関口宏の東京フレンドパークII
テンプレート:Notice テンプレート:基礎情報 テレビ番組 『関口宏の東京フレンドパークII』(せきぐちひろしのとうきょうフレンドパークツー)は、1994年4月11日から2011年3月28日まで、TBS系列で毎週放送されたゲームバラエティ番組であり、関口宏の冠番組でもある。
2009年度以外は、毎週月曜日の19時台の枠で放送された。2010年度の放送時間は、月曜日の19:00 - 19:55 (JST)。毎日放送を含めたJNN各局が指定する「青少年に見てもらいたい番組」でもあった。[1] [2] [3] [4]
略称は「フレパ」[5][6]、「フレパー」[7] [8]、「TFP2」(Tokyo Friend Park 2の略で、番組ロゴとしても使用されている)。ハイビジョン制作(2010年5月31日放送分からは、アナログ放送はレターボックス形式で放送)、字幕放送(2002年4月8日より)。
本番組の前身であり、1992年10月12日から1993年9月20日まで同時間帯で放送されていた『ムーブ・関口宏の東京フレンドパーク』、そして本番組の放送終了直後に一部放送局で放送されていたミニ番組『後のまつり』についても、本項目で併せて記述する。
目次
概要
1992年10月12日に、TBSの19時台に設けられたバラエティー枠『ムーブ』の1番組として『関口宏の東京フレンドパーク』がスタート(「開園」)。視聴率は低迷し、1年で「休園」したものの、『ザッツ!・関口宏のPAPAパラダイス』を間に挟み半年後の1994年4月11日に再び現在の番組名で「再開園」を果たした。
体を使うミニゲームをテーマとしたテーマパークと言う体裁のバラエティ番組で、週替わりのゲストが2人のペア(番組末期は、映画やドラマの宣伝を兼ねた3人以上のゲストが出演することが多かった)で登場し、5つのアトラクションに挑戦し、最終コーナー「ビッグチャレンジ」で賞品を獲得するというのが主な番組の流れ。なお登場する際の音楽はほとんど固定だが、2006年3月6日には『魔法戦隊マジレンジャー』のテーマソングが使われていた。
ムーブ時代初期は男性ペアのみの来園であったが、第13回の森脇健児と三浦りさ子が初めての男女ペアでの登場となった。また、初の女性ペアの来園は、第15回の相原勇と千堂あきほの2人である。初の3人での来園は第32回のダチョウ倶楽部である。
番組内では司会の関口宏を「支配人」、渡辺正行を「副支配人」と呼び、ゲーム・ビッグチャレンジでの裁量権は全て関口が持っている。また関口は呼子笛を首から提げており、ゲームのスタート・ゲストや従業員への突っ込み・ハイパーホッケーのパックが飛んだりした時に吹き鳴らす。
一部系列局では不定期ながら再放送を行う場合もある。かつてはキー局のTBS(関東地方)でも土曜と日曜の昼頃を中心に不定期で再放送を行っていて一時期、長期間休止されていたが2009年6月14日に15:30-17:00の枠でスペシャルの再放送をし、再放送が復活した。その後は再び不定期に再放送が行われている。
TBSチャンネルにて、2009年6月1日より、毎週月曜21:00に『ムーブ・東京フレンドパーク』時代の番組が2010年5月10日まで再放送された。2010年3月までは本編終了後、その週の木曜日に地上波で放送予定分の番宣が流れていた(TBS系列局の受信できない地域(直接受信・ケーブルテレビとも受信できない場合のこと)では視聴できない。番組自体休止の場合は番宣の放送はない)。
番組のタイトルロゴ、オープニングテーマ、歴代のセット、CM入りジングル、金貨獲得時・不獲得時BGMと金貨のアニメーション[9]、エンディングテーマについては後述するため割愛するが、その他にも初期に変更があった。CM明けBGMとアトラクション開始時BGMについてはハイパーホッケー以外は第1回放送よりスペシャル含めて毎週同じもので固定されていたが、1994年4月初回放送時より使用されていたものが2000年4月10日放送で、その2000年4月より使用されていたものを後述の2005年10月に変更しているため、2度変更された。
TBS系列局のない地域について、レギュラーでの系列外ネットはなかったが、単発で数回放送を行った系列外局が存在する(秋田テレビ)。
演出
寸前CMを避け、ゲームシーンは極力ノーカットで編集しているが、グランドスラム達成時・『ムーブ・東京フレンドパーク』時代やスペシャル版中心に、ゲームシーンの間にCMを挟むことも多かった。また、演出テロップも少なめで、あくまでゲスト名などの表示、ゲームルールや結果など、必要最小限に留められているが、ムーブ最終回や最終回のみ、演出テロップは所々に使われた。
かつては番組CMで結果を表示するモニターに結果が映し出されてネタバレしていたことがあったが、後にモニターにザウルス君を映す、モニター部分を曇り画面に編集するなどをした。
番組のオープニングの挨拶は視聴者の来場を歓迎するイメージにあわせ、「ようこそ!『東京フレンドパーク』へ」となっていた。普通、観客は画面に映らないカメラの後ろにいるが、この番組では観客席を出演者の後ろに配置した。またエンディングでは支配人の「また来て下さい」の言葉と共にゲストと握手をする。大人数の場合は行われず、稀に副支配人とも握手する場合があった。
『ムーブ』時代はステレオ放送[10]が実施されていたが、『東京フレンドパークII』は、月曜第1期と木曜日時代ではモノラル放送(モノステレオ放送)が実施されていた。しかし、2010年3月29日放送分からステレオ放送に変更し、ステレオ放送実施は『ムーブ』時代を含めると16年半ぶりとなる。番組収録はAスタジオで行われ、『ムーブ』時代と1994年4月開始からの半年間は旧社屋Gスタジオで行われていた。
特別版
2003年から2006年までは1月2日(もしくは3日)に『新春特別営業』としてスペシャル版が放送されていたが、2008年12月のTBS社長定例記者会見で、2009年1月1日(木)にそれまで毎年放送されていた『スポーツマンNo.1決定戦』に替わり本番組のスペシャル版を放送することを発表。本番組最長の放送時間となる4時間半スペシャルが放送された。各界のスポーツ選手4チームの対抗戦で、ルールが多少変更された。東京フレンドパークのアトラクション一覧#2009年元日SPを参照。
視聴率
『ムーブ・東京フレンドパーク』時代は、わずか1年で終了したが、『東京フレンドパークII』は開始当初から高視聴率を記録した。絶頂期には、関東地区では20%前後を推移し(最高視聴率は1996年11月4日放送の26.0%)、家庭用テレビの過疎化が進み20%を取ることが難しくなった2004年以降も17%前後を記録するなど、TBSの人気番組の一つとして幅広い視聴者層をもった長寿番組である。 最後に20%越えをしたのは2005年9月26日SP放送の21%(関東地区)であり、2006年頃から木曜日20時台に移動する前の2009年3月までは平均15 - 17%で推移した。
関西地区では、放送開始当初は低迷していたものの、木曜日20時台に移動する前までは10%台後半を記録することもあり回によっては関東を上回ることもあった。
2009年4月からの1年間は、『総力報道!THE NEWS』の開始により、木曜20時台での放送となったが、視聴率は当初こそ12%前後と健闘していたものの、夏ころから10%を切ることも増え月曜第1期の頃より大きく下がり、2009年8月13日放送分では8.2%、9月10日放送分では9.0%、9月17日放送分では8.0%、9月24日放送分では8.9%など、2009年夏ころからは1桁になる回が連続して出るようになり、番組の人気に陰りが見えはじめた。そこでレギュラー版でも特別営業と遜色のないクラスのゲストを来園させたり、2チーム対抗戦を導入したり、ほぼ毎週行われていた「クイズ!ボディ&ブレイン」・「ハイパーホッケー」のマンネリ化を防ぐため、準レギュラーコーナーへ降格させるなど、ほぼ固定化していた番組の流れを変えるテコ入れを行ってきた。
2010年4月改編で『総力報道!THE NEWS』の終了により、同年3月29日からは、放送時間が再び月曜19時台へと戻された。しかし、視聴率は同年4月19日に最高視聴率13.8%を記録したものの、わずか1ヶ月で再び低迷し、平均7 - 9%で推移していた。
2度の放送枠移動、そして終了へ
2009年度・木曜20時台へ
2008年11月に、2009年3月30日より平日の17:50 - 19:50 (JST) の時間帯に2時間の報道番組『総力報道!THE NEWS』を放送することが明らかにされた。
これに伴い、本番組は放送時間を2009年4月2日以降は木曜日の20時台に移動することとなった[11]。これにより『クイズ100人に聞きました』(1979年4月 - 1992年9月)以来30年続いた「月曜日19時台の関口宏司会バラエティ番組」が終わり、同時にTBSの月曜日からは、ゴールデン・プライムタイムのバラエティ番組が姿を消した。
これにより、それまで木曜日20時台で放送されていた『うたばん』が本番組に押し出される形で移動となり、2009年3月で終了した『どうぶつ奇想天外!』に替わって日曜日20時台での放送となった。この他にも『うたばん』の放送枠をそのままにして空いた日曜20時枠に移動する提案も挙がっていたが、編成上の理由により木曜20時枠に移動することとなった。
2009年3月2日放送では、初めて枠移動のCMが、出演者(従業員)によるロシア民謡『一週間』の替え歌で発表された。
また、本番組が月曜19時台に復帰するまでの1年間は本番組のレギュラー陣がフジテレビ『ネプリーグ』(別時間帯でのスペシャル版を含む)にゲスト出演することがあった。
2010年度・再び月曜19時台へ
2010年3月26日で『総力報道!THE NEWS』が終了したのに伴い、同年3月29日放送分からは放送時間が1年ぶりに元の月曜日19時枠に戻された[12]が、放送開始時間は19:00となった。これにより、放送時間が4分短縮する上、平日夜7時台の全番組は、2002年4月以来続いてきたフライングスタートが廃止された。木曜日放送時代末期から取り入れられていた対抗戦が、正式にレギュラー化されたが3ヶ月で企画終了。前述の通り音声もステレオ放送へ切り替わった。なお、この放送日時再度変更の際の告知CMは、関口だけが木曜日(2代目の時間帯)に放送時間が移動したことを全く知らなかったという、放送時間変更が失敗したことを皮肉った内容になっていた。
2010年7月よりオープニングが一部簡略化され、従業員全員による「ようこそ、東京フレンドパークへ!」の挨拶の後、関口支配人、渡辺副支配人、田中従業員を映す状態から始まり、関口支配人、渡辺副支配人の挨拶を省略。すぐにゲストを紹介し、ゲストがジェットコースターに乗って登場して降りる時(大人数の時は、観客席中央から登場の時)にタイトルCGが流れる形式に変更されたり、さらに長年第一アトラクションだった「ウォールクラッシュ」を不定期に実施するなど新たなテコ入れを行った。
番組の終了
2010年10月に従来のアトラクションをリニューアルしたり、新アトラクションを登場させるなどして、事実上新装開園を実施したものの、視聴率を取り戻すことができず、2011年春改編で「閉園」することが明らかになり[13]、3月28日放送分の2時間生放送をもって『ムーブ』時代から、そして休園中に放送されていた『関口宏のPAPAパラダイス』を含めて18年半の歴史に終止符を打った。最終回は生放送で、過去の名珍場面を見せる一方、かつての来園者と『ハンチョウ〜神南署安積班〜』がアトラクションに挑戦、そして最後は全従業員が挨拶をした後、関口支配人が愛用の笛を床に置いた所で、スタジオ内のカノン砲から紙吹雪が発射されて大団円となった。視聴率は11.5%となり、久しぶりの2桁視聴率で終了となった。
