読売新聞グループ本社
株式会社読売新聞グループ本社(よみうりしんぶんグループほんしゃ)は、新聞社を中心とする持株会社である。
概要
2002年(平成14年)7月1日に、当時の読売新聞社を持株会社たる当社と、新聞発行業務を行う純粋な事業会社たる「読売新聞東京本社」に分け、持株会社体制に移行。併せて子会社である株式会社よみうりを吸収・事業分野ごとに分割。これによって「読売新聞社」は、読売新聞を発行する読売新聞東京本社、読売新聞大阪本社及び読売新聞西部本社を指す総称となった。
現在は読売新聞グループ本社を持株会社とし、新聞発行業務を行う3本社、中央公論新社並びに読売ジャイアンツの運営母体・読売巨人軍を事業子会社とする企業集団となっている。また、持株会社化したことにより、3本社で唯一整理前から存続した大阪本社についても純粋な事業会社化し、同社が所有していた放送局などの株式を企業分割して吸収した。
前史
- 1874年(明治7年)11月2日 - 合名会社「日就社」から「讀賣新聞」創刊。
- 1917年(大正6年)12月1日 - 商号を「日就社」から「読売新聞社」に改称。
- 1924年(大正13年)2月25日 - 経営難から、前警視庁警務部長、正力松太郎が買収。
- 1934年(昭和9年)12月26日 - 正力が大日本東京野球倶楽部(プロ野球・東京巨人軍)を創設。
- 1942年(昭和17年)8月5日 - 報知新聞社を合併。
- 1947年(昭和22年)2月15日 - 大日本東京野球倶楽部の全株式を買収。読売興業に商号変更。
- 1950年(昭和25年)1月25日 - 読売興業から読売巨人軍が分離。
- 1951年(昭和26年)3月30日 - 読売巨人軍、読売興業に吸収合併。
- 1952年(昭和27年)11月25日 - 大阪讀賣新聞社によって大阪市で「大阪讀賣新聞」を創刊。
- 1959年(昭和34年)5月1日 - 読売新聞社が北海道札幌市に「読売新聞北海道支社」を設立、「讀賣新聞」の現地印刷を開始。
- 1961年(昭和36年)5月25日 - 読売新聞社が富山県高岡市に「読売新聞北陸支社」を設立、「讀賣新聞」の現地印刷を開始。
- 1964年(昭和39年)9月23日 - 読売興業が北九州市に「読売新聞西部本社」の名で「讀賣新聞」の現地印刷を開始。
- 1975年(昭和50年)3月25日 - 中部読売新聞社が名古屋市で「中部讀賣新聞」創刊。
- 1988年(昭和63年)2月1日 - 中部読売新聞社が読売興業に合併。
- 1992年(平成4年)6月22日 - 読売興業は株式会社よみうりに商号変更。
- 1999年(平成11年)2月1日 - 経営難に陥った中央公論社を買収し、中央公論新社を設立。
- 2010年(平成22年)10月1日 - 千代田区大手町の東京本社屋建替え・再開発工事の実施に伴い、中央区銀座6丁目17-1(日産自動車旧本社ビル)に仮移転。(電話番号は変更せず。専用郵便番号は「104-8243」に変更)3年強の暫定ではあるが39年ぶりに銀座に本社が復帰。
- 2014年(平成26年)1月6日 - 東京本社新社屋が完成し、仮社屋から移転。
大株主の状況
- 読売新聞グループ本社役員持株会 31.69%
- 公益財団法人正力厚生会 20.96%
- 社会福祉法人読売光と愛の事業団 9.78%
- 関根達雄(正力松太郎の孫) 7.83%
- 学校法人読売理工学院 6.03%
- 正力源一郎(正力松太郎の孫、正力亨の子) 4.97%
- 正力美緒 4.94%
- 小林梅子(正力松太郎の娘、小林與三次元社長の妻) 4.25%
- 小島あき 2.77%
- 正力峰子 1.96%
現在は、正力厚生会など3つの法人と個人94人の計97人が株主となっている。特に個人大株主には正力松太郎の子孫が多く名を連ねている。2011年度には、本社役員持株会、正力厚生会に次ぐ第3位株主だった正力亨(正力松太郎の長男)が8月に死去し、2011年3月期末時点で彼が保有していた11.86%の株式は譲渡・相続されたものと見られる。
役員の状況
- 代表取締役会長・主筆 渡邉恒雄 (株式会社読売巨人軍[1]取締役会長、日本テレビ放送網株式会社取締役、株式会社よみうりランド取締役)
- 代表取締役社長 白石興二郎(株式会社読売新聞東京本社代表取締役社長、株式会社読売巨人軍取締役オーナー)
- 取締役編集担当 老川祥一
- 取締役大阪担当 中村仁 (株式会社読売新聞大阪本社代表取締役社長)
