティ・アルタ」などが入居している。
  • 新宿そごう - 現在のタカシマヤタイムズスクエアの位置に出店計画があったが[32]賃料が坪3万円を超える見込みとなったことから採算が合わないとして出店を断念した[48]
  • JR東日本立川そごう[32] - JR東日本との共同計画。1993年(平成5年)12月出店発表(共同子会社設立合意)。当初計画1997年(平成9年)開店予定。JR立川駅南口の商業ビルの核店舗として入居予定だったが、1996年(平成8年)6月出店断念[32]。1999年(平成11年)に阪急百貨店との折半出資によるグランデュオが開業。
  • 橋本そごう - 現在のイオン橋本店(相模原市)近辺に位置する。JR橋本駅前市街地再開発の一環で、賃料坪単価8,000円以上と競合した近鉄百貨店の2倍の提示額で、地元の京王百貨店を含む競合を退けて1989年(平成元年)10月に出店が決定した[31]。1993年(平成5年)8月に出店凍結し、その3年後に出店契約を解約して正式に出店断念[31]
  • 横浜そごう新館(新・横浜スカイビル[32]) - 1992年(平成4年)6月出店凍結、自然消滅。1996年(平成8年)9月の竣工により丸井横浜東口店(現・マルイシティ横浜)が出店。
  • 港北ニュータウンそごう[32] - タウンセンター第2地区の開発計画の一環。コンペには他に横浜高島屋、西武、東急の3百貨店が参加していた。当初計画では建物面積約50,000m2、事業費約500億円。1995年(平成7年)開店予定だったが、その後出店を断念。
  • 北千住そごう - 北千住駅の再開発に向けて1988年(昭和63年)出店を発表したが断念し、2004年(平成16年)に丸井が出店。そごうが出店を断念し丸井が出店したのはマルイシティ横浜と北千住店のみである。

中部地方

  • JR名古屋そごう - JR東海と合弁で松坂屋とともに出店候補に挙がったが最終的にはジェイアール名古屋タカシマヤが出店。
  • 清水そごう - 狐ヶ崎ヤングランド跡地に1995年(平成7年)の開業を目指すも撤回。現在はイオン清水店。
  • 駿東そごう - (駿東郡清水町)バブル期に大東紡績三島工場跡地に東部地区最大の百貨店を計画。バブル崩壊により出店断念。その後ユニーとキミサワが出店を表明するも実現せず最終的には1997年(平成9年)にHome Assistを核とするサントムーン柿田川が開業。

近畿地方

  • 茨木そごう - JR茨木駅にほど近い日本たばこ産業の工場跡地に売り場面積85,000m²の百貨店の出店を計画して1991年(平成3年)に出店契約を結んでいたが、経営不振から計画が中止となった[31]。出店予定地にはマイカル茨木(現:イオン茨木ショッピングセンター)が建設され2001年(平成13年)より営業している。開店していた場合は当時最大規模となる郊外型百貨店だった。
  • 阿倍野そごう[32] - 現在のあべのキューズタウン(2011年(平成23年)4月26日開業:核テナントはイトーヨーカドーあべの店)の場所に出店を予定していた。
  • 中百舌鳥そごう - 南海高野線中百舌鳥駅前再開発への出店計画で西武百貨店と激しい争奪戦を繰り広げたが両社ともに経営悪化で進出を断念した[31]。1992年(平成4年)10月に出店が決定したが[48]、1993年(平成5年)7月出店断念。
  • 湊町そごう - 湊町駅前の再開発計画の一環。駅ビルの商業層への出店計画だったが、1992年(平成4年)6月に出店を凍結。
  • りんくうタウンそごう - 関西国際空港の対岸部の埋立地「りんくうタウン」に出店を計画[32]。1989年(平成元年)出店構想発表。1990年(平成2年)競合していた三菱地所近鉄グループと共同分譲を締結した。

中国地方

  • 伏見町そごう - 福山駅前の伏見町市街地再開発計画の核店舗として1990年(平成2年)11月に出店を決定した[48]。他社の進出を阻止するための出店計画との見方もされていた[48]
  • 防府そごう - 防府駅北東に位置する街区の再開発計画の一環。防府商工会議所が再開発会社「防府商業近代化株式会社」を設立し、防府市も全面協力という計画だった。当初計画では、建物は面積約20,000m2、初年度売上目標は百数十億円で、1984年(昭和59年)開業予定だったが、その後出店を断念した。同街区は現在、再開発によりマンションや中小規模の商店、防府市立図書館などが入居する複合施設「ルルサス防府」となっている。
  • 宇部そごう[32] - 宇部市役所前の新天町一丁目西地区市街地再開発計画の一環。当初構想は、地上14階・地下2階のオフィスタワー、地上8階・地下2階の商業棟(約30,000m2)、地上9階・地下1階の駐車場ビルからなる複合施設を建設するというもの。1988年(昭和63年)に出店表明、1991年(平成3年)に基本構想が宇部市より発表され、1993年(平成5年)の開業を目指していたが、既存の百貨店や地元商店街の反対を受け徐々に開発計画が縮小され、1994年5月に出店断念。