後番組については、同年4月18日から歴史をテーマとしたバラエティ番組『世紀のワイドショー!ザ・今夜はヒストリー』に切り替わり、司会は引き続いて関口とオセロの松嶋尚美が務めることとなった[14][15][16]。
これにより関口が司会を務める月曜日19時台の番組は、1979年4月の『クイズ100人に聞きました』開始以来、『総力報道!THE NEWS』放送に伴う1年間の中断を挟んで通算32年目に入ることが決まった[17]が、半年で水曜日に追い込まれ、31年半で関口の月曜日19時台は終止符を打った。
渡辺は本番組終了を以って同枠から降板した。その半年後に同じく定期出演していたフジテレビ系列『クイズ!ヘキサゴンII』も終了した。『ヘキサゴンII』最終回ではコーナー毎の司会をダーツで決めるという形となり、本番組にちなんで、渡辺がダーツの進行役を務めた。その際、渡辺は本番組での関口の仕事を皮肉るような発言をしている(「笛を吹いて、『そこ違うよ』などと言うだけの役割だった」等)。
ホンジャマカは本番組晩年期において、本番組がコンビ揃っての唯一のレギュラー番組且つ仕事という状態だった。そのため、本番組終了後はコンビでの活動がほぼ皆無となった。
出演者(「従業員」)
- 「従業員」
- ホンジャマカ(恵俊彰、石塚英彦):ハイパーホッケーの対戦相手、アトラクションのデモンストレーションを担当。
- 西秋元喜[19]:前説担当(1999年10月 - 2011年3月)。2010年9月6日放送分は欠席。
- 小林豊(TBSアナウンサー):主に実況を担当していた(1993年5月 - 2011年3月)。[20]
- 田中みな実(TBSアナウンサー):女性従業員では史上初となるTBSアナウンサーが担当(2010年3月29日 - 2011年3月)。
- ※過去の女性従業員の行っていた業務[21]のほか、副支配人が行っていた一部のアトラクションのルール説明、2回以上出演(来園)しているゲストの、過去のウォールクラッシュの成績を紹介するなど、支配人、副支配人の補佐をする役割を担当。また「クイズバトル!ジダンダ」「クイズボディ&ブレイン」の問題読み上げを担当していた。
- ナレーション
- 元「従業員」
- フランキー為谷 番組開始からの従業員、ウォールクラッシュのデモンストレーションを担当(1992年10月-2008年11月)
- 乱一世(初代実況担当 1992年10月-1993年4月)
- 大東めぐみ(初代女性従業員 1992年10月-1993年9月)
- 芦田由夏(同上 1992年10月-1993年9月)
- 相原勇(1994年4月-1995年9月)-ムーブ時代に一回ゲストとして登場。
- 早川咲(1994年4月-1995年3月)
- 永田杏子(1995年4月-1996年9月)
- 三井ゆり(1995年10月-1996年4月)
- 蛭田有希子(1996年4月-1997年4月)
- 宝積有香(1996年10月-1997年3月)
- 大石恵(1997年4月-1998年3月)
- 津川友美(1997年4月-1998年12月)
- 金澤あかね(1998年4月-1998年9月)
- 岡本恵理(1998年10月-2002年9月。当初は「岡本恵理子」名義で出演)
- 山田玲奈(1999年1月-2002年9月)
- 横田佳織(2002年10月-2003年9月)
- 藤村春菜(2002年10月-2003年9月)
- 小川奈那(2003年10月-2004年10月)
- 小林恵美(2003年10月-2004年10月)
- 有村実樹(2004年11月-2006年10月)
- 市川円香(2004年11月-2007年1月)
- 青山玲子(2007年2月-2008年3月)
- 平井佳織(2007年2月-2008年3月)
- 真知りさ(2008年4月-2009年3月)
- 金ヶ江悦子(2008年4月-2009年3月)
- あまのまい(2009年4月-2010年3月)
- 虎南有香(2009年4月-2010年3月)
- 女性従業員は、定期的に入れ替えが行われている。初めて登場する際に、自己紹介・挨拶があるが、降板する際には引き継ぎはない。
変遷
担当 | 出演者(ムーブ版) |
---|---|
司会 | 関口宏/渡辺正行 |
デモ | ホンジャマカ(恵俊彰/石塚英彦)/フランキー為谷 |
実況 | 乱一世<~1993年4月>/小林豊<1993年5月~> |
女性 | 大東めぐみ/芦田由夏 |
担当 | 出演者(1994年度) |
---|---|
司会 | 関口宏/渡辺正行 |
デモ | ホンジャマカ(恵俊彰/石塚英彦)/フランキー為谷 |
実況 | 小林豊 |
女性 | 相原勇/早川咲 |
担当 | 出演者(1995年度) |
---|---|
司会 | 関口宏/渡辺正行 |
デモ | ホンジャマカ(恵俊彰/石塚英彦)/フランキー為谷 |
実況 | 小林豊 |
女性 | 相原勇<~1995年9月>/永田杏子/三井ゆり<1995年10月~> |
担当 | 出演者(1996年度) |
---|---|
司会 | 関口宏/渡辺正行 |
デモ | ホンジャマカ(恵俊彰/石塚英彦)/フランキー為谷 |
実況 | 小林豊 |
女性 | 永田杏子<~1996年9月>/三井ゆり<~1996年4月>/蛭田有希子/宝積有香<1996年10月~> |
担当 | 出演者(1997年度) |
---|---|
司会 | 関口宏/渡辺正行 |
デモ | ホンジャマカ(恵俊彰/石塚英彦)/フランキー為谷 |
実況 | 小林豊 |
女性 | 蛭田有希子<~1997年4月>/大石恵/津川友美 |
担当 | 出演者(1998年度) |
---|---|
司会 | 関口宏/渡辺正行 |
デモ | ホンジャマカ(恵俊彰/石塚英彦)/フランキー為谷 |
実況 | 小林豊 |
女性 | 津川友美<~1998年12月>/金澤あかね<~1998年9月>/岡本恵理<1998年10月~>/山田玲奈<1999年1月~> |
担当 | 出演者(1999年度) |
---|---|
司会 | 関口宏/渡辺正行 |
デモ | ホンジャマカ(恵俊彰/石塚英彦)/フランキー為谷 |
前説 | 西秋元喜<1999年10月~> |
実況 | 小林豊 |
女性 | 岡本恵理/山田玲奈 |
担当 | 出演者(2000 - 2001年度) |
---|---|
司会 | 関口宏/渡辺正行 |
デモ | ホンジャマカ(恵俊彰/石塚英彦)/フランキー為谷 |
前説 | 西秋元喜 |
実況 | 小林豊 |
女性 | 岡本恵理/山田玲奈 |
担当 | 出演者(2002年度) |
---|---|
司会 | 関口宏/渡辺正行 |
デモ | ホンジャマカ(恵俊彰/石塚英彦)/フランキー為谷 |
前説 | 西秋元喜 |
実況 | 小林豊 |
女性 | 岡本恵理<~2002年9月>/山田玲奈<~2002年9月>/横田佳織<2002年10月~>/藤村春菜<2002年10月~> |
担当 | 出演者(2003年度) |
---|---|
司会 | 関口宏/渡辺正行 |
デモ | ホンジャマカ(恵俊彰/石塚英彦)/フランキー為谷 |
前説 | 西秋元喜 |
実況 | 小林豊 |
女性 | 横田佳織<~2003年9月>/藤村春菜<~2003年9月>/小川奈那<2003年10月~>/小林恵美<2003年10月~> |
担当 | 出演者(2004年度) |
---|---|
司会 | 関口宏/渡辺正行 |
デモ | ホンジャマカ(恵俊彰/石塚英彦)/フランキー為谷 |
前説 | 西秋元喜 |
実況 | 小林豊 |
女性 | 小川奈那<~2004年10月>/小林恵美<~2004年10月>/有村実樹<2004年11月~>/市川円香<2004年11月~> |
担当 | 出演者(2005年度) |
---|---|
司会 | 関口宏/渡辺正行 |
デモ | ホンジャマカ(恵俊彰/石塚英彦)/フランキー為谷 |
前説 | 西秋元喜 |
実況 | 小林豊 |
女性 | 有村実樹/市川円香 |
担当 | 出演者(2006年度) |
---|---|
司会 | 関口宏/渡辺正行 |
デモ | ホンジャマカ(恵俊彰/石塚英彦)/フランキー為谷 |
前説 | 西秋元喜 |
実況 | 小林豊 |
女性 | 有村実樹<~2006年10月>/市川円香<~2007年1月>/青山玲子<2007年2月~>/平井佳織<2007年2月~> |
担当 | 出演者(2007年度) |
---|---|
司会 | 関口宏/渡辺正行 |
デモ | ホンジャマカ(恵俊彰/石塚英彦)/フランキー為谷 |
前説 | 西秋元喜 |
実況 | 小林豊 |
女性 | 青山玲子/平井佳織 |
担当 | 出演者(2008年度) |
---|---|
司会 | 関口宏/渡辺正行 |
デモ | ホンジャマカ(恵俊彰/石塚英彦)/フランキー為谷<~2008年11月> |
前説 | 西秋元喜 |
実況 | 小林豊 |
女性 | 真知りさ/金ヶ江悦子 |
担当 | 出演者(2009年度) |
---|---|
司会 | 関口宏/渡辺正行 |
デモ | ホンジャマカ(恵俊彰/石塚英彦) |
前説 | 西秋元喜 |
実況 | 小林豊 |
女性 | あまのまい/虎南有香 |
担当 | 出演者(2010年度) |
---|---|
司会 | 関口宏/渡辺正行 |
デモ | ホンジャマカ(恵俊彰/石塚英彦) |
前説 | 西秋元喜 |
実況 | 小林豊 |
女性 | 田中みな実 |
内容
アトラクション
各アトラクションには一定のノルマが設定されていて、それをクリアできれば時価10万円相当の金貨を1枚獲得できる[22]。ただし、男女のペアおよび女性2人のペアの場合、クリアとなる条件・ゲーム自体の難易度が低くなるアトラクションもある。また、早い段階でクリア条件を達成した場合は通常の金貨1枚に加え、更に提示された条件をクリアすることによって追加の金貨をもらえる「スペシャルチャレンジ」が行われる事もある。但し、スペシャルチャレンジの有無やチャレンジクリアのノルマは、関口との交渉次第やケースバイケースである。 2010年7月頃より一部アトラクションのクリア条件が変更されている。
これまでの金貨獲得枚数の最高記録は、1997年12月29日のヤクルトスワローズの12枚(グランドスラムも達成)、レギュラー放送では、2011年1月10日の読売ジャイアンツの9枚が最高[23]。
全てのアトラクションをクリアして「グランドスラム」を達成すると、スタジオが暗転してゲストにスポットライトが当たり、天井から大量の銀の紙吹雪(風船、紙テープは入っていない)が降り、ミッキーマウスとミニーマウスのぬいぐるみ(ゲストが多く来園した場合はドナルドダックとプルートのぬいぐるみも出てくる事がある。グランドスラムリーチになると、副支配人がミッキーのぬいぐるみを持ってプレッシャーをかけながら応援する)、全日空のビジネスクラス「CLUB ANA」によるアメリカ・カリフォルニアのディズニーランド旅行獲得となり、目録が贈られる。2008年11月のリニューアル以前はディズニーランド・パリ旅行であった。2009年10月のイロモネアSPや、2010年9月20日放送分のように大人数の場合は、ロサンゼルス往復航空券になる場合がある。