- 取締役西部担当 太田宏 (株式会社読売新聞西部本社代表取締役社長)
- 常勤監査役 高羽延雄
- 監査役 山口信夫 (旭化成株式会社代表取締役会長、日本テレビ放送網株式会社取締役)
- 監査役 間部耕苹 (日本テレビ放送網株式会社代表取締役相談役)
- 副主筆 朝倉敏夫
- 執行役員営業担当 杉山美邦
- 執行役員社長室長・コンプライアンス担当 山口寿一
中核5社
その他関連会社・法人
- 中核5社を除く。順番は公式サイトに倣った。
- 株式会社報知新聞社(スポーツ報知[2])
- 株式会社スポーツ報知西部本社
- 株式会社福島民友新聞社 (福島民友)
- 株式会社旅行読売出版社
- 東京メディア制作株式会社
- 日本テレビホールディングス株式会社[3]
- 讀賣テレビ放送株式会社
- 株式会社シーエス日本
- 株式会社イカロス[4]
- 株式会社読売情報開発
- 株式会社読売タスク
- 株式会社読売インフォメーションサービス
- 株式会社よみうりコンピュータ
- 株式会社よみうりランド
- 株式会社読売旅行
- 読売ゴルフ株式会社(よみうりカントリークラブ)
- 財団法人読売日本交響楽団
- 読売文化センターユニオン
- 学校法人読売理工学院
- 株式会社プランタン銀座
- 株式会社東京読売サービス
- 大阪読売サービス株式会社
- 読売不動産株式会社(東京・有楽町の読売会館(よみうりホール、ビックカメラ有楽町店が入居するビル。かつては有楽町そごうが入居)を所有)
- 株式会社読売メディアセンター
- 株式会社ヨミックス
- 株式会社読売システック
- 読売香港有限公司
- 株式会社読売エージェンシー
- 社会福祉法人読売光と愛の事業団
特記
- 東京ドームや読売広告社は読売新聞の関連会社ではない(前者についてはよみうりランドの大株主であり、後者については、現在博報堂DYホールディングスを通じて資本関係あり)。読売広告社の名前は、元々は読売新聞の広告枠買付けから付けられたものである。
- 日本テレビ系列の各放送局の中で、札幌テレビ放送、福岡放送など資本・人事面等で読売新聞の影響が強い局も、「読売グループ」には名を連ねていない。
- 旧株式会社日本テレビフットボールクラブ(2009年(平成21年)9月撤退)は、読売サッカークラブ(日本テレビサッカー部)を前身としJリーグ発足後は東京ヴェルディ1969を運営していた。
- 全国紙で唯一EDINET上で決算を公開していない。グループ会社(株式会社読売新聞東京本社、株式会社読売新聞大阪本社、株式会社読売新聞西部本社など)の業績数値は対外非開示となっているが、「読売新聞グループ本社」の決算内容は同社が大株主である日本テレビ放送網や株式会社よみうりランドからの公告で間接的に発表している。
社旗・ロゴ
社旗は右上に三角形で赤と白のストライプ模様が描かれ、左下に白地・赤文字「讀賣」の文字が角ばったものが使われている[5]。これは讀賣テレビ放送の社旗にも一部流用されていた。
なおテレビ番組の提供クレジット、あるいは日テレG+における「ニュース&カルチャー」の時間での読売新聞製作の番組においては、以前は題字と同じ毛筆のものであったが、現在は青の丸文字の「読売新聞社」の字幕が使われている。
また、社章は丸に「讀賣」。かつては、ジャイアンツのユニホームの袖にワッペンが付いていた。
脚注
- ↑ 読売ジャイアンツの運営企業名
- ↑ 中部版は読売新聞東京本社・中部支社より発行
- ↑ 2012年10月1日に日本で第4の認定放送持株会社となり、日本テレビ放送網株式会社はこの措置によって同社傘下の事業子会社として分割・承継された。
- ↑ 旧社名は株式会社読売映像
- ↑ 丸文字「読売」バージョンも存在する(箱根駅伝の観客に配られる小旗などに使用)。
関連項目
- 読売新聞衛星版
- よみうり(旧中部、西部本社と読売ジャイアンツを運営していた)
- yorimo(会員制のインターネットポータルサイト)
- 新s(読売新聞・日本経済新聞・朝日新聞の3紙合同ニュースサイト)
- 東京箱根間往復大学駅伝競走(通称・箱根駅伝。東京本社前がスタート・ゴール地点になる)
- 東日本縦断駅伝(過去に開催。これも総合ゴール地点が東京本社だった)
- 北海タイムス(北海道の地方新聞。経営難の為1998年(平成10年)に廃刊。日テレ系列で、読売の支配下にある札幌テレビ(STV)を設立した関係からか、読売新聞が題号・商標等の権利関係を保有)