九州地方

  • 福岡そごう - 事前のコンペではそごうの出店がほぼ決定していたが、他地域とのバランス面や政治的な動き等により、三越福岡三越)となった。
  • 長崎そごう - 長崎県と国が造成していた長崎港元船地区埋立地への出店計画。1993年(平成5年)に出店を表明したものの、地元商店街からの激しい反対運動を受け、1994年に出店断念。
  • 鹿児島そごう - 関係者の話によれば1980年代後半から1992年(平成4年)頃に西鹿児島駅(現・鹿児島中央駅)前の一番街アーケード一帯のすべての街区をまるごと潰して再開発する構想があったようだが1993年(平成5年)以降は交渉が進展せず自然消滅した。順調に実現していれば、錦糸町そごう(現在のアルカキット錦糸町)と同時に開店する見込みだった。

海外

  • シドニーそごう - 熊谷組と共同で買収した土地にオフィスを併設する超高層ビルを建設し、その中に出店する構想であった[32]。現地ボンド・コーポレーションから買収したシドニーの中心部「パークプラザ」に出店を計画。1998年(平成10年)11月出店断念。
  • イスタンブールそごう - イスタンブール市街のタクシム広場周辺に出店を計画。1991年(平成3年)に出店を発表したが、その後断念。

イッツ・ア・スモールワールド時計(世界の人形時計)

テンプレート:出典の明記

ファイル:People in a fond farewell(Karakuri clock, YokohamaSOGO).jpg
最後のからくり運用時には横浜店では多くの客が集まった。
ファイル:Tokyo disneyland logo of SOGO clock.JPG
一部店舗で表記されている東京ディズニーランドのロゴ(画像は旧茂原そごうの物。)

東京ディズニーランドのアトラクション「イッツ・ア・スモールワールド」のスポンサーだったそごうの一部の店舗には、正時の約5分前になるとアトラクションに登場するからくり人形と共にテーマ曲である「小さな世界」を演奏する「イッツ・ア・スモールワールド時計」(世界の人形時計)が設置されていた。

1985年(昭和60年)に開業した横浜そごうを皮切りに一部の新規、既存店舗に国内店舗全18台、海外店舗全4台の計22台が設置された。全盛期には国内店舗のみ破綻前に閉店した柚木そごうを除く全17台、破綻後から運用終了にかけて10台稼働していた。設置された各店付近でモニュメントの存在となり、待ち合わせスポットとしても親しまれた。

店舗ごとにそれぞれデザインが異なっており、正方形(5×5マス)型・正方形(4×4マス)型・長方形(横)形・長方形(イッツ・ア・スモールワールド仕様で横)型の4種類がある。一部の店舗では時計の両端、もしくは上にカリヨンが併設されていた。

そごう破綻後、全盛期に稼働していた17台中の6台は撤去された。茂原そごうや奈良そごうのように撤去費用の面での問題があり撤去されていないもの一部あり、後者は壁で覆われている。人形の修繕工事も定期的に行っており、最初に導入した横浜そごうでは2006年(平成18年)に修繕工事を行った。時計の後ろにはメンテナンス用の扉があり人形の取り外しもできる。時計1つの金額は1億円以上と言われている。

以前、時計の有無にかかわらず全店で毎正時に館内放送で時報を鳴らしていた。曲は冒頭に同様の"It's a Small World"を流した後、時報案内のアナウンスが流れていた。

2008年(平成20年)4月15日を以って「老朽化のため」として、設置されている全店舗で時計のからくり機能の運用を一斉に終了した。この日、最後の運用時に各店舗の店長が観覧客に対して感謝の意を表した。奇しくもこの日は、東京ディズニーランド開園25周年の記念日である。

これらのからくり機能を楽しみにしていた子供達に対し、「おにんぎょうさんたちは、おやくそくがあって、おうちにかえることになりました。」と全てひらがなで書かれた終了告知が一般の告知と共に掲示された。なお、時計自体は撤去されず、文字盤の人形のみ4月15日以降順序撤去され、時刻表示のみの「鐘が鳴る大時計」として現在も使用されている。

そごうの公式ウェブサイトでは、そごう横浜店(横浜そごう)のページのみ4月16日付けで告知された。また、朝日新聞大阪本社版や神戸新聞でも報道された。

この措置はそごうが同アトラクションのスポンサー契約を同日を以って終了したことが実際の理由であり、案内文中の「おやくそく」とは契約の事、「おうちにかえる」は人形の撤去をそれぞれ指していると推測される。時計の下にあった「イッツ・ア・スモール・ワールド」関連の掲示物は全て撤去され、一部店舗の時計にあった東京ディズニーランドのロゴは時計の文字盤同様の色のステッカーを貼り付けて対応した。なお、太平洋SOGOの一部店舗では香港ディズニーランドのロゴ・仕様に変更(契約先の変更)した上で、現在も運用されている。そのため、太平洋SOGOが香港ディズニーランドのイッツ・ア・スモールワールドのスポンサーとなっている。