ただし「スペシャルチャレンジ」によって金貨が5枚以上になっても、他のアトラクションでクリアできないものが1つでもあれば「グランドスラム」にはならない。
また全てのアトラクションのクリアに失敗して「『逆』グランドスラム」を達成してしまったペアも存在する。
挑戦するアトラクションの順番は、基本的には以下の通り(『ムーブ』時代では、競技の種類、放送時間によっては全6アトラクション)。
- (週替わりアトラクション 「ウォールクラッシュ」か「ゴー!アップヒル」が多い)
- (週変わりアトラクション)
- (週変わりアトラクション)
- (週変わりアトラクション ほぼ「クイズ!ボディ&ブレイン」)
- (週代わりで「ハイパーホッケー」・「ビートザパイレーツ」)
ムーブ時代では、第2(または第3)アトラクションで「ウォールクラッシュ」が登場することもあった。第4アトラクションは、永らく「クイズ!ボディ&ブレイン」で固定されていた。後に「クイズ!ピクチャー5」が不定期で登場し、2009年頃からは第2 - 3アトラクション同様、週変わりのアトラクションが登場した。
ゲストが日本語をあまり理解できない、または通訳を要する外国人の場合(ボブ・サップやタフィ・ローズなど)や、ゲストの人数が多い場合(2005年9月12日放送のマッスル軍団4人組など)は、「クイズ!ボディ&ブレイン」が「アーケード5」(ミニゲームの集合体)などに変わる場合もある。例外として、ボビー・オロゴンが出演したときは、セイン・カミュがボディ&ブレインで通訳しながらクイズに挑戦した。
腰痛持ちの人が来園した場合、その負担軽減への配慮として、第1アトラクション(ウォールクラッシュ)が別のアトラクションに変更されるケースもあった。また、2010年4月以降は、「ウォールクラッシュ」が第1アトラクションでないことが以前に比べて多くなっている。
対抗戦(後述)では、基本的に以下の順番になる
- ウォールクラッシュ
- (週替わりアトラクション)
- (週替わりアトラクション)
- クイズバトル!ジダンダ
- ハイパーホッケー(スペシャルアトラクション)
『ムーブ』時代には第1アトラクションの前にオープニングアトラクションとして、ゲストの出演番組、映画宣伝のポスターをジグソーパズルにして制限時間内に完成させる「PRジグソーパズル」があった。なお、このアトラクションでは金貨獲得の対象ではなかった。
アトラクションの詳細については東京フレンドパークのアトラクション一覧を参照。
ビッグチャレンジ (BIG CHALLENGE)
番組最後のコーナー「ビッグチャレンジ」では、獲得した金貨1枚に付き1本の矢と交換し、ダーツに挑戦できる。金貨を交換せず持ち帰ることも可能だが、実際に金貨を持ち帰ったゲストはほとんどいない。高田純次(ベンガルと出演した「無印」の第4回)は金貨を一度持ち帰ったが、次に出演した際に持って帰った金貨を持参し、その回で獲得した金貨とともにダーツと交換していた。
金貨は1枚10万円相当の価値があるとされている。ダーツの矢は形式上、この金貨で「購入する」事になっており、ゲストがダーツと交換するときに支配人が「お買い上げありがとうございます」と言う。
ここでは、予めゲストが希望した数点の賞品を獲得できる機会が与えられる。賞品はペアの場合は2種類ずつ、3人の場合は一人だけ2種類の場合と全員1種類の場合があり、その他のスペシャル等では全員1種類ずつ購入価格20-30万円以下の物を希望できる。最近の希望賞品には旅行券や商品券などの金券が多く、その場合キッチリ20万円分と明記されている。芸能人によっては名目の違う2種類の旅行券を希望していた。希望できる商品が20万円相当のものであることは2009年11月22日放送のSUNDAY NIGHT FEVER内でも出演者が証言している。
また、運がよければ通常放送では自動車が貰える(後述)。毎回、渡辺の「運がよければこちらを差し上げます。後ろです。」で、カーテン(ムーブ時代は金色、TFP2前期は銀色、後に赤色)が落ち、車が登場する。尚、毎回石塚が車の隣にいるが、ムーブ最終回ではフランキー為谷が車の窓につかまっていた。
回転する的に向かってゲストがダーツの矢を投げ、矢が刺さったゾーンに書かれた賞品を獲得することとなる。ただし、的には賞品のほかに「たわし」というゾーンがあり、そこに矢が刺さってしまった場合は、クリアケースに梱包されたたわしをプレゼントされてしまう(ムーブ時代とTFP2の初期は、小さい木製の箱に入ったたわしをプレゼントされ、2個目以降はムーブ時代は紙に梱包され、普通に売られている状態のたわし、TFP2の初期は紙の梱包がない裸のままのたわしをプレゼントされた)。「たわし」ゾーンは、豪華賞品ゾーンの両サイドと的の中心に存在するので真ん中に矢が刺さると事実上はずれである。たとえコントロールの良いプロ野球選手でも商品を獲得できるとは限らない。アトラクションで金貨を沢山獲得したにも関わらず、その殆どをたわしに変えてしまうゲストもしばしば現れる。 例として、品川庄司は金貨4枚獲得したが、全てたわし(うち3つが「車」の隅にあった「たわし」の的)を当ててしまう珍事があった。さらに、2008年3月31日の嵐チームは、獲得した9枚の金貨のうち、7枚をたわしに変えてしまった。
また、矢が的から完全に外れた場合は何も得られず(大ハズレ)、そのゲストの名前がスタジオのセットの矢が刺さった位置に「←○○○○様」と半永久的に書き残されることとなる(過去に貼られた名前のところに矢が刺さると、副支配人が「○○○○さん(矢が刺さった所にあった名前)お持ち帰りです。」と言う事もある。初期にはテロップでも出したことがある)。矢が的に刺さっても、的の回転を止める前に矢が落ちた場合もハズレとなってしまう(ただし、矢の本体を残して羽の部分だけが落ちた場合はハズレにはならない)。まれに、ゲストが投げたダーツがとんでもない方向へ飛んだ場合、スタジオカメラマンがダーツを見失ってしまい、ダーツが刺さっていない壁面を撮影してしまうことがある。ちなみに「ムーブ」時代を含め、番組開始以来、大ハズレ第1号は『ムーブ』時代第5回の高嶋政宏だった。そのため、緒形幹太に交代してもう1度挑戦する権利(サイコロでいう振り直し権に相当する)を与えたことがある(結果はゴルフセットを獲得)。
ゲストが自動車・スペシャル賞品を獲得した場合、その後はダーツの的の豪華賞品ゾーンは「ラッキーゾーン」となり、そのゾーンに矢が当たれば、用意した賞品から好きなものひとつを獲得ができるが、2008年11月から自動車がダーツの矢1本につき1台獲得となってしまった為「ラッキーゾーン」は事実上廃止となったが、2009年12月17日のプロ野球スペシャルの視聴者プレゼントで、7つの商品の中から4つの賞品を獲得できる形式で登場した。番組中期までは「ラッキーゾーン」が存在せず、同じ商品が当選した場合はその数だけプレゼントされた。
なお、リクエスト賞品とたわしはダーツが刺されば何回でもプレゼントされる。矢を投げた後、テレビの画面には「(賞品名)獲得」「たわし獲得」「大ハズレ」といったテロップが表示されるが、同じ賞品やたわし、ハズレが複数回あった場合はテロップの上に小さく「またまた!」(2回目)や「またまたまた!」(3回目)というテロップが追加される。しかし、2010年10月以降は2回目で「また」、3回目で「またまた」となった。
2011年3月14日の代替放送分となった同年3月20日放送分以降は、東日本大震災発生の関係上、視聴者プレゼント分も含めたビッグチャレンジがカットされ、翌日の3月21日もコーナーはカットされたが、エンディングでゲストがパッソ獲得時に持つキーを持っていた。
視聴者プレゼント
毎週、挑戦後に番組宛にはがきを送った全国の視聴者の中から抽選で1人に賞品の獲得権が与えられ、ゲストが視聴者へのプレゼントのためのダーツに挑戦する。ダーツの矢を投げる前のハガキ抽選後にゲストがフライングで「おめでとうございます。」と言ってしまうこともあり、そのときは「まだ投げてないよ!」とか「まだ当たってません。」などと従業員から注意が入る。金貨獲得数とは別枠のため、ゲストの獲得金貨がゼロの場合も、視聴者のためのダーツ挑戦は行われる。ゲストの1人がハガキを選出して当選者の氏名を読み上げ、そして別の1人がダーツを投げる。ただしゲストの好みによる賞品のため、視聴者の年齢・性別によっては全く必要のないものがプレゼントされる可能性や、たわしをプレゼントされてしまうこともある。初期は、たわしに当たった場合、ダーツを投げたゲストが責任を持って自分の賞品と交換してプレゼントするよう支配人が促していたが、ある回でゲスト出演した古館伊知郎がこれに激怒して「バーカ!送ってやるよ!!」と悪態をついたのがそのまま放送されて問題となったことからこのような措置は取りやめとなり、かわりにお詫びとしてゲストがサインを書いてプレゼントするようになった(大ハズレの場合も同様。『ムーブ』時代では、的に当たるまで続けていく)。それに伴い、番組終了直前にゲストが視聴者へのお詫びにサインを書いて見せるシーンが放送されていたが、2005年以降はそのシーンが省略されている。
この視聴者用ダーツをやるきっかけとなったのはムーブ時代の第6回、番組宛に届いた一通のお便りからであった。このお便りを読んだ関口がお礼にとダーツの矢を投げ当たった賞品をプレゼントしたのが始まりで、それ以降番組ではダーツ用のあて先を用意することになった。その翌週からは視聴者プレゼント用の専用的(ゲストの希望商品やたわしは無く、ド真ん中も含め全ての的で何かしら良い商品が当たる仕様)が用意され毎週一枚のお便りに一本のダーツをゲストの一人が投げる現在のスタイルが形成されたが、視聴者もゲストと同じたわしつきの的になったのはムーブ時代の第9回から。このときに視聴者用の自動車プレゼントも登場し、初代の視聴者プレゼントの自動車はダイハツ・オプティであった。
1996年頃からは、視聴者プレゼント開始時に石塚英彦がダジャレを言うようになった。ゲストが獲得した金貨が0枚や1枚、あるいはダーツのほとんどがたわしやはずれだった場合「今日はダジャレを言う気にもなれません」ということもある。たびたび瞬間最高視聴率を記録し、TBSで毎週土曜日放送の『王様のブランチ』の中の「TBS瞬間最高視聴率ランキング」で毎週のようにランクインする。しかし、年が経つに連れ過去に言った同じダジャレを言うことも多くなった。そして、2010年4月以降は、ダジャレを言わなくなってしまった。
賞品の自動車の変遷
番組開始当初(ムーブ時代)は、「ダイハツ・ラガー」が3ヶ月、その後「ダイハツ・ロッキーR4」に変わった。その際の掛け声は無く、的の表示も「自動車」と言うシンプルなものであった。 また、視聴者プレゼントは「ダイハツ・オプティ」が用意されていた。
1993年4月(ムーブ時代)から2010年3月までは三菱自動車工業の4WD車「パジェロ」であった。応援団(番組観覧者)による「パジェロ!パジェロ!」の掛け声は番組の代名詞ともいえるほど広く一般に知られていた[24]。また、TFP2初期は、車はパジェロとFTOの2種類から選べることもできた。
横浜Fマリノス(日産自動車系)など競合他社が親会社となっているプロサッカーチームの選手が出演した場合は、これに配慮して他の賞品に変えたことがあった。
