恵俊彰

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テンプレート:Infobox お笑い芸人 恵 俊彰(めぐみ としあき、1964年12月21日 - )は、日本お笑いタレント俳優司会者ニュースキャスターお笑いコンビホンジャマカ」のツッコミ担当。鹿児島県鹿児島市出身。ワタナベエンターテインメント所属。身長170cm。体重60kg(ピーク時には80kg)。

来歴

父は大島紬の工場を経営していた職人であった。母は京都出身。鹿児島大学教育学部附属小学校鹿児島市立甲南中学校鹿児島県立甲南高等学校卒業。大学への進学を希望していたが、高校卒業後は3浪し、結局は進学を断念している。その後は東放学園専門学校に事務員として勤務し、社会人生活を送っていた。

1987年、渡辺プロダクション(現・ワタナベエンターテインメントの親会社)の若手お笑いタレント養成機関「BIG THURSDAY」(ビッグサースデー)のオーディションに合格し、1988年6月4日、インクスティック芝浦ファクトリーにて11人体制でホンジャマカ初ライブ「BIG THURSDAY ホンジャマカ VOL,1」を開催する。1989年、「ホンジャマカ」のメンバーが次々と抜けていく中で唯一残った石塚英彦と改めてコンビを結成した。

元々は「小デブ」として売り出していて、相方の石塚と区別が付かない程だった。しかし、友人の岸谷五朗に太っていることを貶されるなどの理由から20時以降は何も食べないなどしてダイエットした結果、20kgの減量に成功。それ以来は「痩せている方」と言われるようになった。相方の石塚はこのことについて「恵が食べなくなったので、その分自分が食べて余計に太った」などとネタで話すことがある。

岸谷五朗がパーソナリティを務めるTBSラジオ岸谷五朗の東京RADIO CLUB』では、リスナーから絶大な支持を集めた。今や若者言葉として定着した「てゆ〜か〜」「ぶっちゃけ〜」「正直」などを使い始めた先駆けである。

その当時から恵個人でのソロ活動はしていたが、1998年にフジテレビロケットパンチ!』で司会を担当したのを皮切りに恵個人での司会業が増えていった。特にTBSテレビ制作番組への出演が多く、2004年9月からは同系列局で平日昼・午後の時間帯に放送される情報番組の司会を務めている。現在(2009年春 - )、フジテレビ『MUSIC FAIR』とTBS『ひるおび!』等に出演している。その他に俳優としても活動しており、NHK大河ドラマ毛利元就』やTBS『サラリーマン金太郎』シリーズなどに出演している。

人物・エピソード

既婚者であり、3男1女の父。

趣味はパソコンMacユーザー)。ホンジャマカライブのポスターを自分でデザインしたこともある。その他には映画鑑賞、音楽鑑賞、ゴルフ、ビリヤードなどを趣味に持つ。長渕剛三浦春馬のファンであり、プロ野球マニアでもある。セ・リーグでは読売ジャイアンツパ・リーグでは埼玉西武ライオンズを応援している。なお相方の石塚は横浜DeNAベイスターズのファンである。2001年頃からはメジャーリーグにも関心を持っている。

情報番組での司会業を行うことから、前日どれだけ忙しくても毎朝5時に起床し、各局の情報番組をチェックするほか、移動中もほぼ全ての新聞に目を通しているという(『女性自身』2014年4月15日号、51頁)。

出演

石塚英彦とのコンビでの出演はホンジャマカ#出演を参照。

テレビ番組

テレビドラマ

ラジオ番組

CM

映画

  • 桃色探偵団 PINK DICKS 3 狙われたトランプスーツ(1991年)
  • CUTE (1997年)
  • サラリーマン金太郎(1999年) - 前田一郎役
  • ござまれじ(2003年) - 自身監督作
  • 姑獲鳥の夏(2005年)
  • 全身と小指(2006年)

吹き替え

舞台

執筆

書籍

  • ディアフレーズ すぐ使いたくなるあの人の名言(2003年11月15日、TOKYO FM出版、ISBN 4-88745-090-7)
  • 親父の役目 四人目が生まれて思うこと(2013年6月13日、マガジンハウス、ISBN 978-4-8387-2551-9)

連載

外部リンク

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