なお、この時計は同じくかつて東京ディズニーランドのスポンサーだったセイコー製である。

イッツ・ア・スモールワールド時計が設置されていたそごうの店舗

  • 正方形(5×5マス)型の設置店舗は○。
  • 正方形(4×4マス)型の設置店舗は●。
  • 長方形(横)形の設置店舗は△。
  • 長方形(イッツ・ア・スモールワールド仕様で横)型の設置店舗は▲。

日本のそごうの店舗

記号 フロア概要
横浜・川口・柏・茂原・多摩・柚木・豊田・奈良・西神・福山・呉・広島・徳島
大宮・加古川
千葉・神戸・小倉

日本国外のそごうの店舗(太平洋SOGO)

記号 フロア概要
台中廣三
台北忠孝館・中壢元化館・高雄

POSシステム

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ

  1. 1.00 1.01 1.02 1.03 1.04 1.05 1.06 1.07 1.08 1.09 1.10 1.11 1.12 1.13 1.14 1.15 1.16 1.17 1.18 1.19 1.20 1.21 1.22 1.23 1.24 1.25 1.26 1.27 1.28 1.29 1.30 1.31 1.32 1.33 『株式会社そごう小史 創業百五拾年』そごう、1979年12月。
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  6. 6.00 6.01 6.02 6.03 6.04 6.05 6.06 6.07 6.08 6.09 6.10 6.11 6.12 6.13 6.14 6.15 6.16 6.17 6.18 6.19 6.20 6.21 6.22 6.23 6.24 6.25 6.26 6.27 6.28 6.29 6.30 6.31 6.32 6.33 6.34 6.35 6.36 6.37 6.38 6.39 6.40 6.41 6.42 6.43 6.44 6.45 6.46 佐藤正忠 『そごう」に新しい神話がはじまった』経済界、1994年5月。ISBN 978-4766702514
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  65. “伊予鉄百貨店は3月1日付けで社名は伊予鉄高島屋に店名は「いよてつ高島屋」に変更”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2002年2月21日)
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  67. “そごう跡で玉屋が開店/にぎわい復活、市民安ど”. 四国新聞(四国新聞社).(2002年3月10日)
  68. “小倉玉屋きょう閉店 西新岩田屋はあす26日から閉店セール”. 読売新聞 (読売新聞社). (2002年12月25日)
  69. “小倉伊勢丹が開業記念式典/専門店街も10日オープン”. 四国新聞(四国新聞社).(2004年2月9日)
  70. “小倉伊勢丹が閉店 名残惜しむ来店客”. 西日本新聞 (西日本新聞社). (2008年3月26日)
  71. “小倉の顔“最後の切り札”「コレット井筒屋」開業 活性化へ大役担う”. 西日本新聞 (西日本新聞社). (2008年4月2日)
  72. “改装コレット ロフトが開業 北九州”. 西日本新聞 (西日本新聞社). (2009年3月11日)
  73. “黒崎商戦に一波乱 再開発ビル『メイト』完工”. 西日本新聞(西日本新聞社). (1979年10月3日)
  74. “九州一『メイト』開店 黒崎 ショッピングの新拠点”. 朝日新聞(朝日新聞社). (1979年10月7日)
  75. 75.0 75.1 75.2 75.3 75.4 75.5 75.6 75.7 川端基夫 『日系百貨店による海外ツーリスト市場戦略の再評価 : 欧州における 新しい変化』 商学論究 第58巻第4号 (関西学院大学商学部) (2011年3月10日)
  76. 76.0 76.1 柳純 『日系小売企業の海外展開と戦略』 佐賀大学経済論集 第45巻第1号 (佐賀大学経済学会) (2012年4月)
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  79. ウィキペディア英語版より翻訳
  80. ウィキペディア英語版より翻訳
  81. ビジネス&ファイナンス
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  83. “シンガポール 百貨店進出ラッシュ”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1990年10月6日)
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  88. “そごう郡山進出 郡山の将来性に着目 商業界に衝撃 進出阻止運動の動きも” 福島民報 (福島民報社). (1983年1月12日)
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  91. “市長選 青木氏が初陣飾る” 福島民報 (福島民報社). (1985年4月8日)
  92. “「郡山そごう」出店を断念 市の対応に不信感” 福島民報 (福島民報社). (1986年1月8日)
  93. “経済県都発展のシンボル 郡山駅西口再開発ビル 「ビッグアイ」落成式 駅前広場も完成祝う 滝のモニュメント、からくり時計” 福島民報 (福島民報社). (2001年3月23日)
  94. 94.0 94.1 館沢貢次 『総点検 JRという「株式会社」の真実 その将来性はどの程度の「買い」か?』 こう書房、1992年5月1日。ISBN 978-4769604488

関連項目

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外部リンク

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