2004年6月に三菱ふそうリコール隠しが発覚した際は、三菱が一時スポンサーを降板したため(その後しばらくの間は当時の公共広告機構に差し替えられた)、2004年6月28日の放送分からはラスベガス10日間の旅に変更し、同年11月1日の放送分から2006年9月までは英国ランドローバー社の4WD車「フリーランダー」が賞品となっていた(2004年6月以前に収録したものでは、応援団が発していた「パジェロ!パジェロ!」の音声部分を「車!車!」と置き換える措置が採られた。2000年のリコール隠し事件発生時においても同様の措置を採った)。
また、視聴者プレゼントにおいては、ムーブ時代からTFP2初期はミラージュ、その後はパジェロミニ、パジェロジュニア、RVR、パジェロイオなどがプレゼントされたが、2004年6月以降は赤い的に書かれた自動車のゾーンが「全部」と書かれた黄色い的に変わり、矢が当たればゲストの希望賞品として用意した品物すべてをプレゼントしていた。なお、1996年3月までの放送分は、オープン懸賞(賞金・賞品)が100万円までと法律で規制されていたため、※100万円を超える金額に関しては、当選者の負担になります。とテロップが表示されていた。
2006年10月より三菱のスポンサー復帰及びパジェロのフルモデルチェンジに伴い同年10月16日放送分よりパジェロが再び賞品になった。ただし、視聴者プレゼントは全部のままであった[25]。2008年11月のリニューアルからは、従来1本で挑戦者の人数だけ[26]プレゼントされていたのが1本で1台となり、またパジェロがガソリン車からクリーンディーゼル車に変更された。
2010年4月5日放送分からは、トヨタ自動車のパッソ +Hanaに変更。掛け声も「パピプペパッソ!」(パッソのCMソングから取ったもの)に変わった。視聴者プレゼントもパッソとなり、約6年ぶりに視聴者プレゼントの豪華賞品が自動車に戻った。
対抗戦
2009年12月10日放送分から、特別企画として登場。
2チームによる対抗戦形式で、アトラクションも全て2チームが対決する仕様・ルールに変更。全アトラクション勝利で「グランドスラム」となる。
5アトラクション(2009年12月10日放送分は4アトラクション。特番では7アトラクション)実施。各アトラクション、勝利したチームに金貨が贈られ、獲得した金貨の枚数で総合優勝チームを決定。なお最終の「ハイパーホッケー」は最大2枚の金貨獲得で、逆転や同点決勝が見込めるアトラクションとなっている。
ビッグチャレンジは両チームが挑戦できるが、総合優勝チーム(勝ちチーム)は通常サイズの的で、敗れたチーム(負けチーム)は通常よりもかなり小さい的で、それぞれダーツに挑戦。ちなみに2009年12月10日放送分は、負けチームのダーツの的の中央の「たわし」部分のサイズも勝ちチームと同じであった為、的で「たわし」の占めるサイズがかなり大きかったが、2010年1月14日放送分以降は、周辺に合わせて中央の「たわし」も縮小、幾分か賞品を獲得し易くなった。なお視聴者のダーツは、勝ちチームが自チームの的で行い、「全部」に当たった場合は勝ちチームの希望賞品を全部獲得となる。
2010年2月25日放送では、大幅にルールが改められた。5アトラクション行うが、2チーム対決を行うのは第4アトラクションまで。そこで総合優勝を決めたチームが、獲得した金貨の増量(及びグランドスラム)を賭けたスペシャルアトラクション「ハイパーホッケー」に挑戦(負けチームは客席で観戦)という形式に変更。
ビッグチャレンジも、それぞれのチームの希望賞品(2010年2月25日・3月18日放送では1人1品だったが、同年3月11日放送では1人2品。これはペアの場合であり、3人以上では1人1品になると思われる)が記載された通常サイズの的が各チームに1枚ずつ用意されるが、挑戦できるのは勝ちチームのみである。負けチームが獲得した金貨は、お持ち帰りとなる。
2010年3月29日放送分からは、再び負けチームにもビッグチャレンジへの挑戦権が与えられる様になった。3月29日放送分では、ダーツ板に全チームの希望商品が書かれており、負けチームは「スペシャル賞品」に相当する部分が、当てた人が好きな賞品を1品獲得できる「ラッキーゾーン」となっている点だけが勝ちチームとの差異である。同年4月12日放送分では、負けチームのダーツ板は勝ちチームと同じ大きさではあるが、賞品エリアの外側がたわしゾーンとなり、賞品エリアが小さくなっている。また賞品は個人・2人共通の希望賞品の計3つとなった。
スペシャル版
「特別営業」と呼ばれているスペシャルは、原則として春・秋・年末年始の番組改編期に放送していた。3時間半[27]、3時間[28]、2時間半、2時間、1時間半のバージョンが放送されてきた。かつて1時間半ないし2時間半のバージョンでは、当時のTBSテレビ・JNN系列の夕方ニュース(『JNNニュースの森』→『JNNイブニング・ニュース』)が30分繰り上がったことがあったが、2004年12月の「貴乃花部屋親方衆」のときは、前枠の『JNNニュースの森』が18:00 - 18:30の短縮版と年末年始編成だったため、時間繰り上げはなかった。
2001年4月から2009年3月までと2010年4月以降は、『パナソニック ドラマシアター(旧・ナショナル劇場)』の繋ぎとして改編期に2週連続または2回スペシャルが放送されることもある。
スペシャル時はゲストメンバーの人数が通常時より多人数で、アトラクション数も6~9アトラクションと通常より多い。スペシャルならではのアトラクション「アーケード」も登場したり、アトラクション自体が、チームや放送時期にちなんだ装飾が施される場合もあった。「ビッグチャレンジ」における豪華賞品もいつもの自動車とは異なった賞品が用意されることもあった。
これまでに、以下のチームなどが出演した。
- 支配人・従業員が自ら挑戦(■は支配人・従業員)
- 関口宏■と渡辺正行■ - 1993年9月20日。『ムーブ』時代最終回の通常放送。
- コント赤信号としての渡辺正行■ - 1999年10月11日。通常放送。
- チーム・ホンジャマカ - 2010年1月28日。ワタナベエンターテインメントより、ホンジャマカ■、にしおかすみこ、山本高広、フォーリンラブ、我が家が登場。通常放送。
- アイドルユニット及び芸能人グループ
- SMAP - 1995年9月25日と2003年1月2日に来園。1回目は「アーケードx」(この時は、「SMAPスペシャルファイブ」というゲーム名)が初登場。2回目は「GOLD」と題し、OP・ED及びアトラクションの合間に、豪華なセットが置かれた控え室で作戦会議を行っていた。後にこのセットは、『うたばん』でも使用された。
- TOKIO - 2001年ファイトTV24・やればできるさ!の1コーナーで年長3人が来園。1997年9月29日と2003年10月6日のスペシャルに5人全員で来園。2回目はオープニングで「AMBITIOUS JAPAN!」を演奏した。
- V6 - 1996年9月30日、2005年9月26日に来園。
- 嵐 - 2008年3月31日。グランドスラムを達成するが、後述通り9枚の金貨の内7枚がたわしになってしまった。
- モーニング娘。 - 2000年12月30日SAMBA・TVの1コーナーで来園。その後、2002年9月23日のスペシャル(この日は後藤真希の卒業の日)にも来園した。クリアする毎に2枚(ハイパーホッケーは3枚)の特殊ルールが採用された。
- EXILE - 2009年4月2日
- 若手歌舞伎俳優 - 1997年10月6日。尾上辰之助、尾上菊之助、市川亀治郎、市川新之助
- 紳助豪遊仲間 - 1998年9月28日
- 堺正章とゴルフ仲間チーム - 2000年10月2日
- アッコ&紳助チーム - 2002年3月25日
- くりぃむしちゅーとおいしい仲間 - 2005年3月28日。くりぃむしちゅー、YOU、優香、アンタッチャブル
- 宝塚歌劇団・雪組「AQUA5(水夏希・彩吹真央・音月桂・彩那音。雪組から星組に移った凰稀かなめは出演せず)」 - 2010年4月5日・この番組がAQUA5として最後のテレビ出演となる。また客席を雪組の組員が占拠、番組史上初の「貸し切り営業」となる。
- 郷ひろみとアチチな仲間たち - 2010年10月4日。郷ひろみ・天野ひろゆき(キャイ~ン)・梶原雄太(キングコング)・具志堅用高・小島よしお・椿鬼奴・日村勇紀(バナナマン)が来園。
- 事務所単位で出演
- 吉本興業 - 1995年4月3日、1999年10月4日に来園。このときはウォールクラッシュのNGゾーンが「あきまへん」になる装飾があった。
- 東宝芸能 - 1996年4月8日(高嶋ファミリーが来園)、1998年3月30日
- 太田プロダクション - 1997年3月24日
- WAHAHA本舗 - 1997年12月22日
- ネプチューン&TIM - 1999年3月22日。ワタナベエンターテインメント)オープニングではメンバー全員が関口支配人に扮装して登場、TIMは人文字で「宏」を表現、堀内健はボケで「トラベルチャンス!!」と発した。
- オスカー美女軍団 - 2004年3月29日 オスカープロモーションより、米倉涼子、上戸彩、菊川怜、佐藤藍子、石川亜沙美、田丸麻紀。
- スポーツチーム
野球
- アテネオリンピック野球日本代表“長嶋ジャパン” - 2005年1月2日。宮本慎也、和田一浩、小笠原道大、清水直行、上原浩治、三浦大輔、石井弘寿、和田毅、岩隈久志
- プロ野球OB - 1994年12月26日
サッカー
- サッカー日本代表“ジーコジャパン” - 2005年12月26日。福西崇史、田中誠、宮本恒靖、三都主アレサンドロが来園。大黒将志も来園を予定していたが「ウォールクラッシュ」のリハーサル中に右足をひねり、来園を見合わせた。
- ラモスとその仲間たち - 2000年3月27日。ラモス瑠偉、松木安太郎、金田喜稔、水沼貴史、柱谷幸一、都並敏史が来園。
大相撲
- 大相撲関取チーム - 1996年3月25日
- 大相撲チーム - 1996年12月30日。 武蔵丸、水戸泉、小錦、武双山、魁皇、剣晃
- 貴乃花部屋親方衆 - 2004年12月27日。貴乃花・常盤山・大嶽・音羽山
その他のスポーツ
- バレーボール全日本女子“柳本ジャパン” - 2006年10月9日。スペシャルだがアトラクションが5つの珍しい回だった。グランドスラム達成。
- 世界陸上チーム - 2007年3月26日
- プロゴルファー仲良しチーム - 1996年9月23日
- レーサーチーム - 1998年12月21日。近藤真彦、片山右京、鈴木亜久里、土屋圭市
- K-1 Dynamite!! 格闘家軍団 - 2007年12月24日
- フィギュアスケーターチーム - 2009年5月7日。織田信成、安藤美姫、小塚崇彦、浅田真央
- 水泳日本代表 - 2009年8月20日
ノンジャンル
- 北京オリンピックメダリスト - 2008年9月29日
- スポーツ美女チーム - 1998年3月23日
- 松岡修造率いるアスリートチーム - 2003年3月31日
- TBS系列の番組出演者チーム
- 『水戸黄門』1994年9月26日 初のスペシャル版。第23部のメンバーが来園したが、弥七役の中谷一郎はリハビリ中のため不参加、同部第34話より復帰。グランドスラム達成
- 『渡る世間は鬼ばかり』 - 1995年3月27日、2001年3月26日、2002年9月30日、2004年9月27日、2006年3月27日。2001年3月26日放送分では、グランドスラムを達成。
- 『長男の嫁2』 - 1995年10月2日
- 『ふぞろいの林檎たち』 - 1997年3月31日
- 『里見八犬伝』 - 2006年1月2日
- 『花より男子2(リターンズ)』 - 2006年12月25日。 井上真央、松本潤、小栗旬、松田翔太、阿部力
- 『3年B組金八先生』 - 2007年9月24日。 武田鉄矢、杉田かおる、三原じゅん子、風間俊介、本仮屋ユイカ、中尾明慶、濱田岳
- 『流星の絆』 - 2008年10月6日。 二宮和也、錦戸亮、戸田恵梨香、要潤、設楽統
- 映画『涙そうそう』 - 2006年9月25日。 妻夫木聡、長澤まさみ、塚本高史。このときは、フラッシュザウルスがフラッシュシーサーになる等、アトラクションが沖縄仕様になっていた。
- 映画『ROOKIES-卒業-』 - 2009年5月28日 佐藤隆太、市原隼人、小出恵介、城田優、中尾明慶、高岡蒼甫、桐谷健太、佐藤健、五十嵐隼士、川村陽介、尾上寛之
- 『はなまるマーケット』 - 1998年10月5日
- 『ウンナンのホントコ!』 - 2001年10月1日
- 『日立 世界・ふしぎ発見!』 - 2003年9月29日 グランドスラム達成
- TBSアナウンサーチーム - 2006年4月3日 安東弘樹、海保知里、久保田智子、川田亜子、小林麻耶、青木裕子
- 『ウンナン極限ネタバトル! ザ・イロモネア 笑わせたら100万円』 - 2009年10月15日 ウッチャンナンチャン(内村光良・南原清隆)、有吉弘行、いとうあさこ、インパルス・板倉俊之、オードリー(春日俊彰・若林正恭)、狩野英孝、小島よしお、ザブングル(加藤歩・松尾陽介)、バナナマン(日村勇紀・設楽統)、森三中(大島美幸・村上知子・黒沢かずこ)、我が家(坪倉由幸・杉山裕之・谷田部俊)が出演。狩野・板倉・ザブングルは途中退場、入れ代わりでいとう・オードリー・バナナマンが加入した。ウォールクラッシュ、ビッグチャレンジを除き、イロモネアステージをクリアした芸人のみがアトラクションに挑戦できる特別ルール。
- 対抗戦スペシャル
- トップアスリート軍団4チーム対抗戦 - 2009年1月1日。 ゴルフチーム対世界選抜チーム対OB・OGチーム対野球チーム。優勝チームにはカリブ海クルーズ11日間の旅が贈られる。ルールについては東京フレンドパークのアトラクション一覧 #2009元日SPを参照。
- ハンチョウチーム対ブラッディマンディチーム - 2010年1月14日
- バンクーバーオリンピックチーム対タンブリングチーム - 2010年3月29日
プロ野球スペシャル
1995年からは毎年恒例で、プロ野球選手によるチームがフレンドパークのアトラクションに挑戦している。出演するのは主に同年の日本シリーズ優勝チームである。チームと結果(獲得金貨枚数)は次の通り。
- 1995年12月25日 - ヤクルトスワローズ(6枚)
- 1996年12月23日 - 読売ジャイアンツ(4枚) ※リーグ優勝。同年の日本一チームはオリックスブルーウェーブ
- 1997年12月29日 - ヤクルトスワローズ(12枚) ※プロ野球スペシャルで史上初のグランドスラム ※獲得金貨最高枚数
- 1998年12月28日 - 横浜ベイスターズ(石井琢、波留、鈴木尚、谷繁、斎藤隆、島田・8枚)
- 1999年12月27日 - 福岡ダイエーホークス(5枚)
- 2000年12月25日 - 読売ジャイアンツ(5枚)
- 2001年11月12日 - 大阪近鉄バファローズ(2枚)※リーグ優勝。※通常放送
- 2001年12月24日 - ヤクルトスワローズ(9枚)※チームとしては2度目のグランドスラム
- 2002年12月23日 - 読売ジャイアンツ(仁志、條辺、斉藤、元木、真田、阿部・6枚)
- 2003年12月29日 - 福岡ダイエーホークス(井口、岡本、柴原、斉藤和、和田、川﨑、新垣、田口・11枚)
- 2004年1月3日 - 阪神タイガース(金本、片岡、秀太、吉野、金澤、広澤・9枚)※リーグ優勝
- 2005年11月21日 - 千葉ロッテマリーンズ(清水、小林宏、里崎、今江、西岡・6枚)※通常放送。アジアシリーズ優勝翌日に収録したため、同決勝戦で故障した今江は一部アトラクションのみの参加。
- 2006年11月27日 - 北海道日本ハムファイターズ(金子誠、稲葉、森本、田中賢、八木・5枚)※通常放送
- 2008年12月1日 - 埼玉西武ライオンズ(石井一、涌井・3枚)※通常放送
- 2009年12月17日 - 読売ジャイアンツ(内海、亀井、越智、山口、松本、東野、坂本・5枚)※通常放送
- 2010年12月13日 - 千葉ロッテマリーンズ(井口、里崎、今江、西岡、清田・3枚)※通常放送。
日本シリーズ制覇やリーグ優勝とは関係なく来園
- 2010年2月18日 - 横浜ベイスターズ(清水、内川、吉村・2枚) 対 埼玉西武ライオンズ(石井一、片岡、中島・3枚)※通常放送。プロ野球スペシャル初の対抗戦。
- 2011年1月10日 - 読売ジャイアンツ(内海、山口、松本、東野、坂本、長野・9枚)※通常放送
- ※槇原寛己は1996年のプロ野球スペシャルの他、単独で4回。またスポーツチーム対抗戦で野球チーム主将として、この番組最多の6回の出場記録を持っている。
- ※2004年日本シリーズ優勝時の西武は、同グループ企業の西武鉄道に不祥事が発覚した時期だったため出場していない。また中日ドラゴンズの選手については、球団がTBSと犬猿の仲であるといわれている影響か、一度も呼ばれなかった(チームとしても[29]、日本代表メンバーとしても)。
番組内の主なアトラクションのルール
ミニ番組
2000年10月より、来園者のインタビューをメインとしたミニ番組を開始。『後のまつり』は月曜時代の本編放送後に、『ナビっち』は木曜時代の本編開始前に放送している。TBSでは全ての番組を通してエフ・ジェー・ネクストの一社提供。
後のまつり(第1期)
本編終了後の19:54から(実際には19:55:15 - 19:56:45)放送された(新聞等の番組表では特記されていないものの、編成上は別番組となる)。2005年3月までは北陸放送でも放送されていた。
従業員・西秋元喜が当日の来園者の楽屋を訪れ、来園者とその日の活躍を振り返るトークが中心。映画や舞台などのチームで来園した場合、番組本編ではなくここで宣伝が行われるケースがほとんどである。
なお、重大なニュースが入った場合はニュースに差し替えられる。特別営業や20:00から1時間以上の特番が組まれた場合は、この時間帯に『JNNフラッシュニュース』を放送したため休止した。
ナビっち → もうすぐ関口宏の東京フレンドパークII
2009年春の放送枠移動を期に、19:50からミニ番宣番組『ナビっち』内で同年4月23日開始(実際は4月2日に開始)。その後6月末で『ナビっち』木曜の放送が終了したのに伴い、番組表上では『関口宏の東京フレンドパークII』の放送開始時間が5分繰り上がる形式になっている。
TBS以外では、新潟放送・北陸放送・中部日本放送でも放送されていた。
内容は、2002年春に月曜18:55開始へ変更された当初設けられていた、従業員でTBSアナウンサーの小林豊による来園者インタビューの復活版を放送していたが、同年秋にはインタビューがなくなり、オーソドックスな本編予告に。
後のまつり(第2期)
月曜19時台に戻った2010年4月12日より「後のまつり」も復活したが、第1期と違って番組表等にも掲載されるようになり、名実共に単独番組となったのに加え、2時間SPなどの場合でも放送されるようになった。インタビュアーは同時期に新従業員となったTBSアナウンサーの田中みな実に交代した。なおTBS以外の局での放送はない。
グランドスラム関連の記録
グランドスラム達成者
グランドスラムを達成したゲストは全52組。そのうち、リクエスト賞品及び豪華賞品を1つも獲得出来なかったのは榊原郁恵と井森美幸(2007年11月5日放送分)のみ、車及びスペシャル賞品を射止めたのは11組である。なお放送回数は「TFP2」でのレギュラー放送のカウントとし、放送年度は当年4月から翌年3月までとする。
- 1994年度(4組)
- 定岡正二・角盈男(1994年9月5日・第22回)
- 「TFP2」初のグランドスラム。同時にビッグチャレンジで「パジェロ」とのW獲得も達成する。
- 水戸黄門チーム(佐野浅夫【出演当時69歳で最高齢】、あおい輝彦、野村将希、高橋元太郎、伊吹吾郎、由美かおる)(1994年9月26日)※スペシャル版
- 見栄晴・前田耕陽(1994年10月31日・第28回)
- 秋山幸二・松村雄基(1994年12月12日・第34回)
- 益戸育江(当時の芸名は高樹沙耶)・財前直見(1996年4月15日・第92回)
- 寺尾聰・西山浩司(1996年8月12日・第108回)
- 同時にビッグチャレンジで「パジェロ」とのW獲得も達成する。
- 村田雄浩・香川照之(1997年2月10日・第130回)
- 香川は2011年2月7日にも映画「あしたのジョーチーム」として出演したが、クリア出来ず、自身2度目のグランドスラム達成はならなかった。
- 松尾貴史・金山一彦(1997年2月17日・第131回)
- 番組初の2週連続グランドスラム。
- 1997年度(2組)
- 1998年度(3組)
- 中山雅史・大林素子(1999年1月25日・第217回)
- 柴田理恵・おさる(1999年3月1日・第222回)
- 九重親方・千代大海龍二(1999年3月8日・第223回)
- 史上2度目の2週連続グランドスラムであり、相撲の力士師弟でのグランドスラム。
- 1999年度(3組)
- もんたよしのり・グッチ裕三(1999年5月10日・第231回)
- 中条きよし・堤大二郎(1999年6月7日・第235回)
- 同時にビッグチャレンジで「パジェロ」とのW獲得も達成する。
- 工藤公康・薬丸裕英(2000年1月24日・第264回)
- 同時にビッグチャレンジで「パジェロ」とのW獲得も達成する。
- 2000年度(4組)
- ともさかりえ・藤原竜也(2000年4月10日・第273回)
- 東幹久・立河宜子(2000年7月24日・第287回)
- 佐々木主浩・谷繁元信(2001年2月12日・第312回)
- 渡る世間は鬼ばかりチーム(2001年3月26日)※スペシャル版
- 2001年度(3組)
- 加藤晴彦・優香(2001年4月9日・第318回)
- 同時にビッグチャレンジで「パジェロ」とのW獲得も達成する。
- ヤクルトスワローズチーム(古田敦也、高津臣吾、池山隆寛、石井一久、宮本慎也、山本樹)(2001年12月24日)※スペシャル版
- チームとしては2度目のグランドスラム。古田、高津、石井は揃って番組初の2度目のグランドスラムを達成。ビッグチャレンジでは、スペシャル賞品も獲得。
- 片平なぎさ・吉沢悠(2002年1月7日・第352回)
- 全アトラクションで失敗ぎりぎりまで追い込まれながらも吉沢の活躍でクリアするという劇的なグランドスラム達成となった。同時にビッグチャレンジで「パジェロ」とのW獲得も達成する。
- 2002年度(2組)
- ウルトラキャッツ(内村光良、ウド鈴木、大竹一樹、ジニー・リー)(2002年6月10日・第372回)
- 内村は、『ムーブ』時代にウンナンとして2度も挑戦して最後のアトラクション(ハイパーホッケー)で失敗したため関口の前髪を染めさせることは阻止され、2度目の出演の際に罰としてウンナンがスタジオ内の清掃係をさせられており、内村に取っては2度の雪辱を果たす形となったが関口の前髪を染めさせる事はなかった。また、大竹は、1年前の事実上の逆グランドスラム(金貨は一枚獲得)からアトラクション全てクリアし、グランドスラムを達成した。逆グランドスラムから、グランドスラムを達成してリベンジした例は初。
- 高橋克典・賀集利樹(2003年2月3日・第401回)
- 2003年度(5組)
- 中村勘太郎・中村七之助(2003年6月23日・第418回)
- 男性兄弟でのグランドスラム。
- 中西哲生・中村俊輔(2003年7月14日・第421回)
- 同時にビッグチャレンジで「パジェロ」とのW獲得も達成する。
- 日立 世界・ふしぎ発見!チーム(2003年9月29日)※スペシャル版
- 野々村は5年前の逆グランドスラムからアトラクション全てクリアし、グランドスラムを達成した。
- 水戸黄門チーム(由美かおる・原田龍二・合田雅吏)(2003年12月15日・第439回)
- 山本圭一(極楽とんぼ)・石井一久(2003年12月22日・第440回)
- 石井は3度目と番組最多記録。その石井は、2004年12月20日、2008年12月1日、2010年2月18日にも出演したが、4度目のグランドスラムはならなかった。史上3度目の2週連続グランドスラム。
- 2004年度(3組)
- 濱田マリ・京野ことみ(2004年5月10日・第456回)
- 寺島しのぶ・須藤理彩(2004年7月5日・第464回)
- 平山あや・山田優(2005年1月10日・第486回)
- 山田の弟の親太朗が2008年6月16日にグランドスラムを達成しており、姉弟揃って達成した。
- 2005年度(1組)
- WaT(2005年5月9日・第502回)
- 2006年度(4組)
- パンツェッタ・ジローラモ・山口もえ(2006年8月21日・第559回)
- ソニン・hiro(2006年9月4日・第561回)
- 全日本女子バレーボールチーム(2006世界バレー・開幕直前スペシャル)(2006年10月9日)※スペシャル版
- モンキッキー(現:おさる)・関根麻里(2007年3月19日・第584回)
- 難関アトラクション「ストッパーキューブリッジ」を初めてクリアしたペアでもある。また、おさる(モンキッキー)は史上5人目の2度目のグランドスラム。
- 2007年度(6組)
- 二宮和也・櫻井翔(いずれも嵐)(2007年7月2日・第598回)
- 同時にビッグチャレンジで「パジェロ」とのW獲得も達成する。
- 榊原郁恵・井森美幸(2007年11月5日・第612回)
- グランドスラム達成者で唯一ビッグチャレンジでの獲得商品なし。
- 伊達公子・ミハエル・クルム(2007年11月12日・第613回)
- 夫婦で参加してグランドスラム達成。ハイパーホッケーで場外のハプニングがあったものの、逆転勝利。史上4度目の2週連続グランドスラム。
- 上田桃子・諸見里しのぶ(2008年1月7日・第619回)
- 西堀健実・浅尾美和(2008年2月25日・第626回)
- 嵐(大野智、櫻井翔、相葉雅紀、二宮和也、松本潤)(2008年3月31日)※スペシャル版
- 大野、相葉、松本が初のグランドスラムで、二宮・櫻井は2度目のグランドスラムを成し遂げている。しかし、獲得商品は前回の二宮・櫻井の時とはうってかわって、9枚の金貨のうち7枚をたわしに変えてしまう。二宮は2008年10月6日のスペシャルに出演したが、史上2人目の3度目のグランドスラムはならず、遂に連勝記録がストップしてしまった。大野は2008年6月30日に、松本は2009年4月23日に出演したが自身2度目のグランドスラム達成はならなかった。
- 2008年度(4組)
- 白鵬翔・内藤大助(2008年6月2日・第638回)
- 同時にビッグチャレンジで「パジェロ」とのW獲得も達成する。白鵬は2009年7月2日、内藤は2008年12月22日に出演したが、どちらも2度目のグランドスラムはならなかった。
- 松嶋尚美(オセロ)・谷原章介・山田親太朗(2008年6月16日・第640回)
- 山田の姉の優が2005年1月10日にグランドスラムを達成しており、姉弟揃って達成した。
- 長野博(V6)・吉本多香美・五十嵐隼士(2008年9月15日・第653回)
- 香里奈・DAIGO・吉高由里子(2009年1月12日・第665回)※月曜日時代第1期最後のグランドスラム
- 香里奈は2009年7月30日にも「ドラマこち亀出演者チーム」として出演したが「ネヴァーワイプアウト」でクリア出来ず自身2度目のグランドスラム達成はならなかった。また2011年2月7日にも映画「あしたのジョーチーム」として出演したが、クリア出来ず、またしても自身2度目のグランドスラム達成はならなかった。
- 2009年度(木曜日時代)(1組)
- 2010年度(2組)
- ウエンツ瑛士・安藤美姫(2010年7月19日・第724回)※月曜日時代第2期最初のグランドスラム
- ウエンツは2005年5月9日にWaTとして出演して以来2度目のグランドスラム達成(2度目のグランドスラムは史上8人目)。
- 朝青龍・吉田沙保里(2011年2月28日)
- 最後のグランドスラム。
逆グランドスラム達成者(TFP2以降)
アトラクションを1つもクリアできなかったチーム。なお、『ムーブ』時代は逆グランドスラム達成者はなし。
- 大仁田厚・ぜんじろう(1994年11月14日・第30回)
- 番組初の逆グランドスラム。渡辺が「1投だけ投げさせてあげる」と言ったビッグチャレンジは視聴者用であったが、それでなんと視聴者に車を当ててしまった。
- 田村英里子・島崎和歌子(1994年12月19日・第35回)
- 久本雅美・瀬戸朝香(1996年9月16日・第113回)
- 加賀まりこ・野々村真(1998年7月6日・第195回)
- 前述通り、野々村は2003年9月29日に日立 世界・ふしぎ発見!チームでグランドスラムを果たした。
- 山城新伍・梅宮辰夫(1999年4月26日・第229回)
- 徳井優・筧利夫(2000年5月8日・第277回)
- 京本政樹・吉本多香美(2000年8月28日・第292回)
- 吉本は野々村に続き、2008年9月15日にグランドスラムを果たした。
- デーブ・スペクター・曙太郎(2002年5月6日・第367回)
- 間寛平・村上ショージ(2002年7月1日・第375回)
- 山口智充・大森玲子(2002年9月16日・第386回)
- いとうまい子・友近(2005年5月16日・第503回)
- 対抗戦を除くと最後の逆グランドスラム。
- 雨上がり決死隊(2010年2月25日・第706回)
- 唯一、対抗戦での逆グランドスラム。FUJIWARAとの対抗戦だったが、FUJIWARAはホンジャマカに敗れたため、グランドスラムにはなっていない。
また、さまぁ~ず(2001年2月26日・第314回)や布施明・華原朋美(2005年4月11日・第498回)のように、結果的にはアトラクションを1つもクリアしてない逆グランドスラムだが、スペシャルチャレンジの成功で金貨一枚を手に入れたケースもある。
2週連続グランドスラム
4度、2週連続グランドスラムが発生した。
- 1回目
- 村田雄浩・香川照之(1997年2月10日・第130回)
- 松尾貴史・金山一彦(1997年2月17日・第131回)
- 2回目
- 柴田理恵・おさる(1999年3月1日・第222回)
- 九重親方・千代大海龍二(1999年3月8日・第223回)
- 3回目
- 水戸黄門チーム(由美かおる・原田龍二・合田雅吏)(2003年12月15日・第439回)
- 山本圭一(極楽とんぼ)・石井一久(2003年12月22日・第440回)
- 4回目
- 榊原郁恵・井森美幸(2007年11月5日・第612回)
- 伊達公子・ミハエル・クルム(2007年11月12日・第613回)
複数回グランドスラム達成者
- 3回達成(番組最多記録)
- 石井一久
- 1回目…1997年12月29日(スペシャル版、ヤクルトスワローズチームで出演)
- 2回目…2001年12月24日(スペシャル版、ヤクルトスワローズチームで出演)
- 3回目…2003年12月22日(第440回、山本圭一と出演)
- 石井一久
- 2回達成
- 古田敦也
- 1回目…1997年12月29日(スペシャル版、ヤクルトスワローズチームで出演)
- 2回目…2001年12月24日(スペシャル版、ヤクルトスワローズチームで出演)
- 古田敦也
- 高津臣吾
- 1回目…1997年12月29日(スペシャル版、ヤクルトスワローズチームで出演)
- 2回目…2001年12月24日(スペシャル版、ヤクルトスワローズチームで出演)
- 古田と高津は2度とも同チームでグランドスラム達成。また3回達成の石井も2回目までは同チームだった。
- 高津臣吾
- 由美かおる
- 1回目…1994年9月26日(スペシャル版、水戸黄門チームで出演)
- 2回目…2003年12月15日(第439回、水戸黄門チーム(ただし前回とは違うメンバー)で出演)
- スポーツ選手以外で初の複数回グランドスラム達成。唯一女性での複数回グランドスラム達成者。
- 由美かおる
- おさる
- 1回目…1999年3月1日(第222回、柴田理恵と出演)
- 2回目…2007年3月19日(第584回、関根麻里と出演:出演当時の芸名モンキッキー)
- おさる
- 二宮和也
- 1回目…2007年7月2日(第598回、櫻井翔と出演)
- 2回目…2008年3月31日(スペシャル版、嵐として出演)
- 二宮和也
- 櫻井翔
- 1回目…2007年7月2日(第598回、二宮和也と出演)
- 2回目…2008年3月31日(スペシャル版、嵐として出演)
- 櫻井翔
- ウエンツ瑛士
- 1回目…2005年5月9日(第502回、小池徹平と出演)
- 2回目…2010年7月19日(第724回、安藤美姫と出演)
- ウエンツ瑛士
スタッフ
- 構成 : 原すすむ、恒川省三、池田裕幾、杉山王郎、村上知行、高木英幸、黒田順子、三好千春、南恵子、海老根豊、今瀧博之、石津聡、酒井健作
- 問題 : 道蔦岳史
- 音楽 : 大森俊之、服部隆之
- TM : 丹野至之(以前はTD担当)
- TD : 寺尾昭彦
- カメラ : 早川征典
- VE : 高橋康弘
- 音声 : 小澤義春、森和哉、宍戸創
- 照明 : 高木亘、佐藤友泰
- 編集 : 小川義也
- MA : 横田良孝
- 効果 : 新谷隆生
- 美術プロデューサー : 渡邊秀和(以前は美術制作担当)
- 美術デザイナー : 石井健将
- 特殊装置 : 山田敏章
- 装置 : 鈴木匡人
- 装飾 : 田村健治
- 電飾 : 澤田稔
- 持道具 : 貞中照美
- 衣裳 : 岡崎貴子
- CG : 岩崎和弘
- ゲーム制作: Jammy
- 衣裳協力 : ナイキ
- 協力 : TRIM
- ソフト協力 : トレンディ
- 公開担当 : 松元裕二、廣中信行(どちらか1人で担当、2人同時担当もある、現在は松元が多い)
- TK : 田中理奈子
- 編成 : 宮尾毅
- AP : 橋本美和、水上智栄子
- ディレクター : 阿部義彦、杉山貴久、田村恵里、小林礼治
- チーフディレクター : 渡辺信也
- プロデューサー : 木田将也
- チーフプロデューサー : 近藤誠
- 製作著作 : TBS[30]
過去のスタッフ
- チーフプロデューサー : 渡辺香→鶴岡滋之→荒井昌也→利根川展
- プロデューサー : 石川滋(初代・立ち上げプロデューサー)、赤木準平、鈴木孝之→鶴岡滋之→鈴木聡→西川永哲
- チーフディレクター : 中野匡人
- ディレクター : 吉田啓良、安田淳、江本稔、富田瑞穂、篠塚純、黄地久美子、時松隆吉
- 編成 : 村口太郎
- 構成 : 乾雅人、三浦昭彦、塚田均、竹内きよのり
- 音楽 : 服部隆之(1999年のBGMリニューアルから2005年9月の再リニューアルまで)、吉田治シルバーライニング
- TM : 中澤健、鳥井隆
- TD : 中澤健、伊東修
- VE : 長谷川晃司
- 音声 : 高橋進、平井郁雄
- 照明 : 正木正登、伊倉邦夫
- 編集 : 松尾茂樹、菅野淳悟、新井直樹
- MA : 斉藤義弘
- CG : 長沼孝仁
- 美術プロデューサー : 西川光三
- 美術デザイナー : 藤井豊、飯田稔
- 美術制作 : 渡辺秀和、川崎光紘
- 装置 : 小穴健一
- 装飾 : 芳賀基広、竹原丈二、門間誠
- 電飾 : 片平達也、田谷尚教
- 衣裳 : 早船光則、小林善成
特記事項
ムーブ時代
『ムーブ』時代として第1回目(1992年10月12日放送)のゲストは田原俊彦と坂上忍だった。
TFP2以降はデジタル的なゲームもかなり増えたが、『ムーブ』初期のものは、かなりアナログ的なアトラクション(例:パワーしりとり〔=2人が交代でしりとりを物で行うゲーム〕など)があった。ハイパーホッケーなどの実況は乱一世で、「ビッグチャレンジ」での豪華賞品は、ダイハツのラガーだった。この頃観客の車コールは無く、ドラムロール音だけの中でダーツの矢を投げた。初めてダイハツ・ラガーの的に的中させたのは、『ムーブ』第2回の布施博だった。その後1993年1月には、ダイハツのロッキーに、1993年4月から、三菱自動車のパジェロになった。
ウッチャンナンチャンがハイパーホッケーをクリアできず、翌週の放送分で番組アシスタントをしたことがある。経緯は「クイズ100人に聞きました」の項目の補足を参照のこと。
『ムーブ』時代の最終回は支配人の関口と副支配人の渡辺がゲストとして参加し、ホンジャマカが司会となった(石塚が「支配人代理」、恵が「副支配人代理」)。また、この回のみ、ところどころ演出テロップを使用した。
関口・渡辺はグランドスラム目前まで進むも「ハイパーホッケー」でホンジャマカに完敗。有終の美を飾ることはできなかった。
TFP2以降
TFP2として第1回目(1994年4月11日放送)のゲストは布施博と柳沢慎吾だった。
2003年4月28日放送分まで、番組本編では全く触れない視聴者参加のキーワードクイズがあった。アトラクションの機械に貼り付けてある5つのキーワードを書いて、はがきかインターネットで応募。正解者の中から抽選で番組グッズが貰える、というもの。
最終回直前までの最多ゲスト出演は、松村邦洋、えなりかずき、勝俣州和の8回。松村とえなりは最終回SPにも出演したが、松村は阪神タイガース選手が出演の時の応援ゲストにも呼ばれたため、総出演回数は10回となっている。
2003年5月26日放送分にIBC岩手放送のテレビマスターが宮城県沖で発生した地震でSTL回線が故障し、テレビ放送が約3時間中断。実はこの日の19時台に当番組があった為、この週末に岩手ローカルで放送した。
2009年10月22日放送分に出演した北島三郎が当時73歳で、これまでの最高齢出演者だったが、それから1年後、2010年10月18日放送分の水戸黄門スペシャルで水戸黄門役の里見浩太朗が73歳10ヶ月で最高齢出演者の記録を更新した。最年少出演者は、2010年2月11日放送分に出演した加藤清史郎の8歳(スケジュールの都合で第2アトラクションまでの参加)。ウォールクラッシュでは0点エリアの上部にある青い星を触れば10点獲得、フラワーボールは7個ではなく5個入れればクリアという「こどもルール」とした(どちらも成功)。
1999年は、開園7周年記念(ムーブ時代含む)として、以下の催しを行った。
- 1999年11月15日の放送(通常の1時間枠)では、一般視聴者代表チームが2チーム登場し、対決したこともあった。この回ではハイパーホッケー以外の4種目でそれぞれ成績の良かったチームに金貨が与えられ、金貨数の多いチームがハイパーホッケー挑戦権を得られた(ハイパーホッケーは、勝利チーム対ホンジャマカの対戦)。ママさんラグビーチームと幼稚園先生チームとの対戦で、結果は幼稚園先生チームの圧勝。
- 視聴者にアトラクションを開放した。番組が指定した5つのアトラクションから2つを選び、挑戦していた。ビッグチャレンジも行っていた。
2006年4月3日のTBSアナウンサー大会では「その場抽選システム」が採用された。これは同賞品を4つ用意。当たった自分とあと3人を抽選で決めると言うもの。
2006年8月7日放送のペナルティが出演した回では、獲得した金貨3枚と視聴者分も含め全て「バーベキューセット」の的に当たる珍事があった。このときの最高視聴率も視聴者分の「バーベキューセット」の的に当たった瞬間だった。
2008年2月放送で今田耕司が自分の希望した大型テレビを当てたが、視聴者プレゼントにて、たわしを当ててしまい一日悩んだ挙句、東野幸治に後押しされ[31]、自ら当てたテレビを視聴者にお詫びの手紙を添えてプレゼントしたという(エンディング時に、たわしを当ててしまいスタジオが沈んだ空気になった際、同じく出演していた千原ジュニアが今田のテレビと交換することを勧めようとしたが、今田が本気でテレビを欲しがっていた為、諦めた)[32]。
2008年3月17日放送のアンガールズと野久保直樹が出演した回では、獲得した金貨3枚で「パジェロ」の的と「ラッキーゾーン」の的と「冷蔵庫」の的に当たるラッキーな珍事があった。
2008年6月30日放送の大野智と生田斗真が出演した回では、4枚の金貨を獲得しビッグチャレンジに挑戦し、1枚はたわしだったが、それ以外はすべて液晶テレビに当たるというラッキーな珍事が起こった。それだけにとどまらず、視聴者へのプレゼントダーツも液晶テレビが当たり、4連続で同じ賞品が当たるという事態になった。
2008年7月7日放送の地上デジタル推進大使が出演した回では、通常のビッグチャレンジとは異なり、すべて視聴者プレゼントとして「液晶テレビ」(5種類のサイズ)が獲得した金貨の枚数分の人数(最大5人 全クリアの場合でもグランドスラム達成はなし)が当たる特別企画を行ったが、このとき獲得したは金貨は3枚だったため視聴者に当たる人は3人となった。しかし、先週の放送とは一変し、液晶テレビ、たわし、ハズレがそれぞれ出るという明暗がはっきり分かれる結果となった。たわし獲得およびハズレの方には「液晶テレビは自腹で買って下さい」という旨のメッセージが伝えられた。このときの抽選・ダーツ投げはTBSと日本テレビを除く民放各局のアナウンサーが行った(NHKと日本テレビのアナウンサーは局内規定により同コーナーには参加せず、スタジオを離れた)。
2009年4月2日放送のEXILEスペシャルの視聴者プレゼントでは、抽選をしてダーツに当たれば(といっても、ダーツ板の少しのスペースがたわしで、ほとんどのエリアが当たりだった。ただダーツ板に刺さらなければハズレ)メンバーのお勧めのグルメが当たるという物だった。東京近郊の店のお食事券で、遠方の当選者には交通費付きでプレゼントされ、吉野家の牛丼、ケーキは100個分プレゼントされた。またダーツに関係なく、メンバーが番組出演のために作り着ていたジャージを抽選でプレゼントした。
2009年9月10日放送で、木村佳乃の投げた矢がダーツ板の淵と、淵の断面を隠す為に貼ってあるテープの間に刺さる。しかもパジェロとたわしの境目に刺さっており、判定が微妙になる。ややたわし寄りに刺さっている様にも見えたが、よく見るとパジェロのエリアに傷があり、刺さらずに滑ってこの様な所に刺さったと推測され、支配人の判断でパジェロ獲得となった。前者のケースは特殊だが、賞品と賞品orたわしエリアの境目に矢が刺さる事が多くあり、その際は支配人の判断となる。
2010年1月28日放送で、チーム・ホンジャマカのハジメ(フォーリンラブ)が、パジェロとたわしの境い目に当て、支配人判断でパジェロ獲得。それを受けて、恵が前述のアンガールズ・野久保直樹がパジェロ、パジェロ獲得後のラッキーゾーンに連続で当てた前例を話したところ、次に投げた石塚も連続でパジェロを獲得、恵の予言が当たった形となった。もちろん支配人・従業員(石塚)が自ら挑戦し、パジェロを獲得したのは番組史上初の出来事である。
2011年3月14日放送分(ゲスト:高嶋政伸・加藤ローサ・佐藤健・山崎樹範)は、東北地方太平洋沖地震関連の報道特別番組(『Nスタ』拡大)のため、休止となった代替として、同年3月20日の14:00 - 14:55に一部地域を除き放送されたが、通常実施している文字多重放送を実施しなかったり、「ビッグチャレンジ」のカットなど、「通常とは異なる内容で放送しました」という断りテロップでその旨を案内した。なお、同3月21日放送分(ゲスト:藤あや子・坂本冬美)でも「ビッグチャレンジ」はカットされたが、この回ではゲストが同コーナーで「パッソ」を獲得しており、エンディングの最後で目録となる鍵の模型を持っている場面が映されていた。なお、バラエティ番組は民放各社で再放送されることがあるものの、番宣をかねているためその際には一部の文字テロップを差し替え・「当番組○○スペシャル○○月○○日放送!」などのような後付けの文字テロップを常時表示をしたりしているが、関東地区のTBSテレビにおいては、これらがなく番組内容を一部カットしただけの形で再放送が行われたのは2006年6月に再放送された「オールスター感謝祭」以来4年9ヶ月ぶりのことであった(前述の通り、この間にもフレンドパークの再放送は何度も行われたが、その時はすべて番宣をかねていた)。
歴代タイトルのロゴ
- 「ムーブ 関口宏の東京フレンドパーク」
- 全回変更なし:1992年10月12日 - 1993年9月20日
- 「関口宏の東京フレンドパークII」
- 初代:1994年4月11日 - 1998年3月30日
- 2代目:1998年4月6日 - 2011年3月28日
- 現行の番組タイトルロゴは「TFP2」の下に小さく「関口宏の東京フレンドパークII」と描かれているが、数字が統一されていない(前者は算用数字、後者はローマ数字)。ロゴのデザインはアメリカのスポーツ専門チャンネル『ESPN』の模倣的デザインである。
歴代オープニングテーマ
- 「ムーブ・関口宏の東京フレンドパーク」
- 全回変更なし:1992年10月12日 - 1993年9月20日
- 「関口宏の東京フレンドパークII」
- 初代:1994年4月11日 - 1998年3月30日
- 2代目:1998年4月6日 - 1999年9月20日
- 前述の通り、同時にタイトルのロゴも一新。
- 3代目:1999年10月4日 - 2005年9月12日
- 同時に金貨獲得・獲得不達成時のBGM・金貨のアニメーションとCM入りジングル、エンディングBGMも一新。
- 4代目:2005年9月26日 - 2010年3月18日
- 同時に一部のテロップを一新。
- 5代目:2010年3月29日 - 2011年3月28日
- 4代目のアレンジ
歴代スタジオセット
ムーブ時代から「II」最初の半年間の1994年9月19日放送までは赤坂TBS本社旧社屋Gスタジオ、同年10月10日放送から2011年3月放送までは赤坂TBS本社現社屋Aスタジオで収録されていた。
- 「ムーブ 関口宏の東京フレンドパーク」
- 1992年10月12日 - 1993年9月20日
- 第14回に、「ハイパーホッケー」専用のセットが作られた。同時に、「ハイパーホッケー」時にホンジャマカが登場するドアも作られた。その他にも、「巨大もぐらたたき」、「フール・オン・ザ・ヒル」専用のセットもあった。
- 「関口宏の東京フレンドパークII」
- 初代:1994年4月11日 - 1995年3月27日
- 1994年秋のTBS社屋移転時もそのままセット流用、その際に一部マイナーチェンジが行われている。
- この「II」初代セットでは、ムーブ時代同様「クイズ!ボディ&ブレイン」はモニター前で行われていた。
- ただし、初代にあった「フール・オン・ザ・ヒル」専用のセットはなかった。
- 2代目:1995年4月3日 - 1996年3月25日
- 旧社屋時代よりこの2代目までは、観客席が数ヶ所に分かれていて、「フール・オン・ザ・ヒル」専用のセットがあった。
- ドア(「ハイパーホッケー」でホンジャマカが登場する所)の配置が「ウォールクラッシュ」のセット近くに設置されるようになり、「クイズ!ボディ&ブレイン」は観客席前で行れるようになった。
- 3代目:1996年4月8日 - 1997年3月31日
- この3代目セットから観客席の配置が現在の位置に定着して、1ヶ所に統一された。ゲストの成績表示が設置されるようになる。
- 4代目:1997年4月7日 - 1999年9月20日
- 2代目の番組タイトルロゴ「TFP2」がセットの一部に登場し、前述の通り、翌年の1998年4月から正式に番組タイトルロゴになった。ゲストの各アトラクションの成績で使用されている(テロップとスタジオの成績ボードで、スタジオの成績ボードは2005年9月のテロップやBGMがリニューアルするまでに使用している)。
- この代から、「フール・オン・ザ・ヒル」は、モニター前で行われるようになった。
- この代まで、スペシャル版の「クイズ!ボディ&ブレイン」は、別のセットで行われていた(背景がゲストに合わせて装飾されていた)。
- 5代目:1999年10月4日 - 2005年9月12日
- 歴代のセットでは最も期間が長かったセット(6年間)。
- 放送時間が5分早まった2002年4月に、ドアのデザインのみ変更された。
- 6代目:2005年9月26日 - 2008年11月3日
- 番組の一部テロップリニューアルに伴い変更されたセット。この代のみ、ドア(「ハイパーホッケー」でホンジャマカが登場する所)は観客席に挟まれていた(つまり、ドアとモニターの間、ドアとウォールクラッシュの壁の間にも観客席があった)。
- ゲストの成績表示がモニターでの表示に変更された。
- 7代目:2008年11月10日 - 2011年3月28日
- 観客席の後ろに城のようなものがあり、スペシャル版などでは城の入り口からゲストが登場するようになった。
ゲーム情報
この番組はたびたびゲーム化されている。発売ラインナップは以下の通り。尚、ゲーム版は従業員は関口支配人・渡辺副支配人・ホンジャマカのみである(Wii版のみ女性従業員も登場)。携帯サイト「TBSゲームパーク」にも本作を参考にしたflashゲームが利用者に複数提供されている。
以下に示した物以外にも、セガサターン専用ソフトとして、「デリソバデラックス」がゲーム化されたこともあった(ケイブ開発)。視聴者プレゼントされたが、非売品。
体感ゲーム
- 東京フレンドパークII~フレンドパークへあそびにいこう!! ~(エポック社) 2003年7月発売
- 東京フレンドパークIIスペシャル!~フレンドパークへみんなでいこう!!~(エポック社) 2005年9月3日発売
- 東京フレンドパークIIパーフェクト!~めざせ!グランドスラム~(エポック社) 2007年7月21日発売
ゲームソフト
- 東京フレンドパークⅡ~DSで鍛える運動能力~(ロケットカンパニー/ニンテンドーDS) 2006年11月30日発売
- 東京フレンドパークⅡ決定版~みんなで挑戦!体感アトラクション~(スパイク/Wii) 2009年12月3日発売
その他
フレンドパークをパロディにしたネッツトヨタのCMがある。竹中直人が支配人役で出演。ビッグチャレンジのシーンで、エアロ(エアロパーツ)の代わりにアロエが当たってしまうというオチがある。
他番組でのパロディ
- 『めちゃ×2イケてるッ!』(フジテレビ)「岡村隆史のお台場フレンドパークII」
- 『とんねるずのみなさんのおかげでした』(フジテレビ)「とんねるずのヤンキーフレンドパークII」
- 『笑う犬の発見』(フジテレビ)「関内宏のモト冬樹フレンドパークII」
- 『SMAP×SMAP』(フジテレビ)「関口ツヨシの東京フレンドツヨシ」
- 『HAMASHO』(読売テレビ、日本テレビ系列)「HAMASHOフレンドパーク」
- 『月刊MelodiX!』(テレビ東京)「shiinaの焼肉フレンドパークII」
- 『ヤッターマン(第2作)』(読売テレビ、日本テレビ系列)第8話「おだいばテレビに潜入だコロン!」より「おだいばなかよしリーグ」
- 同作は当番組の裏番組であり、同様に裏番組の『ネプリーグ』(前述の通り読売テレビと同エリアの関西テレビでは異時ネット)とも合体させてある。なお、関口宏風の司会者の役名は「司会者」とクレジットされていた。
- また第34話「うそっ!ボヤッキーが引退だ?コロン!」では、メカ戦の勝者をダーツ(「ビッグチャレンジ」もどき)で決めるシーンが放送された。的は殆どが「ドロンボー勝利」、わずかに「ヤッターマン勝利」、真ん中は「たわし」であり、一目でパロディと分かるようになっていた。
- 『クイズ!ヘキサゴンII』(フジテレビ)
ネット局
放送対象地域 | 放送局 | 系列 |
---|---|---|
関東広域圏 | TBSテレビ (TBS) | TBS系列 |
北海道 | 北海道放送 (HBC) | |
青森県 | 青森テレビ (ATV) | |
岩手県 | IBC岩手放送 (IBC) | |
宮城県 | 東北放送 (TBC) | |
山形県 | テレビユー山形 (TUY) | |
福島県 | テレビユー福島 (TUF) | |
山梨県 | テレビ山梨 (UTY) | |
新潟県 | 新潟放送 (BSN) | |
長野県 | 信越放送 (SBC) | |
静岡県 | 静岡放送 (SBS) | |
富山県 | チューリップテレビ (TUT) | |
石川県 | 北陸放送 (MRO) | |
中京広域圏 | 中部日本放送 (CBC) | |
近畿広域圏 | 毎日放送 (MBS) | |
鳥取県・島根県 | 山陰放送 (BSS) | |
岡山県・香川県 | 山陽放送 (RSK) | |
広島県 | 中国放送 (RCC) | |
山口県 | テレビ山口 (tys) | |
愛媛県 | あいテレビ (ITV) | |
高知県 | テレビ高知 (KUTV) | |
福岡県 | RKB毎日放送(RKB) | |
長崎県 | 長崎放送 (NBC) | |
熊本県 | 熊本放送 (RKK) | |
大分県 | 大分放送 (OBS) | |
宮崎県 | 宮崎放送 (MRT) | |
鹿児島県 | 南日本放送 (MBC) | |
沖縄県 | 琉球放送 (RBC) | |
秋田県 | 秋田テレビ(AKI) | フジテレビ系列 |
佐賀県 | サガテレビ(STS) |
脚注
関連項目
外部リンク
テンプレート:ホンジャマカ- ↑ 「青少年に見てもらいたい番組」一覧(2005.2取得) (ウェブアーカイブ、日本民間放送連盟)
- ↑ 【MBS】毎日放送 - 青少年に見てもらいたい番組 (2011年8月閲覧)
- ↑ テンプレート:リンク切れ 放送と青少年(日本民間放送連盟)
- ↑ 民放連による「青少年に見てもらいたい番組 (2010年春Ver)」 | skeeem
- ↑ 収録ウラ話2005.07.04
- ↑ 収録ウラ話2009.07.30
- ↑ 感謝祭&フレパに『渡鬼』メンバー多数出演!(「渡る世間は鬼ばかり」(2002年版)) ページ下のバックナンバー11番
- ↑ 夢の競演!木曜コラボ関口宏の東京フレンドパークII×ウンナン極限ネタバトル!ザ・イロモネア3時間ブチ抜きSP! 2009/10/15 イチオシ番組ガイド[ナニミル♪PC版] (2009.10 TVstation)
- ↑ ムーブ時代はクリア時「CLEAR! 金貨獲得」、失敗時「×」マークだった。
- ↑ 実際はムーブ共通のオープニングアニメとエンディング主題歌のみがステレオ放送で、他は実質的にモノラル音源(モノステレオ放送)で収録されていた。
- ↑ 2009年2月25日付報知新聞公式サイト「イロモネア 木曜午後9時に変更」より。
- ↑ TBS「フレンドパーク」が月曜7時枠に復帰!スポーツ報知(2010年2月3日)より。
- ↑ 「フレンドパーク“閉園”へ…18年の歴史に幕」スポニチアネックス(スポーツニッポン公式サイト)2011年1月13日 2011年1月13日閲覧
- ↑ 「フレンドパーク終了も…関口宏“月曜夜7時の男”」スポニチアネックス 2011年2月22日
- ↑ フレンドパーク閉園、後番組は歴史-芸能ニュース:nikkansports.com 2010年2月22日
- ↑ 「フレンドパーク」終了も関口宏は続投-芸能ニュース:nikkansports.com 2010年2月22日
- ↑ 人気クイズ番組から32年目「やっぱり、この時間は関口さんじゃなくては」スポニチアネックス 2011年2月22日
- ↑ 前番組『クイズ100人に聞きました』より続投。ムーブの後番組『関口宏のPAPAバラダイス』、IIの後番組『世紀のワイドショー!ザ・今夜はヒストリー』も続投。
- ↑ オープニングでは顔を出すも氏名クレジットなし。本編終了後、「後のまつり」に出演していたが、フルネームではなく「西秋従業員」とクレジットされていた。末期になって氏名がクレジットされるようになった。
- ↑ 1999年9月まではテロップ及びネームプレートには「小林少年」と表記されていた。
- ↑ ムーブ時代、月曜第1期、木曜日時代の女性従業員は、視聴者へのルール説明、一部のアトラクションのルール説明またはデモンストレーション、支配人への金貨の手渡しのみ行っていた。
- ↑ 番組初のスペシャル版(水戸黄門チームが出場)で、一度だけ20万円相当の「大判」だったことがある。1枚の大判で、ダーツの矢が2本買える。
- ↑ 2人ペアの最高記録は、2008年3月3日の哀川翔・山下智久と2011年2月28日の朝青龍・吉田沙保里の7枚(後者はグランドスラムも達成)
- ↑ ゲストによっては、ゲストの希望商品の掛け声になることもあった。
- ↑ 2009年5月7日や同月28日放送の「特別営業」の際には、視聴者プレゼントのスペシャル商品として、パジェロが充てられた。5月7日放送の「特別営業」での視聴者プレゼントでパジェロが懸かっていたダーツは当日ゲストのうち、安藤美姫や小塚崇彦の所属企業が競合他社である為、浅田真央が投げた。
- ↑ 4人までのゲストの際。5人の場合、挑戦者の人数分か、1本の当たりで3台、2本の当たりで5台プレゼントと放送回によってまちまちだった。
- ↑ 2009年4月2日のEXILEの回で初めて放送し、『JNN50周年記念 ハイパーバラエティウィーク』の1番組としても放送した。
- ↑ 『ザ・イロモネア』とのコラボスペシャル。
- ↑ 1999年・2004年・2006年・2010年リーグ優勝。2007年日本シリーズ優勝。
- ↑ 2000年4月から2004年9月までは「制作 TBSエンタテインメント」、2004年10月から2009年3月までは「制作 TBSテレビ」とクレジット表記されていた。
- ↑ 『ノブナガ』のオープニングトーク内にて。
- ↑ 『やりすぎコージー』にて裏話と共に語られた。